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【19】
2011年  8月  29日〜 10月  18日

*************2011年 8月29日****************


●子ども、あれこれ(突発的に衝動的な行動を繰り返す子ども)

++++++++++++++++++++

 親の過干渉が日常化すると、子どもは、
自分で考えるということができなくなる。
とくに善悪の判断に疎くなる。
いろいろなケースがある。

++++++++++++++++++++

(N君、小2男児)

 私の教室には、いくつかの模型飛行機が飾ってある。
ダイキャスト製の、大きさが15センチ前後の飛行機である。
その飛行機の、プロペラや脚が折られるという事件がつづいた。
模型のアンテナが折られたのもある。

が、だれが折るのか、当初はわからなかった。
私も、それほど注意していたわけではない。
気がついたときには、模型飛行機のほとんどが、壊されていた。

 が、ある日、レッスンが終わり参観にやってきた母親と話しているとき、ふとそちらのほうを見
ると、N君(小2男児)がその前に立っていた。
模型飛行機をじっと見ているといったふうだった。
が、つぎの瞬間、N君は、さっと手を伸ばすと、指先でプロペラを折った。
ものすごい早業(はやわざ)だった。
それが終わると、再びN君は、こちらの様子を警戒するといったふうでもなく、じっと模型飛行
機に見入っていた。

 ほかにコンセントに粘土を詰めていた子ども(幼稚園男児)や、色水を溶かして、2階のベラ
ンダから、下の子どもに向かって、それをかけていた子ども(幼稚園男児)などがいた。

●特徴

 こうした子どもの話をすると、頭の良し悪しと結びつけて考える人は多い。
しかし頭の良し悪しとは、関係ない。
先にあげたN君にしても、学校のクラスでも、1、2を争うほど、算数が得意だった。
つまり頭が良い子どもでも、善悪の判断に疎い子どもは、いくらでもいる。
他方、頭が悪いからといって、善悪の判断が疎いということにもならない。

 それはちょうど、男子だから、料理や洗濯がへたとか、反対に女子だから、料理や洗濯がじ
ょうずと決めつけて考えるようなもの。
料理や洗濯のじょうず、へたに、男子も女子も、ない。
同じように、「頭が悪いから、善悪の判断に疎い」と考えてはいけない。
(もちろん、頭の悪い子どもで、善悪の判断に疎い子どももいるが……。)

 前提として、善悪の判断能力と、頭の良し悪しは、関係ない。

●突発性

 このタイプの子どもの特徴としては、突発性があげられる。
日ごろから、行動が突発的で、静かな落ち着きに欠ける。
その瞬間に、「とんでもない行動」を引き起こす。
少し前も、私のうしろから、私の後頭部を、いきなり発泡スチロールの棒で叩いてきた子ども
(小6男児)がいた。

 発泡スチロールとはいえ、6年生の腕力である。
しかも水平に、右耳をめがけて叩いてきた。
幸いにも、ほんの少しだけ位置がずれていたからよかった。
もしまともに右耳に当たっていたら、私の鼓膜は吹き飛んでいたはず。
(それでも、そのあと4、5日間、耳がポーンとしたままだったが……。)

 この子どもも、頭の良い子どもだった。
が、時として発作的に、衝動的行動に走る。
で、叱ると、その場ではシュンとうなだれ、いかにも反省していますといった様子をしてみせる。

●原因

 年齢的には、満4・5歳前までの幼児期前期における、子育ての失敗とみる。
この時期を「自律期」と呼ぶ(エリクソン)。
この時期を通して、子どもは、善悪の感覚を身につける。
先生や親の指導を忠実に守ろうとする。

 たとえば母親が、幼稚園の先生の指導と違ったことをしたりすると、すかさず、「幼稚園の先
生がねえ……」と言い返し、母親をたしなめたりする。

 あるいは部屋の様子がいつもとちがっていただけでも、敏感にそれを発見する。
元に戻そうとする。
たとえば花瓶の位置がずれていただけでも、元通りにする、など。

 この時期までに、子どもの基本的な習慣づけが決まると断言してよい。
が、反対に、この時期を、「だらしなく」過ごすと、子どもは、「だらしない子ども」になる。
生活態度がだらしなくなり、ものを散らかすなど。
服装や、身だしなみに無頓着になることもある。

原因は言うまでもなく、親の溺愛(甘やかし)、過干渉(親がガミガミ、コマゴマと言う)など。
それが日常化すると、子どもは自分で考え、自分で行動するということができなくなる。

 しかしそれがすべてよいというわけではない。
反対にそれが度を越したりすると、子どもは、いわゆる融通の利かない、頭の固い子どもにな
る。
たとえばユーモア、冗談が通じなくなる、など。
たとえばアスペルガー児のばあい、相手の言葉を忠実にとらえすぎるあまり、柔軟な行動がと
れないことがよく知られている。

 満4・5歳を過ぎたら、「融通性(ユーモア)の指導」も、家庭教育におけるひとつのテーマと考
えてよい。
 
●善悪判断

 言い換えると、年長児(5〜6歳児)をていねいに観察すると、善悪の判断能力(=常識的な
判断能力)が、正しく身についているかどうかが、わかる。
善悪の判断能力が正しく身についている子どもは、的確にそれを判断することができる。
衝動的、突発的な行動は、見られない。

 一方、そうでない子どもは、そうでない。
ひどくなると、「何をしでかすか、予想が立たない子ども」になる。
ほんの少し目を離したすきに、「とんでもないこと」をする。
しかも本人には、悪いことをしているという意識は、ほとんどない。
笑いながら、あるいはおもしろ半分に、それをする。

 私の目に、シャープペンシルを突き刺した子ども(中3・男子)、同じようにシャープペンシルの
先で、私の目を突き刺そうとした子ども(小4・男児)などがいた※。
ともに頭のキレる子どもで、とくに数学においては、並外れた才能を光らせていた。

(注※)この子どもは、私が振り向くのを待ち、シャーペンシルを手で握り、私に声をかけた。
「先生、先生」と。
私はそのとき反対の方向を向いていたが、そのまま顔を、その子どものほうに向けていたら、
シャーペンシルの先は、確実に私の目を突き刺していた。
たまたまその直前、別の子どもが、「先生!」と声をかけてくれたから、私は難を逃れることが
できた。

●どうするか

 先にも書いたように、年長児(6歳、幼児期後期)になると、その子どもの方向性が決まってく
る。
親は、こうした症状を子どもの中に見つけると、はげしく叱ったりする。
が、これが悪循環となり、子どもはますます「常識外れな行動」を繰り返すようになる。

 「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭環境、とくに母親の育児姿勢にあると考え、猛省
する。
静かな語りかけ、話し合いが、重要。
しかし実際には、親自身が情緒的な不安定さ、精神的な欠陥をかかえているケースが多く、指
導はむずかしい。

●過干渉児

 よく誤解されるが、口うるさいのは、過干渉ではない。
過干渉が過干渉になるためには、親側の情緒的な不安定があるばあいである。
親の機嫌、あるいはそのときの気分によって、子どもへの接し方が大きく変化する。
ギャーと興奮して子どもを叱ったり、反対に、妙に穏やかに接したりするなど。
つまり子どもの側から見て、とらえどころのない親の「心」が原因となり、子どもは、いわゆる過
干渉児になる。

 私の経験では、小学3〜4年生以後、こうした行動が見られるようになったら、指導による改
善はほぼ不可能とみる。
言うべきことは言いながらも、本人の現実を検証する能力と、自己を管理する能力が育つのを
待つしかない。
言い換えると、おとなでも、こうした衝動的、かつ突発的な、「非常識な行動」を繰り返す人は少
なくない。
どういう人がそういう人であるかは、あなたの周辺にも、1人や2人はいるはず。
観察してみるとよい。
出現率としては、子ども(小学高学年児)のばあい、7〜8人に1人とみる(はやし浩司)。

●AD・HD児とのちがい

 それなりの集中力と、その場に応じた静かさ(たとえばテスト中などは、静かに学習できる)が
あるという点で、AD・HD児とは区別される。

●過剰行動児とのちがい

 行動に目的性があるという点で、突発的に錯乱状態になる過剰行動児とは区別される。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 突飛もない行動を繰り返す子ど
も 何をしでかすか、わからない子ども 衝動的 子どもの衝動性 子どもの突飛性)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼稚園児に「形」を教えてみる】

●新入会のMG君がいましたので、ガイダンス的に、「形」の学習をしてみました。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。

(1)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
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=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 年中児の知育教育 知能教育 
BW教室 BW子どもクラブ BWbyはやし浩司 形の学習 形の勉強 刺激教育 才能教育)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●もうすぐ64歳(8月30日の夜に)「今日のできごと、あれこれ」

●タレントのS

 タレントのSが、マスコミでボロクソに叩かれている。
同情の余地はない。
もともと・・・というか、見るからにその程度の男。
「国民の宝」と、どこかのバカ知事はもちあげたが、国民の宝?

 「つながりがあった」というより、準構成員そのもの。
が、問題は、マスコミそのもの。
ああいう人間を無批判に、もちあげてきた。
その責任は、どうなるのか。

 が、まだSはよい。
暴力団とのつながりがあったというだけで、社会にそれほど大きな影響を与えたというわけで
はない。
陰に隠れて、コソコソ、行動していた。

 で、そのタレントSを見ながら、こう思う。
もしSが悪いというなら、あのBTはどうなのか?、と。
ワイフが、昨夜、そう言った。
見るからに、その程度の男。
映画監督もしているが、作るのは暴力映画ばかり。
暴力団そのものを題材にした映画も多い。
その男が、今、タレントの王者として、日本のマスコミの上に君臨している。

 日本人や日本の若者たちに与えた影響となると、計り知れない。
もちろん悪い影響である。
そんな男が、東京都から、「都を代表する文化人」として表彰されている。
フランス政府からは、「日本を代表する文化人」として表彰されている。

 Sというタレントがおかしいのではない。
マスコミ全体が、狂っている。
日本人全体が、狂っている。

●日債銀の破綻処理、4・8兆円!

 最高裁判所は、「シロ」と判断した。
いわく「貸出金が多少でも回収できれば、
支援に合理性が認められるとの判断を示し、
決算に粉飾はなかった」と。

 わかりやすく言えば、日債銀がした
もろもろの融資は、「回収の見込みがなかったとは
評価できない」※と。

実にあやしげな融資だった。
にもかかわらず、「回収の見込みがなかったとは言えない」と。

 が、本当の問題は、そのことではない。
こんな一銀行のために、4・8兆円もの公的資金が使われたということ。

4・8兆円を数字で表してみる。

4800000000000円!

 もし預金者保護ということなら、
預金者だけを保護すればよかった。
その保護だけにとどめ、銀行を解体すればよかった。
何も、銀行がかかえた債務まで、国が負担することはなかった。

 が、日債銀は、事実上、救済された。
日債銀というより、行員たちが救済された。
当時の日債銀の行員は、約2000人。
4・8兆円を2000人で割ると、
1人当たり、24億円。

 つまり国は、行員1人当たり、24億円もの
公的資金(=税金)を投入し、日債銀なるものを
救済した。

以後、日債銀の行員たちは、だれひとり責任を
問われることもなく、満額の退職金(=企業年金)
を受け取り、それぞれ子会社(主に独立系ノンバンク)
へと散った。

 もちろん1人当たり、24億円の現金を手にしたわけではない。
しかしふつうなら、会社の倒産と同じように、行員は全員解雇、
無一文で、野に放り出されてもおかしくなかった。

が、ここからがまたおかしい。

 検察庁は、「乱脈融資に直接かかわったわけでもない、
国税庁長官のK氏のみを訴追」(Yahoo・ニュース)した。
結果、乱脈融資そのものを、うやむやにしてしまった。

が、もう一度、4・8兆円という数字をよく見てほしい。
日本人の人口を、1億2000万人とすると、国民1人当たり、4万円!
それだけのお金が、闇から闇へと消えたことになる。
つまりだれかが、その一方で、儲けた!

 百貨店のそごう倒産劇のときも、債務(=借金)の付け替えが、
頻繁に行われていた。
日債銀の経営破綻劇の裏でも、同じことが行われていた。

それが無罪!
シロ!

 こんなバカなことが、この日本では堂々と行われている。
捜査といっても、「国策捜査」(同・ニュース)。
はじめから結果は、わかっていた。
つまり茶番劇。

 日本が民主主義国家と思っているのは、そこらのオジチャン、オバチャンたちだけ。
日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
世界に名だたる官僚主義国家。
その官僚たちが、政治、経済、さらには裁判まで、自分たちの
思い通りに動かしている。

今度の判決を見て、私はそう感じた。

(注※)
 数学の問題でも、解答のある問題を解くのは簡単。
しかし「この問題は解けません」ということを証明するのは、むずかしい。
同じように、回収の見込みについて、なかったことを証明するのは、むずかしい。
要するに、詐欺であったかどうかということ。
が、「回収の見込みがなかったとは評価できない」ということで、詐欺ではないということになっ
た。
回りくどい言い方だが、こんな論法がまかり通るなら、どんな詐欺でも、無罪になって
しまう。
今、問題になっている「○X牧場」の和牛預託商法にしても、そうだ。
「(資金の)回収の見込みがなかったとは評価できない。よって無罪」と。

●どこかの川で……

 どこかの川で、28歳の男性が、橋から川に飛び込んで、死んだ。
私はその川も、橋も、よく知っている。
私はその川のほとりで、生まれ育った。

 死因はまだ報道されていないが、心臓麻痺か何かではなかったか。
あの川の恐ろしいところは、(どこの川でもそうだが)、山の清水が、いたるところで川の中でわ
き出ていること。
川に沿って泳いでいると、それがよくわかる。
ときどき、氷のように冷たい清水を、帯のように感ずる。
そういう清水の中に入ると、かなり泳ぎ慣れた人でも、キーンと心臓が縮むのがわかる。

 今は、温暖化も進んだ。
しかし私が子どものころは、8月15日の盆を過ぎたら、あの川には入らなかった。
寒くて、入れなかった。
そんな川に、8月末の今ごろ、橋から飛び込むなどというのは、正気の沙汰ではない。

 28歳といえば、若い。
残念な事件である。

●生き埋め

 もうひとつの事件は、若い夫婦が生き埋めになったというもの。
どういういきさつでそうなったかは知らないが、運が悪かっただけではすまされない。
何か、やりきれない。

 どこかの若い妻が、夫を驚かそうと、砂浜に穴を掘った。
落とし穴を作った。
「誕生日を祝うためだった」というから、さらに「?」。
そに落とし穴に、夫婦ともども落ちて、2人とも窒息して死んだ。

 穴の深さも、常識をはずれている。
2・5メートル!
ほんの少しでも思考力があれば、こんな危険な遊びはしなかったはず。

 が、私の年齢になると、どうしても親の心のほうを先に考えてしまう。
「さぞかし、やりきれないだろうな」と。

 川に飛び込んで死んだ若者にも、砂浜で窒息して死んだ若者にも、親がいるはず。
そういう息子や娘をもった親は、どうか。
悲しいというより、やりきれない思いでいっぱいだろう。
無念というか、何というか……。

 人というのは、他人のことなら、「許して忘れる」ことができる。
しかし自分のこととなると、それができない。
それが親の気持ちということになる。

 だから今は、こう思う。

 若者たちよ、無謀なことをするのは、君たちの勝手。
しかしときには、親の気持ちも少しは考えて行動せよ。
君たちの命はもちろん、幸福にせよ、結婚にせよ、それは君たちだけのものではない。
君たちの背中には、君たちを、苦労に苦労を重ねて育ててきた、父親がいる。
母親がいる。
ときには、回れ右をし、背中の側にいる人間を見てほしい。

●民主党

 野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。

 わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。

この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になった
とたん、この体たらく。

 もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。

 ・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。

●武士道

 ・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴
力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。

いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?

 5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったということ。
(工人、商人は、数がぐんと少なかった。)

 もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?

●迷ったら・・・

 先ほど、ワイフがこう言った。
「明日は、どうする?」と。

 水曜日は、温泉に行くことにしている。
回数券で買うと、1回分800円で入浴できる。
それに映画も観たい。
が、あまりよいのがない。
見るとすれば、『ピラニア』。
昔の『ジョーズ』に似た映画と思う。
サメが、ピラニアに変わった。

 もうひとつは、温水器のパイプに穴があいた。
その修理。
「明日は、どうする?」と再びワイフが聞いたので、私はこう答えた。
「ぜんぶ、する」と。

 このところ「迷ったら、すべてする」が、私のモットーになっている。

●スピリチュアル(霊感商法)

 数日前、「?」はチラシが新聞に入っていた。
「スピリチュアル講演会」という。
見ると、もろもろの悩みを解消します、とある。
ついでにもろもろの予知、予言もします、とある。

 当日券は3500円とか。(前売り券は3000円。)

 気になったのは、小中学生の入場料金も書いてあったこと。
もしそれがカルト教団なら、(カルト教団と断言してよいが)、これは見過ごせない。
フランスでもベルギーでも、未成年者への勧誘は、法律によりきびしく禁止されている。
甘いのは、この日本だけ。
政治活動も野放し。(アメリカでは禁止。)
営利活動も野放し。(世界的に禁止。)
もちろん子どもの勧誘も、野放し。

 憲法で保障されている「信仰の自由」が、カルト教団のよいように拡大解釈されている。
その結果が、今。
だいたいにおいて、「スピリチュアル」とは何か。
訳せば「霊」ということになる。

 あのホーキング博士は、「天国などというものは、死を恐れる人のおとぎ話」と言い切った。
が、人間は、それほど強くない。
ウソでもよいから、天国を信じたい人もいる。
そういう人たちの思いは思いとして、そっとしておいてやる。
「あなたはまちがっている!」と言って、ハシゴをはずすのは簡単なこと。
はずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してやる。
それができないなら、そっとしておいてやる。

 が、あえてウソを広めてはいけない。
お金を取り、人を集め、インチキ説法まではしていけない。
その先にあるのが、霊感商法。
こういうのを野放しにするから、被害者が後を絶たない。

 もし、ここに私が書いたことがまちがっているというのなら、ヤ〜イ、インチキ教団の連中ども
よ、今すぐ、私にバチを当ててみろ。
そのスピリチュアル何とかというパワーを使って、私にバチを当ててみろ!

 大地震が予言できるくらいなら、はやし浩司1人くらい、つぶすのは、わけないはず。

●勇気

 今年は平成23年だから、ちょうど23年前。
私はあるカルト教団を攻撃した本を、5冊、書いた。
それがあって、私のところへ、毎週のように、10〜20人の信者たちが押しかけてきた。
みな、口々に、こう言った。
「今に、お前は地獄へ落ちる」「5年後に結果が出る」「楽しみにしている」と。

 が、5年たっても、10年たっても、20年たっても、私は地獄へ落ちなかった。
今の今も、そこそこに元気で暮らしている。

 愚かな連中だ。
「信じたものだけが救われる」とか、「悪口を書いたら、地獄へ落ちる」とか言う。
私が神や仏なら、いちいちそんなことは気にしない。
神や仏に甘えるわけではないが、心が無量無辺に広いから、神といい、仏という。

 が、正直に告白するが、当初は怖かった。
仲のよい友人でさえも、「殺されないように注意してください」と忠告してくれた。
そう言えば、こんなことを言った信者もいた。
「夜道を歩くときは、注意したほうがいいですよ」と。

 が、今は、反対に、こわいものがなくなった。
小心で臆病だった私が、平気でものを書けるようになった。
あの一連の事件を通して、私は「勇気」を手に入れた。
今にして思うと、それがよくわかる。

●もうすぐ64歳

 もうすぐ64歳。
平均余命から逆算すると、運がよくても、私の
寿命は、残り15年。
15年。
たったの15年。

 で、反対にこんな計算をしてみる。
現在の年齢から15年を引いてみると、49歳。
49歳から64歳。・・・15年
64歳から79歳。・・・15年
49歳のときから、現在までの年数がたつと、
私もあの世行き。

 そこで考える。
49歳のとき、私は何をしていたか、と。
よく覚えているのは、中日新聞で、連載が始まったこと。
『子どもの世界、こんな問題』というコラムだった。
それから15年。
あっという間の15年。
同じように、これからの15年も、あっという間に過ぎていく。
あるいは、もっと早いかもしれない。

 が、それとて、先に書いたように、「運がよければ」の話。
平均余命から10年を引いた年齢を、健康年齢という。
晩年の10年は、病魔との闘い。
徐々に病魔に侵されながら、人は、やがて死を迎える。
その健康年齢まで、あと4年。
たったの4年。

 長生きはしたいが、私のような国民年金族(=無年金族)は、
長生きをすればするほど、みなに、迷惑をかける。
迷惑をかけてまで、長生きはしたくない。
また長生きしたところで、どういう意味があるのか。
できれば、ピンコロ。
無縁死でも孤独死でもよい。
できれば、ピンコロ。

 ・・・かなり悲観的な考え方だが、私が書きたいのは、その逆。
それだけに、このところ、生きていることに、いとおしさを覚える。

美しい空。
白い雲。
深い緑の木々。
死ねば、この世もろとも、私は消える。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今夜もワイフとドライブをしながら、そんなことを考えた。
暗い夜空だったが、淡い雲が幾重にも重なって見えた。
その下に、黒いシルエットとなった山々。
そして明かりを灯す、民家。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今や一瞬一秒が、砂時計の砂のように、過ぎていく。
無駄にできる「命」は、もうない。
回り道をしている時間もない。
迷っている暇もない。
結果がどうであれ、その結果を気にしている余裕もない。

 ただ前に進むこと。
ただひたすら前に向かって生きていくこと。
正しくても、またまちがっていても、これが私の人生。
私の選んだ人生。
今さら過去を悔やんだところで、どうにもならない。
軌道修正することもできない。
だから前に進む。

 世の中に、私のようなバカが1人くらい、いてもよい。
言うなれば、バカの実験台。
もし私の生き方がまちがっていると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、別の道を進めばよい。
もし私の生き方にも、価値があると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、私を乗り越えて進めばよい。

 今夜の私は、ワイフの深い愛を感ずる。
息子の深い愛を感ずる。
それ以上、私は何を望むというのか。
仮に今、ピンコロということになっても、今の私なら、今を信ずる。
信じて、そのまま静かに死ぬことができる。
やすらかに。
穏やかに。

今夜の私は、いつもになく、満ち足りている。
人を憎まず。
人を恨まず。
平和な心で、満たされている。

 ・・・このまま静かに眠ろう。
すでにワイフは、奥の寝室で寝息をたてている。
先ほどまで横で話していた息子も、寝室へ入った。

では、みなさん、おやすみ。
日付は変わって、2011年8月31日。

引佐町・山荘にて。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 2011+++++++++はやし浩司

【楽しく学ぶ子は、よく学ぶ】

●1年生に、センチとミリを教える

(1)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/mY9NXa3yZXE?hl
=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

『シティライフ』誌(大阪府・北摂・高槻・茨木・摂津版)

●巻頭特集の記事より

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/74/imga789bdd5zikfzj.
jpeg" width="1176" height="1292" alt="img203.jpg">

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/75/img9123c25czik1zj.
jpeg" width="1176" height="1415" alt="img204.jpg">

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/76/img32ba0358zikbzj.
jpeg" width="1176" height="1353" alt="img205.jpg">

【シティライフ編集部のみなさんへ】

 記事を掲載してくださり、ありがとうございました。

シティライフ……アクセスは
http://kurasi.citylife-new.com/e12121.html


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●8月31日夜記

●ゆがむ心

 恨み、妬(ねた)み、怒り、不満、不平……そういった感情を日常的に抱いていると、心がゆ
がむ。
ゆがむと気づかないまま、ゆがむ。

 わかりやすく言えば、他人の不幸を楽しむようになる。
ものの考え方が、悪魔的になる。
常識の感覚が疎くなり、軽重はあるものの、反社会的な行為を平気でするようになる。

 とくに気をつけたいのが、恨みと妬み。
ともに原始的な感情であるだけに、心、つまり脳に与えるダメージも大きい。
脳自体が、慢性的な脳ストレス状態になる。
そのため思考回路そのものが、ゆがんでくる。
また一度ゆがんだ心は、簡単には、元に戻らない。

 が、これは子どもの世界の話ではない。
おとなの世界の話でもある。
しかも50代、60代の人にとっても、けっして、無縁の話ではない。

●X氏

 自治会で親しくしている人に、A氏(65歳)がいる。
そのA氏が、こんな話をしてくれた。

 A氏の隣に、X氏(83歳)という男性が住んでいる。
定年(55歳)まで、国の出先機関の副長クラスの仕事をしていた。
以後、30年近く、仕事は、いっさいしていない。
近所づきあいもしていない。
裏に畑があり、毎日庭いじりと畑での作業だけを繰り返しているだけ。
A氏は、そのX氏に、現在に至るまで、いやがらせ(いじめ)を受けているという。

ふつうの意地悪ではない。
放火、殺人未遂、虚偽の通報、暴力行為などなど。
どれもスレスレの行為で、そのつど警察に通報したというが、どれも証拠不十分で、警察沙汰
にはなっていない。

★放火……塀を燃やされた。
 燃え残った枯れ草や、小枝などが、その下に残っていた。
★殺人未遂……生きたマムシを飼っていて、数度、それを投げ込まれたことがある。
 A氏が問いただすと、強精用のマムシ焼酎を作っているだけと逃げられたという。
★虚偽の通報……A氏の名前を勝手に使い、市役所や近所の地主に、苦情を訴えたりする。
 そのためA氏が、悪者扱いになる、など。
★暴力行為……夜中に、屋根にビンを投げられたり、パチンコでエアコンの室外機を破壊され
た、などなど。
窓ガラスも割られたことがあるが、そのときA氏が通報するよりも先に、X氏のほうが、「うちの
窓ガラスが割られた」と、警察に通報していたという。
実際、X氏の家のガラスには、いくつかの穴があいていた。

 A氏は、あきらめ顔。
「やり方が実に巧妙で……」と。
X氏は、A氏の家の動きをいつも、どこかで観察しているという。
そこでA氏は、監視カメラまで設置したが、いつも電源を入れているわけではない。
その電源を切ったときに、いやがらせをするという。

 心のゆがんだ人というのは、X氏のような人をいう。
ゆがんでいるというより、腐っている。

●『抑圧は悪魔を作る』

 なぜX氏の心が、そこまでゆがんだか。
それについてもA氏は、いろいろ話してくれた。
が、ここでは割愛する。

 問題は、日ごろの生活態度ということになる。
イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
わかりやすく言えば、不平や不満があるにせよ、それをうまく発散できればよい。
それができないと、つまり抑圧されると、心は悪魔的になる。

 X氏は、もろもろの不平、不満を、A氏の責任にした。
あるいは何かいやなことがあると、それをA氏に転嫁した。

 子どもの世界では、それが顕著に表れる。
以前(2009年8月)、書いた原稿を、ここに載せる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●痛ましい事件(抑圧は悪魔を作る)

++++++++++++++++++

またまた13歳の少年が、父親を殺害する
という事件が起きた。
まず、その記事(産経新聞・7月18日)を
読んでみたい。

++++++++++++++++++

+++++++++++++以下、産経新聞より、抜粋転載+++++++++++++

島根県I市で中学2年の少年(13)が、父親(43)を殺害した事件で、少年の付添人
となった弁護士が17日、M市内で会見し、少年が「父親の勉強に対する指導が厳しかっ
た」との内容を話していることを明らかにした。

 付添人によると、これまで4回、少年に面会しているが、落ち着いた様子で応じている
という。付添人は「父親に対する恐怖心が拒絶感になり、事件に至ったのではないかと考
えている」と話した。今後は、少年の主張を代弁するなど少年の権利を保障するとともに、
聞き取りをしていくなかで更生に助力するとしている。

 I市教委などによると、少年は昨年11月、スクールカウンセラーに「成績のことで父
親に頭などをたたかれる」と訴え、竹刀でたたかれる体罰行為もあったという。

 県警のこれまでの調べに、少年は「父親を殺すしかないと思った」と説明。さらに、同
級生には事件前、「おやじ殺しちゃう」と殺害を予告し、当日朝には、「殺した」と伝えて
いた。少年の部屋からは、殺害方法などが書かれたメモやナイフ数本が見つかっており、
県警は少年が計画的に父親を殺害した可能性があるとみて慎重に調べている。

+++++++++++++以上、産経新聞より、抜粋転載+++++++++++++

●「抑圧」の恐ろしさ

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的に抑圧状態が慢性的につづくと、人の心が悪魔的になることを言ったもの。
子どものばあい、それが顕著に現れる。

 まずつぎのテストを受けてみてほしい。
このテストは、表面的には、穏やかで従順な子どもを対象にしたものである。
あなたの子どもは……、

(  )表面的には穏やかで従順である。(親の前では、見た目には静か。)
(  )感情表現、とくに喜びの表現が乏しい。
(  )ときにツンとした人間的な冷たさを感ずる。
(  )ものの考え方が、消費的で刹那的。(小遣いなどもすぐ、使ってしまう。)
(  )「殺す」「死ぬ」という言葉をよく使う。(あるいはあちこちに、書く。)  
(  )「銃(ガン)」「戦争」などに興味をもっている。
(  )ノートなどに残酷な絵を描くことが多い。(「血」をテーマにした絵が多い。)
(  )善悪の判断にうとく、ときに常識はずれなことをする。
(  )何を考えているのか、親にもわからないときが多い。
(  )小動物や人形などに興味を示さない。

 もしこのテストで、5個以上思い当るところがあれば、あなたの子どもの心は
かなりゆがんでいるとみてよい。
(即席で作成したテストなので、信頼性はあまりない。)

 表面的に穏やかで従順であるからといって、「いい子」とは限らない。
それは子どもの世界では常識。
表面的な様子に、だまされてはいけない。
とくにあなた自身が権威主義的なものの考え方をしているなら、注意したらよい。

(権威主義:悪玉親意識が強く、上下意識も強い。
子どもが口応えしただけで、「親に向かって、何てこと言うか!」と怒鳴りつけるような
タイプの親をいう。

「産んでやった」「育ててやった」と、親風を吹かすことも多い。
妻に向かっては、「食べさせてやる」「稼いでやる」とか言う。
家父長意識も強い。)

 今回、I市で起きた事件の背景が、そうであったというのではない。
しかしこの種の事件は、まさに氷山の一角。
その一歩、あるいは二歩手前で、あやうく事件にならないで、闇に隠れている
ケースとなると、ゴマンとある。
ひょっとしたら、あなたの親子関係も、そうかもしれない。

 もしそうなら、(1)権威主義的発想を捨てること。
(2)友として、子どもの横に立つこと。
(3)今の状態を、これ以上悪くしないことだけを考えて、対処すること。
 この3つに心がけてみてほしい。

時間はかかるが、(というのも、この種の心の問題は、一朝一夕には解決しないので)、
やがて子どものほうから、心を開いてくる。
 それにしても、「『成績のことで父親に頭などをたたかれる』と訴え、竹刀でたたかれる
体罰行為もあった」とは!

 そこまでひどくなくても、毎日、毎晩、「勉強しろ!」「うるさい!」の大乱闘を
繰り返している親子は、少なくない。
もしあなたがそうなら……。
 
「子どもの成績があがったら、どうなのか?」
「それがどうしたというのか?」
そのあたりからもう一度、考え直してみてほしい。
 もし殺された父親に、そういうものの見方の一片でもあれば、少なくとも今回の
ような悲劇は避けられたはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 父親殺害 抑圧は悪魔を作る)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●もまし

 実は私は、「もまし」という言葉を、10年前まで知らなかった。
ある知人(女性、60歳)が、教えてくれた。
その女性は、こう言った。
「あら、あなた、モマシという言葉も知らなかったの?」と。

 もちろん知っている人は、知っている。
それができる人は、日常的に、平気でできる。

もまし……Aさんには、Bさんの悪口を言う。
「Bさんね、あなたのことを、バカって言ってたわよ」と。
一方、Bさんには、Aさんの悪口を言う。
「Aさんね、あなたのことを、イヤな人って、言ってたわよ」と。

 会話の内容は、実際には、もう少し複雑。
告げ口、密告、暴露、ウソなどを混在させる。

つまりこうしてAさんとBさんの間にトラブルを引き起こす。
仲たがいを誘引する。
これを「モマシ」という。

 男の世界では、あまり聞いたことがない。
しかし女性の世界では、モマシがたいへん多いという。
つまり女性のほうが、それだけ社会的に、抑圧されているということか?

私も親類の女性(69歳)に、モマシをされたことがある。
その女性をうっかりと信じてしまった。
信じて、内輪の話をしてしまった。
が、数週間もたたないうちに、その話は親戚中に広がってしまった。

 (こういうモマシにあったら、弁解せず、説明せず、ただひたすら沈黙を守るのがよい。
これは私がそのとき学習した鉄則。)

 こういうモマシが平気でできる人というのも、心がかなる腐っているとみてよい。
ふつうの心では、できない。
というか、ふつうではない。

●根が深い

 心のゆがんだ人を、どうするかということについては、私にはわからない。
牧師のような聖職者の人にとっては、大きなテーマかもしれないが、私には荷が重すぎる。
つまり私のばあい、そういう心のゆがんだ人、腐った人に出会ったら、距離を置き、遠ざかるよ
うにしている。

 つきあってよいことは何もない。
ないばかりか、こちらまで影響を受けてしまう。

 もちろん相手が子どもで、私の指導下にあれば、それなりの指導はする。
しかしこの問題は、ふつう、根が深い。
それに先にも書いたように、(もちろん軽重の問題もあるが)、指導により「直す」のは、簡単で
はない。
子どもでも、5年単位の時間が必要。
攻撃的なつっぱり症状を見せる子どもを想像してみればよい。
一度ゆがんだ心は、簡単には戻らない。
さらに歳を取ると、仮面をかぶるようになる。
いい人ぶり、外からはわかりにくくなる。
それこそ80歳を過ぎても、近所の人に意地悪を繰り返すこともある。

●ネズミを殺すために、家を燃やす

 そこで重要なことは、自分の心を抑圧しないこと。
ゆがみを感じたら、できるだけ早い段階で、それに気づき、原因を取り除くこと。
たいていは人間関係に起因する。
その人間関係を是正する。

 だからある賢人はこう言った。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォスディック)

 つまり人を恨んでいると、心、つまりその人の人間性全体まで、大きな影響を受ける、と。

 それについて書いた原稿を添付し、このエッセーを終える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

+++++++++++++++++++++

人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。

+++++++++++++++++++++++++

●ある女性(67歳)

 東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上古天真論編)。

『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨み
怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの崇
高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的にも
悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。

 恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。
「あいつのせいで、こうなった」と。

 ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。

 まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。

●復讐

 恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)

 「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。

 子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。
そういうイメージが焼きついてしまった。
 
 先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。

●詐欺

 自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。

 しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に処理して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。

 こんな人がいた。

●深み

 当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。

 ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。

 で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。

●心的エネルギー

 (恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。

 私も若いころ信じていた知人に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8〜10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その知人はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)

 が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
人間性そのものまで破壊する。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。

●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』

 私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。 
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。

 実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。

 しかし「家に火をつけるようなもの」ということを知り、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。

 最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。

●Henry Fosdick

英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。

The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●自分を知る

++++++++++++

ほとんどの人は、「私のことは
私がいちばんよく知っている」
と思っている。
しかしその実、自分のことは、
まったくわかっていない。そう、
自分で思いこんでいるだけ。
よい例が、「病識」。「私は病気で
ある」という意識があることを、
病識という。
精神疾患の世界でも、この病識
のあるなしで、病気の軽重が
決まるという。
同じように、心理学の世界には、
「メタ認知」という言葉がある。
自分の思考プロセスを客観的に
知り、それを意識化することをいう。
「なぜ、私はこう考えるのか」と。
考えている内容ではない。なぜ、
そのように考えるか、そのプロセスを
意識化することをいう。
さらに哲学の世界では、「汝自身を
知れ」が、究極の目標になっている。
精神医学、心理学、そして哲学の
世界で、それぞれ言っていることは、
みな、同じ。
つまり、「私を知ること」は、それほど
までにむずかしい。
……それでもあなたは、「私のことは
私がいちばんよく知っている」と、
言い張ることができるだろうか?

+++++++++++++

 たとえば若い女性が、胸や太ももをあらわにした服を着たとする。その女性にしてみれば、そ
れが流行であり、そのほうが自分に似合うと思うから、そうする。
 そこでさらに、店にでかけ、あれこれ迷いながら、自分に合った(?)服を買おうとする。そうい
う女性に向かって、「どうしてそういう服を買うのですか」と質問しても、意味はない。その女性
はその女性なりに、懸命に考えながら、色やデザインを選んでいる。
 が、もしその女性が、こう考えたらどうだろうか。
 「私はフロイトが説いたところの、イド、つまり性的エネルギーに支配されているだけ」と。
 そう、その女性は、無意識の世界からの命令によって動かされているだけ。そしてその命令
は、種の保存本能に根ざしている。胸や太ももをあらわにするのも、結局は、(男)という異性
をを意識しているからにほかならない。が、もちろんその女性には、その意識はない。

私「男を意識するから、そういう服を着るの?」
女「男なんて、関係ないわよ。ファッションよ」
私「ファッションって?」
女「自分に似合った服を選んで、身につけることよ」と。

 つまり精神疾患でいうところの「病識」が、その女性には、まったくないということになる。「私
は正常だ」「ふつうだ」と思いこんでいる。しかし若い男性にとっては、そうではない。あらわにな
った胸や太ももを見ただけで、性的な情欲にかられる。女性には、その意識はなくても、男性
は、そうなる。
 「どんな服装をしようとも、女性の勝手」というわけにはいかない。
 もっとも、その女性が、性的エネルギーにすべて支配されていると考えるのも、まちがいであ
る。動機の原点に、性的エネルギーがあるとしても、そこから先は、(美の追求)ということにな
る。ファッションショーに、その例を見るまでもない。

 しかしそのつど、もし私たちが、自分の思考プロセスを、客観的に認知することができるよう
になったら、またそういう習慣を身につけることができたら、自分の見方が大きく変わるかもし
れない。それを心理学の世界では、「メタ(高次)認知」という。
 たとえばこの私。毎日、ヒマさえあれば、こうしてパソコンのキーボードをたたいている。実際
には楽しいから、そうしている。頭の中の未知の世界を探索するのは、ほんとうに楽しい。毎
日、何か、新しいことを発見することができる。

 が、なぜ、そうするかというと、そこからが、「メタ認知」の領域ということになる。哲学の世界
でいう、「私自身を、知る」という世界ということになる。
 基本的には、大きな欲求不満があるのかもしれない。あるいは心のどこかで女性という読者
を意識しているのかもしれない。さらに言えば、(生)に対して、最後の戦いをいどんでいるのか
もしれない。フロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使ったが、弟子のユングは、「生的エネ
ルギー」という言葉を使った。

 「性」も「生」の一部と考えるなら、私は、今の自分が、その生的エネルギーによって支配され
ているということになる。
 その生的エネルギーが姿を変えて、私を動かしている。それを知るということが、つまりは、メ
タ認知ということになる。「私自身を知る」ということになる。

(補記)
 子どもの世界をながめていると、メタ認知というものが、どういうものか、よくわかる。
 たとえば心理学の世界にも、「防衛機制」という言葉がある。自我が危機的な状況に置かれ
ると、子どもは、(おとなもそうだが)、その崩壊を防ぐために、さまざまな行動に出ることが知ら
れている。
 たとえば学習面では目立たない子どもが、スポーツ面でがんばるなど。非行や暴力、つっぱ
りも、その一部として理解されている。
 が、当の本人たちには、その意識はない。「私は私」と思って、(思いこんで)、そういう行動を
繰りかえす。
 相手は子どもだから、ここでいうメタ認知を求めても、意味はない。心を知り尽くした心理学
者でもむずかしい。あのソクラテスですら、「汝自身を知れ」という言葉にぶつかってはじめて、
「無知の知」という言葉を導いた。
 しかしメタ認知は、同時に、他人をよく知る手助けにもなる。
 出世主義に邁進する人も、金儲けに血眼になっている人も、あるいはスポーツの世界で華々
しい成果をあげている人も、心のどこかで、何かによって動かされている。それが手に取るよう
に、よくわかるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 メタ認
知 認識 病識 汝自身を知れ 汝自身を、知れ)

Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●空腹のメカニズム(メタ認識・メタ認知)

+++++++++++++

昨夜、床につく前、猛烈な空腹感
に襲われた。
「パンでも食べようか……」と思ったが、
やめた。
そういうときの空腹感は、幻覚の
ようなもの。
朝、起きると、空腹感は消える。
今までの経験で、それがよくわかって
いる。
それに寝る前に食べると、肥満に
つながる。

+++++++++++++

 人間の空腹感は、(ほ乳動物もみなそうだが)、2つの相反する作用によって決まるということ
がわかっている。「食べたい」という作用と、「食べたくない」という作用である。「食べたい」とい
う作用が、「食べたくない」という作用よりも強くなったとき、空腹感が起きてくる。順に考えてみ
よう。
 大脳の視床下部に、血糖値を感知するセンサーがある。一般的には、血糖値がさがると、そ
のセンサーが機能し、空腹感をもたらすと考えられている。
 しかし空腹感のメカニズムは、そんな単純なものではない。私の例で、考えてみよう。
 たとえば昨夜、私は寝る前に、猛烈な空腹感に襲われた。人間には、(ほ乳動物はみなそう
だが)、ホメオスタシス効果というのがある。「ホメオスタシス」というのは、人間内部の生理的
環境を一定に保とうとする機能を総称したもの(付記、参照)。
 もっともわかりやすい例が、食欲である。体内のエネルギーが不足してくると、生理的バラン
スを一定に保つために、ホメオスタシス効果が機能し始める。それが食欲につながる。

 猛烈な空腹感に襲われたのは、血中の血糖値がさがったため。それを大脳の視床下部のセ
ンサーが感知した。それが猛烈な空腹感へとつながった。
 しかしならば、朝になると、どうしてその空腹感が消えるのか? 血糖値は、昨夜のままのは
ず。あるいは睡眠中に、ホメオスタシス効果が機能して、血糖値を調整したのか。その可能性
は、ある。あるが、どうも合点がいかない。血糖値だけで、食欲の有無は、決まるのか?

 この謎を解くカギが、拒食症や過食症の患者にある。
 食欲……正確には、「摂食行動」というが、その摂食行動は、2つの相反する作用によって、
決まるという。ネズミの実験だが、ネズミの視床下部の外側野に電気刺激を与えると、摂食行
動が活発化し、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が停止するという(春木豊氏「心理学
の基礎」)。

 が、反対に、その視床下部の外側野に隣接した、腹内側核を刺激すると、摂食行動が起き
なくなり、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が止まらなくなり、ネズミは過食し始めると
いう(同)。
 わかりやすく言えば、視床下部の外側野と、それに隣接する腹内側核が、たがいに相反した
機能をもちながら、人間の食欲を調整しているということになる。以上の話を、もう一度、まとめ
ると、こうなる。

(1) 視床下部の外側野……(刺激すると)→(摂食行動が起きる)
               (破壊すると)→(摂食行動が停止する)

(2) 視床下部に隣接する腹内側核……(刺激すると)→(摂食行動が起きなくなる)
                    (破壊すると)→(過食が始まる)   

 脳の機能も外部からの刺激で、変調しやすい。ここに書いたマウスの実験では、脳の一部を
破壊することによって、摂食行動の変化を確かめたが、機能が変調しても、同じことが起きると
考えるのは、ごく自然なことである。 

 たとえば拒食症の人は、視床下部の外側野の機能が、低下した人ということになる。一方、
過食症の人は、腹内側核の機能が、低下した人ということになる。(かなり乱暴な書き方で、ご
めん!)

 で、私のばあいは、どうか?
 昨夜、猛烈な空腹感が、私を襲った。原因として考えられるのは、夕食を、一気に食べたこ
と。つまり短時間で食べた。
 短時間で食べたため、血糖値が、急激に上昇した。それと並行して、(ややタイムラグ=時間
的なズレはあるが)、インシュリンが分泌された。昨夜は、それがやや多めに分泌されたらし
い。

 結果、血糖値はさがったが、インシュリンは、血中に残って、さらに血糖値をさげつづけた。
そのため寝る前に、私は、低血糖の状態になった。それを大脳の視床下部にあるセンサーが
感知した。そしてその信号を、視床下部の外側野に伝えた。
 私は猛烈な空腹感に襲われた。
 しかし私は、それをがまんした。一連のメカニズムがわかっていると、がまんするのも、それ
ほどつらいことではない。「この空腹感は、幻覚」と自分で自分に、言って聞かせることができ
る。

 眠っている間に、ホメオスタシス効果が機能した。体内の生理的バランスを調整した。結果と
して、朝起きたとき、空腹感は消えていた。
 ……というように、自分の欲望や行動を、客観的に意識化することを、「メタ認知」という。人
間がもつ認知力の中でも、最高度のものである。少し前、ワイフが、「それ(=メタ認知)ができ
たからといって、それがどうなの?」と聞いた。私は、それに答えて、「メタ認知ができるようにな
れば、さらに自分がよくわかる。自分で自分をコントロールできるようになる」と答えた。

 以上、「空腹のメカニズム」。おしまい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 空腹
のメカニズム 過食症 拒食症 ホメオスタシス メタ認知 視床下部 外側野 腹内側核 は
やし浩司 メタ認識)

(付記)
ホメオスタシス……「平衡状態」「定常状態」の意。生物が環境のさまざまな変化に対応し、生
物体内の形態的、生理的状態を安定な範囲に保ち、生存を維持する性質。アメリカの生理学
者のキャノンが提唱(国語大辞典)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ホメオスタシス ホメオスタシス効
果 メタ認知 はやし浩司 メタ認知能力 空腹のメカニズム 視床下部 はやし浩司 無知の
知)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●はやし浩司 2011−09−01

++++++++++++++++++

はげしい雨音で、目が覚めた。
午前5時。
台風12号が、目下接近中。
その影響か。

幸い、台風は、この東海地方をはずれた。
紀伊半島方面〜大阪方面に向かっているという。
(そちらの地方の方には、申し訳ないが……。)

かなり大型の台風らしい。
速度が遅いから、雨の量が心配される。
場所によっては、300ミリの雨量が予想されている。
24時間当たり、300ミリ!
それだけの雨が、ドッと下流地域に向かったら、どうなるか?

そんなことも心配になり、そのまま起きてしまった。
書斎に入った。
朝のウォーキング運動は、ワイフが起きてから。
(騒音がはげしい。)
つまり今朝は、運動、なし。
そのせいか、頭は半ば眠った状態。
ボーッとしている。

最初に見たのが、台風進路。
昨夜寝る前に見た進路と、ほとんど変化なし。
ただしやや速度があがったかな?
当初の予想では、3日の午前9時ごろ、名古屋市上空に中心部がやってくるということだった。
今朝、見ると、3日の午前9時には、北陸のほうへ抜けている。
被害が心配される。
……というか、このところ日本は、災難つづき。
地震も、再び、活発になってきたような感じがする。

ともあれ、今日から9月。
2011年、9月1日。
今月こそ、充実した1か月にしたい。

++++++++++++++++++++

●紫外線

 おととい、中学3年生のSG君が、目を真っ赤にして教室へやってきた。
「どうしたんだ?」と聞くと、「紫外線にやられた」と。

 話を聞くと、午後1時ごろから3時ごろまで、野外でテニスをしたという。
日差しの強い1日だった。

私「今すぐには症状は出ないかもしれないが、あとになって症状が出てくるぞ」
S「わかっている……」と。

 SG君はそのあと眼科へ行き、目薬をもらってきたという。
炎症を抑える薬だと思うが、しかし紫外線で破壊されたDNAを修復する薬はない。
白内障の遠因になるだけではない。
皮膚ガンの原因にもなる。

 紫外線……オーストラリアでは、2000年ごろから、深刻な問題になっている。
以前、書いた原稿(中日新聞発表済み)を掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●疑わしきは罰する(紫外線の恐怖)

 今、子どもたちの間で珍現象が起きている。
四歳を過ぎても、オムツがはずせない。幼稚園や保育園で、排尿、排便ができず、紙オムツを
あててあげると、排尿、排便ができる。

六歳になっても、大便のあとお尻がふけない。
あるいは幼稚園や保育園では、大便をがまんしてしまう。
反対に、その意識がないまま、あたりかまわず排尿してしまう。
原因は、紙オムツ。
最近の紙オムツは、性能がよすぎる(?)ため、使用しても不快感がない。
子どもというのは、排尿後の不快感を体で覚えて、排尿、排便の習慣を身につける。

 このことをある雑誌で発表しようとしたら、その部分だけ削除されてしまった(M誌88年)。
「根拠があいまい」というのが表向きの理由だったが、実はスポンサーに遠慮したためだ。
根拠があるもないもない。
こんなことは幼稚園や保育園では常識で、それを疑う人はいない。
紙オムツをあててあげると排尿できるというのが、その証拠である。

 ……というような問題は、現場にはゴロゴロしている。
疑わしいが、はっきりとは言えないというようなことである。その一つが住環境。
高層住宅に住んでいる子どもは、情緒が不安定になりやすい…? 実際、高層住宅が人間の
心理に与える影響は無視できない。こんな調査結果がある。

たとえば妊婦の流産率は、6階以上では24%、10階以上では39%(1〜5階は5〜7%)。
流・死産率でも6階以上では21%(全体8%)(東海大学医学部逢坂氏)。
マンションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティーブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建て
の居住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。

母親ですら、これだけの影響を受ける。いわんや子どもをや。
さらに深刻な話もある。

 今どき野外活動か何かで、真っ黒に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよ
い。
私の周辺でも、何らかの対策を講じている学校は、1校もない。
無頓(とん)着といえば無頓着。無頓着過ぎる。
オゾン層のオゾンが1%減少すると、有害な紫外線が2%増加し、皮膚がんの発生率は4〜
6%も増加するという(岐阜県保健環境研究所)。
実際、オーストラリアでは,1992年までの7年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、
毎年10%ずつふえている。日光性角皮症や白内障も急増している。

そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用
の帽子とサングラスの着用を義務づけている。が、この日本では野放し。
オーストラリアの友人は、こう言った。
「何も対策をとっていない? 信じられない」と。
ちなみにこの北半球でも、オゾン層は、すでに10〜40%(日本上空で10%)も減少している
(NHK「地球法廷」)。

 法律の世界では「疑わしきは罰せず」という。
しかし教育の世界では「疑わしきは罰する」。
子どもの世界は、先手先手で守ってこそ、はじめて、守れる。
害が具体的に出るようになってからでは、手遅れ。
たとえば紫外線の問題にしても、過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子を着用させ
る、など。あなたが親としてすべきことは多い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●放射線と紫外線

 原発事故以来、放射線ばかりが、問題になっている。
しかし紫外線だって、放射線だぞ!
区別する方が、おかしい。
多量に紫外線を浴びれば、皮膚ガンを誘発する。
オーストラリアの例をもう一度、しっかりと読んでみてほしい。
日本だけ安全ということはありえない。
事実、SG君のように、目を赤くする子どもが、急増している。
ウソだと思うなら、中学や高校の野球部の子どもたちを見ればよい。
ほとんどみな、例外なく、目を赤くしている。

 で、私はSG君に、サングラスをかけるように提案した。
つぎに帽子。
肩までかかるような、つばの広い帽子がよい。
オーストラリアでは、背中を覆うような帽子をかぶっている。
長袖のシャツ、長ズボンは、常識。

 そう言えば、今回の原発事故でも、こんなことがあった。
半径30キロ圏内にある、ある中学校のテニス部でのこと。
(現在は、避難勧告が出ている地域になっている。)
原発事故当初は、「今、ただちに健康に害を及ぼすことはない」ということで、学校での部活動
も、ごくふつうになされていたという。

 が、やがて……やがてといっても、2か月以上もたってから、放射線量が測定されるようにな
った。
「ホットスポット」という言葉も、そのころ出てきた。

 その中学校では、(どこでもそうだが)、中学1年生は、球拾いをしていた。
球というのは、あとになってホットスポットと呼ばれるようになる、溝や窪地に落ちる。
その球拾いをしていた。
それを知り、親たちが動揺した(報道記事)。
当然である。
つまり動揺して、当然である。

 で、こういう問題が起きるたびに、私はこう思う。
「指導の教師は、自分の子どもだったら、そういうことをさせるだろうか」と。

 SG君にしてもそうだ。
「自分の子どもだったら、目が真っ赤になるまで、野外でテニスをさせるだろうか」と。
つまりこうした問題は、「自分の子どもなら……」という視点で考えなければならない。
ともすれば、私たちは「他人の子どもだから……」と、ものごとを安易に考えがちである。
どこか無責任になる。
が、これではいけない。

 私の教室のような小さな教室でも、雨の日は、当初、全員に雨合羽を配っていた。
最近は、気温の高い日には、150ミリリットル入りの、アメリカ製の飲料水を配っている。
熱中症の予防のためである。
「もし自分の子どもなら……」「孫なら……」と考えていくと、どうしてもそういうことをせざるをえ
なくなる。

 もちろん学校の先生たちも、その程度のことならしている……と思う。
が、「まだ足りない」。
SG君の真っ赤な目をみて、私はそう感じた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 疑わしきは罰する 紫外線 紫外
線の恐怖 はやし浩司 排尿異常)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●9月3日

+++++++++++++++++

今日、「あなたの書くことは暗い」と、ワイフに
叱られた。
「もっと明るいことを書きなさいよ」とも。

もっとも親愛なる読者様であるワイフ。
そのワイフにそう言われた。
で、私、はやし浩司は、深く反省。
しっかりと反省。

このところ、何かにつけ、ジジ臭い。
暗い。
陰鬱。
自分でも、それがよくわかっている。

+++++++++++++++++

●勇気

 今日、こんな勇気をもらった。
昼食をとっているときのこと。
山荘から、5分ほどのところに、今度、
新しいレストランがオープンした。
で、そこへ行ってみようということになった。
そこでのこと。

 私たちは、その場所をよく知っている。
というのも、その隣には、大豪邸が建っている。
ふつうの豪邸ではない。
高級旅館を思わせるような大豪邸。
私たちは、それが個人の家ということは知っていた。
今度できたレストランというのは、その横。

ざるそばが、800〜900円前後。
おいしかった。
で、帰り際、レジの女性と、その大豪邸の話になった。
「どんな人が住んでいるのですか?」と。

するとレジの女性は、こう教えてくれた。
「男の人ですよ。
このレストランの経営者です」と。

が、つぎのことを聞いて、さらに驚いた。
「年齢は73歳。ひとり住まいです」と。

73歳!
ワオ〜!
73歳!

私「すごい人ですね」
女「でしょ……」
私「だったら、ついでに温泉でも掘って、旅館でもすればいい」
女「そんなことも考えているみたいですよ」
私「ホント……!」
女「前の土地が広く空けてあるのは、そのためですよ」と。

私の中から、ジジ臭さが吹き飛んでいくのを感じた。
73歳!
73歳で、この元気。
大豪邸に住み、レストランを開き、さらに旅館の経営まで考えている……。
そんな男性から見れば、私など、ただのヒヨコ。
そう思ったとたん、モリモリと勇気が湧いてきた。
「ぼくにも、できる!」と。

+++++++++++++++++++

●映画『ピラニア』3D

 よい映画がなかったので、暇つぶしに、昨夜遅く、『ピラニア』を観てきた。
おもしろかった。
が、星は1つか、2つの、★★。
要するに、おバカ映画。
が、ぜったい、子どもには見せられない映画。
女性の裸と残酷シーンの連続。
それにあのピラニアの面(つら、顔)。

 魚とはいえ、よくもまあ、あそこまで憎たらしい顔を作ったものだ。
これ以上、憎たらしい顔はない……と言えるほど、憎たらしい顔をしていた。
それに感心した。
興味のある人は、観たらよい。

 来週から、つづけて観たい映画がやってくる。
『猿の惑星』とか『ロサンジェルス大決戦』とか。
『ライフ』は目下、上映中。
今週中に、『ライフ』も観るつもり。

●映画『猿の惑星』

 『猿の惑星』の猿のモデルになったのが、日本人。
よく知られた話である。
 最初知ったときには、少なからず、頭にカチンときた。
しかしたしかに我ら、日本人は、猿に似ている。
若いときはそうでなくても、歳を取って猿に似てくる人は多い。
が、何とも失敬な話ではないか!

が、日本人だけではない。
ブッシュ前大統領だって、猿そっくり。
ジェスチャまで、猿そっくり。

 そこで笑い話。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 あのはやし浩司が、不敬罪で逮捕された。
アメリカ前大統領に向かって、「猿!」と言った。

裁判官「どうしてあなたは、猿と呼んだのか」
はやし浩司「猿、そっくりだからです」
裁判官「それは失礼だ。我が国の大統領に向かって!」

(傍聴席にいるブッシュ前大統領)「そうだ! 猿とは何だ!」

はやし浩司、ブッシュ前大統領に向かって、「猿、猿、猿……」
裁判官「やめなさい。でないと、刑務所へ送りますよ」
はやし浩司「結構です。が、裁判長、ひとつだけ、質問があります」
裁判官「何だ、言ってみろ」
はやし浩司「ブッシュ前大統領に向かって、猿と呼ぶのは、不敬罪ということはわかります。
が、もし、猿に向かって、前大統領と言ったら、どうなのですか」
裁判官「……それは、構わない。不敬罪にはならない」

はやし浩司、ツカツカとブッシュ前大統領の前に行ってこう言う。
「前大統領、ごきげんいかがですか?」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 どうか私を逮捕しないでほしい。
何かの本に出ていた笑い話を、少し改変しただけ。
それに猿に似ているからといって、ブッシュ前大統領をバカにしたのではない。
何かの動物に似ているからと言っても、それはその人をバカにしたことにはならない。
漢字では、バカは「馬鹿」と書く。
「馬」と「鹿」。

 猿の方が、馬や鹿より、ずっと賢い。
しかしそれにしても、日本人がモデルだったとは!
彼ら欧米人は、日本人をバカにするときは、いつもこう言う。
「イエロー・ヤンクス(ヤンキー)」と。
そういうのが、下地になっている?

 それはともかくも、昔、私をバカにしたアメリカ人がいた。
で、私はそのアメリカ人に、こう言ってやった。

 「君は、動物にたとえると、体が大きく、馬のようだ。
それに鹿のように足が長い。
だから君は、馬と鹿ということになる」と。
するとそのアメリカ人は、たいへん機嫌をよくし、私に、「サンキュー」と言った。

 つまり私は、ブッシュ前大統領に、「馬と鹿」と言っただけ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリア旅行

 オーストラリアで撮った写真を、YOUTUBEにUPした。

(1)ボーダータウンから、アデレードへ

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/GqEOXHz1Fuo?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)アデレードの町(世界でもっとも美しい町と言われている)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/ayyMCKkqS3k?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●お馬鹿狂騒曲(放射線量に関して)

(1)まず、このニュース。

『……厚労省が新たに始めた抜きうち検査で判明したもので、埼玉県産の茶葉からは最高で
国の基準の3倍にあたる1530ベクレルが検出され、千葉県産では 5倍を超える2720ベク
レルが検出されました。埼玉県産の茶葉から、基準値を超えるセシウムが検出されたのは初
めてです。

 埼玉県と千葉県では同じ時期に製造された商品を回収する方針で、周辺の産地でも調査を
始めましたが、厚労省は「お湯を入れて飲めば濃度は30分の1以下に薄まるのでただちに健
康への影響はない」としています』(9月3日TBS)と。

 「お湯を入れて飲めば、30分の1になる」?
バ〜カ!
いくら30分の1になっても、30杯飲めば、内部被爆量は同じ!
5杯ずつ、6日でもいい。
放射性物質の大半は、流れ出る分もあるかもしれないが、大半は、体内で積算されていく。


(2)つぎは、これ。

『……福島県は3日、野生キノコの検査で、棚倉町のチチタケから1キロ当たり2万8000ベク
レルの放射性セシウムが検出されたと発表した。国の暫定規制値(同500ベクレル)を上回
り、キノコのセシウム濃度としては過去最大。県はチチタケのほか、同町内の野生のマツタケ
やホウキタケなどについて、採取と販売自粛を関係団体に要請した』(ヤフー・NEWS)と。

 「2万8000ベクレルと……、国の暫定基準値の500ベクレルを上回り……」と。
バ〜カ!
こういうのは、「上回った」とは言わない。
2万8000÷500=56倍!
さらに、そのあとも「?」。
「採取と販売自粛」???
即刻、「販売禁止」とすべき。


(3)まだある。

『愛知県は2日、県内で販売された栃木県産腐葉土から暫定許容値の約150倍の1キロ当た
り6万800ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。県は「人への影響はない」と
説明している』(毎日JP)と。

 「人への影響はない」?
その腐葉土で育った作物は、どうなるのか。
だれが食べるのか?

 本来なら、民衆の側に立って、民衆の健康と命を率先して守らなければならない行政が、「だ
いじょうぶ」「だいじょうぶ」の一点張り。
こんなことばかり言っているから、民衆は、行政側の説明を信用しなくなる。
いったい、行政というのは、だれのため、また何のためにあるのか?
日本は、民主主義国家ではなかったのか?

(補記)

●おかしな論理

 もしこれらの論理がまかり通るなら、こうも言える。

(1)汚染された牛肉も、オーストラリア産の牛肉と混ぜて食べれば安心?
   仮にキロ当たり、1000ベクレルでも、1キロに対して、0ベクレルのオーストラリア産の牛
肉1キロを混ぜて食べれば、放射線量は、半分になる。だから、心配しなくてもよい。

(2)1キロ当たり1000ベクレルの牛肉でも、500グラムまでなら、心配ない。
   500グラムなら、500ベクレル以下になる。

(3)「福島県産の腐葉土は食べてはいけません」(文科省通達)。

(4)汚染キノコを、20グラム(これだけで500ベクレルを超える)食べた人は、1
   年間、ほかに、何も食べるな。
もちろん牛肉を食べてはだめ、お茶も飲んではだめ、ついでに水も飲んではだめ。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●おかしな論理(2)

 昨夜遅く、寝る前に、「お馬鹿狂騒曲」を書いた。
測定された放射線量についてのエッセーである。
その一部。

「……厚労省は「お湯を入れて飲めば濃度は30分の1以下に薄まるのでただちに健康への影
響はない」としています』(9月3日TBS)と。

 つまり基準値を超えたお茶でも、実際に飲むときは、お湯で溶かして飲むから、30分の1の
(濃度?)になる。
だから、「ただちに健康への影響はない」と。

 私はこの記事を読んだとき、改めて、日本人の脳みそを疑った。
そこらの2チャンネルやBLOGなどへのコメントではない。
ちゃんとした政府機関のコメントである。

●積算(蓄積量)

 もしこんな論理がまかり通るなら、どんな汚染物質だって、薄めて飲食すればだいじょうぶと
いうことになる。
が、これは誤解。

 放射性物質と通常の毒物を混同している。
放射性物質は、一度体内へ取り込まれれば、以後どんどんと積算(蓄積)されていく。
もちろん対外へ排出されていく分もあるだろうが、基本的には積算(蓄積)されていく。
しかも毒物とちがい、「しきい値」はない。
「これ以下なら安全」という「量」はない。

 お湯で溶かして30分の1になったところで、そのお茶を、30杯飲めば、積算(蓄積)量は同
じ。
もしこの論理が正しいとするなら、汚染牛肉であっても、0ベクレルの外国産牛肉と混ぜて食べ
れば安全ということになる。

 一度体内へ取り込まれた放射線物質は、以後、永久にその部位の細胞を破壊しつづける。
「半減期」という言葉もある。
中には、数週間というのもあるそうだ。
が、もしそうなら、3月11日以後、6か月もたった今、どうして各地で放射性物質に汚染された
キノコやお茶が見つかっているのか?

●「ただちに」というウソ

 これはあくまでも仮定の話である。
数字については、あくまでも仮定として、私が考えた。
こうだ。

 仮に年間被爆量が2ミリシーベルトで、10年以内のがんの発生率が、1%だったとする(仮
定1)。
100万人のうち、1万人が、がんで死ぬことになる。

 そこで今度は、年間被爆量が、2倍の4シーベルトだったとする。
(仮定1)を基準にすれば、つぎのようになる。

(1)10年以内のがんの発生率は、2%になる。
(2)5年以内のがんの発生率は、1%になる。
(3)しかし20年以内のがんの発生率は、4%になる。
(4)40年以内のがんの発生率は、8%になる。

 被爆量とがんの発生率は、「一次関数的に」相関関係を保つ。
「これ以下なら安全というしきい値はない」というのは、そういう意味。

 そこで改めて聞きたい。
「ただちに」というのは、どういう意味なのか、と。
「10年以内は、安心」という意味なのか。
「20年以内は、安心」という意味なのか。

 チェルノブイリ事故のときは、2年後から5年後にかけて症状が出始め、10年後にピークを
迎えたという(「週刊現代」)。
この先、東北地方では、とんでもないことが起こる。
というのも、放射性物質は、何も飲食物のみから、体内へ取り込まれるわけではない。
呼吸によっても、取り込まれる。
むしろこちらのほうが、こわい。
プルトニュームなどの微細粉末(ホットパーティクル)は、そのまま肺へと蓄積されてしまう。
政府は、プルトニュームは比重が重いからだいじょうぶと言っている。
しかしいくら重くても、プルトニュームのホットパーティクルの大きさは、大腸菌ほど。
この大きさだったら、自由に風に乗って、宙を舞う。
アスベストを例にあげるまでもない。

●では、どうすればよいのか

 今、この日本ではたいへんなことが起きている。
たとえば今回、福島第一原発事故で飛び散った放射性物質は、広島型原爆の160倍と言わ
れている(保安院)。
しかしだれも、こんな数字を信じない。

 原発1機で、年間250倍もの放射性物質が生ずる(「原発事故」宝島社)。
10年で、2500倍。
30年で、7500倍。
原発4機だったら、3万倍!

 仮に「160倍」としても、意味がよくわからない。
海側へ飛び散った分については、除外しているのか?
あるいはしていないのか?
桁(けた)が、2桁ちがうのではないのか?

 3・11大震災から、ちょうど半年。
日本人の間から、ますます緊張感が薄れていく。
むしろ私は、そちらのほうを心配する。

 ついでに……。

『愛知県は2日、県内で販売された栃木県産腐葉土から暫定許容値の約150倍の1キロ当た
り6万800ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。県は「人への影響はない」と
説明している』(毎日JP)という。

 どこのだれが、腐葉土など、食べるものか!
2011/09/04記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月4日

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/81/img484a476ezik9zj.
jpeg" width="440" height="324" alt="index_pht_guide.jpg">

+++++++++++++++++++++

羞恥心が崩壊している?
それとも生徒たちが、私を「男」と意識しなくなった?
このところ、横でだまって聞いていると、
中学生や高校生の女子が、平気で(?)、自分の体の
ことを話している。
「まだ生理がないの」「遅いわね」とか。

ところが、最近は小学生まで、こんな話をしている。
「私のウンチね、最近、コロコロなの」
「私のは、一応、バナナウンチよ」と。
小学5年生の女児たちである。
また、こんなことも……。

「先生、どうして男子は、女子のパンティを見ると、
へんな気分になるの?」と。

そこで私は反対に聞き返してみた。
「君は、男子のパンツを見ても、平気なのか?」と。
するとその女子は、こう言った。
「ぜんぜん……平気」と。

こういう会話を、恥ずかしげもなくするところが
恐ろしい。
今は、そういう時代なのか。
それとも子どもたちが変わってきたのか。

が、先週は、とうとうこんな質問をしてきた中学生(中1女子)
がいた。
(この話は本当だぞ!)

「先生、女子って、おしっこの穴と、膣と、どっちが上にあるの?」と。

私は、思わず、「バカ! そんなこと、知るか!」と言ってしまった。
が、少し自分を取り直して、こう言った。
「そんなのは、風呂で、鏡でも使って自分で調べろ」と。

++++++++++++++++++++++

●明るい話

 先日、ワイフがこう言った。
「あなたの書く文章は、暗い」と。
それについては、も書いた。

 以後、あれこれと反省している。
と、同時に、このところできるだけ明るい話を書こうと、努力している。
……というか、ものごとには、つねに二面性がある。
おなじものでも、見方によって、明るくもなるし、暗くもなる。
それに自分を飾るのもよくない。
よい人間ぶることもない。
私は私。

●信州・駒ヶ岳

 この9月に、ワイフと信州・駒ヶ岳に登ることにしている。
ホテルの予約も取れた。
「登る」といっても、そのほとんどをロープウェイで登る。
頂上までは、そこから歩いて、1キロほど。
ワイフは「自信がない」と言っている。
私は「天気次第」と言っている。

 そのホテル。
「ホテル千畳敷」と言う。
数日前、パンフレットを送ってきてくれた。
日本で最高点にあるホテルとか。
料金も、最高!

 この9月の最大イベントは、これ。
この登山。

●写真

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/82/img0fce2a6ezik6zj.
jpeg" width="500" height="500" alt="浩司2011.jpg">

 今度、ある雑誌に原稿を載せてもらうことにした。
が、予告はできない。
ときとしてキャンセルになることがある。
私の評判は、よくない。
つまり私の名前は、あちこちのブラックリストに載っている。

 この世界では、雑誌社にせよ、週刊誌社にせよ、その会社を批判した原稿を書いたら最後、
仕事が回ってこなくなる。
どこかでだれかが、こまめにチェックしている。
さらにあくどいのが宗教団体。
出版社に対して、いやがらせまで仕掛けてくる。

 で、その雑誌社に、その写真を送った。
上の写真が、それ。
今まではイラストを使っていたが、この8月からは、また写真を使うことにした。
この4月に、オーストラリアへ行ったときに撮った写真である。

 ところでこんな話がある。

 女性のばあい、できるだけ若いときに撮った写真を載せたがる。
中には20年前に撮った写真を載せる人もいる。

 しかし男性のばあい、(これは私だけかもしれないが)、できるだけ最近、撮った写真を載せ
たがる。
昔、ある出版社の編集長が、そう話してくれた。

 テレビ局でも似たようなことがあるという。
女性の出演者は、平均2時間以上、化粧をしてからスタジオに入るという。
男性の出演者については、知らない。
今では、専門の化粧スタッフが、男性でも、ササーッと化粧をほどこす。

 で、上の写真。
もちろんまったくの素顔。

●仏壇の掃除と墓参り

 私の母と兄は、晩年、仏壇の掃除と墓参りばかりしていた。
亡くなる20年以上も前から、そうでなかったか。

 が、人間も、そんなことをするようになったら、おしまい。
生き様が後ろ向きになる。
仏壇の掃除にせよ、墓参りにせよ、そんなのは最後の最後にすればよい。
私たちは生きている。
生きている以上、生きていることを、まず大切にする。
ギリギリまで大切にする。

 が、知人の中には、墓参りばかりしている人がいる。
今は東京に住んでいるが、年に3〜5回は来ている。
60歳くらいのときから、そうでなかったか。
(現在70歳前後。)
またするならするで、こっそりとすればよい。
信仰心というのは、そういうもの。
が、いつもおおげさに、親戚中に宣伝している。
「墓参りをしに来ました」と。

 そういうことをすることが、立派な(?)行為と思いこんでいる。
価値観のちがいというより、意識のちがい。
でないというのなら、墓参りをすることに、どういう価値があるのか。
それをしたからといって、何がどうなるというのか。

 あえて言うなら、こう。
「信仰」と「儀式」を取り違えてはいけない。
信仰は信仰。
儀式は儀式。
儀式は信仰の上にあるもの。
儀式をしているからといって、信仰をしていることにはならない。

 中には経典を暗記し、いっぱしの信仰者ぶっている人がいる。
が、幼児が掛け算の九九を暗記して、ソラで言うようなもの。
そんなことをしたからといって、どうして釈迦の心を理解したことになるのか。

 私たちは最後の最後まで、つまりギリギリまで生きる。
そのときが来たら、そのとき。
病院と同じ。
病気になったら、病院へ行けばよい。
死ぬときになったら、墓参りをすればよい。
死んだら、墓へ入ればよい。
病気でもないのに、病院へ行ってどうなる?

 もし「信仰」ということを考えるなら、法句経の一冊でも読んでみたらよい。
釈迦は、墓参りについて、一言も述べていないぞ!
むしろ、逆。
こう言っている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前、書いた原稿を転載。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●それ以上、何を望むか(中日新聞掲載済み)

 法句経(ほっくぎょう)にこんな説話がある。
あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言う。

「釈迦よ、私は死ぬのがこわい。どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦はこう言う。
「明日のないことを嘆くな。
今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

 これまで多くの親たちが、こう言った。
「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」と。
そういう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。
「今まで子育てをじゅうぶん楽しんだではないか。
それ以上、何を望むのか」と。

 子育てはたいへんだ。こんな報告もある。
東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調査によると、自分の子どもを「気が合わない」
と感じている母親は、7%。
そしてその大半が何らかの形で虐待しているという。

「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代
連鎖もうかがえる」とも。

七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てというのは、そ
れ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。
言いかえると楽な子育てというのは、そもそもない
。またそういう前提で考えるほうが正しい。いや、中には子どものできがよく、「子育てがこんな
に楽でいいものか」と思っている人もいる。
しかしそういう人は、きわめて稀だ。

 ……と書きながら、一方で、私はこう思う。もし私に子どもがいなければ、私の人生は何とつ
まらないものであったか、と。
人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとするなら、子どもは私という親に、まさにそのド
ラマを提供してくれた。

たとえば子どものほしそうなものを手に入れたとき、私は子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、
家路を急いだことが何度かある。
もちろん悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは私に生きる目標を
与えてくれた。

もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。
その証拠に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかの
ような感じがする。
あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、どんとやってくる。
今でもいろいろ問題はあるが、しかしさらに別の心で、子どもたちに感謝しているのも事実だ。
「お前たちのおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。

 ……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。今まで楽しかったことだけを考えて、前に
進めばよい。
 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

●己こそ、己のよるべ(中日新聞掲載済み)

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。
釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。
好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基本は、この「自由」にあ
る。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。
が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しか
けても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。
大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになる
の!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱暴な
子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするなど。子どもは
精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。
自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩を
しているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動
にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で
最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を
叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●やっぱり暗いかな?

 がんばって、前向きな原稿を書いてみた。
これからはもっと前向きな原稿を書いていきたい。
読んでくれた人が、明るく、元気になるような原稿を!

 ワイフへ、

これでいいか?

2011/09/04

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 死ぬのがこわい 法句経 己こ
そ己のよるべ はやし浩司 私は明日死ぬ)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●弁天島温泉・「The Ocean」にて(はやし浩司 2011−09ー04)

●クレタケ・イン

 浜松市内でイチのビジネスホテルと言えば、「クレタケ・イン」。
サービスもよく、清潔。
料金も、最安値圏。
ただしクレタケ・インが、すべて同じというわけではない。
ホテルによって、部屋の広さが微妙にちがう。
料金もちがう。

 いちばんよいのは、呉竹荘本店(西伊場)。
つづいてクレタケ・イン(田町)。
そして今夜は、「The Ocean」(弁天)に泊まってみることにした。
以前は「白砂亭」という名前の旅館だった。
経営者が替わり、「The Ocean」という名前になった。

 3人1部屋、朝食のみで、計1万2000円弱。
つまり朝食付きで、1名4000円弱。

「料理の持ち込みは、いいですか?」と電話で聞くと、即答で「いいです」と。
部屋の案内書にも、「館外にサークルKがあります」とある。
こういう寛大さが、うれしい。
(料理の持ち込みにうるさい旅館も多い。)

で、クレタケ系のホテルは、どこもサービスがよい。
浴衣、作務衣の両方が用意してあり、洗濯、アイロンがけなどが行き届いている。
シーツ類も、もちろん清潔。
洗濯済みで真新しい。

 旅館全体が中規模だから、風呂も中規模。
が、窓からは浜名湖が一望できる。
大浴場の洗面所には、洗面具一式のほか、歯ブラシまで置いてあった。
(歯ブラシまで置いてあるホテルは少ない。)
この料金で、文句を言う人はいない。
いろいろなホテルに泊まってきたが、これほどまでに良心的なホテルは、そうはない。
浜名湖弁天島では、イチ押しの旅館。
「The Ocean」。
星はもちろん5つ。
★★★★★。

 ちょうど夕刻だったので、窓際にビデオカメラを置き、浜名湖の様子を撮影した。

●居場所
 
 先ほど、知人の女性からメールが届いた。
それにはこうあった。
「東京にも、浜松にも、私の居場所がありません」と。

 現在、夫、息子とともに東京に住んでいる。
ときどき実家のあるこの浜松に戻ってくる。
その浜松にも、「居場所がない」と。

●私もその1人

 居場所・・・それがある人には、空気のようなもの。
ふだんは気がつかない。
が、それがなくなって、人は、自分の居場所を知る。
居場所があったことを知る。
居場所というのは、そういうもの。

●「NO」

 私も改めて知った。
先日、家出をし、3日間、あちこちを旅した。
そのときのこと。
この日本には、私の「家庭」以外、私の居場所がないことを知った。
「2、3日でも、泊めてくれる人はいないか」と、いろいろな人を、頭の中で思い浮かべてみた。
が、何度考えても、答えは「NO」だった。

 むしろ私のそういう状態を知ったら、おもしろがる人はいるかもしれない。
そういう人たちは、何人か、頭の中に浮かんできた。
そういう人たちには、そういう人たちどうしのネットワークがある。

 数年前も半ば冗談のつもりで、「離婚するかも?」とその中の1人に話したことがある。
が、その数日後には、みなに伝わってしまった。
別の1人からは、電話もかかってきた。
一応、心配そうな言い方だった。
が、もちろん心配などしていない。
ただの野次馬。
事実を確かめるためだった。
それが私にもよくわかった。

 残念なことだが、私の周囲には、そんな人たちもいる。
みながみな、私に好意的というわけではない。
「居場所がない」という言葉には、そういう意味も含まれる。

●実感

 結局、家出はしたものの、いつもの夫婦喧嘩で終わった。
私たち夫婦は、周期的にそれを繰り返している。
その理由はといえば、結局は居場所ということになる。

 居場所といえば、一義的には「家庭」ということになる。
しかし家庭ではない。
簡単に言えば、「生きがいが根付いたところ」ということになる。
私がいなければ、だれかが困るという場所。

 私たちは常に他者とのつながりの中で生きている。
その(つながり)を、しっかりと実感できるところ。
何も考えず、どっかりとすわることができるところ。

●すぐそば

 私たちはいつも、自分の居場所を求めて、さまよい歩く。
しかし居場所は、そんな遠くにあるのではない。
私たちのすぐそばにあって、私たちに見つけてもらうのを、息をひそめて待っている。
すぐそばにある。
あとはそれを受け入れ、それに身を任せばよい。
居場所は、あなたを温かく受け入れてくれる。

 知人のメールを読んで、そんなことを考えた。

●甘え

 話を変える。

 もう10年にもなる。
中日新聞にこんな投書が載った。
ある女子大生の投書だった。
いわく、「就職先がないのは、社会の責任だ」と。

それについての原稿は、何度も書いた。
ここでは、もう少しその先を書いてみたい。
というのも、こうした傾向は、この10年で
さらに強くなった。

●自責型人間

 人間は大きく、2つのタイプに分けられる。

(1)自責型人間と、(2)他責型人間。

 たとえばお茶をこぼしたとする。
そのときすかさず、「ごめんなさい。私の不注意です」と謝るのを、自責型人間。
反対に「こんなところにお茶を置いておく人が悪い」と、だれかの責任に転嫁するのを、他責型
人間。

 私は一見、他責型人間に見えるかもしれないが、自責型人間。
何があっても、責任を自分のほうに向けてしまう。
そういうことも、心のどこかにおき、これからの原稿を読んでほしい。

●自業自得

 こう書くからといって、息子を責めているのではない。
今、ほとんどの若者たちは、こう考えている。
息子も、その1人にすぎない。

 私があるとき、こう言ったときのこと。
息子はすかさず、「そんなのは、パパたちの責任だろ」と。
私が「ぼくたち戦後生まれの人間は、ひもじい時代を過ごした」と話したときのことだった。
戦争についても、「ぼくたちには、関係ない。(日本中が焼け野原になったのも)、自業自得。パ
パたちが勝手に起こした戦争だろ」と。

●ニート

 現在の若者たち、そしてその上の世代を総じてみると、ほとんどが他責型人間。
少なくとも、私たちの世代よりも、はるかに多い。
理由はともかくも、世代を経るごとに、日本人の意識は大きく変わった。

 先日も、あるニート(35歳くらい・男性)と呼ばれる男と話をした。
この10年以上、仕事らしい仕事をしていない。
もちろん収入もない。
親のスネをかじりながら、その日暮らしの生活をつづけている。
そのニートに、「アルバイトでもしたら?」と話してみた。
とたん、こんな答が返ってきた。
「こんなオレにしたのは、親父だ」と。

●書き込み

 私のYOUTUBEにも、こんな書き込みがあった。
私が「でき愛」について話したものである。
いわく「オレも母親にでき愛された。おかげで今はニート」と。

 でき愛児イコール、ニートではない。
でき愛されたからといって、ニートになるわけではない。
私の言ったことが、どこかで誤解されたらしい。
それはともかくも、ここでも、「他責」が出てきた。
つまり「ニートをしているのは、オレのせいではない。母親のせい」と。
いつも心の奥底で、だれかを恨んでいる。
自分の努力のなさを棚に上げ、それを他人の責任にしている。

●自責

 私は冒頭に書いたように、自責型人間。
だから基本的な部分で、発想そのものがちがう。
たとえば私の父は、アルコール中毒だった。
ふだんは静かでおとなしかった。
しかし酒が入ると、人が変わった。
大声を出して、暴れた。

 そういう意味では、悲惨な幼児期→少年期を過ごした。
が、一度たりとも、そういう意味で、父をうらんだり、ののしったりしたことはない。
そのつど人生につまずいたことは何度か、ある。
が、それでも父をうらんだり、ののしったことはない。

 さらに言えば、現在の日本とは比較にならないほど、貧しい時代を過ごした。
が、それでもそれについて、父をうらんだり、ののしったことはない。

 反対にこんなこともあった。

●失業保険

 私も生涯において、2度、失業保険を受け取ることができた。
しかし私は受け取らなかった。
プライドが許さなかった。

 またワイフと結婚したときも、市営住宅へ入居することができた。
ワイフがそれを申し込んだ。
しかし私は入居しなかった。
プライドが許さなかった。

●子どもに謝る

 が、意識は変わった。
逆転した。
今では、祖父母や父母が、孫や子どもに、「ごめん」「ごめん」と言って謝る。
孫や子どもが謝るのではない。
祖父母や父母が、謝る。
謝りながら、子育てをしている。
それについては少し前にも書いた。
たとえば孫や子どもが迷子になったとする。
そういうとき、祖父母や父母は、血眼になって孫や子どもを捜す。
で、見つかったとする。
祖父母や父母は、まず孫や子どもに謝る。
「ごめん」「ごめん」と。

 私たちの時代には、考えられなかったことである。
私たちが子どもの時代には、反対に子どものほうが叱られた。
「バカヤロー、どこをほっつき歩いていたア!」と。

●学校では……

 同じような現象が、このあたりの小学校でも起きている(静岡県浜松市)。
今では、どんな些細な怪我でも、子どもがすると、担任の教師がその子どもと一緒に家庭訪問
をし、親に謝ることになっている(某小学校校長談)。
「昔なら、電話一本ですんだ話ですがね」と。

 では、中学校ではどうか?
何人かの中学生に、直接話を聞いてみた。
いわく、「怪我の程度にもよる」と。
このあたりは常識的な意見ということになる。

●意識の変化

 意識の変化を如実に表すのが、「仕送り」。

 私たちが青年時代のころは、社会人になると同時に、ほとんどの人が実家への仕送りを始
めた。
それがその当時の常識だった。
共通の意識だった。
が、今はちがう。
逆転した。
へたにそんな話を口にしようものなら、すかさずこう言い返される。
「そんな恩着せがましいことを言われても困る」と。

 それがひっくり返ったのが、冒頭の女子大生ということになる。
「就職先がないのは、社会の責任だ」と。

●がんこ

 意識のちがいというのは、恐ろしい。
一方の意識をもっている人は、他方の人がもっている意識を理解できない。
「常識」として、その人の脳の中で、固まってしまう。
さらに年を取れば取るほど、耳障りのよい意見だけを取り入れ、そうでない意見を排斥してしま
う。
こうしてたがいに、人は、がんこになる。

●世代間戦争

 それだけが原因とは言えない。
しかし現在、世代間で、はげしい戦争が起きているのも事実。
たとえば「孝行論」「先祖論」。

 親孝行を説く世代と、それを無視する世代。
先祖は重要と説く世代と、それを無視する世代。

 少し前は、親の権威主義、家父長意識、上下意識が、問題になった。
私も問題にしてきた。
が、気がついてみたら、それが今は、行き過ぎてしまった。
「無視」から「否定」へ。
「否定」から、「反作用」へ。

 「反作用」というのは、「平等」すらも通り越してしまったということ。
今、親子関係は、総じてみれば、「平等」ではない。
孫や子どものほうが、「上」。
祖父母や父母のほうが、「下」。
そうなってしまった。

●縁を切る

 それでも良好な親子関係が残っていれば、祖父母も父母も救われる。
が、その人間関係も壊れてしまたら……。
というより、これも以前に書いたが、今では、子どものほうから「縁を切る」時代になった。
私たちの時代には、考えられなかったことである。

 アメリカの合理主義の影響とも考えられる。
戦後、アメリカ文化が、怒涛のごとくこの日本に流れ込んできた。
結果、「家族破壊」(「家庭破壊」ではない。「家族破壊」)が急速に進んだ。
同時に、恋愛第一主義。
それも享楽主義。

 若い人は、その意識もないまま、恋愛を、すべての価値観の基本に置くようになった。
親の意見を聞く若者は、今ではいない。
いわんや親の許可を求める若者は、いない。
しかも結婚と同時に、親に向かっては、「ハイ、さようなら」と。

 理由など、何でもよい。
それこそ、「こんなオレにしたのは、テメエだろ」となる。

●人前で堂々と……

 今夕も、ワイフと夕食に出かけた。
近くにZシティという、地下の食堂街がある。
その一角。
若い男女が、怪しげな行動を繰り返していた。
女のほうが、正面から男の股間に顔を埋めていた。

 男は、顔を、女の髪の毛の中に押し込んでいた。
で、食器を返却するとき、横からそれを見ると、女のほうが、男のズボンのジッパーの中に舌を
入れていた。

 驚くというより、あきれた。
今では、人目もはばからず、そういうことを平気でする男女がふえている。
周りには、女子高校生たちが、何組が席を囲んで、アイスのようなものを食べていた。
見て見ぬフリをし、笑っていた。

●家族崩壊

 先に「家族崩壊」について、書いた。
が、欧米では、「家族崩壊」が常識化し、社会もそれに応じて、変化し、常態化した。
アメリカでもオーストラリアでも、祖父母と同居している三世代同居家族というのは、さがしても
見つからない。

 「家族」の概念そのものが、ちがう。
また日本の概念のほうが正しいと書くつもりはない。
しかし欧米では、家族崩壊を前提として、社会のしくみも完成している。
退職後の老人を例にあげるまでもない。
老人は老人で、みな、お決まりのコースを歩む。

 まず都市部でアパート暮らし→老人村へ→特別養護施設へ……と。
在宅介護の制度も完成している。
が、この日本では、そういったシステムも、やっと軌道に乗り始めたところ。
この先、団塊の世代が大量に後期高齢者になるころには、システムそのものも崩壊しかねな
い。
あやうい。

 つまり制度が整わないうちに、家族という組織が破壊されてしまった。
若い世代の意識が変わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う。

 事実として、50代の人で、貯金額ゼロという人が、30%もいる。
そういう人たちは、今後、どうやって自分の老後を設計していくのか?

●M氏

 1週間ほど前、保険の外交員をしている、M氏と話す。
40人ほどのグループを作って、保険契約の勧誘をしているという。
「グループ」であって、「会社」ではない。
だからそこで働く人たちは、社員ではなく、「研修生」という身分だそうだ。
ある大手の保険会社と契約し、1件の保険契約につきいくら……という形で、収入を得ていると
いう。

 そのM氏が、こう言った。
「以前は、学資保険にしても、180万円掛ければ、200万円を手にすることができた。
今は、200万円を手に入れるためには、220万円掛けなければならない」と。

 もちろんその間に万が一何かあれば、保険金を受け取ることができる。
が、それについても、ある一定以上の収入のある人は、保険には加入せず、貯金の形でもっ
ていたほうが得、と。

 さらにインフレの問題もある。
現在の200万円と、10年後の200万円が同じということはありえない。
今後、この日本はハイパーインフレに襲われる可能性がある。
もしそうなれば、その分だけ、損をすることになる。

 が、本当の問題は、このことではない。
子どもの学資を心配するくらいなら、自分の老後の資金を心配したほうがよい。
この先、子どもが親のめんどうをみるということは、ありえない。
期待もできない。
たとえ息子や娘がいても、この先60%の人が、孤独死、無縁死を迎える。
加入するとしたら、学資保険ではなく、介護保険。
認知症保険でもよい。

●親元

 皮肉なことに、学資を出せば出すほど、息子や娘は、親元を離れていく。
私自身も3人の息子を育ててみて、大きく考え方が変わった。
それまでは、「学資は惜しまない」が、私のモットーだった。
息子たちから請求があれば、迷わず、しかも満額、提供してきた。

 が、それがいかにバカげたことであったか。
それを今になって、思い知らされている。
いや、息子たちを責めているのではない。
息子たちにしても、ごく平均的な若者。
ふつうの常識と良識を備えた、ごくふつうの若者。

 冒頭にあげたM氏にしても、こう言った。
「親のめんどうをみるといっても、ぼくたちには、その余裕がありません」と。
2人の子ども(高校生と中学生)をかかえ、生活は、ギリギリという。
さらにこうも言った。

「親父には、年金があります。ひょっとしたら、今のぼくの給料より多いのではないかな」と。
M氏の父親は、NTTに定年まで勤めた。
定年後は、子会社で調査員のアルバイトをしている。

 そういうM氏を、どうして責めることができるだろうか。
M氏にしても、ごく平均的な日本人ということになる。

 先日、温泉で出会った男性も、こう言っていた。
製造会社元専務。
現在は、長野県のS市で、ひとり住まい。
息子と娘がいたが、とくに娘とは、30年以上、会っていないという。

●学費

 「息子や娘たちの学資にしても、ほどほどにしておけばよかった」と。
つまり「私は、典型的な親バカだった。
気がついてみたら、貯金通帳は底をついていた」とも。
「ピンコロする、その日まで、働くしかないですね」と私が話すと、こう言った。
「今は、死後の心配までしています」と。

 その地域では、無住の寺ばかり。
境内の中央に、納骨堂を作り、そこに無縁仏となった人たちの遺骨を納めているという。

●学資保険

 ……ということで、M氏との話は、暗〜イものになってしまった。

私「学資保険といっても、大卒にしても就職率は70%ですからね」
M「無理して大学を出しても、無駄になるということですか」
私「無駄になるか、ならないかは、本人次第ですね」
M「どういうことですか」
私「懸命に自分を磨けば、それでよし。またそういう仕事ならいい」
M「……たとえば?」
私「やはり研究職ということになるかな?」と。

 向上心さえあれば、学歴など、関係ない。
そういう意味で、私は「本人次第」という言葉を使った。
大学を出ても、バカはバカ。
出なくても、賢い人は賢い。
学資を出せば、賢くなるという時代は、もう終わった。

私「あなたもね、子どもの学資など心配するのをやめて、自分の老後の資金をためたほうがい
い」
M「ハハハ、実は、ためようにも、ためようがないのです。毎月、家計は赤字です」
私「赤字?」
M「知っていて知らぬフリをしていますが、女房のヤツ、実家から毎月、お金を借りているみた
いです」
私「そりゃあ、たいへんだ」
M「たいへんです」と。

 書き忘れたが、M氏は、46歳。
頭も切れる。
行動も速い。
バイタリティもある。
そんなM氏でも、この不況下、生活そのものがデッドロックに乗り上げ、苦しんでいる。

●The Ocean

 ワイフは、ビデオを観ている。
長男は、絵を描いている。
私は水を飲みながら、この文章を書いている。

 ときどきたがいに言葉を交わす。
そしてまたそれぞれのことをし始める。

 ビデオが終わったら、もう一度、温泉につかってくる。

2011年9月4日 午後8時50分


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【BW子どもクラブより】年中5歳児「数の学習」

(1)
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(2)
<iframe width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/i0J5XX6Swa0" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/yCkj7IZD9I0" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(4)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/phqtUL5Ttzk?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(おまけ)The Ocean
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/B43GXbDKAHs?hl
=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月7日(記憶のメカニズム)

 昨日、「9月6日」と知って驚いた。
「もう6日!」と。

 何もしないまま、6日も過ぎてしまった。
そして今日は、7日。
水曜日。

 昨夜は0時過ぎまで、ビデオのUPLOADなどをしていた。
だから今朝は、午前8時起き。
運動も2単位(40分x2)をこなした。
そのせいか、頭痛というより、細い神経痛がときどき、左の喉の奥からこめかみにかけて起こ
る。
先日、はげしい急性咽頭炎(医師の診断)が起きて以来、それがつづいている。

 「新しい電子製品を買えば、治るんだけどな」と私。

ワ「何がほしいの?」
私「やっぱり、パソコンかな?」
ワ「どんな?」
私「メチャメチャ、高性能なのがいい」と。

 ・・・ということで、今朝は自分でいろいろな薬を選んでのんだ。
今まで医院で処方された薬が、たくさん残っている。
その中から、効能書きを読みながら、選んでのんだ。

●経済情報

 EUでは、銀行株が売られつづけている。
同時に、銀行の貸し渋りがひどくなっている。
今朝の経済新聞を読んで、そんな印象をもった。
つまり、あのリーマンショック時前夜と、同じことがEUで起きている。

 一方、日本の証券会社の株価も急降下。
野村、大和・・・など。
数か月前には500円台だったのが、今朝は300円台。
残念ながら、EUの経済危機は、さらに悪化している。
問題は、何ひとつ、解決していない。
 

Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●記憶について

++++++++++++++++

数週間ほど前のこと。
若いころ世話になった、IZ氏という
人の名前を、思い出せなかった。
IZ氏……忘れてはならない人の名前だった。
当時の経済界の重鎮だった。
数回だが直接会って、世話になった。

「何という名前だったかな?」とワイフに
聞いたが、ワイフが知る由もない。
そこで「ア」から順に思いつく名前を
口にしてみた。
が、それでも思い出せない。
思い出せないということよりも、忘れた。
そのことにショックを覚えた。
「こうして人は、ボケていくのか!」と。

ところが記憶というのは、不思議なもの。
昨夜、何かの拍子にふとその名前を思い出した。
とくにIZ氏の名前を思い出そうとして
わけではない。
本当に、何かの拍子に、である。
ふと、IZ氏の名前を思い出した。

+++++++++++++++++

●記憶のメカニズム

 記憶のメカニズムは、複雑である。
複雑というより、たとえて言うなら、広い部屋に雑然と本や書類が積み重ねられている状態を
思い浮かべれてみればよい。
どこに何があるかさえ、わからない。
図書館のように、本(=情報)が整理され、格納されているわけではない。
だから、こうした現象がときどき、起きる。

●記銘→保持→想起

 記憶は、記銘(記憶として脳に記録される)、保持(記憶として脳に残る)、想起(必要に応じて
意識として思い起こすことができる)の3つのプロセスを経て、「記憶として思い出すこと」ができ
る。

 IZ氏の名前は、どこかに記銘された。
どこかに記憶として保持された。
しかしそれを思い出すことができなかった。
想起する力が鈍ったということになる。
あるいは保持する力そのものが弱くなったのかもしれない。
つまりそれを保持していた神経細胞が死滅した?

 では、そのほかの記憶はどうか?
残念ながら脳には、それを管理する能力はない。
たとえて言うなら、図書館の管理人のようなもの。
そういう部分がない。
だから「この本(=情報)は重要だから、こちらの棚に入れて……」ということができない。
あるいは司書のような人がいればよい。
「あの記憶はどこにありますか」と聞くと、その場所を教えてくれるような司書である。

 ただ記憶を確かなものにする方法がないかというと、そうではない。
たとえばIZ氏という名前を思い出したとき、私は、こうした。
「IZ、IZ……」と、その名前を何度も復唱した。
つぎに、IZという名前を、子どものころの友人の名前と結びつけた。
つまり有機的に関連性をもたせた。
こうすれば記銘力は、ぐんと強くなる。
受験生が何かを暗記する要領である。

 が、実は、これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題でもある。
人は、こうしてボケていく。

●叩き込む

 脳の神経細胞は、減ることはあっても、増えることはない。
再生されることもない。
日々に、どんどんと減っていく。
同時に、記憶された情報も、そのままどこかへ消えていく。
こうした経験は、日常的に、よくする。
わかりやすく言えば、脳というバケツの底に穴があいたような状態になる。
その穴から、知恵や知識、経験が、どんどんとこぼれ出て行く。

 そのためたった数か月前に覚えたことですら、忘れるということもある。

 そこで重要な情報は、そのつど記銘しなおすという操作が必要になってくる。
死滅しかかったA神経細胞から、B神経細胞へ、情報を移動させるとか……。
具体的には、IZ氏の名前のときにそうしたように、「もう一度、頭の中に叩き込む」。

 これは日々の運動に似ている。
運動をやめたとたん、その日を境に、健康は下り坂を下り始める。
若いころは、数週間ほど運動をしなくても、健康を維持することができる。
しかし60歳を過ぎると、そうはいかない。
1週間も運動をサボると、体が鈍(なま)ってしまう。
動くはずの筋肉が動かなくなってしまう。
だから自分の体を奮い立たせる。
奮い立たせて、運動に向かう。

●爽快さ

 こう書くと、老後の「暗さ」ばかりが目立つかもしれない。
しかしそれは正しくない。
それは同時に楽しいことでもある。

 たとえば一日の仕事を終え、自転車にまたがる。
またがる寸前まで、「今夜はやめようか」と思う。
しかしまたがったとたん、足のほうが勝手に動き出す。
とたん、頬がさわやかな風を感ずる。
その爽快さは、ほかにはない。

 が、それだけではない。
こう書くと、そうでない人に申し訳ない気分になるが、事実として、生きている喜びさえ覚える。

 足が動く。
目が見える。
音が聞こえる。
それらひとつひとつが、そのまま喜びとなって、はね返ってくる。

●脳の健康

 脳の健康にしてもそうだ。

 今朝は6時に起きた。
昨夜は、サッカーの日本ーウズベキスタン戦を、深夜1時ごろまで見ていた。
かなり眠かったが、6時に起きた。
起きてそのままウォーキングマシンに。
が、今朝は10分だけ。

 運動も大切だが、それで疲れてしまったのでは、意味はない。
頭がスッキリする。
その程度でよい。
今朝は、これからI市で講演会がある。
公立の幼稚園の先生方が集まってくれる。
ぼんやりと頭では、講演はできない。

●補充

 記憶の話から脳の健康論になってしまった。
が、こうしてものを書く……。
その前にものを考えるということが重要。
それが脳みそを鍛える。

 先ほど「バケツの底の穴」という言葉を使った。
これは事実。
そこで私は考えた。
「こぼれ出た分だけ、あるいはそれ以上のものを、さらに補充していけばいい」と。
そのために、情報を集め、整理し、考える。
それを文として、記録する。

 こうした一連の作業を「闘い」と呼ぶこともできる。
そう、まさに闘い。
言い換えると、老後は、その闘いの連続ということになる。

 さて、今日も、その闘いが始まった。
がんばろう。
はやし浩司 2011−09−07


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生クラス】

●角度の学習(カメラの位置をかえて、撮影してみました)

(1)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
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hl=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●再び、「浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン」に一泊

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先週、この「ジ・オーシャン(The Ocean)」に一泊。
満足した。
で、今日も、一泊することにした。
ビジネスホテルの料金で、旅館+温泉気分が楽しめる。
窓からの景色もよい。

夕食は持ち込み。
電話で問い合わせたら、「いいですよ」とのこと。
こういう寛大なホテル(旅館)は、うれしい。

私たち夫婦は、少食派。
バイキング料理も悪くはないが、その分だけ割高感が残る。

ここ(The Ocean)へ来る前、途中で、スーパーで弁当を買った。
おにぎりとパック寿司。
飲み物も買った。
気分は、まさに遠足。

ところでこのホテルの名前は、「浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン」だそうだ。
昨日、104の電話番号案内で「ジ・オーシャン」をさがしてもらったが、かなりてこずった。

しばらくは、このホテルのリピーターになりそう。

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●今夜の挑戦

 このところ私の脳みそがサビついた?
書くことが、かったるい。
つっこみも甘い。
どうでもよいような駄作ばかり。
日記にもならない、日記。

 平和でのどかな毎日。
とくに問題はなし。
あえて言えば、昨夜、ある従弟(いとこ)と、2年ぶりに話した。
子どものころから、私を兄のように慕ってくれている。
ただの従弟ではない。
剣道は、10段を公式に認定されている。
日本に、何人もいないそうである。
人格者でもある。
私より10歳近く、年下だが、彼にだけは、一目をおいている。

●従弟

 話題はもっぱら、自然のこと。
熊や猿やイノシシのこと。
そんな話だけで、1時間ほど過ぎてしまった。
今度浜松のほうへ来たいと言うから、「いつでもいいよ」と答えた。

 儀礼で、「おいでください」と言う人も多いが、私はそういういいかげんな外交辞令(ウソ)は言
わない。
「おいでください」というのは、「おいでください」。
「近くおいでよ」と言ったら、「行きます」と答えた。
そういう素直さが、その従弟のよいところ。
来たら大歓迎する。

日程を調整し、この1〜2か月のうちに、来ると言う。

●温泉

 たった今、温泉につかってきた。
男湯には、私一人だけ。
女湯には、ワイフ一人だけ。
のんびり……と考えていたが、部屋でビデオを回していたのに気づいた。
夕日が沈むのを、ベランダで撮影していた。
「風で飛ばされたら、たいへん」と、軽く体を洗って、部屋に。
しばらくすると、ワイフも戻ってきた。

●至極の時

 夕食を食べながら、ワイフはビデオを観ている。
私は、横でこうしてパソコンを叩いている。
私にとっては、至極の時。
ただこのところ画面の小さいパソコンで文字を叩いていると、疲れを覚えるようになった。
長く続けていると、こめかみの奥が痛くなる。

 老人には、(自分はまだその老人ではないが)、画面の大きいパソコンのほうがよい。
画面というより、文字が大きく映し出せるパソコンのほうがよい。
で、今夜のお供は、ダイナブックのTX。
15インチ。

●旅

 私はこうして知的世界の原野に旅立つ。
そこに何があるかわからない。
読者の人には、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、何かを書きたいから、書いてい
るのではない。
まず書く。
旅にたとえるなら、まず一歩を踏み出す。
私の旅はそこから始まる。

●知的世界

 脳みその中には、原野が広がっている。
原野といっても、この宇宙より広い。
そこをひとりで歩く。
この自由感。
この解放感。

 が、それにはいろいろな条件がある。
原野といっても、明るい日向(ひなた)に向かって歩く。
ものごとには、常に二面性がある。
さらに書き方によっては、明るい景色も暗くなる。
暗い景色も、明るくなる。

●パソコン

 今日、午前中、講演をした。
豊田町の「アミューズメント豊田」というところだった。
そこでの講演は、もう4、5回目になる。
観客席が大きな段になっていて、私のほうからも、来てくれている人の顔がよく見える。
いつ講演しても、たいへん話しやすい。

 その帰り、JR浜松駅の横にあるパソコンショップへ寄った。
いつもの習慣である。
言うなれば、私の遊園地。
一日でもそこにいたいが、ワイフがいるときは、見たいものだけを見て、出る。
今日は、パソコンのカタログを、雑誌1冊分、集めて、外に出た。
今では、ノートパソコンですら、2・0〜2・4GhzのCPUを積んでいる。
ほんの3、4年前のデスクトップ並みの性能である。

 そういう進歩を実感するのが、私は好き。

●パソコンの世界
 
 今さら改めて書くまでもないことだが、パソコンは、人間の生活を大きく変えた。
これからも、もっと変えていく。
どこまで変えていくか、わからない。
ただここで言えることは、こういうこと。
少しわかりにくい話になるかもしれない。

●光と分子の世界

 私たちが住むこの世界は、光と分子によってできている。
今、ここで見ているものにしても、「そこにものがある」と錯覚しているだけ。
そのものの光の反射を目がとらえ、それを後頭部にある視覚野に、映し出している。
この段階では、まだ(もの)にはなっていない。
光の点の集合に過ぎない。

 そこで脳みそは、その集合から、映像を、いくつかのフィルターを通して、選り分けていく。
残った映像が、(もの)ということになる。

 同じことがこの大宇宙についても、言える。
私たちは天空を見上げ、そこに大宇宙を見る。
夜空のほうが、わかりやすい。
そしてこう思う。
「そこに大宇宙がある」と。

 しかしそのときも、私たちは視覚野に映し出された映像を見ているに過ぎない。
そこでこう考える。
もし視覚野に映し出されるものであれば、それが現実の光によるものであれ、パソコンの画面
によるものであれ、同じではないか、と。
平たく言えば、天空に見える大宇宙も、パソコンの画面に移る大宇宙も、同じ。
言い換えると、私たちはコンピューターを手に入れ、第二の宇宙を自分のものにした。
まだ未熟で未完成かもしれないが、その可能性は、現実の大宇宙ほど、無限に広い。

●感情

 考えてみれば、その通り。
私たち人間にしても、脳みそがあっての人間。
コンピューター自体が、その脳みそに、かぎりなく近づきつつある。
やがて人間の脳みそ以上の能力をもったコンピュータが現れるはず。
時間の問題と考えてよい。

 が、ここでひとつの問題にぶつかる。
「感情」という問題である。
が、これもやがて解決されるであろう。
現在科学によれば、ホルモン説が常識になりつつある。
つまり私たちが「感情」とよんでいるものは、脳内ホルモンの作用によるもの、と。

 たとえば何かよいことをする。
その(よいことをした)という情報は、辺縁系にある扁桃核に送られる。
そこで扁桃核は、その刺激に応じて、エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンを分泌す
る。
モルヒネの一種である。
その結果、脳内は、甘い陶酔感に満たされる。
それが「楽しいという感情」につながる。

 コンピューターの内部でも、それが可能になる。
が、現実問題として、その必要性は、まったく、ない。
コンピューターを操るのは、あくまでも人間。
コンピューターが、感情の趣(おもむ)くまま、勝手に動くようでは困る。

●私の夢

 ところで私には、こんな夢がある。

 いつか人間と複雑な対話ができるロボットが出現するはず。
討論や議論さえもできる。
そのときそのロボットに必要なのは、それにふさわしい情報。
膨大な量の情報。
ひょっとしたら、今、私がここで書き残していることが、その「情報」になりえるかもしれない。
何しろ、膨大な量の情報である。
正確な枚数はわからないが、40字x36行詰めの原稿用紙で、すでに5〜6万枚以上になるの
では?
もっとあるかもしれない。

 こんな量の原稿でも、現在のUSBメモリーで、3〜4Gバイトもあれば、収まってしまう。
そのUSBから相手の言葉に応じて、必要な情報を取り出して、話をすることなど、簡単なこと。

 たとえば、こう……。

人間「あなたは、知的荒野についてどう思いますか」
私の情報をもったロボット「未知の世界を歩くような楽しさを覚えます」
人間「あなたが発見したことを、どうか話してください」と。

 あとは必要な情報集め、音声化する。
そしてその人間と対話をする。
いつか、そういう形で、私はこの世界に、よみがえるかもしれない。

●命

 ここまで書いてくると、つぎに「命」。
つまり「命とは何か」と。

 人間の脳の中では、無数の神経細胞が、それぞれこれまた無数のシナプスによってつなが
れている。
そのシナプスの間を、無数の信号が行き交い、思考を形成し、感情を生み出し、最終的には
「私」を創りだしている。
それを私たちは「命」と呼んでいる。
しかしもう少しコンピューターが進歩すれば、コンピューターはやがてそれ以上のことをするよう
になるだろう。
つまり「命」さえも、創りだす。

 ……ということを逆に考えていくと、では「命」とは何かということになってしまう。
コンピューターの命ではなく、私たち人間の命、である。

●私のコピー

 もし私の脳みそをそっくりそのままコピーしたコンピューターができたとする。
今まで書いてきた原稿も、そのままコンピューターの中に、ファイルとして格納されたとする。
そのコンピューターは、「私」と言えるかどうか。

 少なくとも私以外の他人から見れば、そのコンピューターは、「はやし浩司」ということになる。
希望に応じて、講演もするだろう。
が、私から見れば、もちろん「私」ではない。
「コンピューター」という他人である。
そのギャップをどう埋めればよいか。
またそれは可能なのか。
そのひとつのヒントが、親子関係にある。

●意識

 コンピューターの世界では、あらゆることがらが、瞬時、瞬時に進む。
人間の脳をそのままコピーするにしても、やがてそれが可能になるころには、数秒もかからな
いだろう。

 ところで、その「数秒」を、10年単位で延ばしたのが、親子関係ということになる。
親は子どもを産み、育てる。
自分がもっている知恵や知識を子どもに、分け与える。
ときにコピーする。

 そこで私はときどきこう考える。
「息子や娘は、私なのか?」と。

 答は、「NO!」。
親とはいうが、親自身、子ども自身、とてつもなく大きな流れの中にいる。
それがわからなければ、自分の指先を見つめてみればよい。
その指を見て、「この指は、私が作ったもの」と思う人はいないはず。
同じように、自分の子どもの指を見つめ、「この指は、私が作ったもの」と思う人はいないは
ず。

 私たちはもっと大きな流れの中で、創りだされている。
生殖、出産、育児などといったものは、その一部に過ぎない。
「私の体」「私の指」などと言うのはその人の勝手だが、実際のところ「私のもの」など、ほとんど
ない。
あるとすれば、「意識」。
意識は「私」。

●意識

 ということで、私の持論。
私が私であるのは、「意識」によるもの。
意識があってはじめて、私は私。
逆に言えば、意識のない私は、私ではない。
よい例が、特別養護老人ホームなどで、その日、その日をぼんやりと過ごしている老人たち。
(だからといって、そういう老人たちが、無意味と書いているのではない。
どうか誤解のないように!)

 そういう老人たちを見ながら、「あなたは何か」と問うても、意味はない。
すでに「私」を喪失している。
つまり私が私であるためには、意識をもつこと。
心理学的に言えば、「自我」。
それがあって私たちは、はじめて、「私」ということになる。

 では、その「私」をもつためには、どうすればよいか。
それが私にとっては、「書く」ということになる。

●書く

 私はこうして書いているときだけが、「私」でいられる。
それ以外の私は、言うなれば、魂の抜け殻のようなもの。
バカな話をし、バカなことを繰り返しているだけ。

 反対にしばらくものを書かないでいると、すぐ頭の中がモヤモヤしてきてしまう。
が、これは私だけの現象かもしれない。
ワイフに、「お前はどうか?」と聞くと、「私にはそういうことはない」と答える。

私「じゃあさア、たとえば経済新聞を読んだとするよね。原発事故についての記事でもいい。そ
ういうとき、何か、怒りのようなものを覚えることはないか?」
ワ「そりゃあ、怒れるけど、どうしようもないじゃない」と。

 ワイフは、どこまでも楽天的。
基本的な部分で、性格がちがうようだ。

●宝石

 ともあれ、こうして私は、自分の脳みその中をさまよい歩く。
目的をもって書くこともあるが、今夜の私はさまよい歩く。
あっちへ行ってみたり、こっちへ来てみたり……。

 ときにその中に、キラリと光るものを見ることがあるが、それはめったにない。
言うなれば、知性の宝石。
今までだれも気づかなかったようなこと。
そういうときは、本当にうれしい。
が、そういうのほど、他人に盗用されやすい。

 たとえばもう15年近くも前のこと。
「愛国心」という言葉が話題になった。
そこで英語では、どう言うのか調べてみた。
いや、英語ではどう言うかは知っていた。
私は、その語源を調べてみた。
結果、ギリシア語にまでたどり着いた。
英語で言う「ペイトリアティズム」は、もともとは「父なる大地を愛する」という意味であることがわ
かった。
そこには、「国」という意味はなかった。

 それを原稿にした。
しばらくしてからネット上でも発表した。
が、その数年後、気がついてみると、その「宝石」があちこちで使われているのを知った。
新聞でも、テレビでも……。
みな、自分が発見したようなことを言っていた。
さらにそのあと、「愛国心」ではなく、「郷土愛」という言葉を主張する政党まで現れた。

 こうした一連の流れは、「はやし浩司 patriotism」で検索してみれば、わかるはず。

どこかグチぽい原稿になったが、けっしてグチを書いているのではない。
つまりこうして人間に知的世界は広がっていく。
盗用されるのは好きではないが、私も、「私」を越えた人間の一部。
どうであれ、あと15年もすれば、私の肉体も、この世から消えてなくなる。
「私のもの」と主張したところで、それがどういう意味をもつのか。

●意識論

 最後に、意識といっても、それをもって「私」と誤解してはいけない。
言い換えると、この意識ほど、いいかげんなものはない。
私は私と思っている意識の大部分が、私でないものでものが多い。
わかりやすく言えば、もっと奥深い、潜在意識の世界から操られているだけ。
フロイトが説いた、「性的エネルギー」を例にあげるまでもない。

 ためしに電車の中で化粧にいそしむ女性にこう聞いてみるとよい。
「あなたは自分の意思で、化粧をしているのですか」と。
すると例外なく、みなこう答える。
「YES!」と。

 自分の中にあって、自分でないもの。
それを順にはがしていく。
最後に残ったものが、「私」ということになる。

●午後10時 

 そろそろ眠る時刻。
こうしてあれこれ書いてみたが、新しい発見は、今夜もなし。
これから遅い風呂を浴びて、眠る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 浜名湖弁天リゾート ジ・オーシャ
ン)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【ジ・オーシャンにて】

(1)乳児期の子どもと、その核(コア)形成
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)自律期の幼児と、その核(コア)形成
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/wZXbxuFmEzc?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月8日夜記(2011)

●1万5000テラベクレル?

+++++++++++++++++

1万5000テラベクレルと聞いても、
ピンとこない。
東京電力は、「4700テラベクレル」と
発表していた。
原子力保安院の言うことは信用できないが、
東京電力の言うことは、さらに信用できない。

が、日本原子力研究開発機構は、「1万5000
テラベクレル」と発表した。
汚染水として海洋にたれ流された放射性物質の
量である。

+++++++++++++++++

『……福島第一原発では4月に高濃度の汚染水が海に漏れ出たことがわかっていますが、日
本原子力研究開発機構がまとめた試算で、海に漏れ出た放射性物質の量は1万5000テラ
ベクレルにのぼることが新たにわかりました。

(中略)

 東京電力は4月上旬の数日間に海に放出した放射性物質の量について4700テラベクレル
と推定していますが、「今のところ、放出量について見直す必要があるとは思っていない」と説
明しています』(TBS−I)と。

●広島型原爆

 1万5000テラベクレル?

 10の12乗を「テラ」という。
だから1万5000テラベクレルというのは、1万5000x1000000000000ということになる。
が、それでもピンとこない。
日常では、こんな数字は使わない。
出てこない。

 そこで広島型原爆の数字を参考にしてみる。

「電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質
が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社)と。

この世界では「京(けい)」という単位が使われる。
10の16乗をいう。

 だから1万5000ベクレルは、15000000000000000=1・5京ベクレルということにな
る。
が、これでもピンとこない。
放射性物質の量は、面積で割らなければならない。
しかし相手は、海。
これだけの量が、海に拡散されたということになる。
が、その量にしても、横尾試算の、1万分の1。

 この世界では、数字だけが勝手にひとり歩きしている。
ただ感覚的に理解できることは、この先、この日本でもチェルノブイリと同じような悲劇が繰り
返されるだろうということ。
海といっても、そこには魚がいる。
魚が汚染される。
その魚を、私たちが食べる。
魚は勝手に動き回るから、牛や野菜より、タチが悪い。

 なおあのチェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グル
ープ、同書)。
結果、事故後3年も経てから、チェルノブイリの原発から300キロも離れた地域まで高汚染地
域が広がっていることが明らかになった。
200〜300キロ離れた、ベラルーシ共和国から11万人の人たちが強制移住させられたの
も、そのころである。

 福島第一原発から、東京まで、約250キロ。
だいたい日本原子力研究開発機構の、「1万5000テラベクレル」という数字も信用できない。
この量とて、「3月21日から4月30日までの期間」の量ということらしい。
つまり40日間だけで、これだけの量。
それ以外は、空中へ散った。
陸方面に散った。
悪く考えれば、そうなる。

 チェルノブイリでは、人々に症状が現れ始めたのは、2〜5年後。
ピークを迎えたのは、10年後。
福島第一原事故は、収束など、していない。
被害が出てくるのは、これからということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●自己開示

+++++++++++++++++++++

自己開示……どこまで自分をさらけ出すことができるか?
仮面(ペルソナ)を脱ぎ捨て、あるがままの自分を
外の世界に向かって、表現できるか。
今日は、それについて一日、考えた。

ほとんどの人は、自分を飾り、偽り、体裁を構い、
世間体を気にして生きている。
あるがままの自分を、さらけ出して生きている人など、
さがさなければならないほど、少ない。

こんな男性(70歳)がいる。
2人の息子がいるが、長男のほうは、重度の発達障害者で、
40歳を過ぎた今も、完全介護の施設で日々を過ごしている。
が、その男性(父親)は、その長男を隠し続けている。
実家は浜松市にあるが、その実家へすら、長男を連れて
きたことは一度もないという。
ほとんどの人は、その男性に長男がいることさえ知らない。

一方、こんな家族もある。
私の近所の人だが、レストランなどでよく見かける。
子どもの1人がダウン症で、だれが見ても、それとわかる。

しかしその家族は、明るい。
祖父母も健在。
その子どもを隠そうともせず、いつも堂々と(!)、
レストランなどで食事をしている。
その様子が、実に、楽しそう。
それを見る私のほうがうれしくなるほど、楽しそう。

重い障害があるにせよ、どうしてそれを隠すのか。
時代も変わった。
ものの考え方も変わった。
障害児に対する世間の見方も変わった。
が、何よりも変わったのは、親の意識。

浜松市の北にS小学校という学校がある。
障害児教育の拠点校にもなっている。
その小学校の校長が、こんな話をしてくれた。

「以前はというと、みな障害児教室へ入るのを
いやがりました。
しかし今は、親のほうが、頼んでやってきます」と。

親に隠される子どもこそ、あわれ。
かわいそう。
同時に私たちは、そういう親の了見の狭さに驚く。
人間的な浅はかさに驚く。
いろいろな思い、いきさつ、環境、事情があることはわかる。
しかしそれでも、私はそういう親がいることを、子どもの立場で残念に思う。
どうして我が子を隠さねばならないのか!

あえて公表する必要はないにしても、私は私。
自分をさらけ出して、堂々と生きる。
私はそこに生きることのすばらしさを覚える。

++++++++++++++++++++

●条件反射のメカニズム(アルコール中毒+砂糖は白い麻薬)

 かつての私もそうだった。あなたもそうだった。
が、今、思春期の子どもの心の中では、猛烈な「性的エネルギー」(フロイト)が、わき起こって
いる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発信源
ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。
その視床下部からの命令を受けて、ドーパミンという脳間伝達物質が放出される。

 このドーパミンが、脳の中の線条体(報酬と行動要求に関する中枢部)というところを刺激す
ると、猛烈な(欲望)となって、その子ども(もちろんおとなも)を支配する。
ふつうの反応ではない。
最終的には、そうした欲望をコントロールするのが、大脳の前頭前野(理性の中枢部)というこ
とになる。
が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するのはむずかしい」(N・D・ボルコフ)という。
 線条体が刺激を受けると、「あなたは、目的達成に向けた行動を起こせというメッセージを受
けとる」(同誌)。

 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。
食欲、性欲、生存欲、物欲、支配欲に始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。
わかりやすく言えば、脳の中で、どのような受容体が形成されるかによって決まる。
たとえばアルコール中毒患者やニコチン中毒患者は、それぞれ別の受容体が形成されること
がわかっている。

 N・D・ボルコフについては、こんな論文も発表している。

いわく「アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような論文
を発表している。

……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピオイド
拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。この
結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていたことがわ
かる。
人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもしれな
い」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。

 条件反射および「中毒性」のメカニズムが、また一歩、科学的に解明された。

●9月9日(2011)

 慢性的な睡眠不足がつづくと、私のばあい、軽い頭痛が始まる。
こめかみの奥が、シクシクと痛み出す。
マッサージをしたり、湿布薬を貼ると、そのときは軽減する。
が、やがた再びシクシクと痛み出す。

 が、慢性的な睡眠不足というのは、自分ではわかりにくい。
それが生活習慣になっている。
しかし睡眠時間を計算してみると、たしかに短い。
平均して、4〜6時間。

 これではいけないと、昨夜は、早めに床についた。
精神安定剤(これは睡眠薬の代わりに使っている)+漢方薬。
いつもの2倍、のんだ。

 その効あってか、今朝は、7時ごろ目が覚めた。
睡眠時間は、たっぷり8時間。
頭痛は消えていた。
このあとも、1〜2時間、昼寝をするつもり。

 で、もうすぐ私の誕生日。
ワイフは、「新しいパソコンを買ったら……?」と言ってくれる。
が、今の私はふつうのパソコンでは、満足しない。
その分だけ、値段も高い。

が、こうしてパソコンに向かって、文字を叩けるのも、今の内。
やがてボケたら、脳みそ、そのものが使い物にならなくなる。
それにもうひとつ。

 こうした(欲望)は、抑圧しない方がよい。
欲求不満は、精神をゆがめる。
アルコール中毒の人が、断酒をしたときと同じ状態になる。
イライラ感は、それ自体が大きなストレッサー。
体の免疫力を低下させる。
肉体の健康にも、よくない。
だから適当に発散する。
つまり買う。

私「もう2年も買ってないしね」
ワ「だったら、いいんじゃないの?」
私「そうだな」と。

 で、さっそく数日前から、機種選びを始めた。
昨日も、駅前のBカメラへ行き、カタログを集めてきた。
今朝も、あちこちのサイトをのぞいている。
が、どれもイマイチ。
ノートにしようか?
デスクトップにしようか?

 が、こういうときが、いちばん楽しい。

●福島の子どもたち

 福島県に住む子どもたちの尿から、放射線が観測されているという。
これはたいへんなことと考えてよい。
で、ある市民団体が、学校ごとの集団疎開を訴えている。
当然のことだが、しかし3・11から、すでに6か月が経過している。

 原子力保安院や東京電力が、いかにいいかげんなことばかり言ってきたかは、今になっては
っきりしてきた。
ウソは言わないが、本当のことも言わない。
冒頭に書いた、1万5000テラベクレル(日本原子力研究開発機構)という数字にしても、すで
に何か月も前にわかっていたという。
しかし政府は国際機関に対して、東京電力が発表した数字を報告してきた。
こういう小細工を、平気でする。

 いろいろ事情はあるだろうが、今からでも遅くない。
福島の子どもたちは、一刻も早く、福島を離れた方がよい。
政府が動き出すのを待っていたら、半年はかかる。
が、そのうち子どもたちに症状が現れ始める。
そうなってからでは、遅い。

 ところでこんな話も耳にした。
生徒の父親が、1か月ほど福島市で仕事をして帰ってきた。
話を聞いた。
いわく「みんな平気な様子でしたよ」と。

私「マスクをしている人はいませんでしたか?」
父「いませんでした」
私「緊張感はありませんでしたか?」
父「まったく、ありませんでした」と。

 その話を聞き、私はキツネにつままれたような気分になった。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【タイタニック・シンドローム】byはやし浩司(恋愛至上主義)

++++++++++++++++++++

映画『タイタニック』を観て、涙をこぼした
人は多いはず。
中には、10回以上も足を運んだ人(女性)も
いるとか。
当時、ワイフが、そんな話をしてくれた。

恋愛さえすれば、それがすべて。
すべてが許される。
親も兄弟もない。
友人もいない。
恋愛がすべて……。
それを恋愛至上主義という。
称して『タイタニック・シンドローム』。

++++++++++++++++++++

●映画『タイタニック』

 恋愛にもいろいろある。
まさに一目惚れで恋愛……というのもあれば、数年をかけ、ある日気がついてみたら、愛しあ
っていた……というのもある。

 映画『タイタニック』の中のジャックとローズは、まさに一目惚れ。
その瞬間から、たがいに(命がけ)の恋愛を始める。

 それが恋愛のすばらしいところと考える人もいる。
しかし同時に、それが恋愛の恐ろしいところと考える人もいる。

●脳内ホルモン

 恋愛も、脳内ホルモンの作用によって起こる。
フェニルエチルアミンというホルモンである。
一目惚れというのは、そのホルモンが、ドバーッと脳内に充満した状態をいう。
(これについては、何度も書いてきた。後述※)

 で、ふつうひとつの脳内ホルモンが分泌されると、その逆作用のあるホルモンも同時に分泌
される。
たがいに中和する。
つまりこうして脳は、いつも自分の脳内を、クリア(何もない状態)に保とうとする。
これを『フィードバック』という。
しかしこのフェニルエチルアミンというホルモンには、それが働かない。
脳内に残ったまま、長い人で、3〜4年。
短い人で……?
脳内に滞留する。

 一目惚れの程度にもよる。
繰り返しの頻度にもよる。

 『「生物学的に見れば、人間の男女の愛は4年で終わるのが自然である」。
人類学者ヘレン・E・フィッシャーが唱えた説だが、世界62の国と地域で調査した結果、結婚後
4年で離婚する夫婦が多い』(「独女通信」)とか。
それも先に書いたフィードバックによって、説明できる。

●問答無用

 さて本論。

 「恋愛こそすべて」というものの考え方を、恋愛至上主義という。
最近の若い人は、日本人も、昔からそう考えていたと思うかもしれないが、たった半世紀前に
は、そうではなかった。

 恋愛から結婚へ進む段階においても、息子や娘は、まず親に相談。
ばあいによっては、親の許可を求めた。
家制度という、古い因習も色濃く残っていた。
(それを肯定するわけではないが……。)
恋愛イコール、結婚ではなかった。
たいはんの恋愛は、そのまま実らず、無数のブルースとなって夜の街に消えた。

 つまり恋愛するのは、当人たちの勝手としても、結婚ということになれば、そこには一定のプ
ロセスがあった。
が、今は、そのプロセスも消えた。

 ある日突然、息子や娘が相手を連れてきて、「結婚します!」と。
問答無用というか、問答無用であることが、当然と考えるようになった。

●薄汚い魂胆

 私はあの『タイタニック』という映画を観ていたとき、こう考えた。
ジャックとローズが、男と女だから、まだストーリーが成り立つ。
しかし男と男、あるいは女と女だったら、どうなのか、と。

 さらに言えば、ジャックにも親がいるだろう。
ローズにも母親がいた。
映画の流れからして、ローズの母親は、ずいぶんとひどい女性に描かれていた。
「金持ちの息子と結婚させ……」と。
またそういう設定にでもしないと、ストーリーが成り立たない。

 しかしその逆のケースも私は知っている。
娘の結婚を、親がかりで推し進めたケースである。
相手の男に向かっては、「うちの娘と門限を過ぎてもつきあいたかったら、まず籍を入れろ」と
迫る。
そして入籍をすませたとたん、親類縁者には、「良縁だ」「家族がふえた」と喜んでみせる。
なし崩し的に、結婚を既成事実化する。

 結婚には、常に薄汚い魂胆がつきまとう。

●名場面

 もしローズの母親が、すばらしい女性だったら、どうするのか。
娘思いで、やさしく、理解もある。
そういう女性だったら、どうするのか。

 日本風に言えば、ジャックもローズも、「親捨て」。
親を捨てた!
そこに親がいることも忘れ、欲望に溺れるまま、恋愛ごっこをする。
だいたい、2日や3日、つきあったくらいで、本物の「愛」など生まれるはずがない。
それを悲劇の主人公よろしく、凍てつく氷の海で、こう言う。

ジャック「生きて、たくさん子どもを産んでくれ……」
ローズ「ジャック……ジャック……」(記憶)と。

 『タイタニック』の中でも、最高の名場面だが、同時にそれは脳内ホルモンの恐ろしさを示す。

●民法上の欠陥?

 民法上にも、問題がある。
最近、こんな話を聞いた。

 私の町内に、A氏(55歳男性)がいる。
長い間、ある製作会社に勤め、そのときはリストラで、子会社で警備の仕事をしていた。
妻は、パートの仕事に出ていた。

 が、息子氏は、大学を卒業すると同時に結婚。
1度、退学、再入学をしているから、あしかけ6年間、大学に通ったことになる。
言い忘れたが、1人息子。

 その息子が大学へ通う間、A氏と妻は、必死で働いた。
妻がパートに出るようになったのも、息子の学費のためだった。
が、ここからが悲劇。

 ある日、息子氏が東京から帰ってきた。
「披露宴をしたいから、お金を貸してほしい」と。
そこでA氏が、「少しくらいなら、何とか……」と答えると、息子氏がキレた。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ」と。

 それまでも「生活費が足りない」とこぼすたびに、A氏は、貯金をおろし、息子氏に送ってい
た。
息子氏は、「給料があがった、返す」と、そのつど約束した。

 が、その息子氏が、あろうことか、交通事故で、そのまま死んでしまった。
結婚して、わずか半年後のできごとだった。

 A氏はこう言った。
「お金がほしいわけではありませんが、しかし親のところへは一円も補償がありません」と。

●人生の花

 話がそれたが、恋愛は人生の花。
人間がなぜ生きているかといえば、種族保存のため。
その目的はすべての動物に共通している。
恋愛のすばらしさは、私も経験している。
否定しない。

 が、同時にそれは「人間が本能的にもつ欲望」と深く結びついている。
しかもその「欲望」は、私であって、私ではない。
わかりやすく言えば、私たちはいつも欲望の奴隷となり、欲望に操られているだけ。
それを忘れるから、理性のコントロールがきかなくなる。

 つまり一目惚れから、一足飛びに結婚……という人は、それだけ理性のコントロールが弱い
人と考えてよい。
弱いから、同時に、離婚率も高くなる。
(離婚することが悪いと書いているのではない。誤解のないように!)

 厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の数
が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている。
72万人に対して、25万人。

離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!
 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興味深
い(同、統計)。

 平たく言えば、恋愛至上主義のつぎにやってくるのが、「35%」という数字ということになる。

(注:結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。)

●社会制度

 欧米では、「家族」そのものが、崩壊している。
(「家庭崩壊」ではない。「家族崩壊」。)

 家族崩壊が、社会制度の中で常態化している。
だから社会制度も、それに応じて、うまく対応し、機能している。
が、この日本ではそうでない。

 社会制度が追いつかないまま、意識だけが欧米化してしまった。
その結果、老人組だけが、取り残されてしまった。
今に見る介護制度の欠陥、年金制度の不備を例にあげるまでもない。

 地方の過疎化には、目を覆うものがある。
無縁仏の増加と、寺の無住職化。
今後約60%の人が、無縁死、孤独死を強いられる。
発見までの平均日数は、約6日。
中には、死後30日を経て発見される人もいる。
これは老人組の話ではない。
40歳以上の人たちが、そうなる。

●『タイタニック・シンドローム』

 今、この日本では、恋愛至上主義が、大手を振って闊歩している。
あたかもそれが絶対的「善」であるかのように、考えられている。
もちろん映画『タイタニック』が、日本人の心を変えたわけではない。
そのずっと昔には、映画『ロメオとジュリエット』があった。
この映画も悲劇で終わったが、親の気持ちや立場が、どこにも描かれていなかった。

 『タイタニック』に至っては、さらにそうで、ローズの母親などは、むしろ悪人として描かれてい
た。
が、どうしてローズが善人で、ローズの母親が悪人なのか。
もしあなたがそう思っているとするなら、あなた自身も、恋愛至上主義者ということになる。

 簡単に言えば、恋愛など、そこらの犬や猫でもしている。
メカニズム的には、人間の脳内における反応と、それほどちがわない。
(あるいは同じ。)
そういうものに溺れて、「恋だ」「愛だ」と騒ぐほうが、おかしい。

 人を愛するには、熟成期間が必要。
幾多の山を越え、谷を越え、やがてたどりつく。
それが「愛」であり、「恋愛」ということになる。

 恋愛至上主義に、私はここで警鐘を鳴らしたい。

【参考※】

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。
すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。
恋をすると、人は、そうなる。
 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。
恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。
(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)
しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。
この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。
脳内に残ったままの状態になる。
こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。
が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。
あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。
適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。
(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。
もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。
一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。
それが結婚生活へとつながっていく。
 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。
たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。
繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。
あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。
はじめての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の恋
のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。
しか
も、はげしければはげしいほど、よい。
二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。
あるいはフェニルエチルアミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)


●恋愛至上主義

 恋愛至上主義は、まさにアメリカからもたらされた、「社会毒」と考えてよい。
今の若い人たちを見ると、それがよくわかる。
「恋こそすべて」と考えている。
また「愛があれば、すべて許される」と考えている。
それがある一定の範囲内にあれば、まだよい。
それが過激なほどまでに、行きすぎてしまっている。
が、そんなものは「愛」ではない。
脳内ホルモンの奴隷になっているだけ。
さらに言えば、本能の奴隷になっているだけ。

 ただし、それが悪いというのではない。
それが原点となって、もろもろのドラマが展開される。
人間の行動の原点にもなっている。
だからあのフロイトはこういう言葉を使った。
「性的エネルギー」。
「人間のすべての行動の原点には、性的エネルギーがある」と。

 それを補完すべく、最近の大脳生理学は、つぎのように説明する。
「子どもの気力」について書いた原稿だが、「性的エネルギー」を説明するのには、わかりやす
い原稿と思う。

 またまた少し回り道をするが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの気力

+++++++++++++++++++++++

最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌・2009)。
そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

+++++++++++++++++++++++

●強力なシグナル

「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。

「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。

そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。
恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。
おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。
私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

●萎縮した子ども

 たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。

一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。
あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。
そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。

(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)
つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

●視床下部

 先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。
実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。

そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

●エネルギーの根源

 こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。

(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)

そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。
では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAレベルで、そのようにプログラムされている。
が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。

ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。

(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

●環境

 わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

 なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

 ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
子どもの気力 子供の気力 子どものやる気 子供のやる気 視床下部 ドーパミン
ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年長児と音遊び】

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Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【9月10日(土曜日)】2011

++++++++++++++++++++++++

太陽熱温水器のパイプに穴があいた。
ビニールテープでしばらく塞いでいたが、やがて役に立たなくなった。
再び水が漏れ出した。
それで工事……ということになった。

私が駐車場の屋根に上ろうと準備をしていたら、先に息子が上ってくれた。
こういうとき息子の助けはうれしい。
要領を知っているのか、手際よく、穴のあいた個所を、のこぎりで切り取った。
パイプのネジを、大きなレンチで緩めた。
そこまでは楽だった。

が、パイプをはずしてみると、熱でパイプが溶けていた。
その間から水が漏れていた。
解けたパイプを金具からはずすのに、苦労した。
カッターで少しずつ切り取り、小さなドライバーでほじる。
それを繰り返した。

作業は40分ほどで終了。
「OK」という合図で、水を流した。
どうやらうまくいったらしい。

工具は、義兄に借りた。
それを返しに義兄の家に行くと、ちょうど夕食時に重なってしまった。
私たちはその足で、山荘に向かった。
ほかにすることがなかった。
時刻は午後8時を回っていた。

+++++++++++++++++++++++++

●電子製品

 私は電子製品が好き。
だから山荘へ来るときはいつも、かご一杯の電子製品をもってくる。
パソコンやカメラのほか、DVD再生機、時計、ゲーム機器などなど。
コード類もあるから、それだけでもかなりの重さになる。

 今日は、20インチのモニターも、もってきた。
ノートパソコンにつなげば、デスクトップのようにして使える。
が、使い勝手がイマイチ、よくない。
モニターの前にノートを置くと、ノートの画面がじゃまになる。
次回はキーボードも、もってくる。
そうすればそのままデスクトップになる。

●忙しかった

 今日は何かと忙しかった。
山荘を2往復。
義兄の家のある市内を2往復。
DVDショップは2軒、回った。

 昼は、カレーショップ。
夜は、ラーメン屋。
ワイフが車を運転をしながら、「私、主婦業をぜんぜん、していない」と言った。
私は「主夫業をぜんぜん、していない」と言った。

 そうそう、ラーメン屋へ行くときは、私たちはいつもニンイク入りのチューブをもって行く。
店員さんの目を盗んで、それをラーメンに入れて食べる。
土曜日の夜だからこそ、それができる。

●ニンニク

 ニンニクには、興奮剤と鎮静剤が同居して含まれているという。
40年ほど前、恩師の田丸謙二先生が、そう教えてくれた。
つまりマッチ・ポンプ。
興奮させて、沈静させる。
沈静させて、興奮させる。
体こそ、えらい、迷惑。
興奮と沈静が、交互に体を襲う。
睡眠剤と目覚まし剤(カフェインドリンクのようなもの)を、同時にのむようなもの。
体のほうが、迷ってしまう。

 が、私には効く。
ニンニクをたっぷりと食べると、体が軽くなる。
強壮剤にもなる。
バイアグラがどんなものであるかは知らないが、似たような効果があるのではないか。

●性

 私は「性」を否定しない。
単なる排泄行為とは思わない。が、それには条件がある。
愛情と厳粛さ。
そこに至るドラマと、そこから生まれるドラマ。
これらが重なりあったとき、「性」は、人間と人間をつなぐ「絆(きずな)」となる。

(BLOGによって、使用が禁止になっている用語がある。
ここでは、以下、性的な営み行為を、SXXと表記する。)

 快楽としてのSXXもある。
性的な刺激は、脳内にモルヒネ系のホルモンを分泌させる。
それが脳内ストレスの解消につながる。
昔から『英雄、色を好む』という。
つまり、英雄と言われる人は、それだけ大きなストレスにさらされている。
そのストレス解消には、SXXが、効果的。

 そのためにはSXXは、長く、時間をかけてするのがよい。
1時間とか、2時間。
雑談をしたり、本を読んだり……。
最終的な排泄行為は、必ずしも必要ではない。
が、それについても、ベースに「愛」がなければならない。

●用なし

 60歳を過ぎると、性欲そのものが、急速に衰えてくる。
持続力がなくなる。
想像力も貧弱になる。
何よりも、「女性」を「女」と見なくなる。
豊満な肉体を見ても、脂肪の塊のように思うこともある。
が、実際には、本能よりも、それを理性でコントロールする力のほうが強くなる。
結果として、本能が理性で押さえ込まれてしまう。

 そのため心の通わないSXXが、味気なくつまらないものに思えてくる。
が、同時に、肉体的な元気も弱くなる。
(回りくどい言い方をして、ごめん。)
そういうとき私はこう思う。
「ああ、これで私も男として、用なし」と。

●散歩

 ワイフが入浴している間、私は散歩に出た。
こういう夜は、マムシに注意しなければならない。
マムシだけは、どこにいるかわからない。
周りの景色に見とれていると、いつパクッとかみつかれるか、わからない。

 それはそれとして、今夜の月は、ほぼ満月。
やや右が欠けているかな……?、という月。
ということは、上弦の月。
明日か明後日には、満月。

 それにしても、澄んだ空だ。
窓越しに、「きれいな空だ」と言うと、風呂の中からワイフがこう言った。
「UFOはいない?」と。

 下から見上げれば広い空だが、宇宙から見れば、私が見ている空は点のようなもの。
そんな「点」の中に、UFOが現れる確率は、かぎりなくゼロに近い。

「見えないよ」と言うと、何か、残念そうなことを言った。
私はそのまま山荘の周辺を一周した。

●「死の町」発言

 少しまじめな話。

+++++++++++++++++++++++

IZAニュースは、つぎのように伝える。

『……呂吉雄経済産業相は9日の記者会見で、8日に視察した福島県の東京電力福島第1原
発事故周辺市町村の感想を「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死
の町という形だった」と述べた』と

+++++++++++++++++++++++

●失言

 呂吉雄経済産業相は、ほかでも何か失言をしている。
それはさておき、この部分だけを注意深く吟味してみたい。
野党(自民党)は、鬼の首でも取ったかのように騒いでいる。
「内閣失格」発言まで、飛び出している。
しかし……?

 呂吉雄経済産業相は、こう述べている。
いわく「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」
と。
英語で言うなら、「ゴーストタウン」ということになる。
彼は比喩として、「死の町という形だった」と言っている。
「死の町だった」とか、「死の町」とか、言ったのではない。

 言葉としては、もう少し適切な言い方はなかったかとは思う。
しかしもしこれが失言なら、反対に、「今、ただちに健康に害が及ぶということはありません」と
いう、あの発言は、どうなるのか。

●事実

 事実を、見たまま、率直に表現してみせた。
「死の町という形だった」というのは、それをいう。
一方、事実をねじまげて表現してみせることもある。
「今、ただちに……」というのは、それをいう。

 どちらであるにせよ、私たちが知りたいのは、(事実)。
被災者の方たちの気持ちを考えるが故に、「死の町」発言は、不適切という。
それはわかる。
しかし同時に、被災者の方たちの気持ちを考えるが故に、「いまただちに……」と発言するの
は、どうか?
不適切ではないのか。
私には、どちらも不適切にしか思えない。

●作文練習

 どうであれ、日本の政治家たちは、レベルが低い。
失言が多すぎる。
そのたびに国会が混乱する。

 あえていうなら、政治家たちよ、毎朝、1〜2時間は、作文練習をしたらよい。
そうすればもう少し言葉の使い方が、ていねいになるはず。
失言が減るはず。
要するに思考力の問題ということになる。
その思考力をみがいたらよい。

●失言

 失言にもいろいろある。
人の心にグサリと突き刺さる失言もあるだろう。
しかし全体としてみると、日本人も、ヤワになった。
「死の町」発言は別として、ささいな失言をとらえては、そのつど大騒ぎする。
大臣であれば、首が飛ぶ。

 こんなことを繰り返していたら、政治が前に進まなくなる。
多少の失言であれば、笑ってすませばよい。
そういう政治家を選んだ、私たちにも責任がある。

 私の感覚がズレているのか。
それとも世間の感覚がズレているのか。
大臣は、それで辞任することになったが、どうもスッキリしない。
2011/09/11記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●9月11日(日曜日)午後8時45分

++++++++++++++++++

今日は、今朝から、体、だるし。
午後を過ぎても、体、だるし。
原因がわからないまま、昼寝。
日曜日ということもあって、2時間。
2時間も!、眠った。
その間、ワイフは、横で、DVDプレーヤーで
何かの映画を観ていた。
一応、看病のつもりらしい。
が、気がついたときには、もういなかった。

夕方になって風邪の症状。
「風邪だったのか?」と思いつつ、うがい。
葛根湯を2袋、のむ。

夕食は、金目鯛の焼き物。
食欲はあった。
明日までに治す。

今は、こうしてテレビで、日本vs中国戦を観ている。
ロンドン五輪・アジア最終予選。
日本女子サッカーの五輪出場は決まっている。
応援はしているが、どうも気が入らない。
緊張感がない。
中国側サポーターにしても、そうだろう。
結果は1−0で、日本の勝ち。

+++++++++++++++++++

●色気

 63歳のジジイが、こう書くのも失礼ないこと。
それにワイフに言わせると、私はまったく「男」を感じない男とか。
自分が男っぽいから、よけいにそう思うらしい。
私のワイフは、「女」の体をした「男」。
結婚したときから、私はそう思っている。

 「こう書く」というのは、つまり女性にも、「女」を感じる女性もいれば、まったく「女」を感じさせ
ない女性もいるということ。
私のようなまったく風采のあがらない「男」が、「女」について書くのも、どうかと思う。
そういう意味で、「失礼なこと」と書いた。
女性がこの文章を読んだら、こう思うにちがいない。
「何を、偉そうに!」「あんたなんか、もう男じゃ、ない」と。

●好意の返報性

 「女」を感ずるというのは、要するに、「色気」を感ずるということ。
体つき、雰囲気、服装、話し方などなど。
そういうものが総合されて、「色気」につながる。

 が、ここで重要なポイントがある。
「好意の返報性」である。
イギリスの格言に、「相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う」というのがある。
つまりあなたがその人を、いい人だと思っていると、相手も、あなたのことをいい人だと思って
いるもの。
もちろん、その反対もある。
つまり人間の心というのは、「鏡」のようなもの。
相手は、あなたの心を映す鏡ということになる。

●反応

 63歳の私を、「男」と思う人は、もういない。
若い母親なら、なおさら。
が、それがわかったとたん、私も、その女性を、「女」とみない。
たがいにサバサバした関係になる。

 が、たまに、本当にたまに、私を「男」と意識する母親がいる。
その瞬間、ビリビリと私は、それを感ずる。
とたん、私もその母親の中に、「女」を感ずる。
これも「好意の返報性」ということになる。

 つまり人間というのは、(ほかの動物たちもそうなのだろうが)、相手の反応に応じて、そのつ
どこちらも反応する。
「男」と「女」は、とくにそうである。

●薬物乱用頭痛

 話はそれる。
実は、この2〜3週間、軽い頭痛が消えなかった。
そのつど市販の頭痛薬をのんだ。
が、おかしなことにのめばのむほど、頭痛がひどくなった。

 少し前、「同じ頭痛薬をのみつづけると、かえって頭痛がひどくなる」と書いた論文を、読んだ
ことがある。
肝臓が、頭痛薬を毒物ととらえるためらしい。
しかしこれは重要なこと。
ネットで調べてみる。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●薬物乱用頭痛

 大阪・樋口脳神経外科のサイトにはつぎのようにある。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、樋口脳神経外科サイトより+++++++++++
 
 薬物乱用頭痛とは、過剰に使用された頭痛治療薬と、脳に感受性のある頭痛持ちの患者さん
との間の相互作用です。
頭痛を起こしやすい患者さんにおいて、頭痛頓挫薬(トリプタンやエルゴタミン製剤などの片頭
痛特効薬や一般の鎮痛薬、もしくはその両方)の乱用により、「さらに頭痛を引き起こす」ことを
いいます。
まさに「頭痛薬が頭痛を生む」という状態です。
薬物乱用頭痛は頭痛患者さんが頭痛を恐れるあまり、薬を飲み過ぎてしまう(薬物乱用)ことか
ら始まります。
毎日のように頭痛がある上に、「以前は効いていた鎮痛薬が効かなくなった」、「薬をいくら飲ん
でも頭痛が以前より(数か月前よりも)ひどくなってきた」、という場合には薬物乱用頭痛の可能
性が高いのです。

興味深いことに、「薬物乱用頭痛の発症は元々頭痛もちである患者さんに限る」という報告があ
ります。
例えば、腰痛など頭痛以外の疼痛に対して鎮痛薬を乱用した場合、片頭痛の既往の無い人な
ら薬物乱用頭痛を発症せず、片頭痛の既往歴や家族歴がある患者さんでは薬物乱用頭痛を
発症しやすい、というものです。

 薬物乱用頭痛は、患者さんが急性期治療薬を乱用している間は、予防薬にもほとんど反応せ
ず、一旦発症すると治療にも難渋するため、その診断と認識は臨床的に極めて重要です。
「片頭痛などの慢性頭痛の患者さんが薬物乱用頭痛に陥らないように対応する」ことは、頭痛
専門医の最も大切な仕事の一つです。

+++++++++++以上、樋口脳神経外科サイトより+++++++++++

●偏頭痛(片頭痛)

 簡単に言えば、同じ頭痛薬をのんでいると、かえって頭痛がひどくなることもあるということら
しい。
私は若いころから、偏頭痛に悩んだ。
だからよけいに、薬物乱用頭痛になりやすいということになる。

●変更

 そこで今日、薬局へ行き、頭痛薬の種類を変えてみた。
昼食時に、いっしょにのんでみた。
とたん、頭痛が消えた。

 これは頭痛薬にかぎらない。
どんな薬でも、一種類を長期間にわたってのまないほうがよい。
薬というのは、「毒物」。
肝臓はそう判断する。

 もっとも今日は、風邪の症状もあった。
ここ数日、頭痛が消えなかった。
偏頭痛でもない。
緊張性の頭痛でもない。
・・・とまあ、自分でも判断しかねていた。
が、風邪の症状が出てきて、風邪による頭痛とわかった。

 「薬物乱用頭痛」・・・そういう頭痛もあることを、覚えておこう。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司(薬物乱用頭痛)

●「女」

 サッカーの試合を観ているかぎりでは、サッカー選手に、「女」を感じない。
(そういう不謹慎な見方をしているのは、私だけかもしれないが・・・。)
とくに中国の女子選手は、女性というより、「男」。

 再び、「男らしさとは何か」「女らしさとは何か」について考えてみる。
が、この問題は、脳下垂体にも関係している。
平たく言えば、男性の性欲中枢部は、女性のそれの2倍の大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性はより攻撃的。
女性は比較的、受動的ということになる。

 先日も1人の女子中学生が私に、こう聞いた。
「先生、どうして男子って、女子のパンティを見ると、大騒ぎするの?」と。
そこで私が、「では、君は、男子のパンツを見ても、何も感じないのか?」と。
するとその女子中学生は、キョトンとした表情で、「ゼンゼン!」と答えた。

 男と女は、基本的な部分で、大きくちがう。
女性のことはいまだによくわからないが、男性は、視覚的に「女」をとらえる。
女性のように、男性に触れられたから、興奮状態になるということは、ない。
(私のばあいは、ない。)
重要なのは、視覚。
若いころは、胸元や露出した足を見ただけで、興奮状態になってしまった。

もっとも、だからこそ、男と女の関係は、うまくいく。
またそのちがいがあるからこそ、男と女の関係は、楽しい。
多様性も、そこから生まれる。

●老齢期の「性」

 私1人だけのサンプルで、「男」を論ずることは、危険なこと。
よくわかっている。
が、こういうことは言える。

 63歳になったからといって、「女」への関心がなくなったわけではない。
しかし若いときのように、四六時中というわけではない。
「ときどき・・・」という感じ。
また感じたとしても、スーッと消えていく。
長つづきしない。
関心だけではない。
「機能」そのものも、長つづきしない。

 また男というのは、(女性もそうらしいが)、空想力の助けを借りることが多い。
その空想力そのものが、弱る。
そこでその種のDVDを借りてきて、助けを借りることもある。
しかしこれも長つづきしない。
すぐ飽きてしまう。

 これは女性のばあいも、そうらしい。
ワイフもよくこう言う。
「発情するのは、1か月に数回程度かな?」と。
ということは、たがいの発情期が重なるのは、きわめてマレということになる。

 ・・・とまあ、若い人たちには意味のないエッセーになってしまった。
しかしその若い人たちも、やがて私と同じ年齢になるときがやってくる。
遠い未来のことで、ピンとこないかもしれない。
ひょっとしたら、「私は100歳になっても、今と同じ」と考えているかもしれない。
しかし、それはありえない。
髪の毛が薄くなり、顔のシワがふえるように、「性」も確実に年齢の影響を受ける。
そういうときにみなさの役立つよう、老齢期に性について書いてみた。

 最後にオーストラリアの友人が送ってくれたジョークをひとつ。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●90歳の老人

 90歳の老人が病院へ行くと、ドクターがこう言った。
 「精子の数を検査しますから、明日までに精子をとって、このビンの中に入れてきてください」
と。

 が、その翌日、その老人がカラのビンをもって病院へやってきた。
 そこでそのドクターが「どうしたのですか?」と聞いた。
 すると、その老人はこう言った。

 「いえね、先生……
 右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 それでワイフのイーボンに頼んで
 手伝ってもらったのですが、だめでした。
 イーボンが右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 
そこでイーボンは、入れ歯を全部はずして
 口でやってくれましたが、それでもだめでした。
 しかたないので、隣のメアリーに頼んでやってもらいました」

 ドクターは驚いて、「隣の家のメアリーに!」と聞いた。

 するとその老人は、

 「はい、そうです。メアリーも最初は右手でやってくれましたが、
 だめでした。
 左手でやってくれましたが、それでもだめでした。
 メアリーも口でやってくれましたが、だめでした。
 最後に、足の間にはさんでやってくれましたが、それでもだめでした」と。

 ドクターが目を白黒させて驚いていると、老人はこう言った。

 「でね、先生、どうやっても、このビンのフタをあけることができませんでした。
 イーボンにも、メアリーにもやってもらいましたが、
 フタをあけることができませんでした。
 それで精子をとることができませんでした」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

●日本を救った、管直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、管直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所
事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発か
ら全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経済
産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題
に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そ
ういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話した
という。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関
に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見
方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について
明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と
幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人
が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

●管直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の管直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、管直人前首相が言うように、「東
京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、
との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。いわく、『枝野氏
は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言
い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考
えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」などという発言もそのひと
つ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要
との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注
入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について
明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と
幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評
価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱
させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認め
るような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、管直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したの
は東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8
日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのも
のが使い物にならなくなるのを心配したためという。

●もしあのとき……

 もしあのとき管直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没
していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を
起こしたする。
内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

(電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質
が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社))と。
ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グル
ープ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、1・1万京ベクレルx4=4・4万京ベクレル(以上、瀬尾試算による。「原発
事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、管直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わ
ずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間は
あの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「管直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人
の英断。)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【よく泣く子ども】

+++++++++++++++++

幼稚園でよく泣く子どもについての
相談があった。
群馬県のO市で、幼稚園教諭をしている
TS先生という方からのものだった。

+++++++++++++++++

【TS先生より、はやし浩司へ】

群馬県のO市で、幼稚園教諭をしているTSという者です。
現在、担任している年少3歳児K男について、ご相談させていただきます。

K男は、入園から半年が経ちましたが、保育時間のほとんどを泣いて過ごしています。
朝も泣いて登園し、自分から母親と離れることはできませんが、幼稚園を嫌がったことは一度
もないそうです。

1学期は、身の回りのことが自分でできないことで不安になっているのではと思い、衣服の着
脱や身支度の仕方などを根気よく教え、自分でできることも少しずつですが増えてきました。
その成果といえるかどうかわかりませんが、片づけ、手洗い・うがい、おやつや給食の準備、
帰りの支度は、泣かずに自分でできるようになりました。
しかし、それ以外の場面では、私から離れることができず、泣き続けていて、遊びもほとんどで
きません。

夏休みに夏祭り盆踊りがあり、保護者が準備をしてくれている間、他の職員が、子どもたち(異
学年・異クラス混合)を集めて、近くの児童館に連れて行く機会がありましたが、そのときもみ
んなと行けず、私と一緒に過ごしました。私と、1対1でかかわっている時には、泣きませんし、
ちょっとした悪戯もするくらい元気です。こちらの言っていることの理解もできますし、おしゃべり
もいっぱいするので、いつも集団の中で泣いている姿しか見ていない他の先生たちは、驚いて
いました。

2学期が始まると、さらに泣きがひどくなり、「おしっこが出たらどうしよう」「今日の帰りは、並
ぶ?」など、先のことを心配して、何度も何度も同じことを繰り返し言って泣いています。
私も、できるだけ不安にならないように、そばにおいたり、見通しをもたせたりするようにしてい
ますが、常に大きな声で泣いているので、正直なところ私もストレスになりますし、他の子たち
も活動を十分楽しめないのではないかと思います。

母親に話を聞くと...
母親と2人だけでは外出することはできず、出かける時は、必ず祖父がK男の手を引いてい
く。
家庭訪問で私が指摘するまで、みんなと同じ食卓で食事をすることを嫌がるため、一人で別の
部屋で食事をさせていたとのことです。

分離不安? 集団恐怖症? 何かあるのでは??と思うのですが、どうでしょうか。

母親は入園前から、パートの仕事をしていて、留守中は祖母と留守番ができるそうです。
母親が虚弱という話も聞いたので、入院するなどして母親と離れた経験がないかも聞いてみま
したが、ないそうです。

K男に付いてもらえる職員はいないので、担任の私がかかわるしかないのですが、今まで以上
に安心できるように寄り添った方がよいのか、必要以上にかかわり過ぎない方がよいのか、ど
のような姿勢でかかわっていったらよいのでしょうか。アドバイスをお願いします。

家族構成は、両親 祖父母(母方 別姓) 曾祖父母 本児です。

【はやし浩司より、TS先生へ】

 私もいろいろな子どもに接してきました。
最初の半年間(実際には3か月ほど。以後、少しずつ机に向かって座ることができるようになっ
た)、机の下で、机の脚にしがみついてレッスンを受けていた子ども(年少児)がいました。

 下の子どもが生まれてから、はげしい赤ちゃん返りが起き、慢性的な発熱症状(年長女児)
を示した子どももいました。
母子分離不安で、母親の姿が見えなくなっただけで、錯乱状態になった子どもの例となると、
無数にあります。
幼児の世界は、TS先生がお気づきのように、実に複雑で、しかもいろいろな原因や症状が複
合してしますので、こうした問題が起きたら、からんだ糸をほぐすような作業が必要になりま
す。
短絡的に、「対人恐怖症」「これは赤ちゃん返り」「情緒不安」とかいうように結びつけることは、
たいへん危険です。
(あとで述べますが、家庭環境からして、「対人恐怖症」による症状のひとつということはじゅう
ぶん、考えられます。)

 基本的には、幼児は、何か心に大きな問題をかかえると、それを代償的に解消しようと、つ
ぎの4つの行動のどれかを取ると考えてください。

(1)攻撃型(たとえば下の子どもを、「殺す」寸前までのことをする。)
(2)同情型(相手に同情を求め、弱々しい自分を本能的な部分から演ずる。演技と言うより
は、それが常態化しているため、意識的行為と言うよりは、無意識的な行為。メソメソと泣いて
見せるのも、そのひとつ。)
(3)依存型(だれかに極端に依存することによって、心の問題を解消しようとする。)
(4)服従型(ほとんど何も考えず、親や教師の言いなりになり、言われた通りに行動を繰り返
す。)

 以上は、心理学の本などに出てくる定型的な症状ですが、このほかにも、(5)内閉型(カラの
中に閉じこもってしまう)というのも、私は経験しています。
さらに同じ、同情型、依存型でも、暴力性を伴った攻撃型同情型、攻撃型依存型というのも経
験しています。

●一般論として

 またこういうケースのとき、親自身が気がついていないところで、子どもの心を傷つけている
というのも、多々あります。

(親には、自分にとって都合の悪いこと、あるいは責任があることについては、心の隅に置き、
封印してしまう傾向があります。
たとえば分離不安についても、ささいなことで、そうなります。
たとえば母親がたった3日、入院しただけで、そうなった子ども(2歳男児)がいます。
私がそれを指摘すると、「たった3日ですよ!」と、反論していました。
遊園地で迷子を経験しただけで、分離不安になってしまった子ども(3歳児)もいるくらいですか
ら……。)

 話を先に進める前に、「よく泣く子ども(日本では、「夜泣き」「疳の虫」という)」については、ア
メリカでもよく問題になっています。
そのためいろいろな「方式」が考えられています。
その中でも「ファーバー方式」というのは、とくによく知られています。
K男君のケースとは、直接的には関係ないと思われますが、参考までに、ここに原稿を添付し
ておきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(ファーバー方式)

●アメリカの育児、「ファーバー方式(FEBER METHOD)」(改)

●ファーバー方式
 新生児の夜泣きの対処のしかたについて、アメリカには、「ファーバー方式」というのがある。
それについての紹介文を転載する。ファーバーというのは、その考案者の博士の名前をいう。
(義理の娘が通う、母親学級のテキストからの転載)

Your baby is crying, and wakes up several times during the night. Your'e exhausted, and 
haven't had a descent night sleep, what are you going to do?  Ferberizing your baby will 
help your child sleep through the night and will help you from going mad from lack of sleep. 
Dr. Ferber, a leading pediatric sleep disorder specialist, has come up with a method 
guarantee to get your child sleeping through the night. 

 あなたの赤ちゃんが泣き、毎晩何度も起こされる。
 あなたは消耗し、安らかな眠りを得られない。
 そういうとき、どうしますか?
 睡眠障害のスペシャリストのファーバー博士が、あなたの赤ちゃんが眠るのを助けます。

The Ferber method is a progressive method and it calls for the parents to let their babies 
cry for a set period of time before comforting or "checking in on their child". Although the 
Ferber method does work for some parents, others think that it is to rigid. It is important to 
read the book and to decide for yourself. Some of the mothers in my classes have modified 
his method to fit their schedules and tolerance levels.

ファーバー方式は、泣いている赤ちゃんをなぐさめたり、「あれこれ原因さがしをする」前に、あ
る程度泣かせるという方式です。
ファーバー方式は、有効なときもありますが、しかし厳格すぎるという人もいます。
大切なことは、あなた自身が自分で本を読み、判断することです。
私の(母親教室の)母親たちは、自分たちの忍耐力のレベルにあわせて、このファーバー方式
を修正して、応用しています。

 Dr. Ferber is the first one to tell parents that his method can take a toll on the family. So
me parents cannot bear to hear their children cry for extended periods of time. Ferber 
states in his book that in order for his approach to work it is very important to stick with 
the routine. There are no exceptions unless your are traveling , your child is sick or you 
have company at your house. If you disrupt your babies sleep schedule and they start to 
wake up during the night again you will probably have to referberize the child. 

ファーバー博士は、この方式は、母親の負担を減らすものだと、述べています。
母親によっては、(忍耐の限界を超えて)赤ちゃんが泣きつづけることに耐えられない。
ファーバー博士は、この本の中で、この方式を応用するためには、日常生活をそのままつづけ
ることが重要だといいます。
旅行中とか、赤ちゃんが病気とか、来客中とかいうのであれば別ですが、例外はないといいま
す。
もし赤ちゃんの睡眠スケジュールを乱すと、赤ちゃんをあやすために、また夜中に起きなけれ
ばならなくなります。

 In his method Dr. Ferber suggest that after a loving pre-bedtime routine that you put 
your child to sleep while your baby is still awake. Putting your child to sleep while he/she is 
still awake is very important and this will teach them to go to sleep on their own.

この方式の中で、ファーバー博士は、赤ちゃんがまだ目をさましていても、赤ちゃんを寝さか
せ、いつもの就眠儀式をすることを提案しています。

まだ目をさましている赤ちゃんを寝させることは、とても重要なことで、このことが、赤ちゃんが
自分で眠ることを教えます。

Ferber suggests that children be at least 5 months old before you try to ferberize them. 
Your baby must not be sick, or on any medications that will interfere with his/her sleeping 
when you start the method. Once your child is in bed leave the room and if she/he cries, 
wait a certain amount of time before you check on your child again.(the waiting time is 
outlined in his book, 

ファーバー博士は、少なくとも五か月未満の赤ちゃんは、この方式を応用してみるとよいと言っ
ています。
この方式をはじめるときは、まず赤ちゃんが病気でないないことが前提となります。
赤ちゃんがベッドに入ったら、赤ちゃんが泣いても、(親は)部屋を出ます。
そしてしばらく様子をみます。
(その時間については、本の中のガイドに従ってください。)

(Solve Your Child's Sleep Problems). After the "waiting time" check in on your child but do 
not rock, feed or pick her/him up. Soothe your child only with your voice. Gradually increase 
the amount of time between the visits to your child's room. Eventually (usually within a 
week) your child will realize that crying means nothing more than a brief check from you. He 
or she will learn to sleep on his/her own through the night and you will also get the sleep 
that you have been deprived of for so long. 

赤ちゃんの睡眠問題を解くために……
しばらく待ってみて、赤ちゃんをチェックし、赤ちゃんを抱いてあげます。
あなたの声で、赤ちゃんをあやします。
少しずつ、赤ちゃんの部屋を訪問する時間を長くしていきます。
結果として(ふつう一週間単位で)赤ちゃんは、泣いても無駄ということを学びます。
そして赤ちゃんは夜の間、眠るようになります。
あなたも眠られるようになります。

 Ferber states that it's ok for your child to throw a tantrum or to cry for extended periods 
of time this will not hurt your child. He/she will realize that crying will get them nowhere. To 
ferberize or not ferberize is a decision that only you and your partner can make. Here's 
what some parents are saying about the Ferber Method.

ファーバー博士は、赤ちゃんがかんしゃくを起こし、ある程度の間泣いても、この方式は、赤ち
ゃんを傷つけないといいます。
赤ちゃんは泣いても、何も解決しないことに気づきます。
ファーバー方式を使うにせよ、しないにせよ、それはあなたが決めることです。
ここにいくつかコメントがあります。

" I hated it. I just couldn't ! let my child cry not even for 5 minutes". Jody 

「この方式は、嫌いです。私は五分だって、子どもには泣かせることはできません」

" I was so exhausted I couldn't do anything. His method saved my life." Sonia 

「私は疲労しました。彼の方式は、私を救いました」

"It's great to have a formula to follow. It worked with all my kids." Maria 

 「すばらしい方式です。私の子どもたちには、有効でした」

●はやし浩司より
 このファーバー方式は、アメリカでは広く知られている。子育て(parenting)の指導法として
も、一定の地位を確立しつつある。
 
 私も、外国へ行くと、よく書店をのぞいてみる。向こうでは、いわゆる「教育書」と「育児書」
が、ほぼ、同じ割合で、並んで書店に並んでいる。一方、この日本では、育児書の多くは、書
店の目立たないところに、ひっそりと並んでいる。このあたりにも、「家庭教育」に対する認識の
違いがある。つまりこの日本では、「何でも幼稚園や保育園で……」という考え方が強く、一
方、欧米では、「子育ては家庭で……」という考え方が強い。

++++++++++++++++++++++

以上の訳について、読者の方より、「訳がおかしい」
という指摘をもらった。
東京M区に住んでいる、SKさんという方からです。
ご指摘ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++

【SKさんより……】

ファーバー方式の和訳についてひと言。英文の解釈が少し違うような気がするのですが、もう
一度注意深く読むと良いかと……特に Ferber suggests that children be at least 5 months 
old before you try to ferberize them. とAfter the "waiting time" check in on your child but 
do not rock, feed or pick her/him up. のくだりです。私には、「赤ちゃんが少なくとも五ヶ月に達
していること」と「抱き上げたりおっぱいなどを与えるな」と解釈できるのですが……

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(ファーバー方式)

●基本的信頼関係

 K男君(3歳児)の症状からすると、基本的には、(1)対人恐怖症があり、(2)母子間におけ
る基本的信頼関係の構築に失敗した子どもと考えられます。
子どもの側からみて、0歳期に絶対的な安心感を得られなかった。
一方、母親側からみて、絶対的な受け入れをしなかった。
「絶対的」というのは、「疑いをもたない」という意味です。

 対人恐怖症を疑うのは、K男君の家庭環境からです。
「家族構成は、両親 祖父母(母方 別姓) 曾祖父母 本児」ということですから、かなりの過
保護、過干渉、祖父母による溺愛などが、想像できます。
つまりK男君は、(ものわかりのよい、実に温室的な家庭環境のみの中で育てられた)という印
象をもちます。
俗にいう『温室育ち、外で風邪を引く』というのがそれですが、このタイプの子どもにとっては、
集団教育の場は、まさに「野獣群れなす、野生の世界」ということになります。
対人恐怖症になってもおかしくありません。
別の形で現れるのが、いわゆる場面緘黙症ということになります。

 泣きながら、抑圧された心を発散させる……。
そういう点では、場面緘黙症よりは、予後はよいということになります。

●ついでに……

 最近の研究によれば、人間にも刷り込み(インプリンティング)があることがわかってきまし
た。
0歳から7か月前後までがその期間と言われています。
「敏感期」と呼ぶ学者もいます。

 この時期の母子関係がいかに重要かが、これでよくわかります。
つまりこの時期に、子どもの側からみて、何らかの理由で、「絶対的な安心感」を覚えられるよ
うな家庭環境ではなかったということが、考えられます。
それが遠因となり、強迫症、潔癖症、完ぺき主義へと進んだと考えられます。

 引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者もふ
えています。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、このころの基本的信頼関係の構築が失敗す
ると、おとなになってからうつ病などの病気を起こしやすくなるというようなことを論文で発表して
います。

 いわく『九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子ど
もは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母子保健
情報54・06年11月)を形成する』と。
さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあ
るという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

 乳幼児期における母子関係がいかに重要なものであるかは、いまさら言うまでもありませ
ん。

 K男君のケースでは、まずこの母子関係の不全、あるいはその時期の育児の失敗を考えて
みます。
「母親の運転する車に乗せて2人で外出することはできず……」という部分が気になります。
ほかに何か理由があるのかもしれませんが……。

●強迫性障害

 乳幼児にも強迫性障害はあります。
母子分離不安がその典型的な例です。
(母親の姿が見えない)→(「捨てられるのではないか」という極度の不安状態になる)→(突発
的に錯乱状態になる)

 このばあい、私は私の観察から、プラス型とマイナス型に分けて考えています。

 大声をあげ、泣き叫びながら母親のあとを追いかけるのを、プラス型。
極度の不安状態になってしまい、オドオドと混乱状態になってしまうのを、マイナス型。

 K男君のケースでは、本来、そうした強迫性障害、あるいは不安障害も考えられますが、泣
き方を観て判断します。
で、もしそうであれば、本来、こうした障害は、母親に起因します。
K男君の下の子ども(弟or妹)がいないということなので、今回は、赤ちゃん返りは除外します。

(世間一般の人は、赤ちゃん返りを軽く考える傾向がありますが、これはとんでもない誤解で
す。
子どもの心を基本的な部分でゆがめ、症状がこじれると、さまざまな障害を引き起こします。)

 が、その母親に対して、自分の欲求不満をぶつけることができない。
理由は、母親自身にあると考えられます。
母親自身が、心の閉じた女性(同じく乳幼児期に基本的信頼関係の構築に失敗した)か、ある
いは、何らかの障害(自閉症、緘黙症、アスペルガーなど)をもっている。
さらに言えば、子どもへの愛情が欠落している。
(実際、自分の子どもに愛情を感じていない母親は、7〜10%もいる。
母親の表面的な演技には、惑わされないように!)

 そこでK男君は、慢性的な愛情飢餓状態を代償的に解消するために、つまり母親代わりに、
あなたという教師に、愛着行為をぶつけているということになります。
(祖父母たちと同居していて、愛情飢餓……というのもおかしいと思われるかもしれませんが、
基本的信頼関係は、あくまでも母子間の1対1の関係で構築されるものです。)

 が、あなたとて、ほかに20人前後の幼児をかかえている。
そこでK男君は、(泣くこと)によって、自分の感じている不安を解消しようとすると同時に、懸命
に、あなたの同情を誘導している。
つまりそういう点では、先に書いた、「攻撃型同情型」ということになります。

 あなたが自分の(範囲)にいる間は、静かに落ち着いている。
しかしそうでないときは、そうでない。
錯乱状態になる。

 こうした一連の行為は、本人の意図的な行為というよりは、本能的な行為に近いので、叱っ
たり、説教しても、意味はありません。
赤ちゃん返りを思い起こしてみてくだされば、それがわかると思います。
6歳児が、赤ちゃんぽい言い方で、おしっこを漏らすなど。
つまり本能的な部分で、「嫉妬」がからんでいるため、簡単には治らない(=直らない)というこ
とです。

 で、K男君のばあいは、どうでしょうか。
泣き方を観察してみると、それがわかるのですが……。
ただシクシクと泣くだけなのか?
それとも、錯乱状態になって泣くのか?

●私の経験から

 数年前ですが、Uさん(年少女児)がいました。
レッスンのときにも、体がこわばっているのが、よくわかりました。
緊張性対人恐怖症と考えていました。
「とくに男の人がこわいみたい」と母親は、よく言っていました。
(そういう点では、対人恐怖症ということになりますが……。)

 母親に横に座ってもらったり、あるいは抱っこしてもらったりしました。
が、何かの拍子に、(たとえば自分の作業が遅れたりすると)、そのままメソメソと泣き出してし
まいました。

 で、こういうときは、『涙は、脳の汗』と考え、私は無視します。
あれこれと理由を聞いても意味はないし、なだめても、これまた意味がありません。
本人にも、泣いているという意識がありません。
また「泣くことが悪いこと」という意識もありません。

 ただそういうときは、母親に手を握ってもらったり、あるいは抱っこしてもらうように指示しまし
た。
幸い、母親が、たいへん理解のある、心のやさしい人でした。
ほかの親たちも参観していましたが、ほかの親を気にせず、子どもの立場で子どもの心を守っ
ていました。

 その子どもは年中児になるころには、泣く回数もぐんと減り、さらに夏を過ぎたころには、自
分のほうから手をあげ、意見を発表するようになりました。
それをみなで、何度もほめました。
以後、急速に症状は改善しました。

 で、今から思うと、原因のひとつが、姉にあったのではないかと思います。
姉もやさしい子どもでしたが、しかしそれは表面的な姿。
裏では、結構、妹をいじめていたのではないか?
今になって思うと、そんな気がします。
(反動形成により、よい兄、よい姉を演ずるケースは、たいへん多いです。)

●母親指導はタブー

 今、K男君は、母親代わりに、あなたに愛情を求め、自分の心の隙間を埋めようとしていま
す。
心理学的には、いろいろな用語で説明できますが、ここで重要なことは、しかし今、ここであな
たがK男君を突き放してしまうようなことをすると、K男君は、確実に、心をゆがめるということ
です。
不登園児になる可能性も高いです。
よく知られた症状に、ツッパリがあります。

 子ども(幼児)は、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、たいへんもろい。
私が経験した中で、ツッパリ症状の出た子どもで最年少は、小学1年のI君でした。
それまでは両親の間で、川の字になって寝ていたのですが、小学1年の夏休みに子ども部屋
を作ってもらい、そこでひとりで寝るようになりました。
とたん、あのツッパリ症状です。

 鋭い横目で人をにらんだり、独特の歩き方、そして暴力的暴言。
そこで母親にそれを話し、以前のように再び、川の字で寝るようになったとたん、症状がウソの
ように消えてしまいました。

 原則として、今はたいへんかもしれませんが、「私は母親代わりをしている」という意識をも
ち、K男君に接するしかありません。
時期的には、満4歳6か月の、幼児期前期から後期への移行期までつづきますが、それ以後
は自立心が育ち、徐々に、先生から心が離れていきます。

(本来なら、母親が、その役目をしなければならないのですが、仕事をもっていること。
また母親自身の心理状態、情緒問題などがわからないので、ここでは考えないことにします。
またこうした問題を、直接、母親にぶつけるのは、タブーと考えてください。
いわんや、強迫観念、母子分離不安、不安障害などの専門用語を口にするのは、タブー中の
タブーです。
そうした用語を口にできるのは、ドクターだけ。
小学校の先生でも、それで、クビが飛んだケースもあります。

 母親のほうから相談があれば別ですが、教師のほうから問題を提起するのも、タブーです。
いらぬ混乱を招くか、あるいはばあいによっては、園長を巻き込んだ騒動に発展します。
私も何度か、……数え切れないほど、そういう苦い失敗をした経験があります。

 『子どもを直すより、親を直す方がむずかしい』と考えてください。
つまり教師は、教師のできる範囲で、懸命にし、それですますということです。
たいへんきびしい言い方をしますが、私たちのできることにも、限界があるということです。

 たとえば最近も、明らかに母親の過関心、過干渉が原因で萎縮してしまった子ども(年長女
児)がいました。
が、そういう母親にかぎり、「私がぜったい正しい」「子どものことは、私がいちばんよく知ってい
る」と、私の言うことに耳を傾けようともしません。
むしろ反対に、「伸び伸びと明るい子ども」を、「できの悪い子」「しつけがなっていない子」と決
めつけてきます。

 で、入会して数か月もたたないうちに、「このクラスでは、ほかの子どもに圧倒される」という
理由で、そのまま去っていきました。

 こういうケースのばあいで、もう打つ手なしです。
「そうですか、ごめんなさい」という言い方をし、後ろ姿を見送るしかありません。

●K男君

 現在の家庭環境からすると、母親の協力を得るのはむずかしそうですね。
それにK男君自身が、先にも書いたように、母親に対して、ある種の恐怖心をもっているように
も感じられます。
つまり「おかあさん……」と言って、心を開いて甘えられる環境にないということです。
全幅的に心を開くことができない……。
つまり基本的信頼関係の構築に失敗しているというわけです。
(本来なら、そういうことができればよいのですが……。)

 ただ回避障害による症状とは、ややちがうかもしれません。
引きこもり的、あるいは場面かん黙性があるなら、回避性障害も疑われます。

 では、どうするか……。

 母子分離不安に準じて、つぎの2つに心がけてみてください。

(1)求めてきたら、すかさず愛情表現をして返す。
ほどんどの子どもは、ほんの瞬間(10〜30秒)、ぐいと抱いてあげるだけでも満足し、体を離
します。
(ばあいによっては、数秒で、すみます。)
子どもは、相手の愛情を試すためにそうします。
そのとき「あとでね」「忙しい」は、禁句です。
求めてきたら、すかさず、です。

(2)温かい無視を繰り返す。
いつも目を注ぎながら、愛情をこめて無視します。
子どもが何かの行動をしているときなど。
子どもの心は敏感です。
おとなが考えているより、はるかに敏感です。
相手のわずかな視線の動きをとらえ、相手の心の状態を判断します。
愛情だけは忘れず、温かく無視します。

●情緒障害

 もちろん何かの情緒障害も疑われます。
強迫性障害(「おしっこが出たらどうしよう」「今日の帰りは、並ぶ?」など、先のことを心配し
て、何度も何度も同じことを繰り返し言って泣く)、不安障害、恐怖症、対人恐怖症(児童館に
連れて行く機会があったが、みなと行けなかった)、神経症(おしっこの心配をする)、自閉症ス
ペクトラム(集団の中で引きこもってしまう)などなど。

しかしそうであっても、これらのほとんどは、年長期(幼児期後期)にかけて、脳が発達すると同
時に、脳そのものの機能的な発達とともに、症状は改善していきます。
(ADHD、場面かん黙は、小学3年生前後で、改善に向かいます。)
大切なのは、症状をこじらせないことです。
こじらせると、あとあとの立ち直りが難しくなります。

 あとは食生活の改善です。
海産物の多い食生活(Ca,Mg,K)に切り替える。
それだけでも、情緒不安症候群は、かなり改善します。
日常的に、甘い食品(白砂糖の多い食生活、たとえばアイス、ジュース類)が多いと、低血糖に
なり、情緒が不安定になります。
昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士を作る』と言われています。
また戦前は、カルシウムは、精神安定剤として使われていました。
詳しくは、また「はやし浩司 砂糖は白い麻薬」で検索してみてください。
いくつかをヒットするはずです。

 以上ですが、あくまでも私の意見は、参考程度にとどめてください。
実際の子どもを観ているわけではありませんので……。
またそのため、話があちこちに飛んでしまいました。
どうかお許し下さい。

 同じ指導者の立場として、最後に一言。
何かのついでにそういう話になったら、K男君の母親の過去をさぐってみるとおもしろいです
よ。
K男君の母親の家庭環境、母親とそのまた母親(祖母)との関係など。
幼児教育の奥の深さがわかってもらえると思います。
K男君は、「家族の代表」にすぎないのですから……。
つまり現在、K男君のかかえている心の問題は、家庭環境が原因で生まれた「結果」でしかな
いということです。
つまりそういう視点をもつと、幼児教育の世界が、ぐんと広がっていきます。
それこそ「人間学」の世界まで広がっていきます。

 では、今日はこれで失礼します。
メール、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 よく泣く子ども 強迫観念 心配 
不安障害 分離不安 愛情飢餓 嫉妬 はやし浩司 先生から離れられない子ども)
2011/09/13記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●私と母(1)

 若いときは、あれほどまでにモノにこだわった母。
その母が死んだとき、手元にあったのは、コップ1個と、寝間着3枚。
たったそれだけ。
その少し前、私はこう聞いた。
「母ちゃん、お金をあげようか?」と。
するとあの母が、こう言った。
「お金で命は、買えん」と。

 その母を、私は心底、恨んだ。
私は結婚する前から、収入の約半分を、母に送っていた。
それだけではない。
若いときから、母は私から容赦なく、お金を奪っていった。
私の土地の権利書や印鑑を預けると、それを売ってしまったこともある。
で、私が泣きながら抗議すると、母は平然とこう言い放った。
「親が、先祖を守るために息子の財産を使って、何が悪い!」と。
母を責めているのではない。
それがその当時の母というより、世間の常識だった。

 で、母との関係は、そのあと10年近く、途切れた。
それを心配し、あれこれ世話を焼いてくれる人も、何人かいた。
しかし一度できた深い溝は、簡単には埋まらない。
私は「親捨て」と呼ばれ、母は母で、ちぎり絵に没頭することで、さみしさをしのいだ。
いや、1、2度、連絡を取り合ったが、すぐ喧嘩になってしまった。

 が、母が倒れた。
姉の家に2年近くいたあと、この浜松へやってきた。
いやがる母を抱きかかえて、車に乗せた。
が、体調を崩したのか、来た直後、1週間、下痢を繰り返した。
その世話をしているとき、母がこう言った。
「お前に、こんなことをしてもらうようになるとは、思わなかった」と。
私はそれに答えて、「ぼくも、こんなことをしてやるようになるとは、思わなかった」と。
とたん、私と母をさえぎっていた壁は、音もなく静かに消えた。

 母は1年、私の家にいたあと、特別養護老人ホームに入居した。
今にして思うと、それが母にはショックだったらしい。
とたん、それまでの元気もどこかへ消えてしまった。
見舞いに行くたびに、大きな部屋の中央で、いつもぼんやりとテレビを見ていた。
が、ホームの人たちのていねいな介護もあり、母は、1年間、そこで生活をすることができた。
が、最後の時がやってきた。

 母が亡くなる2日前のことだった。
仕事を終え、私とワイフが母の病室を訪れたときには、午後11時を回っていた。
私とワイフは、黙ってベッドの横に座っていた。
が、見ると、右目の付け根で、小さな涙が真珠のように光っていた。
それを見て、ワイフが反対側に回った。
ワイフがこう言った。
「あなた、お母さん、目を開いている!」と。
 
 私がそちら側に行くと、左目が、開いていた。
私は自分の顔を、その視線の中に置くと、母に、「ぼくやぞ、浩司やぞ」と、数回叫んだ。
母は聴力をほとんど失っていた。
が、とたん、母は、ウォーウォーと、2、3度叫んだ。
動物のような叫び声だった。
が、それが最後だった。
私と母の最後の会話だった。
それが終わると、母は深い眠りに落ちるように、目を閉じた。

 こうして私は母を失った。
享年94歳。
勝ち気で気丈夫な人だった。
見栄っ張りで、虚栄心も強かった。
そんな母だったが、浜松へ来てからの母は、まったくの別人だった。
やさしく、どこまでも穏やかで、一言も不平、不満を漏らさなかった。

 で、ある夜、母の体を拭きながら、私は母にこう言った。
「あのなあ、10年早く、今のような母ちゃんだったら、よかったのになあ」と。
母は何も答えなかった。
黙ったまま、下を向いていた。
今にして思うと、その無言が、鋭く私の胸を突き刺す。

 母は、まさにすべてを捨て、裸のまま、あの世へと旅だっていった。

2011/09/13記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小1児にグラフを教える】

運動会が近づき、子どもたちは疲れ気味。精神状態もハイになっています。そのためちょっと
したことで、すぐ興奮状態になってしまいました。もともとにぎやかな子どもたちですが、今日
は、いつもよりさらににぎやかになりました。抑えるのに苦労しながら、とにかく棒グラフの勉強
をしてみました。疲れましたが、たいへん楽しい教室でした。私はこういう子どもたちと、ワイワ
イと騒ぎながらレッスンを進めるのが、大好きです。親たちには、評判はよくないかもしれませ
んが……。

(1)
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(2)
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(3)
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Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【木曽・駒ケ岳へ】(9月14日、水曜日、2011)

+++++++++++++++++++++

浜松発8:10分の豊橋行きに乗り込んだ。
行き先は、木曽・駒ケ岳。
豊橋で、飯田線に乗り換える。

「準備万端!」とワイフ。
「紫外線防止クリームはもったか?」
「もった!」
「長袖のシャツはもったか?」
「もった!」と。

ついでに「コンドームは?」と聞くと、「もった!」と。

!!!

私「あのなア、冗談、冗談。必要ないよ」
ワ「気圧が低いところでは、役に立つかもよ」
私「そんな理屈、聞いたことがない」
ワ「それに、浣腸も!」
私「浣腸? 冗談だろ?」
ワ「本当よ。このところあなた便Pがちでしょ」
私「気をきかせすぎだよ、それは……」と。 

こうして木曽・駒ケ岳への旅は始まった。
豊橋からは、特急・伊那路1号。
飯田まで行き、そこからローカル線に乗り換え、駒ヶ根まで。
駒ヶ根から駒ケ岳までは、バスとロープウェイで。
今夜は、ホテル千畳敷で一泊。

天気は、この両日、晴れのち曇り。
ワイフは天気を心配していた。
「だいじょうぶだよ。雲の上に出るんだから」と。

++++++++++++++++++++++++

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/45/img10deda3czikazj.
jpeg" width="640" height="480" alt="木曽駒ヶ岳.jpg">

●旅行

 「旅行」というより、「旅」。
その場任せの、気まままなブラリ旅。

旅の大切さは、それをしない人たちをみると、よくわかる。
どこか人間のスケールが小さい……。
そんな感じがする。

 が、旅に出るには、それなりの勇気が必要。
勇気だ。
たとえて言うなら、喧嘩の相手に、わざわざ会いに行くようなもの。
臆病な気持ちでは、旅はできない。
つまり人間というのは、基本的には怠け者。
新しいことを知るよりは、古い知識にしがみついたほうが楽。
新しい場所へ行くよりは、行きなれた場所へ行くのが楽。
小さく生きた方が、安全、無難。

●脳みその栄養剤

 旅に出るというのは、固まりかけた脳みそをブレンダー(ミキサー)にかけるようなも
の。
……というのは、大げさかもしれない。
しかし歳を取ると、旅に出るのがめんどうになる。
疲れるし、それにお金もかかる。
「休みは家でぼんやりと過ごしたい」と思う。

 が、それではいけない。
脳みそにカビが生える。
腐る。
だから、あえて飛び出す。
その「あえて」という部分で、勇気が必要。

 ……知人の中には、家の中に引きこもったまま、人との接触すら絶っている人がいる。
「引きこもり」というと、若い人の病気のように考えている人も多い。
しかし60代、70代になってから、引きこもる人も多い。
病名は、多くは「うつ病」ということになっている。

 引きこもるから、うつになるのか。
うつになるから、引きこもるのか。
そういう人たちこそ、外の空気を吸ったほうがよい。
言うなれば、旅は、脳みその栄養剤。
そういう意味で、冒頭で「旅の大切さは、それをしない人たちをみると、よくわかる」と
書いた。

●公的教育支出費

 列車の中で、新聞を読む。
そのひとつ。

それによれば、日本の公的教育支出費は、またまた最下位になったとか(OECD)。
「日本は05年、07年も最下位になり、低迷がつづいている」と。
日本は、3・3%!
たったの3・3%!
OECD加盟国31か国中、最下位。
つまりその分だけ、親の負担が大きいということ。

 一方、日本の教育支出に占める私費負担の割合は、33・6%。
チリ(41.4%)、韓国(40・4%)につづいて、下から3番目。
とくに幼稚園の56・5%が、ダントツに高い。
しかもその分だけ、教育の質が高いかといえば、それはない。
生徒の数でみても、小学生の学級規模は、28・0人。
中学生で、33・0人(OECD平均は、21・4人)。
韓国に次いで、下から2番目。

つまりその分だけ、日本の教育の質は、「悪い」ということになる。

●奨学金制度

 が、この数字だけを見て、「日本もそれほど欧米とは変わらない」と思ってはいけない。
たとえばアメリカでもオーストラリアでも、奨学金制度が発達している。
大学へ進学する学生たちは、どこの大学へ入るかということよりも、どこから奨学金を手
に入れるかということに、血眼(ちまなこ)になっている。

 奨学金を提供する民間会社にしても、「どうせ税金で取られるなら……」と、奨学金をど
んどんと提供している。
もちろん会社側にも、メリットがある。
優秀な学生に、ツバをつけておくことができる。

 奨学金を得られない学生は、借金で……ということになるが、親のスネをかじって大学
へ通っている学生など、さがさなければならないほど、少ない。
現実には、ほとんどいない。

●親、貧乏盛り

 そんなわけで、昔は『子ども育ち盛り、親、貧乏盛り』と言った。
今は、『子ども大学生、親貧乏盛り』という。
が、問題はつづく。
老後の問題である。

 今、ほとんどの母親たちは、子どもが大学へ通うころになると、パートに出る。
それこそ爪に灯をともすようにして、子どもの学費(実際には遊興費)を捻出する。
が、子どもといえば、親の苦労など、どこ吹く風。

 50代で貯金ゼロの家庭は、30%もあるという。
家計は苦しい。
が、それでも親は、学費(実際には遊興費)を送りつづける。
「やがて子どもがめんどうをみてくれる……」という淡い期待を抱きつつ……。
しかしそれは幻想。

 最近の若い人たち、さらにその上の世代の人たちに、「親のめんどうをみる」という意識
はない。
ないことは、内閣府の調査結果を見ればわかる。
つまりこの段階で、親は、貯金を使い果たす。

●変わった家族観

 私たちが子どものころは、「家族」というと、そこには必ず祖父母がいた。
「先祖」という言葉も、色濃く残っていた。
が、今は、それがない。
「家族」というときには、自分たち夫婦と、その子どもたちだけをさす。
夫婦と子どもだけ。
悪しき欧米化と断言してよい。

 つまり欧米では、「家族崩壊」が常態化している。
日本および東洋の家族観と比較してみると、それがよくわかる。
欧米人のばあい、2世代家族というのがふつう。
3世代家族というのは、まず、ない。
つまり「家族」には、祖父母は含まれない。

 日本人の意識は、戦後、急速に欧米化した。
恋愛第一主義という、欧米流の価値観も、それに含まれる。
私が若いころは、結婚するにしても、まず親に相談し、親の許可を得てから……というの
が、ふつうだった。
が、今はちがう。
いきなり婚約者を連れてきて、「結婚します」と。

 最近の若い人たちは、恋愛をすると、何かすばらしいことをしでかしたかのように思う
らしい。
思うというより、錯覚。
(特別は特別だが、親も含めて他人には関係ない!
恋愛など、そこらのイヌやネコだって、しているぞ!)
「恋愛至上主義」というのは、それをいう。

●家族崩壊

それが今に見る結果ということになる。
が、欧米はまだよい。
それが常態化した状態で、社会のシステムが完備している。
老人は、若い人たちの助けがなくても、老後を送り、自分の終末ケアを受けることができ
る。

 が、この日本では、社会のシステムが追いつかないまま、意識だけが変わってしまった。
わかりやすく言えば、老人たちだけが、野に放り出されてしまった。

●人材

 グチぽいエッセーになってしまった。
しかし本来なら、日本は公的支出をふやすか、欧米並みの奨学金制度を拡充すべきである。
「奨学金に回してくれるなら、その分、税金を控除します」と。
そうするだけでも、会社は喜んで奨学金を提供するようになるだろう。
(もちろん、その分だけ税収が減るから、政府は猛反対するだろうが……。)

 しかしこの日本がなぜ日本かといえば、「人材」があるからである。
また人材以外に、財産はない。
土地は狭く、資源もない。
軍隊も貧弱。
ならば人材ということになるが……。
こんな状態で、どうして人材が育つというのか。
これからの日本は、どうやって世界と渡りあっていくというのか?

●豊橋

 伊那路1号は、定刻どおり発車。
10:08分。
飯田行き。
1号車は指定車両になっているが、客は私たちを含めて、4人だけ。
ラッキー!

 ワイフは豊橋駅で買った弁当を食べている。
私はパソコンを叩いている。
途中、「湯谷温泉駅」に停車するという。
湯谷温泉には、今年に入ってからだけで、もう10回近く通っている。

 泉山閣、湯の風HAZUなど。
ほかにもいくつかあるが、どこもカビ臭く、泊まるには、かなりの寛容力が必要。
それに料金は、ほかの温泉地と比べ、料金も割高。
が、気位だけは高い。
1300年の歴史があるとか。
それはわかるが、昔のままでは、客はつかめない。

ある旅館でのこと。
「一泊、朝食のみ」の予約をし、夕食を外から持ち込んだ。
それが女将を怒らせた。
叱られた。

 こういうことがあると、もうこりごり。
以後1か月以上になるが、以後、湯谷温泉には、足を踏み入れていない。

●駒ケ岳

 駒ケ岳には、一度、登っている。
息子の1人と旅をしたとき、登った。
登ったといっても、ロープウェイで終点まで行っただけ。
そのときの印象が今でも、強く残っている。

 で、そのとき、そこにホテルがあることを知った。
それが「ホテル千畳敷」。
「泊まろうか」ということになったが、満室だった。
そのときの恨みを、今日、晴らす。
あのとき感じた、不完全燃焼感を、今日、晴らす。

 何でも日本で最高峰にあるホテルとか。
もちろん料金も、最高?
冥土の土産には、もってこい。

●湯谷温泉

 淡い水色の空に、ポカリポカリと白い雲。
景色は薄く、かすんでいる。
緑の稲田が美しい。

 旅行のしかたにも、いろいろある。
しかしそれにも、学習が必要。
つまりレッスン料。
宣伝や広告につられていくと、たいてい失敗する。
温泉旅館にしても、何度か足を運ぶ。
現地を見て、はじめてどの旅館がよいかがわかる。
近くのみやげ物屋で評判を聞くのが、いちばんよい。

 もうすぐ列車は、その湯谷温泉駅で停まる。
私はもともと、山育ち。
山に囲まれた渓流が好き。
だから湯谷温泉……ということになる。
……ということで、湯谷温泉には、足しげく通った。

湯谷温泉を思い出しながら、そんなことを思い出した。

●長篠(ながしの)

 このあたりは、織田信長と徳川家康の連合軍、その連合軍と武田勝頼の激戦地であった
という。
あちこちに史跡が残っている。
息子たちが小さいころには、数度、通った。
史跡めぐり。
歴史の勉強という名目だった。
が、同時にこのあたりは、柿の産地。
よく柿を、箱一杯買って帰った。

 たった今、「本長篠(ほんながしの)」に着いた。
長篠の合戦は、このあたりでは、よく知られている。
騎馬戦を仕かける武田側。
それを迎え撃つ、織田側の鉄砲隊。

……というような構図ではなかったか。
実にいいかげんな記憶で、申し訳ない。
私はもともとこの種の歴史には、あまり興味がない。

●信長の時代

 現在のGDPに換算することはできない。
しかし戦国時代の日本は、恐ろしく貧しかった。
(明治のはじめですら、当時の日本のGDPは、インドネシアと同じだったという話を、
何かの本で読んだことがある。)

今に残る城だけを見て、「江戸時代も結構、豊かだった」と思うのは、まちがい。
数字で表すことは正しくないかもしれないが、一部の武士をのぞいて、たいはんの日本人
は、極貧の生活を強いられていた。

 つまり富と権力は、ほんの一握りの人間に集中していた。
それが戦国時代であり、江戸時代ということになる。
貨幣が一般社会に流通しはじめたのも、また大八車という「車」が発明されたのも、江戸
時代中期であった。
(このあたりのことは、私自身が詳しく調べた。)

 そういうことがわかればわかるほど、「何が織田信長だ!」となる。
今でも織田信長を信奉する人は多いが、エジプトのムバラクや、リビヤのカダフィと、ど
こがどうちがうというのか。
つまり城は、まさに暴政と暗黒政治の象徴。
あの城のために、どれほど多くの人たちが犠牲になったことか!
(列車が揺れ、船酔いに似た症状が出てきたので、しばらく景色を楽しむことにする。)

●飯田
  
 少し前、飯田を出た。
飯田からはローカル線。
5分おきに停車しているといった感じ。
水曜日の午後ということで、高校生たちがたくさん乗っている。
ホームにも、高校生の姿が目立つ。

 時刻は午後1時16分。
日差しは強く、外に出ると真夏の陽気。

 飯田の駅で、15分ほど待ち時間があったので、売店で「ニューズウィーク」誌を買っ
た。
見出しを読んだだけで、「さすが!」と感心する。
言葉の使い方が、うまい。
世界でも超一級のライターたちが書いている。

●「知的ブラックホール」(ニューズウィーク誌)

 見出ししか読んでいないが、「知的ブラックホール」という言葉が目に留まった。
私流に解釈すると、こうなる。

つまり知識人が、知識を過信するあまり、とんでもないことを信ずるようになることをい
う?
その結果として、これまたとんでもない袋小路、つまりブラックホールに入ってしまう。
が、それですめばまだよいほう。
そういう知識人が、一般庶民を、まちがった方向に誘導してしまう。

 以前にも書いたが、たとえば『行列のできる法律相談所』(テレビ番組)がある。
あの番組に流れる法哲学は、本来の法哲学ではない。
あの番組では、何でも、「まず法ありき」という姿勢で、法を説く。
しかし「法」というのは、何か問題が起きたとき、その問題を解決するための手段として
使われるもの。
それまでは、裏方として、うしろにひっこんでいる。
とくに民法では、そうである。
何か問題が起きたとしても、当人どうしが、それでよいなら、それでよい。
法の出る幕はない。
それをいきなり、「無断で写真を撮った! 肖像権侵害!」と騒ぐ。
小学生でも、そう言う。
「どこでそんなことを知ったの?」と聞くと、「行列の……」と答える。
 
 だから私はあるとき子どもたちに、こう言った。
「写真を撮ったことで、何か不都合なことが起きたら、肖像権侵害で訴えればいい。
でも、先生がみんなの写真を撮ることは、ごく日常的な行為で、法律違反ではないよ」と。

 これも知的ブラックホールということになる。
一部の知識人が、まちがった法哲学を説き、人々にまちがった法意識をもたせてしまう。
司法試験の合格だけをめざして勉強したような人ほど、このブラックホールに陥りやすい。

ニューズウィーク誌はどのように書いているか知らない。
あとでゆっくりと読んでみたい。

●駒ヶ根まで

 ワイフは前の座席で、ニューズウィーク誌を読んでいる。
私は先ほどまで船酔いに似ためまいを感じていた。
飯田線の特急列車は、不必要なまでに、クッションがよい。
そのためカーブを曲がるたびに、フワーッ、フワーッと揺れる。

 半面ローカル線は、(つまりこの列車は)、ガタンゴトンと、線路と車輪の鉄の衝撃がそ
のまま座席の下から伝わってくる。
パソコンを使うには、ローカル線のほうが、よい。
時間はかかるが、パソコンが手元にあれば、時間は気にならない。

 ……それにしても、よく停車する列車だ。

●キング牧師・暗殺前・最後の24時間(ニューズウィーク誌)

 ワイフは、今、「キング牧師・暗殺前・最後の24時間」という記事を読んでいる。
今度、映画化されたという。

 私はそれを読んで、「がま先生」こと、蠣崎要(かきざきかなめ)氏を思い出した。
浜松市で開業医をしていた、産婦人科医である。
タレントドクターとして、よく知られていた。

が、この30年間で、「がま先生」のことを書くのは、これがはじめて。
「がま先生」という名前を書くのもはじめて。
そのがま先生にも、最後の24時間があった。
詳しくは書けない。

私はがま先生の秘書を、7年間勤めた。
その間に、がま先生の本を、10冊近く書いた。

2人の息子氏と、1人のお嬢さんの家庭教師もした。
よくいっしょに外国へも行った。
あちこちの学会にも顔を出した。

 私が東洋医学の勉強をするようになったのも、がま先生の秘書をしていたからである。
そのがま先生は、その年の春の彼岸(3月)に焼死した。
直後の夕刊では、風呂場の煙突の加熱が原因によるとあった。
享年49歳。

息子氏の1人が2階の窓から逃げるとき、その煙突に足をかけた。
そのとき「煙突が異常に熱かった」と。
そこから煙突の加熱説が生まれた。
火事、つまり事故、と。

 が、私はそれを信じなかった。
がま先生の家の構造は、がま先生と同じくらい、私はよく知っていた。
で、その数日後から、私は消防署に足を運び、原因を調べ
た。
担当署員は、こう言った。
「私のほうからは、何も言えません。あなたの質問に対して、YES、NOだけで答えま
す」と。

が、それについて、ここで書くことはできない。
その「事件」で、がま先生夫妻、お嬢さんのHチャン、それに助産婦長をしていた、K先
生の4人がなくなっている。
K先生は、私の長男を取り上げてくれた人である。
3人の子どもは、私の教え子である。
とくにHチャンは、毎週私が自分の教室へ連れてきて、教えた。
みんなからは、「おあちゃん」と呼ばれ、かわいがられていた。

●謎の24時間

 その朝、がま先生は、オペ(手術)を1つこなしている。
それが終わると、市内のGホテルで催されたネクタイ展示会に顔を出している。
そのあと、一度帰宅。
どこで昼食をとったかは、不明。
(がま先生は、居間から診察室へ行く途中、食堂で簡単に昼食をすますということが多か
った。)

 で、午後から、またオペを2つこなし、今度は奥さんと同伴で、映画館へ。
市内のC劇場で映画を見ている。
その映画のあと、一度、自宅へ戻り、食事をすますと、そのまままたGホテルへ。
そこでだれかと会い、夜11時過ぎまで、過ごす。
が、ここからさらに謎が深まる。

そのあと秘書のI氏(運転手)を呼びつけ、I氏に運転させ、K町にあるRSというス
ナックに寄っている。
RSというのは、同僚医師のK氏の妻が経営するスナックである。
そこでしばらくの時間を過ごし、自宅に帰ったのが午前0時半ごろ。

●謎の焼死事件

 がま先生は、遅い風呂に入る。
それが午前1時ごろ。
その時刻、奥さんは、二階の寝室にいた(?)。
風呂釜の空焚き説も、そこから生まれた。
空焚き状態になり、火事になった、と。

 その朝早く、午前3時半ごろ(この時刻は記憶による)、火事が発生。
がま先生以下、4人がなくなるという、あの惨事につながった。

 が、私は、その火事がどのようにして起きたか、知っている。
消防署員の肉声の録音テープも、どこかにあるはず。
が、それについては、ここには書けない。
すでに記憶の中に、封印していある。
死ぬまで、だれにも話さないだろう。

 が、なぜ?
なぜあれほどまでに幸福そうに見えた家族に、あのような惨事が襲ったか?
なぜ、がま先生は、夜半まで、Gホテルで過ごしたか。
その相手は、だれだったのか。
なぜ、がま先生は、タクシーを使わず、深夜遅く、わざわざ秘書のI氏を呼びつけ、車を
運転させたか。
なぜ、がま先生は、途中、RSというスナックにわざわざ寄ったか。
スナックを出たとき、時刻は午前0時を回っていた。

私はその謎を解くヒントは、がま先生と奥さんが見た、あの映画の中にあると考えている。
当日、C劇場で上映されていた映画は、F監督製作の「xxxx」。
その映画があの悲劇の引き金を引いた。

 「がま先生・最後の24時間」。
まさに謎に包まれた24時間だった。

が、まさにあの映画どおりの筋書きで、がま先生は、この世を去った。
『キング牧師・暗殺前・最後の24時間』というタイトルを読んで、そんなことを思い出
した。

●貸し切り 

駒ヶ根からロープウェイ乗り場のある、ひらび平まではバス。
が、ここでも客は、私たち2人だけ。
さらに、ひらび平から千畳敷までのロープウェイでも、客は私たち2人だけ。
いろいろなところへ行ったが、こんなことははじめて。
けっしてシーズンオフということではない。
頂上へ着くと、どこかのテレビ局が、旅の番組を収録していた。
見たことのあるテレビタレントが、3〜4人、いた。

 私たちはそれが終わるまで、近くのベンチで座って待った。
待って、今度は、私たちの記念撮影をした。
そばにいた男性に、シャッターを切ってもらった。
快く、引き受けてくれた。

 あとでワイフがこう言った。
「あの人ね、お笑いタレントのXXよ」と。
私がシャッターを切ってくれと頼んだ人は、テレビの世界ではかなり有名なタレントだっ
たという。
私は、そういう世界を、ほとんど知らない。
そういう番組は見ない。
XXさん、ありがとう。

●眠い

 今、夕食を終えて、部屋に戻ったところ。
つい先ほどまで、今夜は徹夜で……と考えていたが、今は、眠い。
無性に眠い。
時刻は午後7時10分。
徹夜で旅行記を書きたかった。
が、体のほうが言うことを聞かない。

 夕食前、1時間ほど、千畳敷を歩いてみた。
大きな岩が敷き詰められた歩道を、ゆっくりと歩く。
ときどき写真を撮る。
眼前に迫る駒ケ岳が、ちょうど日没どきで、まるでドラキュラか何かが住む悪魔城のよう
に見えた。
荒々しい岩肌。
遠近感のない空間。
ワイフは、「こんな景色を見るのは、はじめて」と、何度も言った。

●日韓経済戦争

 ホテルでネットがつながったのには、驚いた。
さっそく、あちこちのニュースサイトをのぞく。
気になったのは、韓国の株価。
暴落に、暴落を重ねている。

 ウォン高にすれば、輸出に影響が出る。
ウォン安にすれば、食料品やガソリン代が値上がりする。
すでに限界に近いほどまで、とくに食料品の価格が上昇している。
国内経済はメチャメチャ。
が、韓国政府が選んだ道は、ウォン安。
国民生活を犠牲にしても、まず金を稼ぐ。
うまくいけば、一気に韓国は経済大国として、世界に躍り出ることができる。

 ……というわけには、いかなかった。
韓国政府の思惑通りには、いかなかった。
最大のターゲットにしていたEUの経済が、こけた。
その前に、アメリカがこけた。
当初、つまり今回の大恐慌が始まったとき、韓国のイ大統領は、こう言っていた。
「わが国に与える経済的影響は、軽微」(8月はじめ)と。

 が、本当にこけたのは、韓国の国内経済だった。
それもそのはず。
韓国の銀行は、その大半が、アメリカの銀行の支配下にある。
サムスンにしても、ヒュンダイにしても、中身はアメリカの会社と考えたほうがよい。

 ニューズウィーク誌は、表紙を「韓流バブル」という文字で飾っている。
エンタメの世界で、韓流バブルがはじけ始めているという。
日本で起こりつつある、反韓流の動きをさす。
が、同時に韓国では、経済バブルもはじけつつある。
株価の暴落が、ほかの国とくらべても、大きすぎる。
が、日本よ、日本人よ、これだけはしっかりと覚えておこう。

 韓国が頭をさげて助けを求めてくるまで、日本は、ぜったいに韓国を助けてはいけない。
いけないことは、竹島問題を見ただけでもわかるはず。
さらに言えば、前回、韓国がデフォルトしたとき、日本は100億ドルを貸した。
そのうちの50億ドルが、まだ未払いのままになっている。

●希望

 数日前、地元の新聞社から、連載の依頼があった。
うれしかった。
ときどき単発モノの依頼はあるが、連載モノは、重みがちがう。
その連載にあわせ、体力を調整し、脳みそを鍛える。

 人は希望によって、生きる。
希望が、道を照らす。
言い換えると、道のない人生を歩むことぐらい、つらいことはない。

 これには、老人も若者もない。
1人の人間として、これほどつらいことはない。

 恐らく私にとっては、人生、最後を飾る連載になるはず。
命がけで書いてみたい。

●23:13

 先ほど目を覚ましてしまった。
部屋のエアコン調整に失敗した。
まずワイフが起き上がり、「暑い」と。

 私は窓を開けた。
眼前に、駒ケ岳が見えた。
暗闇を背にし、こちらに向かってのしかかるように、うっすらとその姿を現していた。
白い石灰石(多分)が、雪のように白く光っている。
その雄大な景色に、しばし見とれる。
それを見て、ワイフが、「美しいわね」と言ったまま、口を閉じた。

 こういう旅行では、よくこういうことがある。
睡眠調整がむずかしい。
というより、枕やふとんが変わっただけで、眠れない。
目が覚める。
今回は、暑苦しくて、目が覚めた。

 部屋は8畳。
エアコンはあるが、空調設備はないようだ。
時刻は、今、午後11時13分。

●猛暑 

 寝る前に見たニュースによれば、昨日は全国的に猛暑だったとか。
ところによっては、35度を超えたとか。
熱中症で倒れた人も多い。

 しかし9月半ばで、35度?
おととしも、たしか9月の終わりまで、30度を超える日々がつづいた。
地球の火星化(温暖化ではなく、火星化)は、確実に進んでいる。
この駒ケ岳でも、以前の今ごろは、気温も0度近くになり、氷も張ったという。
が、昨日も、そして今日も、朝夕の気温は11度前後。

 「地球が火星化したら、高い山地に引っ越そう」と考えていたが、その夢も、もろく崩
れた。
むしろ、寒冷地のほうが、地球火星化の影響を大きく受ける。

●頭痛

 ワイフが起き上がった。
「頭が痛い」と言った。
「枕を高くして」と言った。

 湿布薬を、首と額に塗ってやった。
ついでに精神安定剤を1錠。
睡眠薬がわりに、私たちはのんでいる。

「どういうふうに痛い?」と聞くと、「二日酔いみたい」と。

 ワイフも酒に弱くなった。
食前に生ビールを一杯飲んだ。
私も一口のんだが、それで顔が真っ赤になってしまった。

 一見、健康で私より元気に振舞っているが、ワイフも確実に老いつつある。
寝顔はすっかり、バーさん顔。
そんなワイフがいとおしい。
「いつまでこんなことができるのだろう」と考えていたら、目頭がスーッと熱くなってき
た。

 やはり今日の旅行は、ワイフには、無理だったかもしれない。
片道、6時間半。
次回は、もっと近いところにしよう。

●長篠の戦い

 この原稿のはじめに、「長篠の戦い」について、書いた。
当時の私は教育パパで、あちこちの史跡へ息子たちをよく連れていった。
40坪の畑も作り、自然への親しみを教えようと、植物や作物の作り方も教えた。
もちろん美術館へも連れていった。
文学も、読んで聞かせた。
テープに吹き込んで、毎晩聞かせた。

 が、今にして思うと、それが何だったのか、よくわからない。
過去どころか、年長者に対する畏敬の念など、ゼロ。
歴史の「れ」の字も理解していない。
国際経済の話をしても、「何、それ?」となる。
美術への造詣もなければ、政治の話もしない。
することと言えば、ギターを片手に、ミュージシャンのまねごとばかり。

 ああ、またグチになってしまった。
ワイフは寝息をたてて眠り始めた。
よかった。

「晃子へ、お前のめんどうは、最期の最期まで、ぼくがみるよ」と。

●欧州・9月危機

 ニューズウィーク誌を読みたいが、この暗闇では、どうしようもない。
明かりは、となりの玄関から漏れてくる光だけ。
それに紙質がちがうのか、ページをめくるたびに、ガサガサと大きな音をたてる。

 かろうじて見出しが読める程度。
が、かえってこのほうが、想像力をかきたてておもしろい。
その記事のひとつに、「欧州・9月危機」というのがある。

 が、だれが考えても、ギリシアのデフォルト(国家破綻)は、すでに既成の事実。
救いようがない。
へたに助ければ、かえってモラル・ハザードが起きてしまう。

それにギリシアだけではない。
スペインやイタリアが、そのうしろで構えている。
ドイツ一国だけで、欧州危機が回避できるとは、だれも考えていない。
今、EUは、EUそのものの崩壊の瀬戸際に立たされている。

●公務員的発想

 そのギリシア。
国民のほとんどが公務員と言ってよいほど、公務員の数が多い。
正確な数字は公表されていないが、60%近くがそうであるという。
何も公務員が悪いというわけではない。
また1人ひとりの公務員に責任があるというわけでもない。

 しかし公務員と呼ばれる人たちは、与えられた範囲での仕事はする。
権限にしがみつく。
そのくせ、少しでも管轄が侵害されると、猛烈にそれに反発する。
失敗しても責任を取らない。
常に責任逃れの口実を考えている。
加えて管轄以外の仕事はしない。
「余計なことをすれば、責任を取らされる」と。

 だから臨機応変に、ものごとに対処できない。
あの3・11大震災のときも、こんなことがあった。
ある小学校でのこと。

●震災悲劇

 地震のあと、児童たちをどこへ避難させるかで、教師たちの判断が二転三転した。
「三角地」と呼ばれる、低地にある平地か、それとも校舎の裏にある山地か、と。
そして子どもを迎えにきた父母には、いちいち名前まで書かせていた。

 結局、三角地と呼ばれる平地に避難することになり、そのとたん、津波に巻き込まれた。
74人の児童のうち、70人が死亡したという。

そのとき、こんな意見も出たという。
「山地に逃げれば、余震で木が倒れ、かえって危険」と。
一瞬の判断ミスが、多くの子どもたちの命を奪ったことになる。
が、地震から津波まで、1時間近い時間があった。
1時間の間、運動場で点呼を取りながら、親たちが迎えに来るのを待った。

 ほかにもいろいろ事情があったのかもしれない。
しかし地震があれば、津波。
津波の心配があるなら、高地へ。
学校の裏に山があるなら、まずそこへ逃げる。
裏山へ逃げれば、全員が助かっていたはず。
運動場で点呼など取っているほうが、おかしい。

 こんなことを書くと、亡くなった子どもをもつ親たちは、いたたまれない気持ちになる
だろう。
その場にいた教師のほとんども亡くなっている。
教師に責任を求めても、死んだ子どもは帰ってこない。
しかし避難マニュアルがどうのこうのと言っているうちに、津波が来てしまった。

 その反対の例もある。
福島第一原発のY所長は、「上」からの命令を無視し、原子炉に海水を注入しつづけた。
結果的に、このY所長の判断が、大惨事から、日本を救った。
が、世間の目は冷たかった。
Y所長のした行為は、独断による越権行為だった、と。
BLOG上でも、その行為について、賛否両論が今でもつづいている。

 が、どうして?
もしあのときY所長が、マニュアル通りの操作をしていたら、管直人前首相が行っている
ように、「東京にだって、人、1人住めなくなっていただろう」。

●ギリシア問題

 今のギリシアも、それに似ている。
国家破綻を前にし、公務員たちはストにストを重ねている。
一時はカンフル剤を注射してもらい、財政健全化に向かうかと思われたが、結局は何も変
わらなかった。
「救いようがない」というのは、そういう意味。 

●介護制度

 介護制度にも、大きな問題がある。
現在の介護制度の中で、恩恵を受けられる人は、必要以上に恩恵を受けられる。
その一方で、恩恵を受けられない人は、常にカヤの外。
特別養護老人ホームへ入るにも、2年待ち、100番待ち……というのが常態化している
(浜松市)。

 一方、巧みに、介護制度を利用している人も多い。
X氏(80歳)もその1人。

 妻も80歳。
日常的に歩くことには、それほど支障はない。
が、どうやってその介護度を取ったかは知らないが、介護度4(5段階中)。
ふつう介護度4というと、寝たきりの状態をいう。

 が、妻は、同時に有料の老人ホームに入居している。
週に2回、自宅に帰ってきている。
その日に、訪問介護があるからである。
恐らく自宅では、寝たきりの様子をして見せているのだろう。
介護士は、掃除、洗濯、料理などをして帰る。

 興味深いのは、訪問介護士が来る日は、夫のほうも家の中に引きこもっているというこ
と。
ふだんは、畑や庭で、いそがしそうに歩き回っている。
さらに驚くことに、妻の送り迎え(有料老人ホームと自宅の間)は、ボランティアの人た
ちがしているということ。
たまにタクシーを使うこともあるが、このタクシー代も、市が負担している。

 そういう老人がいるのを知るにつけ、「うまくやっているなあ」と感心する前に、怒りの
ようなものを、覚えてしまう。
私の母のときは、そういうサービスは、一度も受けられなかった。
2年間で、一度も受けられなかった。

(そろそろ眠くなってきたので、ここで眠る。)

●天竜峡
 
 今日は、駒ケ岳に登った。
ワイフの尻を押しながらの登山となった。
朝、7時30分ごろ、ホテル千畳敷を出発。
戻ってきたのが、10時半ごろだった。
駒ケ岳の頂上までは登れなかったが、中岳の手前にある山小屋まで行くことができた。

 天気に恵まれた。
風も、そよ吹く程度。
快晴。
気温は、20度。
簡単言えば、夢のような世界。
もう少し詩的な表現を……と考えるが、それ以上の言葉が思いつかない。
やはり「夢のような……」が、いちばん合っている。
現実の世界とは、とても思えなかった。

 よかった。
満足。
今は、帰りの列車の中。
飯田で特急に乗り換えるつもりだったが、天竜峡まで。
そこで2時間ほど、過ごすつもり。
どこかの温泉宿で一服し、そこで特急をつかまえる。
それにまだ昼食をとっていない。
何かおいしいものがあれば、よいのだが……。

 こうして私の駒ケ岳への旅は終わる。
来月はあちこちで講演がある。
それを利用して、あちこちの温泉地を巡る。
楽しみ!

 そうそう明日から、『サンクタム』、さらに明後日から、『ロスアンジェルス決戦』が始ま
る。
忙しくなりそう!

●おまけ

 天竜峡では、「龍峡亭」という旅館で、風呂に入らせてもらった。
事情を説明すると、女将が出てきて、「今日は15日です。ご縁の日です。600円でいい
です」と。

 天竜川の川沿いにある、「絶景の宿」(宿の案内書)。
「まだ泊り客は来ていないので……」という理由で、私とワイフの2人だけで入らせても
らった。
プラス、リンゴジュースのサービスつき。

 そのあと駅前まで歩き、私たちはそばを食べた。
4時14分の特急を待った。

 2011年9月15日。
おしまい。

(付記)

駒ヶ岳登山の写真集は……
http://bwmusic.ninja-web.net/
で、ご覧いただけます。


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
●9月16日(今日は休み)

+++++++++++++++++

床から起きたのが、午前9時。
途中、何度か目が覚めたが、午前9時。
「朝の7時ごろかな?」と思って起きたら、午前9時。

昨日と一昨日、木曽・駒ヶ岳へ登った。
片道、電車、バス、ロプウェイを乗り継いで、6時間半。
結構な長旅だった。

その疲れが出たのか?
今朝は、あくびばかり。
連続して、それが出る。

+++++++++++++++++

●運動会

 近くの中学校で、運動会をしているよう。
太鼓の音、歓声、拡声器から流れる声……。
「〜〜してくださ〜い」「〜〜は前もって……」という指示が聞こえてくる。

 今日も「暑ッ」。
最近は、こういう言い方をするのだそうだ。
日本語も、どんどん、変化している。
そのうち私の文章も、辞書なしでは読めなくなるかもしれない。

 が、こんな暑い日に、運動会?
言うなれば、真夏の運動会。
もちろん対策はじゅうぶん講じられているのだろう。
が、熱中症が心配される。

 ……たった今、ゴキブリの子どもが窓枠のところにいた。
指で払いのけてやったら、そのまま瓦屋根の上に落ちた。
見ていると、ほんの数秒ほどもがいたあと、動かなくなってしまった。
瓦は、かなり熱くなっているらしい。

●映画『サンクタム』

 今、ワイフはクラブに行っている。
昨日買ったみやげものを、大切そうに、もっていった。
みなで、みやげものを交換し合うのが、習わしになっているらしい。

 今日の予定は、とくにないが、今日から映画『サンクタム』が始まる。
話題の映画だから、今日は混雑するだろう。
が、私たちは観に行く。
何も遠慮することはない。
チケットは、ネットで予約する。
今なら、まだよい席が取れるはず。

 しかし本当に観たい映画は、明日から始まる『ロスアンジェルス決戦』。
巨大なUFO軍団と人間との戦い。
まあ、常識で考えれば、人間に勝ち目はない。
相手は宇宙的規模で、地球を攻撃してくる。
言うなれば、航空機を使って、縄文人を攻撃するようなもの。

 で、いつもの私の空想。

●映画『ロスアンジェルス決戦』

 『サンクタム』のほうは、映画案内をすでに読んでいる。
荒筋はわかっている。
が、映画『ロスアンジェルス決戦』は知らない。
本当に知らない。

 で、私の空想する『ロスアンジェルス決戦』。
荒筋は、こう。

●空想(SF)

 人間に地球を任せておいたら、地球は、火星のような惑星になってしまう。
ある部分で、たとえば食料などで、彼らもまた地球の植物に依存している。
そこでこの宇宙を支配する、X星人たちは、地球人の抹殺を図る。

 X星人たちは、太陽系外からも援軍を集め、地球総攻撃を準備する。
が、その情報の一部を、宇宙を航行している探査衛星が、キャッチする。
その情報はただちに地球防衛軍に送られる。
対策が練られる。

 その1。
世界中にある核兵器が集められる。
それを搭載できるミサイルが集められる。
それらを機雷のように、地球周辺に配置する。

その2。
 総本部は、ロスアンジェルス市の地下。
地下1000メートル近くに作られた、宇宙防衛司令部。
が、X星人たちは、すでにその情報をつかんでいた。

その3。
 X星人たちは、地球の防衛網をつぎつぎと破壊し、地球に迫ってくる。
一方人間たちは、宇宙人の弱点、盲点を探し出す。
世界中の大型コンピューターを使い、彼らが残した痕跡を分析する。
が、もっとも役に立ったのは、彼らが宇宙空間に廃棄した、廃棄物。
その中には、X星人の「便」も、あった。

 刻一刻とその日が迫ってきた。
すでに各地で、X星人の先遣部隊との戦闘も始まった。

 一方人間はその便を使い、クローンX星人を完成する。
姿、形は、X星人。
しかし中身は人間。
人間は、このクローンX星人を使い、X星人とのコンタクトを開始する。

 が、ついに地球総攻撃は始まった。
地球全体が、怪しげな炎に包まれる。
一瞬にして、人間だけがその炎に包まれると、骨だけを残して溶けてしまう。

 対する人間は、あらゆる武器、火器を使い反撃する。
が、やがてクローンX星人とX星人とのコンタクトが成功する。
取り引きが開始される。

 たぶん、そのあたりから、定番の「愛」という言葉が出てくるはず。
アメリカ人は、「愛」至上主義者。
何かにつけ、うるさいほど、「愛」「愛」「愛」と言う。
映画の中では、とくにそうだ。
人間の温もりのある、その「愛」が、地球を救う……。
それに感動して、X星人たちは、自分たちの考え方を改める。
最後に少数の人間だけを残して、地球から去っていく……。

……という、具合。
まあ、そんなところ。
たぶん?

●過剰保護

 9月13日、北朝鮮漁船を日本漁船が発見し、そのあと、日本の海上保安庁が、それに乗っ
ていた家族と親戚9人を保護した。

 今のところ、脱北者とみられている。
が、そのあとが納得できない。

(1)9人は、「上陸許可書が得られない」という理由で、海上保安庁の船で一泊。
(2)翌日、ヘリコプターで、金沢へ。
(3)簡単な聴取がすんだあと、今度は、海上保安庁の専用機で、九州へ。
(このあたりの動きについては、記憶によるものなので、不正確。)

 しかし何がなんでも、そこまで手厚く保護する必要はない!
まるでVIP扱い。

 彼らは「韓国行き」を望んでいるという。
ならば、海上で、そのまま韓国側の巡視船に引き渡すこともできたはず。
またそうすればよかった。

 いくら脱北者でも、北朝鮮人である。
今までさんざん日本を苦しめてきた、北朝鮮人である。
脱北したとたん、「善人」になったとは、私には考えられない。
「軍人」だったということだから、国内では、一般民衆を、さんざん苦しめてきたということも、じ
ゅうぶん、考えられる。

 要するに、こんなことを繰り返していたら、税金がいくらあっても、足りなくなる。
海のアワのように消えていく。

 たとえばヘリコプター(双発タービン)でも、チャーター料金が、1日、70〜100万円。
飛行機(双発ピストン)については、1日、20万〜100万円(アークEFI)。
その他、もともろの経費を積み重ねると、1000万円以上になるのでは?

 現に海産物の洋上取り引きは、ごく日常的に行われている。
同じように、韓国の巡視船に、海上で、脱北者をそのまま引き渡しても、何もおかしくない。
木造船も、そのまま韓国側に引き渡せばよい。

 私の意見を「冷たい」と思う人もいるかもしれない。
が、この先、こうした事例は、さらに多くなる。
そのたびに、こういうことが繰り返されるようになる。
そういうことも考慮に入れ、事前に「マニュアル」を用意しておく必要がある。

 日本人よ、もうこういうお人好しは、やめようではないか!
いい子ぶるのも、また先進国ぶるのも、やめようではないか!

(昼食タイムになったので、今朝はここまで……。)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

【ラジウム温泉は安全か?】【子育てポイント】NEW

●WINDOW8

2012年のいつか、WINDOW8が発売になるという。
現在のWINDOW7の後継OS。
現在すでにベータ版(試行版)が、無料で配布されている。
大きな特徴は、タッチパネルに対応しているという点。
楽しみ。
……と同時に、この秋予定していた、新機種の購入を延期した。

●映画『サンクタム』と『ロスアンゼルス決戦』

 昨日、映画『サンクタム』を観てきた。
今日は『ロスアンゼルス決戦』を観てきた。
『サンクタム』は実話に基づいているという。
『ロスアンゼルス決戦』は、SF映画。
が、ともに期待ハズレ。
宣伝倒れ。

 『サンクタム』は、実話という点を評価して、星は3つの★★★。
『ロスアンゼルス決戦』は、平たく言えば戦争映画。
星は2つの、★★。
このタイプの映画は、もう見飽きた。

●ラジウム(ラドン)温泉

 全国には、「ラジウム温泉」と呼ばれる温泉郷が、いくつかある。
ネットで調べてみたら、50か所ほどある。
先日、入浴した、T温泉郷のR峡温泉もそのひとつ。
が、中規模以上の大きな旅館だったが、私たち以外、宿泊客はゼロ。
何と言っても、今は、時期が悪い。
悪すぎる。

 ラジウムといっても、放射性物質。
R峡温泉についての数値はわからないが、温泉によっては、放射能の高さを売り物にしている
ところもある。
X県のT温泉では、岩盤源泉での測定値が、「毎時1〜14マイクロシーベルト」とか!
「適度の放射能は、体によい。
毒も薄めれば妙薬になる」と。
T温泉のHPには、こうある。

「GT温泉郷の温泉はラドンを含むラジウム温泉(放射能泉)です。温泉中のラドンから放出さ
れる微量の放射線を吸収することで、身体の細胞を刺激し、免疫力向上、血流の改善の効果
があるといわれています」(T温泉HPより、そのまま転載)。

 その根拠となっているのが、「ホルミシス効果」※。

 一方WHOは、ラジウム温泉の危険性を、たびたび警告している。
「がんの6〜15%は、ラジウム被爆によるもの」と。
とくに肺がんの原因になりやすいと言われている。

 乃木生薬研究所のHPには、つぎのようにある。

++++++++++++++以下、乃木生薬研究所のHPより++++++++++

……2005年6月21日、世界保健機構(WHO)は放射線のラドンが肺がんの重要な原因であるこ
とを警告しました。WHOに依れば癌(がん)の原因の6 %から15%がラドンに起因するそうです。

また、WHOは本年より2007年までの3年間の予定で、国際ラドンプロジェクト(the International 
Radon Project)を立ち上げました。

世界の研究者に呼びかけてネットワークを作り、認知度の低いラドン被曝の有害性を警告し、
対策を検討するためです。 WHOの今後の課題は、ラドンや放射線の知識を広め、ラドンの濃
度の高い地域の世界的なマップを作ることです。

++++++++++++++以上、乃木生薬研究所のHPより++++++++++

 危険か危険でないか。
心配な人は、自分で調べてみたらよい。

「ラジウム温泉 危険性」で検索すれば、かなりの数のサイトをヒットすることができる。
が、あまり気持ちのよいものではない。
風呂に入ったのは、20〜30分程度だったが、その間、私は「被爆」したことになる。
「少量の放射能なら心配ない」と説く学者もいるが、ネットで調べたかぎり、1人だけ。
全国のラジウム温泉は、その学者の意見をことさらおおげさに取り上げ、安全性を強調してい
る。
(常識で考えれば、安全のはずはないのだが……。)

 が、私たちは「知らぬが仏」で入浴してしまった。
あとで旅館案内を呼んで、ゾーッ!

(注※:ホルミシス効果について、ウィキペディア百科事典より転載)

『放射線ホルミシス効果とは、
1978年、ミズーリ大学のトーマス・D・ラッキー生化学教授が、自らは実験や研究を行っていな
いが、20世紀初頭から知られていた低線量の放射線による生物の各種刺激効果を、改めて
他の多くの研究者の研究原著論文を総説(レビュー)の中で紹介、整理することによって使用
した言葉であり、アメリカ保健物理学会誌1982年12月号に掲載された総説によって提唱された
学説である。

この仮説では、低線量の放射線照射は、体のさまざまな活動を活性化するとされる。
ただし、WHOは低線量であっても天然ラドンの放射線の危険性を指摘しており、また米国もそ
れに倣うなど、主流の学説ではない』(以上、ウィキペディア百科事典より)。

●ソニーのサイバーショット

 昨日、半日、愛用のカメラが行方不明になった。
夜になって、「紛失した」と確信するようになった。
ソニーのサイバーショット(HX5)。

 が、無くなってみると、さみしいもの。
カメラが無くなったことよりも、無くすという行為がさみしい。
ボケ?
「ストライプを首にかけていたはず……」
「あの食堂で、無くしたかもしれない……」と。

 あれこれ思い出しては、悶々とした気分になる。

 ふだんなら、「また新しいのを買えばいい」と考えるが、デジタルカメラは、現在、4〜5台、現
役中。
その中でもHX5は、とくに性能がよい。
お気に入り。

 が、夜、寝る前にふと見ると、買い物かごの中に!
どうしてそんなところに置いたのかはわからなかったが、うれしかった。
さっそく出して、レンズを磨いたりした。
片時も離さず、持ち歩くようになった。
改めてCX5のよさを、再確認。
これはどういう心理的反応によるものなのか?

私「おい、このカメラな、GPS機能がついているよ?」
ワ「ヘ〜エ、すごいわね」と。

 買ったとき、GPS機能がついていることは知っていたが、使ったことはなかった。
で、そのままGPS機能のことは、忘れてしまった。
明日、もう一度、取扱説明書を読みなおしてみよう。

Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【子育てポイント】

【ペルソナとシャドー】

 だれしも何かの仮面(ペルソナ)をかぶる。ビジネスのときは、とくにそうだ。それはそれでし
かたのないこと。大切なことは、それを仮面と意識し、家に帰ったら、それを脱ぐこと。

それを忘れると、本当の自分がどれなのか、それがわからなくなる。

 で、中に、すごく人間味あふれる親を演ずる人がいる。やさしく穏やかで、話し方も温かい。
「私、ひとり住まいの老人を見ると、放っておけなくて…」と言っては、ボランティア活動の自慢
話を始める。

 が、他人はだませても、自分の子どもはだませない。子どもはうしろから、いつも親を見る。
そして親が隠している、邪悪なシャドー(影)を、そのまま引き継いでしまう(ユング)。

 こうしてすばらしい親から、信じられないほど、邪悪な子どもが生まれる。欧米では、牧師に
よる性犯罪が話題にならない日がない。牧師の子どもほど、非行に走りやすいとよく言われ
る。では、どうするか。

 子どもがそこにいても、いなくても、ルールを守る。ウソはつかない。この2つだけをかたくな
に守る。それが10年、20年とつづいたとき、その人の人格になる。またそれを見て、子どもは
親を評価するようになる。「私の母は、すばらしい人だった」と。もちろんあなたの子どもも、す
ばらしい子どもになる。


【心の持病】

 若いときは、何かの持病があっても、それを気力でカバーすることができる。が、歳を取る
と、それがドッと表に出てくる。

 同じように、邪悪な「私」も、歳を取ると、それがドッと表に出てくる。いわゆる「地」が出てく
る。これがこわい。

 それがよいものであれば、それでよし。そうでなければ、結局はあなた自身が、みなから見放
される。

 そこで釈迦は「精進」という言葉を使った。たゆみない努力こそが重要、と。それは健康論に
似ている。

 究極の健康法というのはない。1週間もだらければ、その時点から健康は下り坂に向かう。
同じように、究極の境地というのはない。1週間もだらければ、その時点から精神は下り坂に
向かう。

 さらに人も40歳を過ぎると、脳みその底に穴があいたような状態になる。知識や知恵、経験
は容赦なく、そこからこぼれ出て行く。ではどうするか。

 日々に、親は親として、自分を磨く。こぼれ出る以上のものを、補給していく。つまり日々に鍛
錬、あるのみ。

 もしあなたが、妬みやすい、いじけやすい、ひがみやすい、意地悪、ウソつき…ということであ
れば、日々にそれと闘う。あなたの子どもは、それを見て、すばらしい子どもになる。『子は親
の背中を見て育つ』というのは、そういう意味。


【抑圧が作る、心の別室】

 Aさん夫婦は、ともに75歳。が、夫婦げんかになると、40年前、50年前の話を持ち出す。

「あのとき、お前はア!」「あなただってエ!」と。

 強い不平や不満があると、人は心の別室を作り、それをそこへ押し込む。こうした現象を心
理学の世界では『抑圧』という言葉を使って説明する。この抑圧には、時効が効かない。40年
でも、50年でも、心の別室にそのまま残る。

 またワープロの世界でいう、上書きも効かない。そのあといくら楽しい思い出があったとして
も、心の別室にあるため、そのまま残る。残って、時折、顔を出す。「こんなオレにしたのは、テ
メエだア!」と。

 子どもの世界では、心の別室を作らせない。そのつど、不平や不満を吐き出させる。またそ
れが自然な形でできる子どもを、素直な子どもという。

 が、一度作ると、子どもは仮面をかぶるようになる。いい子ぶるようになる。見た目には、従
順で穏やか。しかしその裏で、不平や不満をためこむ。が、そのままですむことはない。先にも
書いたように、折りにつけ爆発する。ふつうの爆発ではない。錯乱状態になる。

 で、もしあなたが、「うちの子は何を考えているかわからない」「話しかけるのもこわい」と感じ
ているようなら、一度、育児姿勢が強圧的、威圧的になっていないか、反省してみる。


【崩壊する、家族意識】

 「将来親のめんどうをみる」と考えている若者は、30%もいない。同時に親のようになりたくな
いと考えている中高校生は、60%もいる(内閣府)。

 もし今、あなたが「私はだいじょうぶ。私たち親子の絆は絶対」と思っているなら、それは幻
想。今、親に感謝しながら、高校や大学へ通っている子どもは、ゼロ。これを私は、「家族崩
壊」という。

 もっとも欧米社会では、家族崩壊は、常態化している。「家族」というときは、そこには祖父母
の姿は、ない。それを前提として、その分、介護制度も完備している。が、この日本では、そう
でない。意識だけが欧米化し、制度がそれに追いついていない。その結果が、孤独死、無縁死
ということになる。

 日本の公的教育支出費は、世界でも最低(OECD)。その分、親の負担が大きいということ。
『子ども大学生、親、貧乏盛り』ともいう。退職時に貯金ゼロという家庭が、50%もある(F投信
調査)。が、親は爪に灯ををともすようにして、子どもの学費を送りつづける。

 が、子どもがやっと社会人になったと思ったら、ドカッとそこに待っているのは、老後。だから
私はこう言う。

 「親として、必要なことはしなさい。しかし限度をしっかりとわきまえなさい。余裕があったら、
自分の老後を先に考えなさい」と。


【タイタニック・シンドローム】

 恋愛こそ、すべて。人生の一大事。恋愛したとたん、何か大偉業でも成し遂げたかのように
錯覚する。これを「タイタニック・シンドローム」、つまり恋愛至上主義という。

 今や、結婚についても、親に相談したり、親の許可を求める若者は、まずいない。ある日突
然、相手を連れてきて、「結婚します」と。

 まさに問答無用。が、その程度の恋愛なら、そこらのイヌやネコでもしている。恋愛も、脳内
ホルモンの作用によって起こることがわかっている。フェニルエチルアミンというホルモンであ
る。賞味期限は、せいぜい3〜4年。そのせいか、離婚率もウナギ登り。平成19年度に結婚し
た人の数が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人(厚労省)。単純に25万人
を72万人で割ってみると、離婚率は、35・4%!

 が、タイタニック・シンドロームも、つまるところ、ドラ娘・ドラ息子症候群のひとつと考えてよ
い。欲望の趣くまま行動し、理性によるブレーキがきかない。日本の若者…というより、日本人
は、飽食とぜいたくの中で自分を見失ってしまった。よい年齢のオバチャンたちが、韓流スター
を追いかけ回したりする。そういうことをしながら、みじんも恥じない。

 恋愛至上主義は、亡国への第一歩。強く警戒したい。


【マシュマロ・テスト】

 2〜4歳児といえば、幼児期前期。「自律期」(エリクソン)に相当する。

 その4歳児を対称に、1960年代、スタンフォード大学で興味ある実験がなされた。それがマ
シュマロ・テストである。試験官が、こう指示する。

 「テーブルの上にマシュマロが1個ある。食べたい人は、食べていい。でも、おじちゃんが帰っ
てくるまでがまんできた人には、マシュマロを2個あげる」と。

 このテストでは、マシュマロを食べた子どもと、がまんして2個手にした子どもの2つのグルー
プにはっきり分かれた。

 で、このテストの興味深いところは、その後、長い年月をかけて追跡調査がなされたという点
にある。

 がまんしてマシュマロを2個手にした子どもは、その後、SAT(大学入試試験)でも、200点
以上の差をつけ、社会人になってからも、責任ある地位で責任ある仕事をするようになったと
いう(ゴールドマン)。

 子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。マシュマロを食べないでがま
んできた子どもには、その忍耐力(情動の自己規制力)が備わっていたということになる。その
ためにはどうするか。

 子どもは使う。家事の緊張感の中に巻き込む。自律期の最大のテーマということになる。


【同一性の確立】

 「こうありたい」という自己像。が、そこには現実の自分がいる。この両者が一致した状態を、
「同一性の確立」という。思春期最大のテーマである(エリクソン)。

 同一性の確立した子どもは、ものの考え方が前向き、かつ積極的。非行に対しても強い抵抗
力を示す。そうでなければ、そうでない。

 が、これは何も子どもだけの問題ではない。退職後の私たちの問題でもある。

 よく誤解されるが、庭いじりと孫の世話。それはけっして老後の理想の姿ではない。退職後で
あっても、道なき人生を歩む苦しみに、変わりはない。そこで私たちは、(すべきこと)を発見
し、そこに自分を統合させていく。これを「統合性の確立」という。

 が、(すべきこと)を発見するのは、むずかしい。それこそ20年単位の準備期間が必要であ
る。そこでエリクソンは、遅くとも人生の正午と言われる40歳ごろから、その準備をせよと教え
る。

 で、子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない中学生がふ
えている。「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子
35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、04年)。これでは同一性の確立など、望むべくもな
い。


【子どもの人格と完成度】(1)

 今、思春期の子どもの心の中では、猛烈な「生的エネルギー」(ユング)が、わき起こってい
る。

 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発信源
ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。その視床下部からの命令を受けて、ドーパミ
ンという脳間伝達物質が放出される。

 このドーパミンが、脳の中の線条体というところを刺激すると、猛烈な(欲望)となって、その
子ども(人)を支配する。ふつうの反応ではない。そうした欲望をコントロールするのが、大脳の
前頭前野(理性の中枢部)ということになる。が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するの
はむずかしい」(N・D・ボルコフ)。

 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。性欲のほか、食欲、生存欲、物欲、支配欲に
始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。わかりやすく言えば、脳の中で、どのよう
な受容体が形成されるかによって決まる。たとえばアルコール中毒患者やニコチン中毒患者
は、それぞれ別の受容体が形成されることがわかっている。

 では、どうするか? そこでEQ論の登場ということになる。「情動の知能指数」と訳されている
が、わかりやすく言えば、「人格の完成度」。(つづく)


【子どもの人格と完成度】(2)

 EQ論では、つぎの3つを重要視する(P.サロベイ)。

(1) 自己管理能力
(2) 良好な対人関係
(3) 他者との良好な共感性

 その中でもとくに重要なのが、自己管理能力。その自己管理能力は、どこまで(1)自分で考
え、(2)自分で行動し、(3)自分で責任を取るかによって決まる。

 親の過干渉、過関心が度を越せば、子どもは自分で考えられなくなる。非常識な行動をす
る。

 親の過保護が度を越せば、自分で行動できなくなる。いわゆる「温室育ち」になる。

 また親の溺愛が度を越せば、依存性、服従性が強くなり、その分だけ、行動に責任を取らな
くなる。

(A)小遣いを手にしたとき、将来の自分の夢を達成するために、それを貯金に回す。あるいは
ささいなことでもルールを守り、約束を守る。疲れていても、家事の手伝いなど、やるべきこと
は、きちんとやる。

(B)小遣いを手にしても、そのときどきに欲しいものがあると、使ってしまう。家庭の中でもルー
ルなど、あってないようなもの。約束を守るということは、まずない。「疲れている」「やりたくな
い」という言葉をよく使い、家事を手伝わない。

 (A)のようであれば、あなたは自分の子どもを、「すばらしい子ども」と自信をもってよい。


【子どもを伸ばす三種の神器】

 ウソ、悪口、盗み。この3つを子どもを伸ばす3種の神器という。

 それを奨励せよというわけではないが、それができないほどまでに、子どもを抑え込んでしま
っていけない。子どもはこれら3つを通して、おとなを操ることを覚え、おとなのもつ優位性を打
破する。自立期(幼児期後期・4〜6歳)の重要なテーマと考える(エリクソン)。

 まず、ウソ。代表的なものにウソ寝、ウソ泣きがある。2歳ごろから始まる。

 つぎに悪口。親に向かって「クソババア」と言ったりする。

私に向かっても、「ジジイ」とか言ったりする。そこで私のばあい、つぎのように指導する。
私「もっと悪い言葉を教えてやろうか。でも使ってはだめ」
子「教えて、使わないから」
私「……ビダンシ……」
子「ビダンシ、ビダンシ!」と。

 盗みについては、「欲望」と深くからんでいる。慎重な指導が必要。子どものばあい、金銭欲
は、年長から小学2年生くらいまでの間に完成する。幼児のころは、100円の菓子で満足して
いた子どもでも小学生になると1000円。中学生になると1万円……とエスカレートしやすい。

 親は軽い気持ちで、100円のものを買い与えるが、そによって子どもは、「お金によって欲望
を満足させる」ことを覚える。それが盗みにつながる


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本人の危機意識と危機管理(草食系危機管理と対策)

++++++++++++++++++++++++++

前回の台風で、いくつかの土砂ダムができた。
さらに雨が降り続ければ、土砂ダムが決壊する
恐れもあるという。

が、現在、国交相以下、対策本部が取っているのは、
「住民の避難」だけ?

日本よ、日本人よ、どうしてこうまで日本人は
草食系になってしまったのか!
どうして自分で考え、攻撃的な対策を講じないのか。

TBSーiニュースの一部を紹介する。

+++++++++以下 TBSーi++++++++++

紀伊半島に降り続ける雨。台風12号の影響でできた土砂ダムへの警戒が続いています。決
壊のおそれがある土砂ダムは奈良と和歌山で5か所。うち3か所は17日、国が想定した決壊
までの累積雨量を大幅に超えました。

(中略)

 「不安でいっぱい。何も考えられない」
 「腰痛い、しゃあないわな」(避難してきた人)

 しかし、土砂ダムの水位にあまり大きな変化は出ていません。国交省は、最近の晴天続きで
乾いた大地に雨が染み込んでいるためとみていますが、このまま雨が続けば緩んだ地盤が崩
れる可能性は依然として残されています。

 奈良と和歌山では8つの地区が災害対策基本法に基づく警戒区域に定められ、立ち入りが
禁じられています。奈良県十津川村では3つの地区が警戒区域になっていて、一般の人は出
入りできないため、村の職員が水や食料の搬送に追われていました。

 「これ以上道路が寸断すると、今届けられているものが届けられなくなる。長雨は心配」(十
津川村の職員)

(中略)

 「あんまり降ると、またあちこち崩れる。心配です」(避難してきた人)

 「現在、私は奈良県十津川村の役場近くにいます。今は小雨状態です。十津川村では降り始
めからの雨量が既に230ミリに達しています。気象庁などによると、この雨は18日朝まで続
き、18日の日中は十津川村も晴れるとのことです」

 「ただ、来週からは再び雨の予報で、住民たちは茶色く濁った川を見て、また新たな土砂ダ
ムができるのではと不安を募らせています」(奈良・十津川村からの報告、午後5時半すぎ)

+++++++++以上 TBSーi++++++++++

●攻撃的対策

 歯がゆい。
実に歯がゆい。
役人根性というか、失敗したときの責任追及を恐れて(?)、攻撃的な対策を講じない。
対策と言いながら、中身は、保身。

 たとえばこれ以上増水したら、決壊の心配があるという。
だったら、こうすればよい。

(1)現在の土砂ダムの上に、パイプを何十本も並べる。
   このパイプを通して、増水した分だけ、上流の水を、下流へ流す。
(2)その上に、土のうを必要な数だけ積み、ダムの高さを高くする。
   とりあえずはこの方法で、土砂ダムが崩れるのを防ぐ。
   そのあと、側溝を掘り、コンクリートで固めたあと、少しずつ水抜きをする。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/33/img98d17ea1zikazj.
jpeg" width="1117" height="376" alt="img209.jpg">

 今のままでは、増水し、一か所からでも水が流れ始めたら、それをきっかけに、ドッと土砂ダ
ムは崩れる。
こんなことは、(泥んこ遊び)の常識。
あるいは国交省にも、県にも、村にも、泥んこ遊びをした人はいないというのか?
もし方法がわからなければ、そこらの幼児に聞け。

●万事、受け身

 あの阪神大震災のときのこと。
火事は刻一刻と、神戸の町を呑み込んでいた。
地震による被害者より、火事による被害者のほうが、はるかに多かった。
しかし最後の最後まで、航空機による消火活動は、なし。
理由は、「水で、死ぬ人が出るかもしれない」と。

 あるいは中州にキャンプ客が取り残されるという事件が起きた。
上流のダムで放流が始まったからである。
で、その客を救出するために、まず川に直角にワイヤーを張った。
しかも何時間もかけて!
ワイヤーで船を渡すためだったという。
が、そのうちキャンプ客たちは、流れに呑まれ、多くが命を失った。

 どうしてあのとき、たった一本でもよいから、「命綱」を渡さなかったのか?
川の上流からロープを流せば、それができたはず。
あるいはロープを投げ渡すことだってできたはず。
最初は細いロープ、順に太いロープにすればよかった。

 今回の福島第一原発事故でも……。
この話は現在進行中だから、ここまで。
……などなど。

 日本人の特性というか(?)、すべて事なかれ主義。
後手後手主義。
つまり万事、受け身主義。

●草食系対策

 今回も、対策と言えば、「避難」だけ?
「立ち入り禁止区域」「警戒区域」をもうけるだけ?
アメリカ映画の見過ぎかもしれないが、何のために自衛隊はあるのか?
ヘリコプターでパイプを運び、それを並べ、あとはピストン輸送で土のうを積む。
アメリカ映画なら、そうする。
が、すでに1週間もたっているが、報道で見るかぎり、何も変化なし。

 こんな原稿を書くと、「じゃあ、お前、やってみろ!」と言われそう。
ならば言う。
「今は、そういう後ろ向きな反論をしているばあいではない」と。

 もし土砂ダムが決壊すれば、何百戸という家々が流され、田畑は、そのあと長く使えなくな
る。
橋も流される。
その被害を考えるなら、考えられることを、今する。
そのひとつの方法として、幼児たちのしている泥んこ遊びを、思い出した。

●いいのか、このままで!

 原発事故と比べれば、土砂ダムなど、何でもない。
失敗しても、……失敗ということはありえないが……、被害が拡大するということはない。
それとも国交省以下、役人たちは、何を恐れているのか。
管轄以外のことは、何もしようとしない?
できない?
まさに草食系。

 ……こんな状態では、たとえば外国の軍隊が侵略してきたら、日本はあっという間に、占領さ
れてしまうだろう。
あちこちで小田原評定を繰り返しているうちに、日本はおしまい。
「どうしよう、どうしよう、どうしましょう」と。

 いいのか、日本、日本人!
このままで!


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【9月19日、驚きの朝】

●手のひらサイズのスパコン?

 今朝のニュースの中で驚いたのが、これ。
「手のひらサイズのスパコンができそう」というニュース。
しかも現在のスパコンが1年かかってする仕事を、1秒以内でしてしまうという。

 まず、そのニュースを引用させてもらう。

+++++++日本経済新聞より+++++++++2011−09−19

 国立情報学研究所の山本喜久教授らは、超小型で新しいタイプのスーパーコンピューターを
実現する計算原理を考案した。
光を利用して計算する「量子コンピューター」の一種で、計算結果を導く時間を大幅に短縮し、
手のひらサイズのスパコンが実現する。
現在のスパコンで年単位の時間がかかる計算をわずか1秒以内でできる。
新薬や材料開発に威力を発揮するとみられ、民間企業と協力してコンピューターの試作機を5
年後に完成する。

+++++++日本経済新聞より+++++++++2011−09−19

●すごい!

 こういうニュースを読むと、まずこう考える。
「あと5年は、生きていたい」と。

 もうひとつは、こういった話になると、かならず出てくるのが、「新薬の開発」。
どうして新薬の開発に、それほどまでに高性能のスパコンが必要なのか。
まだまだ私の知らない世界が、山のようにあるらしい。

 それにしても、すごい!
もしこんなパソコンを、そこらの小学生や中学生がもって遊ぶようになったら、この世の中は激
変する。
人工知能も、すでに時間の問題。
5年を待たずして、人間の脳を超えた人工知能も開発されるかもしれない。
私がほしいのは、「話し相手ロボット」。
モニター上のロボットでもよい。

 その人の脳みそをそっくりそのままコピーする。
そのコピーと対話する。

私「10年前のことですが……」
コ「どんなことですか?」
私「一度、焼鳥屋へ入ったことを覚えていますか?」
コ「ああ、あのK通りにある焼鳥屋ですね?」
私「そうです……」と。

 日本敬愛新聞の記事を読み、改めて、驚く。

●原発事業からの撤退

 もうひとつ驚いたのが、このニュース。
ドイツのシーメンスが、原発事業から撤退するという。

 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

『独誌「シュピーゲル」(電子版)は18日、ドイツ総合電機大手シーメンスが原発事業から完全
に撤退する方針を決めた、と報じた。

 同社のペーター・レッシャー社長が同誌とのインタビューで語った。
福島第一原子力発電所の事故以降、世界の主要メーカーの中で原発事業からの完全撤退を
表明したのは初めてとみられる。

 同社長は完全撤退の理由について、「脱原発というドイツ社会・政治の明確な姿勢に対する
企業としての回答」と語った。

 また、同社長は、ロシアの原発メーカー「ロスアトム」との合弁事業も行わないことを明らかに
した』(以上、Yahoo・Newsより)と。

 一方、この日本は、(実際には官僚とゼネコンは)、さらに原子力行政を推進すると表明して
いる。
つまり原子力発電所をふやす、と。

 御前崎原子力発電所(浜岡原発)も、管首相が退陣し、がぜん勢いづいてきた。
またまた「防災訓練?」なるものを始めた。
この場に及んでも、まだ原発事業に固執している。
福島第一原発の被害が具体化して現れるのは、これから。
あのチェルノブイリ事故のときは、「2〜5年後から、症状が出始め、ピークを迎えたのは10年
後」という。
今の今ですら、甲状腺ガンや白血病に苦しんでいる人は多い。

 アインシュタインを生んだドイツで、このような決断がくだされたことに驚いた。

●悪性円安

 世界の金融機関が、今、一斉にドルの確保に動き始めた(日本経済新聞・9月15日)。
内心で、今、いちばん恐れていたことが、現実に起こり始めた。
もしこれが事実とするなら、(すでに現実にそうなりつつあるが)、円安は円安でも、悪性円安の
引き金を引くことにもなりかねない。

 つまり日本政府のコントロールのきかない、悪性インフレが起こる可能性がある。
もしそうなったら、食料品価格を中心に、物価の大高騰。
円安で輸出産業が勢いづくというのは、甘い期待に過ぎない。
その前に、原材料の大高騰を招くから、元の黙阿弥。

 アメリカはそれでよいかもしれない。
ドル印刷機をフル回転させれればよい。
お金がなくなったら、回転させればよい。

ニセドル札がよく問題になる。
わかりやすく言えば、アメリカは、そのニセドル札を堂々と、印刷している。
アメリカ以外が作れば、ニセ札。
アメリカが作れば、本物?
が、そのため、世界の経済が大混乱。
現に今、世界は、そうなりつつある。

 こういうニュースを知ると、「アメリカはすごい国だなあ」と思う。
もちろん悪い意味で……。

●N證券(Nホールディングズ)

 私は日本の経済力の健全性(不安定性)を知るために、ときどき証券会社の株価をのぞく。
見かけの動きはいくらよくても、証券会社の株価は、ウソをつかない。

 それによれば、N證券(Nホールディングズ)の株価は、この1年半で、約半値になっている。
(2010年の5月に600円前後。現在303円。)
D証券も同じような割合で、さがっている。)
つまり株価も低迷してるが、株式市場そのものも、低迷している。

 ご存知の方も多いと思うが、金融機関が破産したばあい、ペイオフ制度により、1000万円
までは、保障される。
しかし外貨預金には、これは適応されない。
つまり紙くずになる。
そういう意味でも、証券会社の株価からは、目を離せない。
「あぶない!」と感じたら、サッと手を引く。
迷わず損切りをして、逃げる。
モタモタしていると、一蓮托生。
 
●9月19日

 私の9月19日は、こうして始まった。
驚きの連続。

 さて今日の予定。
巷(ちまた)は、祭日とか。
が、私には祭日はない。
いつも通りの仕事+日課。
がんばろう。
がんばります。

 そうそう昨日、山荘周辺の草刈りをした。
30〜40分程度のことだった。
朝、9時ごろ始めたが、すでにそのころ気温は30度。
おかげで熱中症に。

 このところ簡単に熱中症になってしまう。
症状は、吐き気と軽いめまい。
プラス吐き気。
すぐ水風呂に入り、頭を扇風機で冷やす。
が、あまり効果がなかった。

 そこで車の中に入り、冷房をかける。
設定温度を、22度にする。
そこで一休み。

 症状が軽くなったので、部屋に戻って、横になる。
1時間ほど、雑誌を読んだりして、時間をつぶす。
幸い、そのころ、熱中症による症状は消えた。

 夏場はいつも、朝6〜7時ごろ草刈りをしている。
が、昨日は朝寝坊。
それで9時になってしまった。

 これからは気をつけよう。
2011/09/19記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●オーストラリアにUFO現れる(オーストラリアNT・News)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/68/img611ded29zik5zj.
jpeg" width="316" height="295" alt="ufo_316.jpg">
An image from UFO spotter Alan Ferguson's page at ufoterritory.com.au
(この写真は、当日のUFOとは関係ありません。別の機会に、ノーザン・テリトリー州で撮影さ
れたものです。)

+++++++++++++++++++

オーストラリアのノーザン・テリトリー州にUFO出現!
オーストラリアの友人から、こんな新聞記事が寄せられました。

A TERRITORY man was shaken after an encounter with a UFO south of Tennant Creek.

ノーザンテリトリーの住人が、UFOに遭遇。
恐怖でおののいた。
場所は、テナント・クリークの南
(カサリーン・タイムズ紙より)

The man, who wished to be identified only as Aiden, was an hour south of Tennant Creek on 
his way to Melbourne when he noticed a bright light following him closely, the Katherine 
Times reported. 

アイデンとだけ名乗るこの男性は、テナント・クリークの南を、メルボルンに向かって走ってい
た。
そのとき明るい光が、接近して、彼を追跡しているのを知った。

Aiden said he had left Tennant Creek at about 3.30am.

アイデンは、テナント・クリークを、午前3時30分ごろ出発した。

"About an hour after I had set off I looked in my side mirror and noticed a light behind me," 
he said.

「出発してから30分ほどたったとき、私のサイドミラーに、私のうしろに光があるのを知った」と
彼は言った。

He thought nothing of it, believing it was another car - but the light got brighter.

彼はそれを何とも思わなかった。別の車が走っていると思った。が、光はどんどんと明るくなっ
た。

"I thought 'geez, they must be driving fast' as I was doing 120km/h," he said.

「私は120キロで走っていたから、何て奴ら、速く走っているんだ」と思った。

"When I looked again after a few minutes the light was really bright but it was in the bloody 
sky."

「数分後、その光は本当に明るかったが、それは何と、空中にあった」

Aiden said he started to freak out when he noticed the light was not coming from another 
car or truck.

アイデンは、その光が車やトラックのものでないことを知ったとき、恐怖を覚え始めた。

"I put the foot down a bit more," he said. "Then I looked back again and this time the light 
was huge and the most brightest light I had ever seen.

「私は足をもっと下へ踏み込んだ。それからうしろを見ると、今度は、その光は、巨大で、今ま
で見たものの中で、もっとも明るかった」

"But the strange thing is that the light had like an orange colour to it, but was white at the 
same time.

「しかしその奇妙な光るものは、オレンジ色だったが、同時に白色というような色だった」

"It was about the size of a large car and stayed with me for about 20 or 30 minutes. 

「それは車ほどの大きさがあり、私といっしょに、20〜30分間、いっしょにいた」

"I said to myself: 'no, no, no, not me, go and take someone else, I am not interested," he said.

「私は、『ノー、ノー、ノー、どこかへ行き、別のだれかを連れて行け。私には興味はない』と自
分に言った。

Expert Territory UFOlogist Alan Ferguson said it had happened many times before.
"The Aborigines called them 'min min' lights'," Mr Ferguson said.

この種の事件は、以前にもたくさん起きている。
アボリジニーズは、それらを、「ミン・ミン光」と呼んでいる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●安全論vs危険論(ラジウム温泉について)

+++++++++++++++++++++

「安全ではない」ということは「危険」という
ことになる。
が、その一方で、「危険ではない」ということは、
「安全」ということではない。

安全と危険を、同一まな板の上で、調理する
こと自体、まちがっている。

++++++++++++++++++++++

●ラジウム温泉

 少し前、まさに知らぬが仏で、ある温泉に入った。
あとで旅館の案内書を見て、背筋が凍った。
そこにはこうあった。

「……天然ラジウム温泉。県下でも有数の高い放射線量を誇っています……」と。

 道理でおかしな点はいくつか、あった。

(1)窓が密閉式で、外気を完全に遮断していたこと。
  これはラドンガスなるものを、外に逃がさないためだそうだ。
  「ガスに効果がある」ということで、多くのラジウム温泉では、ガスを浴室に閉じこめ、「吸引
法」による「療法」を勧めている。
(が、WHOは、「がんの6〜15%は、ラジウム被爆によるもの。とくに肺がんの原因になりや
すい」と警告している。)

(2)「温泉湯を飲まないでほしい」という注意書きがあったこと。
  つまり内部被爆の可能性を知っていたのではないかということ。

 で、ネットで調べてみると、「安全」と主張する温泉側。
「危険」と主張する、WHO。
世界保健機関(World Health Organization)。
その双方がまっこうから対立していることがわかった。
温泉側は、「ラジウム温泉は、がん治療に効果あり」(?)と。

 うがった見方をすれば、もともとがんの人だから、放射線風呂に入って、がんになっても、何
が原因でがんになったかわからないということになる。

●安全論

 「安全か、安全でないか」という議論が出たら、「安全でない」ととらえる。
『疑わしきは、罰する』。
子どもの健康を守るときは、とくにそうである。

 同じように、「危険か、危険でないか」という議論が出たら、「危険」ととらえる。
放射線を例にあげるまでもない。
子どもを近づけてはいけない。

●ラジウム温泉

 ラジウム温泉が危険であるかないかは、どうか、みなさん自身で調べてみてほしい。
今ではネットで検索すれば、無数の情報が瞬時に集まる。
その上で、みなさん自身で判断してほしい。
私は私なりに結論を出しているが、ここには書けない。
現在の今も、多くの温泉地は、「ラジウム温泉」を売り物にして、営業している。
が、こういうことは書ける。

 温泉側が、「安全」と宣言すること自体、危険ということ。
もしまったくのシロであれば、はじめから安全論議など、起きない。

またある温泉地では、「がんの発生率はほかの地域と同じ」と主張している。
しかしそのデータが、あとになってねつ造されていたことがわかった。
そういうこともある。
どうか、ていねいに自分で調べてみてほしい。

 で、利用する私たちとしては、風評であろうとなかろうと、危険性のあるものには近づきたくな
い。
……近づかない方が、よい。
またそれが人のもつ、常識。
「危険でないから、入浴せよ」と迫られても困る。
「安全だから、入浴せよ」と迫られても、これまた困る。

●たったの4%?

 F県の新米が、出荷され始めている。
抜き取り検査の結果、4%が、基準値を超え、出荷停止になったという。
しかしたったの4%?

 そんなはずはない。
今までの一連の流れを知っていれば、だれだってそう思う。
またこうした検査機関への不信感もある。

 それについても、ネット上では、別の情報が流されている。
すでに「産地偽装」の事実まで発覚している。
F県産のものを、他県の米とブレンドして売る……。
そんなことも、日常的になされているらしい。

 詳しくは、やはり自分で調べ、自分で判断してほしい。
それ以上のことは、ここには、書けない。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼稚園児(年中児)と手作業)

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/OaCBbq-vsp0?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【小3児に、折れ線グラフを教えてみる】

 この日は祭日でした。休んだ生徒も多かったのですが、何とか、子どもたちは理解してくれた
ようです。こうして簡単な種まきを早い時期にしておくと、どこかで折れ線グラフをみかけたと
き、脳の中で結びつきます。そういうねらいをこめて、教えてみました。ややふざけたレッスンに
なりましたが、これは折れ線グラフに好印象をもってもらうためです。

(1)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/YYujbyZ8Kds?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月21日(水曜日)台風、浜松に向かって直進中

++++++++++++++++++++++++++++

大型から、超大型に。
台風15号は、成長しながら、現在浜松に向かって直進中!
「台風15号」と言えば、あの伊勢湾台風を思い出す。
たいへんな被害をもたらした。

この浜松市にも低地は多い。
浜松へ来たころ住んでいたH町は、台風がやってくるたびに、道路が冠水した。
そのこともあって、現在の家を建てるときは、高台に土地を求めた。
今、住んでいるところが、その高台。

浸水の心配はない。
岩盤の上に建っているため、地震のときの揺れもちがう。
市内で大きく揺れても、このあたりは、ほとんど揺れない。
さらに家を建てるとき、土地を1メートルほど、盛り上げた。
道路を走る車が、家の中に飛び込んでこないようにするためだった。
こんなことを書くと、「なぜ?」と思う人がいるかもしれない。

実は、私の実家は、道路沿いの平地にあった。
そのためいつ、車が家の中に飛び込んできてもおかしくなかった。
子どものころ、私は、子どもながらにそれを不安に思ったことがある。
それで1メートルほど、盛り上げた。

が、今にして思うと、それがよかったのか、悪かったのか、よくわからない。
駐車場を広げるのにも、苦労した。(=お金がかかった。)
それに老後のことを考えると、平地のほうが楽。
車いす生活になったら、そのつど、坂を上り下りしなければならない。

……朝から、はげしい雨が降っている。
いつもの台風とは、少し様子がちがうよう。
名古屋市では、すでに多くの家が、床上浸水しているという。
この浜松でも、被害が心配される。

+++++++++++++++++++++++++++++

●小学1年生に折れ線グラフを教えてみる

 昨日、小学2年生用に作成した教材を使って、折れ線グラフを教えてみた。
文科省のカリキュラムによれば、小学4年生で教えることになっている。
しかしカリキュラムなどといったものは、神様が決めたわけではない。
子どもたち自身が神様。

 この時期に、脳みその中に種まきをしておくと、今はそれが理解できなくても、やがてわかる
ようになる。
だから「種まき」。
子どもたちは日常生活の中で、折れ線グラフを目にする。
理解する。
それが熟成されて、折れ線グラフが理解できるようになる。

 何も小学4年生まで、待つ必要はない。
が、今でも頭の固い教師は、こう言う。
「早取り教育は意味がない」と。

●早取り教育

 子どもたちの日常生活の中には、もろもろの情報がぎっしりと詰まっている。
そういう情報に対して、それが何であるかを教えるのは、早取り教育ではない。
折れ線グラフにしても、そう。
どこへ行っても、ある。
目にとまる。
銀行にも、ショッピングセンターにも。
テレビを見ていても、出てくる。
子どもたちに、それがどういうものであるかを教えるのは、早取り教育ではない。

 教育とは何かと問われれば、子どもたちに、この先、生きていくための必要な知恵と知識を
伝えていくことである。
が、頭の固い教師は、そうは考えない。
「教えるには、順番がある」と考える。

が、どうして順番なのか?
茶道や華道ならいざ知らず、型にはめるのが、教育ではない。
そう、日本人というのは、何かにつけ、「型」を大切にする。
ついで、自らその型に押し込めようとする。
たとえば高校野球にひとつ取りあげても、ピッチャーもバッターも、みな同じ。
スタイルがみな、同じ。
だから全国津々浦々、できあがってくる子どもは、金太郎飴のような子どもばかり。
……というのは、言い過ぎかもしれない。
またそこまで考えて、折れ線グラフを教えたわけではない。

 大切なことは、子どもたちが楽しんでそれを学ぶこと。
どこかで折れ線グラフを目にしたとき、(楽しい)という思いが、ドッとよみがえってくる。
そういう(心づくり)を大切にすること。
それが重要。

 そういう願いをこめて、小学1年生に、折れ線グラフを教えてみた。
が、先週のレッスン(棒グラフ)とは異なり、やや反応が鈍かった。
小学1年生には、折れ線グラフは、やや荷が重すぎたかもしれない。
次回は、教え方を、もう少し工夫してみる。

(楽天日記では、HTML情報をUPすることができないので、カットします。
もし見てくださるようであれば、BW公開教室のほうから、おいでください。
「はやし浩司」で検索。
はやし浩司のメインサイトからご覧いただけます。)

(1)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/7RrmiYMpsyA?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/KeT8iDSt3So?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【親や先生の悪口はタブー】
 心理学の世界にも、「三角関係」という言葉がある。わかりやすく言えば、父親、母親、子ども
の関係が、それぞれバラバラになった状態をいう。
 よくあるのは、母親が父親の悪口を言うケース。「お父さんの給料が少ないから、生活が苦し
いのよ」「あなたはお父さんのようにならないでね」と。 
 母親は同情を買うためにそう言うかもしれない。子どもはそのときは、それに同調するかもし
れない。が、やがて母親の指示にも、父親の指示にも従わなくなる。つまりこの時点で、家庭
教育は、崩壊する。
 同じように、園や学校の先生の悪口、批判もタブー。同調するのもタブー。子どもが先生の悪
口を言ったら、すかさず、こう言う。「それは、あなたが悪いからでしょ」と。
 先生の悪口を言ったり、批判したりすると、子どもは先生の指示に従わなくなる。
 教育というのは、信頼関係で成り立つ。その信頼関係が崩壊したら、先生とて生身の人間。
やる気をなくす。これは子どもにとっても、たいへん不幸なことと考えてよい。 
 なお先生に問題があるときには、子どもとは関係のない世界で、おとなどうしで解決する。
 たがいに高い次元で、尊敬しあう。それを平等という。「あなたのお父さんはすばらしい人よ」
「あなたの先生はすばらしい人よ」を、口ぐせにする。



【逃げ場を大切に】
 どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。子どもも、またしかり。子どもは、その
逃げ場に逃げ込むことによって、身の安全をはかり、心をいやす。たいていは自分の部屋
ということになる。
 その逃げ場を荒らすようになると、子どもの心は、一挙に不安定になる。だから子どもが逃
げ場に入ったら、その逃げ場を荒らすようなことはしてはいけない。追いつめ、叱ったり説教し
たりしてはいけない。それが日常化すると、「家出」ということにもなりかねない。
 ある子どもは、トイレや公園の電話ボックスに逃げていた。犬小屋の中に逃げていた子ども
もいた。
 同じように、子どもとて、1人の「人格者」。中には子どもの机の中まで調べる親がいる。それ
がいかに不愉快なものであるかは、逆の立場で考えてみればわかるはず。
 …というような話を、ある会場でしたら、「親子の間で秘密は作らない方がいい」と言った母親
がいた。が、個人の尊厳と秘密は、区別する。守るべきは個人の尊厳。さらに言えば、信頼関
係。相手の秘密が気になるようであれば、すでにたがいの信頼関係は、危機的状態とみる。
友人や夫婦の関係も同じ。
 子どもが逃げ場に入ったら、そっとしておく。しばらくすると、子どもは心をとりなおし、そこか
ら出てくる。



【赤ちゃん返りに注意】
 年長6歳児にぬいぐるみを見せると、「かわいい」と言って、やさしそうな表情を見せる子ども
が、約80%。しかし残りの20%は、ほとんど反応を示さないか、中には、キックしてくる子ども
もいる。
 一般的に豊かな愛情に包まれて育った子どもは、心が穏やかで、やさしくなる。そうでなけれ
ば、そうでない。とくに気をつけたいのが、嫉妬。
 たとえば下の子どもが生まれたりすると、ばあいによっては、上の子どもがはげしく嫉妬する
ことがある。その嫉妬が心をゆがめる。「赤ちゃん返り」という現象も、それによって生まれる。
 ネチネチと赤ちゃんぽくなるタイプと、下の子に攻撃的な暴力を繰り返すタイプがある。「突
然、下の子が生まれた」という状況にすると、そうなりやすい。親は「平等にかわいがっていま
す」と言うが、下の子にしてみれば、それまでの愛情が半分に減らされたことが不満。
 なお赤ちゃん返りは、本能的な部分で原発的に起きる現象なため、叱ったり、説教したりして
も、意味はない。症状がひどいようであれば、もう一度、100%の上の子に愛情を注ぎなおし
てみる。「求めてきたときが与えどき」と心得る。「あとでね…」「今、忙しいの」は、禁句。すかさ
ずぐいと抱いてやる。それだけで子どもは落ち着く。



【国語力は母親が決める】
 子どもの国語力は、母親の会話力によって決まる。たとえば幼稚園バスがやってきたとき、
母親が「ほらほら、バス。ハンカチ? 帽子? 急いで」というような言い方をしていて、どうして
子どもに、国語力が育つというのか。そういうときは、めんどうでも、「バスがきます。あなたは
急いで、外に行きます。ハンカチをもっていますか。帽子をかぶっていますか」と話す。
 あるいは夕日を見ても、「すてきね」「すばらしいわ」「美しいわね」と、いろいろな言い方で表
現してみせる。みせるだけでは足りない。実際、子どもに使わせてみる。
 相手が乳幼児でも、幼稚発音、幼児語(たとえば自動車を「ブーブー」)を使う必要はない。
 また世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、この日本。「口をしっかりと動か
し」「息をたくさん吐き」「あいまいな音を避ける」。もちろん正しい発音で!
 最近では、「メリー・クリスマス」と言うときでも、鼻から「メリー・クリスモ〜ス」という話し方をす
る女性がいる。流行語、あるいは流行的な言い方というのは、その時代のアワのようなもの。
使うとしても、心のどこかで一線を引く。
 国語力は、ほかの科目のでき・ふできにも、大きな影響を与える。小学3年生レベルで、算数
の応用問題が読み切れない子どもは、30%はいる。



【崩壊する、家族意識】
 「将来親のめんどうをみる」と考えている若者は、30%もいない。同時に親のようになりたくな
いと考えている中高校生は、60%もいる(内閣府)。
 もし今、あなたが「私はだいじょうぶ。私たち親子の絆は絶対」と思っているなら、それは幻
想。今、親に感謝しながら、高校や大学へ通っている子どもは、ゼロ。これを私は、「家族崩
壊」という。
 もっとも欧米社会では、家族崩壊は、常態化している。「家族」というときは、そこには祖父母
の姿は、ない。それを前提として、その分、介護制度も完備している。が、この日本では、そう
でない。意識だけが欧米化し、制度がそれに追いついていない。その結果が、孤独死、無縁死
ということになる。
 日本の公的教育支出費は、世界でも最低(OECD)。その分、親の負担が大きいということ。
『子ども大学生、親、貧乏盛り』ともいう。退職時に貯金ゼロという家庭が、50%もある(F投信
調査)。が、親は爪に灯ををともすようにして、子どもの学費を送りつづける。
 が、子どもがやっと社会人になったと思ったら、ドカッとそこに待っているのは、老後。だから
私はこう言う。
 「親として、必要なことはしなさい。しかし限度をしっかりとわきまえなさい。余裕があったら、
自分の老後を先に考えなさい」と。



【子どもを伸ばす三種の神器】
 ウソ、悪口、盗み。この3つを子どもを伸ばす3種の神器という。
 それを奨励せよというわけではないが、それができないほどまでに、子どもを抑え込んでしま
っていけない。子どもはこれら3つを通して、おとなを操ることを覚え、おとなのもつ優位性を打
破する。自立期(幼児期後期・4〜6歳)の重要なテーマと考える(エリクソン)。
 まず、ウソ。代表的なものにウソ寝、ウソ泣きがある。2歳ごろから始まる。
 つぎに悪口。親に向かって「クソババア」と言ったりする。
私に向かっても、「ジジイ」とか言ったりする。そこで私のばあい、つぎのように指導する。
私「もっと悪い言葉を教えてやろうか。でも使ってはだめ」
子「教えて、使わないから」
私「…ビダンシ(美男子)…」
子「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについては、「欲望」と深くからんでいる。慎重な指導が必要。子どものばあい、金銭欲
は、年長から小学2年生くらいまでの間に完成する。幼児のころは、100円の菓子で満足して
いた子どもでも、小学生になると1000円、中学生になると1万円……とエスカレートしやすい。
 親は軽い気持ちで、100円のものを買い与えるが、そによって子どもは、「お金によって欲望
を満足させる」ことを覚える。それが盗みにつながる。



【抑圧が作る、心の別室】
 Aさん夫婦は、ともに75歳。が、夫婦げんかになると、40年前、50年前の話を持ち出す。
「あのとき、お前はア!」「あなただってエ!」と。
 強い不平や不満があると、人は心の別室を作り、それをそこへ押し込む。こうした現象を心
理学の世界では『抑圧』という言葉を使って説明する。この抑圧には、時効が効かない。40年
でも、50年でも、心の別室にそのまま残る。
 またワープロの世界でいう、上書きも効かない。そのあといくら楽しい思い出があったとして
も、心の別室にあるため、そのまま残る。残って、時折、顔を出す。「こんなオレにしたのは、テ
メエだア!」と。
 子どもの世界では、心の別室を作らせない。そのつど、不平や不満を吐き出させる。またそ
れが自然な形でできる子どもを、素直な子どもという。
 が、一度作ると、子どもは仮面をかぶるようになる。いい子ぶるようになる。見た目には、従
順で穏やか。しかしその裏で、不平や不満をためこむ。が、そのままですむことはない。先にも
書いたように、折りにつけ爆発する。ふつうの爆発ではない。錯乱状態になる。
 で、もしあなたが、「うちの子は何を考えているかわからない」「話しかけるのもこわい」と感じ
ているようなら、一度、育児姿勢が強圧的、威圧的になっていないか、反省してみる。



【親子の絆(きずな)論】
 イギリスでは、『釣りザオを買ってやるより、いっしょに釣りに行け』と教える。子どもの心をつ
かみたかったら、「モノより思い出というわけである。
 が、この日本では、「より高価なものを買って与えれば、それだけ子どもは喜ぶはず。親子の
絆も太くなるはず」と考える傾向がある。しかしこれは幻想。むしろ逆効果。子どもはかえってド
ラ息子、ドラ娘化する。
 自分勝手で、わがまま。自分のことしかしない。享楽的で、忍耐力もない。思い通りにならな
いと気がすまない。根気もつづかない。
 そもそも物欲は、中毒化しやすい。わかりやすく言えば、アルコール中毒、ニコチン中毒と同
じ。それがほしいから求めるのではなく、(得た)という満足感を得るために、求める。そうなる
と、いくら買い与えても、キリがない…という状態になる。
 さらに言えば、親子の絆を深めるのは、「苦労」ということになる。ともに苦労をしたという思い
が、絆を深める。そのためにも、「いっしょに釣りに行け」となる。ためしにこんなテストをしてみ
てほしい。
 あなたの子どもの目の前で、重い荷物を苦しそうに運んで見せてみる。そのとき、「お母さ
ん、もってあげる!」と言って助けにくればよし。そうでなければ、親子の絆はかなり細い…とみ
る。



【マシュマロ・テスト】
 2〜4歳児といえば、幼児期前期。「自律期」(エリクソン)に相当する。
 その4歳児を対称に、1960年代、スタンフォード大学で興味ある実験がなされた。それがマ
シュマロ・テストである。試験官が、こう指示する。
 「テーブルの上にマシュマロが1個ある。食べたい人は、食べていい。でも、おじちゃんが帰っ
てくるまでがまんできた人には、マシュマロを2個あげる」と。
 このテストでは、マシュマロを食べた子どもと、がまんして2個手にした子どもの2つのグルー
プにはっきり分かれた。
 で、このテストの興味深いところは、その後、長い年月をかけて追跡調査がなされたという点
にある。
 がまんしてマシュマロを2個手にした子どもは、その後、SAT(大学入試検定試験)でも、20
0点以上の差をつけ、社会人になってからも、責任ある地位で責任ある仕事をするようになっ
たという(ゴールドマン)。
 子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。マシュマロを食べないでがま
んできた子どもには、その忍耐力(情動の自己規制力)が備わっていたということになる。その
ためにはどうするか。
 子どもは使う。家事の緊張感の中に巻き込む。自律期の最大のテーマということになる。



【アルバム&名前を大切に】
 おとなは過去をなつかしんで、アルバムを見る。しかし子どもは、自分の未来を見るため
に、アルバムを見る。が、それだけではない。アルバムには、心をいやす作用がある。ある子
ども(小学生)は、何かいやなことや、つらいことがあると、いつもアルバムを開いて見ていた。
それもそのはず。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、いない。つまりアルバム
には、楽しい思い出がぎっしりと詰まっている。
 そんなわけで、親子の絆(きずな)を太くするためにも、アルバムを、部屋の中央に置いておく
とよい。
 ついでに、名前。子どもの名前は大切にする。「あなたの名前は、すばらしい」「いい名前だ」
と、ことあるごとに言う。子どもは、自分の名前を大切にすることをとおして、自尊心を学ぶ。そ
してその自尊心が、何かのことでつまずいたようなとき、子どもの進路を、自動修正する。
 たとえば子どもの名前が、新聞や雑誌に載ったようなときは、それを切り抜いて、高いところ
に張ったりする。そういう親の姿勢を見て、子どもは、名前のもつ意味を知る。
 心理学の世界では、これを「自己評価力」という。「私はすばらしい」「できる」と信じている子
どもには、プラスの力(強化の原理)が働き、ますます前向きに伸びていく。



【子どもの体で考える】
 体重10キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重50キロのおとなが、5
本、飲む量に等しい。体重20キロの子どもがソフトクリーム1個食べることは、体重60キロの
おとなが、3個、食べる量に等しい。そんな量を子どもに与えておきながら、「どうしてうちの子
は、小食なのかしら」は、ない。子どもに与える量は、子どもの体で考える。
 とくに注意したいのが、白砂糖。「砂糖は白い麻薬」ともいう。砂糖を多量に摂取すると、イン
シュリンが分泌される。血糖値がさがったあとも、さらにインシュリンは、血中に残り、血糖値を
さげる。結果として、子どもは低血糖になり、低血糖児特有の症状(イライラしたり、カッとキレ
やすくなったりする)が現れる。脳の抑制命令が変調するためと考えられている。
 さらに最近の研究によれば、「砂糖断ち」をすると、麻薬に似た禁断症状が現れることもわか
ってきた(アメリカの国立薬物乱用研究所、N・D・ボルコフ)。使うとしても、精製されていない
黒砂糖を使うとよい。
 なお子どもの小食は、母親の買い物習慣を改めないと直らない。しばらくは母親も注意して
減らすが、それが過ぎるとまた以前の買い物習慣が顔を出す。



【ペルソナとシャドー】
 だれしも何かの仮面(ペルソナ)をかぶる。ビジネスのときは、とくにそうだ。それはそれでし
かたのないこと。大切なことは、それを仮面と意識し、家に帰ったら、それを脱ぐこと。
それを忘れると、本当の自分がどれなのか、それがわからなくなる。
 で、中に、すごく人間味あふれる親を演ずる人がいる。やさしく穏やかで、話し方も温かい。
「私、ひとり住まいの老人を見ると、放っておけなくて…」と言っては、ボランティア活動の自慢
話を始める。
 が、他人はだませても、自分の子どもはだませない。子どもはうしろから、いつも親を見る。
そして親が隠している、邪悪なシャドー(影)を、そのまま引き継いでしまう(ユング)。
 こうしてすばらしい親(?)から、信じられないほど、邪悪な子どもが生まれる。欧米では、牧
師による性犯罪が話題にならない日がない。牧師の子どもほど、非行に走りやすいとよく言わ
れる。では、どうするか。
 子どもがそこにいても、いなくても、ルールを守る。ウソはつかない。この2つだけをかたくな
に守る。それが10年、20年とつづいたとき、その人の人格になる。またそれを見て、子どもは
親を評価するようになる。「私の母は、すばらしい人だった」と。もちろんあなたの子どもも、す
ばらしい子どもになる。



【心の持病】
 若いときは、何かの持病があっても、それを気力でカバーすることができる。が、歳を取る
と、それがドッと表に出てくる。
 同じように、邪悪な「私」も、歳を取ると、それがドッと表に出てくる。いわゆる「地」が出てく
る。これがこわい。
 それがよいものであれば、それでよし。そうでなければ、結局はあなた自身が、みなから見放
される。
 そこで釈迦は「精進」という言葉を使った。たゆみない努力こそが重要、と。それは健康論に
似ている。
 究極の健康法というのはない。1週間もだらければ、その時点から健康は下り坂に向かう。
同じように、究極の境地というのはない。1週間もだらければ、その時点から精神は下り坂に
向かう。
 さらに人も40歳を過ぎると、脳みその底に穴があいたような状態になる。知識や知恵、経験
は容赦なく、そこからこぼれ出て行く。ではどうするか。
 日々に、親は親として、自分を磨く。こぼれ出る以上のものを、補給していく。つまり日々に鍛
錬、あるのみ。
 もしあなたが、妬みやすい、いじけやすい、ひがみやすい、意地悪、ウソつき…ということであ
れば、日々にそれと闘う。あなたの子どもは、それを見て、すばらしい子どもになる。『子は親
の背中を見て育つ』というのは、そういう意味。



【タイタニック・シンドローム】
 恋愛こそ、すべて。人生の一大事。恋愛したとたん、何か大偉業でも成し遂げたかのように
錯覚する。これを「タイタニック・シンドローム」、つまり恋愛至上主義という。
 今や、結婚についても、親に相談したり、親の許可を求める若者は、まずいない。ある日突
然、相手を連れてきて、「結婚します」と。
 まさに問答無用。が、その程度の恋愛なら、そこらのイヌやネコでもしている。恋愛も、脳内
ホルモンの作用によって起こることがわかっている。フェニルエチルアミンというホルモンであ
る。賞味期限は、せいぜい3〜4年。そのせいか、離婚率もウナギ登り。平成19年度に結婚し
た人の数が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人(厚労省)。単純に25万人
を72万人で割ってみると、離婚率は、35・4%!
 が、タイタニック・シンドロームも、つまるところ、ドラ娘・ドラ息子症候群のひとつと考えてよ
い。欲望の趣くまま行動し、理性によるブレーキがきかない。日本の若者…というより、日本人
は、飽食とぜいたくの中で自分を見失ってしまった。よい年齢のオバチャンたちが、韓流スター
を追いかけ回したりする。そういうことをしながら、みじんも恥じない。
 恋愛至上主義は、亡国への第一歩。強く警戒したい。



【同一性の確立】
 「こうありたい」という自己像。が、そこには現実の自分がいる。この両者が一致した状態を、
「同一性の確立」という。思春期最大のテーマである(エリクソン)。
 同一性の確立した子どもは、ものの考え方が前向き、かつ積極的。非行に対しても強い抵抗
力を示す。そうでなければ、そうでない。
 が、これは何も子どもだけの問題ではない。退職後の私たちの問題でもある。
 よく誤解されるが、庭いじりと孫の世話。それはけっして老後の理想の姿ではない。退職後で
あっても、道なき人生を歩む苦しみに、変わりはない。そこで私たちは、(すべきこと)を発見
し、そこに自分を統合させていく。これを「統合性の確立」という。
 が、(すべきこと)を発見するのは、むずかしい。それこそ20年単位の準備期間が必要であ
る。そこでエリクソンは、遅くとも人生の正午と言われる40歳ごろから、その準備をせよと教え
る。
 で、子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない中学生がふ
えている。「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子
35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、04年)。これでは同一性の確立など、望むべくもな
い。



【子どもの人格と完成度】(1)
 今、思春期の子どもの心の中では、猛烈な「生的エネルギー」(ユング)が、わき起こってい
る。
 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発信源
ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。その視床下部からの命令を受けて、ドーパミ
ンという脳間伝達物質が放出される。
 このドーパミンが、脳の中の線条体というところを刺激すると、猛烈な(欲望)となって、その
子ども(人)を支配する。ふつうの反応ではない。そうした欲望をコントロールするのが、大脳の
前頭前野(理性の中枢部)ということになる。が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するの
はむずかしい」(N・D・ボルコフ)。
 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。性欲のほか、食欲、生存欲、物欲、支配欲に
始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。わかりやすく言えば、脳の中で、どのよう
な受容体が形成されるかによって決まる。たとえばアルコール中毒患者やニコチン中毒患者
は、それぞれ別の受容体が形成されることがわかっている。
 では、どうするか? そこでEQ論の登場ということになる。「情動の知能指数」と訳されている
が、わかりやすく言えば、「人格の完成度」。(つづく)



【子どもの人格と完成度】(2)
 EQ論では、つぎの3つを重要視する(P.サロベイ)。
(1) 自己管理能力
(2) 良好な対人関係
(3) 他者との良好な共感性
 その中でもとくに重要なのが、自己管理能力。その自己管理能力は、どこまで(1)自分で考
え、(2)自分で行動し、(3)自分で責任を取るかによって決まる。
 親の過干渉、過関心が度を越せば、子どもは自分で考えられなくなる。非常識な行動をす
る。
 親の過保護が度を越せば、自分で行動できなくなる。いわゆる「温室育ち」になる。
 また親の溺愛が度を越せば、依存性、服従性が強くなり、その分だけ、行動に責任を取らな
くなる。
(A)小遣いを手にしたとき、将来の自分の夢を達成するために、それを貯金に回す。あるいは
ささいなことでもルールを守り、約束を守る。疲れていても、家事の手伝いなど、やるべきこと
は、きちんとやる。
(B)小遣いを手にしても、そのときどきに欲しいものがあると、使ってしまう。家庭の中でもルー
ルなど、あってないようなもの。約束を守るということは、まずない。「疲れている」「やりたくな
い」という言葉をよく使い、家事を手伝わない。
 (A)のようであれば、あなたは自分の子どもを、「すばらしい子ども」と自信をもってよい。



【許して、忘れる】
 親の愛にも3種類、ある。まず本能的な愛。親は子どもがかわいいしぐさをして見せると、い
たたまれない気持ちになる。
 つぎに代償的愛。子どもを自分の支配下の置き、自分の思い通りにしたいと願う。一見、愛
だが、愛ではない。よい例が子どもの受験競争に奔走する親。
 3つ目が、真の愛。その真の愛の深さは、どこまで子どもを許して忘れるかで、決まる。英語
では、『for・give & for・get 』という。
 この単語をよく見ると、「与えるために、許し、得るために忘れる」とも訳せる。(forgive= 許
す、 forget=忘れる。「フォ・ギブは、与えるため」、「フォ・ゲッは、得るため」とも訳せる。)
子どもに愛を与えるために、親は許し、子どもから愛を得るために、親は忘れるということにな
る。
 子育てをしていて、袋小路に入り、行きづまりを覚えたら、この言葉を思い出してほしい。心
が軽くなるはずである。
 ただし一言。「許して、忘れる」は、相手に対してはできる。しかし自分に対しては、できない。
たとえば親バカ。必要以上のことをしてしまい、子どもがドラ息子、ドラ娘になったとき、親は、
深い悔恨の念に襲われる。
そういうとき、親は、自分を許し、忘れることはできない。悶々とした罪の意識を背負って生き
る。そのためにも、親自身も、日々に努力し、賢くなる。



【袋小路の3原則】
 ときとして親は、袋小路に入る。そういうときの3原則。
(1)子どもの横を歩く
 親には、三つの役目がある。ガイドとして、前を歩く。プロテクター(保護者)として、うしろを歩
く。そして友として、子どもの横を歩く。
(2)ほどよい親である
 やりすぎない。子どもが求めてきたら、与えどきと考えて、そのときは、ていねいに答えてや
る。昔から『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。
 いつも、「子どもがそれを求めているか」ということを、自分に問いかけながら、子どもに対処
するとよい。手のかけすぎ、サービス過剰は、かえって、子ども自身が自ら伸びていく芽をつん
でしまうことになる。
(3)暖かい無視
 親の過剰期待、過関心、過干渉ほど、子どもの負担になるものはない。「まあ、うちの子は、
こんなもの。親が親だから…」という割りきりが、子どもを伸ばす。
 親は、いつも子どもから一歩退いた位置で、子どもを見守る。野生動物保護団体には、『暖
かい無視』という言葉がある。その言葉は、そのまま、子育てにも当てはまる。
 ちょっと心配のしすぎかな? 手のかけすぎかな? と、感じたら、心のどこかで、暖かい無
視を思い浮かべる。子どもを暖かい愛情で包みながら、無視する。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Why is "The Japan Sea " "The East Sea"? (なぜ「日本海」が「東海」なのか?)

【坊主憎ければ、袈裟まで憎い】(South Korea now plays a nasty trick on Britain to annoy 
them on the Falkland Islands.

South Korean Government now tries to insist to alter the name of "The Falkland Island" 
into "The Marubinasu Island", since the British Government has denied to alter the name of 
"The Japan Sea" into "The East Sea" as South Korean wants to be so.
This is a kind of revenge against the British Government.
But why?
We say that those who hate priests hate even their robes, as a Japanese proverb says.

Then South Korea now plays a nasty trick on Britain to annoy them on the Falkland Islands.
Before all why is the sea "The East Sea"?
The Japan Sea situates in the north of Japan or north-west of Japan?
Never to the east of Japan.
There would be hundreds of "East Seas", if what South Koreans insist is correct, or 
Mexico Gulf would be "The South Sea" of the USA.

●ここまで、やるか、韓国!

++++++++++++++++++

イギリス政府は、「日本海は日本海のままでいく」と表明した。
それに対して、韓国中央日報誌(反日姿勢でよく知られる韓国の有力紙)は、
「イギリスは、日本に肩入れしすぎ」と題して、以下のような記事を掲載した。
つまりその「報復措置として、イギリスが『フォークランド海(島)』と表記している海を、『マルビ
ナス海(島)』と表記する」と。
しかしこの呼称を認めることは、事実上、フォークランド島をアルゼンチンの領土と認めること
に等しい。

つまり「イギリスが、日本海を、『Japan sea(日本海)』と呼ぶなら、その報復措置として、フォ
ークランド海(イギリス名)を、『マルビナス海』と呼ぶ」と。

 韓国とアルゼンチンの関係は知らないが、イギリスを怒らせてまで、アルゼンチンを守らなけ
ればならない立場でもないはず。

もしそうなら、メキシコ湾を、アメリカ湾に改名すればよい。
アメリカの南にあるから、「南海」でも構わない。

なぜ「東海」なのか?
どこの国に対して、「東」なのか?
韓国は最終的には、日本海を韓国海にする。
そう疑われても、反論できないだろう。
自己中心性もここまでくると、「自己愛」ということになる。
つまり自意識過剰!

+++++++++++以下、中央日報紙からの抜粋+++++++++++

韓国政府が南米のアルゼンチンから東に480キロメートル離れた英領フォークランド諸島に
近いフォークランド海を、アルゼンチン側呼称の「マルビナス海」と併記する方策を推進してい
る。
韓国政府当局者は19日、「これまでフォークランドが英国領であることを考慮して韓国の地図
にはフォークランド海と表記してきた。
しかし英国とアルゼンチン間の領有権紛争が終結しておらず、加速化しているという点を考え
マルビナス海を併記することを積極的に検討中だ」と話した。 

韓国政府のこの方針は、フォークランドが紛争地域という側面のほかに、国際水路機関(IH
O)の「大洋と海の境界」冊子での「東海(トンヘ、日本名・日本海)」、「East Sea」表記問題と
関連した英国の反対立場のためという。
世界の海洋名称を定める準拠として活用されるこの冊子は、現在、東海を「日本海(Sea of 
Japan)」と表記しており、政府は来年4月のIHO総会を控え東海と日本海の併記を推進中
だ。 

++++++++++以上、中央日報紙からの抜粋+++++++++++

●韓国の論理

 韓国の論理は、単純明快。
「日本海を、日本海と呼ぶなら、フォークランド海(イギリス名)を、マルビナス海(アルゼンチン
名)で呼ぶ」と。
記事では「併記」となっているが、韓国は、最初から「併記」なぞ、望んでいない。
「日本海」を「東海」へ、「改名」させるため、そのつど前回各国へ特使を派遣している。
(特使だぞ!)
 
 しかしこのやり方が、実に姑息!

●日本よ、いい子ぶるのはやめよう!

 今、日本は、韓国のウォンを、円高にもの言わせて買いまくることもできる。
韓国の輸出産業を叩きつぶすことができる。
が、日本は、それをしない。
「先進国としてのプライドと責任があるから」(政府筋)と。

 事実、一国だけの通貨をねらいうちにし、売買することは、先進国として、やってはいけない
ことになっているらしい。
タブーとは言わないが、先進国には先進国としての責任がある。
それはわかる。
しかし相手の韓国は、それを隠れ蓑に、したい放題。
堂々と政府が介入し、ウォン安政策をつづけている。
日本をねらいうちにし、円を円高に誘導している。

 日本ももうそろそろいい子ぶるのを、やめよう。
相手が特使を派遣するなら、日本も特使を派遣すればよい。
「どうして『東海(East Sea)』なのか」と。

 数年前には、それが無理と判断したためか、「平和海(Peace Sea)」にしようとした動きも
あった。
が、再び、「東海」。
今度は、「併記」と。

 韓国はやがて日本海を、なし崩し的に「東海」にするはず。
さらに「韓国海」にするはず。
少しずつ既成事実を積み重ね、事実をねじ曲げていく。
今の竹島を見れば、それがわかるはず。

●自己矛盾

 韓国の今回の主張は、自己矛盾もはなはだしい。
フォークランド海が、フォークランド海であっても、韓国は何も困らないはず。
イギリスにしても、そうだ。
日本海が日本海であっても、何も困らない。
それを知りつつ、横やりを入れる。
合理的な理由はない。
「日本」という名前が気に入らないのだ。

(ただしフォークランド島とアルゼンチンの間の海域は、「マゼラン海峡」と呼ぶ。
「フォークランド海」というのは、私が地図で調べたかぎり、存在しない。)

 もしこんな論理がまかり通るなら、「東海(East Sea)」という名前は、世界中で何十も生ま
れるだろう。
またフォークランド島(海ではない)は、アルゼンチンの東方にある。
だったら、なぜ韓国は「東島(East Island)」にすると、主張しないのか?
アルゼンチン名で、「マルビナス海」と呼ぶことは、当然、つぎに「マルビナス島」と呼ぶことを目
的とする。
つまりイギリスの領土であることを、否定するに等しい。

 が、韓国は、ここまでやる!
またそういう国である!
イギリスは、そこまで知っているのか?
……ということで、この原稿は、英文にし、イギリスのWebsiteに投稿することにした。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 フォークランド島 マルビナス島 
東海 日本海)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

K子様へ

拝啓

 長い電話をし、すみませんでした。
久しぶりのことで、楽しかったです。
お元気そうで、たいへんうれしかったです。
いろいろ勉強になりました。
同時に、いろいろ考えさせられました。
ありがとうございました。

順に、自分の考えをまとめてみたいと思っています。

●信仰について

 信仰は、基本的には、人、それぞれです。
それを大切に思う人もいれば、そうでない人もいます。
宗教や宗派によっても、考え方もちがうでしょう。
大切なことは、それぞれの人の考え方を尊重するということではないでしょうか。

 自分が「する」からといって、しない人を、非難するのは許されません。
反対に「しない」からといって、する人を、非難するのは許されません。
たがいに、そっとしておいてやる。
それが「信仰」と、私は考えています。

●伝統的儀式について

 「伝統」を背中に背負っている人は、強いです。
たとえば盆の墓参りにしても、「昔から、みな、そうしている」と言えば、すべてが正当化されま
す。
言うなれば、水戸黄門の葵三つ葉の紋章のようなものです。
それを高くかかげ、「控えおろう」と。

 しかしそれほど楽な生き方はありません。
あとからまたそれについて書くことになりますが、自分では何も考えなくてすむからです。
昔からの(?)、言い伝えだけを、守ればよい。
世間的にも(?)、人との摩擦を避けることができます。

 しかし今、その伝統が、大きく崩れ始めているのも事実です。
都会地域では、直葬といって、病院で死んだあと、葬儀をしないまま火葬するというケースがふ
えています。
全体の30%ほどと聞いています。
またこのあたりでも、墓をもたないで、散骨という方法を選ぶ人もふえてきました。

 浜松市の郊外でも、このところ無住の寺が増えてきました。
さらにこれは長野県の友人(北信)に聞いた話ですが、無縁仏が増え、寺ごとにそうした遺骨を
集めた納骨堂を建てているということです。
この傾向は、ここ浜松市でも見られます。

 要するに、人、それぞれ、ですね。
それぞれがそれぞれの生き方を選び、死に方を選ぶ。
大切なことは、先にも書いたように、それぞれの人の生き方、死に方を、そっと見守るというこ
とです。

 「私が正しい」と思うのは、その人の勝手ですが、返す刀で、「あなたはまちがっている」と切り
返すのは、許されません。
それこそ、傲慢というものです。

●肉親関係

 Kさんも、いろいろ問題をかかえておられることは、よくわかりました。
しかしどの家族も、似たような問題をかかえています。
いろいろな話を聞いていますが、Kさんの家族のケースは、その中でも「軽い」(失礼!)ほうで
はないでしょうか。

 深刻なケースとなると、まさに想像を絶するといったふうです。
最近でも、玄関先で兄弟同士が怒鳴りあったという話も聞いています。
この世界、まさに何でもござれ!
で、それなりの人たちとは、それなりのつきあい方をする。
他人でも、身内でも、です。
一定の距離を置く。
それでよいのではないでしょうか。

 ただ人も、60歳を過ぎると、(50歳でもよいのですが……)、仮面(ペルソナ)をかぶってつき
あうのも、疲れます。
つまりいい人ぶるのは、疲れます。
私のばあいは、こうしてものを書くのが仕事ですから、一言でもその人を悪く書いたり、批判し
たばあいは、以後、交際を絶つようにしています。
一方で悪く書きながら、一方で笑顔で話すなどということは、私には、できません。
またそういうことを繰り返していると、脳みそがバラバラになってしまいます。

 あとは、ありのまま生きる。
今さら身を飾っても、意味はありません。

●生き様

 ある人の手記を読みました。
アメリカ人の青年が書いた手記です。
その青年は、20代でHIV(エイズ)を発症。
余命、半年余りと宣告されました。

 その青年は、こう書いています。
「無駄な人と、無駄な交際はしたくない。時間を無駄にしたくない」と。

 20代の青年がそう書いたことに驚きました。
しかしこの話は、何も、20代の青年だけの話ではありません。
私たちだって、すでに「死の宣告」を受けているわけです。

 私も平均余命まで、16年を切りました。
今のところ、とくに大きな病気はありませんが、一般論から言えば、平均余命から10年を引い
た年齢が、健康寿命ということになります。
最後の10年は、病魔と闘いながら、徐々に死に向かっていく……。

 私は今、無駄に時間を過ごすことに、たいへん神経質になっています。
つまらないことで、半日もつぶしたりすると、「しまった!」と思うことが、よくあります。

●ゆがんだ心

 電話で「ゆがんだ心」について話しました。
心も、顔と同じように、生き様によって、ゆがんできます。
生き様が醜いと、心もゆがんでくるということです。
で、ここが恐いところですが、一度ゆがんだ心は、もとには戻らないということ。
青年期までにゆがむと、その状態は、生涯にわたって、つづきます。
「改心」という言葉もありますが、それは昔の時代劇の話です。
脳の中に、一度できた思考回路を変えることは、簡単なことではありません。
学者ぽい人は、一生、学者ぽい。
ヤクザぽい人は、一生、ヤクザぽい。

 「ゆがむ」ということは、ものの考え方が、悪魔的になったりすることをいいます。
人を恨んだり、妬(ねた)んだり、しやすくなります。
ウソをウソと思わなくなるのも、そのひとつです。
自分の欲望を満足させるために、平気で人を傷つけたり、だましたりします。

 以前、こんな女性(80歳くらい)の話を聞きました。
何でもその女性は、朝早く、散歩にでかけては、近所の植木鉢を持ち帰ってしまうというので
す。
私はこの話を聞いたときには、少なからず、混乱しました。
(盗むという行為)と、(美しい花を楽しむ)という行為は、完全に矛盾するからです。
私には……という言い方は避けたいですが、盗んできた花を楽しむということは、私にはとても
できません。
花を見るたびに、いやな気分になるでしょう。

 が、心がゆがんでいる人は、それが平気でできます。

●絶縁

 私もこの10年のうちに、何人かの人と絶縁しました。
それまで何十年も交際してきた人も、含まれています。
たとえば、B氏。

 B氏は、他人の不幸をのぞいては、平気でそれを酒の肴にするような人です。
私の母が、倒れたときもそうです。
妹氏を連れて、見舞いにやってきたそうです。
もちろん心配して見舞いに来たのではなく、ただの見物です。
つまり野次馬。

 それがそうであるかないかは、その人自身の生き様を見ればわかります。
「一貫性」の問題です。
生き様には、よい意味においても、悪い意味においても、一貫性があります。
母にしても、見舞いになど来てほしくなかったのでは、ないでしょうか。
見舞いに行くなら行くで、一度、相手の気持ちを確かめてから行く。
私はそれが常識と考えています。

 中には、(よほど親しい人は別として)、自分の無様(ぶざま)な様子を見せたくない人もいま
す。
反対に私やあなた自身が、そういう状態になったときのことを考えてみれば、よくわかるはずで
す。

 無頓着というより、失敬。
失敬というより、あまりにも人道をはずれている。

 が、B氏は、そのあとさらに、事情も知らず、イヤミまで言ってきました。
自分では、ご存知のように、介護の「か」の字も経験したことがない。
父親が倒れて入院したときも、最期まで一度も見舞いに行かなかった。
そういうB氏が、年長風を吹かし、私にイヤミまで言う。

 その瞬間、私とB氏との関係は、切れました。

●人を選ぶ
 
 話が脱線しましたが、50歳を過ぎたら、人を選ぶ。
60歳を過ぎたら、さらに、人を選ぶ。
世界の賢人たちも、異口同音に、こう言っています。
「老後は、少数の人たちと、濃密な関係をもつのがよい」と。

 この考え方は、先に書いたアメリカ人の青年の考え方と共通しています。
本当に心のわかり合える人と、心を通わせて生きる。
反対に言うと、表面的な部分だけで、キツネとタヌキの化かし合いを繰り返す。
私はそれこそ、時間の無駄と考えます。
もちろん私たちは同時に社会的動物ですから、生きていくためには、表面的なつきあいをしな
ければならないときもあります。

 たとえばこれから私は、ある農家の友人を訪ねることになっています。
頼んでおいた、お茶ができたという連絡を受けたからです。

(今では、お茶も安心して飲めません。
それでその友人に、お茶を頼んでおきました。
その友人が作ったお茶なら、飲めるからです。)
そういう交際まで、無駄と言っているのではありません。

 さわやかに交際し、さわやかに生きる。
それもときには、大切なことですね。

●浅瀬にあだ波

 ただ注意してほしいことがあります。
昔から、『浅瀬にあだ波』と言います。
「思慮の浅い人ほどよくしゃべり、あれこれとうるさく騒ぎ立てるということ。
川の浅瀬には、さざ波がたつところから。
「仇波」はむやみに立ち騒ぐ波のこと」(ウィキペディア百科事典)という意味です。

 K子さんの周りにもそういう人がいると思いますが、一方的な意見だけを聞いて、判断する
と、判断を誤ります。
人間関係については、とくにそうです。
同じAさんでも、見る人によって、評価が180度ちがうということは、よくあります。
一見、人道にはずれた(?)行為でも、理由を聞くと、そうでないということは、よくあります。

 私にかぎらず、人がそうした行動に至るには、それなりの前提なり、理由があるということで
す。
もっとも、私のばあい、いちいち説明するのが面倒なときは、それから逃げてしまいます。
相手次第というわけです。
それなりの人なら、説明も必要かもしれません。
そうでなければ、そうでない。
何か、疑問に思うようなことがあれば、どうか、率直に私に聞いてください。

 K子さんが言われたように、あのM子さんは、悪人ではありません。
ただ気が小さい人だけ。
世間体ばかりを、気にしている。
もともと自分(=コア)のない人ですから、10のうち、9までがウソと考えてよいと思います。
だから言うことが、コロコロと変わる。
一貫性がないという、一貫性(?)。
そういう人です。

●伝統

 が、K子さんは、強気ですね。
「伝統」を背負っているからです。
「昔からのしきたり」と言えば、みな、黙ります。
それをよいことに、自説を展開する。
返す刀で、相手、つまり私を非難する。

 「あの浩司(=私)は、偉そうなことを書いているが、人間のクズ」と。

 でも、そんなことで、地獄へ落ちるというのなら、私はあの世へ行ったら、真っ先にデモ行進
でも何でもしてやります。
さらに言えば、地獄へ落ちるのは、この私。
私の心配までしていただかなくても、結構。
K子さんは、K子さんなりのやり方で、「極楽」へ行けばよいのです。

●いい人ぶる

 大切なことは、いい人ぶらないこと。
いい人ぶればぶるほど、疲れます。
英語の格言にも、『2人にはいい顔はできない』というのがあります。
自分のことを悪く言う人もいれば、そうでない人もいます。
若いころなら、誤解を解いて・・・というエネルギーも働きましたが、今は、その元気もありませ
ん。
成り行き任せといった感じです。
もう少し辛辣な言い方をすれば、「どうでもいい」?

 どうせ・・・という言い方は失礼かもしれませんが、どうせその程度の人たちです。
総じてみても、日々に精進、努力している人のほうが少ないです。
そこらのオジチャン、オバチャン(私も含めてですが・・・)を相手にしても、しかたないでしょう。
本気に相手にしても、それこそK子さんが言われたように、みなが喜ぶだけです。
私も、そう考えます。

●迷い

 私もよく迷います。
が、そういうときは、「すべてをする」という方法に切り替えます。
たとえば旅行先。

 「Aへ行こうか、Bへ行こうか」と迷ったら、両方とも行きます。
(もちろん費用の問題はありますが……。)
時間というのは不思議なもので、作れば作れるものです。
怠惰に過ごすのも1日。
朝からキビキビと過ごすのも1日。

 ご存知ですか。
あのネズミの脳の周波数を100倍に広げてみたら、人間の脳の周波数と一致したというので
す。
つまりネズミは、人間の100倍の速さで、生活しているということになります。
わかりやすく言えば、人間の1秒は、ネズミの100秒に相当するということです。
ですからネズミの寿命を知り、「ネズミは寿命が短い」と考えるのは、まちがいです。

 さらにハチがいます。
スズメバチ(雄)の寿命は、約3か月程度と言われています。
しかしスズメバチは、その3か月で、人間の50〜60年分を生きているのかもしれません。

 つまり人生というのは、「時間」ではなく、「密度」の問題ということです。
そこにある時間をどう使うかで、人生を長く生きることもできるということです。

 だから迷ったら、両方する。
費用の問題が生じたら、2倍、仕事をすればよい……ということになりますね。

●心配ごと

 もちろん私にも、心配ごとはあります。
家族、仕事などなど。
老後の問題は、目下、現在進行中。
あとは健康。
とくにボケ(認知症)が恐いです。
ボケると、私が私でなくなってしまう。

 今は、まだこうしてものを書くことができますが、ボケたら、それもできなくなります。
だから今は、こう考えます。
ピンコロこそ、私の死に方、と。

 無駄に長生きをしても、みなに、迷惑をかけるだけ。
この先、私たち老人組は、ますます嫌われることはあっても、好かれることはないでしょう。
若い人たちの書くBLOGを読んでいると、それがよくわかります。
で、そういうのを読んでいると、「では、自分の人生は何だったのか」とよく思います。
たとえば私は結婚前から、収入の約半分を、実家へ納めてきました。
加えて盆や暮れに帰省するたびに、20〜30万円を納めてきました。
それを40歳までつづけ、40歳から45歳までは、毎月10万円、納めてきました。
いろいろあって、その額にしてもらいました。

 27、8歳以後は、法事の費用全額、税金、商品などの仕入れ金なども支払ってきました。
その間に、実家の建て直しもありました。
一方、母は母で、そうしたお金で、親戚の人たちの生活を助けていました。

 私は私なりに懸命に働かざるをえなかったわけです。
1か月に、休みが1日だけという年も、何年かつづきました。
が、結果はどうか。

 この先、今までしてきたことが報われるということは、ないでしょう。
また期待していません。
無縁死、孤独死は、当然。
60%の人がそうなると言われていますから、もうあきらめています。
「孤独死、それもいいではないか」と、です。

 もっとも、70歳までには、有料の老人ホームへ入ることも考えていますが、それもたいへん
です。
現在の今ですら、7年待ちといった状況です。
しかも入居条件の第一が、「健康で、自活できること」となっています。

 ボケたら、そこへ入ることもできません。

●「今」が常にゴール

 そういうことも考えていくと、何のために生きてきたか、わからなくなります。
人生の最後に、「死」がある。
生きるのもたいへん。
しかし死ぬのもたいへん。

 だからこう考えるようになりました。
要するに人生には、ゴールはない、と。
あるとすれば、「今」が、その「ゴール」。
常に今があり、常にゴールがある。
そう考えれば、「何のために・・・」という部分が、少しは和らぎます。

 だから私のばあい、「とにかく今をがんばろう」という気持ちで生きています。
「明日は、今の結果としてやってくる」と。
たとえば健康にしても、今日、運動をこなす。
「今日、こなせば、明日も健康でいられるだろう」という思いが、あるからです。

 ただ、「道」だけは、大切にしています。
道のない人生を歩むことほど、つらいものはありません。
何度も経験しました。
だから「道」を見失わない。
わかりやすく言えば、仕事ということになります。
どんな形であれ、死ぬまで、仕事をする。
できればピンコロ・・・。
そう願っています。

●目的

 自分のことばかり書きましたが、K子さんのことを書くと、K子さんがだれか、わかってしまい
ます。
この世界にも、いろいろあります。
いろいろな人がいます。
こうして私は自分のことを洗いざらい書いているものですから、中には、興味本位で私の私生
活をのぞいている人もいます。
それはそれで仕方のないことですが、みながみな、好意的というわけではありません。
先日も、こう言ってきた人がいました。

 「浩司くんは、毎日、あんなことをしていますが、何の役に立つのですか」と。
「あんなこと」というのは、毎日、こうして私が原稿を書いていることをいいます。
悪気があってそう言ったのではないと思います。
「本を出すとか、そういう方法なら、利益にもなるし、私が死んだ後も残る」という意味で、そう言
いました。

 が、私はもうそういうことが、どうでもよくなりました。
本を出しても、どうせ売れないでしょうし、死んだ後のことは、その後の人たちに任せればよい
のです。
それよりも大切なことは、「今」、それを「生きがい」とできるかどうかということです。
それができれば、それでよし、です。
たとえば朝、起きますね。
今の私は軽い運動をすますと、まっすぐ書斎へ入ります。
おもむろにパソコンに電源を入れ、キーボードを叩き始める。
それがたまらなく楽しいです。
ときどきそういう私を、私は、幸福と感じます。

 他人の批評など、気にすることはない、ですね。
そういう点では、どこかカルト的ですが、しかし同時にときどき、こう思います。
「1人くらい、私のような馬鹿がいてもいいのではないか」とです。
どうであるにせよ、今の私には、それしかできませんし・・・。
今さら、自分の道を変えることもできません。
「無駄だった」と認めることは、そのまま「自己否定」につながってしまいます。
その心配があるならなおさら、目を閉じて生きていくしかありません。

●終わりに

 とにかく1日でも長く、健康に。
若い時は、こんなことは考えもしませんでした。
しかし今は、ちがいます。
健康であることが、かくも重要なこととは、知りませんでした。
だから「一日でも・・・」となります。

 がんばって生きていきましょう。
いつも長電話になってすみません。

 台風一過。
秋の気配を感じます。
朝夕などは、寒いほどです。
どうか、お体を大切に。
今日は、これで失礼します。

はやし浩司

2011/09/23記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●9月23日(金曜日)

 1人のバカ親父がいる。
たいした仕事もせず、道楽三昧。
毎日していることと言えば、庭いじり。
一本何百万もするような庭木を植えては、それを楽しんでいる。
10年前に離れの家を建てたばかりなのに、今度は茶室も造るという。

 3人の息子と2人の娘がいる。
5人とも、朝早くから、夜遅くまで働いている。
給料は悪くはないが、毎月、月末になると、バカ親父が、金を借りに来る。
その額、すでに10億円。
5人の息子や娘の年収の、約20倍。

 そこで息子や娘たちが、こう言った。
「お父さん、道楽も、もうほどほどにしてよ」と。
が、そんな願いなど、どこ吹く風。
バカ親父は、相も変わらず、道楽三昧。

 が、ここにきて、問題が起きた。
息子や娘たちの勤めている会社が、このところ様子がおかしい。
売り上げが落ちてきた。
株価が下がってきた。
当然、給料も下がってきた。
息子や娘たちは、バカ親父の道楽を支えるだけで、精一杯。
……というか、限界。
と、思っていたところ、大事件。

 息子の家が、火事で燃えてしまった。
が、それを知ってもバカ親父は、道楽はそのまま。
「オレがここで庭いじりをやめたら、庭師たちが生活に困る」と。

 そこでバカ親父は、残った4人に、さらなる借金を申し込んだ。
「もっと、金を出せ」と。

 現在の日本の現状を、ひとつの家族にたとえると、だいたいこんな感じになる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【今日のBW教室】(折れ線グラフの学習)

+++++++++++++

今週は、小1児、小2児に
折れ線グラフを教えてみました。
試行錯誤を重ねた結果、今回は、何とか
ねらい通りのレッスンができました。

使った教材は同じものですが、
(また同じように教えてみましたが)、
子どもたちの反応によって、
雰囲気がまったくちがったものに
なりました。

重要なことは、教える私のほうが、
楽しむこと。
そうすれば、子どもたちもそのまま
自然な形で、学ぶことを楽しんで
くれます。
ややふざけたレッスンになりましたが、
「折れ線グラフの勉強は楽しかった」という
印象が、つぎの学習意欲へとつながって
いきます。

+++++++++++++

【小1児】

(1)
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(2)
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(3)
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【小1・小2児、混成クラス】

(1)
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(2)
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(3)
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Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月23日夜記(不況風、いやですね!)

●経済雑誌

仕事の合間に、書店に足を運んだ。
何冊か、経済雑誌に目を通した。
が、どれも恐ろしい記事ばかり。
読めば読むほど、暗い気持ちになってしまった。

ギリシアの経済破綻は、もうどうしようもない。
問題は、スペインとイタリア。
「大きすぎて潰せない」「大きすぎて救えない」(某誌)ということらしい。
このままでは、リーマンショックのときとは比較にならないほど、巨大な嵐がやってくる。
・・・というか、すでに危機は始まっている。
書店を出るとき、そんな印象をもった。

●証券会社

 私は景気の動向を知る、ひとつのバロメーターとして、証券会社の株価に注目している。
(こんなことをしているのは、私だけかと思うが・・・。)
証券会社というのは、言うなれば、資本主義の総本山。
証券会社が健全ということは、資本主義も健全。
そうでなければ、そうでない。

 その証券会社だが、Nホールディングズも、D證券も、この1年と少しで株価が、半値近くにま
で、下がっている。
現在ともに、300円前後。
かなりあぶない状況になってきた?
私の勝手な判断だが、私はそう思っている。

●大恐慌

 全体としてみると、リーマンのときは、銀行にまだ余力があった。
その余力で、何とか、危機をしのいだ。
が、今回は、その余力もない。
その上、アメリカ、EU、中国の同時危機。
日本もご存じのように、余裕、ゼロ。
だから「どれも恐ろしい記事」となる。

●韓国の株価、大暴落(9月23日)
 
 たまたま今日は、祭日。
株式市場は休み。
それがよかったのか、悪かったのか?
韓国の株式市場は、5%以上も値をさげている。
ほかの市場にくらべて、下げ幅がきつい。

 日本があの3・11大震災に襲われたとき、韓国では、株価は、大幅に上昇した。
その上昇幅が突出していた。
なぜそうなったかについては、今さら、その理由など、書くまでもない。

●ブラック・マンデー

 ネット上では、すでに「ブラック・マンデー」という言葉が飛び交っている。
今日は9月23日(金曜日)。
9月26日がその月曜日。
その月曜日に、日本の株式市場は、どう反応するか?

 自分のもっている株の価格がさがれば、さらに株を買いつづけ、下支えをする。
これが個人投資家と呼ばれる人たちの、常識的なやり方ということになる。
が、その個人投資家の「力」にも限界がある。
つまりいつか息切れする。

 ここからは私の予想だが、月曜日に、日本の株価も大暴落するはず。
まさにブラック・マンデー。
が、こわいのは、「事実」ではなく、私のようにみなが思い始めること。
恐慌というのは、風説が風説を呼び、その風説が「嵐」になったときに、始まる。
(すでに始まっているが・・・。)

●最後は日本!

 アメリカもあぶない。
EUも中国も、あぶない。
しかし最終的に、いちばんあぶないのは、この日本(?)。

 アメリカもEUも中国も、じゅうぶんな食糧、資源をかかえている。
強力な軍事力も、もっている。
が、この日本には、そのどれも、ない。
結局は、最終的に生き残るのは、アメリカ。
ドル以外に基軸通貨がない。
そのドルの印刷機を、アメリカはもっている。
お金がなくなれば、印刷機を回せばよい。

●ふんばる

 問題は、では、どうすればよいかということ。
その点、私たち団塊の世代は、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた。
そのつど、得もしたし、損もした。
が、鉄則は、ただひとつ。
「ふんばる」。
歯を食いしばって、ふんばる。
ふんばった人だけが、修羅場をくぐり抜けることができる。

 たとえば20年前には、浜松の中心部だけでも、10〜15前後の幼児教室があった。
が、失われた10年が、失われた20年になった。
結果、生き残った幼児教室は、私の教室だけ。
(そのあと、また1〜2の幼児教室が生まれてはいるが……。)
今も、基本的には、この状況は変わっていない。
つまり目下、ふんばり中!
……ふんばるしかない。

●D氏 

 そんなこともあって、このところどこの店に顔を出しても、景気の悪い話ばかり。
たとえば30年来の友人にD氏がいる。
市内で3店舗、レストランを経営している。
そのD氏の口癖は、いつも同じ。
顔を合わせるたび、こう言う。
「林さん(=私)、何か、いい話、ないですかねエ?」と。

 そう言えば、どこも元気がない。
レストランの客が、さらにガクンと減ったように感ずる。
一部のファーストフード店は、低価格とサービスのよさで、見た目にはにぎわっている。
しかし実際は、どうか?
D氏は、いつだったか、こんな話をしてくれた。

 1人の客が、何分で食事をし、いくら落としてくれる(=払ってくれる)かで、勝敗が決まる、と。
「うちは料理では儲からないから、ワインで儲けている」とも。
が、そのワインを注文する客が減っているという。
 
 先日会ったとき、別れ際、D氏は、こう言った。
「林さん、あと3、4年で、失業者がふえますヨ〜」と。

 ……とは言っても、台風と同じ。
私のような者がいくら心配しても、どうしようもない。
やってくるものは、やってくる。
それに戦いようがない。
私たちは恐慌という嵐の中で、右往左往するだけ。

 ……今日のレッスンを、UPして、今夜はこのままGOOD NIGHT!


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年長6歳児と言葉(文字)遊び】

●今日は予定を変更して、言葉遊びをしました。スケジュールでは、「手作業」になっていました
が、突然の変更をお許し下さい。新入会の生徒がいたからです。で、一言。「勉強」というと、大
学生が研究室でするような姿勢を求める親が多いのには、驚かされます。黙々とデスクに向か
って、何かの作業をする……。そんな学習態度を、幼児に求めても無理ですね。この時期大切
なことは、「勉強は楽しい」「おもしろい」という印象作りをすること。+子どもたちの心を開かせ
ること。まず言いたいことを言わせる。それが原点です。子どもを抑えるのは簡単ですが、伸び
やかにするのは、たいへんです。なお、私はよくふざけますが、これは子どもの脳みそを柔軟
にするためです。どうか誤解のないように!

(1)
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(2)
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(3)
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Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●光速以上で飛ぶモノ(素粒子ニュートリノの話)

++++++++++++++++++

それが何であるにせよ、光より速く
飛ぶ(モノ)が見つかったという。
「物質」とは言えないし、「波」とも
言えない。
よくわからない。

++++++++++++++++++

CNNはつぎのように伝える。

『……スイスにある欧州合同原子核研究機関(CERN)は23日、「Opera実験」の結果を発表
した。これが事実なら、光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論を覆す発見
で、現代物理学の根底を揺るがす可能性がある』と。

ただ以前より、私はこんな疑問をもっていた。
専門家が聞いたら、笑い出すかもしれない。
しかしこんな疑問だ。

この大宇宙は、日々に拡大している。
これは事実。
そこで宇宙の果て近くにある銀河(星でもよい)は、
光速に近い速度で遠ざかっているという。
しかしこれほど地球中心主義的な発想はない。
反対に、相手の銀河(星でもよい)から見れば、
この地球のほうが、光速で遠ざかっていることになる。
言い換えると、地球自体が、光速運動をしている?
となると、アインシュタインの相対性理論はどうなるのか。

物体は光速に近づけば近づくほど、時間の進み方が遅くなる。
これをこの世界では、「ウラシマ効果」と呼んでいる。

たとえば光速で宇宙を旅をし、何10年かたって地球へ戻って
みると、地球では数年しかたっていない。
浦島太郎の話に似ているので、「ウラシマ効果」という。

が、これを反対の立場で考えてみよう。
宇宙の果てにある銀河(星でもよい)。
地球から見れば、その銀河は、たしかに光速に近い速度で
遠ざかっている。
となると、地球から見ると、その銀河では、時間の進み方が遅くなっているはず。
が、これはおかしい。
相手の銀河(星でもよい)から見れば、地球のほうこそ、光速に近い
速度で遠ざかっていることになる。
つまり地球のほうこそ、時間の進み方が遅くなっているということになる。

もっともこの矛盾は、「双子のパラドックス」と呼ばれ、
この世界では、常識となっている。
もちろん私が発見したことではない。

しかしこうして考えれば考えるほど、頭の中が混乱してくる。
わけがわからなくなってくる。
が、そこへさらに、また新たな発見。
「素粒子ニュートリノが光より速く飛んだ」という。

この事実がどういう意味をもつのか、実際のところ
私には理解できない。
世界の科学者たちは、「物理学の根底をひっくり返すような大発見」と
言って騒いでいる。
歯がゆいというか、私の能力もここまで。
「ヘ〜〜エ」と思ったところで、思考停止。

SF小説的に考えれば、ワープ航法も可能になるということか。
光の速度で何万光年もかかるところにある星へ、瞬時に行けるように
なる、とか。

私の息子の1人は、今、そのCERNのコンピューター技師をしている。
今回の発見にどの程度関与しているかは知らないが、何やらものすごいことを
しているらしいことは、数年前から感じていた。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●映画『ライフ(One Life)』

 映画、『ライフ』を観てきた。
よかった。
すばらしかった。
笑った。

 出演者たち全員が、大まじめ、クソまじめ。
カメラをまったく意識することなく、ありのままを演じて(?)いた。
(当然のことだが!)
それが私の笑いを何度も誘った。

 星はつけようがないが、ああいう映画こそ、星5つの、★★★★★。

 たとえば何とかクワガタ。
大木の頂上にいるメスを求めて、大木を登っていく。
途中、ライバルのオスたちが何匹も待ち構えている。
そのつどオスどうしの闘いが繰り返される。
負けたほうは、下へ蹴落とされる。

 で、最後は、いちばん力のあるオス(いちばんあごの長いオス)が、頂上に達する。
そこにはメスが待っている。
で、そのオスはめでたくそこでゴールイン(=交尾成功)!

 が、そのあとのこと。
コトが済むと、何とそのオスは、メスまでも下へ蹴落としてしまった。
あわれメスは、そのまま大木の根元まで、ドスン!
硬いカラに守られ、命には別状はないが、それにしても……。

 「人間と同じだなあ……」と思ったとたん、ハハハと笑ってしまった。

 が、一言。

 映画の中では、男性と女性のナレーションが、交互に繰り返された。
が、女性のほうのそれは、何とも気味が悪かった。
女優のMRがしていたというが、まさに草食系女性の言い方。
男の同性愛者でも、あそこまで「女ぽい」言い方はしないだろう。
くすぐったくなるほど、女ぽい言い方。
それが、画面になじまなかった。
おまけにへんなところで、へんに感情をこめて言うから、そのつど体中が、ムズムズ……。
くすぐったくなった。

ああいう映画なのだから、もう少し、アカデミックな言い方をしてもよかったのではないか。
淡々と事実だけを、述べる、とか。
その点、男性のナレーションは、聞きやすく、安心して耳を傾けることができた。

 で、この地上には、500万種類の動物がいるとか。
「500万種類の生き方をしている」というナレーションが、ジンと心に響いた。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●天上がり(?)(「ここまでやるか、官僚政治!」)(毎日新聞・2011年・9・25)

++++++++++++++++++

どうして、この日本では暴動が起きないのか?
不思議でならない。

官僚たちは、まさにやりたい放題。
が、今度は、天下りならぬ、「天上り」!

毎日新聞の記事をそのまま転載させてもらう。
この記事の中で、とくに注意してほしいのが、
「抜け道」という言葉。

官僚たちは何かの法案を考えるとき、かならず「抜け道」を作る。
何かの規制をかけようとすればするほど、その抜け道を作る。
作って、官僚たちは、身の保全を図ろうとする。
4、5年前から議論されてきた、「天下り規制法案」を例にあげるまでもない。

だから何も変わらない。
旧態依然のまま。
行政改革など、どこ吹く風。

+++++++++++以下、毎日新聞より転載+++++++++++++

 「天下り」でもたれ合ってきた霞が関と電力会社。
逆に電力会社に籍を残したまま、社員が非常勤の国家公務員として採用される「天上がり」も
盛んに行われ、行政との一体化の象徴となってきた。
01年の中央省庁再編以降、電力会社からの天上がりは少なくとも99人に上り、内閣官房や
文部科学省、内閣府などの中枢部門に配属され、原子力委員会など電力会社の利害に直接
かかわる業務も行ってきた。

 国の民間からの人材登用は人事院規則に基づく公募採用が原則。
しかし、電力会社の場合は「専門知識を有する場合は公募しなくても良い」との特例を適用した
『抜け道採用』が常態化している。

 政府によると、これまでの非常勤国家公務員としての採用実績は東電のほか、北海道、関
西、中部、東北、四国、九州電力など。
その多くが、原子力安全委員会事務局(内閣府)や原子力研究開発課(文科省)など原子力行
政の中枢で勤務。

 採用期間は2〜3年程度で、その間は国から給与を受ける。
期間が満了すると、間をおかずに同じ電力会社から別の社員が連続して採用されるケースも
頻繁。
文科省原子力研究開発課は東電から、同ライフサイエンス課は北海道電力から、内閣府政策
統括官は関西電力からそれぞれ連続採用され、各社の「指定席」となっている。

 東電の天上がり社員の一人は、天下り規制を担当する「公務員制度改革推進本部事務局
(内閣官房)」で勤務。
過去には公益法人改革を担当する部署にも配属されたが、天下りの最大の受け皿である電
力会社社員が霞が関改革部門で働く姿はブラックジョークにも映る。

 電力会社の天上がり問題については、5月の衆院経済産業委員会で吉井英勝委員(共産)
が「まるで『東京電力・霞が関出張所』ではないか」と是正を求めている。

+++++++++++以上、毎日新聞より転載+++++++++++++

●抜け道

 こういうインチキが積もりに積もり、今回の原発事故につながった。
そういう点では、まさに人災。
天災ではなく、人災。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、この日本では、こうした官僚が何かの責任を取っ
たという事実は、一例もない。
今回もそうだ。

 だれも責任を追及しない。
だいたいだれが責任者かもわからない。
だれも責任を取らない。
みな、逃げてしまう。
またそういうしくみになっている。

 この日本人の(従順さ)は、いったいどこからくるのか?
だれも怒らない。
だれも抗議しない。
外国でなら、暴動が起きても不思議ではない。
暴動が起きないどころか、それを「日本人の美徳」と片づけてしまう。
まさに不思議国、日本!

 私はこの記事を読んで、久々に、頭に血が上るのを覚えた。
が、そのやり場がない。
この歯がゆさ。
虚しさ。

 みなさんは、どうか?
そんなふうに感ずるのは、私だけか?


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●経済の勉強(先を読む経済)

+++++++++++++++++

月刊「東洋経済」誌を買ってきた。
読んでみた。
が、専門用語ばかり。
よくわからない。
わからないから、結論だけを読んで終わりにしようとする。
しかしこれではいけない。
こんな読み方ではいけない。

さらに考えてみれば、私たちが得る情報は、いつも「結果」ばかり。
途中のプロセスがない。
今回の恐慌にしても、ある日、突然、やってくる。
「結果として、世界経済はこうなりました」と。

株価を例にあげるまでもない。
が、これでは先が読めない。
そこで今朝は、経済の勉強をしてみることにした。

+++++++++++++++++

●専門用語

★リスクオフ……投資家のリスク許容度のこと?
★ナンピン買い……株価がさがったようなとき、追加資金で購入し、購入コストをさげること?
★ドルペッグ制……ドルとの連動性が高いこと?
★購買力平価の理論……物価が相対的にあがると、その国の通貨の購買力は低下し、為替
レートが下落すること?(反対に物価がさがると、為替レートは、上昇しやすい?)
★キャリートレードのメカニズム……その国の金利が相対的に高いと、金利裁定が働いて、低
金利の国からマネーが流れ込み、その国の通貨が上昇すること?
★金利裁定……各国の金利の動向を見ながら、マネーが流動すること? その国の金利が低
いと、マネーは金利の高い国を求めて移動する?
★逆張り……たとえば自分のもっている株価がさがったようなとき、さらに買いつづけ、株価を
下支えすること?
★ソブリンリスク……国家そのものの危険性? たとえばデフォルト(国家破綻)の可能性があ
ることをいう?
(以上、私の勝手な解釈のよるものなので、信頼性ゼロ。)

 雑誌を読みながら、専門用語を少しずつ脳の中で消化していく。
結構、頭を使う。
疲れる。
たとえば、同誌P52には、こうある。

『……日本はデフレだが、米欧はインフレ率がプラスなので、ゼロ金利であれば、実質金利は
マイナス。ドルやユーロを売って、金、あるいはデフレ通貨であるスイスフランや円に換えること
は、合理的な投資行動だ』と。

 私の脳みそが鈍ってきたのか、この部分を理解するだけでも、私は2、3度読みなおしてしま
った。

●先を読む

 経済学者の仕事は、先を読むこと。
結果の分析など、してもあまり意味はない。
意味があるとすれば、それをどう未来に向けて、利用していくかということ。
この点、発達心理学と、視点が逆。

 発達心理学では、常に(現状)の分析を大切にする。
「今、どうしてこの子どもは、こうなのか」を考える。
そこを原点として、その子どもに問題があれば、その問題の解決に全力を尽くす。
言うなれば、発達心理学の世界は、「個人」という「ミニ」の世界。

 一方、経済学の世界では、経済学者の力は、ほとんどない。
あえて言うなら、気圧配置を見、雨量を予想し、洪水の可能性を述べる気象予報士の仕事に
似ている。
言うなれば、そこは「世界」という「マクロ」の世界。
そういう点では、経済学には別のおもしろさがある。

 たとえば経済学の世界では、先、つまり未来を読む。
未来を予測する。
(発達心理学では、子どもの未来を予測するのは、わかっていても、タブー。
「あなたの子はこうなりますよ」と言っただけで、大問題になる。)
P51(同誌)を参考に、私なりに日本の近未来を予想してみる。
それを箇条書きにしてみる。

(1)個人投資家は日本で暮らしているから、(つまり日本という井の中の蛙だから)、日本の円
高は変だと思っている。
(2)だからいつか、そこかでかならず円安に転換するはずと思っている。
(3)そこで個人投資家は、円を売り、外債に手を出す。
(4)当然、円を売れば、円安に向かう。
(5)また円を売れば、日本に対するヘッジになると考える。
(6)円安になれば、日本の企業は輸出しやすくなり、企業にメリットがある。
(7)景気は回復する。
(8)日本の株価は、上昇する。

 ……というところまでなら、私でも読める。
つまりこの程度の「未来」ならわかる。
しかしここからが、問題。
そうはいかないところに、経済学の(深み)がある。
同誌の中で、同志社大学の浜のり子教授はこう述べている。

(9)そのころには、輸出企業は、全部海外に移転しているので、円安になっても企業は円安メ
リットをほとんど享受できないのではないか、と。

 ナルホド、そういうことか!
円安に戻るころには、日本の企業は総崩れになっている(?)。
だったら、モタモタしていないで、今すぐ円安を是正する。
早ければ早いほど、よい。

が、ミニの世界とちがい、相手は世界。
マクロの世界。
海千山千の怪物どもがしのぎを削りあう、化け物の世界。
言うなれば、戦場。
ものごとは理屈どおりには、動かない。
言い換えると、経済学……というより世界経済のおもしろさは、ここにある。

●外国の常識vs日本の常識

 話題を変えよう。
おととい、A氏(55歳)から、こんな電話があった。
いわく「11月に、オーストラリアの友人のB氏が妻を連れて、日本へやってくるのだが、今年に
入って、もう2度目。
数年前から来るようになって、この数年間だけでも、5回目。
たまに来るのはいいのだが、ぼくも疲れました。
林さん(=私)は、どうしていますか?」と。

 現在、オーストラリアドルは、最強通貨。
日本人の私たちにとっては、オーストラリアでは、すべてのものが高い。
自動販売機のペットボトルにしても、1本が300〜400円(実勢交換レート)。
(ただしボトルのサイズは、日本のそれの1・5倍前後。)
ホテルが、どこも一泊3〜4万円。

 反対にオーストラリア人にしてみれば、日本では、すべてのものが安い。
日本の旅館に泊まるとき、一泊2食付きで、2〜3万円と聞くと、私たちはそれを「高い」と感ず
る。
が、オーストラリア人にしてみると、その2〜3万円が、5000円程度の感覚になるのでは?
つまり私たちが高級旅館と感ずる日本の旅館に、彼らは、5000円〜1万円程度の感覚で宿
泊することができる。

私「だから、オーストラリア人は、日本へ来たがるのです」
友「しかしこうも頻繁に来られると、私の方も疲れてしまいます」
私「それはたいへんですね」
友「それに習慣のちがいというか、彼らはたいしたみやげも持ってこないで、平気で2、3週間
も泊まっていきます。それにね、林さん、帰国しても一通の礼状さえくれないんですよ」

私「欧米人は、そうでしょうね。そういう習慣がないから……」
友「でね、林さんのところへも、よく来るでしょ」
私「この10月にも、来ます」
友「そういうとき、どうしてますか?」と。

 欧米人というより、相手がオーストラリア人のばあいは、何でもストレートにものを言うのがよ
い。
いやだったら、いやと言えばよい。
忙しかったら、忙しいと言えばよい。
「今日は午後から仕事だから、6時ごろまで、君のめんどうをみられない」とか。
オーストラリア人は、そういうことを、まったく気にしない。
失敬なこととは思わない。
だから正直にありのままを言う。
正直に言えば、「ライト(わかった)」ですんでしまう。
(反対に、ウソには、敏感に反応する。
オーストラリア人には、ウソだけは言ってはいけない。)

 が、日本人はそうではない。
日本人は、「表」と「裏」を使い分ける。
内心ではいやだと思っていても、表面的には、「また遊びにおいでください」などと言う。
こういう言葉が、かえって彼らを混乱させる。

私「たまたま今は円高だから、Aさんが今度は、オーストラリアへ遊びに行けばいい」
A「そうは言っても、この不景気ですからね……。
先のことを考えると、気軽に遊びに行くわけにもいかないのですよ」
私「そこが日本人の悲しいところですね。
円高なら、本来なら喜んでいいはずなのに、それが喜べない。
円高を生かして、外国へ遊びに行くこともできない」と。

●再び経済論

 話をもとに戻すが、マクロの世界でも同じことが言える。
日本人も、もっと率直に、そして正直に、本音を言えばよい。
へたにいい子ブルから、苦労する。
あとがたいへんになる。
もっと野性的に、もっとドロ臭く、もっと貪欲に生きる。
このままでは通貨危機どころか、日本国という「国」が危うくなる。

 「このままでは日本企業は全滅する。
手持ち外貨(ドル)の5%を、金(ゴールド)に換える」と。
「復興資金にする」でもよい。
それくらいの宣言は、してもよいのでは?
アメリカは怒るだろうが、日本が破産するよりはよい。

 東洋経済誌にもあるように、「やっと円安になったと喜んだときには、日本国内に会社はなし」
では困る。

 今朝は、そんなことを考えた。
2011/09/25


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Black Monday+山内賢さんの訃報

++++++++++++++++++

今朝は、9時起き。
しばらく居間でお茶を飲んだ。
そのあと、おもむろに書斎へ。

パソコンを立ち上げる。
メールに目を通す。
そのあとニュース・サイトへ。

先ほどまで、日本の株価の値動きを見ていた。
現在、10:12で、169円安の8391円(日経平均)。
ジワジワとさがってはいるが、その一方で、予想したより、下げ幅が小さい(?)。
けっしてそれを望んでいるわけではないが、それもおかしい。
アメリカ、EUの流れを見ていると、もっと下げてよいはず。
何があるのだろう。
何が動いているのだろう。

さらにここへきて、中国の動きも、おかしくなってきた。
日経新聞は、つぎのように伝える。

『……欧米に加え、今後の新たな火種となりそうなのが中国だ。
英系金融大手HSBCが22日に発表した中国の9月の製造業購買担当者景気指数(PMI)速
報値が悪化し、中国景気の減速懸念も強まってきた。
欧米だけでなく中国、そしてアジアにも景気減速が波及すれば、世界景気のけん引役はもは
や見当たらなくなる』(9/26)と。

世界経済もここまでくると、おかしなことに、中国が頼もしく見えた。
が、その中国も、内部では、大きな異変が起きている?
今は、そんな感じ。

たった今(10:19)、172円安の8287円。

私ごときが心配しても、どうしようもない。
が、気になる。

++++++++++++++++++

●暗い話は、やめよう

 こういうときは、経済の話は、やめ!
先にも書いたように、「私ごときが心配しても、どうしようもない」。

 そこでニュース・サイト。
が、真っ先に飛び込んできたのは、日活スターだった山内賢さんの訃報。
2003年に肺ガンがみつかり、以後、闘病生活。
享年67歳。
私も、若いころ、山内賢さんのファンだった。
和泉雅子さんも、私のファンだった。
よく共演していた。
(……というか、もともと私は和泉雅子さんのファンだった。
で、そのうち山内賢さんも、好きになった。)

 私の年齢になると、訃報は訃報と割り切ることができる。
他人の死を、客観的に見つめることができる。
「つぎは私」という思いがあるからではないか。
それ以上に、山内賢さんという名前を呼んで、あの時代の思い出がいろいろとよみがえってき
た。

 当時、ゆいいつの楽しみといえば、映画館に足を運ぶこと。
歩いて数分のところに、その映画館があった。
高校時代も、また大学生になっても、郷里に帰省すると、毎週のようにそこへ足を運んだ。

 が、いちばん好きだったのは、酒井和歌子さん。
今でも、美しい人だ。
少し前、あるファーストフードの店に入ったら、酒井和歌子さんの写真が飾ってあった。
そのとき私は、しばし、その写真に見とれた。

 で、たった今、台所に行くと、ワイフがそこに立っていた。
美容院から帰ってきたところだった。
そのワイフが私のほうを振り向いたとき、私ははじめて気がついた。
「そう言えば、どこか酒井和歌子に似ている……」と。
(あくまでも雰囲気だけだが……。
酒井和歌子さんとワイフとでは、まさに月とスッポン。)

 私がワイフに一目惚れしたのも、そのせいかもしれない。
自分では、気がつかなかったが……。

 しかしそういうこともあるのかもしれない。
強く印象に残った人がいたとする。
その人に好意を抱いたとする。
が、その人とは別れた。
(あるいはその人は、手が届かないところにいる人だった。)
が、どこかでその人に似た人に出会った。
とたん、その人が好きになる……、と。

 その反対にあるのが、『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』ということになる。
これをもじると、『坊様が好きになると、袈裟までいとおしい』となる?
心理学の世界では、すでに認知された心理反応だが、自分で経験してみると、おもしろさがち
がう。

 で、先ほどワイフにこう言ってみた。
「今まで気がつかなかったけれど、お前って、酒井和歌子に似ているって、若いころ言われな
かったか?」と。

 するとあのワイフが、こう言った。
「うん、よく言われた。でも、中村晃子のほうによく似ているって……」と。
うちのワイフは、本当に、オメデタイ!
バカ臭くなって、それ以上、話をするのはやめた!


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●愛と憎しみ(人間のもつ愛憎劇)

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昔から、「愛と憎しみは、紙一重」という。
深い愛が、ある日突然、深い憎しみに変化する。
そういうことはよくある。

「愛憎劇」という言葉もある。
人間が織りなすドラマの中でも、愛憎劇ほど、
すさまじいものはない。

愛にせよ、憎しみにせよ、その根底には
ものすごいエネルギーがある。
言うなれば精神のマグマ。
そのマグマが、時として、愛に向かい、
時として、憎しみに向かう。

++++++++++++++++++++++

●同じもの

 「愛するが故に、殺したいほど憎い」と。
一見、相反する感情だが、それほど強烈でなくても、似たような感情的動揺は、日常生活の中
でも、よく経験する。
が、「愛」と「憎」を、2つに分けて考えてはいけない。
たとえば「愛は良性感情」、「憎は悪性感情」というように、別のものとして分けて考えてはいけ
ない。
(フロイトは、「憎」を、「陰性感情」と位置づけたが……。)
両者は、その原点は同じ。
言うなればその地下にあるマグマと、直接、結びついている。
つまり根は同じ。

 わかりやすく言えば、時と状況に応じて、マグマは、愛にもなり、憎しみにもなる。
こんなことがあった。

 もう20年近くも前のこと。
1人の女子高校生が、いた。
私をたいへん嫌っていた。
態度にもそれがよく現れた。
何かにつけ、私に向かって暴言を吐いたり、反抗したりした。
で、私はある日、その女子高校生にこう言った。
「あのね、そんなに先生(=私)のことが嫌いなら、この教室をやめてもいいよ」と。

 その日を境に、その女子高校生は別人のように、静かでおとなしくなった。
が、「?」と思ったのは、そのあとのことだった。
やがて進学大学も決まった。
ふつうなら、そこでみな、私の教室を去っていく。
が、その女子高校生は、3月の終わりまで、私の教室に来てくれた。
理由を聞くと、「習慣になっているから……」と。

 で、その女子高校生には、弟(中3)がいた。
その弟も、私の教室に来ていた。
が、その弟が、私にこう言った。
「ぼくの姉ちゃんねエ、先生の写真を机の前に飾っているよ」と。

 これには驚いた。
いつだったか、みなでプリクラへ行き、3〜4人の生徒といっしょに、写真を撮った。
その写真を、自分の部屋に飾っているという。
私はその女子高生には、すっかり嫌われていると思っていた。
が、事実は、どうやら逆だったようだ。

●正反対の感情

 同じエネルギーなのに、そのエネルギーがまったく別方向に向かうということは、よくある。
よく知られているのが、無神論と有神論。
徹底した無神論者が、ある日突然、熱心な有神論者になるということは、よくある。
(本物の有神論者は、静かで穏やか。)

 私も、スピリチュアルとか、オカルトという言葉は、それを聞いただけで、即座に拒絶反応を
示す。
そういう話になると、その入り口で、私は逃げてしまう。

そういう私だが、ビデオショップへ行くと、反対の反応を示す。
そういう映画を、好んで、よく借りる。
またそういうビデオのほうが、おもしろい。

映画「シクス・センス」にしても、「ミラーズ」にしても、私にはたいへんおもしろかった。
現実の世界では嫌いながら、映画の世界では、それを求める?
これはどういう心理的反応によるものなのか?

●フリップ・フロップ理論

 心理学の世界に、「フリップ・フロップ理論」というのがある。
(日本では、ほとんど紹介されていないが……。)
私は「フラフラ理論」とか、「コロリ理論」とか呼んでいる。
フラフラしていると、突然コロリと変化する。

つまり人間というのは、中途半端な精神状態には、たいへんもろい。
たとえば有神論者が無神論者になったり、反対に無神論者が有神論者になったりするようなと
きが、それ。
どっちつかずの状態のときというのは、その人は精神の状態がたいへん不安定になる。
またそういう状態は、長つづきしない。
精神の消耗もたいへんはげしい。

 そこでどちらか一方に、転んでしまおうとする。
転んでしまえば、気が楽になる。
安定する。
精神の状態も落ち着く。

 だから一般論として、有神論者であるにせよ、無神論者であるにせよ、ワーワーと騒いでいる
人は、それだけどっちつかずの人とみる。
先にも書いたように、本物の有神論者は、静かで穏やか。
どっしりとしている。

 反対に本物の無神論者は、静かで穏やか。
どっしりとしている。

●たとえば離婚劇

 愛と憎しみについても、このフリップ・フロップ理論を当てはめることができる。
「私はあなたを愛している」「私を信じて」と言う人ほど、本当は、相手を愛していない。
本当に愛していたら、どっしりとしている。
 
 反対に、「私はあなたを憎んでいる」「嫌いだ」と言う人ほど、本当は、相手を憎んでいない。
本当に憎んでいたら、どっしりとしている。

 愛にせよ、憎にせよ、中途半端な状態のとき、その人ははげしく動き回る。
ワーワーと騒ぐ。
このことは離婚劇を見れば、よくわかる。

 本当に離婚する夫婦は、静か。
会話もしない。
喧嘩もしない。
冷めきった状態で、どっしりとしている。

 が、たがいに相手をののしり、非難しあう夫婦のばあいは、離婚などしない。
離婚したくないから、相手をののしり、非難する。
「お前はなあ……」「あなただって……」と。
憎しみあっているということは、裏を返せば、愛しあっているということ。
だから昔からこう言う。
『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』と。 

●愛と憎しみ

 話が脱線したが、マグマがあれば、……残っていれば、愛は憎しみにもなり、憎しみは愛にも
なる。
表面的な様子にだまされてはいけない。
言い換えると、愛にせよ、憎しみにせよ、表面的に静かになってしまったら、おしまい。
人間関係は、すでに終焉している。
夫婦でも、親子でも、友人でも……。

 ……ということで、もしあなたがその相手に、強い愛を感じていたら、それはいつでも強い憎
しみに変化する可能性があるということ。
反対に、もしあなたがその相手に、強い憎しみを感じていたら、それはいつでも強い愛に変化
する可能性があるということ。
愛にせよ、憎しみにせよ、そのときの心の状態を、そのまま絶対視してはいけない。
ちょっとしたことで、たとえば憎しみを、愛に変えることもできる。

 『愛と憎しみは、紙一重』というときには、そういう意味も含まれる。
2011/09/26記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 愛と憎しみ 愛憎劇 愛と憎しみ
は紙一重)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【指導6か月目の年中児(4〜5歳児)】

●今年度も、私のねらいどおりの指導ができました。
 活発に意見を言いあう。
 その伸びやかさこそが大切ですね。
 子どもは伸ばすのは、たいへん。
 しかし抑えつけるのは、簡単。
 ですからこの時期は、伸ばすことだけを考え、指導します。
 年長(6歳)の後半になったら、少しずつ、抑えにかかります。
 それまでは、思う存分、羽を伸ばさせる。
 そういった指導+子どもの様子を、このビデオの中に見てくだされば、うれしいです。

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/bDqoBeVRXnE?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/F-WOS53VBm4?hl
=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



(4)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



【小3児に、方程式の概念を教えてみました】

●小2児用に使っている教材を、小3クラスで使ってみました。
 小3児には、やや簡単すぎたようです。
 で、次回、年長児(6歳児)クラスでも、実験的にこの教材を使い、指導してみようと  思って
います。
どんな反応を示すか、楽しみです。

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/bDqoBeVRXnE?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/8QOwMH0R-Mk?hl
=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【OBたちに支えられて……】(Mさん、連絡、ありがとう!)

●BW教室

 BW教室……始めて、もう40年になる。
当初は、「林才能教室」と呼んでいた。
これといった教材もなく、仕事で香港へ行ったような折、イギリスの教材を買い集め、それを翻
訳して使っていた。

 「BW教室」という名前にしたのは、はじめて私の教材が、ある雑誌で紹介されることになった
ときのこと。
『主婦と生活』という雑誌だった。
そこに井上清という編集長がいて、「林じゃあ、おもしろくねエ。何か、別の名前にしろ」と。
それでBW、つまり「ブレイン・ワーク」という名前にした。
「頭を使う教室」という意味で、そうした。

 以来、40年。
早いものだが、最近では、教え子の子どもたちが多くなった。
……というか、ほとんどが、過去の生徒と関わりのある生徒ばかり。
この不況下。
生徒集めもたいへん。
しかし今、私は、そういうOBたちに支えられて仕事をしている。

●ハーバード大学

 20〜30年前のこと。
私の夢は、「いつかは、生徒を東大に」だった。
「いつかは、うちの生徒を東大に送ってやろう」と。

 が、皮肉なもので、そうしてがんばっている間は、東大へ入る生徒は、1人もいなかった。
で、そのうち、そういうことを口にしなくなった。
が、これまた皮肉なもので、口にしなくなったとたん、東大や京大へ入る生徒が、当たり前のよ
うに多くなった。
名古屋大学や大阪大学となると、もっと多い。

 で、今は、そういう話をしない。
たまたま昨夜も、中学生たちがそんな話をし始めたので、私はこう言った。
「そんなことを売り物にする塾や予備校へ、行ってはだめだよ」と。

 しかし、である。
昨日、OBのMさんから、電話があった。
Mさんには2人の娘さんがいた。
娘さんは、2人とも、女医さんになった。
姉のほうは、現在、父親の医院を引き継いでいる。
妹のほうは、現在、何と、あのハーバード大学で研究室をもっているという。

 東大までは考えたが、ハーバード大学までは考えなかった。
ガツンとハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。
驚きは、すぐ喜びに変わった。

 妹さんのほうは、よく覚えている。
みなで、キャンプに行ったときのこと。
道の途中でお漏らしをしてしまい、Mさん(母親)に、道ばたで下着を替えてもらっていた。
あの女の子が、ハーバード大学!

●アメリカの大学

 アメリカでは、大学といっても、それこそピンからキリまである。
町のビルを借りて運営している大学もあれば、IU(インディアナ大学)のように、端から端まで、
車で1時間以上という大学まである。
私の息子夫婦は、現在、そのIUに在籍している。

 ハーバード大学については知らないが、規模はともかく、現在、世界の最高峰にある大学で
あることには、ちがいない。
私は、自分の夢がそのとき、かなったうように感じた。
幼児教室をつづけて、40年。

 Mさんは、こう言った。
「でね、先生、こんどうちの孫が、その年齢になりました。
ついては先生のところで教えてもらえないでしょうか」と。

 もちろん、大歓迎!
若いころは、「生徒というのは、去っていくもの」とばかり、思っていた。
当時の私は、幼稚園の年中児から高校3年生まで教えていた。
多くは、14年間、私の教室に通ってくれた。
それでもみな、去っていく。

 が、ここ10年は、その雰囲気が変わった。
OBたちが、自分の子どもを連れて、戻ってきた。
30〜40年という年月を経て、戻ってきた。
が、うれしいというより、本当のところ、さみしい。

 この仕事ができるのも、あと10年?
5年?
今の生徒がおとなになるころには、私は確実に、もうこの世にはいない。
生徒の子どもを教えるということは、もう、ない。
それを思うと、さみしい。

●教え方

 私ができることと言えば、ともかく、毎日、懸命に教えること。
「頭を使うということは、こういうことだよ」と教えること。
たまたま今週は、小学1〜2年生に、方程式を教えている。
来週は、正負の数。
一見、とんでもないレッスンに思う人もいるかもしれないが、教え方さえ工夫すれば、いくらでも
教えられる。
生徒たちも笑っている間に、覚えてしまう。

で、今週は、同じ教材を使って、幼児を指導してみる。
子どもたちがどんな反応を示すか、楽しみ。
「幼児だから、幼稚ぽいことを教える」というのは、まちがっている。
またそんなことをしてはいけない。
幼児の頭脳は、私たちおとなが考えるより、はるかに広く、柔軟性に富んでいる。
ウソだと思うなら、一度、「BW公開教室」をのぞいてみてほしい。
子どもたちの笑い声に、その答がある。

 ……ということで、今朝は、久々に気分は最高!
Mさん、来週、待っています。
楽しみにしています。
ぜひ、おいでください。

(注:「BW公開教室」へは、「はやし浩司のメインHP」より。
「はやし浩司」で検索をかけてくだされば、たいていTOPに、HPが並んでいます。)

●さて10月

 9月も残り数日。
10月は、講演の季節。
あちこちで講演が待っている。
が、本当の楽しみは、講演を利用して、ワイフと旅をすること。
講演先で、旅館やホテルに泊まること。

 それと自動車工業界の雑誌に、6Pの巻頭言を書かせてもらうことになった。
全国誌である。
2012年中は、たぶんみなさんが、自動車の販売会社へ行ったら、その雑誌が目にとまるは
ず。

 また11月からは、中日ショッパー紙で連載が始まる。
タイトルは、『子どもの世界・こんな問題』。
小さなコラムだが、これもOBのようなもの。
10年ほど前、新聞本紙のほうで、原稿を書かせてもらっていた。
そのときのタイトルも、『子どもの世界・こんな問題』だった。

 ……ということで、人は、それがどんなに小さいものであれ、前に希望をかかげて生きていく
もの。
希望があれば、生きていかれる。
希望が道を示してくれる。
とくに私の年齢になると、そうだ。

 道なき道に迷いこみ、立ち往生したとたん、孤独という悪魔が襲ってくる。
何としても、それだけは避けなければならない。
……とういうような暗い話は、やめ。

 がんばって、残りの数日を、有意義に過ごしたい。
2011/09/27朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●ラジウム温泉とピロリ菌

 最近気になっていることが、2つある。
ひとつは、「ラジウム温泉」。
もうひとつは、「ピロリ菌」。

 ラジウム温泉というのは、簡単に言えば、放射線風呂。
WHOはたびたび日本に向け、その危険性を警告している。
が、この日本では、堂々というか、逆に放射線の高さを宣伝に使い、営業している温泉が、50
近くもある。
たとえば……。

 「ラジウム温泉やラドン温泉には通常の200倍以上の放射線を含んでおり、日本では島根
県の池田、山梨県の増富、鳥取県の三朝、兵庫県の有馬などでは、40000倍以上の放射線
が含まれています。

 ほかにも、放射線を含んだ温泉は日本各地に多数あり、特に花崗岩のある所には多いよう
です。放射線を含んだ温泉は人体に悪影響を与えるほど強くはありませんので、安心して温泉
を楽しんで下さい」(某・温泉郷パンフ)と。

 先日入った温泉のパンフには、こうあった。
「当、温泉郷は、N県でも有数の高い放射線量を誇っています」と。
読むと、「源泉近くで、1〜15マイクロ・シーベルト」とか!
ゾーッ!

 いいのか?

 また「ピロリ菌」というのは、ピロリ菌。
どんなものかはよく知らないが、先月検査してもらったら、私の体には、そのピロリ菌が居座っ
ているという。
胃潰瘍や胃ガンの原因にもなるらしい。
医師は、退治したほうがいいと言う。
が、抗生物質を1週間ものまねばならない。

 いいのか?

●ユニバーサル・スタジオ

 10月の楽しみ。
ワイフとユニバーサル・スタジオに行くこと。
若いころ、一度、行ったことがある。
今度行くと、2度目。

 新幹線で行き、オフィシャルホテルに一泊するというコースがある。
団体バスで行くという方法もあるが、団体バスは、もうこりごり。
どこか別の惑星からやってきたような、オジチャン、オバチャンたちばかり。
……というのは、書き過ぎ。
それはわかっているが、しかし私たちの恨みも、大きい。
料金が2倍ほどの、プレミア何とかというコースでも、このザマ。

 自分たちは、大声でギャーギャー、ゲラゲラと騒ぎながら、私が使うパソコンの音がうるさい、
と。
「もう少し小さな声で話していただけませんか?」と、ていねいに頼んでも、こう言い返される。
「私らア、おしゃべりが楽しみで旅行に来ているんだわサア」とか。

飛行機の中でも、電車の中でも、今ではパソコンは必携品。
どこの空港へ行っても、みな、パソコンを叩いている。
それがうるさい?
だから先月、私とワイフは、こう宣言した。

「2度と、死ぬまで、乗らない!」と。

 私たち夫婦にとっては、バスというより、拷問室。
静かに読書もできない。
だから、もう乗らない!

●放射線

 あのね、ラジウムであろうが、セシウムであろうが、問題はそこから発せられる放射線。
X線、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線など。
セシウムだから危険、ラジウムだから安全ということは、ない。
こんな基本的なことも知らないで、「ラジウム温泉は安全」は、ない。

 たとえばこれらの放射線の中でも、アルファ線はヘリウムの原子核、ベータ線は電子、中性
子線は中性子を、それぞれ放出する。
これに対してX線やガンマ線は、電磁波の仲間。
が、これらすべては、共通して、物質を電離させる能力をもっている。
わかりやすく言えば、原子をバラバラにする。
これが人体に、深刻な影響を与える。
人体というより、細胞のDNAに、深刻な影響を与える。

 が、ある旅館のパンフには、こうある。
「GT温泉郷の温泉はラドンを含むラジウム温泉(放射能泉)です。
温泉中のラドンから放出される微量の放射線を吸収することで、身体の細胞を刺激し、免疫力
向上、血流の改善の効果があるといわれています」と。

 こういうのを、「ホルミシス効果」というらしい。
そこでホルミシス効果なるものを調べてみる。

●放射線ホルメシス効果

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……放射線ホルミシス効果とは、1978年、ミズーリ大学のトーマス・D・ラッキー生化学教授
が、自らは実験や研究を行っていないが、20世紀初頭から知られていた低線量の放射線に
よる生物の各種刺激効果を、改めて他の多くの研究者の研究原著論文を総説(レビュー)の
中で紹介、整理することによって使用した言葉であり、アメリカ保健物理学会誌1982年12月
号に掲載された総説によって提唱された学説である。

この仮説では、低線量の放射線照射は、体のさまざまな活動を活性化するとされる。
ラッキー教授は小論文『原爆の健康効用』を発表し、原爆は健康を促進した面があるとしてい
る。
ただし、WHOは低線量であっても天然ラドンの放射線の危険性を指摘しており、また米国もそ
れに倣うなど、主流の学説ではない』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 が、同じくウィキペディア百科事典はこんな記事も載せている。

『……2006年、世界保健機構(WHO)は、ラドンの放射線が肺がんの重要な原因であることを
警告した。
アメリカもWHOに準じており、環境保護庁(EPA)は、ラドンに安全な量というものは存在せず、
少しの被曝でも癌になる危険性をもたらすものとしている。
また、米国科学アカデミーは、毎年15,000から22,000人のアメリカ人が屋内のラドンによる肺が
んによって命を落としていると推計する。
日本政府は2011年現在、特に警告は発していない』(ウィキペディア百科事典)と。

 あとの判断は、みなさん、それぞれ。
ただし一言。

 先日、私たちが泊まった旅館は、何10室もあるような大きな旅館だったが、客は私たちだ
け。
いくら「安全」と言われても、そう簡単には泊まれない。
しかもその根拠が、1978年の論文?
今から33年前。
「日本政府は2011年現在、特に警告は発していない」(ウィキペディア百科事典)というのも気
になる。

●ピロリ菌

 ピロリ菌についても、いろいろ調べてみた。
抗生物質を服用したからといって、100%、除菌できるというものでもないらしい。
それに40歳以上の人では、70%が保菌者とか(ウィキペディア百科事典)。

 で、こういう記述も見つけた。
こちらのほうが、私にとっては、わかりやすい。

いわく、

『近年、食品によるピロリ菌の抑制効果が確認されている。
発芽3日目のブロッコリーの新芽(スプラウト)を2ヶ月間継続して食べた感染者において、胃の
中に住むピロリ菌が減少したとの報告がされている。
ブロッコリーの新芽に含まれるスルフォラファンが有効成分の1つと考えられている。また、梅
に含まれるシリンガレシノールというリグナンの一種もピロリ菌の増殖抑制や胃粘膜への感染
防御に有効であることが発見された。
このほか、緑茶、緑茶カテキンやココア、ヨーグルト、コーヒー、わさび、ショウガ、ニンニク、キ
ムチ などでも抑制が報告されている。
さらに、ニュージーランド特産の蜂蜜であるマヌカハニーも、ピロリ菌駆除力を持つことが報告
されている。

ただし、これら多くの食品による抑制効果は限られた調査対象や動物実験を基にしたものが
ほとんどである。また、特定の食品だけを過剰に摂取することは(たとえピロリ菌に対しては効
果があったとしても)、全身の健康にとって良くないことは容易に想像できる。

ヘリコバクター・ピロリ関連疾患の現実的かつ実践的な予防対策として、広範囲な疫学調査に
基づき広く受け入れられているのは野菜と果物の摂取、および減塩である』(以上、ウィキペデ
ィア百科事典)と。

 ピロリの除菌については、もうしばらく様子をみてから、考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小1児に方程式を教えてみました】(はやし浩司 2011−09−27)


ほかの勉強とちがい、小1児では、方程式の概念をほぼ理解できた子どもが、70%。
まったく理解できなかった子どもが30%と、きれいに2つのグループに分かれました。
方程式を教えるためには、なお一層の工夫が必要と言うことが、わかりました。
なお今回は、ビデオカメラを忘れたため、手持ちのデジタルカメラを使って撮影しました。
そのため、途中、10分ほどの学習分が、録画できませでした。ごめんなさい!

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/yZ1SAIFu0kU?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/aYOSZkkcYNw?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/I8l0lddgM38?hl=ja&
fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月27日を終えて……

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今日は運動を2単位(サイクリング40分+ウォーキング30分)。
食事は控えめ。
体重は65キロ前後をキープ。
目標は、62〜3キロ。

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●小さな満足感

 仕事からの帰り道、車の中で、ワイフとこんな会話をした。

私「ぼくはね、生徒というのは、去っていくだけの存在と考えていた。
『人来たりて、また去る』とね。
フランスの詩人のジャン・ダルジーの言葉だよ。
しかし20〜30年の歳月を経て、生徒たちは、また戻ってきてくれた」
ワ「そうね。みんな戻ってきたわね」
私「……うん。みんな自分の子どもを連れて、戻ってきてくれた」
ワ「今、来ている生徒のほとんどが、そうみたいね」
私「……うん、60歳を過ぎて、こんなふうになるとは、夢にも思っていなかった……」

ワ「よかったわね……」
私「……うん。よかった……。覚えているか? あのAさん、Mさん姉妹、それにEさんたち…
…」
ワ「覚えているわ」
私「あの4人は、そのとき小学3年生と4年生だった。
英語検定試験というのがあってね、4人とも、3級と4級に合格した。
今の児童英検ではないよ。
本物の英語検定試験だよ。
当時、小学生の合格者は、全国でも、7〜8人だけだった。
ぼくはそのとき、『全国の合格者の半分は、うちの生徒だ』と、みなに自慢した」

ワ「そんなこともあったわね」
私「でね、うち3人は、女医さんになった。
もう1人は、ある国際機関で、事務局長をしているらしい」
ワ「あのEさんが……?」
私「そうだよ。ネットで調べたら、彼女の名前が出てきた……。
でね、今、その人たちの子どもが3人も、ぼくの教室に来ている……。
ぼくはね、それがたまらなく、うれしい……」と。

 ……しばらく沈黙がつづいた。
が、ふと独り言のように、「ハーバード大学」という名前が、口から出てきた。
小さな声だったが、ワイフはそれを聞き漏らさなかった。

ワ「すごいわね」
私「……うん……すごい」
ワ「ハーバード大学の医学部で研究室をもっているなんて、すごいわね」
私「うん、うれしい。ぼくはうれしい」
ワ「あなたのやってきたことの、正しさが証明されたのよ」
私「あのときのあの子たちが……と思うと、ね」と。

 当時、私は頭のよい女の子だけを4人集め、特訓教室を作った。
「英語検定試験にチャレンジしてみる!」と。
それが先に書いた、4人の子どもたちである。

 この40年間にいろいろなことがあった。
しかし今夜ほど、今の仕事に、意味を感じたことはなかった。
だれにも束縛されない、独自の教育。
独自の教材。
独自のカリキュラム。
そして自由!

 ただ誤解しないでほしいことがある。
だからといって、独善ではいけない。
それは、私もよくわかっている。
しかし私は学研という会社で、教材作りを、20年近くも経験している。
「幼児の学習」「なかよし学習」は、当時、毎月47万部の発売を記録した。
それ以後も、無数の教材の制作に関わってきた。
教材の世界では、私はいつもメジャー・リーグの中で生きてきた。
そういう経験を生かして、今の仕事をつづけている。

 ……ということで、今夜の私は、穏やかに眠れそう。
小さな満足感で、一日中、心がポーッと温かかった。

みなさん、ありがとう!
そして……おやすみなさい!
2011/09/27記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【日韓経済戦争】(2011年9月28日記)


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たがいにつづく、はげしい消耗戦。
本来なら、隣国として助け合って生きていかねばならない。
しかし不幸にして不幸なことに、日本と韓国の間には、大きなわだかまりがある。
反日と嫌韓。
加えて、双方の民族に共通する、精神の二重構造。
わかりやすく言えば、キツネとタヌキの化かしあい。
たがいに、何が本当で、何がウソかわからない。


が、ここにきて韓国経済は、大きな岐路に立たされている。
9月26日(火曜日)、ここ数日の世界的な株価上昇傾向を受け、
日本の株価(日経平均)は、236円の上昇をみた。
が、韓国の株価は、はげしい動揺を繰り返している。


ウォン安と株安。
輸出に依存する韓国としては、ウォン安を維持したい。
しかしウォン安になればなるほど、国内の物価は高騰する。
食料やガソリンなど。
どれも国民生活に直結している。


が、もっと深刻なことに、韓国では国民負債(金融負債)が、73兆円前後もあると言われてい
る。
(中央日報紙は、200兆円と報道している(2011年4月※)。)


多くはカード利用者。
日本の経済規模に換算すると、2・5倍の183兆円(韓国の人口は5000万人弱)。
中央日報紙の数字によれば、500兆円。
もしここで貸し出し金利をあげ、ウォン安を是正しようとすれば、その負担は即時に国民には
ね返ってくる。
今さら貸し出し金利をあげることもできない。


韓国人は、現在、国家的な「ワーキングプア状態」にある。
が、その責任は、多くの韓国人が思っているように、日本にあるわけではない。


大半の銀行は、アメリカの資本下にある。
サムスン、ヒュンダイにしても、実質的にアメリカの会社とみてよい。
そういう事実を韓国人は、まったく知らない。
知らないというか、知らされていない。


日本も円高で苦しんでいる。
しかし日本の貿易収支は、意外と少ない。
全体の5〜10%程度。
そのほかの部分は、資本収支、つまり「貸金業」で得ている。
私たちが学生時代には、「日本は貿易立国」というふうに学んだ。
しかし今は、実質的に、「高利貸し国家」に変身している。


(注※)(以下、中央日報、2011年4月4日より)


『1年間の収入が1100万ウォンで、負債が2500万ウォン。
韓国はこのような暮らしをしている。 


企画財政部と韓国銀行(韓銀)は3日、昨年末基準で個人・企業・政府の金融負債は2586兆
2754億ウォン(約200兆円)と明らかにした。09年(2408兆ウォン)に比べて7.4%増え
た。 


負債が最も多い経済主体は企業。昨年末基準で1281兆8392億ウォンの負債を抱えてい
る。個人は937兆2873億ウォンで前年比8.9%増えた。年内に1000兆ウォンを超える見
込みだ。 


政府の負債は367兆1016億ウォンで、個人や企業より少ない。しかし02年と比較した負債
増加率は政府(267.8%)が最も高く、企業(93.7%)と個人(88.6%)の順となった』(以
上、中央日報紙より)と。


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●日韓経済戦争

 日韓経済戦争については、長い間、書いてきた。
しかし3・11大震災以後は、停止。
日韓経済戦争どころではなくなってしまった。
あなたもそうだろうが、私もそうだった。
だれしも、こう思った。
「日本経済は、これでおしまい」と。


 これに小躍りしたのが、韓国の投資家たち。
日本株価の大暴落を横に見ながら、韓国の株価は大暴騰。
「大暴騰」という事実の中に、彼らの喜びが隠されていたとみる。
韓国人は、みな、こう思ったにちがいない。
「これで日本と韓国の立場は、逆転する」と。
事実、そうなるかのように見えた。
そこでイ大統領は、過激なとも思えるような手法で、ウォン安を誘導し、世界に向けて輸出攻勢
をかけた。
が、これが裏目に出た。
モノを売りたくても、買い手がいない!
肝心のEUは、欧州金融危機の真っ最中。


 結局、そのシワ寄せは、国民に。
それが500兆円という国民負債である。
人口5000万人で割ると、1人あたり、100万円。


 が、私はとても、こんな額ではないと考えている。
基本的な部分で、韓国の政府統計を、私は信用していない。
「借金」すらも、「投資」と位置づけてしまう国である。
2009年の6月に書いた原稿を、そのまま再掲載する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【日韓経済戦争】2009年6月28日号より


●韓国の資本収支(?)(Fake Income of South Korea)


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あなたが今、銀行から1000万円の借り入れ(借金)を
したとする。
その借り入れを、あなたは「収入」と呼ぶだろうか?
「収入」と位置づけるだろうか?
が、韓国では、どうやらそれを「収入」と位置づけている
らしい。


++++++++++++++++++++


●貿易統計


 このほど、韓国の貿易統計が公表された。
それによると、「5月の経済収支は、4か月連続の黒字となった」という。
その額、36億3000万ドル、とか(東亜N報)。
しかしその中身が、おかしい。
こうある。


『……資本収支は国内各金融会社の海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多
い純流入を記録した』(同)と。
 ここを注意深くよく読んでほしい。
こうある。


「海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多い純流入を記録した」と。
 そしてその額は韓国銀行の統計によれば、『5月の資本収支は、67億2000万ドルの純流
入により、4月(21億6000万ドルの純流入)に比べて流入規模が大幅に増えた。純流入で
は、史上最高を記録した、04年11月の76億7000万ドル以降、4年6ヵ月ぶりの最大規模
だ』(同)そうだ。


 つまり、67億2000万ドルの「純流入?」なるものは無視したまま、資本収支は、大幅に黒
字になった、と。
先に進む前に、もう一度、数字を整理してみよう。


(1) 5月の経常収支(貿易収支+サービス収支)は、36億3000万ドルの黒字を記録した。
(2)一方資本収支は、67億2000万ドルの「純流入?」だった。
 わかるかな?
この数字のマジック?


 簡単に説明しよう。


 ふつうどこの国でも、(もちろん日本でも)、資本収支というのは、(利息で得たお金)−
(利息として払ったお金)で計算する。
一家の家計にたとえて考えてみよう。


 あなたがAさんに1億円を貸した。
その利息が500万円入った。
つまりこれが資本収支でいう「収入」ということになる。


 一方、あなたはBさんから5000万円を借りている。
そのため利息を、250万円、支払わねばならなかった。
そこであなたの収支を計算すると、500−250=250万円となり、
250万円の黒字ということになる。
これを「流入」というのなら、話はわかる。


 ところが韓国では、「借金」まで、「流入資本」と位置づけ、「収入」としてしまう。
ここが恐ろしい。
もう一度、冒頭の記事をしっかりと読んでみてほしい。
こうある。


『……資本収支は国内各金融会社の海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多
い純流入を記録した』(同)と。


 「借金がふえたことにより、史上2番目の純流入を記録した」と。


わかりやすく言えば、借金については、不問。
しかしこんなバカげた経常収支報告が、どこにある。
韓国では、銀行からの借金は、すべて「収入」もしくは、「投資」となるらしい。


 もちろん「借金」は、「収入」ではない。
また「借金」と「投資」は、まったく異質のものである。
「借金」というのは「借金」。
いつか返済しなければならない。


一方、「投資」というのは、投資方が、そのリスクを負担する。
 で、ここで韓国の「純流入」とやらを、借金として計算しなおしてみる。
(もちろんその中では、日本で言う資本収支も含まれているが……。)


商品収支(=日本で言う貿易収支)……50億2000万ドルの黒字
サービス収支……14億7000万ドルの赤字
これで(?)、36億ドルの黒字(?)。
ナルホド!


そこで韓国政府は、「36億ドルの黒字だった」と、全世界に向けて発表した。
が、この額から、資本収支……67億2000万ドルの黒字(?)なるものを
引いてみると、どうなるか?
実は、31億ドルの赤字ということになる。
もう一度、家計にたとえて考えてみよう。


 あなたの現金収入は、50万円。
しかし子どもの学費、生活費などで、14万円、かかった。
だから36万円の収入ということになる。
が、同時に銀行から、67万円を借りた。
もちろんその67万円は、生活費に回した。


だから実際には、生活費は、14+67=81万円、かかったことになる。
今すぐ利息を返さねばならないというものではないが、借金は借金。
もしあなたがまともなら、こういう数字を見て、「我が家は今月も黒字だった」などとは、
言わないだろう。


実際には、31万円の赤字ということになる。


 つまりここに韓国流の経常収支の計算の仕方の、インチキ性がある。
日本の経常収支の計算方法とは、まったく異質のものである。
日本の貿易業者のみなさん、だまされるな!
(以上、2009年6月28日記)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●危機感


 当時の私は、かなり過激的な意見を書いていた。
それだけ私は日本の将来に、危機感を覚えていた。


韓流ブームとか何とかで、日本中が、韓国の洗脳番組にわきたっていた。
よい年齢をしたオバチャンたちが、こぞって韓国詣で。
そういう日本人のお馬鹿ぶりを尻目に、韓国政府はしたい放題。
結果、今や、アメリカでは、50%のテレビが韓国製。
貿易面ではしかたないとしても、竹島問題、東海問題などなど。


●消耗戦


 が、今も、その状況は基本的には変わっていない。
むしろ韓国政府は、国民の不満を外にそらそうと、反日政策をさらに強く推し進めている。
「悪いのは、日本!」と。


 が、韓国をよく知る人は、よくこう言う。
「韓国人は、政治(反日)と経済(親日)を、使い分けている」と。


 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
もちろん私は、そうは考えていない。
それが冒頭に書いた、「精神の二重構造性」ということになる。


 もし現在の状況のまま、日韓の経済的立場が逆転するようなことにでもなれば、それこそ日
本は万事休す。
日本は、インドに負けるのは構わない。
ブラジルに負けるのも、構わない。
しかし韓国にだけは、負けてはいけない。
日韓経済戦争には、日本の浮沈に関する重大かつ、深刻な問題が内在している。
それについてここに書くのは、避けたい。
避けたいが、何がどう内在しているかは、ほんの少し想像力を働かせてみれば、だれにもわか
るはず。


 今の今もつづく、はげしい消耗戦。
どちらが生き残るか。
それで、日韓経済戦争の勝者が決まる。
ここは、ただひたすら注視あるのみ。
2011/09/28朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「除霊?」で、中学生が死亡

+++++++++++++++++

思い込みというのは、だれにでもある。
私にもある。
あなたにもある。
しかしその思い込みにも、限度というものがある。
限度を超えたとき、それは事件になる。

TBS−inは、こんなニュースを載せている。

+++++++++++以下、TBS−iより+++++++++++++

……K県N町にある複数の建物。容疑者の自宅と同じ敷地に、宗教施設が設置されていま
す。今年8月、ここで事件は起こりました。

 敷地の中へと進んで行くと、祭壇が見えます。そして、水が流れた跡。ここは「お滝場」と呼ば
れる部屋です。ここで、中学2年生のMTさん(当時13、以下Tさん)が亡くなりました。一体な
ぜ、死に追いやられてしまったのでしょうか。

 事件現場で行われていたのは滝行。これにより、Tさんが窒息死したとして2人の男が逮捕さ
れました。傷害致死の疑いで逮捕されたのは、Tさんの父親で熊本市の会社員、M容疑者(5
0)と、この施設の僧侶、K容疑者(56)です。2人は「除霊」と称して水を浴びせていたといいま
す。

 K容疑者の妻は・・・
 「いろいろ来られるたびに(雰囲気が)違っていた、Tちゃんって。だから、お父さんも本当のT
ちゃんではないと言っていました」(K容疑者の妻)

 Tさんは数年前から心身の病気になり、K市内の病院に通院していました。中学校にも通え
なくなったTさんについて、M容疑者はK容疑者に相談。

 ところが・・・
 「(施設から)『痛いよ、ギャーギャー、痛いよ』と叫び声が」(宗教施設の近所の住民)

 Tさんが除霊のために受けたという滝行。固定した椅子に座らせ、ベルトやテープで縛り上
げ、父親のM容疑者がTさんを押さえつけ、顔面に水が当たるようにしていたといいます。これ
を5分から10分継続。K容疑者がお経を唱える中、行われていたといいます……。

+++++++++++以上、TBS−iより+++++++++++++

●信者が30万人!

 同じくTBS−iによれば、信者は、30万人という。

「……K容疑者の宗教施設には、「N正宗」と書かれています。総本山はS県にあり、信者は全
国に30万人ほどいるということです」と。

「……全国におよそ350か所の寺院や教会を抱える宗教法人の総本山。広大な敷地に荘厳
な本殿や五重塔が見えます。今回の事件を受け、総本山は『除霊ということは教えていない。
今後、破門も視野に処罰を検討する』とコメントしています」とも。

 全国に350か所の寺院や教会を抱えている。
信者数は30万人という。

●N正宗

 N正宗については、私はまったく知らない。
どんな教義をもち、どんな指導をしているかも知らない。
「お経を読んでいた」というところから、何かの経典を教義の柱にしていることは、わかる。
が、そこまで。
またN正宗側は、「除霊ということは教えていない」ということだから、そういうことなのだろう。
だからN正宗については、ここまでしか書けない。

 よく誤解されるが、宗教団体があるから信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、宗教団体は生まれ、成長する。
今回犠牲となった、Tさんの父親にしてもそうだろう。
報道によれば、Tさんは何か心の問題をかかえていたらしい。
不登校児にもなった。
それでTさんの父親は、当該宗教団体に、助けを求めた。
それが「滝行」という「除霊?」につながった。
結果、行きすぎた修行により、Tさんが死亡した。

 事故なのか、それとも狂った修行によるものなのか?
今のところ詳しくはわからない。
わからないが「固定した椅子に座らせ、ベルトやテープで縛り上げ、父親のM容疑者がTさんを
押さえつけ、顔面に水が当たるようにしていたといいます」(TBS)というのは、ふつうではな
い。

●宗教団体

 現在、全国に20万団体以上の宗教法人がある。
(平成19年12月31日現在、届け済みの日本の宗教法人数は182,709となっている。
が、実際には、見届けの団体も含めると、もっと多い。
この世界では、「法人」と「団体」は区別して考える。)

 私個人は、宗教を否定する者ではない。
先にも書いたように、それを必要とする人は多い。
そういう人たちはそういう人たちで、そっとしておいてやる。
それが「宗教の自由」(憲法)ということになる。

 が、中には、金儲けのため、あるいは政治活動のために信者を利用している団体もある。
さらにカルト化(狂信化)している団体もある。
この日本では、そういうのが、平気な顔をして、のさばっている。
あの忌まわしい事件を引き起こした、O真理教を例にあげるまでもない。

●カルトから子どもを守る

 私が20年ほど前に書いた本(「ポケモン・カルト・三一書房)の一部を、ここにコピーして転載
する。
この中で、フランスやベルギーでは、未成年者へのカルトへの勧誘を、きびしく戒めている点に
注意してほしい。

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<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/85/img8f7eaa1ezikczj.
jpeg" width="690" height="1002" alt="img214.jpg">

 子どもの心を守るための資料として、利用してもらえればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 カルト フランス ベルギー セク
ト カルト教団)2011/09/28記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【浜名湖かんざんじ荘にて】2011年9月28日水曜日

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今夕は、浜名湖かんざんじ荘にやってきた。
久しぶり?
この温泉(旅館)は、いつ来ても、安心して泊まれる。
その安心感が重要。
サービスにムラがあると、不安になってしまう。
もちろん料金も、安い。
おとな1人1泊、7500円(夕食、朝食つき)。
(特別サービス期間ということで、その料金。)

が、何よりもすばらしいのは、部屋からの眺望。
文句なしの、浜松イチ。
夏場のシーズンも終わり、今はシーズンオフ。
閑散期。
客も少ない。
たった今、風呂から戻ったが、私1人だけだった。
貸し切り風呂。
ワイフも、風呂から戻り、同じことを言った。
「貸し切り風呂だったわ」と。

+++++++++++++++++

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fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
●人ごみ

 混雑している様を、「人ごみ」という。
「ごみ」は、「混み」と書く。
しかし「ごみ(trash)」の「ごみ」にも通ずる。
人間を「ごみ」と言うのではない。
雑多な不用品を、「ごみ(trash)」という。
が、その昔には、ごみはなかったはず。

……ということを、山の中で生活するようになって知った。
田舎の山村に住んでいる人というのは、ほとんどごみを出さない。
ごみというごみを作らない生活が、定着している。
現代のように、ごみが多くなったのは、現代になってから。
だから人ごみというのは、やはり「人混み」をいう。
「ごみ(trash)」とは、関係ない。

 回りくどい言い方をしたが、私は、人ごみが嫌い。
長くいると、それだけで頭が痛くなってしまう。
だからこうして、どこかへ行くときは、できるだけ人の少ない場所、日時を選んで行動す
る。
そういう点では、天才的な(?)、勘が働く。

●安眠

 ここ数日、私は穏やかなやさしさに包まれている。
心は静か。
気分も落ち着いている。
夢見も悪くない。
寝起きの悪夢(今朝は、地震の夢)は、相変わらずだが、それを除けば安眠状態。
昨夜は11時ごろ床に入った。
一度、トイレに起きたが、目を覚ましたのは午前7時半。

よかった……。

●90歳の老夫婦 

 今日の新聞によれば、この浜松で、こんな事件があった。
ともに90歳の老夫婦が、心中したという。
詳しくはわからないが、施設から自宅へ帰ってきたあと、心中したという。
私はその話を聞いたとき、すかさず、「いい夫婦だなあ」と思った。
この種の心中事件にありがちな、悲惨さを、まったく感じなかった。
きっとこんな会話をしながら、心中したにちがいない。

男「いっしょに、死のうか?」
女「いいわよ……」
男「じゃあ、お前が先に行けよ」
女「頼むわね」と。

 そこで男が女の首をしめる。
女が死んだのを見届けてから、自分も、首をつる。

 あるいはこんな会話もしたかもしれない。

男「いろいろあったね。楽しかったよ。ありがとう」
女「私も、楽しかったわ。ありがとう」と。

 90歳まで生きられれば、御の字。
その老夫婦のことを言っているのではない。
私たち自身のことを言っている。
むしろ私たち自身は、90歳まで生きたいとは、思っていない。
長生きをすればするほど、みなに迷惑をかける。
その迷惑を、みなにかけたくない。

●「週刊現代」2011年7月9日号

 今日は、古い週刊誌をもってきた。
「週刊現代」の(7月9日号)。
ちょうど3か月前の週刊誌ということになる。
(今日は、9月28日だが、週刊誌の発刊日付というのは、プラス1週間にしてある。)

 古い週刊誌を読むのは、それなりに楽しい。
読んだ瞬間、一度過去に戻り、読み終えたとたん、現在に戻る。
小刻みなタイムスリップを楽しむことができる。
が、それ以上におもしろいのは、週刊誌の正誤を採点できるということ。

 「このとき、こう言っていた人がいたけど、まったく、ハズレ」とか、反対に、「この人
はズバリ、未来を予測していた」とか、など。
たとえば7月9日号は、「放射能はこんなに出ている」という記事を特集していた。
「列島縦断、全国100か所を独自調査」と。

 で、今その記事を読み直しているが、当時の緊張感がまったくないのは、どうしてか?
状況は何も変わっていない。
放射線値も、とくにさがったというわけでもない。
今の今も、相変わらず、放射性物質は、空中に放たれたまま。

 脳のほうが、勝手に現状を受け入れてしまった。
今は、そんな感じがする。
気になるのは、東電のM副社長が、こう言っていたこと。
「7月中旬までに、原子炉の安定冷却を行う」と。

 が、ご存知のように、いまだ安定冷却は、ほど遠い状態。
先ごろの発表では、「今年度中に……」ということになっている。

●御前崎原発

 ついでに改めて、一言。
御前崎(浜岡)に中部電力の原子力発電所がある。
が、常識で考えるまでもない。
あんなところに原子力発電所があること自体、正気の沙汰ではない。
狂っている。
今度の福島第一原発の事故で、それが身にしみてわかったはず。
にもかかわらず、地元の御前崎市長は、まだ迷っている(?)。

 これはもう可能性の問題ではない。
事故があるとかないとか、そんな問題ではない。
良識の問題。
金(マネー)に目がくらんだ人には、その良識がわからなくなる。

●夕食

 かんざんじ荘の夕食は、信じられないほど、おいしかった。
仲居さんも、私のことを覚えていてくれた。
食堂を出るとき、コック長までわざわざ出てきて、あいさつしてくれた。
「またお願いします」と私が笑って言うと、「よろしくお願いします」と。

 2階へあがると、そのままカラオケ室へ。
前にも書いたが、これほどまでのカラオケ室は、そうはない。
小さいが、まるで劇場のよう。
ワイフが3〜4曲、私が5〜6曲、歌った。
定番は、「シェナンドー」「7つの水仙」ほか。
ワイフの定番は、「花」「翼をください」ほか。
通路に出てからも歌っていたら、ワイフに叱られた。

●7時30分

 時刻は7時30分。
系列の、「華咲の湯」(舘山寺温泉街にある温泉)へ行こうと予定していたが、キャンセル。
少し疲れた。
「華咲の湯」へは、ほとんど毎週のように来ている。
回数券を買うと、1回、600〜1000円で入浴できる。
ここ、かんざんじ荘に泊まると、サービスでその割引券をくれる。

 が、今夜は、やめた。
書き忘れたが、このかんざんじ荘の風呂(温泉)は、これまた浜松イチ。
私が保証する。
こじんまりとした風呂で、どこがどうというわけではないが、清潔で、湯加減もよい。

眼下に、浜名湖が一望できる。

 ……ということで、このところ、やってくる温泉も決まってきた。

 弁天島では、「浜名湖リゾートホテル・ジ・オーシャン」。
舘山寺では、ここ「浜名湖かんざんじ荘」。
良心的で、手抜きがない。
料金の心配をせず、気楽に泊まれる。

●オーストラリアのD君へ

 日本人は、それに気づいていない。
それでふつうだと思っている。
しかし日本人の、二重マインド性は、外の世界から見ると、よくわかる。
「表」と「裏」を使い分ける。

 オーストラリア人には、それがない。
そのことも、日本という外の世界から見ると、よくわかる。
たぶん君たちは、それに気づいていないかもしれないが……。

 たとえば日本人は、よく知人に、こう言う。
「また遊びにおいでください」とか、「今度、こちらへおいでのときは、ぜひ寄っていって
ください」とか。
しかしそれは嵐の日に、「グッド・モーニング(おはよう)」と言うようなもの。
ただのあいさつ。
真に受けてはいけない。
だから言われたほうも、こう言う。
「はあ、また寄らせていただきます」と。

 表でニコニコ笑いながら、裏で、不平、不満を並べる。
日本人は、そういう芸当が平気でできる。
一方、君たちはできない。
だから貴君に、率直にアドバイスしたい。
「日本人と交際するときは、気をつけろ」と。

●表面(おもてづら)

 突然、オーストラリアの友人への手紙になってしまった。
ここで書くつもりはなかった。
しかしこの数日間、気になっていた。
いつか、ていねいに説明しなければ……と思っていた。

 オーストラリア人は、「遊びにおいで」と言われると、それをそのまま「招待」と受け取
ってしまう。
が、ここにも書いたように、それは単なる「あいさつ」。
日本人は、軽い気持ちで、そう言う。
言いながら、その責任を取らない。
本当にそのオーストラリア人がやってきたりすると、陰で不平、不満を並べる。

 長くつづいた封建時代という恐怖政治が、こういう国民性を作り上げた。
結論を先に言えば、そういうこと。

●老後の生きがい

 このあともう一度、温泉に入るつもり。
ワイフは、いつものようにDVDを見ている。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。
平和なとき。

 そうそう食事のとき、生徒の話になった。
最近は、ワイフのほうが積極的に、生徒たちの世話をしてくれる。
生徒たちも、私より、ワイフのほうを慕っている。

私はいつも悪党。
悪役。
ワイフはいつも、正義の味方。
そんなふうに、私たちを位置づけている。

 その中でも、よくL君が話題になる。
父親がイギリス人。
孫の誠司によく似ている。
それにSさん。
同じく孫の芽衣によく似ている。
L君やSさんが教室へ来る日は、朝からワイフはL君やSさんの話ばかり。
よほど楽しみにしているとみえて、その日はいつもより早い時刻に、自宅を出る。
悲しくも、いじらしいバー様心。

 ワイフもやっと自分の「道」を見つけたらしい。
老後に必要なのは、「道」。
道がなければ、生きていかれない。
よく人は、こう言う。
「老後は、孫の世話と庭いじり」と。
しかしそんなものは、「道」ではない。
生きがいにはならない。
ないことは、自分がその歳になってみると、」よくわかる。

あのキング牧師はこう言った。
『そのために命をかけることができることを発見できなかった人は、生きているのに適し
た(fit)人と言えない』と。
キング牧師は、まさに老後の統合性を一口で、言い表した。

●就眠儀式

 ワイフが2度目の風呂から戻ってきた。
戻ってきて、何やらせわしなく部屋の中を動き回っている。
若いころからそうで、寝る前のワイフは、忙しそう。
それがワイフの就眠儀式にもなっている。

 私も眠いが、実は、いつまでもこうして文を書いていたい。
思いつくまま……。
考えるまま……。

 それ以上に、パソコンのキーボードを叩いていると、気持ちよい。
パタパタ……。
パタパタ……。

 「もう、寝る?」と聞くと、「まだ……」と、ワイフは答えた。
髪の毛が乾くまで、いつもしばらく起きている。
長い髪の毛は、手入れがたいへん。
私などは、仕事に出かける前、数分くらいで、整えてしまう。
水で濡らし、整髪料をかける。
あとは櫛でといて、自然に乾くのを待つ。
いつもそれだけ。
それ以上のことは、しない。

●相対論

 あくまでも相対論。
頭のよい人は、頭の悪い人が、よくわかる。
脳みその奥の奥まで、よくわかる。
一方、頭の悪い人は、頭のよい人がわからない。
わかっても「自分と同じ」と思う。

 そのことは子どもを見ていると、よくわかる。
わざと私が簡単な計算をまちがえてみせると、子どもたちは本気になって、それを怒る。
子どもたちは子どもたちのレベルで、私を判断する。

 同じように、……というか、最近多いのが、明らかに私を「下」に見てくる母親たち。
ものの言い方、態度から、言葉の端から、それがわかる。
年配者に対する、畏敬の念など、みじんもない。

もっともこれは老人側にも責任がある。
この世の中、バカな老人が多すぎる。

で、こういう仕事を40年もしていると、子どものことだけではない。
母親たちのことまで、手に取るようにわかるようになる。
生い立ちから、現在に至る人生まで、わかる。
性格や性質、知性や人間性まで、わかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

 が、母親たちには、そういう私がわからない。
ただのジー様と思っている。
数年前だが、「林(=私)は本物の教師ではない」と言った母親がいた。
母親が直接そう言ったのではない。
子どもを通して間接的にそう言った。

 本物?

 かわいそうな母親だ。
化粧で身を飾り、化粧した姿を自分と思い込む。
同じように、相手もその化粧で判断する。
心理学の世界では、仮面(ペルソナ)という。
こういう生き方を繰り返していると、やがて仮面が仮面とわからなくなる。
自分の仮面もわからなくなるが、他人の仮面を見抜くこともできなくなる。
生涯、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ……。
肩書きや地位で相手を判断する人というのは、たいていこのタイプの人間と思ってよい。

 話が脱線したが、しかしこれも相対論。
私より頭の悪い人も多いが、一方、私より頭のよい人も多い。
そういう人から見れば、私もただの馬鹿。
偉そうなことは言えない。

●歴史的観光地

 ワイフは部屋にあった観光案内を読んでいる。
このあたりには、歴史的観光地が散在している。
どれも聞きなれた観光地。
知らないところはない。

それに40年も住んでいると、一目見ただけで、その人が浜松の人かどうかも、わかる
ようになる。
……というのは、少しオーバーだが、浜松の人は、独特の雰囲気をもっている。
その雰囲気で、わかる。

……人口を60万人(旧浜松市)としても、毎日10人の人と会えば、1年間で、約40
00人。
10年間で、4万人。
40年間で、16万人になる。
延べにすれば、ほぼ半数の人と知りあいということになる。

 その観光地。
最近は、どこも元気がない。
世代を経るごとに、趣向が変わってきた。
これからはもっと変わっていくだろう。
寺巡りや、戦場跡巡りでは、若い人たちを引っ張ってくる力はない。

●日本人

 私が日本人であることを強く意識したのは、アメリカへ行ったときのことだった。
車から降り、平原にポツンと立ったとき、体がつぶされんばかりの孤独感に襲われた。
「ここは、ぼくの住む国ではない」と思った瞬間、「ぼくは日本人だ」と。

 日本語など、まったく通じない。
日本語を読める人もいない。
日本がどこにあるかさえ、みな、知らない。
加えて、私の体は小さい。

 そのとき、こう考えた。
「もし日本という国がなくなってしまったら、文章など、いくら書き残しても、だれも読
んでくれなくなる」と。
自己否定ならぬ、国否定。
それだけはぜったいに、許してはいけない。
……と考えたとき、私は日本人であることを、強く意識した。

●就寝

 そろそろ寝る時刻。
「髪の毛、乾いた?」と聞くと、「だいたいね」とワイフ。
先ほどから、勝手に独り言を口にしている。
鼻歌も口ずさんでいる。

 就眠儀式も、そろそろ終わりに近づいたようだ。

 ……では、今夜はここまで。
9月28日、夜記

●9月29日(午前5時)

 今朝は午前5時、起き。
私は、クーラーのかかった部屋では、どうも安眠できない。
サワサワと乾いた風。
それが苦手。
一晩中、気になる。

 が、無理して眠ることはない。
万事、自然体。
その分だけ、昼寝時間を長くすればよい。
で、今、時刻は、正確には4時53分。
窓の外を見ると、東名高速道路には、相変わらず車の列が並んでいた。
空は真っ暗。
「もう働いている人がいる」と思ったとたん、おかしなことに、元気がわいてきた。

●平凡

 今日の予定は、とくになし。
いつものように日課と仕事をこなす。
そう言えば、昨日の中日新聞のどこかに、こんな言葉が載っていた。
記憶によるものなので、正確ではないが、こんな言葉だった。
『平凡をつづけることが、非凡なのだ』と。
 
 『平凡は美徳』と説いた哲学者もいる。
が、私はそういう言葉を聞くと、すぐこう考えてしまう。
「英語(外国語)では、『平凡』を、どう言うのだろう」と。
つまりそれはそれで、まちがっているとは思わない。
しかし国によって、言葉の使い方が、微妙にちがう。
もとの言葉は、どんな言葉だったのか。

 たとえば「立派な人」。
「尊敬される人」でもよい。
英語では「respected man」という。
しかし英語で「respected man」というときは、身分や肩書きは関係ない。
日本語で「立派な人」というときには、身分や肩書きのある人をいう。

 つまり日本人のばあい、無意識のうちにも、そこに身分意識をからめて考えてしまう。
もちろん欧米人には、そういう意識はない。
同じように、「平凡」はどうか?
「何でもない生活」を「平凡」というのか。
しかしこの日本では、「平凡」というときは、どこかに軽蔑の念をこめて、そう言う。

言うなれば、今日の私は、その平凡な生活を繰り返そうとしている。
何か物足りない。
そのこともあって、「それが非凡」と言われると、すかさず、「本当にそれでいいのだろう
か」という疑問をもってしまう。

 平凡からは、何も生まれない。

 ただこういうことは言える。
「平凡であることには、すばらしい価値が隠されている」と。
日々に、何ごともなく過ぎていく。
「生活」という面では、とても大切なことのように思う。
つまり『平凡をつづけることが、非凡なのだ』というのは、生活のあり方を言ったもの。
生きザマを言ったものではない。
……これは私の勝手な解釈によるもの。

●朝風呂

 平たく言えば、私は足(脚)が、スカスカすると(=冷えると)、眠れない。
東洋医学では、体のバランスを重要視する。
足が冷えるとうことは、その分だけ、頭のほうが熱くなるということ。
だから頭が冴えてしまう。
眠られない。
理屈はともかくも、現象論的には、正しい。

 だから自宅では、夏場でも、私は厚めのパジャマをはく。
が、今朝は浴衣。
寝る前に、ワイフがこう言った。
「あら、今日はパジャマを忘れた」と。

 ……ということで、午前5時起き。
これから朝風呂に入り、足を暖めてくる。
そのあともう一度、眠りなおす。
私は、子どものころから、そういうことが、自由にできる。
昼寝のときも、そうだ。
30分もあると、すぐ昼寝をする。
横になって5分後には、もう眠っている。
そういう私を見て、ワイフは、いつもこう言う。
「あなたは、いわねえエ〜。いつでもどこでも、すぐ眠られるからア……」と。

 これは私の特技かもしれない。
もちろんその反対に、寝損ねることもある。
そうなると、どうがんばっても眠られないときもある。
その朝風呂は、午前5時半から、となっている。
あと少し。

●貧しき根性

 朝風呂も、私、1人だけだった。
足を暖めていたら、軽い眠気が襲ってきた。
やはり、そういうものだった。
血圧とどう関係があるのかは、知らない。
しかし私は低血圧症。
今でも上が110前後。
下はときによっては、70以下になる。

 で、その風呂でのこと。
(温泉というよりは、風呂?)
シャンプーにしても、ボディソープにしても、自宅での量よりも、2倍以上も使ってしま
う。
そこが団塊の世代。
貧しき団塊の世代。
こんなところにも、体にしみこんだ貧しさが潜んでいる。
それが60年もたった今でも、こうして顔を出す。

●湖面

 窓の外には、幾重にも重なった山々が見える。
近くから濃紺、やや薄い紺色、そして灰色がかかった水色とつづく。
湖面は静か。
何そうかの漁船が、縦、横に走り、そのつど、湖面に筋が走る。
「さぞかし気持ちいいだろうな」と思う。

 それぞれの人には、それぞれの生き方がある。
どの生き方がよいとか、悪いとか、そういう判断はくだしてはいけない。
ただ私は、こう思う。
生き方を選ぶとしたら、やはり自然に包まれた生き方のほうが、よい、と。
そのほうが、ずっと人間らしく、生きることができる。
経営的にはたいへんかもしれないが、だからといって、その人の生き方がまちがっている
ということではない。
社会のほうがまちがている。

 銀行や証券会社のディーリングルームでは、20、30歳そこそこの若い人が、数秒単
位で、億単位のお金(マネー)を、儲けたり、損をしたりしている。
そういう世界のほうが、おかしい。
狂っている。
余計なことかもしれないが……。

●黄金色

 ワイフが、私と入れ替えに、朝風呂を浴びるために、部屋から出て行った。
ひとり残された私は、部屋で、お湯をすする。
ぼんやりと遠くの景色をながめる。
遠くを走る、ボートの音。
今しがた立って手前の木々を見ると、朝日を浴びて、黄金色に輝いていた。
風もなく、静かな朝。
 
 ……今ごろになって、眠気が襲ってきた。
が、朝食は、7時半から。
まだ1時間以上も、ある。

●ワイン

 ……眠い。
が、ワイフは部屋を出るとき、布団を丸めて出て行ってしまった。
これでは横になることもできない。
しかたないので、座椅子に座ったまま、こうして時間を過ごす。

 雑誌に目を通すほどの気力もない。
部屋の片づけもしなくてはならない。
が、その気力もない。
……眠い。

 そうそういいことを発見した。
先日、チリ産の安いワインを買ってきた。
英語で言えば、「ドライ・ワイン」。
甘みのないワイン。

 が、どうも口に合わない。
そこで昨夜、そのワインに、アセロラ・ジュースを少し混ぜてみた。
とたん、飲みやすくなった。
安いマグロの刺身に、マヨネーズをつけるとトロ味になる。
いつだったか、豊橋でかまぼこを作っているヤマサという会社の社長が、そう教えてくれ
た。
それと同じか?

 おかげで酒が飲めない私が、チビチビと何回も飲んでしまった。
今のところ二日酔いは起きていない。
だいじょうぶかな?

●相談

 たった今、メールを開いてみたら、1通、こんな相談が掲示板に載っていた。

【SKさんより、はやし浩司へ】

『はじめまして。息子のことで悩んでおり、こちらを見つけました。どうぞよろしくお願いします。

息子は7歳(小一)で、下に3歳(年少)の妹がいます。父母との4人暮らしです。
ここ2年くらい、不機嫌なことが多く(波があっておだやかな時期もあるのですが)、イライラして
いるとほんの些細なことで騒いだり、母親の私に乱暴をしたり(手加減はしてるようですが)、も
のを倒したり本棚の本をぶちまけたりします。
今までは家の中で私に当たることが多く、幼稚園や公共の場で困ったことをすることはなかっ
たのですが、小学生になって1学期の終わりくらいから、家以外での問題行動が増え、学校で
は授業中立ち歩いたり他の子にちょっかいを出したり物を投げたりとにかく落ち着きがないよ
うで、先生も困っている様子です。

先生の記事もいくつか読ませていただいて、何か家庭で問題があるのかなと考えているのです
が、なかなかよい解決方法が見つからずにいます。
うちは父親が厳しく、母親が優しいという感じの家庭です。
私自身は子供を信頼して口は出さないおおらかな母に育てられ、私の兄も私も反抗期もなく自
立しました。子供もそのように育てたいと思っています。できるだけ子供の話はよく聴いて気持
ちに共感しているつもりです。泣きたいときは我慢せずに泣かせたり。子供の悪い部分には注
目せずに頑張っているところやあたりまえの行動に注目して、子供のあるがままを認めてあげ
たいと思ってきました。なので、これ以上どうしたらいいのか悩んでいます。

息子の特徴としては、気が弱くて、ちょっと神経質なところがあります。小さいときからブランコ
など恐くて乗れなかったり、自信のないものにはチャレンジできなかったり。運動は苦手です
が、工作など物を作るのが大好きで同年齢の子に比べると高度な物が作れます。ただ完璧主
義で思う通りに作れないと癇癪を起こしたりします。家族でも人が口をつけたものは口にしませ
ん。ルールから外れるのを嫌がり、公共の場所では注意書きを気にします。飲食禁止と書か
れたところで妹に水を飲ませようとするだけでも怒ります。妹が悪いことをするのも許せませ
ん。自分に何かされたわけでなくてもよく妹に怒っています。何かに遅刻しそうになると「もう行
かない」などと、遅れることを嫌がります。学校へも忘れ物するのが嫌で教科書などは全て毎
日ランドセルに入れています。学校の勉強には充分ついていけているようですが、宿題などで
間違えに気づくと「お母さん消して!」「もうやんない」と放り投げます。照れ屋で口が悪いので
素直に友達に「入れて」と言えなかったり、友達作りも苦手なほうです。同じマンションで仲のい
い友達がいてそのこと遊べているので楽しいときもありますが、遊べないと不機嫌です。「たい
くつ」「つまらない」が口癖です。友達から嫌なことをされたときに謝られてもなかなか許すこと
ができません。それから甘えん坊で夜は私に触れていないと寝られません。テレビが大好きで
制限がなければ何時間でも見ていられます。ただ小さい頃から見る習慣はなく、今も父親に一
日1時間程度と制限されているのでその程度です。ゲームも大好きですが、家にないので借り
てやる程度です。小さい頃アレルギーがあって、野菜中心砂糖控えめの食生活でした。今はか
なり適当です。おやつは甘い物を好みます。

父親は弱虫でいつまでも母親にべたべたしている息子に不満を持っていて、厳しく叱っていま
す。息子は父親の顔をかなりうかがっており、父親が家にいるときは悪いことはしません。父親
自身体罰ありの厳しい家庭に育っています。自分の思い通りにならないとすぐイライラして相手
に怒りをぶつけます。よく考えると息子は父親にかなり似ています。主人には「お前があまやか
してるからつけあがっているんだ。悪いことをしたらシバいたほうがいい」と言われます。確か
に、息子は私に命令するときもあり、それをきかないと騒ぐので私も言うことをきいてしまうこと
があり、私はなめられているのかなという気もします。ただどうしても本人も自分の性格をもて
あまして苦しんでいるようにも思え、私にしか発散できないなら受け止めてあげたほうがいいの
かなとも思ったり。人を傷付けたり誰かに迷惑をかけるようなときは厳しく言っているつもりです
が、それ以外のことでは甘いのかなあと。
今はまだ押さえることができますが、もっと大きくなって暴れられたらどうしようという不安もよぎ
り。その気持ちがあるということは心の底から子供を信頼できていないのかな。それを息子は
見抜いているのかなとも思ったり。
そんな感じで、どうすべきか今悩んでいます。何かよいアドバイスがあればよろしくお願いしま
す。

●愛情飢餓

 一口で言えば、「愛情飢餓」。
SKさんの息子は、慢性的な愛情飢餓状態にある。
原因は、「下の子が生まれた」こと。
こういうケースでは、親は、「平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子にしてみれば、「平等(=半分)」ということが、おもしろくない。
下の妹は、家族というより、自分から母親を奪った「恋敵(こいがたき)」ということにな
る。

 要するに家庭教育の失敗ということになる。
で、こういうケースのばあい、もう一度、全幅の愛情を、上の子(息子)に注ぎなおして
みるしかない。
(妹にはかわいそうだが、こういうケースのばあい、妹には、寛容力があるはず。)
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など。
子どもがそれを求めてきたら、すかさず、愛情表現をしてやる。
「あとでね」とか、「今、ママは忙しいの」は、禁句。

 子どもの側からみて、安心感を覚えるような家庭環境を大切にする。
問題は、父親(=夫)だが、父親と対立するのは、まずい。
「あなたの言うとおりね」と言いながら、父親の言いたいこと、したいことを、先にまわ
ってする。
父親も、息子を相手に、飢餓状態にある。
つまり嫉妬している。
父親も、大きな駄々っ子と思えばよい。
権威主義的に見えるかもしれないが、それも自分の弱さを隠すための反動形成と考えれば
よい。
(詳しくは、「はやし浩司 反動形成」で検索。)

 コツは、息子を、けっして家族から孤立させないこと。
父親と息子を断絶させないこと。
親子の糸を切らないこと。
息子に、そう感じさせないこと。
キーワードは、先にも書いたが、「安心感」。
息子が安心しているかどうかだけを見ながら、接する。

 こういうケースで気をつけなければならないのは、親がアタフタすること。
叱ったり、説教したりするなど。
それが悪循環となり、息子をますます悪い方向に追いやってしまう。

 その安心感を覚えるようになれば、1週間単位で、症状はウソのように消える。
つまり息子は、そういう形で、母親のあなたを困らせる。
困らせて、自分へ関心を向けさせようとしている。

 この問題は、今日、自宅に帰ってから、もう一度、考えてみたい。
文字化けの部分が多くて、内容がよくわからない。
その旨、返信メールを送ったので、また連絡があるはず。

 ……少し眠気が取れたかな?

●帰り支度

 そろそろ帰り支度をしなければならない。
ワイフはすでに服を着て、スタンバイ。
私はまだ浴衣のまま。

 では、「浜名湖かんざんじ荘にて」は、ここまで。
予約電話は、053−48−0330。
そのつどいろいろなキャンペーンをしているので、こまめに料金などを問い合わせるとよ
い。
地元の電車会社である遠鉄系の旅館(ホテル)だから、安心して泊まることができる。
つまり従業員の人たちの教育も行き届いていて、サービスよし、接客マナーよし、料理よ
し……。
ついでにここへ来たら、カラオケルームも利用するとよい。
1曲200円で、歌える。
なお11月いっぱいまで、シーズンオフということで、現在の料金体系とか。
今が、チャンス。

(はやし浩司 浜名湖かんざんじ荘 浜名湖舘山寺荘 はやし浩司 浜松市舘山寺温泉 
はやし浩司 2011−09−28 舘山寺大草山 舘山寺かんざんじ荘にて)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月30日(金曜日)(9月、最終日)

+++++++++++++++++

昨夜、仕事の帰りに、書店に立ち寄る。
「週刊新潮」誌を買う。
そのときついでに横に並んだ、女性週刊誌
を開くと、こんな記事が目にとまった。

何でも今度の皇太子妃のMさんの警備費に、
5000万円以上もかかったという。
(Mさんが、娘のサマーキャンプに同行した
ときの費用をいう。)
ホテルは、1泊、10万円。
プラス、あれこれ。
実際には、もっと多額の費用がかかったという(「週刊Z」誌)。

 女性週刊誌というと、皇室の(耳障りのよい)記事だけを
流していると思っていた。
その女性週刊誌が、皇室の批判記事。
こうした記事は、たいへん珍しい。
珍しいから、驚いた。

+++++++++++++++++

●北朝鮮の金ファミリー

 韓国の中央日報は、こんな記事を配信している。

 なんでも金正日(キム・ジョンイル)一家が、愛犬に年間10万〜20万ドルを支出するなど豪
華生活をしているという。 

 いわく、『北朝鮮が2009−2010年に購入した米国製シードゥー・ジェットスキー10余台は
元山(ウォンサン)などの専用別荘で金正恩(キム・ジョンウン)が使用している」とし「昨年10
月にはロシアの代表的な馬を数十頭も購入し、金正恩とその家族が乗馬用に利用している」と
明らかにした』と。 

金ファミリーのぜいたく生活は、以前から報道されている。
ほかにも、『金正日一家は09年、中国から「ジョニーウォーカーブルーラベル」など高級ウイス
キー200本を輸入、金正日が主管する宴会で消費した。昨年は仏ピカール社から購入した最
高級ワイン600余本を金正日が準備した宴会で消費したという』(同)と。 

 その一方で、今年の北朝鮮は、台風に見舞われ、米作が大被害を受けたという。
そんなニュースも伝わっている。

●国それぞれ

 お金のある人は、それなりの生活をすればよい。
お金のある国は、それなりの国家運営をすればよい。
日本は日本だし、北朝鮮は北朝鮮。
国民がそれに納得しているのだから、私としては、これ以上のことは、ここには書けない。
ただ、こういうことは言える。

 個人としての幸福感は、もっと別のところにあるのではないか、と。
満足感でもよい。

 警備にそれだけの費用がかかるのは、しかたないことかもしれない。
必要経費。
しかし警備されるMさん自身は、どうなのだろうか。
さぞかし迷惑したことだろう……と思う。
私なら、「うるさい! 私のしたいようにさせて!」と叫んだかもしれない。

 一方、北朝鮮の金ファミリー。
ジェット・スキーを10余台も購入していたという。
さらに愛犬に、年間10万〜20万ドルを支出しているとか。
20万ドルということは、北朝鮮人の平均月収の、10万倍!
(日本円に換算しても、1400万円。)
もちろん愛犬の世話係として、何10人もの担当者が割り当てられているにちがいない。
こちらは必要経費というより、「ぜいたく」。

 しかしどうであれ、ともに桁外れ。
「そういう世界もあるのだなあ」と思ったところで、思考停止。
私がおととい泊まった旅館は、1泊、7500円。
なんだか自分がみじめになる……と書きたいが、私はゼンゼン、みじめとは思っていない。
メルボルン大学にいたとき、私はインターナショナル・ハウスにいた。
当時、ハウスの留学生は、そのほとんどが、各国からの王子や皇太子ばかりだった。
そういう学生と、1年間、寝食を共にしたことがある。
そのとき書いた原稿を、いくつか、紹介する。

【世にも不思議な留学記』byはやし浩司、より(中日新聞掲載済み)

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オ−ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生
活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、インター
ナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモ−リシャスの皇
太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレ−シアの大蔵大臣の息子など。ベネズエラの石油王
の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。「インド
ネシア語か、それとも家族の文字か」と。

 「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあった。
また「マレ−シアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされたときにも、驚い
た。一人名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。「ピンキーとキラーズ」(当時
の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に立っているのが兄だ」と笑った。

 今度は私の番。「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。そこで「自転車屋だ」とい
うと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。私が「いや、田舎の自転車屋だ」というと、「ビルは何
階建てか」「車は、何台もっているか」「従業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を共に
し、スピ−チをして帰った。よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次官が、井口
領事に連れられてやってきたこともある。

 山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。その前年にはマダム・ガン
ジ−も来たし、『サ−』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってきた。インドネシアの海軍が来
たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところへ、あいさつに来た。そ
のときは私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という理由
で、私は席をはずすように言われた。当時は、まだそういう時代だった。変わった人物では、ト
ロイ・ドナヒュ−という映画スタ−も来て、一週間ほど寝食をともにしていったこともある。『ル−
ト66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼンチンか
らの帰り道、私たちのハウスへやってきた。そしてダンスパ−ティをしたのだが、ある国の王子
が日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。で、彼のためにラブレタ−を書
いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私にくれた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。その国では、彼にさからう
人間など、誰もいない。さからえない。おかげで私は、オ−ストラリアへ着いてからすぐに、すば
らしい女性とデートすることができた。そんなことはどうでもよいが、そのときのジュンコという女
性は、後に大橋巨泉というタレントと結婚したと聞いている。

 ……こんな話を今、しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。私もそう思われるのがいやで、めった
にこの話はしない。が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。一九七〇年の
春。そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子の悩み【11】

●王子や皇太子は皆、偽名!

 ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。ほ
かの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。このことは前にも書いた。


 しかし日本へ帰国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いても、皆、
「知らない」「そんな男はいない」と言う。そんなはずはない。そこである日、それも五年ほどもた
ってからのことだが、同じハウスにいたオーストラリアの友人にそのことを聞くと、こう教えてくれ
た。


 「ヒロシ、君は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。つまり警護上の理由で、
ハウスでは、偽名を使っていたというのだ。しかも私が彼らの仲のよい友人だと思っていた男
たちは、友人ではなく、それぞれの国の大使館から派遣された、護衛官であったという。

 もちろん私は本名で通した。護衛官など、私にはつくはずもない。が、こんなことがあった。

 ハウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。外からかかってきた電話
を、それぞれの部屋につなぐ係だ。その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。しかし彼
は約束の時間になっても来なかった。

 そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。しかしやってきたのは、彼の
友人(あとで護衛官とわかった男)だった。私は怒った。怒ってまた電話をつなぎ、「君が来るべ
きだ。代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。

 やがて「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。その友
人が私の部屋にやってきて、こう言った。「君は、わが国の王子に何をしているのか、それが
わかっているのか。モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。この町にもある。じゅうぶん
気をつけろ」と。その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこで有罪と決まると、誘
拐、処刑までするということだった。

 その王子。どういうわけだか、私には気を許した。許して、いろいろなことを話してくれた。彼
の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータスになっているとか、など。夜遊びをしたこと
もある。モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともある。

 が、一見、華々しく見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧感にも
苦しんでいた。ほんの一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰にも会おうと
しなくなってしまったこともある。詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰り返し、ハウスの中で
話題になったこともある。

●「あなたはホテルへ帰る」

 そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。私は彼の国を旅行することになった。旅行と言って
も、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍しているのを知
った。街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。

 それを見ながら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運転手は
こう言った。「王子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。そこで私が「彼と一
緒に勉強したことがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも勉強した。みんなと勉
強した」と。

 そこでさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、「あなた
はホテルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。まったく会話がかみ合
わなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最高の教育とは【15】

●私はとんでもない世界に!

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。こ
のことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本Y氏だっ
た。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。

 私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委
員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたび
に、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「どうし
て私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。

 正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひろ)』が
同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたことだが、
私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、各国の王族
や皇族の子弟ばかり。

 私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大臣
の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕
食を共にした。

 首相や元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。ときどき
各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。東京大学
から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もいたし、井口領事が、よど号ハイ
ジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村運輸政務次官を連れてきたこ
ともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来ていた。

 が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活をしている
ことすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活をしていると思
ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思ったこともない。が、一
度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがある。

●落ちていた五〇セント硬貨 

 ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあった。
ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれかが落と
したものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。

 当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれにでもで
きた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこに
あった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そ
のときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この浜松
市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いて
いるという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも私を支え、
救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。

 私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だった
が、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨のおかげ
だった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高く生きることがで
きた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

非日常的な日常【19】
 
●ケタ違いの金持ちたち

 王族や皇族の子弟はもちろんのこと、公費留学生は別として、私費で留学してきたような連
中は、その国でもケタ違いの金持ちばかりだった。

 アルジェリアのレミ(実名)、ベネズエラのリカルド(実名)などは、ともにその国の石油王の息
子だった。フィージーから来ていたペイテル(実名)もそうだった。しかしその中でも異色中の異
色は、香港から来ていたC君という学生だった。実名は書けない。書けないが、わかりやすく言
えば、香港マフィアの大親分の息子ということだった。

 彼の兄ですら、香港の芸能界はもちろんのこと、映画、演劇などの興行を一人で牛耳ってい
た。ある日C君の部屋に行くと、彼の兄が「ピンキーとキラーズ」(当時の日本を代表するポップ
シンガー)や布施明と、仲よく並んで立っている写真があった。彼らが、香港で公演したときとっ
た写真ということだった。

 いつかC君が、「シドニーにも、おやじの地下組織がある。何かあったら、ぼくに連絡してくれ」
と話してくれたのを覚えている。

●インドネシア海軍の前で閲兵

 こういう世界だから、日常の会話も、きわめて非日常的だった。夏休みに日本でスキーをして
きたという学生がいた。話を聞くと、こう言った。

 「ヒロシ、ユーイチローを知っているか」と。私が「ユー……」と口ごもっていると、「ユーイチロ
ー・ミウラ(三浦雄一郎、当時の日本を代表するスキー選手)だ。ぼくはユーイチローにコーチ
をしてもらった。君はユーイチローを知っているか?」と。しかも「日本の大使館で大使をしてい
る叔父と、一緒に行ってきた」などと言う。

 そういう世界には、そういう世界の人どうしのつながりがある。そしてそういうつながりが、無
数にからんで、独特の特権階級をつくる。それは狂おしいほどに甘美な世界だ。

 一度、ある国の女王が、ハウスへやってきたことがある。息子の部屋へ、お忍びで、である。
しかしその美しさは、私の度肝を抜くものだった。私は紹介されたものの、言葉を失ってしまっ
た。
「これが同じ人間か……」と。

 あるいはインドネシア海軍がメルボルン港へやってきたときのこと。将校以下、数一〇名が、
わざわざバスに乗って、西ジャワの王子のところへ挨拶にやってきた。たまたま休暇中で、ハ
ウスにはほとんど学生がいなかったこともある。私はその王子と並んで、最敬礼をする将校の
前を並んで歩かされた、などなど。

●やがて離反

 が、私の心はやがて別の方へ向き始めた。もう少しわかりやすく言えば、そういう世界を知れ
ば知るほど、それに違和感を覚えるようになった。私はどこまでいっても、ただの学生、あるい
はそれ以下の自転車屋の息子だった。

 一方、彼らはいつもスリーピースのスーツで身を包み、そのうちのまた何人かは運転手つき
の車をもっていた。そういう連中と張りあっても、勝ち目はない。仮に私が生涯懸命に働いて
も、彼らの一日分の生活費も稼げないだろう。

 そう感じたとき、それは「矛盾」となって私の心をふさいだ。最近になって、無頓着な人は、「そ
ういう王子や皇太子と、もっと親しくなっておけばよかったですね」などと言う。「旅行したら、王
宮に泊めてもらいなさい」と言う人もいる。今でも手紙を書けば、返事ぐらいは来るかもしれな
い。しかし私はいやだ。そういうことをしてペコペコすること自体、私にとっては敗北を認めるよ
うなものだ。

 やがて私は彼らとは一線を引くようになった。彼らもまた、私がただの商人の息子とわかる
と、一線を引くようになった。同じ留学生でありながら、彼らは彼らにふさわしい連中と、そして
私は私にふさわしい連中と、それぞれグループを作るようになった。そしてそれぞれのグルー
プは、どこか互いに遠慮がちになり、やがて疎遠になっていった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子、皇太子の中で【27】

●VIPとして

 夏休みが近づくと、王子や皇太子たちは、つぎつぎと母国へ帰っていった。もともと彼らは、
勉強に来たのではない。研究に来たのでもない。目的はよくわからないが、いわゆるハクづ
け。

 ある国の王子の履歴書(公式の紹介パンフ)を見せてもらったことがある。当時は、海外へ
旅行するだけでも、その国では重大事であったらしい。それには旅行の内容まで書いてあっ
た。
「○○年X月、イギリスを親善訪問」とか。

 一方、オーストラリア政府は、こうしたVIPを手厚く接待することにより、親豪派の人間にしよう
としていた。そういうおもわくは、随所に見えた。いわば、先行投資のようなもの。一〇年先、二
〇年先には、大きな利益となって帰ってくる。

 私のばあいも、ライオンズクラブのメンバーが二人つき、そのつど交互にあちこちを案内して
くれたり、食事に誘ってくれたりした。おかげで生まれてはじめて、競馬なるものも見た。生まれ
てはじめて、ゴルフコースにも立った。生まれてはじめて、フランス料理も食べた。

●帝王学の違い?

 私たち日本人は、王子だ、皇太子だというと、特別の目で見る。そういうふうに洗脳されてい
る。しかしオーストラリア人は、違う。イギリスにも王室はあるが、それでも違う。少なくとも「おそ
れ多い」という見方はしない。

 このことは反対に、イスラム教国からやってきた留学生を見ればわかる。王子や皇太子を前
にすると、「おそれ多い」というよりは、まさに王と奴隷の関係になる。頭をさげたまま、視線す
ら合わせようとしない。その極端さが、ときには、こっけいに見えるときもある(失礼!)。

 で、こうした王子や皇太子には、二つのタイプがある。いつかオーストラリア人のR君がそう言
っていた。ひとつは、そういう立場を嫌い、フレンドリーになるタイプ。もうひとつは、オーストラリ
ア人にも頭をさげるように迫るタイプ。アジア系は概して前者。アラブ系は概して後者、と。

 しかしこれは民族の違いというよりは、それまでにどんな教育を受けたかの違いによるもので
はないか。いわゆる帝王学というのである。たとえば同じ王子でも、M国のD君は、ハウスの外
ではまったく目立たない、ふつうのズボンをはいて歩いていた。かたやS国のM君は、必ずスリ
ーピースのスーツを身につけ、いつも取り巻きを数人連れて歩いていた。(あとでその国の護
衛官だったと知ったが、当時は、友人だと思っていた。)

●王族たちの苦しみ

 私は複雑な心境にあった。「皇室は絶対」という意識。「身分差別はくだらない」という意識。こ
の二つがそのつど同時に現れては消え、私を迷わせた。

 私も子どものとき、「天皇」と言っただけで、父親に殴られたことがある。「陛下と言え!」と。
だから今でも、つまり五六歳になった今でも、こうして皇室について書くときは、ツンとした緊張
感が走る。が、それと同時に、なぜ王子や皇太子が存在するのかという疑問もないわけではな
い。ただこういうことは言える。

 どんな帝王学を身につけたかの違いにもよるが、「王子や皇太子がそれを望んでいるか」と
いう問題である。私たち庶民は、ワーワーとたたえれば、王子や皇太子は喜ぶハズという「ハ
ズ論」でものを考える。しかしそのハズ論が、かえって王子や皇太子を苦しめることもある。

 それは想像を絶する苦痛と言ってもよい。言いたいことも言えない。したいこともできない。一
瞬一秒ですら、人の目から逃れることができない……。本人だけではない。まわりの人も、決し
て本心を見せない。そこはまさに仮面と虚偽の世界。私はいつしかこう思うようになった。

 「王子や皇太子にならなくて、よかった」と。これは負け惜しみでも何でもない。一人の人間が
もつ「自由」には、あらゆる身分や立場を超え、それでもあまりあるほどの価値がある。「王子
か、自由か」と問われれば、私は迷わず自由をとる。

 私はガランとしたハウスの食堂で、ひとりで食事をしながら、そんなことを考えていた。

(注:さらに読んでくださる方は、「はやし浩司のHP」より、「世にも不思議な留学記」へどうぞ!
(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●時代は変わった?

 まあ、書きたいことは、いろいろある。
正田氏から聞いた話も、たくさんある。
しかしこの話は、ここまで。

 私は良識ある日本国民。
国として、国が定めたことには、従う。
2011/09/30朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●9月30日

【幼稚園児に方程式を教える】2011年9月30日

●はじめてのチャレンジ!

 今日、幼稚園児を相手に、方程式を教えてみた。
私にとっても、はじめての試み。
おそらく、世界でもはじめての試みではないか?
「できるかな?」という心配と不安は、あった。
それもあって、レッスンの前、いつもになく緊張した。
気合いを入れた。
「やってやる!」という、意気込み。
それがないと、失敗する。
自分でも、それがよくわかっていた。
だから気合いを入れた。
入れながら、「ええい、ままよ!」と、レッスンを始めた。

一度、途中で「このあたりでやめて、ふつうのレッスンに
戻そうか……」と迷った。
しかし子どもたちのほうが、私を支えてくれた。
レッスンに乗ってくれた。

で、結果は、大成功!
めでたく最後まで教えることができた。
幼稚園児が、方程式を解くところまで、指導することができた。
うれしかった。
楽しかった。
またまた幼児のもつ能力のすばらしさに、驚いた。
これがあるから幼児教育は、やめられない!

今回は、高画質版で、YOUTUBEにUPした。
私にとっても、記念すべき録画となった。

(1)
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(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/Pcnf41FFqEA?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/pctLwPEzeSY?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(4)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/WkI1mwfMUJ4?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児に方程式 方程式のレッス
ン 実験教室 幼児に方程式を教える 方程式の学習 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●近所の老人

+++++++++++++++++++++

私の兄が、ボケたときのこと。
兄が67、8歳のときのことだった.
兄は、近所のあちこちで、おかしな行動を繰り返した。

植木鉢の葉を摘んでしまう。
小鳥を籠から逃がしてしまう。
ゴミを他人の家の隅に、捨ててしまう。
車のナンバープレートに落書きをする。

そのつど、近所の人たちから、苦情が届いた。
同じく、そのつど、私たち家族は身を切られるようなつらい思いをした。

それから7、8年。
今度は逆の立場になった。
私の近所に、少し頭のボケた人がいる。
あちこちで、おかしな行動を繰り返している。

近所といっても、私の教室のある地域でのこと。
たとえば道路脇にじっと立ち、私の教室の生徒が出入りするのを、見つめるなど。
男性。
75歳前後。
そのつど私は、「何か用ですか?」と声をかける。
声をかけたとたん、サッと振り向いて、去っていく。

こういうことが、ここ1、2年の間に、何回もあった。
が、そのたびに、私は兄のことを思い浮かべた。
黙った。

その男性……。
どこのどういう人か、よく知っていた。
20年ほど前には、ある時期、毎日のように会っていた。
が、断絶した。
私がその男性の信仰を批判したのがきっかけだった。
以後、私のところへやってきては、「林さん、あなたは地獄へ落ちる」と言った。
ほかにもいろいろあって、私はその男性から遠ざかった。
……というより、無視して、避けた。

それはともかくも、家族も、きっとつらい思いをしているにちがいない。
その気持ちはよくわかった。
が、とうとう、実害が現れるようになった。
その男性が、私の教室の前に立ち、生徒たちに声をかけるようになった。
ワイフにも、声をかけるようになった。

「林さんは、まだいるかね?」とか、「まだこの教室をやっているかね?」とか。
意味のない質問である。
よほど私のことが気になるらしい。

で、ワイフに相談すると、ワイフはこう言った。
「私たちだって、ああなるかもしれないから……」と。
つまり許してやれ、と。

やがてその男性を生徒たちが気味悪がるようになった。
「また、あのおじいさん、立っている!」と。
が、今回、つまり数日前、生徒に話しかけたのが、私は許せなかった。
私のことを、あれこれ、聞いていたという。
もちろん危害を加えるような男性ではない。
それはよくわかっていたが、私は電話した。

電話口に、その店の従業員が出た。
私は、最初は穏やかに、話した。
が、その従業員も、神経質になっていた。
あちこちで、何かのトラブルを起こしているにちがいない。
私が何かを言うと、即座に反論してきた。

「言っても、すぐ忘れます」「私が言っても、聞きません」とか。

すなおに「すみません」とでも言ってくれれば、私も救われる。
が、そう反論されると、こちらとしては、強く出るしかない。

「ともかくも、ですね、私の教室の前に立って、教室を見上げるような行為だけは、やめてくださ
い。
それと生徒に話しかけるのもやめてください。
生徒たちが気味悪がっています。
私が言いたいのは、それだけです」と。

相手の女性はまだ何か言いたそうだったが、私は、電話を切った。
気分はよくなかった。
兄のことがその男性にだぶった。
その従業員のつらさが、よくわかった。

……「明日は、わが身」。
ボケた人でも、温かく迎える。
迎えて、私たちの仲間に入れてやる。
それが理想。
それはよくわかっている。
わかっているが、現実は、そんなやさしくない。

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●32インチテレビ

 昨夜、32インチ液晶テレビを買ってきた。
近くのショッピングセンターで、3万2000円前後で売っていた。
シャープのAQUOS。
現在、韓国のサムスン製の27インチモニターを使っている。
その替わりに、……ということで買ってきた。

 モニターは大きければ大きいほど、使いやすい。
21インチより、27インチ。
27インチより、32インチ。

 しかしテレビ用はテレビ用。
パソコンにつないでみたが、文字がどうも荒い。
いろいろ調整してみたが、どうも荒い。
そこでHDMIでの接続をあきらめ、アナログで接続してみた。
少し改善した。
しばらく、これで使ってみる。

【読者のみなさんへ】

★パソコンには、パソコン用のモニターのほうがよい。
パソコンとパソコン用モニターを、デジタルで接続する。
ただし27インチまでは、安いものがあるが、それを超えると値段が4〜5倍にはねあがる。
文字を打つときは、モニターは大きければ大きいほど、よい。
  そのほうが疲れない。

●生き様

 生き様を変更して、もう2年になる。
2年より、もう少し長いかもしれない。
それまでは「老後」を意識して、何かにつけ小さく生きようと心がけてきた。
「コンパクト」という言葉を使う人もいる。
「老後はコンパクトに生きるのがよい」と。
が、今は、ちがう。
「どうして小さく生きなければならないのか」。

 歳を取ったからといって、小さく生きる必要はない。
死ぬまでの命。
その命に、年齢はない。
年齢制限もない。
死を意識して生きる必要もない。
死の準備をする必要もない。
年齢というのは、あくまでも数字。

 今日できることは、今日、する。
懸命にする。
明日は、その結果としてやってくる。

●爽快感

 たしかに体力は弱ってくる。
気力も弱ってくる。
それは、今、私が経験しつつある。

 しかし一方、こんな喜びもある。
たとえば昨夜も、怠けた心にムチを打って、自転車にまたがった。
30分ほど、全力で走った。
家に戻るころには、全身、汗で濡れていた。
額からは、ポタポタと汗が落ちていた。
それは「運動した」という満足感より、「怠けた心を叩きのめした」という満足感。
もしあのとき、「今夜は疲れているから、運動をやめよう」と、やめてしまっていたら、今ごろは
敗北感を味わっていたことだろう。

 その敗北感が、不愉快。
それを知っているから、自転車にまたがる。
あえて自分にムチを打つ。
その爽快感。
その爽快感がたまらない。

●「週刊新潮」(10月6日号)

 週刊新潮(10月6日号)を読む。
「大増税のその前に一言、言いたいことがある」という特集。
それを読みたかった。

 内容は、
(1)国会議員の定数を半分にせよ。
(2)宗教法人に課税せよ。
(3)医師の優遇税制を見直せ。
(4)学校法人の減免措置を見直せ。
(5)公務員の天下りを見直せ。
(6)特別会計400兆円を見直せ、ほか。

 一読したあと、「ホウ〜」と、息だけが漏れた。
どれもすでに知っている話だが、だからといって、どうにもならない。
だれも動かない。
その前に、だれも怒らない。
だから何も変わらない。

言うなれば、こうした記事は「ガス抜き」のようなもの。
国民が日ごろ感じている不平、不満を、こうして週刊誌が代弁する。
それを読んで、私たちは、「これで何とかなる」という淡い希望をいだく。
あるいは「だれかが、何とかしてくれるだろう」という淡い期待をいだく。
つまりそのままこの問題を、自分から切り離してしまう。
だから「ガス抜き」。

 その証拠に、こうした問題は、10年後も解決していないはず。
むしろ悪化しているはず。
賭けてもよい。
というのも、どの問題も、すでに20〜30年前から、あった。
いまだに何一つ、解決していない。
解決していないばかりか、むしろ悪化した。

●コオロギ

 昨日、山荘の庭で、コオロギを10匹ほど捕まえた。
成虫になる、やや前の大きさ?
それを今日、自宅へもってきて、自宅の庭へ、放した。

 数年ごとにそうしているが、数年もすると、コオロギの数が減ってくる。
今年は、1匹しか、自宅の庭で鳴かない。
どこかさみしそう……。
ということで、10匹ほど、自宅の庭へ、放した。

 例年だと、これから秋が深まるにつれ、にぎやかに鳴き出すはず。
楽しみ。

●プルトニウムの発見

 福島第一原発の事故地から、45キロも離れたところで、放射性プルトニウムが発見されたと
いう。
それについてNHKラジオは、簡単に事実を伝えたあと、「(たいへん重い)プルトニウムがそん
なに遠くで発見されたことに驚いている」「改めて放射性物質が広く拡散されているのがわかっ
た」などと、報道していた(2011年10月1日)。

 しかしこれは、「?」。
放射性プルトニウムは、すでに4月の段階で発見されていたはず。
何かのニュースでそう知ったのを覚えている。
それに対して当時の枝野官房長官は、「重い金属なので、遠くへは飛びません」などと言ってい
たはず。

 プルトニウムの比重は、約19。
たしかに重い。
しかしいくら重くても、微細であれば、風に舞って飛び散る。
大きさは、大腸菌ほど。

 プルトニウムの毒性は、他の放射性物質の比ではない。
たった一個(大腸菌の大きさ)でも肺に入ると、そこにとどまって肺の細胞を破壊しつづける。
肺ガンを引き起こす。

 つまり私のような素人にも、そんなことまでわかる。……わかるようになった。
が、NHKラジオは、その毒性にまでは言及しなかった。
本来なら、そこまで報道して、NHK。

 で、その放射性プルトニウムはどこから来たか?
もちろん1号機や2号機ではない。
プルサーマル発電を試みていた3号機。
3号機から来た。
つまり3号機は、やはり爆発していた!
原子力発電事故で、最悪のことが起きたと考えてよい。

 この先、どんな被害が出てくることやら。
それを考えると、ゾッとする。
「避難勧奨地区が、解除されました」と聞いて、喜んでいるばあいではない。
改めて原子力発電所、とくにプルサーマル発電所には、強く反対したい。

●おい、そこの老人! ずるいぞ!

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
もっと行動しよう。
死の待合室で、おとなしく椅子に座って並んでいてはいけない。
「自分さえよければ」と、小さな世界に閉じこもっていてはいけない。
私たちがすべきことは、今まで生きてきた「生」を、つぎの世代に還元すること。
藤沢市で塾の教師をしている池田英雄先生が、そう教えてくれた。

 ……私の知人の中に、55歳で退職、以後30年間、自分の家の庭いじりだけで過ごしている
人がいる。
(この話は、本当だぞ!)
元国家公務員。
が、そういう生活を、けっして理想の老後生活と思ってはいけない。
この30年間を、1日にして生きてきただけ。

 大切なことは、「還元する」こと。
でないと、私たち老人組は、やがて社会の粗大ゴミ程度では、すまなくなる。
廃棄物からじゃま物。
そうなったら、私たちの居場所すらなくなる。

 私たちは私たちで、社会の中に、自分をしっかりと組み込んでいく。
近所の空地の草刈りでもよい。
ゴミ拾いでもよい。
そういう形で組み込んでいく。

 で、そういう人たちの決まり文句は、ただひとつ。
「私たちは払った分を、返してもらっているだけです」と。

 つまり在職中に支払ったお金を、年金として返してもらっているだけ、と。
しかしこんな話は、ウソ。
ウソであることは、みな、知っている。

 もしそんな老人が、あちらにも、こちらにもいて、若い人たちの目に付くようになったら、私た
ちはどうなるか。
いや、若い人たちは、どう考えるようになるか。
それをほんの少しでも想像してみればよい。
それが私たちの近未来像ということになる。

 さあ、老人たちよ、もっと声をあげよう。
もっと行動しよう。
死の待合室で、おとなしくしていてはいけない。

 もう一度、「週刊新潮」を読んでみよう。
そこには、こうある。

(1)国会議員の定数を半分にせよ。
(2)宗教法人に課税せよ。
(3)医師の優遇税制を見直せ。
(4)学校法人の減免措置を見直せ。
(5)公務員の天下りを見直せ。
(6)特別会計400兆円を見直せ、ほか。

 どれもこれも、私たち老人組が作った、悪習、悪法ばかり。
その責任を取るのは、私たち。
それとも、私たちは、死が近いことをよいことに、「尻をまくり、逃げて」よいのか?
自分だけ、こっそり、豊かな年金生活をしていてよいのか?

 おい、そこの老人!
ずるいぞ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 鵠沼 池田英雄先生)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月01日夜記(2011)

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今日は雑務+昼寝で終わってしまった。
これといった成果は、なし。
10月の第1目というのに、さえない過ごし方。
こんなことで、10月も終わってしまうのか。

台所では、ワイフがギョーザを焼いている。
その臭いが、書斎まで、入ってくる。
夕食は近い。

++++++++++++++++++

●「週刊ダイアモンド」(2011−10−1号)

 おととい「週刊ダイアモンド」(2011−10−1号)を買ってきた。
もちろんそれだけではない。
経済誌ばかり、このところ、立て続けに買って読んでいる。
その下地ができていたこともある。
この方面にかなり詳しくなってきた。
が、今回、その「週刊ダイアモンド」を読んで、頭の中がすっきりと整理できた。

 特集は『世界失速』。

第1幕……「サブプライムローンとリーマンショック」
第2幕……「世界同時不況と景気刺激策が残した禍根」
第3幕……「欧州ソブリン危機と米国国債格下げの衝撃」
第4幕……「世界同時株安と円高を招く欧米景気の失速」
第5幕……「ギリシャ支援で足並み揃わぬユーロ加盟国」
第6幕……「景気失速の米国にのしかかる財政赤字」
第7幕……「日本国債の格下げとふくらみつづける借金」
第8幕……「インフレ過熱と成長鈍化に悩む新興国」
第9幕……「欧米の景気失速に巻き込まれる日本・新興国」
最終幕……「リーマンショックの再来、世界はどうなる?」

 たいへん読みやすく、わかりやすかった。
データ類(グラフなど)は、すべてイラスト化してあった。
専門用語にしても、そのつど説明がしてあった。

ページを追うごとに、「なるほど、そうだったのか」「だからこうなったのか」と、感心すること、た
びたび。
「世界失速」に感心したのではない。
文章に、感心した。
これだけうまく文章をまとめられるライターというのは、そうはいない。
ライターとしても、トップクラスのライターではないか。

 で、今、世界経済は、第1幕から始まり、それぞれが連続性をもちながら、最終幕に向かっ
て、「失速の道」を歩みつつある。
それが「週刊ダイアモンド」を読んで、よくわかった。
ありがとう、「週刊ダイアモンド」誌さん!

(比較して失礼だが、週刊「東洋経済」誌(9/17号)は、読みにくく、わかりづらい。
特集ごとに、難易度の差がはげしく、読んでいても疲れる。
子どもが使う問題集にたとえていうなら、簡単な問題と難問がごちゃまぜになっているといった
感じ。)

●熱いときが買い時

 「経済誌を立て続けに買って読んでいる」というのは、本当の話。
それには理由がある。

 何でも年齢のせいにするのはつらいが、私の年齢になると、こんな現象が現れる。
ふとしたきっかけで、頭が冷えてしまう。
冷えたら最後、頭が働かなくなる。
つまりものごとが、どうでもよくなってしまう。

 だから何かのことで興味と関心をもったら、「このとき!」とばかり、そこへ自分のもてるエネ
ルギーを集中させる。
それを逃すと、ここにも書いたように、頭が冷えてしまう。
そうなると、モノも書けなくなる。
で、今は「国際経済」。

●趣味

 私のようなタイプの人は、少なくないようだ。
先日も何かの本を読んでいたら、私のような人間で、出会った。
その人も、「周期的に趣味が変わる」と。

 ……で、私は若いころからそうで、ひとつのことに夢中になると、それだけを徹底的に追求す
る。
が、やがてある程度のところまでくる。
くると、そこで飽きてしまう。

 こうして私の趣味は、長くて1、2年、短くて数か月で変化していく。
木工から熱帯魚、ハーブ栽培から魚釣り、模型作りから畑作などなど。
一通り、すべてをしてきた。
「すべて」といってよいほど、あらゆる分野に手を出してきた。

 現在はパソコンだが、これだけは、もう30年以上もつづいている。
(最初にコモドール社のPET2001を買ったのが、25、6歳のころ。)
奥が深いというか、底が見えない。
日進月歩で、どんどんと変化していく。
ついていくだけで、たいへん!
プラス、おもしろい。

 が、よく自分を観察すると、パソコンの世界でも同じことが起きているのがわかる。
デジカメにこり出すと、頭の中はデジカメでいっぱい。
ビデオカメラにこり出すと、頭の中はビデオカメラでいっぱい。
それがやはり周期的に変化していく。

●結局は、アメリカ

 ということで、今は、「国際経済」。
恐いが、おもしろい。
どこかの幽霊屋敷にでも入ったような気分(失礼!)。
が、総じて見れば、こういうこと。

 地球がもっている資源、食糧生産能力、それに「豊かさ」にも限界があるということ。
それを世界中の人が、奪い合っている。
もちろん強い国と弱い国がある。
そういった国々が、今、ここにきて急速に入れ替わり始めている。
その混乱が、今回の「大失速」(ダイアモンド誌)の元凶ということになる。

 で、最終的に生き残る国は、どこか?
今の状況を見るかぎり、やはりアメリカということになる。
「やっぱり、もつべきものは、米ドル」と。
これが今のところ、私が得た結論ということになる。

(この日本については、あまりにも悲観的なので、ここには書けない。ゴメン!)

●生的エネルギー

 要するに、「〜〜をしたい」というのは、それ自体が「生的エネルギー」(ユング)。
生きる力。
原動力。
その生的エネルギーを感じたら、それを逃してはいけない。
逃したとたん、ジジ臭くなる。

 「〜〜がほしい」「〜〜を見たい」「〜〜へ行きたい」でもよい。
それを逃してはいけない。

 そうでなくても年ごとに、生的エネルギーは、弱くなっていく。
弱くなっていくからといって、そのままにしておいてはいけない。
闘う!
闘って、生的エネルギーを奮い立たせる。

 で、今週(近々)の目標。

(1)大阪のユニバーサルスタジオへ、ワイフと行く。
(2)幼児クラスで、正負の数と計算の仕方を教えてみる。
(3)「猿の惑星・ジェネシス」を観に行く。
(4)11月からの講演のレジュメを、全面的に更新(UPDATE)する。

 「どちらをしようか迷ったら、両方ともする」が、現在の私のモットーになっている。
遠慮することはない。
やりたいことがあれば、すべてする。
『鉄は熱いうちに叩け』という。
それをもじるとこうなる。

『何でも、熱いうちに、やれ!』と。
いつまでがんばれるか、自信はないが、がんばる。
がんばるしかない。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【メタ認知能力】

●10月2日

+++++++++++++++++


今朝、過去に自分が書いたいくつかの
原稿に、目を通してみた。
そのひとつが「メタ認知能力」について
のもの。


もともとは数学の世界で生まれた言葉
というが、心理学の世界でも広く使われて
いる。
「メタ」というのは、「超越した」とか
「高度な」という意味である。


つまり「私を超えた視点で、私を認知する能力」、
それを「メタ認知能力」という。


たとえばほとんどの人は、ほとんどのばあい、
「私は私」と思って行動している。
しかし残念ながら、そのほとんどは、「私で
あって私でない」。
フロイト流に解釈すれば、私たちはその根源に
潜む、リビドー(Libido)(ラテン語で「欲望」を
意味する)によって、操られているにすぎない。


わかりやすい例としては、若い女性が(男性でも
よいが)、化粧する姿を思い浮かべてみればよい。
どの女性も(男性でもよいが)、「自分で考え、
自分の意思で、化粧をしている」と思っている。
しかし実際には、その奥に潜むエネルギーによって、
(フロイトは「性的エネルギー」と呼んだが)、
操られているだけ。


そうした「私」を、より客観的に、私を超越した
立場で、高度な次元から認識する。
その能力を、「メタ認知能力」という。


もっともこれは私の解釈によるもので、まちがって
いるかもしれない。
だったら、「メタ」という言葉をやめてもよい。
「私を超越した認識能力」という意味で、簡単に、
「超自己認知力」と言い替えてもよい。
どうであるにせよ、つまり言葉の問題は別として、
「私」を、私を超えた次元から認知するのは、
とても重要なことである。
それができるかどうかで、人間は自らを、「動物」と
切り離すことができる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 リピドー(Libido) メタ認知 メタ
認知能力)


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●煩悩(ぼんのう)


 「欲望」といえば、「煩悩(ぼんのう)」ということになる。
それについて2007年7月4日のBLOGに書いた記事をそのまま、ここに転載する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●煩悩(ぼんのう)


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仏教では、煩悩(ぼんのう)に
2つあると教える。

ひとつは、知性の煩悩。
もうひとつは、感情の煩悩。


そしてその根本はといえば、
「無明」と「愛欲」であると
教える(仏教聖典)。


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 仏教では、煩悩(ぼんのう)に2つあると教える。


ひとつは、知性の煩悩。もうひとつは、感情の煩悩。


そしてその根本はといえば、「無明」と「愛欲」であると教える(仏教聖典)。


 ここでいう「無明」は、「無知」という意味である。しかし無知といっても、「知識のなさ」を言うの
ではない。
「ものの道理をわきまえないこと」(「仏教聖典」)をいう。


 この煩悩に支配されると、人は、「むさぼり、怒り、愚かになり、邪見をもち、人を恨んだり、ね
たんだり、さらには、へつらったり、たぶらかしたり、おごったり、あなどったり、ふまじめになっ
たりする」(「仏教聖典」)という。
つまり、自分を見失ってしまう。


 この中でも、仏教では、とくに(1)むさぼり、(2)怒り(瞋り)、(3)愚かさを、「世の3つの火」と
位置づける。
これらの「火」が、自ら善良な心を、焼いて殺してしまうという。そういう例は、多い。


 「むさぼり」(仏教聖典・仏教伝道協会編)とは、私たちが日常的に使う「むさぼり」という意味
のことか。
わかりやすく言えば、欲望のおもむくまま、貪欲になることをいう。貪欲な人は、たしかに見苦し
い。


 ある女性は、このところ数日おきに、病院にいる義父を見舞っている。義父を思いやる、やさ
しい心からそうしているのではない。
その財産が目的である。義母がいるが、体も弱く、このところ思考力もかなり低下してきた。


 そんな義母でも、「見舞には来なくていい」とこぼしている。
その女性が義父を見舞うたびに、義父は興奮状態になってしまう。
そのあと様子がおかしくなるという。
しかしその女性は、見舞いをやめる気配はない。


 これも(むさぼり)のひとつと考えてよい。
その女性はまさに、義父の心を、むさぼっている。

 つぎに怒り。仏教聖典のほうでは、(瞋り)となっている。
私は勝手に「怒り」としたが、研究者がこの文を見たら、吹きだすかもしれない。
仏教でいう(瞋り)、つまり(怒り)というのは、感情のおもむくまま、腹を立てたり、どなったり、
暴れたりすることをいう。


 ただ、(怒り)そのものを、悪いと決めつけて考えることはできない。
たとえば今、私は、社会保険庁のずさんな事務処理に、怒りを感じている。
K国の金xxにも、怒りを感じている。
元公安調査庁の長官による不正疑惑にも、怒りを感じている。
さらには、防衛大臣の失言にも、怒りを感じている。


 その(怒り)が、こうしてものを書く、原動力にもなっている。
つまり(怒り)が正義と結びついていれば、(怒り)も善であり、そうでなければ、そうでない。


 3つ目に、(愚かさ)。愚かであるということは、それ自体、罪である。
しかし先にも書いたように、「知識がないこと」を、愚かというのではない。
ものの道理をわきまえないことを、(愚か)という。
 

 では(道理)とは何か。現代風に言えば、(人格の完成度)をさす。
人格の完成度の高い人を、「道理をわきまえている人」という。
他者との共鳴性が高く、良好な人間関係があり、より利他的な人を、人格の完成度の高い人と
いう。


 その道理を身につけるためには、自分で考えるしかない。
考えて、考えて、考えぬく。
パスカルも言っているように、人間は考えるから、人間なのである。
中に、「私はものごとを深く考えない」「考えることが嫌い」「考えるのはめんどう」と豪語(?)す
る人がいる。
しかしそういう人は、自らを愚かな人間と、公言しているようなもの。


 恥ずべきことではあっても、自慢すべきようなことではない。


 で、これらの3つは、「火」となって、人間の世界を、ときに焼き尽くすこともあるという。「おの
れを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を、身(しん)、口(く)、意(い)の3つの悪い行為に導く
ことになる」(「仏教聖典」)と。
つまりその人だけの問題では、すまないということ。
 

 が、これにもう一言、つけ足させてもらうなら、こういうことになる。


 悪いことをしないから、善人というわけではない。
よいことをするから、善人というわけでもない。
私たちが善人になるためには、悪と、積極的に戦っていかなければならない。
悪と積極的に戦ってこそ、私たちは、善人になれる。
またそういう人を、善人という。


 話が脱線したが、私たちは、その煩悩のかたまりと言ってもよい。
この瞬間においてすら、その煩悩が、体中で、渦を巻いている。
「どうしたらいいものやら?」と考えたところで、この話は、おしまい。


私自身も、その煩悩の虜(とりこ)になり、いつも道に迷ってばかりいる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 煩悩
論 パーリ 仏教聖典)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●無明と愛欲


 私はもともとこうした教条的な言い方が、好きではない。
原始の世界では、それなりに説得力もあったかもしれない。
しかしものごとを教条的に並べてしまうと、それ以外の部分が、排斥(カット)されてしまう。


 それはともかくも、仏教の世界では、「ひとつは、知性の煩悩。もうひとつは、感情の煩悩。そ
してその根本はといえば、『無明』と『愛欲』であると教える」(仏教聖典)。
わかりやすく言えば、私たちは常に、「無明」と「愛欲」に、よいように操られているだけというこ
とになる。
感情と性欲を例にあげるまでもない。


●モヤモヤ


 そこで改めて、自分を見つめ直してみる。
方法は簡単。
静かに目を閉じ、脳の中でざわめくモヤモヤとした思いに、耳を傾けてみればよい。


 ……怒り、喜び、不安、心配、希望、期待、夢、嫌悪……。
そうしたものが、混然一体となって、そこでモヤモヤとしているのがわかる。
このモヤモヤとしたものが、そのつど、状況に応じて脳の表層部分に浮かびあがってくる。
それが感情、あるいは行動となって現れる。


 で、今度は、その逆の操作をしてみる。
「なぜ、そうなのか?」と。
わかりやすく言えば、モヤモヤしているものの原点を探ってみる。


が、それは簡単なことではない。
ここでいうモヤモヤというのは、無数の糸が、複雑に絡(から)み合っているような状態をいう。
モヤモヤの原点を探るためには、それぞれの糸を、一本ずつ、ていねいにほぐさなければなら
ない。


 そこで再び、静かに目を閉じ、脳の中を整理してみる。


●脳


 が、脳というのは、それほど器用にできていない。
たとえば慢性的な不安や心配がつづくと、サイトカインというホルモンを分泌する。
それが脳全体に広がる。
で、そういう状態になると、「陰性感情」(フロイト)のみが優性になる。
平たく言えば、不愉快なことばかりが、脳に浮かんでくる。


 もちろんその反対のこともあるが、つまり脳というのは、その一部で喜びを感じ、別の一部で
怒りを感ずるということができない。


 で、現在の私の脳は、その陰性感情に支配されている。
寝起きにみた悪夢が影響しているのかもしれない。
不平や不満、心配や不安、怒りや恨みが充満している。
それほど強くはないが、全体として、モヤモヤとしている。


 そこで私は深呼吸を繰り返す。
繰り返しながら、そこへ「陽性感情」を注入する。


 「今日も健康だ」「今度の講演先では、○○温泉に泊まろう」「幼児に方程式の解き方を教え
るという実験は成功した」「昼からワイフとドライブに行こう」と。
もっとも効果的な方法は、私のばあい、幼児たちに接すること。
接したとたん、陰性感情は吹き飛んでしまう。
が、だからといって、それで「私」がわかったことにはならない。


 ……どうであるにせよ、モヤモヤの奥にあるものを探るのは、容易なことではない。


●メタ認知能力


 結論から先に言えば、「私」を知ることは、それほどまでに難しいということ。
中には「私のことは私がいちばんよく知っている」と豪語する人がいる。
が、そういう人こそ、本物のバカ(失礼!)と断言してよい。
何も知ろうとしないから、「知っている」と錯覚しているだけ。


 では、どうするかということになるが、それが「メタ認知能力」ということになる。
が、それについては、たびたび書いてきた。
今朝読んだ、自分の原稿をここに掲載する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【メタ認知能力】


●メタ認知能力(Metacognitive Ability)とは、何か


++++++++++++++++++++++


メタ認知能力とは何か。
川島真一郎氏(高知工科大学大学院)の修士学位論文より、
一部を抜粋引用させてもらう。
(出典:メタ認知能力の向上を指向した
高校数学における問題解決方略の体系化
Systematization of Problem Solving Strategy in High
School Mathematics for Improving Metacognitive
Ability(平成19年))


++++++++++++++++++++++


●メタ認知


メタ認知(metacognition)とは、認知活動についての認知のことである。メタ認知概念
は、ブラウン(A。 Brown)やフラベル(J・H・Flavell)によって1970 年代に提唱され
た。


メタ認知は、まずメタ認知的知識(meta-cognitive knowledge)とメタ認知的活動
(metacognitiveactivity)に分かれ、それぞれがさらに細かく分かれる。
メタ認知的知識
とは、メタ認知の中の知識成分を指す。
メタ認知的知識は、人間の認知特性についての知
識、課題についての知識、課題解決の方略についての知識の3 つに分けて考えることがで
きる。
メタ認知的活動とは、メタ認知の中の活動成分を指す。
メタ認知的活動は、メタ認知的モニタリング、メタ認知的コントロールの2 つに分かれる。
メタ認知的モニタリングとは、認知状態をモニタすることである、認知についての気づき
(awareness)、認知についての感覚(feeling)、認知についての予想(prediction)、認知の点検
(checking)などが含まれる。
メタ認知的コントロールとは、認知状態をコントロールすることである。
認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の修正(revision)など
が含まれる。


困難な場面に遭遇したとき、タ認知はその事態を打開すべく、関係のありそうな経験や
知識を想起する。
似たような困難を克服した経験があれば、それは大きな手掛かりとなる。
過去の経験がそのままでは使えないときでも、見方を変えたりすることで使えることもあ
る、直面している問題が極めて困難なときは、条件の一部を解き易い形にした問題をまず
解いてみることが手掛かりになることがある。
また、問題の解決に使えそうな法則なども
思い出し、解決に向けた道筋を描く。
解決に向けた一番確かそうな方針が決まれば、実行してみる。
間違いを犯しそうな場面では注意深く実行し、時々方針が間違っていないか検討を加える。
このようにして、メタ認知はルーティンワークでない困難な問題を解決するときに、力を発揮す
ると考えられる。


そして、メタ認知能力は使うことで訓練をしなければ、その能力は向上しないと考えられ
る。
訓練するための問題は、メタ認知が働かなくても解決できるような平易過ぎる問題は役に立た
ない。
適度な難易度の問題を解決することが必要である。
従って、パターン暗記に終始するような学習では、メタ認知能力は向上しないと考えられる。
その意味で、生徒が試行錯誤しながら自力で問題の解決を図る問題解決学習は、その狙い
が実現できれば、メタ認知能力の育成に大いに効果を発揮すると考えられる。
(以上、川島真一郎氏の論文より)


+++++++++++++++++++++


●メタ認知能力(Metacognitive Ability)


 私は「メタ認知能力」なるものについては、すでに10年ほど前から、原稿を書いて
きた。
が、ここ数年、この言葉をあちこちで聞くようになった。
しかし本当のところ、メタ認知能力とは何か、私もよくわかっていない。


 そこでまず私がとった手段は、メタ認知能力、つまりMetacognitive Abilityについて、
できるだけ原文に近い文献をさがすことだった。
最初は、直接アメリカの文献(英文)から調べようとしたが、先に、ひとつの文献を
さがしだすことに成功した。


ここに紹介した川島真一郎氏の修士学位論文が、それである。
わかりやすく書いてあるので、そのまま引用させてもらった。
 つまり私は、(メタ認知能力)とは何か知るために、つまりその壁を打開するため、
今までの経験を総動員して、(おおげさかな?)、あちこちを調べた。
その結果が、先にあげた論文の一部ということになる。


●メタ認知能力


 が、これだけをさっと読んだだけでは、意味がよくわからない。
内容を、もう少し整理してみる。


●メタ認知


(1) メタ認知的知識(meta-cognitive knowledge)
メタ認知の中の知識成分を指す。
 (1) 人間の認知特性についての知識、
 (2) 課題についての知識、
 (3) 課題解決の方略についての知識の、33つに分けて考えることができる。

(2) メタ認知的活動(metacognitive activity)
メタ認知的活動とは、メタ認知の中の活動成分を指す。メタ認知的活動は、
 (1) メタ認知的モニタリング、
 (2) メタ認知的コントロールの2つに分かれる。
 これでだいぶ頭の中がすっきりしてきた。
 さらに、

(1) メタ認知的モニタリングとは、認知状態をモニタすることである。
認知についての気づき(awareness)、認知についての感覚(feeling)、認知についての予
想(prediction)、認知の点検(checking)などが含まれる。

(2) メタ認知的コントロールとは、認知状態をコントロールすることである。
認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の修正(revision)など
が含まれる、と。


●実益


 先にメタ認知能力の実益について、引用させてもらう。
川島真一郎氏は、こう書いている。


『メタ認知はルーティンワークでない困難な問題を解決するときに、力を発揮すると考え
られる。そして、メタ認知能力は使うことで訓練をしなければ、その能力は向上しないと
考えられる』と。


 日常的な行動を同じように繰り返すようなときには、メタ認知能力は、力を発揮しない。
つまり難解で、より高度な知識と経験を必要とするような問題に直面したとき、
メタ認知能力は力を発揮する、と。


 そしてそのメタ認知能力は、訓練しなければ、向上しない、ともある。


●因数分解


 川島真一郎氏は、因数分解を例にあげて、メタ認知能力がどういうものであるかを
説明している。
そのまま印象させてもらう。


++++++++++以下、川島真一郎氏の論文より+++++++++++++


7。 <題>求めるもの(答え)と、与えられた条件の関係を発見せよ。[関係は直接的に見
えるときもあれば、仲介物を通して初めて見えて来るときもある。例えば、中間的な目標
を設定せよ。(例)(a + b + c)(bc + ca + ab) ? abc を因数分解せよ。]
8。 <眼><針>関係の有りそうな公式は何か。
9。 <経><予>似た問題を思い出せ。
10。 <経><眼><針>似た問題の方法や結論を利用できないか。[(例)x、 y の対称式
はx + y とxy で表せる。]
11。 <眼><針>求めるもの(答え)の形を考え、それを具体的に(例えば式に)できな
いか。[また、その形のどの部分を求めればよいか。それを求めるのに、条件をどのように
使えるか。]
12。 <眼><針>与えられた条件や式を、解答で使い易いように変形できないか。[場合
によっては、結論の式から解答を進めて、後で比較するのが有効なときも有る。]
13。 <助><検>(方針の選択や解答の進め方について)解法の大筋を捉える。[大まか
な見通しを持つことが、解答への着手を促し、右往左往したり、袋小路に入ったりするの
を防ぐ。(例)増減表を書けば解けそう。判別式を利用できそう。等々]
14。 <経><眼><針>前に使った方法が直接使えないとき、補助的な工夫を加えること
で使えるようにならないか。[(例)角度の問題で、補助線を引く事で三角形の問題と捉
える。]
15。 <眼><針>求める結果が得られたと仮定して、逆向きに解けないか。[求める結果
を明確にイメージすることで、必要となる道筋が見えてくることが有る。]
16。 <眼><針>定義に帰ることで、手掛かりが得られることが有る。[2 次関数関連の
問題と判別式の関係。微分係数の定義。等々]
17。 <困><眼><針>問題を言い換えることで、容易になったり、既習の解法が使えた
りしないか。(そのとき、与えられた条件はどう変わるか。)[問題を違った視点から見る。
(例)sin θ+ cos θ の最大値を求めるのに、単位円周上の点P(x、 y) を利用する。]
18。 <困><眼><針>問題を一般化することで、容易になることがある。[(例)具体的
な数値の問題を、一般的な文字に置き換えることで見通しが良くなることが有る。]
19。 <困><眼><針>問題を特殊化することで、解決の糸口がつかめるときがある。
[(例)直方体の対角線の長さを求める問題で、高さが0 の場合を解いてみる。]
20。 <困><分><眼><針>条件の一部からどんなことが分かるか。[条件を幾つかの
部分に分けられないか。全体の解答とどう関係するか。]
21。 <困><眼><針>解き易い類題を考えることが、元の問題の手掛かりになることが
ある。[問題の一部は解けるか。どういう条件が付加されていれば解き易いか。等々]
22。 <補><検><助>条件の使い忘れはないか。
(CP)
23。 <題><検>方針に従い解答を進め、適当な段階で検討を加え、必要に応じて方針を
見直す。
24。 <補>自信の持てるる解き方から試みよ。[大抵の問題は、何通りか解き方がある。
(例)基本的な公式だけを使う。図形を利用する。微分を利用する。等々]
(LB)
25。 <題>結果の検討。[少しの検討が、長い目で見ると大きな効果をもたらす。]
26。 <検><眼>別の解法はないか。得られた答えが別の簡単な解法や、答えの意味を示
しているときが有る。
4。4 体系化された問題解決方略の適用
27。 <検><眼>使った方法や結果を総括する。他の問題に応用できないか。


++++++++++以上、川島真一郎氏の論文より+++++++++++++


●因数分解(例)


 高校生たちに因数分解を教えるとき、私自身は、半ばルーティンワーク的に解いて
みせている。
(因数分解そのものは、解法公式はほぼ確立していて、簡単な問題に属する。)
しかしこのように内容を秩序だてて分析されると、「なるほど、そうだったのか」と、
改めて、驚かされる。


私はそれほど意識せず、メタ認知能力を、応用かつ利用していたことになる。
率直に言えば、「メタ認知能力というのは、こういうものだったのか」と納得する
と同時に、「奥が深いぞ」と驚く部分が、頭の中で交錯する。
 ちなみに、先の(a + b + c)(bc + ca + ab) - abcを、別の紙で、因数分解してみた。
因数分解の問題としては、見慣れない問題である。


(1)見ただけでは、瞬間、頭の中で公式が浮かんでこない。
(2)直感的に、「いつものやり方ではできない」ということがわかる。
 が、こういうときの鉄則は、(3)「ひとつの文字に着目しろ」である。
この問題では、(a)なら(a)に着目し、(a)について式をまとめる。


 しかしこの場合、一度、式をバラバラにしなければならない。
結構、めんどうな作業である。


が、ここで「こんなめんどうな問題を出題者が出すはずがないぞ」というブレーキが働く。
「時間さえかければ、だれでもできる」というような問題は、数学本来の問題ではない。
ただの作業問題ということになる。


 そこで私は、(4)もっと簡単な方法はないかをさがす。
(bc + ca + ab)という部分に着目する。
(a)でくくれば、(b+c)という因数を導くことができる。
(b+c)を、(B)と一度置き換えてから、因数分解できないかを考える。
しかしもう一つの項、(abc)が残る。


つぎの瞬間、「この方法ではだめだ」と直感する……。
 ……というように、認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の
修正(revision)を繰り返す。


●高度な知的活動


 小学1年生が訓練するような、足し算の練習のような問題は、ただの訓練。
メタ認知能力など、必要としない。

 そこで昨日(8月21日)、メタ認知能力を確かめるため、私は小学2、3年生クラス
で、ツルカメ算の問題を出してみた。
あらかじめ、「ツルが2羽、カメが4匹で、足は合計で何本?」というような練習
問題を5〜6問、練習させる。


そのとき「できるだけ掛け算を使って、答を出すように」と指示する。
 それが一通りすんだところで、「ツルとカメが、合わせて、10匹います。
足の数は、全部で、28本です。
ツルとカメは、それぞれ何匹ずついますか?」という問題を出す。
 で、このとき子どもたちを観察してみると、いろいろな反応を示すのがわかる。
(私の教室の子供たちは、幼児期から訓練を受けている子どもたちだから、こうした
問題を出すと、みな「やってやる!」「やりたい!」と言って、食いついてくる。)


 絵を描き始める子ども。
足を描き始める子ども。
意味のわからない記号を書き始める子ども。
2+2+2……と、式を書き始める子どもなどなど。
 こうした指導で大切なことは、(解き方)を教えることではない。
(子ども自身に考えさせること)である。
だから私は、待つ。
ただひたすら、静かに待つ。


 が、やがて1人、表を書き始める子どもが出てきた。
私はすかさず、「ほう、表で解くのか。それはすばらしい」と声をかける。
するとみな、いっせいに、表を描き始める。
表の形などは、みな、ちがう。
しかしそれは構わない……。


 (こうした様子は、YOUTUBEのほうに動画として、収録済み。)


●メタ認知能力の応用


 こうして書いたことからもわかるように、メタ認知能力というのは、もともとは、
数学の問題を解法技法のひとつとして、発見された能力ということになる。
しかしその奥は、先にも書いたように、「深い」。
日常的な思考の、あらゆる分野にそのまま応用できる。
ひとつの例で考えてみよう。


●パソコンショップの店員


 こういう書き方ができるようになったのは、私もその年齢に達したから、ということ
になる。
パソコンショップの店員には、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、そういう
店員を見ていると、ときどき、こう考える。
「だから、どうなの?」
「この人たちは、自分の老後をどう考えているんだろ?」
「もったいないな」と。


 つまりパソコンショップの店員の目的は、パソコンを客に売ること。
しかしそんな仕事を、仮に10年つづけていても、身につくものは何もない。
店が大きくなり、支店がふえれば、支店長ぐらいにはなれるが、そこまで。
だから「だから、どうなの?」となる。


 つぎにパソコンショップの店員たちは、よく勉強している。
その道のプロである。
しかしプロといっても、一般ユーザーの目から見てのプロに過ぎない。
パソコンを自由に操ることはできるが、その先、たとえばプログラミングの仕事とか、
さらには、スーパーコンピュータの操作となると、それはできない。


 そこで私はこう考える。
「こうした知識と経験を使って、別の仕事をしたら、すばらしいのに」と。
たとえばデザインのような、クリエイティブな仕事でもよい。
それが「もったにないな」という気持ちに変わる。


 そこでメタ認知能力の登場!

(1) 自分の置かれた職場環境の把握
(2) その職業を長くつづけたときの、メリット、デメリットの計算
(3) 老後が近づいたときの、将来設計
(4) 収入の具体的な使い道などなど。

 
 そうしたことを順に考え、自分の生活の場で、位置づけていく。
中には、「お金を稼いで、高級車を買う」という人もいるかもしれない。
しかしそれについても、メタ認知能力が関係してくる。
「だから、それがどうしたの?」と。
 高級車を乗り回したからといって、一時的な享楽的幸福感を味わうことは
できる。
が、できても、そこまで。
4〜5年もすれば、車は中古化して、当初の喜びも、半減する。


 ……つまりこうしてパソコンショップの店員は、メタ認知能力が少しでもあれば、
「もったいないな」を自覚するようになる。
また自覚すれば、生きざまも変わってくる。
同じ店員をしながらも、ただの店員で終わるか、あるいはつぎのステップに進むか、
そのちがいとなって、現れてくる。


 が、このことは、家庭に主婦(母親)として入った女性についても、言える。


●生きざまの問題に直結


 日常的な作業(=ルーティンワーク)だけをし、またそれだけで終わっていたら、
その女性の知的能力は、(高度)とは、ほど遠いものになってしまう。
電車やバスの中で、たわいもない愚痴話に花を咲かせているオバチャンや、オジチャン
たちを見れば、それがわかる。


 そこで重要なことは、あくまでもメタ認知能力の訓練のためということになるが、
つねに問題意識をもち、(問題)そのものを、身の回りから見つけていくということ。
問題あっての、メタ認知能力である。


 社会問題、政治問題、経済問題、さらには教育問題などなど。
あえてその中に、首をつっこんでいく。
ワーワーと声をあげて、自分で騒いでみる。
私はそのとき、そのつど文章を書くことを提唱するが、これはあまりにも手前みそ過ぎる。
が、(書く)ということは、そのまま(考える)ことに直結する。
ほかによい方法を私は知らないので、やはり書くことを提唱する。


 で、こうして書くことによって、たとえば今、「メタ認知能力」についての理解を
深め、問題点を知ることができる。
同時に、応用分野についても、知ることができる。
こうして自分がもつ知的能力を高めることができる。
そしてそれがその人の生きざまへと直結していく……。


 簡単に言えば、「自分の意識を意識化すること」。
それがメタ認知能力ということになる。

オックスフォード英英辞典によれば、「Meta」は、「higher(より高度の)」「beyond
(超えた)」という意味である。
「より高度の認知能力」とも解釈できるし、「認知能力を超えた認知能力」とも解釈
できる。


 私はこのメタ認知能力の先に、(ヒト)と(動物)を分ける、重大なヒントが隠されて
いるように感ずるが、それは私の思いすごしだろうか?
つまりメタ認知能力をもつことによって、ヒトは、自らをより高いステージへと、自分を
もちあげることができる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 メタ メタ認知能力 metacognitive ability 高度な知的活動)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司


【メタ認知能力】(追記)(Metacognitive Ability)


+++++++++++++++


この数日間、「メタ認知能力」という
言葉に、たいへん興味をもっている。
以前にも何度か、それについて書いた
ことがある。
が、そのときは、それほど
重要視していなかった。
しかしその後、知れば知るほど、
なるほどと思う場面に遭遇した。
「メタ認知能力」……まさに人間だけが
もちうる、最高度の認知能力という
ことになる。


+++++++++++++++++


●食欲とメタ認知能力


 食欲中枢は、脳の中でも視床下部というところにあることがわかっている。
そこにあるセンサーが、血糖値の変動を感知して、食欲を増進させたり、反対に
食欲を減退させたりする。


 しかしこれら2つの働き、つまり(食欲増進)を促す中枢部と、(食欲抑制)を
促す中枢部が、最近の研究によれば、別々のものというところまでわかってきている。
これら2つの中枢部がたがいに連携をとりながら、もう少し具体的には、絶妙なバランス
をとりながら、私たちの(食欲)を、コントロールしている。


●意識を意識する


 もちろん私たちは、こうした知識を、本という(文字)を通して知るしかない。
頭を開いて、その中を見て知るわけではない。
が、想像することはできる。


たとえば空腹感を覚えたようなとき、「血糖値がさがってきたぞ」とか、など。
 血糖値がさがると、胃や腸が収縮し始める。


空腹になると、おなかがグーグーと鳴るのはそのためだが、そうした変化に合わせて、
空腹感がどういうものであるかを知る。


 このとき、「ああ、腹が減ったなあ」だけでは、メタ認知能力はないということに
なる。
が、このとき、自分の脳みその中の変化を、想像してみる。
「ああ、今、食欲増進中枢部が働いているぞ」
「今度は、食欲抑制中枢部が働いているぞ」と。


 こうして自分の意識を、別の意識で客観的に評価する。
それをする能力が「メタ認知能力」ということになる。


●2つの働き


 これもひとつのメタ認知能力ということになるのか。
たとえば講演などをしているとき、自分の脳の中で、2つの働きが同時に起きている
のがわかる。
ひとつは、講演の話の内容そのものを考えること。
「この話には、異説があるので、注意しよう」とか、「この話は、もう少し噛み砕いて
話そう」とか、考える。


 もうひとつは、話しながらも、「残り時間があと20分しかないから、少し結論を
急ごう」とか、「つぎにつづく話は、途中で端折ろう」とか、時間を意識すること。
この両者が、交互というよりは、同時進行の形で働く。


 つまり講演している私を、別の意識が客観的にそれをみて、私にあれこれと命令を
くだす。


●知的能力


 教育の世界の話になると、ぐんと具体性を帯びてくる。
たとえば今、掛け算の九九練習している子ども(小2)を、頭の中で想像してみてほしい。
その子どもは懸命に、「二二が4、二三が6……」と暗記している。
そのとき子どもは、「なぜそれを学習しているのか」「なぜそれを学習しなければならな
いのか」「学習したら、それがどう、どのように役立っていくのか」ということについては、
知る由もない。


 「掛け算は覚えなければならない」という意識もない。
ないから、先生や親に言われるまま、暗記する……。


 これは子どもの世界での話だが、似たような話は、おとなの世界にも、いくらでもある。
またその程度の(差)となると、個人によってみなちがう。
言い換えると、メタ認知能力の(差)こそが、その人の知的能力の(差)ということにな
る。


●自己管理能力とメタ認知能力


 たとえば若い男性の前に、裸の女性が立ったとする。
かなり魅力的な、美しい女性である。
そのとき若い男性が、それを見てどのように反応し、つぎにどのような行動に出るかは、
容易に察しがつく。


 が、そのときその若い男性が、自分の中で起きつつある意識を、客観的にながめる
能力をもっていたとしたら、どうだろうか。


「今、視床下部にある性欲本能が、攻撃的な反応を示し始めた」
「ムラムラと湧き起きてくる反応は、食欲増進反応と同じだ」
「今、ここでその女性と関係をもてば、妻への背信行為となる」など。
いろいろに考えるだろう。


 こうしてメタ認知能力をもつことによって、結果的に、大脳の前頭連合野が分担する、
自己管理能力を、より強固なものにすることができる。


●スーパーバイザー


 「意識を意識する」。
それがメタ認知能力ということになるが、もう少し正確には、「意識を意識化する」という
ことになる。


 もちろんその日、その日を、ただぼんやりと過ごしている人には、(意識)そのものが
ない。
「おなかがすいたら、飯を食べる」
「眠くなったら、横になって寝る」
「性欲を覚えたら、女房を引き寄せる」と。


 が、そうした意識を、一歩退いた視点から、客観的に意識化する。
言うなれば、「私」の上に、スーパーバイザー(監督)としての「私」を、もう1人、置く。
置くことによって、自分をより客観的に判断する。
たとえば……。


 「今日は寒いから、ジョギングに行くのをやめよう」と思う。
そのときそれを上から見ている「私」が、「ジョギングをさぼってはだめだ」
「このところ運動不足で、体重がふえてきている」「ジョギングは必要」と判断する。
そこでジョギングをいやがっている「私」に対して、「行け」という命令をくだす。
言うなれば、会社の部長が、なまけている社員に向かって、はっぱをかけるようなもの。
部長は、社員の心理状態を知り尽くしている。


●うつを知る


 メタ認知能力は、訓練によって、伸ばすことができる。
私なりに、いくつかの訓練法を考えてみた。


(1) そのつど、心(意識)の動きをさぐる。
(2) それが脳の中のどういう反応によるものなのかを知る。
(3) つぎにその反応が、どのように他の部分の影響しているかを想像する。
(4) 心(意識)の動きを、客観的に評価する。

 この方法は、たとえば(うつ病の人)、もしくは(うつ病的な人)には、とくに
効果的と思われる。
(私自身も、その、「うつ病的な人」である。)


 というのも、私のようなタイプの人間は、ひとつのことにこだわり始めると、そのこと
ばかりをずっと考えるようになる。
それが引き金となって、悶々とした気分を引き起こす。


 そのときメタ認知能力が役に立つ。
「ああ、これは本来の私の意識ではないぞ」
「こういうときは結論を出してはいけない」
「気分転換をしよう」と。


 すると不思議なことに、それまで悶々としていた気分が、その瞬間、とてもつまらない
ものに思えてくる。
と、同時に、心をふさいでいた重い気分が、霧散する。


●メタ認知能力


 メタ認知能力を養うことは、要するに「自分で自分を知る」ことにつながる。
ほとんどの人は、「私は私」と思っている。


「私のことは、私がいちばんよく知っている」と思っている。
が、実のところ、そう思い込んでいるだけで、自分のことを知っている人は、ほとんど
いない。


(私が断言しているのではない。
あのソクラテスがそう言っている。)


 が、メタ認知能力を養うことによって、より自分のことを客観的に知ることができる。
「私は私」と思っていた大部分が、実は「私」ではなく、別の「私」に操られていた
ことを知る。
それこそが、まさに『無知の知』(ソクラテス)ということにもつながる。


 もちろん有益性も高い。
その(有益性が高い)という点で、たいへん関心がある。
応用の仕方によっては、今までの私の考え方に、大変革をもたらすかもしれない。
またその可能性は高い。


 しばらくはこの問題に取り組んでみたい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 メタ認知能力 Metacognitive Ability)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司


●終わりに(2011/10/02記)


 私は私を知っているか?
私を超えたところで、「私」を知っているか?
いま、ふと、私はそんなことを考えた。
が、答は、「NO!」。
始終、「無明」と「愛欲」に振り回されているだけ。


 なぜそうなのかということについては、たぶん、ほかの人よりは少しはわかっているかもしれ
ない。
しかし「少し」だけ。
何とも言えない、敗北感。
残りの人生は、平均余命から計算すると、あと15年と少し。
たったの15年。
脳みそも不可逆的にボケていくだろう。
つまり時間切れ。


 しかし……。
釈迦やイエス・キリストは、どうしてあんな短い期間に、「私」を知ることができたのだろう。
最後に、ふとそう思った。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 メタ認知 私を知る 煩悩論)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●寒い朝

+++++++++++++++

急に秋らしくなってきた。
寒い。
もともと私は、寒さに弱い。
(このところ暑さにも弱くなってきたが……。)

つらいのは眠る前。
頭が熱くなり、足が冷える。
そういうときは枕を高くし、足下に布団をかける。
夏場でも、ときどきそうすることがある。

が、脳みそには、気温が低い方がよい。
コンピューターと、よく似ている。
コンピューターも、気温が低い方がよい。
今の今も、半袖のパジャマで、ブルブル震えている。
が、頭の働きは、よい。
ネットでニュースを読んでも、そのつど、
バチバチと火花が脳の中で散る。

今日は、10月3日、月曜日。
手元の気温計は、21度Cを示している。

+++++++++++++++

●光速を超えた素粒子ニュートリノ

 少し前、素粒子ニュートリノが、光速を超えて飛び回っているのが発見された。
「約730キロ離れた国立研究所の検出器で観測した結果、光速より60ナノ秒(1億分の6秒、
ナノは10億分の1)速く到達したのを確認した」(毎日jp)というのが、そのニュース。
当初は、「アインシュタインの特殊相対性理論をひっくり返す、大発見」と、もてはやされた。
が、しばらくすると、「計器の誤差ではないか」という疑問が、あちこちの学者から提起されるよ
うになった。
「速い」といっても、「1億分の6秒」。

 しかしここはコロンブスの卵。
こう考えれば、両者の矛盾を解決することができる。
つまりアインシュタインの説く特殊相対性理論の中で論じられる「光」とは、実は「素粒子ニュー
トリノのことであった」と。
さらに暴論的に書くなら、こういうことになる。

 アインシュタインの時代には、素粒子ニュートリノはまだ発見されていなかった。
だから光を基本にものを考えたが、これからは素粒子ニュートリノを基本にものを考えればよ
い。
『この宇宙に、素粒子ニュートリノより速い物質はない』と。
あるいは『素粒子ニュートリノの速度は、一定』でもよい。

 そうすればアインシュタインの特殊相対性理論をひっくり返さなくてもよいし、今回の実験結果
を、「計器の誤差」と決めつけなくてもよい。

 たとえばあの野口英世。
顕微鏡を使って一生懸命、ある病原体を発見しようとしたが、できなかった。
当時の顕微鏡では、ウィルスまで見ることはできなかった。
だから野口英世は野口英世なりに、自分の知りうる範囲で、研究をつづけるしかなかった。
アインシュタインも、同じような立場ではなかったか。

 もっとも光と素粒子ニュートリノとの関係については、私は知らない。
同一の範囲にあるものなのか。
それともまったく別のものなのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小沢一郎氏vs司法

 小沢一郎氏が今回の裁判についての結果を、批判している。
自分の3人の部下が、有罪になった。
罪状は、「資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反」。
それについて「民主主義の世界では、考えられないこと」※と。

 3人の部下が有罪になったことで、小沢一郎氏は、かなり不利な立場に立たされる。
それはわかるが、行政府を構成する実質的な支配者である小沢一郎氏が、個人的立場であ
るにせよ、司法を批判するのは、許されない。
三権分立の精神に、まっこうから違背する。

 で、今回、「金(マネー)の出口」が、裁判所で争われた。
が、本当の問題は、「金(マネー)の入り口」。
4億円という現金である。
それがどういう経路を経て、小沢一郎氏の懐(ふところ)に入ったか。
(うち1億円については、贈賄側の土建業者が、それを認めている※。
一方、小沢一郎氏は、「タンス預金をしていた、そのお金」と弁明している。)
私たちは、それを問題にしているし、それを知りたい。
つまり金(マネー)の出所。

 さらに言えば、「本当に4億円だけだったのか」という疑問も残る。
一連の流れからすると、「4億円どころではなかった」と私は推測する。
が、もしそうなら、それこそ「民主主義の世界では、考えられないこと」ということになる。
今回の判決について、裁判官は、つぎのように断じている。

「……小沢事務所は談合を前提とする公共工事の本命業者の選定に強い影響力があり、影
響力を背景に公共工事の受注を希望する企業に多額の献金を行わせていた。規正法の規制
の下で、引き続き企業からの多額の献金を得るため、他人名義の寄付を受け、報告書上、明
らかにならないよう虚偽記入した」(判決要旨より)と。

注※「「大変びっくりした。何の証拠もないのに推測に基づいて決めてしまうのは民主主義国家
では考えられない」と批判した」(Yahoo News)と。
注※当時の水谷建設社長は胆沢ダム建設工事の受注に絡み、大久保被告の要求に応じて、
04年10月に5千万円を石川被告に、05年4月に同額を大久保被告に手渡したと証言してい
る。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●野田内閣

 野田内閣の性質(性格ではなく、性質)が、少しずつ明確になってきた。
TBS-iは、つぎのように伝える(一部抜粋)。

『……「事務次官会議の復活、まさにこれが官僚依存であります」(自民党 石原伸晃 幹事
長、9月26日)と。

 「"脱官僚依存"の政治を今こそ」(鳩山由紀夫 首相【当時】、2009年9月)
 「"政治主導の貫徹""脱官僚依存"」(菅 直人 首相【当時】、去年7月)』と。

 鳩山由紀夫元首相や管直人前首相は、「脱官僚」を旗印にあげた。
が、野田首相は、その「逆」に進んでいる。

 数日前、官民の所得格差が、2倍程度になっているという報道(中日新聞)が、あった。
で、人事院は、0・2%程度の給与引き下げを勧告したが、たったの0・02%?
管直人前首相は、「20%」という数字をあげていたはず。
20%から0・2%。
実質、100分の1!
年収850万円の国家公務員のばあでも、たったの1・7万円!

 野田総理への期待感が、急速にしぼんでいくのが、自分でもよくわかる。
残念!


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月4日(素人投資家は静観のとき)

●世界大恐慌

+++++++++++++++++

一晩ごとに、ガラッと変化する。
朝、起きてみると、経済の世界は一変している。
それが現在の国際経済ということになる。

今朝はニュースサイトをのぞくと、
悲観論のオンパレード。
ささいな動きに、一喜一憂。
そのたびに投資家たちは、株を買ったり、
売ったり。
右往左往。
今日あたり、日経平均株価は、ここ数年で
最安値を記録するはず(朝、8:05分)。

ギリシアが、もうどうしようもない状態
であることは、すでに1年も前から
わかっていたこと。
そのギリシアが破綻すれば、フランスと
ドイツの銀行が大打撃を受ける。
もしそうなれば、連鎖的に、ポルトガル、
スペイン、イタリアも影響を受ける。

日本が保有しているギリシア国債は微々
たるもの。
が、安心してはいけない。
日本は、フランスとドイツの国債を大量に
保有している。
だから『最後にババを引くのは、この日本』
(某経済誌)と言われている。

今朝のロイター・ニュースによれば、
アメリカのNYダウは、258ドル安。
いわく、『3日の米国株式市場は商いを伴って大幅続落し、S&P総合500種は約1年1カ月ぶ
り安値で引けた。ギリシャ情勢の悪化が欧州銀大手の経営を脅かす恐れがあるとの懸念から
銀行株が売られた』(ロイター・ニュース)と。

が、本当にあぶないのは、新興国。
こうした新興国から、資金が引きあげ始めている。
韓国もそのひとつ。
8月のはじめ、アメリカの債務上限問題の時、
イ大統領は、「このとき」とばかり、ウォン安の
大ばくちに打って出た。
一気に輸出攻勢に出れば、世界制覇も夢ではない。
そう考えたらしい?
が、それがここにきて、裏目に出た。
外資の引きあげにともなって、ウォンが必要以上に
下がってしまった。
モノを売りたくても、買い手のほうが、元気が
なくなってしまった。

こうなると、国内経済はメチャメチャ。
ガソリンの高騰と並んで物価高。
今さら金利をあげようにも、あげようがない。
あげたとたん、個人債務者が、オール破綻。
つまり韓国は、新興国のひとつに過ぎなかった。
今度ばかりは、韓国も、それを思い知らされたことだろう。

日本経済も崖っぷちに立たされている。
しかしあえて言うなら、まだ持ちこたえられる。
モノの売買で得る貿易収支は、11%前後。
(産業はすでに空洞化しており、貿易として売れるモノは、
今、ほとんど、ない。)
大半の90%近くは、資本収支。
わかりやすく言えば、日本は、巨大なサラ金国家。
世界中に金(マネー)を貸し、その利息で
何とか、生き延びている。
一方、借金も多いが、95%は、身内の借金。
外国から借りている借金は、5%前後。

みなががまんすれば、何とかこの不況をしのげる。
がんばろう、日本!

ただし一言。
私も素人だが、こういうときは、「株」に
手を出してはいけない。
プロは、ロボット取り引きを繰り返している。
1000分の1秒単位で、取り引きを繰り返している。
世界のマーケットを相手に、24時間、取り引きを
繰り返している。
「95%の一般(素人)投資家は損を重ねている」
という情報もある(某経済誌)。

 証券会社が「いい株がありますよ」と言って
きたときには、すでにあなたはカモ。
ぜったいに手を出してはいけない。
いらぬ節介かもしれないが……。

+++++++++++++++++

●年中児(4ー5歳児)に、負の数を教えてみました。

 今日(10月3日)は、予定を変更し、年中児に「負の数」を教えてみました。
途中でできなければやめようと考えてのスタートでした。
最終的に(ー4+6)の計算ができるようにしたかったのですが、途中で時間切れ。
あと15分あれば、すべて教えられたと思います。
こうして幼児の知的能力を、四方八方から刺激する。
それが私の教え方です。
次回は年長児、小学1年生に、同じ教材を使ってチャレンジしてみます。

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/16V05FoSTFk?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/GrXvk-588C0?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/m3B9m2CqsAs?hl
=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/TdBwXDEp7Io?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【日韓経済戦争】(3・11大震災を喜んだ国)

●百聞は一見にしかず。

 まず3・11大震災前後の韓国の総合株価指数を見てほしい(Bloombergより転載)。
3・11大震災が、日本を襲ったとき、韓国人は、真っ先にそれを喜んだ。
「これで日本はおしまい」「韓国は日本に取って代わることができる」と。
それをこのグラフは、如実に表している。

(韓国の総合株価指数)
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/77/img4019443bzik8zj.gif" 
width="360" height="230" alt="韓国の株価.gif">

 ここで注意してほしいのは、3・11大震災直後、韓国の株価は、急上昇している点。
ふつうなら、経済的依存度の高い韓国の株価指数は、さがってもおかしくないはず。
が、そういう(ブレーキ)をはねのけてまで、韓国の株価は急上昇している。

 台湾の総合株価指数(加権指数)と比較してみると、それがよくわかる。
台湾の総合株価指数は、3・11大震災の直後、急落している。

(台湾の総合株価指数)(Bloombergより転載)(参考までに……)
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/79/imgf123bdcczik6zj.gif" 
width="360" height="230" alt="taiwan加権指数.gif">

 あの大震災のあと、台湾は日本への支援金を惜しまなかった。
一方、韓国からの支援金は、まったく話題にもならなかったほど、少額だった。
ついでながら、日本の総合株価指数の動きも、ここに掲載しておく。

(日本の総合株価指数)(Bloombergより転載)
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/76/img98081b9ezik9zj.gif" 
width="360" height="230" alt="日本の株価.gif">

●「日本の大地震をお祝い(し)ます」

 事実をそのまま……

 『……9月27日に行われたAFCチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦の全北現代対C大阪
戦で、全北現代サポーターが、「日本の大地震をお祝い(し)ます」と東日本大震災を中傷する
横断幕を掲げた件で、全北現代が謝罪の意を表している』と。

 「日本の大地震をお祝い(し)ます」だと!
謝罪してすむような話ではない。

●「デフォルト」(国家破綻)

 韓国では今、株価の急落、ウォンの急落、国内物価価格の高騰とあいまって、再デフォルト
(国家破綻)の可能性が、急上昇している。
「韓国政府はすでに、警戒態勢に入った」という情報も、流れている。

で、前回(1997年)のときは、日本は、頼まれもしないうちから韓国救済に走った。
当時、日本は500億ドルという支援金を世界中から集め、韓国を救済した。
日本が自腹を切った100億ドルについても、現在の今も、50億ドルは、未返還のままという。
が、その後、韓国からの礼の言葉は一言も届いていない。
(むしろ「デフォルトしたのは、日本のせい」と、逆恨みしている。)

 が、その韓国は、一方で北朝鮮の軍事的脅威を巧みに利用しながら、対日軍事戦略を拡充
しつつある。
竹島周辺海域での韓国軍の動きを見れば、それがわかるはず。
ついでに日本海の呼称問題を見ればわかるはず。

 が、おかしなことに、日本国内での対韓感情は、好転しているという。
韓国政府の国策的洗脳プロパガンダが、それなりに効を奏しているとみてよい。
韓流ブームが、その一例ということになる。

●再デフォルト

 目下、両国のはげしい消耗戦がつづいている。
が、次回、韓国がデフォルトしても、日本は、頼まれるまで、……つまり韓国が頭をさげてくるま
で、韓国への救済活動を始めてはいけない。
そのことは、前回のデフォルトの時を、思い直してみれば、よくわかるはず。
ここにあげた総合株価指数の動きを見れば、よくわかるはず。
あの横断幕は、その象徴ということになる。

 2008年10月に書いた原稿を再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日韓経済戦争】(2008年10月26日)

 韓国のイ大統領が、今月の初め、「日中韓による通貨安定協議」なるものを提唱した。
わかりやすく言えば、「韓国を助けてくれ!」と。
しかし日本も中国も、それを無視。
韓国の新聞は、「恥をかいた」と報道している。
それもそのはず。
韓国など、もとからお呼びではない!

 ……という事実に、韓国は気づいていなかった。
同じ自由主義貿易圏の中に身を置きながら、反米、反日を唱えれば、どうなるか。
そんなことは自明の理ではないか。

 現在、1ドルは1424ウォン。
ドル安で、世界の通貨が相対的に上昇している中、韓国ウォンだけは、価値が下降。
現在、世界中からウォン売りの猛攻勢を受けている。
当然のことながら、株価も大暴落。

 何も韓国のことを心配して、こう書いているのではない。
私たち日本人は、あの『97年の愚』を繰り返してはいけないと書いている。

1997年の当時、韓国が通貨危機に陥ったとき、日本政府(とくに時のK外務大臣)は、
頼まれもしないうちから、しかもアメリカの反対を押し切って、韓国救済に走った。
その額、500億ドル!

 が、そのあと、韓国はどうなったか?
日本に対して、どうしたか?
株価(KOSPI)が、2000ポイントに近づいてくると、「世界第11位の
経済大国」になったと大はしゃぎ。
「自分たちも、サミット主要国会議のメンバーになる資格がある」とまで言い出した。

 もちろんその間も、反日、反日の大合唱!
日本のA新聞社が竹島に向けてセスナ機を飛ばしただけで、韓国は戦闘機でそれを迎えた。
さらに最近にいたっては、対馬(つしま)まで、韓国領土だと言い出している。
日本が国連の安保理事国入りをめざしたときは、世界各国に特使まで派遣して、それに
反対した。

 当時も、そして今の今も、韓国は、最悪の反日国家であることにはちがいない。
もちろん韓国がそうなった責任の一端は日本にもあるし、日韓の間で、友好に努力
している人も少なくない。
しかしそうした(甘さ)は、こと韓国に対しては、通用しない。
それが『97年の愚』ということになる。

 韓国経済はすでに破産状態。
無理にがんばればがんばるほど、さらに傷口は大きくなる。
日本の知ったことではないが、これだけは、確か。

 日本よ、日本人よ、それにAS総理大臣よ、あの『97年の愚』だけは、ぜったいに
繰りかえしてはいけない!
(以上、2008年10月26日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本よ、日本人よ、お人好しは、もうやめよう!

 あえて反韓感情をかきたてることはない。
それはよくわかっている。
ただ、お人好しだけは、もうやめよう。
とくに韓国には、通用しない。

 それだけは、しっかりと肝に銘じておこう。
2011/10/05記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【1年生に正負の数の計算を教える】(2011年10月4日)

●ついにやった!

 今回、小学1年生に正負の数と、その計算方法を教えてみた。

(4)
<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/VkysrNpPzb8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(1)〜(3)は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」のほうで、ご覧ください。

●カリキュラムの大改革を提唱する

 たとえば1年生では、(足し算)→(繰り上がりのある足し算)→(引き算)→(繰り下がりのある
引き算)→……というような、100年一律のカリキュラムを組んで、子どもたちを指導している。

 しかし、どうして?
こんな技術第一主義的な教育ばかりしているから、おもしろくない。
子どもたちも、ついてこない。
算数嫌いになる!

 1年生でも、正負の数、方程式(前回)、グラフなどなど、身のまわりにある事象のほとんどに
ついて、その理解力がある。
どうしてそういう興味と関心を、もっとうまく、「学習」に結びつけていかないのか。
そのひとつとして、私はこうした実験教育を繰り返している。

 で、今回は、正負の数と、その計算についてチャレンジしてみた。
興味のある人は、ぜひ、一度目を通してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 教育カリキュラム 改革 変革 
100年一律の日本の教育)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2011年10月5日夜(家族崩壊、遺産相続問題、K氏のケース)

++++++++++++++++

今日は庭の大掃除。
台風以来、はじめて。
被害こそなかったが、木々の枝や葉が
山のようになっていた。

が、昼からやや風邪気味。
薬をのんで、ごまかす。
こういうときは、生ニンニクがよい。
それを白いご飯に載せ、醤油を少しかけて食べる。
軽い風邪なら、それだけで吹き飛んでしまう。
が、今日は平日。
それもできない。

夕方になって、胃痛が始まった。
これは置き薬の胃腸薬をのんで、収まった。

++++++++++++++++

●K氏の話

 K氏(75歳)には、6人の娘や息子がいる。
息子が3人、娘が3人。
現在、長男夫婦とは同じ敷地内で、同居中。
そのK氏が、おとといの夜、こんな話をしてくれた。

 「この前の台風のときのことだがね、……浜松を直撃した台風15号だよ、あのとき、心配し
て電話をかけてきた息子や娘は、ひとりもいなかった。
娘が1人、浜北(浜松市の北部)に住んでいるんだが、私の方が心配して電話をしたよ。
まわりが畑で、平地になっているところに、住んでいるからね。
風当たりも強いだろうと……。
案の定、駐車場のシャッターがめくれあがってしまったとか」と。

 現在、これが平均的な親子関係とみてよい。
私も3人の息子がいるが、やはり心配して電話をかけてきたのは、1人もいない。
(うち1人は、同居しているが……。)
が、K氏は、それについても、こう言った。

「今ではね、息子や娘のほうが、親に心配してもらうのが当たり前と考えている。
親子の立場が、逆転しているからね」と。

●逆転現象

 こうした逆転現象は、いたるところで見られる。
が、今さらどうしてこなってしまったかを論じても、意味はない。
(私は15年も前から、論じてきたが……。)
そういう前提で、これからの親子関係を考える。
「では、私たち老人組は、どうすべきか」と。

 が、問題はつづく。
K氏は、少し前から、息子や娘たちに向かって、相続放棄をしてくれと頼んでいる。
財産は、現在同居している息子夫婦と孫に残したいと考えている。
で、それぞに相続財産協議分割書を送った。
それに、「全財産を○○に相続する」と書いてもらうのが、いちばん手っ取り早く、楽。
だが、それに応じた息子や娘は、まだひとりもいないという。

K「たぶん、出た連中(5人の息子や娘)は、たがいに連絡を取り合っているんだろうね。
だれも返事をよこさないよ」
私「だったら早めに資産、とくに土地を手放したほうがいいですよ。あとでモメますよ」
K「モメるだろうな……」と。

●法の心

 昔は長子相続制度があった。
現在は、それはない。
ないかわりに、身近にいて、親のめんどうを最後までみた息子(娘)が、大部分を相続するとい
うのが、常識化している。……していた。
が、その常識も、現代の若い人たちには、通用しなくなってきている。
親のめんどうをみても、みなくても、「私には相続権がある」と。

 悪しき法律第一主義の弊害である。
「法の心」というのを見失ってしまっている。
法の教条だけを抜き取り、それを盾にし、自分の相続分を主張する。
数値化といってもよい。
「6人で分けるのだから、6分の1!」と。

 K氏はこう言った。
「1人、大阪に住んでいる娘夫婦が、貧乏でね。そいつだけは何とかしなければと思っている。
しかしね、AとB。あいつらは、私よりはるかに豪勢な生活をしている。大学を出すとき、金もか
かった。そういう息子や娘たちが、みな、平等というのも、おかしいと思いませんか」と。

●平等という不平等

 平等という不平等。
が、これは法の心ではない。
法というのは、不合理、理不尽、不平等があったとき、はじめて表に出てくる。
「はじめに法ありき」というのは、法の精神に反する。

 私はあの『行列のできる法律相談所』というテレビ番組を見ていたとき、こう感じた。
「法の精神を逸脱している」と。
「法律にこう書いてあるから、こうだ」と。
そういう論法を振りかざす弁護士が多いのには、驚いた。

 たとえば刑事犯にしても、その被疑者の罪刑を問うときに、はじめて法が表に出てくる。
はじめから「〜〜をしたから、〜〜犯」と考えるのは、正しくない。
正しくないというか、まちがっている。
逆に言うと、仮に法に抵触しなくても、反社会的行為は反社会的行為。
罰せられないからといって、正当な行為ということにはならない。

 K氏の遺産相続問題についても、同居している息子夫婦には、その分だけ相続分を多くする
ことはできる。
しかし実際にはそれをするには、裁判所での家事調停が必要。
しかし台風のときでも、見舞いの電話1本もよこさないような息子や娘たちが、遺産相続の時
だけやってきて、「私も息子だから……」というのは、どう考えてもおかしい。
むしろ、そちらのほうが理不尽。
……とK氏は言う。
……私も、そう思う。

●ある教団

 ともかくも、親子の逆転現象は、20年近くも前から始まっている。
私がそのころ出した、「受験に克つ子育て法」(三一書房)の中でも書いた。
「本末転倒論」というのが、それである。

 しかし時代の流れというのは、恐ろしい。
そういうことを知っていた私でさえ、結局はその(流れ)には、無力でしかなかった。
子どもたちは子どもたちの世界で、自分たちの価値観を創りあげていく。
だから「うちの息子たちも、そうでしたよ」という話になってしまう。

 K氏は、さらにこう言った。
「しかしね、林さん、あの拉致被害者のYさん夫婦ね。自分の命をかけて、娘のMさんを取り戻
そうとしている。ああいう気持ちは、現代の若い人たちには理解できないかもしれませんね」
と。

 残念ながら、そうかもしれない。
5年ほど前だが、こんなことがあった。
1人の男性が、わざわざ新潟市から訪ねてきた。
話を聞くと、1人息子夫婦が、ある宗教教団(S会という狂信的なキリスト系カルト教団)に入信
してしまったという。
その教団では、集団生活が基本で、たとえ相手が親でも、外部の人たちとの接触を禁止してい
る。
その男性は、孫にも会えなくなった。
それをその男性はそれをつらがっていた。

 ……というか、教団まで出かけていっても、だれも取り合ってくれないという。
電話をすると、その1〜2時間後には息子の方から、電話がかかってくる。
そのとき息子氏はこう言うという。
「もうぼくたち家族のことは、放っておいてほしい。電話もしないでほしい」と。

●家族論

 「家族」に対する意識が変ってしまった。
少なくとも、私たちの時代の人間がもっている意識とは、ちがう。
どちらが正しいとか、まちがっているとか、そんなことを論じても意味はない。
私たち古い世代は、去っていくのみ。
こうした世代間闘争で、古い世代が若い世代に勝ったためしは、ない。

 簡単に言えば、私たちの世代は、「家族」というときには、そこには「両親」も含まれていた。
ばあいによっては、「祖父母」も含まれていた。

 が、現代は、「家族」には、「両親」「祖父母」もいない。
「家族」というときは、自分たち夫婦とその子どもたちだけ。
悪しき欧米主義の影響と考えてよい。

 欧米では、そうした「家族崩壊」が当たり前。
当たり前のまま、社会に定着し、常識化している。
それが戦後、日本にも浸透してきた。
その結果が「今」ということになる。

●変わる子育て観

 当然、子育て観も変わりつつある。
なかなか子離れできない親たちがいる一方、早々と子離れを宣言する親もふえてきている。
ある娘(中2)が家出をした。
歓楽街を歩いているとき、補導委員に報道された。
で、補導委員が母親に電話をすると、その母親は、こう言った。
「そんな娘、どうなっても、私は構いません。放っておいてください」と。

 が、意識というのは、一度できあがると、変えるのはたいへん。
というか、不可能。
よほどのことがないかぎり、一生、そのままつづく。
そこではげしい、世代間闘争が始まる。
「葛藤」という言葉のほうが適切かもしれない。
古い世代のほうが、はげしく葛藤する。

 で、K氏も、今、葛藤している。
「あんなヤツらに遺産など、1円も分けてやらない」と言いつつ、別の心では息子や娘たちのこ
とを心配している。
それが最初の話につながる。

「心配して、電話のひとつでもかけてきてほしい」と願う。
しかし息子や娘たちは、すでに別の意識をもっている。
「親の方が、子どもの心配をすべき」と。
それが世間の常識と納得している。

K「これからこの日本は、どうなるのでしょうね」
私「若い人たちが創っていくままですよ」
K「だって、林さん、自分たちだって、いつかは老人になるんですよ」
私「ハハハ、本人たちは、自分たちは老人にはならないと思っていますよ」
K「そんなバカな……」
私「ハハハ……。私もかつては、そうでしたから……」
K「そう言えば、私もそうだったなあ、ハハハ」と。

 で、K氏は今、いろいろなことをしている。
が、ここには詳しく書けない。
生前に相続財産をあれこれ動かすことは、それ自体、脱税行為につながることが多い。
だからここには、詳しく書けない。
ごめん!


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【日本映画vs外国映画】(映画論byはやし浩司)

++++++++++++++++++

以前は、「バージンシネマ」と呼んだ。
今は、「東宝シネマ」と呼ぶ。
詳しくはわからないが、経営母体が変わった(?)。
そのこともあって、邦画がぐんとふえ、
洋画が減った。
邦画:洋画=15:4。
たとえば、10月6日公開中のMENU。
(●印が洋画)

+++++++++++

ドッグポリス(純白の絆)
ワイルドスピード●
はやぶさ
監督失格
とある飛空士への追憶
モテキ
セカンドバージン
サンクタム●
ロサンジェルス決戦●
神様のカルテ
アンフェア
探偵はBARにいる
ラビット・ホラー
ライフ●
コクリコ坂から

++++++++++++

●邦画

 映画(洋画)は、家庭の大型液晶画面で観る。
あわてて映画館へ行かなくても、少し待てばDVDで観られる。
家族で観られる。
料金も安い。
加えて最近は、ブルーレイで観る人も増えてきた。
そんなこともあって、かなりの話題作でも、映画館での入りはガラガラ。
「サンクタム」も「ロスアンジェルス決戦」も、それぞれ公開初日と2日目に観たが、ガラガラ。

 その一方で、「東宝シネマ」という名前からもわかるように、邦画がふえた。
ふえたというより、邦画ばかり。
ときどき足を運ぶが、邦画には、そのつど期待を裏切られる。
理由の第一。

 日本の俳優の演技は、「演技、演技しすぎ」。
力(りき)みすぎ。
もっと自然な演技ができないものか。
「これが演技です」というような演技をするから、おもしろくない。
観る方も、感情移入ができない。
何度も書くが、見るからに正義感に欠けるような俳優が、セリフだけで正義を語ったりする。
だから、おもしろくない。
顔(表情)と声だけで、演技する。
形も決まっている。
そういう演技をされると、観る方も疲れる。

●粗製濫造

 近く「猿の惑星・ジェネシス」が公開される。
前評判は、たいへんよい。
楽しみ。
予告編を観たが、予告編だけでも迫力満点。
つまり本気度がちがう。
一方、東宝映画は、どれも粗製濫造(失礼!)といったふう。

 昔とちがって、フィルムを使わない。
ビデオで撮影。
余計に粗製濫造?
CG技術も、お粗末。
たとえば「沈まない太陽」。
旅客機が離陸するシーンが、何度か出てきた。
が、飛行機が不自然に傾いていた。
その上、みな同じカット。

 先日も何かの戦争映画を観たが、そこでもアメリカ軍のプロペラ機が、見た感じ、ジェット機
よりも速く飛んでいた。
何でもないシーンだが、そういうシーンが一か所でもあると、興がが冷めてしまう。

 人口80万人の浜松市に、大きな劇場は2つだけ。
これも時代の流れか?
映画の楽しみ方が、変わった。

●東宝シネマに一言

 その映画館。
たとえば午後8:00〜とあっても、実際にその映画が始まるのは、15〜20分後。
その間、お決まりの説教と予告編。
プラス意味のない「紙うさぎ」(東宝シネマ)のバカ話。
だから私たち夫婦は、「8:00〜」とあっても、5〜10分後に中に入る。
それでもじゅうぶん、間に合う。
(それにしても、どうしてあんな意味のない「紙うさぎ」のバカ話を、流すのか?)

 ……説教にしてもそうだ。
「鷹の爪何とか団」というのが、「あれをしてはダメ、これをしてはダメ」と、いろいろ説教を並べ
る。
毎週のように劇場へ通っている私たちにしてみれば、うるさくてしかたない。
レベルも低い。

 ……とは書きつつも、私たち夫婦は、劇場での映画を楽しんでいる。
ボケ防止にも、よいのではないか。
「今度は、あれを観よう」「これを観よう」と話し合っているだけで、楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●難問?
 
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/89/imge4786f44zik4zj.
jpeg" width="684" height="694" alt="img217.jpg">

 中3のMさん(進学校)が、こんな数学の問題をもってきた。
「Xを求めろ」という問題だった。
私は一見して、「円」を用いればできると直感した。
が、そこまで。
問題というよりは、パズル。

 問題を解きながら、(解こうとがんばりながら)、1時間もかかってしまった。
ほかにも、7〜8人の生徒がいたので、そういった生徒を指導しながらの1時間だった。
が、言い訳は無用。
ふと私が「もしこの問題を解けなければ、君はぼくの教室をやめてもいいよ」と言うと、Mさん
は、「イヤッ!」とだけ言った。

 よけいに気合いがはいった。
時間だけが無情に過ぎていった。
が、思考が堂々巡りするだけ。
まとまらない……ア〜ア!

が、「今日のレッスンはここまで!」と言ったとたん、不思議なことに、同時に問題が解けた。
「わかった!」と。

 私が苦しんだ分だけ、みなさんも、苦しんでほしい。
解き方と解答は、あえて省略する。

しかしそれにしても、最近になく、手こずった。
私の力の限界を感じた。
(頭がボケてきたせいもあるのかも?)

 で、今朝(10月6日)、再度、挑戦してみた。
が、今は、こう思う。
「どうしてこんな簡単な問題が解けなかったのだろう」と。
「問題」というのは、そういうもの。

 あのファーバーは、苦労に苦労を重ね、空中窒素の固定化に成功した。
で、その手順を教え、学生に同じことをさせたら、数日で、空中窒素を固定化することができた
という。
合成ゴムの製造のときも、そうだったという。

 今、その問題を見ながら、改めて先人たちの苦労に思いを馳せる。

『先人の後をついていくのは、簡単なこと』と。

(補記)

 やはり不親切に思う人がいるかもしれないので、
ヒントだけ書いておく。

(1)右下の角度は、上から、10度、20度※(円周角)、30度。
(2)左下の角度は、20度、80度。
(3)左上の角度は、下から50度、80度(円周角)、Y度。
(4)Yは、Y:80=10:20で求まる。つまり40度。
(5)Yが求まれば、Xは、簡単に求まる。

……?
アレッ!
今、求めてみたら、X+40=30(外角)で、X=−10度(マイナス10度)
になってしまった。
どこかで、問題の数字を書きまちがえたのかもしれない。
記憶に従って、書き出したので……。
ごめん!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司2011/10/06朝記

●小沢秘書3人に有罪判決(陸山会事件)

+++++++++++++++++++++

「小沢秘書 有罪 判決要旨」で検索をかけてみた。
が、驚いた。
「世紀の魔女狩り」
「インチキ裁判」
「民主主義の否定」などなど、今回の有罪判決を非難するBLOGが、
1〜20件あたりまで、ズラリと並んで出てきた。

で、私はもう一度、判決要旨そのものを読みなおしてみた。
注目すべき点は、「陸山会事件」。

そこには、こうある(以下、原文のまま)。

【陸山会事件】

 04年分収支報告書の「借入先・小沢一郎 4億円、備考・04年10月29日」との記載は、体裁か
ら陸山会が小沢一郎民主党元代表から4億円を借り入れた日とみるのが自然かつ合理的。
被告側が主張する「同年10月初め?同月27日ごろまでに小沢から陸山会が借りた合計4億円」
を書いたものとすると、それを担保にする形をとって小沢元代表名義で銀行融資を受け、転貸
された4億円を記載しなかったことになり、不自然。

 加えて、石川被告が4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀行6支店に分
散入金したことなどは、4億円を目立たないようにする工作とみるのが合理的。
4億円を原資とする土地取得も04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推
認される』(以上、原文のまま)と。

 少しわかりにくいが、「……前後12回にわたり5銀行6支店に分散入金したこと……」という部
分だけを読んでも、胡散(うさん)臭い。
プンプンと臭う。
被告側(秘書側)は、「だからといって、どうしてそれが悪いことなのか」ということになる。
たしかにそうである。
前後12回にわたり、5銀行6支店に分散入金したところで、それはその人の勝手。
何も法に触れるような行為ではない。
(小沢氏および小沢擁護派は、こうした点を強調している。)

 たしかにそうだが、なぜ「前後12回にわたり5銀行6支店に分散入金する必要があったのか」
という点については、何も答えていない。
常識で考えれば、「何かを隠すためにそうした」ということになる。
もっとはっきり言えば、「金の出所をごまかすためにそうした」ということになる。
判決もそれをふまえ、「隠蔽工作をしたとも推認される」と述べている。

 が、逆に考えると、本人たちが皆、口をそろえて「知らない」「関係ない」などと言い張っている
以上、「推認」するしかない。

●小沢疑獄

 一連の小沢疑獄事件には、大きな一貫性がある。
「法には触れない小細工の連続性」という、一貫性である。
問題は、なぜそういった小細工を重ねたか。
重ねなければならなかったか。
つまり私たちは、その裏に、胡散臭さ、つまり犯罪性をかぎ取る。
もし何でもないお金なら、そのまま素直に動かせばよい。
そうでないから、そうでない。
「疑獄」となる。

 4億円は、いったい、どこからどのようにして出てきたのか?
小沢氏が言うように、本当に「タンス預金」だったのか。
が、もしそうなら、なぜこうした小細工をしなければならなかったのか?
「何も悪いことではない」と居直る前に、政治家として、その説明義務があるのでは?
その説明もきちんとしないで、「インチキ裁判」と非難するのも、どうか。

 さらに判決要旨にはつぎのようにある。

●判決要旨

 『岩手県や秋田県では、公共工事の談合で小沢事務所の了解がなければ本命業者にはな
れない状況。
小沢事務所の秘書から発せられる本命業者とすることの了解はゼネコン各社にとって「天の
声」と受け止められていた。
元公設第1秘書の大久保隆規被告は2002?03年ごろから天の声を発出する役割を担うように
なった』(以上、判決要旨)と。

 で、水谷建設社長は、大久保被告の要求に応じ、1億円を小沢氏側に渡している。

『……4億円の原資は石川被告らに加え、用立てた小沢元代表自身ですら明快な説明ができ
ていない。原資の説明は困難。
 当時の水谷建設社長は胆沢ダム建設工事の受注に絡み、大久保被告の要求に応じて、04
年10月に5千万円を石川被告に、05年4月に同額を大久保被告に手渡したと証言したが、ほか
の関係者証言や客観的証拠と符合し、信用できる。
一切受け取っていないという両被告の供述は信用できない』(以上、判決要旨)と。

 「1億円の金を渡した」と証言している水谷建設社長。
その後、その金と合わせて、4億円もの大金が、複雑なルートを経て、複雑に動く。
小沢氏側は、入り口で「一切受け取っていない」と門を閉ざし、その後のことは、「法に触れるよ
うなことはなにもしていない」という論陣を張っている。
つまり「無罪」と。

 しかしこんな常識をはずれた論陣があるだろうか。
……ということで、私たちは、納得していない。
いくら小沢氏側が、「無罪だ」「魔女狩りだ」と主張したところで、「はあ、そうですか」と引き下が
るわけいにはいかない。
心証は、真っ黒。
小沢氏側は「証拠がない」「証拠を出せ」と言っているが、もとから物的証拠など作るわけがな
い。
頭のよい連中である。
だから客観的な状況証拠から、「推認する」しかない。

 私は小沢氏は別として、3人の秘書たちに言いたい。
忠僕心も結構だが、一度、人間としての自分の良心に立ち返ってみてほしい、と。
 
 小沢氏にしても、そうだ。
もし本当に「無罪」なら、つまり胡散臭いマネーを一円も受け取っていないと主張するなら、本
気で怒ったらよい。
まさに濡れ衣。
私なら、そうする。
へたにニヤニヤと笑い、余裕たっぷりの表情を見せるから、私たちはあなたを疑う。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

【小学1年生と2年生に、正負の数の計算を教える】(はやし浩司 2011−10−06)

●今週は、小1〜2クラスでは、正負(+&−)の数の計算を教えました。
 たいへん恵まれた子どもたちで、全員が、ねらいどおり、計算できるようになりました。

(1)
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(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/tCa41lch9aE?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【1】
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=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【2】
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/TaSxmzVAe8Y?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【3】
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●小沢疑獄事件と4億円(天の声vs巨億の利権)2011/10/07記

+++++++++++++++++

★岩手県や秋田県では、公共工事の談合で
小沢事務所の了解がなければ本命業者には
なれない状況だったという(判決要旨)。

★小沢事務所の秘書から発せられる本命業者と
することの了解はゼネコン各社にとって
「天の声」と受け止められていたという
(判決要旨)。

★元公設第1秘書の大久保隆規被告は2002?03年
ごろから天の声を発出する役割を担うように
なったという(判決要旨)。

+++++++++++++++++

●問題のすり替え

 今日、小沢一郎氏は、「完全無罪」を主張した。
が、今回の裁判では、そもそも、争点がズレている。
私たちが知りたいのは、「4億円の出所」。
つまり「入り口」。

が、裁判では、その「出口」が争われることになった。
つまり使われ方についての手続きの違法性が争点になっている。
わかりやすく言えば、仮に有罪になっても微罪。
本来問われるべき収賄罪とは、罪の重さがちがう。

 つまり小沢一郎氏は、巧みに問題のすり替えをしている。
肝心の4億円の出所を伏せたまま、出口だけを取りあげ、「違法なことはない」(公判後会見)
と。
が、その「出口」もおかしい。
裁判官は、つぎのように判断している。

『……加えて、石川被告が4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀行6支店
に分散入金したことなどは、4億円を目立たないようにする工作とみるのが合理的。
4億円を原資とする土地取得も、04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推
認される』(判決要旨)と。

 仮にそれが罪でなくても、なぜ「4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀行
6支店に分散入金したか」について、小沢一郎氏は、説明する義務がある。
さらにここにもあるように、04年に土地代金を支払いながら、名義変更は、翌年の05年に回
している。

 私も、生涯において何度か土地売買の取り引きをしたことがある。
しかしこんなバカげた取り引きをしたことは一度もない。
小沢一郎氏は、代金を04年(10月)に払い、名義変更を05年(1月)にしている。
ふつう土地の売買においては、代金の支払いと同時に名義変更をする。
そうでもしなければ、買い手は不安でならない。

 それを裁判官は、「04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推認される」と
判断している。
つまりもともと胡散(うさん)臭いお金だから、そういう小細工をした(?)。
だれしもそう考える。

●裁判では……

 今回の裁判では、小沢一郎氏は、無罪となる可能性はきわめて高い。
小細工を罰する法律はない。
「たまたま私はそうしただけです」と主張すれば、それ以上、小沢一郎氏の責任を追及すること
はできない。
4億円についても、「私のお金」(公判後会見)と突っぱねるだろう。

 が、それで私たち国民が納得するかどうかというと、それはない。
私たちは納得しない。
私たちが知りたいのは、あくまでも「入り口」
4億円の出所。

 裁判官は、「岩手県や秋田県では、公共工事の談合で小沢事務所の了解がなければ本命
業者にはなれない状況だった」と断じている。
巨億の事業体である。
それが「天の声」として、長年に渡ってつづいていた。
もし裁判官が言っているとおりとするなら、4億円など、ハシタ金。
その10倍の40億円、さらに100億円と聞いても、私は驚かない。

 が、なぜか、検察側は、本命と言うべき贈収賄罪についての立件を断念している。
なぜか?

●もの言わぬ従順な民

 それにしても驚くべきことは、私たち日本人のもつ「従順さ」。
本来なら、もっと怒ってよいはず。
が、何も言わない。
何も行動しない。
怒りの声すら、あげない。

 いつの間にか、私たち日本人は、キバを抜かれてしまった。
自ら考えることすら、放棄してしまったかのようにも見える。
が、そんなのは美徳でも何でもない。
その先にあるのは、民主主義の崩壊。
いや、すでに崩壊している。

 日本は官僚主義国家。
こんなところで、へたに民主主義を補強すれば、自分たちの立場がかえって危うくなる。
国民を、「もの言わぬ従順な民」にしておくことこそ、肝要。
官僚とゼネコン。
この両者を癒着してくれる政治家こそ、彼らが望む政治家ということになる。
言い換えると、日本の民主主義は、ここまで地に落ちた。
今朝の小沢裁判の新聞記事を読みながら、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月7日(2011)

●ジョブズ氏の死

 米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長が、死去したという。
56歳だったという。
私はこのニュースを知って、こんなことを考えた。
「その一方で、巨億の資産を投資で失い、自殺した人もいるのに……」と。

 たとえば、ドイツの億万長者アドルフ・マークル氏がいる。
彼は電車に飛び込み自殺している(2009年)。
たとえばシカゴ不動産競売業者のスティーブン・グッド氏がいる。
グッド氏は、ジャガーの赤いスポーツカーの中で銃で自殺している(同、2009年)。

その反対でもよい。

 仮に巨億の富を築きあげたとしても、死ねばおしまい。
この宇宙もろとも、この世から消える。
だったら、仮に巨億の富を投資で失ったとしても、自殺するのは、バカげている。
 
 今回の大恐慌においても、こうした自殺者は、この先、跡を絶たないだろう。
アドルフ・マークル氏やグッド氏のような著名人は別として、私の身近にも似たようなケースは
いくらでもある。
「事業に失敗して……」と。

 が、やはり死んだらおしまい。

●老後の資金

 この話と、「老後の資金」とどういう関係があるかと聞かれると、つらい。
老後というのは、言うなれば「死の待合室」に入るようなもの。
いくら「そうであってはいけない」と思っても、現実はそう。
(もちろんそれを悲観的に考える必要はないが……。)

 そんなとき、こう考える。
「あといくら財産があれば、いいのだろう」と。

 いろいろな経済誌が、退職後から(死ぬまでの)費用を試算している。
1人、1億円と言う人もいる。
2億円と言う人もいる。
が、公務員と蓄財に成功した老人をのぞけば、それだけの費用を用意するのは、不可能。
50代で、貯金額ゼロの人は、約30%もいるそうだ。
また60歳の定年退職時で、貯金ゼロの人は、50%もいるそうだ(F投信調査)。
どこかの証券会社が、そんな調査結果を公表している。

 が、その一方で、何十億円とか、何百億円とかいう財産を築きあげる人もいる。
冒頭にあげたジョブズ氏にしてもそうだろう。
足りなくても困るが、さりとて必要以上にあってもしかたないのが、老後の資金。
だから私たち夫婦は、現実的に、こう考える。

「財産がなくなったら、死のう」と。

 とりあえずは、今の仕事をできるだけ長くつづける。
「つづける」というよりは、「生き延びる」。
で、仕事ができなくなったら、残った財産で何とか「生き延びる」。
家と土地を売ることも、すでに視野に入れている。

 が、そのあとの生活設計が、私にはわからない。
わからないから、「ピンコロ」。
「できれば、ピンコロ」と。

●リチャード・マクドナルド

 投資に失敗し、自殺するのはバカげていると、私は書いた。
が、同時に、巨億の財産を築いたジョブズ氏を、私はうらやましいとは思わない。
世界のマスコミは、「世界の偉人」を失ったかのように書き立てている。
が、私はそうは思わない。
時流に乗っただけ。
もっとはっきり言えば、運がよかっただけ。

 あの程度の苦労をしている人は、いくらでもいる。
私もそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。
たとえばその一方で、こんな人がいたことを、あなたは知っているか。
リチャード・マクドナルドという人である。

 13年ほど前に(1998年)、89歳でなくなったが、あのハンバーガーチェーンの「マクドナル
ド」の創始者と言えば、だれでも知っている※。
が、当のマクドナルド氏自身は、早い時期にレストランの権利を別の人物(レイ・クロック氏)に
売り渡している。
それについて生前、テレビのレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。
マクドナルド氏はこう答えている。

「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士や会計士に囲
まれてつまらない生活をしていることでしょう。
(こういう農場でのんびり暮らしている)今のほうが、ずっと幸せです」と。 

(注※)リチャード・ディック・ジェイ・マクドナルド(Richard "Dick" J. McDonald、1909年生ま
れ、1998年死去)

●金権教団

 要するに私たちは、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、「金権」に毒されすぎてい
るということ。
皮肉な言い方をすれば、全人類、オール「金権教団」というカルト教団の信者。
自由貿易体制(資本主義体制)の中ではしかたのないことかもしれない。
が、大切なことは、そういう世界にあっても、自分を見失わないこと。
見失ったとたん、たとえば「自殺」という道を選んでしまうかもしれない。

 で、再び、ジョブズ氏の話。

 たまたま彼は病気で死んだ(失礼!)。
巨億の富の蓄財にも成功した。
言うなれば、この世界での大成功者ということになる。
が、もし彼が、その事業で失敗していたとしたら、どうだろうか。
こんな仮定をするのは許されないことだということは、よく知っている。
が、もしその事業で失敗し、無一文になっていたとしたら……。
彼はどうなっていただろうか。
自殺していなかったと言えるだろうか。
現在の今、どう評価されていただろうか。

●結び

 ずいぶんと回りくどい言い方をした。
が、私は最近、現在の自由貿易体制(資本主義体制)に、疑問を感じ始めている。
もちろんだからといって、共産主義がよいというのではない。
(どこかのBLOGに、「はやし浩司は共産主義者」と書いてあったが、それはウソ。
マルクス経済学など、見たことも読んだこともない。)
が、今の自由貿易体制(資本主義体制)は、個人的にみても、また国家的にみても、不公平。
矛盾だらけ。

 その人が老後を安楽に暮らせるのに、2億円の費用がかかるとする。
しかしこの世の中、60歳で貯金ゼロの人が50%もいる半面、何十億円もの蓄財に成功した
人もいる。

 国にしても、そうだ。
そうたいして働きもしないアメリカ人が、世界の富をかき集めている。
何かが、おかしい。
狂っている。

 私は経済学者ではないから、これ以上のことはわからない。
またどうあったらよいのかもわからない。
が、モヤモヤとしたものだけは、心の底に滞留している。

 現代という世界では、ジョブズ氏のような人物を、「大成功者」と呼ぶのだが……。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●『猿の惑星』(RISE of the Planet of the Apes)を観る(20110−10−07)

++++++++++++++++++++

 昨日から公開された『猿の惑星・創世記(ジェニシス)』を観てきた。
おもしろかった。
楽しかった。
星はもちろん4つプラスの、★★★★+。

 途中で何度も、「ナルホド!」と感心。
たとえば火星探査船が打ち上げられるシーンが、チラッと出てくる。
本当に「チラッ」とだけ。
しかし観る人が観ればわかる。
(ワイフは、第1作を観ていないので、気がつかなかった。)
それがあのチャールトン・ヘストン(第1作)演ずる、宇宙飛行士テイラーの搭乗した探査船で
ある。

 また主人公(?)の名前は、「シーザー」。
そのシーザーは、人間社会に飛び出すと同時に、真っ先に、メスのチンパンジーの救出に向
かう。
そのメスのチンパンジーの名前が、コーネリアス。
すべてが、矛盾なく、あの伝説的名作の『猿の惑星』(第1作)へとつながっていく。

 『猿の惑星(Planet of the Apes)』第1作は1968年に公開されている。
私が大学3年生のときのことである。
当時の私は、SFファンで、SF小説を片っ端から読みあさっていた。
そんな中、『猿の惑星』が公開された。
現代の若い人たちにすれば、観るに耐えない古い映画かもしれない。
しかし私に与えた衝撃は、大きかった。
最後のシーンで、自由の女神像が横たわっているのを見て、テイラー(宇宙飛行士)は、そこが
地球であったことを知る。
今でもあのとき感じた衝撃を忘れることができない。

 ともあれ、SF映画とわかってはいたが、「ナルホド」「ナルホド」と。
その「ナルホド」が楽しかった。
だから星は4つプラス。

++++++++++++++++++

【米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長の死去について】

●ジョブズ氏の死

 私のBLOGには、毎日、いろいろなコメントが寄せられる。
その中でも、気になったのがいくつかある。
たとえば昨日、アップル社会長のジョブズ氏の死について書いた。
その中で、私は、ジョブズ氏のことを、「うまく時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と書い
た。
この部分が、ネット・ユーザーの反発を買った。

 しかし事実を、ここに書く。
年代は忘れた。
しかし順番は、よく覚えている。
私は毎週のように、その店に足を運び、今で言うパソコンと遊んでいた。
私が27、8歳のときのことである。

●ムーンベース

 浜松の北に、一軒の小さな店がオープンした。
「ムーンベース」という名前だった。
間口が、2〜3間しかないような、小さな店だった。
入ると、数台のパソコンが並んでいた。
奥にもう一部屋あったように記憶している。

 その店に、まず最初に並んだのが、TOSHIBAのTK−BSという、パソコンだった。
パソコンというより、内部基盤むき出しの電子製品だった。
(そのため「ワンボードマイコン」と呼ばれていた。)
それにマシン語で、プログラムを打ち込む。
表示は1行だけの、今の電卓風のものだった。

 私は迷わず1台購入したが、番号(命令)を覚えるだけで、たいへん。
ギブアップ。
が、そのあとすぐ、コモドール社から、PETというパソコンが売りに出された。
そのすぐあとにタンディ社という会社から、専用モニターに画像を映すパソコンが発売された。
(「タンディ・ラジオシャック」と呼んでいたように記憶しているが……。)
私はそのPET社の(PET2001)を購入した。

 ムーンベースは、当時、浜松では、たった一軒のパソコンショップだった。
そのムーンベースで、最初にPETを買ったのは、私。
(そのあと、店の主人が、「浜松で3台売れた」というような話をしたのを、記憶のどこかで覚え
ている。)

 PETは、BASIC言語で、プログラムを打ち込むことができた。
たいへん珍しいパソコンで、東京のG社(出版社)から、うわさを聞きつけ、編集者がわざわざ
取材に来たほど。
私は毎晩、仕事から帰ると、そのパソコンを相手にプログラムを打ち込み、遊んだ。

●アップルの登場

 私はPETを、33〜4万円(当時)で購入した。
TK−BSについては記憶は定かではないが、それでも8〜9万円くらいではなかったか。
この日本では、アップル社のパソコンが登場したのは、その後のことである。
「Apple U」というのが、それで、値段は、42〜5万円だったように記憶している。

 厚みはあったが、平べったい、箱のようなパソコンだった。
りんごのロゴが、印象的だった。
が、私はタンディ社のパソコンのほうに興味があった。
青いモニターに、白い点で文字を表示することができた。
PET2001より、画面がはるかに大きかった。
キーボードも打ちやすかった。
それが魅力的だった。
言い忘れたが、当時この日本には、日本語(カタカナ)表示できるパソコンは、まだなかった。

 アップル社のパソコンは、PETと比べても、ダントツに性能がよかった。
それは記憶しているが、値段が高くて、買えなかった。

 たった今、念のため……と思い、タンディ社のパソコンについて調べてみた。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『1977年8月3日、タンディ TRSー80 Model T が発表された。
これがタンディ社がホームコンピュータ市場に参入し、コモドールPET 2001やApple IIと対抗す
るきっかけとなった。
価格は599ドルで、当時のラジオシャック店が扱っていた中では最も高価な製品だった。
同社はコンピュータの市場に入ることが出来るのか確信を持っていなかったため、とりあえず
3000台を製造し、もし売れなかったら3000ある各店舗の業務に使用する予定だった。
タンディは最初の一ヶ月で1万台を販売し、一年で5万5000台を販売した。
1981年1月に販売終了するまで、ModelU は 25万台も売れた』と。

●PET2001

 こうしてウィキペディア百科事典を読みなおしてみると、当時のパソコンの流れが、整理でき
て、おもしろい。

 やはりコモドール社のPET2001のほうが、先だった。
Apple Uが、出てきたのは、そのあと。
が、ムーンベースでは、入り口のところに、タンディ社のパソコンが、誇らしげに飾ってあった。
専用のモニターつきで、キーボードもかっこよかった。
あのときのあれが、「TRSー80」だった。
……と、今、その名前を思い出した。
私は、アップル社のパソコンより、タンディ社のパソコンがほしかった。

 が、迷っているうちに、日本のシャープが、この世界に参入してきた。
NECも参入してきた。
私はそれらをつぎつぎと買い換えていった。
(アップルUと、TRS−80は購入していない。)

 ウィキペディア百科事典には、PET2001について、こうある。

 『……世界初のオール・イン・ワン ホームコンピュータPET 2001である。
メモリ(RAM)は 4Kバイトか8Kバイトであり、基本的にはKIM-1の新たなディスプレイ用チップ 
(MOS 6545) を加えて、内蔵モノクロディスプレイ(40×25文字表示)を駆動した。
画面にはキャラクタ表示しか出来ないが、1キャラクタを縦横各2分割した16パターンの図形キ
ャラクタを持ち、それを画面に並べることによって80×50ドットの疑似グラフィックス表示をする
ことができた(キャラクタグラフィックス)。
また、データ記録用のカセットテープレコーダーもキーボードの横に装備していた。PET 2001
は、1977年9月ごろ出荷を開始した』と。

 「1977年出荷」とあるから、私が30歳のときということになる。
しかしそれはおかしい(?)。
あるいは私の記憶違いによるものなのか。
私は今まで、私が27〜8歳のときにPET2001を購入したと、記憶していた。

 ついでにAPPLE Uについては、ウィキペディア百科事典には、こうある。

 『……Apple IIの販売台数は 1978年に7,600台、1979年に35,100台、1980年に78,100台、
1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、パーソナルコンピュータの普及
に貢献すると共にアップルコンピュータ社の礎を築いた。Apple IIの生産は1993年まで続き、総
計500万台が生産された』と。

 1977年から78年。
たった2年!
私にはその2年間が、長い年月だったように思われる。
その間に、パソコンの世界は目まぐるしく変化した。
ともあれ私が言いたかったのは、「ジョブズ氏がいなかったら、パソコンはなかった」(某誌氏コ
メント)というのは、まちがいということ。

 もしあのとき、コモドール社やタンディ社が、そのまま売り上げを伸ばしていたら、ジョブズ氏
はいなかったということになる。
ここにもあるように、タンディ社のTRS−80は、25万台。
アップルUは、500万台。
その結果、ジョブズ氏は、アップル社のジョッブズ氏になった。
その点、Basic言語を開発し、WINDOWを開発した、マイクロソフト社のビル・ゲーツ氏とは、
一線を画すものである。

 だから私は、こう書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。
が、私の意見に対して、怒りを覚えるのは、少し待ってほしい。

●日本の遅れ

 当時の私は、毎日がもどかしくてならなかった。
NECもTOSHIBAも、さらにFUJITSUも、大型のコンピューターを製造していた。
その気になれば、ホームパソコン(当時は、そう呼んでいた)など、簡単に製造できたはず。
日本の電子技術のほうが、はるかに進んでいた。
が、私が知るかぎり、(当時、私がもった印象では)、日本の会社は、お高くとまったまま。
何も動こうとしなかった。

 そのうちシャープがオールインワン(PETの類似型)のパソコンを売り出し、NECは独自のO
Sをもった、8000シリーズを売り出した。
しかしそのときには、すでに世界の勝者は決まっていた。

 ついでながら、私はあのシャープが発売した、MZ−80についても書いておきたい。
(TOSHIBAやFUJITSUではない、弱電メーカーのシャープだったという点にも注目!)
使ったのはわずかな期間だったが、(……というのもそのあとすぐ、NECのPC8001に乗り換
えたので)、よいパソコンだった。
デザインも、日本人向けだった。
で、たった今、そのMZ−80について調べてみたが、1978年発売とある。
またPC8001については、翌年の1979年発売とある。

 つまり1977〜79年は、まさにパソコンの黎明(れいめい)期。
今から思うと、そんな感じがする。

●日本が敗れる

 パソコンの世界で、日本がアメリカに敗れた理由は、私が知るかぎり、2つある。
ひとつは、NECの98(OS)に代表されるように、日本人は日本製にこだわりすぎた。
「日本で勝てば、世界の勝者になれる」と思い込んでいた。
そんな奢(おご)りがあったのではないか。
 
 それは私自身の個人的な経験とも重なる。
私はIBM仕様のパソコンがすでに世界制覇を成し遂げたあとですら、まだNECの98にこだわ
っていた。
で、結果は、ご存知の通り。
IBM仕様のパソコンに乗り換えたとき、私の家の中には、8000シリーズ、9000シリーズの
パソコンが、4〜5台、まだそのまま残っていた。

 もうひとつは、お馬鹿な政治家たちに、未来を見通す力がなかったこと。
パソコンより、土木事業ばかりに力を注いでいた。
はっきり言えば、知的能力に欠けていた。
OSの開発においても、アメリカから圧力が加わると、即座にそれに従った。
まさにアメリカの言いなり。
東大の坂村健氏が開発したBTRONなどもその一例※。
当時の私はこんなふうに思った。
「あの田中角栄さんに、ベーシック言語を教えるのは不可能だろうな」と。

 ともあれ、今が、その結果。
もし私たちがアメリカ人なら、ジョブズ氏を称えるのもよいだろう。
たしかにアメリカ人にとっては、英雄。
しかし日本人の私たちが、ジョブズ氏を称えて、どうなる?……どうする?
「ジョブズ氏は時流に乗っただけ」と書いた私を叩いて、どうなる?……どうする?
中には、「ジョブズ氏のいないパソコンの世界は考えられない。ジョブズ氏の死を心から悼む」
(日本人)というようなことを、書いているBLOGまであった。

 すばらしい人物であったことは認める。
しかし、そこまで。
そこでSTOP!

 ……ということをわかってほしかったから、この原稿を書いてみた。
私たちは、そのジョブズ氏との戦いに敗れた日本の日本人。
アメリカは国策として、ジョブズ氏らを応援した。
それを忘れてはならない。

 ついでながら日本の政治家たちのお馬鹿ぶりは、これだけではない。
つぎの原稿も、ぜひ、読んでみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【デジタル教科書について】2010年に書いた原稿より

【デジタル教科書】(どうして時代の流れに反対するのか?)


+++++++++++++++


昨日(2010年12月17日)、書店に
立ち寄った。
驚いた。
デジタル教科書など、時代の
常識と考えていた。
が、そこにはズラリと、
「デジタル教科書・反対論」なる
タイトルの書籍が、並んでいた。
平積みではない。
棚に、同じ本が、表紙を前に、
10冊前後ずつ、並んでいた。
かなりの威圧感があった。
が、即座に私の脳みそが反応した。


デジタル教科書に反対?
これはどういうことなのか?
どうしてデジタル教科書に、
反対なのか?


隣の韓国では、2011年の4月から、
すべての学校でデジタル教科書が
使われるようになるという(報道)。
それが時代の流れなら、デジタル教科書
に反対する理由などない。
近未来の学校教育を想像してみればよい。
「紙」を使った、現在の教科書の
ほうが、時代遅れ。
地球温暖化防止を理由にするまでもない。


++++++++++++++++


●SONYのPSP


 私は現在、SONYのPSP(電子ゲーム機器)を使って、遊んでいる。
「モンスター・ハンター2G」(通称「モンハン」)。
現在、「3G」が発売になっている。
が、「2G」だけでも、精一杯。
買って、もう10日になるが、いまだに初期ステージの村で、うろうろしている。


 そのゲーム。
子どもたちの心を捕らえて放さない。
ゲーム機器を見せただけで、目の色を変える。
PSPをもっているというだけで、私はみなの人気者になってしまった。


毎日のように子どもたちがいろいろなソフトを見せてくれる。
ゲームの仕方を教えてくれる。
おとといは(15日)は、ゲームを無線LANでつないで、たがいに対戦する方法
を教えてもらった。


 私はそういう子どもたちを見ながら、どうしてこういう機器を、教育に
もっと利用しないのか、と考えた。


●パソコンの世界


 パソコンを使っていない人に、いくらそのすばらしさを説明しても無駄。
理解すらできない。
しかしパソコンがそこにあり、ネットにつながっているということは、
座右に、巨大な図書館があるようなもの。
しかも司書つき。
最近では、私は語句の使い方まで、検索をかけて調べるようになった。
辞書がわりにもなる。


 そのパソコンの世界は、まさに日進月歩。
たった10年前には、10GBのハードディスクの出現に目を丸くした。
それまでは「メガバイト」の時代だった。
それがやっと「ギガバイト」の時代になったと思っていたら、友人から電話。
「台湾製だが、10GBのパソコンが出た。買わないか?」と。
私は、すぐとびついた。


 今では、デスクトップパソコンともなると、1TB(1000GB)
は当たり前。
2TBの時代になりつつある。
搭載するメモリーについても、そうだ。
現在私が使っているデスクトップは、12GBのメモリーを搭載している。


 仮に1TBもあれば、全世界の全学年の教科書を丸コピーしても、おつり
がくるはず。
しかしそんな必要はない。
ネットでつなげば、その?億倍の情報を、居ながらにして、自分のものに
することができる。


 私など、この数年、ほとんど図書館へ行っていない。
それまでは毎週のように、図書館へ通っていたが……。
これが時代の流れ。


●可能性


 デジタル教科書の是非を争っても、意味はない。
というのも、デジタル教科書そのものが、無限の可能性を秘めている。
すでに紙のようにペラペラと曲がるモニター(表示装置)も開発されている。
その気になれば、現在使っている教科書とそっくり同じよな教科書も作る
こともできる。


 どうしても……ということなら、それも可能。
(そんな必要はないと思うが……。)


 が、そこで進歩が止まるわけではない。
デジタル教科書といっても、将来的には、かぎりなく薄く、軽くなる。
さらに学校と子どもを、デジタル教科書を介して、直接つなぐことも可能。
もし「性能がよすぎる」というのであれば、いくらでもダウンサイズできる。
大は、常に小を兼ねる。


 反対派の人たちは、「無駄になる」というようなことを言っているようだ。
そういう話は聞いたことがある。
どうして?


 たとえばもっともシンプルにデジタル教科書を考えてみよう。


(1)教科書を、SDカードのようなものにコピーする。
あとはそのSDカードを学年ごとに、差し替えればよい。
子どもたちは、何冊も教科書をもって歩く必要はない。


(2)全国の教師が、自作のテキストやワークブックを共有する。
それだけでも、膨大な情報量になる。


 いいことづくめで、悪いことは何もない。


 どうしてもっとシンプルに、ものごとを考えることができないのか。


●反対論者


 私は私で、白紙の状態から、この問題について考えたかった。
どういう理由で反対しているのか、今の段階では、私にはわからない。
しかしこの問題を考えるとき、ひとつの大きな問題をクリアしなければならない。
それが「知識と思考」の問題。


 この先、知識は、かぎりなく価値を失う。
知りたいことがあれば、パソコンを使い、その場で知ればよい。
言い換えると、「もの知り」は、お呼びではない。


 その半面、「思考」が重要な意味をもつようになる。
わかりやすく言えば、「自ら考える子ども」。
「自ら考える人間」。


 考えるということは、そこにある事実を加工、分析、さらに論理的に
積み重ねることをいう。
その意識、つまり教育に対する考え方を、基本的な部分で、まず変えなければ
ならない。
すでに多くの大学では、「辞書、参考書、持ち込みOK」という入試方法を
とっている。


(AO入試方法については、学力の低下を理由に、見直す大学がふえているのも
事実だが・・・。)


 つまり「学校教育イコール、知識教育」という、旧態の固定観念を捨てる。
「知識」にこだわるかぎり、便利すぎる文明の利器は、人間をかえって怠惰にする。
それはそうだが、暗記に始まって、暗記に終わる現在の教育システムが、だれも正常
とは考えない。


●過去


 少し話を過去に戻す。


 戦後のある時期までは、日本の電子機器は、世界をリードしていた。
が、それは今では、当時の面影は見る影すらない。
ほとんどの分野を、とくに韓国、台湾に奪われてしまった。


 コンピューター教育にしても、しかり。
なぜに、現在の韓国があり、台湾があるか、それを考えてみればよい。
日本が二の足を踏んでいる間に、彼らは、小学レベルから、コンピューター教育を
始めた。
オーストラリアでさえ、現在34歳の二男が11歳だったから、23年以上も前から、
小学レベルでコンピュータ教育をしていた(南オーストラリア州)。
私が目撃した。
さらにアメリカでは、10年以上も前から、しかも4歳児からコンピューター教育を
していた。
私が目撃した(アーカンソー州)。


 が、この日本では、「教員がいない」「教員資格がどうの」「教授を育てるまでに
20年」「カリキュラムが定まらない」などという、理由にもならない理由を並べて、
結局、コンピューター教育は実現しなかった。


 少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、まず、やってみること。
多少の試行錯誤はあるかもしれない。
失敗もあるだろう。
しかしそんなことを恐れていて、何ができる?


●否定派


 ……という段階で、今朝、反対派の人たちが、どんな理由を並べているか、調べて
みた。
書店にあった本を書いた著者のHPを開いてみた。
そこには、同じようにズラリと、いろいろな人が反対意見を並べていた。
それを箇条書きに、整理してみる(以下、池田信夫氏のウェブサイトより)。


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。
(以上、池田信夫氏のウェブサイトより)


●順に検討してみよう


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


★20年前というと、コンピューターの世界では、やっとラップトップ・パソコンが
TOSHIBAから発売になったころ。
そんなとき、今と同じデジタル教科書の話があった?
少なくとも私は知らない。


(なおBTRONについては、池田氏は誤解している。後述。)


私はそのころ東京の秋葉原まで二男を連れて行き、その1台、買った。
値段は40万円を超えていた。
そんな時代の失敗を、今、どうして持ち出すのか?


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


★280円なら、安い!
280円x12か月x12年=40320円。
リースだから、12年後には、さらにすぐれた機能をもった端末機が、現れるはず。
子ども手当てだけも、じゅうぶん、おつりがくる。
教科書会社は巨億の利権にぶらさがり、好き勝手なことをしている。
教科書会社ならよくて、どうしてソフトバンクだと、だめなのか。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


★どうしてここで「英語」が出てくるのか。
「英語教育をやめて、論語を読ませろ」と主張する学者も多い。
英語ではなく、数学や理科では、どうしていけないのか。
英語という「言語」教育であれば、英会話ができる・できないは、つぎの問題。
それに今どき、英語の話せない英語教師はいない!
いつの話をしているのか。
現に今、税金の食い逃げをしている教科書会社を、どうして問題にしないのか?


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。


★教育は、能率だけではできない。
「カリキュラム」という言葉を使って反対する人も多い。
しかし教育は、カリキュラムどおりには、進まない。
相手は、子どもという「人間」である。
そのときの様子をみて、臨機応変に対処する。
それが教育である。


 また「無能」という言葉を安易に使ってほしくない。
同じ公務員の中でも、もっともハードな仕事を強いられているのが、学校の教師。
1週間の間に、「空き時間(=休み時間)」が、カリキュラム通りだと、1〜2時間
しか取れない。
それを教師たちがみな、たがいにやりくりしあって、3〜4時間にしている(静岡県)。
「無能」という言葉を使うなら、まず自分でやってみること。


●「やらまいか精神」


 浜松に住むようになって、40年。
当初、この浜松へ来て、驚いたことが2つある。


 ひとつは、「文化」の「ブ」の字も感じなかったこと。
おそろしく文化の低い町と思った(失礼!)。


 たとえば私が学生時代を過ごした金沢では、毎週のように近くの公民館で、
講演会があった。
大学やその道の専門家が、町の人たちに何かの講演をしていた。
夕方になると、あちこちから三味線や謡(うたい)の音や声が聞こえてきた。
祭りともなると、城内の大学生が率先して参加していたし、コンサートも頻繁に
行われていた。
浜松には、静岡大学の工学部もあったが、学生の「臭い」すら、どこにもなかった。
しかし、この話は、今回のテーマには関係ない。


 もうひとつは、「やらまいか精神」。
無責任と言えば、無責任。
無謀と言えば、無謀。
しかしこの浜松の人たちは、何でも新しいものが、好き。
当時私はいくつかの会社を回りながら、貿易の手伝いをしていた。
社内報も書いていた。
そんなとき私が何か新しいことを提案すると、経営者たちはみな、即座に、
「やらまいか(やってみよう)!」と答えてくれた。
ポンと言えば、ポンと返ってくる。
そんな感じだった。
これを称して「やらまいか精神(魂)」という。


 金沢は何かにつけて、保守的。
それに対比して、浜松は何かにつけて、革新的。
今では、そうした土着性はともに、かなり薄められてしまったが、なくなってしまった
わけではない。
逆算すると、50年前には、その「やらまいか精神」は、もっと強かった。
100年前には、もっと強かった。


だからこの浜松から、HONDAが生まれ、SUZUKIが生まれた。
YAMAHAが生まれ、KAWAIが生まれた。
ROLANDもうまれた。
ホトニクスも生まれた。
ついでにあの豊田左吉も、この浜松(浜名湖の西)で生まれ育っている。
TOYOTAの豊田左吉だぞ!


 もしこの浜松がなかったら、その後の、そして現在の日本はなかった!


●BTRON


 日本全体が、今風に言えば、草食系になってしまった。
おとなしく、万事、事なかれ主義。
池田信夫氏のウェブサイトを読んでいると、それを強く感ずる。
BTRONの話が出たので、ついでに一言。


 BTRONというのは、東京大学の坂村健氏によって開発された、ビジネス向き
OS。
(デジタル教科書の話ではなく、OSの話だぞ!)
当時日本には、アップルのOSのみがあり、Windowsは、まだ実用段階には
入っていなかった。
それで時の政府が、BTRONに目をつけ、全国の学校を基盤に普及させようとした。
が、これに「待った!」をかけたのが、時のアメリカ政府。
「スーパー301条」の適応をちらつかせ、それを抑え込んでしまった。
池田氏が言うように失敗したのではない。
日本が二の足を踏んでいるちょうどそのとき、アメリカによってつぶされてしまった。


 またBTRONは、OS(オペレーティング・システム)の話であって、今回の
デジタル教科書の話とは、まったく関係がない。
BTRONが失敗したから、今度も……という主張には、無理がある。
池田氏は、デジタル教科書とBTRONの失敗(?)を、たくみにすりかえている!


 一方、この日本でもコンピューター教育の動きはあった。
やはり20年ほど前のことである。


 それを全国に普及させようとしたのが、時の通産省。
反対したのが、時の文部省。
失敗したのでは、ない。
その理由は、先に書いた。


再度、平たく言えば、「教員免許をもった工学系の教師がいない」「教員免許をもたない
教師は、教壇に立たせるわけにはいかない」「コンピューターの指導資格をもった
教員を育てるためには、教育学部に、その学部を作らねばならない。そのためには、
20年かかる」と。


●終わりに


 あのとき、BTRONを全国に普及させていたら、その後の日本は大きく
変わっていただろう。
日本には電子産業の分野で、世界をリードする底力があった。
現にアメリカにさえ、一歩も二歩もリードしていた。


もしあのとき、日本がコンピューター教育を推進していたら、その後の日本は
大きく変わっていただろう。
今ごろ世界中のコンピューターで、BTRONが活躍していたかもしれない。
少なくとも韓国や台湾に、遅れを取ることはなかった。
今や日本の電子産業は、風前の灯火(ともしび)。
今では国民1人あたりの所得では、シンガポールに抜かれてしまった。
2025年には、韓国にも抜かれる。


 どうして「やってみないのか!」。


 それがわからなければ、40年前の映画、『2001年、宇宙の旅』を観てみる
ことだ。
あの映画の中に、紙製の本でも出てくれば話は別。
近未来の世界というのは、そういう世界。
どうして今、紙製の教科書にこだわるのか。
その理由が、まったく私には理解できない。


 迷っているヒマはない!


 デジタル教科書は、いますぐ軌道に乗せたらよい。
何を迷っているのか!
「まず、羽ばたけ。体はあとからついてくる!」。


 このつづきは、またあとで書いてみたい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル教科書 電子教科書 教科書のデジタル化)

池田信夫氏のサイト
http://agora-web.jp/archives/1065328.html


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【こういう議論は、疲れる!】(ジョブズ氏の死についての原稿・PART3)

●どうして追悼番組?

 Apple社の会長、ジョブズ氏についての原稿を書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。

その私の原稿に対して、「偉そうなことを書くなら、自分でやってみろ」と、
そんなコメントを書いてきた人がいた。

 ジョブズ氏は、ネットの世界では神様のような存在である。
それは知っている。
わかっている。
が、「追悼番組」(N動画)まで、流す必要はない。

それがわからなければ、1978〜9年時の、
パソコン黎明期を思い出してみればよい。
日本のメーカーは、つぎつぎと敗退していった。
まさにAPPLEのひとり勝ち。
(日本ではともかくも、世界ではそうだった。)
前回の原稿(PART2)では、その当時の様子を詳しく書いた。

●ジョブズ氏は、アメリカ人

 が、忘れてはいけない。
APPLE社は、アメリカの会社である。
日本の会社ではない。
ジョブズ氏は、その会社の会長。
アメリカ人である。
どうしてその会社の会長の死を、私たち日本人が
悼まねばならないのか。
さらにわからなければ、こんなふうに考えてみればよい。

 リッター30キロというハイブリッド車を生み出したのは、
日本のTOYOTAである。
ハイブリッド社のおかげで、排出二酸化炭素の量は、ずいぶんと減ったはず。

もしここでTOYOTAの豊田S氏が亡くなったとしたら、
アメリカ人は、追悼番組など、流すだろうか。……流してくれるだろうか。
だれかがアメリカで、豊田S氏を批判したら、
そのだれかを、べつのだれかが批判するだろうか。

●私は国粋主義者ではない

 私は国粋主義者ではない。
ただの日本人である。
しかしAPPLE社のジョブズ氏を称える人たちは、
自分たちをいったい、何人と思っているのか。

 が、ネットの世界は、たいへん異質な世界である。
現実離れしている。
たとえばテレビゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐が、襲ってくる。
「ゲーム脳」という言葉を使っただけでも、そうだ。
中国や韓国では、ゲーム中毒の若者たちの更正施設までできている。
が、日本には、ない。
日本にはゲーム中毒の若者はいないということなのか?

 少し脱線したが、言い換えると、ネットの世界で、ネットにハマっている人たちは、
「ネット人」であって、日本人ではない。
そう言い切ってもおかしくないほど、私を攻撃してくる人は、
私が住んでいる世界とは、異質の世界に住んでいる。

●「ぼくは欧米人だ」

 そう言えば、現在、20〜30代の人たちが小学生だったころのこと。
私はある日、その小学生たちにこう言った。
「君たちは、何人か?
アジア人か、欧米人か?」と。
するとほとんどの子どもたち(全員)は、こう答えた。
「欧米人に近い日本人」と。
「欧米人」とはっきりと答える子どもも、少なくなかった。

そこで私が「君たちは、アジア人だよ」と言うと、「ぼくたちは
アジア人ではない。肌も白い」と。

 これについては、その当時出版した本の中でも書いた(「受験に克つ子育て法」)。
その当時、そう考えていた子どもたちが、今、20代、30代の若者
になっている。

行きすぎた民族主義には反対する。
危険な思想と断言してもよい。
しかしその反対に、ここまで無国籍人間になるとは?
「ネット人間」と呼ばれる人たちは、そういう人たちをいう。

●頭を冷やそう

 今、中学生や高校生に、こう聞いてみたらよい。
「北朝鮮が日本へ攻めてきたら、君たちはどうする?」と。

 するとやはりたいはんの子どもたちは、こう答える。
「アメリカが叩いてくれる」とか、「アメリカに頼めばいい」と。
これはウソでも誇張でもない。
私は、毎日、そういう中学生や高校生に、仕事上、接している。

 が、どうしてアメリカが、アメリカ人の命をかけて、日本を守らなければならないのか。
反対に、アメリカとメキシコが戦争を始めたばあい、日本の軍隊は、アメリカまで行って、アメリ
カを助けるのか。

 オメデタイというより、バカげている。
日本人よ、日本の若者たちよ、頭を冷やせ。
もう少し自分たちの姿を冷静に見ようではないか。
私たちは日本人だぞ。
日本に住む、日本人だぞ。

君たちは、飽食とぜいたくの中で、自分の本来の姿を見失ってしまっている。

●12時間で、20万台!

 ロイターは、つぎのように伝える。

『……米アップルの高機能携帯端末(スマートフォン)「iPhone(アイフォーン)」の新機種「4S」
について、予約販売開始後の12時間で20万台以上の注文が入ったとし、「桁外れの需要」が
あると明らかにした」と。

 12時間で、20万台!
結構な話である。
まことにもって、うらやましい話である。
日本人の中にも、「4S」に飛びついた人は、多いはず。
が、それはそれ。
が、私たち団塊の世代は、ちょっとだけだが、別の考え方をする。
一線を引く。

「どうして日本のメーカーには、それができないのか」と。
「ただアメリカの成功を指を食わえて見ているだけなのか」と。
さらに言えば、「あの電子立国だった、日本は、どこへ消えたのか」と。

 その(別の……)という部分が、今回の私の原稿の趣旨である。
私の原稿を批判する前に、今一度、私たちは何人なのか、その原点の立ち返ってほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2年前の2009年10月に、
以下のような原稿を書いたことがある。
ちょうど2年前の原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以下、2009年10月記

【東アジア共同体構想】(脱・アメリカ追従外交の危険な落とし穴)

++++++++++++++

東アジア共同体構想は、見かけは
ともかくも、失敗する。
日本の外資が威力を失ったとき、
命運は尽きる。

++++++++++++++

●アジアのリーダーとして

 今からちょうど40年前。
日本は、新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、かつ大阪万博を開き、まさに破竹の
進撃をつづけていた。
高度成長期に突入していた。
そのころアジア各国の人たちは、日本を、畏敬の念と、脅威の念の、2つの入り混ざった目で
ながめていた。

「畏敬の念」というのは、「アジア人でも、やればできるのだ」という自信の先頭、それを、日本
が切ったということ。
「脅威の念」というのは、当然のことながら、第二次世界大戦の後遺症をさす。
同時に日本の軍事的脅威論も、このころあちこちで論じられるようになった。

 が、もうひとつ、日本人が読めなかった心がある。
たとえば、アジアの人たちは、日本人が作る自動車を見て、「同じアジア人が作った」と喜ん
だ。
理由のひとつとして、日本以外のアジアの国の人たちは、長い間、欧米諸国の植民地であった
ことがあげられる。

当時の日本人がもつ欧米コンプレックスには、相当なものがあった。
欧米人と見ただけで、頭をさげた。
しかし他のアジア各国、とくに東南アジア各国の人たちがもつ、欧米コンプレックスには、独特
のものがあった。
隷属意識、劣等意識、逆差別意識……そういったものが、渾然一体となって、彼らの欧米コン
プレックスを作りあげていた。
彼らは、欧米に、彼らの植民地として隷属したという、暗い歴史がある。

私は、『世にも不思議な留学記』の中で、こんなことを書いたことがある。

 ある朝のこと、突然、私はアジア各国からの留学生たちに起こされた。
「何だ!」と思って起きてみると、いちばん仲がよかったタン君(マレーシアン中国人)が、こう言
った。

 「ホロシ(私のこと。タンは、いつも私をそう呼んでいた)、来てみろ、すごい車がある」と。
 みなといっしょに道路へ出てみると、そこにマツダのサバンナという車が置いてあった。
ダッシュボードが、ボンネット側に湾曲している、それまでに見たことのないデザインの車だっ
た。
タンは、こう言った。
「白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。

 当時の日本人は、そうしたアジアの人たちの心を読めなかった。
今も、今度は、逆の立場で読めないでいる。

話を先に進める前に、『世にも不思議な留学記』の1作を紹介する。
内容的に、話が脱線するが、許してほしい。
東南アジアで、日本がどういう立場にあるか、それをわかってもらえると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人種差別

 大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリア人がすわ
った。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。

 「立ち去れ」という合図である。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた。が、
そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。長い髪の毛
で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たちに向かって、低い
声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。

 その一言で、学生たちはスプーンをたたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その大男
というのが、デニス君だった。本名は、デニス・キシアという。今でも私の無二の親友だ。

●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ

 同じころK大学医学部の講師たち3人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってきた。
そしてハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。しかし品
位に欠けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの飯はまずいと
言っては、どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中で焼いて食べたり
していた。

 その中の1人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移民させる
もんじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。

 当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界の人
は、半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむしろ光栄な
こととしてとらえていた。

 しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。結婚して
も、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格下げされた。その
法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアはまだ、白豪主義(ホワイ
ト・ポリシー)にこだわっていた。

 つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出してしまう
だろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。いや、医師だけでは
ない。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い女性たちはキャーキャ
ーと声を出して騒いでいた。なぜ騒いでいたかは、ここには書けない。書けないが、日本人なら
その理由がわかるはずだ。

 しかし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、4〜5波に分けて、アジア大陸から移
住してきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもっている。つまり私
たち日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどうかしている。

●人種差別

 人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち去れ」
という合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、問題はそ
の先だ。人種差別をされると、人は2つの考え方をするようになる。

 1つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう1つは、
「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。

 どちらの考え方をもつにせよ、1つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性などと
いうものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を認め、尊重しあ
うことだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることができる。

 が、そうした世界観は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人でありなが
ら、日本人は自らを欧米人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引いていた
(中日新聞で発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●黄色い白人

 今思い起こしても、当時の日本人は、目が、欧米のほうだけを向いていた。
子どもでも、「自分はアジア人」と自覚している子どもは、皆無だった。
私が、「ぼくたちはアジア人だよ」と教えても、みな、「ちがう」と答えた。
中に、「ぼくたちは、欧米人だ」と言う子どもさえいた。

 こうした意識は、現在の30代、40代の人たちが、今でも共通してもっている。
あるいは自分自身の子ども時代を振り返ってみて、「私はそうでなかった」と自信をもって言え
る人は、まずいない。

 つぎの原稿は、10年ほど前に書いたものである。
切り口が少し脱線するが、ここに書いたことは、今でもそのまま通用する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教科書の検定制度って、本当に必要なの?

 オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるもので、
強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の2つの方面だけ。特に「歴史」につい
ては、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときには、ブラ
スバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃
の矢面に立たされた。私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であったこともある。

韓国を代表する歴史学者である。私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかし
すべてを教えていない」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈良は、韓
国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書いて、『ナラ』と
発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もし氏の言うことが正しいとす
るなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市ということになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本を出る
と、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を意味し、その
一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学がある。そして全体として、東洋史として教えら
れている。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも欧米
人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と答えた。中に
は「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは1人もいなかった(約50名
について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。

アフリカの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。1人の小学生が、「ぼくたちは
アジア人ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色ではないか」
とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではない。肌色だ!」と。

 2001年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国からは
特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、日本が島国
意識から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話を「東アジア共同体構想」に戻す。

●東アジア共同体構想

 民主党政権になって、鳩山首相は、「東アジア共同体構想」というものを、ぶちあげた。
「脱・アメリカ追従外交」を一方で唱えながら、「アジア重視の外交」を主張した。

 私も30〜40年前の私なら、鳩山首相のこの発想を支持しただろう。
またそのときなら、日本は、そのままアジアのリーダー(宰主)として、中国をも東アジア共同体
構想の一員として、取り込むことができた。

 が、今ごろ、どうして、東アジア共同体構想なのか?
むしろ立場は、すでに逆転している。
逆転していないまでも、東南アジア各国の人たちは、「日本なしでもやっていける」と考え始めて
いる。
つまり「東南アジア諸国連合(ASEAN)」に、頭をさげるべきほうは、むしろこの日本なのであ
る。
 「どうか、日本も、ASEANに加入させてください」と。
それを大上段に構え、「ASEANプラス3」とは!

 「プラス3」というのは、日本、中国、韓国の3か国をいう。

 が、このプラス3は、中身にも問題がある。

(1) 韓国のもつ反日感情、あるいは日本へのライバル意識。
(2) 東南アジア各国の、反中国感情、もしくは反中国意識。

 この2つをさておいたまま、鳩山首相は、「ASEANプラス3」を唱えている。
さらに問題が起きた。
側近を、「脱・アメリカ追従外交論者」で固め、反米とまではいかないにしても、アメリカにその
ような印象を与えるような行動を始めてしまった。

 毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●アジア重視の外交政策?

+++++以下、毎日新聞+++++

 鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。
9日午前にはソウルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談、10日は北京で中
国の温家宝首相、李大統領との日中韓首脳会談に臨む。
首相就任後、国際会議出席以外では初めての外国訪問で、アジア外交重視の姿勢をアピー
ルする。

 日韓首脳会談は、両首脳間の信頼関係の構築が主要な目的。北朝鮮の核問題を巡る6カ
国協議への早期復帰に向けた連携を確認する。
日韓連携を重視する姿勢を示すことで、「東アジア共同体構想」をはじめとするアジア外交を主
導的に進めたい狙いもある。

(中略)

鳩山首相も「東アジア共同体構想」についての理解と協力を求める。3カ国会談後、両首相の
個別会談もある。

+++++以上、毎日新聞+++++

さらに、鳩山首相は、岡田外務大臣をアジア各国に派遣した。
同じく毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●受けたのは、外交的虚礼

+++++以下、毎日新聞+++++

岡田克也外相は13日、インドネシアを訪問し、ハッサン外相と会談した。
鳩山政権が推進する東アジア共同体構想について、「インドネシアは重要なパートナーだ」とし
て協力を要請し、この問題で両国が協議していくことで一致した。

 東アジア共同体構想について岡田外相は「東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で存在感を
高めているインドネシアと協力しながら、具体化に努めたい」との考えを示した。
これに対しハッサン外相は「包括的でバランスの取れたものにすべきだ」と述べた。

その上で、ASEANプラス3(日中韓)や東アジア首脳会議などの枠組みを踏まえ、両国が統合
に向けて協力し、協議を続けることで合意した。

+++++以上、毎日新聞+++++

 当然のことながら、これに「待った!」をかけたのが、アメリカ。
こうした一連の日本の動きをとらえながら、「日本は中国よりも、やっかいな国になった」(オバ
マ政権)と、鳩山外交を評した。

 英語で、何と言ったかはわからない。
しかし日本は、すでに40年以上も前から、「異質な国」と位置づけられている。
アメリカ人にしてみれば、東南アジアの人たちの方が、まだわかりやすい。
欧米の植民地だったということで、欧米流のものの考え方が定着している。

 が、この日本は、ちがった。
わかりやすく言えば、日本、さらに日本人は、彼らの理解の範囲を超えていた。
そうした流れは、今でもつづいている。
「日本は中国よりも、やっかいな国になった」と言いながら、アメリカは、日本に向かって、「アメ
リカはずしは許さない」と警告した。

 そして今月(09年10月)、タイのフアヒンで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議が
始まった。
そこへ鳩山首相は出かけていき、東アジア共同体構想を正式にぶちあげ、アメリカの参加を
求めることを提唱した。

 鳩山首相の一連の動きを、順に追ってみたい。

●無意味な外交巡礼?

+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)との
首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国の参加を求
める考えを表明する。

松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。
 首相は「ASEANを含む東アジア諸国は東アジア共同体構想の中核で、米国の関与は極め
て重要だ」との考えを表明する。

 これまで首相は「米国を排除する発想は持っていない」としていたが、参加国の枠組みなどに
ついては明確な言及を避けており、米国の参加を明言するのは初めて。
米軍普天間飛行場の移設問題で日米間の相違が顕在化しており、配慮をする必要があると
判断したとみられる。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日午前(日本時間同日午後)、タイのアピシット首相ら東南アジア諸国
連合(ASEAN、10カ国)の首脳と会談した。
ASEAN各国を自ら提唱する「東アジア共同体構想」の中核メンバーと想定する鳩山首相は、
同構想を長期的なビジョンとして説明し、協力を呼びかける。

また、タイやベトナム、カンボジアなどメコン川流域国の経済成長へ向けた支援を表明する。
 これに先立ち、鳩山首相は議長国のアピシット首相と個別に会談し、東アジア共同体構想を
説明した。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日、東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)との首脳会議、さらに中
国と韓国を加えたASEANプラス3首脳会議に出席し、自ら提唱する東アジア共同体構想への
支持を呼びかけた。

首相はASEANが共同体構想の中核になるとの認識を示し、各国首脳も「長期的な目標」とし
て協力していくことで一致した。
今後は将来の共同体構築につながる具体的な地域協力の推進が課題となる。

 一連の会議で首相は共同体構想について「長期的なビジョンを掲げて、開かれた地域協力
の原則に立って着実に進めていきたい」と説明。
「日本の外交政策として日米同盟を基軸と位置付けている」とも述べ、何らかの形で米国が関
与できる仕組みを検討する姿勢を強調した。
具体的な協力分野としては経済や新型インフルエンザ対策、情報通信などを挙げ、理解を求
めた。

 ASEANや中韓側からは「長期的な目標として取り組んでいきたい」「東アジア協力の議論を
再活性化した」と評価する意見が相次いだほか、「統合が進むASEANが主導的な役割を果
たす」との発言もあった。

ASEANプラス3では、首相は「日中韓協力を東アジア協力の推進力とする」と強調。「過去を
直視しながら未来志向の関係をアジア各国と築いていく」と述べた。
また通貨危機に対応して外貨を融通し合う「チェンマイ・イニシアチブ」などアジア地域の金融
安定化に貢献する考えも表明した。

+++++以上、毎日新聞+++++

●アメリカはずしは、時期尚早

 「プラス3」というが、まず、日本は、どうやって、あの中国と韓国を、仲間にまとめるというの
か。
1回や2回、首脳会談をもったくらいのことで、中国や韓国の、反日意識や反日ライバル意識
が氷解するなどということは、ありえない。
ありえないことは、ここ10年に渡ってつづいた、日韓経済戦争を見ればわかる。
日中経済戦争でもよい。
その戦争は、今の今も、つづいている。
むしろ今年に入ってからも、生き残りをかけて、さらに熾烈さを増している。

 そんなこともあって、今、日本からアメリカをはずすのは、時期尚早。
あまりにも稚拙。
たしかに「追従」しているが、追従しなければならない歴史的、かつ外交的背景が、そこにあ
る。

 なぜ、日本が戦後60年以上に渡って、平和を保つことができたか。
かつ国防費を対GDP比で、1%以下に抑えることができたか。
何もアメリカの高官にあえて脅されるまでもなく、アメリカ軍が日本に駐留していたからにほか
ならない。

 何度も繰り返すが、もしアメリカ軍が駐留していなかったら、今ごろ日本は、跡形もなく粉々に
されていた。
スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・北朝鮮、さらにマルコス・フィリッピン連
合軍が、繰り返し、日本を襲ったであろう。
悲しいかな、粉々にされてもしかたないことを、日本は、先の戦争でしてしまった。

 外交面においても、そうだ。
あんな北朝鮮ですら、日本はもてあましている。
拉致問題ひとつ解決できないでいる。

 が、「日本のうしろには、アメリカがいる」。
それが日本の外交を、裏から支えてきた。
今も、支えている。
もし、日本が本気で追従外交から脱するときがあるとすれば、日本が軍事面、外交面で、中国
を含む他のアジア諸国から、認知されたときである。

 「認知」という言葉を、「融和」という言葉で置き換えてもよい。
「日本は危険な国ではない」「日本は信頼できる」という、2つの側面が、アジア各国の中で融
和したとき、日本は、はじめて対米追従外交から脱却できる。

 が、今の日本にあるのは、経済力のみ。
(その経済力も、風前の灯だが……。)
そのことは、今回の鳩山総理の動きを見てもわかる。
言うなれば、札束をパラパラと見せつけながら、ASEANの会場に乗り込んだ。
今はまだ、多少なりとも、ジャパン・マネーに威力が残っているからよいようなものの、しかしこ
んな方法は、いつまでも長つづきしない。
2015年どころか、来年の2010年には、アジアにおいて、日本と中国の立場は、逆転する。

 また「東アジア共同体構想」という名称そのものが、「東」、つまり「日本を中心とした」という意
味である。
この国際性のなさ。

東南アジアの人たちは、日本人が、自分たちを東南アジア人と思っていないのと同じように、自
分たちは東アジア人とは、思っていない。
むしろ「東アジア共同体構想」というのは、先の戦争中に日本の軍部がぶちあげた、「大東亜
共栄圏」の流れの中にある。
少なくとも中国を含む東南アジアの人たちは、そう考えている。

 「東アジア……」ではなく、ぶちあげるとしても、「東」を取って、「アジア共同体構想」とすべき
だった。

●どうして、今?

 日本には日本のプライドがある。
それはわかるが、10年後、20年後の日本を考えるなら、今はそのプライドを捨て、ASEANに
頭をさげるべき。
「どうか、仲間に加えてください」と。
何も、中国や韓国を、いっしょに連れて行くような話ではない。
もっとはっきり言えば、中国や韓国を無視して、ASEANに加入すればよい。
もし逆の立場だったら、つまり中国や韓国の経済力が、日本を凌駕(りょうが)するようになった
ら、彼らは日本は完全に無視されるだろう。

 簡単に言えば、どこかの社交クラブに行くとき、自分ひとりでは心細いからという理由で、隣
人とはとても言えないような隣人を、連れていったようなもの。
こういうのを、(お人好し外交)と呼ぶ。

 韓国は、それによって、ASEANの中で独自の立場を構築するだろう。
しかし問題は、中国。
中国など連れていったら、まとまる話も、まとまらなくなる。
もともとASEANというのは、対中国脅威論がベースになって、誕生した。
そんな歴史的経緯すら、鳩山総理は知らないというのか!

 どうであるにせよ、鳩山首相の一連の行動は、このまま「勇み足」につながりかねない。
もう少しじっくりと考え、時間をかけるべき。
何かのアドバルーンは必要かもしれないが、それは二期目でもよかった。
総理大臣になったとたん、いきなり「東アジア共同体構想」とは?
こうした大構想には、根回しというか、地道な基礎づくりが必要。
その基礎を積み重ねながら、道筋を作っていく。

 以上のことを総合すると、(1)東アジア共同体構想は、失敗する。
日本は残った財力を使い果たすような形で、結局は失敗する。
また(2)そうでなくても、日米関係は崩壊寸前。
これを機会に、日本は丸裸のまま、中国という猛獣の前に放り出されることになる。
その覚悟も、またその準備もないまま、今、ここで「脱・アメリカ追従外交」を唱えるのは、危
険、きわまりない。

 さらに言えば、アメリカに脅されて、(3)東アジア共同体構想に、アメリカを加えると宣言した
が、それ自体が、すでにこの構想を破壊したことを意味する。
アメリカは、ASEANを、アメリカの支配下に取りこもうと、あの手、この手を使って画策してき
た。
東南アジアの人たちは、そのアメリカをうまくかわしてきた。
アメリカへの警戒心も強い。
その警戒心も冷めやらぬ今、「アメリカも」ということになれば、崩壊するに決まっている。

 鳩山総理も海外留学組だから、その発想とするところは、よくわかる。
しかしそれは30〜40年前の発想。
今は、時代も中身も変わった。
アジアにこだわらなければならない理由はない。

 が、批判ばかりしていては、いけない。
そこで発想を変えて、日本は、アジアを飛び越えて、一気に、インド、ブラジルと共同体を組ん
ではどうか。
(韓国政府は、すでにそういう方向で動いている!)
そして中国そのものを、取り囲んでしまう。
どうしても「共同体」ということであれば、そのほうが実現性は高い。
将来のメリットも大きい。
(以上、2009年10月25日朝・記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 東アジア共同体 共同体構想 大東亜共栄圏 脱アメリカ追従外交 追従外交)
(以上、2009年10月記)

(付記)2011/10/08記

 鳩山由紀夫首相(当時)の「共同体構想」は、入り口のところで頓挫した。
結局、日本は、恥をかいただけ。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司改

【不完全社会を求めて】(自由への叫び声)+引佐町兎荷・秋の収穫祭

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●「週刊現代」&「週刊アスキー」

 ワイフが2階でDVDを選んでいる間、私は2冊の週刊誌を買った。
(その店では、1階が書店、2階がDVDショップになっている。)
「週刊現代」と「週刊アスキー」。
週刊現代のほうは、「年金一律5万円時代に」という見出しが気になった。
週刊アスキーのほうは、パラッとめくったとき、TOSHIBAの新型パソコンが目に留まった。
それで2誌、買った。

 TOSHIBA R631/28D。
世界最薄、最軽量という。
OSがSSDから立ち上げる。
「休止状態から約10秒で復帰できる」とある。
最薄部で、たったの約8・3ミリ。
物欲がググーッと、線条体を刺激する。
パブロフの条件反射が起きる。

が、値段が、高い。
「予想実売価格、15万円前後」とある。

 パソコンの寿命は、使う目的にもよるが、長くて3〜4年。
新しいOSが発売になれば、さらに短い。
よいのを買っても、すぐ無駄になる。
その3〜4年で、どう使うか。
どう使い倒すか。
15万円もしたから……といって、床の間に飾っておく人はいない。

 並んでエイサーのASPIRE S3−2が紹介されていた。
こちらは、予想実売価格は、9万円前後とある。
厚さは13・1ミリ。
TOSHIBAとの違いは、5ミリ。
こちらなら値段を気にせず、使えそう。
 
●年金5万円時代

 週刊現代は、年金も、月額オール5万円になるという。
たったの5万円!
が、現状では、年金5万円時代になっても、文句は言えない。
少子高齢化。
この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなるという(週刊現
代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25〜26歳の人が、65歳になるころということになる。

 が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)
これはかなり深刻な問題と考えてよい。
つまりこの先、子どもの教育どころではなくなってしまう。

 まず、自分の老後を心配する。
子どもの心配は、つぎのつぎ。
今でさえ、子どもに必要以上の教育費をかけるのは、バカげている。
収入に余裕があれば、自分の老後の資金として残しておく。

 ……ということになるが、それがますます日本の経済を萎縮させる。
景気を悪くする。
さらに少子化が進む。

 では、どうするか?

●ゴーストタウン

 話は変わるが、私とワイフは、先日、富士宮まで行ってきた。
富士宮焼きそばで有名な、あの富士宮である。
が、帰りは、そのもうひとつ北側にある西富士宮で電車に乗った。
おいしい店があるというので、西富士宮まで行ったのだが、店からは駅まで歩いた。
30分ほどの距離だった。

 そのときのこと。
私とワイフは、そのあまりのみすぼらしさに、驚いた(西富士宮のみなさん、ごめん)。
この言葉に語弊があるというのなら、「30年前のままだった」と言い換えてもよい。
「40年前のまま」でもよい。
とくに駅前の商店街が、ひどかった。
それなりに開いている店といえば、コンビニと飲食店。
あとはどこも、ガランとしていた。
「ここが日本か」とさえ思った。

 もうおわかりのことと思うが、日本は無駄なものばかり作っている。
第二東名を例にあげるまでもない。
浜松市の北を、東西に走ることになっているが、「ここまでやるか!」と思うほど、ものすごい工
事。
町のビルのような橋脚が、山々を貫いて並んでいる。
日本の将来を考えるなら、そうしたお金があるなら、もっと別のことに使うべき。

 そう言えば、SUZUKI自動車の鈴木修社長も、こう言っていた。
「浜松市では、市営住宅の建設のために、(建設費だけで)、坪70万円もかけている」(2011
年10月)と。
坪70万円! 

上から下まで、こんなことばかりしている。
しかも官民の給料格差は広がるばかり。
すでに給料だけで、約2倍程度の開きがあるという(「週刊現代」)。

●行政改革

 あの中曽根首相が、行政改革を唱え始めて、もう何年になるだろうか。
行政改革……つまり官僚政治の是正。
が、その行政改革は、一向に進んでいない。
進んでいないばかりか、さらに悪化している。

 官僚とゼネコン、それに政治家、これら3者が一体となり、日本の経済を牛耳っている。
まさにやりたい放題。
つまりここにメスを入れないかぎり、日本に未来はない。
それがわかっていながら、日本はさらに無駄な「箱」ばかり作ろうとしている。

 いいか、読者のみなさん。
作るのは勝手だが、そのあと莫大な維持費がかかってくるのだぞ。
その維持費は、地方自治体、つまり私たちが払うことになるのだぞ。
わかっているのか!

 公共施設だけは、どこも、超立派。
庶民の家は、どこも、ボロボロ。

●お先真っ暗

 こう考えていくと、日本の未来は、お先真っ暗。
本来なら、今すぐにでも、不要な支出を減らし、人件費を減らし、子どもたち、
つまり未来の日本人にお金をかけるべき。
が、こうした常識は、もうこの日本では通用しない。
現在のギリシアのように、日本人も行き着くところまで行かなければ、気がつかない。
あるいは行き着くところまで行っても、気がつかない。
あのギリシアでは、連日、公務員によるストライキが、いまだにつづいているという。

●知的インチキ

 ところで最近読んだ記事の中でおもしろかったのが、ニューズウィーク誌(9・21)の「知的イ
ンチキの見破り方」(P69)。
冒頭に、こうある。

『聖書はジョン・F・ケネディ・アメリカ大統領の暗殺を予告していた……そんな話をあなたは信
じますか。
「9・11テロはユダヤ人の陰謀」とか、「いろいろ化石はあるけれど、世界の歴史は1万年程
度」という説は?

 答えがイエスなら、残念ながらあなたは、「知的ブラックホール」にのみこまれている可能性
が高い。

「知的ブラックホール」というのは、イギリスの哲学者スティーブン・ローが好んで使う表現で、
「人々をのみ込み、ろくでもないたわ言の奴隷に変えてしまう」精神的なできごとをいう』(以上、
ニューズウィーク誌)と。

 こんなことで張り合ってもしかたないが、私は「心のエアーポケット」という言葉を使った。
24年前に書いた、「家庭内宗教戦争」(山手書房新社)という本の中でのことである。
つまり「知的ブラックホール」にせよ、「心のエアーポケット」せよ、心の盲点というのは、たしか
にある。
ごくふつうの人が、ある日突然、あるきっかけで、その「穴」にスーッと落ちてしまう。
そしてその日を境に、とんでもないことを言い出す。

 カルト教団はそうした心の盲点をたくみに利用し、勢力を伸ばす。

●逆の知的ブラックホール

 が、逆のエアーポケットというのもある。
たとえば、2050年には、1・2人の人が、1人の老人を支えるようになるというのは、「事実」で
ある。
1+1=2というほどまで、明確な事実とはいいがたいが、それに近い事実である。
が、人々は、「何とかなるだろう」「どうせ、私たちには関係のないこと」と、心の隅に追いやって
しまう。
そこにある事実を、信じようとしない。
これなどは、まさしく、「逆のエアーポケット」ということになる。

 つまりインチキを信ずるのが、「知的ブラックホール」と言うなら、事実から目をそらすのは、
「逆の知的ブラックホール」ということになる。
一見、正反対の現象に見えるかもしれないが、中身は同じ。

●止まった時計

 今、私の頭の中では、TOSHIBAの新型パソコンと、少子高齢化問題が、行ったり来たりして
いる。
それがユラリユラリと頭の中で揺れている。
あの西富士宮で見た光景も、頭から離れない。

……といっても、こうした町の衰退ぶりは、何も、西富士宮だけの話ではない。
最近見た中では、福井県の越前大野市もそうだった。
岐阜県の関市もそうだった。
全国いたるところで、見られる。

 「失われた10年」が、「失われた20年」になる。
本来なら、上海に立っている豪華な高層ビルが、富士宮市や大野市に立っていても、おかしく
ない。
この20年間、日本の時計は止まったまま。
それが今度は、少しずつだが、逆行し始めている。

 重税につづく重税。
それだけでも、たいへん。
その上、この日本では、ありとあらゆるものが、法律によってがんじがらめに縛られている。
最近知って驚いたのが、「人材派遣業界の現況」。

現在、人材派遣業は、土砂降りの不景気。
どん底。
一時、「派遣切り」が問題になった。
とたん、法による規制がきびしくなった。
とたん、大手の人材派遣会社の倒産がつづいた。

 そこへあの3・11大震災が襲った。
皮肉なことに、今度は、人材そのものがいなくなってしまった。
不景気がさらに追い討ちをかけた。
私の実家は、自転車屋だったが、今ではその自転車屋ですら、簡単には開けない。
床に油が一滴でも落ちていたら、商売ができない。
そんなしくみができあがっている。

●「不完全」という自由

 で、先日、H市の役人とこんな会話をした。
「どうして公共施設だけは、こうまで立派なのか」と聞いたときのこと。
その役人は、こう答えた。
「行政は、法の見本でなくてはならないのです。
その条件をすべて満たしていくと、どうしても、こうした建物にならざるをえないのです」と。

 つまり「法的に」すべて、カンペキでなければならない、と。
結果として、たとえば耐震基準ひとつとっても、カンペキに守らなければならない、と。
つまりその分だけ費用がかさみ、立派になる、と。

 しかしこんなバカげたことをつづけていたら、この日本は、本当に破産する。
今では、リヤカーを引き、通りでモノを売ることさえできない。
小さな町で、観光ガイドを引き受けることさえできない。
自転車屋ですら、消防署の検査を受けなければ、商売をつづけることさえできない。
何からなにまで、カンペキ。

 が、その一方で、あの原子力発電所事故。
こまかいところでカンペキであっても、何の役にも立たない。
ゴミ屋敷の住人が、家の中の一部屋だけ、一生懸命掃除しているようなもの。
そんなことばかりしているから、日本は、ますます世界から取り残される。
よい例が、外資企業。

 現在東京証券所に上場している外資企業は、一桁台になってしまった。
(一時は、300社以上もあった!)
が、みんなシンガポールへ逃げてしまった。
理由は、言わずと知れた「翻訳料」。
外資企業は、すべての書類を一度、日本語に翻訳しなければならない。
それが重荷になった。
プラス規制、規則の許認可。

私たちが今、必要としているのは、「不完全」という自由である。

●老人村
 
 この3〜4月、私はオーストラリアのボーダータウンというところに行ってきた。
そこでのこと。
私とワイフは、「Old Man's Village(老人村)」というのを案内してもらった。
仕事をしなくなった年金受給者たちが寝泊りする施設である。

 その施設を見たとき、「これでいい」と、私は最初に思った。
建物は、平屋のごくふつうの家。
二棟ずつくっついている長屋風。
それが緑の森の中に点在している。

 で、その老人村は、市の中心部からはやや離れているが、隣は幼稚園。
そのまた隣は小学校。
道をはさんで反対側には、日本でいう特別擁護老人ホーム。
そのホームにしても、日本の基準から見ると、実に粗末な建物である。
(日本の特別擁護老人ホームが、いかに豪華なものであるかは、すでにみなさんご存知の通
り。)

 もちろんカンペキにしなければならない部分は、カンペキにする。
それにも限度がある。
不必要な施設まで、カンペキにする必要はない。
さらに言えば、人間管理。

 役人というのは、ほんの少しでも不備があると、すぐ法の網をかける。
法の網をかけて、自分たちの権限を拡充する。
これがこの日本をますます小さくしていく。
それがわからなければ、こんな話がある。

●洪水

 アーカンソー州へ行ったときのこと。
その東端を、あのミズーリー川が流れる。
対岸が見えないほど、幅の広い川である。
その川は、ほぼ10年ごとに洪水を引き起こす。
多くの家々が流される。
それについて私が「どうして堤防を作らないのか」と聞くと、案内してくれたスミス氏(市の役人)
は、こう話してくれた。

 堤防を作れば、景観を損ねる。
莫大な費用もかかる。
その費用のことを思えば、そのつど、損壊した家々を補償したほうが、安くつく、と。

 アメリカでは、こうした被害が出ると、政府(+地方政府)は、現金で直接、住民にお金を払
う。
しかも即決で!
日本のように、ああでもない、こうでもないと、書類を書かせるようなことはしない。
そういうしくみができあがっているから、住民ものんきなもの。
「家が流されたら、また立て直せばいい」と。

 それを「自由」という。
本物の自由という。
が、この日本には、自由がない。
「仕組まれた自由」(尾崎豊)はある。
しかし本物の自由はない。

 なお現在、アメリカの公務員は、コンビニの従業員より給料が安いと言われている。
しかも首切りは、当たり前。

●自由の復権

 いつの間にか、日本は、たいへん「生きにくい」国になってしまった。
「住みやすい」というのとは、ちがう。
生きにくい。
息苦しさえ覚える。
その結果として、人々は、「もの言わぬ従順な民」へと、成り下がってしまった。
いまだに東京電力の本社に向かって、デモ行進ひとつ起きていない。
それをオーストラリアの友人に話すと、その友人は、こう言った。
「本当か? 信じられない!」と。

 自由とは、「自らに由(よ)る」こと。
その自由は、不完全な隙間から生まれる。
だから私は、こう叫ぶ。

 もう規制はたくさん。
資格も認可も許可も、たくさん。
それよりも、私たちの体をがんじがらめにしている、この鎖を解いてほしい、と。

●パソコンと「知的インチキ」

 今の今も、私の頭の中では、TOSHIBAのパソコンと、ニューズウィーク誌の記事が、ユラユ
ラと揺れている。

本当のことを言うと、このところ、ものの考え方が、どこか投げやりになってきている。
私の育児論の原稿にしても、あちこちでパクられている。
先日も、ある月刊誌を見たら、こうあった。

「不登校は前兆を見逃すな」と。

 私がは同じタイトルで、すでに12年前に、原稿を書いていた。
新聞にも発表した。
自分の本の中でも書いた。

 しかしどうせ死ねばおしまい。
実は、昨夜もワイフと寝る前に、こんな話をした。

私「なあ、お前、ぼくのほうが早く死ぬと思うけど、ぼくが死んだら、そんなにがんばらなくてもい
いから、早くおいでよ」
ワ「……うん」と。

 長生きをしたいという思いは、とっくの昔に消えた。
この日本への期待も、徐々に薄らいできた。
それよりもみなに迷惑をかけないうちに、あの世へ行きたい。

 今も週刊現代誌(10月22日号)をパラパラとめくってみた。
そこには仙台の横丁の話あり、雑談あり、エッセーあり、そして巻末には、ヌード写真あり。
私の残りの人生も、こうしてパラパラと過ぎていくにちがいない。
期待と幻滅の間を、ユラユラと行ったり来たりしながら……。

 ……とまあ、どうであれ、ともかくも今日も始まった。
これから山荘の道路わきの雑草に、除草剤をまかねばならない。
それが今の(一コマ)。
現実。
がんばるしかない。

これから村の収穫祭に呼ばれているので、行ってくる。

2011年10月8日朝記。
日曜日。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

【浜松市北区引佐町兎荷とつか、秋の収穫祭】

●浜松市北区引佐町兎荷(とつか)の秋の収穫祭に行ってきました。
 冒頭のビデオは、そのときの様子です。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 浜松市北区引佐町兎荷 とつか
 とっか 引佐町とつか 引佐町とっか)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●電子名刺を作成してみました。

 何の役に立つのか、まだよくわかりませんが、こうして張りつけておきます。

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hhayashi&width=200&height=300&font-size="></script>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●しくまれた自由(尾崎豊「卒業」)からの解放

 がんじがらめの規制と許認可、規則と資格。
生活のあらゆる部分にまで、それが浸透している。
私たち日本人はそんな中で、小さく、小さく、生きている。
小さく生きていることにすら気づかないまま、小さく生きている。

 仮に小さく生きるにしても、キバまで抜かれてはいけない。
声をあげるときは、声をあげる。
行動するときは、行動する。
でないと、私たち日本人は、ますます小さくなってしまう。

 見よ、万事、事なかれ主義で生きている日本人を!
見よ、「自分だけよければそれでいい」と考えている日本人を!
社会の歯車になりながら、歯車であるこにさえ気づかない。
またそれがあるべき、自分の姿と捕えている。

 あの尾崎豊がそこまで意識していたかどうかは、知らない。
しかしそれこそまさに、「しくまれた自由」。
エセの自由。
その自由をもって、「私は自由」と思ってはいけない。

 このままでは、この日本は、本当に押しつぶされてしまう。
日本の外へ一歩出れば、そこは怪獣と野獣の住む海千山千の世界。
おとなしく、穏やかで、お人好し……。
そんなヤワな人間が住める場所ではない。

 自由とは、「自らに由る」という意味。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
それを自由という。
権利と権限と資格にぶらさがり、人の後をついていくのは楽。
しかしそれは自由ではない。

 さあ、あなたも、鎖を解いてみよう。
心を空に向かって解き放ってみよう。
そして声を出して、「私は自由だ」と叫ぼう。
体は、あとからついてくる。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●1・2人で、1人の老人

 今朝のエッセーの中で、こう書いた。

『……この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなるという
(週刊現代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25〜26歳の人が、65歳になるころということになる。

 が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)……』と。

 今日は、一日中、この中の数字が気になった。
現在の今ですら、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。
それがこの先(2050年)、約1・2人の人が、1人の老人を支えなければならなくなる。

2人の夫婦が、2人の老人を養う……というような単純な問題ではない。
医療費、介護費、生活費、すべてを含めて、1・2人に1人ということ。

が、そんなことは、常識で考えても、不可能。
実のところ私は、少子化が、そこまで深刻な問題をはらんでいるとは、知らなかった。

●老人はゴミの時代に

 すでに老人はゴミの時代に入りつつある。
それがわからなければ、ネットの世界をのぞいてみたらよい。
年を追うごとに、私たち老人組に対する風当たりは強くなることはあっても、弱くなることはな
い。
辛らつな言葉も並ぶ。

 が、もちろん私たちはゴミではない。
ゴミであってはいけない。
またそういう私たちを、もっと積極的に、社会に訴えていかねばならない。
こぢんまりと小さく生きるのが、あるべき老人の姿と思ってはいけない。

 週刊現代誌を100%信ずるわけではない。
そこに出てくる数字については、この先、ゆっくりと検証してみたい。
しかし年金問題ひとつあげても、現在の65歳支給開始年齢は、70歳になる。
さらに75歳になる。
もちろん年金額は引き下げられる。
週刊現代誌によれば、「1人一律5万円になる」という(?)。
が、その額とて、「よくみて……」の話。

 日本経済が崩壊すれば、さらに低くなる。
ハイパーインフレが襲ってくれば、それこそ「タクシーの初乗りが1万円」ということになる。
そうなったときの自分を、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
「私はどうなっているか」と。

●悲観論

 が、現状は、どう見ても、おかしい。
保護される人は、徹底的に保護されている。
そうでない人は、孤独死、無縁死……。
そういう老人を見て、「自業自得」と言う人は、あなた自身がその自業自得の道を歩むことにな
る。

 2050年といえば、あと39年後。
それまで一次曲線的に少子化は進む。
あなたの年齢に、+39を加えてみればよい。
もしその数字が、平均余命の約80歳を超えていれば、あなたはラッキーなほうだ。
そうでなければ、そうでない。

 が、この問題は、「では、私たちは何のために生きているのか」という問題に直結してくる。
あるいはあなたは何のために生きているのか。
何のために生きてきたか、でもよい。
が、ひとつだけ、はっきりしている。
私たちはゴミになるために、生きてきたのではない。
……生きているのでもない。

●還元

 老人よ、やがて老人になる人たちよ、私たちは自分の命を、社会に還元しよう。
そこにいて、小さく生きていてはいけない。
自分のことだけをしていてはいけない。
肉体労働が無理なら、あなたがもてる知恵や知識を、分け与えるだけでもよい。
自分たちの存在感を、もっと社会に訴えていこう。

 つぎにつづく人たちに、「ゴミ」と言わせないために。

 が、その還元に失敗すれば、私たちは本当にその「ゴミ」になってしまう。
またそう扱われたからといって、文句を言えなくなってしまう。

 今まで私は「老後の統合性」を、私たち自身のためにと考え、説いてきた。
しかしそれでは足りない。
つまり自分のことだけをしていたのでは、いけない。
真・善・美の追求も結構。
が、自己満足で終わってはいけない。

「統合性」と「還元」。
この2つが融合したとき、はじめてそれが私たちの「生きがい」につながる。
またそうであってこそ、私たちはつぎの世代の人たちの支持を集めることができる。

 さあ、あなたも勇気を出して、私たちが残してきた負の遺産を、精算しよう。
若い世代に残すべきものと、残してはいけないものを区別し、残していけないものについては、
精算しよう。
それは私たちの責任でもある。

 改革の第一。

 不公平社会の是正。
とりあえずは、この一言に尽きる!


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●デクシアの経営破綻

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++++++++++++++++++++

TBS-iは、つぎのように伝える。

『ギリシャの財政危機から始まったヨーロッパの信用不安。
ついに大手金融機関の経営破綻という事態になりました。
フランスとベルギーの両政府は、経営危機に陥っている大手金融グループの「デクシア」を分
割、再編することで合意しました』(以上、TBS-i)と。

++++++++++++++++++++

●デクシア

 「デクシア」と聞いても、よくわからない。
どういう金融機関なのか。

 そこで調べてみると、従業員、約35200人(2010年)の商業銀行ということがわかった。
本社所在地は、ベルギーのブリュッセル。

 従業員数で見るかぎり、三菱東京UFJ銀行と、ほぼ同じ。
三菱東京UFJは、34797人(2011年3月末、単体)。

 が、銀行の規模は、従業員数だけではわからない。
その国の人口、銀行数、さらにはそれぞれが別の子会社(ファイナンシャル・グループ)がいく
つあるかで、決まる。

 が、従業員数は三菱東京UFJ銀行と、ほぼ同じ。
つまりそれだけのメガバンクが、破綻した。
不吉な予感というか、大恐慌の嵐がジワジワと近寄ってきたような印象をもつ。
それぞれの国で、それぞれの専門家が、目下、必死で防波堤を高くしているのだろう。
が、ギリシア問題ひとつあげても、桁が2桁も3桁もちがう。

 ギリシアがデフォルトすれば、フランス(ギリシアの第一の債権国)、ドイツ(第二の債権国)
が、大きく影響を受ける。
が、イチ早く、ベルギーのデクシアが経営破綻した。
これはどういうことなのか。

 「嵐」というより、「底なしの泥沼」。
つぎにどこで何が起るか、さっぱりわからない。
リーマンショックのときのように、とんでもないところで、とんでもないことが起きる。
「デクシアがあぶない」という話にしても、ほんの数日前に聞いたばかり。
それが今朝のニュースでは、経営破綻。

 金融機関の経営破綻で恐ろしいのは、ここ。
その前日まで、何食わぬ顔をしていて、その翌日、突然、破綻する。
たいていは金曜日に急変し、月曜日に破綻する。

 もちろんデクシアだけで終わるはずがない。
問題は、それによって、日本のどこの銀行、あるいは証券会社(投資会社)が、大きな損失を
被るかということ。
それによって、明日あたりから、日本の経済も大きく動くはず。
忘れてはいけない。

 日本は、ドイツ、フランスの最大債権国である。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人は、見かけによらぬもの!(あるサラ金業者の取り立て屋)

++++++++++++++++++

昨夜、ある人から、こんな話を聞いた。
H氏(当時63歳)。
60歳まで、N通信会社に勤めていた。
役職ゼロの退職。
そのH氏は、私には、こう言っていた。
「退職後は、(N通信会社の)子会社で、調査の仕事をしている」と。

調査というのは、電話料未払いの家庭を訪問し、
その家庭の経済状況を調べるという仕事だった。
私は、そう聞いていた。

体格のよい男性で、その年齢では珍しく、身長も
175センチを超えていた。
が、実際には、「調査」の仕事ではなかった。
「調査」+「脅迫」の仕事だった。
わかりやすく言えば、「取り立て屋」。

H氏はある人材派遣会社に属しているということだった。
ただしモグリの会社。
そこでどこかのサラ金業者の仕事を請け負ったらしい。

私「道理で、おかしいと私は思っていました」
友「どうして?」
私「だってそのときは、伊豆の長岡まで行くと言っていました」
友「……長岡……?」

私「だってそうでしょ。長岡の近くにもN通信会社の支店くらいはあるはずです。
わざわざ浜松から出かけなくても、その近くの人が調査すればいい」
友「そう言われてみれば、そうですね」
私「でしょ。それに電話料の滞納などというのは、あっても少額※です。
そんな少額のために、大のおとなが、一日ががりで、長岡まで行くでしょうか。
旅費と日当だけで、それ(滞納料金)を超えてしまいますよ」と。

(注※:N通信会社のばあい、電話料を滞納すると、1か月から2か月位で電話が止まる。
その際に、滞納してる旨のお知らせが届く。
その後も払わなければ、契約解除となり電話の権利も消滅する。)

+++++++++++++++++++

●注意力

 この話には、2つの問題点がある。

 ひとつは、私がその話をH氏自身から聞いたときには、H氏の話を鵜呑みにしてしまったこ
と。
ほんの少しだけ注意深く聞いていれば、ウソと見抜けたはず。
が、その注意力に欠けていた。

(サラ金の取り立て屋の仕事が、どうこう書いているのではない。誤解のないように!)

 つまり私の注意力も、かなりサビついてきた。
若いときなら、即座に、「そんな仕事はない」と見抜いていただろう。

●ウソつきの心理

 もうひとつの問題点は、そのH氏だが、こちらが聞いてもいないのに、自分の仕事をことこま
かく説明したということ。

 心理学の世界でも、「ウソをつく人は、自ら、ことこまかく説明する」と教える。
ウソをついているという意識があるから、それをさらにごまかそうとする。
「取り立て屋」(脅迫業)をしているという、うしろめたさがあるなら、なおさら。
自らの仕事を、カバーで覆い、虚栄で飾ろうとする。

 繰り返すが、その人が、陰でどんな仕事していようが、その人の勝手。
法に触れなければ、(=被害者が出なければ)、私たちがとやかく言う必要はない。
しかし私はその話を聞いて、ここに書いたように、私にも盲点があるのを知った。
「知的盲点」と言うべきか。
その知的盲点が、加齢とともに、ますます、多くなってきた。

●では、どうすべきか

 「人を疑う」というのは、それ自体、気持ちのよいものではない。
しかし「疑う」。
加齢とともに、その訓練もしなければならない。
でないと、それこそ「なりすまし詐欺」の被害者になってしまう。

 言うなれば「疑う」というのは、昆虫の触角のようなもの。
その触角を左右に振りながら、そのつど事実を確かめる。
ノー天気な、お人好しになってはいけない。

 しかし今、私はこう思う。
「どうしてそんなウソが見抜けなかったのだろう?」と。
で、ワイフに聞いてみた。
結婚前、ワイフは、N通信会社(当時の電電公社)で働いていた。
そのワイフもこう言った。

「詳しくはわからないけど、私が働いていたころには、そんな仕事はなかったわ」と。
つまり電話料の滞納者の家を家庭訪問するという仕事は、なかった、と。

 ……一見すると、穏やかで温厚な人物に見えるH氏。
そのH氏が、別の世界では、「テメエ〜」「コノヤロ〜」と怒鳴り散らしていた。
本当に、人というのは、見かけだけではわからないもの。
それを改めて確認した。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●疑惑力(人を見たら、泥棒と思え)

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「疑う力」のことを、「疑惑力」という。
私が勝手に、そういう名前をつけた。
洞察力、推察力、直感力、判断力の一部。
独立して、「疑惑力」という。

++++++++++++++++++++

●人を見たら、泥棒と思え

 この日本では、疑惑力は、とくに必要な能力かもしれない。
何といっても、本音と建て前を使い分ける国である。
見栄や体裁を気にする人も多い。

 こういう国では、まず「人を見たら、泥棒と思え」となる。
またそれは、(たいへん悲しいことだが)、それほどまちがっていない。
人を見たら、まず泥棒と思え。

 先日も、私にこう言った人がいた。
「あのXさん(女性、60歳)は、いい人ですね」と。
が、私はワイフを通して、その女性のことは、たいへんよく知っている。
浜松へ来たころは、毎週のように会っていた。

私「えっ、あのXさん?」と。

●Xさん

 若いころは、美しい人だった。
男好きするというか、静かに立っているだけでも色気を感じた。
そのこともあって、男性関係は、メチャメチャ。
会うたびに、ちがった男性とつきあっていた。

 が、やがて水商売に。
そこで一子(女児)をもうけた。
が、自分では育てないで、その子どもを、実の姉に預けた。
預けただけではなく、姉の夫とも性的関係をもった。

 それが原因で、姉夫婦は離婚。
姉と妹は、そのまま絶縁した。
が、それでXさんの派手な男性遍歴が終わったわけではない。
50歳になるまで、バーを転々とした。
そのXさんを、「いい人?」。

●人間関係

 人間関係というのは、実に興味深い。
同じ人物でも、見る人によって、「いい人」にもなるし、「悪い人」にもなる。
どちらが正しいとか、正しくないとか、そんなことを論じても意味はない。
人、それぞれ。
また私やあなたにも、いろいろな面がある。
単純ではない。

 たとえば私についても、「いい人」と言う人もいる。
「悪い人」と言う人もいる。
つまりその人が、XさんならXさんでもよいが、「いい人」と思っているなら、それはそれ。それで
よい。
私が間に入って、「あの人はね……」と、言う必要はない。
また言ってはならない。

 が、中には、さらに腹黒い人がいる。
いい人ぶりながら近づいてきて、相手をだます。
モノを売りつける。
宗教に勧誘する。
そういうときは、やはり注意してやる必要がある。
「あの人は注意したほうが、いいですよ」と。

●歳月

 その人が本当にいい人かどうかは、10年単位でつきあってみなければわからない。
つきあう。
「幼なじみ」とか「昔から知っている」、あるいは「親類だから」というのは、まったくアテにならな
い。

 頻繁でなくてもよい。
しかし1〜2か月ごとに、つきあう。
そういうつきあいを通して、その人を知る。
で、ある人は、私にこう言った。

「20年ぐらい住まないと、仲間に入れませんよ」と。
私が郊外の山間地に、山荘をもったときのことだった。
で、その20年がすぎた。
その人が言ったとおり、20年で、やっと仲間になれた。
今は、そんな感じがする。

●疑惑力

 そこで疑惑力。
人を疑う。
先にも書いたが、本来なら、不必要な「力」である。
が、この日本では、必要。
とくに老人組になったら、必要。

 たとえば今、私がいちばん怪しいとにらんでいるのが、訪問介護士のY(女性、50歳くらい)。
ときどき、ワイフのある親戚に寄るのだが、いつもその女性はそこにいる。
仕事を聞くと、「訪問介護士」と言う。

 その家には、90歳近い女性(義理の伯母)がひとりで住んでいる。
先日もどこかへ行く途中、その親戚に寄ると、やはりいた。
偶然か、それとも毎日来ているのか?

 それはわからないが、いくら介護度が高くても、「毎日」ということはないはず。
別の事件だが、ある訪問介護士は、そうして訪問しながら、その家の老人がボケているのをよ
いことに、つぎつぎと財産を持ち出していたという。

いよいよ特別養護老人ホームに入居するというときになって、家族(娘)が家に入ってみると、
現金類はもちろんのこと、財産らしい財産は、すべて消えていたという。
タンスの中は、空き箱の捨て場になっていたという。
そういうこともある。

 が、これは私たち自身の問題でもある。
私たちもやがてそういう老人になる。
だから「疑惑力」。

●制度として解決

 ……が、疑惑力にも限界がある?
人を疑うのも、疲れる。
家人が近くにいれば、そういう家人に守ってもらうという方法もある。
しかし、それでもスキは生まれる。

 こうした問題は、制度として解決するしかないが、頼りになるはずの訪問介護士ですら、信用
できない。
もちろんほとんどの訪問介護士の人は、よい人かもしれない。
だから制度として、解決する。

 たとえば同一の訪問介護士を、長期にわたって、同一老人の自宅を訪問させないなど。
しかしこのあたりでも、一度、その訪問介護士になると、1〜2年は、同じ訪問介護士になるよ
うだ。
が、それではいけない。
老人の安心と財産を守ることはできない。

 ……などなど、こうして疑惑力を前向きに育てていく。
これから老人組になる人たちには、とくに必要な「力」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 疑惑力 老人の保護)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【The Ocean(浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン・ホテル)】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

自転車でホテルへ向かう途中、
風景の写真を撮った。
それをYOUTUBEにUPした。
行程は、自宅のある浜松市西区の入野町から、ジ・オーシャンのある弁天島まで。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/Oz98aQbxMy0?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++++++++++++

私は自転車で、向かった。
ワイフと息子は、車で向かった。
浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン。

私は自転車で走りながら、写真を撮った。
自宅からジ・オーシャンまで。
今日はキャンペーン価格ということで、1泊2食つきで、1人、7050円。
(3人1部屋のばあい。)
この料金で文句を言う人はいない。
今までに泊まったホテルの中でも、最低料金ではないか。
というか、この料金を知ると、だれしも、「安かろう、悪かろう」と思うかもしれない。
しかしこのジ・オーシャンは、そうでない。

たとえばすぐ近くに、K楼という旅館がある。
何度か泊まったが、そこはたしかに「安かろう、悪かろう」。

ロビーに入ると、フロントの女性が、「10階のX号室ですよ」と声をかけてくれた。
「……露天風呂もできましたから」と。
先月泊まったとき、その話が出た。
それでその話を覚えていてくれた。

部屋に入ると、ワイフと息子がいた。
息子は雑誌を読んでいた。
ワイフは、ベッドに座って私を待っていた。
「今日は、強い向かい風でね」と言うと、「たいへんだったわね」と。

このホテルへは、ときどき自転車で来る。
運動をかねる。

近くにR・ホテルというのもある。
そのホテルも、よく利用させてもらう。
が、商売上手というか、いつも客でごった返している。
何でも静岡県で集客数、ナンバー1とか。
そんなわけで、最近は、もっぱら、このジ・オーシャン。
ほどよく大きく、ほどよく、こじんまりしている。
サービスもよい。
掃除も行き届いている。
料理は今夜は、バイキングとか。
私たちは小食派だから、それこそギョーザと白いご飯だけでもよい。

……たった今、温泉から戻ったところ。
温泉には私1人だけ。
気持ちよかった。

++++++++++++++++++++++++

●パソコン

 物欲を抑制すると、それ自体が強烈なストレッサーになる。
喫煙者がたばこを禁煙したり、アルコール中毒者が断酒したときと同じ反応が脳の中で起こ
る。
だから物欲は、適当に発散させるのがよい。
がまんすればするほど、ストレスがたまる。

 で、私は今、TOSHIBAの新型パソコンがほしい。
TOSHIBAのDynabook(R631)。
世界最薄、最軽量。
この11月に発売になる。
ハードディスクはなく、OSはSDに収納される。
またこの先、クラウドが一般化する。
そのため「ノートパソコン」ではなく、これからは「ウルトラブック」と呼ぶ。
が、ここでちょっと待った!

 2012年には、WINDOW8が発売になる。
またインテルもCPU「Core−i」シリーズを刷新するとか。
今、この世界は目まぐるしく変化しつつある。
賢い人なら、2012年まで待つ。

 なおクラウドというのは、パソコン内に、ソフトやデータ(ファイル)などを置かないで、そのつど
必要なとき、サーバーからダウンロードして使う方式をいう。
こうすることによって、パソコンへの負担をかぎりなく軽くすることができる。

 私は、その賢い人なのだア!

●もうすぐ誕生日

 もうすぐ私の誕生日。
10月2x日。
たまたまその前後、オーストラリアの友人がやってくる。
「今日は私の誕生日」と言うと、おおげさになる。
友人は友人。
それとなくワイフとこっそりと祝う。

 一方、欧米人は誕生日を派手に祝う。
しかしその希望も消えた。
……というか、息子たちが子どものころは、我が家なりに息子たちの誕生日を、派手に祝っ
た。
それはどこの家も似たようなものだったと思う。
が、今は、メールだけ(?)。
6月にワイフの誕生日があった。
私が「息子たちから、祝いの言葉はあったか?」と聞くと、「メールでね」と。

 「そんなものかなあ……」と思ったところで、思考停止。
母親の誕生日に、メール1本!
それ以上のことを言えば、グチになる。
わかりやすく言えば、親の思いというのはいつも、一方通行。

私たちは、それを「よかれ」と思ってする。
しかしその大半は、子どもたちにとっては、「ありがた迷惑」?

 そのときもワイフはこう言った。
「みんなそれぞれ、元気でやってくれれば、それでいいのよ」と。
どこかさみしそうな言い方だった。

 私も、期待しない。
期待しない分だけ、息子や孫たちの誕生日に、気を使わない。
今や「家族崩壊」は、日本の流れ。
日本も世界の潮流に合流しつつある。
私ひとりだけ抵抗したところで、どうにもならない。

●夕食

 夕食は、星5つの★★★★★。
レストランは清潔。
安い料金の客なのだが、一流ホテルの客のように扱ってくれた。

 で、ここでのシステムは、ほかのホテルとは、少しちがう。
まずメインデイッシュとして、(カレー)(ステーキ)(ミックスフライ)の中から、ひとつ選ぶ。
それをメインとして、そのほかの食材は、バイキング方式で選ぶ。
私たちはじゅうぶんすぎるほど、満足した。

●眠い

 今朝のことだった。
時刻は午前3時ごろ。
寝る前からその症状は出ていたが、偏頭痛が始まった。
が、「Z」という薬をのめば、治る。
それを知っていたから、痛いのをがまんし、ふとんの中で丸くなっていた。
が、一眠りして目を覚ますと、午前4時。
痛みはそのままだった。

 で、「Z」を半分に割ってのむ。
それで効かなければ、残り半分をのむ。
しかしたいてい、半分で症状は消える。
そんなことを考えながら、ぼんやりしていると、ワイフがそれに気づいて、「痛いの?」と。
「そう」と答えると、そのまましばらく後頭部をマッサージしてくれた。
が、何か申し訳なく、もう半錠を口に含んだ。
とたん、スーッと痛みが消えていくのが、自分でもよくわかった。

 「Z」は、週に2回以上はのまないように」と言われている。
すばらしい薬だが、それだけに副作用も大きい(?)。
ご存知の人も多いかと思うが、血管が緩んだようなとき、その血管が周囲の神経を圧迫する。
それが偏頭痛となる。
だから偏頭痛の薬というと、基本的には血管収縮薬ということになる。
ここからは私の素人判断だが、収縮させすぎると、今度は血管が閉塞する。
高血圧ぎみの人には、よくない(?)。
ドクターが、「週2回以上のまないように」というのは、そういう理由によるものかもしれない。

●綿棒で、直腸検査

 少し前、近くの病院で、大腸検査を受けた。
結果はシロだった。
が、そのとき、つまりベッドで横になっているとき、私は新しい検査法を考えた。

 がんの2大特徴は、細胞の不規則な増殖と出血。
組織が破壊されるため、出血する。
だったら、こうすれば簡単に大腸検査ができるのでは?
(ここから先は、私という素人の意見だから、本気にしないように!)

 何も病院で検査を受ける必要はない。
肛門あたりに何かの軟膏を少し塗る。
これはすべりをよくするため。
私はオロナイン軟膏を使ってみた。
その肛門から、綿棒を挿入する。
一番奥まで挿入する。
で、そのままの姿勢で、10分ほど、待つ。
直腸のどこかで出血があれば、それでわかる。

 で、さらにここからも、私という素人の意見。
綿棒といっても、長さはせいぜい7〜8センチ。
そこで長さ20〜30センチほどの、自由にクネクネと曲がる綿棒を作ったら、どうか。
そのまま便器に流せるような材質のものであれば、さらによい。
それを肛門から挿入する。
その途中で出血があれば、それでわかる。

 ちょっと(かなり)ダーティな話でごめん。

●小便

 ついでにもうひとつ、ダーティな話。

 女性は知らないかもしれないが、男性用の公衆トイレは、どこも汚い。
便器から小便が飛び散っている。
で、私には、それが不思議でならなかった。
見たところ、みな、それなりに気をつけて、用を足している。
が、小便が飛び散る。

 で、その理由は、立小便をしているときにわかった。
小便というのは、メインの小便だけではなく、その周囲を霧状になって飛び散る小便もある。
明るい陽光を背にして立小便をしてみると、それがよくわかる。
が、さらに、最近、こんなことも発見した。

 アレをウィンナーソーセージにたとえる。
その先の穴から、小便は出る。
ところが、である。
排尿が終わるころ、小便が、ウィンナーソーセージよりも手前にしたたり落ちる。
表面張力により、小便がウィンナーソーセージの丸みに沿って、逆方向に回り込むために、そ
うなる。
つまりこれが床を汚す。

 だからふつうは、ウィンナーソーセージを、その直後、2、3度振る。
振って、しずくを落とす。

 ……一度、そのあたりのことをしっかりと研究する必要がある。
でないと、この問題は、いつまでたっても解決しない。
男性諸氏のマナーの問題ではない。
ウィンナーソーセージには、構造的に、欠陥がある。
それが床を汚す原因となる。

●「Z」

 偏頭痛薬には、欠陥がある。
脳の血管を収縮させるためか、脳の働きがややいつもと違った感じになる。
私のばあい、三半規管が影響を受けるのか、フワフワした感じになる。
が、何よりも注意しなければならないのは、胃の調子。
……というか、肝臓の調子。

 かなり強力な薬らしい。
つづけてのむと、こうした薬は、やがて肝臓がそれを「毒物」と判断するようになる。
以前のんでいた薬がそうだった。
偏頭痛はそれで治るが、そのあと、胃の不快感が襲ってくる。
吐き気と胸苦しさ。
とくに吐き気がつらい。
もちろん食欲もなくなる。

 そこで以前はその薬と併せて、胃の薬も処方してもらっていた。
だからこうした薬は、あまりのまないほうがよい。
症状がよほどひどくならないかぎり、のまないほうがよい。

 ……大きく話が脱線したが、その偏頭痛があり、今朝は、よく眠っていない。
それが今、強い眠気となって、私を襲い始めている。

●ベッドの帯

 少しよいホテルに泊まると、ベッドの下のほうに、帯が置いてある。
このホテルのベッドにも、それがある。
それについて、「なあ、お前、この帯、何のためにあるの?」と聞くと、ワイフは「知らない」と。
息子も「知らない」と。

 そこで私なりに推察してみる。

 ひとつ気になるのは、ベッドカバーがないこと。
帯は、そのベッドカバーの代わり?
今度スカイプをしたとき、オーストラリアの友人に聞いてみよう。

 ……ということで、たった今、スカイプで呼び出してみたが、応答はなかった。

●10月11日

 明けて今日は、10月11日。
モーニングコールは、朝6時に頼んでおいた。
その朝、6時。
起きるとそのまま温泉に。

 で、今は、こうして朝食を待っている。
朝、7時半から。

 あの露天風呂はよい。
1人用になっていて、人にじゃまされない分だけ、よりリラックスできる。……できた。

 ジ・オーシャン様、
また来ます。
リラックスできました。
+格安料金で、ありがとうございました。

(弁天島温泉 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジ・オーシャン 浜
名湖弁天リゾート ジ・オーシャン The Ocean)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
【小1児に、分数と分数の概念を教える】

●Active Learners(積極的に学ぶ子どもたち)

いつもにぎやかなクラスです。
で、今日は年間計画表に従い、分数と分数の概念を教えてみました。
で、結果は、ご覧の通りです。
ワイワイ騒いでいるうちに、何となく覚えてしまったようです。
このビデオで見ていただきたいことは、子どもたちの積極性です。
アメリカでは、「アクティブ・ラーナー(Active Learners)」という言葉をよく聞きます。
積極的に学ぶ子どもという意味です。
「1年生に分数!」と驚く人も多いかと思いますが、それこそ偏見と誤解です。
こういう教育をすると、ほとんどの人は、子どもが苦しんでいる……と誤解します。
が、そんなことはありません。
子どもたちの笑い声が、その答です。
それよりも子どもたちのもつ、可能性に注目してください。
子どもというのは、(足し算)→(引き算)→(繰り上がりのある足し算)→(繰り下がりのある引
き算)→……と教えるのがよいと思っている人も多いかと思います。
が、どうしてこの日本では、教育がかくも技術的なのでしょうか。
だからおもしろくない。
子どもたちがついてこない。
みな、算数嫌いになってしまう!
……ということで、私のところでは、世界でも類のない教育を実践しています。

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 分数の学習 分数の概念 小学
1年生に分数を教える Fractional Numbers Fraction)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【日本人としてのルーツを大切に!】

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hhayashi&width=200&height=300&font-size="></script>


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタイト
ル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm5.
static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" height="250" alt="●BL
OGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>


●今どきの中学生(なぜ、今、私たちは日本人なのか?)

●錯視

 私の孫のSの写真を見て、中学生(中3女子)が、こう言った。
「まったくの白人ね」と。
そこで私は、こう言った。
「アメリカではね、だれが見ても、孫のSを見ると、アジア人(東洋人)と言うらしいよ」と。
するとその中学生は、「ウッソー!」と。

 東洋的であるか、白人的であるかは、相対的なもの。
長く一方の世界に住んでいると、ほんのわずかなちがいが、大きなちがいになる。
「錯視」と言ってもよい。
同じ円でも、より大きな円に囲まれると、小さく見える。
より小さな円に囲まれると、大きく見える。

その中学生は、日本で生まれ育っている。
だから孫のSが、白人に見えるらしい。

 念のため、孫のSの写真をここに載せておく。

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jpeg" width="960" height="1280" alt="img7de5bb1bvs0hgw.jpg">

●「私は欧米人」

 今でも「私は欧米人」と考えている子ども(小中学生)が多いのには、驚かされる。
理由を聞くと、「肌が白いから」と。
昨夜も、中学生たちと、そんな議論になった。
発端は、AKB48。
AKB48が、今度、外国でもプロデュース(?)されることになったという。

私「それはね、日光にそれだけ当たっていないからだよ」
子「そんなことはない。アジア人は、皆、黒い」
私「黒くないよ。マレーシアなんか行くと、ぞっとするほど美しい女性に出会う」
子「どうして……?」
私「血の交流を受けているからだよ」

子「血の交流って?」
私「そのつど歴史の中で、異邦人、つまり外国人の血が混ざっている。マレーシアのばあい、イ
ギリス人の血が混ざっている」
子「外国人の血が混ざると、どうして美しくなるの?」
私「優性遺伝といってね、双方のよい遺伝子のみが伝わるからだよ」と。

●白い肌

 そこで私は、パソコンを開いた。
孫のSが、アメリカ人と並んで写っている写真はないかと、さがした。
1枚だけ、あった。

 それがつぎの写真。
孫のSが、幼稚園に通っているときのもの。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/69/img3ea44fdczikfzj.
jpeg" width="282" height="336" alt="img1f92d05fzik5zj.jpg">

 私はこの写真を見せながら言った。

「この写真を見れば、孫のSは、だれだって東洋人と思う。アメリカ人なら、即座にそれがわか
る」と。

 孫のSも、ハーフだから、肌は白い。
胸などは透けるように白い。
それでもアジア人は、アジア人。
「白い」といっても、その白さがちがう。

私「つまりね、こういう議論そのものが、ナンセンス」
子「……?」
私「だからといって、日本人のほうが劣っているということではない。逆に、日本人のほうが、優
性とか、白人のほうが優性とか、そんなことを論じても意味はない」
子「だってエ〜。日本人は、中国人や韓国人とは、ちがうわ」
私「ちがわない。むしろ中国人や韓国人は、日本人を『下』、つまり劣等民族と思っているよ」
子「そんなことはない! 日本人のほうが、かっこいい!」

私「ア〜ア、今、血の交流の話をしただろ。日本人は、極東の島国で、長い間、その交流を受
けてこなかった。骨相学的にも、日本人は、世界でも、もっとも貧弱と言われている」
子「私、そんな話、信じない!」
私「信じないのは、君の勝手だけど、反対に世界の人とそんなことを論じても、かえって笑われ
るだけだから、やめたほうがいい。つまりナンセンス」と。

●ナンセンス

 私はオーストラリアの大学にいたころ、身長では、下から2番目だった(IHカレッジ)。
日本では、ごくふつうの学生だった。
当時の私は、身長166・5センチ。
体重は、50キロ前後。

 とくに気になったのは、足の長さだった。
私の足は短く、ひざが飛び出て、O脚だった。
乳幼児期の栄養不足と、「正座する」という習慣が、そういう足にした。

 困ったのが、パンツ(ズボン)。
私に合うパンツなど、どこにもなかった。
だから私はいつも子ども用のパンツをさがし、買っていた。
だからというわけでもないが、「身長」に対するコンプレックスは、乗り越えることができた。
180〜190センチもあるオーストラリア人を相手にしても、自分を小さな人間と思うようなこと
はない。
来週、私の家にやってくるD君にしても、195センチ。
D君にしても、私を小さな人間と思っていないはず。
私もこの40年間、一度も、それを気にしたことがない。

●ゆがんだ優位性

 「日本民族がすぐれた民族」と思うのは、その人の勝手。
どこの民族でも、自分たちが最高と思っている。
それはそれでよい。

 しかしその返す刀で、他民族を、「劣っている」と考えてはいけない。
そう思ったとたん、その民族は、外の世界にはじき飛ばされる。
とくに私たち日本人は、である。
言い換えると、どうして日本人だけが、こういう錯視をするようになってしまったかということ。

 これも教育のなせるわざなのか?
それとも伝統的意識によるものなのか?
それとも島国民族の悲しさによるものなのか?
20年ほど前のこと。
オーストラリアでこんな経験をした。

●アボリジニー

 オーストラリアの友人とメルボルン市内の通りを歩いていたときのこと。
向こう側から日本人の女性たちが、5〜6人、集団でやってきた。
ああした通りで甲高い声で、キャッキャッと騒いでいるのは、たいてい日本人だった。

 その手前に、1人のアボリジニーの男性が、道ばたの石段に座り込んでいた。
それを日本人の女性が目ざとく見つけ、まるで獣(けもの)でも見つけたかのように、さらに大
声で騒ぎ始めた。
なぜ大声で騒ぎ始めたのか、私にはその理由がよくわかった。
もの珍しそうにそのアボリジニーをながめたあと、(こうした行為そのものが、たいへん失敬な
ことなのだが)、「ああ、気味悪い〜」と。
日本語でそう言っていた。

 バカめ!
本当にバカめ!

 オーストラリアのアボリジニーは、アジア大陸から何派にわけて、移動してきた民族である。
私が学生時代に学んだ記憶によれば、大きく4つの「派」があったという。
そのひとつは、日本人とルーツをともにする。
つまりあのアボリジニーは、日本人にはるかに近い民族である。
遺伝子学的には、そうである。
そうした事実も忘れて、「ギャーッ!」はない。

●化粧

 化粧に化粧を重ね、それこそ1枚、皮がめくれるほど化粧を重ねる。
その結果、日本の若い女性は、今に見る若い女性になった。
化粧を否定する者ではないが、世界的に見ても、日本人は、化粧のしすぎ。

 オーストラリア人などは、今でも、あまり化粧をしない。
当時のオーストラリア人は、ほとんどといってよいほど、化粧をしなかった。
しても口紅程度。
アジア人の女性は、素顔のまま。
とくに中国系の女性は、そうだった。

 だから当時の日本人は、たしかに美しく(?)見えた。
が、それでもって、遺伝子が変化したわけではない。
白人になったというわけではない。
その証拠に……というわけでもないが、……ということで、最後に私はその中学生にこう話して
やった。

私「もしそれがわからなければ、40代、50代の女性を見ればいい。もう化粧するのを、あきら
めたような女性だ」
子「日本人は、みんな、きれいよ」
私「きれいとか、きれいでないとか……そういうことではなく、客観的に見る。そのときアボリジ
ニーの人たちと、どこがどうちがうか、比べてみればいい」と。

 で、私はネットでアボリジニーを検索してみた。
ウィキペディア百科事典に、1枚、写真が載っていた。
10人近い、アボリジニーの子どもたちが写っていた。
それをその中学生に見せた。

私「いいか、客観的な目で、日本人と比べてみればいい。みな、日本人より、顔が整っているこ
とがわかるはず」
子「……でも色が黒い……」
私「黒いのはしかたない。砂漠に住んでいるから。日本人でも農家の人は、みな、黒いよ」
子「でも、先生は、どうして日本人のことを、そんなに悪く言うの?」
私「言っていない。そういう議論そのものが、ナンセンスと言っている」と。

●日本人

 私がそれ以上に心配しているのは、日本人が「日本」を意識しなくなっていること。
その中学生も、話の途中で、何度もこう言った。

「ああ、私もハーフで生まれればよかった」とか、「フランスで生まれればよかった」と。

 10年ほど前だが、私にこう言った高校生がいた。
私が「ぼくたちは、戦後、ひもじい時代から、がんばってきた」と言ったときのこと。
「そんなの自業自得だ。ぼくもアメリカ人に生まれればよかった」と。

 それが最近は、国籍不明というか、「ネット人種」まで生まれてきた。
先週も、私が「ジョブズ氏(アップル社会長)」について、「時流に乗っただけ」と書いたときのこ
と。
「偉そうなことを言うなら、自分でやってみろ」(日本人)と。

 アップル社のホームパソコン(当時はそう呼んでいた)が、日本製のパソコンをつぎつぎと駆
逐していった。
1978〜9年にかけてのことだった。

 当時、アメリカは国策として、電子計算機事業に力を入れ、日本にも繰り返し圧力を加えてき
た。
日本のBTRON(OS)がつぶされた背景にも、アメリカ政府の圧力があった。
結果、IBMは今に見るIBMになった。
当時の首相(田中角栄)には、それだけの知的能力はなかった。
土建業は土建業。
そういう流れを知っているから、「時流に乗っただけ」と書いた。

 行きすぎた国粋主義は危険。
しかしここまで無国籍人間がふえると、私は日本の将来を憂えずにはいられない。
今の若い人たちは、この先、平気で日本を捨てていく(?)。

●こだわり

 その中学生には言わなかったが、私が「日本」にこだわる、大きな理由がひとつある。
もし、このまま、(そんなことはありえなとしても)、日本が地球から消えてしまったら、私が今、
こうして書いている文章は、どうなるかということ。

 有名人の文章は残るかもしれない。
それこそ時流に乗った人の文章は残るかもしれない。
が、私が今、こうして書いている文章など、まっさきに消えてしまうだろう。
もしそうなったら、今、ここでこうしてモノを書いていること自体、無駄になってしまう。
今の私には、それほど恐ろしい話はない。

 いつかどこかで、たとえ100年後でも、私の書いている文章を読んでくれる人がいるかもしれ
ない。
そんな希望があるから、今、こうしてモノを書いている。

 そのためにも、私たち日本人は、しっかりと大地に、根を張らなければならない。
欧米人に「美」の基準を求め、顔をファウンデーションで白く塗りたくって、それでどうなる?
どうする?
首から下は黄色?
話が混乱してきたが、それこそまさに自ら「根」を切るような行為。

 日本人は日本人。
私たちのルーツはそこにある。
そのルーツを忘れて、国際化はない。

 最後にその中学生にこう言った。

私「ぼくたちは恵まれた世界に生まれたんだよ。食べ物にだって、困ったことがない」
子「……」
私「君たちはそれを当たり前と思っているかもしれないが、今、世界の3分の1の人たちは飢餓
状態にある。それを思ったら、感謝しなくちゃあ」
子「……」
私「日本人でよかった、とね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 今どきの中学生 2011/10/12
記)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●横浜市で、放射性ストロンチウム発見vs福島県の米の出荷

●今、この日本では……

++++++++++++++++++++++++++++++

横浜市で、放射性ストロンンチウムが発見されたという(TBS)。
その量、1キロあたり、195ベクレル。
250キロも離れた横浜市で発見されたということに、注目してほしい(注※)。

が、その一方で、福島県産の米が、1キロ当たり、暫定規制値の500以下になったので、出荷
許可になったという(注※)。

いったい、これらの2つの事実をどう理解したらよいのか。

++++++++++++++++++++++++++++++

●暫定規制値?

 放射線量は、「ゼロ」であるのが、当たり前。
それを暫定規制値の1キロ当たり、500ベクレルを下回ったので、「出荷許可」?
つまり中には、499ベクレルの米もあるということ?

 こうした米が、スーパーなどの店先に並ぶことはない。
恐らく、加工米として、いろいろな加工食品に利用されるはず。
マネーロンダリングならぬ、ライスロンダリング。
そうすれば、米の出所を、隠蔽することができる。

 ……ということを、私は心配している。
その心配はないのか?

●放射性ストロンチウム

 その一方で、横浜でも放射線ストロンチウムが発見されたということに驚いている。
まだ確定されたわけではないが、もしこれが事実とするなら、東京以北では、この先、たいへん
なことが起こる。

 放射線ストロンチウムの毒性は、他の放射性物質の比ではない。
放射性セシウムの300倍(「週刊現代」)とも言われている。
それ自体が、金属性のホットパーティクルとして、主にカルシウムと置き換わり、骨にとどまる
(注※)。

 言うまでもなく、拡散濃度は、距離の二乗に反比例する。
250キロで、195ベクレルなら、2分の1の125キロ圏内では、4倍の約600ベクレル。
60キロ圏内では、さらに2400ベクレル。
さらに、30キロ圏内、つまり30000メートル圏内では、約1万ベクレル。
15000メートル圏内では、約2万ベクレル。
7500メートル圏内では、約4万ベクレル。
3250メートル圏内では、約16万ベクレル。
325メートル圏内では、100倍の、1600万ベクレル。
32メートル……原子炉の直径範囲内では、16億ベクレル?
原子力保安院による公表資料によれば、放出量は、1.4 x1014 (ストロンチウム90)とある。

1・4の10の14乗=140000000000000=1400兆ベクレル!

 原子力保安院の試算値(保安院HP)の資料によれば、「プルトニウム239」だけで、合計32
億ベクレルが、大気中に放出されたという。
今回横浜で発見された放射性ストロンチウムの量は、ほぼ、それと同量ということになる。

 放射性物質というと、放射性セシウムだけが大きく問題になっている。
そのセシウム(セシウム137)にしても、「広島型原爆の150発分」(京都大学原子炉研究所
の小出裕明氏指摘)もすでに放出されている。

 150発分だぞ!

●浜松市(福島第一原発から420キロ)

 反対に考えれば、この浜松市(約420キロ)でも、約4分の1の、50ベクレルの放射線ストロ
ンチウムが発見されても、おかしくないということになる。

 すでに原発再開の動きが活発になっているが、人的被害がどの程度になるか、それを見届
けてからでも遅くないのではないか。
チェルノブイリ事故では、人的被害が出始めたのは、2〜5年後。
ピークを迎えたのは、10年後とある(「原発事故」宝島)。

 ストロンチウムにせよ、プルトニウムにせよ、一度人間の体内に入ったら最後、ほぼ一生、そ
の人の体にとどまる。
ストロンチウムの半減期は、28・8年。
プルトニウムの半減期は、何と、2万4000年!

 米の出荷許可についても、同じ。
何も放射性セシウムだけが、放射性物質ではない。
国は、あたかもセシウムだけが放射性物質であるかのように装っているが、それはおかしい。
またそれだけをもって、「安全?暫定値」をさだめているが、それはおかしい。

 原子力保安院が発表した資料によりば、ほかにも20種類近くある。
先に書いた、ストロンチウム、プルトニウムは、そのうちの2つに過ぎない※。

 米の出荷は、最低でも5年は待つべき(2011/10/12記)。

(注※)++++++++++以下、TBS-iより+++++++++++++

福島第一原発から250キロ離れた横浜市港北区のマンションの土砂を民間の検査機関が調
べたところ、放射性物質の「ストロンチウム」が検出されていたことがわかり、横浜市が調査を
進めています。

 横浜市は先月、港北区の住民らの要望を受けて区内の側溝にたまった堆積物や土砂を測
定したところ、最高で1キロあたりおよそ4万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表し
ていました。

 横浜市などによりますと、この検査結果の後、住民らが「放射性セシウムだけではなくストロ
ンチウムも確認されている」として、区内のマンション屋上の堆積物から1キロあたり195ベク
レルのストロンチウムが検出されたとする民間検査機関「同位体研究所」の分析結果を横浜
市に提供しました。横浜市は情報提供を受け、ストロンチウムについても再検査を行ってい
て、週内にも結果を公表する方針です。

 検査を行った「同位体研究所」はJNNの取材に対し、「過去の核実験の影響などで1〜2ベ
クレルのストロンチウムが検出されることはあるが、今回の分析結果はそれなりに高い値なの
で福島第一原発に由来するものではないか」としています。(12日16:12)

++++++++++以上、TBS-iより+++++++++++++

(注※)++++++++++以下、Yomiuri on Lineより+++++++++++++

福島県は12日、今年作付けが認められたすべての市町村で収穫された一般米の放射性物
質濃度が調査の結果、すべて国の暫定規制値(1キロ・グラム当たり500ベクレル)を下回り、
出荷可能になったと発表した。

 県の予備調査で高水準の放射性物質が検出されていた二本松市の水田約9アールから収
穫されたコメは、県が調査研究用に全面的に買い取るため、県はこのコメが流通することはな
い、としている。
最終更新:10月12日(水)16時47分

++++++++++以上、Yomiuri on Lineより+++++++++++++

(注※)ウィキペディア百科事典より

『……ウランの核分裂生成物など、人工的に作られる放射性同位体としてセシウム137と
共にストロンチウム90がある。ストロンチウム90は、半減期が28.8年でベータ崩壊を起
こして、イットリウム90に変わる。原子力電池の放射線エネルギー源として使われる。体
内に入ると電子配置・半径が似ているため、骨の中のカルシウムと置き換わって体内に蓄
積し長期間にわたって放射線を出し続ける。このため大変危険であるが

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)原子力保安院の資料より

●解析で対称とした期間での大気中への放射性物質の放出量の試算値

Xe-133 ……1.1x1019
Cs-134 ……1.8x1016
Cs-137 ……1.5x1016 (セシウム137)
Sr-89 ……2.0 x1015
Sr-90 ……1.4 x1014 (ストロンチウム90)
Ba-140 ……3.2 x1015
Te-127m ……1.1 x1015
Te-129m ……3.3 x1015
Te-131m ……9.7 x1012
Te-132 ……7.6 x1012
Ru-103 ……7.5 x1009
Ru-106 ……2.1 x1009
Zr-95 ……1.7 x1013
Ce-141 ……1.8 x1013
Ce-144 ……1.1 x1013
Np-239 ……7.6 x1013
Pu-238 ……1.9 x1010
Pu-239 ……3.2 x1009 (プルトニウム239)
Pu-240 ……3.2x1009
Pu-241 ……1.2x1012


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月13日

 今朝は起きるとすぐ、先の、「放射性ストロンチウム」についての原稿を書いた。
少し前(10月1日)に、こう書いたばかり。

 『……福島第一原発の事故地から、45キロも離れたところで、放射性プルトニウムが発見さ
れたという。
それについてNHKラジオは、簡単に事実を伝えたあと、「(たいへん重い)プルトニウムがそん
なに遠くで発見されたことに驚いている」「改めて放射性物質が広く拡散されているのがわかっ
た」などと、報道していた(2011年10月1日)』と。

 今度はストロンチウム。

 あの事故直後、オーストラリアの友人(メルボルン大学教授)に、放射能測定器について問い
合わせたことがある。
そのときその友人は、こう言った。
「ヒロシは、何を調べたいのか。調べる対象によって、測定器はみなちがう。高価なものは、1
00万円以上もする」と。

 その意味が、最近になってやっと理解できた。
放射線といっても、X線、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線がある。
市販されている3〜4万円の測定機器など、何の役にも立たない。
セシウムだけが、放射性物質ではない。

●公務員数、「5%」?

 もうひとつ調べたの、公務員の数。
あのギリシアは、公務員数の多いことで知られている。
国家公務員数だけで、20%(報道)。

 国家公務員数が20%ということは、家族(妻、夫、子)を含めると、約3倍の人口が、国家公
務員もしくはその家族ということになる。

 では、日本のばあいは、どうか。
ネットで調べると、即座に目に入るのが、「5%」という数字。
あちこちの公務員系サイトが、さかんに「5%」という数字を並べている。
「日本は、諸外国と比べても同等」と。

 しかし実態は、どうなのか?
今朝は、これについて、きっちりと結論を下しておきたい。
「週刊ダイアモンド」(10月15日号)に、詳しい資料が載っている。
それをまとめる。

●日本の公務員数

(1)地方公務員(都道府県)
   一般行政部門……24・2万人
   警察部門  ……28・0万人
   教育部門  ……90・4万人
   
(2)地方公務員(市町村)
   一般行政部門……69・5万人
   消防部門  ……13・9万人
   教育部門  ……16・0万人

ほかに特別職職員
   知事、市区町村長、県会議員、市区町村議員……約2・1万人

   以上、合計、281・4万人

(3)国家公務員
   非現業国家公務員……27・4万人
   一般行政事務局員……14・5万人
   税務署職員   ……5・3万人
   国営企業(林業)職員……0・5万人
   特定独立行政法人職員……5・8万人
   特別職国家公務員  自衛官……24・8万人
             裁判官など……2・6万人
             総理大臣、国務大臣など、400人

   以上、合計、64・1万人

(4)独立行政法人
   事務・技術職……13・4万人
   特殊法人……32・3万人
   国立大学法人……13・1万人

(注:地方公務員数は、2010年4月1日、現在、国家公務員数は、2011年度予算定員、そ
の他は、2011年10月1日現在。)

 以上、総合計数は、345・4万人。
日本の人口は、国勢調査によると12805万6026人(2010年)。

345÷12805=2・69%=2・7%
しかしこれは、幼児から、100歳前後までの老人を含めた数。

 そこで民間サラリーマンの数(09年国税庁調査室)で割ってみる。
それによれば、全国の民間サラリーマンの数は、4506万人。

345÷4506=7・66%

 この計算に対して、「自営業者や農業従事者などは、含まれていないではないか」と公務員
の人たちは反論するかもしれない。

 しかし同時に、公務員の世界には、公務員としてカウントされない、準公務員がいる。
「形」は民間だが、「中身」は公務員。
たとえば旧三公社五現業。
民間企業に移行したとはいえ、独占企業体として、国家の手厚い保護下にある。

★公共企業体(三公社)
1.日本専売公社 → 1985年(昭和60年)4月1日解散 (日本たばこ産業 (JT) に移行)
2.日本国有鉄道 → 日本国有鉄道清算事業団(1998年(平成10年)10月22日解散)に移行 
(鉄道事業は1987年(昭和62年)4月1日にJRグループに移行)
3.日本電信電話公社 → 1985年(昭和60年)4月1日解散 (日本電信電話(NTTグループ)に移
行)

★国の経営する企業(附帯する事業を含む)(五現業) [編集]
1.郵便、郵便貯金、郵便為替、郵便振替及び簡易生命保険の事業(註) → 日本郵政公社に
移管。2007年(平成19年)10月1日の郵政民営化に伴い、日本郵政及び傘下のゆうちょ銀行・
郵便局・かんぽ生命・郵便事業に分割・移管し、公社は解散した。
2.国有林野事業(国有林野事業特別会計において事務を取り扱う治山事業を含む。)
3.日本銀行券、紙幣、国債、収入印紙、郵便切手、郵便はがき等の印刷の事業(これに必要
な用紙類の製造並びに官報、法令全書等の編集、製造及び発行の事業を含む。) → 独立行
政法人国立印刷局に移管
4.造幣事業(賞はい等の製造の事業を含む。) → 独立行政法人造幣局に移管
5.アルコール専売事業 → 新エネルギー総合開発機構

★天下り先としての外郭団体

 仮に旧三公社五現業を除いたとしても、この日本には、天下り先としての外郭団体がある。
「公社」「公団」という名前がついていることが多い。
2004年に民営化された(?)、日本道路公団もそのひとつ。

 こうした天下り先団体(企業)は、国家公務員はもちろん、市町村の村レベルにまで、それが
ある。
その実態は、いまだかって数字として解明されていない。
たとえば文科省だけでも、約2000近い外郭団体がある。
そういう団体の職員は、公務員ではないが、公的機関から流れてくる資金、あるいは公的機関
の仕事を請け負うことで給料が支払われている。

 日本では、もちろんそういう団体の職員は、「公務員」としてカウントされていない。
つまり意図的か意図的でないかはわからないが、公務員数ほど、わかりにくいものはない。

●人件費

 そこで重要なのは、「人件費」ということになる。 
「週刊ダイアモンド」(2011年10月15日)誌によれば、国家公務員、地方公務員の人件費
は、つぎのようになっている。

 地方公務員の人件費(2010年度見通し)……21・7兆円
 国家公務員の人件費(10年度)      ……5・2兆円
                     計 26・9兆円

 国の国家税収が44兆円前後だから、公務員の人件費だけで、61%を占めることになる。
(人件費だけだぞ!)
この額を多いとみるか、平均的とみるかについては、意見が分かれる。
つまり公務員の数は、人数という「数」だけでみてはいけない。
「日本は、5%だから、欧米並み」という意見には、じゅうぶん、注意したい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 公務員数 公務員の人件費)


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OGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>

 
●2011年10月13日・夜記

●今日の日記

05:00AM 起床
08:30AMまで書斎
09:00AM前後、朝食
09:30AM 早い昼寝
11:00AM 起床
13:00PM 雑務、教材用意
15:00PM 町まで歩く(運動)
21:00PM 仕事
21:30PM 帰宅
22:00PM ビデオの編集とYOUTUBEへUP

今、YOUTUBEへUPしながら、今日の記録を残す。
ときどき、今日のように早朝に目が覚める。
そういうときは、自然体。
無理に眠ろうとは思わない。
起きたいときに起きる。
眠たいときに眠る。
最近は、そんなことに心がけている。

●Gifted Children 恵まれた子どもたち(小学1年生)

 小学1年生に分数を教えてみました。
 このクラスの子どもたちは、能力的にたいへん恵まれた子どもたちです。
 教え終わったあと、私は「教えたぞ」という満足感を覚えました。
 
(1)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/xcVBEpQ3h5o?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/AdNn4Hrmw8w?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 分数 分数の学習 日本の小学
1年生)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●気になるニュース(2011年10月14日)

++++++++++++++++++

今朝は7時ごろ、目が覚めたと思う。
こういう曇天の日は、体内時計が狂う。
6時ごろかなと思って、メガネをかけ、時計を見ると、すでに8時!
飛び起きて居間へ。
新聞を読んで、ワイフが出してくれた茶を飲む。

いくつか気になるニュースが目にとまった。

++++++++++++++++++

●1号機で4700ミリシーベルト

 4700ミリシーベルトといえば、4・7シーベルト。
新聞(中日新聞)にもあるように、「4000ミリシーベルトを超える放射線を全身に浴びると、ほ
ぼ半数の人が、放射線による障害で死亡するとされる」とある。

 「ほぼ半数」というのは、どういう意味なのか。
意味がよくわからない。
さらに「障害で死亡する」というのは、どういう意味なのか。
たとえば別の本では、「5〜10シーベルトで、即死」とある。
「即死」といっても、どの程度の時間的猶予があるのか。
「即死」ということは、どういうことなのか?
1週間以内でも、即死は即死。

 そこで改めて、この「4000ミリシーベルト」を考える。
たとえば放射線障害のばあい、「1年以内に半数が死亡する」ということなら、「2年以内には、
そのまた残りの半数の、計75%(50+25)の人が死亡する」ということになる(あくまでも仮
定)。
さらに3年目には、残りの半数、つまり13%の人が死亡することになる。
計88%の人が死亡するということになる(あくまでも仮定)。

 もちろん放射線を一時的に浴びたばあいと、浴びつづけたばあいとでは、結果もちがってく
る。
しかし不気味であることには、ちがいない。

 私は1号機については、放射性物質の放出については、すでにほぼ問題が解決したと思って
いた。
しかし今の今も、放射性物質は、空中になれ流されたままになっている。

●ベラルーシでは、10ベクレル

 飲料水のセシウム規制値について、チェルノブイリ事故が起きたベラルーシでは、10ベクレ
ルが、規制値になっている。
つまり10ベクレル以上の値を示す飲料水は、飲むことはできない。

 が、この日本では、飲料水については、その20倍の200ベクレルという。
それについてベラルーシの民間研究機関、ベルラド放射能安全研究所の、ウラジーミル・バベ
ンコ副所長が、「まったく理解できない」(中日新聞・10・13)と発言している(10月12日)。

 ……もし、逆の立場だったらどうだろうか。
チェルノブイリから、飲料水を輸入することになった。
ベラルーシからでもよい。
その飲料水から、10ベクレルの放射性物質(放射性セシウム)が観測されたら、日本政府
は、どうするだろうか。
ただちに輸入禁止措置を取るにちがいない。

 それを「200ベクレル」とは!
「しかたない」というギリギリのところで、「200ベクレル」という数字が出てきたのだろう。
が、はたして「しかたない」ですませてよいものか?

●ギリシア問題

 特権階級を構成している公務員たちが、給与カットに反対し、デモを行っている。
そんな写真が新聞に載っていた(10・14日)。
私はそれを見たとき、「ギリシアはもうだめだな」と、さらに確信した。
「救いようがない」というのは、まさにこのことをいう。

 「(公務員の数は)、30年前には27万人にすぎなかった。
今や80万人。
労働人口の4分の1。
110万人超が公務員との説もあるほど、ギリシアは公務員天国と揶揄(やゆ)される」(同)と。

 日本も似たようなもの。
官僚たちは、あの手この手を使い、公務員数を少なく見せかけようとしている。
が、この10年、あるいは20年でもよい。
公務員が減ったという実感は、まったくない。
この文章を読んでいる、あなたもそうだろう。
つまりギリシア問題は、明日の日本の問題と考えてよい。

●「週刊文春」誌より

 週刊文春誌、最新号(10・20日号)によれば、日本の金融機関にも影響が及び始めたとい
う。

 名指しで経営危機が危ぶまれているのが、(1)「三菱UFJ」銀行(P24)。
(2)「野村ホールディングズ」(P25)。
ともにEU経済に、深く入りこんでいる。

 で、ここではじめて聞いた言葉が出てきた。
「CDS値」という言葉である。
週刊文春誌によれば、「経営破綻の危険度」を示す指標だそうだ。
(CDS……クレジット・デフォルト・スワップ)

 それによれば、モルガン・スタンレー銀行は、529ベーシスポイント。
この値は、リーマンショック時の値を超えているという。

(CDS値がどの程度なら危険かということは、よくわからない。
しかしモルガン・スタンレー銀行が、三菱UFJに買収されたときの値よりも、現在、モルガン・ス
タンレー銀行は、さらに高い値になっているという。
529ベーシスポイントというのは、そういう数字らしい。)

 ほかにバンク・オブ・アメリカが、458ベーシスポイント。
野村ホールディングズが、340ベーシスポイント。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収している。
なおイタリアでは、主要金融機関のCDS値が、軒並み400〜600ベーシスポイントに上昇し
ているという。

 あとの判断は、私たち読者がすることになる。
ただここで言えることは、ただひとつ。
銀行にせよ、証券会社にせよ、窓口の女性社員の言葉は、信用してはいけないということ。
こうしたことを問い合わせても、「心配ないですよ」と答える。
彼女たち自身も、何も知らされていないか、その上の上層部の社員に操られているだけ。
私も、(及ばずながら?)、何度も、過去に、苦い経験をしている。

 自分の頭で考え、自分で判断する。
株でもそうだが、「何とかなるだろう……」と、ズルズルと持ちつづけていると、たいてい紙くずに
なる。

 以上、暗い話ばかりで、ごめん。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【今日・あれこれ】

●10月15日夕方記

アメリカでデモが多発しているという。
事実はどうか知らないが、1%の富裕層が、アメリカの99%の富を独占しているという。
それに対する抗議のデモという。
フ〜ン?
豊かな国で、豊かな生活をしている人たちが、デモをしている?
「私たちは99%」というのが、シュプレヒコールになっているという。

 しかしこれはおかしい。
世界の富の99%を、アメリカが独占している。
……という数字は誇張だが、今まで世界の富を集めるだけ集めてきたのは、アメリカ自身では
ないのか。
アメリカへ行ったことのある人ならみな知っていると思うが、郊外へ行くと、日本ではまず見ら
れない大豪邸(マンション)が、ズラリと並んでいる。
ふつうの大豪邸ではない。
サウナルームあり、プールあり、トレーニングルームあり……という家は、当たり前。
映画などで見ると、それほど大きく感じないかもしれない。
が、現実に家の中に入ってみると、ゾッとするほど、広くて、大きい。

 一部屋だけで、日本の家の1軒分はある。

 そういう国の人たちが、今、デモをしている(?)。

●正義

 ただ誤解してはいけないのは、デモをしている人たちが、「正義の人」かというと、そうではな
いかということ。
不公平に抗議するのはわかる。
しかしそういう人たちだって、自分自身が富裕層に入れば、その時点で口をつぐむはず。
わかりやすく言えば、これほど正義感のあいまいなデモはない。

 辛らつな言い方をすれば、うっぷん晴らし。
こんなデモを繰り返しても、問題は何も解決しない。
しないばかりか、ドルの力を弱くするだけ。
ドルの力が弱くなれば、その分だけ、アメリカの国力は低下する。
回り回って、アメリカはますます貧しくなる。

 平たく言えば、今の今ですら、アメリカの「ドル」は基軸通貨。
言うなれば、ピカソの絵。
(日本の「円」は、よく見て、広重の絵。
世界の人は、あまりほしがらない。)
印刷しても、印刷しても、世界の人たちは、そのドルをほしがる。
だからアメリカはアメリカでいられる。

 その「ピカソの絵」を支えているのが、ウォール街。
ウォール街は、その司令塔のような存在。
もしウォール街が傾けば、アメリカ全体も傾く。

貧富の差は、ブッシュ前大統領が、富裕層の減税を実施したときから始まる。
それがここにきて、「矛盾」として噴き出した。

●資産の逃避

 一方、週刊誌「週刊現代」によれば、資産の逃避がつづいているという。
株、外債からの逃避などなど。
しかも一時は「塩漬け」と決め込んだものの、それにも耐え切れず、逃避する人もふえていると
いう。
(そういう人は、それを「恥」と思うのか、口に出して言わないが……。)

A氏の妻は、昨日、私にこう言った。
たまたま昨日、A氏に電話をかけたときのことだった。
A氏は、昼食にでかけていて不在だった。

「主人は、株が好きでねえ……」と。

声が沈んでいた。
それでA氏が株で穴をあけたのを知った。

私「早く逃げればよかったのに……」
A「病気みたいなものですから……」
私「ズルズルともっていると、あぶないですよ」
A「林さんのほうから、主人にそう言っていただけませんかア?」
私「わかりました。今夜にでもまた電話します」と。

●逃げ時

 何ごとにも、逃げ時がある。
その逃げ時に、モタモタしていると、傷口が大きくなる。
「まだ何とかなる……」「様子を見る……」などと言っていると、そのうち株にせよ、債券にせよ、
紙くずになる。

 ある経済誌によれば、この8月以降、現在、95%の一般投資家が、損をしているという。
平均して、10%程度の損失なら、まだよいほうだそうだ。
つまり10%程度の損失なら、思い切って「捨てろ」と。
今回の株大暴落で、資産を半分、さらには10分の1にした人もいる。

 逃げるに逃げられなかった?
これも週刊誌で読んだ話だが、あの3・11大震災のとき、東京電力株に投資していた人は、株
価の暴落で、大きな損失を被ったという。
東京電力株といえば、退職金の行き先にもなっていた。
私は知らなかったが、電力株というのは、そういう「株」だったらしい。
独占企業体だし、電力会社がつぶれるはずはない。
みなが、そう考えた。

 が、結果は、みなさん、ご覧の通り。
(2月はじめに、2197円、昨日の終値は、215円。)

 株というのは、儲かっている間は、それを喜ぶ。
手放さない。
しかし世の中、何が起るかわからない。
その起きたとき、損をする。
リーマンショックあり、大震災あり、大恐慌あり……。
そういうときにまとめて損をする。
 
●小5のIGさん

 昨日、小5のIGさん(女児)がこう言った。
「私、SR進学塾にも通っている」と。
隣にいたMTさん(女児)がそれを聞き、「受験するの?」と。
するとIGさんは、「ううん、ただ通っているだけ。中学も高校も、ふつうの学校にする」と。

 ……今、そういう子どもがふえている。
子どもというより、親の意識が変わりつつある。

●外へ出る

 もう10年ほど、前のこと。
名前は忘れたが、こんなことを言っている祖母がいた。
「へたに学力をつけると、外へ出て行ってしまうから、子どもには学力をつけさせない」と。
そのため、「勉強しなさい」と子どもを叱る母親と、「勉強なんかしなくてもいい」と諭(さと)す祖
母との間で、嫁姑戦争が起きている、と。

 当の母親からそういう相談を受けたときには、「何という祖母!」と思った。
……というか、当時の私の常識には、まったく反していた。
が、今にして思うと、その祖母には、祖母の哲学があった。
「外へ出て行ってしまう」ということは、家族崩壊を意味する。
「崩壊」とわからないまま、崩壊してしまう。

●家族崩壊

 「家庭崩壊」ではない。
「家族崩壊」。
たとえば欧米では、「家族」というときは、そこには「祖父母」は含まれない。
両親と子どもたち。
それを「家族」という。

 それが欧米では常識になっているから、子どもが社会人になってからは、祖父母がその下の
親子関係に顔を出すことは、まず、ない。
(国や地方によっては、祖父母とのつながりを大切にするところもあるが……。)
祖父母は祖父母として、それまでの家族から自らを切り離し、独立して生計を立てる。
子どもは子どもで、今度は自分たちの「家族」を作り始める。

●「経済的に余裕があれば……」

 もう何度も書いてきたが、総理府(現在の内閣府)は、毎年青少年の意識を調査している※。
それを見ても、「将来、親のめんどうをみる」という若者は、どんどんと減っている。
10年前(2000年ごろ)でさえ、28%前後。
3人に1人もいなかった。
多くは、「経済的に余裕があれば……」という条件をつけている。
が、こういう世相。
経済的に余裕のある若者(若い世代)など、まずいない。
以前書いた原稿を添付する。

●希薄になる親子関係(資料)

 自分の子どもが行方不明になれば、親は、必死になってその消息を
求める。
が、子どものほうは、どうか。
つぎの調査結果をみてほしい。
それが結論ということになる。

あるいは親子というのは、もともとそういうものなのか。
またそう考えてよいのか。

 今どきの若者たちに、親が、「親のめんどうはどうするのか?」と聞くと、こう答える。
「お前は(=親は)、見返りを求めて、オレたち(=自分)を育ててきたのか!」と。
あるいは気持ちをたずねただけで、「干渉」という言葉を使って、はねのける。

 日本と韓国は、双子国と揶揄(やゆ)されるほど、中身がよく似ている。
日本人の親子関係も希薄なら、韓国人の親子関係も希薄。
もう一度、日本の内閣府がした調査結果を、よく見比べてみてほしい。

+++++++++++++++

●第8回世界青年意識調査より

(将来、親のめんどうをみるか?)

年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか

『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%


★将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?

自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。


★「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』(2)
イギリス  70.1%、
アメリカ  67.5%、
フランス  62.3%、
日本  47.2%、
韓国  41.2%
(以上、内閣府、平成21年調査より)


++++++++++++++++


 ここでは何も書きたくない!

 この数字がすべて。
しかしこの問題は、結局は自分人に返ってくる。
それとも今どきの若者たちは、永遠に、若いままと思っているのだろうか。
もしそうだとするなら、これほど、オメデタイ話はない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内閣府 親子関係 どんなことをしてでも親のめんどうをみる 親の
めんどう 親のめんどうをみる 成人男女の意識調査 はやし浩司 将来親のめんどうを
みる 親を養う)

●掛け軸の言葉

 が、多くの親たちは、「うちにかぎって、そういうことはない」と思い込んでいる。
つまり幻想にしがみついている。
しかし幻想は、幻想。
いくら親ががんばっても、子どもたちは子どもたちの世界で、自らの哲学を作り上げていく。
親がもっている価値観など、子どもたちの世界では、床の間の掛け軸ほどの意味もない。
いくら立派なことが書いてあっても、ただの飾り。
意識というのは、そういうもの。

 社会へ出たとたん、吸い取り紙が水を吸い取るように、周囲の哲学を吸収していく。
それがわからなければ、あなた自身を観察してみればよい。
あなたは将来、親のめんどうをみるか。
その意識はあるか。

●社会的重圧感

 たいていの人は、「もちろんある……」と答えるだろう。
が、待ったア!

 その意識にしても、相対的なもの。
私たちの世代は、外に出たものは、そのほとんどが、実家への仕送りを欠かさなかった。
私の意識というよりは、それが当時の常識だった。
私も、吸い取り紙のように、周囲の常識を吸収していた。
みながそうしていたから、私もそうした。

 今のワイフと結婚するときも、毎月、実家への仕送りが条件になっていた。
毎月だぞ!
だからワイフは結婚してからも、以後、私が45歳になるまで、一度もそれを欠かさなかった。
それだけではない。
27歳ごろからは、実家での冠婚葬祭の費用、さらには税金の支払い、商品の購入代金の支
払いまで、私が負担するようになった。

 が、経済的な負担というより、社会的な負担……「重圧感」と書いた方が正確かもしれない
が、それには相当なものがあった。
母は、冠婚葬祭だけは、派手にやった。
そのたびに、20万円〜30万円の現金が消えた。

 その哲学と、私の哲学が、まっこうから対立した。
私はそれを乗り越えなければならなかった。

●恋愛第一主義

 私たちの世代にとっては、「親のめんどうをみる」というのは、それをいう。
またその程度のことをして、はじめて、「親のめんどうをみた」となる。
が、その意識も変わった。
盆と暮れに実家へ帰る程度で、「親のめんどうをみている」と、多くの若い人たちは考えてい
る。
が、今ではそれすらしない若い人たちもふえている。
多くは、結婚したとたん、「ハイ、さようなら!」。
おかしな恋愛第一主義が、はびこっている。

 古い世代と思われるかもしれないが、私たちの時代には、そうではなかった。
親の許可がないと、結婚できなかった。
が、いまどき「許可」を求める若い人たちはいない。
恋愛したとたん、それがすべて。
後先のことも考えず、「結婚します!」と。
「恋愛」を、一世一代の大仕事と誤解している。
が、そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしている。
サルでもしている。

 (だからその一方で、離婚率も鰻上り。
現在離婚率は、30%近くになっている※。)

(注※……離婚率の算出の仕方はむずかしい。
たとえば平成19年度に結婚した人の数が719,822人に対して、離婚した人の数は254,832とな
っている。
単純に、離婚した人を、結婚した人の数で割ってみると、35・4%という数字が出てくる。)

●無縁老人

 それもあって独居老人がふえている。
しかも従来、親子関係が濃密と思われていた農村部で、ふえている。
もちろん都会部でも、ふえている。
この先すぐ、つまり私たちが後期高齢者になるころは、約60%の人たちが独居老人になると
言われている。

 が、今はさらに一歩進んで、「無縁老人」。
それもそのはず。
2050年には、1・2人の勤労者が、1人の老人を支えなければならなくなる。
(現在は、2・6人の勤労者が、1人の老人を支えている。)
少子高齢化の問題が、いかに深刻なものであるかは、この数字を見ただけでもわかる。
「2050年」と言えば、39年後。
あなたの年齢に、39歳を足してみればよい。
それがあなたの老後ということになる。

●加山雄三
 
 どうしてこのエッセーに、「加山雄三」が出てくるか?
理由は簡単。
あの加山雄三がギターを片手に、「♪二人を夕闇がア〜」と歌った。
そのとたん、日本人の意識は大きく変わり始めた。
すでにその時、底流はあったのかもしれない。
ともかくも、そのときから、恋愛至上主義が始まった。

 いや、ひょっとしたら、私たちは「恋愛」の中に、「自由」を見たのかもしれない。
それまでの私たちは、体中を、ぐるぐると取り巻いていたクサリに、もがき、苦しんでいた。
加山雄三はアメリカ式の恋愛映画を見せてくれることで、それを取り除いてくれた。
たとえひと時の幻想ではあっても、甘い夢を見ることで、自分をなぐさめることができた。

 加山雄三がまちがっていたというのではない。
加山雄三は、そのクサリを解いてくれた。
が、今、そのクサリを解きすぎてしまった。
ユルユルから、パサパサに。

●親としての限度

 老後は、確実にやってくる。
それもあっという間にやってくる。
私自身もそうだった。
つまり私も、20代、30代のころは、老後なんて、ありえない世界のように考えていた。
だから50歳になった人を見たとき、とんでもないジーさんのように感じた。

 が、その私ももうすぐ64歳になる。
そういう自分を振り返ってみても、「あっという間」だった。
つまり今、もしあなたが、「老後の問題など、私には関係ない」と思っているとしたら、それはと
んでもないまちがい、ということになる。

 回りくどい言い方をしたが、あなたはあなたで、自分の老後を最優先で考えたほうがよい。
子どもは子ども。
子どもの学費は学費。
しかしそこには一定の限度をしっかりともつ。
「親としてやるべきことはする。しかし限度を超えてはしない」と。

 でないと、……というか、現実に、60歳の定年退職時に貯金ゼロという家庭は、現在50%も
いる(S生保会社調査)。
全体でも約33%程度の家庭は、貯金ゼロ(財務省)。
年金など、もしあなたが公務員でないなら、まったくアテにならない。
そんな状態で、どうやってこれからの老後を生きていくというのか。

●親子関係の復権

 IGさんが、そう言ったとき、私はすかさず、こう言った。
「君のお母さんは、賢い人だよ」と。
「あなたも、お父さん、お母さんの近くで住みなさいよ」と。
言い忘れたが、IGさんは、ひとり娘。
それを聞いて、IGさんは、にっこりと笑った。

 が、これはけっしてIGさんの両親のことだけを考えてでのことではない。
IGさん自身にとっても、そのほうがよい。
そうでなくても、……つまり家族の絆があっても、生きていくだけでたいへん。
こんな世の中で、家族がバラバラで、どうやって生きていくというのか。

●日本の将来

 とても悲しいことだが、日本の将来は、暗い。
この8月から始まった大不況を契機に、日本も、やがてすぐ他のアジアの国々と同等、あるは
それ以下になる。
日本人が外国へ出稼ぎにいかねばならなくなる時代は、すぐそこまできている。
これは可能性の問題ではない。
確実な数字として、そう予測されている。

 わかりやすく言えば、きれいごとだけでは、子育てはできないということ。
それとも死ぬか、生きるかという瀬戸際に立たされたときでも、あなたは子どもに向かって、こ
う言うことができるか。

「親のめんどうはみなくてもいい。お前はお前で、自由に空をはばたけ」と。
羽ばたき方に、意味があるのなら、それもよいだろう。
が、それは怪しい?
それほどまでに意味のある仕事をしている人は、少ない?

 ……という悲観的な見方はさておき、現実は現実。
子育ても、その現実を見失っては、できない。

●私には理解できない

 高校生にしても、大学生にしても、今や携帯端末機は、必需品。
新SNSだの、スマホだの、さらにはi−Padだの、アンドロイドだの……。
話題はつきない。

 しかしそれほどまでの文明の利器を用いて、結局は、何をしている?
アホで馬鹿で、意味のない情報を回しあっているだけ。
つまりそれが今の日本の若い人たちを象徴している。

 たとえば今週号の「A」(パソコン誌)は、あのジョブズ氏の追悼記事を並べている。
前アップル社の会長である。
3人の識者(日本人)が、ああでもない、こうでもないと、ジョブズ氏を称えている。
が、私はそうは思わない。

 1978〜79年にかけての、あのホームパソコン(当時)の黎明期を直接経験している。
日本製のパソコンは、アメリカ製につぎつぎと駆逐されていった。
言うなれば、今、ジョブズ氏を称えるということは、サッカーの試合で、オウンゴールで相手を勝
たせた上、さらに相手の選手を称えるようなもの。
ジョブズ氏は、アメリカ人にとっては、英雄かもしれないが、私たちはアメリカ人ではない。
原爆を落とされた上に、マッカーサーを称えるような記事を書いて、みじんも恥じない。

●ペンタブレット

 話が過激になったので、話題を変える。

 今日、ワイフが誕生日プレゼントにということで、ペンタブレットを買ってくれた。
前からほしかった、Wacom社製の「Bamboo」。
描画ソフトが4種類も、おまけでついていた。

 が、今日は、どのひとつもじゅうぶん使いこなせいないまま、ギブ・アップ。
この世界も、格段に進化した。
つまり複雑になった。

 10年ほど前には、いろいろなソフトを使いこなしていたが、今日は惨敗。
明日は日曜日だから、もう一度、挑戦してみる。

 ……ということで、今日は、ここまで。
これからワイフと、「キャプテン・アメリカ」という映画を観てくる。
今夜が公開日。
あまり観たいとは思わないが、これもボケ防止のため。
がんばって観てくる。
2011/10/15記

Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月16日(破綻後の日本の教育)

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先週、証券会社に預けておいた債権の大部分を処理した。
来週中に、わずかに残った債権も処理する。
銀行への預金も必要最小限にとどめ、残りは引き出す。

++++++++++++++++++++++++

●日本の将来

 日本の将来を考えると、教育どころではなくなってしまう。
昨日も、ワイフと旧姫街道沿いを車で走ってみた。
20年前には、町工場がズラリと並んでいた。
が、今は見る影もない。
最後まで残っていた工場がひとつあったが、それも閉鎖。
赤い紙で、「貸し工場」とあった。
「今どき、工場を借りる人もいないだろうな」と思いつつ、その張り紙をながめた。

 日本がこうなった第一の理由は……。
行政改革(官僚制度の是正)の遅れ。
公務員の人件費だけで、26兆円余り(「週刊「ダイアモンド」誌・10・15)。
人件費だけだぞ!
国家税収(44兆円)の約60%!

 行政改革が叫ばれ、もう20年以上になる。
が、その間も、国の借金は増えつづける一方!

●旧国鉄

 私が現在の入野町という町に移り住んだのは、今から32年前。
その当時のこと。
町から入野町までの街道沿いの一か所に、国鉄の工場があった。
(今でも、ある。)
新幹線の定期検査、修理をする工場である。

 その工場の前では、毎日夕方5時になると、帰宅の労働者たちが柵の前にズラリと並ぶ。
5時の開門を待つためである。
そして5時の合図とともに、門が開き、どっと労働者が外に出る。

 が、実際の仕事は、午後4時(記憶によるものなので、不正確。4時15分?)。
帰宅前に「入浴時間」というのがあって、労働者たちは、入浴を済ませてから、門の前に並ぶ。

 が、それだけではない。
検査工場といっても、「午前、1仕事。午後、1仕事」と決まっていた(隣人の証言)。
つまり新幹線の検査は、1日、2列車(16x2車両)だけ。
たったの2列車だけ。
それ以上はしない。
「どうしてか?」と聞くと、「仕事が多すぎると、それだけ検査がおろそかになるから」(隣人)と。

 隣人は、検査の中でも車輪検査を受け持っていた。
新幹線が車庫に入ってくると、数人1組で、車輪を金槌で叩いて往復する。
その音で、車輪の不具合を確認する。
「だいたい1車両、30〜40分で済む」とのことだった。

 「では、みんな空き時間には何をしているか」と聞くと、こう教えてくれた。
「詰め所で、遊んでいる。酒を飲んでいるのもいたよ」と。
何も旧国鉄の職員を責めているのではない。
それがその当時の、旧国鉄の労働者たちの常識だった。

 なお、この「酒を飲んでいた」という話は、ほかの人たちからも聞いた。
「酒臭いのはいくらでもいたよ」(ワイフのテニスのコーチ、元旧国鉄職員)と。
その旧国鉄は、17兆円(当時)という莫大な債務を国(=私たち)に押しつけたまま、そのあと
民営化された。
17兆円だぞ。
そのあとすぐ、債務が20兆円に膨らんだという話までは、新聞か何かで読んだ記憶がある。
そのあと、それがどうなったかは、私は知らない。

●年金、月額30〜35万円

 で、その隣人も、55歳で退職。
私が住むこの町内は、当時、旧国鉄村と呼ばれるほど、旧国鉄からの退職者が多かった。
そのこともあって、月末になると、近くの郵便局には、年金を受け取る人の列ができた。
が、それは異様な光景だった。
それぞれの老人たちが、100万円近い札束を、鷲づかみにして、もって帰っていく。
年金は3か月ごとに、まとめて支払われることになっていた。
(今でも、この光景は変わらないが……。)

 で、私が郵便局長に聞くと、こう教えてくれた。
「国鉄だけは、退職日を、4月1日にしているのです。
ほかの三公社五現業は、3月31日ですがね」と。

 つまり1日、4月1日にずらすことによって、旧国鉄の労働者たちだけは、勤続年数を1年長く
していた。
(これは事実だから、疑う人は自分で調べてみたらよい。)
こうして旧国鉄の労働者たちは、平均して、月額30〜35万円の年金を手にしていた。

 旧国鉄の人に責任があるわけではない。
が、この傾向は、公務員社会では、そのまま今でも引き継がれている。
(詳しくは、週刊「ダイアモンド」誌、P30〜。)

●歴然とした官民格差

 ここにも書いたように、旧国鉄の労働者の人、1人ひとりに責任があるわけではない。
しかし旧国鉄は、その当時の、そして今に到る公務員天国を象徴していると言ってもよい。
週刊「ダイアモンド」誌によれば、こうある。

「守衛、運転手、用務員……同じような仕事をしていても、公務員は民間企業の2倍の給料が
もらえる。
官民格差は歴然としてある。給与だけではない。退職金も公務員なら、ばっちりだ」(「週刊ダイ
アモンド・10月15日号)と。
P27には、8職種についての比較が、棒グラフで示されている。
一例として、「役所の運転手の平均年収は、なんと民間の2・3倍」とある。

 もちろん退職金も高額。
「首都圏では、埼玉県が2151万円。
関西の兵庫県も2130万円と高水準だ。
対象を一般行政職を含む、全職種にまで広げると、その退職金額は、両県を含む多くの都道
府県で2700〜2800万円台と、大手企業も凌駕するレベルに達する」(同、P28)と。
3000万円を超える退職金など、公務員の世界では珍しくも何ともない。

 こうした退職金については、「退職手当債」なる地方債の発行で、それに充てている。
 
●年収500万円の人が、1億1500万円の借金

 一方で少子高齢化。
産業の空洞化。
さらに今回、(2011年8月以降)、日本は、通貨の切り下げ戦争で打つ手もないまま、敗れて
しまった。
今の円高が、その結果。

 この先、この日本がどうなるか?
国の借金だけで、800兆円というが、先にも書いたように、地方の自治体がかかえる借金もあ
る。
それらを含めると、すでに1200兆円を超えているという説もある。

 国の国家税収が、44兆円前後だから、1000兆円としても、約23倍!
年収500万円の人が、1億1500万円の借金をかかえているに等しい。
もちろんそんな借金、返せるわけがない。

●日本の外貨

 8月1日に始まった株価の大暴落は、一連の大不況の序章にすぎない。
「経済収縮」という言葉を使う人もいる。
で、今は、EUがかかえる債務問題、アメリカがかかえる貿易赤字問題だけが、大きくクローズ
アップされている。
しかし最終的にその行き着く先は、この日本と言われている。
日本がもつ、「外貨(ほとんどがアメリカ・ドル)」は、現在、中国についで世界第二位。

 よく「外貨」は、貯金にたとえられる。
が、外貨など、必要以上に多く持っていても、どうしようもない。
言うなれば、タンス預金のようなもの。
海外に投資して、はじめて生きる。
が、その外貨は、戦後ずっと塩漬け状態。

5%でも使おうものなら、アメリカの経済が破綻する。
つまりアメリカが使わせてくれない。

 世界は、今、虎視眈々とその日本の外貨にねらいを定めている。
「最後は、日本の外貨を奪え」と。

 ……その結果、もし日本の経済が破綻し、仮に1ドルが200円とか300円とかになれば、も
う日本には未来はない。
働く工場もない。
街には失業者があふれ、タクシーの初乗りが、1万円。
今度は日本人が、外国へ出稼ぎに行く番になる。

●「がんばろう、日本」?

 「がんばろう、日本」という言葉が、よく目につく。
3・11大震災について言った言葉だが、それもこのところ、虚しく聞こえる。
正直言って、「わかっていないなア」と。

 書斎の座右に、現在、チェルノブイリ事故に関する本が、数冊、ある。
そのどれを読んでも、放射線被害が表面化するのは、これから。
「2〜5年ごろから被害が出始め、10年後にピークを迎える」と。
つい数日前には、静岡県の伊東市で、規制値を超える乾しシイタケが見つかった。
「湯で煮て食べれば問題はないはず」などという、きわめて非科学的なことを、テレビカメラに
向かって、ある役人が言っていた。

 湯で煮ても、その湯がまたシイタケにしみこめば、同じこと。
つまり350キロも離れた伊東市でも、そういう被害が出ている。
相手が放射性物質では、がんばろうにも、がんばりようがない。
それに今回の大不況が、拍車をかけている。
何を、どうがんばればよいのか!

●自衛あるのみ

 週刊文春誌によれば、三菱UFJ銀行、ならびに野村ホールディングズの2社が、経営的に
「危ぶまれている」状態にあるという(「週刊文春10・20日号、P24、P25)。
(記事の内容については、週刊文春誌に責任を取ってもらう。)

 銀行はつぶれないというのは、もはや神話でしかない。
証券会社にいたっては、山一証券の倒産劇を見るまでもなく、国の支援はありえない。
我が身は我が身で、守るしかない。
(だからといって、あなたも同じことをしたらよいと書いているのではない。
私がここに書いたことを参考に、あなたはあなたで、自分で調べてみたらよい。
ネットで検索をかければ、即座に事実が把握できるはず。)

●最後に教育論

 ……ということで、今は、教育どころではない。
そんな思いが、心を塞ぐ。
考えるとしたら、破綻後の日本は、どう再起したらよいかということ。
その方法はあるのか。
またそのときに備えて、今の日本の教育は、どうあるべきなのか。
言うまでもなく、日本の資源は、「人」。
人しかいない。

 私はあの「ゆとり教育」を通して、自由な教育が生まれるものとばかり期待していた。
が、結果は、ご存知の通り。
「ゆとり」は「ユルユル」になってしまった。
が、一度緩んだバネは、元には戻らない。
戻すとしても、その何倍もの時間とエネルギーを消耗する。

 教育というのは、いつも20年後を見据えてする。
また20年後に結果が出てくる。
が、今のままでよいとは、だれも思っていない。
カリキュラムの段階から、大改革をする。
日本の未来は、それで決まる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の実践

 私の教室でしていることが正しいとは思っていない。
革新的だが、問題はある。
しかしひとつの例として、現在、私のしていることを、「公開教室」として、公開している。
このあたりまで、教育を、カリキュラムの段階から改革する。
それを日本が、先行する。
世界と同じことをしていて、どうしてこれからの日本が生き残っていくことができるのか。

【BW公開教室】

興味のある方は……

http://bwopenclass.ninja-web.net/page018.html

★小1児に正負の計算を教える

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/1f7eAPqcxuc" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

★小1児に分数を教える

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/RZJqFr9BYeI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

★年長児に方程式を教える

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/rxGcApAaDmk" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●自画像(ペン・タブレットを使って……)

++++++++++++++

とりあえず、ペン・タブレットを
使い、自画像を描いてみた。
WACOMのBambooを
使って描いた処女作。

まずは、お笑いあれ!

++++++++++++++

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/10/img6e3da83fzik2zj.
jpeg" width="438" height="320" alt="ページファイル.jpg">

表示を2分の1サイズにしてみる。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/10/img6e3da83fzik2zj.
jpeg" width="215" height="160" alt="ページファイル.jpg">

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『キャプテン・アメリカ』(2011年10月15日)

 昨夜遅く、映画『キャプテン・アメリカ』を観てきた。
ああいう映画は、肩が凝らない。
そういう点で高く(?)評価して、星は4つの★★★★。
随所で、私はハハハ、ゲラゲラと笑った。
娯楽映画なので、評価はそこまで。
いろいろ書きたいことはあるが、楽しめば、それでよい。
深く考えない。

 ただ3D映画は、率直に言って、疲れる。
見終ったあと、軽い頭痛が始まった。
今朝も、それがつづいていた。
市販の頭痛薬を、昼食といっしょに、のむ。
幸い、それで頭痛は、消えた。

 同じくワイフも、頭痛が起きたという。
今朝、「だいじょうぶか?」と聞くと、「もう、治った」と。
つぎに観たい映画は、『三銃士』、かな?
その映画も3Dとか?
空中戦が楽しみ。

●鳥

 庭先で、このごろ聞き慣れない鳥が鳴いている。
ピッと鳴いた後、チュクチュクピー、ピーチュクと。
かなりはげしい鳴き方である。
インコの鳴き方にも似ているが、こんなところにインコはいない。
ワイフもそれを聞いて、「あんな鳥、はじめてね」と。
ときどき窓の外を見るが、姿が見えない。
栗の木の間で鳴いている。

 この書斎の窓からは見えるはずだが、昨日の大雨のときから、雨戸は閉めたまま。
雨戸を開ければ、鳥の姿が見えるかもしれない。
今夜にでも雨戸を開けておこう。

 居間にはいつも鳥の図鑑が置いてある。
それを使えば、鳥の名前もわかるはず。
いつもそうだが、奇妙なもので、名前がわかるまで、どうも不安。
わかったとたん、安心する。
これはどういう心理的作用によるものなのか。

●運動不足

 この数日間、運動らしい運動をしていない。
ときどき20〜30分、歩くが、汗が出るほどではない。
そのせいか、腹のあたりを、重く感ずる。

 で、今、世界中で、格差反対のデモが起きている。
国によって事情がちがうらしい。
その「格差」。
「健康格差」という格差もあるという。

 概して言えば、裕福な人ほど、健康。
貧しい人ほど、不健康(?)。
貧しい人ほど、肥満やニコチン中毒になりやすいという。

 ウ〜〜ン?

 私が知っている範囲でも、夫が健康、妻が病気がち(あるいはその反対)というケースは、少
なくない。
こういうケースは、どう判断したらよいのか。

 ただ昨日、日本人の離婚率について調べていたときのこと。
離婚率というのは、経済指標と連動しているということがわかった。
町中が不景気になれば、離婚率は高くなる。
町中の景気がよくなれば、離婚率は低くなる。
景況感と離婚率のグラフが重ねて表示してあったが、ピッタシと重なっていた。

 この先、離婚率が高くなるのが、心配される。
(私たち夫婦も、あぶないが……。)

●リズム

 が、こういうことは言える。
借金に追われるような生活になると、生き様もどこか投げやりになるということ。
「健康管理どころではない」と。
そういう人は多い。

 そこで大切なことは、生活のリズムは崩さないということ。
週単位、月単位のリズム。
年単位のリズムというのもある。
そういう意味では、何かの仕事をもつということは、重要。
その仕事が、適度なリズムと緊張感をもたらす。

 ……とは言え、この先、年金の支給開始年齢が、最終的には70歳程度まで引き上げられる
という。
それもそのはず。
夫婦で、計70万円以上も年金を受け取っている人がいる。
(が、その一方で、子育て盛りの親は、青息吐息。)
こんなメチャメチャな年金制度を維持している国は、そうはない。

 ……そう言えば、週刊文春にこんな夫婦が紹介されていた。
まず偽装離婚をする。
偽装離婚したあと、妻側が、生活保護の申請をし、生活保護費を受ける。

 今、関西方面では、生活保護を受けている人があまりにも多く、市の職員にしても、いちいち
内情を調べたり、家庭訪問することができないのだそうだ。

 こういう人が多くなったら、日本の経済は本当に破綻してしまう。
まさに「非国民」。
「自分さえよければそれでいい」と。

●官民格差

 ああ、またグチぽくなってしまった。
こういう話を書いていると、私まで精神的に暗くなってしまう。
が、日本人も、そろそろ限界に来始めている。
アメリカやギリシアのことはさておき、この日本では、「官民格差」。
「貧富格差」というよりも、「官民格差」。
この是正を図らないと、日本でもデモは起きる。
(すでに起きているが……。)

 まあ、どうであれ、日本の経済は、そのうち破綻する。
可能性の問題ではなく、時間の問題。
日本の経済も、もう救いようがないところまできている。
……というか、それを通り越してしまっている。
家計が苦しくなったら、支出を切り詰める。
そんな小学生もわかるようなことを、日本はしてこなかった。
それも30年とか、40年前にすべきだった。

 ……ア〜ア、もうやめよう、こういう話は……。
私も、もうどうでもよくなってしまった。
「なるようになれ!」と。

 昨夜も劇場から帰るとき、鍛冶町から有楽街(浜松イチの繁華街)を歩いてみた。
が、そこは若者たちのたまり場。
夜の11時近くだったが、祭の日のように、にぎわっていた。
5〜20人のグループを作って、若者たちが、大声を出して騒いでいた。
その昔は、仕事帰りのサラーマンたちの世界だった。
が、今は、若者たち。

 学生なのか?
私服を着たサラリーマンなのか?
見た感じ、男は茶髪、長髪……。
女は、ファッション雑誌から抜け出たような服装。
挑発的な服装。

 私とワイフは一列になり、その群衆の間をかき分けるようにして、帰り道を急いだ。
時は2011年10月15日夜。
今は、2011年10月16日、夕刻。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●子どもの心とその形成期

=====子どもの心は、いつどのように作られるか=====

【第一の方向性】

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳〜2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。混然一体となり、一次曲線的に形成されていくので
はない。たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。エリクソン(※1)という学者は、この時期を
「信頼関係の構築期」と位置づけている。信頼関係…つまり母子の間における信頼関係をい
う。
 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。さらにひどくなる
と、情意(心)と表情が、一致しなくなる。指導する側から見ると、「何を考えているか、わからな
い子ども」ということになる。これは子どもにとっても、不幸なことである。良好な人間関係を結
べなくなる。そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。
 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。しかし心が閉じているから、外の世界になじめ
ない。その分だけ精神疲労を起こしやすい。ときに傷つく。それを繰り返す。
そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を
使って説明した。
 2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。
が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。離れると寒い。だから2匹のヤマアラシは、一晩中、
くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。1匹は、保健所で処分される寸前の犬。これをA
犬とする。人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということになる。

もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。私の家に来てからも、しばらく
は、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。これをB犬とする。
 2匹の犬は、性格がまったくちがった。A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。そのた
め番犬にはならなかった。おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。道路で見つけても、叱られ
るのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。
 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。私の言いつけもよく守
った。もちろん番犬になった。見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。
 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。一方、B犬と私は、最後まで深
い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。心は性格として定着する。「私」がない分だけ、自分を偽る。仮
面をかぶる。おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。おとなの前で、いい子ぶった
りする。イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。
 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切にする。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。つまり子どもの側からすれば、「どんな
ことをしても許される」という安心感。母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容
力。この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。が、不幸にして不幸
な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、生涯に渡ってその子
どもは、重い十字架を背負うことになる。

●親子の絆

 親子の絆にしても、そうだ。最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)
(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、
最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。それを刷り込みというが、そのとき親子の絆
は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
 人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。この時期を「敏感期」
と呼ぶ学者もいる。この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとって
も、わかる。

●子どもを愛せない母親

 その一方で、子どもを愛することができないと、人知れず悩んでいる母親も多い。東京都精
神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%もいる
ことがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研
究所調査・有効回答500人・2000年)。
 私が同時期に浜松市で調査したところ、「10%」という数字が出てきた。程度の差もあるが、
「兄は愛せないが、妹は愛せる」という母親も含めると、10%になる。
 また虐待についても、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているという。
(妹尾栄一調査)。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」など
の17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「しば
しばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、
有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、61%であったとい
う。
 母親だから子どもを愛しているはずと決めつけて考えてはいけない。

●世代連鎖

 ついでながら、虐待について一言。『子育ては本能ではなく、学習である』。とくに人間のよう
な高度な知能をもった動物ほどそうで、親に育てられたという経験が身にしみていてこそ、今度
はその子どもが親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。あるいは親から受け
た子育てを、そのまま繰り返す。これを「世代連鎖」という。
 つまり子育てとは、子どもを育てることではない。子どもに子育ての仕方を見せる。見せるだ
けでは足りない。しみこませておく。「家族というのはこういうものですよ」「夫婦というのは、こう
いうものですよ」「親子というのはこういうものですよ」と。
 それがよい世代連鎖であれば、問題はない。が、そうでなければそうでない。たとえば昔から
『離婚家庭で生まれ育った子どもは離婚しやすい』と言う。
 「離婚が悪い」と書いているのではない。離婚率も今や35%(平成19年)に達している。(25
万件(離婚届数)を72万件(結婚届数)で割ってみた。)離婚そのものは、子どもの心にはほと
んど影響を与えない。離婚に至る家庭騒動が、影響を与える。どうか誤解のないように!
 とくに世代連鎖しやすいのが虐待ということになる。親が子どもを虐待するのはしかたないと
しても、今度はその子どもが自分の子ども(孫)を虐待するようになる。それを見て、そのとき親
が、「しまった!」と気づいても遅い。つまり虐待はしない。

●心の病気の(種)も乳幼児期に

 さらに心の病気についても、その(種)は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。たとえば九
州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親
から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。
 さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあ
るという。それが成人してから、うつ病につながっていく(同氏)、とも。

●自己中心性

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。ものごとを、
(自分)を中心にして考える。「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなものは、他人
も嫌い」と。
 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思いこむ。
自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これをピアジェは、「アニミズム」と名
づけた。心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、この時期の子ども
の心理を説明する。
 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。風にそよぐカーテ
ン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考える。……というより、
生物と、無生物の区別ができない。
 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考える心
理をいう。ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを
念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別ができな
い。
 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつくられた
と考える心理である。人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子ども
は、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう心理は、乳幼
児の人工論によって、説明される。
 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されていく。し
かしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには青年期を迎え
ることがある。

●原始反射

 なお乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ちゃんに
は、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反射の多くは、
生後3〜4か月で、消失してしまうことが知られている。その原始反射には、つぎのようなもの
がある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。バビン
スキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、親指がそり
かえり、足の指が開く現象をいう。赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくよう
なしぐさを見せることをいう。ドイツのモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ば
れている。口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口
にくわえようとする現象をいう。自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心を
かけると、左足を前に出そうとする。これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように
見えることをいう。マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっす
ぐになる現象をいう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると言われて
いる。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、赤ち
ゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。もうひとつは、いわゆるネオテニー進
化論の問題である。要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こうした現象となっ
て、現れるのではないかということ。本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内
で経験し、誕生するまでに消失しているべきということになる。つまりわかりやすく言えば、人間
は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の時代
からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形にもなるとい
う。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れるとも考えられる。

【第2の方向性】

【幼児期前期・自律期】(2〜4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。「マシュマロテス
ト」というのが、それである。そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介させてもらう。

『…スタンフォード大学の附属幼稚園で、4歳児を対象に、マシュマロテストと題したつぎのよう
な実験がおこなわれた。実験者が4歳児に向って、「ちょっとお使いに行ってくるからね、おじさ
んが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つあげる。でも、それまで待
てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。そのかわり今すぐ食べてもいいけどね」と。
 その間、約20分。最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子どもと、そうで
ない子どもに分かれた。その4歳児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。
 マシュマロ2個の子どもは1個の子どもに比較して、高校において、学業面ではるかに優秀
で、社会人になってからも高い社会性を身につけ、対人能力にも優れ、困難にも適切に対処で
きる人間になっていた…』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験をつぎのよう
に結んでいる。いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、あらゆる努力
の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得ながら目標に向って
長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」(同サイト)と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォル
ター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされて
いる。
 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループの間
で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグループは、た
とえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグループに200点以
上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんして
する力」のことをいう。一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということ
にはならない。好きなことをしているだけである。ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生
ゴミを手で始末させてみるとよい。背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよ
い。そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子
どもということになる。
 もちろんこのタイプの子どもは、学業面でも伸びる。というのも、もともと(勉強)には、ある種
の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。この時期を通して、幼児は、してよいことと、し
てはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。前回教えたこととちがったことを言うと、
「ママは前にこう言ったじゃない」と抗議したりする。「幼稚園の先生はこう言った」と言って、親
をたしなめるのも、この時期の子どもの特徴である。それが正義感へとつながっていく。
 そのためこの時期をとらえ、うまく指導すれば、あと片づけのしつけがたいへんうまくいく。花
瓶の位置がずれていただけで、それが気になり、元の場所に戻そうとする。そうでなければそ
うでない。行動そのものが衝動的になり、生活態度そのものが、だらしなくなる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その緊張
感の中に巻き込む。「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもたせるよう
にする。親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもってこい」は、な
い。
 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、子どもへ
の愛の証であると誤解している人は多い。あるいはより高価なプレゼントをすればするほど、
親子の絆は太くなると誤解している人も多い。しかし誤解は誤解。そんなことを繰り返せば、子
どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。やがて手がつけられなくなる。
 そこでイギリスでは、こう言う。『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやるより、い
っしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【第3の方向性】

【幼児期後期・自立期】(4〜5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分
のことは自分でしなと言い返したりする。生意気になりながら、自立をめざす。
 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
 ウソについては、2歳前後から始まる。ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
 つぎに暴言。自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐く
ようになる。「ババア」「ジジイ」「バカ」など。暴言を許せというのではない。暴言を言えないほど
まで、子どもを抑えつけてはいけない。適当にあしらい、あとは無視する。私のばあい、つぎの
ような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。「ビダンシ(美男子)」と。それ以後幼児たちは、喜んでその
言葉を使う。私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得した、損した)
は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。この時期に、欲望を金銭で満たす方法を覚え
ると、あとがたいへん。幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校生になると1万円、さ
らに大学生になると10万円になる。
 さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようにになる。買
い物依存症がその一例ということになる。必要だからそれを買うのではない。欲しいからそれ
を買うのでもない。(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。
 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっくりと説
明する。激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られじょうず」になるだ
け。いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れようとする。もちろん説教と
しての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に
備わっている。そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。が、かえってその自立
心をつぶしてしまうことがある。親の過保護、過干渉、溺愛である。とくに過干渉が、こわい。
 親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉
児」になる。子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。発達心理
学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしま
う。
 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。親の過干渉にやりこめ
られてしまった子どもが萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが粗放児というこ
とになる。兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。が、簡
単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさ
い」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。食事面の過保護、行動面の過保護など。何か心配の種が
あり、親は子どもを過保護にする。「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。
 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。「あの子は悪い子だ
から、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだめ」な
ど。
 子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。で、その結果として、子どもは過保護児になる。いつ
も満足げで、おっとりしている。が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、それに抗議する
こともできない。そのまま明け渡してしまう、など。だから昔からこう言う。『温室育ち、外ですぐ
風邪をひく』と。
 また溺愛は、「愛」ではない。たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、親は
子どもを溺愛するようになる。つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利用する。
 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。また別のある母親は、
私にこう言った。「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしいです。一
日中、看病できると思うと、うれしいです」と。
 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。子どもはちょうど、飼
い主の胸に抱かれた子犬のようになる。だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」(失
礼!)と呼んでいる。飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。あるいは努力の割には、効果
があがらない。心についても、そうである。
 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。先に書い
た、あと片づけのしつけも、そのひとつ。
 で、幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。
『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(=人)の人格の「核(コア)」にな
る。言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。「この子はこういう子である」
と認めた上で、教育を組み立てる。へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子ども
になってしまう。

【第4の方向性】

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳〜)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になって
しまった。天井が落下した。その直後、この浜松市から250人もの応援部隊が、栃木工場に
向かった。
 一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。また
被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。日本人が培っ
た勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮された。
 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育まれる。いろいろ問題点がないわけ
ではない。世界のすう勢は、自由教育。EUでも、大学の単位は共通化された。アメリカでは、
ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超え
た。現在、推定で200万人はいるとされる。ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでとい
う教育形態が、ふつうになっている(中学生)。カナダでは、学校の設立さえ、自由である。
 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学
校教育には、すぐれた面も多い。この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、こう書いた。
「これこそまさに日本人の美徳」と。この言葉に異論はない。

【青年期・同一性の確立期】(12歳〜)

●同一性の確立

 児童期のあと、子どもは思春期前夜(精神的に不安定になる)、思春期へと進んでいく。この
時期の、言うまでもなく最大かつ最重要の課題は、「同一性の確立」である。
 「私はこうありたい」という(自己概念)。「現実に私はそれをしている」という(現実自己)。この
両者が一致した状態を、「同一性」という。
 児童期の勤勉性と同一性の確立について、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中に
なって繰り返す。それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立していく。
 自我の同一性の確立している子どもは、強い。どっしりとした落ち着きがある。誘惑に対して
も、強い抵抗力を示す。が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりんの状態」になる。心理的
にも、たいへん不安定となる。非行にも走りやすい。その結果として、つまりその代償的行動と
して、さまざまな特異行動をとることが知られている。
 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい自分を演じて、み
なの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型(集団の中で子分として地位を
確立する、非行補助)など。
 もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。「タバコを吸ってみないか?」と声をかけら
れると、「うん」と言って、それに従ってしまう。断ることによって仲間はずれにされるより、その
ほうがよいと考えてしまう。
 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正されたりという
ことは、ほとんどない。

●夢と希望、そして目的

 ただ残念なことにこんな調査結果もある。
子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一
日を終える子どもは、男子で30%、女子で35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の
小学生3226人を対象に、04年度調査)。
 が、これではいけない。自我の同一性どころではないということになる。子どもの夢を大切
に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

【終わりに……】

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3方
向から、見直され始めている。「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、い
まだにのさばっているのは、残念としか言いようがない。むしろ事実は逆。
 幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎない。かつて
イギリスの詩人、ワーズワース(1770〜1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれの日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。この言葉のもつ重みを、もう一
度、心にしっかりと刻みたい。


注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902−1994)は、発達心理学者、
精神分析家。「アイデンティティ(自我の同一性)」の概念を提唱したことで知られる。ここではエ
リクソンの心理発達段階論を取りあげた。エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期
から少年期までを、つぎのように区分した。(1)乳児期(信頼関係の構築)(2)幼児期前期(自
律性の構築)(3)幼児期後期(自主性の構築)(4)児童期(勤勉性の構築)(5)青年期(同一
性の確立)

注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、合計
2400点満点で評価される。

注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、刻印づけのこと。コンラート・ローレン
ツの研究で世界に知られるようになった。

注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司(改)

●10月17日朝記(雑記)

●肥満

 おもしろいソフトを見つけた。
人の顔を肥満体に変身させるソフトである。

 さっそくそれを使って、自分の顔を変身させてみた。

(元の写真)
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/97/img6611a2eazik1zj.
jpeg" width="500" height="500" alt="浩司2011.jpg">

(変形させた顔)
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/98/img1a5c2b0czikdzj.
jpeg" width="466" height="466" alt="PhotoFunia-76ef52.jpg">

 ワイフにそれを見せたら、ワイフがゲラゲラと笑った。

●私の好物

(特等)缶詰の鯨肉(最近は牛肉)に、ネギをまぶしてフライパンで炒めて、それをご飯にかけ
て、食べる。

(1位)白いご飯に、削り節を多めに載せる。
その上から醤油を軽くかける。
箸で、削り節と醤油と、その下の白いご飯をかき混ぜながら食べる。

(2位)白いご飯と、マグロもしくはカツオの缶詰をそのまま混ぜて食べる。

(3位)生ハム、もしくはソーセージにケチャップをかけ、そのまま食べる。

 どれも私が子どものころ、……というか、戦後のあの時代には、みなが食べたもの。
今の若い人たちには信じられない話かもしれないが、それでも当時は、ごちそうだった。
卵などという高級食材は、めったに食べられなかった。
当時ですら、つまり私が小学生のころですら、1個15〜20円前後もした。
小遣いが5円、10円の時代である。
うどんが一杯、30〜70円。
お好み焼きが、一皿、20〜30円前後。

 そうそう江戸前寿司が、一人前、210円だったのを、記憶している。
超高級料理だった。
当時は冷凍設備も貧弱で、内陸部では、生鮮魚そのものが手に入らなかった。
私が小学3〜4年生のころのことだった。

 その代わりというのもおかしな話だが、鰻丼などは、比較的安かった。
町の北を長良川が流れていて、そこで鰻が捕れた。

●質素

 昔の人たちは、質素なものを食べていた。
たとえば旅館の料理にしても、魚の焼き物と味噌汁程度だったという(明治時代)。
何かの本でそう読んだことがある。

 また駅弁にしても、当初は、おにぎりに梅干し程度だったという。
それを知っただけでも、私たちが今、いかにぜいたくなものを食べているかがわかる。

●昼寝

 ところで昨日(10月16日)のこと。
いつものように昼寝をした。
1〜2時間、眠った。
が、ハーハーと体内が燃えるように熱いのを知った。
風邪ぽいかなとは思っていたが、発熱?
「とうとう熱が出てきた」と。
脈も速い。

 横を見ると、ワイフも昼寝をしていた。
で、ワイフにこう言った。
「おい、熱が出てきたみたい……」と。
するとワイフは、うるさそうにこう言った。

「バカねえ〜。気温が29度もあるからよ」と。

 あとでわかったことだが、東京では真夏日だったとか。
前線が通り過ぎ、急に暑くなった。

●鰻(うなぎ)

 鰻の話をもう少し。

 長良川では、鰻が捕れた。
夕刻しかけを川に沈めておくと、朝には、2〜3匹、捕れた。
今のような養殖鰻ではない。
天然の鰻。

 しかし鰻というのは、調理が難しい。
だから捕っても、自分で食べるということは、めったになかった。
鰻丼屋へもっていくと、一匹いくらというふうに、買ってくれた。

 私の住む町には、3軒の鰻丼屋があった。
どこもおいしかったが、実家の上手にある鰻丼屋が、とくにおいしかった。
焼き方がちがうせいもあるが、その店の鰻丼の鰻は、歯ごたえがあった。
一方、浜松で食べる鰻丼の鰻は、どれもフニャフニャ。
残念ながら、「おいしい」と思ったことは、一度もない。

●削り節

 昨夜、久しぶりに、削り節を白いご飯の上にかけて食べた。
醤油を少したらすと、おかずとして食べられる。

 ……おいしかった!
腹の胃袋に、そのままそのうまみが、しみこんでいった。

 が、削り節といっても、ダシを取るときに使うような安いもの。
そのほうが、うまい。
高級な削り節は、味が薄い。
口に合わない。
だからダシを取るような削り節。
子どものころは、毎日のようにそれを食べた。

●運動不足

 このところやや運動不足。
自分でも、それがよくわかる。
その分、食事の量を減らしているが、そういうときというのは、腹ばかりふくらんでくる。

 今夜は自転車に乗ろう!
……と今、心の中で決めた。

 ところで昨日もそれについて書いたが、「健康格差」という言葉もあるそうだ。
それはその通りで、同じ63歳でも、本当にジジ臭くなってしまった人がいる。
その一方で、若々しく見える人もいる。
私の年齢になると、プラスマイナス10歳くらいの差は出てくる。
そのちがいは何かというと、改めて書くまでもなく、健康管理。
その第一が運動ということになる。

 もちろん精神の健康も重要。
しかし第一が運動。
つまり運動をサボったら、その日を境にジジ臭くなる。

●「くたばりそこない」

 長生きした女性が、こう呼ばれているそうだ(「女性公論」今月号)。
「くたばりそこない」と。

 ワイフが読んでいた雑誌なので、見出ししか見ていない。
そこにそう書いてあった。
しかしひどい言葉だ。
「くたばりそこない」。

 が、実際には、そういう人は少なくない。
『憎まれっ子、世にはばかる』とも言う。
嫌われ者ほど、長生きをする。
……というか、本当は、みな、平等なのだが、そういう人ほど、目立つ。
つまり死は、みなに平等にやってくる。
憎まれている人ほど、長生きするというわけではない。
が、目立つ。
目立つから、「くたばりそこない」となる。

 ……やがて、この私も、そうなりそう。

●ペン・タブレット

 昨日、やっとペン・タブレットをそこそこに使えるようになった。
使いながら、一枚、絵を描いてみた。
途中で、いやになるほど、ヘタクソな絵になった。
で、ボツにしようかと考えたが、作品は作品?

 が、今日、それを楽天PhotoにUPしようとしたら、限度を超えていた。
「500KB以上はUPできません」と。

 ということで、その絵は、ここでは紹介できない。
内心ホッとしている。

 ……そろそろ朝食の時間。
今朝は、ここまで!

みなさん、おはようございます。
今日も、(今週も)、元気でがんばりましょう!
2011/10/17記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【活発に学ぶ子どもたち(Active Learners)】

●Happy LearnersからIndependent Thinkerへ。さらにActive Learnersへ。世界の教育の潮流
は、「活発に学ぶ子ども」に向かっています。言うまでもなく20年後の日本は、現在の子どもた
ちが作ります。もし日本が、ほかの国々と同じ教育をしていたら、この日本には未来はないだ
ろう。今、日本に求められているのは、世界の標準を抜き出た革新的な教育ではないだろう
か。

今日(2011/10/17)は、年中児に、「長さ」を教えてみました。活発に学ぶ子どもたちの声をお
聞き下さい。私はこういう声が、明日の日本を支えると確信しています。

(1)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/XPOi2Okzy_k?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/FWj3PrJuofU?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「週刊現代」誌(10・29日号)を読む

+++++++++++++++++++++++++++++++

昨日、ワイフが、「週刊現代」(10・29日号)を買ってきた。
ここが週刊誌のすごいところ。
新聞やテレビが報道しないことを、ズバリ報道する。
「言論の自由は、週刊誌によって守られている」と言っても過言ではない。
が、その週刊誌にもいろいろ。

「週刊新潮」や「週刊文春」は、どう読んでもおもしろくない。
「まちがったことは書かないぞ」という姿勢は、よくわかる。
しかしその分だけ、保守的(?)。
つまらない。

一方、「週刊現代」は、あえて火中の栗を拾いつづけている。
そのつど、私たちが知らなかったことを、気がつかせてくれる。
ということもあって、3・11大震災以来、私はほとんど毎週、週刊現代を欠かさず買っている。
書店で立ち読みするような失礼なことは、していない。

++++++++++++++++++++++++++++++

●島田紳助(週刊現代誌より)

 島田紳助が涙をこぼしながら引退宣言をしたあとも、みな、「紳助さん」と(さん)づけで書いて
いた。
が、そのあと、出てくるは出てくるは、醜聞の数々。
暴力団と関係があったというよりは、暴力団の構成員そのもの。
今回も週刊現代誌は、「吉本芸人とヤクザの関係、ぶちまけたる! 『汚い男・島田紳助』」と
いう記事を載せている。
そんなことは、あの顔を見ればわかるだろ……と書きたいが、人は顔で判断してはいけない。

 が、本当の問題は、ああいう人間が、テレビというマスコミの世界で、王様のように君臨して
いたこと。
島田紳助というより、マスコミの責任は、どうなるのか。
ほかにも怪しげな人物は、いるのではないか。

 今では(さん)づけで書いている雑誌、週刊誌はない。
もちろん暴力団と関係があったとしても、それは刑法でいう「罪」ではない。
今のところ島田紳助周辺に捜査当局による捜査のメスが入ったという報道は、ない。
呼び捨てにすることが正しいとは思わない。
しかし「紳助さん」は、ここまでくると、不気味。

 で、その記事を一読して感じたこと……。
私たち視聴者が、賢くなるしかないということ。
「顔」というより、「言動」。
さらにはその「言動の中身」で、その人物を判断する。
そういう姿勢が身につかないかぎり、こうした人物はつぎからつぎへと、現れる。
今の今も、マスコミの世界で大きな顔をしているのは、いくらでもいる。

●『世界大恐慌の可能性』(週刊現代)

 世界大恐慌は、すでに始まっている。
今の状況を「恐慌」と言わずして、何と言う?
たとえばギリシャ問題。

 週刊現代誌は、「ギリシャ、この腐りきった国の実態」と題した記事を載せている。
やはり一読して、「この国は、救いようがない」の一言。

悪い面だけにスポット当てて書いているような部分もないわけではない。
もともとあの国は、そういう国。
時計に追われて生活するような資本主義の国とは、かなり異質。
のんびりとした国民性が、今回は、裏目に出た。

●韓国の経済危機

 週刊現代誌を読むだけはいけない。
私も週刊現代誌風に、「韓国の経済危機」について、書いてみる。
題して「日韓経済戦争・秋の陣」。

●日韓経済戦争・秋の陣
 
 ギリシャより危ないのが、韓国。
韓国政府は、「韓国経済は盤石である」というような大本営発表を繰り返している。
が、本当かな?

 中身はボロボロ。
『韓国の対外債務、4000億ドルに迫り、過去最高額を相次いで更新している』(中央日報・11
年09月)と。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報)と。
4000億ドルだぞ!
63兆円だぞ!

 これに対して、韓国政府は、「各家庭の純資産も、その程度あるから心配ない」と、繰り返し
応戦している。
が、その中身といえば、住宅バブル。
バブル資産。
そこへ来て、今回の大恐慌。
世界の新興国からの資金引きあげ。
韓国もそのひとつ。

今日のレートでみると、1ドルが、1155ウォン(10月18日)。
3・11大震災のあと、「このとき」とばかり、ウォン安に舵を切った。
徹底した輸出攻勢で、この日本に取って替わろうとした。
が、それが裏目に出た。

 モノを売りたくても、売り先の国々の経済が収縮してしまった。
韓国政府は、「外貨準備もじゅうぶん」と豪語しているが、大半は現金ではなく、有価証券。
(外国からの借金)ですら、(投資)に組み入れてしまう国である。
数字のインチキは、し放題。

先ごろ野村證券は、「韓国はアジアの中でももっとも通貨の安定した国」(東亞日報)という経済
報告書を発表した※。
が、その報告書を書いたのは、野村證券の社員だが、韓国人。
野村證券にしても、今ここで韓国がこけたらたいへんなことになる。
先に書いた4000億ドルにしても、その大半がジャパン・マネー。
週刊文春誌の記事をそのまま紹介させてもらう。

(注※)「野村證券の首席エコノミスト、クォン・ヨンソン氏は27日の記者懇談会で、「ファンダメ
ンタルの側面から見たとき、韓国はアジアで通貨危機発生の可能性が最も低い」と主張した
(東亞日報・9月27日)。

●野村ホールディングズ 

 週刊文春誌、最新号(10・20日号)によれば、日本の金融機関にも影響が及び始めたとい
う。

 名指しで経営危機が危ぶまれているのが、(1)「三菱UFJ」銀行(P24)。
(2)「野村ホールディングズ」(P25)。
ともにEU経済に、深く入りこんでいる。

 で、ここではじめて聞いた言葉が出てきた。
「CDS値」という言葉である。
週刊文春誌によれば、「経営破綻の危険度」を示す指標だそうだ。
(CDS……クレジット・デフォルト・スワップ)

 それによれば、モルガン・スタンレー銀行は、529ベーシスポイント。
この値は、リーマンショック時の値を超えているという。

(CDS値がどの程度なら危険かということは、よくわからない。
しかしモルガン・スタンレー銀行が、三菱UFJに買収されたときの値よりも、現在、モルガン・ス
タンレー銀行は、さらに高い値になっているという。
529ベーシスポイントというのは、そういう数字らしい。)

 ほかにバンク・オブ・アメリカが、458ベーシスポイント。
野村ホールディングズが、340ベーシスポイント。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収している。

 これだけ読んでも、なぜ野村證券が、韓国経済危機説の火消しに躍起(やっき)になっている
か、よくわかる。

●再び「週刊現代」(10・29)

 私たちと直接関係がある記事が、これ。

「株・国債・投信・外貨預金、史上最悪のクラッシュに備えよ」。

 が、すでにクラッシュ(崩壊)は始まっている。
今日(10月18日)の日本経済新聞によれば、先週末、アメリカの株価は、247ドルの下げ。
それを受け、今朝の東京市場も、129円安(10:00AM現在)。

 そこで私なりに、こんなことを考えてみる。
これは私の経験でもある。

●一般投資家の95%は、損をしている

 非公式な調査だが、「一般投資家の95%は、損をしている」(某経済誌)と。
株・国債・投信・外貨預金……何でもよい。
「95%」という数字は、どこから出てきた数字か、よくわからない。
しかし周囲の人たちをみても、それほど大げさではないように感ずる。
つまりほとんどの人が、損をしている。

 なぜか?

 その第一、儲かっているときは、「儲かった」「儲かった」と、はしゃいでしまう。
そのため売り時を逃してしまう。
また売り時(満期)が来ると、証券会社にせよ、銀行にせよ、さらなる乗り換えを勧めてくる。
これが危険。
ワナ!

 客である私たちは、まんまとそれに乗せられてしまう。
若い社員から手書きの案内書が届いたりすると、フラフラとそちらに傾いてしまう。
ばあいによっては、さらに現金を上乗せして、それに応じてしまう。
「儲けさせてもらった」という負い目もある。

 が、この世界、何が起るか、わからない。
一寸先は闇。
3・11大震災を例にあげるまでもない。
EUの経済危機を例にあげるまでもない。
そういった事件(イベント)が起きるたびに、株や外債は大暴落する。
その大暴落したとき、大損をする。
それまでに儲けた分まで、吹き飛んでしまう。

 つまりこうして95%の一般投資家は、損をする。
一般投資家というのは、つまり私たち。
私のような、ちょっと知ったかブリをする投資家。

 だから結論として言えることはただひとつ。
証券会社や銀行を信用してはいけない。
彼らはあなたの資産を食い物にして、生きている!

 ……ということがわかっていても、この低金利時代。
今回の3・11大震災、それに8月1日の株価大暴落。
人間のサガ(性)は、因果なもの。
私の知人の中には、3・11大震災のあと、退職金のほとんどを失った人もいる。

●朝食

 たった今、朝食を終えたところ。
ここ数日、白いご飯に、カツオの削り節をかけて食べている。
それを見ながら、私がふと、「なんだか、魚の遺骨を食べているみたい」と。
それを聞いて、ワイフがこう言った。

ワ「へんなこと言わないでよ!」
私「だって、遺骨みたいだよ」
ワ「わかっていても、そういうことは言わないの!」
私「……人間も、残酷な生き物だね。ほかの生物の遺骨を食べて生きている……」と。

 こうして10月18日は、始まった。
のどかな朝。
何という非現実的な現実。
庭では二羽のキジバトが、芝生の上で羽を広げて横になっている。

で、一言。
がんばれ、週刊現代!
次号も買うぞ!
2011/10/18朝記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司※





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松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House 
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと
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