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【18】
2010年  7月  3日〜 8月  29日

************(18)2011年07月03日************

【欲望の奴隷たち】(壊れる子どもの心)

●孫が、裁判?

 長野県に住む友人が、こう言った。
大学の同窓生で、司法書士をしている。
「林君なあ、今はなあ、孫がなあ、親をたきつけて、遺産相続の裁判を起こす時代なんだよな
あ」と。

 少しわかりにくい話で、ごめん。
が、こういうこと。

親が死ねば、争うとしても、ふつうは遺産相続権がある実子が、遺産分割を求めて裁判を起こ
す。
「私にも、分け前をもらう権利がある」と。

 が、最近は、そもそも遺産相続権のない孫が、親を前に立て、遺産分割を求めて裁判を起こ
す。
そんなケースがふえてきた、と。
「親父にだって、遺産相続をする権利がある。分け前をよこせ」と。
中には、親はいらないと言っているにもかかわらず、その子(つまり孫)が、「もらうべき」と言っ
て騒ぐケースも多いという。
(実際には、そういうケースのほうが多いのだそうだが……。)

 わかりやすく言えば、ジーチャン、バーチャンが死ぬと、孫の立場の人間が、遺産分割を求
めて裁判を起こす。
もちろん親が生きていれば、孫には、遺産相続権は、まだ発生していない。
つまり遺産相続権はない。
だから親をせかせ、裁判を起こす。

●身辺整理

 私も60歳を過ぎて、心境が大きく変化してきた。
そのひとつ。
モノを買わない。

 若いころは、好んで骨董品を買い集めた。
江戸時代の浮世絵を買い集めるため、北陸地方の都市を回ったこともある。
あるいは30代のころは、洋画に興味をもった。
ピカソの絵こそ手が届かなかったが、それ以外の画家の絵なら、たいてい集めた。
シャガール、ミロ、カトラン、ビュッフェ……。
ローランサンの絵も好きだった。
が、今にして思うと、どうしてあんなものを買い集めたのだろうと思う。
意味のない買い物だった。
だからときどき、ワイフにこう言う。

 「そのお金で、海外旅行をもっと楽しんでおけばよかった」と。

 で、今は、そういったものを、どんどん手放している。

●金(マネー)

 兄弟姉妹が、親の財産を取り合って争う。
私はその見苦しさを、あちこちで見聞きしている。
見苦しいというよりは、あさましい。
親の介護、葬儀、遺産分割とつづくうち、たいてい兄弟、姉妹はバラバラになる。
中には、「玄関先で怒鳴りあう」(知人)兄弟、姉妹もいる。

 だから親たる者、財産は、子どもには残さない。
額の問題ではない。
わずか数百万円のことで裁判を起こす人もいる。
反対に、それぞれが1億円以上もの財産を手にしながら、さらに争う人もいる。
そこで私たち夫婦は、こう決めた。

「ちょうど2人が死ぬころ、財産は、ゼロにしよう」と。

●欲望

 で、立場上、そんなことも考えながら、生徒たちをながめる。
兄弟、姉妹で、私の教室へ来てくれている子どもも多い。
そういう子どもたちをながめながら、「今は、仲がいいのだがなあ……」と。

 親にしても、そうだろう。
いつか自分の財産をめぐって、子どもどうしが争うなどいうことは、夢にも思っていない。
「自分が死んでも、息子や娘たちは仲がいいはず」と思いこんでいる。
あるいはそこまで考えが巡らない。
が、今のあなたがそうであるように、遺産には、恐ろしいほどの魔力が潜んでいる。
ジワジワと胸の中でふくらみ、やがて制御不能になる。
「1円でも多くもらわなければ、損!」と。

 つまり人間の欲望には、際限がない。
その欲望が、お金(マネー)に置き換わる。
あるいはその逆でもよい。
お金(マネー)が、欲望に置き換わる。

 しかし、いつから……?
どのようにして……?
反対に、「どうすれば、今のまま、いい兄弟姉妹関係をつづけることができるだろうか」と考える
こともある。

●親に反抗するのは、こどもの自由

 昨日も書いたが、現在、この日本では、親子の立場が逆転している。
親が子どもにペコペコし、子どもが親に向かってふてくされる。
少し古い資料だが、こんな調査結果も残っている。

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。
「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国1
5%。
親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・98年調
査)。

 日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけな
いと考えている高校生が、ダントツに少ない。

 こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O
G氏)と論評する人がいる。
しかし本当にそうか。
この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなっ
てしまう。
日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 
アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

 もう一度、数字を確認しておきたい。

「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%(アメリカ、1
6%)。
「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%(アメリカ、82%)。

 1998年の調査というから、そのときの高校生たちが、今、「親」をしている!

●壊れる心

 もちろん中には、そうでない兄弟姉妹も多い。
良好な関係をつづけている親子も多い。
しかし皮肉なことに、学歴社会とは無縁な世界で生きている人ほど、そういう人たちが多い。
一方、高学歴な人ほど、兄弟姉妹関係が、おかしい。
親子関係がおかしい。
私の言っていることがウソでないことは、ほんの少しだけ、あなたの周囲にいる人たちを観察し
てみればわかるはず。

 つまりこの問題は、どこかで学歴社会、それを支える受験競争とからんでいる。
私自身の印象としても、それを断言できる。
子ども(生徒)にしても、受験競争を、ほんの数か月(夏休みの1か月でもよい)経験しただけ
で、別人のようになってしまう子どもがいる。
親は、「やっと心構えができました」と喜んでいるが、その裏で、子どもの心が粉々に破壊され
ていることには、気づいていない。
親自身がその高学歴者であることが多い。
つまり自分の心が壊れているから、子どもの心が壊れても、それに気づかない。

●教育

 簡単に言えば、教育が欲望追求の場になっている。
教育とは名ばかり。
心を育てるしくみになっていない。
今では進学率の高い学校を、「よい学校」(?)という。
進学率というのは、より有名学校への進学率をいう。
(今さら、こんなことなど、説明する必要もないが……。)

 その結果が、現在ということになる。
何とも心さみしい社会だが、その弊害が、今、あちこちで矛盾となって噴き出している。
数日前も、こんな調査結果が新聞に載った。

「60%の人が、今後、孤独死をする」(中日新聞)と。
記憶によるものなので、数字、内容は不正確だが、NHK「無縁社会、無縁死3万2千人の衝
撃」(2010年放映)という番組によれば、無縁死をした人が、3万2000人もいるという。
これに孤独死を加えたら、その数はさらに多くなる。

 が、これはけっして老人だけの問題ではない。
40代、50代の人たち自身も、その予備軍と考えてよい。

●では、どうするか?

 これは意識の問題。
その意識を変えるのは、容易なことではない。
10年単位というより、世代単位の問題でもある。
冒頭にも書いたように、親から子、さらに孫の代まで、意識が毒され始めている。

 戦後日本は、高度成長によって多くのものを得たが、同時に、多くのものを失った。
その結果が、今、ここにある現実ということになる。
どうすればよいかということは、私にもわからない。
が、こういうことは言える。
そこにそういう現実があり、今、みなさんがそういう現実に向かって歩んでいるなら、それを避
けることも可能ということ。

 まずいのは、それに気づかず、そのワナにはまってしまうこと。
気がついてみたら、周りにはだれもいない。
そうなってからでは、遅い。
手遅れ。
もっとも孤独死をしたからといって、それが人生の結論というわけではない。
人生の敗残者(負け犬)というわけではない。
大切なことは、それまでに(すべきこと)をやり遂げること。
有意義に生きること。

 そのための準備だけは、怠ってはいけない。
……という意味で、このエッセーを書いてみた。
異論もあるだろう。
反論もあるだろう。
ひとつの参考意見として、読んでもらえればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 欲望の奴隷たち 親に反抗する子ども 逆転する親子関係 孫が遺産相続権を
行使)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【権威主義と天下のバカ大臣】

+++++++++++++++++++++

ときどき講演に招かれる。
ていねいに迎えられる。
が、居心地があまりよくない。
窮屈。
そのときいつも、私はこう思う。
「私は、そんな人間ではないのだがなあ」と。 

が、もしそんな私でも、毎日、そんなふうに
扱われたら……。
やがて感覚が麻痺し、意識が逆転するかも
しれない。

+++++++++++++++++++++

●官僚主義国家

 今朝も中国の友人からメールが届いていた。
こうあった。
原発事故被災地についてのメールだったが、最後の一文が、グサリと胸に突き刺さった。

「China is a dictatorship country, even Japan is not a real democratic country. 」
「中国は、独裁国家だが、日本も同じように、新の民主主義国家ではない」と。

 これについては、世界中の人たちが、異口同音にそう書いている。

(1)なぜ日本では、大規模なデモ(抗議行動)が起きないのか、と。

 答は簡単。
日本人は、江戸時代より「もの言わぬ従順な民」に作りあげられている。
それがまた教育の第一目標になっている。
「ものを言う民」は、官僚政治にとっては、まことにもって都合が悪い。
が、それが悲劇ではない。
本当の悲劇は、日本人自身がそれに気づいていないということ。
民主主義もどきの民主主義をもって、それが民主主義と思い込んでいる。

 このことは私自身が経験している。
1970年に、オーストラリアのメルボルン大学(法学院)に留学したときのこと。
どのテキストにも、「日本は官僚主義国家」と書いてあった。
「君主(ローヤル)官僚主義国家」と書いてあるのもあった。

 当時の私はそれに猛烈に反発した。
が、日本は世界に名だたる官僚主義国家だった。
それから40年以上。
今に到るまで、何も変わっていない。
日本は、官僚のための、官僚による、官僚の国。

 日本の中に住んでいると、それがわからない。
日本の外に住んでみると、それがわかる。
あるいは外の国の人には、それがわかる。
「日本は新の民主主義国家ではない!」と。

●天下のバカ大臣、M/R

 TBS−iは、つぎのように伝える。

++++++++++++++以下、TBS−iより++++++++++++++++

M/R復興担当大臣が就任後初めて、3日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなか
ったことに腹を立て、知事を叱責しました。

 宮城県庁を訪れたM/R復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わりま
す。

 「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(M/R復興相)

 笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否。応接室が緊張します。そして要望書を受
け取ると、M/R大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。

 「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。
お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛
隊なら、そんなことやるぞ。しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうそ
の社は終わりだから」(M/R復興相)

++++++++++++++以下、TBS−iより++++++++++++++++

 問題点は4つある。

(1)村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責したこと。
(2)笑顔で現れた村井知事、握手を求めるが、拒否したこと。
(3)「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と言ったこと。
(4)「今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」と言ったこと。
ほかにも、「オレは九州の人間だから、東北の市が何県にあるか知らない」と言ったとも伝えら
れている。

 いろいろな大臣がいるが、(……いたが)、ここまで権威主義の凝り固まった大臣というもの
少ない。
まるで封建時代の殿様、そのもの。
「上下意識」が強く、「自分は偉い人間」と錯覚している。
はっきり言えば、バカげている。
つまりその錯覚意識があるかぎり、日本の民主主義は、完成しない。

 人は何をもって、「偉い」というか。
その前に「偉い」とは何か。
この日本では、地位が高く、肩書きが立派な人ほど、「偉い」という。
が、英語国には、「偉い」に相当する単語すらない。
あえて言えば、「respected」ということになる。
「尊敬される」という意味である。

 が、「尊敬される」というときには、地位や肩書きは関係ない。
いわんや日本流の上下意識は、ない。

M/Rは、大臣。
一方は、県知事。
M/Rは、無意識のうちにも(?)、上下判断をし、それに応じない相手を「無礼」と決めつけた。
まさに時代錯誤。
が、これは何もM/Rだけの問題ではない。

●権威主義

 権威主義と言えば、水戸黄門がある。
今でもテレビの人気番組になっている。
三つ葉葵の紋章をかかげ、「控えおろう」と一喝すれば、みなが、「ハハー」と言って頭をさげ
る。
日本人には、実に痛快なシーンということになる。
が、欧米人には、それが理解できない。
あるときオーストラリアの友人にこう聞かれた。

「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、どうなるのか?」と。

で、私が「水戸黄門は悪いことはしない」と答えると、まわりにいた学生たちまで、「それはおか
しい」と言って騒いだ。
オーストラリアでは、ときの権力者といかに戦ってきたかが、歴史になっている。
ウィリアム・ウォレス(イギリス)、ロビン・フッド(イギリス)、マッド・モーガン(オーストラリア)など
など。
そういう人たちが英雄になっている。

 つまりそれを支える権威主義者たちがいるから、こういうバカ大臣がいつまでものさばる。

 話は少し脱線するが、以前書いた原稿を紹介する。
「意識」を考える、ひとつのヒントになれば、うれしい。
「世にも不思議な留学記」より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。
中には、「空手を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。
あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、競馬の
馬は、コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。
さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。
話を聞くと、「カルピス」という飲料を誤解したためとわかった。
カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲んで、こう
聞いた。
「忠臣蔵を説明してほしい」と。
いわく、「浅野が吉良に切りつけた。浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。
ここまではわかる。
しかしなぜ、浅野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。
加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。
それに死刑を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府
に抗議すればよい。
また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。どうしてボスに責任を追及し
ないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本人は、
水戸黄門に頭をさげるのか。
水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるのか」と。
私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになっている。たと
えばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。
体中を鉄板でおおい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。
イギリスにも、ロビン・フッドや、ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロー・スクールの一室で、みながお茶を飲んでいると
きのこと。
ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。
「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)とい
う制度があるが、法的な規制はないのかね?」と。
そこで私が「何もない」と答えると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされ
て、何が仕事か!」と叫んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでいるか
ぎり、絶対にわからない。
が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が日本へ帰ってきてからのことであ
る。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのときす
でにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩
れてしまった。
「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア〜」と。

だからといって、母を責めているわけではない。
母は母で、当時の常識に従って、そう言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支
えてくれると思っていた。
が、その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世界で
は、幼稚園の教師をしていることを隠した。
一方、中の世界では、留学していたことを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どう
して?」と首をかしげてしまった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、ほかな
らぬ、オーストラリアの友人たちである。
みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらしい仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかっ
たと思う。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 意識のズレ 浅野内匠頭 吉良
上野介 忠臣蔵 意識論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原因は歴史教育

 意識は、当然のことながら、教育によって、作られる。
とくに「歴史」については、そうである。
今でも、「私の目標は、織田信長になること」(M県・県知事)と豪語してやまない人がいる。

 それについて書いた原稿ではないが、参考までに、以前書いた原稿を、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●織田信長

++++++++++++++++++++++++++

織田信長は、なぜ、消防自動車を呼ばなかったのか?
「織田信長は、家来の(宴会中)に殺された」では、なぜまちがっているのか?

++++++++++++++++++++++++++

●珍回答

 「織田信長は、本能寺で、なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」と聞いた、子どもがいたと
いう(某雑誌)。
子どもといっても、中学生(?)である。
年齢はわからないが、漢字をそこそこに使えるところをみると、それくらいの年齢である。

 一方、「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」と、歴史のテストで答えた子どどもいた。
こちらも、中学生(?)である。
年齢はわからないが、ともに小学校の高学年児かもしれない。
あるいはひょっとしたら、高校生かもしれない。
「高校生」とは名ばかり。
歴史の知識にかぎらず、その程度の常識しかない高校生は、いくらでもいる。

●バカげた歴史教育

 そこそこに歴史の知識のある人は、こうした子どもたちの疑問や、回答を笑う。
かれらがもっている常識でもよい。
その常識を笑う。
織田信長の時代には、消防自動車は、なかった。
また織田信長は、家来の(明智光秀)に殺された。

 が、ここで私は、ハタと考えてしまう。
私たち自身だって、一応常識的な人間と思っているが、その一方で、非常識な情報に、そのつ
ど振り回されている。

 織田信長にしても、日本では歴史上の人物となっている。
しかし(ほめたたえるべき人物)であったかどうかということになると、それはどうか?
見方をほんの少し変えると、織田信長は、ただの殺戮(さつりく)者。
それを本能寺で討ち殺した明智光秀も、これまたただの殺戮者。
言うなれば、本能寺での異変は、ただ単なる、殺戮劇!

 権力の座についたというだけで、この日本では、「歴史上の人物」ということになる。
名を残すことになる。
事件があった年まで、記録され、今になっても、子どもたちは、それを暗記させられる。
どうしてそんなことが
必要なのか。
重要なのか。
さらに一歩、踏み込めば、このバカげた歴史教育に、なぜ、私たち日本人は、気がつかないの
か?

 たとえばあなたの近所で、親の遺産を取り合って殺人があったとする。
そうした殺人と、織田信長や明智光秀がした殺人と、どこがどうちがうというのか。
あなたはその(ちがい)を説明できるだろうか。

 「戦国時代の昔、いろいろな武将がいて、国を取り合った。
その中に、頭のおかしい武将もいて、家来に殺されることもあった」と。
その程度の知識で、じゅうぶんではないのか。
またどうしてそれではいけないのか。
年号を正確に言えたからといって、それがどうしたというのか?
必要であれば、そのつど、調べて、それを書けばよい。
ちなみに私は「本能寺の変」という言葉は知っているが、何年にそれが起きたか、知らない。

 大切なのは、中身。
今に残る、中身。
つまりなぜ私たちが歴史を学ぶかと言えば、過去の人たちのなした経験を、「今」に生かすた
め。
失敗でもよい。
そういうことをしないで、一方的に織田信長を美化するから、いまだに「国盗り物語」よろしく、
政治家の中には、権力闘争に明け暮れる人がいる。
またそういう人が、いつまでたっても、後を絶たない。

●大切なのは中身

 もし本能寺での異変が重要な歴史的事実であるとするなら、なぜそういう事件が起きたか。
その背景を教える。
そこに至る経緯を教える。
ついでに権力闘争の醜さや、無意味さを教える。
それが歴史教育だと、私は思う。

 だからテストの内容も、こう変えればよい。

【問】

 「織田信長という独裁者が、本能寺という寺で、家来の明智光秀という人に殺された。
なぜ、明智光秀は、織田信長を殺したか。またあなたはこうした権力闘争を、どう思うか」。

 ともかくも日本の歴史教育は、暗記一辺倒。
暗記に始まって、暗記に終わる。
この教育姿勢は、明治の昔からまったく、変わっていない。
ウソだと思うなら、大学の受験生たちがもっている歴史の参考書を見てみればよい。
センター試験の問題を見てみればよい。

 重箱の隅の、そのまた隅をほじくり返したような問題ばかり。
教える側も、それを教えるのが歴史教育と錯覚している。
教わる側も、それを暗記するのが歴史教育と錯覚している。

 ちなみにこうしたバカげた歴史教育をしているのは、この日本だけ。
欧米では、教師が生徒にテーマだけを与えて、そのテーマに沿ってレポートをまとめるのが、
歴史教育の(柱)になっている。

「あなたはトラガルファーの戦いについて、1年をかけて、調べなさい」
「あなたはフランス革命について、1年をかけて、調べなさい」と。

 そして年度の終わりに、自分の勉強したことを、調べたことを、みなの前で発表する。
そういう教育を、小学生のときからしている。
小学生のときから、受けている。

●知識は無価値

 暗記ということになるなら、ついでに明智光秀のほかの家来たちの名前も暗記したらよい。
ついでにそれぞれが、どのような作業を分担したか、それも暗記したらよい。
本能寺にいた織田信長の家来たちの名前も、暗記したらよい。
本能寺の住所も暗記したらよい。

 が、今では、こうした知識は、インターネットを使えば瞬時に手にすることができる。
詳しい内容を知りたければ、パソコンを使って調べればよい。
大切なのは、その上で、どう考え、どう判断するか、である。
そしてそれをどう「今」に生かしていくかである。

 私たちもそろそろ気がつくべきときにきている。
「暗記は無価値」と。
暗記といっても、このばあい、暗記のための暗記を重ねるような暗記をいう。
地理にしても、無罪とは言えない。

 この話で思い出すのは、5、6年ほど前に、つぎのようなことを暗記していた中学生である。
その中学生は、こう復唱していた。
「長野の高原野菜、富山のチューリップ・・・」と。
そこで私がその中学生に、「高原野菜って何?」と聞くと、その中学生はあっさりと、こう答え
た。
「知らない・・・」と。

 で、私はこう言った。
「浜名湖のうなぎと、教科書には書いてあるけど、今ではうなぎを養殖している業者は、ほとん
どいないよ」と。

●新しい教育

 「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」でも、よいではないか。
そのとき本当に宴会をしていたのかもしれない。
ひょっとしたら織田信長の家来たちは宴会でもして、油断していたのかもしれない。
それをまちがっていると証明できる人は、だれもいない。
百歩譲って、どうして「明智光秀」という名前を、書かねばならないのか。
またどうしてそれが重要なことなのか。

 さらに百歩譲って、それが重要なことというのなら、それこそ重箱の底をほじくり返すような知
識を、生徒たちに暗記させたらよい。
暗記程度に応じて、成績をつけたらよい。
が、それは先にも書いたように、バカげている。
つまりこういうバカげた教育を教育と思い込んでいるから、その一方で、「なぜ消防自動車を呼
ばなかったのか?」という子どもが出てくる。
思考力そのものが欠落したような子どもである。

 が、これでは、いつまでたっても、日本人は変わらない。
進歩しない。
愚劣な失敗を、いつまでも繰り返す。

 たとえば私は、もう40年も前のことだが、北欧のどこかの国の首相が、議会まで自転車通勤
をしているのを知って、本当に驚いたことがある。
当時の常識(?)に凝り固まっていた私には、信じられないような話だった。
「首相が、自転車で通勤?」と。

 ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の
長官に就任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった。

 悲しいことに、現在の日本は、まだその延長線上にある。
その責任の大きな部分は、日本のゆがんだ歴史教育にある。
・・・と言うのは書き過ぎかもしれない。
しかしそれくらいの緊張感をもって、この問題を考えないと、今の日本の歴史教育を変えること
はできない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 日本の歴史教育 暗記教育 暗記のための暗記 ゆがんだ歴史教育 暗記教
育)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●首相が自転車通勤

 この原稿の中で、とくに注意してほしいのは、以下の部分。

「ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の長
官に就任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった」。

 まともな人が見れば、狂っている。
その狂っていることが、当時は常識だった。
国名は忘れたが、当時すでに欧米では、首相といえども、みな自宅から自転車通勤をしていた
(北欧)。

 それが民主主義……というより、民主主義の「結果」。

●天下のバカ大臣

 こういうバカが、大臣になった。
大臣になって、東北の復興を手がけることになった。
いわく、「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と。

 人間も謙虚さを忘れたら、おしまい。
「大臣」「大臣」とチヤホヤされるうちに、自分を見失ってしまった。
被災者たちの気持ちを忘れてしまった。
だいたい「我々は何もしないぞ」とは、何ごとか!

 報道の内容が事実とするなら、この一言で、大臣失格。
即刻管直人首相は、M/Rをクビにすべき。
それができないというのであれば、管直人首相自身が責任を取るべき。

 ……朝、起きてニュース・サイトをながめた。
久々に、私は怒った。
で、あえて持論を確認。
「偉い」を廃語にしよう!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【「偉い」を廃語にしよう】

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。
よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。
日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり
偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 天下のバカ大臣 偉い 日本の民主主義 官僚主義 はやし浩司 偉いを廃語
にしよう 復興担当大臣)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【放射能は安全・説?】byはやし浩司(『疑わしきは罰する』)

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今朝は、九州大学大学院工学研究院エネルギー量子工学部のHPを読むことから、始まっ
た。
それには前置きとして、「デマに惑わされず、適切に判断するための科学情報」とある。

そうだ!
デマに惑わされてはいけないのだ!
……ということで、読み始めたが、どうもへん?

●放射線による人体への影響についての基礎知識
●福島県産及び茨城県産食品から検出された放射能

汚染された牛乳やほうれん草についても、つぎのように結論づけている。

『……以上より、福島、茨城で検出された放射能濃度は通常よりも高い値ですが、この食品を
食べたとしてもただちに健康被害が出るものではありません。
風評被害を避けることが肝心です。

また、ヨウ素ー131の半減期は8日で、8日毎に半分に減少していきますので、注意するのは最
初の1ー2ヶ月までです。セシウムー137の半減期は30年なので、なかなか無くなりません。カリ
ウムー40の半減期は13億年です。

また、カリウムー40はもともと自然界にあり食品内部に入っているため洗っても落ちませんが、
ヨウ素、セシウムが表面についている場合は洗い落とすことができます』と。

 この中に出てくる、「ただちに健康被害が出るものではありません」という文言。
私はこの文言を読んだとき、脳内で拒絶反応が起きたのがわかった。
「ただちに……」でなければ、いつなのか?

 全体を読んでいると、今、福島第一原発周辺で起きていることは、すべて「風評」という印象
を受けてしまう。
「意識」というのは、そういう点で、おもしろい。
それらしいことを、数字を並べて説明されると、「そうかなあ」と思ってしまう。
それを受け入れてしまう。
たとえば、こうある。

http://www.qpn.kyushu-u.ac.jp/message/info01/radiation.html

●人は身の回りの自然環境から常に放射線を受けて生活しています。

●受ける放射線の量は地域により異なりますが、世界平均で年間2・4ミリシーベルト(2400マイ
クロシーベルト)です。 (単位に注意:1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト)

●ブラジルのカラバリ地域の人々は年間平均10ミリシーベルトの放射線を受けています。

●東京-ニューヨーク間を飛行機で往復したときに宇宙線等によって受ける放射線の量は0・19
ミリシーベルト (190マイクロシーベルト) です。

●胸部X線CTではわずか数秒間に6・9ミリシーベルトの放射線を受けます。

●高度約400kmの軌道の国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士は1日当たり約1ミリシ
ーベルト (1000マイクロシーベルト) の放射線を受けます。国際宇宙ステーションに約4ヶ月間
の長期間滞在した場合は100ミリシーベルト以上の放射線を受けたことになります。(以上、同
九州大学HPより)

 こうした数字を具体的に並べながら、こう結論づけている。
注意深く読んでみてほしい。

『……(2011年、事故翌日の)3月12日の午後、福島原子力発電所正門付近で測定された空
間線量率の値が1015マイクロシーベルト (1・015ミリシーベルト) であったと報道されています。
この値は、その場所に1時間じっとしていたときに全身に受ける放射線の量で、上で述べたよう
に健康への影響はありません』と。


●一般人の常識

 簡単に言えば、胸部X線CTでは、わずか数秒かに、6・9ミリシーベルトの放射線を受ける。
だから正門付近で測定された、1015マイクロシーベルト(1・015ミリシーベルト)程度の放射
線など、何でもない。
つまり「ただちに健康被害が出るものではありません」と。

 私など、こういう事実(?)を突きつけられると、逆にこう読んでしまう。
「胸部X線CTというのは、そんなに恐ろしいものであったのか。2度と受けないぞ」と。
またそういう読み方をするのが、一般の人の常識ではないだろうか。

 ともかくも今、放射線に関する情報が複雑に交錯している。
きわめて大ざっぱに言えば、危険説を唱える京都大学派。
「心配ない」説を唱える九州大学派。
過小評価説を流しつづける、文部科学省派。
やや大げさに危険説を唱えつづける「週刊現代」(週刊誌)派。

 が、これだけは忘れてはいけない。
放射線被害が出てくるのは、これから。
10〜20年をかけて、ゆっくりと出てくる。

●紫斑が出た子どもたち

 実際、すでに福島第一原発の周辺の子どもで、体中に紫斑を発症した子どもの例が報告さ
れている。

いわく『福島では子どもたちに下痢、鼻血、紫斑などの「急性症状」が出ているという。常識的
には考えられないが、化学物質過敏症のように「放射線過敏症」があっても不思議はない。県
外の小児科医による子どもたちの健康相談がもうすぐはじまる。その結果を注目したい』(名
古屋大学・高野雅夫准教授)と。

紫斑は、放射線病の初期症状と言われている。
もし子どもたちの症状が放射線病によるものなら、「心配ない」説など、吹っ飛んでしまう。

 さらに今朝の中日新聞によれば、「福島原発周辺の子どもの45%に、甲状腺微量被爆」(1
面トップ)とある。
信憑(ぴょう)性はぐんと落ちるが、「女性自身」(週刊誌)は、「郡山市で急増、謎の体調不良に
苦しむ子どもたち」という記事を特集している(今週号)。

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●意識

 放射線が危険か、危険でないか。
それは私たち個人が、情報を集めて判断すべきこと。
つまり、それはそれ。

 ここでは「意識」について、もう少し深く考えてみたい。
つまり私たちが「正しい」と思っている意識ほど、アテにならないものはないということ。
意識というのは、情報によって、いくらでも作り変えられる。
脳内ホルモンの働きによっても、変化する。

 たとえば男性のばあい、(女性もそうかもしれないが)、射S(禁止用語)の前とあとでは、女
性の肉T(禁止用語)の見方が、180度変わる。
これは、射Sによって、(欲望)が吐き出されたのではなく、射Sと同時に、脳内でフィードバック
が起こるためと、私は考える。
つまり逆作用のあるホルモンが分泌され、S欲を中和する。

(BLOGによっては、禁止用語を使用すると、掲載不可になる。
「S」=「精」「性」のこと。「T」=「体」のこと。)

 S欲と意識をそのまま結びつけることは正しくないかもしれないが、私自身も、自分の中で意
識の変化を、たびたび経験している。
よい例が、(子離れする前の子どもの見方)と、(子離れしてからの子どもの見方)。

●子離れ

 人間(=私)について書くのは、ここでは遠慮する。
私にも3人の息子がいる。
が、ドバトについて、書くのであれば、問題ないと思う。

 私の家の裏庭の栗の木の上では、毎年、ドバトが営巣し、雛を育てる。
そのドバトを見ていると、おもしろいことに気づく。

 雛を育てているときは、まさに命がけ。
この部分は、人間の子育てと似ている。
が、ひとたび巣立ち、雛が親鳥とほぼ同等格になってくると、今度は、親鳥が子鳥のドバトを追
い払うようになる。
さらにそれが進むと、縄張り争いをするようになる。
傍から見ていると、親鳥と子鳥が、他人以上の他人になったように感ずる。

 人間のばあいも、そこまでひどくはないにしても、似たようなケースは、いくらでもある。
民族性もあるのかもしれない。
家庭環境もあるのかもしれない。
その人の性格や哲学も、大きく影響する。
しかし概してみると、(子離れする前の意識)と(子離れしたあとの意識)は、大きくちがう。
子どもにしても、そうで、(親離れする前の意識)と(親離れしたあとの意識)は大きくちがう。

●死生観→人生観

 言い換えると、今、あなたがどんな意識をもっているにせよ、それが絶対的なものとか、正し
いものとか、さらには普遍的なものと考えてはいけない。
意識というのは、変わる。
またそういう前提で、自分の意識をながめる。

 たとえば私は、ごく最近まで、孤独死、無縁死という言葉を耳にすると、ドキッとした。
私自身が、孤独死、無縁死をする確率がぐんと高くなったこともある。
それを防ぐには、どうしたらよいか、それについて真剣に悩んだ。
が、それが60%以上の人の死に方であるとわかったとき、意識は変わった。

 「孤独死、無縁死、恐れるに足りず」「それもしかたのないこと」と。
とたん息子たちへの期待感は、ゼロになった。
息子たちへの思いも、変わった。
つまり意識が変わった。

 墓地や墓についての意識にしても、そうだ。
が、何よりも変化したのは、死生観。
平均余命で計算すると、私の人生は、よくて残り16年。
運がよければ、それより長くなるが、私のような無年金族は、長生きをすればするほど、みな
に迷惑をかける。
自分で歩けなくなったら、あとはできるだけ早く、あの世へ行く。

ついでに人生観も変わった。
つまり、今が「命」。
今のうちにすべきことを、し、完全燃焼させておく。
そういう人生観に変わった。

●再び放射線

 本当のところ、私自身は、もうどうなってもよい。
雨のように放射線がこのあたりに降り注いでも、それはそれで結構。
まさに自業自得。
政治が悪いという説もあるが、その政治を許してきたのは、私たち自身。
この日本(=世界)、何もかもおかしい。
狂っている。

 少し前も、あの『ハリーポッター』の邦訳版について、誤訳が問題になった。
たしかに誤訳だらけ。
しかしそのときも、こう思った。
「もともとデタラメな本。そんなデタラメな本を誤訳したからといって、それがどうした?」と。

 今の心境もそれに似ている。
「それがどうした?」と。
が、こと子どもたちのこと、日本の将来のこととなると、話は一変する。
私が福島第一原発事故について心配するのは、結局は、そこに行き着く。
そういう視点で書くなら、こうなる。

『疑わしきは、罰する』。

 法律の世界では、『疑わしきは、罰せず』という。
しかし子どもの世界では、『疑わしきは、罰する』。
またそれに徹する。

 「心配ない」説は、とんでもない意見ということになる。
もしそうなら、自分も自分の子どもを連れて、福島へ行けばよい。
現地の牛乳を飲ませ、ほうれん草を食べさせればよい。
暴論に聞こえるかもしれないが、そこまでしたら、私も「心配ない」説を信ずる。
九州という、東北からもっとも遠く離れた場所にある大学だから、好き勝手な論理を振り回すこ
とができる。

 京都大学は、それに比べて、ぐんと東北に近い。
「週刊現代」を発行する講談社は、まさにスーパー・ホットスポット内(東京)にある。
で、このエッセーの結論は、こうなる。

 日本では、今、チェルノブイリ事故以上の深刻な事故が起きている。
もしここで今、再度、大地震が起きたり、水素爆発、もしくは水蒸気爆発が起きたら、万事休
す。
作業員すら近づけなくなる。
だから万事休す。
難民として、外国へ逃げるしか、生き延びる方法はない。
みなさんには、その覚悟ができているだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 意識論)
平成23年7月5日(火)記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【思春期の女子の心理】(理性と本能の葛藤期)

●正常vs変態

 昨日、中3のNさん(女子)が、私にこう聞いた。
「先生は、変態か?」と。
で、私は、「そうだ」と答えた。
が、それを聞いて、まわりにいたみなが、「ヘエ〜〜?」と笑った。

N「先生って、変態だったの?」
私「そうだよ。でもね、この世の中に、正常な人というのもいないの。わかるかな。精神医学の
世界でさえ、(正常)の定義付けを、あきらめてしまった」
N「じゃあ、みな、変態ってこと?」
私「そうじゃない。絶対多数の、平均的な人というのは、たしかにいる。そういった人たちが、自
分たちを正常といい、自分たちの外にいる人を、変態という。しかしそれこそ、偏見だよ」

 つまり正常か変態かというのは、相対的なちがいでしかない。
大切なのは、たがいに認めあうこと。

●性の世界では

 とくに性の世界では、正常も変態もない。
その男女が、(べつに男女でなくてもよいが……)、それぞれに納得していれば、正常も変態も
ない。
そういう判断をくだすこと自体、ナンセンス。

 もう少しわかりやすく言うと、こうなる。
性の世界は、きわめて言うなれば、「動物的な世界」。
その動物的な世界に対して、大脳の前頭連合野が支配する「理性の世界」がある。
この2つは、常に対立関係にある。
その理性の世界と、動物的な世界が、はげしくぶつかりあう。
理性は、動物的な行為を、「変態」と位置づけて、攻撃する。
つまりそれは、脳の内なる世界で起きている、本能と理性の戦いそのものということになる。

 ……という少しむずかしい話をしてしまった。
Nさんは、ポカーンとした表情で私の説に耳を傾けていた。
が、頭のよい子である。
その日も、「数学のテストで1番を取った」と喜んでいた。

●思春期

 思春期には、本能と理性が、脳の中で、はげしい葛藤を繰り返す。
(そうでありたい私)と(そうでありたくない私)。
あるいは(私)と(得体の知れない私)。
これらが脳の中で、はげしい葛藤を繰り返す。

 が、結局は、本能が勝つ。
理性の力は、それほど強くない。
思春期においては、とくにそうで、理性の力など、台風の風を前にしたパラソル程度の抵抗力
しかない。
一風吹いただけで、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。

私「それにね、脳の世界というのは、きわめて多様性に富んだ世界なんだよ。ニューロン(神経
細胞)から伸びるシナプスの数のほうが、DNAの数より、はるかに多い。脳の働きだけは、DN
Aのコントロールを受けないということ。わかるかな?」
N「……わからない」
私「もしDNAが、人間の思考の内容まで決めてしまっているとしたら、人間は、その範囲でし
か、ものを考えることができない。虫や魚などは、そうかもしれない」
N「人間は、自由にいろいろなことを考えられるということね」
私「そうだ。さすが君は鋭い。その(自由)こそが、人間がもつ(多様性)ということになる」

N「鳥もそうかしら?」
私「そうだよ。それぞれの鳥は、自分勝手な行動をしているように見えるかもしれないけど、北
海道のスズメも、九州のスズメも、スズメはスズメ。その範囲での行動しかしていない」
N「人間はどうなの?」
私「大部分は、北海道の人も、九州の人も、人は人。その範囲での行動しかしていない。が、
中に、『私はちがう』と考えて行動を始める人がいるかもしれない。そのとき人は、DNAの支配
下から、逃れることができる」
N「つまり、平均的な人は、DNAの支配下にあるということね?」
私「さすが、君は、鋭い。そのとおり」と。

 久々に、熱い話になった。
が、私はこういう話をするのが、好き。

●ただの人

 いつも多様性を追求する。
それが生きるということに、つながる。
本能の命ずるまま、つまりDNAの支配下で、多数の人と同じことをしているなら、その人は、そ
の程度の人。
ハイデガーの説いた、「ただの人(das Mann)」というのは、そういう人をいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎのは2008年4月に
書いたもの。

話が脱線するが、許してほしい。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a "man", so-called "das Mann". But 
nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do toward 
the of the lives. Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの人は退
職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳をとれ
ば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなったこと
すらわからない。

先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったときの
こと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつなぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の次元
がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれば、みな
に忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほど、感動
する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命をたどるこ
とになる。

繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」と
呼んだ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●本能の奴隷

 話を戻す。

 50歳を過ぎたころ、私も、「男の更年期」というのを経験した。
簡単に言えば、そのとき思春期以来はじめて、「性」から解放された。
それは実にすがすがしい世界だった。
さわやかな世界だった。
週刊誌などに出ている、女性の裸T写真(T=体)を見ても、ただの脂肪のカタマリに見えた。

 そのときのこと。
私はそれまでの私がいかに性の奴隷であったかを知った。
性の奴隷そのもの。
恐らく現在、その渦中にいる若い人たちには、それがわからない。
自分はそれでふつうと思い込んでいる。
が、ふつうではない。
ふつうでないことは、「性」から解放されてみて、はじめてわかること。
私はそれを知った。

 もっともその時期を過ぎてからは、再び性欲が戻ってきた。
が、以前ほど、強くはない。
焚き火のあとの残り火のようなもの。
ポッポッと短く燃えては、すぐ消えてしまう。
が、何よりもすばらしいことは(?)、それ以後、本能を理性の力でコントロールできるようにな
ったこと。

●変態論

 で、変態論。

 むしろ変態でないほうが、おかしい。
もちろんそれによって他人に迷惑をかけることは、許されない。
しかしそうでなければ、どんなことをしてもよい。
どんなことを考えてもよい。
変態か、変態でないか、そんな判断をすること自体、先にも書いたようにナンセンス。
少し前まで、同性愛すら、変態の領域に押し込まれてしまっていた。

 Nさんは、「性」に関して、私に変態かと聞いた。
が、こと「性」に関しては、私はかなり平均的と思っている。
が、自分で、そう思っているだけかもしれない。
かなり変態的な人たちからみれば、私など、逆に変態かもしれない。
要するに大切なことは、ありのままの姿で、自然体で考えること。
自然体で行動すること。
それが「おかしい」と言うなら、人間そのものがおかしいということになる。
が、そういうことはない。

 最後に、一言。
こういう話は、前にもしたことがある。
もう20年近くも前のことである。
やはり中学3年生の女子が、私にこう聞いた。
「先生は、清純か」と。
で、そのとき、私は、昨夜とはちがい、こう答えた。
「ぼくは、清純だ」と。

 するとその女子は、こう言った。
「子どもがいるくせに!」と。

 しばらく、その意味がよくわからなかった。
が、やがてその意味がわかった。
その女子は、「子どもがいるということは、Sックスをしたはず。だから清純ではない」と考えた。

つまりこの時期の女子は、ほかの年代の男性や女性とは、かなりちがったものの考え方をす
る。
最初の話に戻る。
この時期の女子の脳の中では、本能と理性が、はげしい葛藤を繰り返す。
一方、男子は、割とあっさりと理性を投げ捨ててしまうが、女子はそうでない。

 この時期の子どもたち、とくに女子の心理を知るひとつの手助けになればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 思春期 思春期の女子 思春期の女子の心理 本能と理性の葛藤)
2011/07/06記

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月7日(2011年)

●ワイフの弱音

 昨夜、寝るとき、ワイフが、生まれてはじめて弱音を吐いた。
「あなたはいいわね」と。
「どうして?」と聞くと、「あなたにはあなたを支えてくれる人がいるから、いいわね」と。

私「……ぼくを支えてくれる?」
ワ「そうよ。あなたにはあなたのファンがいる。でも私にはいない……」
私「でも、お前には家族がいる。兄も姉も、妹もいる。ぼくにはいない……」
ワ「そうね……。あなたは、ひとりぼっちね……」と。

 そしてそのあと、こう言った。
「私が死んでも何も残らない……。みんな、あっという間に、私のことなんか忘れてしまう」と。

 私はワイフがそんなふうに考えているとは、夢にも、思っていなかった。
アメリカへ行った二男にしても、東京へ行った三男にしても、「みな、それぞれが幸福になれば
それでいいのよ」と言っていた。
そんなワイフがさみしがっている(?)。

●切なさ

 生きていくということは、さみしさの連続。
このところ昔つきあった友のことをよく思い出す。
もう30〜40年も、音信のない人もいる。
さみしいというより、切ない。
生きていること自体が、切ない。

 父も母もいない。
兄も姉もいない。
帰るべき、故郷もない。
このところ昔、世話になった人が、ポツリ、ポツリと亡くなっていく。

私「ぼくなんかね、この浜松では、ひとりぼっちなんだよ。23歳のとき来たから、子どものころ
の友だちさえ、いない……」
ワ「でも、あなたの書いたものは残るわ」
私「残らないよ……」
ワ「残るわよ……」
私「そう願って書いてはいるけど、残らない。インターネットの世界は、不思議な世界だよ。そこ
に読者がいるはずなんだけど、その実感がまるでない。ものを書いたとたん、それが煙のよう
になって消えていく……」

●丸い涙

 気づかなかった。
ワイフはノー天気な女性とばかり、思っていた。
孤独とは無縁の世界に住んでいるとばかり、思っていた。
しかしワイフには、ワイフのさみしさがあった。
そのさみしさにじっと耐えながら、生きていた。

私「お前が、そんなふうに考えているとは、思ってもみなかった」
ワ「そう? でもよく考えるわ。このまま私が死んだら、私はどうなるのかって……」
私「……」
ワ「みな、すぐ私のことなんか、忘れてしまうわ」
私「……」
ワ「でも、あなたは自分の生き方を貫くことができた。自分のやりたいように、自分の人生を生
きることができた。みんな、あなたのような人生を送りたいと思っているけど、それができないで
いるのよ」と。

 それを聞いているとき、丸い涙が目の上に浮かんだ。
目を閉じたとき、頬を伝って下に落ちた。

●業(ごう)

 朝、目を覚ますと、時計は5時半を示していた。
外はどうやら小雨のよう。
まだ外は薄暗かった。
起きようか、どうか、私は迷った。
どうであるにせよ、一度、トイレに行かねばならない。

 10分……20分……と、時が流れた。
そういう私に気づいて、横でワイフが、私の背中をさすってくれた。
とたん、昨夜、寝る前の話が、そっくりそのまま私の脳に戻ってきた。
だれのせいでもない。
私のせいだ。
私が背負った、罪深い業(ごう)のせいだ。
祖父から父、父から私……。
代々、伝わった業のせいだ。

 みな、私は私と思って生きている。
私も、実は、そうだった。
が、今、その業を感ずる。
私を超えて、その向こうで流れる業を感ずる。
私という「私」は、その流れの中で生きている。

●7月7日

私「ぼくだって、さみしいよ」
ワ「どうして?」
私「だって、ぼくを理解してくれる人が、どんどんと少なくなっていく……。N先生も亡くなってしま
った。T先生も亡くなって、もう4年になる……」
ワ「私は、あなたを理解しているわ」
私「でもね、そのお前が、そんな心細いことを言ったら、ぼくはどうすればいい? お前が死ん
だら、ぼくは、どうすればいい?」
ワ「そうね……。そういう点では、あなたは、かわいそうな人よね」
私「……」
ワ「いつもひとりぼっちで、歩いている……」と。

 昨夜は、そんな話もした。
さみしかった。
つらかった。
が、ともかくも、朝になった。
朝がやってきた。
グズグズ言っても、どうにもならない。
生きていくしかない。
今日の仕事をするしかない。

時刻は今、午前6時半。
7月7日、木曜日。
小雨が心地よい涼しさとなって、窓から流れてくる。

そこにいる孤独さんよ、今日もよろしくね!


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●業(ごう)

+++++++++++++++

業について書いた原稿を
さがしてみる。
昨年も、たしか書いたはず。

+++++++++++++++

●業(カルマ)(The Deepest Sin in Ourselves) 

+++++++++++++++++++

仏教では、意識を、大きく、
(1)末那識(まなしき)と、
(2)阿頼那識(あらやしき)の2つに
わける。

末那識というのは、意識の総称。
阿頼那識というのは、現代心理学でいう、
「無意識」、あるいはさらにその奥深くに
ある、深層無意識と考えてよい。

その仏教では、末那識(「私である」という
自我)が、阿頼那識におりてきて、そこで
蓄積されると教える。
そして阿頼那識で蓄積された意識は、
今度は反対に、末那識の世界まであがってき、
末那識に影響を与えると、教える。

これについては、何度も書いてきたので、
ここではその先を考えてみたい。
いわゆる「業(ごう)」の問題である。

++++++++++++++++++++

●意識と無意識

 意識の世界のできごとは、常に、無意識の世界に蓄積される。
パソコンにたとえるなら、自動バックアップのようなもの。

(WINDOW7には、自動バックアップ機能というのがついている。
それを使うと、ファイルの変更などをすると、自動的に、別のディスクに
バックアップをコピーしてくれる。)

 仏教では、意識される意識を「唯識(ゆいしき)」とし、眼識、耳識、鼻識、
舌識、身識、意識の6つに分ける。
現代でいう、五感とも、ややちがう。
その唯識が、「私」を形成する。
それが「末那識」ということになる。

●末那識は一部

 この末那識は、先にも書いたように、常に阿頼那識の世界に影響を与え、
そこで業(カルマ)として、蓄積される。
が、現代の大脳生理学でも証明されているように、無意識の世界の広大さは、
意識の世界の広さとは、比較にならない。
20万倍とか、それ以上と言われている。

(数字で表現するのは、正しくない。
要するに、意識として使われている脳は、脳の中でもほんの一部に過ぎない
ということ。)

 よく「業が深い人」という言葉を耳にするが、つまりそれだけ阿頼那識に
蓄積された業は、大きく、反対に、末那識に与える影響も大きいということ。
言い替えると、私たち人間は、意識の世界だけで生きているのではないということ。
実際には、無意識の世界の命令に応じて、生きているということ。

●無意識の世界

 たとえばここに、場面かん黙児の子どもがいるとする。
入園など、はじめて集団に接したようなとき、発症することが多い。
家の中では、ごくふつうに会話ができる。
しかし集団の中に入ったとたん、貝殻を閉じたかのように、かん黙してしまう。

 そういう子どもと接していると、無意識の世界を操作するのが、いかに
むずかしいかがわかる。
あるいは子どもの、その向こうにある、無意識の世界の広さに、驚くことがある。
場面かん黙児の子どもは、その無意識の世界の命令によって行動する。
そのため意識の世界から、いくら話しかけたり、説教したりしても、意味がない。
効果もない。

●業(ごう)

 業(ごう)というのは、そういうもの。
人間がもつ本能とも直結している。
そのためそれが何であれ、またどういうものであれ、意識の世界でコントロールしよと
しても、ビクともしない。
仮にあなたが、きわめて知性的な人であっても、その知性で、コントロール
できるようなものではない。

 たとえば手鏡をもって、女性のスカートの下をのぞいていた大学の教授がいた。
超一流大学を出て、当時は、毎週のようにテレビに出演していた。
地位と名声、それに富を、順に自分のものにした。
にもかかわらず、自らの業を、コントロールすることができなかった。
今度は、電車の中で痴漢行為を働いて、逮捕された。

●ではどうするか

 仏教では、……といっても、釈迦仏教というよりは、釈迦滅後、500〜600
年を経てからだが、「八正道」を説かれるようになり、さらに実践的な、「六波羅密」
が説かれるようになった。

 八正道についても、たびたび書いてきたが、こと、阿頼那識ということになると、
六波羅密のほうが重要ということになる。

 布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目を、「六波羅密」という。
これは私も最近知ったのだが、「波羅密(ハラミツ)」というのは、「徹底」を意味する
サンスクリット語の当て字だそうだ。
漢字の「波羅密」を見て意味を考えても、答は何も出てこない。

(ついでに、日蓮宗の『南無妙法蓮華経』という題目にしても、

ナム……サンスクリット語の「帰依する」を意味する語の当て字。
しかし実際には、「hello」の意で、現在でもインドでは、あいさつの言葉として、
広く使われている、

妙法……サンスクリット語の、「因果な」を意味する、当て字、

蓮華……サンスクリット語の、「物語」を意味する、当て字、

「経」の漢字は、中国に入ってから、学者たちによって、付加された。)

 「末那識」「阿頼那識」という言葉についても、無著(むじゃく)、世親(せしん)
あたりから、世に出てきたから、サンスクリット語の当て字と考えるのが妥当。
今風に言えば、「意識」「無意識」ということになる。
(不勉強で、申し訳ない。)

●六波羅密

 ここにも書いたように、布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目を、
「六波羅密」という。
これを実践することにより、人は涅槃(ねはん)の境地に達することができると
言われている。

 もっとも私のような凡人には、それは無理としても、しかしこの中でも「精進」の
重要さだけは、よく理解できる。
「日々に、私たちは前に向かって、邁進(まいしん)努力する」。
それは健康論と同じで、立ち止まって休んだ瞬間から、私たちは不健康に向かって、
まっしぐらに落ちていく。

 よく「私は、修行によって、悟りの境地に達した」とか、「法を取得しました」とか
言う人がいる。
しかしそういうことは、ありえない。
ありえないことは、あなた自身の健康法とからめて考えてみれば、それがわかるはず。

 で、私は、日常生活の中で、つぎのように解釈している。

布施……ボランティア活動をいうが、いつも弱者の立場でものを考えることをいう。

持戒……仏教的な「戒め」を堅持することをいうが、簡単に言えば、ウソをつかない、
ルールを守ることをいう。

忍辱……「忍辱」については、そういう場面に自分を追い込まないようにする。
「忍辱」は、ストレサーとなりやすく、心の健康によくない。
あえて言うなら、『許して、忘れる』。

精進……常に前に向かって、努力することをいう。
とくに老後は、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
私はとくに精進を、日常の生活の中で大切にしている。

善定……善を、より確かなものすることをいう。
口先だけではなく、実行する。

知恵……「無知は罪悪」と考えることをいう。

 が、何も「6つの教え」に、縛られることはない。
そういう点で、私はこうした教条的なものの考え方は、好きではない。
まちがってはいないが、どうしてもそれだけに限定されてしまう。
その分だけ、視野が狭くなってしまう。

 要は修行あるのみ……ということになる。

●修行

 ……といっても、私は、仏教的な、どこか自虐的な修行の価値を認めない。
(釈迦だって、そうだったぞ!)
「修行」というのは、ごくふつうの人間として、ふつうの生活を、日常的に
しながら、その中で実践していくもの。
(釈迦が説いた、「中道」というのは、そういう意味だぞ!)
もし、そこに問題があるなら、真正面からぶつかっていく。

 燃えさかる炭の上を歩くとか、雪の中で滝に打たれるとか、そういうことを
したからといって、「修行」になるとは、私は思わない。
少なくとも、私は、ごめん!
またそういうことをしたからといって、「私」の中にある「業」が、消えるわけ
ではない。

●結論

 で、私なりの結論は、こうだ。

 まず業に気がつくこと。
あとはそれとうまく、つきあっていく。
業があっても、なくても、それが「私」。
個性をもった「私」。
それが「私」と認めた上で、(それが弱点であっても、また欠陥であっても)、
前向きに生きていく。

 まずいのは、そういう業があることに気づかず、それに振り回され、同じ
失敗を繰り返すこと。
そのために「智慧」があるということになるが、それについては、また別の機会に
考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 末那識 阿頼那識 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、は
やし浩司 八正道 六波羅密、布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵、6つの徳目 修行論)


Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(付記)

 日付は、昨年(2010年)の3月になっている。
読みなおしてみる。
ずいぶんと荒っぽい原稿である。
その荒っぽい原稿を読みなおしながら、私の底を流れる「私」をさぐる。
つまり「業」に気づくのは、それほどまでにむずかしい。
脳の奥の奥に潜んで、そこから私たちを裏から操る。
だから「宿業」ともいう。

 その「宿業」についても、以前、書いたことがあるはず。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宿業

 「宿業(しゅくごう)」という言葉もある。
業の中でも、とくに大きく、そして自分の心の奥に潜んでいて、自分を操る業をいう。

 この宿業というのは、若いときにはわからない。
人はその宿業に操られるまま、それを「私」と思いこむ。
が、加齢とともに、それが少しずつ、姿を現してくる。
現像液につけられた写真のように、姿を現してくる。

 それが「私」ということになるが、ときにその醜さに、驚くかもしれない。
「これが私の顔か!」と。
そしてそれまでの「私」が、いかに業に振り回されていたかを知る。
つまり私であって、私でない部分に振り回されていたかを知る。

 言うなれば、若いときというのは、「煩悩(ぼんのう)」のかたまり。
大脳生理学的にいうなら、ドーパミンに操られるまま。
それが「生的エネルギー」(ユング)ということになるが、しかしそれは「私」ではない。
ほんとうの「私」は、深層心理の奥深くにあって、なかなか姿を現さない。
しかもその「私」の大部分は、0歳期〜からの、乳幼児期に作られる。

 もちろん宿業がすべて悪いわけではない。
(ふつうは、宿業イコール、悪という前提で考えるが……。)
人間のもつ多様性は、煩悩によって作り出される。
またそれから生まれるドラマが人間の世界を、うるおい豊かで、楽しいものにする。
もちろんその反対もある。
憎しみや悲しみが、暗くて重い歴史を作ることもある。
が、もしなぜ私たち人間が、今、こうして生きているかと問われれば、そうした
ドラマの中で、懸命に生きるためということになる。

 そう、懸命に生きるところに、私たちの生きる意味がある。
追い詰められても、追い詰められても、土俵間際でふんばってがんばる。
それが「生きる」ということになる。

 だれにも宿業はある。
宿業のない人は、いない。
またあることを、恨んではいけない。
大切なことは、そうした宿業と仲良くすること。
どんなに醜い顔をしていても、結局は、それが「私」なのだから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 宿業)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【放射線物質(放射能)の拡散図】7月8日改


+++++++++++++++++


今、この日本で何が起きているか?
たとえば静岡茶から放射能が観測されたとき、
このあたりの人たちはみな、こう言った。
「福島から、何百キロも離れているのに……」と。


が、この認識がいかに甘いものであるかは、
つぎの放射線物質(俗に言う放射能)の拡散様子図
(イギリス気象庁発表)を見ればわかる。


2011年、3月22日の分だけである。
自分で確かめたい人は、
http://atmc.jp/england/
を見たらよい。
なおこの中で、邦訳は、「拡散予測図(dispersion model)」となっているが、
正確には、「拡散様子図」もしくは「拡散想像図」が正しいのでは?


+++++++++++++++++


●2011年3月22日の、放射線物質(放射能)の拡散様子図
(イギリス気象庁作成)
Potential cloud spread - Iodine-131 - Japan - FLEXPART: dispersion model
(ヨウ素131、日本における拡散様子図)


3−22 03:00(GMT、以下、同じくイギリス標準時)
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/48/img7a3e2430zik4zj.gif
" width="597" height="403" alt="conccol_I-131_20110322T030000.gif">


3−22 09:00
IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/50/img7ad955cazik9zj.gif
" width="598" height="405" alt="conccol_I-131_20110322T090000.gif">


3−22 12:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/51/img13877486zik4zj.gif
" width="597" height="405" alt="conccol_I-131_20110322T120000.gif">


3−22 15:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/52/img8853d205zikfzj.gif
" width="597" height="404" alt="conccol_I-131_20110322T150000.gif">


3−22 18:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/53/img93ecf456zik4zj.gif
" width="597" height="406" alt="conccol_I-131_20110322T180000.gif">


3−22 21:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/54/imgefab1bbfzik8zj.gif
" width="597" height="405" alt="conccol_I-131_20110322T210000.gif">


ついでに、その3日後の様子図も1枚、掲載する。


3−25 00時(GMT)※
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/55/img23978217zikfzj.gif
" width="597" height="405" alt="conccol_I-131_20110325T000000.gif">


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●100キロ単位で拡散する放射能(放射性物質)

 放射性物質(放射能)は、100キロ単位で、拡散する。
3月22日の拡散様子図を見ただけでも、それがわかる。
同サイト(http://atmc.jp/england/)では、動画でヨウ素131の拡散していく様子も示されてい
る。
これを見ると、日本列島の半分ほどもある巨大な汚染雲(Potential cloud)が、ナメクジのよう
に日本列島を順次、襲っているのがわかる。

 
 が、それでも今回は、不幸中の幸いというか、日本列島は、「風」に救われた。
3月25日の拡散様子図を見てもわかるように、汚染雲は、主に太平洋側に流れている。
もしこの風向きが、そうでなかったら……。
この先冬になれば、そうなる可能性はきわめて高いが、日本列島は、すっぽりとその中に入っ
てしまう。


 今回の福島第一原発における事故については、すでにチェルノブイリ事故の2分の1程度の
放射能がまき散らされているという。
つぎの図を見れば、その規模がいかに大きいものであったかがわかる(「原発事故」(宝島社)
より)。


<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/71/imgd4a5f8e4zik6zj.gif" 
width="698" height="558" alt="チェルノブイリの原発事故と放射性物質の拡散">


ちなみに、
福島第一原発→東京都心(皇居) ……206km
福島第一原発→浜松市中心部   ……410km
(グーグルアース上の直線距離)


●日本は権力闘争を繰り返している場合ではない!


 こうしたことの深刻さが少しでも理解できたら、同時に、現在進行している訳の分からない権
力闘争が、いかに愚劣なものであるかが、わかるはず。
何も管直人首相を積極的に支持するわけではないが、こんな時期に、首相をしたいと名乗り出
る人がいるだろうか。
管直人首相が、自らそれをするというのであれば、私たちは挙国一致内閣で、管直人首相を
支持、支援すべき。
また今は、そういう時期。


 多くの人は、福島第一原発事故は、すでに安定状態に入ったと考えている。
しかし基本的には、何度も書いているが、何一つ、問題は解決していない。
解決に向かった努力は、目下、作業員の方たちによって懸命になされてはいるが、言うなれ
ば、いまだに応急措置の段階。


たとえば1号機の7月3日の様子を見てほしい。
放射線量(放射能)が、急激に拡大しているのがわかる。


(注)には、「計器不良」とあるが、意味がよくわからない。
計器不良だったから、この数値になったのか。
それとも針が振り切れてしまったから、計器不良になったのか。
この数値がまちがっていることを願うばかりである。


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/57/imgf5e046dezik2zj.gif
" width="300" height="160" alt="chart.gif">
(D/W……ドライウェルの略。格納容器本体のこと。 S/C……サプレッションチェンバーの略。
圧力抑制室のこと)


 なお1〜3号機は、メルトダウンからメルトスルーの状態。
水素爆発も心配だが、この先、水蒸気爆発も可能性として、ありえないわけではない。
チェルノブイリでは、その水蒸気爆発が、被害を拡大させた。


●管直人首相の英断


 各地の原子炉の再開について、政府の姿勢は二転三転しているかのように見受けられる。
が、これも、現在の状況を考えるなら、やむをえないのではないか。
今、この日本で起こりつつある(現実)は、未曾有の大災害であり、へたをすれば、東京という
首都圏はもちろん、北は東北地方全体、南は名古屋市まで、人が住めなくなる。


 そういう(現実)が、今、刻々と変化しつつある。
その変化に応じて、……というか、そういった深刻な情報がもたらされるたびに、意見が変化
する。
管直人首相が率いる政府首脳の判断が、変化する、……つまり一貫性がないからといって、
どうして私たちがそれを責めることができるのか。


 それよりも理解できないのは、目先のマネーに目がくらみ、「原発再開」を唱える人たちであ
る。
原発再開は、少なくとも、今の福島第一原発の事故の収束を確認してからでも遅くないのでは
ないか。
今まさに、福島第一原発では、ボーボーと火が燃えさかっている。
そんな最中に、どうして原発再開なのか。


●浜岡原発について


 浜岡原子炉の閉鎖は、当然。
あんなところに原子炉があること自体、バカげている。
私の意見ではない。
世界中の科学者たちが、みな、そう言って、首をかしげている。


 まさに巨大地震の発生予想地。
海のそば。
その下には、その後発見された活断層が、何本も走っている。
俗な言い方をすれば、あんなところに原発があること自体、「正気の沙汰」ではない。
もし浜岡原発で、ひとたび事故が起きれば、(すでに何回も事故は起きているが※1)、首都圏
はもちろん、日本の経済は壊滅的な打撃を受ける。


 そのときも中部電力は、「政府の基準を守っていました」と逃げるだろうが、そんな卑怯な言
い訳は、もう2度と聞きたくない。


 巨大ゼネコンと官僚の抵抗を覚悟に、管直人首相は、浜岡原発の停止を勧告した。
これを英断と言わずして、何という。


●政府は、正直に!


 が、ひとつだけ菅直人首相に注文したいことがあるとすれば、政府は、もっと正直になるべ
き。
官僚がもつ情報を、そのつど、すみやかに開示すべき。


 官僚という組織は、情報によって成り立っている。
情報がなければ、ただの烏合の衆。
だから情報にしがみつく。
情報を手放さない。
しかし今は、そんな状況ではない。
国家の浮沈にかかわる一大事。
わかりやすく言えば、戦争状態。
情報を小出しにして、国民をだまそうなどという小細工は、もうやめたらよい。
しっかりとそのあたりを、管直人首相は、指導してほしい。


 すでに私のような者でさえ、外国からの情報を自由に手に入れることができるようになった。
またそういう時代になった。
政府は、正直に!


●私たちは……


 一方、国民には、国民の責任がある。
今になって自民党(野党)は、管直人首相を口汚くののしっているが、(鳩山氏は、同じ与党内
で口汚くののしっているが)、今の今まで、こうした原発政策を野放しにしてきたのは、自民党
自身ではないのか。
が、自民党だけが悪いのではない。
もちろん民主党が悪いのでもない。
そういう政府を作ってきた、またそれしか能のなかった私たち自身にも責任がある。


 民主主義とは名ばかり。
実態は、地方のオジチャン、オバチャンたちによる談合選挙。
それをよしとして、その政治を裏から操る官僚たち。
その結果が「今」ということになる。


 だから……と書くのは、あまりにも気が重いが、私たち自身も、「国が……」「国が……」とい
う言い方をするのを、もうやめようではないか。
「自由」とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
それを「自由」という。


●最後に……


 今も、不気味な小雨が降っている。
まさに不気味。


 現在、全国の有志によって、各地の放射線が測定されている。
それらはリアルタイムで、インターネット(Ustream)で流されている。
愛知県の豊橋市(浜松市からさらに西へ32キロ)での測定結果を、昨夜も午前1時ごろまで見
ていた。


 その測定結果をみても、放射線は、毎時0・2マイクロシーベルト前後。
その測定結果は、文科省が新聞で発表している数値の約4〜5倍!
すでにこのあたりまで、放射能により、すっぽりと汚染されてしまっている。
だから「不気味」と書いた。

http://atmc.jp/geiger/?city=%E6%84%9B%E7%9F%A5
(7月8日の朝は、0・124前後、午前7時58分測定)


 こんな日は、浜松の子どもたちも、雨合羽とマスクの着用は、当然。
私は自分の教室の生徒には、そのつど雨合羽を無料で配ってきた。
(5月中旬に入ってからは、財政的な理由で中断しているが……。)


それにしても、何とも不気味な小雨ではないか。


2011/07/08記
2011/07/08改

注※(1)

●御前崎原子力発電所関連の事故

★1991年4月4日ー3号機 原子炉給水量が低下、自動停止
★2001年11月7日ー1号機 配管破断事故
★2001年11月9日ー1号機 原子炉水漏洩事故
★2002年ー自主点検の書類に16箇所の記入ミス、ひび割れの兆候を見つけるも県へ報告せ

★2002年5月24日ー2号機 点検用水抜き配管水漏れ
★2004年2月21日ー2号機 タービン建屋屋上にて火災
★2004年8月ー4号機 骨材データ偽造問題(別項で詳述)
★2005年11月4日ー1号機 配管水漏れ事故
★2005年11月16日ー3号機 屋外配管の腐食による蒸気漏れ
☆2005年11月16日ー1号機 燃料プールに異物混入
★2006年6月ー5号機タービン羽根破損
★2007年3月ー不正行為やミスが計14件あったことを中部電力が発表など
★2009年4月13日ー3-5号機のデータ改竄問題で、542個所の溶接後の熱処理を行ったうち5
号機の94個所の作業を実際に改竄した作業員が担当していたことが判明し、県に報告すると
ともに早急に安全性を確認することとしている。
☆2009年8月11日ー駿河湾沖を震源とする地震の発生に伴い、4号機と5号機が緊急停止(放
射能漏れは無し)
★2009年8月19日ー8月11日の地震で点検停止中の5号機排気筒排ガスからごく微量のヨウ
素131を検出。モニタリングポストに変化はなく、外部への放射能の影響はなし
★2009年12月ー3号機で放射性廃液が漏れる事故があり、作業員34人が被曝したことが分か
った

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【浜岡原子力発電所】「今すぐ停止すべし」(以下、2011年5月7日記)


中部電力浜岡原子力発電所の危険性について

浜松市

はやし浩司


++++++++++++++++


菅直人首相は6日夜、緊急に記者会見し、
浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)にある
全ての原子炉の運転を停止するよう
中部電力に要請したと発表した【資料1】。


この発表を受け、地元の静岡県知事は、「英断」
(中日新聞)と評価。


理由は、「浜岡原子力発電所は、東海地震の震源域の
真上に位置する」こと【資料2】。


さらに最近、浜岡原子力発電所の周辺には、活断層が
3本も走っていることが判明。
(8キロメートル以内には、8本。)


うち2本は、原子力発電所直下を走っている【資料3】。


管直人首相の「停止要請」に対して、中部電力側は
表向きは従う様子を見せながらも、それを拒否。


さらにこの要請を歓迎するかと思われた御前崎市市長が、
「(我々の意見を)聞いていたのか」と、「不快表明」(5月6日)。


理由は、「雇用や地元商店街に大きな影響が出てくることは
間違いない」と【資料4】。

さらに御前崎市市長は、つぎのように述べている。
注意深く読んでみてほしい。
なお内容は、日本経済新聞、中日新聞の双方で
報道されている。

「国が原子力を危険・不安と思うのであれば、
浜岡原発だけではなく、全ての原発を見直すべきだ」
(御前崎市石原市長談)と。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



【資料1】

菅直人首相は6日夜、緊急に記者会見し、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)にある全て
の原子炉の運転を停止するよう中部電力に要請したと発表した。

大規模な東海地震の発生が予測される中、重大事故が発生した場合の悪影響を未然に回避
する必要があると判断した。政府は浜岡原発以外の他の原発については停止要請をしない方
針だ(以上、日本経済新聞、5月6日)。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



【資料2】

 中部電力浜岡原子力発電所は、マグニチュード(M)8級が想定される東海地震の震源域の
真上に位置する。

以前から地震や津波の危険性が、ほかの原発に比べはるかに大きいと指摘されてきた。中部
電は多額の資金を投じて耐震性を強化してきたが、東日本大震災という「想定外」の巨大地震
の発生によって、政府は抜本的な対策を取らない限り、安全性は担保できないと判断したよう
だ(以上、日本経済新聞、5月6日)。


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【資料3】

東海地震の想定や敷地内のリニアメントについて、問題として取り上げられるようになったの
は、発電所が運開して間もない頃であった。

大規模地震対策特別措置法の施行などがあった頃からである。

同法施行直後に3号機の増設計画はまとめられ、1978年12月18日に設置変更許可申請書を
提出したが、審査書類の再提出を求められて、活断層調査などの記述を大幅に追加して、
1980年12月に再提出した。

その際、藤井陽一郎(当時筑波大学理学部教授)などから、「中部電力は、従来の検討の不
十分さを実際上は認め、部分的には新しい知識を取り入れながらも、いろいろと言いわけを
し」たなどと、業界誌である『原子力工業』の記事でも批判されていた。

この時点で、発電所敷地内に断層破砕帯が存在する点が既に憂慮の対象になっており、再提
出された設置許可申請でもH断層系として一部が呼称を与えられている。

このH断層系は1〜3号機の建屋をかすめている。

この件は静岡大学助教授(当時)の小村浩夫が1981年7月に発表した論文で紹介され、原発
から8km以内周辺には8本の活断層が知られており、ほかに3本のリニアメント(活断層の疑い
がある)があるが、そのうち2本が原発敷地内を走っている(以上、ウィキペディア百科事典よ
り)。


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【資料4】

 政府が中部電力に浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の全面停止を要請したことを受
け、同原発の地元、御前崎市の石原茂雄市長は7日朝、市役所内で緊急会見を開いた。

石原市長は「国が原子力を危険・不安と思うのであれば、浜岡原発だけではなく、全ての原発
を見直すべきだ」と述べ、政府の判断を改めて批判した。

 石原市長は「国策として進めてきた原発を、国が止めるというのであれば、重く受け止めない
といけない」とした上で、「地元は苦渋の判断で原発を受け入れてきた。

まさか、ここまで止める問題が急激に来るとは思わなかった」と、政府の突然の発表に驚きを
隠さなかった以上、。

(中略)

 全面停止後の見通しについては「防潮堤が2年間で完成するかという問題もある」として、停
止期間が2年以上になることへの懸念を示した。

また地元経済に与える影響について「雇用や地元商店街に大きな影響が出てくることは間違
いない」と述べた以上、(以上、日本経済新聞、5月7日)。


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●安全が確保されるまでの停止

 福島第一原発事故を受け、全国で原発見直しの動きが見られる。
当然のことである。
それを受けて、静岡県御前崎市にある中部電力御前崎原子力発電所も、安全点検の
対象となった。
当然のことである。
その結果、「津波に対する防御態勢が十分でない」ということが判明した。

 それに対して、中部電力側は、『12日、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)に新設予定
の防波壁の高さを、従来想定していた12メートル超から、15メートル超に引き上げる方針を
明らかにした』(World Note Site)。

 が、その工事が完成するまでに、2〜3年もかかる。
しかしその一方で、東海沖地震については、「30年以内にマグニチュード(M)8程度の地震が
発生する可能性が87%という数字も示されている」(同、サイト)。

 平たく言えば、今回の3・11大震災級の大地震が、今後30年以内に87%の確率で起こると
いう。
もちろんそれなりの大津波も予想される。
「87%」という数字は、「ほぼ確実に……」という数字である。

 で、常識のある人なら、こう考える。
「安全が確保されるまで、原子力発電所は、停止すべし」と。

 少なくとも防波壁が完成するまで停止すべし。
あるいは福島第一原発事故が、収束するまで停止すべし、と。
常識のある人なら、そう考える。

 が、御前崎市の石原市長は、そうは考えない。
「不快表明」をしたあと、こう述べている。
もう一度、この部分をよく読んでみてほしい。

「国が原子力を危険・不安と思うのであれば、浜岡原発だけではなく、全ての原発を見直すべ
きだ」と。

●論理的非論理

 あなたの子どもが、こう言ったとする。
「ママ、ジュース、買ってよ」と。
それに対して母親が、「今日はがまんしなさい」とたしなめたとする。
が、ここでその子どもが、こう言い返す。

「お兄ちゃんだって、買ってもらったじゃないか!」と。

 よく耳にする会話である。
子どもは不平等性を理由に、自分の主張の正当性を母親に訴える。

 が、こんな会話ならどうだろうか。

 あなたが子どもに、こう言ったとする。
「道路で、自転車に乗ってはいけません。まだあなたはうまく自転車に乗れないからね」と。
が、子どもはその子どもは、こう言い返す。

「道路が危険なら、お兄ちゃんだって、乗るべきではない。
お兄ちゃんも、やめさせろ!」と。

 こういうのを非論理的論理という。
論理的非論理でもよい。
一見、論理的だが、論理的ではない。
わかりやすく言えば、「ダダ」。
御前崎市長は、そのダダをこねた。
理由は、「お金(マネー)」(?)。

●御前崎市

 20代、30代のこと、私は子どもたちを連れて、よく御前崎市までドライブした。
その季節になると、サザエなどを、安く買うことができた。
車で、2時間ほど、かかった。

当時の1号機建設時には、原子炉建屋から最寄民家までの最低距離は、700メートル。
半径5キロメートル以内の人口は約1万7000人、10キロメートル以内は約6万人であった
(ウィキペディア百科事典)。

 が、それから30年。
御前崎市は一変した。
人口も3万8000人弱にふえた。
「バイパス」と現地の人たちは読んでいるが、都会にもないような4車線の道路(150号線)が、
走っている。
もちろん昔の面影は、どこにもない。

当時は、砂ぼこりが舞うような田舎道だった。
御前崎市は、丘を登った、丘陵地帯にあった。
やっとさがしあてた食堂にしても、吹きさらしの板間だった。
今は、ちがう。
どうちがうかは、行ってみればわかる。

 今回の福島第一原発事故に関して、どこかの市長が、「3700億円」という数字をあげたの
を記憶している。
「原発の経済効果は、毎年、3700億円もある」と。

 おそらく……というより、ほぼまちがいなく、御前崎市にも、その程度、あるいはそれ以上の
現金が、毎年投下されているにちがいない。
だから御前崎市市長は、こう言った。

「雇用や地元商店街に大きな影響が出てくることは間違いない」と。

 言い換えると、石原市長は、原発推進派の市長として、原子力発電所のもつ経済効果を長く
利用してきたことになる。
仮に3700億円としても、半端な金額ではない。
もし浜岡原子炉が停止ということにでもなれば、御前崎市は、巨大な利権を失うことになる。
非論理的論理(ダダ)であるにせよ、石原市長は、思わず本音を漏らしたことになる。

●それでも原発?

 福島第一原発事故の話に戻る。

 現在、福島第一原発周辺の市町村は、ゴーストタウン化している。
その地域に住んでいた住人の人たちの多くは、「早くもとの家に戻りたい」「もとどおりにしてほ
しい」と言っている。

 しかし現実問題として、チェルノブイリ事故の例をあげるまでもなく、それは現段階において
はほぼ不可能。
「ほぼ」という文字をはずしてもよい。
むしろ事態は、日に日に悪化している。
福島第一原発の原子炉は、まさにいつ爆発してもおかしくない状態。
もしそうなれば、「それどころではない」という状態になる。

 またよく広島を例にあげて、「福島も復興する」と主張する人がいる。
しかし放射性物質の量では、広島の原爆など、比較にならない。
規模、そのものが、ちがう。
チェルノブイリと比較しても、福島第一原発の原子炉は、世界最大級。
もしそんな原子炉が爆発したら、チェルノブイリの約25倍もの放射性物質が、周辺に飛散する
ことになる(この「25倍」という数字は、私の試算による。疑う人は、自分で試算してみたらよ
い)。

 が、それでもこんな意見があるのには、驚かされる。
福島第一原発の近くの町に住む住人は、テレビのインタビューに答えて、こう述べていた。
「それでも原発は必要です」「私たちはそれで生活していましたから」と。

 御前崎市市長も、同じような気持ちかもしれない。
「危ないことは、よくわかっている。しかし原発は、市の発展のために必要」と。

 が、もしつぎのような事実を知ったら、御前崎市市長というより、この浜松市に住む人たちの
気持ちも変わるのではないか(出典は、「ウィキペディア百科事典」)。
なおこの事実の中で、2001年以後、事故数が急速にふえているのには、2つの理由があるも
のと推理される。

(1)それ以前は、事故があっても闇から闇へと、葬られた。
(2)2001年以後、検査が厳格になり、事故が公表されるようになった。

 けっして以前は安全だったというふうに考えてはいけない。
データの改ざんは、日常的に行われていた。
そうのことは記録をていねいに読めば、わかるはず。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●小細工(九州電力の小細工)2011/07/09

 先日、ある人の車に、大きなひっかき傷がつけられた。
釘のようなもので、波状に深く、側面がえぐられていた。
買ったばかりの、新車だった。
が、その人は、やったのが、だれかすぐわかった。
道をはさんだ、はす向かいの通りで、化粧品店を経営している女性だった。
それまでの20年間、似たようなトラブルが、ずっとつづいていた。

 が、そのつど化粧品店を経営している女性は、同時に小細工をすることを忘れなかった。
そのときも、自分の店の前に立ててある看板に、同じような傷をつけていた。
つまりそうすることによって、「私の家も、被害者」ということを装った(?)。

 車に傷をつけられた人は、こう言った。
「半分、サビかかったような看板に、わざわざ傷をつける人はいませんよね。
一応、警察の事故調書が必要なので、警察に来てもらいましたが、そのとき、自分が疑われな
いよう、先に小細工をしたというわけです」と。

 こうした小細工をする人には、いくつかの特徴がある。

(1)気が小さい
(2)住んでいる世界が小さい
(3)ものごとに、こだわりやすい(うつ気質)
(4)表の生活(顔)と裏の生活(顔)が、大きくちがう、など。

しかしこうした小細工をするのが、個人とはかぎらない。
天下の一流企業がすることもある。

 日経新聞は、こんな記事を載せている。

●やらせメール

 『……やらせメール問題を巡っては6月26日に開かれた佐賀県民向け説明会の前、原子力
部門を統括していた別の副社長(当時)らが、説明会に「再稼働賛成」「原発推進」といった趣
旨の意見を積極的に送るよう指示していたことが既に判明。
これを受け、原子力発電本部の課長級社員が社内や子会社4社に意見メールの投稿を依頼
していた。

 九電関係者によると、玄海原発所長と川内事務所長もこの依頼をメールで受け取っていた。
玄海の所長はその前に、説明会に意見を出す方針を知っていたという。2人とも異論を唱える
ことはなく、黙認していたとみられる。九電は2人が意見メール投稿への協力を部下に指示し
ていなかったかについても調査している。

 説明会は経済産業省が主催し、ケーブルテレビやインターネットで生中継された。寄せられ
た意見メール473通のうち、再稼働への賛成は反対(119通)より多い226通。説明会2日後の
28日には九電の株主総会が予定されており、九電の経営陣や原子力部門は説明会の内容に
神経をとがらせていたと指摘する関係者もいる』(以上、日経新聞より)と。

 つまりあの九州電力が、「賛成」のやらせメールを、自社や関連会社の社員にさせていたと
いう。
まさに小細工!
私はこの記事を読んで、こう思った。

「あんな大企業でも、小細工をするのだなあ」と。

 常識で考えれば、小細工など、する必要はない。
「企業」と言っても、独占企業体。
ライバル社はなし。
国(官僚)の機嫌だけをうかがっていれば、経営は安泰。
中身は、準公共企業。
社員の身分も、準公務員。
待遇、給与体系は、公務員社会と同じ。
あるいはそれ以上。

●ごまかし論

 小細工というのは、平たく言えば、「ごまかし」。
が、考えてみれば、この世の中、ごまかしだらけ。
あらゆる人たちが、あらゆる場所で、ごまかしをしている。
それが許容範囲にあるか、ないか。
そのちがいはあるが、「私はごまかしをしていない」と断言できる人は、いったい、どれほどいる
だろうか。

 上は国会議員から、下は家庭の主婦まで。
レトルトパウチ食品にしても、ほんの少しトッピングを工夫するだけで、一流料理に変身させる
ことができる。
(私は、そういうのが、上手!)
もっともこれは(よい?)ごまかし。
相手をハッピーにする。

 だからふつう「小細工」というときは、その裏に、何かうしろめたさを伴うものをさす。
「だます」というほど強烈なものではないが、言うなれば「インチキ」。
つまり犯意は低いが、まあ、スレスレのところで相手をごまかす。

 で、今回の九州電力の「やらせメール事件」。
時期が時期だけに、これはまずい。
日本中が神経質になっている。
イライラしている。
そういうときに、こういうことをされたら、怒る。
私も怒った。
あなたも怒った。
みんな怒った。
……というか、あきれた。
……というか、電力会社も、そこまで追いつめられている。
こんな小細工をしなければならないところまで、追いつめられている。

 ともかくも、小細工はいけません。
どうせバレる。
バレたとき、信用を、100%失う。
その危険性を考えたら、小細工はしない。
堂々とぶつかり、あとは当たって砕ける。

 ……というのが、今日の私への教訓。
今日一日だけでも、ごまかしをしないで生きてみる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼児にカレンダー(曜日)を教える】

●年長児になると、「きのう」「きょう」「あす」が理解できるようになり、さらに少し訓練すると、
「おととい」「あさって」まで、理解できるようになります。

こうして時的な空間を広くしていきます。
この時期にこうした種まきをしておくと、「時の流れ」を、あたかも地図で自分の場所を知ること
ができるように、理解できるようになります。


(1)

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(2)

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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)

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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●受験教育の弊害について(小5クラスの様子を背景に)

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=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【伸びる子・伸びない子】(かぎを握るのが、忍耐力)


●がまんをさせる(忍耐力と子どもの伸びる力)

++++++++++++++++++++

孫の誠司(当時6歳、母親はアメリカ人)のこと。
その誠司をおもちゃ屋へ連れていったときのこと。
孫の誠司はおもちゃを手に取って遊ぶだけで、
けっして「ほしい」とは言わなかった。

ショッピングセンターへ連れていったときも
そうだった。
日本の子どものように、「あれ、買って」「これ、
買って」とは、言わなかった。
で、息子(二男)にその理由を聞くと、こう言った。
「無駄なものは、いっさい買わない」と。

アメリカといっても広い。
二男の嫁が生まれ育ったのは、アメリカ南部。
両親は厳格なバプティスト教徒。
日本人の子育て法とは、基本的な部分がちがう。
その(ちがい)が、冒頭に書いたちがいとなって、
現れた。

が、それだけではない。
誕生日プレゼントでも、クリスマスプレゼントでも、
その日になるまで、親は包みを開かせない。
孫たちは、その日になってはじめて、包みを開く。
習慣のちがいといえばそれまでだが、しかし
こうした習慣が、子どもに(我慢)ということを
教える。

私がそれまでもっていた常識とはあまりにもちがったので、
孫たちを見ながら、私は強烈な印象を叩きつけられた。

+++++++++++++++++++++

●D・ゴールマンの実験

 植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)に、こんな興味深い実験が紹介されている。
D・ゴールマンがした『マシュマロ・テスト』というのが、それ(P13)。
内容をかいつまんで紹介する。

+++++以下、「天才とバカの境目」より、要約+++++

 4歳の子どもに、実験者がこう言う。

「ちょっとお使いに行ってくるからね。おじさんが戻ってくるまで待って
いられたら、ほうびに、このマシュマロを2つあげる。
でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロを、1つだけあげる。
そのかわり、いますぐ食べてもいいけどね」と。

 4歳の子どもには、大きな試練だ。
さてあなたなら(あなたの子どもなら)、どうするだろうか。

 ゴールマンはこう言う。
『子どもがどちらを選ぶかは、多くのことを語ってくれる。
性格が端的に読み取れるだけではなく、その子どもがたどる人生の軌跡
まで想像できる』と。

 で、4歳児のうち、何人かは実験者が戻ってくるまで、15分ないし20分
間を待つことができた。
待っている間、子どもたちはマシュマロを見なくてすむように、両手で目を
覆ったり、顔を伏せたりしていた。
自分を相手におしゃべりをしていた子どももいたし、歌を歌っていた子どもも
いた。
最後までがんばりぬいた子どもは、ほうびにマシュマロを2個もらった。

 同じ4歳児でも衝動性の強い子どもは、目の前のマシュマロに手をのばした。
しかもほとんどのばあい、実験者が、『お使いに行く』と部屋を出た直後に
そうした」と。

●決定的な差

 この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・
ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡
調査がなされたという。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個
受け取ったグループとでは、決定的な差が生じた。

 情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT
(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差を
つけたという。

+++++以上、「天才とバカの境目」より、要約+++++

●注目すべき結果

 もう一度、最後の部分をよく読んでほしい。
こうある。

「情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT
(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差を
つけたという」(P14)。

 つまりがまん強い子どもは、そうでない子どもよりも、学業面においても
大きな(差)をつけたという。

しかしこれは何もこんなおおげさな実験などしなくても、常識と考えてよい。

●がまん

 子どもにとって忍耐力というのは、(いやなことをする力)をいう。
これについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

(なおこの意見は、私のオリジナルの持論。
最近書店に並んでいる育児本に、同じことを書いてあるのを知った。
私の持論のパクリである。)

 たとえばあなたの子どもに、台所の生ごみを始末させてみてほしい。
シンクに手が届かないようであれば、風呂場の排水口にたまった毛玉でも
よい。
あるいは年齢が大きければ、風呂洗い、もしくはトイレ掃除でもよい。
そういう仕事を頼んだとき、何のためらいもなくそれができる子どもは、
忍耐強い子どもということになる。

 このタイプの子どもは、学業面でも伸びる。
理由は簡単。
もともと学習(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。
しかも「この先、どんな人生を歩むようになるかまで、わかる」と。
ゴールマンは、それを研究として、つまりデータ上で、証明した。

●幼児期前期(2〜4歳期)

 エリクソンは、幼児期前期を「自律期」と位置づけている。
この時期に、「自らを律する」ということをしつけると、子どもはのちのちも、
自己管理能力のすぐれた子どもになる。

 人間の子どもだけではない。
犬もそうで、時期をうまくとらえ、しつけると、人間の言いつけをしっかりと
守ることができるようになる。
たとえば私の犬のハナは、中型の猟犬だが、いまだかって塀を乗り越えて
外に出たことはない。
塀は自分の肩ほどの高さしかないから、その気になれば、いつでも飛び出せる。

 子どももそうで、この自律期に、しっかりとしつければ孫の誠司のように
なる。
おもちゃ屋でおもちゃを見るときも、ただ見るだけ。
それで満足する。
「買って」とか、「ほしい」という言葉すら、口に出さない。
で、私のほうが見るに見かねて、「買ってあげようか?」と声をかけると、
かえってキョトンとしている。
子どもをしつけるということは、そういうことをいう。
「がまんさせる」ということは、そういうことをいう。

●物欲(食欲)

 これは私の仮説。

以前にも書いたことがあるが、脳の視床下部からは絶え間なく、ある種の
シグナルが放出されている。
フロイトが説いた「性的エネルギー」、ユングが説いた「生的エネルギー」と
いうのは、それをいう。

そのシグナルに応じて、ドーパミンが分泌され、人間の脳は欲望に満たされる。
この欲望をコントロールするのが、前頭連合野ということになる。
つまり「理性」。

 しかし前頭連合野の力は、それほど強くない。
とくに線条体に受容体が一度形成されると、そこで条件反射運動が起こる。
こうなると理性の力は、さらに遠ざかる。
アルコール中毒、ニコチン中毒、さらには買い物依存症の人たちを見れば
それがわかる。
買い物依存症の人たちは、それがほしいからそれを買うのではない。
必要だから買うのでもない。
(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。

(この点、ニコチン中毒者も同じように考えてよい。
タバコを吸いたいから、タバコを吸うのではない。
タバコに、タバコを吸わせられている!)

 物欲もまさに、その1つ。
「情動の自己規制力」(ゴールマン)が強い子どもは、それだけ前頭連合野
の力が強いということになる。
反対に、そうでない子どもは、そうでない。
情動の自己規制力が弱いから、衝動的な行動をコントロールすることができない。
あるいは情動に溺れてしまう。
が、これでは落ち着いて勉強することもできない。
そのちがいが、「200点以上という差(SAT)」となって現れる。

●臨界期

 子どもをがまん強くするかどうか。
忍耐力のある子どもにするかどうか。
その時期は、幼児期前期(2〜4歳期)にかかっているとみてよい。
その時期を逃すと、以後、子どもをがまん強くしたり、忍耐力のある子ども、
つまり情動に対して自己規制力のある子どもにするのは、たいへんむずかしい。
子どもの忍耐力にも、臨界期があると考えてよい。

 たとえば年長児(幼児期後期)にもなると、その(ちがい)が、個性となって
その子どもの中に定着してしまう。
衝動性の強い子どもは、それ以後、ずっと衝動性の強い子どもになる。
いくら指導しても、また叱ったり、注意したりしても、それが直るということは、
まず、ない。

 またこのことも犬を見ればわかる。
私は以前、もう一匹、犬を飼っていた。
保健所で処分される寸前の犬だった。
が、この犬は、「自律心」ということになると、まったく自律心のない
犬だった。
ほんの少しでも裏の勝手口が開いていようものなら、私たちの目を盗んで、
そのままどこかへ行ってしまった。
何度教えても、また叱っても、死ぬまでこの悪癖は直らなかった。

●子どもを伸ばす

 子どもを伸ばすかどうか。
そのひとつの鍵をにぎるのが、(がまん)ということになる。
(あくまでもひとつの鍵。誤解のないように!)
がまん強い子どもは、伸びる。
そうでない子どもは、そうでない。

 だから幼児期、とくに幼児期前期においては、がまんをテーマに、
子育てをするとよい。
(がまん)にも臨界期があり、この時期を逃すと、そのあとのしつけが
たいへんむずかしくなる。

 で、この問題は、あなたという(親)に、そのまま直結する。
あなたは、そのがまん強い親だろうか。
それとも衝動的な行動を繰り返しているだろうか。
つまり前頭連合野の力は強いだろうか。
それとも弱いだろうか。
一度、自分の幼児期はどうであったか、自分を振り返ってみるとよい。
別の(あなた)を、あなたは発見するかもしれない。
2010/08/17

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 マシュマロ マシュマロ・テスト 忍耐 子どもの忍耐力 我慢 我慢強い子ども 
がまん強い子ども 伸びる子ども 伸びない子ども ゴールマン はやし浩司 自己規制力 幼
児期前期 臨界期 自律期)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

●エリクソンの心理発達段階論

エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように
区分した。

(1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築)
(3) 幼児期後期(自主性の構築)
(4) 児童期(勤勉性の構築)
(5) 青年期(同一性の確立)
(参考:大村政男「心理学」ナツメ社)

+++++++++++++++++

以下、09年4月に書いた原稿より……

+++++++++++++++++

●子どもの心理発達段階

それぞれの時期に、それぞれの心理社会の構築に失敗すると、
たとえば子どもは、信頼関係の構築に失敗したり(乳児期)、
善悪の判断にうとくなったりする(幼児期前期)。
さらに自主性の構築に失敗すれば、服従的になったり、依存的に
なったりする(幼児期後期)。

実際、これらの心理的発達は4歳前後までに完成されていて、
逆に言うと、4歳前後までの育児が、いかに重要なものであるかが、
これによってわかる。

たとえば「信頼関係」にしても、この時期に構築された信頼関係が
「基本的信頼関係」となって、その後の子ども(=人間)の生き様、
考え方に、大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係の構築がしっかりできた子ども
(=人間)は、だれに対しても心の開ける子ども(=人間)になり、
そうでなければそうでない。
しかも一度、この時期に信頼関係の構築に失敗すると、その後の修復が、
たいへん難しい。
実際には、不可能と言ってもよい。

自律性や自主性についても、同じようなことが言える。

●無知

しかし世の中には、無知な人も多い。
私が「人間の心の大半は、乳幼児期に形成されます」と言ったときのこと。
その男性(40歳くらい)は、はき捨てるように、こう反論した。
「そんなバカなことがありますか。人間はおとなになってから成長するものです」と。

ほとんどの人は、そう考えている。
それが世間の常識にもなっている。
しかしその男性は、近所でも評判のケチだった。
それに「ためこみ屋」で、部屋という部屋には、モノがぎっしりと詰まっていた。
フロイト説に従えば、2〜4歳期の「肛門期」に、何らかの問題があったとみる。

が、恐らくその男性は、「私は私」「自分で考えてそのように行動している」と
思い込んでいるのだろう。
が、実際には、乳幼児期の亡霊に振り回されているにすぎない。
つまりそれに気づくかどうかは、「知識」による。
その知識のない人は、「そんなバカなことがありますか」と言ってはき捨てる。

●心の開けない子ども

さらにこんな例もある。

ある男性は、子どものころから、「愛想のいい子ども」と評されていた。
「明るく、朗らかな子ども」と。
しかしそれは仮面。
その男性は、集団の中にいると、それだけで息が詰まってしまった。
で、家に帰ると、その反動から、疲労感がどっと襲った。

こういうタイプの人は、多い。
集団の中に入ると、かぶらなくてもよい仮面をかぶってしまい、別の
人間を演じてしまう。
自分自身を、すなおな形でさらけ出すことができない。
さらけ出すことに、恐怖感すら覚える。
(実際には、さらけ出さないから、恐怖感を覚えることはないが……。)
いわゆる基本的信頼関係の構築に失敗した人は、そうなる。
心の開けない人になる。

が、その原因はといえば、乳児期における母子関係の不全にある。
信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)の上に、
成り立つ。
「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。
「私は何をしても許される」という安心感。
親の側からすれば、「子どもが何をしても許す」という包容力。
この両者があいまって、その間に信頼関係が構築される。

●自律性と自主性

子どもの自律性や自主性をはばむ最大の要因はといえば、親の過干渉と過関心が
あげられる。
「自律」というのは、「自らを律する」という意味である。
たとえば、この自律性の構築に失敗すると、子どもは、いわゆる常識はずれな
言動をしやすくなる。

言ってよいことと悪いことに判断ができない。
してよいことと、悪いことの判断ができない、など。

近所の男性(おとな)に向かって、「おじちゃんの鼻の穴は大きいね」と
言った年長児(男児)がいた。
友だちの誕生日に、バッタの死骸を詰めた箱を送った小学生(小3・男児)が
いた。
そういう言動をしながらも、それを「おもしろいこと」という範囲で片づけて
しまう。

また、自主性の構築に失敗すると、服従的になったり、依存的になったりする。
ひとりで遊ぶことができない。
あるいはひとりにしておくと、「退屈」「つまらない」という言葉を連発する。
これに対して、自主性のある子どもは、ひとりで遊ばせても、身の回りから
つぎつぎと新しい遊びを発見したり、発明したりする。

●児童期と青年期

 児童期には、勤勉性の確立、さらに青年期には、同一性の確立へと進んでいく
(エリクソン)。

 勤勉性と同一性の確立については、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。
子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。
それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立する。

 自我の同一性の確立している子どもは、強い。
どっしりとした落ち着きがある。
誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。
が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりん」の状態になる。
心理的にも、たいへん不安定となる。
その結果として、つまりその代償的行動として、さまざまな特異な行動をとる
ことが知られている。

 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい
自分を演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型
(集団の中で子分として地位を確立する、非行補助)など。
もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。
「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従って
しまう。
断ることによって仲間はずれにされるよりは、そのほうがよいと考えてしまう。

 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正された
りということは、まず、ない。
その知識がないなら、なおさらで、その状態は、それこそ死ぬまでつづく。

●幼児と老人

私は母の介護をするようになってはじめて、老人の世界を知った。
が、それまでまったくの無知というわけではなかった。
私自身も祖父母と同居家庭で、生まれ育っている。
しかし老人を、「老人」としてまとめて見ることができるようになったのは、
やはり母の介護をするようになってからである。

センターへ見舞いに行くたびに、あの特殊な世界を、別の目で冷静に観察
することができた。
これは私にとって、大きな収穫だった。
つまりそれまでは、幼児の世界をいつも、過ぎ去りし昔の一部として、
「上」から見ていた。
また私にとっての「幼児」は、青年期を迎えると同時に、終わった。

しかし今度は、「老人」を「下」から見るようになった。
そして自分というものを、その老人につなげることによって、そこに自分の
未来像を見ることができるようになった。
と、同時に、「幼児」から「老人」まで、一本の線でつなぐことができるようになった。

その結果だが、結局は、老人といっても、幼児期の延長線上にある。
さらに言えば、まさに『三つ子の魂、百まで』。
それを知ることができた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 平たく言えば、こうした同情を買うという一連の行為は、精神的未熟性による
ものと考えてよい。
情緒的欠陥が原因になることもある。
どうであれ、けっして好ましいパーソナリティではないことだけは、確か。
自分の中にそういう「卑屈なゆがみ」を感じたら、それと闘う。
これもまた老後を心豊かに生きるためのコツということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 エリクソンの心理発達段階論 (1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築) (3) 幼児期後期(自主性の構築) (4) 児童
期(勤勉性の構築)(5) 青年期(同一性の確立) (はやし浩司 家庭教育 育児 教
育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 反抗期の子ど
も 反抗期の子供) 同情を買う)

(2011/07/09再収録)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


●7月9日(土曜日)山荘にて

++++++++++++++++++++++++++++

今夜は、山荘へ逃げてきた。
自宅での気温は、夕方、30度を超えていた。
それで山荘へ。

途中、ブックストアで、2冊、本を仕入れる。
私は、日本文芸社の『超大恐慌の時代』(藤井巌喜著)。
ワイフは、雑誌の『ムー』(学研)。
今夜は、読書。
読書の夏(?)。

・・・今、午後10時半。
今、やっと一息ついたところ。
『超大恐慌の時代』の第1章「震災大不況の到来」、
第5章の「中国バブルついに崩壊」を読み終えた。

この2つを読んだだけでもわかるが、日本の未来は、お先真っ暗。
藤井氏は、こう書いている。
「外国人は最悪の事態を想定して行動している。
日本人は希望的観測に従って行動している」(P47・要約)と。

まったく、同意見。
福島第一原発事故にしても、ほとんどの日本人は、「安定状態に入った。
つまり問題は解決した」と思い込んでいる。
そう思いたい心情は、よくわかる。
またそうでも思わないと、気が晴れない。
しかし何ひとつ、問題は解決していない。
解決していないばかりか、この先、まだ、何が起こるか
わからない。

今日も菅首相は、こう言った。
「解決までには、この先、何十年もかかります」(記者会見)と。
つまりこの原発事故は、そういう問題。

この先、どれほど多くの悲劇を、私たちは目撃することになるのか。
それを思うと、ただただ気が重くなる。

++++++++++++++++++++++++++++

●耳鳴り

 山荘の夜は、静かだ。
ワイフはコオロギが鳴いているという。
が、私には、聞こえない。
いや、聞こえていたが、私は耳鳴りかと思っていた。

 私は子どものころ、慢性中耳炎で苦しんだ。
この病気のいやなところは、耳の奥がいつも熱っぽいこと。
そのためものごとに集中できない。
が、それでも勉強しなければならない。
そんな日々がつづいた。
そのつらさは、慢性中耳炎になったことのある人なら、みな知っている。

今は、それは収まったが、代わりに耳鳴りが始まるようになった。
ちょうどセミが鳴くような音に聞こえる。
実際、夏になり、セミが鳴くようになると、困る。
耳鳴りの音なのか、本物のセミの声なのか、区別できないときがある。

 が、そういう状態が何十年もつづくと、これも慣れ。
慣れの問題。
他人が心配するほど、私は耳鳴りの音については、気にしていない。
飛行機の中で、飛行機のエンジン音を気にしないのに似ている。
それに悪いことばかりではない。
耳が、健康のバロメーターになっている。
風邪のひき始めには、症状がまず、耳や喉(扁桃腺)に出る。
そのころ予防処置をすれば、大きな病気に進まないですむ。
実際、この20〜30年間で、病気で仕事を休んだことは、ほんの数回しかない。

 とは言いつつ、今、窓をあけ、耳を外に向けた。
コオロギの鳴き声を聞きたかった。

●Google Crome OS

 で、今夜はこう決めた。
震災や原発事故の話は書かないでおこう、と。
経済の話も、やめておこう。
座右には、家からもってきた週刊誌や心理学の本が、10冊、近くある。
私のばあい、こうして何か読むものが近くにないと、落ち着かない。
言うなれば、「文字中毒」?

 と書いても、趣味の本も読まないわけではない。
先週は、コンビニで『DIME』(小学館)を買った。
最新パソコンを特集していた。
それが今、テーブルの上にある。

目下、話題になっているのは、グーグル社が開発した、新OS。
「Google Crome」(OS)を搭載した、グーグル・パソコン(端末パソコン)。
雑誌には、「革新的新端末?」(P19)とある。
一言で表現すれば、「スピード感がちがう」ということらしい。
どこがどうちがうのだろう?
一度、どこかで触ってみたい。

●Twitter

 今やTwitterの全盛期。
そのための専用パソコンまで売りに出されている(NEC)。
たかが「つぶやき」とあなどってはいけない。
Twitterが、世界を動かしている。
中東で始まった、一連のジャスミン革命にしても、Twitterが起爆剤になった。
しかし私には、どうも使い勝手が悪い。
悪いというより、使う目的がちがう。

 私にとって、ものを書くというのは、墓石に文字を刻むようなもの。
生きているという証(あかし)そのもの。
死んだあとは、生きたという証(あかし)そのもの。
Twitterでは、それが期待できない。
文字通り、「おしゃべり」。
スズメのさえずりと同じ(失礼!)。
いくら書いても、何も残らない。

 では、FACEBOOKは、どうか?
仲間をさがし、友だちを作るには、役に立つかもしれない。
しかしこれにも限界がある。

 遠い昔の話だが、「パソコン通信」なるものが始まった。
最初はカタカナのみの交信だった。
それがやがて漢字も使えるようになった。
私は真っ先に飛びついた。
で、すぐ何人かの人たちと、友だちになった。

 1人は兵庫県姫路市に住んでいる人だった。
毎晩のように、今でいうメールを交換した。
(たしか浜松市内でも、パソコン通信をしている人は、数えるほどしかいなかった。)
が、インターネットが現れ、パソコン通信は、姿を消した。
同時に、その友人も、消えた。

 そういう経験があるから、FACEBOOKには、どうしても飛びつけない。
「やがては時間の無駄になる」と。
友だちといっても、ある限度を超えては、親しくなれない。
「限界」というのは、そういう意味。

●ネット用語

 「この世界は、どこまで進むのだろう」と、よく考える。
パソコンの性能も、1〜2年単位でよくなっていく。
新しいサービスも、つぎからつぎへと始まる。
ついていくだけで、たいへん。

毎日のように、新しい言葉も生まれる。
数日前も、「ストレステスト」という言葉が目についた。
直訳すれば。「耐性テスト」ということになる。
別の本には、「安全性確認テスト」と書いてあった。
だいたいの意味はわかったが、そこまで。

 が、いまだに意味のよくわからない言葉もある。
「スレ」という言葉。
若い人たちが、ネット上でよく使っている。
が、この言葉にしても、どんどんと変化していく。
10年ほど前だが、「モナー」という言葉もあった。
そこでネットで知り合った若い人に、意味を聞いた。
当時25歳くらいの男性だったが、親切に教えてくれた。
「お前も、そうだろ」という意味で、「モナー」と言う、と。
「お前もなあ」を短くして、「モナー」と。
相手に向かって、「偉そうなことを言うな」というときに、モナーと言う、と。

 が、最近、「モナー」という言葉は、あまり見かけない。
つまりそういうこともあるから、流行語をそのまま使うのも、危険なこと。
少なくとも、私は避けている。

●スケベ小説

 ところで震災以来、「週刊G」(講談社)を欠かさず、購入し、読んでいる。
その中に、毎週、たいへんスケベな連載小説が載っている。
作家の人には悪いが、これがどうしようもないほど、ヘタクソ。
一応それなりの名前のある作家なのだろうが、ヘタクソ。

 私もときどきスケベな話を文にする。
外に向かって発表したことはないが、言うなれば、私の秘密の趣味。
一度だけだが、ある女性に、それを読んでもらったことがある。
その女性は、こう言った。
「びっくりして、気絶しそうでした」と。

 ・・・と書くからといって、私のほうが上手というのではない。
スケベ小説というのは、現実感がモノを言う。
スケベな作家が、頭の中だけで想像して書いたような小説には、その現実感がない。
その場の人間しか知らないような、臨場感がない。
つまり読んでも、おもしろくない。
週刊Gに載っている小説は、明らかに(作り話)。
言うなれば「排泄の描写」ばかり。
哲学がない。
だから「ヘタクソ」という言葉を使った。

●TOSHIBA・UX

 ワイフは、先に床に入った。
日付は変わって、7月10日になった。
私も、少し眠くなってきた。
が、こんな時間は、そうはない。
私だけの、貴重な時間。
今しばらく、パソコンのキーボードを叩いていたい。

 使っているのは、TOSHIBAのダイナブックUX/23(10インチ・ミニパソ)。
ダイナブックのTX/66(15インチ・ノート)ももってきた。
が、私はUXのキーボードが好き。
キーを叩いているだけで、気持ちよい。
つまり今の私には、キーボードを叩くのが「主」。
文字を書くのは、「従」。
書くために叩いているのではなく、叩くために文字を書いている。
本末が逆転している。

●心の開いた人vs心の閉じた人

 が、それでは読者の方に申し訳ない。
現在、BLOGだけでも、毎日、1万人近い人たちが、私の文を読んでくれている。
そういう人たちのために、何か、役に立つことを書きたい。

 何だろう・・・?

 ・・・今、興味をもっているのは、「心の開いた人vs心の閉じた人」。
数日前から、このテーマで原稿を書きたいと思っている。
が、イマイチ、頭の中で構想がまとまらない。
まとまらないから、ずっと、そのまま。

 が、簡単に言えば、こういうこと。
(心の状態)と(外に向かって表現される様子)が、一致している人を、「心の開いた人」という。
一方、(外に向かって表現される様子)からは、(心の状態)のわからない人を、「心の閉じた
人」という。

 子どもの世界を見ていると、それがよくわかる。
表情や様子から、その子どもが何を考えているか、よくわかる子どもがいる。
そういう子どもを「心の開いた子ども」という。

 その一方で、何を考えているか、よくわからない子どももいる。
心がつかみにくい。
自閉症という障害をもった子どもは別として、自閉傾向をもった子どもとなると、何割かがそう
であると言える。
一見、従順で、おとなしく、親や教師の指導に、すなお(?)に従う。
しかしその分だけ、ストレスをため、心をゆがめやすい。
ときに突発的に錯乱状態になって、暴れることもある。

 だから・・・。
相手に対して心を開くということは、良好な人間関係を結ぶ、必要条件ということになる。
心が閉じていたのでは、良好な人間関係は、結べない。
友人でも、親子でも、そして夫婦でも。

●夫婦論

 夫婦の話を書いたので、一言。

 円満な夫婦関係を結ぶためには、1にさらけ出し、2にさらけ出し、3にさらけ出し。
性生活はそのために、たいへん有効。
たがいに裸になって、やりたいことをやればよい。

 もちろん性生活だけではない。
言いたいことを言い合う。
徹底的に言い合う。
もしそれができないというのであれば、その夫婦は、かなり危険な状態にあるということにな
る。

 だから昔からこう言う。
「喧嘩をする夫婦ほど、仲がいい」と。
あるいは「夫婦喧嘩、犬も食わない」と。
夫婦喧嘩が悪いというのではない。
その範囲で収まっているなら、夫婦喧嘩、おおいに結構。
たがいに言いたいことを言い合えばよい。
「その範囲」というのは、言い換えれば「破滅的でなければ」の意。

●小便

 少し不謹慎な話になる。

私は山荘では、小便は、窓を開け、外に向かってする。
それには理由が、ある。

 トイレを使うと、水を流すたびに、モーターがタンクに圧力を加える。
そうしないと、水が、ろ過装置を通らない。
山荘の水は、山からの引き水。
そのため一度、ろ過装置を使って、ろ過する。

 そのときモーターが回る。
その音で、ワイフが目を覚ます。
だから窓を開け、(実際には網戸を開け)、外に向かって小便をする。

 が、これが実に気持ちよい。
限界ギリギリまで膀胱に尿をため、一気に、しかしスワーッと、それを排泄する。
その快感は、多分、男性にしかわからないものではないか。

 欧米人の家には、どこにもピス・ポットというのが、用意してある。
「小便瓶」と訳す。
たいていベッドの下に隠してある。
小便をしたくなったら、その中にする。
(女性はどうしているか、私は知らない。)

 今、その小便をしてきたところ。
スッキリ。
気持ちよかった。
湿った森の冷気が、それと入れ替わりに、私の体の中にしみ込んできた。

・・・ということで、眠くなってきた。
そろそろ私も床に入ることにする。
明日も忙しくなりそう。
草払い機の修理と草刈り。
それが第一。
午後からは教材づくり。

 そうそう、犬のハナがこのところ、どんどんとやせ細っていく。
心配。
今日も好物の肉だけを与えた。
食欲だけは旺盛で、ぺロッとたいらげたが、年齢も年齢。
もう20歳になる。
それなりの覚悟はしている。

が、私には、大切な友だち。
ワイフ、B君、D君、K君についで、第五の友だち。
・・・というか、家族の一員
そう、今の私には、家族といっても、ワイフ、長男、それにハナしかいない。
だからハナがやせ細っていくのを見るのは、つらい。

 では、みなさん、おやすみなさい。
(はやし浩司 2011−07−10記)※


Hiroshi Hayashi++++++July 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●今朝のニュースから(はやし浩司 2011−07−12)

++++++++++++++++++++++

中国が揺らいでいる。
北朝鮮が揺らいでいる。
その陰で、アメリカが揺らいでいる。

中国と北朝鮮は、独裁国家。
彼らがどう言い訳をとりつくろおうと、独裁国家。
北朝鮮は、金正日が倒れたとき、(すでに何度か倒れているが)、
また中国は、一連のバブル経済がはじけたとき、
それぞれ危機的状況を迎える。

さらに……、それ以上にあぶないのが、アメリカ。
今、国家破綻の瀬戸際に立たされている。
最終的には、ドル札の増刷によって回避はするだろうが、
日本や世界に与える影響は、甚大。
8月1日に、オバマ大統領がどのような決断を下すか。
それによって、世界の命運は決まる。

が、忘れてならないのは、EU。
それに日本。

+++++++++++++++++++++

●EU

 日本経済新聞社のHPは、以下のように伝える。(7月12日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(日本経済新聞社)

 欧州連合(EU)のファンロンパイ大統領やトリシェ欧州中央銀行(ECB)総裁らが11日、緊急
会合を開いたと伝わった。
欧州の債券市場ではイタリアやスペインの国債利回りが急上昇している。
ギリシャ支援を巡る関係国・機関の調整が難航しているとの見方のほか、債務問題がイタリア
などに波及し金融システムの混乱を招くとの懸念が強まった。

 欧州問題の深刻化で金融市場が混乱すれば米金融機関の財務内容の悪化を招くとの懸念
から、米市場でも銀行株を中心に売りが優勢となった。(日本経済新聞)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(日本経済新聞社)

 「緊急会合を開いた」というのは、それだけ事態が急変していることを意味する。
ギリシアやポルトガルはともかくも、イタリアやスペインがコケたら、EU経済は一気に崩壊へと
向かう。
ドイツやフランスの力にも、限界がある。
回り回って、日本にも影響が及ぶ。
そのドイツやフランスにお金を貸しているのが、日本やアメリカ。
つまり最終的には、日本が、ババを引く。

●汚染牛肉

 汚染牛肉が、すでに全国に広がっている。
TBAーiニュースはつぎのように伝える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(TBSーiニュース)

 ……6頭のうち、東京都府中市の食肉処理業者が購入した肉牛からは、国の暫定規制値5
00ベクレルのおよそ7倍にあたる1キロ当たり3400ベクレルの放射性セシウムが検出され
ています。
これは、これまでに肉牛から検出されたなかで最も高い値で、肉の一部については既に飲食
店で提供されるなど、一般に消費されているとみられます。

 このほか、新宿区の業者が購入した肉からは2200ベクレル、静岡市や横浜市などの業者
が購入した肉からは1998ベクレルが検出されました。(TBS−i)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(TBSーiニュース)

 この静岡県にも、その一部が流通していたという。
「飲食店などに提供された」とある。
しかし福島県の人には悪いが、こんなことは常識ではないのか。
今になってあわてて検査をすると言っている。
が、私はとっくの昔に出荷停止になっているものとばかり思っていた。
放棄された牛やブタが、農地をフラフラと歩いている姿をテレビなどで何度も見たことがある。

 こういうことを繰り返しているから、風評とやらが、さらにひとり歩きをし始める。
つまり一方で信頼をこなごなに破壊しながら、「風評被害」はない。
昨日、栃木県から来ていた男性(H自動車会社社員・40歳)も、こう言っていた。

 「(栃木県の)、飲食店では、ものを食べないようにしています」と。
理由を聞くと、「何を食べさせられているか、わからないからです」と。

 セシウムならまだよいが、これがプルトニウムだったら、どうするのか。
あるいはプルトニウムについても、検査しているのか。
不安が不安を呼ぶ。
そして自分にこう言って聞かせる。
「飲食店では、肉は食べないぞ」と。

 汚染牛肉を出荷していたのは、その農家1軒だけだったのか。
あるいはほかにも出荷していた牛はいなかったのか。
原因は、汚染された干し草を与えたということだが、それを知っていたのなら、罪深い。

 で、その日本経済も、あぶない。
3・11震災以前から、細い綱を渡るような経済運営を強いられてきた。
その状況は、3・11震災で、さらに悪化した。
それに加えて原発事故。

●勤勉性

 が、悪いことばかりではない。
その男性(H自動車会社社員・40歳)は、こうも話してくれた。

「H社の栃木工場は、天井が落ち、操業できなくなりました。
そのとき浜松市を中心に、2500人の応援部隊が来てくれました。
一方、栃木のIT技術者たちは、K市(浜松市郊外にある町)にある工場へ来て、電子部品の増
産をしました」と。

 その男性は、今は栃木工場に戻り、震災以前と同じように働いている。
「どこかへ避難するということは、考えていないのですか」と聞くと、きっぱりとこう答えた。
「考えていません」と。

 つまりこの勤勉さこそが、日本人の美徳ということになる。
またこの勤勉さがあるからこそ、今の今も、日本は日本でいられる。
私たち日本人の未来は、こういう勤勉な人たちによって、支えられている。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●年中児(4〜5歳児)に、曜日を教えてみる。(2011年7月12日)

(1)

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frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)

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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/qT3ViW0xsZU?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/AF_JodhUzXg?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●過剰行動児

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【突然、キーキー声を張りあげる子どもについて】

【N先生より、はやし浩司へ】

お久しぶりです。先生、お元気でしょうか。
うだるような暑さの中でも子どもたちは
元気に遊んでいます。
今日は、保育園の園児のご相談をしたいと
思います。
 
興奮したりすると、「キー」とまるで猿のように
叫ぶ子がいて、とても気になります。
一人そんなことをすると、まねをする子が出ます。
友達と遊んでいて、喜んでいる時かと思いますが、
本当によく響き渡る声です。
 
この子は、5歳児ですが、サ行やタ行がうまく
言えません。でも、友達とはおしゃべりが盛んです。
実習生やボランティアの方などが保育園に
みえると、おんぶや抱っこをせがんだり、べったり
甘えたりして積極的に行動します。
家庭では、母親にほとんど甘えたがる様子は見せない
ということです。
 
単に、そんな声を出して楽しんでいるのか、それとも
何か彼の心のなかを表現しているのでしょうか。
子どもですから、キャッキャと騒ぐのは慣れているのですが
この子の声はとても気になります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●問題点

 問題点は、つぎの3つある。
それぞれを別に考える。
が、ここでは(1)の過剰行動性について考える。

(1)キーキー声を張り上げる。
(2)発語障害
(3)母子関係の不全(マターナルデブリベーション)

【はやし浩司より、N先生へ】

●樹香庵

 暑いですね。
冗談のような話ですが、おとといの夜は、浜北区の森の家にある、樹香庵に一泊しました。
すばらしい一軒家旅館です。
そこでのこと。
風呂上がりに体重計に乗ったら、何と72キロ!
ギョーッ!
少し腹が出てきたかなと思っていましたが、7〜8キロもオーバーです。

 で、そのショックといったら、たいへんなものでした。
とたん意気消沈。
ガックリときました。
で、しばらくしてから、ワイフにも体重を測らせました。
そのワイフも、いつもより6キロもオーバー。
……ということで、体重計が壊れていることを知りました。
ホーッとしましたが、そんなこともあり、昨日と今日は、運動+ダイエット。
サイクリングを2単位(40分x2)、プラス、カロリーメイトと軽食のみ。

 昨日、1キロ減量。
今日、500グラム減量。
現在、66キロ。
それでも標準より、4〜5キロ、オーバー。
しばらく苦しいダイエットがつづきそうです。

●キーキー・ボイスについて

 幼児のキーキー・ボイス(突発的で、耳をつんざくようなキーキー声)は、第一に、過剰行動性
を疑います。
もう30年ほど前から、アメリカでは問題になっています。
「過剰行動児」と訳されていますが、日本では一般的ではありません。

 原因は、低血糖です。
日常的に、糖分の多い食生活(ジュースやアイスクリームなど)を摂取していると、血糖値があ
がります。
その血糖値をさげようと、インシュリンが分泌されます。
で、血糖値はさがりますが、血中に残ったインシュリンが、さらに血糖値をさげつづけます。
結果として、低血糖児になるわけです。

 低血糖になると、脳の抑制命令がきかなくなり、行動に過剰性がみられるようになります。
以前書いた原稿をこのあとに添付しますが、砂糖断ち(白砂糖)をすれば、1週間ほどで、ウソ
のように静かになりますから、一度、試してみてください。
つまり原因は、食生活と考えます。
(かんしゃく発作、あるいはてんかん症も疑われますが……。)

 付随的な症状としては、(1)体の緊張感が保てず、ダラダラとした様子になる(カルシウムイ
オン不足)、(2)集中力がつづかない、(3)興奮性が強くなる、などがあります。

 あわせて海産物の多い食生活に切り替えます。
海産物には、K、Mg、Caが多く含まれています。
イギリスでは昔から、「カルシウムは紳士を作る」と言われています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●過剰行動児(2007年に書いた原稿)

●砂糖は白い麻薬

++++++++++++

甘い食品になれた子どもから、
甘い食品を取りあげると、
禁断症状に似た症状が観察される。

私はこのことを、すでに30年前
に発見した。雑紙にも、そう書いた。

それが最近、科学的に、証明され
つつある。

++++++++++++

●禁断症状

 アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような論文を発
表している。

 「……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピオイ
ド拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。この
結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていたことがわ
かる。人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもし
れない」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。

 これはラットについての実験だから、そのまま人間に当てはまるとはかぎらない。しかし一
歩、近づいた! つまり白砂糖でも、麻薬に似た禁断症状が起こる!

 その30年前に書いた原稿をさがしてみたが、見あたらなかった。そのかわり、当時の原稿を
もとに、書き直した原稿が見つかった。中日新聞に、8年前に発表した原稿である。この中に
書いた、U君というのは、今でもよく覚えている。

++++++++++++++

●砂糖は白い麻薬

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(ア
メリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分
泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の
抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。

U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられ
た。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君
は1日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで
私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット
をくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症
状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。

夜中に母親から電話があったので、「そのまま砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。
が、その1週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたま
ま、まったく反応がなくなってしまったのだ。

何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだ
け。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。この量はイ
チゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキー
と声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネ
シウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂
糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落
ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。

とは言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ
(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けて
も流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせ
ず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味を
おだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水に
よく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン
酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャ
ンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲
労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーな
どの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期
間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。
脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそ
い。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片
瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。

+++++++++++++

 30年前の当時、『白砂糖は麻薬』と、私は書いた。U君の禁断症状(ほんとうは、麻薬による
禁断症状というのは、知らなかったが)、その禁断症状を目(ま)の当たりに見せつけられて、
私は、そう書いた。

 U君は、幼稚園から帰るとすぐ、冷蔵庫を足で蹴りながら、「ビスケット!」「ビスケット!」と叫
んだという。そのあまりの異常な様子に母親があわてて、私に相談してきた。

 が、当時、『白砂糖が麻薬』と考える人は、だれもいなかった。私の意見は無視された。おか
しなことに、当時は、「砂糖は、滋養要素」と考えられ、「甘いものを断つと、かえって子どもの
情緒は不安定になる」と主張する学者さえいた。

 私はN・D・ボルコフ(女性研究者)の論文を読んだとき、「やはりそうだった」と、確信を得た。
まだラットでの実験段階だから、先にも書いたように、人間にそのまま当てはめて考えることは
できない。先に、「あと、一歩!」と書いた私の気持ちを理解してもらえれば、うれしい。

●お母さんたちへ

 ショッピングセンターなどの飲食コーナーなどへ行くと、よく、子どもの頭よりも大きなソフトク
リームや、ジュースを、食べたり、飲んでいる子どもを見かけますね。

 それがいかに危険なものであるかを知るためには、あなた自身が、一度、自分の頭より大き
なソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでみることです。

 量は、体重で計算します。体重、15キロの子どもが、ソフトクリーム1個を食べるということ
は、体重60キロのおとなが、4個食べる量に等しいということです。

 いくらおとなでも、4個は食べられませんね。食べたら、気分(=頭)がおかしくなります。それ
だけではありません。一時的な血糖値の急上昇が、その直後に、低血糖を引き起こすことも、
よく知られています。「甘いものを食べて、どうして低血糖?」と思われる人もいるかもしれませ
ん。理由は簡単です。血中に大量のインシュリンだけが残り、必要以上に血糖値をさげてしま
うからです。

 突発的に衝動的な行動に移る子どもは、この低血糖を疑ってみます。わかりやすく言えば、
突発的に、キーッとか、キャッキャッと、甲高い声を張り上げて、(たいていは耳をつんざくよう
な金きり声で)、騒ぐようでしたら、まずこの低血糖を疑ってみます。

 『砂糖は、白い麻薬』です。もしどうしても、甘い食品……ということでしたら、精製していな
い、黒砂糖をお勧めします。黒砂糖には、CA、MG、Kなどの天然のミネラル分がバランスよく
含まれていますから、ここでいうような(突発的な行動)は起こりません。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ボル
コフ 過食症ラット 禁断症状)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インシュリンの分泌について

 ついおととい、こんな論文がネット上に、ニュースとして流れました。
「ペットボトル症候群」というのが、それです。
「ペットボトル症候群」という言葉は、もう10年以上も前からあります。
毎年、夏になると、話題になります。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにあります。

『ペットボトル症候群(ペットボトルしょうこうぐん、PET bottle syndrome)とはスポーツドリンク、
清涼飲料水などを大量に飲み続けることによっておこる急性の糖尿病である。糖尿病性ケトア
シドーシスの症状となった若い人達の多くがペットボトルで清涼飲料水を飲んでいたことから
「ペットボトル症候群(清涼飲料水ケトアシドーシス)」と名付けられた。1992年5月に、聖マリア
ンナ医科大学の研究グループが報告した』(ウィキペディア百科事典)と。

 このばあいは、一度に多量の糖分を摂取することにより、インシュリンの分泌が停止してしま
うということになります。
その結果、急性の糖尿病が起るというわけです。
ひどいばあいは、そのまま昏睡状態に陥ってしまうこともあるといいます。
(こわいですね!)

 どうであるにせよ、糖分の過剰摂取は、子どもの脳の発育には、よい影響を与えないというこ
とになります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●キレる子ども(感情、行動に抑制のきかない子ども)

 キレる子ども(突発的に錯乱状態になって、暴れる、興奮する)についても、ひとつの原因とし
て、白砂糖の過剰摂取が疑われています。
一部、原稿がダブるかもしれないが、それについて書いた原稿をさがしてみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷
事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたこと
がある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、こ
の分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱してい
て、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意する
と、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動
性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興
奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなっ
た。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが
過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそ
れを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば
自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。こ
の過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの
子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知
っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、
(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・1
2)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる
症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそ
ういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低
血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切る
ような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝
手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコン
トロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それ
がキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の
発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた
回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく
言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こし
やすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる
問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている
白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。
が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビス
ケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状の
ようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態
になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまる
で別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で
見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与
するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そ
うでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体
重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲
む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガ
ボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過剰
行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 原因 キ
レる子ども 原因 原因物質)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●N先生へ

 その子どもには、砂糖断ちを勧めてみたらよいでしょう。
しかしこれは食生活の問題というよりは、母親の買い物癖の問題です。
一時的に母親が気をつけても、また数か月もすると、元に戻ってしまいます。
母親の買い物癖が、また始まるからです。
ショッピングに行っても、甘い食品を選んで買う、など。

 ですから母親自身が、かなり心を鬼にして、つまり覚悟をして治そうという意識がないかぎり、
子どもの過剰行動性は、治らないということです。
そこで私は、「冷蔵庫をカラにせよ」という提言をしています。
それについて書いた原稿もあるはずです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●買い物グセ

 夏場になると、がぜん多くなるのが、体をクネクネ、ダラダラさせる子ども。原因は、いろいろ
ある。

 クーラーなどによる、冷房のかけすぎ。睡眠不足。それに、甘いものの食べすぎ。

 この時期、どうしても、アイスやかき氷が多くなる。ジュースや、清涼飲料水などなど。糖分の
とりすぎが遠因となって、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどの不足を引き起こす。

 だいたいにおいて、世の母親たちよ、ものごとは、常識で考えてみようではないか。

 体重12キロの子どもに、缶ジュース一本を与えるということは、体重60キロのおとなが、5
本飲む量に等しい。それだけ多量のジュースを一方で、与えておきながら、「どうしてうちの子
は、小食なのでしょうか」は、ない!

 ……というような話をすると、ほとんどの親は、自分の愚行(失礼!)に気づく。そして、こう言
う。「では、今日から、改めます」と。

 しかし、問題は、この先。

 しばらくの間は、母親も注意する。しかし数週間から1か月、2か月もすると、また、もとにもど
ってしまう。もとの食生活にもどって、また子どもに、甘い食べ物を与えてしまう。

 思考回路がそうできているからである。つまり、この思考回路、それにもとづく行動パターン
を変えるのは、容易なことではない。

 買いものに行くと、また同じ、ジュースだのアイスを買い始めてしまう……。

 では、どうするか。

 こうした思考回路を変えるためには、ショックを与えなければならない。「ショック」である。

 話は、かなり脱線するが、昔は、チンドン屋というのがいた。新しい店ができると、そこの経営
者がチンドン屋を雇い、そのチンドン屋が、そのあたりをぐるぐると回った。

 私たち子どもは、それがおもしろくて、いつまでも、そのチンドン屋について歩いた。

 つまりそうすることで、もちろんその店の宣伝にもなるが、そのあたりに住む人たちの、行動
パターンを変えることができる。たとえば人というのは、一度、ある店に行き始めると、その行
動パターンを変えるのは、容易なことではない。

 「お酒……」といえば、「A酒屋」と。
 「お米……」といえば、「B米屋」と。

 そこで新しくできた店は、そのあたりの人たちがもつ、そういう意識、つまり行動パターンを変
えなければならない。それがチンドン屋というわけである。

 たしかにあのチンドン屋は、ショックを与えるという意味では、効果がある。派手な服装に、派
手な鳴り物。それに踊り。チンチン、ドンドンと音に合わせて、踊りながら回る。そのあたりの人
たちは、それを見て、自分の行動パターンを変える……。

 では、どうするか?

 あなたには、あなたの買い物グセがある。その買い物グセをなおすには、どうするか。

 もうおわかりかと思うが、その行動パターンを変えるためには、自らにショックを与えればよ
いということになる。ショックを与えて、自分の行動パターンを変える。

【一つの方法】

 今すぐ、冷蔵庫の中にある、甘い食品(アイス、ジュース、プリンなど)を、すべて袋につめて、
捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、心を鬼にして、捨てる。

 この「もったいない」という思いが、ショックとなって、あなたの意識、行動パターンが変わる。

 こういうとき、「つぎから、買うのをひかえればいい」とか、「もったいないから、食べてしまお
う」と考えてはいけない。そういうケチな根性をもつと、またすぐ、もとの買い物グセにもどってし
まう。

●マターナル・デブリベーション

 ついでに母子関係の不全についての原稿をさがしてみます。
どうか参考になさってください。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マターナル・デブリベーション(Maternal Deprivation、母子関係不全症候群)

+++++++++++++++++++

乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デブリベーション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 

【その他質問、追加事項】 
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続け
た。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、 
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようにな
り 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言
葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感
じます。電話に出たり一人で外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち
直れません。フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り
続ける妙な癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放される
と信じていたりして自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽ
い奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、
心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこ
む習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特
の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってき
た。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになってい
る。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の
発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、そ
れを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってき
た。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされた
が、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デプリベイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少
し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとし
た表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももい
る。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持すること
ができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要
がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子ども
がいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満
足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえ
ば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
 「マターナル・デプリベイベーションという問題があるのは、わかった。では、私はどうなの
か?」と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難し
い。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれな
い。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、
そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この
「マターナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高
い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なこ
とではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということ
もある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もり
に関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エ
ンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デプリベーション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考原稿)【自立と自律】(分科会、レジュメ)

●自立と依存

++++++++++++++++

自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

++++++++++++++++

たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはい
けない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが…
…。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性
が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分
に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物な
ど、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」
という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親
自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文
化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないよう
だ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひ
とつになっている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セ
ルフ・コントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切な
バロメーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかって
きた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなる
と言われている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

++++++++++++++++

それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。

++++++++++++++++

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これ
をA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからも
らってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年
にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、
決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしま
う。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入
ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木
鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠
実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたた
ましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるの
で、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わ
らないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に
大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すこ
とを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信
頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間
の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の
動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつ
きやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて
自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そ
のくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をか
ぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまか
す。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。…
…と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見え
てくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私
であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問
題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題で
はない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。
たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そ
して同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへ
と伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるように
なった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶって
いるぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、
結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中
を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の
過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではな
く、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題
は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということに
なる。

(はやし浩司 Maternal Deprivation マターナル デプリベイション マターナル デプリベーショ
ン 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 
education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 マターナルデプリベイション マターナル 母子関係 母性愛の欠落
 ホスピタリズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨界期 敏感期 刷り込み 保護と依存 子
どもの依存性 幼児期前期 自律期 幼児期後期 自立期)

(参考)ペットボトル症候群

Yahooニュース(2011−0712より)

『…… ペットボトル症候群の正式名称は、「ソフトドリンク(清涼飲料水)・ケトーシス」。継続し
て大量にジュースなどの清涼飲料水を摂取することで、血糖値が上昇。血糖値を一定に保つ
ホルモンのインスリンの働きが一時的に低下してしまう。

 インスリンが欠乏するとブドウ糖をエネルギーとして使えなくなり、脂肪などを分解する。その
際に「ケトン体」と呼ばれる代謝成分が増え、血液が酸性に傾く。「意識がもうろうとしたり、倦
怠(けんたい)感があったり。昏睡(こんすい)状態に陥ることがあります」と、大阪府内科医会
会長で、ふくだ内科クリニック(大阪市淀川区)の福田正博医師は説明する。

 糖分の過剰摂取で血糖値が上がると、それを薄めようとしてさらに水分を欲して喉が渇く▽
尿の回数も増える▽喉の渇きに任せてさらに甘い飲み物を飲む−という悪循環に陥る。福田
医師は「危険なのは夏場に中高生が部活動で水代わりに大量に清涼飲料水を飲んだり、毎日
2、3リットル飲んでいたりするような場合。突然倒れる場合もある」と警告する。

 福田医師によると、インスリンの投与などの治療によって、症状は比較的早期に治まるケー
スが多い。しかし、注意が必要なのは肥満体型の人。糖尿病予備軍と呼ばれる人たちはイン
スリンの働きが悪く、よりリスクが高まるという』(以上、Yahooニュースより)と。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 浜松 BW子どもクラブ BW教室 はやし浩司 育児論 最前線の子
育て論byはやし浩司 知育教育 知能教育 Hamamatsu Japan 

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月13日(化粧=仮面について)byはやし浩司

●占い師

++++++++++++++++++++++

私は幼児の数と同じ数だけ、母親たちを見てきた。
「観てきた」でもよい。
「観察」の「観」である。

だから会った瞬間、その母親(女性)の
奥の性質、性格までわかる。
ついでに知的レベルや、人間的な豊かさ
(浅はかさ)まで、わかる。

わかるものはわかるのであって、これは
どうしようもない。
だから数日前、ワイフにこう話した。
「ぼくが占い師になったら、いい占い師に
なるよ」と。

たまたま食事をしているレストランの前に、
何かの占いをしているブース(小部屋)があった。
食事をしている間も、何人かの若い女性が
出入りしていた(浜松市内、地下街)。

そのブースを見ながら、私は、ワイフにそう言った。

+++++++++++++++++++++

●母親の奥の奥

 子どもと母親。
同じ人間……というより、最近では、母親たちが高校生か、中学生に見えるようになった。
ときに小学生に見えることもある。
(反対に、母親たちからは、私がジジイに見えるということになる。)
けっしてバカにして言っているのではない。
年齢差がわかりにくくなったということ。
つまりそれだけ自分が、年を取ったということか。
年を取れば取るほど、10歳と30歳のちがいが、小さくなる。
が、どうもそれだけではないようだ。

 ときどき「よく、こんな若い女性が、母親をしているな」と思うときがある。
まるで子ども。
子どもが子どもを育てている。
あるいはよくて、姉と弟(妹)。
そんな感じがするときがある。
つまり子どもを観るような目で、母親を観る。
平たく言えば、母親とて、子どもの延長線上にいる。
「母親も子どももちがわない」と。

●化粧

 その母親。
若い人たちだけに、身を飾る。
心を飾る。
それを化粧というのなら、化粧という言葉でもよい。

 母親にかぎらず、人間はみな、化粧をする。
顔の化粧だけではない。
心の化粧もする。
しかしいくら化粧をしても、化粧は化粧。
その化粧を見破ることができる。

 が、誤解しないでほしい。
化粧が悪いといっているのではない。
化粧をしていない人はいない。
化粧イコール、文化と断言してもよい。
およそ私たちが「文化」と呼んでいるものは、その化粧が昇華したもの。
動物社会からの「分化」を、「文化」という。
より動物的でない状態を、「文化」という。

 が、化粧に溺れてしまってはいけない。
化粧をしている「私」を忘れてしまってはいけない。
中には、化粧に溺れるあまり、自分を見失ってしまっている人もいる。
女性にかぎらない。
男性にも多い。

●仮面

 心理学の世界では「ペルソナ」という。
「仮面」。
私も今回、3・11大震災を見聞きするうちに、いわゆる「化けの皮」がはがれてしまった。
たった一度の地震と津波で、2万人以上もの人たちが命をなくしてしまった。
いとも簡単に、多くの人たちが命をなくしてしまった。
その衝撃は大きかった。
それから1週間、私は、ものが書けなくなってしまった。

 「私とは何か」「人間とは何か」と。
さらには「人間が創りあげた文化とは何か」と。
そこまで考えてしまった。
それまでの私は、きれいごとばかりを書いていた。
しかしそんなきれいごとに、どれほどの意味があるというのか。

 報道などによると、3・11震災直後から、離婚する夫婦がふえたという。
それまでかろうじて互いをつないでいた絆が切れてしまったのだろう。
その気持ちは、よく理解できる。
いわゆる「仮面夫婦」と呼ばれている夫婦は多い。
そういう夫婦が、目の前で多くの人が死んだのを知り、自分の仮面に気づいた。
仮面の虚しさを知った。

●化粧に溺れる

 ところで「化粧に溺れる」というときには、2つの意味がある。
ひとつは自分の化粧に溺れるという意味。
これについては先に書いた。

 もうひとつ、相手の化粧に溺れるという意味もある。
分別もあるはずはずの年配のオバチャンたちが、韓流スターを追いかけ回した。
そういうオバチャンたちは、相手の化粧に溺れたということになる。
しかしこういうオバチャンたちは、まだわかりやすい。
単純というより、単細胞。
実害はないので、好きにさせておけばよい。

 が、同時に、そういう人たちは、身のまわりにある価値に気づかない。
そこにすばらしい人がいても、それに気づかない。
わかりやすく言えば、たとえば地位や肩書きだけで、その人を判断してしまう。
画面の「虚像」だけを見て、それを「実像」と錯覚してしまう。
つまり化粧だけを見て、その人を判断してしまう。
それはその人にとっても、たいへん不幸なことでもある。

 ものの価値観が相対的になる。
仮面だけをみて、その人を判断する。
自分についても、そうだ。
だから生き方そのものが、世俗的になる。
いつも世俗に振り回されるようになる。

●社会的制裁

 少し話は脱線するが、少し前、こんな判決があった。
ある著名な教授が、破廉恥罪で逮捕、起訴された。
有罪だったが、つぎのような理由が付いて、執行猶予になった。
「被告人は、すでにマスコミの世界で仕事を失い、教授職を解職されるなど、じゅうぶんな社会
的制裁を受けているので、執行猶予刑に処す」と。

 私はこれを聞いて、こう思った。
「であるなら、世俗、ゆまり一般の人たちは、(私も含めて)、日常的に社会的制裁を受けてい
るということになる」と。
私たちは、その(マスコミの世界)の外にいる。
マスコミに相手にされることは、まずない。
(教授職)についても、そう。
ほとんどの人は、地位や肩書きとは、無縁の世界に住んでいる。

 少しわかりにくい話かもしれないが、こういうこと。
つまりマスコミにも相手にされず、地位や肩書きのない私たちは、そうであること自体、社会制
裁を受けているということになる。
が、こんなバカな話はない。
つまりそんなバカな判決理由は、ない。
こんな論理がまかり通るなら、もし私が同じような罪を犯しても、執行猶予はつかないということ
になる。

●風評利得

 もうひとつ脱線する。

 最近、よく「風評」とか、「風評被害」という言葉を耳にする。
原発事故にからんでの言葉である。
しかし風評にも2種類ある。
政治家などは、その風評をうまく利用して、選挙で当選する。
テレビなどに流されるコマーシャルにしても、そう。
わざと風評を流し、それを金儲けにつなげる。
このばあいは、「風評利得」ということになる。

 あの東京電力にしても、事故前は、「原発は安全」の風評を、さかんに流していたではない
か。
だから今、「風評被害」という言葉を聞くと、私などは、すかさず、「何、言ってるんだ!」と思っ
てしまう。
つまり一方で風評利得をしたいだけしておきながら、他方で風評被害を訴える。
中身ではない。
風評。
つまり、仮面。

●一線を引く

 話を戻す。

 私たちはいつも化粧をしてで生きている。
それはそれでしかたのないこと。
が、化粧に溺れてしまってはいけない。
化粧は化粧、中身は中身。
しっかりと区別して、自分や相手を判断する。

 わかりやすい例で考えてみよう。
相手にいくら地位や肩書きがあったとしても、それはそれ。
自分にいくら地位や肩書きがあったとしても、それはそれ。
女性にしてもそうだ。
相手が、いくら美しい化粧をしていても、それはそれ。
自分がいくら美しい化粧をしていても、それはそれ。
いつも心のどこかで一線を引く。
その一線がないと、いわゆる「化粧」に溺れてしまう。
相手が見えなくなってしまう。
自分がわからなくなってしまう。

中には、70歳を過ぎても、一流大学を出たことを鼻にかけている人がいる。
が、まわりの人は、相手にしていない。
相手にしていないが、自分は相手にされるべきと思い込んでいる。
そのおかしさ。
そのあわれさ。
そうなる。

●占い師

 若い母親(女性)たちは、私を相手にしない。
それがこのところ、自分でもよくわかる。
通りで一瞬、視線がこちらを向くことはある。
しかしたいていそのまま、視線をそらしてしまう。
私はジジイの上を行く、さらなるジジイ。

 一方、そのジジイは、若い母親(女性)たちの心の動きが、手に取るようによくわかる。
動きだけではない。
過去も、生い立ちも、心情も、ものの考え方も……。
さらに言えば、性質も性格もわかる。
手に取るように、よくわかる。
いくら化粧をしていても、そんなのは、腸から出るガスほどの意味もない。
いくらにこやかな顔をとりつくろっていても、「この女性は、かなりのヒステリーもちだな」というと
ころまでわかる。

 もっともわかったところで、そこまで。
相手から質問でもあれば、話は別。
しかし私はそのまま、それを心の奥にしまう。
だから、こう思う。
「私が占い師になったら、いい占い師になるだろうな」と。

 相手がわかったら、あとは料理にトッピングをかけるように、人生論をその上に載せればよ
い。
「あなたはこうなりますよ」と。

 たまたま食事をしているレストランの前に、何かの占いをしているブース(小部屋)があった。
食事をしている間も、何人かの若い女性が出入りしていた(浜松市内、地下街)。

そのブースを見ながら、私は、そんなことを考えた。

(補記)

 幼児と接するようになって、40年になる。
40年!
その幼児、会った瞬間に、その幼児のことが手に取るように、よくわかる。
性格や性質、知的能力はもちろん、家庭環境、さらには、将来起こりうるであろう問題まで。
私はドクターではないが、会った瞬間、「〜〜障害児」というところまで、わかる。
わかるが、わからないフリする。
バカなフリをする。

 親たちにしても、私がそこまでわかるとは思ってもいない。
それがわかるから、私は黙る。
黙って、自分の仕事だけをこなす。
言うなれば、これもニヒリズム。

 遠い昔、こんなことがあった。
どうしようもないドラ娘(小学生)がいた。
ドラ娘になればなるほど、結局は損をするのは、その子ども自身。
そこで私はあえてタブーを破り、その子どもの母親に、その子どもの問題点を告げようとした。
するとその母親は、すかさず、私にこう言った。

「あんたは、黙って、娘の勉強だけをみていてくれればいい」と。
つまり「余計なことは言うな」と。

 その言葉が今でも、大きなトラウマになっている。
そのつど、このトラウマが口を重くする。
しかし今、このタイプの母親がふえている。
というより、何割かがそうであると断言してよい。
子どもへの批判を、自分への批判ととらえてしまう。
そしてその批判を許さない。
完ぺき主義。
強い自己中心性。

 ……というふうに、私はずっと子どもだけを観てきた。
しかし今、それが親の世界にまで広がった。
親のことまで、手に取るようにわかるようになった。
それもそのはず。
私は40年も、その母親たちと接してきた。
つまりそれについて、ここで書きたかった。
何とも歯切れの悪いエッセーになってしまったが、ごめん!


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●アメリカのデフォルト(迫り来る金融危機)

+++++++++++++++++

アメリカの借金問題が、大詰めを
迎えている。
8月3日までに、オバマ大統領が、
どのような結論をくだすか。
それでアメリカの命運が決まる。
しかし、具体的に、いったい、
どれほどの借金があるのか。

+++++++++++++++++

●借金、総額

 ネットで「アメリカ 借金総額」で検索をかけてみた。

★2009年5月……330兆円以上(これは日本の国債買い入れ額)
★2008年……5500兆円
★2008年……620兆円などなど。

 おどろおどろどおしい数字が、ズラリと並ぶ。
 
そこで調べてみると、おもしろいサイトに行き当たった。
http://oddhammer.com/tutorials/debt_clock/US_debt_clock.swf
ここをクリックすれば、リアルタイムで、アメリカがかかえる借金の総額がわかる。
それによれば、2011年7月14日午前9時4分現在、14兆6500億ドル。
1ドル80円で計算すると、1172兆円!

 しかしこの数字とて、控えめな数字。
実際には、地方政府の借金まで含めると、すでに40兆ドルを超えていると言われている。
あちこちのサイトを調べてみたが、正確なところは、だれにもわからない。
が、仮に40兆ドルとすると、3200兆円!
日本の国家税収が、40兆円だから、その80倍ということになる。

 ところでヤフー知恵袋には、こんな気になる記述もあった。
いわく、『……アメリカ政府はこの支出をカバーするために国債を発行し、日本はせっせと買
い、総額3兆ドル(330兆円)にのぼると言われるが、日銀がひた隠しにしているので正確のとこ
ろは分からない。
買ったが最後、これは売ることは絶対に許されない。 
両国の経済が同時破局に立ち至るからである。
毎年新しい国債を買わされつづけている』(ヤフー知恵袋)と。

 知らなかった!

 しかも、『……我が国(=日本)の毎年の予算は約80兆円、税収は約44兆円しかない。
財政赤字が我が国でも膨らんでいく一方だ。
それなのにどこからどういうお金が出ているのか謎だが、アメリカ国債の購入額は毎年32兆
円にものぼると言うのが大勢の見方である』(ヤフー知恵袋)と。

 記事がどの程度正確なのかは知らない。
が、この日本は毎年、ドルを32兆円分も買い支えている(?)。
買い支えているということは知っていた、
が、額は、知らなかった。
これほどまでの額とは、知らなかった。

●アメリカ

 そこでアメリカは、クリントン時代には、IT(一次)バブルを引き起こした。
ブッシュ時代には、住宅バブルを引き起こした。
つづくオバマ大統領は、今に見る、第二次ITバブルを引き起こしている。
Twitterとか、Facebookとか、それに関連する企業の株が、数百億ドル規模で売買されてい
る。
その上で、ドル札が乱舞している。
そんな実態のない会社の資産が、どれも数兆円規模!

 バブル経済というのは、見た目には、派手。
人気取りには、もってこい。
が、バブルはバブル。
やがてはじける。
そのときがこわい。

 常識で考えてみたらよい。
Twitterにしても、企業価値は現在、37億ドルと計算されている(「超恐慌の時代」)。
37億ドル!
約3000億円!
ただのインターネットサービス会社が、約3000億円!
今の今も、そうした会社に、(上はFacebookからゲーム産業まで)、1000万ドル単位の投資
が繰り返されている。

●おめでたい、日航、そして韓国

 日本航空は破綻した。
株価はゼロ価値になり、銀行の支配下に入った。
日本航空は、「黒字を叩きだした」とはしゃいでいるが、その大部分は、そのまま銀行の金庫
に。
社員たちは、生かさず殺さずの状態で、働かされている。

 その日本航空を大型化したのが、韓国。
韓国の銀行は、すべてアメリカの銀行の支配下にある。

第一銀行  外資比率100% (筆頭株主:スタンダード・チャータード)※
韓美銀行  外資比率 99% (筆頭株主:シティ・グループ)(韓国シティ銀行)※
国民銀行  外資比率 86% (筆頭株主:バンク・オブ・ニューヨーク)
外換銀行  外資比率 74% (筆頭株主:ローンスター)
ハナ銀行  外資比率 72% (筆頭株主:ゴールドマンサックス)
(以上、2005年前後当時)

 わかるかな? 
エッ、まだわからない?

 国策銀行のウリ銀行をのぞいて、韓国の銀行は、すべて、外資の支配下にあるというこ
と。
国民銀行を例にあげてみると、86%が、外資。
しかもその筆頭株主は、バンク・オブ・ニューヨーク! アメリカの銀行である。
わかりやすく言えば、韓国の銀行は、アメリカの銀行、もしくはその支店と考えてよい。

 さらに半導体と液晶で世界一と言われるサムスンが54%、現代自動車が49%の比率で外
国資本の支配下に入っている。
外国資本というのは、つまりアメリカ資本のこと。
これでなぜ、アメリカが必死で韓国を守ろうとしているか、その理由がわかるはず。
 
●アメリカの国家破綻に備えよう

 8月2日から3日にかけて、アメリカの命運は決まる。
最終的には、債務限度額の引き上げ、つまりドル札の増刷によって乗り切るだろう。
しかしそのあと、EU危機、中国危機、中東危機が待ちかまえている。
どのひとつがコケても、アメリカはドミノ倒しのドミノのように、コケる。

 もちろんこの日本もあぶない。
3・11大震災以前ですら、薄氷を踏むような経済運営を強いられてきた。
それが3・11大震災で、さらに悪化した。
直近の円は、現在78〜79円/ドル。
超円高。
さらに60円台にまで進むと説く人もいる。
しかしそれを喜んでいてはいけない。
これは大津波の前の引き潮のようなもの。
このあと想像もつかないような、大津波がやってくる。
1ドルが120円前後で収まるなどと考えている経済学者は、まずいない。
へたをすれば、200円、300円……。
同時にハイパーインフレがこの日本を襲う。

 タクシーの初乗りが、1万円とか2万円になる(某経済誌)。
そうなる。

 もしアメリカが国家破綻したら、(=デフォルト(債務超過))、日本はそのまま奈落の底へと叩
き落とされる。
リーマンショック、ドバイショックの比ではない。
日本がかかえる330兆円と言われるドル札は、紙くずと化す。

 では、どうするか……?
ほとんどの経済誌は、「現物資産に交換しろ」と説く。
現物資産とは、土地、貴金属をさす。
しかし目下、この日本でも土地バブルが進行中。
不動産屋は、売り物件をさがして、血眼をあげている。
空前の利益を、稼ぎ出している。
こんなときに土地に手を出せば、それこそ先のバブル経済の二の舞。

 では貴金属ということになるが、こちらもすでに天井を打っている。
もっとも金(ゴールド)のばあい、いくら価格があがっても、困る人はいない。
困る人がいないから、さらにその天井を抜くということも、考えられなくはない。
方法としては、1〜3か月ごとに、ドスンと値をさげているから、そのドスンと値をさげたあたり
で、買う。
そういう形で、資産を守る。

 ともかくも、未曾有の金融危機が、刻一刻と迫りつつある。
その第一波が、8月3日(アメリカ)。
ただただ注視あるのみ!
2011/07/14早朝記

(注※)★韓国・第一銀行について
  『英国に本部を置くスタンダード・チャータード銀行の最終持ち株会社である渣打集団有限
公司[香港上場、チャータード集団(スタンダードチャータードピーエルシー)、2888]は、買収
に成功した韓国第一銀行(KFB)の社名を変更すると発表した。チャータード「ブランド」への結
合が狙いとしている。13日付で香港・財華網が伝えた。
  変更後の英社名は、「Korea First Bank」から「SC Jeil Eun Haeng」となる。この社
名は、「SC第一銀行」の意味で、SCはスタンダード・チャータードの略称だという』(2005年6
月)(Seechina HPより)。

★韓国シティ銀行について
  『第一銀行時代、アジア通貨危機の際に主要取引先であった起亜自動車、大宇、韓宝鉄
鋼の相次ぐ経営危機に連鎖して破綻。米投資ファンドのニューブリッジ・キャピタルが経営権を
買収。韓国の銀行としてはじめての外国人CEOウィルフレッド・Y・ホリエが就任して話題となっ
た。ウィルフレッド・Y・ホリエは日本の消費者金融でCiti傘下のアイク(現ディック)で長年社長を
務めた人物である。
韓国では欧米金融機関の名を冠した金融機関は、同行のほかに米シティバンク傘下の韓国シ
ティ銀行(旧韓美銀行)がある』(ウィキペディア百科事典より)。

★国民銀行について
  『アジア通貨危機後の2001年、国策により優良銀行であった韓国住宅銀行と旧・国民銀行
が合併する形で発足。国民カードなどの子会社を保有するほか、宝くじの販売なども行う。
2009年現在、外資資本比率が55.76%であり、筆頭株主はシティバンク、エヌ・エイの13.76%であ
る。
対外的には「国民」という表現がドメスティックな印象を与えるため、KBという名称を用いること
が多い』(ウィキペディア百科事典より)

★外換銀行について
  『2009年5月、韓国の政府系金融機関韓国産業銀行(KDB)が、ローンスター保有の韓国外
換銀行株を買収する可能性を示唆したが、ローンスターからの売却先は二転三転した状況が
続いており、同行はなかなか安定基盤に軟着陸できない状況を続けている。
現行、ローンスター子会社であるLSF-KEBホルディングスSCAが51.02%出資している』(ウィキ
ペディア百科事典より)。

 
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本のアメリカ国債購入費(アメリカへの上納金)は、毎年48兆円!

++++++++++++++++++

毎年日本は、アメリカ国債を6000億ドル、
日本円に換算して、約48兆円分も
購入しつづけている。

つまりは貸し金。
もちろん返してくれるアテはない。
だから貸し金というよりは、上納金。

「脱原発」についての原稿を書いているうち、
途中から、その上納金の話になってしまった。

が、今、そのアメリカが限界に近づきつつある。
8月3日に、オバマ大統領がどのような
決断を下すか。
それによってアメリカのみならず、日本の
命運も決まる。

++++++++++++++++++++

●それでも私は、管直人首相を支持する(途中から、アメリカの債務問題)

 原子力発電所が、いかに恐ろしいものであるかは、今回の福島第一原発事故でわかったは
ず。
わかったはずだが、まったくわかっていない(?)。
そんな人が、あまりにも多すぎる。

事故だけではない。
仮にどこかの国が、原子力発電所に向けてミサイルを発射したら、どうなるか?
原子炉に直接当たらなくても、その周辺設備に当たったばあいでもよい。
発電機に当たっただけでも、今回の福島第一原発と同じ状況になる。

 管直人首相が、「脱原発」という言葉を使った。
これに対し、野党(自民党)からはもとより、与党内部(民主党)からも、非難ごうごう。
「首相の勝手な判断だ」「個人的意見だ」「党の見解ではない」「希望的意見だ」と。
さらに野党からは「独裁者の発言」という意見まで飛び出した。

 ふつうの常識のある人なら、「脱原発」を唱えて当然。
いくら便利でも、ひとたび事故が起きたら最後。
へたをすれば、日本列島の半分以上に、それ以後人は住めなくなる。

そのふつうの常識のない人が、この日本には、あまりにも多すぎる。
福島第一原発事故は、まだ収束していない。
応急措置がやや軌道に乗ったかなというレベル。
「被害」ということになれば、その被害が現れてくるのは、これから。
その被害の規模もまだわからないうちから、原発再開は、ない。

●代替エネルギー

 恩師に田丸謙二先生という人がいる。
1970年に知り合って、もう41年になる。
その田丸謙二先生率いる研究チームは、触媒による水の分解の研究に取り組んでいる。
理化学研究所で、2けたを超える人数の研究者たちが、懸命にその研究に取り組んでいる。
先月も先生に連絡を取ったら、先生は、こう言っていた。
「もうすぐ(研究の)成果が出てきますよ」と。

 水を触媒により分解できれば、空気中の窒素と化合させ、アンモニアを作ることができる。
そうすれば人類は、無尽蔵かつ、まったくのクリーンエネルギーを手にすることができるように
なる。
石油だけが燃料ではない。
原子力発電だけが、発電方法ではない。

この4月に書いた原稿を再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【水を触媒を使って、酸素と水素に分解する】

●希望

++++++++++++++++++++++

遠い昔……といっても、41年前。
1970年のこと。
田丸謙二先生は、自身のチュータールームで、
先生の夢を話してくれた。

「いつか水を、触媒を使って酸素と水素に分解
することができれば、人類は、無尽蔵のクリーン
エネルギーを手にすることができる」と。

夢のような話である。
当時の私は、そう感じた。
が、それから41年。
昨日(2011年4月18日)、日本人研究者の
書いた論文が、世界中を駆け抜けた。
時が時だけに、この論文は、一抹の涼風となって
世界中を駆け抜けた。
同時に、私たちに人類に、未来に向かった夢を希望を
与えてくれた。

『……水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、
太陽光の電気エネルギーへの効率的な変換が期待できるという』
(北海道新聞)と。 

専門的な話で、わかりにくいが、平たく言えば、こうだ。

水は、水素と酸素で構成されている。
きわめて安定した分子構造で、水を水素と酸素に
分離するのは、容易なことではない。
よく知られた方法に、水の電気分解がある。
しかしこの方法だと、多量の電力を必要とする。

そこで目をつけられたのが、「触媒」。
触媒を使えば、少量のエネルギーでも、化学反応は
一気に加速する。
水を酸素と水素に簡単に分解できる。
もしそれが可能になれば、先にも書いたように、
人類は無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ことができる。

田丸謙二先生は、その触媒の研究に没頭していた。
私はそのニュースを読んだあと、すかさず田丸謙二
先生に、電話した。
東京大学だけでも、先生の弟子が10〜11人も
教授職に就いている。
先生に論文の概略を伝えると、「それは堂免君(東大教授)
のことだよ。今度日本化学賞を取り、おとといその
祝賀会をうちでしたばかりです」
「中にはゲロを吐いた者もいましてね」と。

私は北海道新聞に載った記事を、そのまま
田丸謙二先生に転送した。
北海道……つまり北海道大学と田丸謙二先生との
縁は深い。
田丸謙二先生は、北海道大学の何かの記念会に、
記念講演をしている。
加えて杉野目晴貞先生(北海道大学前学長)を介して、
私と田丸謙二先生はともに、縁があった。

田丸謙二先生の恩師でもあり、私がUNESCO
の交換学生として韓国に渡ったとき、杉野目晴貞
先生が、いっしょに渡韓してくれた。
韓国のあちことをいっしょに旅をしたこともある。

いろいろなサイトでその記事は紹介されていた。
私はあえて北海道新聞に載った記事を選んだ。
北海道の北海道新聞である。
電話でそれを伝えると、田丸謙二先生は、「読みたいから、
すぐ送ってほしい」と言った。
私はその場でパソコンを開き、田丸謙二先生に、
北海道新聞の記事を送った。

+++++++++++++以下、北海道新聞より+++++++++++++++

光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際の
触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大の
神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載
された。 

 水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。

 膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。

 光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際
の触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大
の神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲
載された。 

 水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。 

 膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。

+++++++++++++以上、北海道新聞より+++++++++++++++

●田丸先生からの返事

 その夜(18日の夜)、家に帰ると、田丸謙二先生から、
メールが届いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

林様:メール有難うございました。

このメールの話は私がお話した東大教授の堂免一成君の話とは異なります。
堂免君のは水から太陽エネルギーで水素と酸素とを直接作る光触媒作用で、先月、日本化
学会賞を受けた研究です。

勿論太陽電池も一方にあり、水を電気分解すると水素と酸素が得られますが、現在では堂
免君の直接の光触媒作用の方が優れています。

この分野は日本が世界でもトップの国ですが、世界中で多くの人が取り組み始めています。
沢山の人が各種の工夫をしていますので、人類の将来のエネルギー問題の重要な研究分野
になっています。

長い目で見ると矢張り人類は将来太陽エネルギーに頼ることになります。化石燃料も限ら
れた量ですので。

お電話でお伝えしたのは、空気と水と太陽エネルギーに頼って人類はエネルギー問題に取
り組むという話です。

空気から窒素を、水から太陽光を使って水素を、そして水素と窒素からアンモニアを作っ
てそれを燃料として自動車も走るという可能性が言われています。

くれぐれもお元気で。田丸謙二 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ノーベル賞

 もし水を酸素と水素に分解できるようなことが簡単にできれば……。
それはまさにノーベル賞級の研究ということになる。
すでに実際、3年ほど前、田丸謙二先生の研究を発展させたドイツの研究者が、
ノーベル賞を受賞している。

 言い忘れたが、田丸謙二先生は、日本化学会会長、日本触媒学会会長、国際
触媒学会会長職を歴任している。
東京大学の元副総長(総長特別補佐)も経験している。
肩書きを並べたら、一枚の紙にはとても収まらない。

 昨日の電話で、「ノーベル賞級の話ですね」と言うと、田丸謙二先生は、
うれしそうに笑った。

最近、田丸謙二先生は、『出藍の誉れ』という言葉をよく使う。
先日もらったメールには、孔子の言葉を引用しながら、「よき弟子をもつことが、
最高の道楽」と書いてあった。
堂免一成氏がノーベル賞を受賞するのは、時間の問題……私はそう感じた。

●歴史の生き証人

 「歴史の生き証人」というと、少し大げさに感ずる人もいるかもしれない。
しかしいつかすぐ人類は、「水」という無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ときがやってくる。

 田丸謙二先生は、昨日も、41年前と同じように、自分の夢を語ってくれた。
「水から水素を取り出し、空気から窒素を取り出す。
水素と窒素で、アンモニアを合成し、それをエネルギー源にする」と。

 水素燃料もあるが、扱い方が難しい。
アンモニアなら、ガソリンのように持ち運べる。

「化石燃料(ガソリン)は、やがて枯渇します。
原子力が危険なものであることは、今回の原発事故でもよくわかったでしょう。
だからアンモニアなのです」と。

 私は41年間、田丸謙二先生の「夢」を聞く立場にあった。
その夢が、今、まさに着実に、一歩、一歩、前進している。
昨年(2010年)に会ったときも、田丸謙二先生はこう言った。
「理研(日本理化学研究所)でも、10数名の化学者がチームを作って、研究
していますから、そにうちすぐ成果が出てきますよ」と。
私が「いつ、成果が出てくるのですか?」と聞いたときのことだった。

 いつかそのクリーンエネルギーが当たり前のものとなったとき、
それがいつだれによって、またどのようにして生まれたか。
この41年間を通して、私はそれを直接的に、知る立場にあった。
それを今、こうして書きとめることができることを、心から光栄に思う。

●希望

 大震災、大津波、そして原発事故……。
しかしその一方で、この日本は、大きな希望が前に向かって進み始めている。
田丸謙二先生が書いているように、この分野では、日本がトップを走っている。

 もちろんその原点を作ったのは、田丸謙二先生である。
1970年。
話は脱線するが、そのころに書いた原稿を、ここに添付する。
記事は、中日新聞に連載されたものである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 アンモニア燃料 堂免 光合成 光触媒)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●チリが積もって……

 話はそれるが、こんなことがある。
携帯電話からインターネット時代になり、通信費は右肩あがりに、どんどんとふえつづけてい
る。
それぞれの額は、小さい。
年額にして、2000円とか3000円。
しかし『チリも積もれば、何とか……』で、その額も、月にして10万円近くになりつつある。

 放射能汚染もそれに似ている。
今朝のニュースによれば、基準値の10倍前後※も汚染された牛肉が、すでに42頭分集荷さ
れていたという。
7月8日の段階では、「汚染牛はない」ということになっていた。

(注※)『……(7月)12日、大阪府に持ち込まれた牛肉。
13日夜になって、1キロ当たり4350ベクレルの放射性セシウムが検出されたことがわかりま
した。
暫定規制値の8.7倍にあたり、これまでで最大の値です。
福島県南相馬市の農家から出荷された肉牛6頭から、次々と基準を超える放射性セシウムが
検出されている問題。
その波紋は、13日も広がりをみせました』(TBS−iニュース)。

 それに応じて、あのいつもの会見。

『……1回食べたからといって健康影響を心配する必要はないと考えている。
(Q.流通先はほぼ特定された?)それで結構です」(東京都の会見)(同ニュース)と。

 しかしこういうことが積もりに積もって、やがて大惨事へとつながっていく。
子どもの尿から、セシウムが検出された。
静岡茶から、放射能が検出された。
飲料水から、放射能が検出された……と。

 牛肉にしても、食料品の一部。
さらに付け加えれば、内臓については、流通経路が把握できていないという。
内臓のほうが、より危険ではないのか?

●管直人首相

 現場の最高責任者として、管直人首相は、その深刻さを、日々に肌で感じているにちがいな
い。
その上での、「脱原発」発言である。
それを「希望的意見」とか「個人的発言」と片づけてよいものか。

 この日本では、財界(ゼネコン)と官僚に背を向けたら、生きていけない。
総理大臣の椅子とて例外ではない。
そういう構造が、完ぺきに近いほどまでに、できあがってしまっている。
「言論の自由」という言葉があるが、それはバラエティ番組のような場で、チャラチャラしたこと
をしゃべるようなことをいう。
が、そのワクを超えたら、とたん、猛攻撃にさらされる。
金と権力によって、押しつぶされる。
現に今、管直人首相の発言は、それによって押しつぶされようとしている。

 2010年度においてですら、「報道の自由世界ランキング」で、日本は第11位(国境なき記
者団)。

 私にも人を見る目は、多少、ある。
この40年間、私の仕事は、その(人)を見る仕事だった。
が、いくら否定的な見方をしても、管直人首相が、「権力の座にしがみつく独裁者」には、私に
は見えない。
むしろ逆で、その信念のほうにこそ、私は感服する。
もし管直人首相がずるい人間であったら、自分が生き残る道を模索しながら、財界や官僚に
適当に迎合していただろう。
が、管直人首相は、政治生命のすべてをそこにかけている。
私には、そう見える。

●日本人の「甘さ」

 日本人というのは、最悪の事態を考えて行動しない。
希望的観測だけで、行動する(「超大恐慌」)。
「明日があるさ」「何とかなるさ」と。
つまりものの考え方が、甘い。

 わかりやすく言えば、目先の利益だけに目を奪われ、思考力を働かせない。
たとえば今回の福島第一原発事故に関しても、管直人首相は、当初アメリカの支援を断ったと
報道された。
それも管直人首相が非難される理由のひとつになっている。

 しかし今度は日米関係に目を向けるなら、日本のバブル経済をしかけたのもアメリカなら、崩
壊させたのアメリカ。
その後、失われた20年を創出したのも、アメリカということになる。
その間も、そして今も、日本は毎年30兆円前後(日本の国家税収の約75%!)もの上納金
(アメリカ国債の購入費)を、アメリカに納めている。
それだけではない。
ないが、いったい、いくらの上納金を納めているか、それすら定かではない。
「日本からは絞れ取れるものは、みんな取ってやれ!」というのが、アメリカ政府の本音ではな
いのか。

(注:ここから話が脱線し、反米的な原稿になる。許してほしい!)

 その上での、「支援」である。
いくら大震災とはいえ、それに飛びつく宰相はいない。
慎重になって、当然。
アメリカの動きには、かならず、「裏」がある。
百歩譲って、あのときアメリカに支援を求めていたとしても、その後の状況は変わらなかっただ
ろう。

 軍事的に見れば、日米関係は、日本の安保の要。
しかしその要も揺らいでいる。
韓国がなぜああまで日本に強気で出られるのかといえば、その裏にこの「揺らぎ」がある。
韓国政府は、こう読んでいる。
「もし日韓戦争ということになれば、アメリカは韓国側につく」と。

 「Rescue Force SOG」(Plala)HPには、つぎのようにある。

 「……日本の国債発行の抑制にこだわりを見せながら、一方では大きな借金をして、毎年5
0兆円前後のアメリカの国債を購入し続けるのはなぜなのか。アメリカ国債は赤字であり、
我々国民が「泣き寝入り」することは決まっている。未来に生まれる日本国民も含めて、その
借金を無理矢理背負わせているこの大きな不条理。

(中略)

 現在までの国の借金は、そのほとんどがアメリカ国債購入と、国際連合国への不当に高額
な献上金、そして癒着構造で私腹を肥やすための身勝手な血税流用の3本立てである。
日本が持っているアメリカ国債は、民間と合わせると430〜500兆円と言われる。
それは、アメリカ国債の約40パーセントが、日本からの購入で支えられていることを指し示す』
(2008年)と。

 この記事の中では、「30兆円」ではなく、「50兆円」になっている(2008年)。

(私は知らなかった! あなたは知っていたか?)

 では、実際にはどうなのか。
ネットを使って調べてみる。

(注:ここからさらに話が脱線し、反米的な原稿になる。許してほしい!)

●日本のアメリカ国際購入費

 http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/06/post_3592.html

 このサイト(公式)によれば、日本は、2003〜2008年において、7000億ドルから6000億
ドルものアメリカ国債を購入していることになる。
つまり金を貸している。

 が、この貸し金は、二度と戻らぬ貸し金である。
その上で、6000億ドルを現在のレートで換算してみると、1ドル80円として、48兆円。

 やはり30兆円ではなく、50兆円というのが正しい。

 やはり、バカげている。
50兆円(1年分)もあれば、3・11大震災の復興費など、何でもない。
もちろん管直人首相なら、それをよく知っている。

 つまりそういうことを全体に考えながら、「政治」というのは動く。
「支援を断った管直人首相はバカだ」と言い切るほうこそ、問題。
首相には首相の、言いたくても言えない事情がある?

●話を戻す

 原発はいらない……とまでは言い切れないが、しかし「脱原発」の方向はまちがっていない。
少なくとも「推進」しなければならないような、代物ではない。
そういうことが、今回の一連の事故で、私たちも、よくわかったはず。

 今は、国家存亡をかけた、危急のとき。
言うなれば戦争状態。
支持率がどうのこうのと騒いでいる場合ではない。
国民が一致団結して、管直人首相に協力する。
責任問題の追及は、その戦争が終結したときでよい。
仮にここで首相が交代しても、事態が悪化することはあっても、好転することはない。
事故は今の今もつづいている。
現場では、最大限の事故処理がつづいている。

 それがわからなければ、こう想像してみたらよい。

 あなたが先週食べた牛肉は、汚染牛の肉だった、と。
それでもあなたは、平静でいられるだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 アメリカ国債購入費 50兆円 日本の上納金)

(補記)

 それにしても、年額50兆円とは!
アメリカの人口は、2010年度で、3億人と少し。
50兆円をその3億人で割ると、約17万円。
つまり日本人は、アメリカ人1人ひとりに、年額17万円のお金を貸していることになる。
「貸す」といっても、返してくれるアテのない、貸し金である。
つまりプレゼント。

 もちろんアメリカにお金を貸しているのは、日本だけではない。
つづいて中国、EUもいる。
そういう国々から、アメリカはお金を借りつづけている。
アメリカの総債務の対GDP比は、軽く350%を超え、400%に近づきつつある。
わかりやすく言えば、「アメリカ人は、収入の4倍の借金をしながら生活している」。

 さらにわかりやすく言えば、アメリカ人というのは、「ロクに働きもせず、世界中からお金を借
り、遊びまくっている」。

 それが近く破綻する。
こんなバカな経済が、長続きするはずがない。
今は、第二次ITバブルに浮かれているが、それがつづいてはじける。

 管直人首相の「脱原発」を支持するつもりで、この原稿を書き始めたが、途中から、反米感
情がムラムラと湧いてきた。

 50兆円!
その10分の1で、よい。
5分の1でよい。
「今年は、上納金を減らしてほしい」と、どうして日本はアメリカに言えないのか?
「その分を、東北地方の復興費にあてる」と、どうしてアメリカに言えないのか?


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●子どもの心とその形成期(改5)
2011−7−24版
 ==子どもの心は、いつどのように作られるか==

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳〜2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。混然一体となり、一次曲線的に形成されていくので
はない。たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。エリクソン(※1)という学者は、この時期を
「信頼関係の構築期」と位置づけている。信頼関係…つまり母子の間における信頼関係をい
う。
 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。さらにひどくなる
と、情意(心)と表情が、一致しなくなる。指導する側から見ると、「何を考えているか、わからな
い子ども」ということになる。これは子どもにとっても、不幸なことである。良好な人間関係を結
べなくなる。そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。
 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。しかし心が閉じているから、外の世界になじめ
ない。その分だけ精神疲労を起こしやすい。ときに傷つく。それを繰り返す。
そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を
使って説明した。
 2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。
が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。離れると寒い。だから2匹のヤマアラシは、一晩中、
くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。1匹は、保健所で処分される寸前の犬。これをA
犬とする。人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということになる。

もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。私の家に来てからも、しばらく
は、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。これをB犬とする。
 2匹の犬は、性格がまったくちがった。A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。そのた
め番犬にはならなかった。おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。道路で見つけても、叱られ
るのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。
 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。私の言いつけもよく守
った。もちろん番犬になった。見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。
 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。一方、B犬と私は、最後まで深
い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。心は性格として定着する。「私」がない分だけ、自分を偽る。仮
面をかぶる。おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。おとなの前で、いい子ぶった
りする。イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。
 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切にする。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。つまり子どもの側からすれば、「どんな
ことをしても許される」という安心感。母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容
力。この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。が、不幸にして不幸
な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、生涯に渡ってその子
どもは、重い十字架を背負うことになる。

●親子の絆

 親子の絆にしても、そうだ。最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)
(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、
最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。それを刷り込みというが、そのとき親子の絆
は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
 人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。この時期を「敏感期」
と呼ぶ学者もいる。この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとって
も、わかる。

●子どもを愛せない母親

 その一方で、子どもを愛することができないと、人知れず悩んでいる母親も多い。東京都精
神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%もいる
ことがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研
究所調査・有効回答500人・2000年)。
 私が同時期に浜松市で調査したところ、「10%」という数字が出てきた。程度の差もあるが、
「兄は愛せないが、妹は愛せる」という母親も含めると、10%になる。
 また虐待についても、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているという。
(妹尾栄一調査)。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」など
の17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「しば
しばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、
有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、61%であったとい
う。
 母親だから子どもを愛しているはずと決めつけて考えてはいけない。

●世代連鎖

 ついでながら、虐待について一言。『子育ては本能ではなく、学習である』。とくに人間のよう
な高度な知能をもった動物ほどそうで、親に育てられたという経験が身にしみていてこそ、今度
はその子どもが親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。あるいは親から受け
た子育てを、そのまま繰り返す。これを「世代連鎖」という。
 つまり子育てとは、子どもを育てることではない。子どもに子育ての仕方を見せる。見せるだ
けでは足りない。しみこませておく。「家族というのはこういうものですよ」「夫婦というのは、こう
いうものですよ」「親子というのはこういうものですよ」と。
 それがよい世代連鎖であれば、問題はない。が、そうでなければそうでない。たとえば昔から
『離婚家庭で生まれ育った子どもは離婚しやすい』と言う。
 「離婚が悪い」と書いているのではない。離婚率も今や35%(平成19年)に達している。(25
万件(離婚届数)を72万件(結婚届数)で割ってみた。)離婚そのものは、子どもの心にはほと
んど影響を与えない。離婚に至る家庭騒動が、影響を与える。どうか誤解のないように!
 とくに世代連鎖しやすいのが虐待ということになる。親が子どもを虐待するのはしかたないと
しても、今度はその子どもが自分の子ども(孫)を虐待するようになる。それを見て、そのとき親
が、「しまった!」と気づいても遅い。つまり虐待はしない。

●心の病気の(種)も乳幼児期に

 さらに心の病気についても、その(種)は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。たとえば九
州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親
から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。
 さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあ
るという。それが成人してから、うつ病につながっていく(同氏)、とも。

●自己中心性

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。ものごとを、
(自分)を中心にして考える。「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなものは、他人
も嫌い」と。
 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思いこむ。
自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これをピアジェは、「アニミズム」と名
づけた。心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、この時期の子ども
の心理を説明する。
 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。風にそよぐカーテ
ン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考える。……というより、
生物と、無生物の区別ができない。
 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考える心
理をいう。ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを
念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別ができな
い。
 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつくられた
と考える心理である。人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子ども
は、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう感覚は、乳幼
児の人工論によって、説明される。
 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されていく。し
かしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには青年期を迎え
ることがある

【幼児期前期・自律期】(2〜4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。「マシュマロテス
ト」というのが、それである。そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介させてもらう。

『…スタンフォード大学の附属幼稚園で、4歳児を対象に、マシュマロテストと題したつぎのよう
な実験がおこなわれた。実験者が4歳児に向って、「ちょっとお使いに行ってくるからね、おじさ
んが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つあげる。でも、それまで待
てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。そのかわり今すぐ食べてもいいけどね」と。
 その間、約20分。最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子どもと、そうで
ない子どもに分かれた。その4歳児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。
 マシュマロ2個の子どもは1個の子どもに比較して、高校において、学業面ではるかに優秀
で、社会人になってからも高い社会性を身につけ、対人能力にも優れ、困難にも適切に対処で
きる人間になっていた…』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験をつぎのよう
に結んでいる。いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、あらゆる努力
の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得ながら目標に向って
長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」(同サイト)と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォル
ター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされて
いる。
 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループの間
で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグループは、た
とえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグループに200点以
上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社))。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんして
する力」のことをいう。一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということ
にはならない。好きなことをしているだけである。ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生
ゴミを手で始末させてみるとよい。背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよ
い。そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子
どもということになる。
 もちろんこのタイプの子どもは、学業面でも伸びる。というのも、もともと(勉強)には、ある種
の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。この時期を通して、幼児は、してよいことと、し
てはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。前回教えたこととちがったことを言うと、
「ママは前にこう言ったじゃない」と抗議したりする。「幼稚園の先生はこう言った」と言って、親
をたしなめるのも、この時期の子どもの特徴である。それが正義感へとつながっていく。
 そのためこの時期をとらえ、うまく指導すれば、あと片づけのしつけがたいへんうまくいく。花
瓶の位置がずれていただけで、それが気になり、元の場所に戻そうとする。そうでなければそ
うでない。行動そのものが衝動的になり、生活態度そのものが、だらしなくなる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その緊張
感の中に巻き込む。「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもたせるよう
にする。親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもってこい」は、な
い。
 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、子どもへ
の愛の証であると誤解している人は多い。あるいはより高価なプレゼントをすればするほど、
親子の絆は太くなると誤解している人も多い。しかし誤解は誤解。そんなことを繰り返せば、子
どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。やがて手がつけられなくなる。
 そこでイギリスでは、こう言う。『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやるより、い
っしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【幼児期後期・自立期】(4〜5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分
のことは自分でしなと言い返したりする。生意気になりながら、自立をめざす。
 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
 ウソについては、2歳前後から始まる。ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
 つぎに暴言。自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐く
ようになる。「ババア」「ジジイ」「バカ」など。暴言を許せというのではない。暴言を言えないほど
まで、子どもを抑えつけてはいけない。適当にあしらい、あとは無視する。私のばあい、つぎの
ような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。「ビダンシ(美男子)」と。それ以後幼児たちは、喜んでその
言葉を使う。私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得した、損した)
は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。この時期に、欲望を金銭で満たす方法を覚え
ると、あとがたいへん。幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校生になると1万円、さ
らに大学生になると10万円になる。
 さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようにになる。買
い物依存症がその一例ということになる。必要だからそれを買うのではない。欲しいからそれ
を買うのでもない。(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。
 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっくりと説
明する。激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られじょうず」になるだ
け。いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れようとする。もちろん説教と
しての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に
備わっている。そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。が、かえってその自立
心をつぶしてしまうことがある。親の過保護、過干渉、溺愛である。とくに過干渉が、こわい。
 親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉
児」になる。子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。発達心理
学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしま
う。
 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。親の過干渉にやりこめ
られてしまった子どもが萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが粗放児というこ
とになる。兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。が、簡
単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさ
い」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。食事面の過保護、行動面の過保護など。何か心配の種が
あり、親は子どもを過保護にする。「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。
 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。「あの子は悪い子だ
から、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだめ」な
ど。
 子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。で、その結果として、子どもは過保護児になる。いつ
も満足げで、おっとりしている。が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、それに抗議する
こともできない。そのまま明け渡してしまう、など。だから昔からこう言う。『温室育ち、外ですぐ
風邪をひく』と。
 また溺愛は、「愛」ではない。たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、親は
子どもを溺愛するようになる。つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利用する。
 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。また別のある母親は、
私にこう言った。「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしいです。一
日中、看病できると思うと、うれしいです」と。
 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。子どもはちょうど、飼
い主の胸に抱かれた子犬のようになる。だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」(失
礼!)と呼んでいる。飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。あるいは努力の割には、効果
があがらない。心についても、そうである。
 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。先に書い
た、あと片づけのしつけも、そのひとつ。
 で、幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。
『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(=人)の人格の「核(コア)」にな
る。言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。「この子はこういう子である」
と認めた上で、教育を組み立てる。へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子ども
になってしまう。

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳〜)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になって
しまった。天井が落下した。その直後、この浜松市から250人もの応援部隊が、栃木工場に
向かった。
 一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。また
被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。日本人が培っ
た勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮された。
 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育まれる。いろいろ問題点がないわけ
ではない。世界のすう勢は、自由教育。EUでも、大学の単位は共通化された。アメリカでは、
ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超え
た。現在、推定で200万人はいるとされる。ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでとい
う教育形態が、ふつうになっている(中学生)。カナダでは、学校の設立さえ、自由である。
 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学
校教育には、すぐれた面も多い。この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、こう書いた。
「これこそまさに日本人の美徳」と。この言葉に異論はない。

【青年期・同一性の確立期】(12歳〜)

●同一性の確立

 児童期のあと、子どもは思春期前夜(精神的に不安定になる)、思春期へと進んでいく。この
時期の、言うまでもなく最大かつ最重要の課題は、「同一性の確立」である。
 「私はこうありたい」という(自己概念)。「現実に私はそれをしている」という(現実自己)。この
両者が一致した状態を、「同一性」という。
 児童期の勤勉性と同一性の確立について、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中に
なって繰り返す。それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立していく。
 自我の同一性の確立している子どもは、強い。どっしりとした落ち着きがある。誘惑に対して
も、強い抵抗力を示す。が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりんの状態」になる。心理的
にも、たいへん不安定となる。非行にも走りやすい。その結果として、つまりその代償的行動と
して、さまざまな特異行動をとることが知られている。
 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい自分を演じて、み
なの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型(集団の中で子分として地位を
確立する、非行補助)など。
 もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。「タバコを吸ってみないか?」と声をかけら
れると、「うん」と言って、それに従ってしまう。断ることによって仲間はずれにされるより、その
ほうがよいと考えてしまう。
 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正されたりという
ことは、ほとんどない。

●夢と希望、そして目的

 ただ残念なことにこんな調査結果もある。
子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一
日を終える子どもは、男子で30%、女子で35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の
小学生3226人を対象に、04年度調査)。
 が、これではいけない。自我の同一性どころではないということになる。子どもの夢を大切
に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

【終わりに……】

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3方
向から、見直され始めている。「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、い
まだにのさばっているのは、残念としか言いようがない。むしろ事実は逆。
 幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎない。かつて
イギリスの詩人、ワーズワース(1770〜1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれの日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。この言葉のもつ重みを、もう一
度、心にしっかりと刻みたい。

注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902−1994)は、発達心理学者、
精神分析家。「アイデンティティ(自我の同一性)」の概念を提唱したことで知られる。ここではエ
リクソンの心理発達段階論を取りあげた。エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期
から少年期までを、つぎのように区分した。(1)乳児期(信頼関係の構築)(2)幼児期前期(自
律性の構築)(3)幼児期後期(自主性の構築)(4)児童期(勤勉性の構築)(5)青年期(同一
性の確立)
注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、合計
2400点満点で評価される。
注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、刻印づけのこと。コンラート・ローレン
ツの研究で世界に知られるようになった。
注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)

はやし浩司(ひろし)
1947年生まれ。金沢大学法学部、メルボルン大学法学院研究生、三井物産社員を経て、幼
稚園講師に。幼児教育歴40年(2011年)。30冊以上の著書と百科事典の編集など。ほかに
東洋医学の著書5冊、宗教論の著書5冊など。現在静岡県浜松市在住。BW教室主宰。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月16日、夜記

+++++++++++++++++++

今日は暑かった。
一日中、ふとんの上で横になっていたような気がする。
ときどき水道の水を頭にかけた。
軽く拭いて、そのまま扇風機に。
この繰り返し。

調子は最悪。
昨日から頭痛が消えない。
今も軽い頭痛。
熱中症?
偏頭痛?
それとも夏風邪?
判断しかねている。
だから薬も今は、ペンディング。

先ほど、ある雑誌社からの原稿を書き終えた。
締め切りまで、まだ日数があるので、
しばらく塩漬け。
原稿というのは、つけものと同じ。
しばらく塩漬けにしたあと、再度推敲する。
時間がたつと、そのときは気がつかなかった文の
アラがわかる。
だから塩漬け。

+++++++++++++++++++

●後悔

 ときどき、……というより最近、私はこう思う。
「私は自分の人生で何をしてきたのだろう」と。

 自分の好き勝手に生きてきたつもりなのだが、いつもだれかの犠牲になっていた。
心の負担感をはずすことができなかった。
もちまえの生まじめさが、私をして、そうさせた。
私はもっとずるく生きてくればよかった。
手を抜くところは、抜く。
ニヒルになるところは、なる。
それが私には、できなかった。
そういう点では、私はクソまじめすぎた。
今の今もそうで、体中に、無数の糸がまつわりついている。

 後悔といえば、それが後悔。
が、理由はわかっている。
結論を先に言えば、私は臆病者。
ひとりで生きていく度胸すらない。
自信もない。
勇気もない。
だから反対にだれかにまつわりつく。
それが逆に、私にまつわりついてくる。

●勇気

 勇気がほしい。
ひとりで生きていく勇気がほしい。
だれにも遠慮せず、だれにも媚を売らず、だれにも干渉されず、
そして不安や孤独から解放され、ひとりで生きていく勇気がほしい。

 それができれば、過去とも決別できる。
息子たちやワイフとも決別できる。
今の私にとっては、家族は憩いの場であると同時に、負担。
「あと何年がんばればいいのか」と。
若いときのように先が見えない分だけ、心細い。
健康にも、自信がなくなってきた。
が、私は自分の体にムチを打つ。
打って、運動に出かける。
負担感の原因は、どうやら、そのあたりにあるようだ。

 そこでこう考える。
「人なんて、クソ食らえ」と。
みんな勝手に、自分で生きていけばよい。
私は私だ。
……つまりそういうふうに割り切って生きる、勇気がほしい。

●愚痴

 やはり頭痛のせいだ。
こういう愚痴っぽい原稿は、私の書く文章ではない。
また読む人だって、不愉快。

 だから今夜はここまで。

 ……そう、夜中になったら、サイクリングをしてみよう。
今日は土曜日。
少し遠出をしてもよい。
よい運動になる。
いや、本当は、どこまでもどこまでも、行けるところまで行ってみたい。
日本にも砂漠のようなところがあったらよい。
オーストラリアのアウトバックス(荒野)のようなところでもよい。

 いつか足が動かなくなり、そのまま地面に倒れる。
倒れて意識を失う。
あわよくば、そのままピンコロ!
私にとっては、理想の死に方。

 ……本当にこの世の中、皮肉なもの。
生きていくのもたいへん。
しかし死ぬのも、同じくらい、たいへん。
いま、つくずくそう思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7月17日

 一夜あけて、今日は7月17日。
曇った空。
涼しい風。
セミの声も、どこか湿っぽい。
先ほど天気予報を見たが、超大型の台風が接近中とか。
20日ごろ、本州の南側をかすめそう。

 今朝は運動をするのも、何となく、おっくう。
というか、していない。
こういうときは、ささいなことが気になる。

 昨夜も、ひとりで近くのソバ屋へ行ってきた。
客は、私ひとりだけだった。
そこでのこと。
私は冷やしソバを注文したのだが、主人の腕を見ると、玉になった汗がびっしり。
その汗が、ソバを出してくれたとき、ポタポタとソバの中に落ちた。
とたん食欲ゼロ。
空腹感は、どこかへ吹っ飛んでしまった。

 「塩の味付けと同じ」と、何度も自分に言って聞かせる。
聞かせながら、食べる。
が、それにも限界がある。
ソバの部分だけを食べ、あとは残して出てきてしまった。

 帰りにコンビニでダイエット食を、5個買った。
今朝はまだ体重を量っていないが、65キロ台になっているはず。

●ダイエット

 ダイエットするときは、運動量をふやす。
運動をしないまま、減食すると、そのうち体が動かなくなる。
抵抗力も落ちるので、もろもろの皮膚病を誘発する(私のばあい)。
結膜炎やインキンなど。

 が、この方法だと、最初の7日前後、体重はほとんどさがらない。
脂肪がそのまま筋肉になるためと、説明されている。
が、その7日を過ぎると、徐々に体重がさがり始める。
が、そこからが苦しい。
今の私がそうだ。
脂肪が筋肉になるといっても、簡単にはなってくれない。
さらに運動量をふやさなければならない。

 ……人間というのは、本来、怠け者。
サルにも「ナマケモノ」というのがいる。
人間ももともとその部類だったかもしれない。

 ポタポタとした腹を手のひらで叩きながら、今、そんなことを考える。

●汚染牛

 今、放射能で汚染された牛肉が問題になっている。
今月のはじめには、「そういう牛はない」ということになっていた。
が、その直後、1頭、発見された。
それが全国で販売され、大半がだれかの胃袋に入った。

 さあ、たいへん!、ということで、日本中が大騒ぎになった。
が、1頭だけではなかった。
84頭(16日)、さらに42頭(17日)とつづいた。
宮城県産の牛にも、飛び火した(17日)。
当初から「1頭だけのはずがない」と私は思っていた。
思っていたが、「1頭だけかもしれない」という淡い期待も抱いていた。

 ヤフーニュースは、こう伝える。
『……放射性セシウムを含む稲わらを与えられた肉牛は、すでに南SM市と同県AS町の農家
からの出荷が判明。同様の牛の出荷は計143頭になった」と。

 ただAS町の農家の人が、こう言ったのには、驚いた。
「こんな遠くまで放射能が飛んでくるとは思っていませんでした」と。
そこでグーグル・マップを使って、距離を調べてみた。
福島第一原発から、AS町までは、……40〜50キロ!
たったの40〜50キロ。
それでもその農家の人は、そう言った。

 そう言えば、足柄茶(神奈川県)で放射能が発見されたときも、農家の人は同じようなことを
言っていた。
静岡茶で発見されたときも、そうだ。
「何100キロも離れているのに!」と。

 管直人首相は、「東京、神奈川の人まで、3000万人の強制移住も考えなくてはならない」(1
6日)というようなことまで言ったとか。
そうならないことを望むが、しかし可能性としては、ありえない話しではない。
というのも、この問題は、牛肉だけのことではない。
ありとあらゆるもののが、汚染されている。
それがジワジワと、積算されながら、裾野に広がりつつある。

 
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【熱中症vs管直人首相の責任】(改)2011/07/1記

●節電と熱中症(熱中症まで、管首相の責任?)

 産経新聞(2011−07ー17)・Izaニュース(7月17日)に、奇妙な記事が載った。
実に奇妙な記事である。
いわく「熱中症による死亡者がふえたのは、管直人首相のせい」と。

一部を、そのまま紹介する。

++++++++++以下、産経新聞(iza)より+++++++++++++

政界でも「菅直人首相の思いつき」(現職閣僚)としか受け止められていない「脱原発」路線の
影響で、ついに死者が出始めた。総務省消防庁が12日にまとめた調査(速報値)で、7月4日
から10日までの1週間に熱中症で病院に搬送された人が前年同期の897人から5倍以上の
4520人に達し、うち8人が死亡していることが分かったのだ。

(中略)

過剰な節電意識から生じた熱中症は、さしずめ「3次被害」と言ったところだろう。しかも、1次
や2次被害と違って民主党政権、とりわけ菅政権と密接不可分な、正真正銘の人災でもある。

(中略)

首相は13日の記者会見で熱中症患者の急増について「本当に申し訳ないといいましょうか、
静養いただかなければならない問題だ」と謝罪した。後ろめたさを感じていたとみえる。

++++++++++以上、産経新聞(iza)より+++++++++++++

●2011年は、2010年より、暑い!

 そこで私は、東京都における、昨年(2010)の気温と、今年(2011)の気温を調べてみた
(goo天気)。
もし2011年(今年)の気温が、2010年とほぼ同じであれば、節電と熱中症の間に、何らかの
因果関係があっても、おかしくない。
(だからといって、即、管直人首相の節電協力要請と結びつけることはできないが……。)

●2010年・7月の最高気温(かっこ内は、2011年・7月)

 (▲)は、2011年に気温が上昇したことを示す。

 1日  29・5  (33・9) ▲
 2日  31・0  (28・9) ▽
 3日  28・8  (31・1) ▲
 4日  31・6  (34・3) ▲
 5日  30・3  (32・3) ▲
 6日  30・6  (32・5) ▲
 7日  27・8  (29・7) ▲
 8日  30・1  (31・4) ▲
 9日  27・8  (32・5) ▲
10日  31・1  (33・6) ▲
11日  28・9  (33・8) ▲
12日  29・1  (32・7) ▲
13日  25・9  (33・4) ▲
14日  31・3  (33・4) ▲
15日  31・4  (33・7) ▲
16日  31・9  (33・3) ▲
17日  32・1

 これを見てもわかるように、1日〜17日までの間で、2010年より気温が低かったのは、7月
2日の1日だけ。
あとは、見比べただけでわかる。
1〜16日までの平均気温は、2010年は、29・8度。
2011年は、32・5度。
平均気温だけをみても、2・7度も差がある!
つまり今年は、猛暑日つづき。
が、産経新聞は、「熱中症で死者が出たのは、管直人首相の(節電協力要請)のせい」と結論
づけている。

 韓国の新聞でも、ここまでメチャメチャな反日記事は書かない。

●気温上昇と節電

 この先、地球温暖化は、さらに進む。
一説によると、気温も45度を超えると、クーラーもきかなくなるという。
節電するとか、しないとか、そういうレベルを超える。
そういうことを考えるなら、今から節電に慣れておく。
その準備をしておく。
エネルギーの無駄遣いを控える。
それは当然のことではないのか。

●必要十分条件

 不幸にして、8人の方が、熱中症でなくなった。
残念な事件である。
しかしそうして亡くなった人を、いきなり管直人首相の責任とすることはできない。

(1)亡くなった人は、管直人首相の節電協力要請どおり節電し、死亡した。
(あるいは管直人首相の言葉を忠実に実行し、エアコンを使わないでいたため、死亡した。)

 まずこれが必要条件。

(2)亡くなった人たちは、管直人首相の節電協力要請を無視し、節電をしていなかったら、助
かった可能性が高い。

 これが十分条件。

これら2つの条件を満たしてはじめて、管直人首相の責任ということになる。
が、仮にそうであっても、産経新聞のこの記事は、どう読んでも、お・か・し・い。
まだ、おかしい。

 節電といっても、エアコンを止めろということではない。
仮に熱中症による症状が現れれば、だれだって冷房の設定温度を最大限までさげるだろう。
私も山中で草を刈っていたとき、一度、熱中症にかかったことがある。
それがわかったから車の中に飛び込み、頭から水をかけ、冷房をがんがんとかけた。

 熱中症になっても、その人たちは、管直人首相の言いつけを忠実に守ったというのだろう
か。
何も処置しなかったというのだろうか。
今どき、そんな人はいない。
北朝鮮にはそういう人もいるかもしれないが、この日本にはいない。
ものごとは常識で考えたらよい。

 今年、熱中症の患者が急増したのは、気温が異常に上昇したからである。
冒頭にあげた、東京都の気温を、もう一度、よく見比べてみてほしい。

●節電

 「節電に協力してほしい」という管直人首相の言葉は、こういう時期においては、至極当然の
ことである。
現に今の今も、福島第一原発からは、モウモウと放射性物質が空中に飛散している。
この先、その被害が、どのような形で、どこに現れるか、それさえも正確にはわかっていない。
汚染野菜に汚染茶。
今度は汚染牛肉。
それぞれは「今、ただちに害はない」というレベルかもしれないが、こういったものが複合された
ときが、こわい。
しかも放射性物質というのは、日々に積算される。

 「原子力発電の再開は、慎重にしましょう」と呼びかける管直人首相は、まさに常識を口にし
ただけ。
この先東京都どころか、名古屋市だって、あぶない。
汚染牛にしても、山口県の山口市で売られていたという。

産経新聞社が、管直人首相を嫌う理由は、よくわかる。
しかしいくら『坊主憎し』といっても、袈裟まで叩いて、どうする?
どうなる?

 ここはもう少し冷静になってほしい。
自分たちの論理のおかしさに、気づいてほしい。
今は、そんなことで足を引っ張りあっているばあいではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 管直人 熱中症 責任問題 20
11年 猛暑 産経新聞の管首相叩き)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●複合大恐慌(2011/07/18記)

+++++++++++++++++++++++++

アメリカのデフォルト(債務超過=国家破綻)、
EU経済の崩壊、
中国バブルの崩壊……。

迫り来る、世界の大恐慌。
しかし日本は3・11震災処理、原発事故処理問題で、
それどころではない(?)。
が、上記ひとつでも現実のものとなったら、
日本経済はそのまま奈落の底へ。

で、ここまでの話しなら私にも理解できる。
が、そのあと、この世界はどうなるか。
この日本は、どうなるか。
それがよくわからない。
ただひとつわかっていることは、そのあと、
世界は未曾有の大恐慌に見舞われるということ。

企業の連鎖倒産、失業者の増大、ハイパーインフレ……。
銀行や証券会社には、払い出しを求めて長蛇の列が
並ぶだろう。
犯罪も増加し、治安は不安定になる。
過去3年間だけをみても、世界の穀物価格(大豆、小麦、
とうもろこし)は、すでに3倍近くにまではねあがっている。

たとえば、大豆価格……08年比で、2・6倍
小麦価格……08年比で、2・3倍
とうもろこし価格……08年比で、3・1倍。
(農林水産省調べ・MMF・2010)

たまたま今は、円高にブレているからよいようなもの。
これが円安に向かえば、穀物価格は、一気に台所を直撃する。
へたをすれば日本でも餓死者が続出するかもしれない。
(すでにあちこちで餓死者が報告されているが……。)

今まさに、世界は大激流の渦の中に巻き込まれようとしている。
そういう中、私たちはいったい、どのように自分の身を守ればよいのか。
どのように生きていけばよいのか。

+++++++++++++++++++++++++

●日本人の依存性

 「国の指示がなかった」「国が何とかしてくれる」と。
こういうのを依存性という。
「甘えの構造」(土居健郎)ともいう。

牛肉から最初に放射線が計測されたとき、当の飼育業者は、こう言っていた。
「原発から、こんなに離れているのに……!」と。
AS町に住む飼育業者である。
そこで私はグーグルマップを使って、福島第一原発からAS町までの距離を調べてみた。
が、その距離はたったの45キロ!

 原発事故においては、45キロなど、事故の直接圏内。
もう一度、3月末の「放射線物質の飛散様子図」(イギリス気象局)を見てみよう。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/49/img21b9fb72zik6zj.gif" 
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 これは3月22日の06:00(GMT)のものだが、このあと放射性物質(=放射能)は、さらに
広く拡散する。
最高度の危険度を示す「赤」は、東京を越え、伊豆半島にまで達している。
さらにその先端は、この浜松市にまで達している。
45キロどころではない。

 当時、私は即座にそれを知り、雨が降っている日には、(小雨でも)、生徒たち全員に雨合羽
を無料で配布、着用させた。
浜松市(福島第一原発から約420キロ)に住んでいる私ですら、その程度の危機感をもってい
た。
が、たった45キロしか離れていないAS町の飼育業者が、そんな言葉を使ってよいのか。
「原発から、こんなに離れているのに……!」と。

 おおかたの世論は、「やむにやまれず、汚染されたワラを与えた」と、飼育業者に同情的であ
る。
たしかにそうかもしれない。
その心情は、痛いほど、よくわかる。
が、そうとばかりは言えない部分もある。
何かが心にひかかる。
そのおかげで、放射線被害は、ほぼ全国に広がってしまった。
つまり無知と言えば無知(失礼!)。
ほんの少しでも自分で情報を集め、考える力があったら、そんな言葉は出てこなかっただろう。
すでに百数十頭以上もの汚染牛が、食卓で消費されている。
今朝になってその数はさらにふえた。
わかっているだけでも、600頭近く!
しかも事故直後の5月ごろに!

 この先、どんな健康被害が出てくることやら。
それを考えたら、「無知だった(innocent)」では、すまされない。
「ちゃんと指示を出してくれなかった、国が悪い」では、すまされない。

●慣性の法則

 「日本人は、希望的観測論で行動する。最悪のばあいを考えて行動しない」と。
藤井巌喜氏が、その著書「超大恐慌の時代」の中で述べている言葉である。
何もあえて取り越し苦労をすることもないが、それにしても日本人は、甘すぎる。
飼育業者だけではない。
これほどまでの大恐慌が、すぐそこまで来ているのに、その緊張感すらない。
同じように、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」と。
のんきというか、ノー天気というか。

 私もリーマンショック(2008年9月)で、ひどい目にあった。
だからドバイショック(2009年11月)のときは、それを察知することができた。
ちょうどその1週間前には、すべての株を手放していた。

 そして今、おかしな楽観論が、日本中を支配している。
放射線汚染もそうだが、そこにある危機を横目に見ながら、「大恐慌など来ない」と。
こういう世俗の動きを、経済の世界では「慣性の法則」というらしい。
「まだだいじょうぶ」という甘い考えだけが、ひとり歩きしてしまう。
現在の中国に、その例を見る。

 いまだに中国人のほとんどは、住宅バブルはまだこの先も、ずっとつづくと信じているらしい。
今年に入って、貸出金利の上昇とともに、住宅価格は20%以上も下落している。
が、それでも「一時的なもの」と。

 かつての日本人もそうだった。
「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と言って、土地神話にしがみついた。
つまり慣性がついているから、小回りできない。
それを「慣性の法則」という。
わかりやすく言えば、行き着くところまで行かないと、気がつかない。

●では、どうするか

 では、どうするか……と書いたところで、筆が止まってしまう。
私はこの分野では、ズブの素人。
書店で経済誌を読みあさる力はあっても、それをまとめる能力はない。
他人に、どうしたらよいか書く能力となると、さらにない。

 しかし嵐が近づけば、だれだってその備えをする。
そういう能力はある。

 大恐慌になれば、株価は下落、企業は倒産。
銀行があぶなくなるということは、銀行預金もあぶなるということ。
プロの投資家は、そういう危機を先読みし、利益につなげるという。
しかしそんな芸当など、私にできるはずがない。
そういったものに手を出すのは、危険すぎる。

 そこで防衛あるのみ。
今の段階では、「損切り」(損をしてでも、見限るものは見限る)あるのみ。
この先の具体的なことはここには書けない。
みな、事情が異なる。
専門知識にも差がある。
ただこういうことは言える。

 「今度中国ショックが起きれば、ドバイショックの1000倍の威力(被害)がある」(某経済誌)
と言われている。
(何をさして、1000倍というか、よくわからないが……。)

さらにもしアメリカがデフォルト……ということにでもなれば、日本の銀行は、残らず倒産する。
日本の銀行団がかかえるアメリカ国債は、330兆円!
今の今も、毎年、48兆円ものアメリカ国債を買い支えている。
日本の国家税収が40兆円前後。
国家予算が80兆円前後。
それと比べても、330兆円という額がいかに莫大なものであるかが、わかるはず。
それが紙くず……とまではいかないにしても、それに近い状態になる。

 8月2〜3日に、オバマ大統領は、どのような決断を下すか?
おおかたの経済学者は、債務限度額を引き上げ、ドル札の増刷をして乗り切ると読んでいる。
つまりそのほうがデフォルトするよりは、よい。

しかしここでも慣性の法則が働く。
このまま慣性によって、突っ走ってしまうかもしれない。
オバマ大統領は、その決断もくだせないほど、自らの体を、無数の糸でしばりあげてしまってい
る。
つまりにっちもさっちもいかない状態になっている。
それに今、ここで一時的にデフォルトを避けられたとしても、根本的な問題は何一つ解決してい
ない。
さらにアメリカの借金は積み重ねられ、その向こうではさらに大きなデフォルトが待っている。
また同時進行の形で、EU経済の崩壊、中国バブルの崩壊が危ぶまれている。
もちろんこの日本も、あぶない!

 時おりしも、超巨大台風が日本列島に接近中!
どうやらこの浜松地方を直撃しそうなコースに乗っている。
とりあえずはこの台風への備え。
それが片づいたら、「超大恐慌」(藤井巌喜)に備えよう。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月19日

 断続的にはげしい雨。
あやしげな風。
超大型の台風が、もっか、北上中。
今夕、四国地方を直撃。
そのあと急旋回して、東海地方に。
気象庁の予報では、そうなっている。

 時刻はすでに9時を過ぎているのに、朝方のように暗い。
不気味。
ワイフは、先ほど、車の点検に出かけた。
1年点検とか。
「もう1年!」と。
驚く。
TOYOTAのプリウスを買って、もう1年!

 すばらしい車であるこちには、ちがいない。
平均燃費は、19キロ/L前後。
夏場になって少し消費量がふえたような感じはする。
しかし一度満タンにすると、1か月ほど、そのまま走る。
給油は月に1回。
その前に乗っていたビッツ(TOYOTA)は、10日に1回は給油していた。

 で、台風が気になる。
あちこちのサイトをのぞく。
先に「急旋回」と書いたが、「Uターン」と書く方が正しいかもしれない。
四国へ上陸したあと、偏西風に乗って、Uターン。
そのまま太平洋に逆戻り。
奇妙な台風だ。

 浜松に再接近するのは、20日(水曜日)の午前6時ごろ。
しかしそのころには、すでに青空も見えているはず。



 近く、講演がつづく。
そのあと名古屋で同窓会。
7月は忙しいというより、あわただしい。
間を縫って、こまかい行事がつづく。
毎年、そう。

 体重は今朝、やっと65キロ台にもどった。
が、これからが苦しい。
目標は63キロ。
ペットボトル1本分。
自分のポタポタとした腹を見ながら、こう考える。
「こんなムダな肉をくっつけて歩いて、どうする?」と。

 車で言えば、後部座席に家財道具を積んでいるようなもの。
私の適正体重は、60キロ前後。
年齢を考えるなら、57〜8キロ前後。
その分、体も軽くなる。
動きも活発になる。

がんばろう!

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【家庭内暴力】

●長男の家庭内暴力

【兵庫県にお住まいの、KWさんより、はやし浩司へ】

 はじめまして、高校1年の長男の事で悩んでおり、メールしました。
私、夫、長男、中学の長女と小学生の二男の5人と夫の母と父がおります。
同居しています。
今は家の近所のアパートに私と妹と弟は寝泊まりし、食事作りや洗濯は家で行っています。
朝は、祖父母の家に娘たちを呼んで朝食を食べさせ登校させてます。

 家を離れる決断は、1年前の8月、長男が高校受験の年に決めました。
 長男から長女への執拗な攻撃がひどくなり、このままでは長女が人間らしい生活ができない
と思い決心しました。
長女への暴力は長年あり、最後には息もできない状態で自由を奪い小声でしか話せなくなりま
した。
長女が祖父母宅に居れば、目でどこか行けと指示したり、長男が妹達の勉強部屋にこっそり
来て、暴力や物を破壊したりと、長女は言葉を発することは少なくひそひそ声で話しておりまし
た。
また、長男が中学2年ごろには長女に家の裏側へ来るように二女に命令し難癖をつけ、しばし
ば暴力を奮っていたようです。

 長女への暴力は長男が小学校のころからあり、私がいない時にやっていました。顕著に家
庭内暴力と言えるきっかけは2点あります。

 長男が中2の時、私の親が事故にあい、私1人で親の面倒をみるようになり、子供のことを
振り向けず実家の事に精一杯でいた時、長男が部活でレギュラーから落とされたと後になって
分かりました。

そのまま中3を迎え、一番なりたくない先生が担任になり、1学期の担任との面談で本人と私の
前でずるいだのと全否定する言葉をなげつけられ、その日をきっかけに私への暴力は始まり
ました。
中学時代はその担任が主導して、弱い子に暴力をふるったり、いやみや、罰与えが日常茶飯
事の学年でした。
1度長男も中1の時その担任に、お腹を訳もなく殴られました。
絶対に家に帰って、いやな事や恥ずかしいことは言わない子です。 

 長男は中学に入る時から高校入試の事を非常に意識しており、レベルも高いところを志望し
ておりました。内申が思うようにつけてもらえず悩んでいたと思います。

 高校受験の頃には長男の緊張は更に高まってきました。
結局受験は失敗し、行きたくなかった高校ですが、進学校であり優秀な生徒も多い高校に行く
ことになりました。

 入学後、頑張ろうとしましたが、ついていけず2度目の挫折を味わうことになりました。高1の
春先には急性胃腸炎で4日休み、今までの失敗で自信も持てないところへ、全体でも下の成
績になり本人もショックなのでしょうが、まだ、勉強は諦めていないようです。
何とかしたいけど分からず、もがいて、参考書や文房具を沢山買い、塾へも2ケ月位行きまし
た。塾の参考書がほしいかったのだと思います。

 今年のお正月には激しい暴力を私に振るわないと気が済まないようで、妹を近づけるにはす
ごく危険な状態でした。

私への暴力の原因は、冬休み前の面談で先生がなんとか赤点はあるが留年にならないレベ
ルと言われた事と、他の子は私立に行かせてもらってるっていう気持ちで親に感謝して頑張っ
ている子が多いという事を聞き、私が「よくこれでやってるね。」と言ってしまい、その言葉が暴
力へ引き金となった様に思います。
そのあとすぐ、塾も辞め何もかもやる気もなくなったようにも見えます。

 暴力の内容は、思いっきり側頭部や太ももや腕をたたいたり、けったりします。
髪の毛をわしづかみにして私を家から追い出します。

 お正月には、長男が弟と遊びたくて、凧揚げしたかったらしいです。
長男が弟を呼んでも妹は怖いから行かないし、電話をかけて出なかったりで長男の怒りが高
まってしまいました。
数日後、長男が弟と家で逢った時、弟を髪の毛を引っ張って"何で俺の言う事が聞けなかった
のか"と、蹴ったりもして私が帰宅し止めたこともありました。

急に激こうしたり、自分では加減しているところもあるのかもしれませんが、危険に見え、妹へ
の暴力が放っておけず私が間に入り、それがまた長男は憎い様です。

 昨日は長女と家の前で出くわし、お腹を思いっきり叩いて塾へ入るよう命令し、最後に背中を
足蹴りし長女は家の柵に胸を打ちつけました。
長女はそのままアパートへ帰り部屋で閉じこもっておりました。
長女は2度とあんな家に行かないし、家の前も通らないと言ってました。
何度かこういう事が、離れてから起きています。
 塾へ行かせたいのは、中学の塾の参考書が欲しいのが目的です。
自分も中学の時その塾に通っております。
ここ数日は長男は常に怒り状態で危険な顔つきをしております。
また、高校の友達は学校の中だけで一切付き合いがありません。 

 長男の生育史は、小学校へあがるまでは、今と違う町におり3歳までは私とべったりの生活
でしたが、妹が生まれてからは保育園に入り急につき放された状態でした。

 私も3歳以降、余裕もなくスキンシップはほとんどなかったと思います。
 やんちゃで、聞かん気も強く友達には意地悪はできず、そのストレスは家に持ち帰るタイプの
子で、長男が妹に手を出すと私が間に入って、長男に仕返しをしてしまいました。主人も夜遅く
帰り、その分土日だけは長男に関わってくれました。

 長男の年長の終わりに風邪をこじらせてから、朝お腹が痛いを言うようになり、登園が難しく
なりだしました。
小学校入学を機に今の家を建てましたが、やはり 簡単に登校拒否の状態は治らず、小1の2
学期途中に全く行かなくなり、3学期を迎えた頃、急に登校しました。
お腹の痛い症状はときどきありましたが、小3の頃にはスポーツ少年団に入ったりと小学校時
代は輝いていました。

 幼児期には、ダメダメ言って完ぺき主義に育て、感情的に長男へ当たり、言葉の暴力と叩い
たりもして、抑圧して言う事を聞かせていました。
甘えたい時期に妹達が生まれ、甘える事が出来ず、長女との仲裁に私が入った事が憎しみな
っていると思います。

 私の状況としては、結婚当初から、姑舅と近くに住んでいる義姉との関係に悩み、いやな思
いはありその気持ちは主人には分かってもらえず、子供たちも気づいていました。
当時は主人に分かってもらえないのが悲しかったです。
息子が小3になり、私も家にいるのが見張られているようなので少しづつアルバイトを始め現
在はフルタイムでなく常勤の事務パートをしております。

 やはり、家族がバラバラで父親と2人は寂しく、父親は平日10時過ぎに帰宅するので、長男
1人でいる時間が夜は長く、孤食で冷めたご飯を食べたりの状態です。

暴力を受けた長女は、長男と正反対の性格ですが、かなりトラウマがあり、暴力の話はしたく
ない様で心の底に溜まっていると思います。
長男を憎んでいます。

 長男の憎しみと、恨みはどの様に解決していけるか分かりません、心を見せないし今の生活
で戻ると妹への攻撃が爆発すると思うし、離れていると私への甘えが未解決のままです。

 過去の確執はありますがおじいちゃん、おばあちゃんも心配しており、一緒に長男と話し合い
をしたいと思いますが良いのでしょうか?
このような状況になっている事が、あの時あんなだったと笑って言える日が来るようにしたいで
す。

 また、これからの夏休みをどう過ごせばよいのかなどの不安もあります。どうか、今できる事
はどういうことなのか、最優先することは何かアドバイスを頂ければと思います。 よろしくお願
いします。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●反動形成

 長男(以後、K君とする)の家庭内暴力の遠因は、すでにこのメールの中に書かれている。
溺愛と過干渉、そして突然の愛情変化。
幼児期にいじってはならない2つの感情がある。
嫉妬と攻撃(残虐)性。
その「嫉妬」をいじってしまった。

 嫉妬をいじると、相手が弟であれ、妹であれ、兄(姉)は、その相手を殺すところまでする。
いじめるとか、暴力を振るうとかいうレベルではない。
「殺す」ところまでする。
嫉妬というのは、そういう感情をいう。

 ある兄(6歳児)は、弟を家の隅に連れて行き、いつもその弟を逆さづりにして、頭から落とし
ていた。
別の兄は、弟に向かって、全力で自転車で体当たりしていた。
それを見ていた近所の人が、「ギャーッ!」と声を張り上げたほど、残酷なシーンだったという。

 が、こういうケースのばあい、上の子は、両親の前では、別人のようによい兄(姉)を演じたり
する。
心理学の世界では、「反動形成」という言葉を使って、それを説明する。
K君は、下の妹が生まれたことで、はげしい疎外感を味わった。
それが嫉妬に転化し、動物的な攻撃性となって、それが現れた。

●混乱期

 思春期前夜(10歳前後)から、子どもの心は不安定期に入る。
脳の中で、はげしい変化が起き始める。
それは自分であって、自分でない変化ということになる。
心が満たされないことによる、葛藤感。
未来への不安と心配。
わがままと自己中心性。
不平、不満。

 が、何よりも(自分の将来を定められない渇望感)。
それに(自分は嫌われているという焦燥感)。
こういったものが混然一体となって、この時期の子どもを襲う。
それは恐ろしいほどのケイオス(大混乱)と言ってよい。
火事と地震、それに台風。
それらが同時に起きたような状態ということになる。

 K君はやりようのない自分を、そのまま身近にいる妹や母親に、ぶつけている。
「そんなことをすれば、ますますみなの心は離れてしまう」。
それを知りつつ、その自分をどうすることもできない。
それほどまでに、K君の心の中で起きている変化は、大きい。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
母親も苦しいかもしれない。
しかしそれ以上に、K君自身も、苦しんでいる。
心の緊張感から、逃れることもできず、もがいている。
ただその処理方法が、わからない。

●心の別室

 心療医学の世界では、「うつ」ということになる。
突発的に発生する錯乱状態。
ささいなキーワードが引き金になることが多い。
ある女の子(6歳児)は、母親が「ピアノのレッスンをしましょうね」と声をかけただけで、錯乱状
態になり、母親に包丁を投げつけたりした。

 K君のばあい、外の世界では仮面(ペルソナ)をかぶる分だけ、その不平、不満を内的世界
に抑圧しやすい。
私は「心の別室」と呼んでいる。
この心の別室には、時効(時間がたてば忘れる)や、上書き(よい思い出がそのあとあっても、
上書きされることはない)がない。
ときと場合に触れて、「あのとき、お前は!」となる。
それこそ、50歳になっても、60歳になっても、出てくる。
ある老夫婦は、喧嘩になるたびに、40〜50年前の話を持ち出して喧嘩していた。
「心の別室」を軽く考えてはいけない。

 K君は、恐らくはげしい嫉妬心から、幼児期にその(心の別室)を作ってしまった。
で、これはあくまでも程度の問題だが、心の別室が、それほど大きなものでなければ、「それに
触れない」という形で接する。
心の別室は、だれにでもある。

 が、それが程度を越えれば、それは「教育」の問題ではなく、(もちろん心理学の問題でもな
いが)、「医療」の問題ということになる。
今では(こだわり)を取る薬にしても、たいへんよい薬がある。
精神安定剤にしても、よい薬がある。
私自身も、もともと情緒が不安定な人間なので、市販のハーブ系安定剤、漢方薬を、それぞれ
うまく利用している。
海産物の多い食生活に心がけるだけでも、突発的な錯乱状態の多くを防ぐことができる。
イギリスでは昔から、『カルシウムは紳士を作る』という。
K君は、日常的に、甘い食品を多食していないか?
ジュースやアイスなど。
そのあたりも、一度、反省してみたらよい。

●愛情飢餓

 が、最大の原因は、「愛情飢餓」と考える。
一義的には、母親に対する愛情飢餓ということになる。
が、年齢的に、たとえば母親の胸に触りたくても、それができない。
その葛藤が、母親に対する不平、不満となって転化していく。

 本来なら、性のはけ口として、ガールフレンドにそれを求めていくという方法もある。
しかしそれについても、自分の中に残るマザコン(マザーコンプレックス)が、じゃまをする。
KWさん自身も書いているように、「完ぺき主義=過干渉」と、その一方で祖父母を含めた溺愛
が、K君の周りを包んでいた。
人格の完成期(コア形成期)を、いわゆる「人形子」(イプセン)で、通り過ぎてしまった。
同年齢の女子を、異性として(=性のはけ口として)、接する技術も身につけなかった。

 が、言い換えると、ガールフレンドができると、家庭内暴力は急速に収まる。
愛情飢餓感が、薄められるためと考えられる。

●では、どうするか

 家庭内暴力については、たびたび書いてきた。
が、同じ青年期の「うつ」でも、家の中に引きこもってしまう子どもをマイナス型とするなら、暴力
を振るうプラス型は、予後がよい。
その時期さえ通り過ぎ、また子ども自身が家を離れ、自活するようになれば、ウソのように症
状が氷解する。
むしろ常識豊かな人間に成長することのほうが多い。
(一方、引きこもりは、10年単位の静養期間が必要となる。)

 ほかにも、攻撃型、依存型、服従型、同情型などがあるが、K君のばあいは、攻撃型というこ
とになる。

 またこの時期、暴力といっても、それは「スレスレの暴力」であること。
子ども自身が、どこが「スレスレ」であるかをよく知っている。
それ以上のこともしない。
それこそ家族がメチャメチャになってしまう。
先ほど「殺す」という言葉を使ったが、家庭内暴力のばあいは、その心配はない。
どこかで理性のブレーキを働かせる。
だからあまり深刻に心配しないように!

が、それ以下でもない。
それでは暴力を振るう意味がない。
だからそのスレスレのところでする。

 はげしい家庭内暴力であり、当事者のKWさんにしてみれば、地獄のような毎日。
しかしここでK君を抑え込んでしまえば、この問題にも二番底、三番底がある。
さらに症状は悪化する。
が、先にも書いたように、「道」が見えてくれば、K君は別人のように落ちついてくる。
今まで何10例と家庭内暴力を起こした子どもを観てきたが、例外なく、そうなる。

 (もっとはげしい家庭内暴力を、私は直接見聞きしてきた。
家中のガラスというガラスを板やプラスチックにしてしまった家、子どもの前ではいつも両手を
床にすえ、はって移動しなければならなかった親、など。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

それについて書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++

家庭内暴力を繰りかえす子どもは、
外の世界では、信じられないほど、
(いい子)であることが多い。

T君も、そんな子どもだった……。

++++++++++++++

 T君は私の教え子だった。
両親は共に中学校の教師をしていた。
私は七、八年ぶりにそのT君(中二)のうわさを耳にした。
たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。

いわく、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通
るときは、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。
私は壮絶な家庭内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。
砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な
笑みを浮かべていた。
しかし私は、T君の心に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思っていること
や考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。
従順で、ものわかりのよい子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。
むしろこのタイプの子どもは、心に受けるストレスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆ
がめやすい。
T君はまさに、そんなタイプの子どもだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりである。
家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症状
が現われてくる。

しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒ったり、暴れたりする。
少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。
このタイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようとしたと
きのことである。
いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教室で授業をしていると、T君は
いつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、学習していた。
T君の担任が、よく連れ戻しにきた。

そこである日、私はT君の母親に電話をした。
「私の教室へよこしませんか」と。
それに答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うちにはうちの教育方
針というものがあるから!」と。
しかしT君はそれからしばらくして、私の教室へ来るようになった。
家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。
以後私は、半年の間、T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。
母親はこう言った。
「あんたは、私たちがお願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介
だ」と。

 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。
しかし現実にはそれは不可能に近い。
指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷いがある。
「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。
が、何と言っても、親自身にその自覚がない。
知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかない。
教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再びK君について

 今、K君は、幼児期、児童期に逃げなかった「殻」を懸命に脱ごうとしている。
母親の溺愛、過干渉からの脱皮、自己の確立、思春期の不安などなど。
自分を抑圧するものへの抵抗。
それは想像を絶する葛藤と言ってもよい。
が、これにも時期がある。

 けっして希望的観測を書いているのではない。
K君の家庭内暴力が終わるのも、そろそろ時間の問題ではないか。
「行き着くところまで行き着きつつある」と。
が、それにはきわめてひとつ重要な条件がある。
『愛情の糸を切らないこと』。

 運命とはそういうもの。
「こわい」「こわい」と思って逃げて回っていると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかっ
てくる。
しかし運命を受け入れてしまえば、悪魔は向こうから、シッポを巻いて逃げていく。
「暴れたければ、暴れろ」「殺したければ、殺せ」、しかし「私はどんなことがあっても、あなたを
愛していますからね」と。

 その気持ちがK君に伝わったとき、K君の心は平和を取り戻す。
KWさんも、落ち着く。

 具体的には、(1)まず食生活の改善(白砂糖は麻薬と心得ること。「はやし浩司 白砂糖は
麻薬」で検索してほしい)。
(2)心療内科のドクターに相談する。
(3)K君に疎外感を覚えさせないようにし、ここに書いたように、「愛情の糸」を、最後の最後ま
で、一本だけは残しておく。
(4)K君が自分の進路を見出せば、この問題は解決する。
(K君自身には、自分は悪いことをしているという意識はないので注意すること。
自分は正当なことを、しているだけという意識しかない。
説教しても、ほとんど効果がないのも、そのため。)
(5)あとは『暖かい無視』と『求めてきたときが与えどき』と心得る。
食事の世話にしても、K君が食べても食べなくても、きちんと用意する。
それが暖かい無視。
あなたに向かって暴力を振るったときも、怒った顔はせず、悲しそうな顔をして、K君の顔を見
つめる。
「殺したければ殺していいのよ」と。
そこまで覚悟を決めれば、こわいものは、ないはず。
またそこまで覚悟しなさい。
逃げないこと。
それが暖かい無視。

また何か助けを求めてきたら、間をおかず、すかさず提供する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

5年前に書いた原稿を添付します(2006年)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

【家庭内暴力】

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++++

東京都に住んでいる、Eさんという
母親が、長男の家庭内暴力に
苦しんでいる。

父親と、二男とは、そのため別居。
疲れきったEさんは、「死んでしまいたい」
とまで思うようになったという。

+++++++++++++++

E様へ

拝復

 パソコン上で原稿を書くと、どこかに記録が残ってしまいます。それがいつか、思わぬところ
で、表に出てきてしまうことがあります。それでここでは、「E様」とします。お許しください。

 また、同じような問題をかかえている、ほかの多くの親たちの参考と励みになるよう、一部、E
様からいただいた相談内容を、引用させていただきますが、どうか、ご了解の上、お許しくださ
い。

 E様からのメールを、要約させていただきます。

++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

 2年前に相談したことがある、東京都のEです。

 現在、兄は、高校1年生、弟は、中学2年生です。以前は、父親と私、子ども2人で、生活して
いました。

 その兄、つまり長男のことです。

 中学3年になるころから、暴力がはげしくなり、「こんな俺にしたのは、お前だ」と、私を殴った
り、蹴ったりします。タバコを吸い始め、髪の毛も茶色に染め始めました。3年の中ごろから、
学校へも、ほとんど行かなくなりました。

 学校の先生から、「排除」という言葉が出てきたのも、そのころです。長男を、学校から排除
するというのです。それで長男の荒れは、ますますひどくなりました。

 そこで父親(私の夫)と、二男は、近くにアパートを借りて、別居。現在は、私と、長男だけが、
いっしょに暮らしています。食事は、私が作り、毎日、父親と二男に届けています。

 長男の暴力はひどいですが、一線だけは守ってくれているようです。今のところ、指の骨折程
度ですんでいます。

 一応、単位制の通信高校に通っていますが、ほとんど学校へは行っていません。昼夜が逆
転し、夜中に起きてきて、私に、「食事を作れ」「こうなったのは、お前のせいだ」「弟は、お前と
別れて、よくなっただろ」「お前は、この家から出て行け」と、蹴ったりします。

 私の精神はボロボロで、自殺願望も生まれてきました。

 『許して、忘れる』という先生から教えてもらった言葉を口ずさみながら、何とか、それに耐え
ていますが、本当にこれでいいのでしょうか。一言、アドバイスをしてください。
(東京都・Eより)

+++++++++++++++++++++++

Eさんの転載許可がいただけましたので、
Eさんからのメールを、ほぼそのまま、
ここに紹介します。

上記の内容とダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】


+++++++++++++++++++++++++++

転載許可がいただけましたので、Eさんからのメールを、
そのまま紹介させていただきます。(6・21)
Eさん、ありがとうございました。

+++++++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

2年ほど前、当時小学6年生だった。次男の不登校のことでご相談した事がある者です。
長男は、当時、中学2年生でした。

その長男が中3になり、中1とし、弟は同じ中学校に入学してきましたが、そのときもまだ、弟
の学校恐怖症がつづき、学校へは、行けない状況にありました。

そのことで長男は友達から、弟のことで、いろいろとつらいことがあったようです。

家でゴロゴロと寝ている弟をみて登校していく長男でしたが、6月の運動会が終わったあたりか
ら、変わってきました。

タバコを、学校帰りに、友達と吸ったり、不良なんだとわざと見せるような行動をとるようになり
ました。

深夜徘徊をしたり、学校から排除されるようなことを先生に言われたりし、しのともあって、友達
も、みんな長男から、引いてしまったようです。孤立してしまいました。

2学期からはほとんど学校へは行かず、受験も拒否。

髪は茶髪、金髪、弟へのプロレスごっこと称しての暴力もはじまり、それを止めないといって弟
は、容赦ない暴力を私へ向けてきました。

去年の12月に主人と次男は隣町のマンションへ、出て行きました。

次男は中学も変わり、中1の3月までは不登校でしたが、中2になり4月からはまだ1日も休む
ことなく楽しく登校できているようです。

長男は卒業式にも出席することなく、一応単位制の通信高校に入学はしましたが、ほとんど登
校していません。

昼夜が逆転し、夕方ぐらいに起きてきて、夜中にわたしを起こし、飯を作れとか、耳元で、わざ
と、うるさい音楽を流したりと、嫌がらせがつづいています。

『お前がこんなにしたんだ、お前が出て行けば俺はよくなる! ○○(次男)もお前から離れた
からよくなっただろう』と、蹴ったり殴ったりします。

それでも手加減はしてくれているようで、いままで病院へ行ったのは右手小指の骨折だけで
す。
私も学校へ行けだとか、昼夜が逆転していることを、なおしなさいとか、言わないようにしていま
す。

次男へは毎日夕食を運んでいます。

自分を高めなければ精神がボロボロになってしまって、自殺願望が強くなるばかりです。
許して、許して忘れるの先生のお言葉を毎日、念仏のように口ずさみ、耐えています。
やがて時間が解決してくださると・・・

先生、それでいいのでしょうか、何も言わず、待つことがいちばんなんですよね。
もし、それでよけでば、それでよしとお答えくだされば、とても強い力になります。

孤独に閉鎖された中で戦う私に、後押ししてくださいませんでしょうか。
どうか、よろしくお願いします。
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家庭
内暴力 親への暴力)


【追伸、Eより、はやし浩司へ】

長男のことについての相談のお返事、ありがとうございました。
ブログへの掲載はかまいません。

昨日も、長男が、弟は、おたくっぽくてかっこ悪いというので、そんなことないよ、かっこいいよと
いったことに腹を立て、殴ったり、ものをこわしたり、網戸を破ってそれにライターで火をつけよ
うとしました。

私はそれに驚き、集合住宅でもあるし、火を出したら大変だと、脅す大河をそれだけはいけな
いと叫びました。

私が嫌がる事はわざとやるので、ソファーも火をつけたり、(すぐ消える程度)していたので、私
がまず、家を出なければと急いで家を出ました。

そして一晩帰宅しませんでした。
長男へはメールで、「火をつけたり、暴力が続くとお互い傷つくし、自分も他人も取り返しのつ
かないことになったら大変だから、暴力が治まるまで帰りません。何がそんなに哀しいのか
な・・・みんな、大河を愛しているよ、それはいつまでも変わりません。」
と送りました。

警察の少年サポートセンターの方が暴力からは逃げてください、受けたそのときに家を出てく
ださい、毎日連絡は入れてください、と指導されました。

私も、どうしていいやら家を出て実家に帰ったものの、心配でなりません。
今は荷物を取りに帰宅しています。

次男へ食事も運べませんし、夫がコンビニの弁当を買ってきているようです。
2〜3日したら帰宅しようとは思いますが、どうなんでしょうか。

火をつけたり、そんなまねごとでも危険な事は、許すわけにはいきません。

私は内科でデパスとメイラックスという、不安を取り除くお薬を処方してもらい、寝る前に飲んで
います。

メイラックスと言う薬は次男も、G大病院思春期外来で処方され、飲んでいました。
長男に、飲ませてはどうでしょうか。

とても、病院に一緒に行ってくれる状態ではありません。
長男が苦しんでいるのはわかります。
だから、強がって仮面をかぶって外に出るのもわかります。
不良になりたがるのも、よくわかります。

私も、そんな格好を非難する言葉や、世間体が悪いだとか、罵るような事を言ってしまいまし
た。

反省しています。

それなのに、今からでも大丈夫でしょうか、母と子の関係を修復できるでしょうか。  

今回はご返答ありがとうございました。
私は「許して忘れて、諦める」を念頭に、がんばって母親をやっていきます。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Eさんへ】

 家庭内暴力の背景には、つぎのような素因があると考えてください。ざっと、急いで書きあげ
たので、不備があるかもしれません。

(1) 子ども自身の、うつ病。(心の病気)
(2) 子ども自身の人間関係調整機能の喪失。(基本的信頼関係の構築の失敗)
(3) 子ども自身の自己管理能力の欠落。(幼児性の持続。わがまま)
(4) 子ども自身の二重人格性。(自分とは別の自分による暴力行為)
(5) 子ども自身の欲求不満。(性的欲求不満も含まれる。)
(6) 子ども自身の生育上の問題。(乳幼児期に「いい子」で通ってしまった。)
(7) 下の弟との関係。(「兄」であることから受ける重圧感。欲求不満)

 が、何よりも大きな素因は、(8)自己嫌悪から発生する、自暴自棄的自虐性です。

 このタイプの子どもは、自分の中にある、(自己嫌悪感)を解消したくても、それができないジ
レンマに陥っていることが多いです。自己管理能力のしっかりしている子ども(人)は、それを、
うまく処理できるのですが、それができません。

 それで弱い母親に対して、「こんなオレにしたのは……!」という言葉が出てきます。つまり自
分で、自分を嫌っているわけです。(嫌う)というよりも、みなに嫌われているもどかしさ、本当の
自分を認めてもらえないつらさ、それを(暴力)にかえていると思ってください。

 だから本当に、母親であるあなたを嫌っているというわけではありません。形こそ、少しいび
つですが、暴力的な(甘え)と理解すれば、よいかもしれません。

 もちろんその(甘え)の中には、さまざまな要因がつまっています。

 ここにあげた(人間関係調整機能の喪失)も、そのひとつです。つまり人間関係がじょうずに
調整できない子どもは、依存的になったり、服従的になったり、同情的になったりしますが、他
者に対して攻撃的になったりします。

 お子さんは、最後の攻撃型タイプということになります。(攻撃型タイプも、他者に対して攻撃
的になるタイプと、自分に対して自虐的になるタイプがあります。)

 が、心理状態は、いつも、孤独で、心の中に空虚感を覚えていると理解してください。つまり
心の中は、さみしいのです。そのさみしさを、埋めるために、あなたに対して暴力を振るってい
るのです。

 ……と書くと、どうして?、と思われるかもしれませんね。

 実は、あなたはお子さんのことを思ったり、心配してはいますが、そのつど、同時に、お子さ
んを、突き放すような言動をしているからだと考えてください。これは無意識のうちに、そうして
いるのがふつうです。

 子どもの心というのは、そういう意味では、たいへん敏感です。あなたのささいな言動から、
それをさぐり当ててしまいます。

 そこであなたのお子さんは、ギリギリのところまでしながら、あなたの心を試そうとします。ギリ
ギリのところです。

 家庭内暴力を起こす子どもは、いつもその限界の内側で暴れます。あなたが言う(自制)とい
う言葉は、それを言います。「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その一歩手前で、暴
力を止めます。

 これはお子さんの中に、もう一人の別のお子さんがいて、それを制御しているためと考えれ
ば、わかっていただけると思います。つまりそのつど、もう一人のお子さんが、「もう、やめてお
け」「そのへんで、ストップしろ」と命令をくだしているわけです。

 それで「指の骨折程度」ですんでいるわけです。

 つまりあなたのお子さんがしていることは、典型的な、「家庭内暴力」ということになります。で
すから、今は、つらいかもしれませんが、(お気持ちは察しますが)、問題としては、とくに変わ
った問題ではないということです。

 少なくとも、まったく同じような状況で、引きこもりを起こす子どもよりは、立ちなおるのがずっ
と楽ですし、立ちなおったあと、むしろ、かえって常識豊かな人間になります。

 私はそういう子どもの例を、何十例も見てきました。ですから、決して希望を捨てず、あきらめ
ず、短気を起こさず、前に向かって進んでください。必ず、一過性のもので終わります。そして
みな、なにごともなく、終わっていきます。

 『許して、忘れる』……これは何も、まちがっていません。今こそ、あなたの愛というよりも、深
い人間性が、子どもによって確かめられているのです。わかりますか? 

 親が子どもを育てるのではありません。親は、子育てで苦しみながら、子どもによって育てら
れるのです。

 そこでつぎのことに注意してみてください。

(1)突き放すようなことは言わない。 

 一方でお子さんのことを心配しながら、他方で、お子さんを突き放すようなことを言ったり、し
たりしていませんか? たとえば、「ごめん、ごめん」と口で言いながら、少し、お子さんの機嫌
がよくなると、「もう、あなたなんかイヤ」とか言う、など。

 これは究極の状態ということになりますが、「私はもう殺されてもいい。それでも、私はあなた
を見捨てませんからね」という状態になったとき、あなたのお子さんは、はじめて、あなたに安
心感を覚えるようになります。

 あなたにその覚悟はできていますか。が、あなたには、その覚悟は、まだできていない。「殺
されるのはいやだ」「世間体が悪い」「子育ては、もうこりごり」と。

 あなたのお子さんは、そのスキをついて、家の中で暴れます。満たされない愛への欲求不満
を、あなたにぶつけてきます。ですから、あなたはつぎの言葉だけを、子どもの前では、繰りか
えします。

 「ごめんなさい。お母さんが、悪かった」「どんなことがあっても、私はあなたを愛しつづけま
す」と。何があっても、最後の最後まで、その言葉を繰りかえします。これはまさに、壮絶な根く
らべです。

(2)子どもも苦しんでいる。

 あなたには想像できないかもしれませんが、あなたのお子さんも、そういうあなたを見なが
ら、苦しんでいます。あなたが苦しんでいる以上に、お子さんも苦しんでいるということです。(今
のあなたには、想像できないかもしれませんが……。)

 あなたは、お子さんにとって、最後の(心の拠り所)です。砦(とりで)です。その拠り所を、自
分で破壊しながら、お子さん自身は、自分でそれをよしとはしていないのです。愛する人(=あ
なた)をキズつけながら、それをしている、自分が苦しいのです。

 自己嫌悪から自暴自棄になるのは、そのためと考えてください。

 しかも自分に関することが、すべてうまくいかない。中学校の友人たちには嫌われる。高校へ
も進めなかった。何をしてよいのかわからない。何をしたいのかもわからない。家族もバラバラ
になってしまった。(現実の自分)と、(自分が頭の中に描く自分)が、一致せず、混乱している。

 それは思春期のお子さんにしてみれば、たいへんな苦しみということになります。

 今のお子さんの心理状態は、そういう状態であると考えてください。つまりあなたが、それをま
ず、理解します。その上で、「あなたも苦しんでいるのね」と、子どもを暖かく包んであげます。

(3)心の病気と考えてください。

 できれば、一度、心療内科を訪れてみてください。今ではすぐれた薬も開発されていて、お子
さんの(突発的なキレ)(異常なこだわり)(うつ症状)などにも、すぐれた効果があります。

 心の病気といっても、脳の機能的な障害ですから、おおげさに考えないこと。決してお子さん
が、このまま人格障害者になるとか、そういうことではありません。いわば、一過性の、はげし
い熱病のようなものです。

 しかも、確実になおる見込みのある熱病です。今までの私の経験からしても、今が山で、18
歳ごろまでには、ウソのように落ち着いてきます。先にも書きましたが、引きこもりを起こすタイ
プよりは、ずっと回復も早く、予後(その後の経過)もいいです。

(家庭内暴力を起こすタイプを、「プラス型」というなら、引きこもりを起こすタイプは、「マイナス
型」ということになります。まったく正反対の症状ですが、原因も、対処の仕方も、同じです。)

 ですから、薬で落ち着かせる部分については、薬に頼ります。あなた自身が、カプセルの中
に入ってしまわないで、他人に任すところは、任せます。

 私はドクターではありませんが、心療内科のドクターも、「うつ病」に準じて、治療を開始する
はずです。

 ただこのときも、注意しなければならないことは、たとえ心療内科へ連れていくとしても、(突き
放すような言動)は、タブーだということです。施設へ入れるとか、入院させるとか、そういう話
は子どもの前では、ぜったいに、してはいけません。

 少し前、子どもの立場で、自分の心の状態を語ってくれた青年がいました。(私のBLOGなど
に書いておきましたが、ご覧になってくださいましたか? マガジンでも取りあげたことがありま
す。)

 このBLOGの中で、「じじさん」というのは、その青年を批判した男性のことをいいます。内容
はわからいませんが、多分、その男性は、その青年を、「引きこもりは、怠け病だ」とでも言っ
たのではないかと思います。それでその青年が、反発しました。

+++++++++++++++++

【宮沢KさんのBLOGより転載、転載許可済み】

● 引きこもりは、病気だ!

お気楽にやっていきたいのに、今日もシビアになっちまう。

「引きこもり者更生支援施設内で暴行か、引きこもり男性死亡」って事件の話。

不条理日記さんのIMスクールについて、KMさんという人のコメント。

「このケースは、言ってみれば、自信過剰の民間療法の素人が、
癌の治療に手を出したようなものでしょう。
引きこもりの一部は精神科の病気、
それもとても治療の難しい病気なのだという対応が必要です。」

この人が正しい。タイコバン!

それに対して管理人のじじさんが

「引きこもりが病気!?
そのように病気病気言うから病気に甘えて
薬に甘えて医者、病院にあまえて何もできなくなってしまうから
それがひきこもりって、そのまんまの名前の病気になってしまうんではないでは? 」

じじさん、あんたねえ、
KMさんも「引きこもりの一部は」って、言ってるでしょ。
引きこもりには怠けもんも多いけど
正しい? 病気の人も多いの。

世間一般、じじさんと同じように思ってるだろうけど、
メラトニンやコルチゾールの分泌異常とか
前頭葉領域の血流低下とかアセチルコリンの消費量増大とか、
あとはPTSDとか親の共依存とか
かなり脳科学や臨床心理学で解明されてきてる。

やる気だって、脳内の化学物質の反応なんだよ。
無知だよなあ、世間のやつらは。

++++++++++++++++++

●引きこもり者更生支援施設依存症の親

IMスクールの事件じゃ、どうやら家庭内暴力で疲れ果てた家族が
施設に引き渡したらしいね。

精神科の世界で誰にもわからないから閉じ込めるしかない 
今の医学ではそんなもの。

本人が一番辛かったはず、「なんでおれは暴れちまうんだろう」ってね。
原因はあるんだろうが、わたしにはもちろんわからない 

引きこもりに正面から向き合うこともなく、
病理的な勉強も怠り、
甘えだとかやる気がないとかほかの子はちゃんとやってるのに
とか言ってる大人たちが、こんな、社会やこんな子供を作った。 

あんたらこそ、やる気だしてみろよ
薬打って中毒になってみろよ 
病気で足を切断されて足の大切さがわかり、
元通りにならない事をはじめて認める。

どうにもならない事って、その状況にならないとわからない事って、
あるだろう。

自分が正常でございと思ってるすべての連中、
あんたらは
感性が擦り切れて、何も感じられないからこんな世の中で平気でいられるだけだ。
宮沢Kの感性の爪の垢でも飲みやがれ!

この施設がどういう人たちがやってて、
どういうことが行われたかはわからない。
事故だったのかなんだったのかはわからない。
引きこもりにはそれなりの意義があるんだけど
わかってないんだろうな、こんな施設つくるくらいだから
(引きこもりの人生の意義の話は、またこんどね)

 親が、子どもの暴力に耐えかねて
預かってくれる施設があると聞いて喜んで拉致させた。

親がこの施設に依存した。
親と子がいっしょに戦うことをあきらめた。
その結果、子どもは死んだ。
これだけだ。

臭いものにはフタか?
わが子は臭いものか?
誰かにまるごと頼みます、であとは平穏な暮らしが戻るのか?

(暴力で苦しんでる家庭では、
いっぺん親だけでも精神科や心療内科に相談に行くといい。
ハロペリドールなどの精神安定剤の処方で、おおかた静まる。
それからゆっくり時間をかけて話をしていってほしい。
相談するなら素人じゃなく専門家にしないとね。

ただ精神科くらい、医者の当たり外れの大きいところもないから
気に入る医者に出会うまで何人も回ること。

わたしは5つくらい、病院、回って奇跡的にいいドクターに会えて
やっと回復できた。

どうしてこんな無知で精神科の医者やってんの?というのが多い。
答えは「精神科は楽に儲かるから」。
(点数がいろいろ有利なのは事実)

+++++++++++++++++++++

★今日は最後に怠け者へ一言★

じじさんの言ってた、
たんなる「怠け者」の引きこもりやニート、不登校のあんたらに言っておく。
怠け者の末路は悲惨だよ。

生活保護って制度もいつまであるかわかんない。
バス代さえなくて何キロも歩いて病院にきてるおばさん、
家族から見放されて無縁墓地にはいるのを待って
光の入らない4畳半に住んでるおじさん。。。

やっぱ、施設とか、病院って、世の中にすごく必要。
こういう同病者をまじかにみれるもの。

自分の明日が見れるし
いっしょに抜け出そうとする仲間に出会えるもの。

ただし、自分から入りたい、と覚悟するまでが、時間、かかるのね。

これから医学はもっともっと進むよ。
病気かそうでないかは、かんたんに見破られるから
病気のフリもできない。
怠け者にはじじさんだけじゃなく、私も世間も、やさしくないよ。


【宮沢Kさんへ】

 たいへん参考になりました。あなたのような体験をもった人たちが、もっと声をあげれば、IM
スクールのような、おかしな更生支援施設(?)は、なくなると思います。

++++++++++++++++++++

【再び、Eさんへ……】 

 ここで宮沢Kさんが、書いていることは、何かの参考になると思います。宮沢KさんのBLOG
は、今のあなたのお子さんの立場で、自分の過去の経験を語っています。あとでそのBLOG
のアドレスを添付しておきますので、一度、あなたも、のぞいてみられたらよいかと思います。

 ともかくも、『許して、忘れる』ですよ。

 あなたがこれを乗り切ったとき、あなたはすばらしいものを手にするはずです。つまり(真の
愛)がどういうものであるかを、知るはずです。今は、その試練のとき。あなたのお子さんは、
あなたにそれを教えるために、今、そこにいます。

 決して短気を起こさず、決してあきらめず!

 そうそうあなたの自殺願望ですが、これは育児にかぎらず、介護に疲れた人も、みな覚える
ものです。あなた自身も、一度、心療内科で、精神安定剤を処方してもらうとよいかもしれませ
ん。

 私も、姉に教えられて以来、女性用の精神安定剤をのんでいますが、よくききます。

 なお、あなたからのメールを、こちらで一度手なおしして、私のマガジンに掲載したいのです
が、その許可をいただけませんか。あなたであることは、ぜったいわからないように、書き改め
ます。

 よろしくお願いします。

【宮沢Kの風・BLOG】

 ここに書いた宮沢KさんのBLOGです。子どもの立場がよくわかり、Eさんの参考になると思
います。

http://kenjinokaze.livedoor.biz/archives/50669992.html

 どうか、めげないで、がんばってください。必ず解決する問題ですから。約束します。

(つづきは、Eマガのほうで。7月26日号、掲載予定)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●子どもの家庭内暴力で苦しんでいるEさんへ、

 基本的には、心の病気と考えますが、この(病気)にいたるまでに、さまざまな原因や理由
が、そこにからんでいると考えてください。

 糸が複雑にからむようにからんでいるため、それを解きほぐすのは、容易なことではありませ
ん。それこそ、乳幼児期からの糸がからんでいることもあります。

 ついでながら、乳幼児期から、(いい子)で通ってきた子どもほど、思春期を迎えるころから、
この家庭内暴力も含めて、さまざまな問題行動を起こすことがわかっています。

(そういう点でも、子どものころから、(何を考えているかわからない子ども)ほど、心配な子ども
ということになりますね。)

 で、その家庭内暴力を起こす子どもの行動には、一定のパターンがあります。

(1)限界状況の把握

 家庭内暴力を繰りかえす子どもの最大の特徴は、自ら、無意識のうちにも、限界状況を設定
するということです。つまり子どもは、「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その限界ギリ
ギリのことまではします。が、しかしそれ以上のことはしません。

 (自分に対する怒り)を、(家族)にぶつけているだけだからです。つまり本当に相手(あなたと
いう親や兄弟)を憎んでいるから、暴力行為を繰りかえしているのでないということです。(自分
でも、自分をどうしたらいいかわからない)という思いを、(怒り)に変えているだけなのです。

 そういう点では、わがままな子、あるいは、俗な言い方をすれば、「甘ったれた子」ということ
になります。それだけ、人格の核形成(コア・アイデンティティ)の遅れた子どもということになり
ます。

(2)自虐的な愛の確認

 家庭内暴力を起こす子どもは、完ぺきな愛を、家族、なかんずく母親に求めようとします。完
ぺきな愛です。「どんなことをしても、自分は許されるのだ」「愛で包んでもらえるのだ」という
愛、です。

 その点、マザーコンタイプの子どもの心理に似ています。で、その完ぺきな愛を確認するた
めに、暴力行為を繰りかえします。

 が、暴力行為を加えられるほうは、たまったものではありません。当然のことながら、(子ども
を愛したい)という気持ちと、(子どもから離れたい)という気持ちの間で、はげしく葛藤します。

 その葛藤の間げきをついて、子どもは暴れます。たとえば親が、「病院へ一度、行ってみよう
か?」「そんなに私(=母親)が嫌いなら、私は、この家から出て行こうか?」「ひとりでアパート
に住んでみる?」などという言葉を口にすると、突然暴れ出す子どもが多いのは、そのためで
す。

 子どもは、その一言に、大きな不安を覚えることになります。

(3)二面性

 家庭内暴力を起こす子どもについて、多くの親たちが、「どうして?」と悩んでしまうのが、二
面性の問題です。

 はげしく暴れながらも、それが収まったようなときには、別人のようにやさしくなったり、親をい
たわったりします。

 実はそうした二面性は、暴力行為を繰りかえしている最中でも、それがあります。ある男性
は、こう言いました。彼は高校時代から青年期にかけて、その家庭内暴力を繰りかえしまし
た。

 「親を殴りつけている間も、もう1人の、別のぼくが自分の中にいて、『やめろ』『止めろ』と叫
んでいた」と。

 そこで私が、「では、どうしてそのとき、暴力をやめなかったのだ?」と聞くと、その男性は、こ
う言いました。

 「やめようと思っても、もう1人の自分が、どんどんと勝手に怒ってしまった」「途中でやめる
と、かえって、自分がへんな人間に見られるようで、できなかった」「自分でも、どうしようもなか
った」と。

 で、その男性のばあい、家庭内暴力をやめるきっかけになった事件があったそうです。

 ある夜のこと。その男性は、いつものように自分の母親を殴ったり、蹴ったりしました。で、そ
のあとのこと。その男性が、いつものように家を出ようとしたところ、(本当は出るつもりではな
く、庭先にあるガレージの二階に行こうとしたのですが)、母親がその男性を追いかけてきて、
「出て行かないで」「どこへも行かないで」と、泣きながら懇願したそうです。

 それを見て、その男性は、自分にそんなことまでされて、なおかつ、「出て行かないで」と泣き
叫んだ母親に、自分が求めていたものが、それだったと気がついたというのです。以後、その
男性は、それまでの男性とは別人のように、穏やかになっていったそうです(母親談)。

(4)緊張状態

 子どもが暴れるメカニズムは、つぎのようです。

 基本的に、子どもの心は、極度の緊張状態にあると考えます。この緊張状態が、日常的に
悶々とつづいています。

 この緊張状態の中に、不安(将来への不安、現実への不安、孤独への不安など)、心配(将
来への心配)などが入りきんでくると、それを解消しようと、心の緊張状態が、一気に倍加しま
す。

 それが突発的な暴力行為へと発展します。

 ですから、このタイプの子どもについては、(1)緊張状態の緩和を心がける、(2)不安や心
配ごとを持ちこまないということになりますが、ふと言った言葉が、キーワードになり、それが子
どもを激怒させるということも、少なくありません。

 これはある年長児の女の子の例ですが、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と声をかけた
だけで、激変し、あるときは、母親に向かって、包丁まで投げつけたといいます。

 そこで対処のし方ということになります。

 今ではすぐれた薬もあり、またこうした心の病気に対する理解も深まってきましたから、決し
て、ひとりでは、悩まないこと。本人は、なかなか行きたがらないかもしれませんが、よく説得し
て、一度、心療内科の医院を訪問してみることが、第一です。

 つぎに子どもが暴れだしたら、説教したり、自分の意見を述べたりするのは、タブーと心得ま
す。かえって火に油を注ぐようなことになりかねません。ですから、「ごめんなさい」とだけ言い、
それを、どんなことがあっても、繰りかえします。子どもが意見を求めてきたようなときでも、「ご
めんなさい」とだけ言って、それですまします。

 「子どもが暴力行為を始めたら、家から出て、逃げろ」と教える指導員もいるようですが、私
は、反対です。

 そのときはそれですむかもしれませんが、つぎのとき、それが理由で、また暴力が始まること
が多いからです。「この前の夜は、ぼくを捨てて、家を出て行ったではないかア!」「どうして、オ
レを捨てたア!」とです。
 
 Eさんの息子さんが、ソファにライターで火をつける行為も、「火をつけて家を燃やしたい」から
ではなく、「オレをひとりにしておくと、オレはたいへんなことをするぞ」「だからオレをひとりにす
るな」ということを、あなたに伝えたいからです。またそう解釈すると、あなたのお子さんの心理
が、より理解できるのではないでしょうか。

 この問題の根底には、根深い、相互の不信関係(基本的不信関係)がからんでいます。そし
てそれは、どこかにも書きましたが、子どもが、乳幼児期に始まります。

 本来なら、子どもは、親に向かって、言いたいことを言い、したいことをしながら、そのつど自
分を発散しながら成長するのが、好ましいのですが、それができなかった。それが回りまわっ
て、子どもの心を、ゆがめてしまった。それが今、はげしい暴力行為となって、家庭の中で起き
ている。現状を解説すれば、そういうことになります。

 で、家庭内暴力を経験した子ども(おとな)は、みな、こう言います。

 「あんなことをしたのに、親は、自分を見捨てなかった」「それが自分を立ちなおらせるきっか
けになった」と。

 反対に、そうでないケースも、少なくありません。親のほうが、根をあげてしまい、子どもを施
設へ送ったりするようなケースです。それぞれの親には、それぞれの、やむにやまれない事情
もあるのでしょう。が、それをするのは、最後の最後。またそれをしたからといって、この問題
は、解決しません。

 さらに二番底、三番底へと、子どもは、落ちていきます。

 しかし心の病気と考えれば、気も楽になるはずです。しかも、この病気だけは、必ず、なおり
ます。そういう病気です。ですから、どうか、短気だけは起こさないでください。ただ家庭内暴力
にかぎらず、どんな(心の病気)もそうですが、1年単位の時間はかかります。それは覚悟して
おいてください。

 許して、忘れる。

 その度量の深さによって、あなたのお子さんへの愛情の深さが決まります。子どもを投げ出
したとき、あなたは、親として、はげしい敗北感を味わいます。ですから、決して、投げ出さない
こと。

 谷が深ければ深いほど、そのあと、あなたと息子さんは、すばらしい親子関係を築くことがで
きます。それを信じて、前に進んでください。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【アルバムの効用】

 子育てをしていて、苦しいことや悲しいことがあったら、アルバムをのぞくとよいですよ。ある
いは、アルバムを、家の中心に置いてみてください。

 アルバムには、私たちが想像する以上の力があります。理由は簡単です。そこには、楽しか
ったとき、うれしかったときが、凝縮されているからです。

 ぜひ、Eさんも、一度、ためしてみてください。それだけで、心が軽くなるはずです。お子さんへ
の、愛情も、それで取りもどせるはずです。ひょっとしたら、お子さん自身も、です。

++++++++++++++++

原稿を一作、添付します。
(中日新聞掲載済み)

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● 子どもの心をはぐくむ法(アルバムをそばに置け!)

子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

● 成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成
長していく喜びを知る。それだけではない。

子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。

ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃ
んだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なの
だ。

一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男
児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まず
いない。

哺乳ビンを見せながら、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、たいてい
「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。

記憶が記憶として残り始めるのは、満4・5歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、
子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、
「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長
児にならないとわからない。

が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理
解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思
議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見てい
た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。

つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、
写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。
が、それだけではない。

冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や
母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。それは子ども
にとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、私はあのとき感じ
たショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たときのことだ。「これ
がぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあっ
た。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。

それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師
のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムを見入っ
ているのを知った。

ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。そしてそのあと、
つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は
気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよ
い。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィー
ク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期に
わたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォ
フらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということに
なる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場
所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは
記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわ
かりやすい。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を
利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣
かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつ
けたりしていた。どの先生も手を焼いていた。

が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。私は
すかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私
はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワルはワルのままだった
が、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いな
がら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい
子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼
稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と
思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人
間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つま
りあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな
人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。

一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となる
と、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手
に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつ
きあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくする
ためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてか
らだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚
えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセ
にする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思
っているなら、なおさらそうする。

最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思議なもの
だ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いていくからだ。が、そ
れだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相手が子どものときはなお
さらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや
服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつ
う下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこ
で調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。

母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんの
ものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そ
こでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースが
あるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうな
ら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 前向
きな働きかけ 強化の原理 子どもを伸ばす 伸びやかな子供)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ
れる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日
も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期
末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと
思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には
穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室
に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動
かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。

親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわか
る。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」
と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったと
き)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転して
いるのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)というこ
と。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろう
か。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷
静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあ
なたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しな
いためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 受験
の再現)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

もう1作、添付します。
「家族」の重みについて書いた原稿です。
あくまでも参考のために。
(2009年3月に書いた原稿より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

ある母親からの相談(A letter from a mother)



A mother who lives in Hiroshima, wrote to me as follows about her families, her half-
divorced husband, a boy who uses violence against her and another boy who has refused to 
go to school for three years. She has old-aged parents but they are about to get divorced 
soon. She does not know what to do but she sometimes thinks herself she doesn't care to 
be killed by her boy. The circumstance where she is put is sad.



+++++++++++++++



広島県のEさんから、こんな

相談が届いています。



掲載許可をいただけましたので、

みなさんと、いっしょに、

Kさんの問題を考えてみたいと

思います。



どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。



+++++++++++++++



(家族関係)



Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。

夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。



Eさんには、2人の息子がいる。

長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。

そのため、夫は、次男を連れて、家出。



次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。



まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、Eさんを
責めている。



+++++++++++++++



【Eさんより、はやし浩司へ】



次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。 

現在、次男は、中学3年生です。



次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。



住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車で1
0分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。 



はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしています。
中学校の友だちには、そう言ってます。



学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるようになっ
たからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家にいる次男を迎
えにいくことになりました。 



現在、私は父親と絶縁しております。 

その実家には、母親しか住んでいません。 



去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。 

父も、母も、現在、80歳を過ぎています。

調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。 



父の職業は、大工でした。



父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の修行
をしたそうです。 



現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。 



母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。 

父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。 



当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子育てどころ
では、なかったようです。



ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドンドン
という時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。 



建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出し、
それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。 



やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。



父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの職人で
す。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもしれません。 



母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、それ
を思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。



そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、老後は
のんびり暮らせるはずだったのです。 



が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭の雰囲
気が一変してしまいました。



父は、私の夫を尊敬していました。 

夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。



無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。 

父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ家の
修繕をやったりしていました。 



主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。



父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供がこうなっ
たのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそのことで、私を
責めたりします。



私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」と何度
も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男を無理やり連
れ出そうとしたりしました。



私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。 



姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そういうこ
とにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。



そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越していき
ました。 



父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていました。 



そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の果てに
は、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産を分け
て、離婚したらいい」と、勧めました。 



私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。父は
アパートを借り、実家を出て行きました。

居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。 



でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。 

そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。 



長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづきまし
た。



実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもあるようで
すが、今は、ひとりで、気ままにやっています。 



そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。 



結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や姑から
も疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。 

今まで通院していた病院に行くためです。 



保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。 

そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のような自己
否定で、身動きができなくなってしまいます。 



こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思われ
るかもしれません。



私は離婚するつもりでいます。

子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。



それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。 

今はもう、くたくたなんです。 



自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一杯で
す。



いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしないと、今
の私は、ボロボロになってしまいます。



息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、
恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。

夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。



そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から薄れ
ていくであろう自分を待つ状態です。 



それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。 

その責任は、感じます。



過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。 

やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。 

だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいので
す。 



父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男に、
「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。



そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。 

でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはできませ
ん。 

だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。 



父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。

認知症も進んでいるしね。 

病気のせいだと思っておくよ。 

今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。 

私たちは、困った親子になったもんだね。 



なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、適当
に読んでください。



この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。 



で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすねばかりか
じっています。



しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。

さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。



今までの悪仲間とは縁を切ったようです。

今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。

精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。



何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。

次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。



夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。

長くて申し訳ありません。

よろしく御願いします。

(広島県、Eさんより)



+++++++++++++++++



【はやし浩司より、Eさんへ】



 Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、家族
であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。ふつうの重圧
感、束縛感ではありません。



 悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それが刷
り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。



 家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが一度狂
うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさんは、こう書いて
います。



 「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまりEさんは、
今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるんで、その先が読め
なくなりました。



 そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。



 無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさんが、
今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を飛び回ることで
す。



 が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や夫との
からみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本来なら、いちば
ん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに押しつけて、逃げてしま
っている!



 Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実の両
親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にしばられて、
見放すこともできない。



 どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならないのでしょ
うか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんなことをしてやった」
「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。



 親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。しか
しそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。



 が、ここが正念場。



 私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、ということです。



 運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲いかかっ
てくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、逃げていく。



 今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出てや
る」と考える。



 夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、離婚。
あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のことは、忘れなさい。



 ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、「許し
て、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになります。またそれがこ
の先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、美しいものにします。



 もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生きているのか
ということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかということになってしまいま
す。



 Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群による(幻
惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得ることができな
い。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。その(根)は深いと思
います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができない。どういうわけか、できな
い。



 それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以上に苦
しんでいるのが、長男なのです。



 ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、自分を
見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけている。



 愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言うのでし
ょうか。



 繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさんがかかえ
ている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立場に立たされ、子
どもたちが、もがき、苦しむのです。



 何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてください。この
言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなくなるときがくるかも
しれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。



 そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そして美しい
ものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜しみなく、愛を与え
ていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られても、愛を与えていくのです。



 「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を与えていき
ます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあなたで、マイペース
で、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあなたは、あなたで、したいこ
とをすればよいのです。



 いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問題で
す。



 大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。体を動か
し、見て、聞いて、ものを話しているということ。



 大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動かし、見て、
聞いて、ものを話しているということ。



 その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何でもない問
題です。



 いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大切なこ
とは、その(価値)を実感することです。



 Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考えろと
いうほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで砂時計の砂の
ように思えてきます。



 サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。



 運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あなた
たちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。



 とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。



 あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、雲が自
然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきます。バカでア
ホな、両親や夫のことは忘れなさい。



 私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホになってし
まいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、アホだったことを
知ります。



 いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえていますよ。表
からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「どうしてうちの
子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。



 まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。それ
を信じて、恐れず、前に進んでください。



 相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいですよ。



 今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになってみてくださ
い。楽しいですよ。



 では、今日は、これで失礼します。



 この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許しください。
多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、同じような問題を
かかえていますから……ね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

●KWさんへ

 まだまだお伝えしたいことがありますが、今日はここで失礼します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 家庭内暴力)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●7月20日(水曜日)

++++++++++++++++++

台風6号。
目下四国から紀伊半島に向けて、移動中。
このあたりでも断続的に、集中豪雨。
ザザーッと降って、そのあと小雨。
またザザーッと降って……の繰り返し。
今度の台風は、雨台風とか。
場所によっては、1100ミリも降った。
1メートル10センチ!

そのせいか今朝は涼しかった。
いくつか夢を見て、起きたのが午前7時。

++++++++++++++++++

●ミス

 昨夜、原稿を10枚くらい書いた。
居間のノートパソコンで書いた。
USBメモリーにそれを保存した。
が、今朝になって原稿をさがしてみたが、その原稿がない!
SDカードに保存したのかもしれない。
パソコン本体に保存したのかもしれない。

OSはウインドウ・スターター。
「プログラムとファイルの検索」を使えば、簡単に見つかるはず。
しかし今朝は、それもめんどう。
居間まで行って、それをするのが、めんどう。
それにたいした原稿ではない。

 最近、この種のヘマが多くなった。
頭がボケてきた(?)。
その可能性がないとは言わない。
ヘマだけではない。
何かにつけ、ミスも多くなった。

●スズメバチ

 そうそう昨夜、小雨が降る中、スズメバチの巣を退治した。
ソフトボール大の大きさになっていた。
懐中電灯で照らしながら、殺虫剤を巣の入り口に向けて噴霧する。
容赦しない。
10〜20秒、それをつづけたあと、殺虫剤の口を直接巣の入り口につけ、さらに噴霧。
ハチは、殺虫剤に弱い。
そのあたりで巣が2つに割れ、殻のほうが下に落ちた。
残ったほうの巣を戦利品として、持ち帰る。

 中に、40〜50匹の幼虫がいた。
4〜5匹は、すでに成虫の姿になっていた。
ワイフが「食べる?」と聞いた。
「いやだね」と、私は答えた。
殺虫剤漬けの幼虫など食べたら、私のほうが死んでしまう。

●BW 教室

 小学1年生に、グラム(重さ)を教えてみた。
小3のテキスト用を使ってみた。
楽しかった。
おもしろかった。
子どもたちを適当にからかいながら、レッスンを進めた。

(1)

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(2)

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(3)

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●ものを書く意味(今朝のグチ)

++++++++++++++++++

ときどき、私にこう聞く人がいる。
「はやしさんは、あんなことをしていますが、
どういう意味があるのですか?」と。

「あんなこと」というのは、私が原稿を
書いたり、ビデオをYOUTUBEに
載せていることをいう。

で、私はそのつど、こう答えることにしている。
答えは用意してある。
「ボケ防止のためです」と。

が、ときどきそういう人の中に、ある種の
悪意を感ずるときがある。
「あんなこと」イコール、「無駄なこと」と。

そこで今度、だれかにそう言われたら、
逆にこう聞き返してやろうと、心に決めている。
「では、あなたはどんな意味のあることを
しているのですか?」と。

……と思っていたら、数日前、同じ質問を
した男がいた。
昔から、どこかイヤミな男だった。
年齢は私と同じ、63歳。
「はやしさんは、あんなことをしていますが、
どういう意味があるのですか?」と。

「ボケ防止のためです」と答えた。
が、つぎの言葉が出てこなかった。
「あなたは、どんな意味のあることをしていますか?」と。
それを聞くつもりだったが、その言葉が出てこなかった。
どうしてだろう。
所詮、私がしていることは、(あんなこと)なのだろうか?

++++++++++++++++++++

●誤解

つぎの話しは前にも書いた。
が、もう一度、ここに書く。

 私の家の横は、かなり広い空き地になっている。
竹やぶで、雑草で覆われている。
そのため格好のゴミ捨て場。
いろいろな人が、いろいろなゴミを捨てていく。

 で、ある日、そのゴミを拾っていると、突然、車が止まった。
見ると50歳くらいの男だった。
その男が、車の中から、こう言った。
「ちゃんと草くらい、刈っておけよ!」と。
その男は、その空き地を私の土地と思ったらしい。
が、そこは私の土地ではない。

「ハア〜?」と思っているうちに、その男は車で、走り去っていった。
ときに雑草が、道の3分の1ほども覆うことがある。
男はその草のことを言った。

●電話相談

 50代のころ、私は電話相談を受けていた。
口コミでそれが広がり、ほとんど毎日のように、電話がかかってきた。
が、電話相談というのは、1時間程度ではすまない。
……というか、平均して1時間ほどかかる。

 が、そのうち夜中までかかってくるようになった。
10時とか11時とか……。
で、私は時間制限を設けた。
午前中の10時から12時まで、と。
あくまでも自分の心積もりとして、それを決めた。
しかしそんな時間帯を守ってくれる人はいなかった。
さらに名前を言う人は、ほとんどいなかった。
言っても、みな、偽名。
それはそれでしかたのないことだが、一度電話を受けると、そのあと2度、3度とかかってき
た。

 この段階で電話相談を断ったりすると、たいていの人は怒り出す。
「どうして相談に乗ってもらえないのですか!」と。
返事が数日遅れただけで、怒ってきた人もいた。
(本当だぞ!)

 で、ある日、私は心を鬼にして、電話相談をやめた。
つらい決定だったが、やむをえなかった。
が、この状況は、今も基本的には同じ。

●転載、不許可

 最近は、メールでのやりとりが中心。
だから相談ごとは、掲示板か、専用のフォームに書いてもらうことにしている。
が、ここでも問題が起きる。

 返事を書き、相手にそれを送る。
送ったあと、私はBLOGに載せようと、転載許可を求める。
その段階になって、「転載は断ります」と。
そこで私のほうで、さらに内容を変える。
名前や住所を変えるのは当然。
家族構成を変えたり、年齢を変えたりする。
それでも「転載は断ります」と。

 相手が遠方の人だと、電話代もバカにならない。
最近の若い親は、携帯電話を使う。
そのやりとりがつづく。
また、返事といっても、私のばあい、最低でも2時間は費やす。
その2時間を使った原稿が、パーになる。

 だから最近は、転載してよいかどうか、最初に、確かめる。
が、これについても、「転載を断ったら、返事がもらえないのですか!」と。
で、私が「そうです」と答えると、それについても怒ってしまう人がいる。
「私は1時間もかかって、あのメールを書いたのです」と。

●無料

 この世の中、時としてまじめに生きるのが、バカらしくなる。
が、それで腹を立てていたのでは、生きていかれない。
叩かれても叩かれても、さらに頭をさげる。

 こうしてものを書いているのは、結局は自分のため。
ボケ防止のため。
相談にしても、私には貴重な情報源。
それにほとんどの人は、そのあとていねいな礼状をくれる。
それがまたうれしい。
励みになる。
(もちろん返事を書いても、何の礼もない人も、これまた多いが……。)

 が、ただひとつだけ誤解しないでほしいことがある。
私は何百回も(?)相談を受けてきた。
が、ただの一度も金銭を受け取ったことはない。
1円たりとも、受け取ったことはない。
これからも受け取るつもりはない。

【相談をくださる方へ】

 実際には、相談を断ったことは、めったにない。
……というか、断ったことはない。
だからといって、この先、返事を書くと約束はできない。
忙しいというより、体力的な限界を感ずることが多くなった。

 そこで、お願い。
それは相談ごとがあれば、必ず「相談フォーム」を使って、連絡してほしい。
掲示板への書き込みなら、さらによい。
いちいち掲載許可を求めるのも、たいへん。
あらかじめ相談の内容を、転載しても問題がないように書いてほしい。
そうすれば、私も、もっとみなさんの相談に協力できる。

 ということで、どこかグチぽい話しになってしまった。
今朝の私は、どこか気分が重い。

 ……とかくこの世の中、何かにつけ、生きにくい。
それが心のガードを弱くする。
ちょっとしたことで、傷つき、やる気をなくす。
元気なときは、まだよい。
そうでないときは、そうでない。

●愚痴(グチ)

 ついでにグチをひとつ……。

 今朝のニュースによると、何でも福島県産の野菜が、10〜15%前後の高値で取り引きされ
ているとか。
(安値ではなく、高値だぞ!)
理由は、「福島県の人たちを応援するため」とか。

 しかしそれはちょっと待ってほしい。
福島県の人たちを応援することには、異存はない。
その気持ちは、よくわかる。
私も応援したい。
が、少し意味がちがうのでは?

いくら応援が目的でも、仲買業者の一存だけで、放射能汚染の疑いがある野菜を、そのまま
全国へ流してもらっては困る。
少なくとも、安全検査を済ませてからにしてほしい。

 つまり私が心配するのは、こういうこと。

 一品種ごとにはたとえ少量であっても、それが多品種になれば、その分だけ、放射性物質の
摂取量は合算され、多量になるということ。
たとえば放射能汚染の疑いがある牛肉についても、そのほとんどが、すでに消費者の胃袋の
中に入ってしまったという。
しかもまだ検査態勢が整っていなかった、5〜6月中に、だ。

 さらに汚染牛肉と知りながら、それをわざと遠くの県に飛ばしたのではないかという疑いもあ
る。
東北地方では売れない。
だから山口県や福岡県までもっていって売った?
まだある。

 放射能汚染の疑いがあるから、飼育業者たちは、あわてて牛を売り飛ばした?
中には6月〜7月に、すべての牛を売り飛ばした業者もいる。
牛だけではない。
飼料のワラにしてもそうだ。
飼料のワラガ汚染されているのがわかったのは、7月に入ってからである。

 もちろん飼育業者の人たちは、原発事故の被害者である。
今のこの段階で、責任を問うのは、あまりにも過酷。
責めるべきは、東京電力であって、飼育業者の人たちではない。
が、それでも、何かスッキリしない。
モヤモヤしたものが心に残る。

というのも、仲買業者の人たちしても、加害者の部分もないとは言い切れないのでは?
原発事故のあと、避難するため厩舎を放棄した業者も多い。
厩舎に残された牛は、そのまま餓死。
ハッポースチロールを食べて死んだ牛もいるというが、その一方で、外部へ解き放たれた牛も
いるという。
そういう牛を集め、(=盗み)、どこかへ持ち去った業者もいるという(報道)。
故意とまでは言えないが、薄い故意のようなものを感ずる。

 たとえば法律の世界には、「未必の故意」と言葉がある。
行為者が事実の発生を積極的に意図、希望したわけではなくても、自己の行為から発生する
かもしれないと思い、発生してもしかたないと認めて行為する。
そういう心理状態を、「未必の故意」という。
過失とは一線を引く。

 (食)を生産する者には、それなりの重大な責任が課せられる。
「知らなかった」「国からの指示はなかった」では、すまされない。
そういう部分が、どうしても残る。

 で、私も昨日、スーパーで買い物をしたとき、こんなことを感じた。
ふつうニンニクというと、東北産のものと中国産のものがある。
東北産のものは、1個、300〜400円。
中国産のものは、安いときは、3〜4個が、100円。
東北産のニンニクのほうが、10倍ほど、値が高い。
が、それでも私たちは、できるだけ東北産のものを買っていた。
「東北産のものは、安全」「中国産のものは、農薬漬け」というふうに考えていた。

 が、昨日はちがった。
東北産のものと中国産のものが並んで売られていた。
が、私の意識は明らかに逆転していた。
中国産のもののほうが、ずっと安全に見えた。
「いざ、買って食べる」という段階になると、「援助したい」という気持ちは消える。
ニンニクだけではない。
米もある。
ジャガイモもある。
それに、福島県というと、桃。
それぞれについては少量であっても、先にも書いたように合算されると、多量になる。
それがこわい。
……というか、仲買業者の人たちは、「応援」と称して、福島県産の農産物を食べているのだろ
うか。

 先にも書いたように、その気持ちはよくわかる。
しかし「情」だけでものごとを考えてもらっては、困る。
結論から先に言えば、これも先にも書いたように、「安全と確認されてから」市場に流してほし
い。
たとえば野菜の表面に、「検査済み。1キログラムあたり、〜〜ベクレル以下」というようなラベ
ルが貼ってあれば、よい。
私たちは、それを見て、安心して買う。
たとえ福島県産であっても、安心して買う。
そういう検査態勢を、一日も早く確立してほしい。
またそのほうが、真の「応援」ということになる。

 ずいぶんと回りくどい書き方をした。
この問題はデリケートな問題でもある。
しかしこんなばあいを考えてみればよい。
あとになって、「東北産のニンニクから、1キログラムあたり、暫定基準値を150倍も上回る放
射線量が観測されました」と言われたら、あなたはどう感ずるだろうか。
東北産の農産物をますます信用しなくなるだろう。
つまりそのほうが、損か説くかということになれば、損に決まっている。

 願わくは、ここは正直に行動してほしい。
その正直さが私たちに伝わったとき、それが真の「援助」につながる。
私たちも喜んで、また多少値段が高くても、また福島県産の農産物を買うようになる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【人生はドラマ】2011/07/23記

●心が通わない子ども

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私は最近まで、幼稚園の年中児(4歳)から、
高校3年生の子どもまで、連続して教えていた。
幼稚園の講師の仕事が終わると、午後は中学生や
高校生を相手にした、進学塾で講師をしていた。
やがて幼稚園を卒園した子どもをそのまま教える
ようになり、それが中学生や高校生へとつながって
いった。

年数にすると、2年(幼稚園)+9年(小中学校)
+3年(高校)=14年となる。
14年!

私にとっても長い年月だが、子どもにとっても
そうである。
あるOB(当時30歳くらい、男性)は、
私の家に遊びに来て、こう言った。
「ぼくは、100%、先生の影響を受けました」と。
そのOBも、私の教室に、14年間通ってくれた。
そこで私が、「どういう意味だ?」と聞くと、
こう答えた。

「気がついてみると、ものの言い方、考え方、
すべて先生のまま。自分でもおかしいほど、
先生のまねをしています」と。

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●人生はドラマ

 人生も、最後には、「人」に行き着く。
もちろん名誉や地位や肩書きではない。
財力でもない。
「人」である。

 そのポイントとなるのが、「心」。
同じ「人」といっても、心を閉ざしていたのでは、ドラマは生まれない。
ドラマを作り出すためには、まず心を開く。
開いて、相手の心を受け入れる。
あるいは反対に、飛びこんでいく。

 ドラマはそこから生まれる。
生きる意味も、そこから生まれる。

●記憶に残る子どもvs残らない子ども

 長くつきあったから、その分だけ人間関係が濃密になるかというと、そういうことはない。
いくら長くつきあっても、記憶に残らない子どもは、残らない。
一方、短い年数でも、記憶に残る子どもは、残る。
そのちがいは、何か。
何によって、そういうちがいが生まれるか。

 それが「心」ということになる。

●遊離

 たとえば幼稚園の年長児。
年齢的には、5歳児と6歳児ということになる。
そのうちの30%前後は、うまく心がつかめない。
教える側からすると、何を考えているか、よくわからない。

さらに自閉傾向のある子どもとなると、(自閉症児ではない)、10〜20%はいる。
このタイプの子どもは、心を閉ざしてしまっている。
さらに症状が進むと、心と表情が遊離する。
心で思っていることと、顔の表情が、チグハグになる。
不愉快に思っているはずなのに、ニンマリと笑っている、など。
が、それだけではない。

 とても残念なことに、このタイプの子どもは、それこそ10年教えても、何も残らない。
「時間」だけが、切り取ったように過ぎてしまう。

●記憶

 正直に告白する。
これは多分に、私の脳みその老化とも関係があるのかもしれない。
しかしたった1年前に別れた子どもなのだが、名簿を見て、「エッ、そんな子いたの?」と思うこ
とが、しばしばある。
名前どころか、顔さえ、忘れてしまう。

 ワイフは、そういう子どもを「通りすがりの子」と呼んでいる。
何かを学ぶために私のところへ来て、1年なら1年を過ごす。
が、そのまま去っていく。
相手の子どもにしても、そうだろう。
心には、双方向性がある。
私のことなど、別れたとたん、忘れてしまう。

 たとえば私の息子たちも子どものころ、体操教室や水泳教室へ通ったことがある。
ワイフと2人で、よく参観させてもらったことがある。
しかし講師の先生となると、名前はもちろん、顔すら思い出せない。

●ドラマ

 こうした(ちがい)は、どうして起きるのか?
……と、あえて問うまでもない。
記憶に残るかどうかは、ドラマによる。
ドラマが互いの関係を、深くする。
が、ドラマといっても、よいドラマとはかぎらない。
悪いドラマのときもある。

 たとえば喧嘩や騒動など。
皮肉なことに、こと「教育」に関していうなら、何か問題があり、四苦八苦した子どものほうが、
印象に残る。
親とのトラブルでもよい。
(好ましいわけではないが……。)

 自分の子育ても、これに通ずる。
人生論も、これに通ずる。
『平凡は美徳だが、平凡な人生からは何も生まれない』(某賢者)。

●心を通わせる

 一方、私も60歳を過ぎた。
もうすぐ64歳になる。
無駄にできる時間は、ほとんどない。
たとえていうなら、「命の砂時計」。
その砂時計から、刻一刻と、命の砂が上から下へと落ちていく。

 だから教えていても、そこに何かのドラマを感じていたい。
生徒も、「通りすがりの子」(ワイフ)であっては、いけない。
またそんな教育には、意味がない。
わかりやすく言えば、心を通わせる。
先にも書いたように、子どものほうが心を閉じているばあいは別として、たがいに心を通わせ
る。

いや、あるいは閉じているばあいは、こちらからこじあけてでも、心を通わせる。
ドラマはそこから生まれる。
ただ教えるだけの教育には、意味がない。
お金儲けにはなるかもしれないが、それもまた虚しい。
このことは、先にも書いたように、人生論そのものにも通ずる。

●2つの生き方

 夫婦にしても、そうだろう。
親子にしても、そうだろう。
親戚づきあいにしても、そうだろう。
大切なのは、ドラマ。
心の通いあい。
それがあれば、よし。
生きる意味も、そこから生まれる。

 が、それがなければ、それこそ時間の無駄づかい。
若いときなら、まだよい。
時間に余裕がある。
が、年を取ると、そうではない。
時間を無駄にしたりすると、「しまった!」と思う。
が、ここで2つの考え方が、生まれる。

 ひとつは、のんびりと、好き勝手なことをして余生を送るのがよいという考え方。
もうひとつは、刻一刻を争って、何か有意義なことをするのがよいという考え方。
この2つを両極端とするなら、もちろんその中間的な生き方もある。
あるいはこの2つを織り交ぜながら過ごすという生き方もある。

●ボケ

 が、ここで、とんでもない伏兵が現れることがある。
「ボケ」という伏兵である。
いくら自分でそうであってほしくないと思っても、脳みそのほうが勝手に衰えていく。
これは私の年齢に者にとっては、恐怖以外の何ものでもない。
(というか、脳のCPUそのものが衰えるため、衰えていること自体に気がつかないこともあ
る。)
となると、今度は、時間との闘いということになる。
今日できることは、今日する。
けっして、明日に延ばさない。

 そこでただただ願う。
「どうかボケませんように」と。
というのも、この問題だけは、運と確率の問題。
自分の力では、どうしようもない。

●有意義に生きる

 では、有意義に生きるためには、どうすればよいか。
「有意義」ということは、つまりは、「ドラマを残すこと」を意味する。
そこで私のばあい、(あくまでも私のばあいだが)、いつも自分にこう問いかける。
「だから、それがどうしたの?」と。

 何かをする。
そのとき「だから、それがどうしたの?」と。
何かをした人を見る。
そのとき「だから、それがどうしたの?」と。

 そう問いかけてみたとき、スーッと空気が漏れるように、それが消えてしまうことがある。
反対にドシンと音を立て、ズシリとその重さを感ずることがある。
こうして時間の使い方を、そのつど選択していく。

 ただこの方法が、みなに有効とは思わない。
それぞれの人には、それぞれの生き方がある。
考え方がある。
大切なことは、それが自分のものと異なっていても、認めあうこと。
相手に自分の考え方を押しつけないこと。
何をスーッと消えていくように感ずるか。
反対に、ズシリと重く感ずるか。
それも、人それぞれ。

 しかし「だから、それがどうしたの?」と問いかけてみると、何が大切で、また何がそうでない
かが、割と的確に判断できる。
一度、試してみてほしい。

●終わりに

 人生も、最後には、「人」に行き着く。
もちろん名誉や地位や肩書きではない。
財力でもない。
「人」である。

 その「人」とのドラマにこそ、意味がある。
だから私はつぎの言葉を導いた。
『人生はドラマ』と。

 私のメールの署名にところにもそう書いている。
「Life is full of Dramas.」と。
「人生はドラマが一杯」という意味である。
「人生にドラマを残したい」という願いをこめて、そう書いている。

 どこか中途半端な締めくくり方だが、今朝の私はそう思う。

 2011年7月23日早朝。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 人生はドラマ 心を開く 心の閉
じた子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月23日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

午後、庭の草刈りをした。
ついでに隣の竹やぶの雑草も、刈った。
いつもより2倍ほど時間をかけ、ていねいに草を刈った。
そのせいか、仕事を終え、部屋へ戻ると気分が悪くなった。
軽い吐き気がした。

気温は30度くらいだったと思う。
そのあと1時間ほど横になって眠った。
いくつか夢を見た。
内容は忘れた。
横を見ると、ワイフも昼寝をしていた。

私は起きあがった。
どこかふらつく足取りで居間へ。
吐き気はそのままだった。
あとについて起きてきたワイフはこう言った。
「熱中症よ」と。

・・・私の体もヤワになったものだ。
これしきの暑さで、熱中症?
幸い冷たい水を飲んだら、吐き気は収まった。
気分が悪いのも、収まった。
ハハハ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●山荘で

 ワイフはビデオを観ていた。
ジャン・レノ主演の『バレッツ』。
フレンチマフィアの抗争映画。
見ごたえがあった。
星は3つの、★★★。

 その映画を横で観ながら、私はパソコン雑誌に読みふける。
ここへ来る途中で買った「週刊・アスキー」。
今週号は、モバイルPCを特集していた。
今すぐ欲しいわけではない。
それに昨夜も、ゆっくりと数えてみたが、今、私は10台のパソコンを現役で使用している。
10台!
外出するたびに、そのときの雰囲気で選んで持ち出す。
今日のお供は、TOSHIBAのUX(10インチ)と、TX(15インチ)。

 ここ数年は、ノートはTOSHIBA、デスクトップは、MOUSEと決めている。
デスクトップのほうは、用途に応じて、パソコンを使い分けている。
仕事用とネット用。
とくに仕事用は、厳重に管理している。
が、それでも事故は起きる。
先週も、起きた。

 自分のHPを開いたら、「このサイトは危険」「開かないほうがよい」という警告文。
ギョッ!
驚いた。
よく読むと、「フィッシングサイトの可能性あり」と。
だれかがフィッシングサイトとして、虚偽の申告をした?
あるいはサイトそのものに、ボットを埋め込んだ?

 そこで私はマイクロソフト社に、解除を要請した。
「心当たりがないなら、解除要請をしてほしい」と、警告文の横に、そうあった。

 つづいて一度、サイトのファイルをすべて削除したあと、ファイルを、再アップロードした。
こうすればボットが侵入していても、消えるはず。
それにしてもこの世界、油断もスキもあったものではない。
今では、メールを開いただけで、パソコン内の情報が盗まれることもある。
怪しいメールは、削除また削除。
何も考えず、削除。
それにかぎる。

 言い換えると、件名には用件と自分の名前をきちんと入れる。
手紙の差出人と同じ。
手紙を出すときは、かならず差出人(=自分の住所と名前)を書く。
それと同じ。
それはこの世界の最低限のマナー。
そのマナーだけは、どうか守ってほしい。

●朝風呂

 朝、起きると、土手の草刈りをした。
時計は見なかった。
終わって山荘に戻ると、ワイフがこう言った。
「まだ6時半よ」と。

 知らなかった。
「涼しいうちに片づけよう」と、そう考えた。
そう考えて、起きるとすぐ草を刈った。

 で、それが終わると、そのまま風呂へ。
いつもはワイフといっしょに入るが、今日は、ひとり。
ワイフの足に水虫ができた。
どこかの温泉で、もらってきたらしい。
(温泉にも、危険がいっぱい!)

 のんびりと1時間ほどかけて入った。
日曜日の朝。
7月24日。

●虫(ハチ)

 今ごろの季節は、ハチも活動期に入る。
そのため草を刈るといっても、完全防御。
雨合羽を頭までかぶり、その上から網の防止をかぶる。
が、ハチというのは、頭がよい。
攻撃してくるときは、手薄なところをめがけて、一直線に攻撃してくる。
数年前刺されたときには、ズボンの下。
さらにその数年前に刺されたときには、軍手の上。

 赤外線を感知することができるのか。
それとも考えて攻撃してくるのか。
よくわからないが、ともかくも、頭がよい。
たかが「虫」などとあなどっていると、ひどい目にあう。
だから完全防御。

 で、頭がよいといえば、家グモ(蜘蛛)。
逃げるときも、犬のように、こちらの動きを先に読んで逃げる。
よく「あんな小さな頭で……」と思う。
一説によると、「蚊」のような虫ですら、同じ働きをコンピュータにさせようとすると、何十台もコ
ンピュータが必要とか。
ハチやクモだったら、何百台かもしれない。

 草刈りが終わってから、見回ってみると、2か所でハチが、ブンブンと飛び回っていた。
気がつかなかったが、その2か所で、ハチの巣もろとも、草を刈ってしまったらしい。
(危なかった!)
もっともハチといっても、細くて黒ぽいハチ。
このあたりの人は、「地バチ」と呼んでいる。
おとなしい性質で、スズメバチのような攻撃性はない。

●ダイエット

 ダイエット効果が現れ始めた。
10日前には、67キロ。
今朝は65キロになっていた。
目標まで、あと2キロ。
できれば、一気に60キロまで。

 体が軽くなったときの爽快感には、格別のものがある。
ただし(1)運動と、(2)栄養補給を忘れずに!
この10日間、運動量を、それまでの2〜3倍にふやした。
あとはダイエット用の栄養食。
ときどき食事もとるが、いつもの4分の1程度。

 そう、たった2キロやせただけだが、体を軽く感ずる。
ワイフは、「脂肪が筋肉に変わったのよ」と説明する。
この意見に異論はない。

●朗読

 家に帰って、ヒグラシの声と、草刈りの様子を背景に、朗読を録音した。
『子どもの心は、いつどのように作られるか』という題で書いた原稿を読んだ。
3部作。
YOUTUBEにUPしたので、ぜひ見てほしい。

 『子どもの心は、いつどのように作られるか』を知れば、即、あなた自身がいつどのように作
られたかも、わかる。
あなた自身も、かつては子どもだった。

近く、ある雑誌に載せてもらえる。
推敲に推敲を重ね、「これは!」と思ってもらえるような原稿に仕上げたい。
そのプロトタイプ(試作)の原稿ということになる。
どうか意見を寄せてほしい。

【子どもの心は、いつどのようにして作られるか?】
(あなたはいつ、どのようにして作られたか?)

(1)前編

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/-7Jut5o4biA?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)後編

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/P6Nk6fsznIw?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)補足

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/rvKXbigU3MA?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもの心 はやし浩司 子供の
心 形成期)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月25日

++++++++++++++++++++

今朝の経済各紙を読むと、「米債務問題が
重荷」「米債務問題を警戒」という文字が並ぶ。
野党共和党との会談も決裂。
オバマ大統領は、振りあげたコブシ(拳)を、
どうすることもできなくなってしまった。

このままアメリカは、デフォルト(債務超過)
に突っ走ってしまう?
それとも土壇場で、オバマ大統領は折れるのか。

++++++++++++++++++++

●貧困国・アメリカ

 藤井巌喜(「超大恐慌の時代」)によれば、アメリカ人の7人に1人が、年収2万2000ドル以
下の貧困層に属するという。
現在の為替レート(78円/7月25)で計算すると、172万円。
これを12か月で割ると、月収14万3000円!
かなりきびしい額である。

 そこでアメリカでは、「フードスタンプ」というのが発行されている。
「食料配給権」のことである。
その受給者が、「2010年11月に、4360万人となり、史上最高を記録した」(同書)という。
失業率は改善したとはいえ、フードスタンプの受給者がふえたということは、それだけ「ワーキ
ングプア」の人たちが多いことを示す。
「働けど、働けど……」という状態ということになる。

●巨額の財政赤字

 アメリカの財政赤字については、今さらここで論じても意味はない。
公表されている数字だけを見ても、まさに天文学的数字。
それに加えて地方財政もガタガタ。
アメリカでは、州単位、地方政府単位の独立採算制をとっている。

 さらに個人の借金もふえつづけている。
つまり政府、企業、地方政府、個人、すべてが借金漬け。

 藤井氏はこんな事実も指摘している。
「30日以内に、通常の収入以外に2000ドルの現金を工面できないと答えたアメリカ人が、5
0・1%もいる」(全米経済調査局・5月23日付ウォールストリィート・ジャーナル)と。

 2000ドル!
15万6000円!
アメリカ人の半数が、まさにギリギリの生活を強いられている!

●どうなるか?

 来る8月3日に、オバマ大統領はどのような決断をくだすか?
それを知るひとつのヒントが、金(ゴールド)価格の上昇。
今朝の田中貴金属店のでの金価格は、グラム4301円(小売価格)。

 「4301円」と聞くと、「そんなものかなあ」と思う。
が、ドルベースでみると、1オンス6000ドルを超えている。
仮に、数年前の1ドル=120円で計算しなおしてみると、グラム6616円になる。
1キロバーが、何と、660万円!
(TOYOTAのプリウスを2台買っても、まだおつりが来る。)
世界のお金(マネー)は、「ドルがあぶない」と読んでいる。
その資金が、貴金属市場へと流れている。
そう言えば、ガソリン(レギュラー)も、ここ数日、リッター155円を示している。
 
 ほかにもあるが、すべての指標が、「アメリカの破綻」=「ドル帝国の崩壊」を示している。
オバマ大統領に、何か奇策はあるのか?
唯一あるとすれば、第二次ITバブルの継続と、問題の先送り。
今の今も、インターネットのサービス会社が、何百万ドル単位で売買されている。

●ババを引く庶民

 結局は、私たち庶民が、結局は最終的には被害者になる。
たいした情報も与えられず、最後のババを引く。
よい例が、銀行の窓口で売られていた外国債券(外債)。
リーマンジョック&ドバイショックで、大損をした人も多いはず。
そのせいか、最近は、すっかりなりをひそめている。
銀行へ行っても、外債の「ガ」の字もない。

 では、今度は、どうか?
つまり8月3日は、どうか?
が、今度は、ババを引くのは、庶民ではない。
日本という「国」が引く。
何といっても、外貨(外貨準備高)が、1兆ドル強(2010年3月)もある。
が、これとて、公式の数字。
さらに各企業がもつ外貨まで含めると……?
ヘタをすると、そういったドルが、紙くずと化す。

 第一に影響を受けるのが、銀行。
つぎに庶民の私たち。
もちろんそうならないことを願うが、経済界の論理は、私たちの常識の外にある。
この先、何が起きてもおかしくない。
その警戒心だけは、ゆるめないでおきたい。
2011年7月25日記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●スカイツリーの謎の回転(地球の自転によるものではないか?)

+++++++++++++++++++

昨夜(7月24日)、NHKテレビを観た。
スカイツリーの建設現場の様子を報道していた。
その中に、こんなシーンがあった。

話しを進める前に、スカイツリーについての基本構造。

スカイツリーは、二層の構造になっている。
外側の「殻」の部分。
内側の「芯」の部分。
外側の殻の部分ができあがったところで、内側の芯の部分を、
少しずつ上に伸ばしながら、建設していく。

そのときのこと。
内側の芯の部分が、原因不明の回転をし始めた。
回転といっても、10センチ前後のわずかなズレだが、
スカイツリーにとっては、致命的な事故につながる。
へたをすれば芯そのものがはずれ、下に落ちてしまうという(番組)。

そこで建設はストップ。
工事の責任者たちが部屋に集まり、原因を検討し始めた。
が、結論は、「原因不明」。
「わからない」「わからない」で終わってしまった。

しかし……。
ここから先は、あくまでも私というド素人の推察。

芯が回転するのは、当然のことではないのか。
地球の自転の影響を受けていると考えれば、わかりやすい。
たとえば北極にスカイツリーを建設したばあいを考えてみよう。
外側の殻の部分は、地球に固定してある。
地球の自転のまま、回転する。
上から見たばあい、時計と反対回りに回転する。
しかし内側の芯の部分は、摩擦による抵抗が少なければ少ないほど、
その反対方向に回転し始める。
つまり相対的に、時計回りに回転し始める。
北極に船を浮かべてみたばあいを、想定してみればよい。
船は、自転と反対方向に回る。
日本は、北半球にあるから、北極ほどではないが、当然、
自転の影響を受ける。

私は原因は、それと思った。
が、最後まで、地球の自転を口にする技術者はいなかった。
私には、それが歯がゆかった。

……こう書くと、自転の影響?、と疑う人も多いかもしれない。
しかし台所の排水口ですら、水は、渦を巻いて流れる。
地球の自転の影響を受けるからである。

が、赤道直下では、渦はできない。
南半球では、今度は、渦の向きは逆になる。
3か月前、オーストラリアへ行ったとき、私はそれを確かめた。
……というか、ワイフが私の話しを信じなかったので、それを証明してみせた。

ここに書いたことは、あくまでも、「そうではないか?」という話し。
あれほどの技術者たちが、……つまりスカイツリーを設計、
建造した技術者たちが、そんなことを知らないはずがない。
日本でも超一級の頭脳をもった人たちである。
が、可能性としては、ありえない話しではない。

……というふうに、この原稿を理解してほしい。
スカイツリーの「芯」が回転したのは、地球の自転によるものではないか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 スカイツリー 謎の回転)

+++++++++++++++++++++

●ストレス解消ビデオ

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/kPfL6QT3RJU?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●4〜5歳児(年中児)に、「長さ」を教える

(1)

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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/5iAdDY6f65s?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/9-nndQGYstA?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(4)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/aEahqrXWzVE?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●作られる反日感情(韓国・中央日報紙のケース)2011−7月
?? ??? ?? ???

++++++++++++++++++

21日午前、仁川(インチョン)空港を出発した、
大韓航空A380旅客機が、日本の成田空港に
着陸する際に揺れ、エンジン下部が滑走路を
こすった。

A380といえば、世界最大の新型旅客機。
その旅客機のエンジンが、強風にあおられ、
滑走路をこすった。
ひとつまちがえば、大惨事になっていた。
韓国のことは知らないが、日本ではこの種の
事故は大々的に報道される。
相手が韓国であるかどうかということは、
関係ない。
「大惨事になっていたかもしれない」という
点で、事件になった。

が、韓国の中央日報は、つぎのように伝える。

+++++++++++++++++++

+++++++++以下、韓国、中央日報より++++++++++++++

大韓航空A380航空機が日本で着陸する際、翼の下の部分が滑走路にかするという軽微な
事故が発生した。これを日本メディアが大々的に報道し、意図的な'恥さらし'ではないかという
指摘が出ている。 

(中略)

大韓航空側は「着陸時に風が激しく吹いたため、操縦士も気づかない間に機体が揺れ、(滑走
路に)ややかすったようだ」と話した。 

成田空港側はA380が着陸した滑走路を約20分間閉鎖し、機体と滑走路を点検した。しかし
特に大きな異常はなかった。大韓航空は運航に支障はないと判断し、乗客と乗務員を乗せて
ソウルに予定時間より1時間10分遅れで到着した。 

成田空港側は記者らを呼んで滑走路の写真を撮らせるなど異例の措置を取った。大韓航空
の関係者は「乗客も衝撃をほとんど感じていない軽微なものだった」とし、「ただ、日本のメディ
アがこれを報道したのは、独島(ドクト、日本名・竹島)をめぐる神経戦と関係があるとみられ
る」と述べた。 

日本外務省はA380が就航前に独島をデモフライトしたことに反発し、最近、大韓航空利用自
粛命令を出し、この問題は韓日両国の外交問題に発展した。 

+++++++++以上、韓国、中央日報より++++++++++++++

●被害妄想

 この記事の中で、とくに注意深く読んでほしいところは、つぎ。
『ただ、日本のメディアがこれを報道したのは、独島(ドクト、日本名・竹島)をめぐる神経戦と関
係があるとみられる」と述べた』と。

 つまり事故そのものは、とるに足りない軽微なものであった。
にもかかわらず、日本のメディアが報道したのは、竹島(独島)をめぐる神経戦と関係があると
みられる、と。

 ほとんどの読者(日本人)は、この部分を読んで、唖然とするにちがいない。
私もそうだが、そんなこと微塵も考えていない。
あなたにしても、そうだろう。
事故というのは、どこの国でも、どんな場所でも起こる。

つまり韓国人記者の勝手な判断。
妄想。
被害妄想。
在日の韓国人記者が、自らの被害妄想をふくらませ、こんな記事を書いた。

●韓国人はどう読むか

 こんな記事が「日本発」として、韓国で報道される。
簡単な想像力を働かせてみればよい。
もしあなたが韓国人で、韓国でこの記事を読んだら、あなたはどう感ずるだろうか。
あなたならきっと、こう思うだろう。
「あの日本人め(=イルボネめ!)、また韓国をいじめている!」と。
つまりこうして韓国内で、反日感情が熟成されていく。
その一例として、この記事を取りあげてみた。

●中央日報社の在日記者へ

 日ごろの航空機事故の報道を見てほしい。
日本では、航空機事故に関しては、たいへんきびしい見方をしている。
どこの国の飛行機ということは関係ない。
あの123便事故にしても、その飛行機は、その少し前、同じような接触事故を起こしている。
それがあの123便事故につながったという説もある。

 私たち日本人は、韓国の人たちと仲よくしたいと考えている。
が、その一方で、こうした記事を韓国内に流すのは、やめてほしい。
簡単に言えば、被害妄想だけで記事を書くのは、やめてほしい。
「神経戦と関係がある」という部分は、まったくの妄想。
記者であるあなたはそう感じたかもしれないが、私たちはまったくそんなことは考えていない。

 むしろこれ見よがしに、A380を飛ばし、得意になっているのは、君たちのほうではないの
か。
その出鼻をくじかれた。
だからこういう記事を書く。
私たちは、むしろ、そう解釈する。

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Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【私とは何か】byはやし浩司
 
●自己中心性(Egocentricity)

++++++++++++++++++

自分がそう思っているから、相手も
そう思っているはずと考えるのは、
自己中心性以外の何ものでもない。

あるいは自分がこう思っているから、
あなたもそう思えというのもそれ。
さらに一歩進んで、「私は正しい」と
思うのは、その人の勝手。
が、その返す刀で、「あなたは
まちがっている」というのもそれ。

こうした自己中心性は、発達過程に
ある乳幼児の心理に共通する。
つまり自己中心的な人は、それだけ
乳幼児に近いということになる。
もう一度、乳幼児の心理について、
おさらいをしておきたい。

+++++++++++++++++

●乳幼児期(エリクソン・心理発達段階論)

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。
ものごとを、(自分)を中心にして考える。
「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなものは、他人も嫌い」と。

 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思いこむ。
自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。
これをピアジェは、「アニミズム」と名づけた。
心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、この時期の子どもの心理を
説明する。

 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。
風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考え
る。
……というより、生物と、無生物の区別ができない。

 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考える心
理をいう。
ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。
乳幼児は、心の中でそれを念ずることで、実現すると考える。
……というより、心の中の世界と、外の世界の区別ができない。

 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつくられた
と考える心理である。
人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。
ある子どもは、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。
そういう心理は、乳幼児の人工論によって、説明される。

 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されていく。し
かしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには青年期を迎え
ることがある。

●自己中心性

 私も子どものころ、……小学1年生くらいのことではなかったか、学校へ行く途中、こんなこと
を考えた。
「目に見えない、うしろの世界はどうなっているんだろう」と。

 前の世界は、目で見ることができる。
しかしうしろの世界は、見えない。
だからひょっとしたら、うしろの世界は、私が目を離した瞬間、消えてしまうのではないだろう
か、と。

 まさに自己中心的な発想である。
が、こうした現象は、私だけのものではなかった。
そのあと、同じように考えている幼児や、小学生に、何人か出会った。
その子どもたちも、同じようなことを言っていた。

●否定期

 こうした自己中心性は、やがて修正期に入る。
言い換えると、人格の完成度は、いかに自己中心的でないかによって、決まる。
ピーター・サロベイの「EQ論」を例にあげるまでもない。
が、それで終わるわけではない。
そのあと今度は、自己中心性の否定期へと入る。

 簡単に言えば、私から「私」をどんどんと脱ぎ去っていく。
つまり私というのは、ちょうどタマネギのような構造をしている。
私の周りを、無数の「私」が取り囲んでいる。
その「私」をどんどんと脱ぎ去っていく。

 すると私はかぎりなく、かつ細く、小さくなっていく。
所詮、私というのは、その程度のもの。
中には、タマネギの皮を脱ぎ去っていったら、何も残らなかった……という人もいるかもしれな
い。
この私も含めて、大半の人たちがそうかもしれない。
死ぬまでに、ほんの少しでも私を残せる人は、そんなにいない。

 私たちは、それほどまでに、私であって私でないものに、毒されている。
私でないものを、「私」と思い込んでいる。
つまりその(思い込み)自体が、まさに自己中心性の表れとみる。

●ある宗教団体

 ときどき私の家にも、どこかの宗教団体の人たちが、よく勧誘に来る。
断っても断っても、来る。
が、そういった人たちは、おしなべて、穏やかで穏和な表情をしている。
自分で努力し、自分でそういう境涯に達してそうであれば、それはそれで結構。
しかし中身は、「注入された思想」。
注入された思想をもって、自分の思想と思い込む。
言うなれば、あとから張りつけられたタマネギの皮。
そういう皮でもって、身を飾る。
心を飾る。

 もっともその人自身が、それで幸福なら、それでよい。
事実、幸福そうな顔をしている。
が、そういう人たちは、ひとつの重要な事実に気づいていない。
つまり、たった一度しかない人生を、それと引き替えに、無にしている。

 いらぬ節介かもしれないが、自分の足で立つ。
自分の足で歩く。
不完全で未熟であることを恥じる必要はない。
それに気づいたら、また前に進む。
失敗や挫折を恐れる必要はない。
さらに前に進む。

つまりそれこそが、私たちが「今、ここにいる」という意味である。
無数のドラマもそこから生まれる。
生きる気高さもそこから生まれる。
あのトルストイも『戦争と平和』の中で、こう書き残している。

『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、
ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸
福になるピエール。
そのピエールの言葉である。

●私たちは何を残せるか

 タマネギの皮をめくることは、勇気のいること。
最悪のばあい、そこには何も残らなくなってしまう。
そんなこともありえる。
その不安があるから、勇気がいる。
「私もただのオジチャン」「私もただのオバチャン」と認めることは、そのまま自己否定につなが
る。

 何が恐ろしいかといって、人生の晩年になって、「私の人生は何だったのか」と思い知らされ
ることほど、恐ろしいことはない。
それが自己否定ということになる。

 だから釈迦は、『精進』という言葉を残した。
私たちは死ぬまで、ただひたすら精進あるのみ、と。
が、それでも残せるものは、少ない。
が、ヒントがないわけではない。
それが冒頭にあげた、「自己中心性」の否定である。
道はちがい、方法もちがうかもしれないが、それを実行した人は多い。
インドのマザーテレサもその1人。

 私たち凡人には、とてもまねできないが、しかし不可能ではない。
あのマザーテレサは、それを私たちに教えてくれた。

 難しい話しはさておき、あなたもこう思ったらよい。
「自分の中に自己中心的なものを感じたら、それこそ闘うべき、己の敵」と。
けっして楽な闘いではない。
ないが、日々の精進のみによって、達成できる。
方法は簡単。
いつも、何をしても、自分の心に静かに問いかけてみればよい。

「だから、それがどうしたの?」と。

 そのとき、意味のないものは、スーッと風のように消えていく。
意味のあるものは、何か、心にひかかる。
こうして自分のタマネギの皮をむいていく。
で、最後に残ったもの。
それが「私」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 タマネギの皮 私論 私とは何か
 はやし浩司 私発見)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月27日(掛川グランドホテルにて)

+++++++++++++++++

今夜は掛川グランドホテルに一泊。
今、そのホテルの一室にいる。
時刻は、午後11時。
先ほど、市内での講演を終え、このホテルに
やってきた。
掛川市で泊まるときには、いつもこのホテル
と決めている。
駅前にあり、交通の便もよい。
(掛川駅から歩いて、1、2分)
雰囲気も、よい。

ところで今日のお供(パソコン)は、
TOSHIBAのUX。
これが、どうも調子が悪い。
メールにしても、受信はできるが、送信ができない。
ワードを使っているが、一語ごと、変換に時間がかかる。
モタモタというよりは、そのつど動きが止まってしまう。

(たった今、パソコンを再起動してみた。
動きがもどった。
よかった。
こういうときは、再起動をかけてみるのが、イチバン。)

・・・前回このホテルに泊まったのは、ちょうど1か月前。
偶然なのか。
前回泊まった部屋の2つ、隣の部屋。
今夜は5階の、5XX号室。

朝食つきで、1名1泊6000円。
ワイフと2人で、1万2000円。
ポイント割引がついたので、1万1500円。
ワイフはもうベッドの上で、寝息を立てている。

++++++++++++++++++

●ダイエット

 ダイエットの効果が表れ始めた。
つまりダイエットというのは、最初の7〜10日前後は、効果が表れない。
いくら運動をしても、またいくら節食をしても、体重はそのまま。
「脂肪が筋肉に変わるため」という説もあるが、私は知らない。
(これはワイフの説。)

 毎日、300〜500グラムずつ、体重が減っていく。
それがうれしい。
現在、65・0キロ。
2・5キロの減量に成功。

 そう言えば数日前から、体を軽く感ずる。
それに加えて、運動量をふやしたせいか、頭の回転もよくなった。
中学生を教えていると、それがよくわかる。
頭の回転が悪いときは、脳みそが眠ったような状態になる。
計算ミスが多くなる。

 が、ここで油断をしてはいけない。
明日の朝食は、バイキング。
私の意思の強さが試される。
どこまでがまんできるか。
私たち団塊の世代は、バイキング料理を前にすると、こう考える。
「食べなければ損」と。
心貧しい世代。
それが試される。

 目標の63キロまで、あと2キロ。
苦しい闘いがつづく。

●秘策

 今度、生徒を山荘に招待することにした。
Sさん(中3女子)と、もう1人・・・。
そのSさんが、こう言った。
「奥さんも来るんでしょ?」と。
「そうだ」と答えると、「ああ、よかった・・・」と。

 ひとつ秘策がある。
最初、Sさんを、ボロボロの農家へ連れて行く。
(一軒、廃屋になった農家がある。)
「ここが山荘」と、説明する。
「あの木が、その木」と、説明する。

少し前、Sさんにこう言った。
「先日、山荘の前の木で、首をつって死んだ人がいてね」と。
「その木」というのは、その木をいう。
で、Sさんが、泣きべそをかき始めたら、私の山荘へ連れて行く。

 風呂はドラム缶、ベッドはベニア板、トイレはボットン便所、・・・ときどき朝起きると、ヘビが横
で寝ている。
Sさんにはそう話してある。
Sさんは、それを本気にしている。
いつも私のことを、「オヤジ」と呼んでいる。
そのカタキを、今度、取ってやる。
生意気な子だが、あっけらかんとした明るい性格。
自分でも「私は男」と言っている。
そんな性格が、私は好き。

(ただし、ワイフは、この秘策には反対。
「かわいそうだから、そんなことをしてはだめ」と言っている。
どうするかは、その日の雰囲気で決める。)

●至極の時

 こういう夜は、いつまでも文章を書いていたい。
私にとっては、至極の時。
部屋の温度は、最適。
静か。
デスクの横のランプの明かりも、よい。

 ワイフは、背中側のベッドで熟睡中。
すっかりバーさん顔になった。
そんなワイフが小娘のような姿勢で眠っている。
片方の手を頬にあて、横向きに眠っている。

 今週は、名古屋市でもう一泊するつもり。
すでに予約をすませてある。
が、これも老後の過ごし方のひとつかもしれない。
生活の中に変化をどんどんと、取り込んでいく。
それが脳に、ほどよい緊張感を与える。
ボケ防止には、よいのでは・・・?
多分?

●自由

 先ほどから、スカイプの呼び出しがつづく。
たぶんアメリカに住む二男からのものだろう。
しかし今夜は、やめた。
今の私には、「この時」が大切。
穏やかで満ち足りた夜。
自由な夜。
私は今、脳みその中を自由気ままに飛び回っている。
何かを書かねばという気負いもない。
ひらめいたことだけを、書いている。
私には、それが楽しい。

 そう、中国語で「自由」というのは、「自らに由る」という意味。
これについては、何度も書いた。
が、英語では、「freedom(自由)」という。
「freedom」というときは、何も束縛のない状態をいう。
今、その「freedom」を、満喫している。
私を束縛するものは、何もない。
私はしばし、その心地よさに、酔いしれる。
 
●メール

 先ほど、Kさんという方から、メールが入った。
BW教室(私の教室)への見学を申し込んできた。
しかしこの7月に、満員になってしまった。
例年だと、今の時期、クラスを2つに分ける。
が、今年は不景気。
2クラスに分けるほど生徒が集まらない。
だから1クラスのまま。
しばらくこのまま。
だから満員。

 その旨のメールを送ろうとするが、何度トライしても、サーバーのほうで
切断されてしまう。
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 試しに自分宛にメールを送信してみるが、これもだめ。
?????
こんなことは今までになかったこと。

●見学

 ある幼稚園の園長も、そう言っていた。
最近の母親たちは、幼稚園でも、「当然入れる」という前提でやってくる、と。
が、引き受けられる子どもと、そうでない子どもがいる。
そこで幼稚園のほうで、「お引き受けできません」とでも言おうものなら、猛烈にそれに抗議して
くるという。
「どうしてうちの子は、入れてもらえないのですかア!」と。

 私の教室ではさらにそうで、一度だけだが、こう言われたことがある。
「何を、お高く留まっているの!」と。
その言葉が今でも、トラウマになっている。
見学を断わるにも、神経を遣う。

●老人組

 今夜の講演でも、こんな話しをした。
「昔は子どものほうが、ごめん、ごめんと、謝りながら生活していた。
今は、親のほうが、子にごめんごめんと言って生活をしている。
さらに、最近に至っては、祖父母のほうが、孫に、ごめんごめんと言って生活をしている」と。
親子の立場が逆転している。

 同じような意識が、親たちの世界にも入り込んでいる。
社会のほうが、親たちに、ごめんごめんと言いながら、頭を下げている。
もっとも、そういう社会を恨んでもしかたない。
若い人たちを責めてもしかたない。
そういう社会にしたのは、私たち。
私たちの責任。

 言い換えると、私たち老人組は、ますます小さくなるしかない。
社会の隅で、ひっそりと生きていくしかない。
しかし・・・。
そういう世界で、結局は、損をするのは、若い人たち。
今はわからない。
保護者が何重にも、そのうしろで構えている。
その保護者がいなくなったら、どうなるのか?
どうするのか?
そのとき、それがわかる。

●掛川グランドホテル

 話しがかなりグチぽくなってきた。
読む人だって、おもしろくないだろう。
だからこの話しはここまで。

 で、ワイフが言うには、このホテル(掛川グランドホテル)は、インドネシアのホテルみたい、
と。
ライティングもそうなっている。
ロビーを飾る調度品もそうなっている。
「エキゾチック」という言葉が、ふさわしい。
ひとつだけ残念なのは、大浴場がないこと。
露天風呂でもあれば、最高。
が、もしそうなら、とても先の料金では泊まれない。

 先ほど窓の外の景色をしばらくながめた。
大きな駐車場をはさんで、立派な民家が、左右に並んでいた。
「駅に近くていいな」と思った。

●逆恨み

 話題を変えよう。

 思春期を通り過ぎると、男性も女性も大きく変わる。
が、男性のばあいは、どんな形であれ、社会の前面に出ることができる。
しかし女性のばあいは、そうでない。

 それなりに恋愛をし、結婚できればよい。
が、そうでないときに、女性は、心をゆがめる。
失恋がつづけば、なおさら。
その一例というわけでもないが、軽自動車に乗っている若い女性ほどこわいものはない。
スピード違反など、朝飯前。
ふつうのスピード違反ではない。
社会を逆恨みしているかのような走り方をする。
もちろん信号無視、駐車場無視。
さらに今日、こんなことも発見した。

 プラットフォームで列車の到着を待つ。
そのときのこと。
若い女性たちは、「列」を作らない。
ブラブラとバラバラに立っている。
私たちは、そのうしろに並んだ。
が、あとから来た女性たちが、どんどんと横に張りついてくる。
割り込みなのだが、割り込んでいるという意識すらない?

 どうしてか?

 これも子どもたちの発達段階を見ていると、よくわかる。
小学2、3年生までは、男児をいじめ、泣かすのは女児。
いじめられて泣くのは男児。
いじめて泣かすのは女児。
それが小学3〜4年生を境に逆転し始める。

 そのときから、女性には、(欲求不満)が、うっ積するようになる。
それが慢性化する。
社会に出ると、さらにそうで、それが先に書いた「逆恨み」に転化する。
自動車を運転していても、余裕がない。
心に余裕がないから、運転にも余裕がない。

・・・とまあ、私は、勝手にそう解釈している。
またそう解釈しないと、女性の、こうしたゆがんだ心理(失礼!)を理解することができない。

 もちろんみなが、みな、そうというわけではない。
男性でも、世の中を逆恨みしながら生きている人はいくらでもいる。
今の私もそうかもしれない。
ハハハ。

●おやすみ

 ……しばし、ぼんやりとする。
やがてこの時間も過ぎ、明日になる。

 今夜の講演は、まあまあのでき。
ワイフがそう言った。
それに時間通り、終わることができた。
ほどよい満足感が身を包む。

 ……眠くなってきた。
もう、寝よう。

おやすみ。

2011年7月26日夜記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月29日

+++++++++++++++++++

「7月29日」と聞いて、驚く。
今月も残すところ、今日も含めて、残り3日!
……というふうに考えるのは、まちがっているのかもしれない。
月数、日数などというものは、ただの「数字」。
便宜上の「数字」。
今、ここにあるのは、「今日という一日」。
私がすべきことは、今日という一日を、無駄なく、懸命に生きること。

そう言えば、先週、ある温泉に行ったら、そこに血管年齢測定器というのが、
置いてあった。
手の指を装置の中に入れ、1分ほど静かにしている。
するとその人の血管年齢(=健康度)が、グラフで示され、それがプリントアウト
して打ち出される。

どういうしくみによるものなのかは知らない。
信頼性も、どの程度あるのかも知らない。
たぶん、血流の流れを測定し、その流れのよしあしから、「血管年齢」を
計算しようというものらしい。

その測定器によれば、私の「血管年齢」は、51歳と出た。
注意書きには、「実際の年齢より、血管年齢が高い場合には、脳卒中、心筋梗塞
などに注意してください」(記憶)とあった。
逆に読めば、私はこと血管に関しては、健康ということになる。

もっとも温泉から出たあとのことなので、血流の流れはよかったのかもしれない。
料金は、300円。
「51歳」という年齢を見て、悪い気はしなかった。

+++++++++++++++++++++

【ネオテニー進化論・幼児成熟の問題】

●若い人たちの日本語

 このところBLOGやYOUTUBEへのコメントが、多くなった。
ほとんどは好意的なものだが、中には辛らつなものもある。
そういうコメントを読んでいると、ふと、こんな疑問が湧いてくる。
最近の若い人たちは、きちんとした日本語が話せるのだろうか、と。
「書けるのだろうか」でもよい。
さらにもうひとつ、気になることがある。
文そのものが、破滅的。

 たとえば昨日も、こんなコメントが寄せられた。
私が、『伸びる子vs伸び悩む子』というタイトルで話した、YOUTUBEについてだが、こうあっ
た。
「こんなことで、決められるのかよお」と。

 たったそれだけ。
禅問答のようでもある。
謎かけ問答のようでもある。

 私はそのYOUTUBEの中で、スタンフォード大学でなされた、『マシュマロテスト』について話
した。
あのテストは、1960年代になされ、その後も詳細な追跡調査がなされている。
信頼性はきわめて高い。
もしこうしたテストを否定するというのであれば、では研究とは何かということになってしまう。

 それはそれとして、こうしたコメントを整理すると、こうなる。

(1)きわめて短文(文章になっていない)
(2)相手の心をズバリと一撃する(イヤミ)
(3)論理性がない(非ロジカル)
(4)全体に、謎かけ的(勝手に判断しろと、内容が攻撃的)

 この中で「イヤミ」という言葉を使った。
そのイヤミを平気で口にしたり、文にしたりできる人とというのは、かなり心のゆがんだ人とみ
てよい。
つまり今、そういう若い人たちが、ふえている。
こうした特徴を反対側から整理すると、こうなる。

(1)長い文章が書けない(文章がつながらない)
(2)説得力のある文章が書けない(短絡的、直情的、直感的)
(3)思考が支離滅裂(ロジカルなものの考え方ができない)
(4)建設的な意見をまとめることができない(破壊的、否定的)

 もっともこういう人たちは、全体の中の一部?
が、気になるのは、ネットユーザーの中に、そういう人たちが多いということ。
つまりこの先、ネット社会が普及すればするほど、そういう人たちがふえてくる(?)。

●直情的、短絡的

 幼児に、こんな質問をしてみる。

「あなたがブランコに乗っていたら、分からず屋のA君が、ブランコを横取りしようとしてきまし
た。
そのときあなたなら、どうしますか?」と。

 これに対して、「横取りはだめと話す」とか、「順番に乗る」とか、そういうふうに考えるのが、
常識的。
しかし中には、「そういう分からず屋は、ぶん殴ってやればいい」とか答える子どももいる。
ものの考え方が、直情的かつ短絡的。
ものごとを冷静に、かつロジカルに考えることができない。

 実は、昨日も、こんなことがあった。

 この1週間、発砲スチロール製のパイプ様の棒を教室に置いておいた。
チャンバラごっこをするためである。
が、この遊びはチャンバラごっこというよりは、幼児に自信をつけさせるためにする。
わざと私のほうが負けてみせる。
それによって幼児たちは、「先生をやっつけた」という自信をもつ。
どこか自信喪失気味の子どもには、効果的。
そのあと、見違えるように、積極的になる。

 で、その棒を使って、小6の子どもたちに剣道の基本を教えた。
私は学生時代、柔道をずっと習っていた。
その余力で、剣道にもかなり詳しい。

 で、一通り、それを説明し、「さあ、勉強しよう」と棒をテーブルに置いたとたん、後頭部から一
撃。
強烈な一撃だった。
しかも水平打ち。
剣道では、禁じ手である。

 ほんの少し耳をはずれたからよかったもの、まともに当たっていたら、私は鼓膜を破られてい
たはず。
振り返ったら、S君がニヤニヤと悪びれた様子もなく、そこに立っていた。
私は思わず、「何てこと、するんだ!」と怒鳴りつけた。
が、しばらくは怒りが収まらなかった。

 もともと過剰行動性のある子どもだったが、まさか背後から、力一杯襲いかかってくるとは思
っていなかった。
実のところ、こういう子どもが、いちばん、恐ろしい。
ものの道理がわからない。
自己管理能力が弱い。
行動が衝動的で、突発的。

 行動と思考とは、そういう点で連動している。
相互に密接にからみあっている。
相手がまだ私だったからよかった。
もしこれが生徒だったら……。
それで私の教室は閉鎖……ということにもなりかねない。

●作文力

 今さら手遅れかもしれない。
アメリカなどでは、読書力、作文力が教育の柱になっている。
小中学校にも、「Library(読書)」という時間がある。
その教科だけは、学士号ではなく、修士号をもった教師が指導に当たっている。
つまりそれだけ重要視されている。

 が、この日本では、作文力は、ほとんど問題にされていない。
指導するとしても、受験塾が受験対策として、それをしている。
だからというわけではない。
日本語の特性というか、日本語というには、ウーパールーパー的※なところがある。
日々にどんどんと変化していく。
文法などあって、ないようなもの。
文法だけではない。
言葉そのものも、変化していく。

 あと20〜30年もすれば、今、私がここに書いている文章にしても、辞書なくして読めなくなる
かもしれない。
それは日本の文化にとっても、「熟成」という観点からしても、たいへん悲しむべきことと言って
よい。
若い人たちは、先人の知恵や経験を、そのまま生かすことができなくなる。

●コメント

 辛らつなコメントだったが、私は、もう慣れた。
どうせその程度の文しか書けない人たちである。
本気で相手にする必要はない。
それに先にも書いたように、心はすでに壊れている。
気づいていないのは、本人だけ。
書きたければ書けばよい。
私のほうは、何も考えず、削除するだけ。

 「こんなことでいいのかなあ」という思いは残るが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 作文力 作文力を失った若者た
ち)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)ウーパールーパー(ネオトニー進化論・幼児成熟)

 以前、別の角度から、ウーパールーパーについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原始反射(2006年7月の原稿より)

++++++++++++++++

赤ちゃんには、赤ちゃん特有の反射
的運動がみられる。

これを、「原始反射」と呼ぶ。

++++++++++++++++

 二男の娘(私の孫)が生まれて、もう2か月になる。名前を芽衣(Mae)という。最近、やっと漢
字の名前が決まった。

 その芽衣を想像しながら、改めて心理学の本(心理学用語辞典・かんき出版)を、ひもとく。
乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ちゃんには、赤
ちゃん特有の、反射的運動がある。

 これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反射の多くは、生後3〜4か月で、消失してしまうことが
知られている。

 その原始反射には、つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。

 バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、親指
がそりかえり、足の指が開く現象をいう。

 赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。ドイツ
のモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ばれている。

 口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口にくわえよ
うとする現象をいう。

 自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そう
とする。これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。

 マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象を
いう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると言われて
いる。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、赤ち
ゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。

 もうひとつは、前にも書いたが、いわゆるネオトニー進化論の問題である。その原稿は、この
あとに添付しておくが、要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こうした現象とな
って、現れるのではないかということ。

 本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失して
いるべきということになる。つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしま
うということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の時代
からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形にもなるとい
う。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れる(?)。

 もしあなたに、今、赤ちゃんがいるなら、一度、この原始反射を試してみるとよい。何かの新
しい発見ができるかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

日本人は、未熟な民族?

そんなことを考えさせられるのが、
ネオテニー(幼児成熟)進化論である。

+++++++++++++++++++

●幼児性の持続(ネオトニー進化論)

 人間は、ほかの動物たちとくらべても、幼児期から少年少女期までの期間が、著しく長い。鳥
の中には、孵化すると同時に歩き始め、エサを自分で食べ始めるのもいる。

 つまり人間は、未熟なまま、生まれる。そしてその分、親(とくに母親)の手厚い保護を受けな
ければならない。

 ……という話は、常識だが、同じ人間でも、種族によって、その「期間」が違うのではないか。

 私自身も、幼稚ぽいところがあったが、35年前に、オーストラリアの大学へ留学したとき、向
こうの学生たちが、みな、私よりはるかにおとなに見えたのには、驚いた。
本当に、驚いた。
「これが同じ大学生か!」と。

 で、以来、ときどき、私は、この問題を考える。
こうした「違い」は、なぜ生まれるのか、と。

 それについては、いろいろな説がある。
欧米と日本とでは、子育てのし方そのものが違うという説。日本では、元来、親にベタベタ甘え
る子どもイコール、かわいい子と位置づける。
が、欧米には、そういう考え方は、ない。
ないものはないのであって、どうしようもない。

 つまり、欧米では、子どもは、生まれながらにして、1人の人格者として、扱われる。育てられ
る。

 ……というふうに、私は考えてきた。しかしそれだけでも、ないのではないか。

 昨夜も、バラエティ番組なるものを、かいま見た。20〜25歳前後の若い女性が、10〜15
人ほど、そこに並んでいた。私は、その若い女性たちの顔を見て、あ然とした。

 幼稚顔というよりは、まさに幼児そのもの。
Sというよく知られた、司会者(お笑いタレント)に誘われてあれこれ意見を述べていたが、「こ
れが20歳を過ぎた女性の意見なのだろうか」とさえ、思った。

 一説によると、私たち日本人は、欧米人と比べても、幼児性を残したまま、おとなになる遺伝
子をもっているという。
生まれてからおとなになるまでの期間が長いとも解釈できるし、反対に、精神的におとなになり
きれないまま、体だけはおとなになるとも解釈できる。

 前者の説をとるなら、日本人は、それだけ教育期間を長くしなければならないということにな
る。
後者の説をとるなら、日本人は、民俗学的(生態学的)に、未熟な人間ということになる。
さらに恐ろしい意見もある。

 日本人の子どもの前頭連合野の発育が、以前よりも、未熟になりつつあるというのだ(沢口
俊之著「したたかな脳」日本文芸社)。そのため、

「以前は、小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないという
のが、現状です。

 これは状況を判断する力や、自己をコントロールする力が衰退しているということ、すなわ
ち、自分の行動を積極的に制御する脳の機能が未熟になっていることを示しています」(同、P
131)と。

 「小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないというのが、現
状です」という澤口氏の意見には、「?」を一つ、つけたいが、しかし、年々、子どもたちが幼稚
化しているのは、私も感ずるところである。

 とくに男児の幼稚化が著しい。たいはんが、どこかナヨナヨしていて、ハキがない。

 で、こうして、子どもたちは、幼児性(幼稚性)を残したまま、おとなになる。
あるいはおとなになりきれないまま、おとなになる。

 一般論として、子どもというのは、その年齢になると、その子どもの年齢にふさわしい、「人
格」が育ってくる。「核」というか、(つかみどころ)ができてくる。
その年齢に比して、「子どもっぽく見える」というのは、日本では、あまり問題視されないが、国
際的に見れば、決して、好ましいことではない。

 そこで全体として、たとえば高校生や大学生をみると、日本の高校生や大学生は欧米の子ど
もたちと比較すると、かなり子どもっぽいのがわかる。
澤口氏の説によれば、つまりその分、大脳前頭連合野の発達が、未熟(?)ということになる。

 こうした違いが生まれるのは、教育によるものなのか。それとも遺伝子によるものなのか。

 「したたたかな脳」の著者の澤口氏は、「ネオテニー」という言葉を使って、日本人の幼児性を
説明する。

 「ネオテニーとは、(幼児成熟)、つまり幼い時期の特徴をもったままで成熟し、繁殖すること
をいいます。

 その有名な例は、アホロートル(ウーパールーパー)です。
アホロートルは、サンショウウオの一種で、サンショウウオは、両生類です。

 ですから幼生期に水中でエラで呼吸し、成長すると、変態して、肺で呼吸するようになり、陸
上で生活します。

 ところがアホロ−トルは、変態しません。つまりエラをもったまま、つまりは幼生期のまま、水
中で生活します。繁殖も幼生期のままの姿でします。いってみれば、カエルがオタマジャクシの
ままで、卵を産んでしまうようなものです。

 これをヒトにあてはめて考えた進化論が、「ネオテニー進化論」です。(中略)

 ネオテニー化が進むということは、進化の過程で、ヒトがネオテニー的な特徴をより多く、身
につけてきたという意味です。

 ネオテニー的な特徴とは、単純な言い方をすれば、外見的に、子どもぽいとか、未熟だとか
いうことです。
このような身体的な特徴から見ると、ヒトの大人は、幼児の姿をとどめたまま成熟したチンパン
ジーのようにも見えます。

 そしてアジア人(モンゴロイド)が、年齢よりも若く見えるのは、より多く、ネオテニー的な特徴
を備えているということです。
とくに日本人は、幼くみえるようです」(同書、P133〜)と。

(わかりやすく言えば、欧米人は、たとえていうなら、サンショウウオ。アジア人は、幼児成熟な
ままで発育が止まっている、ウーパールーパーということになる。)

 ナルホドと思ったり、そうだったのかと思ったり……。
日本人は、極東の島国で生活し、他民族のように、「血」の交流をほとんどしてこなかった。
その結果、モンゴロイドとしての特徴が、そのままより色濃く残ってしまったのかもしれない。
骨相学的に見ても、日本人の骨相(顔)が、悲しいかな、世界で一番、貧弱だと言われる理由
も、そこにある。

 それはさておき、澤口氏の意見に従うなら、私たち日本人は、日本人のあり方そのものを、
基本的な部分から、考えなおさなければならない。
短い足や、貧弱な骨相はともかくも、人格的な完成度という意味では、考えなおさなければなら
ない。

 そしてそれが教育でカバーできるものであれば、「教育」そのものも考えなおさなければなら
ない。澤口氏の言葉を借りるなら、「状況を判断する力や、自己をコントロールする力」を、どう
やって養うかということにもなる。

 昨日、静岡市での講演に出かけるとき、駅構内で購入した本だったが、おもしろかった。
久々に、頭の中で、火花がバチバチと飛ぶのを感じた。興味のある方は、どうぞ!

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浩司 幼児性 幼稚性 ネオテニー ネオテニー進化論 ネオトニー ネオトニー進化論 はや
し浩司 原始反応 把握反射 ウーパールーパー 幼児成熟 はやし浩司 アホロートル)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●どこからどこまでが私で、どこからが私なのか?

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2006年、孫が生まれたとき、
こんな原稿を書いた。
再度読みなおしながら、いろいろ
考える。

もう一度、そのとき書いた原稿を
ここに再掲載する。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司2011/07/29記

●原始反射(2006年7月の原稿より)

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赤ちゃんには、赤ちゃん特有の反射
的運動がみられる。

これを、「原始反射」と呼ぶ。

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 二男の娘(私の孫)が生まれて、もう2か月になる。
名前を芽衣(Mae)という。
最近、やっと漢字の名前が決まった。

 その芽衣を想像しながら、改めて心理学の本(心理学用語辞典・かんき出版)を、ひもとく。
乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。
たとえば、赤ちゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。

 これを「原始反射」と呼ぶ。
この原始反射の多くは、生後3〜4か月で、消失してしまうことが知られている。

 その原始反射には、つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。

 バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、親指
がそりかえり、足の指が開く現象をいう。

 赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。ドイツ
のモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ばれている。

 口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口にくわえよ
うとする現象をいう。

 自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そう
とする。これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。

 マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象を
いう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると言われて
いる。
で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。
赤ちゃんには、赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。

 もうひとつは、前にも書いたが、いわゆるネオテニー進化論の問題である。
その原稿は、このあとに添付しておくが、要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さ
が、こうした現象となって、現れるのではないかということ。

 本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失して
いるべきということになる。
つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の時代
からの進化の過程を、一度すべて経験するという。
初期のころには、魚のような形にもなるという。
その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れる(?)。

 もしあなたに、今、赤ちゃんがいるなら、一度、この原始反射を試してみるとよい。
何かの新しい発見ができるかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●赤ちゃんの意思

 もちろんこうした「原始反射」は、赤ちゃんに「私」があって、起こるのではない。
つまり赤ちゃんの意思とは無関係に起こる。
その理由の第一が、人間すべてに共通した反射運動だからである。

 同じように考えてよいのが、「性欲本能」。
それから発生する、もろもろの欲望。
フロイトは、「性的エネルギー」を、もろもろの人間の心理の根幹に置いた。
私たちの行動、心理活動は、その根源で「性的エネルギー」に結びついている、と。
(これに対してユングは、「生的エネルギー」という言葉を使った。)

 男が自己主張するのも、女が化粧するのも、その奥の奥で、性的エネルギーと結びついてい
る。
どの人も「私は私」と思いながら、行動しているかもしれない。
が、その実、その実態といえば、「原始反射」。
あらゆる生物は、種族保存に、すべての命をかける。
その「命をかける」部分が、原始反射ということになる。

 わかりやすく言えば、およそ心理学で体系化された部分というのは、「私であって、私でない
部分」ということになる。
体系化されるという部分で、私であって私でない部分ということになる。

●では、私とは?

 少し前、「私」というのは、タマネギのようなものと書いた。
私と言えるような部分は、中心にあるほんの小さな部分で、大半は、ただの「皮」。
その「皮」を私と思い込んでいるだけ。

 たとえば赤ちゃんの原始反射のひとつの「把握反射」にしても、それを見て、親は、「ああ、う
ちの子は自分の意思で反応している」と思うかもしれない。
しかし反応しているのではない。
赤ちゃんとの意思とは無関係のところで、反射運動が起きているだけ。

 ……ということを、さらに拡大解釈していくと、もろもろの私たち人間の行動、心理活動は、
「私であって、私でない部分に操作されているだけ」ということがわかってくる。
先に「私というのは、タマネギのようなもの」と書いた。
「私と言えるような部分は、中心にあるほんの小さな部分」とも書いた。
しかし実際には、その「小さな部分」さえない人のほうが多い。

 悲しいかな、加齢とともに、人は賢くなっていくわけではない。
「私」を発見していくわけでもない。
その多くは、バカになっていく。
自分が、その年齢になって、それがよくわかるようになった。
私は確かにバカになりつつある。
経験や知恵は、脳みその底から、どんどんとこぼれ落ちていく。
1か月前にできたことが、今日、できなくなるということは、しばしば経験する。

 で、結果として、そこらのオジチャン、オバチャンと同じようなことをするようになる。
……というか、オジチャン、オバチャンと同じになる。
あるいはハイデガッガーの言った、『ただの人(das Mann)』でもよい。

 もしあなたが、北海道のオジチャン(オバチャン)も、九州のオジチャン(オバチャン)も同じと
いう範囲の中のオジチャン(オバチャン)なら、ただのオジチャン(オバチャン)ということにな
る。
平たく言えば、「私」のない人を、「ただの人」(ハイデッガー)という。

●私を創る

 こうして考えてみると、「私を創る」ということが、いかにたいへんかが、わかる。
だからよく若い人が、「私とは何か」とか問うたびに、私は皮肉たっぷりにこう思う。
「そんなもの、あるか!」と。

 それがわからなければ、北海道のスズメを見ればよい。
九州のスズメを見ればよい。
(沖縄のスズメでもよい。)

 それぞれはみな、てんでばらばらに、自分勝手な行動を繰り返している。
しかしスズメは、スズメ。
その範囲を超えることはない。
つまりスズメには、「私」はない。

 が、もしその中の一羽が、ある日、こんなことをしたとする。
人間の前で、歌いながら踊り始めた。
「餌がほしい」というジャスチャをしてみせた。
あるいはあの「カモメのジョナサン」のように、自分の限界を超えて、天空高く、舞い上がるのも
よい。
もし一羽のスズメが、それをしたとするなら、そのスズメには、「私」があることになる。
そのスズメは、「私」をもったことになる。

 が、そうでないなら、そうでない。
「私」を創るためには、それこそ想像を絶するような努力と日々の精進が必要となる。
だれかのまえではいけない。
まねしたとたん、その人は「私」を失う。

●ミューチュアル・アタッチメント

 さらにここ10年の研究によれば、あの赤ちゃんも、親の心をくすぐるための心理行動をして
いるのがわかってきた。
それまでは愛着行動というのは、親から赤ちゃんへの一方向的な行動と考えられていた。
相互に作用するから、それを『ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着行為)」という。

 もしあの赤ちゃんが、生まれながらにして、生意気で、ふてぶてしい態度を取っていたら、そ
れだけで親は、子育てを放棄してしまうだろう。
つまりその時点で、人類は滅亡することになる。

赤ちゃんは赤ちゃんで、(とくに人間の乳児は)、親に育ててもらわねばならない。
そのため無意識下の意識の作用により、自ら(かわいさ)を演出する。
エンゼル・スマイルもそのひとつと言われている。
それがミューチュアル・アタッチメントということになる。

 で、一方、親は親で、その演出された(かわいさ)にデレデレになる。
親は、それを自分の意思と思うかもしれない。
「赤ちゃんがかわいいと」と思うのは、私の気持ち。
これが真の愛、と。
しかしそれらすべての、一連の感情や行動は、最初から計算されたものでしかない。
つまりそれ以前から、そうできているから、そうする。

 もちろん赤ちゃんだけではない。
成人したおとなだって、そうである。
つねに私たちは無意識下の意識に操作され、それに応じて、感情をもったり、行動を繰り返し
たりする。
しかしそういった部分は、「私であって、私でない部分」ということになる。
それを私は「タマネギの皮」にたとえた。

 一枚ずつめくっていったら、最後には、何も残らない……。
言い換えると、「私」をもった人など、この70億人とも言われる世界人口の中でも、数えるほど
もいないのでは?
私にはわからないが、それくらい少ない。
それくらい「私」をもつことは、むずかしい。

 赤ちゃんの原始反応について書いた自分の原稿を読みながら、そう考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 私論 原始反射)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【同窓会で名古屋市へ】はやし浩司 2011−07−29

●名古屋

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今夕は名古屋市へ。
大学の同窓会(名古屋支部)が、名古屋市である。
ワイフも行きたいと言ったので、いっしょに行くことにした。
が、同窓会のほうではない。
「名古屋へ行きたい」と言った。

そこで刈谷の名鉄イン・ホテルに予約。
同窓会が終わるまで、ワイフにはそこで待っていてもらうことにした。
その名鉄インのこと。

ツィンルームは、1人6000円、2人で1万2000円(朝食付き)。
しかしシングルルームは、1名、2700円(朝食付き)。
この料金体系は、どう考えてもおかしい。
部屋を2つ借りたほうが、安い?
(シングルルーム2部屋で、5400円。
半額以下!)
おかしいので、電話をかけ、確かめてみる。

電話の向こうの男性は、あれこれ、ていねいに説明してくれた。
「部屋が広いです」とか、何とか。
まあ、こういうことで争うのは、いや。
予約どおり、1名6000円の部屋に泊まることにした。

同窓会は早めに切り上げ、ホテルに戻るつもり。
ワイフは、名古屋きしめんを、どこかで食べるのを楽しみにしている。
Me,too!

(補記:やはり部屋が広かった。
シングルルームの2倍以上。
泊まってみて、納得。
壁紙もトイレも新しく、清潔感にあふれていた。
1泊6000円(1名)でも、文句なし。)

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●同窓会

 名古屋で同窓会に出るのは、今回で2度目。
名古屋周辺に住む友人たちは、たがいに頻繁に会っているよう。
そのつど誘いがかかったが、時間が合わない。
たいてい金曜日の夕方。
仕事の帰りに、みなが、駅前のどこかに集まるといったふう。
加えて私は、アルコールが飲めない。

 が、今回は、夏休みということで、何とか、やりくりをした。
時間を作った。
で、4時30分の新幹線に。

 今、その新幹線の中にいる。
こだま号だが、座席の前後の間隔が広くなったように感ずる。
濃紺のシートが真新しい。
詳しくはないが、新型の新幹線らしい。
ただし電源用のコンセントはなし。
周りを見回してみたが、やはり、なし。
パソコンを持ち歩く私としては、やや不満。

 変わったところといえば、3号車と7号車に、自販機がついたこと。
1号車から8号車まで、すべて禁煙とか。

 ワイフは、列車最前部の電光ニュースを読んでいる。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。

●教示

 同窓会にもいろいろある。
が、金沢大学法科の仲間たちは、結束力が強い。
出るたびに、楽しいというよりは、何か貴重な教示を受ける。
私には、それが楽しみ。

 それには理由がある。
その第一、みな、自分を飾らない。
あっけらかんとしていて、みな、自分のことを、平気で話す。
「今度、会社を3度目のクビになりまして……」とか、「(がんによる)闘病生活も、4年目になり
ます」とか、など。
そのたびに、みなが、ヤンヤと拍手喝采。

 ただ、どういうわけか皆、奥さんの話しはしない。
私もしない。
息子や娘の話しもしない。
これはどういう理由によるのか。
同窓会というのは、そういうもの。
会ったとたん、学生時代に戻る。
独身時代に戻る。

●三河安城

 新幹線は、三河安城に着いた。
あと15分。
あと15分で、名古屋市。
今日のお供は、ダイナブックN200。
ドコモの携帯端末を買ったら、おまけにくれた。
が、このパソコンだけはネットに、スイスイとつながる。
WINDOW MAILの送受信も、楽。
さすが「おまけ」と、今、へんに感心する。

 で、浜松と名古屋は、遠いようで、近い。
新幹線で、たったの45分。
もし浜岡原発が福島第一原発のような事故を起こしたら、浜松はもちろん、名古屋市だって、
あぶない。
人が住めなくなる。
悪い癖だ。
最近の私は、何か書いていると、すぐそういう話になってしまう。

●放射能汚染

 ものの考え方が、暗い。
陰鬱。
それは自分でもよくわかっている。
しかし私に言わせれば、世の中、反対にノー天気すぎる。
昨日も栃木県下の放射能汚染図が新聞に載った(中日新聞)。
それによれば、栃木県ですら北西部は、真っ赤。
福島県のいわき市と同程度に、汚染されているという。

 が、ここからが放射能汚染の怖いところ。
空気以上の「線」となって、じわじわとそこに住む人の人体を汚染する。
空気は人体を通過しない。
放射線は通過する。
いくら食べ物に気をつけていても、そういったものをすべて素通りして汚染する。
防ぎようがない。

●ハナ(犬)のダニ

 毎年この季節になると、ハナ(犬)の体にダニが付く。
ハナの血を吸い、大きさが5ミリほどになる。
それが少し油断していると、体中に何10匹と付く。

 そこでハナの体を洗い、薬をつける。
が、ハナはそれをいやがる。
洗ってやろうとすると、雰囲気で察して、そのままどこかへ隠れてしまう。
今朝もそうだった。

 そこでワイフにまずハナをつかまえてもらう。
そのあと、私はパンツ一枚で、外に出る。
ダニ取り用のシャンプーで、ハナの体を洗う。
そのときのこと。
私はこう思った。

 私の家で、昔からハナの世話をしているのは、この私。
が、ハナのほうといえば、その私をもっとも警戒している。
本来なら、私にいちばん感謝してよいはず。
「ご主人様、どうもありがとうございます」と。

 が、犬は犬。
そこまでの学習能力はない。
シャンプーで体を洗われることを、「ありがた迷惑」ととらえている(?)。
だから私から逃げる。

 が、今朝のハナはいつもと、少しだけちがった。
体を洗ってやっている間、私はずっとハナに話しかけた。
「かゆいだろ? だから洗うんだよ」よ。

 それがわかったのか(?)、いつもなら瞬時を置かず逃げ腰になるハナが、今朝はおとなしく
していた。
少しは私の善意が通じたよう(?)。
ハナは言葉を話さないから、本当のところはわからないが……。

●ホテルで

 午後9時ごろ、ホテルに着いた。
ワイフがドアのところで、迎えてくれた。
「食事は?」と聞くと、「すませた」と。
「ホテルの前にサイゼリア(店名)があって、そこですませたわ」と。

 あれこれ身支度を整えなおすと、外に出た。
出たところに、コメダ(店名・コーヒーショップ)があった。
私はそこでサンドイッチを食べた。
ワイフは、かき氷を食べた。

ワ「楽しかった?」
私「40年来の謎も解けたしね」
ワ「40年来の謎?」
私「そうだ」と。

 私は学生時代、けっして品行方正な学生だったというわけではない。
むしろ異端児だった。
そんな私だから、何をしてもドジばかり。
こんなことがあった。

●謎

 大学3年生のとき、内灘の海で4人の女子学生と知り合った。
4人の女子学生は、東京から来ていた。
金沢までいっしょに帰り、ビアガーデンへ行った。
で、そこからがロマンス。
要するに、よくある男と女の話し。

 私たちも4人。
女子学生たちが泊まるホテルに、忍び込んだ。
が、ここからが謎。
4人対4人。
かなりいい線までいったところで、突然、4人の女子学生たちが怒って部屋を出て行ってしまっ
た。
「風呂へ行く!」と言って、浴場へ行ってしまった。

 私にはその謎がわからなかった。
どうして突然、4人の女子学生は怒ってしまったか。
が、今夜はじめてその理由がわかった。
あの夜、私は知らなかったが、DM君(4人のうちの1人)が、その女子学生の体の中に、手を
入れたという。
タイミングが悪かった。
それでその女性学生が怒り、ほかの3人も、つづいて怒った。

 それでロマンスは終わり。

私「あのDM君が?」
友「そうなんだよ」
私「DM君は、ずっとぼくのせいだと言っていた」
友「いや、DM君のせいだよ。ぼくは横でそれを見ていたから」
私「ぼくは、見ていなかった……」と。

 DM君は、法学科の中でも1、2を争うほどの、まじめな学生だった。
(……というふうに、私は思っていた。)
そのDM君が、そんなことをしたとは!
信じられないというよりは、私はその話しに仰天した。
あの夜の雰囲気からして、もう少しじょうずに女子学生を誘導していたら、一生の思い出になっ
ていたはず。

 で、あの夜覚えた、あのみじめな敗北感は、今でも忘れない。
私たちはトボトボと、深夜の金沢の道を歩いて、それぞれの下宿に帰った。

●日本経済新聞

 このところ毎日、日本経済新聞(本紙)に目を通している。
アメリカの債務協議問題や米国債格下げ問題が、気になる。
オバマ大統領は、上限を撤廃するのか、しないのか。
国債の格下げはしかたないとしても、それがどう国際経済に影響するのか。
上限をあげなければ、アメリカはデフォルト。
債務超過。
国家破綻。
一方、これ以上の借金は、無理。
どちらにせよ、アメリカ経済は破綻する。

……というほど大げさなものではないとしても、世界経済に与える衝撃と影響は、深刻なものに
なる。
すでにその予兆が、あちこちで現れ始めている。
世界中の株価が下落し始めているのも、そのひとつ。
もちろん日本の株価も、今週、大きく下落した。
が、この程度ですむとは、だれも思っていない。

 超巨大な台風を目前に控え、私たち一般民衆は、オタオタするだけ。
その向こうは、すべて、大恐慌という暗雲に包まれている。
経済の専門家ですら、「何が起こるか、予想が立たない」と言いだした。

 8月2日に、オバマ大統領は、どのような決断をくだすか。
8月3日に、世界はどのように動くか。
私たちは今、それを固唾をのんで、なすすべもなく、見守っている。

●7月30日

 刈谷の朝は、茜(あかね)色に輝いていた。
窓を開けると、眼下に、大型ショッピングセンター。
その左に、スポーツジムが見えた。
昨夜は遅くまで、ランニングマシーンの上で走っている人たちが見えた。

 静かな朝だ。
道路には、走る車もない。
時刻は午前5時半。
モゾモゾしながら、横からワイフが聞いた。
「何時?」と。

●ニュース

 ネットのニュースに目を通す。
あちこちで、いろいろな異常気象がつづいている。
韓国、北朝鮮の大洪水。
アメリカ北部の洪水と南部の大干ばつ。
この先、世界はどうなるのだろう……と考えたまま、思考停止。
この日本にしても、明日のことはわからない。
超大型の台風6号は、運よく太平洋にUターンしてくれた。
が、すでにそれにつづく台風がまた発生している。

 「もう、いいかげんにしてくれ!」と叫びたいが、自然は、もちろんそんな声に耳など傾けてく
れない。
福島第一原発にしても、近くの浜岡原発にしても、余震や地震が、いつ起きてもおかしくない。
「安定している」とは言うが、問題は何も片づいていない。
さらに昨日の報道によれば、政府機関である保安院まで、(ヤラセ会議)を開いていたという。
マスコミは大騒ぎしているが、どうして?
こうした(ヤラセ)は、官僚のお家芸。
そのつど開かれる、「審議会」という名前の会議にしても、ヤラセでないのをさがすほうがむず
かしい。
方法は簡単。

(1)YES・マンのみを集める。(どういう基準で人選されるのか?)
(2)会議の進行は、官僚側が進める。(あらかじめ議題などは、すべて官僚側で用意。)
(3)座長が、きわめて抽象的な答申をまとめる。(答申の内容を文書化するのも官僚。)
(4)その答申を自分勝手に料理する。(あとは官僚のやりたい放題。)

 座長には、それなりの地位と立場のある人物が選ばれる。
経済界の重鎮や御用学者たち。
御用文化人がなることも多い。
それなりの「三つ葉葵の紋章」をもっている人ほど、よい。
よくテレビなどにも名前と顔が出てくるから、どういう人が座長になっているか、それを見てみる
とおもしろい。
つまり日本の政治は、政治家ではなく、官僚たちによって、こうしてゆがめられていく。

●スカイツリー 

 東京にスカイツリーができた。
600メートル以上もあるという。
一度は上ってみたいと思う。
しかし「上る」は「登る」。
私の山荘の横には、標高が550メートルの、M山がある。
3、4度、登ったことがある。
浜松市が一望でき、その向こうには丸みを帯びた太平洋が見える。
スカイツリーから見える景色も、あんなものだろうと想像する。

 が、このとき私の頭の中で、相反した2つの考えが交錯する。

 ひとつは、M山に匹敵するような高い「人工の山」を、よく作ったものだと感心する驚き。
もうひとつは、そんなものわざわざ作らなくても、「自然の山」があるではないかという思い。
ゼネコンは、こういう形で日本の技術力を世界に誇示したいのだろう。
言うなればゼネコンの看板のようなもの。
ドバイのように、自然の山のない国の人たちには、それなりに魅力的に映るかもしれない。
しかし私なら、近くのM山に登る。
登って、スカイツリーに上れない悔しさを解消する。
が、これは私の負け惜しみ。
すごいことには、ちがいないが……。

●大洪水

 朝のニュースは新潟県地方の洪水の様子を伝えている。
音は聞こえないが、映像からして、たいへんな洪水のようだ。
川を茶色の濁流が、波を打って流れていく。
画面で見ていると、その迫力はわからない。
が、私はその迫力をよく知っている。

 私が子どものころ、長良川も、よく洪水に見舞われた。
ふだんは静かでおとなしい川だが、大雨が降ると一転する。
そういうときは、川の近くまで行って流れを見る。
川が巨大なうねりを作り、ゴーゴーと流れていく。
それを見て、足がガクガクと震えたのを、今でも、よく覚えている。

 が、どうして今ごろ、大雨?
梅雨が終わって、もう2週間にもなる。

●アサヒスーパードライ
 
 同窓会は、楽しかった。
久しぶりに、腹の底から笑った。
ゆいいつの難点といえば、どうしてみな、同窓会というと、ああいう騒々しい場所でするのか。
静かなところで、静かに語らいあうというほうが、同窓会らしい。
今回も、「笹島交差点近くにある、アサヒスーパードライ」(案内)という店で、同窓会をした。
どこかドイツ風のビアホール。
金曜日の夜ということもあって、ほとんど満席。
みな、大声で怒鳴りあうようにして、話しをした。

 「次回は、どこかの温泉にしよう」という話しも出た。
それには大賛成。
名古屋市周辺にも、よい温泉地が、たくさんある。

 「みな元気だった?」とワイフが聞いた。
「……元気な人だけが、来た」と私。
そう答えたとき、ツンとしたさみしさが、心を横切った。

●刈谷

 刈谷は名古屋市の近くとばかり、思っていた。
が、来てみると、むしろ三河安城(新幹線の駅)のほうに近いことがわかった。
その先は岡崎、そして豊橋。
帰りはローカル線で帰ることにした。

 私たち夫婦は、「観光」には、ほとんど興味がない。
手元には、ホテルがくれた観光マップというのがある。
まだ目を通していないが、帰りにはごみ箱へ捨てるつもり。
それよりも、きしめんが食べたかった。
味噌カツでもよい。
昨夜口にしたのは、同窓会では、水とサラダだけ。
コメダでは、サンドイッチだけ。
観光より、食べ歩き。
そのほうが、ずっと楽しい。

 が、私の胃袋は、どこかいじけている。
食べだせば、いくらでも食べられる。
しかし今が、その状態だが、食べるまで、空腹感がほとんどない。
軽い逆流性食道炎が起きているよう。
腸内ガスがたまっているのか、腹全体が何となく腫れぼったい。

 もっともダイエットを始めて、すでに2週間。
昨日も自転車で1時間ほど、走った。
それもあって、胃袋自体が小さくなったように感じる。
少量の食事を口にしただけで、すぐ満腹感を覚える。

 ワイフがこう言った。
「ラッシュアワーをはずしましょう」と。
帰りの電車のことを言った。
「来週は、XX温泉に行こう」と声をかけると、「そうね」と。

 今ごろこんなことを書くのもおかしな話しだが、温泉といっても、気をつけなければならないこ
とがある。
その第一が、皮膚病。
が、注意していても、何かの皮膚病をみやげにもらってしまう。
少し前、私はインキン、ワイフは水虫をもらって帰った。
私の印象では、露天風呂風の温泉ほど、あぶない。
岩肌がごつごつしているような温泉である。
見た目には風流だが、そこは病原菌だらけ。

 だから温泉は、湯につかるだけ。
体は部屋の中の内湯で洗う。
最近の私たちは、そう決めている。

●刈谷の駅で

 JR刈谷駅で、8時39分発の浜松行を待つ。
プラットフォームの長椅子を見つけた。
が、どこか疲れた様子の女性が手荷物を2つ並べて座っていた。
私たちが近づいても、荷物をどける様子もない。
で、私が「すみませんが……」と声をかけると、視線を合わせようともせず、不機嫌な顔をして
見せた。
そのままの顔で、片手で、荷物を下におろした。

 同じ化粧にも、「旬の化粧」と、「疲れ化粧」がある。
若い女性が生き生きと、前向きにしている化粧を、「旬の化粧」という。
が、年を取ると、化粧もどこか投げやりになる。
それなりの化粧はするが、肌になじまない。
それを「疲れ化粧」という。
が、こうなると、化粧をしても逆効果。
不潔感だけが漂うようになる。

 相変わらず隣の女性は、ふてくされた顔つきをしている。
「うるさいジジイ」と、私のことをそう思ったのかもしれない。
そう、たしかに私は、うるさいジジイ!

●ラッシュアワー

 やはりラッシュアワーに重なってしまった。
電車が着くたびに、ドドーッ、ドドーッと人が降りる。
降りるというより、電車が人間を外へ吐き出す。
それらの人たちが、プラットフォームからあふれんばかりに、ゆっくりと歩いていく。
それぞれの人が、それぞれの思いをもって、今日という1日を始める。
しかしこの無機質な風景は、いったい、何なのか。
駅も、電車も、そしてそれを取り囲むビルも、さらにそこに見える人たちも、みな機械仕掛けで
動くロボットのよう。

 都会生活というのは、それをいう。

●電車の中のオバチャン

 刈谷からはすぐ座れた。
が、またまた運の悪いことに、またまたあのオバチャン連中。
少しうしろの席に陣取って、ゲラゲラ、ギャハハハ……と。
しゃべりづめ、しゃべっている。
カラカラ、キャッキャッ、と。
男でもおしゃべりの人は多い。
しかし女性のそれは、甲高い。
よけいに耳に障る。

 羞恥心というものが、ない。
周りの人たちへの心遣いもない。
「うちのバーサンが……」と、そんな話しを繰り返している。
うるさいと思うが、これが日本の現実。
どこへ行っても、このタイプのオバチャンたちがいる。
まさに日本の低俗文化の象徴。
低俗そのもの。
山ザルが、服を着て、電車に乗っている。
私には、そう見える。

●眠い

 電車は蒲郡(がまごおり)を過ぎ、もうすぐ豊橋に着く。
窓の外の景色が白っぽくかすんで見えるのは、窓ガラスが汚れているせい?
それとも湿度が高いせい?

 たった今、豊川の鉄橋を渡った。
ゴーッという金属的な音が、足元から伝わってきた。
眠い……。
昨夜は、あまりよく眠れなかった。
ああいうホテルでは、温度調整がむずかしい。
「L(低)」にすると、暑すぎる。
「M(中)」にすると、寒すぎる。
そこで昨夜は、「M」にし、薄い掛布団を2枚重ねて寝た。

 ……あのオバチャンたちは、豊橋で降りなかった。
残念!
終点の浜松まで、行くらしい。
それにしても、よくしゃべる。
いつもの私なら、それを注意するが、今日は、その元気もない。
畑の中のやぶ蚊のようなもの。
このタイプのオバチャンは、叩いても叩いても、つぎからつぎへと出てくる。
だったら、畑の中には入らないこと。
こうした電車には、乗らないこと。

●今日の予定

 今日の予定は、とくになし。
庭の草刈りをするつもりだが、炎天下ではできない。
このところ暑さに、ぐんと弱くなった。
あとは来週の教材作り。
人に会う予定はなし。

 あああああ……。
今度は私たちの前に座ったオバチャンたちまで、大声でしゃべり始めた。
豊橋から乗り込んできたオバチャンたち。
うしろからと前から。
意味のない話し。
安っぽい情報の羅列。
それが間断なく、つづく。
こういうのを文化的拷問という。

 ……電車の車掌は、いつもこう言う。
「周りのお客様の迷惑になりますから、携帯電話はオフかマナーモードにしてください」と。
オバチャンたちの話し声のほうが、ずっと迷惑。
どうしてそのオバチャンたちの会話を、野放しにしているのか。

★オバチャンたちへ、

 そんなことをつづけていると、本当に社会のゴミになってしまうぞ!
なぜ私たちが老人になるかといえば、自分たちの得てきた知識や経験を後世の人たちに伝え
るため。
それが老人。
その老人が、自らそ老人の立場を破壊している。
だから最近の若い人たちは、こう言っている。
「老人というのは無駄で、役立たず」と。
さらに若い人たちが、私たち老人組を「社会の邪魔者」と思うようになったら、おしまい。
私たちの居場所は、もうない。

●あと少しで、浜松

 あと少しで、浜松。
何でもない旅行だったが、ワイフは満足そう。
よかった!

2011/07/30記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●言葉(日本語)の起源(原始言語)

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中学生や高校生を教えていると、
ときどき、こんな話しになる。
「大昔の日本語は、どうだったか」と。

大昔といっても、石器時代の話し。
あるいはそれ以前。
そのつど、私はこんな話しを生徒たちにする。

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●「イ」と「ウ」の世界

 人類の歴史は、約20万年と言われている。
その中でも、新石器時代に別れを告げ、現在に見る文明社会に突入したのは、約5500年
前。
そのころ黄河流域に黄河文明、チグリス・ユーフラテス川流域に、メソポタミア文明が生まれ
た。

 もちろん地域差も大きかった。
黄河文明が栄えたときですら、その周辺の民族は、火を使うことすら知らなかったという。
いつだったか、台湾から来ていた東洋医学の先生が、そう話してくれた。

 で、そういう世界では、つまり文明が始まる以前の人間は、どのようにして意思を伝達してい
たか。
その点、私たちが使っている日本語には、ひとつのヒントが隠されている。
「イ」と「ウ」である。

●状態は「イ」、動作は「ウ」

 これはあくまでも私の推察だが、ものの状態を表すときは、「イ」を使った。
「イ〜」だったかもしれない。
あるいは発音は、「イ」に近いというだけで、もっとあいまいなものだったかもしれない。
その「イ」の前に、いろいろな名詞がくっついた。

 たとえば「草」と「イ」で、「クサイ(草イ)」と。
それが「臭い」となった、など。

 当初は単純な表現のみだった。
食生活や危険に関するものが多かったのでは?
「うま・イ」「まず・イ」「あぶな・イ」「こわ・イ」など。
それがやがて感情の表現へと発展していった。
「かなし・イ」「うれし・イ」と。

 同じように動作を表すときは、「ウ」を使った。
たとえば「走る・ウ」「食べる・ウ」「切る・ウ」と。
だから原始の日本人は、(モンゴル人でもよいが)、「イ〜」「ウ〜」というような言い方で、もの
の性質や動作を表していた。
もちろん何らかのジェスチャも併用された。

 「食べる」というジェスチャを示しながら、「ウ〜、ウ〜」と言っていたことは、じゅうぶん、推察さ
れる。

●幼稚言語

 私は似たような現象を、ときどき、幼児の世界に見る。

 もう30年前になるだろうか。
私の近所のアパートに、若い家族が移り住んできた。
が、両親は共働き。
今で言う崩壊家庭。
2人の子ども(上が4歳前後の男児、下が2歳前後の男児)がいたが、保育園へも行かず、一
日中、近所の広場で遊んでいた。
ときどき母親が仕事先から戻ってきて、何かの世話をやいていたが、それだけ。
その子どもたちの騒々しさといったら、普通ではなかった。
道路が遊び場だった。

 そのときのこと。
私は2人の子どもが、独特の言葉を使っているのを知った。
三輪車は「シャーシャー」、
押すは「ドウドウ」、
コロ付きの台車のようなものをもっていたが、それは「ゴーゴー」。
だから、「三輪車を押す」は、「シャーシャー、ドウドウ」となる。

 ほかにもいろいろな言葉を使っていた。
記憶は定かではないが、「あぶない」は、「ウヒャ」「ドヒャ」など。
終日、わけのわからない奇声が道路から聞こえていた。

●原始言語

 今から思うと、原始言語と言われるものも、それに近かったのではないか。
まず身近で関心のあるモノを、何らかの言葉で表現する。
先の子どもたちにすれば、三輪車。
「三輪シャ」の「シャ」だけが残って、「シャーシャー」になったとも考えられる。

 では、「ドウドウ」は、どうか。
いつか親が、「押す」という言葉を教えたのかもしれない。
「押す」が、「ドウ」になった?

 ともかくも原始言語の世界では、「モノ」に「ウ」がくっついた。
それによって、動作を表した。
ものの変化もその中に含まれる。

 たとえば「草・ル」が、「クサル(腐る)」になったなど。
草が変化して、臭くなる。
(私は、草・イ(臭い)、草・ル(腐る)は、「草」から生まれた派生語と推察している。)

「生きる」にしてもそうだ。
息をしている人は、生きている。
だから「息(いき)る」が「生きる」となった(?)。

が、その中でもとくに注目したいのが、短い単語。
原始言語の世界では、音の数も少なかったはず。
たとえば「うつくし・イ」は、6つの母音を含む。
こういう言葉は、ずっとあとになって生まれた。

 原始言語の世界では、母音の数は1つ、あるいは2つ。
「見る・ウ」「聞く・ウ」など。
わかりやすいのは、「イイ」。
自分にとって都合のよいものは、「イイ」と表現した。
それが「良い」へと変化していった。

 食べものであれば、「うま・イ」から、「おいし・イ」と。
もちろんその反対のこともある。
「わる・イ」「こわ・イ」と。
興味深いのは、「まず・イ」と「まずし・イ」。
本当に関連があったかどうかは、わからないが、ともに、「貧しい」の「貧」でつながっている。
味が貧弱だから、「まずい」、食料が乏しいから、「貧しい」と。

●早口

 ついでに言うと、1000年前の日本人と比べただけでも、現代人はきわめて早口になってい
ると推察される。
私はそのことを、学生時代、謡(うたい)を習っているときに知った。
ご存知の方も多いと思うが、謡の中に出てくる会話は、実にかったるい。
『これはこのオ〜、〜〜の〜〜がしにて、そうろうウ〜」と。
現在の話し方と比べても、数倍は時間がかかる。

 謡の中の会話がかったるいのではない。
1000年前の日本人は、そういう話し方をしていた。
そう考えるべきである。
というのも、私たちが子どものときでさえ、(ちょうど半世紀前ということになるが)、当時の日本
人は、今よりずっとゆっくりと話していた。

 さらにこんなこともあった。
私たちが高校の修学旅行で、山口県の秋芳洞へ行ったときのこと。
私たちが早口なのを知り、現地のバスガイドがたいへん驚いていた。
「岐阜では、みな、そんな話し方をするのですか!」と。
地域性もある。

 これを原始言語に当てはめて考えると、言葉が誕生したころの世界では、人々は、今より、
はるかにゆっくりと話しをしていた。
語彙数にしても、当時の日本人は、(モンゴル人でもよいが)、数10とか、数100とか、その程
度しかなかったのでは?

 ……こうして想像力を働かせていくと、この世界はかぎりなく膨らんでいく。
それがまた楽しい。
子どもたち(中学生や高校生たち)も、こういった話しになると、目を輝かせて耳を傾けてくれ
る。

 もちろん私がここに書いたことは、あくまでも私の推察。
記録などあるはずもない。
しかしさらに最近、私はこんな発見をした。

 犬のハナ(今年20歳)が、ときどき言葉らしきものを話す。
たとえば私が家に帰ったようなとき、垣根の向こうから、「クク〜ン、ウ〜ン」というような声を出
す。
それが毎回、同じ。
まったく、同じ。
私には、「パパ、お帰り」と言っているように聞こえる。
つまり「同じ」という点で、それがハナの言葉ということになる。
声帯が発達していないから、「言葉」としては認識できないが、もし声帯が人間並みに発達して
いたら、簡単な言葉を話すようになるかもしれない。

 恐らくこうした研究は、言語学の世界で真剣になされているだろうから、私がここに書いたこ
とは、雑談ほどの意味しかない。
が、おもしろいことは、おもしろい。
たいへん興味深い。
原始時代の人間は、どんな言葉を使っていたか。
あなたも一度、子どもとそんなテーマで話しを進めてみるとよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 原始言語 原始時代の日本語 
新石器時代の言葉)2011/07/31記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●浜松(遠州地方)の言葉

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私が住むこの遠州地方では、「本当?」と
聞き返すようなとき、「ウッソー(嘘)」と言う。

40年前、私が浜松へ来た直後には、
この言葉が、たいへん不愉快だった。
最初のころは、「嘘とは何だ!」と、本気で
言い返したことがある。

このことについては、もう何度も書いた。
が、ほかにもある。

このあたりでは、久しぶりに人に会ったりすると、
こう言う。
「まだ、〜〜の仕事、してたのオ〜?」と。
60歳以上の年配の人が、よく使う。

たぶん、「元気で仕事をつづけられていいですね」
という意味でそう言う。
しかし先にも書いたように、私はここに住んで
40年になるが、いまだにこの言葉を使われると、
頭にカチンと来る。

たとえば私に向かって、「まだ塾やってるのオ〜?」と。
聞き方によっては、(私はそう聞いているが)、
バカにされたように聞こえる。
だからそのつど、私はこう思う。
「バカにするな!」と。

「ウッソー」にしても、「まだ〜〜してるのオ?」に
しても、あまり品のよい言葉ではない。
遠州地方の人たちにはそれがわからないかもしれない。
が、外の地方では使わない方がよい。
相手を確実に不愉快にする。

++++++++++++++++++++

●独特の考え方

 戦争を経験した世代の人たちは、独特のものの考え方をする。
「死」を、「生きること」にからませて考える。
たとえば30年ほど前、私にこう言った人(男性)がいた。
当時40歳くらいだった。

「なあ、林(=私)、どうせ、あいつはオレより早く死ぬんだよ」と。
その男性は、相手の年齢を見て、そう言った。
つまり「長生きをしたほうが、勝ち」と。
あるいは「人生の結論は、臨終のときにわかる」と言う人も多い。

が、さらに一歩進んで、生き残り競争をしている人もいるという。
朝食のとき、ワイフがこんな話しをしてくれた。

●生き残り競争

 A氏(85歳)とB氏(75歳)は、隣どうしだが、仲が悪い。
顔を合わせることもない。
視線が合っても、たがいに顔をそむける。
あいさつすらしない。

 ともに元公務員。
年金だけは、じゅうぶんある。
それもあるのだろうが、A氏はいつもこう言っている。
「あいつ(=B氏)の最後だけは、見届けてやる」と。

 10歳も年下だから、平均余命から計算すれば、A氏のほうが先に死ぬ。
が、A氏は、「見届けてやる」と。
B氏に対する憎しみを、生き残り競争に転化させた。
それはすさまじいほどの執念と言ってよい。
80歳を過ぎてから、ウォーキングマシンを購入したという。
毎朝散歩し、ときどき自転車にも乗る。
ほかに生きがいらしい生きがいはない。

 妻はいるが、すでに毎日ケアセンターに通っている。
息子と娘がいたが、この30年以上、音信はない。
だからその執念(=恨み)を、B氏に向けた。

●以心伝心

 が、ここからの話しが興味深い。
そういうA氏の執念は、B氏に伝わっている。
A氏は、様々ないやがらせを、B氏に繰り返した。
それもあって、B氏はこう言っているという。

「Aさんが何を考えているか、よくわかっています」と。
が、幸か不幸か(?)、B氏はいたって健康。
奥さんも健康。
75歳を過ぎても、どこかの事務所で、事務の仕事を手伝っている。
それがA氏には、どうもおもしろくないらしい。
A氏は、ますます長生き競争に拍車をかけた。

●憎しみは人格を崩壊させる

 『人を憎むことは、ネズミを追い出すために、家に火をつけるようなもの』という。
つまり人格そのものを崩壊させる。
それもそのはず。

 憎しみを覚えると、免疫細胞がサイトカインという悪玉ホルモンを分泌する。
そのサイトカインが、脳ストレスを引き起こす。
それが免疫機能を弱体化させる。
が、それだけではない。

脳ストレスが慢性化すると、異常にこだわりが強くなり、ひいてはうつ病を引き起こす。
これが精神のさまざまな分野に影響を及ぼし、その人の人格を少しずつむしばんでいく。
つまり人格の崩壊をもたらす。
『家に火をつけるようなもの』というのは、そういう意味。

 事実、A氏の形相はふつうではない。
いつ見ても苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
それがぞっとするほど、醜い。

 つまりこうしたものの考え方そのものが、戦争を経験した世代の独特の考え方ということにな
る。
彼らがよく使う、「死んでも死にきれない」という言葉の裏には、そういう憎しみが隠されている
ことが多い。

 が、もちろんそうでない人も多い。
ワイフの父親(=義父)などは、いつもこう言っていた。
「申し訳ない」「申し訳ない」と。

 義父はラバウルで生き残った数少ない帰還兵。
「自分だけ生き残って帰ってきて、申し訳ない」という意味で、そう言っていた。
そういう人もいる。
だからみながみな、A氏のようなものの考え方をしているというわけではない。
しかし少なくないのも、事実。

●長生き

 日本人の平均余命(年齢)は、世界一という。
男性で80歳前後。
女性で86歳前後。

 もちろん長生きをすることは、すばらしい。
それはそれでよいこと。
しかしそこに「だからそれがどうしたの?」という疑問をかぶせてみると、平均余命も、そのまま
色あせてしまう。

 長生きをする……だからそれがどうしたの?、と。

 つまり長生き競争も結構だが、長生きをするならするで、そこに生きる意味を加味しなけれ
ばならない。
そうでないと、それこそ「息(いき)ている」だけで終わってしまう。
言い換えると、「息ている」だけの人生に、どれほどの意味があるというのか。
……とまあ、私たちの世代は、そう考える。
が、戦争を経験した世代は、そうではない。

 「自分だけ助かった」という思いを、「ああ、よかった」という思いに変えてしまう。
そういう思いが思考回路の基礎になっているから、「長生きしたほうが勝ち」と。
あの独特のものの考え方に、変わっていく。

 ともあれ、生と死を駆け引きに使ってはいけない。
神聖にして不可侵のテーマ。
いわんや「競争」に使ってはいけない。
A氏は、その愚かさに、死ぬまで気がつかないだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 戦中派 独特の考え方 生存競
争 生き残り競争)2011/07/31記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●もうすぐ8月1日(山荘であれこれ・雑感集)

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今、時刻は、午後10時19分。
日曜日の夜だが、山荘へやってきた。
その山荘は、薄いモヤに包まれていた。
森の冷気。
車のドアを開けると同時に、その冷気が
スーッと車の中に入ってきた。
瞬間、遠い昔、伊吹山に登ったときのことを
思い出した。
私が中学3年生のときのことだった。
理由はわからないが、その冷気が、脳のどこかで、
伊吹山とつながった。

「来てよかった」と、そのとき、そう思った。

7月31日。
あと2時間足らずで、8月に入る。

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●迷ったら、両方する

 最近は、こんなことに心がけている。
『迷ったら、両方、する』と。
実は、今朝も迷った。
「運動をしようか、それとも芝生を刈ろうか」と。
で、先に運動。
ウォーキングマシンの上で、30分、軽いジョギング。
一汗かいたあと、今度は庭へ。
刈払機で、庭の芝生を刈った。
また一汗かいた。
運動量は2倍。
体も2倍、軽くなった。

 で、夕食をとったあとも、また迷った。
「教材を作ろうか、それとも山荘へ行こうか」と。
で、先に教材作りをすませ、しばらく間をおいたあと、山荘にやってきた。

 明日は昼までに自宅に帰れば、仕事には間に合う。

●はやし浩司式、ダイエット法(2)

 いろいろなダイエット法を考える。
今回は、称して『水・ダイエット法』。

 これは食事をするとき、食事の量を半分程度に減らしながら、そのつど水を飲む。
つまり空腹感を、水で補う。
もっとも空腹感そのものは、脳の中の視床下部で感知している。
血糖値があがれば、空腹感は消える。
だから水を飲んだからといって、空腹感が消えるわけではない。
しかし胃の膨満感は、食欲中枢を満足させる。
つまり空腹感が消える(?)。

 現象的には、ほぼ正しい。
水を飲んでいると、空腹感が消える。
……ということで、このところ私は食事中、水をたくさん飲む。
1食とるごとに、1リットル程度は飲む。
たとえば回転寿司屋へ行く。
1〜2個食べるごとに、お茶か水を飲む。
コップ1杯程度、飲む。
それを繰り返していると、やがてすぐ、空腹感が消える。
消えたところで、食事をやめる。

 だからいつもなら、一食で4〜5皿食べているのが、こうすることによって、2〜3皿ですむ。
だから『水・ダイエット法』。

 もともと私は水をたくさん飲む。
夏場になると、ときには、1日、3〜4リットル(ペットボトル2本分)も飲む。
若いころから、そういう胃袋になっている。
そういう人には、このダイエット法が有効。
ただし「水太り」というのも、あるそうだ。
水を飲んだだけで、太る。

 そのせいかどうかはわからないが、昨日1日だけで、1キロも太ってしまった。
理由は、昨夜その回転寿司屋で、プラス、うどんを一杯食べたこと。
明太子と半熟卵が入っていた。
おいしかった。
それを一杯、食べてしまった。
それで1キロも太ってしまった。

●映画『トランスフォーマー』

 昨夜、映画『トランスフォーマー(3D)』を観てきた。
あらかじめあらすじを読んでいたからよかったようなものの、もし読んでいなかったら、何がな
んだか、よくわからない映画になっていたはず。
字幕の日本語も、わかりにくかった。
が、それ以上に動きが激しくて、字幕を読んでいる余裕がなかった。
「すごい映画」という点で、星は4つの、★★★★。

 で、批評。
 善玉のロボットと、悪玉のロボットを、もっとわかりやすくしてほしかった。
たとえば善玉は黄系統、悪玉は赤系統、と。
サッカーにたとえるなら、双方のチームが同じユニフォームを着ているような感じ。
それがたがいに目まぐるしく動き回る。
目が離せなかった。
そういう映画だった。

●平和主義

 宇宙人になるための第一の条件。
それが平和主義。
徹底した平和主義。
人間のように50年に一度、世界戦争を繰り返しているような生物は、ぜったいに宇宙人にな
れない。
宇宙へ飛び出し、宇宙人になる前に、自滅する。
大量破壊兵器を使って、自滅する。

 それこそ右の頬を打たれたら、左の頬を差し出す。
それくらいの平和主義をもたなければならない。
言い換えると、もし宇宙人が(そこに)いるとするなら、人間とは比較にならないほど平和主義
であるはず。
宇宙を自由に行きかう生物である。
もっている兵器も、それに比して強力なもの。
地球など、その気になれば一瞬にして消すこともできる。
そんな生物どうしが戦争をしたら、どうなるか。

 映画『トランスフォーマー』の中に出てくる宇宙生物(機械生物)は、その点、きわめて好戦的
かつ暴力的。
もしあんな生物が現実にいたら、あっという間に、自滅する。
つまり映画『トランスフォーマー』は、そういう点で、論理的に矛盾している。
まさに人間の発想に基づく映画ということになる。
言い換えると、人間には、宇宙人になる資格なし。
人間のような生物が宇宙へ飛び出したら、それこそ宇宙は、メチャメチャになってしまう。

●図説『東洋医学・基礎編』

 ワイフは今、『聖書の世界』(G社)という本を読んでいる。
冒頭に「図説」と書いてある。
それを見て、私が書いた『図説・東洋医学・基礎編』(G社)という本を思い出した。
本文中の1ページを除いて、すべて私が書いた。
その1ページには、YD氏という当時の東洋医学会の会長の署名を入れた。
YD氏はその1ページ以外、何も書いていない。
私なりの精一杯の抵抗であった。

 当時の編集長がこう言った。
「君の名前では本は売れない」「これは医学書だ。この本で患者が死んだら、君は責任を取れ
るか」と。
それでその原稿を、G社に売った。
私はその本では、「企画・構成者」になった。
私には屈辱的な出版方法だった。
そこで10年ほど前、学研に「名誉を挽回してほしい」と、出版管理室に手紙を書いた。
「名誉を挽回して、私を著者にして戻してほしい」と。

 が、簡単に却下されてしまった。
契約書が残っていた。
契約書にはさからえない。
「図説」「G社」という文字を見て、そんなことを思い出した。

 しかし、言うなれば、これも今でいう(ヤラセ)。
(インチキ)。
が、30年前の当時は、そういう形で本を出すのが、一般的だった。
無名の著者が、有名な(=権威者)の名前を借りて本を出す。
G社は、私もその1人と誤解した。

●『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)
 
 が、元原稿は残っていた。
そこで私は、さらに5年ほどかけ、新しい本を書いた。
それが『目で見る漢方診断』である。
『磯野家の謎』という本で大ヒットを飛ばした、あの飛鳥新社。
あの飛鳥新社で出してもらった。

 が、現実はきびしかった。
やはり私の名前では売れなかった。
当初、数週間は、飛ぶように売れたが、そこでストップ。
そのまま廃刊に。

 が、それから25年。
今でもその本は、中古本の世界で、7000円前後(アマゾンCOMほか)で、売買されている。
現在、その本は、全ページ、HPのほうに収録してある。
興味のある人は、ぜひ見てほしい。
黄帝内経・素問・霊枢に忠実に準拠した。
漢方のバイブルと呼ばれている本である。

 言い忘れたが、『目で見る漢方診断』が廃刊になるのを見届けて、私は東洋医学の世界から
足を洗った。
数冊の本を残して、書籍、資料、すべて処分した。

●思い出こそ、真の財産

 処分したといえば、最近、アルバムの整理をしている。
昨夜も2冊、整理した。
これにはひとつ、理由がある。

 私の父は、63歳のとき、他界している。
現在、私もその63歳。
「ああ、親父が死んだ年齢になったんだな」と、思う。
このところ、よくそう思う。
だからというわけでもないが、このところ身辺の整理を始めるようになった。
アルバムの整理もそのひとつ。

 大切な写真は、スキャナーで読み込み、動画化(スライド化)している。
それ以外は、……長男がほしいと言ったので、長男に渡した。
残った写真は、近く二男に送るつもり。
が、これにも私なりの理由がある。

 2年前、実家を売却した。
そのときのこと。
母はモノを大切にした人だった。
戦中派の人間は、共通して、みな、そうだ。
そのほとんどは、姉が持ち去っていたが、それでもかなりのモノが、残っていた。
私はアルバム類をのぞいて、それらをすべて近所の人たちに分け与えた。
道路沿いに並べ、「ご自由にお持ち帰りください」と張り紙をしたら、午前中までに、ほとんどの
モノが、消えた。

 モノはモノ。
しかしアルバムは、モノではない。
だから今、私はアルバムの整理をしている。
思い出こそ、真の財産。

●老後準備から死後準備

 老後準備は、自分でする。
今ではそれは常識。
が、さらに一歩進んで、死後準備。
死後の準備も自分でする。
そういう時代になりつつある。

 孤独死、無縁死は当たり前。
葬儀をしないで、直接火葬するケースもふえてきている。
東京都では、約30%が、直葬という。
さらに家族がいても、葬儀費用が負担できず、直葬にするケースも多いという。
家族を責めてはいけない。
それまでの介護がある。
私の住む地域(浜松市)でも、こう言う。
「親の介護も2年つづくと、兄弟姉妹もバラバラ」と。
遺産相続問題がからむと、さらにバラバラ。

 前にも書いたが、今では、本来相続権のない孫が、親をたきつけて、親の実家に対して財産
分与を求める裁判もふえている。
まだある。
今は、親が子を勘当する時代ではない。
子の方が、親との縁切りを宣言する。

 つまりこうなってくると、私たちは私たちで、自分の老後を考え、死後を考える。
その準備をする。
……するしかない。
私のいとこの中には、死に装束すら、すでに自分で用意している人がいる!

●居直り

 が、嘆くことはない。
今回の3・11大震災で、2万5000人もの人たちが亡くなった。
それを知ったとき、私は命のはかなさを、改めて思い知らされた。
かくも多くの、しかも罪のない子どもたちまで、一瞬にして、命を落とした。
そういう人たちがいることを知ると、では、「死」とは何かと、そこまで考えてしまう。
孤独死?
無縁死?
中には、家族全体で亡くなってしまった人たちもいる。
葬儀どころか、遺体もない。

 言い換えると、もともと私たちの「命」というのは、そういうもの。
そう考えれば、ずっと気が楽になる。
何を隠そう。
この私だって、孤独死どころか、無縁死するのは、100%、確実。
私の死を悲しんでくれる人すら、いないだろう。
だったら、ここは居直って生きていくしかない。
わかりやすく言えば、今日は今日。
明日は明日。
今日、できることを懸命にしておけば、明日は確実にやってくる。
それ以上、何を望むのか。
望めるのか。
人間だけが特別と思うこと自体、まちがっている。

 ありとあらゆる生物は、人知れず生まれ、人知れず死んでいく。
孤独死、無縁死、当たり前。
そのまま消えていく。
人間も、その一部に過ぎない。
 
●8月1日

 朝はヒグラシの声で目が覚めた。
しばらく耳を澄ましていると、隣でワイフがモゾモゾと動いた。
「ほら!」と声をかけると、「うん」と。

 で、それからまたひと眠り。
が、今度はトンビの声と、リスの声で目が覚めた。
トンビがピーヒョロ、ピーヒョロと鳴きながら、空を飛ぶ。
その間中、カン、カンとリスがなく。
きっとトンビがリスを捕まえたのだろう。
トンビの声は、勝ちどきを祝う、喜びの声。
リスの声は、あわれ、断末魔の叫び声。

 今は、ウグイスが鳴いている。
一見のどかな世界に見えるが、自然界ではきびしい闘いがつづいている。
ウグイスにしても、あれは縄張りを主張するために鳴いている。
けっして人間を楽しませるために鳴いているのではない。

●寒い

 山荘の朝は、寒い。
今朝もふとんをかぶって寝た。
が、それでも寒かった。

 人間というのは勝手な動物だ。
自然をさんざん破壊しておきながら、今度は「暑い」という。
暑いから、エアコンを使う。
エアコンを使うから、電力不足。
それを補うために、つぎに原子力発電所?

 その結果が今。
福島第一原発事故は、「安定している」という。
が、これはとんでもないウソ。
すでにチェルノブイリ事故の約半分程度の放射性物質が飛び散っている。
「被害」が現れてくるのは、これから。
徐々に徐々に、少しずつ。
体をむしばむガン細胞のように、やがて人体に影響が及んでくる。
汚染牛問題など、その序章にすぎない。

 が、森が残っていれば、こんなにも過ごしやすい。
山荘に住んで20年になる。
が、クーラーが必要と感じたことは、一度もない。
どこかで基本的な考え方を改めないと、地球は本当に火星のようになってしまう。

●世界情勢

 ネットでニュースを読む。
まあ、一言で言えば、世界情勢もメチャメチャ。
それもそのはず。
人口だけは、増えつづける。
70億人を突破した。
が、食糧は減ってきている。
穀物価格だけを見ても、この4、5年、2〜3倍に高騰している。

 そこでわかりやすく言えば、世界中が自国通貨を、印刷しまくっている。
日本など、まだおとなしいほう。
その結果、世界中が、お金(マネー)でジャブジャブ。
ジャブジャブの大洪水。
通貨そのものが、信認を失ってしまった。

 こんな時代に、世界大恐慌を予想しない経済学者はいない。
いたら、アホかバカ。
その第1波が、アメリカドルの「債務上限問題」。
土壇場の今日、何らかの決着が図られるはず。
しかしそれで問題が解決するわけではない。
先送りになるだけ。

 即、EU(ギリシア、スペイン)が待っている。
そのあとを、この日本が追いかけている。
中国も、あぶない。
中東も、あぶない。

 が、それとてすでに既定事実。
世界中がメチャメチャになったあと、日本はどう立ち上がるか。
立ち上がれるか。
それを日本は、国家戦略のひとつとして考える段階に入っている。

●帰り支度

 時刻は午前7時。
ワイフが帰り支度を始めている。
が、こうなると、落ち着いて文など、書いていられない。
私も支度をしなければならない。

 ……帰る前に、やるべきことがいくつか、ある。
小屋の下に、タヌキかハクビシンが住んでいる。
イタチかもしれない。
何度穴を埋めても、つぎに来ると、大きく掘り返してある。
だからイタチごっこ?

 今、どうしようかと、思案中。
どうしようか?
コンクリートのブロックで、小屋の縁の下を囲んでみよう。

はやし浩司 2011−08−01


Hiroshi Hayashi+++++++August 2011++++++はやし浩司・林浩司

●『2012年、日本経済は大崩壊する』(朝倉慶著・幻冬舎)

●私の夏休み、読書感想文

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このところのイチバンの関心事は、「経済」。
昨日は、市内の書店で、『2012年、日本経済は大崩壊する』
(朝倉慶著・幻冬舎)を買ってきた。
夜、寝る前に、後半部の3分の1ほどを読んだ。
「大崩壊」!
あるいは「大恐慌」!
どちらであるにせよ、すでに世界経済は一線を越えてしまっている。
日本経済にしても、引くに引けない状態。
暴走に暴走を重ね、最終的には「大破局」に向かってまっしぐら。

もうこれは可能性の問題ではない。
時間の問題。
私は2012年より早い段階に、そうなると思っているが、
遅れれば遅れるほど、被害は拡大する。

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●風評被害と損害賠償

 現在、東北4県の牛肉が、「出荷停止」もしくは「自粛」状態になっている。
それについて政府は、「牛の買い取り」もしくは、「損害補償」という言葉を、口にしている。
それを受けてか、昨日(8月1日)、この静岡県でも、県として、東京電力に対して、損害賠償を
請求すると言い出した。

 しかしものごとは、常識で考えたらよい。
何も損害賠償を請求することが悪いというのではない。
当然、加害者がいて、それに基づく損害が発生すれば、損害賠償の請求事案となる。
損害賠償を請求して当然。

が、端的に言えば、そんなお金(マネー)、どこにある?
東京電力は、すでに破産状態。
日本政府にすら、ない。
朝倉氏の本を読んで、私はさらにそれを確信した。

●日本のデフォルト(国家破綻)

 この3月、3・11大震災の数日前、私はすべての持ち株を売り払った。
日本国債の買い手がつくかどうか、微妙な段階に入っていた。
もしつかなければ、そのまま国家破綻。
日本経済は、まさに崖っぷちに立たされていた。
私が持ち株を売り払ったのは、私なりに「あぶない!」と感じたからである。

 そんなとき、あの3・11大震災が起きた。
日本中がひっくり返った。
が、ここで異変が起きた。
大震災の翌日、間を置かずして、日本政府は30兆円もの現金を市中にばらまいた。
それ以前から日本政府は、そのタイミングを見計らっていた。
が、アメリカに遠慮して、それができなかった。
が、あの大震災。
日本政府はまさに「このとき」とばかり、お金を市中にばらまいた。

 もちろん株価は大暴落。
が、そのため一時的にではあるにせよ、日本はデフォルトを先延ばしにすることができた。
銀行はそのお金で、国債を買い支えることができた。
平たく言えば、そういうこと。
日本経済は、今、そういう流れの中にある。
(このあたりは、私というド素人の意見なので、あまり本気にしないように! ごめん!)

●国にも、お金(マネー)がない!

 大震災の復興費用だけで、今の今でさえ、いくらかかるか、わかっていない。
40兆円以上というのがおおかたの見方だが、100兆円という説もある。
消費税を5%前後あげたくらいでは、まさに焼け石に水。
復興税にしてもそうだが、今ここで増税に走れば、それこそ日本経済の息の根を止めてしま
う。

 わかりやすく言えば、賠償金額をどの程度にするかという問題もあるが、今の日本には、そ
れを支払うお金は、ない。
ないとすれば、国債(=国の借金)の増刷しかない。
が、すでにその国債も、天文学的数字を超えている。
ならば奥の手。

 つまり人工的にハイパーインフレを引き起こし、国の借金を2分の1、さらには3分の1にす
る。
こうなると真っ先に悲鳴をあげるのが、年金族の人たち。
今まで30〜50万円(月額)の年金を受け取っていた人でも、実質、10万円程度の受取額に
なる。
あるいはそれ以下になる。
「タクシーの初乗りが、1万円」。
そうなる。

●朝倉氏の意見

 朝倉氏は、資産を現物資産、とくに金、もしくはプラチナに換えろと説く。
が、これはあまりにも常識的な意見。
それがわかっているから、金、プラチナの先物市場は、目下大暴騰中!
世界中の余剰資金が、怒濤のごとく金やプラチナの先物市場に流れ込んでいる。
こんなときに金やプラチナに手を出せば、かえって大やけどをする。
その危険性もある。
(プラチナについては、現在、やや割安感はあるが……。)

 ……というか、私のようなド素人が、手を出して利益を出せるような世界ではない。
この文を読んでいる、あなたにしてもそうだろう。
周りの世界がガタガタしてきたら、静観を決める。
とりあえず、まだみなが気がついていないことを先に読む。
読んで行動に移す。

 それに現物資産に換えるといっても、元金がなければ、どうしようもない。
現在、金(ゴールド)は、グラム4255円、プラチナは4770円。
1キロで、425万円、477万円。
金1キロで、最高級車が1台買える!

 ではどうするか……ということで、ここからが私たち庶民の発想。
とりあえず、私とワイフは、これからショッピングセンターに行く。
米(ライス)を買ってくる。
東北地方の新米が出回る前に、20キロほど調達してくる。
政府は放射線検査をすると言っているが、あまりアテにならない。
基準値以下でも、放射能は放射能。
そういった食品を複合的に摂取すれば、基準値を超える。
先週の「週刊現代」誌によれば、海産物(魚類)の中にも、基準値を超えたものが、見つかるよ
うになったという。

 汚染牛に汚染米、それに汚染魚……。
野菜だって、あぶない。
この先、それがどんどんと広がっていく。

 が、大崩壊にせよ、大恐慌にせよ、はたまた大破局にせよ、それもいつまでもつづくはずは
ない。
1〜3年のしんぼうということか。
1〜3年で落ち着く。
言い換えると、何とか、その1〜3年を生き延びる。
そのあとはそのあとで、またがんばればよい。

 朝倉氏の『2012年、日本経済は大崩壊する』を読んで、そういう感想をもった。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【思春期という反抗期】

●ああ、父親たるものは……!

 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬してい
ない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

 また「父親のようになりたくない」は、78・8%、「母親のようになりたくない」は、71・5%であ
った。

 この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた55%の子ども
の中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。

 この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

 ……という話しは、すでに何度も書いてきた。

●それから13年

 先の調査から、13年が過ぎた。
で、先ほどまで最近はどうなったか、それを調べてみた。
便利になったものだ。
ネットで検索をかければ、即座に情報を手に入れることができる。
それに内閣府(旧総理府)は、数年ごとに同じような調査を繰り返している。
そのため青少年の意識のちがいや変化を、数字として知ることができる。

 が、私が調べた範囲では、平成10年以後、同じような調査がなされた形跡がない。
だからこの調査結果を基に考えるしかない。

●繰り返される親子関係

 『子育ては本能ではなく、学習である』。
そういう視点で類推するなら、こうした意識は、つぎの世代へと連鎖していく。
つまり戦後の流れからすると、現在は、平成10年当時の調査結果より、悪化していると考えら
れる。
(それを「悪化」と言ってよいかどうかという問題もあるが……。
しかし家族というのは、たがいに尊敬しあっているほうがよい。
そういう点で、「悪化」という言葉を使った。)

●尾崎豊

 私の印象では、尾崎豊が『卒業』を歌ったのを節目に、日本の青少年の意識は大きく変わっ
た。
青少年が、自分たちより上の世代に反旗を翻した。
「親に何か言われると、ムシャクシャする」
「親にあれこれ指図されたくない」
「親の言うことは、イチイチ、うるさい」と。
直接的には、親に対し、「アンタには、関係ない」と突っぱねる。
それが「親のようになりたくない」(約80%)という答えとなって跳ね返ってくる。

 そこでそうした青少年が、今度は自分が親になる。
そしてこう覚悟する。
「私は私の親とはちがう」
「私はすばらしい家族を築く」
「よい親子関係を作る」と。

 が、現実は甘くない。
結局は、自分がしたこと(=思ったこと)と同じことを、その子どもたちが繰り返す。
子ども、つまり先の親から見れば孫たちが、こう言い出す。
「父親のようになりたくない」
「母親のようになりたくない」と。

 それを世代連鎖という。
だからこう言う。
『子育ては本能ではなく、学習』と。

●変わる青少年の世界

 ネットで検索していたら、こんな情報にヒットした。
たまたま先ほど、市内の地下街を歩いていたら、携帯電話を片手にサーッと通り抜けていった
若者(高校生くらい)がいた。
それで気になってあたりを見回すと、そこにいた若者たち、全員が片手に携帯電話をもってい
るのを知った。
10人はいただろうか。
年齢的には、10代後半から20代。
全員、である。

 それを青少年白書は、こう調査している。

『内閣府がまとめた「平成20年版青少年白書」によると、携帯電話を使ったインターネットの利
用率は、小学生27%、中学生56・3%、高校生は95・5%となっています。
もはや中高生にとっては携帯電話の通話機能よりも、インターネットやメールを使っての……』
と。

 携帯電話ではなかった。
携帯端末だった。
青少年白書は、「携帯電話ではなく携帯端末」と。
知らなかった!

 そこでたまたま近くにいた中3の女子(生徒)に聞いてみた。
「携帯電話なら、使わなければ利用料金も少なくてすむけど、携帯端末だと、そういうわけには
いかないよね」と。
するとその女子は、こう教えてくれた。
「定額料金にすれば、6000円くらい。学割があるけどね。でもね定額料金にしていない人なん
か、月に1万円くらい使っているよ」と。

 話しが脱線した。
子どもたちの世界は、日々に変化している。
話しを戻す。

●中学生たちと

 で、この話しを、中学生のクラスでしてみた。
「父親のようになりたくないが、78・8%、母親のようになりたくないが、71・5%ということだけ
ど、君たちはどうかな?」と。

 すると5人いた中学生のうち、4人が、こう言った。
「いろいろなときがあるからね。そう思うときもあるし、そうでないときもある」と。

ナルホド!

 これは、「YES/NO」で答えられるような問題ではないということか。

私「じゃあ、君たちは、お父さんを尊敬しているか?」
子「……ウ〜ン、尊敬できる面もあるし、尊敬できない面もあるよね」
子「そうだよね。好きなところもあるし、嫌いなところもある……」
私「お父さんは、うるさくないのか?」
子「うるさいから、そういうときは、『アンタには、関係ないでしょ!』と突っぱねることにしている」
と。

 となると、総理府(現在の内閣府)のした調査は何かということになってしまう。
「78・8%」という数字は、どこから出てきたのか。
もしこの数字に信頼性がおけないというのなら、それを基礎に議論を進めること自体、無意味
になってしまう。

 それに私のばあいもそうだったが、年齢とともに、親に対する考え方は変わる。
思春期における印象が、すべてというわけではない。
あるいは思春期というのは、そういうものなのか。
直接的には、親に反抗することによって、自立を目指す。

●親の立場から

 どうであれ、子どもは10歳前後(小学3年生前後)から、親離れを始める。
この時期、(家庭)という束縛から自分を解き放ち、友人との(社会)に、自分の世界を移し始め
る。

 が、ほとんどの親はそれに気づかない。
ほとんどの親は、「私はすばらしい親だ」「私は子どもたちに慕われ、尊敬されている」と思い込
んでいる。
が、これが思い込みであることは、数値の信頼性はさておき、先の「78・8%」という数字を見
てもわかる。
言い換えると、それが「ふつう」ということ。
つまり、子どもに尊敬されようと思わないこと。
思っても意味はない。

 親は親で、自分の道を行く。
中には家族主義(たいていは行きすぎた家族主義)を信奉し、「家族こそすべて」と考える人
も、いる。
「親子の太い絆こそ、何よりも大切」と。

 しかし親子というのは、皮肉なもの。
親のこうした気負いが強ければ強いほど、子どものほうはそれを負担に思う。
その負担感が、かえって、親子の間に溝を作る。
だから親は親で、自分の道を行く。
「子どものため」という義務感、犠牲心は、もたないほうがよい。
もっても、意味はない。
やるべきことはやるが、期待しない。
またそのほうが、結果的に、親子の絆は太くなる。
子どもも親を尊敬するようになる。
だからあのバートランド・ラッセルは、こう言った。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、
けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。

 繰り返し取りあげてきた言葉だが、この言葉の中に、子育ての神髄が凝縮されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 父親のようになりたくない はや
し浩司 バートランド・ラッセル)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●国民宿舎・奥浜名湖にて(8月3日)

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今日は、「国民宿舎・奥浜名湖」へやってきた。
宿泊料金も安く、ロケーションもよい。
ときどきやってくる。
息抜きには、もってこい。
そのつど、満足して帰る。

時刻は今、ちょうど午後4時を回ったところ。
夕食は6時半から。
それまでに風呂に入り、このあたりを散策するつもり。
暑いが、風がさわやか。
窓からは、遠く浜松市内が一望できる。
手前に広がるのは、もちろん浜名湖。

+++++++++++++++++++++

●旅館業

 今、旅館業は、冬の時代。
こういう時節だから、経営もたいへん。……だろうと思う。
この国民宿舎も、昨日、予約した。……できた。
「夏休みだから、だめかな?」と思っていたが、長男の部屋も含めて、2部屋取れた。
私たちが、2xx号室。
長男が、2xx号室。
隣の部屋。

 私たちのような客にはありがたい。
つまり私たちはいつも、ものごとを衝動的に決める。
計画性がない。
……というか、へたに計画を立てると、息苦しくなる。
だから衝動的。
そういう客にはありがたい。
ありがたいが、旅館の経営者にとっては、そうでないだろう。
今は、夏休み。
本来なら、子連れ客でにぎわっていても、おかしくない。

●風呂

 風呂を出たところに、1人の男性客がいた。
袋井市から来たという。
(袋井市というのは、浜松からJRで、30分くらいのところにある町。)
日帰りの入浴客。
年齢は、60歳くらい。
奥さんが出てくるのを待っていた。

 しばらく話す。
あちこちの温泉の話し。
「ここはいい、あそこはいい」と。

 私はどこの温泉へ行っても、こうしてすぐだれかと友だちになる。
私の特技のようなもの(?)。
それがまた楽しい。
たいていは、「どちらから……?」と言って話しかける。
会話は、そこから始まる。

 ところで、ここは、温泉なのか?
それともただの風呂なのか?

(宿の案内によれば、人工的に成分を加え、下呂温泉、あるいは愛媛の道後温泉と成分を同
じにしてあるとのこと。)

●悪夢

 今朝は、恐ろしい夢を4回も見た。
昨夜も、ふとんの中で、『2012年、日本経済は大崩壊する』(幻冬舎)を読んで寝た。
その前には、『超大恐慌の時代』(日本文芸社)を読んでいた。
そのせいだと思う。
ワイフがそう言った。

 「このごろあなたは、あんな本ばかり読んでいるからよ」と。

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
というのは、世界経済は、今、危機的な状況にある。
それは現実であって、推察ではない。
みな、見て見ぬフリをしているだけ。
アメリカは何とか危機を乗り越えたが、ギリシアの債務問題がある。
どこからどう考えても、ギリシアはもう救いようがない。
ゆいいつの救済法と言えば、各国銀行による債権放棄。
つまり徳政令。
借金の棒引き。
しかしそんなことをすれば、それこそEU経済は、メチャメチャ。
モラルハザードだって起こる。

が、それだけではない。
中東問題がある。
中国問題がある。
もちろんこの日本も、あぶない。

●ボケ防止

 ワイフもときどき、こう言う。
「あなたが国際経済を心配しても、しかたないでしょ」と。
教育問題にしても、そうだ。
確かにそのとおりだから、反論のしようがない。
町のオジチャンたちが、酒場で経済談義をするようなもの。
したところで、だれも相手にしない。
世の中、何も変わらない。

 で、私はそのつど、いつもこう答える。
「ボケ防止のため」と。
こうしていろいろものを考えることによって、脳の老化を防ぐ。
効果のほどはわからないが、今のところ、ボケていないところをみると、それなりに効果がある
のでは?
が、本当のところは、こうだ。

 そこに(私の知らないこと)があると、私は歯がゆくてならない。
私が知らないことがあること自体、不愉快。
これは私の性分のようなもので、どうしようもない。

 そこでそれについて調べ始める。
あとはそのまま、その(こと)について、のめり込んでいく。

 そう言えば、趣味にしてもそうだ。
若いころは、周期的に、趣味が変化した。
だいたい3〜4か月。
長くて、半年。
一通りやると、つぎの趣味へと移っていく。
こうして、私はいろいろなことをした。

 ラジコンから始まり、模型作り。
木工から、畑。
絵も描いたし、ネックレスづくりにも、挑戦した。
骨とう品や絵画を買い集めたこともある。
で、最近は、温泉巡り。
こうして数え出したら、キリがない。

 それが私ということになるが、最近、私のような人が、結構多いのを知った。
何かの雑誌で、そう書いている人もいた。
ひとつのことを長くつづけるのが、「趣味」ということになる。
しかし「いろいろなことをする」という趣味もある。
私には、そのほうが楽しい。

●辛辣な酷評

 YOUTUBEの画像について、ときどきコメントがつく。
昨日も、ついた。
読むと、「こいつのしゃべっていることは……」と。
私をさして「こいつ」とは?
かなり辛辣な言い方である。

もっとも最近の若い人たちは、こういう言葉を平気で使う。
使いながら、自分の品格を落としていることに気づかない。
つまり自分を客観的に評価する能力に乏しい。

 で、年齢を調べてみたら、16歳。
16歳の少年が、私のYOUTUBEを批評して、「こいつの……」と。

 もっともそういった批評をいちいち気にしていたら、YOUTUBEに画像など、アップできない。
即、削除。
それにかぎる。
が、今回は、相手が16歳。
私の生徒たちの年齢。
だからていねいに反論のコメントを書いてやった。
気まぐれだった。

 が、すかさず返事が届いた。
その返事の末尾には、こうあった。
「……発達障害の専門家でもない、あなたへ」と。

 つまり「発達障害の専門家でもないあなたが、偉そうなことを言うな」と。
最近の若い人たちは、一語で相手の心をグサリと突き刺す。
そういう言い方が、実にうまい。
巧み。

●発達障害の専門家?

 そのYOUTUBEは、「AD・HD児」について述べたものだった。
が、これについては、一言、申し添えたい。

 この日本でAD・HD児が話題になり始めたのは、1999年ごろ。
厚生省の委託を受けて、K大学に研究班ができたのは、2001〜2年だったと記憶している。
診断基準も、そのあと、できた。
そのころ「アスペルガー」という言葉も、聞かれるようになった。
が、それ以前はというと、AD・HD児は、教育の世界では、「活発型遅進児」(1980年代)と
か、「多動児」(1990年前後)とか、呼ばれていた。
「アスペルガー」については、その言葉すらなかった。
診断基準もなかった。
さらに最近では、自閉症についても、「スペクトラム」という言葉を使うようになった。
ここ4〜5年のことである。

 が、私は30代のころ、そういう子どもだけを集めて、指導していた。
相手によっては、毎回、レスリングをしているようなレッスンだった。
そういう経験を、学校の先生たちを相手に、説いて回った。

 が、突如として、「発達障害」という言葉が出てきた(2000年ごろ)。
「学習障害」という言葉も出てきた。
そして「専門家?」と呼ばれる人たちが、出てきた。
たいていはドクターで、数回〜10回程度の研修会(研究会)を経て、そういった看板をかかげ
るようになった。

 何もドクターにたてつくわけではないが、実際に子どもを指導したことがない人たちである。
今でこそ少なくなったが、当初はトンチンカンな診断名をつけるドクターが続出した。
赤ちゃん返りによる情緒不安症状を、自閉症と診断したドクターもいた。
が、私たちは、それに逆らうことさえできなかった。

たとえば投薬にしても、当時(2002〜7年ごろ)は、AD・HD児には、リタリンという薬を投与し
ていた。
効果も4〜5時間しかつづかない。
それにすでに2000年ごろ、アメリカではリタリンの副作用が問題になり始めていた。
脳間伝達物質をいじるときには、慎重の上に、慎重であるのが好ましい。
とくに相手が子どものばあいは、そうである。

 私はその文献を翻訳し、私のHPに載せた。
(今でもどこかに載っているはず。)

 で、ここ数年、リタリンの投与は、禁止されている。
「禁止」だぞ。
表にこそ出てきてはいないが、リタリンの投与で、どれだけ多くの薬害被害者が出たことか!

 もちろん私はドクターではない。
発達障害の専門家でもない。
だからその少年のコメントには、何も反論できない。
「偉そうなことを言うな」と言われれば、それまで。

(しかし私はそんなことでへこたれない。
これからも主張つづける!
だいたい、「専門家でないから、黙れ」という意見のほうが、おかしい。
まさに官僚的発想。
資格、認可、許可で、国民を縛りあげる。
身動きが取れないようにする。
言うまでもなく、民をして、「もの言わぬ従順な民」にするため。
一方、民は民で、「私は専門家ではないから」と言って、黙ってしまう。
しかしこれでは民主主義は、この日本には根付かない!

 自由とは、「自らに由る」こと。
何があっても、「国が……」「国が……」と言っている国民には、それがわからない。)

●幼児教育教材(雑誌)
 
 若い人たちは、日本という国は、40年前、50年前も、「今」のようだったと考えるかもしれな
い。
しかし私がこの世界に入ったときには、幼児教育の教材すらなかった。
だから私は香港やシンガポールへ行くたびに、イギリスの教材を買いあさった。
それを翻訳して、日本で使った。

 が、そのうち自分のところだけで使うのはもったいないということで、それを学研という出版社
に送りつづけた。
それがのちに、「幼児の学習」「なかよしがくしゅう」という雑誌につながった。
両誌で毎月、47〜8万部も売れた。

 編集長は斉藤洋三氏という人だった。
その斉藤洋三氏の名誉にかけて言う。
その両誌が、この日本における幼児教育雑誌(教材)の先駆けになった。
つまりこの両誌が、日本の幼児教育雑誌(教材)の幕を開いた。

 それ以前はというと、迷路と点つなぎ。
その程度の教材しかなかった。
それ以上のものは、なかった。

 その16歳の少年について言うなら、その少年の父親、母親の約50%が、私が作った教材
で勉強したはずである。
そんな少年に、「こいつ」と呼ばれる。

 今は、そういう時代なのかもしれない。
飽食とぜいたくの中で、子どもたちが自分の姿を見失ってしまっている。
そこにモノがあるのが当たり前と、そう思い込んでいる。
年配者に対する畏敬の念など、微塵もない。
 
 発達障害?
そんな言葉は、どこかの大学の教授が、外国(主にアメリカ)の文献を翻訳し、日本へもちこん
だだけ。
「害」という言葉にしても、これほど、不愉快な言葉はない。
英語では、「disable(機能できない)」という。

 ……ともあれ、今の若い人たちは、もう少し年配者に対して謙虚であったほうがよい。
否定するのは簡単なこと。
(これはグチかな?)

が、ある賢人は、こう書いた。
『若者から見れば、老人はみな、バカに見える。しかし老人から見れば、若者はみな、バカに
見える』と。
記憶によるものなので、内容は不正確。
私のHPのどこかに、その原文が載っているはず。

 そこでネットを使って、調べてみた。
2009年に書いた原稿の中に、それがあった。
「……かつてあのバーナード・ショーは、こう言った。『若者から老人をみると、老人はみな、バ
カに見えるかもしれない。しかし老人から若者をみると、若者はみな、バカにみえる』」と。

 バーナード・ショーだった!
どちらがどっちという話しではない。
若者の中にも、賢い人はいくらでもいる。
老人の中にも、バカな人はいくらでいる。

 しかし本当の意味は、それぞれの人は、それぞれの分野では賢者だが、それ以外の分野で
は、バカというのが正しい。
大切なことは、それぞれの分野で、相手の専門知識を認めあうこと。
資格とか、肩書にまどわされてはいけない。
それはそれ。
しかしそれがすべてではない。

つまり自分が知っていることを、相手が知らないからといって、バカと決めつけてはいけない。
わかりやすく言えば、若者にせよ、老人にせよ、この世の中には、バカはいないということ。

(「バカなことをする人をバカというのよ。頭じゃないのよ」(『フォレスト・ガンプ・一期一会』と。)

 ……それにしても、わずか16歳の少年にして、かくも官僚主義的なものの考え方をすると
は!
この日本が、官僚主義国家と呼ばれる所以(ゆえん)は、こんなところにもある。

●ダイエット

 風呂から戻った。
あと半時間で、食事。
が、私は目下、ダイエット中。
昨日やっと、64キロ台に戻ったところ。
ここで一人前食べたら、また65キロ台に逆戻り。

 しかしこの空腹感だけは、どうしようもない。
今、ポップコーンをほお張りながら、このエッセーを書いている。
多少なりとも血糖値をこうしてあげておけば、食欲も減衰するはず。

 さあ、これから私と私の食欲との闘いが始まる。
私の自制心が勝つか。
それとも私の食欲本能が勝つか。
それが試される。
その結果は、もう少しあとで書く。

(これからネットに接続し、Eメールをチェックする。)

●夕食

 一応、自制心のほうが、勝った。……ようだ。
全体に食事の量が少なかったことが幸いした。
終わりは、ご飯とみそ汁、それに漬物。
ご飯は、8割程度、残した。

 あとは水をたくさん飲んだ。
それで胃袋を、ごまかした。

●DVD「V」

 隣で、ワイフと長男が、DVD「V」を観ている。
宇宙人による地球侵略ビデオである。
ここへ来る前、ビデオショップで借りてきた。
すでに5〜6巻まで出ている。

 人間の顔をしているが、中身は、爬虫類に似た生物。
それが地球征服をもくろむ。
が、このビデオ、おもしろそうで、おもしろくない。
かったるいというか、ゴタクが多すぎる。
それほどまでの技術と能力があるなら、さっさと地球を征服してしまえばよい。
私は、横でそれを見ながら、そう思った。

 が、これでは評論にならない。
そこで一言。

 このビデオに出てくる宇宙人を、どこかのカルト教団に置き換えてみたらどうか。
少しずつ人間を洗脳しながら、自分の味方(=信者)に引き入れていく。
とたん、このビデオが、光り出す。

 「V」は、実は宇宙人を扱った映画ではなく、どこかのカルト教団を扱った映画。
逆に言えば、カルト教団の恐ろしさを、宇宙人に置き換えて、私たちに教えている。
そういう目で見ると、どこかバカげたSF映画が、とたんに現実味を帯びてくる。
まだ1巻しか見ていないが、そこに出てくる青年は、まさにそのカルト教団に洗脳された、狂信
的な信者そのもの。

●給料

 昨日、ワイフとこんな話しをした。
実にせこい話しだが、こういうこと。

 現在、教室の仕事をワイフに手伝ってもらっている。
それについて、ワイフが、「私は無給ね」と。
つまり給料をもらっていない、と。

私「そうだな。家族経営だからな」
ワ「他人に手伝ってもらえば、給料を払わなければならないわよ」
私「そうだなあ。25万円くらいかな。ボーナス分などを積み立てると、30万円くらいになるか
な」
ワ「だったら、その分を私に払ってほしいわ」
私「……ぼくだって、考えてみれば、無給だよ」
ワ「そうねえ」と。

 で、ワイフの結論は、こうだ。
ワイフの給料分で、こうして温泉や旅館に泊まったりする。
つまりこうして温泉や旅館に泊まるのは、ワイフの(おごり)と。

私「ぼくはね、温泉に泊まるのは、社員研修会と位置づけていた」
ワ「そんなこと、税務署は認めてくれないわよ」
私「だって、今夜だって、S社(自動車会社)の人たちが、このホテルに研修会で来ているよ。そ
れと同じだよ」
ワ「形だけでも、研修会をすればいいってこと?」
私「形だけでは、まずいだろうね。何か書類でも用意するとか……」と。

 私のような、たった1人の人間が生きていくだけでも、たいへん。
何年にもわたって、安定した収入が保証されているなら、まだよい。
それが保証されていないと、たいへん。
よい例が食堂経営。

 ある程度経営が軌道に乗ってくる。
客がふえる。
経営者は、従業員を雇う。
しばらくはそういう状態がつづく。
が、ひとたび従業員を雇うと、小回りがきかなくなる。
食堂経営は、景気の影響をモロに受ける。
景気が悪くなったとたん、給料が負担になる。
さらに景気が悪くなると、給料が払えなくなる。
経営者は自分の取り分をゼロにしても、給料を払いつづけなければならない。
が、それも限界にくる。
限界にきて、閉店。
その浮き沈み。
その繰り返し。

 中小企業も、事情は同じ。
ある会社の社長は、こう言った。
「従業員のために仕事を作るのが、社長業。仕事を作っては、従業員にそれをさせる。
一日とて気が抜けることがありません」と。
岐阜市で縫製業を経営している社長である。
私のしていることも、基本的には、それと同じ。

●10シーベルト

 ところでまたまた原発事故の話し。
できるだけこの話題には触れないようにしている。
が、いくつか気になることがある。

 そのひとつ。

福島第一原発の1号機から、高濃度の放射線が測定されたという。
その量は、「1時間当たり10シーベルト」(報道各社)と。
7シーベルト前後で、人は即死するという。
10シーベルトは、それを上回る。
が、実際には、それ以上かもしれない。
測定器の限界を超えていたという。

 が、新聞にはこうある。
「1時間、10シーベルトの放射線を浴びると、人は死ぬ」と。
つまりここが、おかしい。

 私は瞬間的であるにせよ、10シーベルトの放射線を浴びると、人は即死すると理解してい
た。
「即死」といっても、バタンとその場に倒れて死ぬわけではない。
10分後かもしれない。
1時間後かもしれない。
しかし即死は即死。
が、新聞の報道では、(おそらく保安院側の説明と考えられるが)、「1時間、浴びつづけたら」
とある。
1時間も、10シーベルトもの放射線を浴びるということが、現実にありえるだろうか。
もしこの説明が正しいとするなら、30分なら、死亡する確率は2分の1にさがることになる。
10分だけなら、6分の1にさがることになる。

 反対に、たとえ1シーベルトでも、10時間浴びれば、同じように死亡することになる?
0・1シーベルトでも、100時間浴びれば、同じように死亡することになる。
放射線量には、「しきい値」(=これ以下なら安全という数値)というのは、ない。
私が言っているのではない。
これは科学の世界での常識。

 放射線量は、(受けている放射線)x(受けている時間)で計算する。
だから、「1年間に、200ミリシーベルトなら安全」という説も、おかしい。
同じように放射線を受けつづければ、10年で、2シーベルト。
50年で、10シーベルト、……つまり致死量に達することになる。

 いったい、そのあたりはどうなっているのか?
新聞報道のように、「1時間、浴びつづけたら……」というのが正しいのか、それとも「瞬間でも
浴びたら……」が、正しいのか。

 ちなみに、筬島正夫氏のBLOGには、こうある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●放射線を短期間に全身被曝した場合の致死線量は、

5%致死線量・・・2シーベルト(2000ミリシーベルト)
50%致死線量・・・4シーベルト(4000ミリシーベルト)
100%致死線量・・・7シーベルト(7000ミリシーベルト)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ここでも「短期間」という言葉が使われている。
「短期間」とは、1分なのか?
それとも1時間なのか?
「100%の致死量」といっても、期間はどれくらいなのか。
1週間以内に死ぬということなのか。
それとも1年以内に死ぬということなのか。
あちこちのサイトを調べてみたが、明確にそれについて説明しているところはなかった。

 ただ重要なことは、それほどまでに強力な放射線が、1号機の外で観測されたということ。
つまりそこに放射性物質が、存在するということ。
言うなれば、野ざらし!
今の今も、風に乗って、周囲に飛び散っている。
想像するだけでも、ゾッとする。

●城崎(きのさき)

 話題を変えよう。
こんなことばかり考えているから、悪夢を見る。
気が晴れない。
何か楽しい話題に切り替えよう。

 ……ウ〜ン。

 楽しいと言えば、近く、城崎(きのさき・兵庫県豊岡市)へ行くことになっている。
高校生のとき、志賀直哉に傾注し、そのとき「城崎にて」という短編を読んだ。
その城崎。

 少し前、オーストラリアの友人のD君がそこへ行ってきた。
そのD君は、「すばらしいところだった」と言った。
楽しみ。
ワイフもうれしそう。

 が、もうひとつしてみたいことがある。
これも旅行だが、岐阜県の板取村から、福井県の大野市へ抜ける街道がある。
途中、グランドキャニオンにも引けを取らない渓谷がある。(これは大げさ)
一度、途中まで行ったことがあるが、落差は100〜200メートルはある。
その街道を通って、板取村から、大野市まで歩いてみたい。
かなりの距離だが、大野市まで歩くつもりはない。
福井県側へ出たら、そこからバスか何かに乗ればよい。

 目下ワイフを説得中だが、今のところよい返事はもらっていない。
それに夏場は、危険かも。
熱中症にでもなったら、たいへん。
ハチに追いかけられても、たいへん。
慎重に計画している。

●図説『聖書の世界』(学研)

 このところワイフは、毎日、『聖書の世界』(学研)という本を読みふけっている。
私もときどき目を通すが、結構、おもしろい。
キリストの生き様について書いたところも、多い。
新約聖書で読むのも、キリストの教えだが、説話や逸話を通して知るのもキリストの教え。
結構、私の人生と重なる部分もある。
それだけに親近感を覚える。

 こう言うとキリスト教徒の人たちに叱られるかもしれない。
しかし私はキリストの人間的な部分を知るたびに、ほっとした安堵感を覚える。
手の届かない神というよりは、手の届く人間。
私にはそのほうが、よっぽどキリストらしい。
少なくともキリスト自身も、私たちと同じ肉体と脳みそをもっていた。
腹も減っただろう。
のども乾いただろう。
叩かれれば、痛かっただろう。
そういうキリストである。

●荷をおろす

 考えてみれば、私は自負心だけで生きてきたような感じがする。
つまり「気負い先行型の親」。
この言葉は、私が考えた。
あちこちの原稿の中で、使った。

 しかし荷をおろせば、何でもない。
で、あるとき、気がついた。
「気負いなど、クソ食らえ」と。
とたん、気が楽になった。

 無責任になれというのではない。
必要以上に、自分を責任感で縛ってはいけない。
手を抜くときは、抜く。
ニヒルになるときは、ニヒルになる。
そういう(いいかげんさ)が、心に風穴をあける。

 が、それに気がつくのが、遅すぎた。
年齢を数えてみたら、63歳。
もうすぐ64歳。
もっと若いときから、こうして遊べばよかった。
温泉へ行ったり、旅行したり……。
ワイフも息子たちも、みな、こう言う。
「パパは、仕事ばかりしていた」と。

 まあ、それに対しては、弁解の余地はない。
事実、そうだった。
だから、この年齢になって、若いときに遊べなかった分だけ、遊ぶ。
今、こうして、国民宿舎に泊まっているのも、それ。
相手はワイフしかいないが、同時に、ワイフへの罪滅ぼしの意味あいもある。
ワイフも、私が私だから、遊べなかった。
だから今、遊ぶ。
ワイフの望むようにする。

 先ほど、2度目の入浴をすませたところ。
小さいがサウナ風呂もあった。
そこで6分間、がんばった。
乾式のサウナ風呂で、暑いだけで、汗はほとんど出なかった。

 ほどよい疲れ。
心地よい疲れ。
この年齢になってはじめて、「荷をおろす」という言葉の意味がわかった。
人は人生に疲れたら、荷をおろせばよい。
裸になればよい。
気負うことはない。
飾ることはない。
明日は明日。
明日になれば、また人生は動き始める。

 ……ということで、そろそろ就寝タイム。

 今日の反省。

(1)午前中は、体がだるく、眠かった。
(2)昼寝を1時間ほどした。
(3)夕食はほぼ1人前、食べてしまった。

明日からまたダイエット。
目標は63キロ。
たった2キロだが、その2キロが苦しい。
がんばろう!
(はやし浩司 2011−08−03)

●翌朝(8月4日)

 やはり昨夜はよく眠れなかった。
エアコンというのは、どうも私の肌に合わない。
これも慣れの問題かもしれない。
が、私には、いくら暑くても、扇風機のほうがよく眠れる。

 おかげで、午前4時起き。
今が、その時刻。
で、こういうときは、自然体。
無理に眠ろうとしても、無駄。
また眠くなったら、眠ればよい。

 その点、ワイフがうらやましい。
ワイフは、いつでも、どこでも、朝までしっかりと熟睡できる。
私のような睡眠問題(Sleeping Problem)はない。
ワイフは、睡眠時無呼吸症候群ではないかと疑っている。
私がいつも悪夢で目が覚めるのも、そのため、と。

 睡眠時無呼吸症候群……私の年齢になると、がぜん多くなる。
友人の1人は、CPAPという睡眠補助器具を使っている。
そこで調べてみる。

 「快眠への扉HP」には、診断基準として、つぎのようにある。

++++++以下、「快眠への扉HP」より++++++++

【睡眠時無呼吸症候群の症状】

 ★激しいいびきがある(はげしくはないが、いびきはある。)
 ★睡眠中の体動が激しい(私は子どものころから、そうだった。)
 ★無呼吸によって夜間の睡眠が分断化されるため、中途覚醒の頻度が
  多くなる(精神安定剤をのんで寝ると、朝まで目を覚ますことはない。)
 ★日中の眠気が強くなり、集中力の低下が認められる(血圧が常時低いから、とくに食後、
眠くなることが多い。)
 ★疲れやすい(60歳を過ぎてから、疲れやすくなったよう。)
 ★顔面のむくみがある、顔色がすぐれない(赤黒く、口唇がチアノーゼ
  状態を呈する)(それは、ない。)
 ★長期的に続くと性格的な変化も現れるという(たとえば几帳面な性格が、
  無造作で投げやりになる等)(ケースバイケースで、これについては、何とも言えない。)
 ★起床時の頭痛(ときどき、ある。)
 ★インポテンツ(ED)(年齢相応と、自分ではそう判断している。)

++++++以上、「快眠への扉HP」より++++++++ 

 肥満気味の人に、この病気の人が多いとか。
肥満があれば、まず肥満を治す。
言い換えると、肥満は万病の元。
「肥満(=油断)、大敵」?
私のばあいは、とくにそう。
ほんの少し油断しただけで、あっという間に、3〜4キロも太ってしまう。
そのため2〜3か月ごとに、肥満とダイエット。
それを、性懲りもなく繰り返している。

 今日も、運動をしよう。
運動あるのみ。
もうすぐ朝風呂が開く。
今朝はいちばん乗り!

では、「国民宿舎・奥浜名」記は、ここまで。
はやし浩司 2011−08−04朝記


Hiroshi Hayashi+++++++August 2011++++++はやし浩司・林浩司

●かくして大恐慌は始まった!(恐れず、戦おう!)

++++++++++++++++++

アメリカ株式の大暴落、それにつづく
世界各国の株式の大暴落。
予想通りとはいえ、かくして大恐慌は
始まった!

++++++++++++++++++

●常識?

 私のような経済の素人でも、「?」と思う。
ここ5〜6年、世界経済の動き方が、おかしい。
「動き」ではなく、「動き方」が、おかしい。
たとえば今回も、アメリカ政府は債務上限額を引き上げ、先延ばしであるにせよ、一旦は問題
は解決した(8月3日)。
ギリシャ問題にしても、そうだ。
ほとんどの人たち(=素人)は、「やれやれ」と胸をなで下ろしていたにちがいない。
が、その直後から株価は大暴落。
「円(yen)」にしても、円高から一気に円安に向かうものと考えていた。

 が、そうした素人の安堵感をあざ笑うかのように、すべての動きが逆に向かった。
ここに書いたように株価はさらに大暴落。
円はさらに上昇。
金(ゴールド)は、さらにさらに急上昇。

 一方、プラチナの価格がさがった理由は、私のような素人でもわかる。
資金ショートを起こした投資家たちが、プラチナを売って、現金に換えた。
ならば、金(ゴールド)も、ということになるが、それ以上に、金に対する買い圧力が強かった。
金(ゴールド)だけは、上昇した。

 ……つまり10年前の常識が、ここ5〜6年、通用しなくなった。
ふつうの常識では、こうした経済の動きが理解できなくなった。
言い換えると、私たち素人では計り知ることのできない、別の何かが動いている。
得体の知れない「力」が、その裏で動いている。
わかりやすく言えば、闇の力が、その裏で動いている。

●恐慌

 こうして大恐慌の幕は切って下ろされた。
株価は暴落、ギリシア、アイルランド、ポルトガルの国家破綻は、時間の問題。
市場は、明日(アメリカ時間:8月5日)発表されるアメリカの経済動向を注目しているという。
が、そんなことは明日にならなくても、わかる。
悪いに決まっている。
決まっているから、それを先取りする形で、アメリカ株式の大暴落が始まった。

 で、問題は、どのあたりで今回の恐慌の着地点が決まるかということ。
この日本について言うなら、いつどこで円高から円安に向かうかということ。
円安といっても、メチャメチャな円安。
そのあとをハイパーインフレが追いかけてくる。

何もそれを望むわけではないが、こんなバカげた経済運営が、いつまでもつづくわけがない。
破綻して当然。
それも早ければ早いほどよかった。
が、先送り、先送りで、今日までになってしまった。

●生活

 円安と同時に、食料価格の急上昇。
先にも書いたように、ハイパーインフレ。
今日(8月5日)も、日銀は、10兆円近い資金を市中にばらまいた。
名目上は、円高に歯止めをかけるため。
しかし10兆円程度では、焼け石に水。
本当は、30兆円〜ほどばらまきたかったのだろう。
しかしアメリカが、それに「待った!」をかけた。
「10兆円程度にしておけ!」と。

 公式にはそんなことは、どこにも書いてない。
だれも言っていない。
しかし私のような素人にでも、その程度のことなら、わかる。
今、世界中の中央銀行は、札刷り競争をしている。
もちろんアメリカもしている。
アメリカは日本が、アメリカ以上に、札刷りをするのを許さない。
許せば、自分のところが不利になる。

●物価が5倍になれば、借金は5分の1

 世界中でハイパーインフレが起きる。
可能性の問題ではない。
すでに市場は、ダブダブの大洪水。
マネー、マネーの大洪水。

 今年のはじめ、「タクシーの初乗りが1万円になる」と書いていた経済誌があった。
つまり、そうなる。
が、そうなればもっとも喜ぶのが、借金国。
アメリカや日本のような借金国。

 言うまでもなく物価が5倍になれば、借金は、実質的に5分の1になる。
もちろん庶民のもっている現金も、実質的に5分の1になる。
「私は年金が40万円もあるから、だいじょうぶ」と思っている人も、これからはその額ではとて
も足りない。
5分の1の8万円。
現在の国民年金額と変わらなくなる。

●最初に飛び出る

 大恐慌は、苦しいマラソンと同じ。
食うか食われるか。
弱音を先に吐いた方の負け。
ラストスパートで、いつ、どこが先に前に出るか。
それで勝敗が決まる。

 もちろん私は、日本が勝者になってほしいと願っている。
私は愛国者。
I love Japan!
また今から準備しておけば、それもじゅうぶん可能。
そのときこの日本は、今までの劣勢を、一気に挽回する。
それには条件がある。

★お人好しは、やめる!

 先にも書いたように、この世界は、食うか食われるか。
冷酷なようだが、(事実、冷酷だが……)、この際、お人好しは禁物。
日本は日本だけの国益を第一に考え、ラストスパートをかける。
警戒すべきは、中国。
そして韓国。
アメリカは今回の恐慌で、没落する。
ただの主要国になる。
日本はインド、ブラジルに大攻勢をかける。

●勤勉

 もっとも今は、その恐慌が始まったばかり。
1年つづくか、3年つづくか、それはわからない。
ひとつのカギを握るのが、原発問題。
その問題さえ片づけば、あとは何とかなる。

 いつの時代でもそうだが、大恐慌を最初に抜け出る国は、「勤勉な国」。
不況になったからといって、暴動が起きたり、政情が不安定になるようでは、大恐慌を乗り切る
ことはできない。
秩序が崩壊したら、おしまい。
「国」として「体(てい)」を失ったら、おしまい。
何としても、それだけは死守する。
つまり私たちがもっている最大の武器といえば、その「勤勉性」ということになる。
その勤勉性が、日本を救う。

 仮に所得が3分の1、4分の1になっても、私たちは「組織」を守る。
石にかじりついてでも、「組織」を守る。
そしてそのときがきたら、イのいちばんに、ラストスパートをかける。
前に抜き出る。

 大恐慌、おおいに結構。
私たち日本人には、それを乗り切る力がある。
今までも乗り切ってきた。
今までの世界経済のほうが、おかしい。
狂っていた。
たいした技術力も、マンパワーもない国が、武力だけで世界の上に君臨していた。
しかしそれも今回の大恐慌で、是正されるはず。

 日本も大被害を蒙ることになるが、ここは長期的な戦略を立てて、ことに臨もう。
ついに来るべき時が来た。
恐れて逃げまどうのではなく、日本人は真正面から、それと戦おう!

2011年8月5日記


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年長児に、対称図形を教えてみる】(実験教室)はやし浩司 2011−08ー05

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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【人生の密度論】(脳みそのクロック数)

8月5日

+++++++++++++++++++++++++

久しぶりに、『ニュートン』(ニュートン・プレス)
を買ってきた。
日本を代表する、すぐれた雑誌である。
「創刊30周年記念企画(後編)」と表紙にはある。
定価は1000円。
以前はもっと値段が高かったように思う。
おいそれと買えるような(?)雑誌ではなかった。

+++++++++++++++++++++++++

●137億年

2011年9月号。
「大宇宙137億年」という表紙の大見出しが気になった。
137億年!

少し前まで、宇宙の歴史は60億年と思い込んでいた。
が、この世界、つまり宇宙科学の世界は、研究が進めば
進むほど、広がっていく。
で、今は、137億年。

もっとも当初は時間も物質もない時代だから、「億年」という
言い方も、おかしいのでは?
素人の私がそう言うのは危険なこと。
しかし化学(物理学)の世界には、「1フェムト秒」という単位もある。
その「フェムト秒」については、何度も書いてきた。
10の15乗分の1秒をいう。
0・000000000000001秒!

 単なる計算上の数字を言うのではない。
今では1フェムト秒単位で化学的な変化を、観察することもできる。
そういう装置も開発された。
そこで仮に1フェムト秒を、人間社会の1秒に換算すると、人間社会の
1秒は、その10の15乗倍になる。
で、計算してみると・・・。

●1フェムト秒

 今、手元に、それを直接計算できる計算機がない。
そこで逆に計算してみる。

1日は86400秒。
それを365倍して、1年は、31536000秒。
さらに1000倍すれば、1000年は、31536000000秒。
1万年は、3153600000000秒。
3x10の13乗。
だいぶ近づいてきた。

10万年は、3x10の14乗。
100万年は、3x10の15乗。
つまりその約3分の1。
約33万年。

仮に1フェムト秒を、人間社会の1秒に換算すると、
何と、約33万年!
もし私たちが1フェムト秒を1秒にして生きることが
できたとすると、約33万年も生きることになる。
たった1秒で!

●時間

 時間というのは、そういうもの。
「数字」ではない。
生き様の問題。

 たとえば『ニュートン』誌によれば、この大宇宙は
一瞬にして誕生したという。

「1秒の1兆分の1の、その1兆分の1の、そのまた
1兆分の1秒に、宇宙は、1兆倍の、その1兆倍の、
さらにその1000万倍になった」と。

 この一瞬というところが、くせモノ。
おかしい?
宇宙誕生のころには、この大宇宙は、1フェムト秒単位、
あるいはそれ以上の単位で動いていたかもしれない。
そのことは、現在の時間が、より長くなっているか、
それともより短くなっているかを知ればわかる。
それを逆算すれば、137億年前の「時間」が、
どういうものであったかが、わかるはず。

●基本単位時間

 そこで登場するのが、「基本単位時間」。
長さの世界で言えば、「もの指し」のようなもの。
が、そういうものはあるのだろうか。
もの指しがあれば、時間の長さを相対的に測定することができる。

たとえば分子の分子運動のようなものを、基本単位時間に
するという方法もあるかもしれない。
それを基準にすれば、現在の1秒が、より長くなりつつあるのか、
それとも短くなりつつあるかが、わかる。
しかしその分子運動も、実は、時間の影響を受けている。
というか、時間のエネルギーは、分子レベルから、光速レベルまで、
ありとあらゆるものに影響を与えている。

●生きる時間

 私の脳みそでは、ここまでしか考えられない。
しかしこういうことは言える。
ぐんと話しは哲学的になるが、こういうこと。

 もし私たちが、今の時間を2倍にして生きれば、人生の長さも
2倍になるということ。
そうでなければ、そうでない。

 たとえばダラダラとだらしない人生を送れば、人生の長さは、
2分の1になるかもしれない。
10分の1になるかもしれない。

 しかし当の本人が、それに気づくことはない。
2倍にして生きている人にとっても、1年は1年。
10分の1にして生きている人にとっても、1年は1年。
2倍という実感を得ることは、むずかしい。
同じように、10分の1という実感を得ることはむずかしい。

●脳のクロック数

 ご存知のように、コンピューターは、CPU(中央演算装置)に
よって、性能が決まる。
1秒間に何回計算するかで、性能が決まる。

 私が35年前に買った、PET2001(コモドール社製)の
パソコンは、簡単な二次曲線を描くだけで、1分ほどかかった。
が、今は、瞬時に3Dの画像を、映画のように描いてみせる。
CPUの速度が速ければ速いほど、その分だけ、1秒なら1秒を
長く使うことになる。

 つまりこういう考え方を、脳のCPUに当てはめて考えることは
できないか。

●脳のCPU

最近の研究によれば、脳の中にもCPUに似た部分があることが
わかってきた。
視床下部の下あたりにあるらしい。
そこから連続的な信号が発せられ、それに基づいて脳の機能が
制御される。
で、ここからが私の仮説だが、こういうこと。

 若いときほど、脳のクロック数は速く、年を取れば取るほど、
脳のクロック数は遅くなる。
このことは、幼児を見ていると、よくわかる。
幼児のもつ脳みそのクロック数は、おとなのそれより、はるかに速い。
速いから、おとなのクロック数を基準にして、ものを教えよう
としても、すぐ飽きてしまう。

 だから幼児を教えるときは、幼児のクロック数に合わせて、
教えなければならない。
テンポを速くし、リズミカルに教える。
さらにこんなことも言える。

●頭の回転数

 若いときに感ずる1年と、年を取ってから感ずる1年には、
大きな差がある。
これはおおかたの人たちが経験していることである。
年を取れば取るほど、1週間、1か月、1年の過ぎていくのが
速く感ずる。
さらに青春時代の10年と、50代の10年とでは、明らかに
ちがう。

 青春時代の10年間には、思い出がぎっしりと詰まっている。
50代の10年間には、思い出という思い出が、ほとんどない?
しかし青年にも、また老人にも、1年は1年として過ぎていく。
そのちがいは、何によってもたらされるかといえば、言うまでもなく、
脳のクロック数の問題ということになる。
わかりやすく言えば、「頭の回転数」。

●測定方法

 が、それを知る方法はあるのか。
脳のクロック数を知る方法はあるのか。

 私はひとつの方法として、会話の速度をあげる。
このことは、私が若いころ、気がついた。

 当時、大平正芳(1910〜1980)という人がいた。
元総理大臣である。
あの首相は、いつも、つぎのような話し方をしていた。

「・・・エ〜、アノ〜、つまり、ア〜、日本の〜、オ〜
政治とオ〜、いうものわア〜 で、ございます」と。

 脳に血栓性の梗塞があったのかもしれない。
今にして思えば、そう思える。
そのあとすぐ大平首相は、心筋梗塞か脳梗塞で亡くなっている。
「私なら数秒で言えることを、1分もかかっている」と、
当時の私は、そう感じた。

 話し方が遅いから、脳のクロック数も遅いということには
ならないかもしれない。
しかし話し方の速度を測定すれば、その人の脳のクロック数を
ある程度、測定できるのではないか。

 もちろん脳の中でもその部分だけが特異に発達している人もいるだろう。
老人でもペラペラと早口でしゃべる人は多い。
反対に沈思黙考型の人は、当然、話す速度が遅くなる。
アルコール中毒やヘビースモーカーの人などは、独特のかったるい話し
方をする。
また最近の研究によれば、女性のばあい、言語中枢が右脳にもあることが
わかってきた。
「女性はおしゃべり」という現象を説明する、ひとつの理由になっている。

 いろいろな影響を受けることは事実。
が、総合してみれば、若い人は話し方が速い。
老人は遅い。
そこに一次関数的な連続性があることは事実。
つまりそれを手がかりにして、脳のクロック数を調べるという方法も
あるかもしれない。

●最後に

もし脳のクロック数という考え方が証明され、かつクロック数を
速くする方法が見つかれば、その人は、今の人生を、2倍とか3倍に
して生きることができる。

 生きる時間は同じでも、中身を2倍とか3倍にすることができる。
実感として、自分の人生を2倍とか3倍にして生きることができる。
それは可能なのか。
私自身は、不可能ではないと考える。

 その反対の例として、緩慢動作が特徴な子どもがいる。
障害児という範囲の子どもではないが、何をするにも、動作が鈍い。
とっさの判断や、とっさの行動をするのが苦手。
脳の機能障害のひとつと考えられるが、定型化されているわけではない。
もちろん診断基準もない。
治療法も確立されていない。
しかし「いる」のは、事実。

 そういう子どもを見ていると、脳のクロック数が遅いのでないかと
思われる。
もし私のこの推論が正しいとするなら、反対にクロック数をあげる
ことも可能ということになる。
とんでもない推論に思う人もいるかもしれないが、何も薬物に頼る
必要はない。
「人生」というのは、「生き様」の問題。
日常的な生活態度や、訓練によって、速くすることは可能。

・・・ということで、結論を言えば、ダラダラとその日、その日を
無益に生きるのも人生。
一瞬一秒を惜しんで、キビキビと生きるのも、これまた人生。
同じ10年でも、1年にようにして生きてしまう人もいれば、
100年のようにして生きる人もいる。
だから「生き様」の問題。

 『ニュートン』誌を読みながら、私は別の脳みそで、そんなことを
考えた。

宇宙の話しはそういう意味で、たいへんおもしろい。
私はそういう話が好き。
想像力がかぎりなく、私の住む世界を広くしていく。

では・・・。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 脳のクロック数 脳みそのクロック数 脳のクロック数理論 脳の回転速度 視床
下部 はやし浩司 クロック数の測定 脳の速度 信号伝達速度 時間 はやし浩司 脳の信
号伝達速度 仮説 脳の回転速度 フェムト秒 時間とは 生き様)


Hiroshi Hayashi++++++Aug 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●8月6日(今日、ありのまま)

++++++++++++++++++

山荘を建てるとき、手伝ってくれた人がいた。
KWさんという人だった。
私より20歳も年上で、そのときすでに
60歳を超えていた。

年齢も年齢だからということで、毎日では
なかった。
体の調子のよいときだけを見計らって、週に
数日、手伝ってもらった。

そうして6年。
山荘の土地は、完成した。

で、久しぶりに、KWさんの話しを聞いた。
KWさんの近くに、農家の人たちが集まって
開く、青空市がある。
そこで「KWさんは、元気?」と聞いた。
が、レジの女性はこう言った。

「KWさんは、昨年(2010)の暮れ、
亡くなりましたよ」と。

++++++++++++++++++

●夢

 家に帰って、昼寝をした。
このところそれが日課になっている。
その昼寝で目を覚ますとき、こんな夢を見た。

 それまであちこちを旅行していた。
電車に乗ったようだが、その部分はよく覚えていない。
が、気がついてみると、私は美濃の実家へ来ていた。
実家の居間で、赤い飛行機を手にしていた。
ゴム動力で飛ぶ飛行機だった。
私はそれをもって、外に飛ばしに行こうと考えていた。

 で、通路を通って、店のほうへ行くと、そこに
兄が座っていた。
ニコニコと笑っていた。
私はそれを見て、兄に、こう聞いた。

「これは夢? それとも現実?」と。
するとその向こうに母が立っていて、こう言った。
「もちろん夢だよ」と。

 そこで私はこう切り返した。
とても夢には思えなかった。
「じゃあ、道路で裸で踊っても、だれも笑わないのか」と。
すると母がまた答えた。
「だれも笑わないよ」と。

 私はゆっくりと兄の体に手を回した。
兄も私の体に手を回してくれた。
私は兄に、こう言った。
「ぼくは、ずっとさみしかったよ」と。
とたん、夢の中で私は涙をこぼした。
と、同時に、目が覚めた。

 横を見ると、ワイフも眠っていた。
私はワイフに悟られないよう、静かに泣いた。
目頭に涙が数滴たまった。

 さみしかった。
生きていること自体が、さみしかった。

●KWさん

 昨年の終わりごろ、KWさんに会ったことがある。
脳梗塞を患い、そのときは、大きなマッサージチェアに座っていた。
週に何回かは、デイサービスを受けているということだった。
顔を合わせると、こう言った。

「こんなになっちゃってねえ」と。

 そのKWさんには、悲しい思い出がある。
KWさんは、そう言って、こんな話しをしてくれた。

 KWさんには、1人の娘さんがいた。
その娘さんが、24歳のときのこと。
いつものように、「これから仕事に行ってくる」と家を出た。
が、元気な姿を見たのは、それが最後だった。
その日のうちに、娘さんは、仕事場で急死。
夕方には遺体で、家に戻ってきた。
あまりにも急な死だった。

 KWさんは、いつもそこまでしか私に話してくれなかった。
私も、それ以上のことは、聞かなかった。
ただKWさんは、こう言った。

 「死んだ娘ほど、いい娘とは言いますがね、本当に親思いのいい娘でした」と。

 ときどきKWさんは、娘さんの話しをしてくれた。
が、話しの内容はいつも、同じ。
そこまで。
いつかもっと話してくれるかなと思っていたが、KWさんは、それ以上のことは
話してくれなかった。

 そのKWさんが、亡くなっていた。
知らなかった。
10年ほど前、膵臓ガンを患ったという話しを聞いた。
が、青空市のレジの女性は、梗塞による、臓器不全が原因で亡くなったと話して
くれた。

 私とワイフは、そこから歩いてKWさんの家に行った。
家は留守だったが、離れようとすると、息子さんの嫁さんが畑のほうから出てきた。
私は悔やみの言葉を伝えた。
とたん、涙がこぼれた。
熱い涙だった。

 嫁さんは、別れ際、こう言った。
「今年は初盆です。13日からします」と。

●処分

 このところ私にとって大切な人が、つぎつぎと亡くなっていく。
さみしいというより、心細い。
自分だけが取り残されていくよう。

 ただどうか誤解しないでほしい。
私はもう死ぬのは、こわくない。
去年のはじめ、それを経験した。
激しい後頭痛を感じ、床に倒れたとき、こう思った。
「ああ、これで死ねる」と。
自分でも信じられないほど、穏やかで、冷静だった。

 ときどき神経痛の発作に襲われるが、そのときは格別だった。
それにたいていは夜中だが、そのときは、廊下を歩いているときだった。
あれほど死を恐れていた私だったが、いざ、そのときになってみると、
「ああ、これで死ねる」と。

 恐怖感はほとんどなかった。
いや、まったくなかった。
だから今、ときどき人に、こう言う。
「死の瞬間というのは、何もこわくないですよ」と。

 ……つまり、私も私なりに、死の覚悟をし始めている。
話しを聞くと、どうやらワイフもそうらしい。
それもあって、先週からアルバムの整理を始めた。
アルバムから写真を抜き取り、それを息子たちに分け与える。
その準備を始めた。
とくにアメリカに住む二男は、何かにつけ、さみしい思いをしていることだろう。
その気持ちは、よくわかる。
私もこの浜松で、同じような思いをした。
で、メールで、「近く写真を送る」と連絡した。
今のところ、返事はないが、私の方で勝手に送る。

 ……ということで、ここ1年、家の中がすっきりしてきた。
飾り物などの小物は、子どもたち(生徒)に、どんどんと分け与えている。
今まで買い集めたみやげや、もらったみやげなど。
そのうち家の中は、からっぽになるだろう。
が、そのとき同時に、私もこの世を去ればよい。

 たいした人生ではなかったが、思う存分、自由に生きた。
ほかの人たちのことは知らないが、思い残すことは、もうない。
(少しはあるが、ほとんど、ない。)
息子たちも含めて、あとの人たちは、あとの人たちで、勝手に生きていけばよい。
成功組か失敗組かと聞かれれば、私は失敗組。
が、たいした不幸も経験せず、この年齢まで健康で過ごせた。
それについては、感謝している。
「運がよかった」と感謝している。

●原爆記念日

 8月6日。
広島に原爆が落ちた日。
KWさんの死去を知り、今日は一日中、さみしかった。
何をしても、さみしかった。

 夕方遅く、ワイフと長男と3人で、近くのマックへハンバーガーを
食べに行った。
そのときも、さみしかった。
今日は、そういう一日だった。
こういうときは、安定剤でものんで、早めに床に就いたほうがよい。

 日記、おしまい!
みなさん、おやすみなさい!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●8月7日(日曜日)「金こそ、すべて」(恐慌に備えて……)

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ヤフーニュースのトップには、こうある。

『G7緊急電話会議開催か=関係筋

 関係筋が7日明らかにしたところによると、
先進7カ国(G7)の財務相・中央銀行総裁による
緊急電話会議が始まったもようだ』と。

この(あわてぶり)が、現在の経済危機を表象している。

++++++++++++++++++++++++++

●不思議なほどに平和な世界

 まるで何ごともないかのように、窓の外ではセミが鳴いている。
真っ青な空。
深々とした緑の色。
そのコントラストがまばゆいほどに、美しい。
が、この不思議なほどに平和な世界は、いったい何なのか?
どうとらえたらよいのか?
そう、今、世界は大激動の真っ直中にある。
 
●限界

 基本的には、お金(マネー)の奪いあい。
が、アメリカにしても、EUにしても、そしてこの日本にしても、お金には困らない。
必要となったら、印刷機を回せばよい。
回しても回しても、世界の人たちは、そのお金をほしがる。
……というのが、今までの図式だった。
が、それが限界を超えた。
度を越した。

●経済破綻

 ギリシアやアイルランドは、とっくの昔に破綻状態。
それがスペインやイタリアに波及しそうな気配になってきた。
が、スペインやイタリアが破綻したら、どうなるか?
経済規模がちがだけに、EU全体に与える破壊力は、桁違いに大きい。
が、それだけではない。
その上を行くのがアメリカ。

 天文学的数字の額のドルを印刷しておきながら、さらに増刷につづく増刷。
ここ1、2年、さらにその額が二次曲線的に急上昇している。
「上限案」もそのために生まれたが、その上限もすでに軽く突破。
もちろんこの日本も、あぶない。
どうあぶないかは、すでに、みなさん、ご存知のとおり。

●水とパン

 人は、パンと水のみで生きるものではない。
それはわかるが、パンと水がなければ、生きていくことはできない。
が、世界人口はふえつづけている。
すでに70億人!
ほんの少し前まで、60億人と思っていたが、もう70億人。

が、世界の穀物生産にも限界がある。
すでに世界の穀物価格は、過去3年間だけをみても、
すでに3倍近くにまではねあがっている。

たとえば、大豆価格……08年比で、2・6倍
小麦価格……08年比で、2・3倍
とうもろこし価格……08年比で、3・1倍。
(農林水産省調べ・MMF・2010)

 世界中の人が、その「パン」を求めて、熾烈なまでの闘争を繰り返している。
それが今回の大恐慌の元凶と考えてよい。

●100分の1

 今朝の新聞は、「週明けから、市場は波乱含み」と書いている。
株価の大暴落、円の急騰などをさしたもの。
言い換えると、世界中が、カオス(chaos=大混乱)状態になる。

(1)みなさんは、銀行預金を、1000万円以内に収めたか?
(2)みなさんは、余剰資金をできるだけ現物資産(貴金属)に交換したか?
(3)みなさんは、株式投資、債券投資から手を引いたか?

 もしそうなら、それでよし。
そうでないなら、大損害に備えるべし。
「一般投資家の95%は、すでに損をしている」という。

私の知人は、あのリーマンショックのとき、1億円の資産(株資産)を、1000万円にしてしまっ
た。
「S」という名前の会社だった。
で、相談があったので、「10分の1でもよいから、損切りをしなさい」と忠告した。
が、それに従わなかった。
そのあとも株価は下落しつづけ、結局は、それが100万円になってしまった。
つまり100分の1!

 その知人は、その数か月後、50年つづけた洋品店を閉めた。
そればかりか、精神状態までおかしくなってしまった。

(たった今、その「S」という会社の株価を調べようとしてみたが、その会社はすでに倒産してい
た。2011年8月。)

●二番底

 「自業自得」という言葉がある。
しかし素人が投資に手を出して成功する確率は、5%もない。
今ではプロは、1000分の1秒単位で、取り引きをする。
そんなプロを相手にして、勝てるわけがない。

 だから大損をしても、自業自得ということになる。
あの絶対安心株と言われた「東京電力」にしても、いくら震災が原因とはいえ、2100円から、
一時は200円程度まで値をさげている。
現在は410円。
それでも5分の1!

 「退職金で東京電力株」というのが、関東地方では半ば常識だった。
私が書いたこのエッセーを読んで、「自業自得とは何だ! あの林(=私)め!」と怒っている
人も多いはず。
が、ここで終わったわけではない。
「二番底」は、明日(8日)から始まる。

●金こそ、すべて

 私は、自由主義貿易体制を否定する者ではない。
しかしそれと「資本主義体制」とは、切り離して考えた方がよい。
「どう切り離すか」と問われそうだが、資本主義体制は、基本的には「欲望」のカタマリ。
ドス黒い欲望が、その下で渦を巻いている。
わかりやすく言えば、いくら利潤の追求をもくろんでも、欲望の奴隷になってはいけない。
どこかで一線を引く。
でないと、「Money is Everything(金こそすべて)」となってしまう。

 資本家の話しではない。
そこらの商店主ですら、守銭奴になり、「金こそすべて」と考えている人は、いくらでもいる。

●ここは覚悟!

 ともかくも嵐はやってきた。
が、突然、やってきたわけではない。
すでに何か月も前から、(あるいは昨年あたりから)、予想されていたこと。

 が、日本人というのは、おめでたい。
集団的楽観主義が、国是にもなっている。
「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」と。
「もの言わぬ従順な民意識」が、骨のズイまでしみこんでいる。

だから嵐がやってきても、アタフタとするだけ。
行く道を見失い、オタオタするだけ。
が、もちろん、これではいけない。
自分で考え、自分で行動する。
この嵐の中で生き抜くには、これしかない。

 仕事がなくなったら、リヤカーでも引いて、行商すればよい。
事実、私はそうしたぞ。
浜松へ来たころ、地元の画家の絵をリヤカーに積んで、住宅街で売って歩いたぞ。

 仕事がなくなったら、電柱に、張り紙でもして内職をすればよい。
事実、私はそうしたぞ。
結婚したころ、ワイフと2人で、「翻訳します」という小さな張り紙を張って歩いたぞ。

●相変わらず……

 相変わらず窓の外には、のどかな景色が広がっている。
先ほど餌をまいたあたりには、スズメたちが集まっている。
キジバトもやってきた。

 その向こうでは、小さな畑の野菜の葉がゆっくりと揺れている。
肥料を多めに施したせいか、どの野菜の葉も、今年は巨大化している。
ナスの葉にしても、まるでウチワのよう。
それがユサユサと揺れている。

 人間界のカオスなど、どこ吹く風。
それが不自然なまでに現実離れしている。
しかしこれが現実。
まぎれもない現実。
何も変わっていない。
私たちは、それを信じればよい。
それを信じて、明日に向かって歩けばよい。
この先、何があっても、動じない。
この真っ青な空、深々とした緑の木々のように……。
2011/08/07記


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●湯谷温泉・「湯の風HAZU」(愛知県湯谷温泉郷)

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愛知県の東端に、湯谷温泉という温泉郷がある。
その温泉郷で、一押しの旅館といえば、「湯の風HAZU」。
温泉よし、料理よし、眺望よし。
部屋もゆったりと広く、両腕を伸ばして、のんびりできる。
(実際に、両腕を伸ばすわけではないが・・・。)
料金も1人一泊、1万円〜1万3000円程度(平日)。

もう何度か来たことがあるが、そのつど大満足。
渓谷の宿として、星は3つの、★★★。

(ただしそれなりにやや老朽化した旅館であることは事実。
内風呂のタイルは、何枚か剥げ落ちていた。
ベランダの柵などのペンキが随所ではがれて、サビが表に出ていた。
大浴場のコックの一つは、故障していて、湯が出なかった、などなど。)

露天風呂で知り合った男性は、愛知県の春日井(かすがい)から来ていた。
今日(日曜日)はこの宿で一泊。
明日は浜松で仕事をし、午後にまた春日井まで戻るとのこと。
そういう利用の仕方もある。

+++++++++++++++++++++++

●湯谷駅(飯田線)

 夕食後、湯谷温泉駅まで歩いた。
今夜はそこで、「湯谷・夜祭り」があるという。
時刻は薄暗くなりかけた、午後6時30分。
宿で、300円の利用券を2枚くれた。
それをもって出かけた。

 湯谷温泉といっても、半数以上の旅館が店を閉じている。
今はさみしい温泉街。
そういう温泉街でも、たくましく生き残っている宿がいくつかある。
そういった宿は、どれも本気。
「はづ別館」「泉山閣」など。
本物だから、生き残った。
清らかな渓流を楽しみたいという人には、最適。

●山・旅館

 私はもともと山育ち。
だからこういう温泉街へ来ると、スーッとその世界に入ってしまう。
安堵感を覚える。
安心感?
郷愁?
ここは遠い昔、母が生まれ育った、岐阜の山。

 一方、ワイフは、海育ち。
海の見える旅館を好む。
旅館というより、ホテル。
だからできるだけ交互に、こうした旅館へやってくる。
海・ホテルに泊まったら、つぎは、山・旅館、と。
今回は、山・旅館。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/meV65mctaSg?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●料金

 旅館やホテルのよさは、料金と照らし合わせて、決まる。
高級旅館もあれば、そうでないのもある。
料金の安い旅館に泊まり、「サービスが悪い」とか、「料理が悪い」とか、
そんな勝手なことを、言ってはいけない。

 そこで私なりの公式を考えてみた。

(総合評価)÷(料金)=(評価)

 今回は、ジャランの格安コースというのを利用させてもらった。
ふだんなら、1万2000円(1名1泊)のところを、1万0500円。
だから(総合評価)÷1・05で、評価が決まる。

 また総合評価は、つぎの5つで決まる。
(点数は、それぞれ、0〜2点で評価)

(1)環境(眺望)
(2)温泉(風呂)
(3)料理
(4)部屋
(5)その他のサービス

 この公式で計算してみると、最近泊まったKMホテル(愛知県刈谷)は、こうなる。

★KMホテル(ビジネスホテル)

(1)環境(眺望)……0
(2)温泉(風呂)……0(なし)
(3)料理……0(簡単な朝食のみ)
(4)部屋……1・5
(5)その他のサービス……0(なし)

1・5÷0・6=2・5
つまり星は、2つか3つの、★★

★国民宿舎OK

(1)環境(眺望)……1・5
(2)温泉(風呂)……1
(3)料理……1
(4)部屋……1
(5)その他のサービス……1

5・5÷0・9=6・1
つまり星は、5つの、★★★★★

では、湯の風HAZUはどうか

 ……やはり評価はやめておく。
ブラックリストに載ったら、次回、宿泊できなくなる。

●渋川温泉

 で、若いころは、浜松の奥にある、渋川温泉というところへ、よく行った。
山の中の一軒宿。
オーストラリアから友人が来ると、いつもそこへ案内した。
で、その旅館に、イチロー、つまりあのプロ野球選手のイチローがやってきたという。
イチローが絶頂期のころのことだった。

 その直後、私たちも泊まった。
が、うわさは本当だった。
ただ宿の主人も気がつかないほど、こっそりとやってきて、こっそりと帰っていったという。
その話しを聞いて、「なるほどな」と、私は思った。
「ああいう人だから、こういう旅館に泊まるんだ」と。

 が、今はその渋川温泉も、名前を残すだけとなった。

●Aさん親子

 湯谷温泉で、Aさん親子と会った。
偶然中の偶然。
「よく似た子どもがいるなあ」と思ってながめていたら、A君だった。
その横に、Aさん(母親)が立っていた。

 しばらく話す。
「ここへはよく来ます」とAさん。
が、ときどきこういうことがある。
人口80万人。
そんな都会だが、思わぬところで、思わぬ知人に会う。
最近は、そういうことが多くなった。

 Aさん(母親)自身も、私の教え子。
Aさんは、市内の総合病院で勤務医をしている。
そのAさんの2人の子ども(姉と弟)も、今、私の教室に通ってきている。

 銃を使った商品落としをやった。
いちばん大きなピストルをねらったが、当たっても、ビクともしなかった。
倒れたら、それをA君にプレゼントするつもりだった。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/IoIIgDAeGYI?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●和太鼓

 湯谷温泉駅の前で、和太鼓ショーが始まった。
太鼓のもつ迫力には、いつも驚かされる。
今回も驚いた。

 日本にも無数の伝統的文化がある。
和太鼓も、そのひとつ。
世界に誇れる、伝統的文化。
オーストラリア人が耳にしたら、ひっくり返って感動するだろう。
いつだったかニュージーランドの、マオリ族のダンスを見たことがある。
あのときもその迫力に感動したが、和太鼓とは比べ物にならない。
和太鼓1個で、マオリ族10人は、倒せる。
2個で、30人は、倒せる。

 ワシントンのホワイトハウスの前で演奏してやったらよい。
大統領も腰を抜かすにちがいない。
演奏の一部は、ビデオカメラに収めた。
家に帰ったら、YOUTUBEにUPするつもり。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/BrBHPODCHMA?
hl=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●豪雨

 書き忘れたが、浜松市を出て、愛知県の県境を越えたところで、雨が降り出した。
ものすごい雨だった。
はじめは「これで洗車しなくてすむ」とのんきに構えていたが、そのうち前も見えないほどのドシ
ャ降りになった。
ワイフは温泉を心配した。
私は「かえって楽しみ」と答えた。

 雨の日に露天風呂に入るのは、これまた格別。
風情があって楽しい。
事実、宿へ着くと、いつもの景色とは違っていた。
山々の木々が水墨画のように、雨煙の中にかすんで見えた。
それを見て、ワイフはこう言った。
「すてきね」と。

 私もしばし、その景色に見とれた。

●温泉

 どこの温泉でもそうだが、温泉というのは、2度、3度と足を運んで、それでよさがわかる。
中には「2度とごめん」というのもある。
が、2度、3度と足を運ぶうち、体がその温泉になじんでくる。
リラックスできるようになる。

 人間関係と似ている。
初対面だと、何かと気を遣う。
何年かつきあうと、その気遣いが取れる。
温泉のばあいも、何回か通ううちに、その気遣いが取れる。
その温泉のよさがわかるようになるのは、そのあと。
まず体が慣れる。
ついで心が慣れる。
ほっとするような安堵感。
それを覚えるようになる。

●日本の文化

 日本の温泉旅館は、日本の文化。
欧米には、日本の温泉旅館と比較できるようなものは、ない。
あえて言うなら、サナトリウム(保養所)というのがある。
しかしサナトリウムにしても、治療が目的。
温泉を利用したところもあるが、日本の温泉とは、明らかに趣を異にする。

 そのため日本の温泉旅館は、日本びいきの外国人には、人気がある。
もう10年前のことだが、年に何回も日本へやってきたオーストラリアの友人がいた。
しかもどこが気にいったのが、青森県の端にあるひなびた温泉地。
日本へ来るたびに、そこまで足を運んだ。

●ファイルのコピー

 温泉の話しばかりを、書いた。
話題を変える。

 ここへ来るとき、コンビニでパソコン雑誌を1冊、買った。
今回は、「日経PC21」。
USBメモリーの使い方を特集していた。
それには理由がある。

 恩師の田丸先生から、2日前、メールを受け取った。
件名には、「困ったことになりました」とあった。
読むと、先生が使っているホームページのファイルが消えてしまったということらしい。
そのため、先生は真っ青になった(?)。
私も何度か、経験している。
ファイルが消えたときの恐ろしさは、言葉では表現できない。
まさに「真っ青!」。

(そう言えば、パソコンの世界では、致命的な故障が起こると、画面がブルーになる。
称して「ブルー画面」。
ブルー画面が出たら、そのパソコンは臨終と思ってよい。)

 で、私は先生のHPの原稿をすべて吸い出した。
コピーし、別のHPに張りつけた。
作業には、1時間ほどかかった。

 ・・・という失敗は、多い。
つまり何らかの拍子に、ファイルがどこかへ消えてしまう。
そういうことはよくある。
だから重要なファイルは、二重、三重のコピーを取っておく。
これはこの世界の常識。
が、先生は、それをしていなかった(?)。

 で、そのコピーの仕方には、いろいろある。
私のばあい、手動でそのつど、別のハードディスクにコピーを取っておく。
WINDOW7には、自動バックアップという機能もついているが、これだと不必要なファイルまで
コピーしてしまう。
そのため、いらぬところで、いらぬ時間がかかってしまう。
コンピュータの動きが、突然鈍くなってしまったりする。
だから私は利用していない。

 簡単にコピーを考えるなら、USBメモリーを使うのがよい。
その方法が、「日経PC21」に、載っていた。

●景気

 が、やはり気になるのは、明日からの国際経済。
今や、日本の景気は、どん底中のどん底。
今回(先週)も、日銀は、10兆円〜15兆円近い、お金をバラまいた。
しかし笛吹けども、踊らず。
結局、そういうお金は銀行を経由し、国債購入という形で、再び日銀に還流される。
が、これでは景気はよくならない。

 内需・・・つまり、お金というのは、使ってこそ、生きる。
例をあげて、説明してみよう。

●内需

 ある客が100万円の電気製品を買ったとする。
その100万円は電気店に支払われる。

(1)電気店は、そのうちの20万円(1)を取り分として、80万円を卸業者に渡す。
(2)卸業者は、そのうちの20万円(2)を取り分として、60万円を製造会社に渡す。
(3)製造業者は、そのうちの20万円(3)を取り分として、40万円を、原材料会社に渡す。
(4)原材料会社は、そのうちの20万円(4)を取り分として、20万円を、鉱山会社(商社)に渡
す。
(5)それぞれの段階で、それぞれの20万円(5)は、社員の給料として、社員に支払われる。
(6)社員は、そのお金で、食料を買ったり、衣服を買ったりする。

 つまり直接的に動いたのは、100万円だけかもしれない。
しかしその100万円は、連鎖的に(買い手)→(鉱山会社)へと、段階的につながり、(1)〜
(5)と、合計すると、100万円分、移動することになる。
電気製品を購入した最初の客と合わせると、計200万円が動いたことになる。
実際には、それぞれの段階で、社員が給料として受け取り、それを使うので、3〜4倍のお金
が市中を動くことになる。

 これが内需である。
言い換えると、タンス預金が、いかに積み深いものであるか、これでわかるはず。
銀行にしても、本来なら、そのお金を投資してこそ、お金を生かすことができる。
が、それで国債を購入してしまえば、タンス預金と同じ。
死に金になる。

 今、日本中が、上(銀行)も下(庶民)も、その死に金づくりに奔走している。
「先が見えない」という不安感が、そうさせている。

●大地震

 もうひとつ気がかりなのは、大地震。
途中を飛ばして話すと、つまりこういうこと。

 東海地方から四国に及ぶ範囲で、近く大地震が起こるかもしれないという。
3・11大震災と同規模か、それ以上の規模の地震になるかもしれないという。
今朝の中日新聞にも、そんな記事が載っていた。

 が、これは予測でも、予言でもない。
過去に幾度となく繰りかえされた、地球の地殻変動。
それが何百年ごとに、繰りかえされる。
その時期が迫っているという。

●ヤラセ

 それにしても腹立たしいのは、佐賀県のF知事。
「九州電力の営業本部長」(報道)とヤユされている。
つまりヤラセにヤラセを重ね、九州電力の側に立って、原発開発を推し進めた。
いったい、この日本は、どうなっているのか?

 官僚と財界(ゼネコン)、それと政治家が三位一体となり、国の進むべき道をゆがめている。
さらに東北電力では、関係する県の県議会議員(主に自民党議員)を、取締役として迎え入れ
ているという。
月1回程度の会合で、20万円の給料を払っているとか(「週刊文春」)。

 しかしこうした手法は、何も政治の世界だけの話しではない。
宗教団体も、同じような手法で、評論家と言われる人たちを、つぎつぎと手なづけている。

関連雑誌に、寄稿を依頼する。
目の玉が飛び出るほど高額な原稿料を払う。
あるいは講演に講師として呼ぶ。
同じく目の玉が飛び出るような高額な講演料を支払う。
そういう世界では、ワンステージ、150〜300万円が相場。
(1回の講演料が、150〜300万円だぞ!)

 東京では、「テレビで有名になって、地方で稼げ」が合い言葉になっている。
地方は地方で、「東京でテレビに出ている人」というだけで、惜しみなく高額の料金を払う。
もちろんその逆のこともある。

 2年前、東京から講師の依頼があった。
「交通費込みで、2万円」とか。
(交通費だけで、1万7000円もかかる。)
「これもボランティア」と、私は割り切った。
承諾した。
が、そのあとのメールが私を怒らせた。

 「了解いただいて、ありがとうございます。
これから(小学校の)クラス会にかけて、先生(=私)にするかどうか決めさせていただきます」
と。
東京の人は東京の人で、地方の人間を、そのように見ている。

 この日本で、清貧を旨とし、ただ一人、こうした利権団体と無縁な世界で評論しているのは、
この私だけ。
たぶん(?)。

●YOUTUBE

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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(夕食風景@湯の風HAZU)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 湯の風HAZU 湯谷温泉 愛知県
湯谷温泉郷 和太鼓 和太鼓演奏)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
What is the "East Sea" for the world?(どうして「東海」なのか?)

 South Koreans have been trying to alter the name of the "Japan Sea" into the "East Sea
".
The East Sea is to the east of Korea Peninsula, but why?
We say in Japan, "When we hate a priest, we even hate his robe."
If so, there would be appeared hundreds of "East Seas" in the world soon in the future.
Every country would try to alter the near-by seas into their own favorite names.
South Korea is only one of them.
 
韓国は日本海を東海に改名しようとしている。
韓国にとっては「東海」だが、なぜ?
日本では「坊主憎ければ、袈裟まで憎い」という。
もしそうなら、この先、世界中に、何百という「東海」が生まれるだろう。
どの国も近海の呼称を改名しようとする。
韓国もその1つに過ぎない。

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu, Japan
Aug 9th 2011

(注)アメリカの人たちに直接訴えるために、英語で書いた。
HPのアクセス先を見ると、「アメリカ軍」というのが、多い。
在日アメリカ軍?
頻繁に私のHPをのぞいているよう。
だから英語で書いた。

Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●世界恐慌(序章)「株価大暴落は、その始まりに過ぎない」

++++++++++++++++++++++++

世界的な株価大暴落は、今回の
世界恐慌の序章にすぎない。
が、この先のシナリオは、ほぼ
決まっている。

ギリシア、ポルトガルの国家破綻。
つづいてイタリア、スペインの経済不安。
EUの債務問題。

日本は、一度急激な円高にブレたあと、
円キャリーで流出した円が、逆流し始める。
とたん、この日本はハイパーインフレ。
日本の国家破綻も、現実味を帯びてくる。

それにしてもオメデタイのが韓国。
「日本の企業倒産、2か月ぶりに増加」
とあるから、日本のウエブサイトかと
思ったら、韓国紙のウエブサイトだった。
どうして韓国紙は、こんなことばかり、書くのだろう。

そしてつい先週は、「韓国に与える損害は
軽微」と書いていた。
つまりアメリカの経済混乱は、韓国には影響を
与えない、と。
が、韓国の銀行は、1つの国策銀行を
除いて、ほとんどがアメリカ資本の支配下
にある。
アメリカが風邪をひけば、韓国は当然、
肺炎になる。

その結果が今日。
韓国の株価だけは、日本の倍以上の幅で、
株価が暴落している。
(日本3〜4%の下落、韓国7〜8%の下落。
8月9日。)

どこで底値を打つかだが、今はその底が見えない。
この先、どんな不測の事態が待ちかまえているか、
それさえわからない。
新興国の国家破綻がつづけば、当然、世界経済は、
その影響をモロに受ける。
あぶない国を並べたら、2桁になる。

日本もメチャメチャだが、世界は、もっとメチャメチャ。
今は、そのリ・シャッフルの時。
つまり「大嵐」。
ここは静かに成り行きを見守るしかない。
私のような庶民が、ジタバタしても、始まらない。
どうしようもない。

++++++++++++++++++++++++

●国体の維持

 「国体の維持」と書くと、どこか右翼団体の人たちが使う言葉のように聞こえる。
が、私が言う「国体の維持」というのは、それとは少しちがう。

 この先、この日本も大混乱する。
避けようがない。
しかし「国体」だけは、維持しなければならない。
日本という「国」だけは守らなければならない。

 多少の混乱、たとえば社会不安、犯罪の増加などはあるだろう。
しかしその段階で、押しとどめる。
もしこの日本でも、略奪、破壊工作などが、頻繁に起こるようになったら、おしまい。
すでに数日前、イギリスでは商店の襲撃事件が起きている。
その少し前には、ノルウェイでも、爆破、銃撃事件が起きている。

 仮にこうした事件が日常的に起こるようになったら、その「国体」が崩壊する。
もしそうなったら、立ちなおるべきときに、立ちなおれなくなる。
日本は(その時)を、静かに待つ。
辛抱強く、待つ。
そしてそのときが来たら、イのイチバンに、ラスト・スパートをかける。
「国体」さえしっかりしていれば、それができる。
それが日本、再生のときである。

 だからここは静観あるのみ。
狂った茶番劇は、狂った人たちに任せておけばよい。

 今朝の私は、かなり過激派?
2011/08/09記


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●8月10日(水曜日)2011朝

●北朝鮮の核実験(公開書簡は、核実験を正当化するための布石)

 近く、北朝鮮は核実験をする。
その予兆が、公開書簡(8月8日付)。
その中で北朝鮮は、公開書簡の中で、「朝鮮軍と人民は過去とは異なり、自分を守る強力な核
抑止力を保有していることを世界に隠さない」
「相手が核戦争を強要するなら、核で応じる準備ができている」と述べている。

 そしてその論理的根拠(=理由付け)として、こう述べている。

「非核化に対する誠意ある行動を相手に要求する一方で、大型原子力空母と戦略的核打撃を
与える航空戦力を動員して相手を脅威する戦争的挑発は、非核化の同時行動原則を完全に
裏切る。
朝鮮半島の非核化は一方だけの非核化ではなく、対北朝鮮核脅威を解消された一括的、公
正な非核化であるべきだ」と。

 何度か読みなおしていると、その向こうに北朝鮮の隠された意図が見えてくる。
北朝鮮は、こう言っている。

 「お前たちが軍事演習をするなら、俺たちは、核実験をするぞ。
したくはないが、それをさせるのは、お前たちだ」と。

 アメリカと韓国は、朝鮮半島有事を想定し、16〜26日に、指揮所演習「乙支フリーダムガー
ディアン」を実施する。
軍事演習としては、たいしたものではない。
規模も小さい。
にもかかわらず、北朝鮮はからんできた。
この(からんできた)というところに、私は別の意図を感ずる。
それが「核実験の実施」。

 となると、その日はいつか。
軍事演習は、16〜26日。
ということは、その前後ということになる。
北朝鮮は、何かにつけ、日にちにこだわる。
となると、8月15日?
今回の公開書簡は、その布石ということになる。


●竹島問題(韓国のなし崩し的既成事実化)

 日本政府は、竹島の領有権問題について、国際司法裁判所(ICJ)に、「付託による解決」を
めざし、韓国政府を、正式に提起することを検討しているという(産経新聞)。

 つまり不法占拠を、国際裁判所に提訴する準備をしている。

 これが正攻法であり、もっとも平和的な解決手段である。
が、他方の当事者である韓国政府は、「韓国が付託に同意する可能性は低く、対抗措置への
反発は必至だ」(同紙)とある。
産経新聞はつぎのようにつづける。

 「ICJ付託提起の検討が急浮上したのは、韓国の竹島実効支配への強硬姿勢に歯止めが
かからないため。
日本は昭和29年と37年に韓国側にICJへの付託を提起したことがあり、今回実現すれば49
年ぶりとなる」と。

 なし崩し的に既成事実を積み重ね、「事実」をゆがめてしまう。
ズルイ人間がよく使う手法である。
『嘘も100ぺんつけば、本当になる』という言葉もあるにはある。
しかし100ぺんついても、嘘は嘘。

 韓国政府も、そこまで正当性を主張するなら、国際裁判所で、争ったらよい。
それで決着がつく。
どうして同意する可能性が低いのか?
どうして反発が必至なのか?

 今、韓国の各地を訪れると、どこへ行っても、こんな標識が目につく。
「ここから竹島(独島)まで、〜〜キロ」と。
欧米人が好んでよく使う標識である。

 韓国の人たちよ、一度、国際裁判所で、争おうではないか。
たがいに証拠を出し合い、たがいに納得する方法で……。
日本政府は、今まで、ずっとそれを主張してきた!
それとも何か、君たちにとって、都合の悪いことでもあるというのか。


●日本海vs東海(今度は「韓国海」を主張し始めた?)

 今度アメリカ軍は、「日本海」を、「日本海」と単独表記することを決定した。
今までは「日本海(東海)」と、2つの名前を併記していた。

それに対して韓国は、猛反発。
古い出所も確かでない地図を持ち出し、「日本海は、『Corea Sea(韓国海)』と呼ばれてい
た」と主張している。

 が、この論法は矛盾している。
だったらなぜ、最初から「東海」ではなく、「韓国海」と主張しなかったのか。
「日本海はまちがっている。韓国海が正しい」と主張すればよかった。
一時は、(4、5年前のことだが)、「平和海」にしようという動きもあった。

 こうして一連の韓国側の主張を並べてみると、要するに、「日本海」という呼称そのものが気
に入らないということらしい。
で、この日本では、『坊主憎ければ袈裟まで憎い』という。

 そこで調べてみたが、この故事は、どうやら日本で生まれたもののようだ。
『……僧侶が「憎い」対象となっているのは、江戸時代の寺請制度が背景にあるとされている』
(ネット・故事ことわざ辞典)と。
つまり韓国には、この故事はないようだ。
だから、『坊主憎ければ袈裟まで憎い』式のいやがらせを、平気で繰り返す。
もし似たような故事が韓国にもあれば、とても恥ずかしくて、こんな主張はできない。


●管首相と「脱原発依存」(どうして管首相でだめなのか?)

 「脱・原発」と「脱・原発依存」は、ちがう。
しかしこれほどまでの大災害を被りながら、いまだに「原発・支持派」の人たちがいるのには、
驚かされる。
あえて「支持」するようなものでもあるまい。
「容認」とか「あきらめ」というのなら、まだ話しはわかる。
「必要悪」でもよい。

 そこで今では、「管首相=脱原発」というイメージだけが先行し、管首相はまさに四面楚歌。
「やめろ、やめろ」の大合唱。
が、私には、この場になっても、どうして管首相でだめなのか、その理由がよくわからない。
「風評被害」という言葉があるが、その風評被害をもっとも受けた政治家が、管首相ということ
になる?

 そこでポスト管首相。
一番先に名乗り出たのが、野田佳彦財務相(54)。
読売新聞は、つぎのように伝える。

 『……出席した約20人のメンバーに示した論文では、首相との違いを随所にちりばめた。
原子力政策では「短兵急に原発輸出を止めるべきでない」「大切なのは『脱原発』対『推進』の
対立ではなく、国民的な幅広い多角的な議論だ」などと強調。
首相がこだわる「政治主導」の見直しにも触れ、政務三役による意思決定は継続するとしつつ
も、「官僚組織をフル活用する」とし、官僚不信に凝り固まる首相を当てこすった』(同紙)と。

 よく読めばわかるが、「原発、賛成」ということらしい。
「国民的な多角的議論」という言葉を使い、国民を煙に巻いている。
平たくいえば、「賛成派と反対派の議論が必要」と。
ヤラセ事件が発覚したばかり。
賛成派と言われる人たちは、いったい、どういう人たちをさすのか?

 なお「官僚不信」という言葉が出てきたので、庶民の立場で、一言。

 今、この日本には、言いようのない不公平感が蔓延している。
若い人たちには、それがわからないかもしれない。
しかし60歳を過ぎると、それがよくわかる。
役人組(官僚)は、とことん手厚く老後が保障されている。
庶民組は、まったくといってよいほど、老後の保障はない。

爆発寸前というか、爆発したいが、何せ、老人組。
方法も手段もない。
体力も気力もない。

 「官僚不信」をもたない政治家のほうが、どうかしている。
政・財・官……この3つが1つになり、いかに日本の進むべき道をゆがめてきたか。
その象徴的存在が、今回の原発事故ということになる。

 それにもう一言。
もし管首相が引きずり下ろされたら、我ら「浮動票層」は、どこへ向かえばよいのか。
ひとつだけはっきりしていることは、「民主党は、もうこりごり」ということ。
自民党以上に自民党。
醜悪。
ア〜ア!


●今朝の確認事項

(1)北朝鮮の核実験を警戒しよう。
(2)韓国の「反発」は、無視しよう。
(3)民主党よ、さらば!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●8月10日(浜名湖ロイヤルホテルにて)雑感、あれこれ

+++++++++++++++++++++++++

今日もいろいろあった。
忙しかった。
まずイチバン。

朝食のとき、新聞の雑誌広告を見て、驚いた。
ある育児雑誌だった。
そこには、「絶対的安心感」という言葉と、
「子どもは親の先生」という言葉が並んでいた。

別々の著者によるものだが、これら2つは、
私のオリジナルの言葉だったはず。
そんな言葉が、堂々と新聞に載っている!

++++++++++++++++++++++++

(1)絶対的安心感 

 母子の間の基本的信頼関係についての原稿を書いているとき、私は、この言葉を考えた。
すでに15年以上も前から、この言葉を使っている。
「絶対的安心感」という言葉は、どこでも使われる言葉である。
しかし母子関係を示す言葉としては、私が最初に使った。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味である。

(2)子どもは親の先生

 つぎに「子どもは親の先生」というのは、私の子育て論の根幹をなす「子育て四次元論」の1
つである。
同じタイトルで、中日新聞に原稿を書いたこともある。
まだ内容を読んでいないが、タイトルを読んで、ワイフがこう言った。
「これ、あなたの原稿じゃない?」と。

 ・・・少し前、こんなこともあった。
何でもその本は、100万部単位で売れているという。
その中に、いじめの話しが載っていた。
私は、「A君は、チョークで背中に落書きされた」と書いた。
実際にあった話しである。
が、その本の中では、「A君は、チョークでかばんに落書きされた」とあった。
ほかにも類似点が、ズラズラと並んでいた!

 私は書店で立ち読みをしているとき、体中が燃えるように熱くなった。
が、それが問題ではない。

 育児論というのは、いわば哲学。
その人の生き様が、そこに凝縮される。
だから100人の育児論者がいれば、100通りの育児論が生まれる。
その底流を流れる哲学が一致するということは、ありえない。
育児哲学については、とくにそうである。

 が、その本を読んでいるとき、こう感じた。
たしかに文調、文体はちがう。
著者は、どこかのドクターになっていたが、直接書いたのは若い女性(?)。
この世界では、よくある話しである。
有名になりたいドクター。
そのドクターの名前を借りて、金を稼ぎたいライター。
その両者の思惑が一致したとき、こうした本が生まれる。
印税は、折半。
あるいはケースバイケース。

しかしそこに流れる哲学が、私のそれとスーッと一致していくではないか。
???。
一読すれば、それが私の文かどうか、すぐわかる。
文というのは、そういうもの。
20年前に書いたものであっても、30年前に書いたものであっても、私の書いたものかどうか、
すぐわかる。
脳に、そのままそこに流れる哲学がしみ込んでいく。
だから、燃えるように体が熱くなった。

 ・・・とまあ、グチを書いても意味はない。
新聞の雑誌広告にしても、偶然の一致かもしれない。
私とワイフの思い過ごしかもしれない。
それに先に書いたように、まだ、内容を読んで確かめたわけではない。

が、こういうことは言える。
その雑誌がそうだというのではない。
ないが、この世界も、インチキだらけ。
何も政治家だけが、インチキをしているわけではない。
それにこのエッセーを読んでいるあなただって、こう思うにちがいない。
「悔しかったら、あなたも本を出せばいい」と。

 そう、こんなグチなど、いくら書いても、どうしようもない。
負け犬の遠吠え。
彼らも、頭がよい。
盗作をするにしても、簡単にシッポをつかまれるようなことはしない。
巧みに内容を変える。
視点を変える。

 こういうケースのばあい、騒いだほうが、かえってバカをみる。
それに気分が悪くなるだけ。
ゆいいつ闘う方法があるとすれば、ただひたすら精進あるのみ。
つまり私は常に、それ以上の文章を書けばよい。

●熱中症

 話しは前後する。

今朝、ビスタ・パソコンをUPDATEした。
パソコン雑誌によれば、近々、ビスタ(OS)のUPDATEサービスが停止になるという。
つまりそれ以後、ビスタ・パソコンは、事実上、使えなくなる。
そこで「今のうちに・・・」と考え、ビスタ・パソコンを、UPDATEした。
サブマシンとして使っているパソコンである。

 そのときのこと。
私はいつも、多量の水を飲む。
が、今朝は飲まないまま、書斎に入った。
いや、その前に、起きるとすぐ、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
一汗、かいた。
異変はそのとき起きた。

 見ると、両腕から、細かい汗が、粒となって噴き出ているではないか。
「暑いのかな?」と思ったが、それほど気に留めなった。
が、やがて額からも汗が噴き出し始めた。
気がつくと、体中がほてるように熱い。

 あわてて居間まで行き、水を・・・と思っているうちに、気分が悪くなった。
頭がクラクラした。
吐き気を催した。
熱中症である。

10年ほど前にも、一度、そうなった。
ワイフは、朝の食事の用意をしていた。
「熱中症だ」と言うと、すかさず氷水をテーブルの上に置いてくれた。
それを一気に飲むと、私は水道の水の中に、頭を垂らした。

 「あぶなかった」と、頭を拭きながら、私。
「気をつけてよ」と、食事を並べながら、ワイフ。

 熱中症・・・今回は、汗で気がついた。
体中が、ほてるように熱くなる。
つづいて吐き気。

 それを感じたら、水を飲む。
氷水はかえって飲みにくいので、ふつうの水でよい。
それをガンガンと飲む。
今回私は、頭を水で冷やしたあと、1リットルあまりの水を飲んだ。
幸いにも、症状はそれで収まった。

 「気温は何度くらい?」と聞くと、「今、30度くらいよ」と。
「今日は35度くらいまで行くかもしれないね」と言うと、「そうね」と。

 なおビスタ(OS)は、WINDOW7に、UPGRADEできる。
UPGRADE版は、1万4000円前後とか。
明日にでも、ネットで申し込むつもり。

●映画『モールス』

 昨夜遅く、映画『モールス』を観てきた。
家に帰ったのが、午前0時過ぎ。
ただのバンパイア映画。

 スウェーデン映画のリメイク版とか。
そちらのほうの映画も、以前、観たことがある。
それもあって、あまりおもしろくなかった。
星は2つもむずかしい、1つの★。
意味のない、殺戮映画。
タイトルも「?」。
私だったら、「ホワイト・バンパイア」にする。
『モールス』というタイトルは、どう考えても、おかしい。
そう思いながら、劇場を出た。

が、それよりも気になるのが、この12日に封切りになる、『ツリー・オブ・ライフ』。
スメタナの「♪モルダウ」がすばらしい。
予告編でその曲が流れた。
私は中学生のとき、合唱曲だったが、毎日のようにそれを聴いていた。
その曲が映画になった。

 その曲には、こんな思い出がある。

 音楽の時間だった。
田口という名前の音楽の先生がいた。
その先生が、授業が始まると、いきなりこの曲をかけた。
そして私たちに向かって、こう聞いた。
「この曲の名前を知っているのは、いるかア!」と。
私は即座に、「モルダウ!」と叫んだ。

 すかさず田口先生は、こう言った。
「この曲の名前を知っていたのは、お前だけだ」と。
私は誇らしかった。
あれは私が、たしか中学2年生のときのことではなかったか。
1年のときは、梅田という名前の女性の先生だった。

 だからというわけでもないが、「ツリー・オブ・ライフ」は、かならず観る。

●ホテル「浜名湖ロイヤルホテル」

 今、この原稿を、浜名湖ロイヤルホテルの一室で書いている。
昼ごろになって、ワイフが突然、「どこかへ行こう」とせがんだ。
そこでジャランを通して、浜名湖ロイヤルホテルに宿泊を申し込んだ。
1部屋だけ、空いていた。

 連絡欄に、「常連です。太平洋側の部屋を希望」と書いた。
その希望が届いたのか、6階の、いつもの2倍ほどもある広い部屋に泊まることができた。
全体で25〜30畳はある。
浜名湖ロイヤルホテルさん、ありがとう!

 朝食のみだが、一泊7000円(1名)。
夏休み料金ということで、いつもよりやや割高だが、この部屋で文句を言う客はいない。

●朝風呂

 昨夜はあまりの多さに驚き、入浴をあきらめた。
ふだんなら、(またそういうときをねらって来るのだが)、多くても4〜6人。
そんな大浴場に、数10人以上!
女性風呂のほうには、ワイフの話しによれば、下足置き場に、空きがないほどの人。
昔の銭湯でも、ここまでは混まなかった。

 だから昨夜は、10時に就寝。
今朝は5時少し前に起き、入浴イチバン乗りをめざした。
が、すでに1人。
女性風呂のほうには、10人前後(ワイフの話)。

 最初、露天風呂のほうに居場所を構えたが、続々と入ってくる客。
それを見て、私は再び、恐れをなした。
そそくさと体を洗い、外へ。
ワイフは、すでに出口のところで私を待っていた。

 「混んでいるね」「夏休みは、すごいわね」と。

 どこかの大学生たちが合宿で泊まっていた。
1つや2つではない。
そういうグループ名が、ホテルの玄関先に、ずらりと名を連ねていた。
プラス、結婚式やら、子供連れの家族。
やはりこういうシーズンは、はずしたほうがよさそう。
「温泉でのんびり」などという気持ちは、どこかへ吹き飛んでしまう。

●ダイエット

昨日は、昼にギョーザを食べた。
夕食はここへ来るとき、ショッピングセンターで弁当を買って食べた。
たった1日だが、それだけで、体重が500グラムも増加。

 しかしこれには理由がある(?)。

 私は毎晩、扇風機をかけて寝る。
またそのほうが、心地よい。
が、こうしたホテルでは、エアコンを使う。
室温はそれでよいが、空気がカラカラに乾く。
そのため、汗が出ない。

 一度、正確に測ってみたが、一晩で、400グラム前後の汗をかく。
その汗をかかなかった。
ともあれ、今日からまたダイエット開始。
朝食はバイキングということだが、どこまで耐えられることやら。
つまり食欲に、どこまで耐えられることやら。
心配!

●肥満
 
 露天風呂に入っているとき、20代そこそこの若い男が3人ほど、入ってきた。
皆、丸々と太っていた。
1人は、相撲の関取のような体をしていた。
小柄の男だったが、まるでビヤ樽のよう。

 その男が露天風呂につかると同時に、こう言った。
「またまたもとの食生活に戻ってしまってね。リバウンド、リバウンド」と。

 まるで他人事のように話しているのが、おかしかった。

●日韓経済戦争

 時間があったので、あちこちのサイトをのぞいてみた。

その中で、西尾幹二氏が、平成17年「正論」6月号の中でこう述べている。
たいへん興味深いので、そのまま引用させてもらう。

『……韓国の大手銀行4行の外国人持ち株比率は、国民銀行78%、ハナ銀行72%、外換銀
行72%、新韓銀行63%である。
半導体と液晶で世界一といわれるサムスンが54%、現代自動車が49%の比率で外国資本
の支配下に入っている。

 「国境を越えて」とか「グローバリゼーション」とか甘いことを言っている日本人はまだ気づい
ていないが、韓国人は働けど働けど外資に利益を吸い上げられる、行き場のない閉塞感に陥
り、その怨念をジャパンパッシングに振り向けている一面があるのである。
しかしまたうかうかしていればこれは明日は日本の現実でもあるのだ』と。

 サムスン、現代自動車の外国人持ち株比率が、それぞれ54%、49%とのこと(平成17
年)。
西尾幹二氏は、それをさして、「韓国人は働けど働けど外資に利益を吸い上げられる、行き場
のない閉塞感に陥っている」と看破している。

 が、当の韓国は、それに気づいていない(?)。
それはちょうど、現在のJAL(日本航空)に似ている。
「利益があがった」「黒字になった」と、喜んでいる。
しかしそ利益は、そっくりそのまま銀行の金庫へ。
(社員に渡されるのは、ボーナス1か月分だけ。)
銀行は銀行で、ある程度今までの損金を取り戻したら、JALをつぶすつもりでいる。
意図は見え見え。
つぶしても損害はない。
国が75%まで、融資金額を補償してくれる。

 その韓国。
今回の株価暴落で、つぎのような結果を出している。

2200ポイント(4月・最高値)から、1817ポイント(8月10日)まで株価をさげた(韓国総合株
価指数)。
下落率は、17・7%。
(日本は、1万0137円(7月・最高値)から、8900円(8月10日)まで過ヌカを下げた(日経平
均)。
下落率は、12・2%。)

 そこで昨日、韓国政府は向こう3か月間、カラ売り禁止令を出した。
それだけ強い危機感を覚えたためである。

 日本の知ったことではないが、西尾氏も指摘しているように、これは「明日の日本の現実」か
もしれない。

ただこれだけは肝に銘じておこうではないか。
次回韓国が国家破綻しても、日本はぜったいに韓国を助けてはならないということ。
前回、日本は頼まれもしないうちから、韓国を助けた。
が、その結果が今。
感謝されるどころか、逆恨(さかうら)みされる!

●朝食

 食事は7時から、とか。
この分だと、大混雑しそう。
だから7時に食堂へ入り、そのまま家に帰る。
たった今、そんな話しをワイフとした。

 で、昨日の予報によれば、この浜松も、今日は気温35度前後になるとか。
35度!
8月としては、ありえない気温ではない。
しかし35度。
別の地方では、39度前後まであがるところもあるという。
体温より、暑くなる。

 私が学生のころは、みな、やせて、ガリガリだった。
気温も30度を超えることはあっても、35度を超えることはなかった。
肥満と体重は、比例関係にあるのか?

 生活が豊かになる→エネルギーを大量に消費する→同時に、飽食、と。
その結果が、気温上昇。
直接的には関係ないにしても、結果論としては、「根」は同じ。
原点に、人間が本来的にもつ(欲望)がある。
その欲望が、環境をゆがめ、自らの心をゆがめる。

 そのうち学校の教科に、「欲望学」というジャンルが生まれるかもしれない。
大学にも、「欲望学部」というにが、生まれるかもしれない。

●醜いジェスチャ

 昨夜、NHKテレビでこんなシーンを見た。
民主党の政治家たちが、何かの委員会を始めるところだった。
そのときのこと。

 中央のいちばん奥に、次回総裁候補と目されている1人の政治家X氏が陣取っていた。
そのX氏を取り囲むように、左右に4〜5人の政治家が座っていた。
その瞬間、中央に座っていたX氏が奇妙なしぐさをして見せた。

 向かって右側に座っていた政治家が、体を前にのめり出した。
テーブルの上の何かを取ろうとしたのか。
それとも椅子の位置をなおそうとしたのか。
その瞬間のこと。
中央に座っていたX氏が、自分の左手で、横の政治家を2、3度、「座れ」と、手で払って見せ
た。
直後に右手で、カメラのほうをまっすぐ指差した。

 私にはそれが、「NHKのカメラが回っているから、じゃまだ」「座れ」「カメラがあるだろ」と言っ
ているふうに見えた。
見えた・・・というより、まさにそういう行為だった。
とたん、スーッと興味が冷めていくのがわかった。
何というあさましい行為。
低劣な行為。
その政治家X氏は先にも書いたように、次回の総裁候補にもなっている。

 が、本当の問題は、どうしてこういう政治家がつぎつぎと現れては消えるかということ。
政治の世界を、国盗り物語の舞台か何かのようにしか考えていない!

●礼拝所

 欧米では、あくまでも欧米での話しだが、こういうこと。
聖職者でもない人が、聖職者のフリをし、教会の中で説教をすれば、それだけで逮捕される。
教会にしても、それぞれが教会として認定されている。
教会でない場所で、牧師が説教をするということは、ありえない。
礼拝所(チャペル)についても、同じ。

 が、この日本では、野放し。
結婚式場などでは、牧師の衣装をまとった人が、(ほとんどが白人だが)、結婚式のまねごとを
する。
それをオーストラリアの友人に話すと、その友人は、こう言った。
「オーストラリアでは、ありえないよ」と。
ありえないものは、ありえない。
「逮捕」というのは、そういう意味。

 さらに言えば、この日本では、宗派にもよるが、修行らしい修行をほとんどしなくても、僧侶に
なることができる。
父親に僧籍があるばあい、年会費(その友人は、「年会費」と言った)を納めておけば、いつで
も僧侶になれるというところもある。
もちろん大学の宗門部を卒業し、はじめてその宗派の僧侶になれるというところもある。

 要は信者の問題。
信者がそれでよければ、それでよい。
それで神々しい気持ちになれれば、それでよい。
亡き人の供養になると思えば、それでよい。
所詮、人間の世界というのは、その程度。

 ・・・ホテルの窓の下には、礼拝所らしき建物が見える。
昨夜も、遅くまで明かりがついていた。
その前には、玄関先で新郎新婦を囲んで、みなが記念撮影をしていた。
儀式は儀式。
ただの祭り。
深い意味はない。
もちろんそのパワーもない。
言い換えると、結婚式というのには、その程度の意味しかない。

 ゆいいつ救いなのは、その建物には、空に向かって十字架が立っていないこと。
もし立っていたら、天空の神もさぞかし迷うことだろう。
にわか信者に、にわか神父。
にせ礼拝所に、にせ説法。

もっとも結婚式はそれでよいとしても、結婚はどうか?
結婚生活は、どうか?
それでよいのか?
6階の窓から教会(?)を見おろしながら、そんなことを考えた。

●結婚とは

 夫婦にとっていちばん重要なものといえば、「誠実さ」。
ウソをつかないことはもちろん、ありのままを、いつもそのままさらけ出す。
偽り、言い逃れ、裏切り、背信・・・。
ほかにもいろいろある。

 そういうものが混入すれば、夫婦は夫婦としての意味を失う。
最悪のばあいは、夫婦と言っても、同居しているただの異性。
そうなる。

 が、誠実さといっても、簡単なことではない。
その人が誠実かどうかは、すでに子ども時代に、ある程度の輪郭ができあがる。
「まじめさ」と言い換えてもよい。
それができあがっている子どもは、それでよい。
しかし一度道からはずれた子どもは、そうでない。
そういう子どもがおとなになる。
そのままおとなになる。
だから「簡単なことではない」。

 ある女性は、理由はわからないが、夫の実家から届く手紙やハガキ、さらには誕生日カード
まで、夫には見せないで処分していた。
世の中には、そういう女性(妻)もいる。
そんな夫婦が、幸福な家庭を築いたら、それこそ奇跡。

●帰宅

 ワイフが「食事に行こう」と、今、言った。
これから食事に行く。

では、みなさん、おはようございます。
2011年8月11日、木曜日。

今日も暑くなりそう!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●8月12日(はやし浩司 2011−08−12)

●過剰行動児

++++++++++++++++++

夏になると、突発的に衝動的な行動に
走る子どもが、ふえてくる。

昨日も何を思ったか、突然レゴで作った
家(大きさは6センチ角)を、私に
投げつけてきた子ども(小2男児)がいた。
レゴは私の胸に当たって、砕け散った。

幸い「胸」だからよかったものの、顔だったら、
けがをしていたはず。
メガネに当たっていたら、メガネが割れて
いたはず。
私は強い衝撃を感じ、一瞬、ウッとうめいた。

私の横には、女の子も立っていた。

で、このタイプの子どもの特徴は、
力加減をしないこと。
思い切って……というか、脳の抑制命令
がきかない。
まるでキレたかのように、(まさにキレた
状態になり)、突然、予期しない行動に走る。

AD・HD児とか、そういった障害児
ではない。
ごくふつうの、ふだんは、穏やかな
子どもたちである。
そういった子どもが、突然、何の
前触れもなしに、そういった行動を
起こす。
もちろん理由もない。

30年ほど前、アメリカで問題になった、
「過剰行動児」と考えてよい。

白砂糖の摂取過剰が、セロトニンの分泌
異常をきたし、それが脳の抑制命令を
阻害すると説明される(ミラー博士ほか)。
症状としては、小児糖尿病で砂糖断ちを
している子どものそれと似ている。
突発的に、過剰な行動に走る。

今までに経験した例をあげてみる。

(1)肩に手をかけ、「こんにちは!」と
言ったとたん、「ヘンタイ!」と言って、
私の腹に足蹴りを入れてきた女児(小5)。
その女児は空手道場に通っていた。
私はその場に倒れてしまった。

(2)順番に並んでいたとき、突然、
殴りかかってきた男児(小3)。
私はそのときほかの子どものプリントを
採点していた。
その子どもはその2、3番、あとに並んでいた。
その位置から、「ギャーッ」という声を
張り上げ、私に襲いかかってきた。

(3)いきなりプラスチック製のバットで、
しかもうしろから、私の後頭部を殴ってきた
男児(小5)。
頭も痛かったが、そのあと数日間、耳が聞こえ
なくなってしまった。
幸い徐々に聴力は回復したが、当たり所が
悪ければ、私は鼓膜を抜かれていたはず。

(4)「先生」とその男児(小5)は私を
横で呼んだ。
やさしい声だった。
振り向こうとすると、前に座っていた別の
女児が「先生!」と声をかけてくれた。
そこで私は顔の動きを一瞬、止めた。
先の男児は、シャープペンシルを手で握り、
私が振り向くのをそこで待っていた。
もし動きを止めないで、そのまま顔を
回していたら、確実にそのシャープペンシルは、
私の目に突き刺さっていたはず。
そういう位置関係だった。

(5)その男児(中2)は、私にあれこれ、
学校であった話をしてくれた。
私は目を閉じ、その話を黙って聞いていた。
「そうか」「そうか」とうなずいていた。
その瞬間のこと。
その男児は、自分のもっていたシャープペンシルを
私の顔と机の間に突き立てた。
私がうなずいた瞬間、その先がメガネにパチンと
当たり、はじけた。
シャープペンシルの先が、目の付け根の上に突き刺さった。
血が噴水のように飛び散った。

こうした事例は、今までにあちこちで書いてきた。
年齢(学年)については、記憶によるものなので、正確ではない。

で、こうした事例について、「暑いから」と
短絡的に考える人もいるかもしれない。
「暑いから、みな、イライラしている」と。
昨日もこの浜松地方では、35度の猛暑を記録した。

が、それでは理由にならない。
興味のある人は、「はやし浩司 砂糖は白い麻薬」で
検索をかけてみてほしい。
いくつか、以前、書いた原稿を読んでもらえるはず。

簡単に言えば、夏場こそ、子どもの食生活に
注意してほしい。
「暑いから」というおかしな理由をこじつけ、
ジュース類、アイス類を安易に与えてはいけない。
「子どもは甘いものが好きなはず」という、
まちがった先入観も危険。
それが子どもの脳の機能を狂わせる。

+++++++++++++++++++

●小1児、2児に、つるかめ算を教えてみる

 今週は小1児、小2児に、つるかめ算を教えてみた。
ついでに年中児にも教えてみた。
結果は、YOUTUBEで見てほしい。

 で、こうした実験を繰り返していると、「ではいったい、学校で定めるカリキュラムは何か?」と
いうことになってしまう。
ほとんどの人は、(学校の教師も)、文科省の定めるカリキュラムは絶対的なものと思い込んで
いる。
しかし本当に「絶対的なもの」と考えてよいのか。

 私はこうした固定化した観念は、正しくないと断言する。
たとえば幼稚園児でも、正負の数を理解することができる。
対称図形も、つるかめ算も、私たちが「数学」と呼んでいる、あらゆる分野を理解することがで
きる。
そうしたレッスンの様子は、「BW公開教室」で公開している。

はやし浩司のHP(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)より、「BW公開教室」へと進んでみてほ
しい。
あなたも幼児のもつ能力的な可能性について、驚くはず。

●小1児、2児につるかめ算(2011年8月11日)より

(夏休みということもあり、またこの日も35度を超える猛暑。
そのため、レッスンの内容は、ややだらけたものになってしまいました。
その点を留意の上、ご覧ください。)

【小1児】

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/Nt5wDVo6ckg?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/Rn55cM_5_dY?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/jsuYuKaddXw?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【小2児】

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/SkGUZSfzNx8?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/Z4D8eFN4XKo?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/OGjk4dZV-Ls?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 鶴亀算 つるかめ算 ツルカメ
算)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●砂糖は白い麻薬

++++++++++++

甘い食品になれた子どもから、
甘い食品を取りあげると、
禁断症状に似た症状が観察される。

私はこのことを、すでに30年前
に発見した。雑紙にも、そう書いた。

それが最近、科学的に、証明され
つつある。

++++++++++++

●禁断症状

 アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような論文を発
表している。

 「……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピオイ
ド拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。この
結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていたことがわ
かる。人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもし
れない」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。

 これはラットについての実験だから、そのまま人間に当てはまるとはかぎらない。しかし一
歩、近づいた! つまり白砂糖でも、麻薬に似た禁断症状が起こる!

 その30年前に書いた原稿をさがしてみたが、見あたらなかった。そのかわり、当時の原稿を
もとに、書き直した原稿が見つかった。中日新聞に、8年前に発表した原稿である。この中に
書いた、U君というのは、今でもよく覚えている。

++++++++++++++

●砂糖は白い麻薬

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(ア
メリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分
泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の
抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。

U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられ
た。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君
は1日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで
私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット
をくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症
状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。

夜中に母親から電話があったので、「そのまま砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。
が、その1週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたま
ま、まったく反応がなくなってしまったのだ。

何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだ
け。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。この量はイ
チゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキー
と声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネ
シウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂
糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落
ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。

とは言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ
(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けて
も流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせ
ず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味を
おだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水に
よく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン
酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャ
ンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲
労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーな
どの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期
間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。
脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそ
い。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片
瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。

+++++++++++++

 30年前の当時、『白砂糖は麻薬』と、私は書いた。U君の禁断症状(ほんとうは、麻薬による
禁断症状というのは、知らなかったが)、その禁断症状を目(ま)の当たりに見せつけられて、
私は、そう書いた。

 U君は、幼稚園から帰るとすぐ、冷蔵庫を足で蹴りながら、「ビスケット!」「ビスケット!」と叫
んだという。そのあまりの異常な様子に母親があわてて、私に相談してきた。

 が、当時、『白砂糖が麻薬』と考える人は、だれもいなかった。私の意見は無視された。おか
しなことに、当時は、「砂糖は、滋養要素」と考えられ、「甘いものを断つと、かえって子どもの
情緒は不安定になる」と主張する学者さえいた。

 私はN・D・ボルコフ(女性研究者)の論文を読んだとき、「やはりそうだった」と、確信を得た。
まだラットでの実験段階だから、先にも書いたように、人間にそのまま当てはめて考えることは
できない。先に、「あと、一歩!」と書いた私の気持ちを理解してもらえれば、うれしい。

●お母さんたちへ

 ショッピングセンターなどの飲食コーナーなどへ行くと、よく、子どもの頭よりも大きなソフトク
リームや、ジュースを、食べたり、飲んでいる子どもを見かけますね。

 それがいかに危険なものであるかを知るためには、あなた自身が、一度、自分の頭より大き
なソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでみることです。

 量は、体重で計算します。体重、15キロの子どもが、ソフトクリーム1個を食べるということ
は、体重60キロのおとなが、4個食べる量に等しいということです。

 いくらおとなでも、4個は食べられませんね。食べたら、気分(=頭)がおかしくなります。それ
だけではありません。一時的な血糖値の急上昇が、その直後に、低血糖を引き起こすことも、
よく知られています。「甘いものを食べて、どうして低血糖?」と思われる人もいるかもしれませ
ん。理由は簡単です。血中に大量のインシュリンだけが残り、必要以上に血糖値をさげてしま
うからです。

 突発的に衝動的な行動に移る子どもは、この低血糖を疑ってみます。わかりやすく言えば、
突発的に、キーッとか、キャッキャッと、甲高い声を張り上げて、(たいていは耳をつんざくよう
な金きり声で)、騒ぐようでしたら、まずこの低血糖を疑ってみます。

 『砂糖は、白い麻薬』です。もしどうしても、甘い食品……ということでしたら、精製していな
い、黒砂糖をお勧めします。黒砂糖には、CA、MG、Kなどの天然のミネラル分がバランスよく
含まれていますから、ここでいうような(突発的な行動)は起こりません。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ボル
コフ 過食症ラット 禁断症状)2011/08/12記


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)

●夏休み(8月12日)

 私も明日から、夏休み。
10日間の夏休み。
自由、気ままな夏休み。

 ……と、子どもの書くような文を書く。
何歳になっても、休みは、うれしいもの。
ワイフも、今朝、こう言った。
「思う存分、遊びましょう」と。

 やりたいことがあったら、その場で決定。
迷わない。
行きたいところがあったら、その場で決定。
すぐ行く。

 が、明日まで待てない。
今夜は、仕事が終わったら、深夜劇場へ。
今日から公開の、「ツリー・オブ・ライフ」。
それを観る。
チケットは、すでに購入済み。

 明日は、ビスタ・パソコンのアップグレード。
夕方は、Mさん家族と会食。
山荘へ招待する。
明後日は……。

 こういうことはあまり詳しく書かないほうがよい。
空き巣に、おいでくださいと言っているようなもの。
以前、そういう忠告を、ある人から受けた。
「家を空けるという話は書かない方がいい」と。
以来、HPでもBLOGでも、予定については、書かないようにしている。

●浜松で35度!

 昨日は暑かった。
しかし今日は、もっと暑い。
昼寝をしていたが、ドカッとした熱気で目が覚めた。
起きて居間へ行くと、ワイフが、「34度よ」と。
家の中で、34度!

 が、私は自転車に乗って、教室へ向かった。
運動は欠かせない。
が、それにしても暑かった。
途中、飲み水としてもってきた水を、頭からかける。
地面から、乾いた熱気が、容赦なく伝わってくる。
白い日差しが、まぶしい。

 ……おかげで軽い熱中症に。
吐き気と頭痛。
クーラーの前に立ち、扇風機をかける。
頭を水で冷やす。

 今日のレッスンは、年長児。
「形」の学習。

<iframe width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/buAJJAxnZaE" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(つづきは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/のほうで……。please!)

●したいこと

 新しいパソコン。
高性能であればあるほど、よい。
まず、それがほしい。

 つぎにそのパソコンをもって、どこかへ行きたい。
温泉がよい。
静かで、人がいないところがよい。
そこで一日中、本を読んだり、キーボードを叩いて過ごしたい。

 ……というか、今夜から、思う存分、徹夜ができる。
眠くなって、どうしようもなくなったら、床に就く。
それまでパソコンに向かって、文を書く。
それが私の休みの過ごし方。

●麦わら帽子

 夏休みと言えば、麦わら帽子。
そんなイメージが脳に焼き付いている。
ワイフと私は、そんな季節に出会った。
1972年の夏。

 その直後、知り合った直後、私は弁天島にあった友人の別荘を借り、パーティを開いた。
7〜8人が集まってくれた。
その中に、「とべ・ひろし」(漢字名は忘れた)というフォークシンガーもいた。
そのとべ君が、吉田拓郎の『♪夏休み』を歌ってくれた。

 そう言えば、仲間に「なぎら・けんいち」というフォークシンガーもいた。
が、その夜は、どこかのビアガーデンで弾き語りをするということで、来なかった。
当時は「なぎら健一」と書いていたと記憶している。
今は「なぎら健壱」と書く。

 「♪……あんたがた死ねねえだろう。葬式費用もないからね……」というような歌を歌ってい
た。

 遠い遠い昔の話。
あのころのワイフは、美しかった。
今でも、「♪麦わら帽子は、もう消えた……」と口ずさむたびに、それを歌ってくれた、とべ君を
思い出す。
ワイフを思い出す。
親友だった、今井修さんを思い出す。

 今井修さんは、今の市立図書館の前あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
イベント事業も手がけていた。
その関係で、とべ君やなぎら健壱を、紹介してくれた。
もちろんそのパーティに、今井修さんも来ていた。
ワイフも、その夜のことを、よく覚えている。
ワイフと私は、パーティが終わると、海のそばの堤防に座り、夜遅くまであれこれ話した。

 夏休み……私にとっては、麦わら帽子の夏休み。

(映画を観て、夜、12時ごろ帰宅)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of the Life)』

 映画、『ツリー・オブ・ライフ(生命の樹)』を観てきた。
美しい画像と美しい音楽。
そのものすごさに、圧倒された。
ストーリーの運び方にも、独創性があった。
よかった。
よかったが、そこまで。
何か、釈然としない。

 冒頭のところで、こう言う。

「キリスト教を信ずる者は、愛に包まれ、時間を長く生きる。
そうでない人は、利得に毒され、つまらない人生を生きる」(記憶)と。

 つまりこの映画は、最初から最後まで、キリスト教のプロパガンダ映画。
キリスト教の信者の人(=大多数のアメリカ人)が観れば、涙を流して感激するだろう。
しかし残念ながら、私はその信者ではない。

 つまり最初の段階で、「そうかなあ?」という疑問をもってしまった。
その疑問が、最後の最後までつづいた。

 で、なぜ「ツリー(木)」なのか?

 映画の中では、大宇宙と、地球の歴史を交互にからませ、やがて人間世界に、「神の意志」
を投影させていく。
二男を19歳で失った父親と母親の悲しみを、その上に料理のトッピングのように載せていく…
…。
「生命というのは、人間の悲しみや苦しみを超えたところで、大宇宙や地球の歴史と、大きな木
のようになってつながっている」と。

しかし、それが大げさ。
深い(?)宗教哲学を織り込んだのはよいが、かえってそれが映画自体をわかりにくいものにし
ている。
「これがキリスト教だ」と言わんばかりの、高慢な製作姿勢。
観ていて、私は疲れた。
肩が凝った。
少なくとも、娯楽映画ではない。
辛らつな言い方をすれば、キリスト教の洗脳映画を見せつけられたような感じ。

 2000円(シルバー料金、2人分)も出して観に行ったのだから、もう少し楽しませてほしかっ
た。

 映画館を出たあと、私はワイフに、こんな会話をした。
「日本では、大震災で、2万5000人もの人たちが、亡くなった。
1人ひとりについてみれば、それも神の意志だったのだろうか」と。

 なおブラッド・ピットが演ずる父親について一言。

 アメリカにも、ああいう権威主義で、代償的過保護(子どもを自分の支配下において、自分の
思い通りにしたいと思う、身勝手な過保護)な親はいる。……いたと思う。
1910年代〜は、そうだっただろう。
その親が、映画の中では、一方的に、「悪人」に仕立てられていた。
その反動として(?)、母親はマリア様のように仕立てられていた。

 たしかに子ども側(=3人の息子)の視点から捕えれば、そうだろう。
しかし同時に、父親には、「家族を支えていかねばならない」という重圧感もある。
ものすごい重圧感である。
最近の若い人たちは、その重圧感の経験もないまま、「そんなのは親の義務」と、簡単に片づ
けてしまう。
私はむしろそちらのほうに反発を覚える。
もちろんブラッド・ピットが演ずる父親には、問題がないわけではない。
が、しかし映画を観ているうちに、私はむしろ父親のほうに同情してしまった。
「偉そうなことを言うなら、自分で家族をもち、自分で支えてみなさい」と。

 さらに付け加えるなら、私の知る範囲でも、映画に出てくるブラッド・ピット以上に、年がら年
中、ガミガミ言っている母親だっているぞ!

 星は、もし私がキリスト教信者であれば、文句なしの5つの、★★★★★。
が、私は信者ではないから、かえって疎外感を覚えてしまった。
2度目は観たくないという意味で、星は2つの、★★。

 キリスト教国のアメリカでは、当然、アカデミー賞を受賞するだろう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ツリー・オブ・ライフ』(The Tree of the Life)(補足的意見)

(注:この原稿は、今朝書いた原稿の補足部分です。)2011/08/13

●善と悪、進化論

++++++++++++++++++++++++

映画『ツリー・オブ・ライフ』の中で、
善と悪について、あれこれ述べている。
キリスト教信者は、絶対的な善人であり、
そうでない人は、善人にはなりえない(記憶)と。
この映画の主題と言ってもよい。

これについて日ごろの私の考えを記録しておきたい。

++++++++++++++++++++++++

●進化論の否定

 アメリカには、いまだに進化論を信じていない人が、70〜80%前後もいるという。
熱心なキリスト教信者ほど、そうらしい。
が、もし私が、「善と悪」も、進化論の過程で生まれたと言ったら、どうだろう。
キリスト教の信者の人たちは、顔を真っ赤にして、怒るにちがいない。
「善と悪」を、進化論にからめて考えること自体、神への冒涜ということになる。
が、怒る前に、私の意見に、ほんの少しだけ、耳を傾けてほしい。

●仮定

 よくこんな仮定が、話題になる。
「もし蚊が、ハチの大きさだったら……」という仮定である。
もし蚊がハチの大きさだったが、蚊そのものが、絶滅していたはず。

蚊のもつ毒は、きわめて強力。
もし蚊がハチほどの大きさだったとすると、蚊の一刺しで、人間はもちろん、かなり大きな動物
(牛や馬)も、ショック状態になる。

ハチ(スズメバチ)は、約40ミリ。
蚊は、約5ミリ。
体積比でみると、8の3乗。
つまりハチは、蚊の512倍。
毒の量も512倍。

 毒の量が2倍になれば、抗原抗体反応は、4倍〜10倍になる。
500倍ともなれば、一刺しで、人間だったら、体中が真っ赤に膨れ上がり、死んでしまうかもし
れない。
そんな蚊が人間を襲う。
集団で襲う。
ばあいによっては、人間は、絶滅。
(ハチも襲うが、それは自衛のため。)

 が、ここで蚊にとっても、深刻な問題が起きる。
もし刺す相手が絶滅し、いなくなってしまえば、自分も死ぬことになる。
血を吸う、相手がいなくなる。
そこで自然界では、絶妙なバランスが働く。

 蚊はほどよい大きさを保ち、刺した相手が絶滅するまでの毒は注射しない。
つまり同じことが、善と悪についても言える。

●絶妙なバランス

 もし人間がその進化の始まりで、絶対的な善人だったとする。
20万年前でもよいし、10万年前でもよい。
人類の歴史は、20万年と言われている。

 もしそうなら、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。
たとえば自分の妻や子どもたちが、別の動物に襲われたとする。
が、絶対的な善人である人間は、やり返すということをしない。
つまり無抵抗のまま、つぎに我が身を差し出す。
「どうか、私も食べてください」と。

 一方、人間が、絶対的な悪人だったとする。
それこそ腹が減れば、平気で自分の妻や子どもですらも、肉にして食べてしまう。
それを見ても、周りの人間も何も言わない。
スキさえあれば、今度は、自分たちも、そうする。
このばあいも、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 つまりここで善と悪の間に、絶妙なバランス感覚が生まれる。
絶対的な善人であっても、また絶対的な悪人であっても、人間は、とっくの昔に絶滅していたこ
とになる。
だから人間は、適当に善人であり、適当に悪人であるということになる。

 自分の妻や子どもが襲われれば、反撃もする。
ばあいによっては、復讐もする。
相手を襲う。

 人間だけではない。
この地球上に住む、ありとあらゆる生物が、その絶妙なバランスの上で、成り立っている。
生きている。
長い進化の過程で、そういうバランスが生まれ、定着した。

●善と悪

 先にあげた例は、話をわかりやすくするため、極端な内容にした。
しかしこのことは、実生活の中で考えてみれば、よくわかる。
私たちは常に、善人と悪人の間を、行ったりきたりしながら、生きている。

 商売にしてもそうだ。
より大型店を作れば、小さな商店は閉店に追い込まれる。
大型店で、ものを安く売れば、貧しい人たちは、助かる。
この時点では、大型店を作った人は、善人ということになる。
しかし小さな商店の経営者にとっては、そうでない。
悪人ということになる。

 こんな話を、商売を経験したことのない人に話しても、無駄かもしれない。
ジワジワと斜陽の道をたどり、やがて閉店に追い込まれる商店主の気持ちは、理解できない
だろう。
が、私は経験している。

私が中学生ののころ、近くに大きなショッピングセンターができた。
そこで自転車を安売りを始めたとき、心底、そのショッピングセンターを恨んだ。
この恨んだ部分が、「悪」ということになる。

 で、つぎに私がこう考えたとする。
「ようし、私はさらに大きな店を作り、あのショッピングセンターを叩きつぶしてやる」と。
つまり、仕返しということになる。
これも「悪」ということになる。

 が、こうした心の作用を「悪」と決めつけてはいけない。
それがあるからこそ、人間は、今までこうして生き延びることができた。
今の、あなたにしてもそうだ。
今まで、こうして生き延びることができた。
「お人好しだけでは、生きていかれない」(映画の中のセリフ)。

●進化論

 善と悪は、絶妙なバランスの上で成り立っている。
つまり絶対的な善というのは、存在しない。
絶対的な悪というのも、存在しない。

 同じように、絶対的な善人というのも存在しない。
絶対的な悪人というのも存在しない。
どちらであるにせよ、もしそうなら、人類はとっくの昔に絶滅していたということになる。
逆に言うと、今、ここに存在するということは、私たちはそのバランスの上で生きてきたというこ
とになる。

 もちろん善人、悪人といっても、程度の問題もある。
割合の問題といったほうが、よいかもしれない。
善と悪の割合が、70:30の人もいれば、反対に30:70の人もいる。
人は努力によって、善の割合をふやすことはできる。
しかし100%……というわけにはいかない。
100%になったとたん、その人は、社会から、はじき飛ばされてしまう。

 で、もしそれが本来の人間の姿であるとするなら、善と悪を峻別し、たとえば善を「神」と結び
つけ、悪を「悪魔」と結びつけることは、あまりにも短絡的な考え方ということになる。

●私たちの心

 私は若いころ、『4割の善と4割の悪』という第で、エッセーを書いたことがある。
中日新聞にも発表させてもらった。
それをそのまま、ここに掲載する。
少しちがった視点から書いたエッセーである。
そこは許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●4割の善と、4割の悪(中日新聞掲載済み)

 社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4割の悪
がある。
子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。
おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。
子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンし
んちゃん」V1)。
つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。

 ただし一言。
悪があることが悪いと言っているのではない。
人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないと
いうような世界になってしまったら、何とつまらないことか。
言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、
最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。
「希望を与えるため」と。
もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし
てしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になること
もできる。
旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。
それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。
問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。
そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについ
て、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘も
いる。
そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君は
許せるか」と。
するとその男は笑いながら、こう言った。
「うちの娘は、そういうことはしないよ。
うちの娘はまともだからね」と。
私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が
悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。
子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、
大きく変わる。
子どもの世界も変わる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪の否定

 要するに、悪は悪として存在する。
それを否定しても、意味はない。
大切なことは、悪と戦うのではない。
悪とどうやってうまく、つきあっていくかということ。

 相手が人間でも、そうである。
悪人は、いつの世界にも存在する。
どこにでもいる。
大切なことは、そういう悪人と戦うことではない。
悪人とどうやってうまく、つきあっていくかということ。

 もちろん反社会的な行為を繰り返すような悪人は、別。
しかし今、この文章を読んでいるあなたにしても、「私は善人」と言い切ることができる人は、い
ったい、どれだけいるだろうか。

 私にしてもそうだ。
私は、自分を善人と思ったことは、一度もない。
ものの考え方は、たしかにゆがんでいる。
嫉妬深く、いつも心の底流では、恨みや、つらみが渦を巻いている。
それに自己中心的。
だからもしだれかに、「あなたは善人か」と聞かれたら、私はこう答える。
「ハハハ、ありえない」と。

 が、こうした善と悪のハバが、人間社会を、おもしろく豊かなものにしている。
もし人間がすべて天使になってしまったら、この世の中、ほんとうにつまらなくなる。
……というか、そのほうが、不気味。

私たちがなぜ、今、ここに生きているかといえば、そこにドラマを残すため。
そのドラマに生きる価値がある。
そのドラマの中に、生きる意味がある。

●神とは

 映画『ツリー・オブ・ライフ』の中では、得体の知れない、何やらモヤモヤしたものが、「神」とし
て描かれていた。
日本のどこかのカルト教団も、同じようなことを言っている。

 私はもちろん、神がどんなものであるか、知らない。
しかし今、昨夜見た映画を思い出してみると、どう考えても、あの映画は、どこかのキリスト教
団体の、プロパガンダ(情宣)映画にしか思えない。
つまり洗脳映画。
(映画『ベン・ハー』を、洗脳に利用しているカルト教団もあるぞ!
勧誘してやってきた人たちに、まずあの映画を見せているそうだ。)

 あの映画の中で述べていることを本気でとらえてしまうと、そのままキリスト教に入信してしま
うかもしれない。
随所で、「入信してよかった」「新しい世界が開けた」と述べるセリフもあった(記憶)。

 その点、私たち日本人は、一歩退いたところからあの映画を観ることができる。
形だけかもしれないが、一応、仏教徒。
しかし油断は禁物。
そんな警戒心をもっても、おかしくない映画ということになる。

 最後に、試しにアメリカ人にこう聞いてみるとよい。
「あなたがたの国は、キリスト教国か?」と。
ほとんどのアメリカ人は、きっぱりとこう言う。
「No!」と。

 ドル札すべての裏に、「We trust in God(私たちは神の存在を信ずる)」と刷り込んでいても、
「No!」という。
そのおかしさ。
映画『ツリ−・オブ・ライフ』は、そういう国の、そういう人たちによって作られた映画である。

 インパクトが強烈な映画だけに、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ツリーオブライフ ツリー・オブ・ラ
イフ The Tree of the Life 善と悪の進化論)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●8月13日

 明けて今朝は、8月13日。
土曜日。
昨日のサイクリングがたたって、今でも筋肉痛がひどい。
が、負けてはいけない。
今朝は、起きるとすぐ、30分のウォーキング。
全身に、ビッショリと汗をかいた。

 が、痛さは、そのまま。
水を1リットルほど飲んで、そのまま書斎へ。
今が、そのとき。

 これから近くのショッピングセンターへ行き、買い物。
友人を、山荘に招待している。
その食材さがし。

 また午後イチバンに、WINDOW7のUPGRADEソフトが届くはず。
サブで使っている、ビスタマシンを、それを使ってUPGRADEしなければならない。
簡単な作業のように見えるが、時間はかかる。

 ……今日も猛暑日という。
パソコンがそれに耐えられるだろうか。
少し心配になってきた。

 では、これから買い物。
みなさん、おはようございます。

はやし浩司 2011−08−13


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●子育て相談(2件)2011/08/14

【掲示板より】

こんにちは。そして初めまして。子育てについて色々検索していた所、はやし浩司さんのHPに
辿り着きました。どうかよろしくお願いします。

 小3の娘が、近所の小2の女の子と娘と同じクラスの女の子(その二人はとても仲良し)に意
地悪をされます。娘は本当は気が強いと思うのですが、外では割と大人しくお友達と軽いおし
ゃべりが出来るタイプではありません。そのせいか馬鹿にされやすいようで、まだヒドイいじめ
まではなっていませんが、コソコソばかにしたり、走って逃げたり嫌な顔で娘を見たり・・・。 本
人も私もとても辛い気持ちでいます。

 そこで、ある方に相談したところ、「娘さんを守る為にその子達の母親に話した方が良い!」
とおっしゃるのですが、娘と同じく臆病な私はでもな〜・・・と悩んでおります。
やはりここは私が勇気を出してちゃんと話した方が良いのでしょうか?
もし他に良い方法があったら教えて頂けないでしょうか?
どうかどうか宜しくお願いします。

【はやし浩司よりクック様へ】

●YOUTUBEのほうで、私の考えを述べておきます。
 下をクリックしてみてください。

 なおYOUTUBEを、ご覧いただけないかたは、(はやし浩司のメインサイト)→(子育てQ&A)へ
とお進みください。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/CE-fkuUn_1c?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●学校の先生の指導の仕方に問題があるが……

 直接、相談いただきました。
私の考えを、YOUTUBEのほうで、述べさせていただきます。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/ceswg7awKqA?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

2011/08/14
Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●宇宙とトカゲ(人間は、どちらに近いか?)

+++++++++++++++++

このところ毎晩眠る前に、床の中で、
1冊の小冊子を読んでいる。
「ニュートン」(雑誌)の付録についてきた小冊子である。
その冊子を読んでいると、宇宙の広大さに、
ときとして気が遠くなる。

私たちが住んでいるこの宇宙は、広い。
どう広いかは、改めて、ここに書くまでもない。

が、その一方で、こんな話もある。
私の家に住む、トカゲの話。

+++++++++++++++++

●小便用の穴

 私の家の居間の前には、70〜80坪前後の広さの庭がある。
庭といっても、「ガーデン」ではない。
英語でいう、「バック・ヤード」。
その一角に、10坪ほどの畑があり、その手前に、アロエなどが植えてある。
ほかにも数種類の木が立っている。
そのアロエの横に、小さな穴が掘ってある。
驚かないでほしい。
つまり私の小便用の穴。
その「穴」の話。

●穴

 深さは、50センチほど。
下のほうに砂を敷き、上は、庭木を切ったときに出た太い枝をかぶせてある。
が、数年もすると、枝は腐る。
腐って、穴につまる。
そこで数年ごとに、小便用の穴を掘りかえす。
太い枝で、その上をかぶせる。

 こんな話を書けば、みなこう思うにちがいない。
「行儀の悪い話だ」と。

たしかに行儀が悪い。
庭で立ち小便!
私も何度か、それをやめようと思った。

●水気

 夏場はまだよい。
畑も近くにあって、水気がある。
しかし冬場になると、庭の草も枯れ果てる。
もちろん畑も、枯れ果てる。
庭の前に、小さな森があり、それが日陰を作る。
畑は、その日陰にかかってしまう。

 ところが、である。
10年ほど前だったか、夏の暑い日のこと。
ふと見ると、小さなトカゲの子どもがいるではないか。
穴にかぶせた、半ば腐った枝の間から、チョロッと顔を出して、サッと身を隠す。
大きさは、1〜2センチほど。
ときどき大きなトカゲを見かけることもある。
それは親のトカゲということになる。

●トカゲの世界

 つまりトカゲの親子は、その穴を自分たちの世界として、生きていた。
冬場だと、ほかに水気のあるところはない。
春先や秋の終わりにもない。
そこで私は努めて、そこで立ち小便をするようになった。
もし私がそこでそれをするのをやめたら、トカゲの親子は、そのまま飢え死にしてしまう。
深い穴だから、適度な湿気もあるのだろう。
私は、そう考えた。

 以来、小便用の穴は、そこに残った。
小便が足りないと感じたときは、そこに水をまいた。

●誤差の範囲

 トカゲは、小さな穴の中に住んでいる。
庭といっても、まわりは2段のブロック塀で囲まれている。
外に出ることはできないはず。
親のトカゲは別としても、小さな子どものトカゲには、それを乗り越えることはできない。
つまり彼らの住む世界は、この、せいぜい70〜80坪の庭だけ。

 その向こうに広大な陸地が広がっていることなど、知るよしもない。
いわんや海があり、地球が丸いなどということも、知るよしもない。
(知ったところで、どうしようもないが……。)
しかも彼らは、私という人間が排出する小便で生き延びている!
もし私がほんの少しでも自分に恥じ、立ち小便をすることをやめてしまったら、どうなるか?
もちろんトカゲたちは、そんな私の迷いなど、知らない。
知ったら、不安で、とてもそんなところには、暮らせないだろう。
しかしそんなトカゲたちを、私たちは、笑うことはできない。

●小さな世界

 私たちだって、その小さな世界に住んでいる。
どうしようもないほど、小さな世界である。
もしあなたが人間は大きな世界に住み、トカゲは小さな世界に住んでいると思っているなら、そ
れこそ、傲慢というもの。

 冒頭にあげた宇宙の大きさから見れば、人間の住む世界も、トカゲの住む世界も、誤差の範
囲。
子どもたちに向かって、「紙の表と裏とでは、どちらが東京に近いか?」と聞くようなもの。
子どもたちは「紙の表のほうが、東京に近い」と答えるかもしれない。
表が東京側にあれば、そう答える。
しかしどちらも、同じ。

●ダークマター&ダークエネルギー

 この宇宙には、ダークマターと呼ばれる、目に見えない「マター(物質?)」が、ぎっしりと詰ま
っているという。
まだ発見されるには至ってはいないが、「ある」のは、確実だそうだ。

 同じように、「ダークエネルギー」というのもの、あるそうだ。
宇宙は膨張しているが、いわゆる等速運動ではない。
加速度的に膨張している。
その「加速」させている力が、また発見されていない「エネルギー」ということになる。考えれば
考えるほど、不思議な世界だが、仮にそれが発見されたとしても、さらにその向こうには未知
の世界が、広大に広がっている。

●私の空想

 私は子どものころ、こう考えた。

 宇宙が無限ということはありえない。
いつか大きな壁にぶつかるはず。
しかしその壁に穴をあけ、さらに先に進んだら、どうなるか。
壁にもハバ(厚さ)があるはず。
その壁を突き抜けたら、どうなるか。
さらにその向こうには、別の世界があるのか、と。

 が、その宇宙が、今の今も、膨張しつづけているという。
しかもそれが137億年も前から!

 となると、またあの子どものころの疑問が、わいてくる。
反対に137億年前でもよい。
一説によると、ビッグバンによって現在の大宇宙が始まる前には、この宇宙の大きさは、1立
方メートルほどだったという。
1立法メートルなら、1立方メートルでよい。
問題は、その外はどうなっていたかということ。

 が、科学者たちは、みな、こう言う。
「無の世界だった」と。
「ヒモのような世界だった」と説く科学者もいる。
理屈づめで考えていくと、そうなるのだそうだ。

●人間とトカゲ

 私はトカゲを見ながら、いつもこう思う。
人間とトカゲ。
大きくちがうようで、どこもちがわない、と。
知恵や知識にしても、そうだ。
人間は利口で、トカゲは、そうでないと考えたいが、これも宇宙的規模で考えるなら、誤差の範
囲。
トカゲとチョウ、どちらが利口かと聞くのと同じくらい、ナンセンス。

 最近になって、つまりごく最近になって、月は地球の衛星ということがわかった。
しかしそれ以前はというと、私たち人間ですら、月は見るだけのものだった。
星々にしても、そうだ。
が、そんな程度のことなら、トカゲだってしているかもしれない。

●人間だけが特別ではない

 もちろんだからといって、私は科学を否定する者ではない。
科学は科学。
が、こう考えることは、とても重要なこと。
つまりいかなるばあいも、人間だけが特別な存在と考えてはいけない。
たとえばトカゲは小さな世界に住み、人間は広い世界に住んでいる。
トカゲには知恵や知識はないが、人間には、それがある、と。
人間も動物の一種であるし、その範囲では、上下関係はない。

●宇宙を知る

 飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、宇宙を知るということは、そういうことではないか。
解釈の仕方は、それぞれの人によって、ちがうだろう。
ダークマターにしても、ダークエネルギーにしても、「はい、それがあります」で終わってしまった
ら、宇宙学も、何とつまらないものになることだろう。
宇宙学によって、反対に遠い宇宙から、私たち人間を見る。
それが宇宙学では、ないか。

 ニュートンの付録を読みながら、このところ毎晩、同じことを考える。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「The Australians」に載った、日本非難の記事(偏見と事実誤認)

+++++++++++++++++++++++++++

要旨:南米(ブラジル)からの出稼ぎ労働者に対して、日本政府は
「3年以内の再入国禁止」政策を打ち出している。
このため恋人や家族と別れ離れになってしまった人たちも多い。
新聞は、「Yuriさん」のケースをあげ、日本を非難している。
これはきわめて非人道的な政策である、と。

オーストラリアの代表的新聞である「ジ・オーストラリアン」は、
いくつかの例をあげて、日本を批判している。
が、大きな誤解が2つある。

ひとつは、この制度は、浜松市全体が不況に見舞われた、数年前からある。
3・11大地震(2011)とは、直接には関係ない。
それに自費でブラジルへ帰国した人については、「3年間、入国禁止」の措置は
とられていない。

当初、この制度は、「仕事先で解雇されたが、帰国費用がない」と訴える
人たちを救済するために設けられた制度である。
もし「3年」という期限を設けなければ、それを利用して、自由に行ったり
来たりする人が出てくる。
帰国費用があっても、その制度を利用し、無料で帰国する人も多い。

ゆっくりと原文を読みたい人は、一度、自分で読んでみるとよい。
いかにいいかげんな記事であるかは、「出稼ぎ」を「degasegi(デガセギ)」と
誤読しているところからもわかる。

+++++++++++++++++++++++++++

THE huge Japanese earthquake and the contrasting fortunes of the Japanese and Brazilian 
economies have sent many BrazilianーJapanese back to Brazil.


But Japanese with roots in Latin America are finding that despite the economic boom in 
Brazil, wealth and jobs are yet to trickle down to the poor.
And the unpleasant existence they endured in Japan ー discriminated against and 
ostracised ーis often no better in Brazil.
日本へやってきた(日系)移民たちにとって、日本はブラジルより、よい国ではなかった。

Academic and documentaryーmaker Kimihiro Tsumura has made a film on these people, 
trapped between two radically different societies.

As Japan's economy sinks while Latin America's rises, such people are questioning where 
their future lies.
日本の経済が沈下し、ブラジルの経済が上昇したとき、これらの人々は、どちらに自分たちの
未来があるかを問うた。
The Japanese government has offered to pay for their tickets out of the country ー
provided they don't return.
日本政府は、もし彼らが戻らないなら、旅費を出すと申し出た。

For Professor Tsumura, this policy is unfair. "Morally, it's against human rights," he said. "
For the families who choose to take the grant, they can't come back to Japan for three 
years, if at all. It's just so opportunistic."
ツムラ氏は、(こうした施策を)人間性に反すると言った。
その申し出を受け入れると、3年間、日本には戻れないからである。

The degasegi, as they are known, are usually employed on threeーmonth contracts and are 
the first fired whenthere's a downturn. The children are allowed ー and in the case of some 
families, expected ー to work in factories from the age of 15.
こうした労働者は、ふつう3か月契約で働く。
子どもたちは15歳から、工場で働くことができる。

Several hundred thousand people in Japan have roots in Latin America. They come from a 
2.5 millionーstrong Japanese diaspora based mainly in Brazil. Their life can be a dispiriting 
process of bouncing between two worlds as the economic circumstances and immigration 
laws change.
ラテンアメリカには数十万人の日系人がいる。

The March 11 earthquake and tsunami, coming after the 2008 economic crisis, has meant 
more Latin American Japanese workers thrown out of work in the auto and electronics 
plants. Families are torn apart as different generations choose different paths.
2008年の経済危機と3・11震災のあと、これらの労働者は、職場を追われた。
家族はばらばらになった。

The Japanese diaspora in South America was established in the first half of last century by 
impoverished farm workers who fled overcrowding and economic hardship for a better life 
abroad.
日系人たちは貧しい農夫として働いた。

Fast forward to the 1980s, and Japan, at the height of its a bubble economy and desperate 
for workers, began encouraging these Latin American Japanese back to work in the 
factories.
1980年代、バブル経済のとき、日本政府は、これらの人々を日本の工場で働くよう奨励し
た。

Professor Tsumura, who teaches English at Hamamatsu Gakuin University, noticed the 
alienation of degasegi youth when he was posted to the industrial city south of Tokyo as 
Japan's economy began its decline in the 1990s.
しかし1990年に入ると、日本経済は下降した。

The parents were less visible ー either working in the factories or tucked up in bed. But he 
noticed the kids out on the street letting off steam in a way that often jarred with the 
conformity of Japanese life. 
両親たちは、子どもたちがどんな世界にいるかを知らなかった。

Often the way these youths carry themselves stamps them as foreigners, although they 
might be ethnically Japanese. Many of the young men have tattoos or wear chunky chains 
and rings, and rap or hipーhop style clothing.
子どもたちは、自らを「外国人」と位置づけた。
多くの若者はイレズミを入れ、ホップスタイルの衣服を身につけた。

Janete da Silva Oliveira, a Brazilian friend of Professor Tsumura's who helped with the 
documentary, called Lonely Swallows, said many degasegi felt caught between two worlds. "
Here they are foreigners and don't know quite how to act, and they can't get proper jobs," 
she said. "In Brazil they're foreigners too."
外国人であるという相互の意識のため、適切な仕事に就くことができなかった。

In Hamamatsu's degasegi community, which comprises about 15,000 of the town's 800,000 
people, the divorce rate is high and family breakdown common. The local government is 
sympathetic and runs programs to help them survive and plan a future.
Still, many have been lured back to South America in the belief their savings will help them 
buy a business.
人口80万人の浜松市に1万5000人のブラジル人がいたが、高い離婚率、家庭崩壊を多くが
経験している。

Others have been tempted by Brazil's economic miracle. But those who know Brazil beyond 
the economic statistics say ordinary Brazilians are still battling violence, unemployment and 
corruption.
ブラジルの高い経済成長は魅力的だが、ふつうのブラジル人にとっては、ブラジルというのは、
闘争と失業、それに崩壊の国である。

In the Tsumura film, the problems of staying and going are illustrated through the story of 
Yuri, 19, a former gang leader who finds Brazil no pushover, and Paula, a young girl fighting 
to build a life.
Yuri says he has been abandoned by his parents and girlfriend after he was busted for 
stealing a car navigation system.
ユリ(19歳)は、ギャングのリーダーだった。
彼はカーナビを盗んだとき、彼の両親とガールフレンドに見捨てられた。

His parents return to Brazil, leaving him alone in Japan with a changing group of friends who 
drift from town to town picking up factory work. Yuri moves to Brazil to reconcile with his 
father but can't get work. 
両親はブラジルへ帰り、ユリは、ひとり、日本に残された。

When his girlfriend falls pregnant, they go back to Japan. Paula, 15, is forced to bid her 
boyfriend goodbye when her parents decide to leave for Brazil.
彼のガールフレンドは妊娠したが、両親がブラジルへ帰るとき、ユリに別れを告げなければな
らなかった。

"He sometimes cries, saying 'You're going back'," she says. "I want to stay here, but my 
parents have decided and once I go to Brazil, I can't come back here."
ユリは、「もどってきてほしい」と泣く。
が、ガールフレンドはこう言う。
一度、ブラジルに戻ったら、ここへは来ることはできない、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●3年再入国禁止措置

 私もこの政策が打ち出されたとき、当初は、「3年再入国禁止措置」に、反対した。
しかしそのあと実情を調べるにつれ、「仕方ない」という方向に、徐々に傾いていった。
もしそういう措置をとらなければ、日本政府は、往復費用の半分を負担することになる。
(このため、たいていの先進国では、帰国用の飛行機のチケットがないばあいには、入国を認
めないという措置をとっている。)
入国前、入国時についても、日本政府はかなりの優遇策を講じている。

 つまり南米からのほとんどの労働者たちは、片道切符だけで、日本に入国している。
が、ここにそもそもの問題点が隠されていた。
もともと貧しい日系人、日系人の子孫である。
そういう人たちであるということがわかっていたから、なおさら、南米からの労働者に甘かった
ということもある。
そして一時は、この浜松市にも、3万人近い、南米からの労働者があふれるようになった。

●問題

 いちばん大きな問題は、教育の問題である。
日本とブラジルとでは、教育制度が大きくちがう。
「教育」に対する考え方もちがう。

 だから当時は、つまり南米からの労働者がピークを迎えたころには、どこの学校も、学級崩
壊に苦しんだ。
教育そのものが、成り立たなくなってしまった学校も多い。
近くの菊川市では、小学校の児童の、5人に1人が、日本語のまったく話せない南米からの労
働者の子どもたちになってしまったこともある。
しかしそういう子どもたちのための、専門の講師もいなければ、カリキュラムもなかった。
もちろん特別な予算もなかった(K小学校校長談)。
しかたないので、どこでも、そういった子どもたちを、普通学級へと編入させていった。

 が、こうなると、授業そのものが、成り立たない。
それが学級崩壊へとつながっていった。
もちろんこれは彼らの責任ではない。
先のことをよく考えないまま、無分別にブラジルからの労働者を受け入れた国の責任である。
彼らもまた人間である。
単なる「労働力」としか考えなかったところに、失敗の原因がある。

●The Australiansへの反論

 私は、即、The Australiansへ反論を送った。
以下、その反論。

「This article is wrong in some points and misleads your readers.
この原稿は、いくつかの点でまちがっている。読者に誤解を与えている。

Hamamatsu Government pays the fares by planes back to Brazil . (Whole 
fare back to Brazil from Hamamatsu)
浜松市は、ブラジルへの航空運賃を支払っている。(浜松からの全額航空運賃である。)

Because Many Brazilians complain that they have no money to go back to Brazil after they 
have lost their jobs. And they try to stay in Japan as illegal immigrants.
なぜなら、仕事を失ったとき、彼らは、帰国の費用がないと不満をもらし、不法移民のまま日本
に滞在しようとしたからである。
In this case they can not come back to Japan for three years.
この場合は、彼らは3年間、日本へ戻ってくることはできない。
This is true.
これは事実である。
Otherwise they can go and come back between Japan and Brazil free of 
charge anytime.
そうでなければ、彼らは日本とブラジルの間を、航空運賃が無料のまま行き来できることにな
る。
As a matter of fact there are also many cunning Brazilians to utilize this systm.
事実、この施策を利用する多くのずるいブラジル人もいる。
Some are very too poor to pay the fare but some are very rich of course.
もちろん中には、運賃も払えないような貧しいブラジル人もいる。
が、金持ちのブラジル人もいる。
They can pay the fare but they pretends to be poor. 
運賃を払えるにもかかわらず、貧しいフリをする。
They receive the fare from Hamamatsu-city government an go back free of charge.
But no one can check it.)
彼らは浜松市から料金を受け取り、無料で帰る。
しかしだれもそれをチェックできない。
But when they go back to Brazil by temselves , paying the fare by themselves,
it is no problem to re-enter Japan anytime as they like even next week or next month.
しかしもし自費でブラジルへ帰国すれば、日本への再入国には、問題はない。
来週でも、来月でも、入国できる。
The writer of this article does not know such these facts or did not investigate the fact 
deep enough.
この原稿を書いた記者は、これらの事実を知らないか、じゅうぶん深く調査をしていない。
It is also true, however, that the citizens of Hamamatsu did not try to welcome these 
people from Brazil warm-enough, or rather we looked at the just foreigners than use-to-be 
Japanese one two or three generations ago.
しかし浜松市民が、これらの人々を、じゅうぶん温かく迎えなかったのは事実であり、私たちは
彼らを日系人というよりは、外国人として見た。
I am sure that for them Japan was such a contry too fifferent from their own cultures.
私は彼らにしてみれば、自分たちのもつ文化とはあまりにも違った国であったということは確信
している。
On reflection we cannot say that we have been kind enough for these people.
反省してみると、私たちはかれらにじゅうぶん親切だったとは言えない。

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu, Japan
浜松・はやし浩司
 

Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【浜松から福井県・大野市へ】(気楽なひとり旅)

(プロローグ)

 私は子どものころ、いつも母にこう聞いていたという。
「あの山の向こうはどうなっている?」と。
そのたびに、母は、こう言った。
「この山をいくつも越えていくとなあ、大野というところへ行くそうや」と。

 今でも、その「大野」という言葉が、脳の中で、母の声で残っている。
それでひとり旅。
福井県・越前大野市をめざして!

●ひとり旅

++++++++++++++++++++++

休みに、どうしてもしてみたいことがあった。
ひとり旅。
たまたま昨日、ワイフと喧嘩した。
たいした喧嘩ではなかったが、それを口実に、今夜、
家を飛び出した。

明日は、福井県の大野市に向かう。
その大野市から、岐阜県に入る。
(本当は、その逆コースをたどってみたかったのだが……。)
岐阜県に入ったら、関市板取村から岐阜市へ戻る。

若いころは、こういうひとり旅をよくした。
たいていはヒッチハイクだった。
もちろんこの年齢では、ヒッチハイクはできない。
車も止まってくれないだろう。

行程は決まっていない。
パソコンがあるから、それで調べながら行く。
とりあえず、明日は、大野市へ。

(浜松)→(大野市)→(板取村)→(岐阜市)→(浜松)!

++++++++++++++++++++++

●浜松に一泊

 今夜は、……というわけで、浜松市内のビジネスホテルに一泊。
酒が飲めない私が、コンビニでチューハイを買ってきた。
菓子に、ジュース、それにパン1個。
家を飛び出したとき気がついたが、Tシャツが汚れていた。
それは今夜風呂場で洗うつもり。
あるいは明日、駅前の店で1枚、買うつもり。

……たった今、地図で調べてみた。
大野市から岐阜県側までの距離。
歩いていける距離と思っていた。
しかし九頭竜湖に沿って歩いただけでも、20〜30キロもある!
地図で見ると平坦だが、「〜〜岳」「〜〜岳」という文字が目に付く。
相当に険しい道らしい。

 あきらめた!
と、同時に、大野市の観光案内を読む。
ひとつの文化圏を形成した文化都市。
訪れてみる価値あり。
そう判断した。

●子どものころ

 大野市へ行きたいことについては、理由がある。
その話。

 ……私は子どものころ、よく母の在所で休みを過ごした。
そのとき、「大野」という名前がよく出てきた。
「この道をどんどんと上っていくと、福井県の大野へ出る」と。

 それが私には、信じられなかった。
母の在所は、低いが無数の山々に囲まれていた。
そして道の向こうには、壁のように高い山々が、おおいかぶさっていた。
山の向こうに、町があるなどとは、とても信じられなかった。
が、やがて地図を見るようになり、たしかにその道が、福井県の大野市へつながっているのを
知った。
それで「いつか……」と思うようになった。
「いつか、あの山を越えて、大野市へ行ってみよう」と。

●スカイプ

 たった今、オーストラリアの友人と、スカイプで話をした。
30分ほど、あれこれ話した。
気温は、8度とか。
向こうは今が真冬。
南オーストラリア州のどこかでは、雪が降っているとも言った。

 友人は、1〜2分ごとに、コンコンと咳を繰り返していた。
少し熱があるという。
「まだ休みが5日もある」と話すと、「じゃあ、オーストラリアへ来い」と。
前々回は、別の友人の娘の結婚式に出るため、3日間で往復した。
5日もあれば、向こうで2泊できる。
ふと、行きたくなった。
……というか、若いときなら、そうした。
それが私のやり方だった。
火がついたら、そのまま行動。
今もその「火」が、心のどこかに残っている。

●友だち

 中学生のとき、コーラス部で、こんな歌を歌った。
「♪友だちはいいな」と。

「♪友だちはいいな。明るい日向(ひなた)。かぐわしい花のそばに……」と。
NHKコンクールの課題曲だった。
が、そのときは、そんな歌を歌いながらも、「そうかなあ?」と思っていた。
が、今は、ちがう。
友だちのありがたさが、じんと胸にしみてくる。
話しているだけで、勇気がわいてくる。
こうしてホテルでひとりでいると、それがよくわかる。
で、今は、こう思う。
「明日は、大野へ行こう」と。
迷いは消えた。

 明日の夜、10時に、またスカイプをすることになっている。
そのときは、別の旅館で、そのスカイプをしたい。
「今、泊まっている旅館はね……」とか。
そんなことを話をしたい。
「ワイフに会いたかったから、家に戻った」とは、言いたくない。

●夫婦

 メールで、こんな相談(?)があった。
「夫と結婚して、8年になる。
しかしこの2年間、会話らしい会話をしたことがない。
レストランへ行っても、たがいに上の空。
会話といっても、共通の話題そのものがない。
結婚当初は、よく話をしたが、今にして思うと、どんなことを話していたか、それすら思い出せな
い」と。

 こういう問題は、私は苦手。
私たち夫婦だって、問題をかかえている。
どうしようもないでいる。
そんな私が、相談に乗ること自体、おかしい。

断りの返事を書いたあと、そのまま削除した。
しかしそういう夫婦もいる。
親子もいる。
私の知人などは、30年間も、父親と話をしたことがないという人がいる。
同居していても、そうなるときには、そうなる。

 が、夫婦のばあいは、どうか?
会話が途絶えたら、その2人は、夫婦と言えるのか。
もっとも夫婦には「形」はない。
標準もない。
それぞれがそれぞれに、ひとつの空間を共有すれば、それでよい。
あとは成り行き。
自然体。
無理をしてはいけない。
努力は必要だが、気負ってはいけない。
それでも、見た目にはうまくやっている夫婦となると、ゴマンといる。

●電気の無駄遣い

 今、シャツを風呂場で洗った。
洗ったあと、エアコンの排出口の前につりさげた。
明日の朝までに乾くだろうか?
少し不安になった。

 で、たった今、窓を少し開け、窓の内側にかけなおした。
生暖かい風が、サーッと吹いてきた。
今夜も熱帯夜になりそう。
しかし……。
一方で冷房をかけ、一方で、外気を中に取り入れる。
まさに電気の無駄使い。

●頭痛

 喧嘩の原因は、私の頭痛。
いろいろあって、その前日、私は軽い熱中症になった。
幸い、症状は軽くてすんだが、そのあと、頭痛だけが残った。
かなりはげしい頭痛である。
偏頭痛の頭痛とは違う。
風邪の頭痛ともちがう。
頭のこめかみの奥が、割れるように、小刻みに痛む。

 加えて、熱中症特有のイライラ感。
まさにマニュアル通りの頭痛。
で、そのイライラをワイフにぶつけてしまった。
「お前の料理は、まずい!」とか。
そんなことを口にしてしまった。

 そういう点では、私は自己管理能力が低い。
ワイフは即座にそれに反応する。
私が「頭が痛い」と言っても、「自業自得でしょ」と片づけてしまう。
「あなたが暑いのに、道路を歩くから、悪いのよ」と。
で、その日は、一日中、床の上で臥せっていた。
もちろんゼロ看病。

 夕方になって起き上がった。
ワイフに首のマッサージを頼んだ。
が、あっさりと断られてしまった。
「いやよ!」と。
それで私は、家を出た。
口論をしたくなかった。
だから家を出た。

●8月15日から8月16日

 時刻は23:57。
パソコンの右下の時計では、そうなっている。
目がしょぼしょぼしてきた。
眠い。
だから今日の日記はここまで。
 
 ……今、時刻を見ると、0:01になっていた。
お茶に水を入れて、口につけただけで、4分も過ぎた!

+++++++++8月16日+++++++++

●単独行動

 私は「単独」で生きてきた。
組織というものが、私の体になじまない。
が、自由に生きてきたわけではない。
いつも無数のクサリに縛られて、生きてきた。

 義務感、責任感、拘束感……。
それに加えて、私はクソまじめ。
自分でもおかしいと思うほど、クソまじめ。
ときにそれが重圧感となって、私を襲う。
だから私の人生は、(息苦しさ)と(爆発)。
この繰り返し。

 もう少し、ズル賢くなってもいいのでは……。
よくそう思うが、気がついてみると、やはりクソまじめ。
いつも心のどこかで、家族のことを心配している。

 だから集団行動が苦手。
学生のころも、運動会や旅行が、苦手だった。
楽しいというより、自由が制約されると、とたんに息苦しく感じた。
だから旅行も、たいていひとりでした。
目的地も決めないで、ぶらぶらと……。
それが私のやり方だった。

●子どもたち
 
 よく学校帰りの子どもたちを見かけるときがある。
中学校の校門から、ゾロゾロと歩いて出てくる。
そのとき、いろいろなグループがあることがわかる。

 2〜3人とか、3〜4人とか、グループを作っている子どもたちが多い。
が、ときどき、1人で歩いて帰る子どもを見かける。
さみしそうとか、そういうふうには、見えない。
何かの本を読んでいたり、下を見つめたまま歩いていたりする。

 私にも小学生、中学生、高校生のときがあった。
毎日学校へ通っていたわけだから、通学の記憶も残っていてよいはず。
しかしそれがよく思い出せない。

「私はどうだったかなあ……?」と。

 登校のときはひとりだったと思うが、帰りは、いつも仲間といっしょだった。
小学生のときは、7〜8人で、集団で帰った。
が、高校生になると、いつもひとりだった。
大学生のときも、ひとりだった。
どこかのたまり場に集まることはあった。
が、そこからは、ひとりで帰った。

●観光旅行

 ということもあって、観光旅行が苦手。
バス旅行などというものは、私にとっては、拷問のようなもの。
ガイドが観光案内を始めるたびに、私は耳をふさぐ。
「右に見えますのが、〜〜。左に見えてくるのが〜〜」と。
ああした情報には、価値はない。
意味もない。
まったく、ない。
聞いても、すぐ忘れる。

 今は、ナビの時代。
情報過多の時代。
そうでなくても、情報は毎日、洪水のように押し寄せてくる。
「旅行のときぐらい、静かにのんびりしたい……」と、私は思う。
思うから、観光旅行が、苦手。

●8月16日

 今朝は6時半に起きた。
Tシャツは乾いていなかった。
しかたないので、部屋の中につるし、それをドライヤーで10分ほど暖めた。
だいぶ、乾いた。

 これから風呂に入り、福井市へ向かう。
福井市から大野市へ向かう電車があるという。
その電車に乗る。
まだ眠いが、電車の中で眠っていけばよい。

 ……そうそう、ラッシュアワーは避けたい。
現在、時刻は7時23分。
8時ごろの電車に乗れば、名古屋あたりを、10時ごろ通過。
たぶん、だいじょうぶだろう。

 が、時刻表は調べない。
あとは、そのときの様子を見て、決める。

●朝食
 
 このビジネスホテルでは、朝食は無料ということになっている。
巧みな商法である。
「無料」ということなら、だれしもたいした料理を期待しない。
簡単なサービスに簡単な食材。
それに「セルフサービス」と書いてあっても、文句を言わない。

 実際には、1泊シングルで、6000円。
「時節柄、割高になっています」と、フロントの男は言った。
その朝食でのこと。

 ビア樽のように太った男が、斜め前の席に座った。
背も高い。
「元関取」と言っても、だれも疑わないだろう。
その男が、ごはんを山盛りにして、2杯、3杯と食べていた。
食べているというより、食物を、胃袋の中に押し込んでいるといったふう。
が、そこで止まったわけではない。
席に座ったまま、まだものほしそうに、料理のほうを見ていた。
「もう1杯、食べるぞ」と思っていたら、案の定、また食器をもったまま席を立った。

 それを見ながら、こう思った。
「ダイエットは、習慣の問題」と。
食生活という習慣を変えないかぎり、ダイエットは成功しない。

●列車
 
 JR浜松駅へ着くと、ちょうど岐阜行きが出るところだった。
私はとりあえず、名古屋までにチケットを買った。
自動販売機では、名古屋までしか売っていなかった。

 幸い、席はあいていた。
そのひとつに座った。
節電対策のせいか、冷房特有の冷気は感じなかった。

●家族崩壊

 軽い睡魔が襲ってきた。
昨夜寝る前に、熟睡剤を少し割ってのんだ。
それが今ごろになって効いてきた。

 心地よい眠気。
キーボードを叩く指も、心なしか、けだるい。

 ……昨夜、オーストラリアのB君と話したことを思い浮かべていた。
B君と母親は、車で5分ほどの距離のところに住みながら、別々の家を構えて住んでいる。
「日本では、同居する」と言うと、B君は、こう言った。
「J(=母親)は、もうすぐ、オールドマン・ビレッジに入ることになっているよ」と。

 日本風に言えば、85歳とは言え、まだピンピンしている。
そんな女性でも、「もうすぐ」と、B君は言う。

 そういう状態を、韓国人のある作家は、「家族崩壊」(「家庭崩壊」ではない)と見抜いた。
つまり欧米では、「家族崩壊」が、何世紀にも渡って、社会の中に定着している。
もっとも大家族主義の韓国から見れば、の話だが……。

●列車の中

 眠るのもよし。
このままパソコン相手に、遊ぶのもよし。
今日のお供は、TOSHIBAのMX。
バッテリーのもちが、抜群によい。
うまく使えば、9時間はもつ。
(たった今、チェックしてみたら、93%、7時間50分と表示された。)
福井市はもちろん、大野市までもつはず。

 ……前の席に座った女性は、イヤフォンで音楽を聴きながら、読書している。
その横の女性は、赤いハンカチを手で握ったまま、少し離れたところの人たちをながめてい
る。
いつもの風景。
見慣れた風景。
つぎの列車に乗れば、そのまま忘れる風景。
私も、ぼんやりと、そうした風景をながめる。

●豊橋

 豊橋からは、大垣行きの、新快速に乗り換えた。
停車駅が少ない。
「大垣で、おりてみようか」という思いも、少しあった。
岐阜県に住んでいながら、私は大垣駅で、下車したことがない。
静かでよい町とは聞いている。
が、こんな朝早く着いても、しかたない。
それに体力は、できるだけ残しておいたほうがよい。
軽い頭痛は、まだ残っている。
やはりこのまま福井県の大野市に直行!

 今、そう決めた。

●選択

 人はいつも、そのつど、選択を繰り返しながら、生きている。
英語では「選択」というが、日本語で言えば、「迷い」。
迷いながら、生きている。

 できれば迷いのない人生を送りたい。
しかし時として、その迷いに苦しむことがある。
そのときどきの気分にも左右される。
そのときは「それでよい」と思っても、あとになってから、「しまった」と思う。
そんなことも多い。

 だから人は、最大公約数的な部分で、判断をくだそうとする。
無難で、安全な道。
人を傷つけず、人間関係を破壊しない。
そのレベルで、自分を納得させる。
が、そうした生き方にも、限界がある。
無数のクサリとなって、体にからみついてくる。

●御用学者

 数日前、NHKのテレビ解説委員の言葉に耳を傾けた。
EUの経済危機と、USAのドル暴落について話していた。
以前の私なら、何の批評も加えず、そうした解説委員の言葉を聞いていただろう。
しかし今は、ちがう。

 彼らは、ウソは言わない。
しかし本当のことも言わない。
原発事故以来、こうした解説委員の言葉を、私は信用しなくなった。
案の定、(けっしてそれを望むわけではないが)、解説委員は、こう言っていた。
「G7の経済閣僚が、電話会議を繰り返し、危機に陥らないよう努力しています」
「今は、小康状態を保っています」などなど。

 が、あのリーマンショックのときを思い出してみてほしい。
すでにネット上では、危機的な情報が行き交っていた。
が、公の報道機関は、「心配ない」「影響は限定的」と繰り返していた。
結果、リーマンショックは、(ショック)となって、ドカーンとやってきた。
一番、損をしたのは、一般投資家たちであった。

 今の今も、そうだ。
たとえばドイツ国債ですら、この4〜6月期、1兆8000億円以上も、売り越しがつづいている。
「国が売られている」。
ブラジルやオーストラリアでさえ、売り越しに転じている(2011年8月)。
こういう事実をさておいて、「心配ない」は、ない。

 こうした大本営発表には、じゅうぶん、注意したほうがよい。
彼らもまた、テレビカメラに向かって話す前、ディレクターにこう注意されているはず。
「国民にいらぬ不安を与えるような発言は避けてください」と。

 かくして解説委員たは、御用学者と成り下がり、事実を国民の目からそらす。

●国際経済

 国際経済について言えば、もう結論は出ている。
つまり、もうどうしようもない。
ギリシア危機についても、手の施しようがない。
お手上げ。
目下の心配は、それがスペインやポルトガルに波及するか、しないかということ。
その先には、フランスがある。

 中国も同じ。
民主化の嵐は、この先強くなることはあっても、弱くなることはない。
その混乱が、世界経済にも影響を与える。

 日本やアメリカについては、もう何度も書いた。
生き残る道はただひとつ。
極端な円安に誘導し、人工的にハイパーインフレを引き起こす。
そういう形で、借金をチャラにする。
官僚たちの頭の中では、その構想は、すでにできあがっているにちがいない。

●日本vsアメリカ
 
 どんなに転んでも、アメリカはアメリカ。
そのアメリカに、日本が勝てるわけがない。
アメリカには、強力な軍隊、資源、食糧の3つがそろっている。
それがアメリカという国を、3本の柱となって、支えている。

 一方、この日本には、その3つがない。
どれも貧弱。
が、それよりも心配するのは、現在の韓国がそうであるように、この日本も、アメリカの経済的
植民地になるのではないかということ。
経済規模そのものが、ちがう。
アメリカにしてみれば、日本の企業の買収など、なんでもない。
たとえばアルコール(酒造)産業にしても、全国規模の酒造会社と、地方の地酒会社くらいの差
はある。
力の差は、100:9程度と言われている。
日本の企業を買い取る程度のことなら、朝飯前。


 アメリカはそのうち、日本の銀行の買収に乗り出してくるはず。
そのときこそ、要注意。

●名古屋へ

 かたい話ばかりつづいた。
列車は、愛知県の刈谷(かりや)を出た。
名古屋駅まで、あと30分ほど。
そこから岐阜まで、30分。
この列車は、大垣まで行く。
そこで列車を乗り換え、米原から福井へと向かう。

●大垣

 大垣で、今度は米原行きに乗り換える。
窓の外には、白くかすんだ田園風景がつづく。
もうすぐ伊吹山が見えてくるはず。
生涯に、2度、登ったことがある。
3度目は、もうないだろう。

 ……伊吹山が見えてきた。
白い夏雲。
その向こうに水色の空。
丸いなだらかな形をした山。
今は車で、頂上近くまで登ることができる。
その山を見ながら、ふとワイフのことを思い出す。
頂上で、岩に座って、氷を食べた。

 が、今日はワイフの話は避けたい。
目下、夫婦喧嘩中。
というか、私は家族にも嫌われている。
同居している長男にしても、たいていのばい、話しかけても、返事すらしない。
だからときどき、私はこう思う。
「私さえいなければ、私の家族はみな、平和で安泰なのだがなあ」と。

 先日観た『ツリー・オブ・ライフ』の中にも、こんなシーンがあった。
映画の中の長男が、「あんな父、早く死ねばいい」と言った。
で、それを思い出し、数日前、私は長男にこう聞いてみた。

「なあ、お前もなあ、ぼくのこと、早く死んでしまえばいいと思っているのか?」と。

が、長男は何も答えなかった。
無言イコール、「YES」ということになる。
このばあいは、そういうことになる。

 少なからずショックを受けたが、私は冗談ぽく、それを受け流した。
が、私のワイフにしても、そうだ。
ときどき、本音を漏らす。
その本音が、こわい。
そのつどズバリ、ズバリと私の心を突き刺す。

 先日も、こう言いかけた。
「あなたがみんなに嫌われているのはねエ……」と。
すかさず私はワイフの口を制した。

●用なし

 父親というのは、そういうもの。
「家族を支えなければ」という気負いは、母親のそれとは、比較にならないほど、強い。
この40年間にしても、病気で仕事を休んだのは、数日しかない。
しかも丸1日休んだわけではない。
どうしても耐えられなくなり、午後の半分の仕事だけを休むとか、そういう休み方だった。

 あとは薬をのんで、自分をごまかした。
先週も、熱中症で吐き気と頭痛がした。
それでもレッスンを休まなかった。

 ……というような話を、ワイフや息子たちにしても、意味がない。
即座に、「私だってねエ」とやり返される。
息子たちにしても、「そんな恩着せがましいこと、聞きたくない」と言う。

 が、あるとき、男は用なしになる。
ジジイというレッテルを張られる。
とたん、家族の目は、冷たくなる。
粗大ゴミ?
厄介者?
じゃま者?

 私の家だけではない。
どこの家族でも似たようなことが起きている。
このあたりでも、「親の介護が2年つづくと、兄弟姉妹は、バラバラになる」という。
集団検診に行ったとき、そこにいた看護師の女性が、そう話してくれた。
さみしい話だが、それが最近の家族像ということになる。

●機嫌を取る

 私は結婚してから、いつも、ワイフや子どもたちの機嫌ばかりとってきたような気がする。
が、ときどき、それに疲れる。
だから爆発する。
その繰り返し。

 今も、そうだ。
自分のしたいことより、ワイフの喜ぶことを優先させる。
長男の機嫌をとる。
同時に自分を犠牲にする。

 が、一言、不平、不満をもらしたら、最後。
ワイフの態度は一変する。
(コワイゾ〜!)
批判など、とてもできない。
そのまま殻にこもる。
がんこになる。

 ふだんはやさしく親切。
しかしこういうときになると、「どこへでも行きたいところへ行ったら」という態度になる。
「抑圧」というのは、そういう意味では、恐ろしい。
ワイフにかぎらず、その人が、まったくの別人格になる。
それこそ20年前、30年前の話を持ち出して、口論になる。

 だから……人は、常に自分を発散させて生きるのがよい。
不平や不満を、心の別室に押し込んではいけない。
それを繰り返していると、やがて心がゆがむ。

●離婚

 だから私たち夫婦も、よく離婚を考えた。
喧嘩のたびに、「離婚してやる」「離婚しましょう」となる。
が、2日も、それがつづくことはない。
3日目にはまた、もとの生活に戻る。
この繰り返し。

 だからこんな(繰り返し)は、もうやめようと思った。
何度も思った。
しかしそのつど、どちらが本当の私たちなのか、わからなくなる。
喧嘩をしているときは、喧嘩をしているときの私たちのほうが、本当の私たちと思う。
ふだんは、ふだんのときの私たちが、本当の私たちと思う。

 が、最近の私は、喧嘩はしたくない。
だからたいてい、そのまま外へ飛び出す。
ドライブ中に喧嘩しそうな雰囲気になったら、車の外へ。
家の中であれば、そのまま外出、あるいは家出。
が、それがかえって、ワイフを怒らせる。
今の状況がそうだ。
大声を張り上げて、言い争うということはしない。……もうしたくない。

●米原

 米原に着いた。
11:59分発の特急しらさぎを待つ。
まだ30分ほど、ある。

 食欲はゼロ。
昨日は、やけ食いも兼ねて、4回も食事をした。
今朝もバイキング。
いまだに腹の中が、ガポガポしている。

 ホームには、そば屋がある。
クーラーのきいた待合室もある。
が、私は心地よい暑さを感じながら、こうしてベンチに座って、キーボードを叩く。

 ……目の前に、どこ行きかは知らないが、「新快速」と書いた電車が入ってきた。
「弱冷車」という文字も見える。
「うまい言い方だな」と、感心する。
役人というのは、新語を考えるときは、天才的な頭脳を発揮する。
「自衛隊」という言葉にしても、そうだ。
中身は軍隊なのだが、「自衛隊」というと、ぐんと響きがやさしくなる。
世界をだませる。

 「節電冷房」ではなく、「弱冷車」。
たとえそうであっても、そんなこと、わざわざ断らなくてもよいのに。
どこか恩着せがましい?
偽善者ぽい?

●「消えました」

 そう言えば、先月、オーストラリアの友人が、それまでのガールフレンドと別れた。
それについて、その友人は、こう書いてきた。
「She disappeared from my life.」と。

 直訳すると、「彼女は、ぼくの人生から消えた」と。
日本人なら、「別れた」という言葉を使う。
それを「ぼくの人生から消えた」と。

 そのときも、「うまい言い方だなあ」と思った。
「消えた」と書けば、責任問題は生じない。
未練がましくない。
悲壮感もない。
それを聞いた相手(=私)にも、心配をかけないですむ。

 だからもし私がワイフと離婚したら、こう言おうと考えている。
「A子(ワイフ)は、ぼくの人生から消えました」と。
 
●しらさぎ

 ここまで普通列車(快速)でやってきた。
が、ここからは特急。
15分ほど前に、ホームに列車が入ってきた。
自由席だが、最前列の席に座る。
パソコン台があり、その横には、電源もある。

 さっそく電源をつなぎ、充電開始。

 学生時代は、4年間、通った路線である。
当時の私には、特急に乗ることなど、考えも及ばなかった。
いつも鈍行。
大学1年生のときは、岐阜から金沢まで、たしか900円と少しだった。
学割を使うと、急行や特急には乗れなかった。
そんなことを、ふと、思い出す。

●密度の問題

 先に、「この2年間、会話らしい会話のない夫婦」について、少し触れた。
2年間!
私もワイフもおしゃべりのほう。
だからそういう話を聞くと、「よくもまあ、がまんできるもの」と感心してしまう。
私なら1週間で、気が変になってしまうだろう。
恐らく仕事のすれちがいもあったりし、顔を合わせる時間も、少なかったのだろう。
夫婦といっても、密度の問題もある。

 一方、私の近所には、奥さんで、スイスで着物の着付けを教えている女性がいる。
洗練されたセンスと垢抜けたマナー。
その奥さんのばあい、一度スイスへ行くと、半年ほど、家を空ける。
が、それでも、夫婦がいっしょにいるときは、実に楽しそう。
そういう夫婦もいる。
長時間いっしょにいるから、密度が濃いということには、ならない。

 要するに、夫婦に定型はないということ。
私は私。
あなたはあなた。
大切なことは、認め合うこと。
干渉しないこと。
10年とか20年とか、長い年月をかけて、それぞれが自分たちの夫婦の像を作る。

 だから自分たちが、ほかの夫婦とちがうからといって、それを問題にしてはいけない。
その必要もない。
が、それにしても2年、とは!
「私なら別れる……」と考えるが、今、別れるにも、お金がかかる。
子どもの問題もある。
もちろん世間体もある。
それを考えると、「やっぱり、我慢します」となる。

●遅れ

 接続新幹線の遅れがあって、発車が15分ほど、遅れるという。
「こういうこともあるのだなあ」と思いながら、静かに待つ。
6号車は自由席だが、私を含めて乗客は7人ほど。

 プラットホームで駅員が何やらしゃべっていることを除けば、のどかな風景。
心休まる風景。
カーテンを開き、窓の外を見る。
駅の向こうを、車が走っているのが見える。
国道1号線だと思う。(まちがっていたら、ごめん!)

 遅れていた新幹線が着いたのか、どやどやと乗客が乗り込んできた。
と、同時に発車ベルが鳴った。
列車は、北陸線へ入った。

●絵描き
 
 絵描きと、もの書き。
よく似ている。
絵描きかは、そのときの風景(=心)を、絵にする。
もの書きは、そのときの心を、文にする。

 ひとつ大きくちがうところと言えば、絵を描いているときは、心の中は無になる。
ストレス解消になる。
文を書いているときは、頭の中は緊張感でいっぱいになる。
だから文を書いていても、ストレス解消にはならない。

 では、なぜ、書くか?

 あくまでもこれは私のばあいだが、書かないでいると、すぐ頭の中がモヤモヤしてくる。
放っておくと、それが充満し、息苦しくなる。
だから文を書いて、それを吐き出す。
その爽快感がたまらない。
今の今も、そうだ。
窓の外の景色を見ていても、つぎからつぎへと書きたいことが湧いてくる。
ぼんやりと眺めていても、そうなる。

 それはちょうどカメラマンが、何かの被写体を見つけたときの気持ちに似ているのでは?
それを楽しむ前に、シャッターを先に切る。
もしそうでないと、あとで後悔することになる。
「あのとき、写真を撮っておけばよかった」と。

 もの書きの心理もそれに似ている。
そのときでないと、思いつかないことは多い。
あとになると、忘れてしまう。
「しまった!」と思うことも多い。
だから、書く。

 ……と書くと、「そんなことをしていたら、旅を楽しめなくなるのでは?」と思う人もいるかもしれ
ない。
しかし旅の楽しみ方は、人、それぞれ。
私のばあいは、あとで自分の書いた文を読みなおすことで、何度も旅を楽しむことができる。

 しがない、無名のもの書きだが、そう思う。

●北陸線

 学生時代の北陸線から見える景色は、ひなびた田舎の農村だった。
「♪秋の、日暮れしころの、北陸の長浜の町は……イノシシが逆さまにぶらさがっている」と。
合唱団で歌った歌に、そんなのがあった。

 が、その景色も一変した。
家々も近代的になり、平行して高速道路が走っている。
遠くの丘の上には、高層ビルも見える。
近代的な工場もふえた。
深い緑の木々はそのままだが、「これが北陸線?」と思うほど、あたりの様子は変わった。

●敦賀(つるが)

 しかし頭の中がからっぽになることも、ないわけではない。
緊張感が途切れ、疲れを覚えたようなとき。

 ……たった今、列車は、敦賀(つるが)に着いた。
敦賀原発のある、敦賀。
ここにも老朽化した原発が、いくつかあるという。
津波の心配もある。

 もしこの敦賀原発で、福島第一原発程度の事故が起きたら、その影響は岐阜市を越え、名
古屋市にも及ぶ。
直線距離にして、岐阜市まで、70キロしか離れていない。
ウソだと思う人は、グーグルアースを使って、自分で調べてみたらよい。
つまり岐阜市も、「避難勧奨区域」。

 が、岐阜市の人たちは、どこ吹く風。
敦賀というと、遠い、遠い、山の彼方(かなた)の、その向こうと考えている。

●長いトンネル

 列車は、長いトンネルに入った。
福井までは、あと30分ほど。
そこから越前大野へ向かう。

 子どものころ、「あの山の向こうはどうなっている」と聞いた、その「大野」。
その昔には、越前大野から塩をはじめ、数々の海産物が、岐阜県側に入ってきた。
私の母の先祖は、岐阜城からの落ち武者だった。
その街道沿いで、山賊をしていたという説もある。

 もっとも母は、こう言っていた。
「通行料をもらっていただけや」と。

 大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに、一度は、その大野(大野市)を見たかった。
自分の目で、それを確かめたかった。
それで今日、その日がやってきた。

●9000円

 ……先のところまで書いたところで、船酔いに似ためまいを覚えた。
昨夜は、午前0時ごろ、床に就いた。
目を覚ましたのは、6時ごろ。
睡眠不足がたたった。

 で、パソコンを閉じ、福井市へ着くまで、静かに目を閉じた。

 ……今は、福井市から越前大野に向かう電車の中にいる。
1両編成のワンマンカー。
地元の人たちと思われる乗客で、ほぼ満員。
形は電車だが、エンジン音は、バスのそれ。
ときどきギアが入れ替わるのがわかる。

 福井市は、遠く三方を高い山に囲まれている。
10分も走ると、広々とした田園風景が広がる。
前方には、さらに高い山が見える。
それを見て、「これはだめだな」と。
明日は、大野市から、九頭竜ダム湖まで出て、それから岐阜県の白川村まで歩くつもりだっ
た。
距離にして20キロ。
けっして歩けない距離ではない。
平坦地なら、歩ける。
しかし「この山では……!」と。
 
 先に、駅の観光案内所を訪れてみた。
タクシーでなら、行ってくれるとのこと。
料金は、9000円、とか。
目下、思案中。

●電車

 空が曇ってきた。
雨模様。
ときどき、窓の外を見る。
まぶしいばかりの田の緑が、目に入る。
ところどころに井掘り(水道)が見える。
水が豊富なところらしい。

 目の前の山々が、ぐんと近づいてきた。
どうなるのか?
トンネルに入るのか?
それとも山間を縫って走るのか?
が、電車は山のふもとで、大きく左に曲がった。
どうやら川沿いに走るよう。

 湿った空気が、エアコンの風にまざって流れてくる。
気持ちよい。
やはり電車は、川沿いを走っているようだ。
川幅は、それほど広くない。
10〜15メートルほど。

●夢

 その昔、福井からの行商人は、この道を通って、岐阜県側に入った。
そのときもこんな山々が連なっていたはず。
旅人も、同じ景色を見ていたはず。
そんな思いで、遠くの景色をながめる。

 それを簡単な地図にしてみると、こうなる。


  (福井市)+++(大野市)====〒===岐阜・郡上白鳥+++++名古屋
                         |
                         |
                        関市板取村
 
 ……今、思い出した。
おとなになってからも、こんな夢をよく見た。

 私はどこか、長良川の上流にいる。
そこからバスでくだっていくと、やがてバスは、岐阜県の板取村(現在の関市)に入る。
バスは、どんどんと下流に向かってくだっていく。
途中にいくつか、見慣れた村がある。
そのひとつが、母の在所のあったKB村。

 今、私はその夢の中にいる。
この先が、長良川の源流になる。
まっすぐ行けば、郡上白鳥に出るという。
関市板取村は、途中を右に曲がったところ。
地図の上ではそうなるはずだが、しかし地図には、その道が載っていない。
地図にも載らない、けもの道かもしれない。

 そう考えていたら、ほんのりと温もりのある懐かしさが、胸の中に充満してきた。
ふるさとの源流?
あのサケも、最後はふるさとの源流に戻り、そこで産卵し、命を果てるという。
そのサケの気持ちが、少しだが、理解できる。

●86キロ!

 たった今、道路標識が見えた。
「郡上(ぐじょう・岐阜県)まで、86キロ」と。
10〜20キロなら歩けるが、86キロは無理。
9000円でタクシーに乗るくらいなら、中古の自転車でもよいからそれを買って、郡上まで行き
たい。脚力には、自信がある。
しかし坂道では、どうしようもない。
あるいはひょっとしたら、下り坂ばかりかもしれない。
もしそうなら、一考の価値あり。

 旅館へ着いたら、宿主と相談してみよう。
言い忘れたが、今夜は「俵屋」という旅館に泊まる。
先ほど、駅の案内所でその宿を推薦してくれた。

 もしよい旅館だったら、実名はこのまま。
そうでなければ、「TW屋」とする。
1人1泊、10000円。
「TW屋」とし上で、悪口をいっぱい、書く。

どうかな?

●越前薬師

 電車は坂を登り始めた。
エンジン音が、苦しそうな回転音をたて始めた。
横を走る道路を見ても、明らかに勾配がきつくなっているよう。
それが目視でも、よくわかる。

 今、小さな駅に停まった。
「越前薬師」とある。

 そう言えば、昔、母がこう話してくれた。
「よく、薬屋も通った」と。

 母の家の前を通る街道を、よく薬屋も通った、と。
ひょっとしたら、その薬屋というのも、このあたりから、来たのかもしれない。
勝手な想像だが、そうした想像力を働かせてみるのも、これまた楽しい。
いや、本当に楽しい。

●観光

 今回の旅には、カメラはなし。
あえてもってこなかった。
そのかわり、こうして文を書き残すことにした。

 が、率直に言って、これほどまでに旅心を楽しませてくれるところとは知らなかった。
電車の中には、トイレがあり、そのトイレのドアは、そのまま観光案内になっている。
駅ごとに、(本当に小さな駅だが)、さまざまな観光地が紹介されている。

 かたくりの花……ひまわりの畑……花桃の並木……芝桜……桜と越前大野城……。
そしてその先には、九頭竜湖がある!

 再び、三たび、電車は平地を走ったり、山間を走ったり……。
土地の様子をみるかぎり、開けた農村地帯。
母の在所よりは、はるかに豊かな田園風景が広がっている。

●越前大野・俵屋旅館

 その昔は、機織業で栄えた町という。
今は、その栄華は見る影もない。
さびれた田舎町。
しかしその威厳は、いたるところに残っている。
大野城という、場違いなほど(失礼!)、立派な城もある。
すばらしく郷愁を覚える町。
それが越前大野市。

 その一角に、大きな門構えの、俵屋旅館がある。
見た瞬間、大正時代か、昭和のはじめにタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。

で、部屋に案内され、さらに驚いた。
庭先に面した部屋。
浜松にも本陣宿がいくつか残っているが、規模といい、豪勢さといい、それをはるかにしのぐ。
まさに本陣宿風の宿。

 部屋の中央には、ふとんが敷いてあった。
私もいろいろな旅館に泊まってきたが、ふとんが敷いてある旅館ははじめて。
「先に旅の疲れを癒してください」という気配りか?
ありがたい。
実のところ、睡眠不足でフラフラ。

 星は3つ星の★★★。
心静かに、日本のよさを楽しみたいという方は、ぜひ、一度、訪れてみたらよい。
空いていれば、離れの一軒屋に同じ料金で泊めてもらえるとのこと。
女将はこう言った。
「同じ1泊10000円でいいですよ」と。

 家の香り、雰囲気、作り……すべてが、私の実家そのもの。
一言で今の心境を表現すれば、こう。
「来て、よかった!」。

(ただし田舎志向の旅人向け。
部屋にトイレはない。
内湯もなし。)

●内緒

 今、私がここにいることは、ワイフは知らない。
だれも知らない。
だいたい、私自身でさえ、ここに来るとは思っていなかった。
が、だれかに居場所を知らせたいという気持ちも、ない。
ワイフもそれを望んでいないだろう。
 
 そう言えば、私がここで今、死んだら、どうなるか?
カバンの中には、いくつかの小物があるにはあるが、私の住所と名前を記したものは何もな
い。
身元不詳のまま、警察の安置所に入れられるかもしれない。
そう言えば、先ほど仲居さんがお茶を運んでくれたが、宿帳をもってこなかった。
どうしてだろう?
電話で申し込んだときも、私の苗字しか聞かなかった。

 が、私はそういう(いいかげんさ)が、好き。
人と人のつながりが、信頼関係で結ばれている。
私は約束どおり、この宿にやってきた。
宿主は、ふとんを敷いて、私を待っていてくれた。

 なお今夜は、近くの大通りで、盆踊りがあるという。
ラッキー!
楽しみ!
本格的な盆踊りを見るのは、30年ぶり。
私の町内でも盆踊りはあるが、曲目が「♪東京音頭」であったりする。
つまり風情、ゼロ。

●鯖街道

 その昔、この大野を起点として、岐阜県側にものを運んだという。
その街道には、「鯖街道」という名前がついているという。
先ほど、仲居さんが、そう話してくれた。

 「岐阜に向かって旅立つ前、きっとこんな旅館に泊まって、英気を養ったのだろう」と、そんな
ことまで考える。
「こんなところなら、2泊してもいい」と、今、そんなことを考え始めた。
明日の朝、それを決めよう。

 悲しいことに、たいへん悲しいことに、今、私がここで死んでも、悲しがってくれる人はいな
い。
私が見えなくなっても、心配してくれる人もいない。
ワイフはどうか?

 ああいう性格の女性だから、……というか、もともと私とはいやいや結婚した人だから、私が
いなくなって、今ごろは、清々しているにちがいない。
息子たちにしても、そうだ。
去年の正月(2010)、心臓発作で倒れたときも、そのあとそれを心配してくれた息子はいな
い。

60を過ぎると、親父も死んで当然、……とまあ、そんなふうに割り切ってしまうものか。
思い出してみれば、私自身もそうだった。
50歳と聞いただけで、老人に思った。
60歳と聞けば、なさら。
病気で倒れたという話を聞いても、たいてい「ああ、そう」で終わってしまった。
さみしい人生だが、人生というのは、そういうもの。
期待しすぎてはいけない。
期待が大きければ大きいほど、あとで落胆する。

 で、この先、60%の人たちは、孤独死、無縁死を迎えるという。
死後、発見されるまでの平均日数は、6日。
60%ということは、ほぼ全員ということ。
そう思うと、不思議と気が楽になる。
大切なのは、それまで悔いなく生きること。

 で、先日、友人のN先生に、こう頼んだ。
息子さんが、臨済宗の寺の住職をしている。
「死んだあと、先生のところの慰霊塔(無縁仏用の石碑)に入れてもらえますか」と。
N先生は、すかさず、「うちでよければ、どうぞ」と言ってくれた。
うれしかった。

●死に方

 私が考える死に方。
よく考える。
みなに迷惑をかけそうになったら、こうする。

 まずオーストラリアへ行く。
どこかの田舎町のホテルに泊まる。
そこから荒野(アウトバック)を目指して歩く。
どこまでも、どこまでも、力尽きるまで歩く。
力尽きて、気を失ったら、そこでそのまま倒れて、死ぬ。

 が、今、こんなことを考える。
オーストラリアの荒野でなくても、目の前に見える、山脈でもよいのではないか、と。
この大野市からでもよい。
ここから東に向かって歩く。
地図はもたない。
山の中を歩く。
力尽きるまで、歩く。
力尽きて、そこで倒れて死ぬ。
だれにも見つからない、雑木林に囲まれた谷地がよい。

 ……しかし残念ながら、今の私には、その勇気がない。
それにもったいない話だが、私は健康。
まだだれにも、迷惑をかけていない。
仕事も現役。
ほどほどに順調。
楽しい。
死ななければならない、理由がない。

 今は、その健康と、私を支えてくれる人たちに感謝しながら、日々を過ごす。
懸命にがんばって、過ごす。

●ひぐらし

 先ほど、一匹だけだが、ひぐらしが鳴いた。
驚いた。
こんな町中で、ひぐらしが鳴く。
さすが大野と、変に感心する。
しかしもう時刻は7時。
夕食はどうなっているのか。
まさか素泊まり?
そんなはずはない。
夕食を食べたら、盆踊りを見に行く。
そこで35歳くらいの女性と知り合いになり、今夜はラブラブ……。

 もっとももう、今は、その元気もない。
今の今ですら、眠い。

●大野・盆踊り

 今日は16日(火曜日)。
「ふつう盆踊りというと、15日までなのだがなあ」と思いつつ、したくをする。
下駄を履いて出かける。

大野市は、想像以上に、大きな町だった。
大通りには、提灯が一列に、きれいに並んでいた。
また夜店も、道の両側に、100〜200軒も並んでいた。

 遠くに、ライトアップした大野城を見上げながら、みな、整然と盆踊りをしていた。
もちろん知らない人ばかり。
大都会の真ん中にいるような孤独感を覚え、祭り会場を一周すると、そのまま旅館へ。
もう一度、風呂に入って、今夜は、このままおとなしく寝る。

 熱中症の後遺症が、まだ残っている。
軽いめまいと頭痛。
気分は、晴れない。

 今夜10時に、オーストラリアの友人とスカイプをすることになっている。
それまで起きていられるかどうか……?
かなり眠い。
もう少しがんばってみよう。

●私の欠陥

 私は欠陥だらけ。
ワイフの目を通してみると、それがよくわかる。

(1)短気
(2)気分屋
(3)情緒が不安定
(4)うつ
(5)気難しい
(6)こだわりやすい
(7)人間関係で、傷つきやすい
(8)落ち込みやすい
(9)ワンマンで、権威主義者

 まさにいいとこ、なし。
いいところもあるとは思うが、ワイフの目を通すと、それがすべて消えてしまう。
ただこういうことは言える。

 ワイフの父親は、すばらしい人だった。
私も認める。
だからワイフは、いつも自分の父親を基準にして、私を見る。
言うなれば、ファザコン。
マザコンの反対だから、ファザコン。
しかしワイフの父親のような男性は、そうはいない。
というか、ワイフの父親を基準にしたら、世の男性はすべて、私も含めて、バカかアホに見え
る。
が、これは困る。

 ……とまあ、グチはこれくらいにしよう。
何だかんだと言いながら、40年間、いっしょに暮らしてきた。
その40年間という(重み)は、だれにも消せない。
私にも消せないし、ワイフにも消せない。
それに残りの人生は短い。
ともに健康なのは、あと10年もない。

 新しい人生など、もう望めない。
あとは落穂を拾うように、人生の残り火をひとつひとつ大切にしながら生きていく。

私の性格は、変わらない。
ワイフの性格も、変わらない。
世の中には、いろいろな夫婦がいる。
私たちも、そのひとつ。

 ……というか、淡々と生きていく。
やるべきことをやり、人生の始末をつけるべきところはつけながら。

●8月17日

 昨夜は10時ごろまでがんばって起きていた。
オーストラリアの友人とスカイプをする約束になっていた。
が、何度やっても、つながらなかった。

 朝、起きてメールを読むと、「テレビを観ながら、眠ってしまった。Sorry!」とあった。
友人も、睡眠障害をかかえている。
睡眠時無呼吸症候群というので、毎夜、マスクを口にあて、眠っている。

 私もそうだ。
早朝に目が覚めてしまう。
そのため昼食前後に、眠くなる。
昼寝をする。
その調整が狂うと、とたんに調子が悪くなる。
脳みその調子が悪くなる。
ぼんやりとし、何も考えられなくなる。
あるいは集中力がつづかなくなる。

●時刻は、5時

 今、時刻は午前5時。
今日の予定は、九頭竜湖まで行き、そこからタクシーで、郡上白鳥へ向かう。
郡上白鳥からは、電車で、美濃大田まで。
そこで電車に乗り換え、名古屋へ。

 郡上白鳥まで行けば、そこは私の故郷。
自由に行動できる。

 ……たった今さがしてみたが、肝心の時刻表と、タクシー会社の電話番号を書いたメモをなく
してしまった。
昨夜の祭りのとき、もって出たのが、最後。
どこかで落としてしまった?

大野駅の駅前にタクシー会社があったから、そこで再度、交渉してみる。
それにしても、ドジな話だ。

●頭痛

 熱中症の頭痛が、まだ残っている。
脳がダメージを受けたのかもしれない。
熱中症で死ぬ人だっている。
けっして軽く考えてはいけない。
今日も暑くなるといから、注意しよう。

●失われた10年

 ニュース・サイトをいくつか読む。
円高がつづいている。
1ドル、76・923円。
あとちょっとで、77円。

 「円高で、助かります」などと、ノー天気なことを言っている人は多い。
盆休みを利用し、海外旅行に出かけた人たちだ。
成田空港で、テレビのレポーターに向かって、そう言っていた。

 バカめ!

 こんなメチャメチャな円高が続けば、日本の産業は、大打撃を受ける。
倒産もふえる。
その分だけ、工場の海外移転が進む。
半年を待たずして、日本はさらなる大不況の嵐に呑み込まれる。
「今回の円高で、失われた10年が、再びやってくる」と書いているサイトもあった。
つまり、そうなる。

 今や日本中が不景気で、青い息吐息。
そのことは、大野市のような町に来てみるとよくわかる。
商店街では、どの店も、門構えだけは、大きく立派。
しかしシャッターを閉じる寸前。
並べてある商品を見れば、それがわかる。
賞味期限を過ぎたような、古い商品ばかり。

 もし今、日本が再び「失われた10年」を迎えたら、3度目の「失われた10年」になる。
結果、日本は確実に二流国に転落。
アジアの各国と肩を並べることになる。

 そこでIMFは、日本にも、「歳出削減」を求めている。
つまり小さな政府で、効率よく政策運営をせよ、と。
当然のことである。

 収入が減ったら、それに見合った政府に作り変える。
借金に借金を重ね、ぜいたくをつづける国が、どこにある?

 ……(怒り)が戻ってきた。
よかった。
この(怒り)が、文を書く原動力となる。
(怒り)がなければ、文など、書けない。

●怒り

 横にある朝日新聞(8月17日)を読むと、こうある。
「廃止補助金、98%、天下り先へ」「姿変え継続」(防衛省)と。
 天下りを減らそう、そのために補助金を減らそう、と。
しかしフタを開けてみたら、結局は改善されたのは(?)、たったの2%。
朝日新聞は「姿変え」という言葉を使っている。
「見たか、日本の官僚制度!」と書きたいが、書くだけ、空しい。

 こうした手法は、官僚たちの常套手段。
面従腹背などという生易しいものではない。
狡猾。
狡猾、そのもの。

 だれかが声をあげなければならない。
しかしだれも声をあげない。
声をあげないから、行動もしない。
だから旧態依然のまま、悪弊はつづく。

 同じく日本経済新聞には、こうある(8月17日)。
「日本人の特質は、我慢強さにある」(「新しい日本へ」福井俊彦)と。

 我慢強い?
朝日新聞と日本経済新聞を並べて読むと、どうもそうではないのではないか。
日本人は、自分でものを考え、自分で行動できない。
それが「98%、天下り先へ」となり、他方で「我慢強さ」となる。

 ……が、今日は、ここまで。
(怒り)がつづかない。

●越前大野の駅で

 電車が来るまで、15分ほど、ある。
先ほど、駅へ来るまで、1時間ほど、町の中を歩いてみた。
静かな町だった。
不思議なことに、知人が3人、できた。

 1人は道を案内してくれた若い男性。
しばらく歩いていると、また別の男性。
こちらの男性は、私と同年輩。
いっしょに町中を歩いてくれた。
が、そこへ先ほどの若い男性。
「これ、私の息子です」と。

 偶然だった。
親子で、別々に、私を案内してくれた。

 もう1人は、昨日、越前大野へ来る途中のこと。
1人の女性と知りあった。
話を聞くと、いろいろ教えてくれた。
その女性と、今朝、またまた駅で会った。

 昨日別れるとき、「お元気そうでいいですね」と声をかけると、こう言った。
「いいえ、盆休みというのに、病院通いですよ」と。

 で、今朝会ったとき、「今日もですか?」と声をかけてしまった。
するとその女性は、笑いながら、「今日はちがいます」と。

 のどかな町の、どこまでも親切な人たち。
私は越前大野がすっかり好きになった。

●越美北線

 この路線を、「越美北線」という。
ならば、「越美南線」は、ということになる。
実は、美濃白鳥から美濃大田までの路線を、昔は「越美南線」と呼んだ。
今は、第三セクター方式で、「岐阜長良川鉄道」と呼ぶ。

 が、もし越美北線と越美南線がつながっていたとしたら……。
岐阜県と福井県が、そのままつながっていたことになる。
が、その計画は実現しなかった。
恐らく、途中の山々が険しすぎたためではないか。
これからその山々をタクシーで抜ける。
どういう状態か、自分で確かめる。

●家出

 私は目下、家出状態。
おとなげないとは、自分でもよくわかっている。
しかしその一方で、家出をする少年少女(=子どもたち)の心理が、よく理解できる。

 で、私は今日か、明日、自宅に戻る。
帰りづらいが、戻るしかない。
が、戻ったとき、ワイフがそのまま迎えてくれれば、それでよし。
しかし不愉快な顔をされたり、小言を言われたら、どうか?
私は再び、そのまま家出してしまうかもしれない。

 これは家出をする少年少女の心理に共通している。
親にしてみれば、「心配をかけて!」となる。
しかし家出をする側には、それなりの「理由」がある。
言いたくても言えない、理由がある。
だれも好き好んで家出をするわけではない。
自分の居場所がない。
家にいても、不快感ばかり、募る。
それを解消しようと、家出をする。

 家に戻るにも、それなりの(壁)と闘わなければならない。
そんなとき、つまり家に帰ったとたん、父親や母親からガミガミ言われたら、その子どもはどう
なるか。
かえって追いつめられるだけ。
だから次回は、さらに本気になって、家出をする。

 さて、ワイフはどのように反応するか。
ワイフの反応しだいでは、再び、家出ということにもなりかねない。
で、一言、追加。

 家出する側、つまり私は、こう思う。
「ワイフは何も心配など、していない。今ごろは、私がいなくて清々しているだろうな」と。
この私の心理も、家出をする少年少女の心理を理解するのに、役に立つのでは?

●亀裂

 しかしこんなことも言える。
「家出」には、たいへん危険な側面もある。
つまり対処の仕方をまちがえると、夫婦のばあい、離婚ということになりかねない。
今回、私は家出をしたが、いつもと微妙に心理状態が異なっているのを知った。

 たとえば昨夜も、大野市の夜祭を見た。
いつもの私なら、「ワイフにも見せてやりたかった」と思う。
が、昨夜は、そういう心理にはならなかった。
町のパンフレットにしても、駅の構内のゴミ箱に捨ててきた。
家に帰っても、越前大野市の話はしないだろう。
ワイフもああいう勝気な性格だから、聞かないだろう。
つまり夫婦の間に、小さいが、亀裂が入る。

 その亀裂が修復されるものであれば、それはそれでよし。
が、そうでなければ、そうでない。

●九頭竜川へ

 大野市から、さらに東に向かう。
九頭竜川行きの電車に乗る。
40分ほどで着くという。
左右には、豊かな田園風景が広がる。
ここは米どころ。
越前米の中心地。

 こんな内陸に、これほどまでに広い田園地帯があるとは!
豊かな清流。
公害とは無縁の澄んだ空気。
蔵を並べた農家が、点在して見える。
「次回は、越前米を食べてみよう」と。
今、そんな気分になった。

●油坂

 九頭竜ダムから美濃白鳥(しらとり)までは、タクシー。
今回の旅の目的は、ここにある。
そこには、私が子どものころから、一度は見たかった景色が広がっているはず。
じっくりと、見てみたい。
楽しみ。

 途中「油坂」という坂(?)も通るらしい。
実は子どものころ、その「油坂」という言葉も、よく耳にした。
ここへ来て、そしてその文字を見て、それを思い出した。

「この道を上っていくと、油坂を通って、大野へ行く」と。

 断片的な記憶が、ジグソーパズルのように、つながっていく。

●九頭竜ダム

 九頭竜ダムが近づいてきた。
左右の山々が迫ってきた。
ときどき深い谷の上を、電車が走る。
では、電車の中では、ここまで。

 これからはじっくりと景色を楽しみたい。

●白鳥(しろとり)

 大野市の人たちは、「白鳥」を、「しらとり」と読んでいた。
私の故郷(岐阜県美濃市)でも、「しらとり」と読んでいる人がいた。
で、タクシーの運転手にそれを確かめると、「しろとり」が正しいとのこと。
「白鳥駅の近くには、看板がたくさんあって、みな、しろとりになっていますよ」と。

 私も白鳥駅に着いて、それを確かめてみた。
やはり「しろとり」が正しかった。
地元を離れて、45年になる。
地名の読み方すら、記憶の中から消えていく。

●名古屋から

 楽しい旅だったとは、言いがたい。
何かにつけ、気分が重かった。
食欲は、この3日間、ほとんどなかった。
が、いろいろな出会いがあった。
私はそういう点では、社交的(?)。
ちょっとしたチャンスをとらえ、相手の会話の中に入っていく。

 今日は、このままおとなしく家に帰ることにする。
ワイフのことだから、今ごろは、自分のほうで家を出ているかもしれない。
昔からそうだが、家で静かに待っているタイプではない。
それも覚悟しておこう。

 しかし今回の旅で、こんなことを発見した。
家出するといっても、その家出先が私にはない。
親戚を訪れれば、迎えてくれるより先に、相手は驚いてしまうだろう。
あとは、その話は、一晩をおかず、親戚中に伝わってしまう。
また友人といっても、私を泊めてくれるような友人は、この日本にはいない。
その前に、安心して我が夫婦のもめごとを話せるような友が、この日本にはいない。

 だからといって、これからそういう友人をもつのは、不可能。
友情を育てるにも、その熟成期間すら、ない。
つまり「はやし浩司」といっても、この程度の人間。
自分でも情けなくなる。

●オーストラリア

 オーストラリア……友人と、おとといスカイプで話した。
いろいろな人の名前が出てくるたびに、なつかしさがこみあげてきた。
この4月に会った人は、みな元気という。

 電車の中でこの文を書いていることもある。
しかしこの日本では、窓の外を流れる景色のように、時間が過ぎていく。
立ち止まることさえ、許されない。
オーストラリアでは、ゆっくりと穏やかな風に包まれて、時間が過ぎていく。
横を見たり、うしろを見たり……。
そんなことが自由にできる。

 今の仕事ができなくなったら、しばらくオーストラリアに住んでみよう。
そのあとのことは考えない。
先に、こう書いた。
どこまでも歩き、力尽きたら、倒れて、そのまま死ぬ、と。

 しかし何も、オーストラリアの荒野(アウトバック)でなくてもよい。
福井県の山の中でなくてもよい。
人生という舞台でも、それはできる。
生きて、生きて、生き抜く。
やがて力尽き、倒れるまで、生きて、生きて、生き抜く。
そのあとのことは、知らない。
考えても、どうにもならない。

●浜松へ

 列車は、刈谷を過ぎ、豊橋に向かっている。
そこで浜松行きに乗り換える。
窓の外には、田園風景が広がっている。
稲穂の中には、やや黄みを帯びたものもある。
しかし今朝見た、大野町の稲穂とは、明らかにちがう。
あえて書くなら、稲穂の向こうに見える、本気度がちがう。
大野町で見た稲穂は、一本、一本が、筋をそろえて、まっすぐ立っている。
そんな感じがした。

 人間も、同じ。
本気で生きている人と、そうでない人は、明らかにちがう。
本気で生きている人は、生き生きと輝いている。
そうでない人は、そうでない。
年齢は関係ない。

●居眠り

 電車の中で居眠りをしてしまった。
ひとつ手前の高塚で降りるつもりだったが、そのまま浜松へ。

 一度事務所によって、留守番電話を確認。
そのままタクシーで家へ。

 ワイフと長男は外出中だった。
私はドカッと居間に座った。
そこへワイフと長男が帰ってきた。

 不機嫌な顔をしていたらか、私も黙っていた。

 ……ということで、気楽なひとり旅は、おしまい。
次回は、(岐阜)→(板取側の上流)→(大野市)をめざしてみたい。

 そうそうタクシーの運転手が教えてくれたが、大野市から板取村へ抜ける道は、別にあると
か。
途中は車も走れない山道とか。
今回の、九頭竜川沿いの道とは、別ルート。
残念!
何しろ、地図さえない道の話だから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 越前大野 福井県大野市 九頭
竜川ダム)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●城之崎にて(by はやし浩司)地元のバス会社、EバスのBツアー旅行記

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/75/img731a27d2zik9zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="城之崎にて(2011−8−19)">

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明日は、城之崎に向かう。
「城崎」とも書く。
「城の崎」とも書く。
長いバス旅行。
東名から名神を通り、中国(播但道)を経て、
生野、竹田城へ。
明日の夜は、丸山川温泉に一泊。

城之崎へは、明後日、到着。
楽しみ。+ワクワク。
志賀直哉の「城之崎にて」の城之崎。
高校2年生のころ、私は志賀直哉に夢中になった。
志賀直哉の本を、片っ端から、読んだ。

その城之崎。
何しろ半世紀近くも前のことで、内容は
よく覚えていない。
志賀直哉がどこかの旅館の一室で書いた
エッセーだった。

「……が静寂だった」「……が静寂だった」という、
表現が印象に残っている。
一度は、訪れてみたかった場所。
春に、そこへ行ったオーストラリアの友人がいた。
その友人も、こう言っていた。
「よかった」と。
明後日、その夢がかなう。

「お前は志賀直哉の本を読んだことがあるか」と
聞くと、「ウ〜ン、読んだことがある……」と、
どこか、いいかげんな返事。

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●城之崎(『城の崎にて』志賀直哉

ウィキペディア百科事典には、「城の崎にて」のあらすじが載っていた。
それをそのまま紹介させてもらう。

『東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は
一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げら
れ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく
見た小川の石の上にイモリがいた。

驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋し
さを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと
死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」
を省みる』(ウィキペディア百科事典より)と。

●志賀直哉

ついでに、志賀直哉について、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある

『「城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)5月に白樺派の同
人誌『白樺』に発表。
心境小説の代表的な作品とされる。志賀直哉は1910年(明治43年)に『白樺』を創刊し作品を
発表しており、実父との対立から広島県尾道に住み、夏目漱石の奨めにより後に『暗夜行路』
の原型となる「時任謙作」を執筆していた。
1913年(大正2年)4月には上京していたが、同年8月に里見クと芝浦へ涼みに行き、素人相撲
を見て帰る途中、線路の側を歩いていて山手線の電車に後からはね飛ばされ重傷を負う。

東京病院に暫く入院して助かったが、療養のため城崎温泉(「三木屋」という旅館(現存)に宿
泊)を訪れる。その後は松江や京都など各地を点々とし、1914年(大正3年)には結婚する。
1917年(大正6年)には「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太の恋」などの作品を発表
し、同年10月には実父との和解が成立している。

事故に際した自らの体験から徹底した観察力で生と死の意味を考え執筆され。簡素で無駄の
ない文体と適切な描写で無類の名文とされている』(ウィキペディア百科事典より)と。

 こうした予備知識をもって旅に出るのは、楽しい。
旅の奥行きが、倍加する。

●8月18日

 志賀直哉と言えば、『暗夜行路』。
読んだはずだが、内容が思い出せない。
もう一度、ウィキペディア百科事典の助けを借りる。
こうある。

『主人公時任謙作(ときとうけんさく)は、放蕩の毎日を送る小説家。あるとき尾道に旅に出た
彼は、祖父の妾お栄と結婚したいと望むようになる。そんな折、実は謙作が祖父と母の不義の
子であったことを知り苦しむ。ようやく回復し直子という女性と結婚するが直子が従兄と過ちを
犯したことで再び苦悩を背負い、鳥取の大山に一人こもる。大自然の中で精神が清められて
すべてを許す心境に達し、「暗夜行路」に終止符を打つ』と。

 ナルホド!
思い出した!
そういう話だった。

●8月19日

今回は、ワイフと2人の2人旅。
地元のバス会社が運営する、Bツアーを利用することにした。
ワンランク上の「ゆとりの〜〜」とかいう、コース。
もちろん料金も約2倍の、上級のコース。
座席数が、20%ほど、少ない。

 天気は曇り。
浜名湖を渡るとき、鉛色の低い雲が、重苦しそうに空を覆っていた。
空に広がった雨雲。
新聞の天気予報によれば、関西方面は、雨。
よかった!
このところの猛暑。
猛暑はこりごり。

●520ドル安

昨日(8月19日)、ニューヨークの株式市場が、520ドルも暴落した。
製造業の指標が悪かったこと。
失業保険の申請件数がふえたこと。

 こういうときは、「株」に手を出してはいけない。
プロというより、ロボットが、1000分の1単位で、コンピューター取り引きを繰り返す。
ロボット取り引きともいう。
素人の私たちが入り込むスキはない。
……というか、カモにされるのは、私たち。
統計的にも、95%の個人投資家は、損をすることがわかっている。
こういうふうに、乱高下するときは、さらに危険。

●Bツアーが変わった?

バスが走り出すと、ガイドがこう言った。
遠まわしな言い方だったが、「おしゃべりは静かに」と。
当然のことだが、Bツアーも進化した。
そういう印象をもった。

 この40年間。
当初は、喫煙は自由。
カラオケは定番。
バスに乗ると、まず自己紹介。
それが徐々に少なくなって、つぎに始まったのが、ビデオ上映。
で、最後の残ったのが、「おしゃべり」。
ガッハハハ、ゲラゲラ、ギャーギャー。
そのおしゃべりに、注意が入るようになった。
しかし長い時間だった。

●夫婦喧嘩

 豊橋を過ぎるころ、激しい雨が窓を叩き始めた。
数分間、窓の外が、真っ白になった。
雨を嫌う人も多いが、私は好き。
心が落ち着く。
脳みその働きも、よくなる。

 ……つい数日前、『福井県越前大野への旅』について書いた。
ワイフと喧嘩をし、家出をした。
家出をし、越前大野まで行ってきた。
が、今日は、ワイフといっしょ。
仲直りしたというわけではない。
平常に、戻った。
離婚話は、どこかへ吹き飛んでしまった。

 私たち夫婦は、いつもこのパターンを繰り返している。

●サイクル

 夫婦論というのがある。
はやし浩司流に解釈すると、こうなる。

(安定期)→(不安定期)→(緊張期)→(葛藤期=爆発期)→(冷却期)→(修復期)→(安定期)
→……。

 で、今は、冷却期から修復期。
嵐が去り、(少し大げさかな?)、今は、こうしていっしょに、城之崎に来ている。
毎度のことだから、だれも私たちの離婚話を本気にしない。
義兄ですら、「あらあら、ごくろうさま」などと言ったりする。
で、そういうとき、私は、こう訴える。
「今度は、本気です。あんなヤツとは、来週中に離婚します」と。

 が、結果は、このザマ。
長くつづいて、2〜3日。
3日もすると、また元に戻る。
多少のタイムラグはあるが、まずワイフのほうが平常に戻り、つづいて私のほうが謝る。
それでおしまい。

(林夫婦は、どうなるんだろう?、と期待していた人をがっかりさせて、ごめん……。)

●城之崎

城之崎には、午後3時ごろ、着いた。
一見してわかる。
活気がある。
行きかう温泉客。
老若男女、さまざま。
客層が広い。
小さな店まで、本気!
その本気が、がんがんと伝わってくる。

 で、私たちが泊まった旅館は、『銀花』。
郊外の海沿いにあるが、この城之崎でも、超一級旅館だそうだ。

 各部屋の中に温泉がある。
室内のベランダも広い。

いろいろな旅館に泊まったが、ここも文句なしの5つ★の、★★★★★。
「上には上があるものだ」と、感嘆のため息。

●9時からは、花火大会

夜、9時から花火大会があるという。
ちょうど川向こうのホテルの横から打ち上げられるという。
今、その9時を待っているとき。
時刻は、8:57。
あと3分。

 ビデオカメラは、スタンバイ。

●花火は終わった

私たちの泊まっている部屋は、101号室。
部屋の名前は、「直哉」。
志賀直哉の「直哉」。
ワイフは、それを見て、「あなたが特別に頼んだの?」と。
が、私は頼んでない。
偶然。
しかし、どういうわけか、うれしかった。

 旅には、何かの目的があるとよい。
それについては、先に書いた。
が、これは生きる「目的」にも共通する。
たいしたものでなくてもよい。
些細なものでよい。
私たちは、それにしがみついて、生きる。

●事件

ところで今日、ここへ来る途中、バスの中でこんな事件があった。
私が叩くパソコンの音がうるさい、と。
ガイドさんのほうに、苦情が寄せられた。
が、こんな経験は、はじめて。

 もってきたパソコンは、TOSHIBAのMX。
部屋の中で叩いていても、無音と言うわけではないが、静か。
ほとんど音はしない。
またそのときは、パソコンたちあげ、メールを読んでいただけ。
今どき、飛行機の中でも、電車の中でも、パソコンは必需品。
それが「うるさい!」と。
私はすなおに謝罪し、パソコンをカバンの中にしまった。

 苦情を言った人は、70歳前後の老夫婦。
通路をはさんだ反対側の席の人たちだった。
多分、パソコンと携帯端末(携帯電話)の区別もつかない人たちではなかったか。
あるいはパソコンに対して、強度の嫌悪感をもっている(?)。
そういう人は多い。

自分が扱えないから、それを扱う人を、徹底的に毛嫌いする。
パソコンで仕事をしている人を、徹底的に軽蔑してみせる。
そういう人は、あなたの周りにも、1人や2人はいるはず。
60歳以上の人に多い。

 「あんなもの使っている人間に、ロクなのはいない!」と。
簡単にそう決めつけてしまう。
今日バスの中で会った老夫婦も、そんな人たちだったかもしれない。

 サービスエリアで買ってきた、「きんつば」を2個、分け与え、「すみませんでした」
と謝ると、一瞬戸惑ったが、つぎの瞬間には、やさしい笑顔を見せた。

●8月20日

 平凡な朝。
静かな朝。
目覚ましは、朝、6時にセットした。
昨夜は10時ごろ床に入ったので、睡眠時間は8時間。

 窓の外は、内浦湾になっていて、漁船が数隻、右から左へ通り過ぎていった。
「どちらが海なのだろう?」と。
城之崎が左方面にあるから、左方面が海?
よくわからないが、波は静か。
山の間を流れる雲も低く、厚い。

●Bツアー

 Bツアーを利用するのは、1年半ぶり?
それまでは、毎月のように利用していた。
が、最後に、おしゃべりオバちゃんたちと口論をし、すっかり嫌気がさした。

 で、今回も、こう思った。
便利で料金も安いが、やはり私たちには向かない、と。
ワイフがそう判断した。

 バス会社のサービスはよい。
ガイドもよい。
コースも旅館も、よい。
しかし客層がよくない。
昨夜も、会席料理を食べながら、ガハハ・ゲラゲラと、傍若無人に騒いでいるオバちゃんたち
がいた。
その声が、部屋の端から端まで聞こえてきた。
廊下を歩いているときも、同じ。
部屋の中まで、その大声が聞こえてきた。
残りの20数人は静かでも、こういうオバちゃんが2〜3人でもいると、旅行も台無し。
 
 「もうやめようね」と私。
「そうね」とワイフ。
 
●城之崎にて

 志賀直哉の『城の崎にて』。
はやし浩司の『城之崎にて』。
今はもう文人の時代ではない。
娯楽も多様化し、無数にある。
志賀直哉の昔には、すべての娯楽が文学に集中した。
文人にとっては、古き良き時代ということになる。

 うらやましいとは思わない。
私が志賀直哉の時代に生きていたとしても、私はただのもの書き。
文に書いたところで、目に留めてくれる人もいなかったことだろう。

●帰宅

 8月20日、午後8時すぎに、浜松へ戻ってきた。
今回も、運の悪いことに、(本当に運の悪いことに)、真うしろの席に、2組の夫婦。
女どうし、2人のおばちゃんたちが陣取った。
ともに70歳くらい。
私たち夫婦は、後ろから2列目の席。

 2度、注意したが、帰ってきたのはイヤミ。
「ア〜ラ、うるさいって注意されたから、いちばんうしろの席にいきますよオ〜」と。
わざとみなに聞こえるような大声で、席を離れていった。
が、それで静かになったわけではない。
耳が不自由なのか、その中の1人が、一方的に大声でしゃべりまくる。
が、相手の声は聞こえないらしい。
相手が何かを言うたびに、「えっ、何?」を繰り返していた。

 ほかのほとんどの客は静かだった。
みな、それぞれの旅を楽しんでいた。
が、今回も、運が悪かった。

 Bツアーへ:

「ゆとりの〜〜」では、6人以上の団体客は申し込みを断っているとか。
たいへんすばらしいことだが、できれば、3人以上にしてはどうか?
そうすれば、ああいう客を排除することができる。

 もっとも、ワイフの意見通り、Bツアーは、しばらくはコリゴリ。
そういう客がいても、ガイドは何も注意しない。
知らぬ顔。
最前列に座っているから、後部座席のことはわからない。

 が、あえて言うなら、つぎの進化を期待して、私はこう要望する。

(1)ポイントガイド……必要なことだけをガイドするというのは、よかった
(2)BGM……うるさいビデオをなくなったのは、よかった
(3)団体客の制限……よかったが、おしゃべりが目的のおばちゃんには、きびしくしてほしい。
(4)時間の取り方……ゆったりとしていて、よかった。

●総括

 学生時代からの念願がかなった。
志賀直哉ゆかりの「城の崎」を自分の目で見ることができた。
ワイフも満足そうだった。

 あのオバちゃんたちが静かだったら、星は4つの、★★★★。
あのオバちゃんたちのおかげで、バスそのものが、拷問室に。
バスを降りたとき、ほっとしたのは、無事着いたからではない。
オバちゃんたちと別れることができたから。

(そうそう、オバちゃんたちのおしゃべりを不愉快に思っているのは、私たちだけではなかっ
た。
一度、私が注意したとき、前の席の人が振り向いて、こう言った。
「ありがとうございます」と。

(しかし、どうしてこの日本では、ああいうオバちゃんたちの話し声だけは、野放しになっている
のか?
携帯電話にはうるさい。
しかしオバちゃんたちは、野放し。
おかしい。
日本だけではない。
ああいう日本人が、世界中へ出かけていき、日本人の恥をさらしている!)

 なお運転手とガイドは、たいへん質が高かった。
「ゆとりの〜〜」ということで、選りすぐられた人たちなのだろう。
ともに理知的で、気持ちのよい人たちだった。
それだけに、今回の旅行は、残念!
「バスの中で読書……」と考えていたが、その余裕は、最後までできなかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 城の崎にて 城之崎 城崎 志
賀直哉 暗夜行路)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「ぼくは生活保護受けるから、かまへん」(堺屋太一・「週刊現代」2011年9・3)

++++++++++++++++++++++++++

雑誌「週刊現代」に、こんな興味ある記事が載っていた。
堺屋太一氏が、対談形式の記事の中で述べている。

『……いまや大阪市では、18人に1人が生活保護を
受けていて、大阪府の教育水準は、全国47都道府県の
中でも、45番目。
なにしろ、中学生で一桁のかけ算、つまり九九ができない
子どもが1割もいるんですね。
そういう子どもに先生が、「しっかり勉強しないと、
おとなになって困るぞ」と言うと、「ぼくは生活保護
受けるからかまへん」と答えるというんです」(P62)と。

堺屋太一氏は、これをさして「倫理的崩壊」という言葉を
使っている。

+++++++++++++++++++++++++

●遊びほける中国人留学生(ヤフー・NEWS)

 一方、こんな記事も目にとまった(2011年8月20日)。
題して「ある在米中国人留学生、送金に苦労の親を尻目に、浪費し遊び回る」。
毎日新聞が、米華字紙より翻訳したものらしい。

++++++++++++以下、ヤフー・NEWSより転載+++++++++++++

2011年7月22日、米華字紙・僑報によると、米国へ留学している若い中国人学生の中には、勉
強にまったく身を入れず、親からもらった生活費で毎日遊びほうけているケースもある。 

ロサンゼルスに住むある華人女性の家には、上海から留学のため渡米してきた甥っ子が住ん
でいるが、一学期が過ぎても成績は低迷したまま。毎月親が銀行に振り込んでくれている4000
元(約5万円)の生活費は外食やブランド品、iPhoneなどショッピングですべて遊びに使い果た
し、さらにクレジットカードも限度額まで使ってしまっているという。 

両親は商売をしているが順調ではなく、大変な思いをして子どもの学費や生活費を工面してい
るにもかかわらず、「僕がLAに来たくて来たと思っているの? LAなんて田舎くさくて大したこと
ないじゃないか。上海の方がずっと良い」「両親がむりやり留学させたんだから、お金がかかる
のも苦労するのも両親が自分で選んだことでしょう」と、とりつくしまもない状態だという。(翻訳・
編集/岡田)

++++++++++++以下、ヤフー・NEWSより転載+++++++++++++

●日本の現状

 中学1年生で、かけ算の九九ができないという話は、すでに20年近くも前の話である(東京
都)。

 ここで誤解していけないのは、かけ算の九九といっても、レベルがある。
「ニイチガ2、ニニンガ4……」と暗記するレベル。……レベル1
これなら幼稚園児にもできる。

 つづいてランダムに、「シサン?」と聞かれて、即座に、「12」と答えるレベル。……レベル2
もちろんその意味(4+4+4=4x3)がわかっていての話である。
20年前でさえ、レベル1はできるが、レベル2ができない。
そんな中学1年生で、20%近くもいた(東京都)。

 堺屋太一氏の話によれば、「中学生で一桁のかけ算、つまり九九ができない子どもが1割も
いるんですね」ということらしい。
こうした子どもたちが、大学生になっていく。

●2008年7月の原稿より

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2008年7月に、つぎのような
原稿を書いた。

この中で、『今では分数の足し算、
引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
「小学生レベルの問題で、正解率は59%」
(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)」
(※2)だそうだ』というところに注目してほしい。

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●公務員志望

 この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。
なぜそうなのかというところにメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもムダ。
ああ、私だって、この年齢になってはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった!
 死ぬまで就職先と、年金が保証されている! ……と、そういう不公平を、日本の親たちはい
やというほど、思い知らされている。
だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はいつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を支配
する時代は終わった。
教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボロボロ。
何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。
その教育改革にしても、ドイツやカナダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。
学校は自由選択制の単位制度にして、午後はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自
治体にカリキュラム、指導方針など任せればよい(アメリカ)。
設立も設立条件も自由にすればよい(アメリカ)。
いくらでも見習うべき見本はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。
オーストラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしてい
る。
しかし検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定しては
いけないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。
たとえばアメリカでは、大学入学後の学部、学科の変更は自由。まったく自由。
大学の転籍すら自由。
まったく自由。
学科はもちろんのこと、学部のスクラップアンドビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯事。
なのになぜ日本の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れるの
か? 
あるいは自分たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改革」と
いうよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。
もうすでに日本の教育はにっちもさっちもいかないところにきている。
このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教育レベルは、アジアでも最低になる。
あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校の話ではない。
大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとんど勉強
などしていない。
していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
その文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、教
育学部系の学生である。
このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
いわんや私立大学の学生をや! そういう学生が、小中学校で補習授業とは!

 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう
言った。
「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本の場合、疲弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。
もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊す
る。
確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、
「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。
九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。
日本の教育改革は、三〇年は遅れた。
しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。
そのころ世界はどこまで進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くはな
い」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。
世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か
国中、一五〇位(九九年)。
アジアで日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。
北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。
オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。
しかし日本には数えるほどしかいない。
あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がい
る。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘・2008年当時)。

●「うちの子にかぎって……」は、幻想

 ほとんどの親は、こう考える。
「うちの子にかぎって……」と。
しかしこれは幻想。
まったくの幻想。

 子どもというのは、言うなれば、吸湿性の強い吸い取り紙。
社会という「色水」の中に落とされれば、そのままその「色」を吸収していく。
社会の色が「茶色」なのに、自分の子どもだけを「水色」にしようとしても、無駄。
子どもというのは、子どものどうしの影響力のほうを、はるかに強く受ける。
加えてほとんどの中高校生は、「親のようになりたくない」と答えている(内閣府調査)。
今では、『親の恩も遺産次第』。
ほとんどの若者たちは、そう考えている。

 が、不思議なことに、こう書くと、若者たちは、猛烈に反発する。
「私は、ちがう!」と。
つまり、ここに意識のズレが、起こる。

●親への仕送り

 60代、70代の人たちにとって、親への仕送りは、当然だった。
昨日も旅行先で知り合ったKGさん(女性、69歳)は、こう言った。
「私の初任給は3000円でした。うち、1000円を、毎月実家へ送りました」と。

 私もそうしていた。
結婚前から、収入の約50%を実家へ送っていた。
またそれが当時の常識だった。

 が、今は、ちがう。
「就職したら返す」「給料があがったら返す」と言いながら、結婚したとたん、「生活費が足りな
い!」と。
そういう若者が、猛烈に反発する。
実家へ帰省しても、みやげのひとつすらもってこない。
基本的な部分で、意識そのものがズレている。

●大学生とは名ばかり

 私立の女子大学を卒業した女性(27歳)がいた。
英文科を卒業したという。
で、試しにこう聞いてみた。
「SVOOの構文を、SVOの構文になおすには、どうしたらいいの?」と。
それに答えて、その女性は、こう答えた。
「何、それ?」と。

 少し勉強家の中学生なら知っていることでも、大学の英文科を出た社会人が知らない。
もっとも今では、大学の英文科といっても、名ばかり。
高校生が使うより簡単なテキストを使い、あとは遊びほけている。

●日本の現状

 いったい、政治家にせよ、一般社会にせよ、それに親たちにせよ、こういう現実を、どこまで
知っているのか?
教育は、もうボロボロ!
倫理観そのものが、崩壊している!

 で、堺屋太一氏の話は例外であると信じたいが、ひとつ気になることがある。
『18人に1人が生活保護を受けている』という部分。

 18世帯に1世帯という意味なのか。
それとも18人に1人という意味なのか。
もし「18人に1人」ということになると、夫婦+子ども合わせての4人家族とするなら、「4世帯で
1世帯」という計算になってしまう。

 本当だろうか?

 そこで調べてみると、「生活保護率」は、大阪府のばあい、25・7(1/1000)(2007年度)
ということがわかった(総務省統計局)。
これを100分率荷換算すると、2・57%ということになる。
注に「 都道府県別の生活保護率(ここでは世帯の比率でなく、保護人員の人口千人当たりの
比率)を図示した」とあるから、世帯率ではなく、1000人当たりの比率ということになる。

 2・57%といえば、100人につき、約3人。
逆に言えば、「33人に1人」となる。
が、現在、さらに不況の嵐ははげしくなっている。
やはり堺屋太一氏が指摘するように、「18人に1人」というのは、そのまま「18人に1人」という
ことになるのか。

 もしそれぞれに家族がいるなら、「18世帯に1世帯」となる。
(もちろん家族がいない人も多いが……。)
どうであるにせよ、今、この日本は、ここまで貧しくなっている!

●落ちるところまで落ちる

 折しも、日本は大不況下。
大恐慌はすでに始まった。
この先、この日本は、お先真っ暗。
やがて日本人が、外国へ出稼ぎに行かねばならなくなる。
10年どころか、5年を待たずして、そうなる。
推測ではない。
数字の上で、そうならざるをえない運命にある。

 そうなったとき、今の若者たちは、どうするのだろう。
それでも親のスネをかじりつづけるつもりなのだろうか。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。
あるいは「こんな日本にしたのは、テメエだろう!」と言うかもしれない。

 先に書いたKGさんもこう言った。
横に夫がいて、その夫もこう言った。
「日本も落ちるところまで、一度、落ちるしかないでしょうね」と。

 実のところ、私自身も、そう考え始めている。
落ちるところまで落ち、自分で気がつくしかない、と。
とても悲観的な見方だが、それが今の教育の現状ということになる。


(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答
えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する
学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを
見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判し
た意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようが
ない。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子ども
が、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。

反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいな
い。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていな
い。少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というの
は、もはや幻想でしかない。

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(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったとい
う。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研
究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平
均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年
生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学力
 日本の子どもの学力 子供の学力 英語力 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教
育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer 
Japanese essayist 教育の自由化 ゆとり教育 ゆとり教育の弊害 逆行する日本の教育 自
信をなくす日本の若者たち 生活保護 はやし浩司 生活保護世帯 はやし浩司 分数の計算
 かけ算の九九 掛け算の九九 学力低下 日本の現状)2011/08/21記


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【金沢から、羽咋(はくい)へ】

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/53/imgd01ceda0zik6zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="2011−8−22石川県羽咋市.jpg">

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休暇も残り、2日。
昨日になって、ワイフが、突然、UFOを見たいと言った。
UFO?

能登半島に羽咋市(はくいし)という町がある。
そこに「UFO会館」(正式名称は「宇宙科学博物館」)がある。
「羽咋へ行こうか?」と声をかけると、「うん」と。
そこで今日は、名古屋発、金沢行きのバスに乗り込んだ。

午前8時30分発。
昔は「名金線」と言った。
学生時代、よく利用させてもらった。
途中、いくつかの観光地を、そのまま通る。……通った。
料金も安かった。
当時は、名古屋から金沢まで、8〜9時間もかかった。
今は、4時間!
往復2人分で、料金は今も、1万1000円。
(片道、1名、2750円!)
JRの約半額。

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●UFO

 UFO会館といっても、あまり期待していない。
期待していないが、期待している?
一応、羽咋市はUFOの出没地ということになっているらしい。
昔からそういう伝説が残っている。
アダムスキー型UFOを思わせる鐘も、そのひとつ。
鐘は鐘だが、つまり音の出る鐘だが、アダムスキー型UFOにそっくり。

楽しみ……が、やはり過剰期待は禁物。
この種の博物館は、いつもたいてい期待はずれ。
わかっているが、要するに、道中を楽しめばよい。
あとは、食事。

 ホテルは確保したが、夕食はなし。
どこかで何かを食べよう。
できれば蟹料理。
少しぜいたくかな?

●一貫性

 UFOは超常現象ではない。
心霊現象とは一線を画す。
「科学」である。
またそういうレベルで論じられるべき。

 ……これについてはもう、何度も書いてきた。
その理由の第一。
論理的な一貫性がある。
デタラメなインチキ報告は別として、UFO問題を掘り下げて検討していくと、そこに一貫性が見
えてくる。
つまり論理性に矛盾がない。

 ワイフと私は、一度、巨大なUFOを目撃している。
そういう経験も下地になっている。

●ジジ臭い

 「死ぬまでに……」という言い方は、それ自体、ジジ臭い。
よくわかっている。
しかしこのところ、何かにつけ、そう考えることが、多くなった。
羽咋のUFO会館も、そのひとつ。
ならば、日本を飛び出したら……という意見もある。
たとえばアメリカのロズウェル。
1947年、アメリカのロズウェルに、UFOが墜落している。
そのロズウェル。

が、私は大の飛行機嫌い。
29歳のとき飛行機事故に遭遇してから、そうなってしまった。
それまでは、毎週のように飛行機に乗っていたが……。

 特別な理由でもないかぎり、飛行機には乗らない。
その点、UFOは、やや力不足。
ロズウェルへ行ったからといって、UFOを必ず見られるというわけではない。
アメリカ政府が、痕跡の「コ」の字も残らないほど、証拠類をすでに始末してしまったという。

 ともかくも、私たちは、あの夜見たものが何であるか、それを死ぬまでに知りたい。
そのためにも羽咋へ行くことにした。
 
●アクセス数

 昨日、夕方近く、BLOGをUPした。
で、今朝、アクセス数を見たら、いつも倍以上もあった。
夕方にUPしたことを考えるなら、いつもの4倍以上ということになる。
件数でいえば、合計で、5000〜6000件!
驚いた。
昨日、『ボロボロの日本の教育』というテーマで原稿を書いた。
まさにボロボロ。
日本の教育は、落ちるところまで落ちた。
それについて書いた。
つまりそれだけ多くの人たちが、日本の教育に、危機感をもっている人が多いことを示す。

 たしかに「?」。
それだけではない。
本末が転倒している。
平等なら、まだ納得できる。
が、今は、祖父母や親が、孫や子どもに向かって、「ごめん」「ごめん」と謝る時代。
祖父母や親が、「ごめん」「ごめん」と謝りながら、孫や子どもを育てている。

 そう、昔は親が、子どもを勘当した。
親にも、まだ力があった。
それが逆転した。
今は、息子や娘のほうが、親に向かって縁を切る。
「2、30年たったら、お前を許してやる!」と。
(この先、2、30年も生きている親はいない!)

●経済

 もう少ししたら、ネットで経済ニュースを拾うことができる。
今週(8月22日・月曜日)は、どうなるか。
世界不況は、深刻度を増している。
この日本についても、異常な円高がつづいている。

 先週末の流れを引き継ぐとすれば、今週も、大波乱。
よい材料は、何もない。
このつづきは、もう少しあとに書く。

●JR東海バス

 ワイフは目を閉じ、眠り始めた。
景色と言っても、見えるのは高速道路の壁だけ。
快適にはなったが、何か、もの足りない。

 バスのシートカバーには、「JR東海バス」と書いてある。
最後尾には、トイレもある。
座席の幅も広い。
左右に10列。
定員は、40名。
乗っている客は、私たち夫婦も含めて、19人。
「空いている席は、ご自由にお使いください」と、
発車する前、運転手がそう言った。

●夏休み

 この夏休みには、3度、旅行したことになる。

(1)越前大野、
(2)城之崎温泉、
(3)そして今回の石川県・羽咋。

 オーストラリアとか上海も考えたが、飛行機嫌いを乗り越えるだけのパワーを感じなかった。
来年3月には、友人の娘が結婚することになっているので、オーストラリアへ行くことになってい
る。
小さいときから、私を慕ってくれた。
ずば抜けて美しい女性で、それに理知的。
現在は、メルボルン市内のペンギンブックスで、編集長をしている。
世界中を飛び回っている。

 今のところ、飛行機に乗る予定は、それだけ。

●ルート

 目の前に高い山が迫ってきた。
犬山から多治見のほうへ抜けるらしい。
この時期、森の木々は濃さをぐんとます。
緑というよりは黒に近い。
濃緑色。
そこに雲間から漏れる日差しが、美しいまだら模様を作る。

 雲が、さらに一段、低くなってきた。
流れる雲だけを見ていると、まるで飛行機の窓から外を見ているよう。
それをながめながら、しばし、時のたつのを忘れる。

 ……いや、ちがう。
ルートがちがう。
私は、昔の名金線のように、本州を縦に縦断して金沢へ向かうものとばかり思っていた。
が、実際には、名古屋→米原→敦賀→福井→金沢と、列車路線と同じルートをたどっている。

 知らなかった!

●経済2

 先ほどネットで、いくつかのニュースをたどってみた。
そのひとつ、北海道でも地震があったとか。
つぎは浜松と思っていたが、北海道。

 それと金(ゴールド)とプラチナが、さらに高騰中。
プラチナがグラム5000円、金が4891円。
株価は様子見。
行き場を失った大量の資金が、右往左往している。
私には、そう見える。

●自由

 バスは福井県に入った……らしい。
快適。
地元バス会社の主宰するB・ツアーより、はるかに快適。
おしゃべりなオバちゃんたちもいない。
うるさいガイドもいない。
席は、ガラガラ。

 ワイフは先ほどまで、何かの本を読んでいた。
私は1時間ほど、眠った。
旅にも、いろいろな仕方がある。
が、こういう方法が、私たち夫婦には、いちばん合っている。

 わざとシーズンをはずし、バスか電車で移動する。
宿は、ネットで選ぶ。
目的地は、1つでじゅうぶん。
それでも料金は、B・ツアーの半額程度。
 
 が、本当のところ、料金が問題ではない。
自分で旅をしているという、その満足感が楽しい。
まさに学生気分!

●片山津

 またまた眠くなってきた。
バスのエンジン音が、静かに床の下から響いてくる。
時折座席が、小刻みにゴトゴトと揺れる。
うしろのほうで咳をする人以外、客の気配すらない。

 ……バスは、もうすぐ「尼御前」に到着するという。
たった今、そんなアナウンスが流れた。
「尼御前(あまごぜん)」。
何とも風流な地名ではないか。

 ……ということで、目下、思考力はゼロ。
そこに何か書きたいことがあるはずなのに、それが脳みその中に湧いてこない
あえて言うなら、今度買う、新型パソコン。
10月の誕生日には、手に入れたい。
CPUは、3・40GHz以上。
3・60GHzというのも、ある。

 ……ワイフが「あっ、海だ!」と言った。
見ると左手に海が広がっていた。
日本海。
その横に、「片山津」という書いた標識が見えた。

●F15

 左手から、見慣れないジェット戦闘機が舞い上がってきた。
F15、トムキャットである。
浜松上空を飛び交う、あの練習機とは迫力がちがう。
ゴーというすさまじい轟音が、バスの中まで聞こえてきた。

 ここは日本の防衛、最前線。
その少しあと、バスは、「北陸小牧」というところで、停まった。
客は、だれも乗らなかった。

●出かける勇気

 外に出る。
人に会う。
旅先で、それまで知らなかった世界を見る。

 脳みその活性化、つまりボケ防止のためには、たいへん重要である。
家でゴロゴロしていたいという気持ちもないわけではない。
が、それではいけない。
そこで「出かける勇気」。
少し前、旅先で出会った人が、そんな言葉を教えてくれた。

 それに似ているが、最近、私は、よくこんなことを考える。

 たとえば朝、ふとんの中で目を覚ます。
起き上がるには、まだ少し早い。
が、それでも起き上がる。
「そのまま横になっているのも、30分。
しかしウォーキングマシンの上で、歩くのも、30分」と。

 そのとき心のどこかで、ふと、「起き上がる勇気」という言葉を考える。
勇気を出して、起き上がる。
ほかにもいろいろある。

 書店へ行く。
そのときも、その本を買うかどうかで、迷う。
が、こう言って自分に言い聞かせる。
「買う勇気」と。

●叩きつぶす

 つまり人間は、基本的には、怠け者。
恐らく人間は猿の時代だったころから、そうではなかったか。
木の上で、餌を食べるだけの人生。
あとは終日、ひたすら昼寝。
だから人間になった今も、楽をすることしか、考えない。
「極楽」の「楽」が、それを表している。

 だから「出かける勇気」というのは、そういう怠け心と闘う勇気ということになる。
とくに私のような、どこか対人恐怖症ぽく、かつ回避性障害ぽい人間にとっては、そうだ。
思い切って旅に出る。
そういう怠け心を叩きつぶす。

むずかしい話はさておき、そのつど、怠け心と闘う。
それが勇気。

●片町(金沢)

 あっという間の4時間だった。
「次は片町」と表示された。
金沢市イチの繁華街。
学生時代は、よく遊んだ。
が、風景は一変した。
学生時代の面影は、どこにもない。
近代的なビルにしゃれた店。

 が、感動がないわけではない。
ほんの少しだが、心が躍るのを感じた。
この町には4年間の思い出がしみこんでいる。
バスは、もうすぐ、犀川を渡るはず。
それを身をやや硬くして待つ。

 ハロー、金沢。
犀川だけは、学生時代のままだった。

●金沢

 金沢は、その昔は、学生の町だった。
どこへ行っても、学生がいた。
目だった。
私もその金沢の金沢大学の学生だった。
あの金沢城址にあった学舎で、4年間を過ごした。
が、今は、金沢大学もそこを追い出され、角間というところに移転した。
どこにでもある新制大学のひとつになってしまった。
当然のことながら、レベルも落ちた(失礼!)。

 私たちは、それを天下の愚策という。

 当時、たまたまNHKの大河ドラマで、前田利家がテーマになった。
それだけではないが、金沢城址を、金沢市は観光地にしようとした。
そのために金沢大学を、金沢城址から追い出した。
が、これは世界の常識ではない。

 世界の大都市は、市の中心部に最高学府を置く。
「知」の府を置く。
私が学んだ、メルボルン大学を例にあげるまでもない。
それがその市の誇りでもあり、シンボルにもなっている。
その学府が、町全体の知的文化を引き上げる。

札束も印刷物なら、書本も印刷物。
金沢市は、札束を選び、書本を捨てた。
その結果が、今。

 金沢市は、観光都市として、「知」を捨て、俗化した。

……私が浜松市に移り住んだとき、私はその文化性のなさに驚いた。
浜松市は、工業都市。
20年ほど前から、「音楽の町」として売り出しているが、もともとは「楽器の町」。
「音楽」と「楽器」とでは、「文学」と「印刷機」ほどのちがいがある。

 その浜松に住んで、40年。
今度は金沢に来てみると、その浜松とそれほど違わないのに、驚く。
逆の立場で驚く。
あれほど強く感じた「差」は、もうない。
浜松が文化都市になったとは思えない。
つまりその分だけ、金沢は、俗化した。

 で、肝心の観光収入は、ふえたのか?
答えは、「NO!」。
同窓生の中には、金沢市役所に勤めたのもいる。
石川県庁に入ったのもいる。
みな、今になってこう言っている。

 「まったくの失敗だった」と。

●サンダーバード13号(金沢、13:03発)

 金沢からはサンダーバード13号(特急)で、羽咋まで。
「サンダーバード」という名前がよい。
なつかしい。
が、どう考えても、北陸を走る列車らしくない。
「犀星13号」とか「犀川13号」とか。
そういう名前のほうが風情があって、よい。
どうでもよいことだが……。

 羽咋までは、40分。
学生時代には、法律相談所の所員として、毎月のように通った。
「所員」というと大げさに聞こえるかもしれないが、要するにインターンのようなもの。
大学の教授といっしょに通った。
行けば何かを思い出すだろうが、写真が何枚か、残っているだけ。
会場となったのは、どこかの神社の事務所。
その2階。
残っている写真は、その神社の前で撮ったもの。

 羽咋出身の友人もいたはず。
SH君という名前ではなかったか。

●学生時代

 金沢での学生時代は、そのあとのメルボルン大学での学生時代の陰に隠れて、記憶の中で
はかすんでしまっている。
メルボルン大学での学生生活が、それほどまでに強烈だったということか。
が、こうも考える。

 もしあのまま、まじめに(?)、金沢大学を卒業し、商社マンになっていたら、私はどうなってい
ただろうか、と。
2年ほど前、同窓会に出たとき、「伊藤忠商事を定年まで勤めまして……」と言った友人がい
た。
いっしょに入社試験に行ったことのある仲間だった。
その仲間を見ながら、私はこう思った。
「私も、ああなっていただろうな」と。

一社懸命の企業戦士。
バリバリ働いて、定年退職。
が、いくら想像力を働かせても、それ以上のことが頭に浮かんでこない。

●私は、ただのバカだった

 「今」が、つねに「結果」であるとするなら、では、金沢での4年間は、何だったのかということ
になる。
それはちょうどボケた老人を見るときの自分に似ている。
そんな人にも、それぞれ、自分の過去があったはず。
が、ボケると、そういう過去が、どこかへ吹き飛んでしまう。
積み重ねてきたはずの、人生の年輪が消えてしまう。

 今の私にしても、そうだ。
学生時代の私は、たしかにバカだった。
しかも、ただのバカ。
が、今の私が、そのバカから抜け出たかというと、それはない。
むしろさらにバカになったのかもしれない。
ボケ老人、一歩手前。

 となると、「金沢での4年間は、何だったのか」ということになる。
就職のための、一里塚?
そう考えることはさみしいことだが、私にかぎらず、当時の学生はみな、そう考えていた。
私たちはいつも、何かに追い立てられて生きていた。
あの4年間にしても、そうだ。
「大学へ入るのは、その先の就職のため」と。
そういう私が、「私」をつかんだのは、ほかならない、メルボルンでのことだった。

●「もう、いやだ!」

 私はあのメルボルンという町で、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
本物の、自由だ。
だからこそ、三井物産という会社を、迷うこともなく、やめることができた。
「もう、いやだ!」と。

 あの会社では、純利益が半年ごとに、成績表のように発表される。
それでその社員の「力」が評価される。
それを知ったとき、私は、「もう、いやだ!」と。

 が、もしあのままメルボルンを知らないで、日本の会社に入っていたとしたら……。
その仲間には悪いが、心底、ゾーッとする。
私はその意識もないまま、一度しかない人生を、棒に振っていた。

●宝達(ほうだつ) 

 列車は、すれちがい列車を待つため、宝達(ほうだつ)という駅に停まった。
5分の停車という。
さびれた田舎町(失礼!)。
少し心配になってきた。
「羽咋市はだいじょうぶだろうか?」と。
この40年間で、それなりに発展していることを願うばかり……。

 レストランもないような田舎町だったら、どうしよう?
先ほどワイフに、「和倉温泉にすればよかった」と言った。
和倉温泉へは、何度か泊まったことがある。
やはり法律相談所の所員として、その町へ行ったときのことだった。
ほかに、能登、珠洲(すず)、富来(とぎ)などなど。
能登半島で、行かなかったところはない。
夏休みになるたびに、巡回相談というので、各地に一泊ずつしながら、能登を一周した。

 ……が、言うなれば、六法全書がすべての、血も涙もない、冷酷な相談員。
事務的に相談を受け、事務的に相談に答えていた。
今から思うと、そんな感じがする。

●書生さん

 しかし能登はよい。
ほかの地方にはない、独特の風情がある。
その昔は、人も通わない、陸のへき地。
孤島。
金沢から富山方面へ行く人はいたかもしれない。
しかし能登まで回る人はいなかった。

 だから私のようなしがない学生でも、、能登を旅すると、土地の人たちは、学生のことを、畏
敬の念をこめて、「書生さん」と呼んでくれた。
そんなぬくもりが、この能登には残っている。

●コスモアイル羽咋(UFO会館)

 羽咋へ着くと、すぐ、「コスモアイル羽咋」(UFO会館)へ。
「コスモアイル?」。
「Cosmo Isle(宇宙の島)」のこと?
ネーミングが悪い。
これでは記憶に残らない。
観光客も集められない。
やはりズバリ、「UFO会館」のほうが、よいのでは?

 が、中は、かなり見ごたえがあった。
宇宙船の展示物も立派。
すばらしい。
本気度を随所に感じた。
が、肝心のUFO影が、薄い?

また3階では、プラネタリウム風の簡単な映画を見せてくれたが、こちらはガッカリ。
つまらないギリシャ神話と、ハップル望遠鏡の紹介だけ。
が、全体としては、もしあなたがUFOファンなら、一度は訪れてみる価値はある。
(日本には、ここ以外に、それらしい場所ないこともあるが……。
あの矢追純一氏が、名誉館長にもなっている。)

 で、今日の宿泊ホテルは、「渚ガーデンホテル」。
昨夜急に予約を入れた。
それもあって、食事の用意はできないとのこと。

 で、駅前のタクシー運転手に聞くと、「ぼうぼう」という店を勧めてくれた。
「ぼうぼう」というのは、「魚」のこと。
「このあたりでは、魚一般のことを、ぼうぼうと言います」と、店の女将が教えてくれた。

 その「ぼうぼう」で、夕食。
サシミの盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、それと「のど黒」という魚の焼き物。
鯛の頭の入った味噌汁、ごはん、生ビール……。
しめて4300円。
安い!
プラス、おいしかった。
「さすが本場!」と、ワイフも大満足。

 ありがとう、「ぼうぼう様」。

●矢追純一氏

 矢追純一氏のような有名人にもなると、「私もつきあったことがある」と、名乗り出る人は、多
い。
私もその1人かもしれない。
もちろん矢追氏のほうは、私のことなど忘れてしまっているだろう。
しかしこう書けば、思い出してもらえるかもしれない。

 浜松で、針麻酔をしていたG先生のところで何度か会った。
東京のホテル・ニューオオタニでも、何度か会った。
UFOを目撃したと電話で伝えたとき、写真を20〜30枚送ってくれた。
オーストラリア製の紙巻タバコを送ると、お返しにと、日本テレビのロゴの入ったガスライターを
送ってくれた、などなど。

 ほかに覚えているのは、ある事件に巻き込まれ、矢追氏がニューヨークへ逃げていったとき
のこと。
電話で、「ものすごい人を見つけた」と、ニューヨークから連絡をくれた。
その「ものすごい人」というのが、あのユリ・ゲラーだった。
当時はUFOディレクターというよりは、超能力ディレクターだった(「11PM」)。

 一度会いたいと思っているが、私のことなど、忘れてしまっているだろう。
当時は、私も矢追氏も、若かった!
あの長いトレンチコートが、どういうわけか強く印象に残っている。
あの矢追氏が、この世界で、これほどまでの人になるとは、私は夢にも思っていなかった。

●三日月型

 ところで「UFO」と言われる乗り物(?)のもつ多様性には驚く。
まさに、何でもござれ。
形も、さまざま。
人間の乗り物と言えば、自動車。
飛行機。
最大公約数的に、その「形」をまとめることができる。
が、UFOについていえば、それができない。

 館内でもらったパンフによれば、「UFOの基本的な形は、大きく分けると12種類に分けられ
るそうです」とある。
ワイフと私が目撃したのは、その中でも、「三日月型」ということになる。
つまりブーメラン型。
飛行パターンも紹介されているが、同じパンフによれば、18種類もあるとか。
要するに飛び方もメチャメチャということ。

 では、その正体は、何か?
やはり同じパンフによれば、

(1)軍事兵器説
(2)自然現象説(プラズマ説)
(3)エイリアン・クラフト説(宇宙人の乗り物説)
(4)未知の生物説の、4つがあるという。

 興味は尽きない。

●渚ガーデンホテル(羽咋市)

 千里浜(ちりはま)をドライブしたあと、ホテルに入った。
朝食のみで、9600円(2人分)。
どこかレトロ調の、静かで落ち着いたホテル。

 ワイフは、しばらく何やらしていたが、今は、ベッドの上で眠っている。
まだ外は薄明るい。
たそがれ時。

 あとで近くの温泉に行くことになっているが、多分、行かないだろう。
私は本を読んだり、パソコンを叩いたりしているほうが楽しい。
こうして自分の「時」を過ごす。

●事故

 話がバラバラになり、まとまらない。
テーマというか、焦点が定まらない。
ときどきメールをのぞいたり、ネットであちこちのサイトを読んだりしている。
が、どれもどれ。
それについて書きたいときには、ビリビリと電気ショックのようなものを感ずる。
が、今は、それがない。

穏やか。
平和。
満腹状態。

軽い睡魔を感ずるが、同時に軽い頭痛もある。
今日は、昼寝をしていない。
そのせい?
で、ここ千里浜(ちりはま)には、こんな思い出がある。

 下宿の先輩とドライブをしていて、事故に遭った。
車ごと横転した。
記憶の中では、3転ほどしたと思う。
空中で自分の体がクルクルと回っているのを覚えている。

 そのことを先ほどタクシーの運転手に話すと、こう説明してくれた。
「波が、ときどき段差を作ってね。その段差にタイヤが取られると、横転することもあるよ」と。
私が大学2年生のときのこと。
先輩は、3年生だった。
先輩は、それで背骨を折った。
私は不思議なことに、まったくの無傷だった。

●旅行

 今回の夏休みでは、1日おきに、3つの旅行をした。
3泊4日の旅行を、3つに分けたということになる。
それぞれの旅行には、それぞれの性格がある。

 福井県の越前大野へ行ったときには、「私は一人ぼっち」ということを、強く思い知らされた。
兵庫県の城之崎へ行ったときには、昔の自分に会えたような懐かしさを覚えた。
また今回、この羽咋へ来たときには、「来た」というよりは、「古巣へ戻ってきた」という感覚にと
らわれた。

タクシーに乗っているとき、たまたま「富来行き」というバスとすれちがった。
私が何気なく、「ここから富来(とぎ)へも行けるのですか?」と聞くと、タクシーの運転手は、驚
いてこう言った。
「富来(とぎ)という読み方を知っていたお客さんは、はじめてです」と。

 能登半島という半島は、私にとっては、そういう半島である。

●仕事

 明後日から、仕事が始まる。
「がんばろう」という気持ちと、「だいじょうぶかな」という気持ち。
この2つの気持ちが、複雑に交錯する。

体力的には何とかなる。
しかしこの大不況。
そのうちジワジワと、その影響も出てくるはず。
今年度(2012年の3月まで)は、何とかなるだろう。
しかしその先が読めない。

 で、ワイフは、ああいうのんきな性格だから、いつもこう言っている。
「つぶれたら、オーストラリアへでも行きましょうよ」と。

 どこか私の教室がつぶれるのを、楽しみにしている様子(?)。
こう言うときもある。
「今まで、一度もつまずくこともなく、ここまでやってきたのだから、感謝しなくちゃあ」と。
つまり「もうじゅうぶん仕事をしてきた。いつやめてもいい」と。
あるいは「あなたも定年退職したら?」と。

 が、今の私には、仕事が生きがいになっている。
その生きがいを、自ら捨てるわけにはいかない。
私としては、死ぬ直前まで、仕事をしていたい。
できればピンコロという死に方をしたい。
オーストラリアへも行きたいが、「行って何をする?」と考えたとたん、意欲が、スーッと萎えてい
く。

 ともかくも、こうして私の夏休みは、終わる。
が、まだあきらめたわけではない。
「明日の夜も、どこかの温泉へ行こうか」と声をかけると、ワイフは、「明日も〜?」と。
気の進まない返事が、返ってきた。

 ……こうして旅行ができるのも、今のうち。
よくて、ここ数年。
今は、あきるほど、あちこちを旅行しておきたい。

●8月23日

 朝、6時、起床。
昨夜はほかにすることもなく、午後10時に就寝。
8時間、眠ったことになる。
一度、トイレに起きたが、それだけ。

 ……ということで、今朝は、気分、爽快。
脳みその働きも、まあまあ。
こうしてパソコンのキーボードを叩く指も、軽やか。
よかった!
やっと調子が戻ってきた。

●小雨

 羽咋の朝は、小雨で始まった。
食事は8時から。
10時ごろの電車に乗り、金沢へ。
金沢からバスで名古屋へ。
ほぼノンストップ。
所要時間は、4時間。
新幹線と特急を乗り継ぐよりは、時間はかかる。
しかし料金は、半額。
急ぐ旅でなければ、高速バスのほうが、楽。

 「ホテルから羽咋駅までは、タクシーだな」と、今、ふと、そんなことを考えた。

●窓の外

 ホテルといっても、ビジネスホテル?
高級なビジネスホテルといった感じ。
(フロントで聞いたら、ゴルフクラブのクラブハウスだったとのこと。)
畑の中に、ポツンと建っている。
目の下には荒れた土地。
その向こうには、畑がつづいている。
一軒だけ家があるが、ごくふつうの民家。

 右の方角に千里浜があるはずだが、ここからは見えない。
昨日は遠くに低い山々が見えたが、今朝は、白い雲に覆われ、それも見えない。
窓をいっぱいに開けた。
夏というのに、涼しい風が、サーッと吹き込んできた。
午後からは、また猛暑に逆戻りするという。
書き忘れたが、昨日は、全国的に、10月下旬の季節だったという。
それを聞いて、「10月って、こうなんだ」と。

 そこで私とワイフの結論。

(1)シーズンオフを選ぶ
(2)客の少ない旅館(ホテル)を選ぶ
(3)ほどほどの距離のところにある名所を選ぶ

 秋になれば、旅行シーズン。
楽しみが待っている。

●羽咋から金沢へ

 ホテルから駅までは歩いた。
途中、郵便局で金沢の友人にハガキを出す。
涼しい小雨。
ワイフが傘をさした。
私も傘をさした。
ちょうど40分ほどで、JR羽咋駅に。

 9時26分発の金沢行き。
鈍行列車。
席はすいていた。

 パソコンを開くと、まずメールを読む。
つづいてニュース。
このところまず気になるのが、浜松。
「浜松はだいじょうぶか?」と。
地震が近い。
それが気になる。

●失われた20年

 こういう地方へ来てみると、「失われた20年」の意味が、よくわかる。
この40年を2つに分ける。
最初の20年、この日本は、怒涛のごとく変化した。
しかしつぎの20年、この日本は、そこで時間を止めたまま。

 この鈍行列車にしても、あちこちがサビだらけ。
窓ガラスは汚れたまま、白く曇っている。
が、何よりも動きを止めたのが、「人」。

 今も、通路をはさんだ反対側の席に、2人の女性が何やら大声で話しこんでいる。
片足は座席にあげたまま。
一方はスカートを、大きくめくりあげている。

1人は、50歳前。
もう1人は、60歳前後。
まさに「女」を忘れたオバちゃんたち。
品格も風格もない。
日本人というよりは、土着原住民。
能登の土着原住民。

 どうして女性は、ああなるのか?
ああいう人たちにも、若くて美しいときがあったはず。
しかし長い年月をかけて、ああなる。
どうして?

 ……日本がかつて懸命に追い求めた「繁栄」とは何だったのか。
あるいは物欲の追求にすぎなかったのか。
その結果、つまりそれが終わったとき、残ったのは、物欲だけ。
この20年で、その物欲だけが、皮をはがれて表に出てきた。
こういうオバちゃんたちの横姿を見ていると、そんな感じがする。

●石川県

 電車はのどかな田園地帯を走る。
ひとつちがうのは、墓が目立つこと。
一駅ごとに、墓地があり、線路沿いに墓が見え隠れする。
あとは雑然とした街並みと、雑草。
道路沿いも、線路沿いも、雑草だらけ。
ちょっとした空き地でも、夏草が生い茂り、荒れ放題になっている。
数年前、石川県庁に勤める友人が、こう言った。
「石川県は、貧しいがや」と。

 その貧しさが、ここ10年で、いっそうひどくなった?
そんな印象をもった。
(まちがっていたら、ごめん!) 

●総括

 ……ということで、昨日は、ここ石川県羽咋市までやってきた。
ことUFOについて言えば、新しい発見は、なかった。
古代史とUFOの関係、古代文明とUFOの関係、さらには、彼らはいつから、何の目的をもっ
て、この地球へやってきたのか……。
たとえばシュメール文明、仰韶(ヤンシャオ)文明との関係など。
そういうところまで、踏み込んで展示すると、奥行きも倍加するのでは?

 宇宙船(UFOではない)の展示物が8〜9割。
UFOに関していえば、2、3の展示物と、あとはパネル写真だけ。
このあたりが、私たちがもっている常識の割合と考えてよい。
UFOオンリーとなると、カルト化(=狂信化)する危険性がある。
やはりUFOについては、ほどほどのところで、ほどほどのロマンを楽しむのがよい。
深入りは禁物。

その点、矢追純一氏は、頭がよい。
団体や組織とは、一線を引いている。

 今回の旅行を総括すると、そういうことになる。

●もうすぐ豊橋

 名古屋からは、名鉄電車に乗り換えた。
特急、豊橋行き。
疲れを感じない、楽しい旅だった。
書いた原稿は、23ページ(40字x36行)。
まあまあの成果。

 パナソニック社製のレッツ・ノートがほしい!
TOSHIBAのMXでは、やや力不足。
バッテリーチェックを見ると、「21%で、1時間39分」と表示された。
つまりバッテリーの残量は、21%。
残り、1時間39分。
実際には、あと30分もすると、警告表示が現れる。

 ……私の脳みそについて言うなら、「20%、7年」かな?
あと7、8年もしたら、使い物にならなくなる?
そんな感じがする。

(はやし浩司 羽咋 宇宙科学博物館 コスモアイル 矢追純一 UFO 能登への旅 はやし
浩司 石川県 羽咋市 渚ガーデンホテル 羽咋市 割烹 ぼうぼう はやし浩司 ぼうぼう 
羽咋 魚料理 ぼうぼう)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●8月23日(水曜日)

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明日(24日)の朝、山荘のガス検針があるという。
検針には立ち会わなければならない。
そこで午後8時過ぎ、山荘へ出かけようとしていた矢先、
T氏(40歳、友人)から電話。
「久しぶりだから、会いたい」と。

そこでそのままT氏を、山荘へ案内した。
T氏の車が、私たちの車のあとをついてきた。
ゆっくり走った。
途中でガソリンを給油した。
コンビニで、食べ物を調達した。
で、山荘へ着いたのが、9時半ごろ。

+++++++++++++++++++++++++

●8月24日朝

 ということで、昨夜は、午前1時ごろまで、T氏と話した。
好奇心の旺盛な人で、私が話すことに、熱心に耳を傾けてくれた。
そのときのこと。
今まで経験したことのない、「綿密な慎重さ」を私は感じた。
平たく言えば、「いいかげんなことは言えない」とい慎重さ。
気楽には、話せなかった。

 相手は40歳の男性である。
人生の折り返し点に立っている。
この先、T氏は、自分で自分の真・善・美を追求していく。
言うなれば、人生のドアウェイ(入り口)に立った。
そんな人に、一言たりとも、まちがったことを伝えたくない。
私が言っていることが、ひょっとしたらこれからのT氏の方向性を決める。
ずっとあとになって、「あの林(=私)の言ったことは、すべて本当だった」と思ってくれればよ
い。
またそう思ってくれるときが、やってくるはず。

 私は言葉を慎重に選びながら、科学的に証明されたことだけをていねいに、話した。
「綿密な慎重さ」というのは、それをいう。
つまりまず頭の中で、話すべきことを選び、その中から、「正しい」と断言できることだけを話し
た。
ずっとそれだけを考えながら、話した。

●人生の岐路

 ただし他人の意見の受け売りでは、意味がない。
「林が言っていたことは、すでに別の人が言っていた」では、許されない。
私は私が発見したこと。
私が自分で知り得たこと。
世界でも、私しか知らないことだけを話した。
「あの本に書いてあった」「テレビで言っていた」などという話をするのは、私のプライドが許さな
い。

 T氏がこの先、どのような人生を歩むかは、知らない。
しかし大きな岐路に立たされているのは、事実。
もし私の言ったことに触発され、真・善・美の追求を始めれば、それはそれでよし。
そうでなければ、そうでない。
日常の俗世間に埋もれ、「ただの人(das Mann)」(ハイデッガー)になっていく。
40歳という年齢は、そういう年齢である。

私は私で、T氏が、真・善・美の追求を始めてくれることを、心底願った。
私はT氏を、小さな子どものときからよく知っている。

●言論の自由

 話題は多岐に渡った。
UFOの話から、東洋医学、心理学、宗教論など。
宗教論について話しているとき、T氏は、こう言った。
「よく殺されませんでしたね」と。
つまり「相手の宗教団体に、よく殺されないですみましたね」と。

 きわめて危険な状況に置かれたのは事実。
その団体から派遣された6人の男たちは、私の身辺を3か月に渡って、調査していった。
そのことを、日本共産党の宗門部から連絡を受けた。
「今、あなたの周辺で、X宗教団体の連中が動き回っていますから、注意してください」と。

 6人のうち、2人については、すぐわかった。
東京(1人は川口市、もう1人は大和市)からやってきていた。
私の味方と称して、いろいろな情報を提供してくれた。

 同じころ、別の知人から、写真の提供も受けた。
その中に、川口市から来ている男の顔もあった。

で、その電話のあと、ある夜、その中の1人を問い詰めた。
たまたまその男は、京都市内で、京都大学のある教授の周辺を調査していた。
その教授は、その宗教団体の「長」が、国際的な賞を受け取るのを、先頭に立って反対してい
た。
その教授は、その賞の国内推薦委員の1人だった。

 電話は1時間半もつづいた。
繰り返し押し問答がつづいた。
が、1時間半ほどたったところで、相手が根負けをした。
「実は、そうです」「あなたには負けました」と。
そしてこうも言った。

 「あなたの周辺を調べましたが、女性問題も、金線問題も出てきませんでした」と。
そのとき、3人の別働隊がいることを話してくれた。
そしてその夜を境に、私の調査から手を引くと約束してくれた。

 「日本に言論の自由があるというのは、ウソですよ」と。
私はそんな話をT氏にした。

●30代、40代

 夜1時ごろ、T氏は帰っていった。
生活は楽ではないらしい。
T氏は、こう言った。
「現在の30代、40代が、悲惨です」と。
「今、恵まれた生活を楽しんでいるのは、公務員と年金族だけですよ」とも。

 30代、40代は、給料はそのままで勤務時間が長くなっている。
あるいは給料が減額されている。
が、それでもクビがつながっているほうは、まだよいほう。
リストラ、解雇の嵐が、吹き荒れている。
「ぼくに、10人ほどの仲間がいます。
高校時代からの仲間です。
その中で、公務員になったのは別として、残り8人は今、全員、リストラされたりし、派遣社員を
しています」と。

 30代、40代の人については、私はほとんど知らなかった。
それほどまでにひどい状況になっているとは、夢にも思っていなかった。

●仕事開始

 たった今、ガス検針の男が帰っていった。
「問題はありません」「ありがとうございました」と。
額に汗をかいていた。
年齢は60歳くらいだった。
あの男性も、退職し、委託で仕事をしているのかもしれない。

 森の中では、ツクツクボウシが鳴いている。
この山の中では、午前10時というのに、肌寒さを覚える。
1日いたいが、そういうわけにはいかない。
午後から、仕事開始!
仕事があるというだけでも、感謝、感謝、感謝!

 今は、そういう時代。
ただこの1週間で、体重がまたまた1・5キロもふえてしまった。
今日から、またダイエット。
プラス、運動。

 ……今、ワイフが横で私の首をマッサージしてくれている。
昨夜、遅くまで話し込んだのが、よくなかった。
首の付け根が、重い。
幸い、頭痛はないが……。

私「この1週間、楽しかったね」
ワ「そうね」と。

 あわただしい夏休みだった。
3連続の旅行は、私の人生においても、はじめての経験。

ワ「今度、仰韶(ヤンシャオ)へ行こうか?」
私「うん、行こう」と。

 ヤンシャオには、宇宙人最大の謎が隠されている。
謎を解く鍵が隠されている。

私「よく調べてからね。どこにどういう博物館があるか……」
ワ「メソポタミアは……?」
私「イラクは無理だね。破壊されつくされている」と。

 メソポタミア文明について調べるなら、むしろ大英博物館のほうがよい。
しかしすでに無数の研究者たちが、調べつくしている。
私たちのような素人が、ノコノコと出かけていって、何か新しいことを発見できるような状況では
ない。
しかしヤンシャオはちがう。
ヤンシャオには、何かが隠されている。
うまくいけば、東洋医学(科学)の原点をさぐることができるかもしれない。

 そう、つぎの目標は、ヤンシャオ!

●新しいモニター

 家へ帰る途中、パソコンショップで、27インチの新しいモニターを購入した。
韓国のS社製。
2万1000円+消費税。

 横にMITUBISHI製やIO製もあった。
価格は、5000〜6000円も高かった。
それにデザイン面で、ぐんと見劣りがした。
本気度が感じられなかった。
いかにも事務機器といった、感じ。
が、これでは売れない。

 韓国製を購入しながら、こう思った。
「日本も、もうだめだな」と。
私が韓国製を買うようになったら、おしまい。

 8月24日(水曜日)朝記。


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●豊かさは、金(マネー)、仕事、家族、健康?(豊かさについてbyはやし浩司)

 インターネット専業証券会社のインヴァスト証券が、たいへん興味深い調査結果を公表した
(産経新聞・2011年8月25日、配信)
それをそのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

●「家族」?「お金」?世代、男女間で意識に大きな差 
 インターネット専業証券会社のインヴァスト証券が25日発表した「豊かさとお金に関する意識
調査」によると、現在の生活について「とても豊かに暮らしている」と「まあ豊かに暮らしている」
が合わせて全体の50・8%と半数を超えた。

一方で「まったく豊かに暮らしていない」が10・2%など、豊かに暮らしていないと回答した人も
49・2%となり、二極分化している状況が浮き彫りとなった。

 世代や男女間で見ると、「豊かに暮らしている」と回答したのは30代女性が7割、60代男性
が62%と高い一方、30代男性は34%、60代女性は42%と低めで、世代によっては男女間
で大きな差が出た。

 「豊かさを考える際に思い浮かべたもの」については、全体のトップは「家族」で27%。
以下「お金」(22・6%)、「時間」(10・6%)、「健康」(10・4%)、「趣味・教養」(7・2%)が続い
た。

 30代に限ると、女性は半数が「家族」と回答し、「お金」はわずか6%。
これに対し、男性は「お金」が40%で最も多く、「家族」は18%にとどまり、男女間で大きく異な
る結果となった。

 「生活を豊かにするために足りないと感じているもの」については、男女とも「お金」が4割超
でトップだった。
世代別では20〜40代は「お金」が最多だったが、50、60代は「健康」がそれぞれ38%、4
1%で最も高かった。

 調査は今月3〜5日に、インターネットで全国の20〜60代男女計500人(各世代100人)
に実施した。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

●調査結果のまとめ

 この結果をもとに、鈴木さん(架空の人物)家族を考えてみる。

 鈴木氏は、現在、35歳。
妻も35歳。
子どもは2人。
上が5歳、下が2歳。

奥さんは現在の生活に満足し、「自分は幸福」と実感している。
が、鈴木氏自身は、やや不満。
自分の力に見合った収入を得ていないと考えている。
子どもたちと楽しそうに生活している自分の妻を見ながら、軽い疎外感を覚えている。
小遣いも少ない。
妻や子どもたちは、自分がしている苦労を、理解してくれていないと感じている。

●択一の問題?

 ただこの調査結果をみて、誤解していけないことがある。
たとえば「家族」。
「家族さえしっかりしていれば、時間や健康がなくてもいい」ということにはならない。
欲張りな人であれば、「家族も大切」「お金も大切」「健康であればさらによい」と考えるだろう。
ここに出てきた数字は、あくまでも比率ということになる。
「どれかひとつ」という択一的に考えてはいけない。

 たとえば私はもうすぐ64歳になる。
そういう私にしていれば、健康が第一と考える。
老後の不安もある。
「幸福」についても、幸福と感ずるときもあれば、そうでないときもある。
さらに言えば、「お金」。

 仕事をしている男性にとっては、「お金」というのは、「仕事」をいう。
とくに戦後生まれの、団塊の世代にとっては、そうであろう。
私たちは、何かにつけ、ひもじかった。
(そう言えば、先日、私が子ども時代の写真を見たが、太っている人は、ひとりもいなかっ
た!)

専業主婦には、この感覚は薄い?
だから私のワイフも、ときどきこう言う。
「あなたは、仕事のことばかり考えている」と。
が、私は、「仕事をするから、収入を得られる」と考える。

 この調査結果を見て、いろいろと考えさせられた。
しかし「心」ろいうのは、ここに表されるほど、単純ではない。
そんなことも、別の心で考えた。

 私のばあい、健康で仕事ができること。
生きがいを感ずることができること。
それができれば、私は幸福。
そうでなければ、そうでない。

 何よりも恐いのが、孤独。
だから目標は、ピンコロ。
死ぬのは恐いが、その瞬間は、何でもない。
死を感じたら、さっさと死にたい。

 これは余談だが……。
ついでに一言。

 「とても豊かに暮らしている」と「まあ豊かに暮らしている」が合わせて全体の50・8%と半数
を超えたというが、本当か?
私の周囲の人たちを見るにつけ、私には、とてもそうは思えない。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Mというタレント(2011/08/27)

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Mというタレントが、暴力団とのつながりが
バレ、自ら引退を宣言した。
少し前、公の場で、「関係ありません」
「写真などあるわけありません」と断言していた。
が、それはウソだった。
つまり今度の引退宣言も、ウソと考えてよい。

一事が万事。
万事が一事。

タレントという職業の人がみな、そうであると
いうのではない。
しかしあの職業ほど、仮面をかぶった職業はない。
また仮面をかぶらないと、できない。

が、仮面を仮面と意識している間は、まだよい。
そのうち、その仮面が仮面とわからなくなる。

私も、今度の引退会見の様子をテレビで見ていた。
ときどきうっすらと涙をこぼしていた。
M氏ほどのタレントになると、あの程度の演技など、
朝飯前。
平気。
そんな涙を見て、「Mは反省している」などと、
思ってはいけない。

真相はまだヤブの中だが、Mはもっと大きなウソを、
隠している。
私はそう感じた。

やがてほとぼりが冷め、その時期が来たら、
Mは、再びタレントの世界に復帰するはず。
その場、その場で、適当なウソをついて、
その場を逃げる。
復帰するときも、そうだろう。

Mが悪いというのではない。
Mを見る、国民の側に、その一貫性がない。
つまり日本人は、「ウソ」に甘い。
だからウソを見抜くことすら、できない。

+++++++++++++++++++

●権力闘争

 管直人首相が辞職したからといって、民主党は、何も変わらない。
日本の政治は何も変わらない。
もともと政策そっちのけの、権力闘争。
「数」だけがものをいう、権力闘争。
政治の場を、「国盗り物語」の舞台のように考えている輩(やから)は多い。
またそう考えて、みじんも恥じない。

 悲しいことに、日本人は、あの江戸時代という封建時代を、一度も精算していない。
今に、それを引きずっている。
この静岡県では、徳川家康を悪く言うだけで、袋叩きにあう。
豊臣秀吉や織田信長を信奉している人も多い。
その結果が今。

 日本人は日本人独特の「権力志向」をもっている。
いまだに「出世」という言葉が、ハバをきかせている。
「偉い」という言葉も、残っている。

 もう20年ほど前になるだろうか。
M首相(自民党)という人がいた。
その首相がある幼稚園を訪れ、園児の前で、堂々とこう言い放った。

「私、日本でいちばん偉い人。……わかるかな? 日本でいちばん偉い人だよ」と。

 こういうのを、本物のバカという。
が、当の本人には、それがわからない。

 だれが時期首相になっても、なったとたん、再び権力闘争。
日本の政治は、その繰り返し。
しかし政治家が悪いのではない。
それを支える、私たちが悪い。
私たちが、意識を変えないかぎり、こうした政治家はつぎつぎと現れる。

 またまたその茶番劇が始まった!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●8月27日(土曜日)(はやし浩司 2011−08ー27)

++++++++++++++++++

旅の疲れが出たのか?
それとも運動のせいか?
今日も、2時間も昼寝をした。
それなりにぐっすりと眠った。
目覚めも悪くなかった。

が、寝起きに夢を見た。
しばらく、ぼんやりしていた。
その夢について、あれこれと考えていた。
しかし夢は夢。
頭から振り切ると、そのまま起きあがった。
足下がフラフラした。
台所へ行くと、
ワイフが、そこにいた。

「2時間も眠ったみたい」と声をかけると、
「よく寝たわね」と。

++++++++++++++++++

●運動

 昨日は、(今朝も)、朝起きると、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
マシンでは、30分が、MAX(=限度)になっている。
が、30分程度がよい。
20分を過ぎるころから呼吸が激しくなり、さわやかな汗が全身を流れ始める。

 ほかに昨日の午後は、サイクリングを2単位。
1単位は、30〜40分前後。
ほどよい疲れが、心地よかった。

●Kさん

 40年来の友人に、Kさんという人がいる。
私と同じ、昭和22年(1947)生まれ。

役所を退職したあと、3反(900坪)の畑を買い求め、今は「百姓」(Kさん弁)をしている。
そのKさんは、無農薬農業を心がけている。
「無農薬農業」といっても、実際には、不可能。
数年もかけて、ミカンの木を栽培したが、カミキリムシが入り、全滅。
海水をくんできて、それで消毒していたが、あまり効果はなかったという。
今は、野菜作りに専念している。

 そのKさんに、ニンニクを分けてもらえないかと、昨夜電話をかけた。
東北産も中国産も、安心できない。
そこでKさんに助けを求めた。
が、この暑さ。
できは、よくないとのこと。
そしてこうも言った。

「あと何年かすると、この日本では野菜作りもできなくなるかもしれないね」と。
気候が温暖化すると、野菜もできなくなるという。

 言い忘れたが、Kさんは東京農大を出た、エリート中のエリート。
役所でも、その道、一筋に生きてきた人である。
そのKさんが、そう言った。

●総入れ歯

K「林さん(=私)、私ね、総入れ歯になりましたよ」
私「総入れ歯?」
K「昔から虫歯だらけでね。それで歯周炎に苦しみました。で、歯がみんな抜けてしまって…
…」
私「……!」
K「明日、その入れ歯を入れてもらうことになっています。話していても、フニャフニャします。聞
きづらいでしょう?」と。

 その話を聞いて、ツンとしたさみしさが、私の心を包んだ。
Kさんだけではない。
こうして私たちは、老いていく。
老い方は、人それぞれだが、みな、例外なく老いていく。

私「私も、しばらく同じ姿勢をつづけていると、体が固まって、動けなくなくなります」
K「あら、それはいけないな」
私「正座なんか、もう私にはできません。10分もしただけで、歩けなくなります」
K「ハハ、ぼくもね、腰が弱くて、映画館で映画を観ることができませんよ」
私「どうして?」
K「映画館で映画を観ていると、腰が痛くなります。太りすぎです」
私「それも、いけないですね」と。

 ニンニクの話をするつもりだったが、健康の話になってしまった。
私の年代の人たちは、みな、そうなる。
最後には、結局は健康の話になる。

●夏のレッスン

 今日は土曜日だったが、レッスンをひとつこなしてきた。
「夏期講座」と呼んでいる。
このレッスンを通して、子どもたちに自信をつけさせる。
それを第一のテーマにしている。

 何かを教えるのではなく、自信をもたせる。
そんな目的を、このビデオを通して、理解してもらえれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Summer Lesson @ BW Children's Club Hamamatsu Japan Aug. 27th 2011】

(1)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)
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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●残暑

 残暑もきびしいが、朝夕は、めっきり涼しくなった。
ときに寒いほど。
このところ風邪をひく人が多くなった。
そんな話をよく耳にする。
 
 実は私も、あぶなかった。
寝る前はそれなりに暑い。
が、夜中に、急に気温がさがる。
それで風邪をひく。
今朝もそうだった。
それに気がつき、ワイフにしがみついていった。
 
●職業観

 1970年のころのこと。
今は、どうか、知らない。
当時のオーストラリアでは、大卒の資格がないと、ユンボやブルドーザーを操作できなかった。
それだけその仕事は、技術職として重要視されていた。

 一方、私たち、団塊の世代にとっては、商社マン、証券マンというのは、それなりの職業だっ
た。
私たちが大学を卒業するころ、日本は高度成長の波に乗った。
すべてがマネー、マネーという時代だった。
が、その時代は、あの山一証券の倒産劇で、終わった。
つまり「それなりの職業」という幻想が、つぶれた。
ほかの世代の人たちには、それがわからないかもしれない。
しかし社長が、テレビカメラに向かって、「私が悪いんです。みんな私が悪いんです」と泣きじゃ
くって見せたとき、その幻想は、つぶれた。
私たち団塊の世代に与えた衝撃は、大きかった。

 が、一方、オーストラリアでは、日本の商社マンは、「軽蔑」されていた。
軽蔑ということは、軽蔑。
どう軽蔑されていたかについては、すでに何度も書いた。

 つまり私たちがもっている「職業観」というのは、国によってちがう。
たとえば「軍事国家」「独裁国家」と呼ばれている国々では、軍人がエリートということになって
いる。
現在のフィリッピンがそう。
北朝鮮もそう。
戦時中の日本も、そうだった。
弁護士にしても、アメリカでは、資格をもちながら、失業している人はゴマンといる。
さらに言えば、パイロット。

 日本航空のばあい、ほんの4、5年前までは、機長といえば、年収2400万円以上。
しかしアメリカでは、国際線の機長ですら、月収12万円前後(「超大恐慌の時代」)で飛んでい
る。
しかも雇用契約は、一年ごとの更新制。

多くの国では、空軍のパイロットが転職し、民間機のパイロットになるケースが多い。
が、ここにきて、全裸の機長が、女性の下着を盗みに入り、逮捕されるという事件が起きた(2
011年8月)。
日本航空の現役の機長だったというから、驚きである。
つまりそういう頭のおかしな人が、飛行機の中で、操縦かんを握っていた!
想像するだけで、ゾッとする。

 地に落ちた・・・というか、こうして私たちがもっている幻想は、つぶれていく。
というか、職業に上下はない。
あるはずもない。
が、日本には、江戸時代の身分制度が、いまだに残っている。
身分制度そのものは崩れたが、その「意識」が残っている。
その意識でもって、職業の上下を判断する。
それが今、音をたてて崩れ始めている。

●学歴制度の崩壊

 もう7、8年前の話だから、現在の実情とは違っているかもしれない。
しかしこんな話を、ある中学校の校長(浜北区H中学校)の校長から聞いた。

「今では、60%の中学生は、受験勉強などしていません。部活でがんばって、推薦で高校へ入
ると考えています」と。
それから7、8年。
60%より多くなったのか。
それとも少なくなったのか。
が、一度緩んだバネは、もとには戻らない。

 中学生ですら、意識が変わった。
高校生も、変わった。
大学生も、変わった。

 変わらないのは、40代以上の古い世代。
中には、60歳になっても、70歳になっても、過去の学歴を頭に載せて歩いている人さえいる。
それはそれとして、こうした変化も時代の流れ(?)。
が、これは同時に深刻な問題でもある。
学問の軽視は、そのまま学力の低下につながる。

 先日もこんなことがあった。
事務機器屋の男に、背の高い本箱を据え付けてもらった。
そのとき私が、「地震のとき倒れるから心配だ」と言ったら、その男(40歳くらい)は、こう言っ
た。
「この本箱(スチール製)は、重いから、倒れませんよ」と。
私がいう「学力」というのは、それをいう。
学力のない人は、平気で、そう言ったりする。
こんな国が、これから先、どうやって外国と戦っていくというのか。

●学ぶ力

 繰り返し書く。

(もの知り)と(思考)は、まったく別のもの。

ものをよく知っている=情報量が多いからといって、賢い人ということにはならない。
利口な人かもしれないが、賢い人ではない。
たとえば幼稚園児でも、掛け算の九九を暗記している子どもがいる。
だからといって、そういう子どもをさして、「賢い子ども」とは、言わない。

 昔、宮沢俊義という憲法学者がいた。
私が法学生のころには、神様のような存在だった。
その宮沢俊義が、あるとき、ある小学校で憲法についての講演をした。
その直後のこと。
1人の子どもが手をあげて、宮沢俊義にこう質問した。
「憲法は、いくつ(何条)まであるのですか?」と。

 この質問に宮沢俊義は、即答できなかった。
宮沢俊義は、側近の者に六法全書をもってこさせ、憲法の条文の数を調べて答えたという。
「宮沢先生ともあろう方が・・・」とだれしも思う。
しかしこれは法科の学生ならみな知っている、有名な逸話である。

 つまり情報というのは、そういうもの。
思考というのは、そういうもの。

 このところ学校教育の内容が変わってきた。
(もの知り)から、(賢い子ども)へ。
「遅すぎた」という感はゆがめないが、今後の日本の教育に期待したい。

●身分制度

 若い人たちは、江戸時代と聞くと、遠い昔のことのように思うかもしれない。
しかし人は、加齢とともに、過去に近づいていく。
たとえば20歳の人には、130年前というと、自分の年齢の6倍以上も昔の話ということにな
る。
しかし65歳の人には、たったの2倍。
(たったの2倍!)
私の祖父母にしても、明治生まれとはいえ、江戸時代をそのまま引きずっていた。

 若いころはそうは思わなかった。
しかしこの年齢になってみると、江戸時代がすぐそこにあるのがわかる。
遠い昔ではない。
そこにある。
だから今、「江戸時代がそのまま残っている」と、だれかに言われても、驚かない。
私自身も、往々にして、それを感ずる。
先に書いた、身分制度もそのひとつ。
私たち日本人は、いまだにその身分制度を、色濃くひきずっている。

●追跡

 いつとは書けないが、最近、こんなことがあった。

 あるビデオショップへ行ったときのこと。
駐車場が空いていなくて、そこに車を止めていると、一台の車がサーッと横を通り過ぎていっ
た。
そのまま見ていると、その車は、身体障害者の人用の駐車場に、迷わず停止した。
見ると、中から、60歳前後の男女が出てきた。
シャキシャキと歩いている。
とても障害のある人には、見えなかった。

 ワイフはその男性の名前を知っていた。
以前、町内会の仕事をいっしょにしたことがあるという。
私はその男性にたいへん興味をもった。

 ・・・というより、以前からもっていた。
「そういうことが平気でできる人というのは、どういう人なのだろう」と。

●電話帳 

 電話帳から、その人の住所はすぐわかった。
私は車のナビに、その人の住所を入力した。
ビデオショップからに帰り道、その人の家を訪ねてみることにした。

 ビデオショップから、5分ほどのところだった。
細い路地を入った、一軒家。
庭先に、4畳ほどの小さな家があり、「xxピアノ教室」と書いてあった。
「娘さんかだれかが、ピアノの先生をしているのか」と、私は思った。
が、先生をしているのは、その妻のほうだった。
たまたま通りがかった女性から、それを聞いた。
また年齢も60歳くらいと思ったが、ともに、50歳前後という。
もちろん身体障害者ではない。

 その家を離れるとき、私はこう思った。
「そういうものかなあ?」と。

●速度制限

 「日本人は交通ルールを守らない」と、オーストラリアの友人は、言った。
そこで私は、「君はどういうところを見て、そう言うのか」と聞くと、こう話してくれた。
「(四つ角などで)、停止線のところできちんと止まらない」と。

 以来、よく車を観察するようになった。
ナルホド!
停止線のところできちんと止まっている車は、ほとんど、ない。
停止線を飛び出す、あるいは反対に数メートル手前で止まる。
日本人には、何でもない光景だが、オーストラリア人には、「信じられない」となる。

 そこで今回(2011年4月)、同じオーストラリア人と、ハイウェイを走ってみた。
そこでのこと。
驚いたことに、友人だけではなく、どの車も、速度表示に従い、ぴったりとその速度で走ってい
る。
これには驚いた!

 たとえば80キロの標識・・・どの車も時速80キロで走る。
60キロの標識・・・速度を、がくんと落とす。(やがて道路わきの木々を切り倒す作業車とすれ
ちがう)。
100キロの標識・・・とたん車は速度をあげ、100キロまで加速!

 ハイウェイを走るとき、みな、このルールを守る。
「まるで列車ゲームのよう」と、私は感じた。
列車ゲームでは、表示された速度を忠実に守らないと、即、減点になる。
実際の列車の運行でも、そうなっているらしいが・・・。

 で、そのときはじめて私は、以前、友人の言った言葉の意味がわかった。
「日本人は交通ルールを守らない」と。

●民主党の党首選挙

 民主党の党首選挙が始まった。
(実際には、まだ始まったわけではないが・・・。)

 しかしそれを見ながら、こう考えた。
もちろん政策論争などというのは、そっちのけ。
「数」。
数だけの勝負。

 それを見ながら、私は「関ヶ原の戦いと同じ」と思った。
関ヶ原の戦い(1600年)でも、「数」だけが、ものを言った。
それを同じことを、400年以上たった、今も、している。

 関ヶ原の戦いでは、西軍の小早川秀秋の裏切りにより、東軍が大勝し、徳川家康が政権の
座につく。
今度の選挙でも、同じようなことが起こるかもしれない。
しかし本当の問題は、このことではない。
どうしてこういう愚かなことが繰り返されるかということ。

 政治が「数」で動く。
中身ではなく、「数」。
が、これではいつになっても、日本の民主主義は、完成しない。
つまりは、私たち有権者自身が賢くならないと、民主主義は完成しない。
地方選挙のレベルから、オジチャン、オバチャンたちによる談合選挙。
その頂点に国政選挙があり、党首選挙がある。

 民主主義とはいうものの、「賢さ」をはぶいたら、ただの祭り。
まわりくどい書き方をしたが、今朝の私は、そんなことを考えた。

2011年8月28日


Hiroshi Hayashi++++++++Aug  2011+++++++++はやし浩司

●オーストラリアの友人の論文(モナーシュ大学図書館)

 オーストラリアの友人(モナーシュ大学Librarian)が、論文を送ってくれた。
キャンベラ大学での講演に使ったという。
それを読んで、先週、「これを日本語に翻訳して、日本で紹介していいか」と聞くと、「感謝する」
という返事が届いた。

 今日は、土曜日。
このあとワイフと山荘に行くことになっている。
昼寝もした。
今夜は、その翻訳に挑戦してみたい。

オーストラリアにおける中国人の動きがわかって、興味深い。

Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

EAST ASIAN LIBRARY RESOURCES GROUP OF AUSTRALIA 
オーストラリアにおける東洋学図書館の資料
Newsletter No. 58 (July 2011)
2011年7月号(No.58)

Special Materials Relating to Chinese Studies at Monash University Library
モナーシュ大学における、中国研究に関する特別資料
Dennis Kishere
デニス・キシア
Chinese Studies Librarian
Monash University
中国研究・ライブラリアン
モナーシュ大学
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/55/imgc0441fcezikdzj.jpeg
" width="602" height="453" alt="d1.jpg">

A painting of Dinghai 定海 by William Alexander in his Costume of China. London, 1805
中国服を着た、W.アレクサンダーによる定海の絵(1805)
This article is based on my presentation at the Library Panel during the Chinese Studies 
Association of Australia conference on 15 July 2011. 
この原稿は、2011年7月15日に、オーストラリア・中国研究会の図書パネルの席での講演に
基づいている。
In the presentation I used Powerpoint slides to highlight a selection of less common and 
sometimes unique materials which are held in closed areas of the library at Monash 
University and which are of interest to researchers in Chinese Studies. 
この講演会で、私はパワーポイントによるスライドを用い、モナーシュ大学内部という限られた
世界における、あまり世に知られていないか、ユニークなものを紹介した。

I have included some of those images in this article. 
この原稿の中で、それらの中のいくつかを紹介する。

At the Asian Studies Research Collection we acquire mainstream books, journals and 
audiovisual materials as well as databases relating to Chinese Studies in a similar manner to 
other libraries with Asian language collections.
アジア研究の蒐集物においては、他のアジア研究図書館と同じように、中国研究に関するデー
タベースのほか、主要出版物、刊行物および音声・映像などを手に入れている。

 However, what makes our collection unique, and indeed what makes other library 
collections unique, is the extent to which we are able to collect important and unusual 
materials which are not available via the usual acquisition streams. 
しかしながら、私たちの蒐集物、並びに大学図書館の蒐集物をユニークなものにしているの
は、それだけではなく、通常な流れの中で手に入れることができないような、重要かつふつうで
ない(unusual)な資料も含まれているということである。

These materials include rare books, pamphlets, films and ephemera.
これらの資料の中には、希少価値のある本、パンフレット、映像、価値が乏しいと思われる資
料(ephemera)も含まれる。
Most academic libraries have some unique, rare or special materials which can be usefully 
described and drawn to the attention of students and researchers. 
ほとんどの学術性を重んじる図書館では、学生や研究者の注意をひくような、つまり研究にそ
のまま役立つような、ユニークで、希少価値があるような、特別な資料を集めている。

Since such materials are not kept on the open shelves they cannot be browsed and they 
are not always easily discoverable from the catalogue.
これらの資料は、公開されていないため、参照したり、また簡単には目録などから、いつも知り
うるものではない。

 I do not want such valuable materials to be overlooked by researchers.
私はこうした価値のある資料が、研究者によって、見過ごされるのを望む者ではない。
These special materials are mainly kept in the locked areas of the Asian Studies Research 
Collection.
これらの特別資料は、研究資料として、アジア研究の分野に、主に、ロックされた状態で保管さ
れている。
 These collections include Special Materials Collection, the Australia Tibet Council 
Collection, Norodom Sihanouk Collection, Indonesian Historical Collection and Southeast 
Asian Pamphlets. これらの蒐集物の中には、特別資料も含まれている。
たとえば、オーストラリアーチベット会議資料、N.シアヌーク資料、インドネシア歴史コレクショ
ン、そして東南アジアパンフレット類など。

Other relevant materials are kept in the library's Rare Books Collection.
他の関連資料は、当図書館の稀少本コレクションの中に保管されている。
Newspapers(新聞)
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/56/imge5becf2azik7zj.jpeg
" width="160" height="107" alt="d2.jpg">

The Chinese Melbourne Daily 墨爾本日報.
(中国語版・メルボルン・デイリィ紙)
The newspaper's office is in Wellington Street, Collingwood.
当新聞社の事務所は、コリングウッドのウェリングトン通りにある。
 Our holdings start from 2004.
2004年から、保管を始めた。
 The newspaper is periodically donated to our library by the newspaper's proprietor. 
当新聞は、新聞社の所有者から、図書館に定期的に寄付されている。
The Chinese Melbourne Daily features general news about Australia and news about 
Chinese communities in Australia as well as news about mainland China, Hong Kong, Taiwan 
and other overseas Chinese communities. 
「チャニニーズ・メルボルン・デイリー」は、中国本土、香港、台湾、それに海外同胞のニュース
のみならず、オーストラリア、オーストラリア内の中国人共同体のニュースなどを報道している。

The advertisements in the newspaper are an interesting reflection of ethnic Chinese life in 
Australia and include such categories of services as feng shui consultants. 
新聞の載っている広告は、たとえば、"フェン・シュイ"コンサルタントなどのサービスを含むな
ど、オーストラリアにおける中国人の民族性を反映していて興味深い。

Community announcements reflect the lifestyle and observances of Chinese people and 
commercial advertisements record ethnic Chinese business activity in Australia. 
告知板にしても、海外在住の中国人のライフスタイルを反映しているし、広告宣伝にしても、オ
ーストラリアにおける中国人のビジネス活動を記録している。

Unlike some other papers, The Chinese Melbourne Daily is prepared to feature "sensitive" 
topics about China, such as Ai Weiwei's detention and citizen protests. 
ほかの新聞と異なり、"チャニーズ・メルボルン・デイリー"は、アイ・ウェイウェイの拘束やそれ
に対する市民の抗議など、中国における敏感な問題をも記事として提供している。

School Texts
学校のテキスト

In my presentation I described the Chinese school textbooks which we collect and which 
have been sought after by researchers. 
今回の講演では、私たちや研究者たちによって求められた、中国で使われている教科書につ
いて説明した。

Apart from purchasing contemporary textbooks, we have been able to acquire older 
textbooks such as 1980s high school textbooks from Taiwan for the study of Chinese 
literature.
現在の教科書を購入することとは別に、中国文学の研究のため、台湾から手に入れた1980
年代の高校の教科書も手に入れることができた。

 They contain excerpts from classical authors with explanatory notes.
それらの中には、説明文についた古典からの抜粋文も含まれている。

 They have prefatory pieces by Chiang Kaishek, Sun Yatsen, and Chiang Chingkuo. 
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/57/img7b46a306zikazj.jpeg
" width="198" height="143" alt="d3.jpg">
We also have school textbooks for studying Chinese literature published in 1930. 
また1930年に出版された、中国文学を研究するための学校の教科書も所有している。


Astrological Almanacs.
占星・暦

There are various names in Chinese for this genre of publication including : 
tong shu 通書 and min li 民?. 
中国の出版物のジャンルには、多様なものがある。
たとえば通書、民暦など。

These almanacs are an important source of traditional Chinese beliefs regarding annual 
events.
これらの暦を通して、年間の行事に関して、中国人の伝統的な信仰の重要な源泉を知ること
ができる。

 It was originally an agricultural almanac but it also includes advice on geomancy (feng shui風
水, kan yu 堪輿), physiognomy (xiang shu相術), auspicious naming (mingming 命名) and 
similar topics. 
もともとは農業暦であったものだが、それらは、風水、堪輿、相術、姓名判断および類似の話
題を含む。

The booklets also contain auspicious and invocatory paper strips for affixing to walls. 
小冊子は、吉凶を占ったり、壁に貼り付ける紙の記念書なども含む。

In recent years the content of these almanacs have become adapted to the requirements 
of urban lifestyles.
近年になって、これらの暦は、都市生活のライフスタイルにも、採用されるようになってきてい
る。

 They are an important guide to how traditionally minded Chinese people lead their daily life.
それによって、伝統的なものの考え方をする中国人は日々の生活をどのように過ごすかを決
める。

 It is a widely purchased book and yet one not systematically collected and retained by 
libraries.
これらの冊子は広く購入できるものであり、図書館によって、組織的に収集されたり保持され
ているものではない。

 Traditionally, superseded copies of the almanac are burned in temple ritual incinerators.
伝統的に、古い暦は、寺の儀式として、燃やされ、埋められる。

Almanacs can be purchased but they are also quite often published and distributed for free.
暦は、購入することもできるが、それらはしばしば、無料で印刷され、配布される。

Community Publications
共同体・出版

We hold issues of the magazine produced by a local Melbourne Taiwanese community 
association.
私たちはメルボルンの台湾共同体協会に発刊されている雑誌も保有している。
 
The magazine is a record of Taiwanese community activities in Melbourne:
その雑誌は、メルボルンにおける台湾人の活動を記録している。

Moerben Taiwan Tong Xiang Hui Hui Xun 墨爾本臺灣同?會會訊.


The Suetsugu Collection
「スエツグ」コレクション
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/58/imgcef3e9c6zik6zj.jpeg
" width="204" height="228" alt="d4.jpg">

This copy of the Guo Yu 國語 was published in Osaka in 1854 and is part of the library's 
Suetsugu Collection.
このコピーは、1854年に、大阪で出版された「国語」であり、当図書館のスエツグ・コレクショ
ンの一部である。

 The Guo Yu consisted of historical records of states between the Western Zhou and 453 
BC.
この「国語」には、西洋「Zhou」と紀元前453年の間の歴史的記録も含まれている。

This copy has Japanese annotations and punctuation which preserve a traditional 
interpretation and analysis of Chinese classics which would be otherwise lost. 
この冊子には、日本語の注釈や句読点が付けられていて、それによって、中国の古典の伝統
的な翻訳や分析を保全している。もしそうでなければ、失われていたであろう。

This and other texts are from the personal library of Mr Susumu Suetsugu of Matsue in 
Western Japan who donated the books to his friend Captain Shepherd of the Australian 
Army in the late 1970s.
この冊子および他のテキストは、西日本の松江にいたスエツグ・ススムの個人的な蔵書からの
もので、1970年代の後半に、彼の友達であるオーストラリア人のシェファード大佐に寄贈され
たものである。

 Shepherd later donated them to Monash University Library.
後になって、シェファードは、モナーシュ大学に、これらの蔵書を寄贈した。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/61/img2eb87cbfzik6zj.jpeg
" width="151" height="213" alt="d7.jpg">
A copy of the Cai Zi Gu Wen 才子古, 文also from the Suetsugu Collection.
これはスエツグ・コレクションの一部と、その文である。

 This copy was published in China in 1684.
これは1684年に、中国で出版されたものである。

 At some stage it found its way to Japan .
初期の段階では、日本へも伝わった。

 The Cai Zi Gu Wen was a collection of essays published during the Qing dynasty. 
才子古は、Qing王朝の時代に、出版された、随筆集である。

South East Asian Pamphlets and Serials Collection
東南アジアのパフレットおよび連載物コレクション

Monash University Library acquired this large collection of nineteenth and twentieth 
century Indonesian and Dutch language pamphlets partly by purchases by the Asian Studies 
Librarian on her visits to the Netherlands in the 1960s and 1970s and partly from donations 
by Monash scholars who collected the publications during field trips to Southeast Asia.
モナーシュ大学は、19世紀および20世紀のインドネシアおよびオランダの膨大なコレクション
を蔵しているが、一部は、アジア研究のライブラリアンにより、1960年代および1970年代
に、オランダを訪問した折、購入されたものであり、また別の一部は、東南アジアを旅行した
折、モナーシュの学者たちによって集められたものを、寄贈されたものである。 

Most of these pamphlets are in Indonesian, Dutch, or regional languages.
これらのパンフレットのほとんどは、インドネシア語かオランダ語、もしくは地方の言語によるも
のである。

 At present the collection is only partially catalogued.
現在、このコレクションは、部分的に、カタログ化されているにすぎない。

 Many of them are unique as library materials. 
それらの多くは、図書館の資料としては、ユニークなものである。

Some of them bear the names of the scholars who collected them.
それらのいくつかには、それを蒐集した学者の名前が記されている。

The collection includes publications about the Indonesian Chinese communities.
このコレクションには、インドネシアン中国人社会の出版物も含む。

 There are also publications of various Chinese community organizations and studies of 
ethnic Chinese in Indonesia from the eighteenth to twentieth centuries. 
そのほかにも、18世紀から20世紀にかけてのインドネシアにおける中国民族の共同体組織
や研究に関する多様な出版物もある。

The library has other publications relating to Indonesian Chinese, including the Dutch 
language weekly news periodical Sin Po . 
また当図書館は、週刊刊行物であるオランダ語の「Sin Po」を含む、インドネシアン中国人に関
する出版物も蔵している。

This weekly was published by Indonesian Chinese and featured articles by Chinese on 
various topics including Chinese community affairs.
このインドネシアン中国人によって発行されている週刊刊行物は、中国人社会の事件など、広
い分野の話題に関して、中国人によって記事が書かれている。

 It also contains photographs of local events. 
その地域のできごとの写真もまた載せられている。

Other materials in this collection relevant to Chinese Sudies inlucde Nanyang Post, a pro-
Communist newspaper containing articles mainly in Indonesian but also in Chinese.
中国研究に関する、私たちが所蔵している資料には、Nanyang Post、つまりインドネシアのみ
ならず、中国で発行された、親共産主義新聞も含まれている。

I also highlighted these pamphlets during my talk:
私は今回の講演で、このパンフレットについても、焦点をあてて述べた。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/60/img882a68eczik1zj.jpeg
" width="197" height="213" alt="d6.jpg">
Chinesche Aanteekeningen omtrent Nederlandsch Indie. 'sGravenhage, 1858. 
(書名)
This book contains information on Chinese activities and customs around the Dutch East 
Indies.
この本は、オランダ領東インド周辺の中国人の活動と習慣に関する情報を含む。

 It also contains Chinese language linguistic information pertaining to Indonesia. 
この本はまた、中国言語のインドネシアへの浸透についての情報も含む。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/61/img2eb87cbfzik6zj.jpeg
" width="151" height="213" alt="d7.jpg">

Chung Hua Tsing Nien Hui. Djakarta : 1946 - 9 Juni 1951. This booklet was produced on the 
fifth anniversary of the establishment of the Zhonghua Qing Nian Hui 中華青年會.
(書名)
この小冊子は、第5回、中華青年会の創立祭に際して発行されたものである。

 It contains articles, advertisements and photographs of the ethnic Chinese community in 
Jakarta. 
この本は、ジャカルタにおける中国民族の原稿ならびに、宣伝と写真を含む。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/62/img85dad386zik4zj.jpeg
" width="157" height="213" alt="d8.jpg">
Buku Peringatan Ulang Tahun ke X, Thian Lie Hwee.[Tenth Birthday Commemorative Book 
of the Thian Lie Hwee]. Djakarta. 1957.
(書名)

This book in Indonesian records the activities of another community organisation, the Thian 
Lie Hwee.
この本は、インドネシアにおける、もうひとつの共同社会である「Thian Lie Hwee」における活動
を記録している。

Indonesian Historical Collection
インドネシア・歴史的コレクション

The Indonesian Historical Collection consists of early twentieth century and pre-twentieth 
century books mainly in the Dutch language. 

Amongst the books are many which have detailed information on the life of ethnic Chinese 
in the Netherlands East Indies.

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/63/img1f522b14zikazj.jpeg
" width="220" height="179" alt="d9.jpg">
I showed images of a selection of such books in my talk. 

These included the Chineesch-Hollandsch Woordenboek van het Emoi-Dialekt / J Francken. 
Batavia. 1882.

 This is a dictionary of the Xiamen 夏門 variety of Minnanyu ?南語.

 The dictionary includes non-standard characters which are peculiar to Minnanyu.

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/83/img3d713e1fzikfzj.
jpeg" width="54" height="85" alt="d0.jpg">

Beschrijving van den Koan Iem Tempel "Tiao-Kak-Sie" te Cheribon / J. Ezerman. Batavia, 
1919. 

This book desribes a Guanyin 觀 音 temple in Ceribon in north Java.

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/65/imgb39aae6fzikbzj.
jpeg" width="179" height="195" alt="d10.jpg">


In en om de Chineesche Kamp / J. Moerman. Weltevreden, 1929. 

This book was published in Weltevreden which was a new city centre for Batavia (Jakarta) 
built in the nineteenth century.

 This book is concerned with the Chinese quarter of the city and the diagram here is of the 
layout of a typical Chinese house.

 One needs to be able to interpret the Dutch romanisation of Minnanyu words, for example "
Thian Tjiang" is the Mandarin tianjing 天井 . 

Australia Tibet Council Collection 

Several years ago the Australia Tibet Council donated some of their older materials to our 
library. 

This collection contains 200 magazine titles and various videos.

 Some of the videos feature Jiang Zemin's visit to Australia in 1999 and the big pro-Tibet 
protest rallies.

 Democracy activist Wei Jingsheng took part in the protests. 


Rare Books Collection

China Illustrata by Anathasius Kircher. Amsterdam,1667. 

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/66/imgb104afdczikezj.
jpeg" width="160" height="187" alt="d11.jpg">

The library's Rare Books Collection holds a wide selection of books and other materials 
relating to Chinese Studies. 

The book in this slide China Illustrata was written by Athanasius Kircher, a seventeenth 
century German Jesuit scholar who was interested in Oriental Studies.

 It includes a transcription of the Nestorian Stele at Chang'an (Xi'an) of 781 in Chinese and 
Syriac with a Latin translation by Kircher.

 This is considered to be the first publication of the text of the stele in Europe. 

The text discusses the Nestorian Christian clergy in China. 

The book also contains a romanised list of the Chinese characters in an older type of 
Mandarin pronunciation. 

Athanasius Kircher drew on the works of Jesuits working in China for his writings. 

The full title is of the book:

Athanasii Kircheri e Soc. Jesu China monumentis qu? sacris qu? profanis, nec non variis 
naturae & artis spectaculis, aliarumque rerum memorabilium argumentis illustrata, auspiciis 
Leopoldi Prime, roman. imper Amstelodami, apud Joannem Janssonium a Waesberge & 
Elizeum Weyerstraet ,1667. 

Original editions of this book sell for several thousand dollars from internet booksellers
Another important book in our Rare Books collection is the official account of the 1793 
British mission to the court of the Qianlong emperor:

An abridged account of the embassy to the emperor of China, undertaken by order of the 
king of Great Britain : from the papers of Earl Macartney / as compiled by Sir George 
Staunton. London, 1797

We also have a copy of the French translation published a couple of years later: This 
indicates something of the wider European impact of the book:

Voyage dans l'int?rieur de la Chine, et en Tartarie, fair dans les ann?es 1792, 1793 et 1794 / 
par Lord Macartney ... redig?s sur Les papiers de Lord Macartney sur ceux de Sir Erasme 
Gower ; par Sir Georges Staunton ; traduit de l'anglais ; avec des notes, par J. Cast?ra. 
Paris, 1799. 

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/64/img305772f8zik4zj.jpeg
" width="143" height="140" alt="d12.jpg">
This is an illustration of the Great Wall of China in the French translation of the Macartney 
book.

The Macartney led to the publication of other interesting books.

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/67/imgb93419b0zik5zj.jpeg
" width="239" height="179" alt="d13.jpg">

This is a painting of Dinghai 定海 (now part of Zhoushan City) by William Alexander in his 
Costume of China. London, 1805.

 Alexander was a draughtsman on the Macartney mission.

 This book contains numerous illustrations by Alexander of daily life in China. See the front 
of this handout for the image.

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/69/imga56bb4dczikbzj.jpeg
" width="102" height="72" alt="d15.jpg">

Illustration title : "Examination of a culprit before a Mandarin"
This is also from the Costume of China. 

The caption reads: 
"The subject represents a female charged with prostitution. 

Such an offender is generally punished publicly with a pan-tsee or bamboo. "

Missionary Books
We have a range of books by and about Christian missionaries in China.

 Many of these books came from the personal library of Monash academic, the later Pete 
Clarke. 
One of the earlier ones is:

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/70/imgebf1b599zik2zj.jpeg
" width="115" height="149" alt="d16.jpg">
Mrs Henrietta Shuck : the First American Female Missionary to China / by J.B. Jeter. 

This biography of Henrietta Shuck (1817-1844) includes information and perceptions of 
China and Southeast Asia by the author based on Shuck's personal papers. 

The genre of missionary books is interesting not only for the illustrations and photographs 
but also for the observations of missionaries who were often close to the common people:

Childrens' Publications 

We have collected a number of Chinese childrens' publications from the period of the Great 
Proletarian Cultural Revolution (1966-1976).

 This genre of publication, xiao ren shu 小人? , seems not to be something which is published 
anymore.

Kang Ri Xiao Ying Xiong 抗日小英雄. This is an example of the sort of materials which both 
reflect and contribute to anti-Japanese feelings in China.

 They can be viewed alongside contemporary (and ephemeral?) Chinese web site postings 
which have called for boycotts and demonstrations as part of the ongoing anti-Japanese 
narrative in China. 

The other booklets feature the theme of anti-Confucianism and the Criticise Confucius and 
Lin Biao campaign of the early 1970s. 

These are a contrast to the position Confucius now enjoys in China.

Norodom Sihanouk Film Collection.

This is a collection of videos copied from 16mm films made by Chinese film studios of 
various official visits by Norodom Sihanouk to China and visits by Chinese leaders to 
Cambodia. 

The video copies of the films, which were made by Xinhua News Agency for the King, were 
donated to Monash University Library by the King-Father of Cambodia Norodom Sihanouk.

 The library has had many of the videos converted to DVD and the collection is being 
documented and inventoried for the library by Norodom Sihanouk's official biographer and 
ambassador Mr Julio Jeldres who is a researcher at Monash Asia Institute.


In my presentation I selected some clips from films of the King's visits to China dating from 
1956.

 Liu Shaoqi is prominent in the films (he was later purged in 1969).

 The last clip is from a video cassette marked 1970. 

It is not clear exactly which month in 1970. 

Neither Mao nor Lin Biao is in this film but I have not viewed all the other relevant films yet.
Other films feature later visits to China by Norodom Sihanouk and visits to Cambodia by 
Prime Minister Zhou Enlai in 1960 and President Liu Shaoqi in 1963.


The films are an important record of the political strength of various leaders at the time of 
the King's several visits and also the level of development and cityscapes of Beijing and 
other parts of China from the 1950s to the 1980s.


In this article I have just featured a small selection of the interesting material relating to 
Chinese Studies which can be found in our library.


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

●8月28日夜

+++++++++++++++++++++++++

夕食後、ビスタ・パソコンのOSを、WINDOW7に交換した。
サブ・マシンで使っているパソコンである。

(近く、ビスタのUPDATEサービスが終了する。
現在、ビスタ・マシンを使っている人は、早めにWINDOW7
に乗り換えたほうがよい。)

今、時刻は7時40分だから、2時間あまりもかかった
ことになる。

が、まだ作業が終わったわけではない。
いろいろなUPDATEがつづく。
またOSを変更すると、パソコン全体がリセット(リカバリー)
された状態になる。
プログラムのインストールをはじめ、すべてイチから始めなければ
ならない。

で、このビスタ・マシン、購入してから4年になる。
2・40GHzというから、今ではごくふつうのパソコン。
ノートパソコンでも、10万円台のものなら、みな、
2・40GHz程度のOSを積んでいる。

最新のパソコン(デスクトップ)になると、3・33GHz
程度の速度を誇る。
3・46GHzというのもある。(すごいね!)

目下更新プログラムをDOWNLOAD中。
その間、別画面で、こうして文章を書いている。
この作業が終わったら、ワイフと散歩に行くつもり。

+++++++++++++++++++++++++++

●草刈り

 今日は午前中は、山荘の雑木を切り倒した。
家に帰り、午後は庭の草刈りをした。
が、そこでダウン!
2時間あまりの昼寝。
乾いた風が、気持ちよかった。

 起きたのが、夕方。
ネットに目を通す。
いろいろなコメントが、書き込まれていた。

その中のひとつ。
「子どもの自慰」について、YOUTUBEに、こんなのがあった。

「スケベじじい」と。

 神経症のひとつとしての自慰を、述べたものである。
たぶんその視聴者は、別の何かを期待して、そのYOUTUBEを開いたのだろう。
が、期待したものとはちがった?
そこで腹いせに、「スケベじじい」と書いた。
が、どちらがスケベなのか?

 もうひとつは、「幼児の知能テスト」についてのもの。
今週は、BW教室(=私の教室)では、「知能テスト」をテーマにした。
テストそのものをしたわけではなく、テストの仕方を学習した。
それにはこうあった。
「筋力テスト、腕力テストもしたら?」と。

 イヤミとはわかっていたが、「機会があれば、いたします」という返事を書いておいた。
つまりこういう連中は、軽くあしらってすます。
本気で相手にしてはいけない。
本気で相手にしなければならないような相手でもない。
言うなれば、(つぶやき)のようなもの。
いちいち反応していたら、神経が燃え尽きてしまう。

●何でもイチバン

 母親の中には、自分の息子や娘が、何でもイチバンにできないと気が済まない人がいる。
2番ではいけない。
イチバン!

 勝気な性格の親ということになるが、どうもそれだけではないようだ。
プライドだけは、異常に高い。
高学歴とはかぎらない。
とくに目立ちたがり屋というわけでもない。
が、自分の子どもがイチバンでないと、気が済まない。
そのため自分の子どもに、何か問題を見つけたりすると、子どもを叱る。
「どうしてあんな問題ができなかったの!」と。
同じクラスに自分の子どもよりできのよい子どもがいたりすると、その子どもを徹底的に嫌った
りする。

 過干渉。
プラス過関心。
それに加えて、代償的過保護。
自分の子どもを自分の支配下におき、自分のよいように子どもを操る。
自分のかなわなかった夢や希望を、子どもに託す。
それ自体は、悪いことではない。
が、それを強要する。
それが高じて、代償的過保護となる。

 過保護は過保護だが、過保護特有の温かい愛情が感じられない。
だから過保護もどきの過保護……という意味で、代償的過保護という。

 もちろん子どもに弊害が表れる。
さらにはげしい情緒不安があると、子どもは委縮する。
ナヨナヨし、ハキがなくなる。
いつも親の目を気にし、よい子ぶる。
ときにそれが痛々しいほどになる。

 これが悪循環となり、代償的過保護は、さらにはげしくなる。
が、結果は、……。

 子どもを伸びやかにするためには、「2番でいい」という余裕が大切。
教える側にしても、そうだ。
「何でもイチバン」と構えている親は、話していても、本当に疲れる。
心に余裕がないから、息が詰まる。
レッスン中も、その親の視線が、スターウォーズの中に出てくる光線銃のように、私の神経を貫
く。
教えにくい。
やりにくい。

 幼児教室には、そんな問題もある。
あるから、ほとんどの幼児教室では、親の参観を断っている。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●守るべきものは……(はやし浩司 2011−08−29)

+++++++++++++++++

仕事、家族、お金、健康、生きがい……。
守るべきものは、多い。
多いが、けっして択一的なものではない。
それぞれに軽重がある。
連動している。

仕事とお金は、連動している。
仕事と生きがいも連動している。
家族が大切なのは、今さら書くまでもない。
またこの先、とくに、どうこうなるものでもない。

健康にしてもそうだ。
生き生きと仕事をする。
健康も、仕事をするからこそ、維持できる。
仕事があるから、がんばる。
それが健康につながる。

が、このところ、少しずつだが、自分の
中に、変化を感ずる。
攻撃から守勢。
積極から消極。
冒険から保身、などなど。
ときに「現状維持」を強く感ずることがある。
「現状を維持できれば、御の字」と。

+++++++++++++++++

●気力の減退

 最近、感ずるのは、(怒り)が弱くなったこと。
本来なら歓迎すべきことかもしれないが、ものを書くには(怒り)が必要。
(怒り)がなければ、それから生まれる文章は、ただの駄文。
ものを書いていても、長つづきしない。

 が、これではいけない。
BLOGにしても、この8月中、3〜4日も、さぼった。
「毎日、BLOGを書く」を、自分に課していたが、それが崩れた。
敗北感を味わった。
こんなことを重ねていたら、やがて電子マガジンもさぼるようになるだろう。
サイトの更新もさぼるようになるだろう。
ついでに仕事もさぼり、運動もさぼるようになるだろう。

 だからどこかで自分に、歯止めをかけなければならない。
「これだけは、何があっても……」という緊張感をもたねばならない。
その緊張感が緩んだとき、私も老人の仲間入り。

●仕事

 この大不況下。
仕事があるだけでも、感謝しなければならない。
感謝というより、自分に満足し、現状を受け入れる。
今にして思うことは、「はやし浩司もたいしたことなかったなあ」という、挫折感。
みじめ。
あわれ。

 若いころは、自分でも、もう少し何かができると思っていた。
が、この程度。
私をそばで見ている人は、きっとこう思っているにちがいない。
「ざまーみろ! 偉そうなことを言っていたが、口ほどでもなかったなあ」と。

 が、ここでやめるわけにはいかない。
つづけるしかない。
がんばるしかない。
ふんばるしかない。

●健康

 仕事と健康は、たしかに連動している。
たとえば昼寝をする。
本当なら、1〜2時間は寝ていたい。
が、その時刻になると、起き上がり、おぼつかない足取りで、仕事に向かう。
自転車をこぐ。
汗をかく。
だからこそ、健康が維持できる。

 講演にしてもそうだ。
今週は、I市の公立幼稚園の先生たちが全員、集まってくれる。
その場で、講演をする。

 鈍(なま)った頭で講演はできない。
だからその数日前から、運動量をふやす。
2倍、3倍にふやす。
もちろん書く文章量もふやす。

 (書く)ということと、(話す)ということは、そういう点では密接に関連している。
きちんとした文章が書けない人は、講演など、できない。
「ア〜ウ〜」「エ〜ト」が多くなるか、支離滅裂な講演になるだけ。
そう断言してよい。

●お金

 ワイフはいつもこう言っている。
「死ぬまで、何とか生きていかれればいいわよ」と。
ぜいたくはでくいないが、毎週映画館に足を運び、月に数度は旅行に行く。
やがて老人ホームに入居することになるが、それは自宅や土地を処分すれば何とかなる。
「死ぬまでに財産を使い切る」と。

 が、そのときは、そのとき。
それまでは、そういったことは、考えない。

●希望

 大病にしても、くじ引きのようなもの。
つまり、運。
気をつけているから、大病にならないというわけではない。
幸いなことに、本当に幸いなことに、私もワイフも、成人病とは無縁。
残るは「がん」ということになるが、ストレスさえ避ければ、がんになることはない。
ストレスが、免疫機能を低下させる。
それががん細胞を、増殖させる。

 反対に免疫機能を強化すれば、がんは防げる。
そういう点では、私の幼児教室は、役に立っている。
最近はワイフのほうが楽しみにしていて、教室へやってきては、子どもたちといっしょに笑って
いる。

●笑い(補足)

 ついでに、「笑い」について。
何度も書いてきたので、ネットでさがし、その一部を紹介する。

 私は、幼児を教えるとき、何よりも、「笑い」を大切にしている。
ときには、50分のレッスンの間、ずっと笑いっぱなしにさせることもある。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われる
ようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレ
ス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、
3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわ
かってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細
胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。前向きな学習態度も、そこから生まれる。「なお
す」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおってしま
う。

 私は、そういう経験を、何度もしている。

 大声で、ゲラゲラ笑う。
たったそれだけのことだが、子どもの心は、まっすぐに伸びていくということ。

●生きがい

 最後に「生きがい」。

 もっともこれについては、「統合性の問題」ということになる。
(やるべきことを見つけ)、それを(実行していく)。
それが統合性ということになる。

 その構築に成功した老人は、生き生きと前向きに生きていくことができる。
そうでなければそうでない。

 が、(やるべきこと)を見つけるのは、容易なことではない。
そこに至るまでの、それこそ10年単位、20年単位の熟成期間が必要である。

「定年退職、しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわけにはい
かない。
そんな取って付けたようなことをしても、長つづきしない。

 ただしこれにはひとつ、重要な条件がある。
無私、無欲でなければならないということ。
功利、打算が入ったとたん、統合性は霧散する。

 で、今の私にとって、統合性とは何か。
それが最初に書いたことになる。

 日々に、知的原野を歩く。(少し大げさかな?)
何もない原野だが、ときに、キラリと光るものを見つける。
それが楽しい。
それについて書くのが楽しい。

 だから、さらに自分の魂にムチを打つ。
どんなことがあっても、BLOGは欠かさない。
とりあえず、9月は、それを実行する。
気弱になったら、負け。
さぼったら、負け。
とにかくがんばる。

2011年8月29日、早朝記


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

***********2011年08月29日まで**************




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 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜
松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House 
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと
英語の木 (CAI) 教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス
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