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【16−2】
2011年  3月  27日〜 5月  3日

●3月27日(義兄と話す)

++++++++++++++++++++

このところやや運動量をふやしている。
朝起きるとすぐ、30分のジョギング。
プラス、時間を作って、1〜2時間の
ウォーキング。

体は快調……というより、空腹感+眠気が
交互に襲ってくる。
夜は朝まで、ぐっすりと眠られる。
おかしなもので、睡眠時間をしっかりと
とればとるほど、日中、ぼんやりとした
気分になる。

これはどうしたメカニズムによるものなのか。

+++++++++++++++++++++

●義兄

 昨夜は義兄と、4〜5時間、話し込む。
話題はもっぱら、原発事故。
以下、そのときの話の内容をまとめてみる。

(1)東京電力が被害者ぶっているのは、許せない。

 東京電力は、今でも、「想定外の……」という言葉をよく使う。
今回、放射能で汚染された水が流出したことについても、「想定外の……」と。
便利な言葉だ。
その一言で、すべての責任から逃れることができる。

 その一方で、東京電力は言うなれば、超一流企業。
年間の売り上げだけで、4兆円。
全国各地に、これまた超豪華な保養所や社員寮をもっている。
その保養所だけでも、20数カ所。
が、その東京電力が、避難した人たちを受け入れたという話は、まだ聞いていない。
どうしてだろう?

 加えてあのタレントたちの話になった。
ボランティア活動やアフリカ難民救済運動の必要性を、先頭に立って説いていた、
あのタレントたちである。
自分たちは、超の上にさらに超が2つつくような、超・超豪華な邸宅に住んでいる。
そういうタレントたちが、今、何かのボランティア活動をしているという話は
まだ聞いていない。
どうしてだろう?

(2)「今すぐ人体に……」

 もうひとつわけのわからない言葉がある。
「今すぐ……」という言葉。
「今すぐ人体に影響が出る数値ではありません」と。

 そういうあいまいな言い方を耳にすると、私はすかさず、こう思ってしまう。
「今すぐでなければ、いつなんだ」と。

 昨日(3/26)、あのチェルノブイリ事故の現在の様子が、テレビで報道されていた。
25年前に、ウクライナで起きた原発事故である。
そのチェルノブイリから60キロほど離れたところにある、小さな村が、紹介されていた。
その村は、今でも、立ち入り禁止地域になっている。
が、村を訪れると、まばらだが人が住んでいた!
ある村人は、レポーターの質問に対して、こう答えていた。

「放射能は問題ありません。もう消えました」と。
60歳前後の男性だったが、明るく笑っていた。
手には放射能測定器をもっていた。
 
が、つぎのシーンを見て、私は驚いた。
その村には病院がひとつある。
何とその病院には、放射能障害でいろいろな病気になった乳幼児が、ズラリと並んでいた。
ズラリ、とである!
今の今でも、である!

 つまりこれが日本の近未来像と考えてよい。
放射能は、人間のDNAレベルにまで影響を与える。
「与える」というより、「DNAを狂わす」。
「今すぐ……」ではないとしても、そうした問題が、この先、少なくとも25年はつづく。
つぎの、そのまたつぎの代までつづく。

 福島第一原発の処理が遅れれば遅れるほど、被害は大きくなる。
未来に向かっても、被害はより長くつづく。

(3)風説被害?

 政府は「風説」という言葉をよく使う。
「風説には惑わされないように」とか、「冷静に判断して」とか。
今朝もNHKの報道番組の中で、解説委員の1人もそう言った。
「政府の言うことを信じて、行動してください」と。

 まことにもって、権威主義。
これを権威主義と言わずして、何という。
戦時中の大本営発表と同じ。
言い換えると、これほどまでに国民をバカにした話はない。
私たちは正確な情報さえ与えられれば、自分で考え、自分で行動できる。
その情報も与えないで、なにが風説だ!
政府の言うことを信じていたからこそ、こういうことになったのではないのか。

(4)経済破綻

 震災直後、日銀は38兆円という現金を、市中にばらまいた。
言うなれば、日本経済に電気ショックを与えた。
が、その効なし。
円は、一気に円高に向かった。
つまり円が、日本国内に逆流し始めた。

「もうだめだ!」と思ったその直後、先進各国が、円売りの協調介入をした。
日本経済は、崖っぷちから一度は落ちた。
それを協調介入という方法が、救ってくれた。
が、いつまでもその効果がつづくわけではない。
仮に原発事故の処理が長引けば、そのとき日本の命運は決まる。

 横に座っていた義姉が私にこう聞いた。
「経済破綻したら、日本はどうなるの?」と。

私「札が紙くずになるということです」
姉「……いつごろ?」
私「今までの常識からすれば、ある日突然、です」
姉「突然?」
私「1日か2日で、命運が決まります」と。

 経済破綻、つまりデフォルト(債務超過)の恐ろしい点は、ここにある。

●幻想の崩壊

 ……というわけで、明るい話はしなかった。
しかしたがいに愚痴を言いあうことで、かなり気分が楽になった。
義兄はこう言った。

「今ね、日本中でみな、こんな話をしているんだろうね」と。

 ……いろいろな考え方があるだろう。
希望論、悲観論、楽観論などなど。
が、今、日本は戦後、最大の危機を迎えつつある。
それだけは確か。
義兄はこう言った。

「ぼくらは、終戦直後のあの日本をよく知っている。
みな、貧しかった。
それを知っているから、日本の繁栄など、幻想のようなもの。
それがよくわかる。
その幻想に、みなが酔いしれた。
とくに若い人たちが、ね。
豊かな生活を見ながら、それが当たり前と思い込みすぎた。
今、その幻想が崩れつつあるのではないのかな」と。

私「日本は再生するでしょうかね」
兄「再生するよ」
私「そうだといいですね」
兄「でも、今度は日本人が、中国やブラジル、インドに出稼ぎに行くような時代に
なるだろうね。頭をさげて……」
私「東京が避難地域になったら、そうなるでしょうね」と。

 さあ、がんばろう!
がんばるしかない!
ともかくも、日本を再生させるしかない!
このまま日本を沈没させてたまるか!

2011年3月27日朝記


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●KIARAリゾート&スパ浜名湖(はやし浩司 2011−03−27)

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++++++++++++++++++++++++++++

今夜は、浜名湖の北にある、KIARAリゾート&スパ浜名湖
(053−528−0130)に一泊。
友人が招待してくれた。

景観よし、食事よし、サービスよし。
さらに部屋も最高の5つ星。
文句なしの5つ星。
★★★★★。
「浜松にも、こんなすてきなホテルがあるんだ!」と。
ワイフも私も、驚きの連続。
プラス、大満足。
「料金も高いだろうな・・・」と、何度もため息が出る。
同時に、招待してくれた友人に申し訳なく思う。

++++++++++++++++++++++++++++

●KIARAリゾート&スパ浜名湖にて

 ワイフはベッドですでに熟睡している。
静かな寝息が聞こえる。
私はホテルのデスクで、パソコンに向かう。
この文を書いている。

 浜松でもいろいろなホテルに泊まってきた。
しかし前書きにも書いたが、これほどのホテルは、はじめて。
ほかに知らない。
昨年(2010年)の秋にオープンしたとか。
すべてが真新しい。
清潔。
バスルームは、全面ガラス張り。
トイレも部屋へ入ると、自動的に点灯、かつ便器のフタが自動的にあがる。
(自動的にフタがあがるのだぞ!)
あとは一事が万事。
スケールこそ小さいが、沖縄で泊まったロアジールホテルに勝るとも劣らない。
「すごい!」の一言。

●休眠状態

 せっかくこういうホテルに泊まったのだから・・・と、意気込む。
何か書きたい。
ここにふさわしいことを書きたい。
が、肝心の脳みそは、休眠状態。
ショック状態から立ち直ったと思ったら、このザマ。
何たるザマ。
大震災以来、調子が狂ってしまった。

夕食には3時間もかけた。
友人との話がはずんだ。
その様子はビデオに収めた。
明日にでも編集し、YOUTUBEにUPする。

 ……ということで、今日はここまで。
ゆっくり心身を休め、明日からの仕事に備える。

N先生、招待、ありがとうございました。
最高のホテルでした!!!


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼児と笑おう】はやし浩司 2011−03−28

++++++++++++++++++

今日は3月、最後のレッスン。
年長児に「筆算」を教えてみました。
少しハメをはずしました。
どうか、お笑いください。

なおもっと見てくださる人は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、
「BW公開教室」へ、お進みください。

+++++++++++++++++++

【2/4より】


<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.
com/embed/DebNSV6ngX8" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【3/4より】


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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*The Light House(灯台)

Good evening Mr. xx and ladies and gentlemen.
xx氏および、紳士淑女のみなさん、
It is with a great honor that I can have a speech on such an occasion and in such a place
where I spent my student life in 1970 just 42 years ago.
今私がここでこのような機会に、スピーチできることは、たいへん名誉なことです。
私は今から42年前の1970年に、ここで学生生活を送ることができました。
I used to be a law student here at Melbourne University.
私はメルボルン大学の法学生でした。
But very surprisingly I was only one Japanese student here in Melbourne which had 3 million
population.
しかし驚くべきことに、人口300万人のメルボルン市においても、私はただ1人の日本人留学
生でした。
Looking back at those days in 1970, I can firmly be convinced that I had a happiest time
and without any exaggeration I can say now here, that the young days are not the beginning
of the life or the starting line of the life but the goal itself of the life.
その当時の、つまり1970年を思い起こしてみると、私はまちがいなくここでもっとも幸福な時
を過ごすことができたと確信しています。
そして今、つぎのように言うことができます。
つまり青春時代は、人生のはじまりではなく、ゴールそのものだということです。
I mean here that it is a kind of a light-house which stands on a hill, shining the way which
way I should go.
つまりそれは丘の上に立つ灯台のようなものです。
その灯台からの光が、私たちが進むべき道を示してくれます。
I was born in 1947 just after the war, when almost all Japan was burnt out in the war and
then I had no choice but to be a child gang.
私は1947年生まれです。
戦後の、日本中が焼け野原になった時代に生まれ、私はギャングになるしかありませんでし
た。
I say that I used to be a very wicked child like other boys and girls of those days.
私は他の子どもたちと同様、たいへん邪悪な子どもでした。
I am not a good man basically or I have never believed myself to be a good man.
基本的には、私は善人ではありませんし、自分を善人と思ったことはありません。
That was the same and that has been the same since I came back from this House.
このメルボルンから帰ったあとも、ずっとそうでした。
But whenever I am and wherever I go, the bright shining light always shines my way to go.
しかし私がどこへ行こうとも、またいつでも、灯台からの光は、私が進むべき道を照らし絵tくれ
ました。
I had the highest education here at the house in Melbourne University and the pride for
that always correct my way to go.
私はメルボルン大学のこのハウスで、最高の教育を受けました。
そのプライドが、いつも私の進むべき道を正してくれました。
Of course I have had many difficult times in my life but each time the light house shines a
light for me.
もちろん人生を通して、さまざまな問題もありましたが、そのつど、灯台は私のために光を投げ
かけてくれました。
Still I am a tiny man and I haven't done nothing great but I have been proud of myself that I
used to be here and was given the highest education.
私はいまだに小さな人間であり、何一つ偉大なことを成し遂げたわけではありません。
しかし私はここにかつて住み、最高の教育を受けました。
Then therefore I say again here, the life of our young days is not the start line of the life
but the goal itself.
それゆえに私は再び、こう言うことができます。
青春時代は、人生のスタートラインではない。
人生のゴールそのものだということを、です。
The further you may go the nearer you may go back to the young days.
あなたが青春時代から遠ざかれば遠ざかるほど、あなたは青春時代に戻っていきます。
Now you I am sure you are making your own light house on a hill which will shine your way to
go.
で、今、私はあなたがたは自分の将来を照らしてくれる灯台を、ここで作っているのです。
Please make your own beautiful light house here for your own sake.
どうかあなたがた自身のために、あなたの灯台をここで作ってください。

For all these good things we give thanks and ask for blessing on all of you.
Thank you very much.
これらよきものに感謝し、みなさんに祝福あらんことを願います。
ありがとうございました。
Hiroshi Hayashi
a 1970 student of the House


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●オーストラリア旅行(2011年3月30日〜2011年4月7日)

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"
width="800" height="600" alt="IH.jpg">

【出発前に……】

●オーストラリア

+++++++++++++++++++++

2011年、3月30日。
ワイフと私はオーストラリアへ「行く」。
「行く」と構えるほど、私にとっては、重大事。
サケが長い回遊を経て、ふるさとの源流に
もどるように、私は心の源流にもどる。

それをメールで知らせると、2人の友人から、すかさず
返事が届いた。
アデレードで2泊の予定だった。
が、2泊ではとても足りそうにない。
それにアデレードからメルボルンまでは、列車で移動する予定だった。
が、友人が言うには、車でオーストラリア大陸を縦断しよう、と。
そうなると、とても2泊では足りない。

+++++++++++++++++++++

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jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00801.JPG">

●Rosin the Beau

 オーストラリアの友人が教えてくれた歌に、「ローザン・ザ・ボー」
というのがある。
アイルランドの民謡(drinking song)ということだが、私はその歌を
今でもソラで歌える。
しかし歌の題名がわからない。
YOUTUBEで調べてみた。
「Rosan the Ballか?」・・・ということで、調べてみたが、
うまくヒットできなかった。

 が、今日、その歌を教えてくれた友人から、返事が届いた。
正しくは、「Rosin the Beau」。
さっそくYOUTUBEで検索。
いくつかのシンガー・グループが歌っているのがわかった。
その中でも、「ザ・ダブリンズ」のが、そのままの歌い方だった。
こうした民謡は、歌手によって、アレンジの仕方がまちまち。
私はその歌を聴きながら、ポロポロと涙がこぼした。
そのときの情景が、そのままそこにあった。
私はちょうど40年前に、タイムスリップした。

 それを横で見ていて、ワイフがこう言った。
「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。

 私は名前を教えてくれた友人に、返事を書いた。
「30年間、ぼくはこの歌をさがしつづけた。
やっとこの歌に、めぐり会えた。
ありがとう」と。

●1日が1年

 あのころの私は、1日を1年のように長く感じながら生きていた。
けっして大げさな言い方ではない。
本当に、そう感じた。
1日が終わり、ベッドに体を横たえた瞬間、そう感じた。
そんなある日のこと。
ちょうど3か月目のことだった。
私はこう思った。
「まだこの先、こんな生活が9か月もつづくのか!」と。
うれしかった。
それがたまらなく、うれしかった。

 私は留学する前、4年間、金沢の大学に通った。
そういう自分を振り返りながら、その密度のちがいに驚く。
4年間、通ったはずなのに、その4年間の重みがどこにもない。
思い出がない。
あるにはあるが、オーストラリアでの経験があまりにも濃密すぎた。
そのため金沢での学生生活がかすんでしまう。
その感覚は、今でもそうで、青春時代というと、あの時代ばかりが光り輝く。
金沢での4年間もそうだが、さらに高校時代の3年間となると何も残っていない。
単調な生活。
スケールの小さな生活。
「学問」と言っても、暗記また暗記。
あの時代には、(今でもそうだが)、自分で考えるということすら許されなかった。
疑問をもてば、なおさら。
疑問をもったとたん、「学校」というコースからはじき飛ばされてしまっていた
だろう。

●不思議な世界

 そうした様子は、『世にも不思議な留学記』に書いた。
地元の中日新聞と、金沢学生新聞に、あしかけ5年に渡って、連載させてもらった。
興味のある方は、ぜひ、読んでほしい。
私のホームページ(ウェブサイト)から、『世にも不思議な留学記』へと進んでもらえば
よい。

 が、時代が変わった。
今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。
私たちが学生のころには、考えられなかったことである。
往復の旅費(羽田・シドニー間)だけで、42、3万円。
大卒の初任給がやっと5万円を超え始めた時代である。

 私には、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
日本には綿棒すら、まだなかった。
バンドエイドもなかった。
風邪を引けば、風呂へ入ることを勧められた。
医学部の学生が部屋までやってきて、注射を打ってくれた。
こんなこともあった。

 カレッジ対抗で、演劇会をもつことになった。
大学の構内では、壁紙を張ることが、きびしく禁じられている。
が、友だちが、「これからその案内のポスターを貼りに行く」と。
驚いてついていくと、彼らはそれを地面に貼っていた。
(地面だぞ!)

 あるいは冬の寒い日。
1人の女の子が私を、海へ誘ってくれた。
水着をもってくるように言われた。
今となっては本当かウソかよくわからないが、・・・というのも、
オーストラリア人は、この種のウソを平気でつくので、・・・名前をタマラ・ファクター
といった。
自分で、「私は、(化粧品の)マックス・ファクターの孫」と言っていた。

 で、海へ行くと、・・・そういえばそこで私ははじめて、「ミート・パイ」という
オーストラリアでもっともよく食べられているパイを食べた。
その食べている間に、彼女は、水着姿になってしまった。
泳ぐためではない。
「サン・ベイジング(日光浴)」のためだった。
・・・などなど。

言い忘れたが、冬に浜辺でサン・ベイジングなるものをするという
習慣は、当時の日本人にはなかった。
そう言えば、同じカレッジにいた友人は、冬の日でも、また雨の日でも、
金曜日の夕方になると、キャンピング道具をもって、近くの森へキャンプ
に出かけていた。
そういう習慣も、当時の日本人にはなかった。

 ……こうして書き出したら、キリがない。

●常識論

 アインシュタインは、常識というのは、18歳までに作られる偏見であるという
ようなことを書いている。
たしかにそれはそうで、子どもたちにしても、綿棒を見て驚く子どもはいない。
そこにあるものを、当然のものとして、受け入れていく。
が、それは18歳ごろ、常識として脳の中で、固まる。
それ以後は、その常識に反するものを、「異質なもの」として処理しようとする。
ときにそれが脳の中で、それまでの常識とはげしく対立することもある。

 たとえば私は向こうの女子学生たちが、みなノーブラで、それこそ乳首が飛び出て
いるような状態で、薄いシャツを着ているのを見て驚いたことがある。
その(驚いた部分)というのが、私の常識ということになる。

 では、何歳くらいの子どもだったら、驚かなかっただろうか。
15歳くらいか。
16歳くらいか。
それともアインシュタインが言うように、18歳くらいだろうか。
少なくとも私は驚いた。
そのとき私は23歳だった。
ということは、やはり18歳前後ということになる。
(アインシュタインという人は、本当にすごい!)

 そのころまでに「常識」が形成される。
それがその人の意識の基盤になる。
ものの考え方の基盤になる。

●自由

 が、今では、高校生でも驚かない。
綿棒を見ても、バンドエイドを見ても、驚かない。
むしろそちらのほうこそ、不思議!、ということになる。
彼らもまた、生まれながらにして、そこにあるものを、当然と思い込んでいる。

 話は大きく脱線したが、私には毎日が驚きの連続だった。
が、その中でも最大の驚きといえば、彼らの「自由」に対するものの考え方だった。
彼らがもっている自由の意識は、私がもっていた意識とは、明らかに異質のもの
だった。
たとえば職業観。
たとえば家族観。
たとえば人生観。
それを知るたびに、私の頭の中で火花がバチバチと飛び散るのを感じた。

 当時の私たちは職業といえば、迷わず、大企業への就職を選んだ。
「寄らば大樹の影」。
それが常識だった。
が、オーストラリア人には、それがなかった、などなど。

私などは、友人の父親たちが、収入に応じて、つぎつぎと家を移り替えていく
のに驚いた。
「家」に対する意識も、ちがっていた。

 私が大学で使ったテキストには、こうあった。
「日本は、君主(Royal)官僚主義国家」と。
が、これには私は反発した。
「日本は民主主義国家だ」と。
しかしだれも相手にしてくれなかった。

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、官僚主義国家。
首相以下、国会議員の大半は、元官僚。
県知事の大半も、元官僚。
大都市の知事も、これまた元官僚。
40年前の日本は、さらにそうだった!

●自由の意識

 もちろんオーストラリアでの生活は、私の人生観に大きな影響を与えた。
それがよかったのか、悪かったのか。
現在の私が、その「結果」とするなら、よい面もあるし、悪い面もある。
この日本は、組織型社会。
組織に属している人は、実力以上の「得」をする。
たいした努力をしなくても、「得」をする。
今の公務員たちをみれば、それがわかる。
組織に属していない人は、実力があっても、「損」をする。
努力に努力を重ねても、「損」をする。
今の商工業界の人たちをみれば、それがわかる。

 「自由」を知らない国民には、それが常識かもしれない。
しかもそうした常識は、遠く江戸時代の昔から、しっかりと日本の社会に根を
おろしている。
そう簡単には、なおらない。

 が、あえて私は自由の道を選んだ。
たいへんな道だったが、私は私の生き様を貫くことができた。
その原点が、あのオーストラリアでの学生生活にある。

 人は、友だちや師、さらには社会や国から、さまざまなものを学ぶ。
何を学ぶかは、それぞれの人によってちがう。
私のばあい、「生き様」を学んだ。
一編の論文を書いたわけではない。
もしあの時代の論文があるとすれば、今の私自身ということになる。
オーストラリアという国は、私にはそういう国だった。

【バスの中で】

●3月30日、中部空港・セントレアへ

 「さあ、行くぞ!」と、バスの中。
エンジンがかかった。
時刻は6時10分。
行き先はオーストラリア。
メルボルン。
アデレード。

 タクシーの中でもそうだった。
今もそうだ。
震災の話も、原発事故の話もしたくない。
今は、そんな気分。
話したところで、どうにもならない。
堂々巡り。
愚痴。
不平、不満。
その繰り返し。

●浜松もあぶない?

 今回のオーストラリア行きは、去年から予定していた。
チケットの予約を入れたには、先月(2月)の終わり。
「こんなときに旅行?」と思う人もいるかもしれない。
が、震災の前から、今回の旅行は、予定していた。

どこか弁解がましいが、今回の震災(3月11日)とは関係ない。
が、その一方で、日本から脱出するという意識もないわけではない。
不幸中の幸いというか、今回の原発事故は「風」が幸いした。
事故以来、冬型の天気図。
風はずっと陸から海側に吹いていた。

 が、そんな「幸い」が、いつまでもつづくとはかぎらない。
風向きが変われば、東京だってあぶない。
浜松だってあぶない。
原発事故は、100キロ単位どころか、1000キロ単位で広がる。

●人災論

 今回の原発事故について、人災論が浮上してきた。
いくつかの人的なヘマが重なって、事故が拡大した。
処理が、長引けば長引くほど、そうだろう。
責任論が大きくなる。

原発は「作る」のは簡単。
「閉じる」のがむずかしい。
これは私の意見ではない。
世界の常識。

 つまり閉じ方も確立されていないまま、今回の事故が起きた。
ホースで水をかける程度の処理で、事故が収束するはずがない。
たとえば昨日(3月29日)になって、プルトニウム吸収剤を散布するとか(報道)。
そんな話が決まった。
しかしこの日本に、そんな吸収剤はあるのか?

 それにしても腹立たしいのが韓国。
「日本・危険説」をさかんに世界に向けて発信している。

●1970年

 ……またまた震災の話になってしまった。
やめよう。
こんな愚痴を書いても、何にもならない。

 私がオーストラリアへ渡ったのは、1970年の3月。
大阪万博(1970)が始まる、その直前だった。
日にちはよく覚えていない。
1970年の3月3日か4日だった。
私はあえて各駅停車の飛行機に乗った。
世界中を見たかった。
もっとも当時の飛行機(DC−8)は、航続距離が短い。
香港とマニラで給油のため駐機した。

 はじめての香港。
はじめてのマニラ。
私は外国に降り立つたびに、自分の体が宙を舞っているように感じた。

●悪夢

 ワイフは横で、今しがたまで、何やらメモを取っていた。
どこかウキウキしている。
若いころからのんきな女性。
なにごとにつけ、楽天的。
おおらか。
だからこそ、私のワイフでいられた。
今回も、1か月も前から、旅行の準備をしたのは、私。
「まだ早いでしょ!」と。
何度もワイフに言われた。

 が、私は落ち着かない。
今でも悪夢と言えば、飛行機や列車に乗り遅れる夢。
29歳のとき飛行機事故を経験している。
それだけではないが、こうした強迫観念は、どうしようもない。
いつも何かに追い立てられている。
それがそういう悪夢につながっている。

●オーストラリアの秋

 窓の外は冬景色。
今年の冬は寒かった。
今も寒い。

 昨日、オーストラリアの友人に問い合わせた。
アデレードでは気温は、10度〜30度という。
日本の気候にちょうど6か月を加えたのが、オーストラリアの気候ということになる。
が、実際には、オーストラリアの夏は暑い。
オーストラリアは、今が秋。
これから畑に種をまき、冬の間に小麦を育てる。
今ごろは緑の草原が美しく広がっているはず。
楽しみ。

●終着点

 今回の旅行は、旅行というより、人生のしめくくり。
ワイフのことは知らないが、私はそうとらえている。
ちょうど41年。
オーストラリアでの学生生活を「出発点」とするなら、今が「終着点」。
その41年を、何とか乗り切った。
生き延びた。

 私の人生を総括すると、そうなる。
つまり自由業というのは、そういうもの。
「自由」というのは、そういうもの。
だれにも頼らず、たったひとりで生きる。
が、充実感は、それほどない。
私のばあい、いつもハラハラしながら、生きてきた。
今の今も、そうだ。
こういう旅行をしながらも、別の心では、すでに帰国後のことを考えている。
あるいは、そのころ、日本はさらに混乱しているかもしれない。

 またまた原発事故の話になる。
今のやり方では、だめ。

●フンギリ

 「フンギリ」という言葉がある。
「糞切り」と書くのか。
どこかでフンギリをつける。
そのフンギリが感じられない。

 事故直後から、廃炉を覚悟すべきだった。
廃炉を覚悟で、処理に取りかかるべきだった。
が、それを何とか原子炉を残そうとした。
今の今もそうだ。
原子炉内への注水とタービン室の排水。
この2つを両立させようとしている。
が、このやり方では問題は解決しない。
へたをすれば、両倒れ。

私なら、海はあきらめ、原子炉のメルトダウンだけを考えて対処する。
海の汚染は、まだ何とかなる。
しかし原子炉がメルトダウンし、原子炉が爆発したら、万事休す。
死の灰は、日本中に降り注ぐ。

●自由

 話は脱線したが、「自由」というのは、そういうもの。
損と得が、いつも隣り合わせになっている。
損にこだわっていたら、自由にはなれない。
深みにはまり、やがて身動きが取れなくなる。
フンギリをつけるときは、つける。
それが身を軽くする。
今回の原発事故には、そのフンギリがない。
つまり卑しき役人根性。

「やるべきことはします。しかしそれ以上のことはしません」と。
あとは責任逃れ。
そればかり。

アーア、また愚痴になってしまった!

●自由業

 自由業について、一言。

 今、この日本で、自由業と言えるような自由業というのは、ほとんどない。
農業にしても漁業にしても、補助金漬け。
補助金がなければなにもできない。
どう補助金漬けになっているかは、その世界の人なら、みな知っている。

町の小さな企業ですら、いかに公的機関の仕事を多く受注するかで、命運が決まる。
土建業を例にあげるまでもない。
つまりみながみな、「国」にぶらさがっている。
また「国」にぶらさがらないと生きていかれない。

 一方、私など、補助金の「ホ」も手にしたことがない。
国からそれらしきものを手にしたのは、出産時の祝い金だけ。
3人の息子たちが産まれるたびに、それをもらった。
10万円x3=30万円!
計30万円!

 だからこう言う。
「生き延びた」と。

●究極の選択

 人生には、潮時というものがある。
今が、そのときかもしれない。
私も63歳。
団塊の世代、第一号。

 ここでいつも究極の選択に迫られる。

(1)健康な間に、好き勝手なことをする。
(2)死ぬまで今のまま、がんばる。

 「好き勝手なこと」というのは、私の夢を果たす。
私には私の夢があった。
そう、あのとき私は、オーストラリアに移住したかった。
留学生活が終わったとき、そのままオーストラリアに残りたかった。
が、それができなかった。
郷里の母が、今にも死にそうな声でこう言った。
「帰ってきておくれ」「帰ってきておくれ」と。

 が、今ならそれができる。
だれにも遠慮せず、好き勝手なことができる。
ワイフも、それを言う。
「移住しましょうよ」と。

 おかしなものだ。
オーストラリアを知らないワイフのほうが、積極的。
どうしてだろう?

【セントレア空港で】

●シンガポール航空

 シンガポールからメルボルンまで、A380。
わかるかな?
エア・バス380だぞ。
世界最大の旅客機。
「2階席にしますか、1階席にしますか?」と聞かれた。
それでそれを知った。
もちろん私はこう答えた。
「2階席に」と。

 今や、シンガポールがアジアの中心。
東京ではない。
シンガポール。
1人当たりの国民所得でも、すでに日本は追い抜かれている。
だからそういう飛行機でも買うことができる。
世界最大の旅客機。
「日本は負けたね」とワイフに言うと、ワイフもあっさりとこう認めた。
「とっくの昔にね」と。

●ラウンジで

 出発まで1時間半。
ワイフラウンジで、軽い朝食。
意外と白人が少ない。
前後左右、みな、ジャパニーズ。
これも原発事故の影響か?
そんな印象をもった。

 が、うるさいことといったらない。
右横の家族は、ギャーギャーと大声で騒ぎあっている。
祖父母らしき両親を中心に、2人の娘と1人の息子。
それにその子どもたち(孫)。
その孫が4人。

 その向こう隣には、同じような組み合わせの家族。
子どもはいないが、やはり大声で騒ぎあっている。
のどかとは言いがたいが、平和な風景。

 それにしてもうるさい!

●うるさい

 左横の家族は、グアムへ行くらしい。
「グアム」と書いた大きな雑誌を開いたり、閉じたりしている。
さらにその向こう側の2人連れは、何やらを書類に書き込んでいる。
若い方の女性が、「ここはこう……」というような言い方で、もう1人の女性に指示
している。

 「あと1時間……」とワイフが言った。
搭乗ゲートは、14番。
一番、端。
今、右横の家族を見たら、そちらは「韓国」と書いた本を読んでいる人がいた。
あのうるさい家族は、韓国へ行くらしい。

韓国でも同じように騒ぐのだろうか。

 「早めに14番ゲートへ行くか」と私。
「うん」とワイフ。
ここはう・る・さ・い。
子どもたちまで、ギャーギャーと騒ぎ出した。

●14番ゲートで
 
 目の前に58インチのテレビがある。
震災で犠牲になったアメリカ人教師の話をしている。
右下の案内には、「日本人を愛したアメリカ人教師」とある。
「生徒の無事を確認したあと、津波に……」と。
名前は、テイラー・アンダーソンという。
そのテイラー・アンダーソンに対する義援金募集をしている。

 今度の津波で、多くの外国人も行方不明になっているという。
たぶん、もう生きてはいないだろう。
今の日本から、震災、津波、原発事故の話から逃れることはできない。
どこへ行っても、だれと話しても、その話ばかり。

●A330ー300

 飛行機に乗ると、すぐ、映画、「ガリバー旅行記」を観た。
おもしろかった。
で、すぐ食事とつづき、そのあと、睡魔。
1時間ほど、眠った。

 時刻は日本時間で、午後2時23分。
もう4時間も乗っている。
日本との時差は、ちょうど1時間。
シンガポールは、午後3時23分。

 機種は、エアバス330。
いろいろ頭の中をさぐってみるが、エアバスに乗るのは、これがはじめて?
ボーイング社の飛行機とは、内装が微妙にちがう。
ざっと見たところ、新品。
車でいえば、新車。
汚れもなく、真新しい。
30〜40年前には、アジアの国々は、みな、日本が払い下げた中古機を使っていた。
フィリッピン航空の飛行機などは、窓枠がさびていた。
が、今は、ちがう。
この世界も、すっかり様変わりした。

 画面にそのつど時速(対地速度)が表示される。
それによれば、518マイル(833km)とか。
ボーンイング777や747よりは、遅い?
このあたりは、いつも強い向かい風を受ける。
そのせいかもしれない。

●さらば、日本!

 若いときからそうだ。
だから、どうかそういう私を責めないでほしい。
私は若いときから飛行機に乗り、離陸したとたん、こう思う。
「さらば、日本!」と。
とたん、日本のことを忘れる。
小さな国。
それが日本。
何かにつけ、わずらわしい国。
それが日本。

 そのクセが今も残っている。
「さらば、日本!」と。
今、私ははじめて、震災や津波、それに原発事故を頭の中から振り払うことができた。
この2週間、本当に重かった。
「重い」というよりショック状態。
ゆううつな気分が、四六時中、頭の中を離れなかった。
……ということは、逆に、帰国するとき、どんな気分になるのだろう。
それが心配。

●『東洋航路』

 シンガポールまで、あと約2300キロ。
頭の中で計算する。
あと約3時間。

 これも私のクセ。
シンガポールへ行くたびに、W・サマーセット・モームの書いた『東洋航路』という
本を思い出す。 
東南アジアへの旅行記である。
学生時代、無我夢中で読んだ。
どこかの港での描写が、鮮明な記憶となって残っている。
それもあって、私は東南アジアが好き。
タイ、カンボジア、ベトナム、シンガポール、そして香港……。
どの国も好き。
違和感を覚えない。
 
●非国民

 ああ、今、本当に日本のことが頭から消えた。
震災で苦しんでいる人には申し訳ない。
原発事故と懸命に戦っている人には申し訳ない。
しかし今の私は、やっとその憂うつ感から解放された。
やっと気が楽になった。

 こういう私のような日本人を、「非国民」というのか。
わかっている。
しかし総じて言えば、……つまり私の過去を振り返ってみれば、日本は日本。
いろいろがんばってはみたが、私はいつもはじき飛ばされてばかりいた。
つまり相手にされなかった。

ほとんどの日本人は、「日本は自由な国」と思い込んでいる。
しかしどこに「自由」がある?
自由もどきの自由、つまり「自由」という幻想を信じているだけ。
自由に生きる人間を認めない。
その価値を認めない。

 ある新聞社の記者(女性)は、私にこう言った。
「林さん(=私のこと)、私たちはあなたのような人が、成功してもらっては
困るのです。
あなたのような人が成功するのを見ると、私たちは自己否定しなければなりません」と。

 「組織」という「束縛」の中で、みな、体中をがんじがらめに縛られている。
縛られているという意識さえないまま、縛られている。
またそれ以外に生きる道がない。
あの日本では……。

●官僚主義国家

 では、私には愛国心はないのか?……ということになる。
が、私にとって愛国心とは、「民」をいう。
「土地」をいう。
「国」ではない。
頂点に「天皇」がいて、その下に官僚制度がある。
その官僚制度が、日本という「国」の柱になっている。
日本が民主主義国家と思っているのは、私たち日本人だけ。

 日本という国は、奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、官僚主義国家。
そんな官僚主義国家を愛せよと言われても、私にはできない。
日本人も日本の文化も好き。
しかし「国」となると、どうしても好きになれない。

●自由と依存性

 41年前、オーストラリアに渡った。
毎日が驚きの連続だった。
が、その中でもオーストラリア人のもつ、あの「自由」には驚いた。
ある日、友人に招待され、小さな町に行った。
そこでのこと。
車の中にいっしょにいた中学生くらいの友人の弟が、こう言った。

「ヒロシ、あの橋には、X万ドルもかかったんだよ。無駄な橋だよ」と。

 これには驚いた。
そんな中学生ですら、税金の使われ方に目を光らせている。
一方、私たち日本人には、それがない。
万事、お上(かみ)任せ!

何かといえば、「国が……」「国が……」と。
何でも国がしてくれるものと、思い込んでいる。
その依存性こそが問題。
隷属意識と言い換えてもよい。
そういう精神構造を、「甘えの構造」ともいう。

つまり自由と依存性は、相克(そうこく)関係にある。
依存性が強い分だけ、自由への意識が薄い。
自由への意識が薄い分だけ、依存性が強い。

●キャンピング

 オーストラリアの学校には、「キャンピング」という科目がある。
「選択科目ですか?」と聞いたら、「必須科目」という。
つまり原野でも、ひとりで生きていかれる。
そんな子どもを育てるのを、オーストラリアの学校は目標としている。

 そのこともあって、オーストラリア人は、独立心が旺盛。
私が学生だったころでも、親のスネをかじって大学へ通っている学生は、さがさなければ
ならないほど、少なかった。
今は、もっと少ない。
奨学金を得るか、借金をするか、あるいは働くか。
それぞれがそれぞれの方法で大学へ通っていた。
友人の1人は、1年働き、1年大学へ通い、またつぎの1年働き……ということを繰り返
していた。

 その友人は、あいた時間を利用して、下着のセールスをしていた。
車のトランクの中に女性の下着をいっぱい詰めこんでいた。

●よみがえる思考回路

 おもしろい現象である。
飛行機でオーストラリアに近づくにつれて、忘れていた記憶がどんどんとよみがえって
くる。
あのころの自分が、そのまま戻ってくる。
思考回路まで、戻ってくる。
それに英語まで戻ってくる。

 日本で英語を話すと、このところ大きな疲労感を覚える。
が、今は、それがない。
この飛行機の中では、日本語のほうが、かえって話しにくい。
体で示すジャスチャまで、英語式。
オーストラリア式。

●機内サービス

 今回は、シンガポール航空を利用した。
オーストラリアへ行くときは、いつもカンタス航空を利用している。
戦後、一度も航空機事故を起こしていない。
世界でもっとも安全な航空会社。
それについてオーストラリアの友人に確かめると、こう教えてくれた。
「オーストラリアはオーストラリア独自の安全基準を作った。
世界の僻地(へきち)だったから、万事、手探りで、そうした」と。
つまりほかの国々のことがわからなかったから、独自の安全基準を作った、と。
それがかえって幸いし、今にみるカンタス航空を育てた。

 で、今回はシンガポール航空。
料金は、日本のJ社のそれより、やや安いといった程度。
(J社は、お高くとまりすぎ!)
現在、高級化路線を歩んでいるが、やがて裏目に出るはず。
ボロボロの飛行機を使って、高級化路線もない。
バカげている。
今度の震災以後、30%も客足が落ちているという(2011年3月)。

 一方、破竹の進撃を繰り返しているのがANA。
エアバス380の導入も決めている。
ボーイング787の購入もすませている。

 ワイフがこう言った。
「スチュワーデスの体型がみな、同じね」と。
みな、細く、スラリとしている。
それに美人ぞろい。
「きっと体型に関する機内規程があるんだろうね。
体重が50キロを超えたら、クビとか……」と。

美しいだけではない。
サービスも、たいへんよい。
ワインもビールも飲み放題。
先ほど座席の移動を頼んだら、こころよくそれに応じてくれた。
窓際の席から、4席あいている中央列の席に移動した。

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jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00037.JPG">

【チャンギ空港にて】

●日本のニュース

 チャンギ空港では、乗り継ぎのための時間が、4時間半もあった。
その間に軽い食事。
何本か、飲み物を口にする。

 テレビではアメリカのニュース番組をそのまま流していた。
しばし、それに見入る。

 フクシマの原発事故も、アメリカでは経済ニュース。
もっぱら経済的な視点で論じられていた。
「損失はいくら……」とか、「復興費はいくら……」とか、そんな話ばかり。
すでに世界では、チェルノブイリ、スリーマイルと並び、世界の三大原発事故に
並べ始めている。

 そのニュースを見ながら、こんなことを考える。
もし戦後、沖縄が香港になり、東京がシンガポールになっていたら、今の今も日本は、
押しも押されぬ世界の経済大国として君臨していただろう、と。

沖縄を香港化すべきだった。
東京をシンガポール化すべきだった。
今や東証に上場している外資企業は、1けた台。
10社もない。
一方、シンガポールには、数百社以上。
チャンギ空港は、ハブ空港として、世界の経済の中継地になっている。

ラウンジで知り合ったイギリス人は、イギリスから来て、ここシンガポールで
飛行機に乗り換え、オーストラリアに向かうということだった。
どうしてそれを羽田でしないのか?
羽田で乗り継がないのか?

航路的にも、(イギリス)→(北極)→(羽田)→(オーストラリア)のほうが、
短い。

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jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00036.JPG">

●日本vs外国

 シンガポールまで来ると、こう考える。
「何も、日本にこだわる必要はないのではないか」と。
ワイフも同意見。
世界の人たちは、もっと自由に、「国」を考えている。
EUを例にあげるまでもない。
言い換えると、日本も、外国をそういう目で見る必要がある。
「日本だ、外国だ」と、垣根を高くすればするほど、日本のほうが世界ののけ者に
なってしまう。

 わかりやすく言えば、日本で仕事がなくなれば、外国へ行けばよい。
外国で働けばよい。
そのあたりを、もっと気楽に考えたらよい。
ラウンジで会ったイギリス人の男も、そう言っていた。
親や兄弟は、オーストラリアに住んでいる。
が、自分の家族はイギリスに住んでいる。
たがいに行ったり来たりしている、と。

●A380

 目を覚ますと、アデレード上空まで来ていた。
眠ったのか、眠らなかったのか、よくわからない。
何かの夢を見たようだが、よく覚えていない。
シンガポールとメルボルンの時差は3時間。
私が目を覚ましたのを見ると、ワイフがこう言った。
「星空がきれいだった」と。

 星と言えば、南十字星。
サザン・クロス。
オーストラリアへ着いたら、真っ先にワイフにそれを見せてやりたい。

【メルボルンにて】

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/93/img4cf8fa36zik3zj.jpeg"
width="800" height="600" alt="メルボルン2.jpg">

 空港からはデニス君の車で市内に向かった。
そのままインターナショナルハウスへ。
ボブ君が、ゲストハウスを予約しておいてくれた。
荷物を置いて、そのままデニス君の家へ。
車で1時間ほど。
カーネギーという地名。

 ……仙台市のことを「杜(もり)の都」という。
豊かな街路樹に覆われ、夏でも涼しげな森の影をつくってくれる。
が、もしあなたがメルボルンを見たら、「杜」の概念が変わるだろう。
とくにこのローヤルパレード通りを見たら、変わるだろう。
どう変わるかは、ここに書けない。
書けないが、変わるだろう。

昔からこう言う。
メルボルンの中に、公園があるのではない。
公園の中に、メルボルンがある、と。

 カーネギーでは、数時間を過ごした。
その間、ワイフは、2時間ほど、友人の家で眠った。
私たちは、つまりデニスとボブと私は、いろいろ話した。
で、ワイフが起きたのをみはからって、近くの日本料理店へ。
最近開店したという。
私とデニスは、オーストラリア式の天丼。
ボブは、オーストラリア式のうな丼。
ワイフは、これまたオーストラリア式の牛丼を食べた。

 どれも日本的というだけで、日本のものとはちがう。
また値段にしても、天丼よりうな丼のほうが安かったのには、驚いた。
AS$で、8〜9ドル前後だった。
「このあたりには、モナーシュ大学の留学生が多く住んでいる。
だからこういう店が多い」と。

 通りには日本料理店のほか、ベトナム料理店、マレーシア料理店、
中華料理店などが並んでいた。
帰りに私とワイフは、八百屋で、果物を何種類か買った。
イタリア風(ギリシャ風?)の八百屋で、一種類ずつ大きなコーナー
に、山積みにして売っていた。

●ワイフの印象

 ワイフはメルボルンの街並みを見ながら、「ディズニーランドみたい」と言った。
1度や2度ではなく、何度もそう言った。
家々の形や色、それがディズニーランドのそれみたい、と。

 人によってメルボルンの印象はちがうだろう。
「おもしろい見方だな」と私は思った。
が、そのうち私も、そういう目で見るようになった。
「たしかにそうだ」と。

 家々の中には、子どもが喜ぶようなアトラクションこそないが、無数の見知らぬドラマ
が詰まっている。
たとえば車の中から見かける電車にしても、バスにしても、異国風というよりは、ディズ
ニーランドのそれ。
カラフルで、それが秋の白い陽光を受けて、まぶしいほどに輝いていた。

●インターナショナル・ハウス

 イギリスのカレッジ制度の説明をするのには、時間がかかる。
日本で考える「寮」とは、趣をかなり異にする。
また日本で考える「寮」をそのまま当てはめて考えてはいけない。

簡単に言えば、「ハリーポッターの世界」。
全寮制であると同時に、カッレジ自体が大学の機能を分担する。
ほかのカレッジから学生がやってくることもある。
もちろんその反対のこともある。

食事は毎回、フルコース。
学生たちはローブと呼ばれるガウンを身につけ、食事に臨む。
もちろん正装。
当時は、そうだった。

 が、その後オーストラリアも、変わった。
政権が変わったり、不況を経験したりした。
「予算が削られた」というような理由で、簡略化された。
が、何よりも変わったのは、男女共学になったこと。
若い女子学生が多いのには、戸惑った。
私たちの時代には、男子専用のカレッジだった。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/19/imga2c01d9azik6zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00124.JPG">
(友人の部屋だった、その前のテラス。いろいろな思い出がしみこんでいます。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/20/img4bddf402zikczj.
jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00083.JPG">
(学生寮。1970年当時は、下の階に副寮長のショール夫妻が住んでいました。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/17/img94f8c25czikfzj.
jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00105.JPG">
(今は、ディミック・ルームと呼ばれている食堂。手前がローテーブル。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/18/img962c794fzik2zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00111.JPG">
(ハウスの中庭)

●ハイテーブル

 私は寮長の横、つまりハイテーブルで食事をすることになっている。
食堂は、大きくハイテーブルとローテーブルに分かれる。
数段高い位置にあるのが、ハイテーブル。
アンダーグラジュエイト(一般大学生)が座るのが、ローテーブル。

もしそれもよくわからなかったら、映画の1シーンを思い出してほしい。
そこはまさに「ハリーポッターの世界」。

 そういう意味では、あの映画はカレッジ制度を理解するのには、役立つ。
メジャーな教育は、大学構内の中で受ける。
それ以外のマイナーな教育は、カレッジで受ける。
カレッジでの教師はチューターと呼ばれる。
そのチューターたちが、アンダー・グラジュエイト(大学生)の教育をする。

●1970年

 1970年。
大阪で万博が開かれた年である。
その年に私はメルボルンに向かった。
正田氏(美智子皇后陛下の父君)が、「どこの大学にしたいか」と聞いた。
私は迷わず、「メルボルン大学」と答えた。
すかさず正田氏が聞いた。
「どうしてだ」と。

 私はさらに胸を張ってこう答えた。
「日本からいちばん遠いからです」と。

 その当時の人口は、300万人。
そんなメルボルン市にも、日本人の留学生は、私1人だけ。
通産省から1人、研修生が来ていたが、彼は数か月で帰ってしまった。

 当時の日本人は、それなりの人物による身元引き受け人がいないと留学が
できないしくみになっていた。
その身元引き受け人に、正田氏がなってくれた。

●アルバイト

 日本円に換算すると、当時の寮費は、月額20万円前後。
1ドルが400円の時代だった。
また大卒の初任給が、やっと5万円に届いたころ。
往復の飛行機料金(羽田・シドニー間)が、42万円前後。
それだけでも、私には気が遠くなるような金額だった。

 が、アルバイトができなかったわけではない。
日本領事館の井口氏や、M物産の支店長らが、そのつどアルバイトを回して
くれた。
たいていは観光案内。
日本からやってくる政治家や実業家を、案内して回る。
その中には、たまたまハイジャック事件で北朝鮮に渡った、山村運輸政務次官もいた。
あの事件のあと、山村氏は、メルボルンにしばらく身を隠していた。
理由は、聞いていない。

なおアルバイト料はあとから受け取ったが、それよりも日本料理を腹いっぱい食べ
られるのが、何よりもうれしかった。
当時、コリンズ通りだったと思うが、路地を入ったところに一軒だけ、日本料理店が
あった。
当時の日本料理は、それこそひとつが、?万円を超えるほど、高級料理だった。
まぐろの刺身にしても、そのつどコック長が、マグロをそのまま席へもってきて、
どこを食べるか聞いた。

 私はすぐその料理店のみなと、親しくなった。

●ゲストルーム

 ゲストルームは、ハウスの裏手にあった。
部屋は4ルーム。
2つのベッドルームのほか、キッチンや談話室が備わっていた。
実のところ、私も、そんなところにゲストルームがあるとは、知らなかった。
ハウスには、毎週のようにノーベル賞級の学者がやってきて、私たちといっしょに
生活した。
そうしたゲストたちが、そこに泊まっていた。
が、今回は、私たちの番。

いつもそう思うのだが、オーストラリアでは、すべてが大ざっぱ。
シャワーにしても、ザーッと水が出るというよりは、ドカーッと出る。
タオルに石鹸をつけて体を洗おうとしても、石鹸のほうが先に落ちてしまう。
こちらの生活に慣れるには、それなりの時間がかかる。

●家具

 家具も、大ざっぱ。
日本的なこまかい細工はない。
ないかわりに、しかしどれも本物の木材を使っている。
ベットの横に小さな小物戸棚があるが、ワイフは動かすことすらできなかった。
ドシンと重かった。

「100年先、200年先を考えて、こういう家具を使っているのだね」と私が言うと、
ワイフも、「そうねえ」と。
どこか感慨深そうだった。
年数がさらに重みをます。

 このゲストルームにしても、100年近く前に建てられたもの。
外観は古いが、あちこちに歴史的な重みを感ずる。
加えて、独特の、あのにおい。
白人の体臭というか、なめし皮のにおい。
床のジュータンと、乾いたペンキのにおい。
そのにおいに包まれると、そのまま41年前にタイムスリップしてしまう。

●食事

 夕食は6時半から。
この時刻は、41年前と変わっていない。
私とワイフは、寮長(ウォードン)の横に並んで座った。
たまたまホッケーで活躍した女子学生たちも、ハイテーブルに並んだ。

 最初のスピーチで、寮長が私たちのことを紹介した。
「41年ぶりに、この2人の紳士がこのハウスに泊まります」と挨拶すると、食堂から
拍手がわいた。
うれしかった。
私の名前も写真も、ハウスの記録の中に残っていた。
うれしかった。

●話題

 「日本」というと、すぐ「津波」と「原発事故」の話になる。
私は冗談を交えながら、話題をそらした。
寮長も、対面して座った女子学生たちもそれを知って、話題を変えた。

 不思議なものだ。
ハウスに入ったとたん、ワイフにまで英語で話しかけている。
へたくそな英語の上に、あのオーストラリアン英語。
わかってくれたのかどうかはわからない。
そのつどワイフも、英語で答えてくれた。

 このハウスでは、アジア人でも外国人。
日本人的な顔をしていても、外国人。
ワイフもその外国人に見えた。
……というか、日本語と英語を同時に話すのは、疲れる。
本当に疲れる。

●金沢大学

 私が通った母校。
金沢大学という大学は、以前は、城の中にあった。
石川門をくぐって橋を渡ると、兼六園。
私は4年間、その兼六園を通り、大学へ通った。

 その金沢大学は、現在、金沢市のはずれにある「角間」というところに移動している。
見るからに新制大学。
どこにでもあるような新制大学。
味も素っ気もない。

移動した理由は、金沢城址を、観光地にするため。
「お金(マネー)」がほしいため。
まだじゅうぶん使える学舎は、跡形もなく取り壊された。
そのあとに、城の城壁らしきものが復元された。
が、これこそ天下の愚作。
天下の愚作と言わずして、何という。

 ヨーロッパでもそうだが、オーストラリアでも、大学を市の中心部に置く。
「学府」という言葉は、そこから生まれた。
つまり「知」の殿堂。
それが大学。
その大学が、市の知性を先導する。

 メルボルン大学にしても、そうだ。
メルボルン市の北側に隣接し、大学全体が深い緑の森に覆われている。
メルボルン市にあっても、もっとも美しい場所と言えば、パークビル通り。
左右を広大な公園に挟まれている。
観光名所にもなっている。

 メルボルンだけではない。
アデレードも、そうだ。
アデレード大学は市の中心部に隣接している。
それを取り囲むように、神学校や教育単科大学などがずらりと並ぶ。

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●中川善之助氏

 実は大学を取り壊し、観光地にするという話は、私が学生のころからすでにあった。
が、当時の学長であった中川善之助氏が、それにがんとして反対した。

 学生数は4000人。
その学生が金沢市に落とすお金は、莫大なもの、と。

 が、お金だけではなかった。
何かにつけ、市の行事は私たち学生が主導した。
祭りはもちろん、コンサート、催し物、講演会などなど。
ついでに学生運動もした。
それだけ学生の存在感が大きかった。
……というか、そのときはそれに気づかなかった。
気づいたのはこの浜松市に住むようになってから。

 この浜松市は、恐ろしく文化性のない町だった(失礼!)。
静岡大学の工学部もあったはずだが、その存在感がまるでなかった。
祭りにせよ、静岡大学の学生が何かをしたという話は、今に至るまで耳にしたことがない。
だから……というふうに言い切るのも失礼なことだが、この浜松市は、どこかヤクザぽい。
知的レベルが(?)(失礼!)。
金沢と比較してみると、それがよくわかる。

 たとえば金沢では夜ともなると、あちこちの公民館から、三味線や鼓(つづみ)、謡
(うたい)の声が聞こえてきた。
大学の教授たちが開く講演会は、毎晩のようにあちこちで開かれた。
それらが全体として、金沢市の「品格」を支えていた。

●メルボルン大学

 メルボルンを訪れた人は、メルボルン大学のもつ広大なキャンパスに驚くだろう。
周辺には、中世の城を思わせるカレッジが、ズラリと並んでいる。
そしてその外側を、学生たちが住む学生寮や家々が取り囲んでいる。
それだけではない。
そのメルボルン大学を囲むように、総合病院や女性病院、子ども病院、さらには、
いくつかの単科大学が林立している。

 メルボルン市を見るかぎり、むしろ商業地域のほうが、小さく見える。
フリンダース駅周辺には、高層ビルも多いが、それでもメルボルン大学のもつ存在感
は、大きい。
待ちを歩く若い人たちと言えば、大学生。
その大学生たちが、メルボルン市を先導している。

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jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00394.JPG">

 で、この浜松市はどうか。
現在、市内は、若者たちに占領されてしまっている。
以前は仕事を終えたサラリーマンや労働者が、多く立ち寄った。
が、今は、若者たち。
怪しげな雰囲気を漂わせた男や女たち。
一見して、そのレベルとわかる男や女たち。

 それを金沢市に住む友人に話すと、こう言った。
「金沢も似たようなものだよ」と。
学生が街にいたころは、まだ華やかだった。
が、今ではあの香林坊(繁華街)ですら、ゴーストタウン化している。
 
●天下の愚作

 金沢大学が角間に移設されると聞いたとき、私はまっさきに金沢の友人(弁護士)に
聞いた。
「どうしてだ?」と。
するとその友人はこう言った。
「県知事が、金大(金沢大学)出身でないからね」と。
つまり金沢大学に愛着がないから、と。

 わかりやすく言えば、県知事は、「金儲け」を優先させた。
金沢大学を追い出し、そのあとに城を復元する。
観光地として売り出す。
魂胆は見え見えというか、それが目的だった。

 で、結果はどうなったか。
金沢市の観光収入は、それで増えたのか?
NHKの大河ドラマの影響で一時的に観光客はふえたものの、今はその反動に苦しんで
いるという。
それに観光地といっても、城跡に城壁を連ねただけのもの。
観光客にしても、石川門をくぐったあと、一瞥(べつ)してそのまま外に出てしまう。

 が、それ以上に金沢市の失ったものは大きい。
金沢市は「知」を失った。
わかりやすく言えば、どこにでもあるような俗っぽい町になってしまった。

 ……同窓会に出るたびに、私たちはこう言う。

「金沢大学は北海道大学についで、全国第二の広いキャンパスを誇った。
それがぼくたちの誇りでもあった。
が、今は、見る影もない。
どこにでもある新制の私立大学のようになってしまった。
が、いちばん損をしたのは、金沢市自身ということになるよ。
この先、100年、200年をかけて、さらに俗っぽい町になる。
そのほうがよっぽど損なんだがね」と。

 なお金沢大学が角間に移ってからというもの、私は一度も角間を訪れていない。
同窓生の中でも、訪れた人は、ほとんどいない。

 ……それでも「はやし(=私)の言うことはおかしい」と思うなら、一度、
メルボルン大学を訪れてみることだ。
あなたもその存在感に圧倒されるはず。

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【4月1日】

●花博覧会(4月1日)

 たまたまメルボルン市で、花博覧会が開かれていた。
今日の目的は、その花博覧会を見ること。

 ボブとデニスが案内してくれた。
ワイフはやや疲れ気味。
私たちはローヤルパレード通りをシティ(町)のほうへ歩き、
そこからトリィニティ・カレッジを通り抜けた。
中世の城を思わせるカレッジである。
このカレッジだけで、ひとつの大学がすっぽりと入ってしまうほど広い。
通りがかった人(教授?)に人数を聞くと、270人の学生と30人の
ポスト・グラジュエイト(修士・博士課程)の学生がいるとのこと。
そう教えてくれた。

 それから一度、大通りに出て、花博覧会に向かう。

●馬車

 花博の会場からは、トラム(市内電車)で、フリンダース駅に向かう。
日本で言えば、新宿のようなところ。
その前に、あの荘厳な、St.ポール大寺院がある。

 4人で入る。
「写真を撮っていいか」と聞くと、売店の女性が「いいです」と言った。
しかし私は撮らなかった。
あまりにも畏れおおい。
その荘厳さに圧倒された。

 大寺院から出たところに、2頭だての馬車が泊まっていた。
さっそく料金を交渉。
4人で100ドルでよいと言った。
加えて20ドルのチップ。
120ドルを渡した。

 御者は気をよくして、街中をあちこち回ってくれた。
私たちは、1時間ほどかけ、ハウスに戻った。

●会食

 夜はデニス君が夕食に招待してくれた。
デニス君の娘が2人と、婚約者が来ていた。
私たちはスキヤキを食べた。

 日本的なスキヤキといった感じだった。
ネギの代わりに、タマネギを使っていた。
焼き豆腐の代わりに、ふつうの豆腐を使っていた。
肉はもちろん赤肉。
霜ふり肉など、このオーストラリアにあるはずもない。

 「日本にスキヤキと同じか?」と、数回聞かれた。
「シミラー(similar=似ている)」と答えた。
「日本のスキヤキに似ている」という意味で、そう言った。

 その席で、デニスの娘のタミーが、「結婚式に来てほしい」と言った。
「いいよ」と答えた。
ハネムーンは、日本へ来るという。
「日本ではぼくがめんどうをみてあげるよ」と言うと、うれしそうに
笑った。

フィアンセの名前は、Luke(ルーク)という。
以前から私は彼のことを、「スカイウォーカー」と呼んでいる。
映画『スターウォーズ』の主人公の名前が、ルーク。
それでそう呼んでいる。

●4月2日

 4月2日、朝早く起きて、サザン・クロス駅に向かう。
昔は「スペンサーSt.駅」と呼んだ。
そこからオーバーランド号に乗って、友人の自宅のあるボーダータウンに
向かう。

 いつ走り出すともわからない列車。
平均時速は85キロとアナウンスされたが、その速度もなかった?。
ノロノロ……というか、ガタンゴトン……といったふう。

 やがて2人の若い男がやってきて、朝食の注文を取りにきた。
私たちは一番値段の高いのを注文した。
高いといっても、12ドル前後。

●メルボルンからジーロンへ

 以前とは列車の走るコースが変わっていた。
以前は一度バララートへ出て、そこからアデレードに向かった。
今は、一度ジーロンまで南下し、そこからアデレードに向かう。
友人の話では1995年に変わったという。
列車の線路幅も、そのとき現在の線路幅になったという。

 ジーロンはこのあたりの工業地帯。
以前は羊毛の輸出港として栄えた。
昨夜日本料理店へ招待してくれたデニス君の生まれ故郷でもある。
途中、ジーロン・グラマー・スクールがある。
デニス君は、その学校に幼稚園児のときから、高校2年生まで通った。
そこで1年飛び級をし、メルボルン大学へ。
修士号を得た後、今はモナーシュ大学で働いている。

 皇太子の娘の「愛子さん」も、一時は、この学校に通うという話が出た。
その話はどうなったのか。

●田園風景

 それからは5時間あまり、単調な田園風景がつづく。
行けども行けども、牧場と穀倉地帯。
4月ということもあって、つまりオーストラリアでは秋ということも
あって、枯れた平原。

 気が遠くなる……というより、ぼんやりと見ていると、眠くなる。
ワイフも、私も、ときどき眠った。

 昼食も同じようにして、とった。
私たちはみな、いちばん値段の高い料理を注文した。

●人間臭さ

 サザン・クロス駅の話に戻る。
日本でいう車掌たちが、自由な服装をしてたがいに話し込んでいた。
日本では見られない光景である。
ワイフは目ざとくそれを見て、こう言った。
「ズボンだけは同じみたい」と。

 私は「何とだらしないことよ」と思った。
が、やがて私の常識のほうがおかしいことを知った。

 車掌は、名簿から私たちの名前を見つけると、楽しそうに話しかけてきた。
それ以後、私たちを見ると、ファーストネームで私たちを呼んでくれた。
が、何と言っても驚いたのは、ジーロン駅でのこと。
オーバーランド号は、20分も早く、ジーロン駅に着いた。
車内アナウンスが、「ここで17人の客を乗せる」と言った。

 列車はしばらくそこに停まった。
曜日によって、市内を回るコースと、郊外の駅を回るコースがちがうらしい。
が、その17人が乗った。
とたん列車が動き出した。
時刻表も、客しだい。

 つまり、それを「自由」という。
日本では、考えられない。

【ボーダータウンにて】

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/94/img6b3f3c1fzikbzj.jpeg"
width="800" height="600" alt="オーストラリア3.jpg">

●ジューン

 ボーダータウンには、ボブの母親が迎えに来てくれていた。
今年84歳になるが、シャキシャキとしているのには驚いた。
話し方も、41年前と同じ。
名前をジューンという。
私はいつも「ジューン」と呼んでいる。
5、6年前に、一度、日本へ来てくれたことがある。
そのときは、長野を案内した。

 そのときのこと。
ジューンは日本式(スリッパ型)のトイレの使い方がわからず、苦労した。
楽しい思い出がどっとよみがえってきた。

●1・6エイカー

 ボブの家の敷地は、1・6エイカーもある。
16000平方メートル。
坪数に換算すると、約5000坪。
どんな広さかといっても、文では表現できない。
見たままの広さということになる。

 が、このあたりでは平均的。
「平均的」ということは、平均的。
町の中では、200〜300坪的の家もあるが、郊外へ足を延ばすと、10エイカー
前後の家はいくらでもある。
町の中で中華料理店を開いているT氏の家は、見渡すかぎり、彼の敷地。
その一画を囲んで、自宅の敷地としていた。

 遊びに行くと、裏手に牧場があった。
羊が、30〜40頭、群れをつくっていた。
「あなたの羊か?」と聞くと、「だれかが勝手に草を食べさせている」と。

 ボブの家も。その一角をフェンスで囲み、自宅としている。
「囲む」ということは、日本風に言えば、「垣根」ということになる。
その垣根の中では、芝生がこの時期でも青々と育っている。
家に着くと私は何枚か、写真を撮った。

●物価

 オーストラリアへ来て驚いたのは、物価が高いということ。
自動販売機で買う飲食物にしても、3ドル〜3・5ドル前後。
現在の為替レートで計算しても、240〜290円。
量はやや多いが、だいたい2倍前後とみてよい。
(現在、1オーストラリアドル=94円前後。)

 言い換えると日本円が、それだけ弱いということ。
本来なら、つまり同等になるためには、1ドル=50円前後が妥当。
さたに言い換えると、日本ではその分だけ、「無駄」が多いということ。

 公共施設は立派だが、民家はボロボロ。
オーストラリアでも、ある程度の差はあるが、国の富が一般家庭にまで、
平等に行き渡っている。
それでもオーストラリアの人たちはみな、こう言う。
「オーストラリアも官僚主義的になってきた」と。

 わかりやすく言えば、こういうこと。
本来なら、1本50円前後で買えるはずのジュースを、日本人は120円で
買っている。
税金だか何だか知らないが、無駄な人に無駄な仕事をさせておくために、
そうしている。
そういう矛盾が、こういう国へ来てみると、よくわかる。

●夕食

 夜、ジューンさんが、夕食に招待してくれた。
料理は、ケーキとピザ。
イタリア人の女性も来ていた。
話しは、メルボルンで食べた日本食になった。
それについて話すと、そのイタリア人、名前をサンタと言ったが、
サンタはこう言った。

 「オーストラリアではピザにパイナップルをのせているのには、驚いた」と。
「日本でもパイナップルをのせる」と話すと、「イタリアではのせない」と。
それぞれの国では、それぞれの国の人に舌にあわせて、料理を作り変える。
それはそれでよいことかもしれない。

 なおイタリアでは、「ロメオ&ジュリエット」のことを、「ジュリエッタ&ロミィオ」と
言うのだそうだ。
「オーストラリアへ来て、いろいろなものが、逆になっているのを知って驚いた」と。
ほかにもいろいろな例をあげて、話してくれた。

●豊かさとは何か

 では、1Aドルはいくらくらいが、よいのか?
実生活レベルでみるなら、先にも書いたように、1Aドルは、50円前後。
が、そうはいかないところが、為替。
国力に応じて、為替レートも大きく影響を受ける。

 オーストラリアは言わずと知れた資源国。
国自体がもつ豊かさがちがう。
そのことを思い知らされるのが、住環境。
オーストラリア人は、広い敷地と広い家の中で、伸び伸びと暮らしている。
その豊かさは、オーストラリアへ行ってみるとよくわかる。
わかるというより、ふつうの日本人なら、ふつうでない衝撃を受けるはず。

 が、それだけではない。
労働時間も、また忙しさも、日本のそれとは、まったく異なる。
メイは、ボーダータウンで医師をしている。
3人の医師の長として、診療所(サージャリー)を取り仕切っている。
そのメイは、2週働くと、2週の休暇を取っている。

 ボブの息子のアンドリューは、4週間働くと、2週間の休暇を取っている。
アンドリューは、アデレイドから5000キロ離れた鉱山で働いている。
つまりそのつど、5000キロ(北海道から九州までが、2000キロ)の距離を、
通勤していることになる。
5000キロだぞ!

 ボーダータウンでは、どの店も、ガラ〜ンとしている。
通りに人影を見ることも少ない。
それでも何とか、生活できるらしい。
そういうのを「豊かさ」という。

●原稿

 実は、この数日、原稿を書いていない。
現在は、4月6日。
旅行最終日……というか、午前の便で日本へ帰ることになっている。
時刻は午前3時(南オーストラリア時間)。

 忙しくて、自分の時間がもてなかった。
が、今朝は3時に目が覚めてしまった。
ワイフが時計を読みまちがえた。
あるいは、私が聞きまちがえた。
「6時?」と思って起きたら、3時だった。
今朝は、ワイフのために簡単にアデレード市内の観光をすませ、そのあと空港に
向かう。

●中華料理店

 先にボーダータウンの中華料理店について書いた。
経営者は、45歳になるT氏。
あの天安門事件のときには、北京大学にいた。
そのあとオーストラリアに逃げてきて(?)、しばらくシドニーに住んだという。
ボーダータウンに移り住んだのは、そのあと。

 その中華料理店は、木、金、土、日の4日だけ開いている。
しかも午後4時以後のみ。
それでいて郊外には、日本人の常識では考えられないような大豪邸に住んでいる。
敷地の広さは先にも書いた。
が、家の広さにも度肝を抜かされる。
居間だけでも、日本的に言えば、40畳前後。
どの部屋も、20畳前後。
そういう部屋が、居間を取り囲んで、10室前後もある。

 家全体を遠くから見ると、小さく見えるのは、それだけ天井が高いから。
「どうしてこんないい生活ができるのか?」と思いながら、その一方で、「日本人は
どうしてこんないい生活ができないのか?」と思う。
理由は、あなたの家の近くにある公共施設を見れば、わかるはず。

 いいか、日本人!
私たちは、本来なら、もっとよい生活ができてもよいのだぞ!
税金を安くして、その分のお金を私たち自身に使わせてほしい。
……とまあ、またまた愚痴。
やめよう、こういう話は……。

●老人村

 年金額は、総じて一律、月額15万円前後。
日本のようなインチキ臭い差別は、ない。
満60歳になると、自動的に支給される。
15万円と聞くと、「少ないかな」という印象をもつ。
が、それでちゃんと生活できるしくみが、できあがっている。
そのひとつが、「老人村(Old Man's Village)」。

 ボーダータウンにも、「老人村」というのがある。

 「村」といっても、もちろん日本的な「村」ではない。
ごくふつうの住宅街。
1棟に2家族、もしくは1人ずつが住んでいる。

 で、その村の中には、幼稚園がある。
「老人は幼児が好きだから」と。
また道をはさんで、そのとなりには、日本でいう「特別養護老人ホーム」もある。
歩けなくなったような老人は、そのホームに移り住む。

 「オールド・マン」という言い方は、好きではないが……。

日本的に言えば、「恵まれた環境」ということになる。
が、彼らには、その意識はない。
当たり前のこととして、生活の中にしみこんでいる。
が、何よりも驚くのが、土地の広さ。

 これについては、すでに書いた。
で、そこで考えるのが、「人間の価値」

●人間の価値

 人間の価値は平等とは言う。
しかしそれは概念上の話。
現実は、つねに別の尺度で測られる。
つまり人間の価値は、人間として大切にされているかどうかで決まる。

たとえばティム(ボブの友人)の家を訪れたときのこと。
ティムは、子ども(4歳くらい)を、部屋の中央で入浴させていた。
聞くと、手製のバス(風呂)ということだった。

 幅が、1メートル四方、高さが1メートル30センチほどの箱。
その上部に子ども用のバスタブをはめこみ、その中で入浴させていた。
台も備えつけてあり、何枚かの食器がそこにあった。
たぶんティムの子どもは風呂に入りながら、食事をしたのだろう。
つまりそういうのを「価値」という。

 その「価値」と比べると、日本人がもつ人間的な価値は、残念ながら低い。
人間として、大切にされていない……というより、大切なものを、大切でないと
思い込み、一方、大切でないものを、大切と思い込んでいる。
結果として、人間の価値を低めている。

●広大な土地

 オーストラリアへ来たら、広大な土地を楽しむのがよい。
楽しみ方は、さまざまだろう。
しかしそれを楽しむのがよい。

 行けども行けども、牧場、農地……。
まばらに点在する羊や牛の群れ。
ときどき馬も見える。

 残念ながら今回は、野生のカンガルーを見ることはできなかった。
そのかわり自然公園で、美しい鳥を見ることができた。

 で、その楽しみ方だが、ぼんやりとそれをながめる。
私のばあいは、そうしている。
そのうちウトウトと眠くなるが、それはそれで構わない。
それだけで心が洗われる。

 偏頭痛もちの私だが、オーストラリアを出発してから今日まで、偏頭痛は
一度も起きていない。
「心を洗う」というのは、そういうことをいう。

●独立心

 オーストラリア人がもつ独立心には、驚く。
親子でも、「つながり」は太いが、まるで他人。
そういうつきあい方をする。

 アデレードには、友人の母親もついてきたが、みな、別々のホテル。
息子や娘の住む家もあるが、そこには泊まらない。
息子や娘も、親を泊めようという意識さえない。
日本人の私には、何とも殺伐とした親子関係に見える。
が、それがオーストラリア人の生き様ということになる。

 「日本では、親子がいっしょに住むことが多い。
三世代、四世代住宅というものある」と話すと、みな、驚いていた。

●観光地

 いくつかの観光地も回った。
しかし私には、街の中の店を見て回るほうが、楽しい。
わけのわからない店を見つけるたびに、それがどんな店かを聞いた。
それが楽しい。

 ただ、どの店も、ガラ〜ンとしている。
客の姿など、めったに見ない。
メルボルンでも、ボーダータウンでも、またアデレードでも、そうだ。
日本風に言えば、「よくやっていけるな」となる。

 わずかな客を相手に、太々(「細々」ではない)と暮らしている。
「ラッキーカントリー」とはよく言ったもの。
穴さえ掘れば、彼らは生きていくことができる。
国中、鉱物資源だらけ。

●韓国製

 現在、オーストラリア第一の貿易相手国は、中国になっている。
数年前に、日本は追い抜かれた。
中国の巨大資本の進出も目立つ。
その日本のあとを、韓国が追い上げている。
それが現在の、オーストラリアということになる。

 「日本は何をしているのだ!」と叫びたくなるほどの、体たらく。
日本は「馬力」そのものを失ってしまった。
が、これだけは言える。

 日本人は、とくに日本の若者たちは、今に見る日本の繁栄は、永遠のものと
思い込んでいるかもしれない。
食料にしても、天から降ってくるもの、と。
しかし今に、日本の「円」は紙くずになる。
すでにここ数日、その徴候が現れてきている。
へたをすれば、国家破綻(デフォルト)。

 では、どうするか?
日本は「人材」で勝負するしかない。
それを支えるのは、教育しかない。
そういう現実、つまり教育の重要性がまるでわかっていない。

●日本の教育

 今の日本は、「たくましい子ども」を育てる構造になっていない。
まわりを見ても、キバを抜かれた、おとなしい子どもばかり。
むしろ腕白で、自己主張のはげしい子どもを、避ける傾向にある。
親たちの間でも、嫌われる。

 が、日本を一歩出れば、そこは海千山千の世界。
そんな連中を相手に、これからの日本人は、どう戦っていくというのか。

 で、韓国製の話。
今、韓国は、「この時」とばかり、日本の追い落としにかかっている。
竹島(独島) に、放射能見地装置を設置したり、放射能漏れを韓国政府に
通知しなかったと怒ってみせたり……。
あのトヨタのプリウス問題のときは、韓国紙はこう書いていた。
「こんなチャンスは、いつまでもつづくはずがない」と。
日本が外国で叩かれるたびに、彼らはそれを「チャンス」ととらえる。

 で、このホテルのテレビは、ヒュンダイ製(韓国)、大型クーラーは、LG(韓国)。
駐車場には、まだ少数派だが、ヒュンダイ(韓国)の車も目につく。

 日本はこういう現実を、もっと知るべき。
知った上で、教育論を組み立ててるべき。

【アデレードからシンガポールへ】

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width="600" height="500" alt="Adelaide.jpg">

●帰りの飛行機

 もう帰りの飛行機。
3月30日に日本を離れ、今日は4月6日。
名古屋に着くのは、明日。
4月7日。

 空港で、ボブとジューンに別れを告げる。
目頭が熱くなる。
昨日は、4時間をかけ、ボーダータウンからアデレードまでやってきた。
美しさでは、世界でも3本の指に入る。
美しい都市である。

 眼下には、すでにオーストラリア大陸が見える。
その右には水色の海。
淡く深みのある水色が、美しい。
ワイフは先ほどから、窓の外を見つめている。
しばらくすると、「赤い大地が見てきた」と言った。
「イグアナの背中みたい」とも。

●生活水準

 生活水準とは何か。
オーストラリアへ来るたびに、それを考える。
考えるが、そのたびに、日本はいったい何を求めてがんばってきたのか、
それがわからなくなる。

 たとえばおとといの朝(3月4日)、ジューンといっしょに、朝の散歩会に参加した。
45分ほど、ボーダータウンの街の中を歩いた。
そこでのこと。
私たちは広い公園の中を歩いていた。
小さなポールが立っていて、そこには犬の糞を始末する袋がつりさげられていた。
両手で引っ張ると、ボックスの中から、ショッピングバッグのようなものが出てくる。
犬の糞を、それに入れて始末する。

 それを「生活水準」という。
生活の「質」という。

●シンガポール航空

 再びシンガポール航空。
A330−300。
今日の便は、ほぼ満席。
サービスのよさでは、オーストラリア人でさえ、太鼓判を押す。
空港には、あるべきはずの日本の飛行機は一機もなかった。
羽田行きのANAは、キャンセルになっていた。

かわりに、シンガポール航空の飛行機が、数機翼を連ねていた。
シンガポールのチャンギと、日本の羽田。
位置的には、ヨーロッパへ行くなら、羽田回りのほうがよい。
それがチャンギ。

 若いころの私なら、かなり悔しがっただろう。
が、今は、ちがう。
おかしなニヒリズムが私の心を支配している。
「どうにでも、なれ!」と。
若い人たちのBLOGを見ていると、私たちの世代はすでに、「ゴミ」。
好き勝手なことを書いている。

 そういう若い人たちに「現実」を教えるためには、彼らを一度、「どん底」へ落として
みる必要がある。
つらい選択だが、そうするしかない?
高校生でも、私が、「日本は……」と言っただけで、眉をしかめる。
「ダサい!」と言って、はねのける。
「日本」を論ずることさえ、忘れてしまった。

●みやげ

 いつものことながら、今回も、みやげで困った。
どれも中国製。
「これは!」と思って手にしたものでさえ、中国製。
アメリカでもそうだった。

 オーストラリアで中国製のみやげを買って帰る。
何ともバカ臭い話。
が、それを嫌っていたら、何も買えない。
私とワイフは、スーパーマーケットを回りながら、日常的な食料を買い、それを
みやげにした。

●モーテル

 昨夜はモーテルに泊まった。
ボブが気を利かせて、料金が安いモーテルを選んでくれた。
私としては、アデレード一の、たとえばヒルトンホテルかどこかに泊まるのも一案だった。
最後の夜だった。
それに旅費だけでも、2人分で、28万円弱。
ホテル代をケチっても意味はない。

 しかし友人の気遣いを無視するわけにはいかない。
「ありがとう」と言いながら、友人のやさしさに感謝した。

●観光地

 見慣れない鳥、見慣れない植物。
そういうものを見ているだけで、楽しい。
オーストラリアにももちろん、観光地というのはある。
古い村とか、原始的な大木とか……。

 メイは、「ハサミの突き刺さった木」を案内してくれた。
メイというのは、ボブの前の妻。
今は、ボーダータウンの診療所で医師をしている。

「ハサミの突き刺さった木」というのは、昔、羊飼いたちが、羊の毛を刈ったあと、
ハサミを投げて遊んだ木である。
ダーツのようにして、的に当てて遊んだ。
ところどこにそのハサミの残骸が残っている。
そういうのが、このオーストラリアでは、観光地ということになる。

 「そんなものが?」と思う人も多いかもしれない。
私もそう思った。
日本で観光地と言えば、……そんなことは、ここに書くまでもない。

●睡魔と空腹感

 飛行機は今、赤い大地の上を飛びつづけている。
地表近くを、白いモヤがただよっている。
このあたりまでくると、農場の区画はもう見えない。
荒れた大地。
そんな感じがする。
時刻は、……アデレードを飛び立ってから、もう1時間10分。

 行けども行けども、広い大地。
気が遠くなるほど広い、大地。
ワイフは、先ほどから映画を観ている。
昼食が配られ始めた。
睡魔と空腹感が、同時に私を襲い始めた。
「昼食をとったら、眠ろう」。
今、そんなことを思った。

●未来

 食事後、飛行機の中で一眠りした。
気持ちよかった。
目を覚ますと、ワイフが横から、「トイレに行ってもいい?」と聞いた。
しばらくがまんしていたらしい。
飛行機の座席は、狭い。

 時刻は南オーストラリア州時刻で、午後4時12分。
もう4時間も乗っている。
4時間も、オーストラリアから遠ざかった。

 「夢のような……」という言い方は、いつも大げさな感じがする。
しかし41年前のオーストラリアは、私にとっては夢のような毎日だった。
それがそのままそこにあった。

 古い建物をそのまま残すというのは、そういう意味でも大切なこと。
新しいものがつねに古いものの上に成り立つなら、「今」もやがて破壊される。
もしそうなら、「今」を生きることさえ、無駄になる。
「今」がつねに「未来」の犠牲になってしまう。

……現実はそうかもしれないが、老人にとっては、それほど過酷な世界はない。
「今」が「未来」に残るという可能性があるから、またそれを信じているから、
私たちは未来に希望を残して生きることができる。

 インターナショナル・ハウスや、メルボルン大学のほかのカレッジは、そのまま
残っていた。
それ自体が、私に大きな安心感を覚えさせた。
もちろん多くの近代的なビルも、たくさんふえていたが……。

●不規則性の中の規則性
 
 機体はインドネシア上空にさしかかったはず。
シートベルト着用のサインが点灯すると同時に、飛行機が大きく揺れだした。
この文を叩くのが、難儀に思われるほど揺れだした。

 刻々と飛行機の位置が座席の前のディスプレイに表示される。
飛行機は今までの直線的な飛行をあきらめたのか、大きく左へ旋回し始めた。
理由はよくわからないが、気流がかなり荒れているらしい。
窓をあけてみると、下にインドネシアの島々が見える。
オーストラリアとちがい、濃い緑に包まれた島々だ。
その上に、島のような白い雲のかたまりが、ボコボコとあちことで天に向かって
伸びている。
日本で言う入道雲のようなものか。
それが全体として、遠くから手前に向かって、ゆるやかな円弧を描いている。

 不規則性の中の規則性?
不可実性の中の確実性?
人間の生活に似ている。
みなそれぞればらばらなことをしながら、結局は一定のワクの中で生きている。
生と死は、それを永遠に繰り返しながら、そのあとに無数のドラマを残す。

●聖地

 今回の旅行は、私にとっては、聖地めぐりのようなものだった。
だれにでも、心の聖地がある。
神聖にして侵すべからざる聖地。

 キリスト教徒がキリストの生誕地を求めるように、私はいつもあのハウスを、心の
聖地としてきた。
私はあのハウスから始まり、結局は、そのハウスから一歩も外に出ることはなかった。
それが今回の旅行で、よくわかった。

 ただひとつだけ大きくちがうのは、ワイフがずっと横にいたこと。
あのころの私は、見た目には派手な生活をしながら、いつも寂しかった。
その寂しさがなかった。

 ワイフにしてもそうだろう。
私がこんな私だから、私に近づくことさえできなかった。
だからアデレードに着いてから、こう言った。

 「メルボルンを離れるとき、涙が出た。
あなたの人生が、ここにあると、やっとわかったから」と。

●ドラマ

 私も63歳。
得たものも多いが、同時に失ったものも多い。
そのままのものも多い。
大切なことは、失ったものを嘆かない。
得たもの、残ったものを大切にして生きる。

 友人の中には、妻を失った人、離婚した人、子どもと疎遠になった人、さまざまな
人がいる。
消息をたずねると、いろいろなことがわかった。
それが祖父母と息子や娘、さらに孫と、層を重ねるように複雑にからみあっている。
表面的にはともかくも、みな、懸命にそれと闘いながら生きている。
若いころは羽振りのよかった人も、今は、年金生活。
そんな人もいた。
それも今回の旅行でよくわかった。

●日本へ帰る 

 もうすぐ日本へ帰る。
「日本よ、さらば!」と言って、日本を出た。
その私が再び、日本に戻る。
日本人に戻る。

 原発問題。
経済問題。
この2つが、またまた大きなテーマになりそう。
本当なら、相手にもしたくないような小さな国だが、相手にするしかない。
相手にされないとわかっていても、相手にするしかない。
小さな国といっても、その小さな国で、私はさらに小さい。

 あたりを見回しても、左前の席に座っているアジア人をのぞいて、みな欧米人。
髪の毛の色と太さがちがう。
この中で、いくら私が声高に、自分を主張しても、だれも耳など傾けてくれないだろう。
私は私で、小さな日本人として生きていくしかない。
遠い遠い道を、未来に残しながら、生きていくしかない。

 何かをしてきたようで、結局は何もできなかった。
今度の旅行は、それを私に教えてくれた。
あとは落穂拾いする女性たち(ミレーの絵画)のように、残り少ない人生を、より
有意義に、楽しく生きていくしかない。

 つぎはx月に、アメリカに住む二男をたずねてみる。
先日電話で、二男にそう約束した。

(2011年4月6日、日本時間、午後4時10分。チャンギ空港着陸を目前して)

(付記)

●オーストラリア旅行記

(1)メルボルン市内で、市内(City)からメルボルン大学・インターナショナル
ハウスまで、旧友と馬車に乗りました。

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www.youtube.com/v/3esUuk3HbtI?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
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(2)メルボルンから南オーストラリア州のボーダータウンまで、オーバーランド号に
乗りました。

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/Y94TnYwTW3c?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/Y94TnYwTW3c?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●山荘にて

+++++++++++++++++++

久しぶりに山荘へやってきた。
2011年4月10日、日曜日。
時刻は午前6時30分。
雨戸を開けると、まっさきにウグイスの声。
ホーホケキョと、飛び込んできた。
空は快晴。
明るいライトブルーの空が、空一面に
広がっていた。

+++++++++++++++++++

●映画『ザ・ライト、エキソシストの真実』

 昨日の午後、義兄にオーストラリアのみやげを届けた。
その前に、近くの劇場で、映画『ザ・ライト、エキソシストの真実』という
映画を観てきた。
簡単に言えば、悪魔払い(=エキソシスト)の映画。

 まあ、何というか、この種の映画には免疫性ができている。
つまりこの種の映画は、見慣れている。
(はじめて『エキソシスト』という映画を観たときは、こわかったが……。)
途中で、バカバカしくなってしまった。

最初に、「この映画は、現実にあったことにinspired(=ヒントを得て)
制作されました」という断りが表示される。
翻訳のほうでは、たしか「事実に基づいて・・・」とあった(?)。
誤訳というより、意図的なインチキ。
私はそう感じた。

だいたい悪魔だの何だの、そんなものがいるはずがない。
もしいるとするなら、どうしてこの日本にはいないのか?
キリスト教国にだけ、神がいる。
おまけとして、悪魔がいる。
が、この日本には、いない。
どうして、この日本には、いないのか?
悪魔も国を選ぶということなのか?

もし日本にいるとしたら、キツネ。
キツネつき。
英語で言えば、「fox possession」。
私が子どものころには、いたぞ!

 キツネが乗り移ったとか、キツネそっくりのしぐさをする。
両手を体の前で丸めて、座ったまま、そこらをピョンピョンと跳び回る。
が、こうした獣信仰は、日本だけのものではない。
世界中にある。
国によって、何を信仰するかは、みな、ちがう。
ゾウやワニなど。
それこそ何でも、ござれ!

 星は2つの★★。
期待はずれ。
最初の10分ほどで、結末が予想できてしまった。
また予想通りの展開で、映画は終わってしまった。

●仏教vsキリスト教

 私が悪魔なら、人間の世界など、相手にしない。
人間が、猿が島に住む、猿たちを相手にするようなもの。
そんな時間とエネルギーがあったら、もっと別のことに使う。
それをワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「悪魔も、人間に近いところにいるんじゃナ〜イ?」と。
つまり人間も悪魔も、それほど、ちがわない、と。
ナルホド!
 
しかし仏教とキリスト教の根本的な違いは、ここにある。
仏教では、それぞれの人の心の中に、善(仏)と悪(邪)があると教える。
キリスト教では、人間の外に、神(善の集合体)と悪魔(悪の集合体)
がいると教える。
 
 わかりやすく言えば、心の中と心の外。
そのちがいが、仏教とキリスト教のちがいということになる。
異論、反論もあるだろうが・・・。

●思想の自由

 話はそれたが、私が悪魔なら、人間など相手にしない。
神にしてもそうだ。
私が神なら、人間など、相手にしない。
猿が島の猿たちに、善や悪を教えて、どうする?
どうなる?
悪魔についても、同じ。
猿が島の猿たちに乗り移って、猿たちを苦しめて、どうする?
どうなる?

 が、私たち人間は、どういうわけか、相手にされている。
ということは、つまり神にせよ、悪魔にせよ、かなり人間に近いということ。
「神は自分に似せて人間を創った」(旧約聖書)ともいう。
その反対でもよい。
神にせよ、悪魔にせよ、人間によって創られた(?)。

 どちらであるにせよ、私なら断る。
いくら近くても、断る。
「人間の世界へ入れ」と言われても、断る。
たとえば今、(そんなことはありえないが)、北朝鮮から招へいを
受けたとする。
「貴君を、政府高官に迎えたいから、我が国においでください」と。

 あんな国へ行って、窮屈な思いをするくらいなら、断る。
あんな思想の自由のない国へ行って、どうする?
どうなる?
いくら貧しくても、(=地位がなくても)、今の方がずっと楽しい。
こうして好き勝手なことを書いている方が、ずっと楽しい。

●静かな朝

 それにしても静かな朝だ。
窓の外に広がる山々の木は、まるでスティール写真のように、動きを
止めている。
小枝一本、揺れていない。

 先ほどワイフが起きてきて、こう言った。
「オーストラリアの空気は乾いていたけど、こっちの空気は、湿っぽいわね」と。

 ・・・森というのは、フィルターの役目もしている。
言うなれば、天然の、巨大なマスク。
たとえば仮に放射性物質が飛遊していたとしても、森の木々が、それを浄化
してくれる。
言うまでもなく、森の木々も、呼吸をしている。
その呼吸によって、空気が浄化される。
もちろん乾いた空気より、湿った空気のほうがよい。
水の粒子には、それ自体に、吸着力がある。

 目の前には、その森が深々と広がっている。
それを見ていると、ほっとするような安心感を覚えるのは、そのせいか。

●「週刊現代」(今週号)

 そう言えば、おととい、「週刊現代」(今週号)という週刊誌を買ってきた。
いろいろな記事を読んできたが、今回ほどそら恐ろしさを覚えたものはない。
原発事故が最悪の状態になったら、どうなるか。
それについての記事が、ずらりと並んでいた。
要するに、東京以北、本州には、人がだれも住めなくなるかもしれない。
そういうこと。
読んでいるうちに気分が悪くなってしまった。

 というのも、放射能汚染は、その「地域」だけの問題ではない。
「世代」を超え、この先、何10年もつづく。
チェルノブイリでも罪のない子どもたちが、影響を受けている。
今の今も、その影響で苦しんでいる。
それが心配。

●欲望vs電力

 ・・・で、もし悪魔がいるとするなら、人間の「欲望」こそが、悪魔。 
とき図らずも今、「節電」が、話題になっている。
この夏、電力不足が予想される事態になっている。

しかしその一方で、無駄に消費されている電力も、多い。
その「無駄な部分」が、「欲望」と結びついている。
飛躍した考え方に思う人もいるかもしれない。
が、それがわからなければ、夜の繁華街を歩いてみることだ。
光々(=煌々)と輝く夜の街。
その間を意味もなくたむろする、男や女たち・・・。

●質素な生活

 「節電」・・・おおいに結構。
大賛成!
とりあえずコンビニの24時間営業は、やめたらよい。
照明も、半分、あるいは3分の1にしたらよい。
欲望の肥大化と電力の消費量とは、比例関係にある。
欲望が肥大化すればするほど、エネルギーの消費量は多くなる。
その結果が、原子力発電所ということになる。

 私たちは限られたエネルギーの中で、質素に暮らす。
そのあたりから、もう一度、考え方を改める。
生活を組み立てなおす。

●アデレードで

 アデレードの町に入る前に、友人が、Mt. ロフティ・サミット(頂上)
へ連れていってくれた。
そこからはアデレードの町が一望できる。
近くには、自然動物公園があって、コアラなどを抱かせてくれる。

 その山から下の方をみたときのこと。
あちこちで野焼きをしているのを知って、驚いた。
たき火ですら厳禁のオーストラリア。
そのオーストラリアで、野焼き?
しかも煙は、あちこちの山の中から起きている。

 それを友人に聞くと、こう話してくれた。
「今のうちに、背丈の伸びた雑草を燃やしておくのだ」と。
つまり山火事(ブッシュ・ファイア)の予防策。

 が、この日本では、そういうことはしない。
その理由が、「乾いた空気」と「湿った空気」ということになる。
日本では空気が湿っている。
その分だけ、山火事が起こりにくい。
オーストラリアのようなさわやかさはないが、山火事の心配はしなくてすむ。

 どちらがいいかと聞かれれば、当然、日本のほうがよい。
もし山火事が起きれば、この山荘など、ひとたまりもない。
ワイフの言葉を聞いて、そんなことを考えた。

 ・・・そのワイフが朝の散歩から帰ってきた。
「うちの桜は、6分咲きね」と。
見ると、つくしをたくさん、手にもっていた。
家に帰って、それを料理するつもりらしい。

 今日も、こうして始まった。
みなさん、おはようございます。
(はやし浩司 2011−04−10)

(今日の予定)

 午前中に、湖西の友人宅を訪問。オーストラリア旅行の報告。
午後は、県議会議員選挙の投票。
夕方からは、明日からのレッスンの教材づくり。


Hiroshi Hayashi++++++++APRIL 2011+++++++++はやし浩司※

●4月11日

+++++++++++++++++

長い休暇をもらい、で、今日から、
仕事始め!
私の世界では、今日から、仕事始め!
つまり初日!

が、オーストラリアから帰ってからというもの
睡眠時間帯が、メチャメチャ。
時差ボケではない。
チャンギ空港(シンガポール)での
乗り継ぎがうまくできなかった。
そのためほぼ20時間、うまく眠られなかった。
その後遺症。

で、今朝は、何と、午前2時起き。
昨夕、7時ごろ、猛烈な睡魔に襲われた。
そのまま床に。
で、午前2時起き。
一応8時間、眠ったことになる。

どうやって睡眠時間帯を平常に戻すか。
今夜は、どんなに眠くなっても、
夜10時までがんばろう。
がんばって、起きていよう。

……で、起きてから、ビデオを2本、
YOUTUBEにUPした。

1本は、メルボルン市内で、旧友と
馬車に乗ったもの。
もう1本は、メルボルンから南オーストラリア
州のボーダータウンへ行くときのもの。
列車(オーバーランド号)の中からの風景を
ビデオカメラに収めた。
その2本をUPした。

+++++++++++++++++

●1000円カットの理髪店

 全国的に1000円カットの理髪店がふえている。
私もよく利用する。
安いから……ということもあるが、それよりも早くすますことができる。
「床屋に行く」というと、どうしても、前後に数時間、みなければならない。
が、なかなかその時間がない。
そこで1000円カット。

 たいてい大型ショッピングセンターの近くにある。
ワイフが買い物をしているときなどに、すます。
時間的には、10分程度ですむ。

 これに対して、既存の理髪店が追放運動を展開している。
ふつうの追放運動ではない。
自治体まで巻き込んでの、追放運動である。
すでに1000円カットの店の進出を禁止する条例を可決した自治体まである。
いわく、「ブローアーでは、散髪した髪の毛をきれいに取り除くことはできない。
そのあとレストランなどへ行ったとき、髪の毛を落とすなど、衛生上、問題がある」と。

 つまりシャンプーで洗髪しない1000円カットの理髪店は、不衛生、と。

 しかしこれはおかしい!
オーストラリアでも、「床屋」と言えば、カットだけ。
洗髪までしてくれるサローン風の店もあるにはあるが、そういうところは料金も高い。
また日本のように料金が定められているわけではない。
が、オーストラリアでは、(アメリカでも)、衛生上の問題は起きていない。

もし衛生上の問題をいうなら、あのカミソリのほうにこそ、問題がある。
一応、そのつどカミソリを滅菌消毒することになっている。
が、私が知るかぎり、それを徹底している理髪店は、あまりない。
どこかいいかげん。
そのため私は理髪店では、いつも、剃り毛は断るようにしている。
肝炎やHIVなどの感染症を移されたら、たまらない!

 ……つまりこの世界にも、自由競争の嵐が吹き始めたということ。
今までは、地域ごとに組合をつくり、たがいに仕事を守り合っていた。
結構な稼ぎになった。
が、それがほころび始めた。

 では、どうするか?

 理髪店も反対運動などせず、逆に、カットならカットだけの別のコースを用意
すればよい。
「カットだけなら、10分、1000円」とか。
そういうメニューを用意すればよい。
それが時代の流れというもの。

 既存の理髪店は、保護の世界で、あぐらをかき過ぎていた。
時代の流れをつかむことを忘れてしまった。
たとえば今、男性でも美容院へ行く人がふえている。
……というか、ほとんどが美容院へ行く。

 それにしても今どき、「不衛生」とは?
戦後のあの時期なら、まだしも、「不衛生」とは?
どこからそういう言葉が出てくるのだろう?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●大震災

+++++++++++++++++++++

非現実的な現実。
現実的な非現実。
この両者が、混然一体となって、頭の中で
ゆらゆらと行ったり来たりする。
「本当にそんなことがあったのか?」と、
それを疑う私。
その一方で、平和で何ごともなく過ぎていく日々。
「これでいいのか?」と、自分を責める私。

一瞬にして、3万人近い人々の命の灯火が消えた。
それをどう受け入れたらよいのか。
あまりにも非現実的な現実。
が、これがどうしようもない現実。
現実味を失った現実。
あまりにも現実的な非現実。

お悔やみを述べることは簡単なこと。
が、私には、どうしてもそれができない。
大震災から1か月も過ぎたというのに、
どうしてもそれができない。
苦しみや悲しみですら、あまりにも現実離れ
している。
安易な言葉で、それをごまかしたくない。
またそれでごまかせるようなものではない。

できるだけ早い時期に、一度、東北地方を
訪れてみたい。
自分なりに、このあまりにも非現実的な
現実を、しっかりと自分なりに受け止めてみたい。

この先、この現実は悲劇として、日本の歴史の中で、
何万回も、何億回も、繰り返し語られるだろう。
その1人の生き証人として、東北地方を
訪れてみたい。
このままでは、頭の中がバラバラになってしまう。

私の苦しみは、あなたのもの。
あなたの苦しみは、私のもの。
私の悲しみは、あなたのもの。
あなたの悲しみは、私のもの。

その両者が一致したとき、私は私でいられる。
あなたはあなたでいられる。

+++++++++++++++++++++

●テレビキャスター

 今朝のNHKテレビ(4月11日)。
ワイドショー風に、被災地をレポートしていた。
が、画面がスタジオに戻ったその瞬間、笑顔で笑う女性の顔が大写しになった。
明るい笑顔だった。
スタジオで並んで座っていた女性の1人である。
不謹慎な、まことにもって不謹慎な笑顔である。

 で、そのあとのこと。
たぶんディレクターあたりから、「叱り」が飛んだのだろう。
それからはその女性は背筋を伸ばし、神妙な顔つきをしたまま、下だけを見つめていた。
そのあと番組の最後まで、一言も言葉を発しなかった。

 が、だれがその女性を責めることができるだろうか。
何もその女性を擁護しているのではない。
不謹慎は不謹慎。
が、見るからに、もともとその程度の女性。
むしろ同情しているようなフリをすることのほうが、簡単。
が、同時に、それほど重い罪はない。
「フリ」ほど、重い罪はない。
まさに偽善者の、それ。

●私は私

 しかし私は私。
私は私で生きていく。
それしかない。
それが私に与えられた「現実」。
「私」がくじけて、どうする。
どうなる。

先日も、「浜松祭り中止、反対」の原稿を書いた。
浜松祭りの中止が発表された、その翌日の朝のことだった。
が、どうしてこの浜松まで、元気を失わなくてはいけないのか。

 その原稿の中でも書いたが、ある程度の自粛はやむを得ない。
しかし何も中止するまでのことはない。
凧にしても、励ましの言葉を書けばよい。
「がんばろう、日本!」と。
その凧を天に向かって、あげればよい。

あるいはタクシーの運転手が私に教えてくれたように、祭りのワッペンを100円増し、
200円増しで売り、その売上金を、被災者への義援金とすればよい。
浜松祭りでは、そのワッペンをつけないと、祭りには参加できないしくみになっている。

 私たちが元気であれば、それがこの日本の牽引車となる。
が、ここで私たちまでくじけてしまったら、だれがあの被災地をこの先、引っ張って
いくのか。
被災地の人たちだって、それを望んではいないだろう。
私たちががんばっているのを見て、安心するだろう。
「私は私で生きていく」というのは、そういう意味。
被災地の人たちの苦しみや悲しみを、分かち合うというのは、そういう意味。

●原発処理

 原発処理でがんばっている人たちがいる。
たいへんな作業である。
報道によれば、そういう人たちが現在、1000人近くもいるという。
頭がさがる。
と、同時に、私たちが今、支えなければならないのは、そういう人たちである。

 ただ残念なことに、福島第一原発は、日ごとに悪い方向に向かっている。
何もかも、後手後手。
もしここでもう一度、大きな地震が起きたら、どうするのか。
津波が襲ったら、どうするのか。
その対策は考えているのか。
そのときも、「想定外」という言葉をつかうのか。

原発1機が爆発しただけで、広島型原爆の約1000倍の放射性物質が、空中に
飛び散るという。
それが10年単位でつづく。
もしそうなれば、もうだれも原発には、近づけない。
それがさらに5機。
制御不能に陥った状態で、つぎつぎと爆発する。

 政府(保安院)や東京電力の発表は、すでに信用力を失っている。
戦時中の大本営発表、そのもの。
NHKの解説委員の解説など、今ではいくら聞いても、腸内のガスのようなもの。
ガスにもならない。

たいへんなことになった。
本当にたいへんなことになった。

 この非現実的な現実が、今、そこにある。
が、その一方で、まるで何ごともないかのように、今日も始まった。
窓のカーテンは、芽を吹き始めた栗の木の影をやさしく映しだしている。
この現実を、どう理解したらよいのか。
この現実的な非現実をどう理解したらよいのか。
今の私はまるで夢の中で、生きているよう。

平成23年4月11日(月)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●はじめてのレッスン(声を出そう!)
 年中児(4〜5歳児)
 2011年4月11日(月曜日)

+++++++++++++++++

年中児(4〜5歳児)、はじめての
レッスン。
今日のテーマは、「声を出す」。
まず声を出す。
思いっきり、声を出す。
それが子どもの心を開放する。

子どもの心をつくるのは、そのあと。
子どもの知恵を伸ばすのは、そのあと。

+++++++++++++++++

【声を出す】(第1回目のレッスンより)

(1)

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(2)

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(3)

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www.youtube.com/v/sUyZj_AP0-Q?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
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(4)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/aDO13D3SJOc?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月12日(はやし浩司 2011ー04ー12)

+++++++++++++++++++++++++

今朝は、偏頭痛で目が覚めた。
久しぶりの偏頭痛。
オーストラリア旅行から帰ってきてからというもの、どうも調子が悪い。

睡眠調整がうまくいかない。
プラス運動不足。
歩いていても、自分の腹がポテポテする。
それが自分でもよくわかる。

が、昨日、かなり神経を使った。
いろいろあって、かなり神経を使った。
原因は、それ。
偏頭痛というのは、そのあとほっと安堵したようなときに始まる。

起きてから、「Z」という偏頭痛薬を半分に割ってのむ。
簡単に言えば、血管収縮薬。
拡張した血管を収縮させる。
神経への圧迫を和らげる。
偏頭痛は、それで収まる。

++++++++++++++++++++++++++

●風説被害

 このところ「風説被害」という言葉をよく耳にする。
今度の震災に関して、政府やNHKあたりから、その言葉が出ている。
が、「風説被害」とは何か?
それがよくわからない。
わからないというより、風説をうまく利用し、自分の利益につなげている
人や企業も多い。
総じて言えば、マスコミの世界は、つねにその風説をうまく利用している。
政府やNHKだって、利用している。
言うなれば、「風説利得」。
「風説利得」を野放しにしておきながら、「風説被害」は、ない。

 風説利得にせよ、風説被害にせよ、大切なことは、自分の頭で考えること。
自分の頭で考え、判断し、行動すること。
そういう習慣を日ごろから、養っておく。
そうすれば風説であるか、風説でないかは、自分で判断できるようになる。

●日本地図

 台所のテーブルに日本地図を、はさんだ。
テーブルの上には、透明のビニールカバーがかけてある。
そのカバーの下にはさんだ。

 その地図には、福島第一原発のある位置から、この浜松市までの距離が書き込んである。
それによれば、原発から浜松市までは、直線距離にして、約420キロ。
先日の計算では、約450キロだった。
東京までの170キロと、東京から浜松市までの270キロを足したから、そうなった。
しかし実際には、もっと短い。
たったの420キロ!

 そこで原発を中心に円を描いてみると、名古屋市から岐阜市、それに金沢市あたりまで
すっぽりと入ってしまう。
「いざとなったら、岐阜か金沢へ逃げよう」と考えていたが、その思惑は外れた。
つまり同じこと。
疎開するとしたら、もっと西まで行かなければならない。
ワイフは、「四国か、山陰、あるいは九州ね」と言った。
しかしもしそうなったら、関東方面から疎開してきた人たちと重なり、疎開先を
見つけるのもままならなくなるだろう。

 地図を見つめているだけで、暗い気分になる。

●偏頭痛

 「Z」という薬のおかげで、偏頭痛は治るようになった。
若いころは、それこそ四転八転して苦しんだこともある。
「頭を切ってくれ!」と叫んだこともある。
偏頭痛というのは、それくらい、つらい。
痛いというより、つらい。

 が、今は、まだ軽い段階で、半ば予防薬的にのむ。
偏頭痛は、それで消える。
ただ血管を収縮させるだけに、服用の仕方をまちがえると、脳梗塞を引き起こす。
医師にも、「1週に、2錠まで」と、釘を刺されている。
で、私のばあい、「1週に半錠」と決めている。

●日本列島

 話は前後するが、日本列島は、ぐにゃりと弓形に曲がっている。
福島の第一原発を中心にして円を描くと、浜松→名古屋→岐阜→金沢が、同心円の
中に入ってしまうのは、そのため。
気がつかなかった。

 で、420キロというと、遠いと思う人もいるかもしれない。
しかしそれは誤解。
先日もオーストラリアの友人が、こう言った。
「タスマニア島(オーストラリアの南にある小さな島)と、北海道は、ほぼ同じ面積」と。
形もよく似ている。

 改めて日本の小ささを、確認する。
まさに「島国」。
原発から浜松市まで420キロとはいうが、旅客機で、30分の距離。
たったの30分。

もし原発の炉が爆発したら、6時間で東京まで死の灰が届くという(アメリカ軍)。
風説であろうとなかろうと、これは「現実」。
そういうことも想定しながら、準備しておく。
心の準備をしておく。

 政府や東京電力は、「想定外」という言葉を使って、責任逃れをするだろうが、あれほど
無責任な言葉もない。
もう2度と、使ってほしくない!

●事故評価「レベル7」

 ところで今朝、福島第一原発の事故評価が、「レベル7」に引き上げられた。
TBSニュースは、つぎのように伝えている。

+++++++++++以下、TBS+++++++++++++

福島第一原発の事故で、事故後、最大で1時間あたり1万テラベクレルという非常に高濃
度の放射性物質が放出されていたことがわかりました。原子力安全・保安院などは、事故
の評価について最も深刻な「レベル7」に引き上げる方向です。

 「数時間、最初に10の16乗ベクレル/時の時があったのだろう」(原子力安全委員会
の会見)

 原子力安全委員会の試算では、福島第一原発では事故後に1時間あたり1万テラベクレ
ルの放射性物質が数時間にわたって外部に放出されたということです。「テラ」は億の上の
「兆」を表す単位で、1万テラベクレルは1兆の1万倍になります。
 
+++++++++++以上、TBS+++++++++++++

 この記事の中で、注目してほしいのは、「10の16乗ベクレル/時」という数字。
この数字は、私があの事故直後(3月15日)に書いた数字に、ほぼ等しい。
もう一度、そのとき書いた原稿を、ここに揚げてみる。
(こんなこと自慢しても、仕方ないが……。)

(3月15日に書いた原稿より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原発事故(日本沈没)(3月15日に書いた原稿より)

 恐ろしいことが起きつつある。
政府は、「落ち着いて」とか、「冷静に」とか言っている。
落ち着け?
冷静になれ?
しかし落ち着いているばあいではない。
冷静になれるばあいではない。
アメリカ・ホワイトハウス報道官でさえ、「緊急事態」という言葉を使っている。
「緊急」というのは、「緊急」。
それ以上でも、またそれ以下でもない。

 テレビに釘付け。
じっと見入る。
襲い来る不安感。
政府の役人や東京電力の職員の一言一句に、何も聞き漏らさないと、神経を集中する。
が、どれもおかしい?

まずあのED官房長官。
役人の書いた作文を読んでいるだけ。
それ以上の知識は、ゼロ。
記者の質問には何一つ、答えられない。
質問されそうになると、「私からは以上です」と言って、逃げてしまう。
答えられないばかりか、今朝は、こんな珍説も。

FD官房長官は、こう言った。
「マスコミの無責任は発言は、国民の不安を増大させるだけ。
謹んでほしい」と。

それに対して、すかさず1人の記者が質問した。
「どこのマスコミか?」と。
が、FD官房長官は、それに対して、タジタジ。
FD官房長官の、その発言こそが、「無責任な発言」ということになる。

 保安院の役人にしても、そうだ。
イチバン最初に登場してきた役人は、「マイクロ・シーベル」の意味すら知らなかった(?)。
記者に質問されると、一瞬、二瞬、戸惑った表情をして見せた後、「あとで報告します」と。
さらにこんなバカげた返答も。

 福島第一原発の北、20キロに、女川原発がある。
そこでは8マイクロ・シーベル・の放射能が検出された(14日)。
それについて、「この放射能は、福島第二原発からのものと思われます。
8マイクロ・シーベルは、まったく心配ない数値です」と。

 バカヤロー!
バカ、バカ、バカ!
大バカ!

 あのね、放射能の濃度というのは、距離の二乗に反比例するの!
仮に20キロとするなら、20000メートル。
20000x20000=400000000=4億!
つまり放射能の発生元の1メートル四方では、その4億倍の放射能が漏れたことになる。
もちろん風向きにもよるが、実際には、それ以上とも考えられる。
たまたま南風に乗って、女川原発に直行したと考える方が、無理。

8マイクロx4億が、どういう数値になるか、自分で計算してみらたよい。
(この計算によれば、発生元では、32億マイクロシーベル、つまり320万ミリ
シーベル。
とんでもない放射能が漏れ出たことになる!)
……と思っていたら、またまた同じ発言。

今度は、福島第二原発から、100キロ離れた、東海村原子炉周辺で、5マイクロ・
シーベルの放射能が検出された。
それについても、同じ意見。
「(福島第二原発から流れてきた放射能と思われるが)、この程度なら、心配ありません」
(NHKテレビのコメンテイター)と。

 今度ほど、私は科学者(?)の脳みそを疑ったことはなかった。

 ド素人の官房長官。
役人根性丸出しの東京電力の社員たち。
深刻さを、あえて覆い隠そうとする科学者たち。
「こんな連中が、日本の安全を担っていたのか」と、私は唖然とした。

 が、不測の事態は、不測の事態を呼ぶ。
人為的ミスが、それに追い討ちをかける。
電源機が燃料切れで、2時間も停止していた。
こうして1号基、3号基、2号基とつづいて爆発。
今は、4号基まで、爆発。

 1号基が爆発したとき、「ほかの原発はだいじょうぶです」と、確か、言っていたぞ!
そのとき2号基、3号基、4号基も併せて、対策を講じていれば、こんな大惨事には
ならなかったはず。
いいか、爆発したこと自体、大惨事!
緊急事態!

 私なら総理大臣なら、半径100キロ以内の人たちに、避難命令を出す。
福島第二原発から東京まで、直線距離にして、170キロ。
東京だって、あぶない。

 が、管総理は、こう言った。

「関係者は、命がけで、懸命な作業をしています」(記憶、3月15日)と。
前回のときは、「東京電力に、任せるしかない」というようなこと言っていた。

 だから、どうなの?
それがそれが、どうしたの?
私には責任逃れの詭弁にしか聞こえなかった。

 こういうときほど、ものごとがすべて裏目、裏目と出る。
まるでドミノ倒しのように、それがつづく。
日本の経済も、大きく揺らいだ。

株価は大暴落。
円は急上昇。

円が急上昇したのは、円キャリーの逆流が始まったため。
このあとやってくるのは、国家破綻(デフォルト)。
ハイパーインフレ。
わかりやすく言えば、札が紙くずと化す。

そこで日銀は、昨日(15日)、15兆円のお金を市中にバラまいた。
日本の心臓に、電気ショックを与えた。
メチャメチャな対策としか言いようがない。
ないが、この際、しかたない。
死ぬか、生きるか?

 私とて、日本人。
福島第一原発が、このまま静かに収まってくれればよい。
心から、そう願う。

 が、このザワザワとした不安感を、払拭することができない。
このままでは、この日本は、本当に沈没してしまう!

2011/03/15

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●バカ!

 もう一度、ここでその言葉を繰り返す。

 バカヤロー!
バカ、バカ、バカ!
大バカ!

何が「まったく心配ない数値」だ!
今になって、「数時間、最初に10の16乗ベクレル/時の時があったのだろう」
(原子力安全委員会の会見)とは!

 私のような素人でも、こんな計算はできた。
事故後1か月もしてから、「あったのだろう」とは!

 私たちの身の安全は、私たち自身で守る。
そのために自分で情報を集め、自分で考え、自分で判断する。
もちろんその責任は、自分で取る。

 テレビのレポーターの質問に答えて、ある県のある知事は、こう答えていた。
原発推進派の知事として、よく知られた知事である。
「原発の経済効果は、3700億円もあります。
しかし原発が、こんな恐ろしいものとは、知りませんでした」と。
ついでに、「(国に)裏切られた気持ちです」とも。

 何をか言わんや、……ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●相手が放射能では、戦いようがない(はやし浩司 2011−04−13)

++++++++++++++++

こと原発事故については、
私たちでは戦いようがない。
相手は目に見えない放射能。
どうやってその放射能と
戦ったらよいのか。

ゆいいつできることと言えば、
逃げること。
逃げることでしかない。

++++++++++++++++

●ニヒリズム?

 現在、オーストラリアの友人が東京にいる。
昨日の午後、成田空港へ着いた。
いつもなら東京まで出迎えるのだが、今回は遠慮させてもらった。
率直に言えば、東京へは行きたくない。
いくら政府が「安全」と言っても、私は行きたくない。

 その友人と電話で話す。
友人は、韓国経由で成田へやってきた。
その飛行機について、白人の外国人は、彼1人だけだったとか。
私も先週、オーストラリアから帰ってきたが、アデレードからシンガポールまでは、
ほぼ満席。
シンガポールから名古屋までは、がらがら。
ANAがキャンセルしていたので、2便合わせても、がらがら。
白人の外国人は、やはり、ほとんどいなかった。

 理由は、福島第一原発の事故。
昨日、事故評価が、「レベル7」に引き上げられた。
政府(東京電力や保安院)は、「チェルノブイリとは中身がちがう」と、さかんに
宣伝している。
それはそうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかし原発事故は、今、始まったばかり。
この先、どうなるか、わからない。
余震だって、収束したわけではない。

●二重構造

 教育者も、よく大きなジレンマに陥る。
理想として、ひとつの教育論を説いても、その一方に、「現実」がある。
よい例が、「生徒」と「自分の子ども」の関係。

 たとえば口では、いくら受験教育の弊害を説いても、いざ、自分の子どもたちの
こととなると、そうはいかない。
つい、「勉強しなさい!」と言ってしまう。
そのとたん、大きなジレンマに陥ってしまう。

 今、私はその大きなジレンマを感じている。
いくら安全と自分に言い聞かせても、やはり大きなブレーキが働いてしまう。
私だけではない。
テレビで解説する「専門家」にしてもそうだろう。
もしそれほどまでに安全なら、自分で、福島県まで行ってみたらよい。
原発の近くまで、行ってみたらよい。

あるいは各テレビ局は、福島県にある支局にスタジオを移し、そこから放送して
みたらよい。
東京電力の社員たちも、みな、福島県に集まり、そこで会見を開いてみたら
よい。
自分たちは東京という安全圏(?)にいて、「福島県は安全です」は、ない。

 「どうしても……」という必然性がないかぎり、私は東京には行きたくない。
東京以北には、行きたくない。
それが私の本音。

●安全か?

 繰り返す。 
「心配ない」と言うのなら、自分で、原発近くまで行ってみたらよい。
自分で、福島産の野菜を食べたり、そこで水を飲んでみたらよい。
それもしないで、軽々に「心配ない」とは言ってほしくない。

 昨日も中学生になった生徒が、こう聞いた。
「先生、浜松は、安全か?」と。
それに答えて、私は、こう言った。
「今、日本で安全なところはない」と。

 本来なら、「浜松は心配ないよ」と言ってやりたい。
子どもたちを安心させてやりたい。
しかし自分が東京へ行きたくないというのに、どうして子どもたちに「安全」などと、
言えるだろうか。
もし私が「安全」と言ったら、それこそ私は大きなジレンマに陥ってしまう。
「私」の表と裏が、ばらばらになってしまう。

言い換えると、あの解説者たちは、自分の中にジレンマを覚えないのだろうか。
テレビなどで、相変わらず、「心配ない」「安全」をいう言葉を繰り返している。
視聴者を心配させたくないという思いは、私にも理解できる。
理解できるが、私なら、とてもそんな言葉を口にすることはできない。

●放射能

 今のところ、原発は小康状態を保っている。
それを指して、政府は「放射能の放出量は、チェルノブイリの10分の1程度です」と、
さかんに言っている。
が、実際には、原発には、放出量の250倍もの放射能が残っているとか(産経新聞・
4・13日)。
単純に計算しても、チェルノブイリの25倍!

 もし1機でも爆発事故を起こしたら、もう打つ手はない。
人が近づくことすら、できなくなる。
そのため残りの5機も、制御不能となり、つぎつぎと爆発する。

 また今回は、たまたま不幸中の幸いと言うべきか、「風」に守られた。
事故以来、ずっと西風(陸から海への風)が吹いていた。
が、風向きが変わったら、どうなるか?
ことはそれほどまでに深刻であり、危機はそこまで迫っている。

 私たちが認識すべきは、そういう「危機的状況」である。
はっきり言えば、「国が……」「国が……」と言っているレベルの問題ではない。
国そのものの存続が危ぶまれている状況と考えてよい。

●ニヒリズム

 私は今、大きなニヒリズムを感じている。
「冷酷さ」と言ってもよい。
「ここまでくると、もうなるうようにしか、ならないだろうな」と。
またそう思わないと、心の中のモヤモヤをどうしても晴らすことができない。
モヤモヤというより、「抑鬱感」。

 相手がどこかの国の侵略者なら、まだ戦える。
棒でも竹槍でも、それをもって戦える。
しかし放射能が相手では、戦いようがない。
原発事故にしても、私たちの手の届くような問題ではない。
言うなれば、私たちは手も足も縛られている。
自分の意見を書きたくても、書きようがない。
今は、そんな状態。

 ……この無力感。
この脱力感。

 では、どうしたらよいのか。

●いくつかの提案

(1)余震がつづく間は、太平洋側の原発はすべて、(御前崎の浜岡原子炉も含めて)、
運転を休止する。
その間、電力不足による不便は、みなで負担する。

(2)浜岡原子炉についても、これから10メートルを超える防波堤を作るなどと、
のんきなことを言っている(4月12日)。
だったら、その防波堤ができるまで、運転を休止する。
「危機感のない災害訓練」(中日新聞)など、いくら繰り返しても、意味はない。

 もしここに書いた私の意見が暴論と思うなら、もし事故が起きても文句を言わ
ないこと。
「国が……」「国が……」と言わないこと。
大切なことは、自分で考え、自分で判断し、自分で責任を取ること。

 ……と書いてみたが、本当の本当は、何とか早くこの危機が収束してくれること。
それを心底、願っている。
が、悪いニュースばかりではない。

 2号機をのぞいて、ほかの原子炉は、管理下(under control)の状態にあるという。
この状態がうまくつづけば、原発事故は、収束に向かう。
収束に向かった道筋が見えてくる。
そんなわけで、現場で懸命の作業をしている人たちには、心から感謝したい。
応援したい。
どうかどうか、日本を考えて、がんばってほしい。

 で、その一方で、私たちは私たちで、それなりの覚悟を決める。
さらに最悪の状態になっても、動じないよう、今から覚悟を決める。
そのときどうしたらよいか、つまりどう判断し、どう行動したらよいか。
それをあらかじめ、頭の中でシミュレーションしておく。
被災地の被災者の方々には申し訳ないが、明日は我が身。
明日は、私たちが、その被災者になる。

 ……結局は、自分の身の保全しか考えていない私。
そうであってはいけないと思うが、しかしこと原発問題に関していうなら、どうしても
そうなってしまう。
そこに放射能があるなら、逃げるしかない。
先にも書いたが、相手が相手だから、どうしようもない。
戦いようがない。

 今朝は、こんな暗いエッセーしか書けなかった。
みなさん、おはようございます。
2011/04/13


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【原発事故】(2011年4月15日)

●みんな、苛(いら)立っている

松本健一内閣官房参与が菅直人首相との会談で福島第一原子力発電所の周辺地域に「当

住めない」と発言した。

この発言に対して、民主党の玄葉光一郎政調会長は14日の拡大政調役員会で、ことにつ
いて「とても憤りを感じる」と批判した。
玄葉氏は福島県出身で衆院福島3区選出である。

 玄葉氏は「仮にそういうことがあるのであれば、科学的な根拠を持って、しかるべき立
場の人がしかるべき時期に万感の思いを込めて土下座をして話さなければならない重大な
問題だ」と語った(以上、日本経済新聞記事より)。

●「当面住めない」

 とても残念なことだが、福島第一原子力発電所周辺地域について、「当面(人は)住めな
い」というのは、常識。

玄葉氏が怒るのもよくわかる。
玄葉氏だけではない。
みな、苛立っている。
ピリピリしている。
玄葉氏は、こう言った。

「……科学的な根拠を持って、しかるべき立場の人がしかるべき時期に万感の思いを込め
て土下座をして話さなければならない重大な問題だ」と。

が、原発事故は、「科学的根拠うんぬん」のレベルをすでに超えている。
いわんや、今さら「土下座して」どうこうなるというような問題でもない。

 現に今の今も、問題は何も解決していない。
解決していないばかりか、つぎつぎと新しい問題が発生している。
今も放射能はたれ流されたまま。
今、原発がどういう状況であるかは、ほんの少し自分の頭で考えてみれがわかるはず。
常識のある人であれば、「周辺には住まない」。

 もう少し言葉を選ぶべきだったかもしれないが、松本健一内閣官房参与は、その常識を
口にした。

●「周辺」とは?

 どの範囲までを「周辺」というのか。
半径20キロとか、30キロとかをいうのか。
それとも100キロとか、200キロとかをいうのか。
この際、20キロでも100キロでも、もう関係ない。

 放射能というのは、積算されていく。
細かい砂を、高いところから落としつづけてみるようなばあいを考えてみればよい。
砂の山は高くなると同時に、その裾野を広げていく。
つまり今はよくても、やがてその「周辺」は広がっていく。
もちろん風向きにもよる。
不幸中の幸いというか、今までは「風」に守られた。
しかしこの先のことはわからない。
来月はそれが東京になり、数か月ごには、静岡県になる。

 すでに世界の人たちは、「周辺」を、千葉県まで広げている。
アメリカでは千葉県産の農産物まで、輸入禁止処分にした(14日)。

 かなり悲観的なことを書いたが、……というより、悲観的だが、相手が目に見えない
放射能では、どうしようもない。
戦いようがない。

今は相手の言葉尻をつかまえて、たがいに攻撃しあっているようなばあいではない。
へたをすれば、日本という「国」そのものが、本当に沈没してしまう。

●原発事故

 私の発行している電子マガジンは、ちょうど1か月遅れで、配信される。
今日(15日)も配信されたが、記事の内容は、3月11日以前に書かれたもの。
そのマガジンを読んでいると、どこかハラハラした気分になる。
ふと「あの日さえなければ……」と思ってしまう。
「あの日さえなければ、日本はいい国だったのに……」と。

 私はその中で、教育論を説き、教師論について書いた。
ついでに弟子論についても書いた。
今から思うと、夢のように(大げさではなく、本当に)、のどかな毎日だった。
が、今は、教育論も教師論も、また弟子論も、どうでもよくなってしまった。
「これではいけない!」と自分に言って聞かせるが、心がどうもかみ合わない。

 はっきり言えば、みな、原発事故の深刻さが、まるでわかっていない!
数日前も、義兄と話したとき、義兄はこう言った。
会社勤めのときは、広島支店に勤務したことがある。
「広島だって、あっという間に復興した」と。

 しかし残念ながら、規模がちがう。
発電所1機だけで、広島型原爆の1000倍近い放射能を蓄えている。
4機合わせれば、4000倍。
昨日も計算してみたが、チェルノブイリ事故の25倍。
そんな放射能が飛び散ったら、この日本はどうなるか。
それをほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。

●事故処理

 懸命な復旧活動がつづいている。
たいへんな作業だろうということは、今さら、ここに書くようなことでもない。
たいへんな作業に決まっている。

 現場で作業している人たちにしてみれば、まさに命がけ。

 どうか、どうか、がんばってほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年長児(5歳児)のはじめてのレッスン】

●笑えば伸びる……BW教室byはやし浩司

++++++++++++++++

はじめてのレッスンということで、
今回は、「声を出す」をテーマに
学習を進めました。

最初は小さな声しか出なかった子どもでも、
終わるころには、ゲラゲラと笑い、
声を出すようになりました。

「笑う」ということには、不思議な力が
あります。
子どもの心を開放させます。
安易に「治る」という言葉を使うことは、
私の世界ではできませんが、しかし
軽い情緒的な問題であれば、それで治って
しまいます。
そんな力もあります。

たとえば2年間、幼稚園では一言も話さなかった
子どもが、この3月、私の教室へ数回来ただけで、
話すようになりました。

「笑えば伸びる」……これが私の持論です。
もちろん前向きな学習態度も、それで養われます。

幼児教育は、本当に楽しいですよ。
奥が深いですよ。

++++++++++++++++++++

(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【私たちの日本】(震災から1か月)

●異変

 1週間前も、そうだった。
昨日も、そうだった。
浜松駅まで友人を迎えに行った。
そのときのこと。
外人(白人)は、ほとんどいなかった。
10分ほど、改札口の前に立っていた。
しかし見たのは、明らかに南米からの人たちだけ。
それもほんの数人だけ。

 それを友人(オーストラリア人・男性)に話すと、彼はこう言った。
「(東京の)ホテルでも、白人は、ぼく1人だけだった。あとは日本人と中国人
だけだった」と。

●50%減

 報道によると、この3月期、日本への外人旅行客は、50%も減ったという。
3月11日に震災が起きている。
減ったのは11日以後ということになる。
つまり後半の3分の2だけで、「50%」も減ったことになる。
それで計算すると、3月11日以後、いつもの25%、つまり75%も減ったことになる。

1x1/3+1x2/3xX=0・5
X=0・25
1−0.25=0.75

が、この数字とて、日本全体の数字。
関東もしくは、東北地方となると、さらに大きくなるはず。

 私がシンガポールで乗った飛行機も、そうだった。
シンガポール航空とANAの2便を合わせても、乗客はがらがら(4月6日)。
(ANAは運行をキャンセル。
カウンターで理由を聞くと、飛行機の故障と言った。
が、もしそうなら、日本でニュースになったはず。)
その飛行機でも、外人(白人)は、ななめ前の席の1人だけだった。

●不気味

 こうした心理は、自分のこととして考えてみると、よくわかる。
私も東京、もしくは東京以北へは、行きたくない。
いくら安全とわかっていても、行きたくない。
それなりの必然性や緊急性があれば、行くかもしれない。
しかし旅行では、行きたくない。
理由は、言わずと知れた、放射能。

 が、この浜松とて安全(?)というわけではない。
外国から見れば、福島も東京も、そしてこの浜松も同じ。
いくら私が「浜松は安全」と言っても、外国の人たちはそうは思わないだろう。
現に沖縄への海外旅行者も激減しているという。
つまり放射能というのは、そういうもの。
見えない相手だけに、不気味。

●日本の将来

 日本を論ずるといっても、これでは論じようがない。
屋根の雨漏りをあちこち直していたら、そこへ台風がやってきた。
屋根ごと、家がどこかへ吹き飛んでしまった。
今は、そういう状態。

 たとえば私は長い間、「日韓経済戦争」というタイトルで、原稿を書いてきた。
10年ほど前には、「このままでは日本は韓国に負けてしまう」と書いてきた。
が、ここ数年は、その勢いもトーン・ダウン。
書く回数も、減った。

 そこへもってきて、今回の大震災。
言うなれば、戦争どころではない。
まず態勢の立て直し。
それが先決。
経済戦争は、その後。

●未来

 が、暗い話ばかりではない。
日本の底力は、健在。
おとといの夜も、こんなニュースが報道されていた。
超大型の発電所用タービンを、どこかの火力発電所に移送したという。
歩道橋の高さほどもある、超大型タービンである。
交差点まで来ると、いちいち信号を折りたたんで、それを通過させていた。
原子力発電所がだめなら、火力発電所、というわけである。

 そういうタービンを造る能力まで、消えたわけではない。
私はそれを見て、うれしかった。
改めて日本を見直した。
「日本って、すごい国だなあ」と。

●日韓経済戦争

 ともかくも今は、原発事故を収束させること。
長引けば長引くほど、日本経済に、深刻な後遺症を残す。
今はまだよい。
観光客の減少程度の被害ですんでいる。
しかしすでに「日本製のモノ」についても、輸入制限をかける動きまで出てきた。
「日本製は放射能を帯びているから、あぶない」と。
その先頭に立って、おかしな宣伝をしているのが韓国※。

 その深刻さに比べたら、今は、政権がどうのこうのと言っている場合ではない。
政権の責任問題を追及している場合ではない。
あの小沢氏まで、内閣不信任案に同調するという。
バカげている。
実にバカげている。
わかりやすく言えば、今は足の引っ張り合いをしている場合ではない。
今は国民が一致団結して、原発事故に取り組むべきときである。

つまり管総理大臣では、どうしていけないのか。
いろいろ問題はあるだろうが、それは原発事故が収束してからでよい。
東京電力にしても、その責任を追及するのは、収束してからでよい。
もっと大きな津波がそこまで来ているのに、夫婦げんかをしているバカが、どこにいる?

●想定外

 「想定外」という言葉がある。
その言葉をあえて使わせてもらう。

 この先も、さらにいくつかの「想定外」がつづくと考えたほうがよい。
別の大地震、別の大津波……。
東南海大地震に富士山の爆発。
原発事故についても、原子炉が爆発することも考えられる。

 日本の地震帯は活動期に入った。
その対策はできているのか。
……というか、私たち国民も、「国が……」「国が……」と言うのをやめよう。
自分で考え、自分で判断し、自分で行動する。
「国」にグチを言ったところで、どうにもならない。

今まで、中古の原子力発電所を、野放しにしてきたのは、ほかならぬ私たち自身。
あの東京電力にしても、(ほかの電力会社もそうらしいが)、官僚の天下り先に
なっていた。
それを許してきたのは、ほかならぬ私たち自身。

 つまりそういう政治を許してきたのは、私たち自身。
そういう私たちが、どうして今、「国が……」「国が……」と言うことができるのか。
言い換えると、政治的盲目性と国民的依存性は、表裏の関係にある。
平たく言えば、使い放題電力を使ってきた私たちが、どうして東京電力を責めることが
できるのか、ということ。
ささいな停電があっただけで、日本人は大騒ぎする。
今回の原発事故も、その延長線上にある。

……というふうに、考えられなくもない。

●新相馬節

 実は昨夜遅く、友人と、山荘へやってきた。
オーストラリアの広い平原が、日本人の私たちにはたまらなく魅力的に見える。
同じようにオーストラリア人には、山々に囲まれた深い緑が、たまらなく魅力的に
見えるらしい。
 
 その友人は、日本へ来るたびに、この山荘へ来たがる。
その山荘へ来るときのこと。
たまたま私は日本の民謡を、車の中で聞かせてやった。

 最初に私の故郷の、「かわさき」(郡上踊り)。
つづいて……ということで、東北地方の民謡となった。

 「新相馬節」……。
それを聞いていたら、涙がポロポロとこぼれてきた。
日本の民謡を聞いて、涙をこぼしたのは、私にとっては生まれてはじめてのことだった。

●チェルノブイリの250倍

 多少の土壌汚染や海洋汚染は、この際、やむをえない。
友人もこう言った。
「There's no alternative.(ほかに選択肢がない)」と。

今は、ともかくも原発事故を収束させること。
前にも書いたが、1機でも原子炉が爆発したら、万事休す。
打つ手は、もうない。
人が近づくことすらできない。
原子炉はつぎつぎと爆発し、計算上では、チェルノブイリの25倍の放射能が
飛び散ることになる。
この先、夏にかけて風向きが変わったら、東京は6時間後、この浜松でも、数か月後には、
人が住めなくなるという(アメリカ軍)。

 観光客の減少どころの問題ではない。
 
●非現実的な日常

 が、不思議なことに、本当に不思議なことに、ごくふつうの日常が、つづいている。
この非現実的な日常を、どう理解したらよいのか。
みながみな、心のどこかで言いようのない重苦しさを感じている。
会って話しても、「どうなるのでしょう?」と言うだけ。
それをたがいに繰り返すだけ。
その先の会話につながっていかない。

 私もそうだ。
できることといえば、ともかくもそこにある「現実」の中で生きていく。
友と食事をする。
車であちこちを回る。

 4月からの仕事は、今のところ順調。
去年と、何も変わらない。
健康はどうか?
ふと自分に問いかける。

こまかい故障は、あちこちにあるが、大きな問題はない。
今年度も、何とか、やっていけそう……。

●全精力を

 オーストラリアの友人と、別の友人の農場を訪問した。
元公務員。
退職後、農地を購入。
現在は、農業を経営している。
有機栽培で、いろいろなものを作っている。
その友人も、こう言った。

「国が・・・国が・・・というのは、おかしい」と。
地震にせよ、津波にせよ、それは「国」の責任ではない。
一方、政府も、「国が何とかする」とか、「責任を取る」とか、そういう言葉を
安易に使わないほうがよい。
へたに使うから、話がおかしくなる。

 が、原発事故は、別。
今、「国」にすべきことがあるとしたら、原発事故処理に全精力を傾注すること。
深刻さということを考えるなら、地震や津波のそれを、はるかに超える。

●別の想定外

 大本営発表を信じているわけではない。
しかし今のところ、原発事故はおおむね小康状態を保っている。
いろいろな方策が立てられ、その方向に向かって進みつつある。

 が、心配なのは、先にも書いたように、また何か別の「想定外の」ことが起きること。
今日(4月16日)も、茨城県で大きな地震があった。
報道によれば、今回の大地震の余震とは別の地震ということらしい。
つまりこの先、何が起こるかわからない。

 しかしこの私も、やっとショック状態から抜け出しつつある。
今、こうして以前のように、原稿が書けるようになったのも、それ。
どこかグチぽく、中身も暗いが、調子が戻ってきた。
今は、脳みその慣らし運転。
そんな感じがする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【付記・注※】韓国の過剰反応(東亜日報・4月17日)

++++++++++++++++++

それにしてもはげしいのが、韓国。
まさに過剰反応。
ときがときだけに、日本の現状を、
韓国は喜んでいる。
私には、そうとしか思えない。

東亜日報の記事をそのまま転載する。

++++++++++++++++++

++++++++++++++以下、東亞日報++++++++++++++++++


日本の福島原子力発電所(原発)事故で、放射性物質漏れが止まらない日本の農産物や工
産品の輸入を制限する国が増加している。


韓国食品医薬品安全庁(食薬庁)は14日、福島原発付近の13の都県で生産された輸入食品
に対して、放射線基準値を越えていないという日本政府の証明書の提出を求める方針だ。

13都県は、ホウレンソウなど一部品目に対して輸入が制限された5県(福島、茨木、栃木、群
馬、千葉)と一部の食品で放射性物質が検出された8都県(宮城、山形、新潟、長野、埼玉、
神奈川、静岡県、東京都)だ。

証明対象の食品は、農林産物、加工食品、食品添加物、健康機能食品など、ほぼすべての食
品が含まれた。

日本政府は、13の都県の食品に対して検査する余力がない状況であり、韓国の措置は事実
上、輸入停止と同じ効力を持つ。

また、食薬庁は、来月1日から輸入される日本の食品から放射性ヨウ素やセシウムが少しでも
検出されれば、ストロンチウムやプルトニウムなど別の放射性物質に対する検査結果も求め
る計画だ。

さらに、13地域以外で生産される食品に対しては、汚染地域で生産されていないことを証明す
る生産地証明書の提出を求めることを決めた。

食薬庁は、離乳食のような乳児向けの食品に対する放射性ヨウ素の基準(1キログラムあたり
100ベクレル)も新たに設けた。

米国、中国、ロシアなど28ヵ国は日本産の食品に対して、米国、中国など8ヵ国は日本の工産
品に対して輸入規制措置を取っていると、朝日新聞が報じた。

「メイド・イン・ジャパン」に対する忌避現象は、当初、農産物と加工食品に限定されていたが、
最近、日本から輸入された中古自動車などから放射性物質が検出されたことから、工産品ま
で輸入を規制する国が増えている。

一部国家は、自国に入ってくる日本の工産品に対する生産地証明書の提出を求めている。日
本国土交通省は、輸出用コンテナの放射線量を測定し、「問題ないレベル」という内容の政府
保証証明書を発行することを決めるなど、対策づくりに苦心している。

++++++++++++++以上、東亞日報++++++++++++++++++


●静岡県まで?

 この中で、この「静岡県」という名前があることに注目してほしい。
韓国は、とうとうこの「静岡県」まで、「危険県」に含めてしまった。
さらに工業製品まで!

「米国、中国、ロシアなど28ヵ国は日本産の食品に対して、米国、中国など8ヵ国は日本の工
産品に対して輸入規制措置を取っていると、朝日新聞が報じた」とある。
朝日新聞は、本当にそんなことを書いたのだろうか。
どうであるにせよ、今の日本は完全にノックアウトされたような状態。
つまりどう書かれても、何も言えない。
反論もできない。

 ただこれだけは、しっかりと胸に刻んでおこうではないか。
「韓国という国は、日本にとって、そういう国」と。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●【今は、国家、危急存亡のとき】4月18日(月曜日)

国家の非常事態vs街頭の募金活動

++++++++++++++++++

今朝は、午前8時起き。
睡眠時間帯が、やっと平常に戻った。

起きてから、すぐ運動。
ウォーキングマシンにスイッチを入れる。
歩く。
走る。
20分も運動をしていると、もう朝食。
パンができあがった。

香ばしいにおい。
それにつられて、運動は中止。
パンをつまむ。
食べる。

+++++++++++++++++

●街頭の募金活動

 昨日(4月17日)、駅前を歩くと、いくつかの団体が募金活動をしていた。
小学生や中学生たちが、甲高い声を張り上げていた。
それぞれのグループがひとつの集団をつくり、それがズラリと並んでいた。
が、私はあえてそれを避けて、そうした人たちの背側を歩いた。
もちろん募金は、しなかった。
いつもなら、何も考えず、小銭を入れている私だが、今回はしなかった。
……できなかった。
どうしてだろう?
どうして募金をしなかったのだろう?
……できなかったのだろう?
 
 私の心がゆがんでいるため……?
私が偏屈なため……?

最初、私は、そう考えた。
しかし本音を言えば、自分の心の重さを、そういう形で、ごまかしたくなかった。
「そんな問題でもないのだがなあ」と。

気持ちはよく理解できる。
わかる。
が、今回は規模がちがう。
言うなれば、今は、国家の非常事態。
緊急事態。
今は、日本という「国」の、危急存亡のとき。

災害の規模も大きいが、その分だけ苦しみの規模も大きい。
募金程度のお金で、どうこうなるような問題ではない。
それに向かうべき、方向がちがう。
あえて言うなら、国家予算を組み直す。
地方交付税を、抜本的な部分から見直す。
そういう話なら、わかる。

 たとえば公務員給料の2割削減は当然。
それに並行して、公務員年金も2割削減。
無駄な道路工事を繰り返すお金があったら、それを削減する。
たとえば東北地方以外の公共事業を、すべて停止する。
それくらいの覚悟をもつ。

つまりそうところから出てきたお金を、東北地方の復旧資金に充てる。
そういう運動なら、私も迷わず署名しただろう。
募金が必要なら、募金もしただろう。

 事情も知らず、中学生や高校生が、(そう言えば、小学生もいた)、声を張り上げて、
「お願いします!」と。
それに明日は我が身。
原子炉が爆発……ということにでもなれば、この浜松市だってあぶない。

 ……が、今でも、自分がよく理解できない。
どうして募金しなかったのだろう?
かばんの中には、小銭があった。
1000円札もあった。
しかし、しなかった。

 そう言えば、あの「ありがとうございま〜す」という言葉が、癇(かん)に障った(?)。
だれかが募金すると、同じように甲高い声で、「ありがとうございま〜す」と。
が、どうして「ありがとうございま〜す」なのか。
だれがだれに対して、「ありがとう」なのか?
その声が大きければ大きいほど、募金をしない私が責められているようにも感じた。
だからよけいに意地になって……。

 私は募金しなかった。

 ……募金活動をする人たちの気持ちもよく理解できる。
いたたまれない気持ちで、それをしているのだろう。
私とて、今何か、自分の心をまぎらわす方法があれば、それをしたい。
この重苦しい心から解放されたい。
が、その方法が見つからないから、苦しんでいる。

 ……つまり私はまだ、あのショック状態から抜け出ていない。
心がゆがんでいる。
どうも、そういうことらしい。

(付記)

●日本は貧しくなる?

 民主党の岡田幹事長は、消費税の5%上乗せのほか、国債の増発、法人税の引き上げ
などを模索しているという(4月17日)。

 しかし今ここで、こんな増税をしたら、日本経済はさらに萎縮してしまう。
へたをすれば、国家経済が、破綻(債務超過)してしまう。
もし国債の買い手がみつからなかったら、そのとき政府はどうするつもりなのか。
そこに待っているのは、デフォルトだぞ!
国家破綻だぞ!

今回の震災がなくても、(あるいはその直前でも)、日本は薄氷を踏むような経済運営を
強いられていた。
いくら非常事態でも、これでは向かうべき方向性がちがう。
まず無駄な予算を削り、それで浮いた予算を、復旧資金に充てる。
大ナタを振るうべきところでは、思い切って大ナタを振るう。

 繰り返すが、今は、国家の非常事態。
産経新聞「日曜経済講座」も、こう書いている。

『……東日本大震災は1次的には自然災害で、2次的には無能なリーダーによる人的災害
なのだが、第3次も起きかけている。
政策災害である。

起因は福島原発対応と同じく、「非常事態」という認識の欠如である。
菅直人首相、谷垣禎一自民党総裁、日本経団連の首脳は、平時の感覚でしか復興政策を考
えないように思える。

産経新聞3月31日付朝刊によれば、L・サマーズ前米国家経済会議委員長は「日本は貧
しくなるでしょう」と言い放ったが、長年対日経済交渉に携わった同氏は日本迷走を見抜
いているのだろう』(以上、産経新聞より)と。

2011/04/18


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【水を触媒を使って、酸素と水素に分解する】

●希望

++++++++++++++++++++++

遠い昔……といっても、41年前。
1970年のこと。
田丸謙二先生は、自身のチュータールームで、
先生の夢を話してくれた。

「いつか水を、触媒を使って酸素と水素に分解
することができれば、人類は、無尽蔵のクリーン
エネルギーを手にすることができる」と。

まさに夢のような話である。
当時の私は、そう感じた。
が、それから41年。
昨日(2011年4月18日)、日本人研究者の
書いた論文が、世界中を駆け抜けた。
時が時だけに、この論文は、一抹の涼風となって
私の心にもしみこんだ。
同時に、私たちに人類に、未来に向かった夢を希望を
与えてくれた。

『……水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、
太陽光の電気エネルギーへの効率的な変換が期待できるという』
(北海道新聞)と。

専門的な話で、わかりにくいが、平たく言えば、こうだ。

水は、水素と酸素で構成されている。
きわめて安定した分子構造で、水を水素と酸素に
分離するのは、容易なことではない。
よく知られた方法に、水の電気分解がある。
しかしこの方法だと、多量の電力を必要とする。

そこで目をつけられたのが、「触媒」。
触媒を使えば、少量のエネルギーでも、化学反応は
一気に加速する。
水を酸素と水素に簡単に分解できる。
もしそれが可能になれば、先にも書いたように、
人類は無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ことができる。

田丸謙二先生は、その触媒の研究に没頭していた。
私はそのニュースを読んだあと、すかさず田丸謙二
先生に、電話した。
東京大学だけでも、先生の弟子が10〜11人も
教授職に就いている。
先生に論文の概略を伝えると、「それは堂免君(東大教授)
のことだよ。今度日本化学賞を取り、おとといその
祝賀会をうちでしたばかりです」
「中にはゲロを吐いた者もいましてね」と。

私は北海道新聞に載った記事を、そのまま
田丸謙二先生に転送した。
北海道……つまり北海道大学と田丸謙二先生との
縁は深い。
田丸謙二先生は、北海道大学の何かの記念会に、
記念講演をしている。
加えて杉野目晴貞先生(北海道大学前学長)を介して、
私と田丸謙二先生はともに、縁があった。

田丸謙二先生の恩師でもあり、私がUNESCO
の交換学生として韓国に渡ったとき、杉野目晴貞
先生が、いっしょに渡韓してくれた。
韓国のあちこちをいっしょに旅をしたこともある。

いろいろなサイトでその記事は紹介されていた。
私はあえて北海道新聞に載った記事を選んだ。
北海道の北海道新聞である。
電話でそれを伝えると、田丸謙二先生は、「読みたいから、
すぐ送ってほしい」と言った。
私はその場でパソコンを開き、田丸謙二先生に、
北海道新聞の記事を送った。

+++++++++++++以下、北海道新聞より+++++++++++++++

光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際の
触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大の
神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載
された。

 水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。
 
 膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。

 光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際
の触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大
の神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲
載された。

 水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。

 膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。

+++++++++++++以上、北海道新聞より+++++++++++++++

●田丸先生からの返事

 その夜(18日の夜)、家に帰ると、田丸謙二先生から、
メールが届いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

林様:メール有難うございました。

このメールの話は私がお話した東大教授の堂免一成君の話とは異なります。
堂免君のは水から太陽エネルギーで水素と酸素とを直接作る光触媒作用で、先月、日本化
学会賞を受けた研究です。

勿論太陽電池も一方にあり、水を電気分解すると水素と酸素が得られますが、現在では堂
免君の直接の光触媒作用の方が優れています。

この分野は日本が世界でもトップの国ですが、世界中で多くの人が取り組み始めています。
沢山の人が各種の工夫をしていますので、人類の将来のエネルギー問題の重要な研究分野
になっています。

長い目で見ると矢張り人類は将来太陽エネルギーに頼ることになります。化石燃料も限ら
れた量ですので。

お電話でお伝えしたのは、空気と水と太陽エネルギーに頼って人類はエネルギー問題に取
り組むという話です。

空気から窒素を、水から太陽光を使って水素を、そして水素と窒素からアンモニアを作っ
てそれを燃料として自動車も走るという可能性が言われています。

くれぐれもお元気で。田丸謙二 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ノーベル賞

 もし水を酸素と水素に分解できるようなことが簡単にできれば……。
それはまさにノーベル賞級の研究ということになる。
すでに実際、3年ほど前、田丸謙二先生の研究を発展させたドイツの研究者が、
ノーベル賞を受賞している。

 言い忘れたが、田丸謙二先生は、日本化学会会長、日本触媒学会会長、国際
触媒学会会長職を歴任している。
東京大学の元副総長(総長特別補佐)も経験している。
肩書きを並べたら、一枚の紙にはとても収まらない。

 昨日の電話で、「ノーベル賞級の話ですね」と言うと、田丸謙二先生は、
うれしそうに笑った。

最近、田丸謙二先生は、『出藍の誉れ』という言葉をよく使う。
先日もらったメールには、孔子の言葉を引用しながら、「よき弟子をもつことが、
最高の喜び」と書いてあった。
堂免一成氏がノーベル賞を受賞するのは、時間の問題……私はそう感じた。

●歴史の生き証人

 「歴史の生き証人」というと、少し大げさに感ずる人もいるかもしれない。
しかしいつかすぐ人類は、「水」という無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ときがやってくる。

 田丸謙二先生は、昨日も、41年前と同じように、自分の夢を語ってくれた。
「水から水素を取り出し、空気から窒素を取り出す。
水素と窒素で、アンモニアを合成し、それをエネルギー源にする」と。

 水素燃料もあるが、扱い方が難しい。
アンモニアなら、ガソリンのように持ち運べる。

「化石燃料(ガソリン)は、やがて枯渇します。
原子力がいかに危険なものでかということは、今回の原発事故でもよくわかったでしょう。
だからアンモニアなのです」と。

 私は41年間、田丸謙二先生の「夢」を聞く立場にあった。
その夢が、今、まさに着実に、一歩、一歩、前進している。
昨年(2010年)に会ったときも、田丸謙二先生はこう言った。
「理研(日本理化学研究所)でも、10数名の化学者がチームを作って、研究
していますから、そにうちすぐ成果が出てきますよ」と。
私が「いつ、成果が出てくるのですか?」と聞いたときのことだった。

 いつかそのクリーンエネルギーが当たり前のものとなったとき、
それがいつだれによって、またどのようにして生まれたか。
この41年間を通して、私はそれを直接的に、知る立場にあった。
それを今、こうして書きとめることができることを、心から光栄に思う。

●希望

 大震災、大津波、そして原発事故……。
しかしその一方で、この日本は、大きな希望が前に向かって進み始めている。
田丸謙二先生が書いているように、この分野では、日本がトップを走っている。

 もちろんその原点を作ったのは、田丸謙二先生である。
1970年。
話は脱線するが、そのころに書いた原稿を、ここに添付する。
記事は、中日新聞に連載されたものである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【世にも不思議な留学記より】

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html

●処刑になったT君【12】

●日本人にまちがえられたT君

 私の一番仲のよかった友人に、T君というのがいた。
マレ−シアン中国人で、経済学部に籍をおいていた。

 最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。
ずっとあとになって理由を聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてく
れた。
そのT君。
ある日私にこう言った。

 「日本は中国の属国だ」と。
そこで私が猛烈に反発すると、「じゃ、お前の名前を、日本語で書いてみろ」と。
私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。

 そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなか
った。
「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。
話さないばかりか、マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。

 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。
しかし中国人が日本人にまちがえられると、もっと怒る。
T君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。
街を歩いているときもそうだった。
「お前も日本人か」と聞かれたとき、T君は、地面を足で蹴飛ばしながら、「ノー(違う)!」
と叫んでいた。

 そのT君には一人のガ−ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しよう
としなかった。
一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。
が、やがて卒業式が近づいてきた。

 T君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ディグリー)を取得していた。
そのT君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。
「ヒロシ、ぼくのジェニ−は……」と。
喉の奥から絞り出すような声だった。
「ジェニ−は四二歳だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。

 そう言い終わったとき、彼は緊張のあまり、手をブルブルと震わした。

●赤軍に、そして処刑

 そのT君と私は、たまたま東大から来ていた田丸謙二教授の部屋で、よく徹夜した。
教授の部屋は広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。

 田丸教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をもらってメルボルン大学へ来ていた。
教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になられたが、T君がマレ−シアで処刑
されたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員もしていた。

 この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでT君が生きているとしたら、そ
れはそれですばらしいことだと思う。
しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、T君は、マレ−シアで、一九八〇年ごろ処刑
されている。
T君は大学を卒業すると同時に、ジェニ−とクアラルンプ−ルへ駆け落ちし、そこで兄を手
伝ってビジネスを始めた。

 しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶えてしまった。
何度か電話をしてみたが、いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。
で、これから先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。

 その後、T君は、マレ−シアでは非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そ
して処刑されてしまった。
遺骨は今、兄の手でシンガポ−ルの墓地に埋葬されているという。

 田丸教授にその話をすると、教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかできたのに…
…」と、さかんにくやしがっておられた。
そうそう私は彼にで会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。
「私はアジア人だ」と言うようになった。
その心は今も私の心の中で生きている。

(注:田丸謙二先生のHP)

http://ktamaru.ninja-web.net/index.html


●田丸先生よりの追伸(2011/04/22)(楽観論)

林様: Nature はいい雑誌ですけれど、他にも沢山の雑誌があります。本当に優れた論文
かどうかは 引用文献数を見ていれば解ります。光合成で電荷が移動するのは常識です。炭
酸ガスを還元する反応ですから。電子と炭酸ガスが反応して還元されて光合成が起こるの
です。確かに光合成は興味深い反応ですが、これまでもノーベル賞も出ています。よく勉
強をしていますね。頑張って下さい。田丸謙二

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 このメールの中で、田丸謙二先生は、「光合成の原理」について、一言で説明している。
「電子と炭酸ガスが反応して還元されて光合成が起こる」と。

 もしこのメカニズムを人工的に操作できるようになれば、つまり光合成が人工的にで
きるようになれば、人類は地球温暖化の問題と、食料不足の問題を、同時に解決すること
ができる。
端的に言えば、空気中の二酸化炭素を使って、食料を生産する。
もちろんエネルギーとしても、利用できる。
田丸謙二先生は、将来的には化石燃料(ガソリンなど)は枯渇し、アンモニアを主体とし
た燃料体系になると予測している。

 今まさに、その実現に向けて、研究が一歩一歩、前進しつつある。
田丸謙二先生を師とするグループが、現在、しゃかりきになって、その研究に取り組んで
いる。
これはまさに希望。
私たちが今、もっとも注目すべき研究分野は、この分野ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【4歳児に、「あいうえお」を教える】(声を出す+学習の動機付け)

++++++++++++++++++

前回につづき(前回は「あ」の音)、
今回は、「あいうえお」をテーマに学習を
進めました。

Happy Learners learn Best!(楽しく学ぶ子どもは
よく学ぶ)ですね。
この時期は、何かを教えようという気持ちは
抑え、子どもを楽しませる。
それだけを考えて指導します。

あとは子ども自身のもつ力で伸びてくれます。
それを「動機付け」と言います。
その動機付けをうまくする。
幼児教育はすべて、この動機付けで始まり、
動機付けで終わると言っても過言では
ありません。

ついでながら前回からビデオカメラを、
ビクター製からソニー製に替えました。
音の感じ、画質の感じが微妙にちがいます。

ビクター……エベリオ(標準型)
ソニー……CX170(超小型カメラ)

音質はビクター、画質(顔の色)は
ソニーといったところでしょうか。

++++++++++++++++++

●「あいうえお」

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v/fJRGB85mhGI?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
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<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/NeI5rf9Y4bs?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
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www.youtube.com/v/NeI5rf9Y4bs?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>



<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/8fs18poQszw?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/8fs18poQszw?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>



<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/IIWxAgnhy-s?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/IIWxAgnhy-s?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月20日(子どもの自己)評価力・(「平均的な生き方」とは何か?)

++++++++++++++++++

上海社会科学院が、日中韓の高校生たちの
意識調査をした。
その結果が、ヤフー・ニュースで紹介
されていた。

たいへん興味深い数字が並んでいる。

++++++++++++++++++

+++以下、YAHOO NEWS(2011−04−20より)+++

 上海社会科学院が発表した『日中韓高校生の心身健康状態比較研究報告』によると、中
国の高校生の心理状態は日本および韓国の高校生に比べ、心理的ストレスが少なく、自信
にあふれ、自己評価も高いことが分かった。新聞晩報が報じた。

 日中韓の高校生の男女に対して実施された調査では、平均身長は中国が168.17センチ
メートル、韓国が167.61センチメートル、日本が164.70センチメートルと、日本人が
もっとも低かった。

 また、病気やケガによる学校の欠席率は中国が45.4%、韓国が71.6%、日本が53.1%、
自身の健康状態を「非常に悪い」「悪い」と評価した生徒は中国が25.9%、韓国が19.6%、
日本が19.3%だった。そのほか、毎日6時間以上睡眠をとっていない生徒は中国が30%、
韓国が57.9%、日本が46.6%だった。

 心理面で「いつもストレスがある」と答えた割合は、中国が16.0%、韓国が47.1%、
日本が32.8%だった。

 「自分には価値がある」、「自分はうまくいっている」かどうかを基準に「自身の存在価
値」を、また、「苦しみや困難にも落ち込まない」かどうかを基準に「意志力」を評価した
ところ、中国の高校生がもっとも自身に存在価値を感じ、自信と意志力の高さで日韓を大
きく上回ったことが分かった。

+++以上、YAHOO NEWS(2011−04−20より)+++

●整理

 上海社会科学院の並べた数字を、整理してみる。

平均身長は……中国が 168.17センチメートル
       韓国が 167.61センチメートル
       日本が 164.70センチメートル

欠席率は……中国が 45.4%
      韓国が 71.6%
      日本が 53.1%

自身の健康状態を「非常に悪い」「悪い」と評価した生徒は……
      中国が 25.9%
      韓国が 19.6%
      日本が 19.3%

毎日6時間以上睡眠をとっていない生徒は……
      中国が 30%
      韓国が 57.9%
      日本が 46.6%

「いつもストレスがある」と答えた割合は……
      中国が 16.0%
      韓国が 47.1%
      日本が 32.8%

 ほかに数字では示されていないが、
『「自分には価値がある」、「自分はうまくいっている」かどうかを基準に「自身の存在価値」
を、また、「苦しみや困難にも落ち込まない」かどうかを基準に「意志力」を評価したとこ
ろ、中国の高校生がもっとも自身に存在価値を感じ、自信と意志力の高さで日韓を大きく
上回ったことが分かった』(ヤフー・ニュース)ということだそうだ。

●調査結果から

 日本の高校生の平均身長は、164・70センチで、いちばん「低い」とある。
男子のことだろうか。
女子のことだろうか。
あるいは男女合わせてのことだろうか。

 そこで日本側の調査を調べてみた(出典は「身長辞典」サイト)。

それによると、

15歳  男子  168・4
     女子  157・3
16歳  男子  170・0
     女子  157・8
17歳  男子  170・8
     女子  158・1(単位は、センチメートル)
           
 ついでながら、男子と女子の平均値も計算してみた。
(こんな計算は、意味がないが……。)

15歳……  162・9
16歳……  163・9
17歳……  164・5(単位は、センチメートル)

 そこでさらに15歳から17歳までの平均値を出してみる。
それによれば、高校生(1〜3年)、男女合計の平均値は、

高校1〜3年生、男女合計の平均値……163・8センチ。
(この数字も、意味はない。なぜならこの時期、子どもたちの身長は、毎月の
ように伸びる。
つまり伸びきったところで比較して、こうした調査は、はじめて意味をもつ。)
     
 上海社会科学院が出した「164・70センチメートル」という数字に、ほぼ
近くなった。
つまり上海社会科学院は、高校生1〜3年、男女ひっくるめて、平均値を出した(?)。
かなり乱暴な調査結果ということになる。

●考証

 「病気やけがによる欠席率」とは、何か?
これだけ読むと、欠席率については、韓国がいちばん多く、日本、中国が、それに
つづくことがわかる。

 しかし「欠席率」とは、何か?

1年間に欠席する子どもの割合?
反対にこの数字を読むと、いわゆる皆勤賞の生徒は、46・9%ということになる。
が、それもおかしい?
それとも1日レベルで、欠席している子どもの割合?
???

 これだけの説明では、何をもって「欠席率」というか、よくわからない。
このままでは、日本の高校生のうち、53・1%(約半数)が、高校へ通っていない
ことになる。
しかしそんなことはありえない!

 また自分の健康状態について、「悪い」と答えている高校生(日本)が、19・3%
もいることには、驚かされる。
健康盛りの高校生のうち、19・3%が、自分では悪いと感じているという。

……本当かなあ?

さらに言えば、何をもって悪いというかは、かなり主観的なもの。
私の年代(60代)でも、かなり病気ぽい人でも、「私は健康」と言う人はいくらでもいる。
一方、健康で、シャキシャキしている人でも、「私は病気がち」と言う人はいくらでもいる。

 つづく「睡眠時間」と「ストレス」の調査結果ついては、数字としては、こんなもの
だろうと思う。
しかし平均値ほど、あてにならないものは、ない。
よい例が、学習時間。

 たとえば1日6時間勉強する子どもと、まったく勉強しない子どもがいたとする。
平均値は、3時間ということになる。
この「3時間」をみて、「日本の子どもは、よく勉強する」と思うのは、まちがい。
つまり意味がない。
つまり平均値だけを見て、問題のある子どもを見落としてしまう。
そのほうが、危険。

●平均値・カルト

 アメリカの数学の教科書(中学生・テキスト・プレンティス版)では、つぎのように
教える。
(アメリカの教科書は実用的だぞ!)

 まず歴代の大統領の年齢を並べる。
つぎにその年齢の平均値を求める。
が、そのあと、こう結論づける。
(結論づけるところまで、教える。)

 「大統領の平均年齢を調べても、意味がない。
70歳で大統領になった人もいる。
40歳で大統領になった人もいる。
平均値は55歳だが、そんな数字に、どんな意味があるというのか」と。

 一方、日本人は、平均値に弱い。
やたらと平均値を出したがる。
学校のテストを例にあげるまでもない。

「平均的な生き方」というのが、国是(?)にもなっている。
またそれでもって、人生観、幸福感を組み立てる。
平均的であれば安心し、そうでなければ不安になる。

しかし「私は私、あなたはあなた」という生き様を貫いている人には、「平均値」
ほど意味のないものはない。
また気にしない。

 ……とまあ、よけいなことまで考えてしまったが、上海社会科学院の調査結果をみる
ときは、そんなことも頭のどこかに置きながら、参考にするとよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 上海社会科学院 高校生の意識調査 平均値マジック 2011/04/20)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●平均的な生き方

++++++++++++++++++

平均的な生き方?
日本人というのは、(大上段にものを言うのは、
危険なことだが)、何かにつけ、平均的な生き方
を大切にする。

平均的な生き方であれば、安心し、そうでなければ、
そうでない。 
話せば長くなるが、これも長くつづいた封建時代の
遺物と考えてよい。

しかし平均的な生き方ほど、つまらないものはない。
意味のないものはない。
まっさきに思い浮かべるのが、「平均寿命」。

++++++++++++++++++

●平均寿命

 日本人の平均寿命(正しくは平均余命)は、xx歳だそうだ。
しかしそんな数字に、どんな意味があるというのか。
それによれば私の余命は、あとxx年。
実際には、その数字から10年を引いた年齢が、「健康余命」。
多かれ少なかれ、ほとんどの人は、10年ほど病気を引きずる。
闘病生活を繰り返したあと、あの世へ旅立つ。

 今の今にしても、そうだ。
60歳を過ぎると、とたんに、健康な人とそうでない人の色分けが、はっきりと
してくる。
それまで裏で健康を支えてきた気力、体力が衰える。
とたん、隠しもっていた持病が前面に出てくる。
この段階で、その人の健康余命が決まる。
余命も決まる。

平均寿命などというものは、あくまでも「結果」。
それまでの人生の「結果」。
大切なことは、日々に健康を増進し、明日に備えること。
わかりやすく言えば、「私は私、人は人」。
さらに言えば、「無益に100年生きるよりも、有益に1年生きた方がよい」(某賢人)。

 今、自分を健康だと思い、健康であれば、それでよい。

●平均的生活

 併せて日本人は、「世間体」という言葉をよく使う。
「世間の目に合わせて生きること」を、「善」とする。
「世間が笑う」「世間が許さない」「世間体が悪い」などなど、いろいろな言い方をする。

 こうした世間体意識を裏で支えるが、「平均的な生き方」ということになる。
しかし平均的な生き方とは何か。
また何をもって、平均的というか。

 少し前(2011年4月)、私とワイフはオーストラリアへ行ってきた。
オーストラリアにはオーストラリアの「平均」というのは、たしかにある。
南オーストラリア州にある、ボーダータウンという町で3泊させてもらった。
あのあたりでは、少し郊外へ出ると、(郊外といっても、車で5分ほどだが)、
みな敷地が5000坪から、それこそ数万坪もある家に住んでいる。

 そういうところと比較すると、私の家の敷地など、家のエントランスにも
ならない。
が、おかしなことに日本には日本の「平均値」というのがある。
その平均値をみて、私たちは安心したり、不安に思ったりする。
「私の家の敷地は100坪だ。ふつうの家より、広い」と。

 もちろん「家」そのものも、広い。
T氏の家(夫婦と子ども1人)は、居間だけでも40坪以上。
それに不随する部屋は、20坪以上。
そういう部屋が5つも6つも、つながっている。

「日本では、家の広さにより税金が決まる」と言うと、すかさずオーストラリアの
友人は、「それはおかしい」と言った。
「それはおかしい。家の価値というのは、環境や質によって決まる。それで税金を
決めるべき」と。

 オーストラリアには、「Land Valuer(不動産価値鑑定人)」と呼ばれる
人がいる。
その人の査定によって税金が決まる(Vic.州ほか)。
いくら広くても、環境が悪いところにある家は、価値が低い。
つまり税金は安い。
いくら狭くても、環境がよいところにある家は、価値が高い。
つまり税金は高い。
だから隣近所の人たちは、自分の家の不動産的価値を高めるため、隣近所の環境に
もうるさい。
隣の家が、庭を荒れ放題にしていたりすると、それに対して文句を言う。

 だからこんなことを言う。
「土地は管理がたいへん。だから土地は管理できる分だけあればいい」と。

●職業観

 日本人ほど、「平均的な職業観」にしばられている国民は、そうはいない。
たまたま昨夜も、中学生(女子)が、こんなことを言った。
「どうして先生のような人が、(学校関係の)講演ができるの!」と。
同時に、「先生のような人がどうしてここにいて、塾の先生をしているの!」と。

 私が、「今度、I市で講演をする」と話したときのことだった。
が、その中学生が考えていることは、よくわかった。
私のような一介の、つまらない塾教師が、なぜ、講演ができるのか、と。
一方、教師相手に講演をするような先生が、なぜ、小さな塾で教師をしているのか、と。

 しかし……

 私とあのアインシュタインと同列に置くのはまちがっている。
が、あのアインシュタインも、ある少女の家庭教師をしていた。
で、あるときその高校生の母親が、それに気づき、アインシュタインに、「あなたのような
方が、どうしてうちの娘の家庭教師をしてくれるのか」と聞いたそうだ。
するとアインシュタインは、こう答えたという。

「私は、あなたのお嬢さんから、実はいろいろなことを教えてもらっているのです」と。

 この逸話は、有名な話である。
そのときアインシュタインはノーベル賞を受賞し、すでに世界的に有名な学者になって
いた(後述※)。
その逸話を思い出したわけではないが、私はその女子中学生にこう答えた。

「実はね、ぼくのほうが君たちを教えることを、楽しんでいるんだよ」と。
つまりその女子中学生は、まだ中学生でありながら、「平均的な生き方」という、いわば
固定観念にしばられていた。

●大切なのは、生活の「質」

 この日本では、「平均的な生き方」「平均的なものの考え方」が、「常識」となっている。
ここでいう「固定観念」というのは、それをいう。
が、それだけではない。
その「常識」が、人を判断する、ひとつの基準になっている。
先に挙げた、女子中学生も、そのよい例。
だれが教えるわけではない。
だれから学ぶわけでもない。
しかしこの日本で生まれ育つと、そういう「常識」を、知らず知らずのうちに、身につけ
てしまう。
自分の常識を縛りあげてしまう。

 そこで大切なのは、「原点」。
原点に立ち返って、考える。
わかりやすく言えば、生活の質。

 名誉や地位や肩書きではない。
あくまでも「質」。
それには平均以下もなければ、平均以上もない。
わかりやすく言えば、「私は私、人は人」。
逆に言えば、平均的な生き方ほど、つまらないものはない。
無難な生き方かもしれないが、そんな人生からは、ドラマは生まれない。

 ……というのは、書き過ぎ。
自分でも、それがよくわかっている。
『平凡は美徳』と説く賢人もいる。

要するに、「平均」という言葉には、意味はないということ。
あっても、あくまでも参考的意見。
平均に毒されすぎると、ときとして自分を見失う。
価値のあるものを価値がないと思い込んだり、反対に、価値のないものを、価値の
あるものと思い込んだりする。

 だから結論としては、「平均など気にしないこと」ということになる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 平均論 Land valuer アインシュタイン)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)アインシュタインと家庭教師

●The important thing is not to stop questioning.

重要なことは、問うことをやめないこと。(重要なことは、問いつづけること。)

アインシュタインの言葉の中でも、とくによく知られた言葉である。
「問いつづけること」と。

生きるための究極の目標は、真・善・美の追求に、集約される。
もちろんほかにもあるだろうが、わかりやすく言えば、この3つ。
真実の追求、絶対的善の追求、そして究極の美の追求ということになる。

学者や研究者は、真を追求し、哲学者や宗教家は、善と追求し、芸術家は、美を追求する。
が、生涯において、どの分野においてもそれができない、あるいはそれができなかったと
いうのであれば、私やあなたは、「ただの人(das Mann)」(ハイデッガー)、あるいは「た
だの人だった」ということになる。

ハイデッガーは、軽蔑の念をこめて、「ただの人」という言葉を使った。

では、どうするか?
「ただの人」にならないためには、どうするか?

答は、アインシュタインが教えてくれた。
つまり「問いつづけること」と。

+++++++++++++++++++++++

●There are two ways to live: you can live as if nothing is a miracle; you can live as if
everything is a miracle.

2つの生き方がある。奇跡などまったくないかのように生きること。もうひとつは、すべ
てのものが奇跡であるかのように生きること。(奇跡など、どこにもないと思って生きる生
き方がある。すべてのものが奇跡であると思って生きる生き方もある。)

ものが見える。
音が聞こえる。
歩ける。
話せる。
仕事ができる。
そこに妻がいて、家族がいる。
健康だ。
食事がおいしい……。
すべてが奇跡である。

アインシュタインは2つの生き方を対比させながら、当然、「すべてのものが奇跡である」
という生き方を選択している。
私も、まったく、同感である。

+++++++++++++++++++++

●Try not to become a man of success, but rather try to be a man of value.

成功者になろうとするな。価値のある人になろうとせよ。(成功することを考えるな。価値
のある人間になることを考えろ。)

日本では、子どもに向かって、「偉い人になれ」と教える親は、今でも、少なくない。
日本では、地位や肩書きのある人、さらには金持ちの人を、「偉い人」という。
そうでない人は、「偉い人」とは、あまり言わない。

こういうとき英語国では、「respected man(尊敬される人)」という言葉を使う。
「尊敬される人」という意味である。
親たちは、子どもにこう言う。
「尊敬される人になりなさい」と。
「尊敬される人」というときには、地位や肩書きは関係ない。
金持ちであるかどうかも、関係ない。

ということで、「偉い人」というのと、「尊敬される人」というのでは、その間には、天地
ほどの開きがある。

アインシュタインのこの言葉を読んだとき、私の頭の中では、そんなことが思い浮かんだ。

+++++++++++++++++++++

●アインシュタインの人物像について(ウィキペディア百科事典より転載)(参考資料)

アインシュタインの人物像について、
ウィキペディア百科事典には、かなり詳しく
載っている。

その一部を転載させてもらう。

この中で、いくつか気になる点がある。

そのひとつ。

世界的な玩具販売チェーン店に、「TOYZARUS」(トイザラス)
というのがある。

お気づきの方も多いと思うが、その店の名前の「R」の部分は、
鏡文字になっている。

私は長い間、「どうしてRが鏡文字なのか?」と思っていた。
が、この記事を読んで、その謎が解けた。(たぶん?)

直接、アインシュタインと関係あるかどうかはわからないが、
アインシュタインは、「R」を、いつも鏡文字で書いて
いた。

「TOYZARUS」は、どこかでアインシュタインを意識して、
そういうふうに書くようにしたのかもしれない。

これはあくまでも私の、個人的な推測によるものだが……。

++++++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より転載+++

非常に臆病で、生真面目でありながらも気さくな性格であった。
彼は常に発明はユニークな発想と考えており、自身を天才であるとはいささかも思ってい
なかったという。

ヴァイオリンの演奏を好んだ。しかしピアニストで友人のアルトゥール・シュナーベルと
アンサンブルを行った際、何度も拍の勘定を間違えるため、シュナーベルから「君は数も
数えられないのか」と呆れられたという。

靴下を履かない。当時の靴下は脆く、すぐに破れてしまうため嫌いだった。そのため、常
に靴を素足のまま履いていたという。

睡眠時間は1日10時間と言われている。

非常に面倒くさがりであったとされる。洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭い、灰皿に
食事を盛り付けると云う行動もあったといわれている。

最初の妻だったミレーバとの間に息子が二人。長男のハンスはカリフォルニア大学バーク
レー校で流体力学関係の教授を勤めた。二男のエドゥアルトは医学生時代に統合失調症を
発し、生涯回復せず、精神病院で亡くなった。後年公開された資料では、ミレーバとの破
局はアインシュタインの家庭内暴力が一因であり、病気を患った息子に対しても非常に冷
淡な態度を取り続けたことが公表されている。

ミレーバへの離婚の条件はノーベル賞を取って賞金をあげるというもので、2年後に本当に
受賞し賞金をあげたとされている。

笑わない。しかし、自身が舌を出している最も有名な写真は、1951年3月14日、アイン
シュタインが72歳の誕生日に、INS通信社カメラマンだったアーサー・サスの「笑ってく
ださい」というリクエストに応えてした表情を撮ったものである。さらにその写真はアイ
ンシュタイン本人もお気に入りで、9枚焼き増しを頼んだほどである。この写真は、1951
年度のニューヨーク新聞写真家賞のグランプリを受賞した。また、切手にもなった。

ノーベル賞受賞後、ニューヨークで、ある少女に数学を教えていたことがあった。少女の
母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき
彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及び
ません」と返答した。


Oren J. Turnerによる写真1947年

小学生のようにスペルを間違えることがままあったという。また、「R」の大文字を生涯鏡
字で書き続けた。

簡単な数字や記号を記憶することが苦手だったとされる。ある新聞社のインタビューの中
で、光速度の数値を答えられず、記者から揶揄されると「本やノートに書いてあることを
どうして憶えておかなければならないのかね?」と、やりかえしたという。

幼年時の学習状況、成人してからの振る舞いなどから、アインシュタインには何らかの障
害(アスペルガー症候群、学習障害)と共通していることが指摘されているが、医学的な
検証はなされていない。

彼は手紙好きであり、有名になってからも一万通以上も手紙をやり取りしていたらしい。

+++++++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より転載++++

アインシュタインの言葉や映像については、
私のHPより、(音楽と私)→(命について考える)で、
楽しんでいただけるようにした。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist Einstein アインシュタイ
ン アインシュタインの言葉 はやし浩司 アインシュタイン 少女 家庭教師)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司 

●実用的なことを教える(2007年9月に書いた原稿より)

++++++++++++++

この日本では、実用的なことを
教えるのは、邪道であるというふうに
考えている教師は多い。

統計的な数字があるわけではないが、
そういう風潮は、たしかにある。

このことは、アメリカの中学校で
使う教科書と比較してみると、
よくわかる。

アメリカの中学校では、「中古車の
買い方」(代数)というテーマから
数学の学習に入る(プレンティス版、
「代数」)。

金利計算(=小数の計算)、さらには
小切手の切り方などまで、その(流れ)
の中で教えている。

どうして教育が実用的であっては
いけないのか。アカデミックな部分も
必要かもしれないが、みながみな、
その道の学者になるわけではない。

+++++++++++++++

 「勉強は役に立たない」と考えている子どもは、多い。このほどベネッセが発表した「学
習基本調査」によると、「役に立つ」と答えた小学生の割合は、東京、ソウル、北京、ロン
ドン、ワシントンDC、ヘルシンキの中で、最低だったという。

 希望の進学段階も、北京の小学生の65・2%が、「大学院まで」と答えているが、東京
の小学生は、「高校まで」という回答が、相対的に多かったという。

 さらに学習時間数についても、東京では1時間以下が、49・3%いる一方で、3時間
半以上が、18・1%いるそうだ。

 全体の平均も、

 東京 ……101・1分
 ソウル……145・8分
 北京 ……131・6分、とか。
(以上、「学習基本調査の国際比較」、ベネッセ、東京、ソウル、北京、ロンドン、ワシン
トン、ヘルシンキの、小学5年生(10〜11歳、公立校)で調査。06年6月〜07年
1月、産経新聞より)
 
 私が住むこのあたりでも、「高校は部活動を一生懸命やって、推薦で高校へ入る」という
中学生が多い。北区にある、ある中学校の校長は、「そういう子どもが、全体の60%はい
る」と話してくれたのを覚えている。

 最近の子どもたちは、勉強をしなくなった。……というより、勉強する子どもと、しな
い子どもの二極化が、ますます進んでいる。その一方で、進学を目的とした受験競争は、
はげしくなっている。それが「東京では1時間以下が、49・3%いる一方で、3時間半
以上が、18・1%」という数字になって、表れている。

 なぜ学校の勉強はおもしろくないか? それについては、今まで繰りかえし書いてきた。

+++++++++++

【日本の教育が遅れるとき】 

●英語教育はムダ?

 D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日本語もよくわからない子ども
に、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。

しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、
外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送るの
はムダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。
しっかりとした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論をする前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校で
は、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている(※1)。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、
4歳児から子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立大
学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、
教育の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べている。
「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること(※2)」(長野県経営
者協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達し
ていて、子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こう
いう時代に、「英語を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文
法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者
になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体
系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。

こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっ
とかわいそうだ。

たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分
の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、3人称単数だの、そんなことばか
りにこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学1年の入
学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、1年の終わりには、ほとん
どの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なも
のなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切
なものなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つ
というのか。

こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生活
を営む上で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほし
い。「なぜ中学一年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばなら
ないのか」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から押しつ
けても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなけれ
ばいけないのかと思う」と、疑問に感じているというではないか(ベネッセコーポレーシ
ョン・「第三回学習基本調査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さて冒頭の話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。
こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語
を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもが
いる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。
早くから教える必要はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのよ
うにクラブ制にすればよい。またそれができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」
ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべ
き姿ではないのか。それでほとんどの問題は解決する。

※1……州政府は学習内容を六つの領域に分け、一応のガイダンスを各学校に提示してい
るが、「それはたいへんゆるやかなもの」(同小学校、オクーイン校長)とのこと。各学校
はそのガイダンスの範囲内で、自由にカリキュラムを編成することができる。

※2……ブレア首相は、教育改革を最優先事項として、選挙に当選した。それについて在
日イギリス大使館のS・ジャック公使は、次のように述べている。「イギリスでは、一九九
〇年代半ば、教育水準がほかの国の水準に達しておらず、その結果、国家の誇りが失われ
た認識があった。このことが教育改革への挑戦の原動力となった」「さらに、現代社会はI
T(情報技術)革命、産業再編成、地球的規模の相互関連性の促進、社会的価値の変化に
直面しているが、これも教育改革への挑戦的動機の一つとなった。つまり子どもたちが急
激に変化する世界で生活し、仕事に取り組むうえで求められる要求に対応できる教育制度
が必要と考えたからである」(長野県経営者協会会合の席で)と。そして「当初は教師や教
職員組合の抵抗にあったが、国民からの支持を得て、少しずつ理解を得ることができた」
とも。イギリスでの教育改革は、サッチャー首相の時代から、もう丸4年になろうとして
いる(2001年11月)。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【実用的な教育】(2007年9月に書いた原稿より)

● すべての国民は、国の教育機関で、平等な教育を受ける権利がある。……ということで、
学校教育は発達した。しかしそれが達成されたあとは、「教育」そのものに対する考え方は
変わってくる。変わって当然である。それはちょうど、食事に似ている。貧しい時代には、
腹がふくれれば、それでよかった。しかし人々の意識が、ある一定のレベルを超えると、
それは必要なことかもしれないが、それでは足りない。料理が発達し、人々が食生活に楽
しみを求めるようになったのと同じように、親や子どもたちは、教育に、「中身」を求める
ようになった。

+++++++++++++++

●何のための歴史教育

 生きた歴史教育は、「今」という時点で考えて、はじめて可能である。それはたとえて言
うなら、料理の教育に似ている。料理にしても、自分で作ってみて、はじめてそれがわか
る。

 昨夜も高校受験をひかえた中学生と話しあってみた。彼はこのあたりでも一番と呼ばれ
る進学校を受験することになっている。たまたまアヘン戦争の話をしたが、こう言った。

「道光帝が、林則徐を広州に派遣した。で、アヘンを没収し、イギリス貿易を中止したん
だ。それで一八四〇年に、イギリス議会が、清に対して宣戦を布告した……」と。

 そんな彼でも、私が「では、どうして今の北朝鮮が日本を目の仇(かたき)にしている
のか」と聞いても、「知らない」「わからない」と言う。「あんな国は、あっという間にやっ
つけてやる」とも言う。「しかし向こうは、100万人の兵隊をもっているよ。日本は20
万人だよ」と、私が言うと、「アメリカが、核兵器で始末してくれるさ」と。

●実用的でないのが教育?

 こうした例は、英語にも、国語にもある。恩師のT教授も、理科もそうだという。(私に
は理科教育はよくわからないが……。)日本の教育は、伝統的に、どこかおかしい? 本当
におかしい? 教えるべきことを教えないで、教えなくてもよいようなことばかり、教え
ている? 何かしら役にたたないようなことを教えるのが教育と、誤解しているような面
すらある。反対に、実用的なことは教えてはいけないというような風潮すら、ある。

 アメリカでは、中学校での上級数学(Advance Math)では、中古車の買い方から教え始
め、小切手の切り方まで教える。高校で車の運転のし方を教えるところも多い。もちろん
免許も学校で取れる(地方の高校など)。

●学者になるには、すぐれた体系
 
が、この日本では、その道のエラーイ先生がたが、教科書をつくる。だから日本の教科書
は、将来、数学者や歴史学者、英語の文法学者になるには、きわめてすぐれた体系をもっ
ている。しかしみながみな、数学者や歴史学者、さらには、英語の文法学者になるわけで
はない。そういう道に進むのは、全体の1%もいないのでは? 

 歴史教育にしても、なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去を学び、未来にその経験
や失敗を生かすためである。頭でっかちのモノ知りを育てるためではない。少し前だが、
こんなことを暗記している中学3年生がいた。

 「富山のチューリップ、長野の高原野菜、浜名湖のウナギ……」と。

そこで私が、「高原野菜って何?」と聞くと、「知らない……」と。さらに「浜名湖でウナ
ギの養殖なんか、もうしてないよ。みんな台湾や中国から輸入しているよ」と言うと、「い
いの、そんなことは!」と。こういう教育の現実を、いったい、どれほどの人が知ってい
るだろうか。

英語にしても、学校で習う英語は、まったく役にたたない。そんなことは、40年も前か
ら言われつづけてきた。50年かもしれない。しかしやっと重い腰をあげたのは、ほんの
数年前。その成果が出てくるのは、これから先、さらに20年後?

●教育の自由化を

 みなさん、もっと教育を自由化しよう。もっと教育を自由に考えよう。もっと教育を自
由の流れの中に置こう。ドイツやイタリアのように。カナダやオーストラリアのように。
今の日本の教育は、いまだに戦前のあの軍国主義時代の亡霊を引きずっている。学校万能
主義。第一主義。絶対主義などなど。私たちは、あの北朝鮮の教育体制を見て笑うが、ど
こがどう違うのか。私には、その「違い」がわからない。

 たとえばドイツでは、子どもたち(中学生)は、たいてい午前中で授業を終え、そのあ
と、好きなクラブに通っている。いろいろなクラブがある。月謝は1000円程度。費用
はチャイルドマネーによって、国によって補助されている。イタリアもそうだ。

大学についても、ヨーロッパは、全体として、すでに完全に共通化された。こういう時代
が、もう世界の常識だというのに、いまだに、学歴社会だのなんのと、バカみたい。いい
学校だの、いい大学だのと、バカみたい。学生たちは、その道のプロになるために大学へ
行く。大学院へ行く。しかも、だ。欧米では、奨学金を手にした学生たちは、自由に大学
間を渡りあるいている。

●人間選別の弊害

 今ごろ教育改革しても、遅い。遅過ぎる。この日本では、せっかくすぐれた才能をもっ
ていても、進学という関門を通りすぎるたびに、ふるい落されていく。つい先日も、O君
というマレにみる、優秀な子ども(小学生)がいた。小学3年生のときには、中学3年生
でもできないような難解な数学を、自分で考えた方法で解いていた。

しかしこういう子どもを伸ばす機関が、日本にはない。理解もない。そこで東京の私立中
学を受験したが、残念ながら、どこも不合格。「社会ができなかったから……」と、O君は
言った。

 こういうO君のような例は、本当に多い。が、これからは、もうそういう時代ではない。
貧しい時代の学校教育から、豊かな時代の学校教育へと変身しなければならない。その豊
かな時代とは何かといえば、それぞれの人が、自分の個性を光らせて生きる時代をいう。

これに対して、「全教科、まんべんなくできる子どものほうが、望ましい」という意見もあ
る。しかしその「全教科」にしても、本当に全教科なのか。私は以前、毎年、冬に刊行さ
れる「時事辞典」※を調べてみたが、学校で習う勉強など、その辞典の20分の1から3
0分の1にもならない。「全教科」「基礎学力」といいながら、何をもって全教科というの
か。何をもって、基礎学力というのか。

 たとえばオーストラリアのグラマースクールでは、中学1年レベルで、外国語にしても、
ドイツ語、フランス語、中国語、インドネシア語、日本語から選択できる。芸術にしても、
美術、音楽、演劇などが、それぞれ独立している。ほかに宗教もあれば、読書、キャンピ
ング、コンピュータなどもある。全体に広く浅く教えながら、子どもの多様性を認める教
育システムになっている。そして学外クラブも発達していて、それ以上に学びたい子ども
は、それぞれのクラブに通っている。

●自由度で決まる、国の力

 国家の力は、いかに民衆が自由であるかによって決まる。教育とて例外ではない。すぐ
れた教育というのは、いかに多くの、将来への選択肢を子どもに与えることができるかで
決まる。

 話がぐんぐんと脱線してしまったが、なぜ私たちが子どもを教育するかといえば、子ど
もたちが将来、多様性のある社会の中で、柔軟(フレキシブル)に、力強く生きていくこ
とができるようにするためである。

とくに歴史教育は、先にも書いたように、過去を学び、未来にその経験や失敗を生かすた
めである。しかしその歴史教育一つとっても、子どもたちの世界では、まったく役にたっ
ていない。日本よ、日本の親たちよ、本当にこんなことでよいのか?

注※「イミダス」の索引の中から、学校の授業(英数国社理)で扱うような項目と、そう
でない項目を分けてみた。その結果、ここでいう20分の1から30分の1という数字を
算出した。(以上、2007年9月記)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【BW小学1年生クラス】

●連算を教える(繰り上がりのある足し算)

++++++++++++++++++++

新小学1年生、2回目のレッスン。
この時期、子どもはやや荒れた状態になります。
この状態が数か月つづき、やがて少しずつ
落ち着いてきます。

今は様子をみます。
子どもによっては、神経疲れを起こします。

で、今日は、連算を教えてみました。
このあたりで種まき的に「繰り上がりのある足し算」
を教えておくと、やがてそれが子どもの脳の中で
ふくらみ、それを本格的に教えるとき、簡単に
理解してくれるようになります。

大切なことは、「楽しませること」。
そうした思いが、やがて子どもを前向きに引っ張って
いきます。
2011/04/19

++++++++++++++++++++

●新小学1年生クラス(2011年4月19日)

(1)

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(2)

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(3)

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com/embed/cSqzI-fkfGg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)

<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.
com/embed/uKE5kLU5UAc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●オーストラリア旅行、追記



Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●交錯する迷い(楽観論vs悲観論)

++++++++++++++++++

「日本はだいじょうぶ」という思い。
「日本はもうだめだ」という思い。
このところいつもこの2つが、交互に
心の中に現れては消える。

「日本は貧乏国になる」と言い切った、
アメリカ政府高官。
「日本はこのまま二流国になる」と
言い切った、中国政府高官。

この先、この日本はどうなるのだろう?
心配と不安。
それを考えると、どうしても気分が
重くなる。

++++++++++++++++++

●田丸先生よりの追伸(2011/04/22)(楽観論)

林様: Nature はいい雑誌ですけれど、他にも沢山の雑誌があります。本当に優れた論文
かどうかは 引用文献数を見ていれば解ります。光合成で電荷が移動するのは常識です。炭
酸ガスを還元する反応ですから。電子と炭酸ガスが反応して還元されて光合成が起こるの
です。確かに光合成は興味深い反応ですが、これまでもノーベル賞も出ています。よく勉
強をしていますね。頑張って下さい。田丸謙二

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 このメールの中で、田丸謙二先生は、「光合成の原理」について、一言で説明している。
「電子と炭酸ガスが反応して還元されて光合成が起こる」と。

 もしこのメカニズムを人工的に操作できるようになれば、つまり光合成が人工的にで
きるようになれば、人類は地球温暖化の問題と、食料不足の問題を、同時に解決すること
ができる。
端的に言えば、空気中の二酸化炭素を使って、食料を生産する。
もちろんエネルギーとしても、利用できる。
田丸謙二先生は、将来的には化石燃料(ガソリンなど)は枯渇し、アンモニアを主体とし
た燃料体系になると予測している。

 今まさに、その実現に向けて、研究が一歩一歩、前進しつつある。
田丸謙二先生を師とするグループが、現在、しゃかりきになって、その研究に取り組んで
いる。
これはまさに希望。
私たちが今、もっとも注目すべき研究分野は、この分野ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ホテル・旅館業(悲観論)

 日本経済新聞は、こう伝える。

『大手ホテルチェーンが宿泊料金の実質値下げに相次ぎ動き始めた。プリンスホテルや藤田
観光は連泊客を対象に正規料金比で6〜8割安いプランを発売。JR東日本グループでもイン
ターネット限定で同4〜6割引きの商品を売り出したホテルもある』(日本経済新聞・4月22日)
と。

 旅行先を選ぶとき、私は「ジャラン」とか「ゆこゆこ」を利用している。
「楽天トラベル」も便利。
ネットで検索。
そのまま申し込める。
料金も安い。
が、このところこの世界にも異変が起きている。
こんなことがあった。

 2週間ほど前のこと。
オーストラリアの友人が来るということで、近くの温泉旅館に予約を入れた。
3人2部屋ということで、料金は、5万円弱。
ポイント割引を使ったが、それでも4万5000円前後。

 が、先週の末、その旅館へ行ってみて、びっくり。
こういう時期だから……と思っていたが、ものすごい混雑。
「?」と思って聞いてみると、「いつもこうです」と。

そんなはずはない……?

 で、家に帰って再度ネットで調べてみる。
するとこんなことがわかった。
その旅館では、「直前割引」というのを実施している。
土曜日の宿泊についてのみだが、その前日〜に申し込むと、1泊8000円!
同じ宿泊条件で、8000円!

 つまり2週間前に予約した方が、割高。
割高というより、2倍!
ただし直前割引をするかどうかは、あくまでも旅館次第。
いつもしているわけではない。
「客が少ない」と判断すると、直前割引をそのつど実施する(……らしい)。

 が、こうした異変は、あちこちのホテルや旅館で起きている。
数年前に泊まった、愛知県のKR観光ホテルでも、一泊8000〜9000円で泊まれる。
その温泉街では、最高級旅館。
数年前に泊まったときには、正月ということもあり、1泊2万3000円前後だった。
利用する私たちとしてはうれしいが、あまり安いと、かえって気が引ける。
泊まっていても、落ち着かない。
言い換えると、この業界も、死にものぐるい。
生き残りをかけた、最終局面を迎えている。

 それがわかるから、かえって暗い気分になってしまう。

(付記)

 そう言えば、今回、その温泉旅館に泊まってみたが、料理の質があまりよくなかった。
うまくごまかしてはいたが、やはりそれだけの料理。
「安いからいい」と思って泊まるのは、やはり考えもの?

 このままでは旅館業、ホテル業は、共倒れになってしまう?


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司※

【新小学1年生に足し算の種まき】

++++++++++++++++++++

繰り上がりのある足し算を学習するのは、
ずっと先ですが、この時期に、簡単に
種まきをしておくと、そのときがきたとき、
スムーズに繰り上がりのある足し算を理解
してくれます。

今回は、その種まきをしてみました。
2011年4月21日、新小1クラスで。

BW教室のみなさんは、復習のつもりで
家庭でご覧いただくと、よいかと思います。

++++++++++++++++++++

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2011/04/22
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼児と楽しもう+笑おう、1、2、3!】(5歳児クラス)byはやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタイト
ル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm5.
static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" height="250" alt="●BL
OGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>

●4月からの、新5歳児クラス

++++++++++++++++

日本は元気です。
そんな元気を、このビデオを通して、
みなさんにお伝えしたいです。

今日のテーマは、「子どもといっしょに
楽しもう、幼児教室」です。
今回は、テンポを速くし、子どもたちの
頭を熱くすることを考え、指導しました。
この4月に年長児になったばかりの、
満5歳児のみなさんです。

いろいろと誤解の多い幼児教室ですが、
このビデオを通して、その誤解を
解いてくださればうれしいです。

どうすれば子どもが伸びやかになるか、
そのヒントを、このビデオの中に織り込み
ました。

++++++++++++++++

BW幼児教室(BW子どもクラブ)
by
はやし浩司

Hiroshi Hayashi
Hamamatsu
Japan

April 22nd 2011

++++++++++++++++

●(あいうえお、発音、平仮名は楽しい)

(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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www.youtube.com/v/w7OB1vT1p3U?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
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●さらに見てくださる方は……

「はやし浩司」を検索→「はやし浩司の最前線の子育て論・メインHP」→「BW公開教室」へ。
どうぞ、おいでください!


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【バッド・モーニング(Bad Morning)】

●山荘にて(4月23日)

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。
午後10時ごろだったか?
よく覚えていない。
着いてからしばらく、お茶を飲んだりした。
軽い食事もした。
が、そのあと、はげしい睡魔に襲われた。
そのまま就寝。

 今朝は、午前5時起き。
今、時刻は、午前5時25分。
いつもならウォーキングマシンで、運動をする。
が、この山荘には、ない。

 居間でパソコンを立ち上げ、メールを開く。
データ端末機(USB接続)を購入した。
こんなところでも、自由にネットにつながる。

 便利。
楽しい。

●悪夢

 久々に悪夢で目が覚めた。
どこかの国の、どこかの通り。
今にして思えば、昔のキングスクロス(シドニー)の
一角ではなかったか。
あるいはタイのバンコック?
あやしげな店がずらりと並んでいた。
薄暗いネオンサインと、これまたあやしげな男や女たち。

 その一角にあるホテルに私は泊まっていた。
が、私、ひとりだけ。

 ここから先は、いつものパターン。
飛行機に乗る時刻が迫っていた。
が、部屋の中は散乱していて、足の踏み場もない。
中央には大きな旅行バック。

 私は通りへ出た。
そこは古い校舎の中のようになっていた。
窓のない壁だけの廊下。
ドアだけが、いくつか並んでいた。
そのひとつを開けると、4〜50人の生徒がいた。
中学の同級生だった。
私はどうやら修学旅行で、ここへ来ているらしい。
みな、荷物を片付け、出発の準備をしている。

 ハラハラ、ドキドキ……。
「早く、出発の用意をしなければ……」と。
私はそこで目を覚ました。
同時に、ワイフの寝息が、横から聞こえてきた。
私は、ワイフにしがみついた。

●睡眠時無呼吸症候群(SAS)

 これはあくまでも私の推察。
その瞬間、つまり私が悪夢を見る、その瞬間、私は
睡眠時無呼吸症候群に襲われているのではないか(?)。
友人の1人も、その病気。
毎夜、空気マスク(CPAP)をつけて、眠っている。

 今、こうして思い出してみると、結構長い夢だった
ような気がする。
が、実際には、数十秒程度。
その数十秒の間、私は無呼吸状態にあった。
悪夢から覚めたとき、ハーハーと深い息を繰り返すのは、
そのため(?)。

 悪夢を見るから、呼吸が止まるのか。
呼吸が止まるから、悪夢を見るのか。

●雨

 山荘はこれからベスト・シーズンを迎える。
すでにあちこちの木々は、若芽を吹き出している。
淡い色の若芽。

 ……たった今、屋根を打つ雨の音が聞こえてきた。
パラパラ、ザーッ、と。
こんなときは、小鳥もさえずらない。
いつもならウグイスの声が、真っ先に聞こえるはずなのだが……。

●今日の目標

 今日の目標は、書斎の模様替え。
夏モードにする。
つまり私は、こうして年に2度、書斎の模様替えをする。
冬モードから夏モードに。
夏モードから冬モードに。

 が、今回は、座椅子式の書斎から、椅子+デスク式の
書斎に模様替えする。
昨日、近くの家具屋で、椅子とデスクを見定めてきた。
それを買い、それを並べる。

 で、もうひとつしなければならないことがある。
今まで使ってきた、有料のHPサービス会社から、
突然、サービス停止の連絡が入った。
「5月25日をもって、サービスを停止します」と。
理由のひとつとして、3・11震災のことが書いてあった。

 今日中に、どこかの無料HPサービスへ、いくつかの
HPを移動しなければならない。
が、これが結構、めんどう。
HPどうしが、有機的にあちこちのHPとつながっている。
からんだ糸をほぐすように、それらをすべて一度、つなぎ
なおさなければならない。

 それともうひとつ。
10年以上、電子マガジンを発行してきた、E社の
経営が、行き詰ったらしい。
6月以後は、有料になるとか。
つまり電子マガジンを発行するのも、有料になる。
月額3000円。

 一応「継続」の返事を書いておいた。
今まで無料で世話になった。
その礼の気持ちもあった。

 ……ということで、この世界も、目下、激動中。

●諜報部員

 昨夜のこと。
眠かったこともあるが、何も考えられなくなった。
「ボケたみたい……」とワイフに話しかけると、
ワイフも横でウトリ、ウトリ……。

 「おい、もう寝ようか?」と声をかけると、
ワイフが突然、こんなことを言い出した。
「ねえ、あのSさん(オーストラリア人)、
仕事は何をしているのかしら?」と。

 私も気にはなっていた。
が、薄々は感じていた。
しかし聞いたことがない。
もちろんS氏も、話さない。

 S氏は、オーストラリア人だが、日本語は
もちろん、フランス語もドイツ語もペラペラ。
マンドリン(広東語)も話せるから、東南アジアでも、
不自由はない。
1〜2年ごとに世界中を、飛び回っている。
旅行というよりは、飛び回っている。

 「うん、あいつねエ……。
ひょっとしたら、諜報部員だよ」と。

●インド人のM君

 そのときM君(インド人)は、ニューデリーの
A国大使館に勤務していた。
そのM君から突然、電話があり、東京まで会いに
行ったことがある。

 新宿の、当時できたばかりの高層ホテルで会った。
そこでのこと。
M君は服を脱いで、それをベッドの上に投げた。
その瞬間、私の心臓が冷えた。

「何だ、そのピストルは!」と。

 M君は、胸のホルスターにピストルをぶらさげていた。
が、M君は、「それがどうした?」というような顔。
私たちがサイフをしまうように、ピストルをどこかへ
しまった。

 そのときの話を、ワイフが思い出した。
「日本には、そういう人はいないの?」と。

●内閣情報調査室(CIRO)

 日本国も、諜報活動をしている。
つまりスパイは、いる。
それを取り仕切っているのが、内閣情報調査室。
ただ敗戦国ということもあって、アメリカやイギリス、
ロシアや中国のように、派手ではない。
現地人を雇って、合法的に情報を仕入れる。
日本のばあい、諜報活動といっても、その程度。
(……私はそう聞いている。)

 一方イギリスには、諜報専門学校というのもある。
同級生の中には、メルボルン大学を卒業したあと、
その学校に進んだ者もいる。
P君といって、仲のよい友人だった。

 だからというわけでもないが、私は諜報部員と
聞いても驚かない。
世界中に、うようよといる。
活動の仕方は、さまざまだが、うようよといる。
数年前に亡くなったが、R氏もその1人だった。

一応、英語教師という肩書きだったが、
日本で英語を教えたという実績はない。
しかし自由に日本とアメリカの間を行き来していた。
その間に、数か月単位で、世界中を飛び回っていた。

 10年ほどつきあったあと、「君はCIA部員か?」と
聞くと、肯定も否定もしなかった。
「君の思いたいように、思え」と。

●CIA vs CAI

 実は、この話には、こんなエピソードがある。

 浜松に、CAI(CIAではない)という会社がある。
コンピュータのソフトを制作している会社である。

 その会社の依頼で、私がいくつかの原案を提供した。
原稿を袋につめて、その袋に、「CAI」と書いた。
たまたまその場に、R氏がいた。
「CAI」という文字を見て、R氏は、敏感に反応した。
それで私も、ピンときた。
「君はCIA部員か?」と聞いたのは、そのときのことだった。

●産業スパイ

 政府機関直属のスパイは別として、産業スパイとなると、
それこそこの浜松市にも、ゾロゾロといる。
義兄がこんな話をしてくれた。

 義兄は日本を代表する、某楽器メーカーに勤務していた。
そのときのこと。

 ある日、上司から、「今度韓国から、研修生が来るから、
めんどうをみるように」という指示を受けた。
「研修生」というから、若い学生を予想していた。
が、会うとみな、30代の、屈強な体つきの男たち。
日本語もうまい。

 で、ある夕方のこと。
研修生の1人と事務所で話をしていると、突然、
何かの設計図を見たいと言い出した。
そこで義兄が軽く、「いいよ。その引き出しに
入っているよ」と。

 するとその研修生は、「ここぞ」とばかり、つぎつぎと
引き出しをあけ、奥の奥まで、調べ始めたという。
「まずい」と思って、義兄はそれを制止しようとしたが、
義兄の言うことなど、無視。
その研修生は、書類をコピーし、
それをもって帰っていったという。

 「そうい事件がいくつか重なってね、それ
以後、会社のほうから、重要な書類は研修生に
は見せないようにという指示が出たよ」と。

 当時(今から20〜30年前)、全国津々浦々、
村レベルにまで、韓国の産業スパイがいた。
「いた」というより、はびこっていた。
韓国政府は、国策として、それをしていた(?)。
私がここに書いたことがウソでないことは、
韓国の現在の産業構造を見ればわかるはず。

 電子産業に始まり、造船、鉄鋼、自動車……。
すべて、当時、日本が先導していたものばかり。

●日本は甘い

 一歩、日本の外に出れば、そこは海千山千の世界。
無法地帯。
それに比べて、日本は、守備が甘い。
液晶テレビにしても、プラズマテレビにしても、
はたまた有機液晶テレビにしても、製品のほうは、
外国で先に生まれる。

 今度はTOSHIBAが、裸眼3Dテレビを開発したというが、
恐らくそれも、外国で先に製品化されるだろう。
そういう現実を見せつけられると、「いったい、この
日本は何をしているのか!」となる。

 あるいは中央省庁あたりにも、スパイが入り込んで
いるのかもしれない。
彼らはいつも先手、先手で、日本の技術を盗んでいく。
「いいのか、日本!」と叫んでも、空しい。
その声は、どこにも届かない。
日本には、スパイそのものを取り締まる法律がない。
産業スパイなどは、まさに野放し。

●団塊の世代

 「団塊の世代は、そういう意味でも、たくましいね」と私。
「今の若い人たちを見ていると、みな、うさぎみたい」とも。
やさしいというか、ナヨナヨしているというか……。
飼いならされた猫か犬のよう(失礼!)。
少なくとも、団塊の世代には、そう見える。

 先週から今週にかけて、韓国ではこんな事件が起きた。
まずアップル社(アメリカ)が、韓国のサムスン社を
訴えた。
特許権侵害で、である。
が、これに対抗してすかさず今度は、サムスン社がアップル
社を訴えた。
特許権侵害で、である。
長い間、アップル社とサムスン社は、共存関係にある。
それでもたがいに、そういう形で、火花を飛ばす。

 それが世界のやり方。
が、この日本はどうか?
TOYOTAにしても、プリウスの急加速問題は、結局は
濡れ衣だった。
莫大な損害を被った。
が、そのあとTOYOTAが、アメリカ側を訴えたという
話は聞いていない。

●とどめの一発

 寝る前にワイフがこう言った。
「日本の高度成長は、団塊の世代とともに始まり、
高度成長は、団塊の世代とともに、終わったのね」と。

 たいへん悲観的な見方だが、今回の3・11震災は、
とどめの一発になった。
本来なら、日本が高度成長期にある、そのときに、
今の時代の準備をしておくべきだった。
夏の終わりには、秋が来る。
冬も来る。

 が、この日本がしたことといえば、収入の増加を
見込んで、ぜいたくのし放題。
無駄遣いのし放題。
借金に借金を重ね、自ら、身動きできなくしてしまった。
結果、3・11震災の復興資金さえ、ない!

一家の家計にたとえるなら、稼ぎ柱の父親が病気で
倒れた。
が、妻は相変わらず趣味三昧。
息子と娘は、ドラ。
借金の返済だけで、四苦八苦。
治療費など、どこにもない。
そこでまたまた借金!

●バッド・モーニング

 まあ、考えてみれば、どれもこれも政治が悪い。
政治家が悪い。
しかしもっと悪いのは、そういう政治しかできない
政治家を選らんだ私たち。
私たち庶民。

 が、さらに言えば、私たちは思考力を失ってしまった。
つまり思考力の欠如。
そこに(おかしいもの)があっても、「おかしい!」と
それを見抜く力さえない。
だから声もあげない。

たとえばこれだけ不公平社会が蔓延していても、
いまだに野放し。
去年も、あのJ社(航空会社)の退職者たちが、45〜47万円(月額)の
年金を受け取っていたことが発覚した。
たまたまJ社の破綻がきっかけで、それが明るみになった。

 J社は言うなれば、半官半民のグレイ会社。
そんな会社でも、そう。

●増税?

 ……数日前も、郊外の道路を走っているとき、
中央分離帯の草刈をしている光景を見かけた。

 前後に車が数台。
10〜15人近い作業員が、草刈をしていた。
市の仕事を請け負う、どこかの下請け会社(=天下り先会社)
の作業員たちなのだろう。
一見、のどかな光景。
が、それを見たとき、私はこう思った。
「国家危急の、どうしてこんなときに、草刈なのか!」と。

 そんなお金があるなら、東北へ回せばよい。
そんな人員がいるのなら、東北へ回せばよい。
どうしてこの日本では、「国」として、そういう行動が、
機敏に取れないのか!

 ……こんなことをしていたら、この日本は、本当に
破産するぞ!
そういう危機感が、まるでない。
緊迫感もない。
今度の震災についても、政府は財源を増税でまかなおうとしている。
つまり借金。
ふつうなら、支出(無駄な土木建設費、人件費)を減らす。
減らした分を、復興費に回す。

 年金にしても、そうだ。
今やその不公平感は、頂点に達している。
が、これも結局は、思考力の欠如が原因ということになる。

 ……とまあ、話がどんどんと脱線していく。
ものの見方が、過激。
プラス、グチ。

これも、あの悪夢が悪い。
そのため今朝は、気分も悪い。
が、悪夢が原因で、こんな文章を書いたのか。
それとも現実が悪いので、悪夢を見たのか。

●4月23日

 ともかくも、今朝は、こんなエッセーで始まった。
外は、相変わらず、雨。
降り方が激しくなった。
英語なら、「グッド・モーニング」ではなく、
「バッド・モーニング!」と言うべきか。

 みなさん、おはようございます。
今日も始まりました。
ワイフも起きてきました。
今日も、がんばりましょう。
がんばるしか、ないのです。

2011年4月23日朝記。


Hiroshi Hayashi++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【非日常的な現実の中で……】

●原発事故(4月23日)(慣れが油断を誘う。それが怖い。)

++++++++++++++++++

毎朝、パソコンを立ち上げると、
真っ先に見るのが、原発ニュース。
「今日は、だいじょうぶか?」と。

で、今朝は、こんな記事が載っていた。
いわく「……内閣府原子力安全委員会は23日、
東京電力福島第一原子力発電所から大気中に
放出された放射性物質の量が、放出量が落ち着いた
今月上旬の時点でも、1日あたり154テラ・ベクレル
(1テラは1兆)に達していたことを明らかにした」
(読売新聞・4月23日)と。

154テラ・ベクレル?

154テラ・ベクレルとは何か?
ついでにシーベルトとは何か。

「MEMORVA・HP」では、つぎのように
説明している。

++++++++++ベクレルとシーベルト++++++++++++

ベクレルは1秒当たりで定義されている単位ですが、換算されたシーベルト値は
体内に取り込んだ放射性物質が体内に存在している間に人体に影響を及ぼすと
思われる線量。

線量の積分期間は、作業者および成人の一般公衆で50年、子どもでは摂取した
年齢から70歳まで。

摂取した放射性物質は時間とともに減少し、減少する早さは放射性物質の
種類により異なります(半減期を参照)。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

あちこちのサイトを、流し読みしてみた。
しかしイマイチ、どうもよくわからない。
154テラ・ベクレルというのは、
ものすごい数字らしい……ということまでは、
わかる。
しかしその程度。
どの程度、ものすごいかまではわからない。

内閣府原子力安全委員会は、つぎのように
述べている。

『放出量はあくまでも推計で、誤差や変動も大きいと考えられる。
原発周辺での空間線量は徐々に下がっていて、ただちに健康に影響を
及ぼす線量ではない』(同)と。

ア〜ア、ここでいつもの決まり文句。
「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではない」と。

「ただちに〜〜ない」というのであれば、いつなのか?
いつ影響を及ぼすようになるのか。

++++++++++++++++++

●ベクレルとシーベルト

 が、ここでくじけてはいけない。
「わからない」では、すまされない。

 東北電力のHPは、つぎのように説明している。

『放射線による人体への影響度合いを表す単位を「シーベルト(Sv)」、
放射性物質が放射線を出す能力を表す単位を「ベクレル(Bq)」といいます。

放射性物質にはさまざまな種類があり、放射性物質によって、放出される
放射線の種類やエネルギーの大きさが異なるため、これにより人体が受ける
影響は異なります。

このため、放射線が人体に与える影響は、放射性物質の
放射能量(ベクレル)の大小を比較するのではなく、放射線の種類やエネルギー
の大きさ、放射線を受ける身体の部位なども考慮した数値(シーベルト)で
比較する必要があります』(以上、東北電力HPより)と。

 少しわかってきたぞ。

●シーベルト……人体への影響の度合いを表す単位。
●ベクレル……放射性物質が放射線を出す能力を表す単位。

 放射性物質、放射能、放射線……。
私たちはこれらの言葉を、混同して使っている。
が、正しくは、「放射性物質が漏れると、放射能による放射線が心配される」
(某サイト)ということらしい。

 つまり同じ放射性物質といっても、それから発する放射線の種類はさまざま。
半減期もさまざま。
放射能量(ベクレル)が多いからといって、そのままそれが人体への影響に
比例するというわけではない。
だからベクレルをシーベルトに、単純に換算することはできない。
(その反対もできない。)

 で、最初の命題。

154テラ・ベクレルという放射能量は、多いのか、少ないのか?

●チェルノブイリ

 (この間、20分ほど)

 ……先のところを書いたあと、チェルノブイリ事故についての記事を読んだ。
ウィキペディア百科事典の「原子力発電所事故」(「チェルノブイリ」で検索)
が、もっとも詳しいのではないか。

 それによると、ミスと無知が重なり、4号機が爆発。
およそ10トンもの放射性物質が、空中へ散ったという。
その結果、放射性物質が北東部を中心に、約300キロまで飛散。
北東部のロシア連邦へは、約650キロまで飛散。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/71/imgd4a5f8e4zik6zj.gif
" width="698" height="558" alt="チェルノブイリの原発事故と放射性物質の拡散">

 同心円状に飛散したというよりは、スポット的に飛散したらしい。
(とくに放射性物質の降下量の多い地点を、「スポット」と呼ぶ。)
今回の福島第一原発がかかえる放射性物質は、チェルノブイリ発電所の量とは、
比較にならない。
つまり福島第一原発の方が、はるかに多い。

 仮にもし福島第一原発の原子炉が、一機でも爆発すれば、万事休す。
もうだれにも手がつけられなくなる。
つぎつぎと原子炉は爆発。
放射性物質は風に乗り、100キロ単位で、日本中を覆う。
「20キロ」とか、「30キロ」とか、そんな範囲の話ではない。
それこそ半径500〜600キロ以内には、人はだれも住めなくなる。

 で、154テラ・ベクレル。

 が、問題は「量」ではない。
すでに放射性物質が外に漏れ出ているという事実。
チェルノブイリでもそうだが、25年たった今でも、危険はそのまま。
石棺で覆ったというが、その石棺そのものが老朽化し、危険度は増しているという。
つまりこの日本でも、この先、何十年も、放射性物質は漏れつづける。

●「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではない」

 とても残念なことだが、原子力保安院や東京電力、さらにはNHKテレビなどで
コメントを述べる科学者たちの言葉を、私は信用していない。
ウソは言わないが、本当のことも言わない。
その言葉のひとつが、これ。

「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではない」。

 「ただちに」とは、どういうことか。
「健康に影響を及ぼす」とは、どういうことか。

 よくX線写真を撮影するときの放射線量と比較した話が出る。
事故直後、つぎのように言っていた解説者がいた(NHK)。
「1時間、その場で放射線を浴びたとしても、胸のレントゲン1枚分です」とか何とか。

 1時間で1枚?
ということは、1日で24枚?
1年間で、8760枚!

 たとえ1年間でも、8760枚もX線写真を撮影すれば、その人はどうなるか?
ものごとは、常識で考えてみたらよい。
つまりこの種の、ウソというか、ごまかしが多い。
注意深く聞いていないと、そのまま騙(だま)されてしまう。

 「ただちに」影響があるような量とは、いったい、どれほどの量をいうのか。
このばあい、「影響」とは、「火傷(やけど)」、もしくは「死」を意味するのか。
だったら、「ただちに死ぬことはありません」とか、そういう言い方をすればよい。
「徐々に、2年以内に死にます」でもよい。

 そう言えばみな、何も「国」に言われなくても、自ら避難していく。

●日々に薄れていく緊張感

 原発事故も怖いが、それ以上に怖いのが、「慣れ」。
すでに多くの人は、原発事故が片づいたかのように錯覚している。
今夜あたりも、バラエティ番組が復活している。
あるテレビ番組は、ニューハーフを特集していた。
男性が化粧と女装で、美しい(?)女性に変身する。

 こうした慣れが、油断を生む。
その油断がこわい。
が、事実として、福島第一原発の問題は、何も解決していない。
(何も解決していないぞ!)
毎日の報道を注意深く読んでみるとわかるが、むしろ状況は悪化している。

 そこでもっとも危惧されるているのが、原子炉の爆発。

 それを起こさないよう、現場の作業員の人たちは目下、懸命な作業を繰り返している。
めったなことはないと信じたいが、油断も予断も許されない。
いつ何時、「想定外」のことが起こるか、わからない。
余震にしても、完全に収まったわけではない。
むしろ震源域は、西へ、西へと移りつつある。
今や東京ー静岡が危ない!

 だから私たちは、今から心構えだけは、しっかりともつ。
何が起きても動じないだけの心構えである。
準備と言ってもよい。
「想定外のことは起きないだろう」という前提ではなく、「起きるかもしれない」という
前提で、心の準備をする。

 そのとき、どうするか?
私なら、どうするか?
あなたなら、どうするか?

 それを常に考えておく。
私が心配するのは、その緊張感が薄れたとき。
そのとき、ここに書いたように、油断が生まれる。
チェルノブイリでの原発事故も、そうして起きた。

●不気味

 某週刊誌によれば、現場の作業員の人たちにしても、精神的、肉体的に、すでに
限界にきているという。
決死の覚悟で、作業に当たっているという。
そうだろうと思う。
たいへんな作業だろうと思う。
現場の人たちには、本当に頭がさがる。
ときどき申し訳ない気持ちになることさえある。

どうか、どうか、がんばってほしい。
日本の将来のために、がんばってほしい。

 で、私たちは私たちで、改めてここで、たるみ始めた緊張感を、もう一度、引き
締めなおそうではないか。
それがとりもなおさず、現場で作業している人たちへの、力強いエールとなる。

 それにしても「1日あたり154テラ・ベクレル」というのは、どの程度の
放射線量をいうのか。
それがはっきりわからないだけに、不気味。
不安。
心配。
相手が相手だけに、どうとらえたらよいのか、その見当もつかない。
2011/04/23

(付記)

 政府は、「増税」で、復興資金を捻出しようとしている。
しかしそんなことをすれば、弱り目に祟(たた)り目。
そうでなくても日本経済は、薄氷の上を歩くような綱渡りを強いられていた。
そこへもってきて震災、大津波、さらには原発事故とつづいた。
日本経済は大打撃を受けた。

 今や農業、水産業……それにつづいて観光業……。
ついでに工業までおかしくなってきた。
こんな状況で増税したら、どうなる?
バカも休み休み、言え。
私のようなド素人でも、この程度のことはわかる。

 大切なのは、歳出のカット。
公務員の給料大幅カット、公務員年金の大幅カット。
20%前後のカットは、当たり前。
そこで浮いた分を、復興費に回す。
(この際、年金の信頼性など、どうでもよい。
年金の信頼性など、とっくの昔に崩れている!)

 今や日本中が、青息吐息。
つい数か月前、一泊3500円(朝食付き)で泊まれるビジネスホテルに
驚いた。
「たったの3500円で泊まれる!」と。
市内でも有数のビジネスホテル(KR荘)である。
が、昨日、ネットで調べたら、それが2800円になっていた。
700円のプライス・ダウン。
20%のプライス・ダウン。

 ここで増税したら、それこそ今度は、経済災害。
この私だって、やる気をなくす。
みんな、やる気をなくす。
やる気をなくすだけではない。
いいか、そのあと待っているのは、デフォルトだぞ。
国家破綻だぞ。
公務員の給料も、年金も払えなくなるのだぞ。
わかっているのか!


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●改めて、浜松祭り中止について考えてみる(浜松市民、もの言わぬ従順な民)

+++++++++++++++++

浜松まつり本部の会長が、
鈴木康友氏?
浜松市長?
どうして?
どうして祭りの
会長が市長なのか?
市民の祭りまで、市長に
管理されているのか?

+++++++++++++++++

●中止になった浜松まつり(祭り)

 浜松まつり本部(浜松市役所内、観光交流課)は、去る3月18日、今年度の
浜松祭りの中止を決定した。

鈴木康友浜松市長名で出された通達には、いくつかの理由が並んでいる。
通達の一部を抜粋する。

+++++++++++以下、中止通達の一部++++++++++++

 ……こうした状況のなか、参加自治会の代表である浜松まつり本部総務部会を開催したとこ
ろ、一部には、「例年同様にやりたい」、「規模縮小で開催」という意見もあったものの、多くは、
「開催しても参加を辞退する」、「初家からも辞退申し出がある」、「中途半端なまつりはやるべ
きではない」、「どちらにしても皆が足並みを揃えるべきだ」などの意見が出され、まつりの性格
上制限をかけたまつり開催が難しいことを含め、地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上
である「浜松まつり」の運営が事実上困難であると判断し、開催しないほうがよいとの結論に達
しました。

あわせて、例年、多くの関係機関のご協力のもと、まつりの安全運営に努めてまいりました
が、交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に例年同様の対応について依頼すること
が難しいと想定されます。

これらのことから、浜松まつり本部を構成する4団体で協議し、3月18日に「浜松まつり行事す
べてを中止する」ことを決定させていただきました。

3月19日からの連休中に本格的なまつり準備を進める自治会も多いことから急遽、記者発表
させていただいた次第です。

+++++++++++以上、中止通達の一部++++++++++++

●祭り

 祭りなどというものは、やりたい人が、やりたいときに、やればよい。
やりたくない人は、やらなくてもよい。
それが原点。
全員参加が望ましいが、しかしかならずしも、それにこだわる必要はない。
つまり祭りというのは、庶民レベルから、庶民のエネルギーが結集して生まれるもの。
江戸時代という封建時代ならともかくも、「お上(かみ)」うんぬんが、口を
出すべきことではない。

 よい例が、官製祭り。
浜松市も、ほぼ10年ごとにいろいろな祭りを企画し、何とか軌道に乗せようとして
きた。
が、官製祭りは、ことごとく失敗している。
最初の数年はもりあがるものの、その後衰退、消滅。

 世界の祭りを見てみろ。
北朝鮮のような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて統制されている。
一方、オーストラリアのような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて庶民が主体となって推し進める。
役人が口を出すのは、つぎのつぎ。
ふつうは、口を出さない。

●安全運営?

 通達をよく読んでほしい。
浜松祭りは、つまりは役人の「ご都合主義」によって、中止された。
安全確保がむずかしいとか、何とか。
いわく「……交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に
例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます……」と。
 
 ここに出てくる「安全運営」という言葉。
その言葉に注目してほしい。

この言葉ひとつで、浜松祭りは、キバを抜かれてしまった。
「祭り」というよりは、「管理行事」。
何から何まで、管理、管理、また管理。
今では、祭りに出るにも、有料のワッペンが必要。
練り(祭りの行進)に参加するのにも、提灯が必携品。
そのほか定められたルールを数え上げたら、キリがない。

 結果、浜松祭りは、どうなったか?

 私が浜松へ来たころの祭りは、おもしろかった。
迫力もあった。
けが人も続出したが、喧嘩とけがは、祭りのつきもの。
それがあるから、「祭り」。

また練りにしても、ゲリラ隊というものもあった。
それぞれのグループが、好き勝手に、浜松市内を練った。
私は、よそ者ということもあって、町内の祭りには参加できなかった。
毎年ゲリラ隊のほうで、祭りに参加した。
結構それが、おもしろかった。
今からちょうど40年前のことである。

●自己責任

 話はそれるが、「自己責任」という言葉がある。
が、私たち日本人は、何か問題が起きると、すぐ「国が……」「国が……」という。
世界でも類を見ないほど、「国」に対する依存性の強い国民と考えてよい。

 たとえばアメリカでは、崖っぷちを走る道路にさえ、ガードレールはない。
オーストラリアでも、ガードレールはめったに、見かけない。
「事故を起こすのは、あなたの勝手」と。
「自己責任」のルールが、徹底している。
こんなことがあった。

 アメリカ大陸を縦断して、ミズリー川という、とてつもなく大きな川が流れている。
あの川は、数年おきくらいに氾濫し、大洪水を引き起こしている。
私がたまたまアメリカへ行ったときも、そうだった(2001年・9・11事件の
あった年)。
で、私が「どうして護岸工事をしないのか?」と聞くと、市の福祉課(アーカンソー州・
リトルロック市)に勤めていたS氏がこう話してくれた。

 「ミズリー川の護岸工事には、莫大な費用がかかる。
そんな護岸工事にお金をかけるくらいなら、洪水で流された家を、建てなおしてやった
ほうが安くつく。
それに護岸工事をすれば、自然の景観を壊してしまう」と。

 洪水で流される家の持ち主にしても、流されたからといって、文句を言わない。
最初から、そういうものと割り切っている。
洪水だけではない。
ハリケーンや竜巻にしても、そうだ。

●中止、反対 

 想定外の(?)大震災、それにつづく大洪水。
東北地方の人たちは、たいへんな被害を被った。
それは事実だが、だからといって、浜松祭りを中止するのは、どうか。
私は浜松市が祭りの中止を発表した翌日の3月19日朝に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Fight Back (2)【浜松祭り・中止反対!】

+++++++++++++++++

2011年3月19日。

Fight Back (2)。

元気な町が、元気を失ってはいけない。
元気な町まで、沈んではいけない。
元気な町は、さらに元気を出す。
さらにがんばる。
この先、この日本を支えていくのは、
元気な町。
つまり、浜松!
この浜松市!
その元気を見て、ほかの町もがんばる。
ほかの県もがんばる。
それを見て、日本もがんばる。

運命はある。
あるが、最後の最後のところで、ふんばる。
ふんばるところに、生きる意味がある。
価値がある。
運命に負けてはいけない。
運命を恐れてはいけない。
恐れたとたん、運命は、キバをむいて、
私たちに襲いかかってくる。
運命というのは、そういうもの。

今が、そのとき。
さあ、ふんばろう。
浜松のみなさん、がんばろう。
被災地のみなさんに、こう言って、エールを
送ろう。
日本は、まだまだだいじょうぶ!
私たちががんばって、復興資金を作る。
その資金で立ちなおる。
東北の都市を、すべて、再興させる。
放射能で汚染された土地は、すべて取り除く。
新しい土をそこに敷く。
米を作る。
再び、福島米を食べる。
岩手米を食べる。
その日まで、私たちは負けない。
さあ、ファイト・バック!

++++++++++++++++++

●浜松の人たちへ

 何も浜松が津波の被害を受けたわけではない。
悲惨な天災だったが、何も私たちまで意気消沈することはない。
仮に福島第一原発が爆発しても、浜松はだいじょうぶ。
距離にして、約500キロ。
多少の放射線量はあがることはあっても、そこまで。
人体に被害が及ぶことはない。

 大切なことは、そういう地域に住む私たちまで、負けてはいけないということ。
私たちがここでがんばらなくて、だれががんばる?

●浜松祭りをしよう!

 ただ残念なことは、今朝の新聞によれば、あの「浜松祭り」が、中止になったこと。
どうして?
こういうときにこそ、祭りをやって、元気な日本を示すべき。
暗く沈んだ気持ちを吹き飛ばすべき。
「祭り」は、そのためのもの。
規模の縮小はやむをえない。
質素にやるのは、当然。

しかし私たちは、あの大凧にこう書く。
子どもの名前ではない。
こう書く。

「被災地のみなさん、がんばれ!」
「浜松はがんばっている!」
「日本は、負けない!」
「日本の元気は、浜松から!」
「日本は、浜松から復興させてみる!」と。

 SUZUKIもHONDAもYAMAHAも、みんな浜松から生まれた。
豊田佐吉も浜松で生まれた。
今の日本を支えているのは、私たち、浜松人!
これからも日本を支えていくのは、私たち、浜松人!

 浜松は現役。
こんな程度の災害でへこたれない。
簡単に、日本を沈没させてたまるか!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●行きすぎた自粛への批判

 その後、4月に入ってから、「行きすぎた自粛」に対する批判の声があがってきた。
政府からだけではない。
被災地の人たちからも、あがってきた。
当然のことである。
逆の立場で考えてみればよい。

 繰り返しになるが、今の日本に必要なのは、「元気」。
いろいろな意見はあるだろう。
が、それ以上に今回、私が気になったのは、「もの言わぬ従順な民」。
通達では、「浜松まつり本部を構成する4団体で協議し……」うんぬんとある。

 ある程度の自粛は、しかたない。
内容の変更も、しかたない。
しかしやり方は、いろいろある。
ワッペンの料金をあげ、その分を、復興資金として寄付する。
そんな意見も、多い。
凧に「東北地方のみなさん、がんばれ!」と書くのもよい。
あるいは東北地方の人たちを、招待するのもよい。

通達にある、『地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」……』
というのは、ただの口実。
百歩譲って、だからといって、それがどうして「中止」につながるのか?
もしその精神を大切にするなら、初子を祝ってやればよい。
初子を祝うために、凧をあげてやればよい。
祭りを中止するということは、初子を祝わないということになる。
この矛盾を、どう考えるのか?

●投稿記事より

 「浜松祭り中止」で検索してみた。
ほとんどが、「反対」の意見。
中には被災地の方から、「中止しないでほしい」という意見もあった。
最初の2ページまでの中から、いくつかを拾ってみる。

★何でもかんでも中止は安易な選択ではないでしょうか???(静岡道楽日記さんのBL
OG)

静岡市民なのにハマゾーブログをやっている者として驚いたのが「浜松祭りの中止」です。
「ブルータスよ、おまえもか!」の心境です。4月最初の静岡祭は見るための比較的新し
い祭ですから仕方ない面もありますが、伝統的であり、浜松市民の文化でもあり、地域コ
ミニィティの核である浜松祭りの中止は安易で楽な選択ではないかと、浜松市民でない私
でも思ってしまいます。

★浜松まつりが中止になりました。(みんカラさんのBLOGより)
何でも自粛すれば良いのでしょうか?
それで被災地に何のメッセージが送れるのでしょうか?
つまらない批判を恐れての事としかおもえません。
浜松市長は当初、各地区の判断に任せると仰ったと聞きました。
それが本当であるならば失望したとしか言いようがありません。
各地区の判断に任せるなど、後に各地区間でのシコリが発生する可能性があることを平気で
口にするなど正気の沙汰とは思えず。当然、無難な方向へ流れるでしょう。
ここは市長自らが率先して浜松祭りを支援に利用してしまえば良いと思います。多くの人が集
まる浜松祭り。そこで、支援を訴えればと考えるのは浅はかでしょうか?
いずれ起こるとされる東海地震。おそらく浜松でも多くの人が被災されるでしょう。被災者となっ
た時のことをイメージすると、どんな形で募った支援であれ有難いものだと思うでしょう。
プロ野球のセリーグの開幕日程問題とは質的に異なるでしょう。あちらは現状の電力事情など
を考慮すると、開幕には疑問があります。
ただ、何でもかんでも自粛自粛という風潮は違和感があり…

★浜松まつり 中止 が決定されましたね。(ウエスタンパブ駅馬車さんのBLOGより)

昨日は落ち着いて書ける自信が無かったんで、一日おいて書いてます。
まず、オイラのスタンスは、「 中止反対! 」です。
東日本大震災の被災者の方々には、心からお見舞い申し上げます。
この気持ちに嘘偽りはありません。
ただ、大震災の発生を受け、浜松まつりが中止というのが、納得できません。
被災者の方がいらっしゃるのに、お祭りなんて...という気持ちも分かります。
でも、それが本当に被災者の方の為になるのでしょうか?
被災地で必要なことは、同情ではなくて、支援ですよね。
支援をするには、被災地以外の地域が正常な状態である必要があります。

現在の浜松が正常な経済状況でしょうか?
他地域よりも不況からの脱却が遅れ、未だに苦しんでいます。

●官僚国家

 祭りまで、「お上」に管理されている。
この事実を、もう少し私たちは深刻に考えてよいのではないか。
「公僕意識」というのは、「市民が先にあって、役人があと」という意識をいう。
が、今、公僕意識をもっている役人は、いない。
いないことは、役人自身が、いちばんよく知っている。
言うなれば、江戸時代の「侍意識」が、そのまま残っている。
さらに言えば、日本という国は、奈良時代の昔から官僚主義国家。
その「主義」が、日本人の骨のズイにまで、しみこんでいる。

 浜松祭り中止についての賛否両論よりも、私はこうした庶民にとっての
重大事が、いとも簡単に、かつすばやく決定されることのほうに、驚いた。

 この日本に「自由」はあるのか。
尾崎豊が歌った『卒業』の中には、「しくまれた自由」という言葉が出てくる。
私たちはその「しくまれた自由」を自由と思い込んでいるだけ。
「いいのか、日本!」と叫んだところで、この話はおしまい。

 今さら、何を言っても、遅い!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 浜松祭り中止反対 浜松祭り 中止 反対)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【常識という非常識】

+++++++++++++++++++++

まず、こんな話。
実際に、あった話。
じっくりと読んでほしい。
つまりこの話を読んで、あなたはどう感ずるか?
それをつぎの文を読む前に、
心の中で、さぐってほしい。
それがあなたのもつ、常識ということになる。

+++++++++++++++++++++

●ある中華料理店

 10年ほど前のこと、中国の北京から1組の夫婦が、その通りにやってきた。
夫の方は、父親が日本人だった。
妻の方は、生粋の中国人。
その夫婦は、通りの一角に、中国料理店を開いた。

 最初は、結構、繁盛していた。
「1日、日本で働けば、中国での1か月分の稼ぎになる」と、
その夫婦は、そう言って喜んでいた。
が、そこへ不景気の嵐。
1、2の店がシャッターを下ろしたのをきっかけに、客足が通りから急速に遠のいた。
そのときのこと。

 その中華料理店の隣が、中高年以上の女性を相手にしたブティック。
さらにその隣が、印鑑屋。
そのブティックの店が、週休2日から、週休4日になった。
実際には、午後の数時間だけ、店を開いた。
印鑑屋も、シャッターを半分、下ろした。

 が、これに先の中国人夫婦が、怒った。
怒って、ブティックと印鑑屋へ怒鳴り込んでいった。
ものすごい剣幕だったという。
「店、ちゃんと、開けるあるね!」と。

 驚いたのは、ブティックを経営していた女性。
それに印鑑屋の男性。
「店を開けるか、閉めるかは、私たちの自由」と。
ブティックの女性は、こう言った。
「あんなメチャメチャな話は、聞いたことがありません」と。

●常識

 アインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。

 みなさんは、この中華料理店の夫婦の話を読んで、どう感じただろうか。
恐らく中国人夫婦の言い分は、めちゃめちゃと感じたにちがいない。
が、つぎの話を読んだら、その(感じ)は、かなりちがってくるはず。
これも私が直接、経験した話。

 ……先月、私はオーストラリアへ行ってきた。
そこでのこと。
どんな町でも、少し郊外へ行くと、みな、日本では考えられないような大豪邸に
住んでいる。
(家の質そのものは、よくないが……。)
居間だけでも40畳程度、あるいはそれ以上にある。
どの部屋も、20畳以上。
そういう部屋が、4〜10個もある。

 アメリカ映画にもそういうシーンが、よく出てくる。
しかし映画で見るのと、実際に見るのとでは、印象は大きくちがう。
つまりびっくりする。

 もちろん土地も広い。
エイカー単位。
1エイカーは、約4000平方メートル。
つまり1200坪。

 そこで私は聞いた。
「税金は、どうしているのか?」と。
つまり「税金は高いだろうな」という思いをもって、そう聞いた。
が、彼らの答は意外なものだった。

 「税金は、Land Valuer(不動産鑑定人)が、最初に決める」と。

 平たく言えば、家の広さも、土地の広さも関係なし。
立地条件や環境、それに家の質で決まる、と。
たとえばショッピングセンターが近くにあれば、バリュー(価値)は高くなる、と。

●家の価値

 だから彼らは、隣の家の芝生が伸び放題になっていると、それについて、隣の
家に対して文句を言う。
アメリカに住んでいる二男も、そう言っていた。
「芝生を刈らないと、近隣の人たちに文句を言われる」と。

 家の価値は、環境によって決まる。
こんな当たり前のことですら、日本では、非常識となる。
ご存知のように、土地の税金にしても、市の中心部からの距離によって決まる。
(それほど単純ではないが、この意見には、だれも異議を唱えないだろう。)

 そのこともあって、欧米人は、通りから見た美しさを、大切にする。
通り全体、町全体の景観を大切にする。
少なくとも灰色のブロック塀で、自分の土地を囲むということはしない。
庭木にしても、通りに近い方に低木、家に近い方に高木を植える。

 こうして「質」を高めることによって、家の「価値」を高める。
家の「価値」が高くなれば、売買するにも有利。
銀行からの借入金もふやせる。

 こうした伝統が、何百年にも渡って、つづいている。
意識そのものが、ちがう。
常識そのものも、ちがう。
それが通りの美しさにも、大きく影響している。

●視点

 「中国でも同じ」とは、私には言えない。
そこまで詳しく中国のことは知らない。
しかし日本人がもっている常識が、世界の常識と考えるのは、まちがい。

 たとえば義兄は、浜松市内の中心部に住んでいる。
人口密集地で、電柱から電柱へと、蜘蛛の巣のように電線が走り回っている。
それがぞっとするほど、不気味。

 家々は軒をつらね、その家々は、これまたてんでバラバラの作り。
洋風の家もあれば、和風の家もある。
事務所もある。
医院もある。
色もめちゃめちゃ。
もちろんその多くは灰色のブロック塀で取り囲まれている。

 一方、私の家は、郊外にある。
目の前には、小さいが森もある。
が、固定資産税ということになると、義兄の土地家屋のほうが、はるかに高い。
財産価値が高い。

 考えてみれば、これほど非常識なことはない。
ほんの少し視点を変えるだけで、ものの価値観が、180度変わる。
これもそのひとつ。

 先に書いた中国人夫婦がもっている常識は、欧米人のそれに近いのかもしれない。

●杓子定規

 日本人は、そういう点でも、ものの考え方が杓子定規。
私は、こんな経験をした。
ありのままを書く。

 30歳になったころのこと。
学研という出版社から、「経穴辞典を書いてほしい」という依頼をもらった。
「経穴」というのは、鍼灸でいう「ツボ」をいう。

 私はさっそく、作業に取りかかった。
……といっても、資料そのものがない。
私は香港の友人を通して、中国本土の本を取り寄せた。
その本をたたき台にし、本を書き始めた。

 で、8〜9割完成したところへ、出版社から横やりが入った。
「つぼの取り方(取穴法)は、日本式で行く」と。

 日本式?

 1972年ごろには、日本の和漢、鍼灸は、完全に消滅していた。
そういった仕事は、身体に障害のある人たちのものということになっていた。
が、突然の鍼灸ブーム。
中国での針麻酔がきっかけだった(1972年)。

 そこで立ち上がったのが、日本鍼灸学会。
(少なくとも私がその学会名を知ったのは、30歳くらいのころ。)
最初の作業が、経穴(つぼ)の位置の特定。

 が、これがまあ、とんでもないほど杓子定規。
鎖骨から〜寸下が、XXと。
寸法を基準に、経穴(つぼ)を決めていた。

 一方、中国では、たとえば腕を曲げたり伸ばしたりし、そこにできた凹み(穴)など
に取穴していた。
私はその中国式で、本を書いていた。
が、それがすべて御破算。

 私はすべてイチから書きなおしを迫られた。
理由を聞くと、「WHOで、取穴法をめぐって、中国式と日本式が戦っている。
この本を日本式を主張するためのたたき台にしたい」と。

 おかげでその本を書くのに、7年もかかってしまった。
本当は、最初の1年で完成していた。
それを7年!
やる気があるのとないのとでは、作業のスピードもちがう。
私は完全にやる気を失っていた。
中国式のほうが、はるかに合理性がある。
それに中国の中国式。
勝てるわけがない!

 ……で、7年。
悶々とした作業の中で、私は7年も無駄にした。
で、そうしてできあがった本が、「東洋医学・経穴編」(学研)である。

●常識論

 再び、常識論。
私たちは何をもって、常識というか。
冒頭の話に戻る。

 「店を開けるか、閉めるか、それは個人の自由」と、日本人は考える。
もう一歩話を進めれば、「芝生を荒れ放題にしようが、美しく刈り込もうが、個人の
自由」と、日本人は考える。

 おかしな個人主義がはびこっている。
空地があれば、そこに家を建てる。
まわりの景観を考えて家を建てる人は、まずいない。
調和を考える人は、さらに少ない。
また隣におかしな家が建っても、だれも文句を言わない。
フランス風の家もあれば、イタリア風の家もある。
デザインも色も大きさも、てんでバラバラ。
しかしこれこそ、世界の非常識。

 言い換えると、世界の常識を知れば知るほど、先の中国人の夫婦の考え方に
近くなっていく。
日本人の私たちにしてみれば、とんでもない非常識な言動に見えるかもしれない。
しかしひょっとしたら、私たち日本人の常識のほうが、おかしいかもしれない。
「常識」というのは、そういうもの。
だからといってその中国人夫婦の言動が、すべて正しいというわけではない。
ないが、私たちのもっている常識は、じゅうぶん、疑ってみる必要がある。

 常識論については、12、3年ほど前から、書いてきた。
中日新聞に書いた記事の中から、さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の非常識

● 「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちが
っているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分
制度という(巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、
その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋
章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではない
のか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ19
歳の舞妓を、「仕事のこやし」(人間国宝と言われる人物の言葉。不倫が発覚したとき、そ
う言って居直った)と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

● 「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になってい
る。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関
係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事
の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、
夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕
事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

● 「森S一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と
泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしか
にすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、
こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に
美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向が強い。

●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(3行目と4行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだ
だよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だ
で。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。
親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに
似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき
載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。

● 「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用い
られた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう
論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いという
こと。約23%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではない
ようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本の常識 世界の非常識 はやし浩司 常識論 アインシュタイン
の常識)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【教師のニヒリズム】

●雑感、あれこれ

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それをしないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
で、あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、教える側の「勘」。
勘でわかる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といった様子の子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、離れ始める。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態と考えてよい。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、とくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけをする。
たとえばおけいこ塾などへ行きたくないときは、こう言う。
「先生が、怖い」と。

たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、私を叩く」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれと理由づけをする。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが、(転校して)いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校していってからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●話すべきか、話さざるべきか

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さざるべきか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にはいつも、「もしまちがっていたら……」という不安も残る。

●家庭環境

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●不登校

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
ある朝、突然、大暴れした(パニック期)。
「学校へ行かない!」と言って、泣き叫んだ。
理由は、はっきりしなかった。
そのあと、あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつどIさんの言葉に、引き回された。

 で、そのときのこと。
つまり不登校児になってからしばらくしてからのこと。
私がふと、「こうなることはわかっていました」と漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
すると母親は、こう言って、叫んだ。
「わかっていたら、どうして早く言ってくれなかったのですかア!」と。

 ……ここに書いたIさんというのは、もちろん架空の子どもである。
いろいろなケースを混ぜて、Iさんとした。
しかしこういうケースは、多い。
が、その逆のこともある。

 印象に残っている母親に、Fさんという人がいた。
私がFさんの子どもについて、問題点を告げようとしたときのこと。
その母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って、子どもの勉強だけをみていてくれればいい」と。
そういうケースもある。

●ニヒリズム

 結局は、この言葉に行き着く。
「ニヒリズム」。
若いころ、どこかの塾の先生が、何かの会合で、この言葉を教えてくれた。
いくら教育に没頭しても、最後の10%は、自分のためにとっておく、と。
それがないと、傷つくのは、いつも教師の側ということになる。

 もちろん打診はする。
それとなくその話はする。
親の反応をみながら、つぎの話をする。
が、そのとき「距離」を感じたら、そのまま引きさがる。
「距離」というのは、「話してもわかってもらえないだろうな」という距離感をいう。
中には聞く耳すらもたない親がいる。
「うちの子どものことは、私がいちばんよく知っています」とばかり、教師の
言葉をはねのけてしまう。

私「……あのう、家で、何か心配なことはありませんか?」
母「ありません」
私「ぐするようなことはありませんか?」
母「うちでは、ふつうです」と。

 最近では「モンスター・ペアラント」という言葉もあるが、その一方で、
「ブレイン・レス・ペアラント(思考力のない親)」という言葉もある。
そこに問題があっても、それについて考えようともしない。
「私がぜったい正しい」と思い込んでいる。

 実際、こういう親に出会うと、教える側は絶望感すら覚える。

●宿命

 が、こう考えることもできる。
「それが子育て」と。

 「失敗」という言葉は使いたくないが、(ほかに適切な言葉がないので)、
しかし親は自分で失敗してみて、はじめてそれが失敗と気づく。
が、失敗をどうこう言うのではない。
これは子育てにまつわる宿命のようなもの。 

 裏を返して言うと、失敗のない子育てというのはない。
みな、その失敗を繰り返しながら、子育てをし、親は親になっていく。
たとえば子どもの不登校にしても、今では何でもない問題だし、おおげさに
考える必要はない。
その後の対処さえ適切であれば、いつかかならず笑い話になる。
そのときどきには、親はアタフタするが、そのアタフタの中から、無数の
ドラマが生まれる。
そのドラマに生きる価値がある。
生きる喜びも、そこから生まれる。

 が、賢い親になることはできる。
いろいろな鉄則がある。

(1)我が子を見るときは、他人の目で。……ときには自分の子どもが、他人の目には
どう見えるか。客観的に見てみる。

(2)先生と話すときは、聞き上手。……先生があれこれ言っても、反論しない。
聞き役に徹する。

(3)風通しのよい家庭環境に心がける。……ほかの父母から孤立しない。
情報交換がしやすい家庭環境に心がける。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 教師の限界 親の限界 ニヒリズム)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月26日

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。

今日は4月26日、火曜日。
肌寒い朝。
起きてすぐ、30分、歩いた。
かなり汗が出た。
が、それが乾くと、今度は寒気。
「寒いなあ……」と思いつつ、
書斎の椅子に座る。

言い忘れたが、おととい、書斎の
模様替えをした。
どこかの会社の社長室のようになった。
大きなデスクに、深々とした椅子。

……やっぱり、こたつのほうが
よかった……と。
心のどこかでそう思う。

+++++++++++++++++

●調子

 数日前から、(やっと)、調子が戻ってきた。
まず書きたいことが、ぼんやりとした形で、浮かんでくる。
それを一気に、キーボードを叩いて吐き出す。

 調子が悪いときは、それがひとつの「固まり」ならない。
書いているうちに文章がバラバラになってしまう。

 調子がよいときは、書きたいことが小川の流れのようになって、
外に出てくる。
文章もまとまる。

 昨日ワイフに、「やっと調子が戻ってきた」と言うと、ワイフがうれしそうに
笑ってくれた。
3・11大震災のあと、ショック状態になってしまった。
文が書けなくなってしまった。
調子が狂ってしまった。
「ぼくはもうこれで文が書けなくなるかもしれない」と思ったこともある。

 しばらく悶々とした日々がつづいた。
苦しかった。
が、数日前から、また書けるようになった。
まだ慣らし運転という段階で、つっこみも甘いが、それでも書けるようになった。

ホ〜〜〜ッ!

 今朝は、そんな心境。

(はやし浩司)ー(書くこと)=NOTHING

●3・11大震災

 ところであの震災を、何と呼ぶか。
当初、政府の呼び名は、二転三転したように思う。
最近は、「東北関東大震災」と呼んでいる。
が、私は当初から、「3・11震災」もしくは、「3・11大震災」と書いている。
どちらでもよいが、週刊誌などでは、「3・11大震災」と書くことが多く
なってきた。

 私は「3・11大震災」のほうが、よいのではと思う。
わかりやすいし、あの忌まわしい3月11日を、永遠に記憶にとどめることができる。
毎年、3月11日がやってくるたびに、気持ちを引き締めることができる。

●「福島」ナンバー

 最近、浜松市内でも、「福島」ナンバーの車をよく見かけるようになった。
しかしこれには異論もある。

 時期が時期だから、「福島」という県名に敏感になっているのでは、と。
つまり目立つ。
だから「よく見かけるようになった」と。

 が、ほかの県の車に比して、多くなったのは事実。
たいていどこの駐車場にも、1台や2台は止まっている。
で、あるBLOG(「浜松祭り 中止 反対」で検索してヒット)には、こうあった。
「浜松へ来て、うそのように平和なのには、驚いた」と。

 はるばる遠くから避難してきた人たち。
暖かく迎えてやろうではないか。
「浜松で、ゆっくりとくつろいでください」と。

●YOUTUBE

 YOUTUBEでは、「インサイト情報」を見ると、毎日のアクセス数が
そのままグラフとなって表示されるようになっている。
それによると、このところアクセス数が、900件/1日を超えるようになった。
BLOGとちがい、アクセス数が安定している。
(BLOGは、1週間も投稿しないでいると、アクセス数が、ガクンと落ちる。)

 1000件まで、あと一歩。
コメントも、世界中から集まる。
外国では、日本語の勉強に利用している人が多い。

 で、先ほど、年中児(4歳児)クラスの様子を撮ったビデオを、UPした。
この年齢の子どもを、50分間、レッスンに引きつけておくのは、容易なことではない。
テンポを速くし、リズミカルにレッスンを進める。
間(ま)をおいたとたん、子どもたちの注意力が散ってしまう。
頭が冷たくなってしまう。

だから真剣勝負。
私と子どもとの真剣勝負。
一見、気楽に教えているように見えるかもしれないが、50分もつづけると、
私の方がヘトヘトになる。

そんな苦労を、つぎのビデオを通して理解してもらえれば、うれしい。

【新年中児(4歳児)・あいさつ】

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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月26日

●雑感、あれこれ

【不登校児の前兆】

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それがないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、「勘」。
勘でわかるようになる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といったタイプの子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、一致しなくなる。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態ということになる。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、勉強をとくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。
同時に母親から、たびたび電話がかかってくるようになった。
「先生のところへ、行きたがらなくて、困っています」と。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけを
する。
たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、怖い」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれ理由をこじつける。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが(転校して)、いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校してからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●教師の介入

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さずにおくか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にも、「もしまちがっていたら……」という不安が残る。

●みな、精一杯

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●結局は、不登校児に

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
理由は、はっきりしなかった。
あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつど引き回された。

 で、そのときのこと。
これは別のケースだが、私がふと、「こうなることはわかっていました」と
漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
が、それに反応して、母親が激怒した。
「わかっていたら、どうして話してくれなかったのですか!」と。

 私は平謝りに、謝るしかなかった。
 

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●脳みそ

 よくハードディスクは、冷蔵庫に例えられる。
メモリーは、まな板に例えられる。
パソコンを使うときは、冷蔵庫(ハードディスク)から食材を取り出し、
まな板(メモリー)の上で料理する。

 だからまな板の役割をするメモリーは、多ければ多いほどよい。
まな板が小さいと、まな板の上がすぐごちゃごちゃになってしまう。
私のパソコンも、64ビットマシンになった。
メモリーは12GB。
おかげで10前後のファイルを開き、同時に作業をしても、ビクともしない。

 で、そのまな板。
作業をしないときは、きれいに片づいていたほうがよい。
当然のことである。
同じように、脳みそも、休んでいるときは、何もないほうがよい。
真っ白というか、空っぽ。
そのほうがよい。

 実は、今の私がそうだ。
深々とした椅子。
広々としたデスク。
パソコンのモニターは、27インチ。
つまりここが私の天国。
私だけの世界。
ここに座っていると、ほっとする。
しばらく座っていると、頭の中が空っぽになる。
何も考えられなくなる。
ときどき「今まで考えてきたことは、どこへ消えたのか」と思うこともある。

 ……が、もちろん、そうでないときもある。
脳みその隅に、何か不快なものがペタリと張りつき、それが取れないときもある。
そういうとき私は、すぐこう思いなそす。
「ああ、今は、病気」と。

 パソコンにたとえるなら、ファイルが壊れている状態。
壊れているから、終了をかけても、まな板(メモリー)の上に、そのまま
残ってしまう。
こういう状態のときは、結論を出さない。
原稿を書かない。
音楽を聴いたりして、気分転換を図る。

 つまり自分の意思で、脳みそをコントロールする。
考えてみれば、これはすばらしいことである。
心理学的にいえば、「自己管理能力」ということになる。
が、それともちがう。
コンピューターにたとえるなら、コンピューター自らが、自分のCPU
(中央演算装置)をコントロールするようなもの。
実際には、コンピューターには、そんな能力はない。
ほかの動物たちにもない。
これは恐らく人間だけがもつ、特殊な能力ということになる。

 今朝の私は気分がよい。
その理由のひとつ。
今の私の脳みそは、空っぽ。
心配ごともない。
悩みも恨みもない。
不安も恐れもない。
だから気分がよい。

 みなさん、おはようございます。
2011年4月26日

++++++++++++++++++++++

●犬のハナ

 たった今、犬のハナがけたたましく吠えている。
「うるさい!」と私が叫ぶ。
階下で「いいのっ!」とワイフがなだめる。
ハナはハナで、この家を守っている。
人(犬?)一倍、番犬意識が強い。
それがよくわかっているから、私たちもなだめる程度。

 静かになるまで、数分はかかる。
今は興奮状態。
アドレナリンが中和されるまで、しばらく待つしかない。

●老犬

 そのハナもすっかり老犬になってしまった。
もうすぐ19歳になる。
月ごとに体がやせていく。
一日中、草の上で眠っている。
それがわかるから、このところ、ソーセージやミルクを、多く与える。
ハナの好物である。

 ワイフは、ときどきこう言う。
「もう、それほど長くはないかもしれないわね」と。
さみしいことだが、私は同意するしかない。
……というか、心のどこかで準備を始めた。
その日が来ても、動じないように。

 ハナ……人は、ブスという。
しかし私には、どういうわけか、美人に見える。
顔立ちもよいし、かわいい。
もう少し若いころは、よく中田島の砂丘へ連れていった。
自転車で10分前後のところにある。
そこへ行くと、ハナは、カラスを追いかけ、見えなくなるほど遠くまで、
走っていった。

 が、今のハナには、もうそれができない。
自転車で伴走しても、10分も息がつづかない。
ヘタヘタした走り方になる。
が、私にとっては、よき友。
恋人。
庭で何かの作業をしていると、すぐ私の顔をなめにくる。
おとといも、庭で組み立て式の箱を、4つ作った。
そのときも私のそばを、片時も離れなかった。

 そういうこともあって、私は庭へ出るたびに、ハナに声をかける。
が、そのつど、「もしや……」という不安が横切る。
が、ハナは裏切らない。
声をかけるたびに、……反応は鈍くなったが、頭をさげて、奥の犬小屋から
出てくる。
いそいそと出てくる。
私はハナの頭をさする。
首の下をなでる。

 ……そんな日々もやがて終わるかもしれない。
さみしいことだが、別れの日は近い。
そんな予感がする。

 ハナ、今までありがとう!
お前は、たしかにぼくの人生の一部だった。
楽しい思い出、ありがとう!

 ……こんな言葉を口にするのは、まだ少し早いかな?


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●3・11大震災

 私がおかしいのか?
それとも日本人全体が、おかしいのか?
 
私は悲観論者ではないが、今の世相はあまりも楽観的すぎる。
私は、そう思う。
原発事故をみても、みな、いろいろなアドバルーンをあげるだけ。
タンクを増設する、ロボットが格納容器に入れる、空冷の冷却機を据え付ける……。
その一方で、状況は、日々に悪化している。
つぎつぎと新たな問題が発生し、対策は後手後手。
基本的な部分は、何も解決していない。

 今回の事故について、チェルノブイリ原発とよく比較されるが、福島第一原発は、
それよりもはるかに大きい。
世界でも最大級。
原子炉の直径だけでも、6メートル弱。
格納容器の直径となると、20メートル近くもある。
建屋と呼ばれる囲いにしても、41〜45メートル※。
巨大なビルに匹敵する。

 その中に放射性物質が、ぎっしりと詰まっている。
もし福島原発にある原子炉が、1機だけでも爆発したら、チェルノブイリ事故の
比ではない。
チェルノブイリ事故のときの約25倍もの放射性物質がまき散らすことになる。
あとは風向きしだい。
仮に東京方面に風が向かっていたら、放射性物質は6時間後には、東京に到達する
という(アメリカ軍)。

 が、それですむとは、だれも思っていない。
そうなった瞬間、もうだれも福島原発には近づけなくなる。
とたん他の原子炉もつぎつぎと爆発を繰りかえす。
近隣の原子力発電所も、同じ運命をたどる。
結果、北は東北地方全域、西は愛知県全域まで、人はだれも住めなくなる。

 原発事故はそれほどまでに恐ろしいものであり、またその可能性は、
けっして「想定外」のことではない。
すでに多くの科学者が、その可能性について言及している。

 ……その「時」が刻一刻と迫ってきている。
仮にもしそうなったら、街頭での救援金募集など、夏の日の陽炎(かげろう)のように、
空のかなたに虚しく消えるだろう。

●管総理大臣

 管総理大臣で、何が悪いのか。
よくても悪くても、今は、国家の一大事。
日本国という「国」が、危機存亡の崖っぷちに立たされている。
権力闘争を繰り返したり、内輪もめしている場合ではない。

 現に、管総理大臣が総理大臣なのだから、今は挙国一致態勢でこの難局を乗り
切らなければならない。
言うなれば戦時。
死傷者こそ少ないが、原子爆弾が数個落とされたような状況。
敵はもちろん、放射性物質。
今は管総理大臣に強力な全権限を与え、管総理大臣に協力すること。
責任問題を追及するのは、原発事故が片づいてから。
少なくとも、今は、そのときではない。

 今は、管総理大臣に、日本の命運を託すしかない。
管総理大臣にがんばってもらうしかない。
一方、私たち国民は、管総理大臣に協力する。
今ここで、管総理大臣の責任を追及したところで、問題は何も解決しない。
自民党にしても、偉そうなことは言えない。
戦後60年近く、原発を作り、それを野放しにしてきたのは、自民党ではないのか。

どうして日本よ、日本人よ、こんな簡単なことがわからないのか。
繰り返すが、今は、国家危急存亡のとき。
ここで今、経済災害(=国家破綻)が起きたら、日本は、おしまい。
本当に、本当のおしまい。
二流国(中国の首脳)どころか、アジアの小国に成りさがってしまう。

(注※)

1号機原子炉建屋
"平面寸法:約41m×41m
"高さ:約49m
"階層:地上5階、地下1階
"構造:燃料取替床まで鉄筋コンクリート造、その上部は鉄骨メタルサイディング
張り
"全重量:66,400t
o建物重量約55,000t
o原子炉本体他機器重量:約11000t
"常時接地圧:約36t/平方メートル

2号機原子炉建屋
"平面寸法:約45m×45m
"高さ:約62m
"構造:全部鉄筋コンクリート造
"全重量:99,900t


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【下呂温泉・アルメリア(ArmeriA)にて】2011年4月27日

●今夜は外泊

 明日の朝早く、岐阜県の下呂に向かう。
日帰りの温泉旅行。
昼食付きで、一泊、1万1000円(1名)。
ワイフの分は、某料理店の招待。
無料。

 朝、6時10分に、浜松駅前に集合とか。
自宅から出ていくのも難儀なこと。
そこで今夜は、中心部にあるビジネスホテルに一泊。
そのホテルからは歩いて行かれる。

 ずいぶんとぜいたくな話だが、ビジネスホテルといっても、
一泊朝食付きで、2800円。
それにクーポン券が使えるので、2人で、4800円と少し。
バスに乗り遅れるのを心配して、ハラハラドキドキするよりはよい。

++++++++++++++++++++++++++

ということで、今日は、岐阜県の下呂温泉にやってきた。
日帰り入浴というので、やってきた。
丘の中腹にある、アルメリアというホテル。
英語では「ArmeriA」と書く。
最後の「A」は大文字。

が、温泉に入浴するのは、やめた。
あまりにも大勢の客に、恐れをなした。
のんびり、ゆっくりという雰囲気ではなかった。
ワイフが「いやだ」と言った。
それでやめた。
で、一度ワイフと散歩に出たが、すぐ大粒の雨が
降り始めた。

……2階にある、休憩室で、時間まで待つことにした。
今は、そこにいる。
この文を書いている。

+++++++++++++++++++++++++++

●管理社会

 いきなり硬い意見で、ごめん。

 管理社会のことを、英語では「ビュロクラティック(官僚主義的)」という。
役人という支配階級が、すべてを管理する。
その管理のもと、民衆は、役人に管理されるまま。
江戸時代を思い浮かべればよい。
管理からはずれない人たちにとっては、住みやすい世界。
従順に役人に従っていればよい。
利権、利得をたがいに守りあい、甘い汁を吸うことができる。
が、管理社会のもとでは、管理からはずれる人を、許さない。

 今回の3・11大震災のときも、こんなことがあった。
福島第一原発の事故を聞きつけ、東京電力の社長が、ヘリコプターで現地に
かけつけようとした。
が、それができなかった。
「(航空法により)午後7時の飛行は禁じられている」と。
そこで社長は電車や車を乗り継いで、東京に向かった。
(内容については、記憶によるものなので、不正確。)

 国家の一大事に、「航空法」?
これを管理社会の弊害と言わずして何という。

●旅行

 旅行するのは、たいへんよい。
若いときは、それほど深くは考えなかった。
しかし今は、そう思う。
たいへん、よい。

 理由など、今さら書くまでもない。
気分転換になる。
頭の刺激になる。
旅行にはある程度の苦痛はつきものだが、それに耐えるのも旅行のうち。

 たとえばこの飛騨地方。
私が若いころは、「秘境にある温泉地」ということになっていた。
が、今は道路も完備され、日帰りで往復できるようになった。
時は春。
木々の若芽が、一斉に吹き出している。
その間に、葉サクラ、それに真紅の桃の花。
「新緑」といっても、一様ではない。
森全体が、緑の花が咲いたように見える。

●日本の資格

 41年前のこと。
メルボルン大学のIHカレッジには、世界からの留学生が集まっていた。
半数(100人)が、オーストラリア人の学生。
半数(100人)が、世界各国からの留学生。
その留学生と話していたときのこと。
みな、こう言った。
「日本へ留学しても、意味はない」と。

 日本でいくら資格を取っても、その資格は、通用するのは、日本国だけ。
内日本以外の国では使えない。
この世界には、相互主義と言う大原則がある。
日本が外国の資格を認めないから、外国も日本の資格を認めない。
よい例が、医師免許。
アメリカの医師は、日本で開業することはできない。
一方、日本の医師は、アメリカで開業することはできない。

反対に、相互主義で認められているのが、自動車の運転資格。
しかしこれは例外。

(オーストラリアでは、一定の語学力と、一定の研修を受け、
それに合格すれば、どこの国の医師でも、医師として働くことができる。
ボーダータウンという町には、アフリカのジンバブエから来た
医師が、そのまま診療所で働いている。)

●故郷

 実はこの岐阜県は、私生まれ故郷でもある。
今では岐阜弁を奇異に感ずるほど、岐阜県から遠ざかってしまった。
それでも故郷意識は残っている。

 深い山々に囲まれた、村。
その下を流れる、コバルト色の川。
下呂の下を流れる川を、飛騨川という。
飛騨川は木曽川につながり、最後は三河湾へと流れる。
このあたりの鮎(あゆ)は、大きくて、太っている。
水の中の養分が豊富なせいだと、昔、従弟(いとこ)が話してくれた。
長良川の鮎よりは、はるかに大きい。

 そういう村を見ながら、ふとこう思う。
「こんなところにも、無数の人たちがいて、無数のドラマを展開している」と。

 一見、のどかな山村だが、その向こうには、都会生活にはない、
濃密な人間ドラマが凝縮されている。
道路沿いの木々にしてもそうだ。
そこには持ち主がいて、持ち主どうしが、やはり濃密な人間ドラマを展開している。

●言葉の壁

 その後、日本は高度成長の波に乗り、世界でも第二の経済大国になった。
東京証券取引所には、300を超える外国の企業が、上場していた。
しかしバブル経済崩壊とともに、つぎつぎと撤退。
今では10社もない。

 理由は言わずと知れた、言葉の壁。
外国企業は、一度すべての資料を日本語に翻訳しなければならない。
その費用に倒れた。

で、今では、アジアの経済の中心は、シンガポール。
アメリカへ入ってくるアジアの情報は、(東京のマーケット情報も)、すべて
シンガポール経由。
東京ではない。
シンガポール。

●岐阜県

 私は岐阜県のM市という町で生まれ育った。
しかしM町には、よい思い出というのが、ほとんどない。
私にとって「故郷」というと、母が生まれ育った「K村」をいう。
M町から車で、30〜40分ほどのところにある。
が、私が子どものころには、2時間ほどかけ、バスで行った。

 もっと幼いころには、木炭バスだった。
大きさも、今でいう、マイクロバス程度ではなかったか。
私には大きなバスに見えたが、それは私が小さかったから。
当時のバスは、M町のあの狭い路地を平気で走っていた。
つまり小さかったから、それができた。

 飛騨川の風景を見ながら、しかし、こう思う。
「板取川(長良川)の風景とはちがう」と。
似ているが、ちがう、と。
どこがどうというのではないが、人工的な造作物が、長良川より多い。
川幅も、やや広い。
ときどき交差する鉄道線路も、板取川には、ない。

●ガイドの資格

 もう少し身近な例では、こんなことがある。

 浜松市の西に浜名湖という湖がある。
この湖を取り囲むように、電車が走っている。
第三セクター方式のローカル線である。
車両は1両しかない。
その電車に乗ったときのこと。
若い女性が、ガイドをしてくれた。
そのガイドがこう言った。
「私のような仕事にも、資格がいるのです」と。

 私はボランティアで、その女性はガイドをしているものと思っていた。
が、そんな仕事(?)にも、資格?

●弱い円

 X月にアメリカに行くことにした。
しかし旅費を知って、驚いた。
名古屋から、二男のいるインディアナポリスまで、往復28万円前後。
2人分で、56万円!

 「円高」「円高」と言われているが、実際には、円の価値は、かぎりなく低い。
先月、オーストラリアへ行ったときのこと。
自動販売機の缶ジュースが、1本、3ドル50セントだった。
そのときのレートで、日本円に換算すると、何と315円。
カレッジ内の自動販売機で、その値段だった。

 アメリカ人であれば、56万円と聞いて、「安い」と思うかもしれない。
が、日本人の私たちにとっては、そうではない。
「高い!」。

●ビジネスホテル

 それにしても2800円というのは、安い。
しかも朝食付き。
今、この日本では、何かしら、めちゃめちゃなことが起きつつある。
国債の格付けもさがり始めた。
このままいったら、日本全体が破産してしまう。

●56万円!

 そんなわけで、少し元気がなくなってきた。
今日もワイフにこう言った。
「アメリカへ行くのはやめようか?」と。

 56万円もあれば、日本国内で28回、旅館に泊まることができる。
こういう時節だから、一流ホテルでも、一泊二食付で、1名1万円前後で泊まれる。
2人で2万円。
だから56÷2=28で、28回。

●法のもつ融通性

 こうした日本の社会のもつ異常性は、世界を少し歩いてみるとわかる。
前にも書いたが、アメリカの南部にあるアーカンソー州では、タクシーにはメーター
すらついていない(アーカンソー州、ウチィタ町)。
料金は、乗る前に運転手と交渉して決める。

 で、2日目のこと。
予約していたタクシーはこなかった。
代わりに夫が運転する自家用車がやってきた。
いわく「(運転手の)妻が、ほかの仕事に回ったので、代わりに私が来た」と。

 アメリカでも白タクは違法なのだろうが、しかしだれもそんなことに文句を言う人は
いない。
つまり黙認。
「法」そのものが、自己責任という「自由」という幅の中で運用されている。

●日本人が出稼ぎに……

 今までは、外国の人たちが、日本へ出稼ぎに来ていた。
が、これからは日本人が、外国へ出稼ぎに行くようになる。

 たまたま今日乗ったバスの添乗員(女性)も、こう言った。
「茨城県から来ています」と。

 すぐ地震の話になったが、もちろんそれが理由ではなかった。
「茨城県には仕事がありません。それでこちらに来ました」と。

 年齢は26歳くらい。
独身。
「茨城県は、そんなにきびしいですか?」と聞くと、「そうです」と
あっさりと答えた。

 茨城県から、浜松市へ。
それがつぎの時代には、茨城県から外国へとなる。

●硬直性

 管理社会は、それ自体が、硬直性を生む。
よい例が、教育。
たとえば日本のコンピュータ教育は、韓国や台湾と比べても、20年は遅れた。
当初、時の通産省がコンピュータ教育を始めようとしたとき、それに「待った!」を
かけたのが、ほかならぬ文部省。
「教員資格のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。

 しかもこうつづけた。
「教育学部で、コンピュータの教授を育てるのに、20年かかる」と。
結局、コンピュータ教育は実施されることはなかった。
各小中学校に数台ずつ置かれ、クラブ活動のひとつとして、位置づけられた。
今から、もう20年以上も前の話である。

 当時の日本は電子製品では、世界の頂点に立っていた。
その日本で、このザマ。

●先手、先手……

 取るか、取られるか……。
経済戦争というのは、そういうもの。
現状に満足したとたん、スキができる。
そのスキを、相手はついてくる。

 つまりこの世界では、先手、先手で攻めても、あぶない。
その緊張感が重要。
その緊張感を失ったとき、日本は敗れる。

●教育の世界では

 この40年だけでも、子どもたちの世界は、大きく様変わりした。
すべてが教育のせいとはいわないが、同時進行の形で、教育も変わった。
昔で言う「腕白少年」が、いなくなった。
男児の女児化は、すでに30年近く前から始まっている。
今では、小学校でも、「いじめられて泣くのは男児」「いじめて泣かせるのは
女児」(小学低学年)というのが、常識化している。

 問題点を整理してみよう。

(1)野生化の喪失……困難に対する抵抗力がない。
未経験の分野には手を出さない。
小さく丸く収まった子どもほど、よい子と評される。
従順で、親や教師の指導に黙って従う子どもを、よい子と評価する。
ワクにはまったことだけをし、そのワクから外へ出ることができない。
「金儲け」というと、「就職」しか考えない。
お金が必要なら、リヤカーを引いて……という発想そのものが、ない。
(私は若いころ、リヤカーを引いて、絵を売って歩いたぞ!)

(2)苦労を避ける……最近では、ミカンが売れなくなったという。
理由は、「最近の若い人たちは、皮をむいてまでミカンを食べない」(近郊農家)とか。
お茶にしても、そうだ。
「お湯をわかし、お茶の葉を煎じて飲む人がいない」(川根茶の中学校校長)とか。
冗談のような話だが、これらの話は、それぞれの地域の、それなりの責任の
ある立場にある人から、聞いた話である。

(3)現実性の喪失……40年前には、「おとなになったら、何になりたい?」と
聞くと、「幼稚園の先生」とか、「電車の運転手」などと答えた(幼稚園児)。
それがそのあと、スポーツ選手になったり、タレントになったりした。
が、今は、「ゴレンジャー」とか「霊能力者」と答えたりする。

15年ほど前だが、こう言った女子高校生もいた。
「私はいつか未亡人になり、喪服を着てみたい」と。
真顔だった。

 ほかにもいろいろあるが、年を追うごとに、子どもたちは小粒になっていく。
が、それは世界の常識ではない。
だから私はときどきこう思う。
「一歩、日本の外に出たら、役に立たないだろうな」と。

●では、どうするか?

 一言で言えば、「教育にダイナミズムを取り戻す」。
そのためには、教育を自由化する。
主要教科は学校という「場」で教える。
が、そのほかの実用的な教科は、学外教育に任せる。
英会話にしても、民活を利用したほうが、はるかにうまくいく。
真剣さそのものが、ちがう。
「何でもかんでも学校で……」という発想そのものが、陳腐。

 その一方で、教職を専門化し、教師を雑務から解放する。
「教育」のみに専念できるようにする。
医療機関における医師を想像すればよい。
診察室(教室)から患者(生徒)が一歩でも出たら、それはもう医師(教師)の
責任ではない。
あとは患者(生徒)の自己責任に任せる。
死のうが、生きようが、(生徒のばあいは、そうはいかないが……)、
それは患者の勝手。

●変化する学校教育

 もっとも教育現場は、今、大きく動き出している。
クラブ制(ドイツ、イタリア)への動きも、見られる。
習熟度別授業にみられるように、能力別教育も、常態化している。
文科省もけっして手をこまねいているわけではない。
それはよくわかる。
しかしすべてが後手後手。

 隣の韓国では、教科書の電子ブック化を始めた。
が、この日本では、まだ議論の段階。
アメリカの大手電子機器メーカーが「無料で提供する」と申し出ている。
が、それも無視。

 今どき「教科書」だなんだと言っているのは、日本と、周辺の全体主義国家
だけ。
文科省は「検定」と「国定」とは違うという。
なら、どこがどうちがうというのか。
オーストラリアにも検定制度というのは、ある。
しかしそれをするのは、民間団体。
また検定するのは、(1)暴力的表現と、(2)性描写表現のみ(南オーストラリア州)。
政治的、歴史的表現については、検定してはならないと、むしろ逆に釘を刺している。

 だったら、教科書の検定制度など、即刻、廃止したらよい。
教育行政にしても、各都道府県単位から、さらには市町村単位にまで、権限を委譲
したらよい。
学校の設立も自由化する。
現にアメリカでもカナダでも、そうしている。

 それとも「国」は、何を恐れているのか。
何を心配しているのか。
教科書の電子ブック化にしても、困るのは教科書会社だけ。
天下り先が減る、文科省だけ。
言うまでもなく、あの教科書には、巨億の利権がからんでいる。

●INDEPENDENT THINKER

 大切なのは、みなが、自分で考え、自分で判断し、自分で行動すること。
もちろんその責任は、自分で取る。
民主主義の原点は、ここにある。
言い換えると、民主主義の発展のためには、管理という規制を緩める。
民間に任すものはどんどんと任す。
行政機構を簡素化し、縮小する。

 もちろん失敗もあるだろう。
しかし民衆は、その失敗を通し、試行錯誤する。
それを繰り返しながら、民衆は自らの力で、民主主義を完成させていく。
一方、行政側も、すべてを背負い込まないこと。
できないことは、「できない」とはっきりと言えばよい。

 たとえば街路樹から落ちる、枯れ葉。
今ではあの枯れ葉を「ゴミ」と考える人がふえている。
だから道路に枯れ葉が散乱すると、その地域の住民たちはすぐ、市や町に苦情を入れる。
市や町はそのために税金を投入し、人員をふやす。
同時に権限と管轄を広げる。
こうした安易な依存性が、他方で、民主主義の発展を阻害する。
 
 ……少し疲れてきたので、結論へと飛躍したが、平たく言えば、そういうこと。

●下呂温泉、アルメリア

 「アメリカのアルメリアか?」と。
そういうふうに覚えれば、記憶しやすい名前である。
横文字のホテル名は、覚えてもすぐ忘れる。
中には、スペイン語やフランス語名のホテルもある。
そういうのは、すぐ忘れる。

 かなり大がかりな、ホテルである。
丘の上からの眺望もよい。
今回は日帰りだが、次回は、ゆっくりと泊まってみたい。
客を喜ばせる趣向が、あちこちにこしらえてある。
都会のホテルのような洗練された雰囲気はないが、その分だけ、田舎臭さが、
あちこちに残っている。
それが客の心をほっとさせる。

 ついでにアルメリアの情報。
正式名は、

KUSAKABE
ARMERIA
(ホテル くさかべアルメリア)

●補記

 その夜、寝床に就いてから、私はワイフにこう言った。
「やはりアメリカ行きは無理かもしれないね。
旅費だけで50万円以上というのは、今のぼくたちには、無理。
とてもその額ではすまないだろうし……」と。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、「組み合わせ」を教えてみる】

今週は、実験的に、小学1年生に「組み合わせ」の概念を教えてみました。
「小学1年生に、組み合わせ?」と驚かれる人も多いかと思います。
が、結果は、ご覧の通りです。

文科省の定める「カリキュラム」が、いかにチンプで、子どもたちの心を捕えて
いないか。
それをこのビデオを通して、理解してもらえれば、うれしいです。

幼児でも、正負の数、分数、小数……、すべて理解できます。
問題は教え方。
教え方だけ工夫すれば、教えられます。

では、お楽しみに!

(BW教室のみなさんは、復習にお役立てください!)

(1)

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v/_1y50vxZqZg?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
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www.youtube.com/v/_1y50vxZqZg?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
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(2)

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www.youtube.com/v/KkeWJQCS2oY?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
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(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/6qjUApj2jAk?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/6qjUApj2jAk?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>

(4)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/5JwEw1kVKeI?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/5JwEw1kVKeI?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 小学1年生 組み合わせ 組合わせ 組合せ 確率)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●中国の官僚政治

+++++++++++++++

最初、斜めに読んでいたとき、
それが中国のこととは気づかなかった。
この日本のことだと思った。
が、中国のことだった。

中国でも、官僚体質というか、
行きすぎた官僚政治が問題になっている。

Seachinaの記事を、いくつか
並べてみる。
外国の記事を読んでいると、日本の
こともよくわかる。

+++++++++++++++

++++++++++以下、Searchinaより+++++++++++++

 薄書記は1−2日の会議で、「問題がある党員」の典型的なパターンとして「話をすると
きも、報告するときも、脳みそを使わない。
大風呂敷、虚言ばかり」、「指示などを他に伝達するだけで、自分は動かない」、「民間の実
情を調べず、知らず、党・政府上層部の事情も知らない。頭ごなしに命令する」、「出勤し
たらまずお茶を飲み、たばこを一服。その後は電話でむだ話」、「勉強はせずにゲーム、マ
ージャンや株式投資ばかり」、「役所は改築のたびに豪華にして、高級な公用車を次々に採
用」、「交渉ごとでは、"よい人"になることに専念。
鉄を鍛える職人のように、厳しい姿勢を示すことをいやがる」などを挙げた。
(Searchina 4−26)


  牟委員は、「中国は、官僚本位の考えがひどすぎる。
官の権力が大きすぎる。
一部の幹部は、問題を自覚すらしていない」、「上からにらまれることを恐れ、本当のこと
を言わない官僚が多い」、「指導者などが報告する際、前半はパターンどおりの決まり文句。
内容がない空文をつくる弊害が大きすぎる」など、中国の政治における他の問題点にも言
及した。
(Searchina 4−26)


  中国中央政府は腐敗防止を目的に、官僚が大きな収入を得た場合などに資産公開を求
める規則を定めた。
しかし李副主任によると、「社会は決して満足しているわけではない」という。

  大きな問題は、役人本人にはさほど財産がないのに、その子は大変な資産家である場
合がみられること。
李副主任は、「これまでの多くの事例をみても、汚職など問題は、親族絡みで発生している
ことが多い」と指摘した。

  腐敗官僚が「汚れた金」や「疑惑の金」を手に入れる方法はさまざまで、金融機関を
介さずに現金を手渡すケースが多い。官僚が偽の身分証で口座を作り、株式投資を行って
いる場合もあるという。
(Searchina 4−26)


  広東省省情調査研究センターはこのほど、省内住民の生活状況感と幸福感について調
査したリポートを発表した。
生活状況についての満足度は74.4%と、基本的に満足できる数値だったという。
幸福感については、職業別で公務員や国有企業職員が高かった。
中国新聞社などが報じた。

  全省平均の幸福感は75.3ポイントで、恵州市の79.8ポイント、江門市の79.7ポ
イントなどが高かった。逆に、雲浮市は70.5ポイント、深セン市は72.2ポイントと低
かった。杭州市は73.8ポイントで省平均以下だった。

  収入別では、月収1万元(約12万5000円)までは収入が増えるに従い幸福感が増し、
1万元を超えると幸福感が減じる傾向があった。
物質的な条件が満たされると、欲望が高まることで現状に満足できなかったり、他人との
競争激化で心理的負担が増大する現象が発生すると考えられる。

  性別では、女性の方が男性よりも幸福感を強く感じている。大学卒業など高学歴者は、
幸福感が低いことが分かった。
職業別では公務員や国有企業職員が幸福感を強く感じていた。
仕事が安定し、給与や福利厚生の水準も高く、医療や老後についての保障も国民の平均を
はるかに上回っているからと考えられる。
(Searchina 4−26)


  一方、インターネットでは「最も幸福を感じる都市、いったいだれの幸せ感なんだ?」
と題で、同ランキングは住民感情とはまったく別とする批判が発表された。
同文章を転載するブログも増えている。

  文章は「幸福を感じているのはだれだ? 南京の橋の下で凍死した農民工(農村部か
ら来た労働者)か? 成都市で当局の野蛮な立ち退き命令に抗議して自殺した唐福珍か? 
昆明の警察署や拘置所などで相次いだ原因不明の自殺者や病死者か? 道路を横断する際
にも安全感などまったくない庶民か?」などと批判。

  文章は続けて、「あいつらは違う。なるほど、幸福を感じているのは寧波市で全国にさ
きがけて勤務時間6.5時間制度を取り入れた公務員か。
ぜいたくでぶくぶく太り、統計数字を水増しし、庶民からまきあげた金で給料をもらい、
すばらしい生活をしている官僚か。
全国の街頭で露天商を横暴に取り締まる都市管理員か」などと非難。
幸福感ランキングなど、庶民感情とはまったく無縁と主張した。
(Searchina 4−26)

++++++++++以上、Searchinaより+++++++++++++

●民主主義vs官僚主義(貴族主義)

 話は変わるが、昨日(4月27日)、こんな事件があった。
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、
政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた事件についてである。

『……川村前社長は同日午前の検察側の尋問に対し、工事受注に関連して元公設第1秘書、
大久保隆規被告(49)から1億円を要求され、04年10月に石川議員、05年4月に
大久保元秘書に5000万円ずつ渡したと証言した』(毎日JP)と。

この中に出てくる「石川議員」というのは、衆議院議員石川知裕被告(37)、
小沢一郎元秘書をさす。

 贈賄側は、「渡した」と証言している。
しかも小沢一郎氏側からの要求に応じて、「渡した」と証言している。
が、小沢一郎氏および秘書たちは、(一部の秘書は、当初、「もらった」と証言。
その後、証言を翻す)、「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返している。

 その1億円はその後、実にうさん臭い経路を経て、土地購入資金へと化けていく。
そればかりか、民主党内でそれが問題になると、逆に党の執行部を非難。
それが「管(管総理大臣)下ろし」とつながっていく。

 これに対して、自民党の石破茂政調会長は26日の記者会見で、『菅直人首相の退陣を求
める民主党議員の勉強会が開かれたことについて「不思議な党だ。
(東日本大震災の)被災者から見ればどのように映るのか。
日本全体が危機にある時に最大与党が何をやっているのか」と語った』(時事コム)と。

 まことにもって今は、おかしな内輪もめしているばあいではない。
しかも盗人猛々(たけだけ)しいというべきか、責められるべき自分たちが、逆に相手を責めて
いる。
私も、「不思議な党」と思う。
言い換えると、民主主義がこの体たらくで、どうして官僚政治と闘うことができるのか。
こうした愚劣な政争を傍からもっとも笑い、喜んでいるのは、政治官僚たち。

 Searchinaの記事は、少し過激とは思うが、中身的には、日本のそれと、
それほど大きくは違わない。
日本をそういう国にしてはいけない。

 今朝も始まった。
2011年4月28日記


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●他人の収入(東京電力社員のばあい)

【算数の問題】(小6レベル)

東京電力は25日、役員報酬の減額を発表した。会長、社長、副社長、常務取締役は、総報酬
から50%減額。執行役員については同40%減額する。

東電は、会長、社長のほか、6人の副社長、9人の常務のほか、29人の執行役員、ほかに外
部取締役や出向役員3人の49人体制。ほかに管理職、4000人がいる。

これによって、役員で7億5000万円、管理職で50億円、一般職で480億円。年間約540億円の
人件費が圧縮される(以上、YahooNewsより)。

(問1)以上の事実から、会長、副社長、常務ほか、49人の平均年収を計算せよ。

(問2)管理職4000人の平均年収を計算せよ。ただし管理職は25%の減額とする。

++++++++++++++++++

『東京電力の会長以下、管理職の給料カットが発表された。
これについて、海江田万里経済産業相は28日の会見で、
東京電力が示した役員報酬の一律減額について、
「さらなるカットは当然」と述べた。監督官庁が役員報酬に
ついて触れるのは異例。この発言を受けた東電役員の対応
が注目される』(以上、YahooNewsより転載)と。

+++++++++++++++++

●計算

 問1も、問2も、方程式を使わなくても、計算できる。
(ただしここでは、計算を簡略化するため、執行役員の削減額も50%とする。)

50%を減額して、7億5000万円。
7億5000÷0.5=15億
15億÷49(人)=3061万円

役員の平均年収は、3061万円。

同様に管理職については、
50÷0・25=200
200(億)÷4000(人)=0・05(500万円)

管理職の平均年収は、500万円となる。

が、ここで?

同じくヤフー・newsによれば、「東電の一般職は組合員だけで3万1775人。
管理職約4000人を含めると約3万7000人となる。
一般職の平均年収は758万円(09年度)」とある。

管理職の平均年収は、500万円。
一般職の平均年収は、758万円。
逆転している?
つまり計算が合わない。
管理職の年収のほうが、一般職の年収より低い?
何か、おかしい。
おかしいが、これ以上のことはわからない。
2011/04/28


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●カリキュラムとは何か?

 日本の教育は、「系統」という言葉を重要視する。
しかし、系統とは何か?

 たとえば算数。
まず数字を教える。
数え方を教える。
つづいて足し算を教え、引き算を教える。
それがある程度できるようになったら、今度は、繰り上がりのある足し算を教える。
繰り下がりのある引き算を教える。

 これを「系統」という。
だからおもしろくない。
子どもの心を捕えない。

●系統は必要か?

 私は長い間、その「系統」を無視して、教えてきた。
「塾」という立場だからこそ、できる芸当である。
たとえば幼児クラス(幼稚園児対象)でも、正負の数、グラフ、小数、組み合わせ、
順列、かけ算、割り算などを教えている。
最近では筆算の仕方も教えた。
場合の数、確率まで教えた。
どれひとつをとっても、「幼児に?」と首をかしげる人も多いだろう。
しかし大切なのは、教え方。
子どもたちの学ぶ姿勢。

 一部は、ここに紹介しておくので、さらに興味のある人は、「はやし浩司のメインHP」
より、「BW公開教室」へと進んでみてほしい。
私の教え方がどういうものかは、子どもたちの笑い声が証明している。

★幼児に正負の数を教えてみる

<iframe width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/ZcSkLPtYxQs"
frameborder="0" allowfullscreen></iframe

★幼児に分数を教えてみる(1/4)2010年

<iframe width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/GtOjKfxi1Yo"
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

★幼児に小数を教えてみる

<iframe width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/8UlJO3WttCA"
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●カリキュラムとは何か

 日本の教育は総じて、どこかのエラーイ先生が組み立てた。
だからおもしろくない。
役に立たない。
そればかりか、子どもたちのもつ可能性、好奇心を、既成のカリキュラムがつぶして
しまっている。
英語教育を例にあげるまでもない。

 BE動詞に始まって、一般動詞。
進行形、過去形へとつづく(中1レベル)。
一方、欧米では、「役にたつ教育」を目標にしている。
アメリカの中学校では、「中古車の買い方」というテーマで、数学の授業に入る。
中古車の買い方を学ぶ内に、小数の計算、金利の計算などを学ぶ。

 そこでもう一度、カリキュラムとは何か、それを考えてみてほしい。
本当にそれが正しいものなのかどうかという視点でもよい。
たとえばスペインの小学校では、それぞれの子どもに、先生がひとつのテーマを与える。
「あなたはフランス革命について調べなさい」
「あなたはトラファルガーの戦いについて調べなさい」と。

子どもたちは1年をかけてそれを調べ、年度末には、みなの前でそれを発表する。
それがその子どもの成績として評価される。

 スペインだけではない。
総じて見れば、欧米の教育は、そういう流れの中にある。
が、この日本では、100年一律。
その枠(わく)から一歩も出られないでいる。
この愚かさ。
このバカ臭さ。

 みなさんも、今、みなさんがもっている「常識」というのを、一度
疑ってみたらどうだろうか。

 あのアインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が一八歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 カリキュラム 偏見 常識という偏見)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●浜岡原子炉に思う(万全の安全策が講じられるまで、停止すべし)

++++++++++++++++++

福島第一原発事故のあと、浜松市の
近くにある、浜岡原子炉でも、緊急の
災害訓練が実施された(4月)。
内容は、非常用電源が停止し、原子炉の
冷却機能が停止したという状況を
想定したもの。
それに対して発電所側のした訓練というのは、
消防車を出動させ、放水するというもの。
私はこの分野では素人だが、その私ですら、
それを見て、笑ってしまった。
地元の中日新聞ですら、「緊張感がまるで
なかった」と酷評した。
つまり子どもだまし!

原子力発電所の事故が放水で防げる?
発想そのものが、バカげている。
がん細胞に、赤チンを塗るようなもの。
肺炎で熱を出して苦しんでいる人に、
水をかけるようなもの。
福島第一原発事故を見てもわかるように、
それでは訓練にならない。

放射性物質を含んだ水は、どうする?
爆発か何かがあって、飛び散ったがれきは
どうする?
高濃度の放射線を浴びた作業員は、どうする?
周辺地域の人たちを、どこへどのように
避難させる?
放射性物質の中和剤は用意できているのか。
遠隔操作のロボットは、用意できているのか。
医療態勢は整っているのか。
つまりそういった一連の訓練をして、はじめて、
「訓練」ということになる。

浜岡原子力発電所は、砂丘の上に立っている。
揺れがつづけば、液状化現象も心配される。
もちろん津波による被害も想定される。
原子力発電所側は、これから防波堤を高く
すると言っている。
ならばそれが完成するまで、原子炉を停止
すべきではないのか。
「安全だ」と主張するなら、つまり
それほどまでに安全なものなら、
名古屋市内に、原子力発電所を建設すれば
よい。
どうして中部電力の発電所が、浜岡にあり、
海のそばにあるのか。
「安全ではない」という不安があるから、
そうしているのではないのか。

浜岡から浜松市まで、40キロ足らず。
その浜松市は、この東海道地域では、
東京、名古屋につづく、第三の大都市。
人口は約80万人。
周辺部の都市を加えたら、軽く100万人を
超える。

浜岡原子炉は、今すぐ停止すべし。
万全の安全策が確保されるまで、停止すべし。

(補記)

ある関係者いわく、
「浜岡原子炉については、今すぐ廃炉にしたい。
しかしその方法がないから困っている」と。

原子炉というのは、作るのは簡単。
壊すのがむずかしい。
原子炉というのは、どうやら、そういうものらしい。

+++++++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●旅行と文化性

●観光バスによるバス旅行

 おとといG県のG温泉に行ってきた。
日帰り入浴というコースだった。
久しぶりのバス旅行。
「たまにはいいだろう」と思って出かけた、
が、これが、とんでもない、まちがいだった。

で、改めて、結論。
「二度と、バス旅行はしない!」。

 たいてい数組、うるさいオバチャンたちが乗り合わせている。
そういうオバチャンが、ギャーギャー、ワハハハと、騒ぐ。
バカ笑い。
バカ話。
おまけに座席は狭く、一度座ったら、身動きもままならない。
レベルが、40年前のまま。
50年前のまま。
「レベル」というのは、観光バス自体がもつ「旅行」のレベルをいう。
今時、アジアの国々でも、こんなひどいバスに乗せる(乗せるというより、
詰め込む)国は、そうはない。

 加えて、あのおしゃべり。
電車やバスの中で、大声でしゃべるのは、(しゃべってもいいと考えているのは)、
日本人ぐらいなもの。
が、それだけではない。
たまたまおとといは、「ガイド」ではなく、「添乗員」。
まだよかった。

ガイドのバカ話ほど、苦痛なものはない。
見るからに底の浅いガイドが、バラエティ番組そのままの、
意味のない話を、間断なく、しゃべりつづける。

「……全国イチのみやげものと言えば……」
「……ほら、あのxxさん。タレントのxxさん。あのxxさんも立ち寄った
という店が、あの店です……」と。

 で、「旅行」とは名ばかり。
窮屈な思いをさせられ、騒音に耳をふさぎ、おまけに弁当屋の弁当よりまずい
ランチ。
旅行に行った……というよりは、半日、拘置所かどこかに留置されたような気分。
寄りたくもないみやげもの屋に停まる。
そのたびに、「あれを買え」「これを買え」と迫られる。
だから、あえてこう言う。
「二度と、観光バスには乗らない!」と。
息抜きのつもりで行った旅行だったが、かえって疲れがたまってしまった。

(1)いまどき、バスガイドなど、不要。(飛行機にガイドはいないぞ!)
(2)添乗員も「口」ではなく、「体」を動かせ。
(3)座席を広くし、間を広くせよ。(日本人も、大きくなったぞ!)
(4)大声でおしゃべりしている連中を、注意せよ。

 そんなわけで、今日になって疲れがどっと出た。
昨夜は8時間も眠ったのに、まだ眠い。

●旅行
 
 「おしゃべりが楽しいから、旅行に行く」という人もいる。
それはそうかもしれない。
しかし少しはほかの客の迷惑も考えてほしい。
携帯電話ですら、「マナーモードに」と言っておきながら、おしゃべりだけは
野放しというのは、矛盾している。
どう考えても、矛盾している。
(そう言えば、通路をはさんだ隣の席の男性は、何度も携帯電話をかけていた!)

 で、「旅行」について、考える。

 旅行することは、脳みその働きを活性化させる。
ボケ防止によい。
転地療法という、治療法もある。
何か心の病をもった人に、効果的という。
それは事実。
が、その旅行にも、目的がある。
みな、何かの目的をもって、旅行に出かける。

 その目的にかなえば、それでよし。
そうでなければ、そうでない。
私は「のんびりと……」と考えていた。
が、それができなかった。

 ……ということで、バス旅行は、こりごり。

●オバチャンのおしゃべり

 最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があることが
わかってきた。
ふつう交通事故か何かで、左脳が損傷を受ければ、言語機能が影響を受ける。
が、女性のばあい、右脳がそれをカバーする。

 (そう言えば、女性で、呂律(ろれつ)が回らなくなったという人は、少ない?)

 が、それだけではない。
AD・HD児というと、男児に多いと言われているが、もちろん女児にも多い。
ただ女児のばあいは、多動性というよりも、多弁性が特徴的な症状となって
現れる。

よくしゃべる。
とにかく、よくしゃべる。
強く制しても、効果は一時的。
10秒も静かにしていられない。

私「黙っていなさい!」
子「黙っていればいいのね」
私「そうだ、口を閉じていなさい」
子「口を閉じるって、どういうこと?」
私「だから声を出さないように」
子「だって、息ができなくなる」
私「いいから、黙っていなさい」
子「何分くらい?」と。

 こういう会話が、永遠とつづく。

●3年前の原稿

 以前、女性のおしゃべりについて、書いた。
さがしてみたら、3年前の2009年に書いた原稿が見つかった。
それ以来、進歩なし。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Bツアー(2009年、5月記)

++++++++++++++++++++++

地元に、E鉄道株式会社という運送会社がある。
そのE鉄道が、一方で、Bツアーという、観光旅行を
運営している。
値段も安く、良心的。
何よりもうれしいのは、目的地まで、そのまま私たちを
運んでくれること。
バスの中では、好き勝手なことができる。
もちろん居眠りもできる。
昨年は、そのBツアーを、月に2、3度、利用させてもらった。
今年に入ってからも、やはり月に2、3度、利用させてもらった。

++++++++++++++++++++++

が、この2か月ほど、Bツアーに参加していない。
「もうコリゴリ」「うんざり」というのが、その理由。
このあたりの言葉では、「往生こいた」という。
Bツアーに問題があるのではない。
(半分は、あるが……。)
うるさいの、なんのといって、オバチャンたちのおしゃべりほど、
うるさいものはない。
そのつど閉口している。

最後に東京の近くにあるI島へ行ってきたが、1組や2組なら
まだ何とかがまんできる。
しかしそんなかしましいオバチャンたちが、何組も乗り合わせたら……!
もう「旅」どころではなくなってしまう。
「我、負けず」とみなが、しゃべり始める。
競いあって、しゃべり始める。

ガチャガチャ、ギャーギャー、ゲラゲラ、ワハハハ……と。
まるで中学校か高校の同窓会のよう。

さらに運の悪いことに、そのときは、これまたレベルの低いバスガイド(失礼!)。
話す内容といえば、テレビのバラエティ番組のことばかり。

「あの店、ほら、あの店……。この前テレビを見ていたら、タレントの
あの○○さんが、行った店ですよ。○○さんは、おいしかったって、
言ってましたよ」とか何とか。
(○○なんて、タレント、知るか!)

で、うしろの席に座ったオバチャンたちは、往復、計4〜5時間、
しゃべりっぱなし。
2度目に注意したら、逆に言い返されてしまった。

「私ら、おしゃべりが楽しみで、旅行に来ているもんねエ〜」と。

ガイドもガイドだ。
一方で、「携帯電話はオフに……」と言っておきながら、自分はマイクを
使って、前列の人たちと個人的な話をする。
しかもマイクのボリュームは最大!

その旅行を最後に、ワイフとこう誓った。
「もう、こんな旅行はやめよう」と。
……ということで、それ以後は、Bツアーを利用するのはやめた。
もっぱら車や電車を利用している。

●昔はカラオケとタバコの煙

息子たちが子どものころも、ときどきBツアーを利用させてもらった。
そのころは、カラオケが定番。
喫煙は自由。
さらに当時は、バスに乗ると、自己紹介を強いられた。
「私は○○町から参加させてもらいました、▲▲です。
今日は、家族5人で参加させてもらいました」などなど。

私はカラオケもいやだったし、タバコの煙もいやだった。
自己紹介については、それほど抵抗はなかったが、今から振り返ると、バカげたことを
させられたものだと思う。

で、最近は、ガイドのバカ話とビデオ。
それにオバチャンたちのおしゃべり。
そのビデオだが、客の中には、自分でビデオをもってくる人もいる。
ガイドはそういう客を見ると、ホイホイと喜ぶようだが、ちょっと待て!
そのときも、YM興業(お笑いタレント養成学校)制作のビデオだった。
ああいうのを見て笑って喜ぶ人というのは、そのレベルのオバチャンだけ。
「何もこんなところまで持ってきて見ることはないだろ!」と思ったが、
多数決の結果、見るハメに……。

私は耳にイヤホンを詰めなおして、音楽を聴いていたが、あのときも最悪だった。
旅行というよりは、修行のようなもの。
世俗に慣れるための修行のようなもの。
そう思って、体を固めて、じっと我慢した。
つまりこういうことが重なって、もうコリゴリ、となった。

……と悪口(=愚痴)を書いてもしかたない。
実のところ、何度か、E鉄道会社には、メールを出した。
「滋賀県を通り過ぎるたびに、養老の滝の話。
今年だけで、もう10回以上、聞きました」と。

そのつどていねいな返事はもらっているが、改善された様子はなし。
だからもう出さない。
返事もいらない。

が、これはE鉄道会社だけの問題ではない。
私たち日本人がもつ文化性の問題である。
その文化性が高くならないかぎり、こうした問題は解決しない。
が、それには、10年単位の年月が必要である。

カラオケがなくなるのに、10年。
禁煙になるのに、10年。
みながやがて静かな旅行ができるようになるのに、さらに10年。
(あるいは20年、かかるかも?)

日本のレベルがどの程度かを知りたかったら、観光バスに乗ってみるとよい。
きっとよい修行になると思う。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【5歳児を、50分間、ひきつける】

++++++++++++++++++

5歳の幼児を、50分間、レッスンに
ひきつけておくのは、容易なことでは
ありません。

リズムと速いテンポが必要です。
それがないと、幼児は、レッスンに
すぐあきてしまいます。

5歳の幼児には、どれくらいのリズムと、
テンポが必要か。
(もちろん個人差もありますが……。)
それをこのビデオを通して、理解して
くださればうれしいです。

テーマは、「あいさつ」。
ついで発語指導+知恵遊びもしました。

なおレッスンのあと、それぞれの
幼児の頭に触ってみました。
みな、頭がたいへん熱くなっていました。
脳の活動を、全開にしたためです、ね。
みんな、よくがんばりました。

はやし浩司 2011−04−29

浜松 BW教室 by はやし浩司

++++++++++++++++++

(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

●勇気ある石原東京都知事発言(パチンコについて)

+++++++++++++++++

石原東京都知事が、「やめちまえ」という
言葉を使って、「パチンコ店」の全廃を
主張した(4月30日、注※)。

賛否両論もあるだろう。
しかし今まで、そういうことを主張する
政治家がいなかった。
万事、「いいわ、いいわ」で、その場を
ごまかしてきた。
逃げてきた。
そういう意味で、石原東京都知事の発言を
支持したい。
この日本にあっては、まれにみる、勇気ある
発言ということになる。

パチンコは、娯楽なのか、遊戯なのか、
はたまた賭博なのか。

答は「賭博」。
だれがみても、「賭博」。
みな、裏で、堂々と現金と交換している。

が、賭博が悪というわけではない。
(善でもないが……。)
総じてみれば、資本主義社会における
経済活動は、例外なく、「賭博」。
「賭博」という言葉に問題があるなら、
「賭け」でもよい。

賭博性がない経済活動は、ない。
もし賭博性を否定したら、経済活動そのものが
成り立たなくなってしまう。

新しい商品を開発する。
広告、宣伝を打つ。
商機に乗る。
……すべて「賭け」。

それが凝縮したものを、私たちは「賭博」と
呼んでいる。
パチンコもそのひとつ。

+++++++++++++++++

●パチンコ

 パチンコ店の是非はともかくも、何のためにパチンコがあるのかというと、
それがよくわからない。

この世の中には、生きたくても生きられない人は、ゴマンといる。
一瞬一秒を、それこそ金の粉のように思いながら、生きている人も多い。
人生は、まさに砂時計。
刻一刻と、時間は過ぎていく。
そういう中で、……というか、その一方で、パチンコ店で一日をつぶす人も
これまたゴマンといる。
もったいないというか、バカげている。

 パチンコ店が悪というのではない。
そういう形でも、気分を紛らわさなければならない人も多い。
それは事実。
ガンガンと音楽が鳴る部屋で、落ちていく玉を見つめる。
一心に見つめる。
それだけで頭の中を空っぽにすることができる。
何もかも、忘れることができる。
職場や家庭でいやなことがあっても、パチンコをすることで忘れることができる。
そういう形でパチンコを利用している人も多い。

●生きる意味

 「パチンコは時間の無駄」と言い切るのは簡単。
が、そうは言い切れないところに、私たちの弱さというか、社会全体がかかえる
問題が隠されている。

またこう書くからといって、パチンコ店を支持しているわけではない。
ただ私が書きたいのは、「仕事」と呼ばれる仕事にしても、時間の無駄ではないと
言えるものが、どれだけあるだろうかということ。
無駄なことを、無駄でないと信じながら、無駄にしている。

 実のところ、今の私もそうだ。
日々に同じことを繰り返しながら、残り少ない人生を食いつぶしているだけ。
健康は不可逆的に、マイナス方向に向かっている。
頭だって、ボケ始めている。
が、身のまわりの問題は、何一つ、解決していない。
「明日には何とかなるだろう」
「来年には何とかなるだろう」と。
淡い期待を抱きながら、毎日をごまかして生きている。
だから一日が終わり、床に入って目を閉じるたびに、こう思う。

「ああ、今日も1日、無駄にしてしまった」と。

●石原発言について

 人の心には、4割の善があれば、同時に4割の悪もある。
その善と悪が、無数の衝突を繰り返しながら、人間のドラマを生み出している。
またそれがあるから、人間の世界は豊かで、おもしろい。

 そこで問題なのは、仮にここでパチンコ店を「悪」と決めつけ、つぶしてしまった
としても、先に書いた「賭博性」がなくなるかということ。
答は「NO!」。

 そういう形でも、自分をごまかさないと生きていけない人たちも多い。
この世の中、不安と心配が渦を巻いている。
不公平感も頂点に達している。
仕事はおもしろくない。
家庭もおもしろくない。

石原東京都知事のように、名声も地位も権力も、そして財力も、すべて手に入れた
人には、それがわからないかもしれない。
しかしその一方で、何をしても失敗。
すべてが裏目裏目と出る。
退職金もなければ、年金もない。
日々の生活費もままならない。

 パチンコがそれを救うというのではない。
が、ほとんどの人は、パチンコが好きでパチンコをしているわけではない。
怒りやさみしさを爆発させる力もない。
度胸も知恵もない。
かといって、犯罪を犯すほどの悪人でもない。
だから手っ取り早く、パチンコを……となる。

 つまりパチンコ店が、(何もパチンコにかぎらないが……)、そのグレーゾーンとして、
善と悪の緩衝地帯になっている。
私が書きたいのは、仮にパチンコ店をつぶしたとしても、それで「悪?」がなくなる
というわけではないということ。
「悪」のもつエネルギーは、そんな甘いものではない。
そのエネルギーは別の方向に向かう。
地下にもぐる。

●なぜ反対なのか

 石原東京都知事は、「電力の消費の抑制」という意味で、「やめちまえ」と言った。
けっして賭博性を問題にしたわけではない。
またそれほどの哲学的見地から、そう発言したわけではない。
もしそうだとするなら、あのサッカー賭博はどう理解したらよいのか。
しかもあろうことか、サッカー賭博については、文部科学省が統括している。
石原都知事自身も、公設カジノの開設について、たびたび言及している。

 もちろんパチンコにも大きな問題がある。
「パチンコ依存症」という問題である。
が、「依存症」ということになれば、ほかに「アルコール依存症」もある。
最近では「ゲーム依存症」もある。

 要するに、善と悪は複雑にからみあいながら、有機的に結合している。
「あんなもの」と吐き捨て、それで廃業に追い込めば、それでよいというような
問題ではない。
では、どうするか?

●電力消費の抑制と自粛

 パチンコ店の大型化には、目を見張るものがある。
広大な敷地に、駐車場。
煌々(=光々)と輝く電飾。

 店内もそれ以上に明るい。
が、それでも電力消費という点では、微々たるもの。
パチンコというよりは、今では、すべてがコンピュータ化され、膨大な電力を
消費する。
そちらの電力消費量のほうが、はるかに大きい。
もっともパチンコ店のほうは、それでも儲かるから、経営をつづけられるのだろう。
もし今、電力消費の抑制を迫られたら、パチンコ店は廃業するしかない。
あるいは50年前にさかのぼり、機械仕掛けだけのパチンコ台に戻るか?

 が、それもできないというのであれば、10年単位で、少しずつ業界を縮小
していく。
今まで、あまりにも野放しにしすぎた。
その(野放し)した部分を、ワクの中に収めなおす。

もっとも簡単な方法は、換金制度を禁止にする。
現行の換金方法は、あまりにも見え見え。
賭博ではありません……と見せながら、実際には賭博。
客は店で交換商品を受け取り、一度店の外に出て、その交換商品と現金を交換する。
しかも知っている人も多いと思うが、あの「遊戯組合」は、警察官の天下り先にも
なっている。

 つまりこういうインチキをやめる。
禁止する。

●換金制度の禁止

 ……むずかしい話はさておき、もっとみなさん、「時間」を大切にしよう。
人生80年とはいうが、瞬時のまた瞬時。
先にも書いたように、人生は砂時計の「砂」のようなもの。
刻一刻と、砂は下へ下へと落ちていく。

 そういう意味では、パチンコほど、時間の無駄はない。
頭の中を空っぽにするだけに、余計に時間の無駄。
(あのガンガンと流れるBGMにしても、思考を停止させるという働きがある。)
玉が入れば喜び、入らなければ落胆する。
それをさざ波のように、繰り返す。
それが連続した思考力を奪う。
麻痺させる。

 仮にそれで数千円、あるいは数万円の現金を手に入れたとしても、その現金で、
砂時計の「砂」を買うことができるのか。
が、ほとんどの人は、お金を失う。
失うから、パチンコ店は、あれほどまでに豪華な建物を建てることができる。
タバコと同じ。
よいことは、何もない。

 石原東京都知事も、こう言っている。

「……その(在日の)一部の人が、『これは自分の母国の韓国でも流行るだろう』と
(パチンコを)持って帰ったら、面白かったんでしょう、たちまち人気になった。
これは人間を怠惰にして、人生を狂わせるということで、当局が乗り出して、
韓国ではパチンコは全廃されました」(Jcastニューズ)と。

 ……あとは個人の判断。
やりたい人はやればよい。
やりたくない人は、やらなければよい。
石原東京都知事の発言には敬意を表する。
しかしいきなり「あんなもの」「やめちまえ」というのは、言い過ぎ。

もし言うべきことがあるとするなら、あのインチキそのものの換金制度。
パチンコ業界も、「娯楽だ」と反論するくらいなら、率先してあの換金制度を
廃止したらよい。
景品は、家庭で使う家庭用品だけ。
そうすればよい。

 私の予想では、それで消費電力の抑制という目的も達成することができるはず。

(注※)(以下、Jcastニューズより)

「自動販売機なんてやめちまえ。コンビニで買って家で冷やせばいいじゃない」
「パチンコはジャラジャラと音を立てるために電気を煌々とつけるのは、世界中で日本だけだ」
  原発事故に伴う電力不足について、こう持論を展開した。石原慎太郎氏は、これまで震災対
応の公務を優先しており、街頭演説はこの日が初めてだった。
  10日夜の当選後も、各社のインタビューに熱弁を振るった。石原氏は、自販機とパチンコの
両業界で年間の電力消費がそれぞれ450万キロワットで、合わせて1000万キロワット近い電力
が浪費されていると強調。これは、福島第1原発とほぼ同じ電力消費だとした。そして、国は、
オイルショック時に出したように、節電のための政令を出せばよいとまで言い切った。
(以上、Jcastニューズより)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Eマガ・廃刊に準備して

++++++++++++++++++

12年に渡ってお世話になった、Eマガ社から
廃業の連絡が入った。
2011年の5月末をもって、廃業する、と。

インターネットの世界は、まさに日進月歩。
……というか、私にはモグラ叩きのモグラの
ように思える。

あっちが出てくると、こっちが引っ込む。
その「あっち」に手を出していると、それもやがて
引っ込み、また別の「あっち」が出てくる。

一時はBLOGがもてはやされた。
が、そのBLOGも、衰退期に入ってきた。
今はFACEBOOKとか、TWITTERの
全盛期。

そこで現在、Eマガ社で発行した電子マガジンの
原稿の吸い出しをしている。
1号ずつ画面に開き、それを別の画面に、COPY→
張りつけを繰り返す。
これが結構、たいへん。
昨夜から少しずつ始め、今、やっと2年分を
吸い出した。

……ということで、今日は、私のEマガ第一号、
つまり創刊号をここに載せる。
稚拙な文章だが、そこにいるのは、この「私」。
2001年の6月6日。
あのときの熱い思いが、ふとよみがえってくる。


***********以下、Eマガ(電子マガジン)創刊号より*********


++++++++++++++++++++

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====
    子育て最前線の育児論
 ================  
2001年6月6日号
         by はやし浩司(ひろし)

トピックス
●   はじめまして! 
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?


●はじめまして!
今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
                    はやし浩司


●育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
 
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。


●子育て定期検診もできます!
あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。

検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。


●はやし浩司って、どんな男?

現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。
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件名:子育て情報(はやし浩司)3

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 ================  
2001年6月6日創刊号
         by はやし浩司(ひろし)






トピックス

● はじめまして! 
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?


**************************


●はじめまして!

今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
                    はやし浩司

●育児診断ができるぞ!

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断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。

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と体を休めていますか。
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検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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はやし浩司の自己紹介
はやし浩司のホームページ
    「はやし浩司」のホームページを紹介します。
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


      
●「世にも不思議な留学記」……1970年の春、日豪経済委員会からの
        奨学金を得た私は、オーストラリアのメルボルンに向か
        った。しかしそこはまさに……?
      (中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
       新聞に連載中。)

●「ポケモン・カルト」「クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論」「ドラ
       エもん・野比家の子育て論」を紹介。

●子育て診断、子育て定期検診、過保護・過干渉・溺愛度を診断

●子育て相談……子育て相談、子育てアドバイスなど。Q&Aコーナーも
       ありますから、どうかご利用ください。

●はやし浩司(ひろし)……幼児教育にたずさわって30年。いつも最前
       線で、子どもや親たちと対峙してきました。金沢大学を卒
       業後、オーストラリアで研究生活を経たのち、三井物産勤
       務、幼稚園講師を経て、現在教育評論家。地元静岡県を中
       心に、1999年1月以後だけでも、100箇所以上の幼
       稚園、小中学校などで講演活動を続けている。

       30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
       「はやし浩司」のホームページで、ご覧ください。
      




みなさんに提供できること……

☆このマガジンで、私は皆さんの子育てで、次のようなことが協力できます。

(1)30年で得た、ノウハウや、考え方、育て方の知恵をお話しできます。
(2)子どもの見方、考え方、対処のし方など、具体的に、お話しできます。
(3)みなさんの子育ての指針を、お話しできます。  




****************************


             
中日新聞ホームページ
   「子どもの世界・こんな育て方」を、お読みいただけます。
          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/

    
    「混迷の時代の子育て論」
    「世にも不思議な留学記」
    「子どもの世界、こんな問題」と、連載が、計125回続きました。

    そのうちの最近の約50作が、中日新聞社のホームページに収録されています。
    
  (主な内容)
     育児ノイローゼ
     子どもの情緒不安
     恐怖症
     ADHD児など、子どもの心の問題

     子育て四次元論
     レット・イット・ビー
     夫婦は一枚岩
     許して忘れるなどの、育て方の問題

     見たぞ、UFO
     31年ぶりの約束
     アメリカの小学校
     学歴信仰など、豊富な内容です。

?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
?ルービン報道官の退任
?子育て四次元論
?最近の女子高校生は・・・?
?子どもの情緒不安
?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
?31年ぶりの約束
?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
?子どもの金銭感覚
?誤解だらけの幼児教育
?学歴信仰の盲信者
?許して忘れろ
?権威主義の象徴・水戸黄門
?キズつく子どもたち


******************************


はやし浩司のこと……

 まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
 いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。

 昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。





みなさんへ

 自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
 家族を大切に、「今」を精一杯、自分らしく生きる生き様を大切にしましょう。

 もし私に少しでも賛同してくださるようであれば、どうか、このマガジンを、
 引き続き、ご購読ください。よろしくお願いします。


                         はやし浩司


*****************************



 
●子どもの自我について(電子マガジン創刊号の原稿より)2001年6月5日記

フロイトの自我論

●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる

フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を
もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で
きる。

 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや
占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな
る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自
我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない
子どもといった印象を与える。

その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき
環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価
値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心
(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど
もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳
幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。

 人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質
は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

  
***********以上、Eマガ創刊号より  2001年6月6日*******

●以来10年

 今日は2011年5月2日。
引き算をすれば、ちょうど10年目ということになる。

 あのころは、マガジンを発行するたびに、読者が4人、5人とふえた。
それが楽しみだった。
現在は、ふえても、1か月に数人。
またEマガは、多数に同時に発送さ
れるため、「スパム・メール」と誤解されやすい。
そういうこともあって、マガジン各社は、広告が取りにくくなったという話も聞いている。

 が、これも時代の流れか。

 そのかわり、BLOGのほうは、読者がふえている。
YOUTUBEのほうも、閲覧者がふえている。
HPは、(私のHPについての話だが)、いまだ、健在。
10ページほどに、カウンターをつけているが、どれも毎日1000件近いアクセスが
ある。

 今しばらくは、HPとBLOGに力を入れてみる。

 ……というわけで、残念ながら、Eマガは、2011年5月末をもって、廃刊にする
ことにした。
引き続き読んでくださる方は、メルマガ(無料版)を、どうか継続して読んでほしい。
申し込みは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、できるようになっている。
どうか、どうか、よろしく!

2011/05/02


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【油断が事故を生む】(原発事故に思う)

++++++++++++++++++++

インターネットを立ち上げると、真っ先に
見るのが、「原発事故ニュース」。

私の知らない間に、原子炉が爆発していたら……と。
今朝もそうだった。
が、「爆発」の文字は、どこにもなかった。
それを見て、ホッとする。

こんなことが、この先、何か月もつづく。
へたをすれば、何年もつづく。

++++++++++++++++++++

●小沢派民主党議員よ、少しは自分に恥じろ

 福島の第一原発事故は、何も解決していない。
解決していないばかりか、事態は悪化の一途をたどっている。
こんなことは、報道されたニュースの内容を、ほんの少し注意深く読めば、わかるはず。

解決に向かって、いろいろな動きは見られる。
そういう様子はある。
が、どれもアドバルーン。
「ああする」「こうする」と言うだけで、実行に移されたものはない。
何もない。
温度計を、どうやったら原子炉格納庫の中に入れることができるか。
いまだにそんなレベルの話で、立ち往生している。

 が、国会ではすでに責任問題。
同じ与党の民主党議員が、管総理大臣をはげしく追及している。
その愚かさ。
小沢派議員たちも、少しは自分に恥じたらよい。

今ここで原子炉が爆発したら、この日本はどうなる?
今、議員も含めて、私たちがすべきことは、現状を「原点」として、どう問題を
解決していくかということ。
今、そこにある危機とどう立ち向かっていくかということ。
責任問題は、そのあと。
つぎのつぎ。

 第一号機についても、まさに綱渡り。
手探りによる綱渡り。
水を入れすぎれば、温度はさがる。
しかし圧力がさがれば、外部からの空気が入りこむ。
それが水素と混ざって、水素爆発を起こす。

 が、かといって、水を減らせば、温度があがる。
核燃料がむき出しになって、メルトダウンを起こす。
もし原子炉が爆発すれば、東京だって、あぶない。
人が住めなくなる。
だいたいにおいて、水位がどの程度まであるかさえ、よくわかっていない
という(1号機)。
そういう危機感が、まるでない。
……まるで感じられない。
多くの人は、原発事故はすでに解決したかのように誤解している。

 ……子どもの世界にも、「二番底」「三番底」という言葉がある。
私が考えた言葉だが、子どもというのは、たとえば非行に走るとき、「まだ以前の
ほうがよかった……」を繰り返しながら、症状が悪化していく。

 今の原発事故にしてもそうだ。
今が最悪と考えてはいけない。
最悪の下には、さらに最悪、つまり二番底、三番底が待っている。
原子炉の爆発ということにでもなったら、そのときこそ、日本は万事休す。
息の根は止まる。

●御用学者

 週刊誌などを読むと、「御用学者」という言葉が、よく目につく。
代表的な御用学者に、NHKの解説委員たちがいる。
ウソは言わない。
しかし本当のことも言わない。
都合の悪いことは、隠す。
ごまかす。
一応専門家の肩書きはもっている。
民衆を煙に巻くことなど、朝飯前。

 その御用学者が問題になっている。
つぎつぎと新事実が明るみになるにつれて、御用学者たちが、いかに私たちを
欺いてきたか、それがわかってきた。

たとえば日本経済新聞は、「隠蔽体質」という言葉を使っている(5月2日)。
いわく『情報開示巡り隠蔽体質あらわ 政府、国民の不信招く』と。

 『……放射性物質の飛散状況の開示を巡っては、政府の「隠蔽体質」が際立った。

 113億円かけて開発・運用している「緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク
システム(SPEEDI」の飛散情報を毎日ホームページ上で開示するようになった
のは事故後1カ月半たった4月26日になってからだった……』(同、日本経済新聞)と。

 それまでは、口をそろえて、みな、こう言っていた。
「ただちに健康に害が及ぶという数値ではありません」と。
(「ただちに」でなければ、いつなんだ!)

 事故は事故なのだから、何も隠す必要はない。
しかし政府には政府の論理というものが、働くらしい。
が、政府はそれでよいとしても、問題はNHK。
本来なら率先して「事実」を追及すべきマスコミの代表が、このザマ。
政府の言いなりになって、大本営発表を繰り返す。
戦時中のNHKもそうだった。
今も、そうだ。
ならば問う。
「NHKって、何?」と。

 ついでに「御用学者って、何?」と。

●薄れゆく緊張感

 何よりもこわいのは、緊張感そのものが薄れていくこと。
被災者の方たちや、街頭で募金活動をしている人たちの気持ちもよくわかる。
しかしことは、そんな問題ではない。
ここで対処の仕方をまちがえたら、それこそ、日本全体がひっくり返ってしまう。
かりに何とか、爆発を食い止めたとしても、つぎに待っているのが、経済危機。
すでに多くの経済誌(月刊誌)は、「5月危機説」を唱え始めた。

 思い起こしてみればよい。
3・11大震災の直前ですら、日本は薄氷の上を恐る恐る歩いていた。
「デフォルト(=国家破綻)は時間の問題」とささやかれていた。
で、そこへ3・11大震災。
問題は何も解決していない。
ただ日銀は、3・11大震災直後、38兆円という現金を市中にばらまいた。
言うなれば、心臓への電気ショック。
それで日本は、かろうじて生き延びた。

が、繰り返す。
そこにある問題、そこにある危機が、それで解決したわけではない。
「現実」は、3・11大震災以前より、悪化している。

●油断 

 緊張感が緩めば、そこに油断が生まれる。
その油断が、恐い。
今の状況からすれば、いつなんどき原子炉の爆発が起こっても、おかしくない。
今日かもしれない。
明日かもしれない。

 今は、原子炉問題に、すべてを集中すべきとき。
日本がもてる財力、知力、技術力すべてを、集中すべきとき。
そのためには、情報の開示、開示、開示あるのみ。
何なら、毎日実況中継でもしたらよい。
定点にカメラをすえつけ、それで発電所の様子を随時知らせる方法だってあるはず。
YOU・STREAMというサービスだって、ある。

 情報の開示させあれば、さらに多くの専門家たちの意見を集約することもできる。
より効率的に働く機材の情報も集まる。
が、何よりも重要なことに、私たちもそれを見て、自分で判断することができるように
なる。
準備もできるし、退避行動も取れる。

 一方、国民のほうも、「国が……」「国が……」という言い方は、しなくてすむ。
それを言われる政府のほうだって、気が重いだろう。
だったら、開示、開示、開示あるのみ。
あとの判断は、私たち国民に任せればよい。

 ……ともあれ、今回の3・11大震災、それにつづく原発事故は、戦後の日本が迎えた、
最大の危機。
その最大の危機は、今もつづいている。
その緊張感だけは、忘れてはいけない。
……忘れたときが、こわい。
そのとき新たな事故が発生する。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年中児(4歳児)に、ひらがなを教える】5/2 2011

年中児のひらがな指導です。
文字は楽しいという印象作りのためのレッスンです。


(1)

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v/9X4CGeTdLN8?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/9X4CGeTdLN8?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>

(2)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/SuIkR1WAjsU?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/SuIkR1WAjsU?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>

(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/29ygNBz5rT0?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/29ygNBz5rT0?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>

(4)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/6IIaeDKtFV0?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/6IIaeDKtFV0?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学3年生に、場合の数、組み合わせを教える】5/2 2011

小学3年生に、「組み合わせ」「場合の数」を教えてみました(実験教室)。


(1)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/XTzWO-A7NnU?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/XTzWO-A7NnU?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(2)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/CIzY9umIL6I?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/CIzY9umIL6I?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/dMdMU2weajc?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/dMdMU2weajc?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●5月3日

++++++++++++++++++

今朝は、8時起き。
昨夜は1時ごろまで、原稿の吸い出しを
した。
(吸い出し=救出のこと。)
Eマガ社が今度、廃業することになった。
そのEマガ社にバックナンバーとして
私の原稿が残っている。
その原稿を、一本一本、吸い出すように、
取り出す。
だから吸い出し。

インターネットのこわいところは、
ここにある。
BLOGにしてもそうだが、「廃業」
と同時に、すべての記録が消されて
しまう。
何も残らない。
煙も残らない。
全く消されてしまう。

だから自分の原稿は自分で管理する。
自分で残す。
そのために吸い出しをする。
吸い出して、別のところに保管する。
あるいは、発表する。

本来ならこういうことも予想して、
原稿を複数以上の方法で保管する。
しかし当時(2001年ごろ)は、
そこまで気が回らなかった。
そういうこと、……つまりEマガ社が
廃業になるなどとは、夢にも思って
いなかった。

そこで教訓。
どんな原稿でも、どこかで発表する
にしても、元原稿は、別の場所に保管
しておくこと。
それも1か所ではなく、複数箇所に保管
しておくこと。
この世界は、移り変わりが、あまりにも
めまぐるしい。
はげしい。

……といっても、時間がかかる。
何しろ古い原稿である。
吸い出すにも、時間がかかる。
先ほども15回分ほど吸い出したが、それでも
30分もかかった。
当時は、1日おきにマガジンを発行して
いたから、1か月で、15回。
たいへんな量である。
しかしここで吸い出しをしておかないと、
私の原稿は永遠に消されてしまう。

Eマガ社は、「5月いっぱいで廃業」と
言っている。
ここしばらくは、時間との闘い。
やるしかない。

で、吸い出した原稿は、別のHPを
立ち上げ、そこへ収録するつもり。
古い原稿だが、そこに書かれているのは、
まぎれもなく「私」。
「私」の一部。
できるだけ、末永く、残したい。

前回、創刊号当時のマガジンを紹介した。
今日は、そのつづきを、ここに紹介したい。

++++++++++++++++++++

********2001年、Eマガ創刊当時のマガジンより*********

彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====
    子育て最前線の育児論
 ================  
2001年6月6日創刊号、2号合併号
         by はやし浩司(ひろし)

最前線の育児論の、第2号をお届けします。後半、半分が
創刊号です。まだお読みになっていないかたは、どうかお
読みください。

************************************
●第2号のトピックス……子育て定期検診
***********第2号**********************

あなたの子育て、定期検診
あなたの子育てを定期検診してみませんか?

●日ごろの、何でもない行為の中に、あなたの子育ての問題点が隠されていることがありま
す。そこであなたの子育て、定期検診!

【検診方法】
Q項目を読んで、続いて本文を読む前に、少し頭のなかで、「私はどうかな?」「うちの子はどう
かな?」と、自問してみてください。そしてある程度、答が出たら、本文を読んでみてください。 

Q 園や学校から、明るい表情で帰ってきますか?

 不登校ばかりが問題になりますが、同じように深刻なのが、帰宅拒否。ある男の子(年長児)
は、帰りの時刻になるたびに、どこかへ隠れてしまいます。そこで先生たちがさがすのですが、
おかげでいつもバスの発車時刻が遅れてしまいます。「どうしてでしょう」とお母さんから相談が
ありましたが、様子から私は「帰宅拒否」と判断しました。「家へ帰りたくない」という思いが、回
りまわって、子どもにそういう行動をさせるのですね。もしあなたのお子さんが、「いつも寄り道
をする」「帰りの時刻が遅い」ということであれば、この帰宅拒否を疑ってみてください。

Q おうちの方のいる前で、体や心を休めますか?

 あなたのお子さんが、園や学校から帰ってきたとき、どこで体や心を休めるか、観察してみて
ください。あなたのいる前で、休めるようであればよし。しかし好んであなたのいないところや、
あるいはあなたの姿が見えると、逃げていくようであれば、要注意。あなたとお子さんの間に
は、すでに小さな亀裂ができ始めているとみます。やがてそれが大きくなり、「断絶!」というこ
とにもなりかねません。そうならないためにも、子育ての仕方そのものを反省してください。子ど
もにとっては、家庭はやすらぎの場所。あれこれとこまかいことを言えば、あなたがいるところ
では休めなくなりますね。

Q いやなことがあると、どこへ逃げて行きますか?

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがあります。その逃げ場は、神聖な場所と心得て、
子どもがその逃げ場に入ったら、そこを踏み荒らすようなことはしてはいけません。子どもはそ
の逃げ場で、反省したり、心を調整したりします。子どもがそこから出てくるまで、静かに待ちま
す。ふつう子どもの逃げ場は、自分の部屋などですが、そこを荒らすと、別の場所に逃げ場を
求めるようになります。トイレの中や、押し入れの中など。近所の公園の電話ボックスの中に逃
げた子ども(小二男児)や、犬小屋に逃げた子ども(小四女児)もいました。

Q おうちの方の絵を、楽しんで描きますか?

 紙と鉛筆(クーピーなど)を用意して、「皆で、食事をしているところを描いてね」と指示してみ
てください。そのとき子どもが、楽しそうな表情で絵を書き始めれば、それでよし。もしそのとた
ん、暗い表情になったり、拒否するようであれば、家庭のあり方をかなり反省しなければなりま
せん。外からはわからなくても、お子さんの心の中に、大きなわだかまりができつつあるとみま
す。園児の場合、お父さんとお母さんの顔を描かせると、ふつうお母さんを先に、しかも大きく
描く傾向があります。それだけお母さんのほうの印象が強いからです。

Q ハングリーな状態になっていますか?

 同じように、こんな指示をして絵を描かせてみてください。「不思議な木があります。あなたの
ほしいものが何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い
てね」と。そのとき次々といろいろなものを描ければよし。そうでなくて、「何もいらない」「ほしい
ものがない」というのであれば、かなりの飽食を疑ってみます。子どもを伸ばすコツは、いつも
ややハングリーな状態に置くことです。「あれをしたい」「これがほしい」という思いが、子どもを
前向きに引っ張っていきます。与えすぎ、手のかけすぎは、禁物です。

Q 台所の生ゴミを、手で始末できますか?

 ドラ息子症候群の大きな特徴は、「いやなことはしない」です。そこでテスト。あなたの子ども
に、「台所の生ゴミを始末して」と頼んでみてください。あるいはお風呂の排水口にたまった毛
玉でもいいです。そのときしぶしぶでも、それができればよし。が、ああでもない、こうでもないと
勝手な理由をつけてそれをしないというのであれば、かなりドラ息子、ドラ娘化が進行している
とみます。さらに進行すると、「自分でしたら」と、生意気なことを言うようになります。ドラ息子化
を防ぐためには、家事をどんどん手伝わせること。子どもは、使えば使うほどよい子になりま
す。

Q 重い荷物をもったあなたを、手伝いにきますか?

 子どもの前で重い荷物を、苦しそうに運んでみてください。そのとき子どものほうから、「もっ
てあげる!」と言って、やってくればよし。そうでなく、知らぬふりをしたり、見て見ぬふりをして
いるようであれば、かなりのドラ息子、ドラ娘とみます。さらにドラ息子化が進むと、頼んでもい
やな顔をするばかりで、手伝おうともしません。人は自分で苦労して、はじめて他人の苦労の
わかる人になります。子どもも同じ。よく「子どもに楽をさせることが、子どもを愛することだ」と
思っている人がいますが、これは誤解。苦労のわかる子どもにする……。それが子育ての基
本一つです。

Q お小遣いは、一〇〇倍にしていますか?

 年長児から小学二年生ぐらいにかけて、子どもの金銭感覚は完成します。その金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じになるとみてようでしょう。それと同時に、子どもは、お金で自分の
欲望を満足させる、そのさせ方まで覚えてしまいます。そこでコツ。子どもに買い与えるもの
は、約一〇〇倍して考えます。たとえば一〇〇円のものは、おとなの一万円。一〇〇〇円のも
のは、一〇万円と……。この時期に、一万円や二万円のものを、ホイホイと買い与えている
と、やがてその子どもが高校生や大学生になったとき、一〇〇万円や二〇〇万円程度のもの
を買い与えないと満足しなくなります。

Q 子どもの名前を、大切にしていますか?

 子どもに「自分を大切にしようね」と言っても、あまり意味がありません。具体性がないからで
す。そういうときは、「名前を大切にしようね」と教えます。そして子どもの名前の出ているもの
は、新聞でも雑誌でも切り抜いて、高いところやアルバムに張ったりして、大切にします。その
とき、「いい名前だ」「すばらしい名前だ」と言うようにします。子どもは自分の名前を大切にする
ことで、自分を大切にすることを覚えます。自尊心もそこから生まれます。なお家庭や教育の
現場で、子どもの名前をからかったり、茶化したりするのは、タブーです。(続きは、次号で!)


***********以下、創刊号*******************


トピックス

● はじめまして! 
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?

●はじめまして!

今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
                    はやし浩司

●育児診断ができるぞ!

あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
 
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。

●子育て定期検診もできます!
あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。

検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。

●はやし浩司って、どんな男?

現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。
☆ただいま、会員募集中!(無料です!)

ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。

無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。

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では、皆さんのご来訪をお待ちしています!

はやし浩司の自己紹介
はやし浩司のホームページ
    「はやし浩司」のホームページを紹介します。
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


      
●「世にも不思議な留学記」……1970年の春、日豪経済委員会からの
        奨学金を得た私は、オーストラリアのメルボルンに向か
        った。しかしそこはまさに……?
      (中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
       新聞に連載中。)

●「ポケモン・カルト」「クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論」「ドラ
       エもん・野比家の子育て論」を紹介。

●子育て診断、子育て定期検診、過保護・過干渉・溺愛度を診断

●子育て相談……子育て相談、子育てアドバイスなど。Q&Aコーナーも
       ありますから、どうかご利用ください。

●はやし浩司(ひろし)……幼児教育にたずさわって30年。いつも最前
       線で、子どもや親たちと対峙してきました。金沢大学を卒
       業後、オーストラリアで研究生活を経たのち、三井物産勤
       務、幼稚園講師を経て、現在教育評論家。地元静岡県を中
       心に、1999年1月以後だけでも、100箇所以上の幼
       稚園、小中学校などで講演活動を続けている。

       30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
       「はやし浩司」のホームページで、ご覧ください。
      
みなさんに提供できること……

☆このマガジンで、私は皆さんの子育てで、次のようなことが協力できます。

(1)30年で得た、ノウハウや、考え方、育て方の知恵をお話しできます。
(2)子どもの見方、考え方、対処のし方など、具体的に、お話しできます。
(3)みなさんの子育ての指針を、お話しできます。  
             
中日新聞ホームページ
   「子どもの世界・こんな育て方」を、お読みいただけます。
          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/

    
    「混迷の時代の子育て論」
    「世にも不思議な留学記」
    「子どもの世界、こんな問題」と、連載が、計125回続きました。

    そのうちの最近の約50作が、中日新聞社のホームページに収録されています。
    
  (主な内容)
     育児ノイローゼ
     子どもの情緒不安
     恐怖症
     ADHD児など、子どもの心の問題

     子育て四次元論
     レット・イット・ビー
     夫婦は一枚岩
     許して忘れるなどの、育て方の問題

     見たぞ、UFO
     31年ぶりの約束
     アメリカの小学校
     学歴信仰など、豊富な内容です。

?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
?ルービン報道官の退任
?子育て四次元論
?最近の女子高校生は・・・?
?子どもの情緒不安
?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
?31年ぶりの約束
?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
?子どもの金銭感覚
?誤解だらけの幼児教育
?学歴信仰の盲信者
?許して忘れろ
?権威主義の象徴・水戸黄門
?キズつく子どもたち



はやし浩司のこと……

 まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
 いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。

 昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。


みなさんへ

 自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
 家族を大切に、「今」を精一杯、自分らしく生きる生き様を大切にしましょう。

 もし私に少しでも賛同してくださるようであれば、どうか、このマガジンを、
 引き続き、ご購読ください。よろしくお願いします。


                         はやし浩司
 
子どもの自我について

フロイトの自我論

●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる

フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を
もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で
きる。
 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや
占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな
る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自
我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない
子どもといった印象を与える。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき
環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価
値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心
(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど
もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳
幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
 人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質
は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

  



件名:子育て情報(はやし浩司)2001/06/17

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
 ================  
2001年6月17日号(003号)
         by はやし浩司(ひろし)

★★★★★★★★
01−6−17号
★★★★★★★★

朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?

「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
                 はやし浩司(ひろし)

*********************************
ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!

●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」

**********************************
(近況ニュース)

★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
    場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
       お申し込みは …… 053−458−7304です。

★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
      「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
          ぜひ、書店で、お買い求めください。

************************************

中日新聞(東海版)では、

    「乱舞するイメージ」を書きました。

          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
               を、ご覧ください。

       右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。

   なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
   インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!

*********************************


「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。



賢明な人、愚(おろ)かな人

賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。

それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。

賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
 
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。

だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。



バカな人
ついでにね、

「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。

いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。



相手のこと

イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。

だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?



家庭

君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。

でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。

(ほか、30項目)続きはホームページで
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


**********************************
子どもチェックシート

「うちの子はどんな子だろう……?」と思われたら、ぜひ、お読みください。

過干渉児
□性格が内閉し、自信喪失ぎみ。どこかオドオドしている。
□はきはきしたところがなく、心因性の下痢、腹痛、脱毛症を訴える。
□行動は消極的で、他人について行く感じ。生活力が弱い(以上、内閉型)。
□言動が粗放(ガサツ)で、乱暴。静かな落ちつきがない。
□他人に対して無頓着、無遠慮。時にめちゃめちゃな積極性を示す(以上、粗放型)。

拒否症
□なにかの作業をさせようとすると、かたくなにそれを拒む。
□無理にさせようとすると、体をかたくし、視線をそらす。
□ため息をはく、ささいなことにこだわるなど、気うつ症状もある。
□もともと暗示に弱く、神経質で繊細な面がある。
□どちらかというと、融通がきかないタイプだと思う。

集中力のない子ども
□注意力が散漫で集中力がなく、すべてにあきっぽい。
□瞬間的な興奮性や集中力はみ見せるものの、持続性がない。 
□注意しても効果なく、ぼんやりと空をみつめたり、うつろな目つきをする。
□体をダラダラとさせ、作業をさせても時間つぶしばかりをする。
□全体に伸び悩んでいる。時間をかけている割に成果がでない。

ひ弱な子ども
□外の世界ではすぐいじけ、くじけやすい。依存心が強く、すぐ助けを求める。
□決断力に欠け、意思がはっきりしない。友だちにいじめられる。
□特に友人関係でたくましさに欠け、抗議したり、喧嘩ができない。
□反面、家の中では内弁慶になり、暴言をはいたり乱暴をすることが多い。
□社会に適応しにくい性格だと思う。

(ほか30項目)続きはホームページで
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


**********************************

ホームページは

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

を、ご覧ください。

**********************************

ほかに……

「こどものページ」が充実しました!
エッセイが、全体で、10作ほど、ふえました!

**********************************

********(以下、第2号です)******************

はじめての方は、どうかお読みください。
                               


最前線の育児論の、第2号をお届けします。
************************************
●第2号のトピックス……子育て定期検診
***********第2号**********************
あなたの子育て、定期検診
あなたの子育てを定期検診してみませんか?

●日ごろの、何でもない行為の中に、あなたの子育ての問題点が隠されていることがありま
す。そこであなたの子育て、定期検診!

【検診方法】
Q項目を読んで、続いて本文を読む前に、少し頭のなかで、「私はどうかな?」「うちの子はどう
かな?」と、自問してみてください。そしてある程度、答が出たら、本文を読んでみてください。 

Q 園や学校から、明るい表情で帰ってきますか?

 不登校ばかりが問題になりますが、同じように深刻なのが、帰宅拒否。ある男の子(年長児)
は、帰りの時刻になるたびに、どこかへ隠れてしまいます。そこで先生たちがさがすのですが、
おかげでいつもバスの発車時刻が遅れてしまいます。「どうしてでしょう」とお母さんから相談が
ありましたが、様子から私は「帰宅拒否」と判断しました。「家へ帰りたくない」という思いが、回
りまわって、子どもにそういう行動をさせるのですね。もしあなたのお子さんが、「いつも寄り道
をする」「帰りの時刻が遅い」ということであれば、この帰宅拒否を疑ってみてください。

Q おうちの方のいる前で、体や心を休めますか?

 あなたのお子さんが、園や学校から帰ってきたとき、どこで体や心を休めるか、観察してみて
ください。あなたのいる前で、休めるようであればよし。しかし好んであなたのいないところや、
あるいはあなたの姿が見えると、逃げていくようであれば、要注意。あなたとお子さんの間に
は、すでに小さな亀裂ができ始めているとみます。やがてそれが大きくなり、「断絶!」というこ
とにもなりかねません。そうならないためにも、子育ての仕方そのものを反省してください。子ど
もにとっては、家庭はやすらぎの場所。あれこれとこまかいことを言えば、あなたがいるところ
では休めなくなりますね。

Q いやなことがあると、どこへ逃げて行きますか?

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがあります。その逃げ場は、神聖な場所と心得て、
子どもがその逃げ場に入ったら、そこを踏み荒らすようなことはしてはいけません。子どもはそ
の逃げ場で、反省したり、心を調整したりします。子どもがそこから出てくるまで、静かに待ちま
す。ふつう子どもの逃げ場は、自分の部屋などですが、そこを荒らすと、別の場所に逃げ場を
求めるようになります。トイレの中や、押し入れの中など。近所の公園の電話ボックスの中に逃
げた子ども(小二男児)や、犬小屋に逃げた子ども(小四女児)もいました。

Q おうちの方の絵を、楽しんで描きますか?

 紙と鉛筆(クーピーなど)を用意して、「皆で、食事をしているところを描いてね」と指示してみ
てください。そのとき子どもが、楽しそうな表情で絵を書き始めれば、それでよし。もしそのとた
ん、暗い表情になったり、拒否するようであれば、家庭のあり方をかなり反省しなければなりま
せん。外からはわからなくても、お子さんの心の中に、大きなわだかまりができつつあるとみま
す。園児の場合、お父さんとお母さんの顔を描かせると、ふつうお母さんを先に、しかも大きく
描く傾向があります。それだけお母さんのほうの印象が強いからです。

Q ハングリーな状態になっていますか?

 同じように、こんな指示をして絵を描かせてみてください。「不思議な木があります。あなたの
ほしいものが何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い
てね」と。そのとき次々といろいろなものを描ければよし。そうでなくて、「何もいらない」「ほしい
ものがない」というのであれば、かなりの飽食を疑ってみます。子どもを伸ばすコツは、いつも
ややハングリーな状態に置くことです。「あれをしたい」「これがほしい」という思いが、子どもを
前向きに引っ張っていきます。与えすぎ、手のかけすぎは、禁物です。

Q 台所の生ゴミを、手で始末できますか?

 ドラ息子症候群の大きな特徴は、「いやなことはしない」です。そこでテスト。あなたの子ども
に、「台所の生ゴミを始末して」と頼んでみてください。あるいはお風呂の排水口にたまった毛
玉でもいいです。そのときしぶしぶでも、それができればよし。が、ああでもない、こうでもないと
勝手な理由をつけてそれをしないというのであれば、かなりドラ息子、ドラ娘化が進行している
とみます。さらに進行すると、「自分でしたら」と、生意気なことを言うようになります。ドラ息子化
を防ぐためには、家事をどんどん手伝わせること。子どもは、使えば使うほどよい子になりま
す。

Q 重い荷物をもったあなたを、手伝いにきますか?

 子どもの前で重い荷物を、苦しそうに運んでみてください。そのとき子どものほうから、「もっ
てあげる!」と言って、やってくればよし。そうでなく、知らぬふりをしたり、見て見ぬふりをして
いるようであれば、かなりのドラ息子、ドラ娘とみます。さらにドラ息子化が進むと、頼んでもい
やな顔をするばかりで、手伝おうともしません。人は自分で苦労して、はじめて他人の苦労の
わかる人になります。子どもも同じ。よく「子どもに楽をさせることが、子どもを愛することだ」と
思っている人がいますが、これは誤解。苦労のわかる子どもにする……。それが子育ての基
本一つです。

Q お小遣いは、一〇〇倍にしていますか?

 年長児から小学二年生ぐらいにかけて、子どもの金銭感覚は完成します。その金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じになるとみてようでしょう。それと同時に、子どもは、お金で自分の
欲望を満足させる、そのさせ方まで覚えてしまいます。そこでコツ。子どもに買い与えるもの
は、約一〇〇倍して考えます。たとえば一〇〇円のものは、おとなの一万円。一〇〇〇円のも
のは、一〇万円と……。この時期に、一万円や二万円のものを、ホイホイと買い与えている
と、やがてその子どもが高校生や大学生になったとき、一〇〇万円や二〇〇万円程度のもの
を買い与えないと満足しなくなります。

Q 子どもの名前を、大切にしていますか?

 子どもに「自分を大切にしようね」と言っても、あまり意味がありません。具体性がないからで
す。そういうときは、「名前を大切にしようね」と教えます。そして子どもの名前の出ているもの
は、新聞でも雑誌でも切り抜いて、高いところやアルバムに張ったりして、大切にします。その
とき、「いい名前だ」「すばらしい名前だ」と言うようにします。子どもは自分の名前を大切にする
ことで、自分を大切にすることを覚えます。自尊心もそこから生まれます。なお家庭や教育の
現場で、子どもの名前をからかったり、茶化したりするのは、タブーです。(続きは、次号で!)


***********以下、創刊号*******************
トピックス

● はじめまして! 
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?

●はじめまして!

今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
                    はやし浩司

●育児診断ができるぞ!

あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
 
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。

●子育て定期検診もできます!
あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。

検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。

●はやし浩司って、どんな男?

現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。
☆ただいま、会員募集中!(無料です!)

ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。

無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。

会員登録のしかた ……  
(1)下をクリックする
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では、皆さんのご来訪をお待ちしています!

はやし浩司の自己紹介
はやし浩司のホームページ
    「はやし浩司」のホームページを紹介します。
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


      
●「世にも不思議な留学記」……1970年の春、日豪経済委員会からの
        奨学金を得た私は、オーストラリアのメルボルンに向か
        った。しかしそこはまさに……?
      (中日新聞の連載記事をさらに詳しく。現在、金沢大学学生
       新聞に連載中。)

●「ポケモン・カルト」「クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論」「ドラ
       エもん・野比家の子育て論」を紹介。

●子育て診断、子育て定期検診、過保護・過干渉・溺愛度を診断

●子育て相談……子育て相談、子育てアドバイスなど。Q&Aコーナーも
       ありますから、どうかご利用ください。

●はやし浩司(ひろし)……幼児教育にたずさわって30年。いつも最前
       線で、子どもや親たちと対峙してきました。金沢大学を卒
       業後、オーストラリアで研究生活を経たのち、三井物産勤
       務、幼稚園講師を経て、現在教育評論家。地元静岡県を中
       心に、1999年1月以後だけでも、100箇所以上の幼
       稚園、小中学校などで講演活動を続けている。

       30冊あまりの著書と、無数の市販教材など。詳しくは、
       「はやし浩司」のホームページで、ご覧ください。
      
みなさんに提供できること……

☆このマガジンで、私は皆さんの子育てで、次のようなことが協力できます。

(1)30年で得た、ノウハウや、考え方、育て方の知恵をお話しできます。
(2)子どもの見方、考え方、対処のし方など、具体的に、お話しできます。
(3)みなさんの子育ての指針を、お話しできます。  
             
中日新聞ホームページ
   「子どもの世界・こんな育て方」を、お読みいただけます。
          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/

    
    「混迷の時代の子育て論」
    「世にも不思議な留学記」
    「子どもの世界、こんな問題」と、連載が、計125回続きました。

    そのうちの最近の約50作が、中日新聞社のホームページに収録されています。
    
  (主な内容)
     育児ノイローゼ
     子どもの情緒不安
     恐怖症
     ADHD児など、子どもの心の問題

     子育て四次元論
     レット・イット・ビー
     夫婦は一枚岩
     許して忘れるなどの、育て方の問題

     見たぞ、UFO
     31年ぶりの約束
     アメリカの小学校
     学歴信仰など、豊富な内容です。

?教育の自由化は世界の流れ
?過去を再現する親たち
?フロイトの自我論
?ルービン報道官の退任
?子育て四次元論
?最近の女子高校生は・・・?
?子どもの情緒不安
?左脳教育と右脳教育
?フリーハンドの人生
?心をゆがめる子ども
?宗教論はタブー
?31年ぶりの約束
?スキンシップは魔法の力
?アイドリングする母親
?教育のおもしろさ
?幼児の発語障害
?「出て行け」米では ほうび
?大学生の親"貧乏盛り"
?見たぞ、巨大なUFO!
?多動性のある子ども
?学歴を誇るは小才
?子育てのすばらしさ
?燃え尽きる子ども
?「疑わしきは、罰する」
?恐怖症は"心の風邪"
?最高の教育とは・・・
?ぬいぐるみで育つ母性
?レット・イット・ビー
?高校野球に学ぶこと
?分離不安の子ども
?アメリカの教科書
?アルバムの不思議な力
?4割の善と4割の悪
?育児ノイローゼ
?日本人の持つ依存性
?子育ては自然体で
?子どものワーク教材
?生来の性質 過敏児
?学習意欲を奪う4悪
?急速に崩壊する「出世主義」
?「夫婦は一枚岩」で
?子どもの金銭感覚
?誤解だらけの幼児教育
?学歴信仰の盲信者
?許して忘れろ
?権威主義の象徴・水戸黄門
?キズつく子どもたち



はやし浩司のこと……

 まじめに、ただひたすらまじめに、幼児教育とは何かを考えて
きました。(人間は、不完全で、情緒も不安定で、どうしようもあ
りませんが……。)
 いくつかの主義があります。その一つが、「自由に生きる」です。
「自由」が、私にとって、青春時代から大きなテーマの一つでした。
今も、それについて考えつづけています。

 昭和22年(1947年)岐阜県生まれ。現在53歳です。


みなさんへ

 自由で、平等で、正義の通ずる国を、子どもたちに残しましょう。
 家族を大切に、「今」を精一杯、自分らしく生きる生き様を大切にしましょう。

 もし私に少しでも賛同してくださるようであれば、どうか、このマガジンを、
 引き続き、ご購読ください。よろしくお願いします。


                         はやし浩司
 
子どもの自我について

フロイトの自我論

●自我は引き出す●自我の強い子どもは伸びる

フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。
 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向かって展望を
もつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動で
きる。
 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよ
く口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや
占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くな
る。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自
我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない
子どもといった印象を与える。
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考
える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき
環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価
値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心
(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子ど
もの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳
幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。
 人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。その過程
の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質
は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

  




件名:子育て情報(はやし浩司)2001/06/24

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
 ================  
2001年6月24日号(004号)
         by はやし浩司(ひろし)

★★★★★★★★
2001−6−24号
★★★★★★★★
つゆの中休み?
うっとおしい雨がやんで今日は一日
暑い日でした。お元気ですか?
                 はやし浩司(ひろし)

*********************************
4号のトピックス

「子どもの叱り方、ほめ方」について考えてみました。

**********************************

叱り方・ほめ方

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)


 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、
そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱ると
きは、次のことを守る。
 @人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、A大声で怒鳴らない。その
かわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた説
教が、脳に届くには、時間がかかる。B相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おとなの
体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子どもに伝
えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこと。
にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お
尻」と決めておく。実際、約五〇%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ
のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特
に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめない
ほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にす
るようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」に
ついては、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子ども
がうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか
らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。
結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の
前向きの理解を示してあげる。
 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。

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はやし浩司のHPのほうでは、写真入りで、「叱り方」を解説します。
「子どもの指導法」のコーナーをお読みください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(写真が入るのは、6月27日以後の予定です。)
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こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!

「別冊PHP」(1997年・7月号で発表した原稿を転載します)

 子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちいち考え
て子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中ではわかっている
のですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。

 ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱るべきと
きに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱ったあとに、「さっ
きは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありません。こういう親の心
のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。

 また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうしても子
どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あなたは私の言
うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます自分で考えたり判
断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなるというわけです。

 が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもがお茶を
こぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりすると、子どもの顔
が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境だと、子どもの性格は内閉し、さらに
悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。

 園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆがめてクッ
クッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、「いい子」と誤解
して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。

 叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、またそれだ
けに難しいことおです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあたるようにしま
す。

ポイント1
朝、ぐずぐずする。……ストレスを発散させてやる

 子どもは、自分の精神状態をうまくコントロールできません。そのため、心理的な抑圧状態が
続いたり、欲求不満が蓄積すると、それを「ぐずる」という方法で、表現します。暴れたり、暴言
を吐いたりするのをプラス型とするなら、ぐずるタイプはマイナス型ということになります。
 だから表面的な症状だけをとらえて、それを悪いことだと決めてかからないこと。対処方法と
しては、ぐずるだけぐずらせながら、(たいていはぐずることによって、子どもはストレスを発散
させる)、様子をみます。それでもぐずるようであれば、原因をさがしますが、情緒が不安定な
子どもの場合、原因そのものがはっきりしないのが、ふつうです。
 そういうときは、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、スキンシップを、よ
り濃厚なものにします。叱ったり、つきはなしたりすることは、かえって逆効果で、症状をこじら
せます。


ポイント2
忙しいときに、まとわりつく……早めに子離れ、親離れの準備を

 こんなことがありました。あるオランダ人夫妻(夫はイギリス人、妻はオランダ人)の家に遊び
に行ったときのこと。五歳になる女の子が、たまたま読書をしていたお母さんに話しかけてきま
した。そのときお母さんは、ひととおり女の子の言い分に耳を傾けたあと、その女の子にこう言
いました。「お母さんは、今、本を読んでいます。じゃましないでね」と。
 欧米人は(自分の時間)(子どもと接する時間)というのを、実にはっきりと使い分けていま
す。欧米流の子育て法が、必ずしもよいというわけではありませんが、こういう毅然(きぜん)と
した態度が、「私は、私。あなたはあなた」というものの考え方を育てていきます。
 つまるところ子育てというのは、子どもを自立させ、よき家庭人に育てることです。そういう視
点に立つなら、親はできるだけ早い時期に、子離れの準備をし、子どもには親離れの心がまえ
をもたせます。忙しかったら、「忙しいから、あとでね……」と言う。子どもの遠慮する必要はあ
りません。


ポイント3
外出時に言うことを聞かない……自己主張には耳を傾ける

 自己主張とわがままは区別します。また自己主張と、とじこもり(がんこ)は区別します。自己
主張には、それをする理由がありますが、わがままにはありません。「お兄ちゃんは、この前、
○○をしてもらったのに、ぼくはしてもらっていない」と訴えるのは、自己主張ですが、理由もな
く、「あれほしてほしい、これをしてほしい」と騒ぐのは、わがままです。また自分の「カラ」に閉じ
こもり、がんこになることは自己主張とは言いません。
 そこで子どもがワーワーと、その自己主張を始めたら、反論すべきことは反論しながらも、子
どもの言い分には、耳を傾けるようにします。その自己主張をする子どもほど、あとあとたくま
しい子どもになります。根性(がんばる力)や、忍耐力(いやなことをがまんしてする力)も、そこ
から生まれます。
 わがままに対しては、一般的には、無視するという方法で対処します。わがままは言ってもム
ダだという環境を整えるようにします。子どもの「がんこ」については、生まれつきの問題、さら
には情緒の問題がからむため、無理をすれば、かえって逆効果です。


ポイント4
片づけをしない……こまごましたことは言わない

 子どもに「先生の話をよく聞くのですよ」とか、「友だちと仲よくするのですよ」と言っても、意味
がありません。具体性がないからです。そういうときは、「先生が、どんな話をしたか、あとでマ
マに話してね」とか、「この○○を、Aさんにもっていってあげてね。きっとAさん、喜ぶわよ」と言
いなおします。同じように、子どもに、「部屋のあと片づけをしなさい」と言っても、意味がありま
せん。子どもには、その必要性がないからです。
 こういうときは、たとえば「おもちゃは一つ」と教えます。遊ぶおもちゃはいつも一つ、と決めさ
せるわけです。こうすれば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃは片づけ
るようになります。
 しかし一言。子どもにとっては、家庭は休息とやすらぎの場所だということを忘れてはなりま
せん。アメリカの劇作家は、こう言っています。「ビロードのクッションの上よりも、カボチャの頭
の上に座ったほうが、気が休まる」と。子どもが外の世界をもつようになったら、こまごまとした
ことを、あまりうるさく言わないことです。


ポイント5
兄弟げんか……よき聞き役に

 兄弟げんかについて、いろいろ言われています。「歳の近い姉妹は、憎しみ相手」とか、「仲
のよい兄弟ほど、よくけんかする」とか、など。さらに下の子どもが生まれると、本能的な嫉妬
心から、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたり、下の子どもに陰湿かつ執拗(しつよう)ない
じめを繰り返すこともあります。
 しかし常識の範囲内の、ふつうの兄弟げんかなら、させたいだけさせます。子どもは兄弟げ
んかを通して、社会性を学び、問題解決の技法を学びます。互いのライバル心が、子どもどう
しを伸ばすこともあります。
 ただしいくつかのルールがあります。まず暴力に訴え始めたら、制止すること。次に互いの言
い分をよく聞きながらも、親側が判断をくだしたり、一方的に一方を責めたり、罰したりしないこ
とです。
 要するに「よき聞き役」になるということですが、たいていはそれで兄弟げんかはおさまりま
す。


ポイント6
勉強しない……勉強は楽しいものと思わせる

 子どもの勉強ぐせをそぐものに、次の四悪があります。無理、強制、条件、それに比較です。
 能力を超えた勉強を与えることを無理、時間を決めたりノルマを課し、それを強要すること
を、強制といいます。さらに「100点を取ったら、おこづかいを1000円あげる」というのが、条
件。「○○君は、もう小二の漢字が読めるのよ。あなたは読めないわね」というのが、比較で
す。条件づけが日常化すると、子どもは自分自身(「私は私」という考え方)を見失ってしまいま
す。
 ただ幼児の場合、勉強するとかしないとかいうことではなく、「勉強は楽しいものだ」という潜
在意識をつくることに心がけます。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という
のがあります。この時期、一度、勉強嫌いにしてしまうと、その後、立ち直るのが、たいへんむ
ずかしくなります。そのためにも四悪は避けます。


ポイント7
泣きやまない……ぼんやりする時間をふやし、ズキンシップを多くする

 子どもの泣き方にもいろいろあります。
 シクシク泣く、くやし泣き。サメザメ泣く、悲し泣き。グズグズ泣く、ぐずる泣き。ワーワー泣く、
訴え泣き。ギャーギャー泣く、ヒステリー泣きなど。また子どもにも、うつ症があります。ささいな
ことを気にして、いつまでも泣く、ジクジク泣いたりします。あるいは突発的に大声をあげて泣き
出したり、暴れたりすることもあります。ほかにかんしゃく発作による、キーキー泣きもありま
す。
 園や学校などで、いい子ぶり、ストレスをためやすい子どもほど、注意します。このタイプの子
どもの対処方法は、まず@一人でぼんやりとできる時間と場所を用意してあげること。家族の
人があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果です。次にAカルシウム、マグネシウム分の多
い食生活にこころがけ、Bやさしいスキンシップを大切にします。スキンシップには、人知を超
えた(?)不思議な力があります。魔法の力といってよいかもしれません。特に情緒が不安定な
子どもには、有効です。理由もなく、いつまでも泣き続けるようであれば、このスキンシップを濃
厚にしてみてください。


ポイント8
ものを大切にしない……ハングリーな子どもは伸びる

 ものを大切にしないというのは、いわゆるドラ息子(娘)症候群の一つですが、このタイプの子
どもが裕福な家庭の子どもばかりかというと、そうではないというのが、最近の傾向です。
 その背後には、飽食と甘やかしがあるわけですが、小子化がそれに拍車をかけます。子ども
が何かをほしがる前に、何でもホイホイと与えてしまう、などです。
 子どもの生活力を養う秘訣は、常に子どもをややハングリーな状態に置くことですが、家庭で
はこんなテストをしてみてください。紙とクレヨンを与え、「ここに魔法の木があります。あなたの
ほしいものが、何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い
てみてください」と指示します。子どもが次々とほしいものを描けばよし。「ほしいものがない」と
か、何か一種類のものだけを描くようであれば、飽食を疑ってみます。生活力の旺盛な子ども
ほど、あらゆる方向に触覚が向いていて、その分だけ、ほしいものをいっぱいもっています。


ポイント9
言葉づかいが悪い……人前できちんと話せればよしとする

 子どもの口にフタをすることはできません。神様でもできません。つまり子どもの口が悪いの
は、当たり前。また言葉づかいが悪いからといって、それを責めても意味がありません。ムダ
です。むしろ悪い言葉も使えないほど、子どもを追いやってしまってはいけません。時にはお母
さんに向かって、「ババア」と言うこともありますが、ものを自由に言うということも、幼児の心の
発達には必要なのです。
 むしろ言葉で注意しなければならないのは、@正しい言葉であるか、A豊かな言葉である
か、です。「ジュース、ほしい」ではなく、「私はジュースを飲みたいです」と言えるかどうか。また
夕日を見たとき、ただ「わー、すごい、すごい」だけではなく、「美しい」「感動的」「ロマンチック
ね」と、いろいろな言葉で表現できるかどうか、です。こうした基本的な言葉能力は、家庭環
境、特に母親の言葉能力によるところが大きい、です。もしあなたの子どもの言葉能力が貧弱
であれば、子どもを責めるのではなく、あなた自身が反省すべきだということです。


ポイント10
テレビゲームばかりする……頭ごなしの禁止命令は避ける

 もう一〇年以上も前から、教育界では、この問題について大論争が続けられています。そし
てその結論は、「時代の流れには逆らわない」です。
 私が子どものころには、マンガの功罪がさかんに論じられていたように思います。一時は「マ
ンガ禁止令」まで出されたことがあります(岐阜県)。しかし当時すでに手塚治虫氏が活躍して
いましたから、今から思えば、ずいぶんと時代錯誤の禁止令だったと思います。
 ただマニアは別です。テレビゲームに夢中になるあまり、現実と空想の世界の区別がつかな
くなってしまったり、四六時中、そのことが頭から離れなくなったり……、というのは、もう「ゲー
ム」ではありません。ある男の子(小五)は、真夜中にまで起きて、一人でゲームをしていまし
た。こうなればやめさせます。
 ふつうは時間と場所を決めて許すとか、反射運動型のゲーム(指先の器用さだけを競うゲー
ム)は避けるという方法で対処します。

(注意)「テレビゲーム」の害毒は、私がその後、あちこちの原稿で指摘しています。


ポイント11
おねしょ……マイナスは無視。プラスはほめる。

 最近の研究では、おねしょは、多尿症や頻尿症と並んで、大脳生理学の分野で、機能障害
の一つとして説明されるようになってきています。つまり叱ってもムダであるばかりか、かえって
症状をこじらせたり、長引かせたりしまいますから注意してください。よく毎晩、真夜中に子ども
を起こしてトイレへ連れていくというようなことをする人がいますが、子どもをかえって神経質に
してしまい、やはり逆効果です。
 ではどうするか? 子どものおねしょは、「ほめてなおす」です。つまりおねしょをした朝は、そ
れを無視。おねしょをしなかった朝は、それをほめるという方法です。そしてあとはあきらめま
す。
 あるお母さんは、「ようし、あと一、二年は覚悟するぞ。したければしなさい」と宣言しました
が、そう宣言したとたん、いつの間にかおねしょはなおってしまったそうです。
 おねしょというのはそういうものです。子どもにとっては、とても気持ちのよいもの(濡れたふと
んは別!)であることを、理解してあげてください。

 

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(以下第3号です)−4号以後、購読を始められた方は、どうかお読みください。
**********************************

●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」

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(近況ニュース)

★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
    場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
       お申し込みは …… 053−458−7304です。

★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
      「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
          ぜひ、書店で、お買い求めください。

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中日新聞(東海版)では、

    「乱舞するイメージ」を書きました。

          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
               を、ご覧ください。

       右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。

   なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
   インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!

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「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。



●賢明な人、愚(おろ)かな人

賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。

それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。

賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
 
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。

だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。



●バカな人
ついでにね、

「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。

いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。



●相手のこと

イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。

だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?



●家庭

君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。

でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。

(ほか、30項目)続きはホームページで
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


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子どもチェックシート

「うちの子はどんな子だろう……?」と思われたら、ぜひ、お読みください。

過干渉児
□性格が内閉し、自信喪失ぎみ。どこかオドオドしている。
□はきはきしたところがなく、心因性の下痢、腹痛、脱毛症を訴える。
□行動は消極的で、他人について行く感じ。生活力が弱い(以上、内閉型)。
□言動が粗放(ガサツ)で、乱暴。静かな落ちつきがない。
□他人に対して無頓着、無遠慮。時にめちゃめちゃな積極性を示す(以上、粗放型)。

拒否症
□なにかの作業をさせようとすると、かたくなにそれを拒む。
□無理にさせようとすると、体をかたくし、視線をそらす。
□ため息をはく、ささいなことにこだわるなど、気うつ症状もある。
□もともと暗示に弱く、神経質で繊細な面がある。
□どちらかというと、融通がきかないタイプだと思う。

集中力のない子ども
□注意力が散漫で集中力がなく、すべてにあきっぽい。
□瞬間的な興奮性や集中力はみ見せるものの、持続性がない。 
□注意しても効果なく、ぼんやりと空をみつめたり、うつろな目つきをする。
□体をダラダラとさせ、作業をさせても時間つぶしばかりをする。
□全体に伸び悩んでいる。時間をかけている割に成果がでない。

ひ弱な子ども
□外の世界ではすぐいじけ、くじけやすい。依存心が強く、すぐ助けを求める。
□決断力に欠け、意思がはっきりしない。友だちにいじめられる。
□特に友人関係でたくましさに欠け、抗議したり、喧嘩ができない。
□反面、家の中では内弁慶になり、暴言をはいたり乱暴をすることが多い。
□社会に適応しにくい性格だと思う。

(ほか30項目)続きはホームページで
       http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


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ホームページは

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

を、ご覧ください。

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ほかに……

「こどものページ」が充実しました!
エッセイが、全体で、10作ほど、ふえました!

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【5月3日、祭日】

●小学1年生に、組み合わせと、場合の数について教えました。
今日は祭日ということもあり、ややきびしく指導しました。
(ふだんは、子どもたちが疲れていますので、緩め気味に指導しています。)


何か新しい問題を出すたびに、「やる!」「やる!」と言って、子どもたちは
食いついてきます。
この(食いつき)が大切ですね。
そんな子どもたちの積極的な様子を、ご覧になってください。


(1)

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v/u1MP8D46-VE?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
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www.youtube.com/v/u1MP8D46-VE?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(2)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/kaiwRsOJvZc?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
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www.youtube.com/v/kaiwRsOJvZc?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(3)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/IQFxcO9OtkI?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/IQFxcO9OtkI?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(4)

<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/
v/toXATcALevk?hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></
param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://
www.youtube.com/v/toXATcALevk?hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash"
allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></
object>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 日本の小学1年生 組み合わせ、場合の数、確率 BW教室)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●5月2日(火曜日)

●長電話

+++++++++++++++++++++

昨夜、いとこと、2時間ほど電話で話す。
どのいとことでもそうだが、一度話し始めると、
長電話になってしまう。
短くて、1時間。
長いときは、数時間。

そのいとこ。
漢字では、従兄弟とか、従姉妹とか、書く。
年上であれば、従兄、従姉とか書く。
私はいとこの中でも、最年少に近いから、
「いとこ」というときは、ほとんどが、従兄、従姉と
いうことになる。

家族関係が濃密な家柄で生まれ育ったため、
親戚づきあいも濃密なら、いとこどうしのつきあいも、濃密。

それがよいことなのか。
よくないことなのか。
よい面もあるし、
そうでない面もある。

++++++++++++++++++++++

●人、それぞれ

 人間にも、鳥類に似た「刷り込み」があることがわかってきた。
生後直後から7か月くらいまでの間の期間をいう。
この時期を「敏感期」という。
それについては、すでに何度も書いてきた。
つまりこの時期に、基本的な人間関係が、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
私たちがいう「親子関係」は、こうして生まれる。

 その延長線上に、親戚関係があり、いとこ関係がある。
もっとも、それには地域性がある。
親戚関係が濃密な地域もあれば、そうでない地域もある。
同じ地域でも、家庭によってもちがう。
大切なことは、私は私。
人は人。
それぞれがそれぞれの考え方を尊重するということ。
「私が正しい」と思うのは、その人の勝手。
が、だからといって、「相手に向かってまちがっている」と言ってはいけない。

人間関係というのは、そういうもの。

●年長風

 家父長意識ともいう。
私の家系では、ほんの数歳年上というだけで、年長風を吹かす。
ほかの家系では、あまり見られない現象である。
それだけものの考え方が、封建的ということか。

 で、子どものばあい、兄弟、姉妹について、上下関係をもたせないほうがよい。
たとえば「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」という言い方は避ける。
名前で、呼ぶ。
「ケンちゃん」「サトちゃん」と。
そのほうが兄弟、姉妹関係がうまくいく。
のちのち仲のよい兄弟、姉妹になる。

まずいのは、ことあるごとに、「あなたはお兄ちゃんだから……」と、上下関係で
子どもをしばること。
封建的な意識の強い人、権威主義的なものの考え方をする人ほど、そういう言葉を
よく使う。

 人間に上下関係はない。
兄弟、姉妹に上下関係はない。
親子にも、夫婦にも、上下関係はない。

●過去の経歴

 これはいとこの話ではない。
そのいとこの近所に、こんな人(男性、70歳)が住んでいるという。
東京の某一流大学を出たあと、国の出先機関の、副長まで勤めた。
今は、定年で退職し、今は年金生活。

が、その男性は、近所では、だれにも相手にされていない。
敬遠されているというよりは、相手にされていない。
が、当の本人には、それがわからない。
「私は偉い」と思い込んでいる。
話し方からして、そういう話し方をするという。
相手が年下とわかっただけで、話し方の口調まで変化する。
相手を見下した言い方に変化する。

「君ねエ〜〜」と。

 その男性のことが話題になった。

●死にざま

 人は、死期が近づいてくると、自分の死にざまをいろいろと想像する。
想像するというよりは、死にざまを組み立てる。
派手な葬儀を望む人もいれば、家族だけの密葬を望む人もいる。
名声や地位で飾り立てる人もいれば、人知れず死ぬことを望む人もいる。
私の母などは、いつも口癖のように、こう言っていた。
「葬式だけは、きちんとやってくれよ」と。

 要するに、その人の見栄、メンツ、世間体の問題ということになる。
そのこだわり方によって、死にざまの組み立て方がちがってくる。
で、その男性だが、いとこの話では、いまだに学歴や職歴にこだわっているという。

「ぼくなんか、高校しか出ていないから、いつもバカ扱いだよ」と。
「20年ほど前だったか、こう言われたこともある。
君ねエ、算数の成績は何点だったのかねエ?、とね」と。
いとこは、それを話しながら、笑った。

●運命

 もっともこの先、60%の人は独居老人となり、孤独死を迎えるという。
発見までの平均日数は、6日。

「60%」といえば、ほとんど。
つまり多数派。
だったら、居直る。
それが当たり前という前提で生きる。
派手な葬式など、望むべくもない。
つまりそういう前提で死にざまを組み立てる。
つまりそれが「運命」。
その運命は、すなおに受け入れる。
へたに逆らうと、運命は、キバをむく。
キバをむいて、あなたに襲いかかる。

 だから、いいじゃないの、独居老人。
孤独死。

 そう割り切ってしまえば、未来が見えてくる。
私のばあい、ある年齢がきたら、有料の老人ホームに入る。
すでにその準備を始めた。
心の準備も始めた。

●裸

 ともかくも、退職したら、それまでの肩書、地位は捨てる。
一人の人間に戻る。
戻って、裸になる。

……というのは、常識。
何も私があえてここに書くまでもない。
へたに過去を引きずるから、みなに、嫌われる。
嫌われるだけなら、まだしも、まわりの人たちの心が読めない。

 先の男性も、周囲の人たちからは、「人間のクズ」と呼ばれている。
こんなことがあったという。

 その男性は、ことあるごとに、「先日、知事と会食してね」とか、
「○○大臣とは、10年のつきあいがあってね」とかなど言う。
「今度○○会社、ほら一流企業の○○会社、あの会社がG町にホテルを建設
することになったよ。ぼくに常務はどうかと打診があってね、今、迷っているん
だよ」とも。

 そういう話を聞いていたので、いとこが、たまたま自分の娘の就職先のことで
困っていたときのこと。
その男性に娘のことで相談することにした。
その男性に頼めば、何とかなるだろうと思った。

で、その男性を訪れると、開口一番、その男性は、こう聞いたという。
「で、お嬢さんは、どこの大学ですかア?
一流大学でないと、ぼくも紹介しづらいのだヨ」と。

 いとこは私にこう言った。
「一流大学だったら、就職先で苦労などしないよ。
一流大学でないから、何とかしてほしいと、相談に行ったんだよ」と。

●悪口

 ある賢人は、こう言った。
「人の悪口ほど、楽しいものはない」と。
たしかにそれはそうで、そのいとこと話していると、ポンポンと話がはずむ。
「あいつは少しボケたね」
「あの人もあぶないと」
「あいつは、同じ話を何度もするよ」と。
それが楽しい。

い「ぼくたちも、あと10年かなあ」
私「うん……。でも、ぼくはそういうことは考えないようにしている」
い「そうだよね。年齢なんて、関係ないよね」
私「そうだよ。明日のために、今日、準備する。明日が最後とわかっていても、
準備する」
い「そうだよなあ」
私「明日は、かならずやってくる。そうだろ?」
い「そうだね」と。

 ほかにもいろいろな話をした。
たいていは知人の健康や、仕事、さらには息子や娘のこと。
その中で、こんな話も出た。

●離婚

 いとこは、こう言った。
「そう言えば、浩司くん(=私)、浩司君が離婚するかもしれないという話を聞いたよ」と。

私「だれから?」
い「あのxxさんだよ」
私「ああ、あいつね。あの人はいつもぼくのホームページをのぞいている」
い「離婚するのか?」
私「ハハハ、離婚騒動は、日常茶飯事だからね。
夫婦喧嘩になると、いつもその話をする」
い「それならいいけど……」と。

 私自身も、ほかのいとこたちの間では、結構、陰口の対象になっているらしい。

私「じゃあさあ、今度xxさんと何か話す機会があったら、こう言っておいてよ。
あの浩司君は、この6月に離婚すると言っていたよとね。
きっとxxさん、喜ぶよ」
い「ハハハ……」
私「ハハハ……」と。

 いとこが60数名もいると、いろいろないとこがいる。
みながみな、私に好意的とはいうわけではない。
中には、用もないのに、(さぐりの電話)をかけてきては、私の家の内情を知りたがる
のもいる。
イヤ〜ナいとこ!

 が、それも人生。
言いたいように言わせておけばよい。
したいようにさせておけばよい。
つまり、相手にしない。

 とはいえ、同年齢のいとこたちとは、みな、仲がよい。
みな、同じような人生を歩んできた。
同じような苦労をしてきた。
生きてきた舞台は同じ。
で、今は、そのしめくくりのとき。

私「ボケるのだけは、いやだなア」
い「ぼくもいやだなア」
私「最近、ヒヤッとすることが多いよ」
い「ぼくも、そうだな」と。

 ……ということで、この話はここまで。
今朝の私の精神状態は、あまりよくないようだ。
何かにつけ、どこか愚痴ぽい。
平和や愛の話を書きたい。
おだやかで、呼んだ人が安らぐような話を書きたい。

 つぎはそうする。

 では、みなさん、おはようございます。
今日も、始まりました。


Hiroshi Hayashi+++++++MAY 2011++++++はやし浩司・林浩司


***********以上、2011年05月03日まで************






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松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House 
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと
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